2006年10月14日

◆“ラレーのエロ親爺”


                   岩本宏紀(在仏)

自らを“ラレーのエロ親爺”と呼ぶ69歳の男性がいる。川上耀一さんだ。巴里の北、60キロメートルの田園地帯にあるシャトーホテルとゴルフ場の経営を任され、10年前に支配人として単身赴任。酒が好き、はなしが好き、もちろんおんなも大好きだ。

シャトーの敷地にある石造りの建物に住み、週末はプレーを終えた友達を自分のサロン(応接間)によび、暖炉を囲んで酒を飲みながら談笑し、ときには深夜まで歌いまくるという生活を楽しんでいる。

横浜育ちのこの支配人は血の気が多い。初めてラレーに来た日本人グループ、二組が、18ホールを終え昼食を食べたあと、予約せずに再び1番ホールからスタートした。二組目がスタートするとき、予約していたフランス人がやって来て抗議を始めた。そこに支配人が通りかかった。事情を理解した彼は日本人グループに丁重にお願いした。

“こちらのグループは予約されています。おそれ入りますが先にスタートさせてあげていただけませんか。先にスタートされた仲間のかたも、一度ここに戻ってほしいのですが。” 

すると日本人グループ曰く、
“おまえが呼んで来い!”。 これには支配人も頭にきた。
“おまえとはなんだ!そもそもあんたたち、18ホール分の料金しか払ってねえだろう。それでいて予約している、しかもここの会員の前に割り込むとはどういうつもりだ!”。

おとなげないことをしたと、支配人は反省していたが、ゴルフ場の会員の前できちんと筋を通したという意味で、結果的にはよかったとぼくは思う。そんな支配人から、日本人の皆様に是非伝えて欲しいと頼まれたことがある。

それは、一般にフランスでは謝ったら負けだと言われているが、それは違うのではないか、本当に自分が悪かったら素直に“ごめんなさい”というべきで、そうすれば相手がフランス人でも気持ちは通ずるはずだ、ということ。

特に交通事故の場合、絶対に謝るな、見舞いにも行くな、さもないと責任を認めたことになり、あとで損害賠償を請求されると言われている。

実際、ぼくの娘がクルマにはねられたときにも、加害者は一度も見舞いに来なかったし、果物の詰め合わせも花束も送られて来なかった。社員が交通事故に遭って入院したときもそうだった。すべて保険会社同士が交渉するので、加害者を見るのは事故のときだけだ。

支配人はこんな体験話をした。
追い越してきたクルマが急に自分のほうに寄ったので、慌ててハンドルを切ったら、道路脇に停めてあったクルマのドアミラーにあたってしまった。引き返すと、なかに運転手がいた。

“申し訳ありません、ドアミラーを壊してしまって”と言うと、
“鏡が一枚割れただけです。安いものだから自分で直しますよ,保険の手続きも面倒だし。”と、快くゆるしてくれたそうだ。

フランス人社員は自分が悪いとわかっていても、まず謝らない。社内で“ごめんなさい”という言葉を聞くのは、一年に一度あるかないかだ。それはそれとして、ぼくはまだ日本人の習性をまだ失っていない。自分がへまをしたときには、それを認めている。(了)

2006年10月08日

◆「ディープインパクト」

 
                   岩本宏紀

「ディープの馬券を買わなきゃ非国民、みたいな雰囲気があるよね」。
こんな言葉が飛び出すくらい、巴里の日本人社会は、凱旋門賞の話題でもちきりだった。ぼく自身は競馬ファンでもなく当日はゴルフだったので、見に行くつもりはなかった。

しかし帰宅途中友だちの提案で、まだ間に合うので入れるかどうかはわからないが、とにかくロンシャン競馬場へ行ってみよう、ということになった。

ひとの流れにのって歩き着いたところはコースの内側。馬券の買い方も知らず、
馬が右回りに走るのか左回りかもわからない。人だかりのしている場所に入り込み、うまいこと最前列に到達することができた。

前は馬が走るコースとメインスタンド、後ろは大きなスクリーン。ディープインパクトよりひとつ前のレースに出る馬と騎手がそのスクリーンに映し出された。コースの図面が映ったときにはびっくりした。F−1のように何周もまわると思っていたのに、4分の1くらいしか走らないのだ。

スタート時間になっても我々の場所から馬は見えない。実況中継の声がだんだん興奮してくる。その直後目の前を一群の馬が駆け抜け、レースは終わった。あっという間の出来事だった。

それから20分くらい後、いよいよ最終レース出場馬の紹介が始まった。スクリーンにディープインパクトに乗った武豊が映る。メインスタンドには日の丸が
3,4枚見える。旅行業界の友だちによると最低三千人が日本から団体旅行で
来ているという。

「ゆたかー!」「ディープー!」の連呼だ。フランスの馬名は、ほんの数回のみ。こちらの競馬場は上品なファンが多くて、そういう習慣がないのだろうか。
ぼくのすぐ後ろから、フランスの「本命馬」に向けた野次が聞こえてきた。
「負けてくれー! 勝ったら日本に来れなくなるぞー!」。
日本語でよかった。これがフランス語の野次だったらと思うとぞっとした。

スクリーンはゲートインの光景に変わった。ディープは8番目、つまり最後に入った。カメラがそれを真上から捕らえる。ゲートはきっちり馬一頭の大きさしかない。こんなに狭いとは知らなかった。

ゲートが開くと大歓声だ。コーナーに差しかかると歓声は怒涛に変わった。スクリーンから目を離し左前方に目を凝らすと、「ドッドッドッドッ」という地鳴りとともに疾駆する8頭の馬。

鞍から腰を浮かせ手綱を握ってきっと前方を睨んでいる騎士のなんと男らしい
ことか。騎手に応えて全力疾走するサラブレッドのなんと美しいことか。

残念ながら日本期待の星は3位に終わり、声援は溜息に変わった。それでもぼくは「ありがとう」を言いたい。腹の底に響くあの音で、打ち震えるような快感を与えてくれ、力強く美しい疾駆する姿を見せてくれたのだから。(了)



2006年10月03日

◆巴里だより「さっぽろラーメン」

               岩本宏紀(在仏)

巴里の中心にサンタンヌ( Sainte Anne)という、バス1台がやっと通
れる一方通行の道がある。両側に日本食レストラン、ラーメン屋、うど
ん屋、すし屋、カラオケスナックが並んでいる。日本語の看板の下を日
本人が行き交う光景を眺めていると、まるで日本かと錯覚してしまう。

サンタンヌから一本入った道に、赤ちょうちんがぶらさがった「ラーメ
ン屋」がある。店員は中国人だが、ここの「さっぽろラーメン」は美味
い。ぼくがいつも注文するのは塩ラーメン餃子セットとハイネケン。ボ
リュームのあるどんぶりに胃も心も満たされる。

すっかり日本人気分で店を出るのだが5メートルも歩くと、ここは巴里
だったと我にかえる。百年は経っている石造りのアパルトマンと、それ
よりも古そうな重厚な国立図書館。そのあいだの小さな四角い空間が、
公園になっているのだ。

まわりを大きな樹に囲まれ、中央に女性の立像でできた噴水がある。女
性はセーヌとかロワールとかフランスの大きな川の名前の入った台座の
うえに立っており、その頭上の円盤から水が溢れ落ちるという趣向だ。

もうひとつ感心するのは色遣いだ。ベンチも街頭も深い緑色に統一され
ている。注意書きの立て札まで同じ色という徹底ぶりだ。樹との折り合
いがいい。この色のおかげで、淡いピンク色の女性の像が映える。

噴水を眺めるように数個のベンチが据えてあり、天気のいい日は読書を
するひと、お昼のサンドウィッチを頬張るひと、ぼんやりと時間を潰す
浮浪者を見かける。巴里の財政がどうなっているのかは調べていないが、
こんなふうに税金を使うのも悪くない。(了)

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2006年10月02日

◆巴里だより「和紙と筆ペン」

               岩本 宏紀(在仏)

ぼくの好きな作家、向田邦子は万年筆にこだわるひとで、気に入るとひとのものであっても拝み倒して手に入れた、と告白している。巴里でお店に入った彼女は、ショーケースから何本か出してもらい、書き味を試した。

撥ね(は)のある漢字を書いたとき、店員は顔色を変えて彼女を制したそうだ。ヨーロッパの万年筆は下から上に撥ね上げる書き方を想定していないので、ペン先が傷むと心配したからだ。そういえばアルファベットには「レ」のような文字は無い。

仕事でも私用でもぼくは主に万年筆を使っている。確かに日本語を書くときには、日本製のほうが書きやすい。外国の高級品は適度の重みがあって優雅な気分にはなるが、片仮名や漢字の垂直な線が書きにくい。

数年前から筆ペンも使うようになった。習字が苦手なぼくにも使いやすい、筆先に適度な腰のある製品が見つかったからだ。万年筆と筆ペンのいいところは、力を入れれば太く、軽く滑らせれば細く書けることだ。文字に感情が表れるような気がする。

「陰翳(いんえい)礼讃(らいさん)」で、紙と筆記具の相性がいかに重要であるかを知らされた。
谷崎潤一郎は言う。

「仮りに万年筆を日本人か支那人が考案したならば、穂先を毛筆にし、インキも墨汁に近い液体にして、それが軸から毛の方へ滲(にじ)み出るように工夫しただろう。紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが要求されたであろう。」

京都で買い求めた和紙に筆ペンで字を書くと、墨汁が紙に染込(しみこ)む感触がわかり、実に気持ちがいい。万年筆を使うと、ペン先が和紙の繊維をほぐり出すような気がして、落ち着かない。万年筆にはやはり西洋紙が相性がいい。

ユトリロと彼の母、バラドンの小さな美術館には、手書きの手紙が多く展示してあった。 そのとき、Eメールが普及した今、年賀状と暑中見舞いを除いて、友だちや家族との便りはみんな消えてしまうのではないか、という不安に駆られた。 

Eメールだけではなく、ときには本当の手紙も書こうと思う、今日この頃である。もちろん筆ペンと和紙、または万年筆と西洋紙で。手紙なら目が弱くてコンピューターの画面が苦手なひとにも、問題ないし。(了)

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鎌倉・建長寺

2006年09月16日

<巴里オヤジの健康術>「間違いだらけのダイエット」

             岩本宏紀(在仏邦人)

巴里で3ヶ月ごとに発行されている雑誌Bisou Famille (ビス・ファミーユ)に投稿する文章をお送りします。今回はダイエットがテーマです。
ご意見、ご感想は hiroki.iwamoto@wanadoo.fr あてにお願いいたします。
ビズ・ファミーユは こちらをクリックすると読むことができます。http://bisoupfj.club.fr/index.html
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2006年09月13日

ボーボワールの思い出 

        岩本 宏紀(在仏邦人)

あれは高校2年のときだったか、男女交際には縁がなくブラスバンド部と演劇部のかけもち部活に情熱を燃やしていたとき、同じクラスのAが一冊の文庫本をくれた。
「おもしろいけえ、読んでみんさいや。ものの見方が変わるけえ。」
題名を見てどきっとした。「第二の性」
刺激的な言葉にわくわくしながら、この小さな本を開いた。
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」
冒頭の文に期待は一気にしぼんでしまった。ブラジャーに火をつけて気勢を上げるアメリカのウーマンリブ運動には嫌悪感をもっていたからだ。
「なんだこの手の本だったのか。」

当時のぼくにとって女とは、服と化粧にしか興味がなくて考えることをしない人間。頭のいい女は逆に勉強一本槍で、身なりも構わず美的感覚はゼロだと思っていた。ひどい独断である。

しかし読み進むうちにどんどん引き込まれていく。すぐに本屋へ走り続刊を買った。
読み終えたときには、Aの言ったとおり女性に対する見方が完全に変わっていた。敬う気持ちさえ生まれていることに自分でも驚いた。
この本がきっかけで著者ボーボワール、そして彼女の国フランスをもっと知ろうと、仏文志望を決めた。大袈裟に言えば、ぼくが今フランスに住んでいるのはこの本のせいなのだ。

先月、35年ぶりに会った高校の同級生で、バスケット部員だったOにこの話しをした。
「Aにそういうところがあったんか。知らんかったのぉ。あいつはサッカーひと筋の男と思おとったが。いやぁ、ええ話しじゃ。」

一冊の文庫本が偏屈な男子高校生の女性観を変え、30数年後にその本を贈った男の株が上ったという話しである。
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2006年09月02日

「日本人の品格」

            岩本宏紀

青森に住む友だちからプレゼントが届いた。藤原正彦の本「国家の品格」だ。阿川佐和子との対談を読んでいたので内容は概ね想像できたが、実際に読んでみて我が意を得たりという気分になった。これと共通する、ここ数年興味をもったことを振り返っておく。
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2006年08月30日

「巴里だより」・・盆帰り 

          岩本宏紀(在仏邦人)

ぼくのふるさと、広島県西部には珍しい灯籠がある。竹の先を六つに割って広げ、紙を張って漏斗(じょうご)のようにしたものだ。なかにろうそくを立てる。おふくろによると浄土真宗安芸門徒特有らしく、同じ広島県でも東部では見ない。盆のわずか数日間だけ墓の前に供え、終わると捨てる。通常は赤や青など派手な色だが、初盆には白い灯籠を供える。おやじが死んだ年にはそれが我が家の墓地を取り囲んだ。

八年前から盆には必ず帰省するようにしている。そのとき中学時代の友達の墓を訪ねる。彼は大学二年の秋、事故で死んでしまった。彼の墓の前に立つと、中学三年の夏が蘇る。高校受験を翌年に控えた夏休み。我々二人は彼の勉強部屋で、毎日試験問題集に取り組んだ。

数学と理科に弱いぼくは、ずいぶん彼に助けてもらった。逆に英語ではぼくが彼の手助けをした。もっともぼくにとっては勉強だけではなく、ひょっとしたら憧れの君が勉強部屋から見える道を通るかも知れないという淡い期待もあった。ともあれ、甲斐あって二人とも希望する高校に合格できた。

小椋佳の歌にこんな詩がある。
「愛するひとの瞳(め)に おれの山河は 美しいかと」
二十歳でこの世を去ったお前。細かったお前が、山登りを始めて見違えるほど逞しい身体になっていたな。工学部専門課程の勉強もまだ始まったばかり。さぞかし無念であったろう。一年に一度お前と向かい合い、美しい山を築けたろうか、翳りない河を拓けたろうかと振り返る。そして怠惰な自分を叱る。・・続きのページへ・・