2009年07月05日

◆巴里だより チュイルリー公園のかき氷



岩本宏紀(在仏)


チュイルリー公園はホモが多いのでずっと敬遠していた。

土曜日の夕方、サン・ロック通りの中華料理屋で旨いオマールと
坦々麺を腹一杯食べたので、腹ごなしに久しぶりにこの公園に入ってみた。

傾いた太陽が芝生の緑をより鮮やかにし、
ルーブル美術館のベージュの壁をより立体的に見せていた。

観覧車や回転するぶらんこ、おなじみの回転木馬などの移動遊園地
も設置されていて、家族連れや若者で賑わっていた。

コンコルド広場とルーブルの間にある、この公園、この時期お勧めです。
しかも入場無料。

渡辺淳一の「シャトー・ルージュ」で、主人公の医者が
性愛の調教が終わった妻と再会するは、この公園だった。

蒼いリンゴのかき氷をストローで吸うと、気持ち良さを通り越して
頭が痛くなった。
日本の夏をちょっと思い出した巴里の夕暮れでした。

添付画像 2009年6月27日巴里 チュイルリー公園
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2009年06月21日

◆巴里だより 巴里のケーキ屋はこう包む


岩本宏紀(在仏)

巴里のケーキ屋さんは、今でもこんな風に包んでくれます。
てっぺんの紐に指を通して、ぶら下げて家に持って帰るのです。

もちろん紙箱に入れてくれる店もありますが、
ぼくはこの包み方が好きです。

なんだかあったかい気分になりませんか?

地元の店で今日買ったのは、
チョコレートのエクレアとレモンのタルト。
美味でした。


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2009年05月31日

◆巴里だより 姫アスパラガスとオバQ唇


             岩本宏紀(在仏)

アムステルダムの隣町、アムステルフェーンにおもしろいレストランがある。

日本食を出すのだが、シェフはフランス料理が得意なのだ。 そのためか、毎年春になるとフランスで採れる野生のアスパラガス、 「姫アスパラガス」がお品書きに載る。

グリーンアスパラよりも細くすらっとしている。 初めて食べたとき、数時間後に異変が起きた。

オバQのように唇が腫れ、気管支がアレルギーを起こして 息をするのも苦しくなった。
鏡に写っている盛り上がった口元を見て、 自分でも笑ってしまった。

翌年、同じものをお品書きに発見。 30秒迷ったが、もう抵抗力がついているはずと
言い聞かせて注文した。 しかし結果は同じ、再びオバQ唇と呼吸困難で数日苦しんだ。

これに懲りて3度目の挑戦はしていない。 本当に苦しいですからね。

2009年05月25日

◆巴里だより 「鈴らん」

 
                  岩本宏紀(在仏)

二歳違いの姉は5月生まれだ。今はどうか知らないが、鈴らんが好きだった。中学生のころ、勉強机のうえに鈴らんの写真が入った小さな額縁があったのをおぼえている。

フランスでは毎年5月1日、至るところに鈴らんの屋台が並ぶ。売り子は子供、学生、大人とさまざまだ。しあわせを運ぶ花としてフランス人はこれを買い求める。ぼくも買った。場所はモンマルトル。二大傑作映画の舞台のすぐそば、つまりキャバレー 「ムーラン・ルージュ」とその裏手、「アメリー」に登場するカフェ「オ・ドゥー・ムーラン」から歩いて3分の角っこだ。一束2ユーロ(230円)で春の匂いとしあわせを味わった。

テレビのニュースによると、意外にも鈴らんの原産は日本だそうだ。数百年前にフランスにもたらされたという。

それを聞いてコペンハーゲンにある日本料理屋「すずらん」を思い出した。

おおがらな大将は、純朴という言葉を男にしたようないい人だった。半年間赴任していた頃、家族と一緒によく行った。注文後の待ち時間は長かったが、飾り気のない山盛りの料理が彼の性格を表していた。

今から40年ほど前、日本の若者はリュックサックを背負いシベリア鉄道でヨーロッパを目指した。ソ連を過ぎて初めての西側の国がフィンランド、そしてデンマーク。風になびく金髪、吸い込まれそうな青い眼、血管がみえそうな白い肌にさぞかし驚嘆したことだろう。「すずらん」の大将はここでデンマーク女性に一目惚れ、そして住み着いたという訳だ。

残念ながら恋人ができなかったひとは、さらに南西に下り、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスへと旅を続けた。しかしアムステルダムや巴里では、「すずらん」の大将のような経緯で現地に住み着いたひとには、まだ会ったことがない。日本人と相性が悪いのか、それともここまで来るとヨーロッパ人に新鮮味を感じなくなったためだろうか。

ぼくのかつての上司によると、巴里まで辿りついたひとは、ここでアルバイトをしてお金を貯め、物価の安いスペインまで足を伸ばしたという。

巴里で1週間働けば、スペインで1ヶ月暮らせたそうだ。しかし30年前に社会党のミッテランが大統領に当選してから、労働許可証のないひとを雇った店は厳しく罰せられるようになった。

日本から観光でやって来たひとが、巴里でアルバイトをするのは今では不可能だ。外国人の労働規制が緩かった、遠いむかしのはなしである。


2009年05月12日

◆巴里だより 二人称はむずかしい

   
  岩本宏紀(在仏)

あなた、あんた、きみ、おまえ、、、こういった二人称を日本人に面と向かって使うことは、ぼくの場合ほとんどない。

小、中、高では「わし」「ぼく」「俺」対「おまえ」があたりまえだった。しかし会社勤めをするようになってから、そうはいかなくなった。ふりかえるともう長いあいだ、誰に対しても「おまえ」と呼んだことがない。

せいぜいたまに、娘を「きみ」と呼ぶ程度だ。それさえも何かしっくりこない。むしろ名前で呼ぶほうがしっくりくる。

日本語は二人称が使いにくい言語だ、とつくづく思う。何故か。それは二人称を選んだ瞬間に、相手と自分の関係が明らかになるからではないだろうか。

反面、英語では常に you、フランス語では vous(ヴー) か tu(チュ) の2種類のみだ。(vousは 丁寧な言いかた、tuは親しい場合)

フランスに長く住んでいる日本人は、日本人同士でも monsieur(ムッシュー)、 madame(マダム) を使うことが珍しくない。
「ムッシュー、今日のドライバーはよく飛ぶね。」
「最近ちょっと痩(や)せたんじゃないですか、マダム。」といった具合だ。

名前の代わりにもなるし、二人称の代わりにも使える。もちろん「済みませんが」という呼びかけの代わりにもなる、大変便利なことばだ。相手の名前を失念したときには、実にありがたい。

「久しぶりですね、ムッショー。一緒にプレーしたのはもう4,5年前になりますかね。」という調子で、すんなり会話に入っていける。

日本から巴里に来た当時、行列している人同士がすぐに親しく話しだすのを見て、びっくりした。てっきり知合いかと思うほど、自然に会話を始める。

フランスのこの特技は、monsieur、madameという便利な呼びかけことばをもっていること、そして二人称が vous と tu のふたつしかないことが大きな利用ではないかと思っている。

落語には「若旦那(わかだんな)」「ご隠居(いんきょ)」「おかみさん」といったことばで会話が始まる場面が多い。21世紀の日本では、知らないひとをどう呼べばいいのだろうか。キザと思われるのを承知で ムッシューとマダムを使ってみようか。(完)


2009年04月18日

◆巴里だより「広場でのんびりビール」

〜ドイツの田舎の場合〜
                  岩本宏紀(在仏)

モーゼルワインの産地、Winningenに行ってきた。
復活祭休暇のなかびだったので、生命力の象徴、うさぎの飾りつけが多い。

裏手はワイン畑の急な山、下るとモーゼル川。
川沿いの平坦な道はサイクリングやバイクのツーリングにうってつけだ。

この小さな村を散策していると、小さな広場には出た。
日当りのいい石畳の広場にはテーブルと椅子、それに大きなパラソルが置かれ、人々はビールのグラスを前に初夏のような太陽を満喫していた。

こういうのんびりしたひと時が好きだ。心の健康にもいい。

散歩途中のぼくも、花粉症をおしてビールを注文した。
                          (完)

2009年04月12日

◆オランダのサウナ事情

岩本宏紀(在仏)

安定したゴルフスウィングと飛距離アップを手に入れるため、去年の秋、フィットネスクラブに入会した。おなかを引っ込めるのも、もうひとつの理由だが。

「それではボクサー用メニューを用意しよう。ゴルフもボクシングも体側の筋肉がポイントだからね。」とはコーチの言葉。

ぼくのメニューは有酸素運動、筋肉トレーニングなどを約1時間、その後10分くらい泳いでサウナに10分、合計1時間半だ。USBメモリーカードのような装置にぼくのメニューが記憶され、毎回それをトレーニングの器械に差し込む。

すべてのトレーニングが終わったら、ジムのパソコンに差し込む。すると画面に今日の実績がグラフで表示される。もちろん過去10回くらいの実績との比較グラフも見られる。

さて、サウナについて報告したい。

8畳くらいの大きさで、2段の階段ベンチになっていて10人くらい入る。もちろん男女一緒。バスタオル持込OKだが、それを身体に巻かずにお尻に敷くひとが多い。空いているときには仰向けに寝るひともいる。つまりほとんど裸なのである。

もともと夏にはトップレスがあたりまえの国なので、サウナも裸、あっけらかんだ。ただおしゃべり好きな国民なのに、サウナではなぜか寡黙。暑さはひとを黙らせるのだろうか。

1ヶ月が過ぎ、確かに筋肉はついたが、飛距離は変わらず、内臓脂肪レベルもウェストも変わらず。

どうすりゃいいのか思案橋。(完)


2009年04月08日

◆巴里だより 交通事故と並木道

  岩本宏紀(在仏)

フランスの田舎には並木道が多い。春には葉が生茂(おいしげ)り、まさに緑のトンネルになる。ぼくが育った広島にも、就職して住んだ名古屋にもこんな並木道はなかったので、いつもこの景観に見とれている。

見た目の美しさもさることながら、実際の効果も侮(あなど)れない。くるまもなく、エアコンもない時代、夏の暑い日にこの影がどれだけひとを助けたことだろう。馬車しかなかった頃、御者(ぎょしゃ)も馬も太陽が照りつける道から木陰(こかげ)に入った瞬間、すっと汗がひき、生き返ったような気分を味わったことだろう。

ところがこんな風に並木道を讃美したら、フランス人から意外な反応が返ってきた。危ない、というのだ。

何故かというと、「夜道を走っているくるまが、何かの拍子(ひょうし)に道を飛び出してしまうことがある。野生の動物が出没(しゅつぼつ)するのは珍しくないからだ。そこが並木道だったら木に激突してしまう。

実際フランスではこんな事故が珍しくない。並木がなければ麦畑や菜の花畑に突っ込み農作物がなぎ倒されるだけだ。運転手が大怪我をしたり、死んだりすることはない。」という理屈(りくつ)なのだ。

たしかにフランスの田舎道は、日本と違ってカーブが少ないのでスピードが出せる。制限速度は日本より30Kmも速い90Kmだ。 それに加えて、食事によばれるとシェリーやシャンペンの食前酒に始まり、ワインを飲みながら料理を味わい、アルマニャックなど40度以上の強烈なリキュールが食後酒という具合だ。

もともとアルコールに強いフランス人でも、これだけ飲んだら運転も荒くなる。彼の言うことも尤(もっと)もだなと思った。アムステルダムにいたときに本人から聞いた話を紹介したい。

「ゴルフのあと、いつものようにワインで食事をしましてね。わたしが運転する番でした。いつの間にか同乗者はみんな眠ってしまったんですよ。自分もうとうとなった。大きな音で目を覚ますと、ウィンドーの両側は土なんですよ。状況が飲み込めず慌(あわ)てて外に出ると、高速道路のガードレールがない部分から外に飛び出してしまい、牧場と高速道路のあいだの溝(みぞ)にはまっていることがわかったんです。」 

幸い全員無傷だったそうだ。(完)



2009年04月04日

◆巴里だより 「清潔さときれいさ」

              岩本宏紀(在仏)

ベルサイユ宮殿のあの庭園が、王の嫉妬(しっと)の産物というのは有名なはなしだ。

大蔵大臣が自分のために、ルノートルという庭師に造らせた庭が大評判になった。

「王より立派な庭をもつとは怪しからん!」と腹を立てたルイ14世は、いいがかりをつけて大蔵大臣を更迭したうえでこの庭師を招き、ベルサイユの庭園を造らせたのだ。もちろん、もとの何倍という大きさにしたことは言うまでもない。

肌寒い3月末、悲劇のシャトーとも呼ぶべきこのVaux(ボー) Le(ル) Vicomte(ビコント) を見に行った。ベルサイユを見慣れた目にはミニチュアのようだ。

しかし濠(ほり)に囲まれた淡いピンクのシャトーには、えも言えない優雅さが漂っていた。重すぎず、軽すぎず、バランスのとれたデザイン。

何と形容すればよいだろう、石の壁は太陽と雨、風に数百年晒(さら)されて変色し、ところどころ苔(こけ)に覆(おお)われている。

ロサンジェルスのユニバーサルスタジオにある巴里のアパルとマンのセット、ラスベガスの巨大なホテルの敷地にたつ縮小版の凱旋門、それを見たときの気味悪さとは対極にある色合いだ。

30年くらい前、イタリアに行った先輩の言葉を思い出す。
「ローマの建物ははじめは汚いと思ったけんど、何日か経(た)ったら染(し)みや汚(よご)れもきれいに見えるようになった。なんとも言えん味わいだね。」

「きれい」と「清潔」は日本では同義語だが、清潔ではないきれいさも、確かにある。これが歴史の重みというものだろうか。(完)


2009年03月31日

◆巴里だより 春の巴里

岩本宏紀(在仏)

3月21日の土曜日、目覚めると抜けるような青空だったので、カメラを持って久しぶりに街を散策した。

気温は高くないが陽射しが強いので暖かく感じる。

こんな日はカフェのテラスの椅子はすぐに人で埋まる。サンジェルマン・デ・プレの有名な店「ドゥー・マゴ」は
10人以上が列を作って、席が空くのを待っていた。

マドレーヌ寺院のこの一角はサンジェルマン・デ・プレほどの人ごみではないが、それでもテラスは一杯で、通行の邪魔に
なるほどだ。

日本では春分の日はやすみだが、フランスには春分の日を祝う習慣はない。それでもやはり春の気配に人々の表情は心なしか和らいでいた。

2009年03月14日

◆「巴里だより」 軽さについて

〜 巴里のレストランのマダム〜
                        岩本宏紀(在仏)
床屋ではなにかと話題が飛ぶ。
シラク大統領、親日家、相撲と発展したのか、貴乃花の話題になった。

10年近くぼくの髪を切ってもらっているE子さんは、巴里で彼の髷(まげ)を結ったことがあるという。相撲取りとしは小柄な貴乃花も、近くで見ると堂々たる体躯。ところが、椅子から立ち上がる動作が実に軽やかで、まったく体重を感じさせなかったそうだ。

2004年の6月、巴里でサルサの世界大会があった。数年来このダンスにのめりこんでいる長女は、わざわざそれだけのために東京からやって来た。有名な先生の公開レッスンに参加したり、先生だけが踊るステージを見たりの4泊5日だった。

巴里最後の日、空港へ送って行く前に、ぼくがときどき昼ごはんを食べるレストランへ連れて行った。

注文を取りに来た店のマダムに、サルサ娘を紹介したあと、以前から気になっていたことを思い切ってきいてみた。

「あなたのスタイルと身体の柔らかさ、なによりも軽い動きを見て、きっとバレリーナに違いないと思っているのですが、、、」

ちょっと驚いたふうのマダムは、こう答えた。
「実はモダンバレエを踊っていました。でも店と子どものことが忙しくて、今は全然時間がとれなくて。」

当たらずと雖も遠からず。鍛えた体は美しい。
娘とふたり、「ふーん。」と納得したのだった。(完)

2009年03月03日

◆トルコ航空機、墜落現場を見て来た

岩本宏紀(在仏)

先週アムステルダム空港に着陸中のトルコ航空機が、墜落した。テレビでは何度か現場の画像を見たが、実際に自分の目で見たくて昨日と今日、自宅から25キロほどの現場に行ってみた。

すぐ近くの一般道は通行禁止になっており、高速道路A−9からしか見ることができなかった。

添付画像を見ていただければ明瞭だが、墜落現場の数十メートル先には農家らしき建物がある。高速道路までは200メートルくらいだろうか。飛行機のすぐそばでは、金網を隔てて羊たちが草を食んでいる。

この事故で搭乗者150のうち死者10人、地上の犠牲者ゼロという数字は奇跡だと実感した。着陸時のスピードは時速200キロといわれているから、墜落するのがほんの数秒遅かったら、間違いなく高速道路に突っ込んでいただろう。

ハドソン川に着水させた機長は30秒でそれを決断したという。しかも全員が機外へ脱出したあと、自分でもう一度客室を見回り、だれもいないことを確認したのちに自分も外に出たという。

死亡したトルコ航空の機長と副操縦士も、最後の最後まで乗員の命、地上のひとの命を救うことを考えていたのに違いない。現場をこの目で見て、そう思った。

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◆オランダの現場で撮影(3月1日)  岩本
                3月1日オランダにて

2009年02月24日

◆巴里だより 一品勝負のレストラン

岩本宏紀(在仏)

ボルドーの夜でレストランを物色していると、こぎれいで安そうな店があった。1階(rez-de-chaussée)は満席、2階(premier étage)も満席、3階(deuxième étage)でやっと座れた。

しかし何となく妙な雰囲気。お品書きを持ってくる気配がまったくないし、隣りのアベックは、胡桃(くるみ)がのっただけの小さなレタスのサラダを食べている。

左後方のテーブルも同じサラダのようだ。「ひょっとして、、、」と思っていると、ウェイトレスがやって来た。そして 「Quelle cuisson ? ケル・キュイソン」 焼き加減は?

予感は的中した。店の名前 L’Entrecôte アントルコット、つまり牛肉のリブロースステーキしか出さない店なのだ。

随分前の夏、J.H.さんに連れて行ってもらった巴里、ポルト・マイヨのレストランがそうだった。選ぶのは焼き加減とデザートのみ。料理はアントルコットだけという、一品勝負の店だった。

正しくは Le Relais de Venise – son entrecôte (ル ルレ ドゥ ブニーズ ソナントルコット、ベニスの旅館のアントルコットの意味)だが、みんな「アントルコット」と呼んでいるそうだ。

ボルドーの店で出てきたのも、薄切りながら味が深い。ソースはさらっと透明。感激して食べているうちに、五分刈り頭で恰幅(かっぷく)のいい、日本の友だちを思い出した。

巴里のからおけスナックで意気投合した彼は、神戸の有名なシュークリーム屋の大将だった。一時帰国した冬に、ぼくは彼の店を訪ねた。ひとを包み込むような優しさに溢れた奥さん、弾けるような明るさに発散する女子社員に囲まれて上機嫌の大将は、昔の写真を見せてくれた。

それは20数年前、ボルドーの料理学校にいたときのもので、調理方法を記した細かいメモも、一緒に保存されていた。

フランス人の味の好みと日本人のそれとはかなり違う。ボルドーで勉強したことをそのまま日本にもってきても、日本人の舌には受けないのではないか、という疑問をぼくはぶつけてみた。料理留学では何を勉強すればいいのかと。

彼の返事はこうだった。

「感覚を学ぶことやねぇ」。