2008年09月25日

◆巴里だより “二階建ての橋”

              岩本宏紀(在仏)

セーヌにかかる橋はそれぞれに風情がある。

ぼくが二番目に気に入っているのはビル・アッケン(Bir-Hakeim)だ。エッフェル塔から旧日航ホテルへ歩くとすぐに見えてくる、二階建ての橋だ。

下は人とクルマ、上を地下鉄が走っている。それをきくと機能一点張りのデザインを想像されるひとが多いだろうが、この橋は遊び心を失っていない。

アーチにはしぶい緑色の塗装。地下鉄を支える鉄柱にはわずかな曲線が施され、数十本が規則正しく二列に並んだ様は回廊の柱のようだ。ここでときどきファッションの写真撮影が行われるのも頷ける。

橋の中央は“白鳥の散歩道”という人工島の先端にのっかっている。そこにはエッフェル塔に剣を突き出す騎士の像が立っている。“フランスの力”と命名されたこの騎馬像の躍動感。その先にどっしりと聳えるエッフェル塔の重量感。

ここから眺めるライトアップされたエッフェル塔もまたすばらしい。十二月の寒い夜、三脚を立てて写真を撮りクリスマスカードに仕上げたこともあるくらいだ。巴里祭の花火もこのアングルが最高だと聞いた。

機能はしっかり果たしながらも見る人を楽しませてくれるこんな橋を作った街。豊かというか懐が深いというべきか、とにかく脱帽です。

画像 : ビル・アッケン橋 
デジタルカメラ Camedia C-700で。

Bir-Hakeim13-10-02.jpg

2008年09月11日

◆巴里だより「千の風になって」読者の声

    
                    岩本宏紀(在仏)

<本稿は、9月6日の本欄に「千の風になって」として掲載されています>

・北日本の女性
私も「千の風になって」は、詩、曲共に大好きな歌です。おそらく日本中の人々が、あの歌に
惹かれたことでしょう。それにあの歌を歌っている秋川雅史さんのあの素敵なテノールの声と
ルックス、お人柄のよさが魅力となり、CDも買って、何度も何度も聴きました。
本当にすばらしいものは、聴くほどに味わいを感じるものですが、この歌がまさにそんな気がします。

巴里郊外の朝焼けのお写真もすばらしいですね。あまりのすばらしさに、一瞬息を呑みました。
この空の彼方に、天国があるような気がします。
(岩本:この朝焼け、まさに天国というか、死んだ人たちの魂の世界を感じてシャッターを押しました。)

・バラ色の雲 。。。巴里の女性
「千の風」という歌を私は聴いたことがありませんでしたが、日本語ではまた一段とすばらしい歌詞に訳されているのですね。

お葬式には涙がつきものですが、亡くなった人はそんなに泣いてもらっちゃ困るよ、とでも思ってるのでしょうか。今までは悲しくて悲しくて足下の地面が崩れたように心もとなかったのですが、このごろ、13年前に亡くなった父の存在を身近に感じ、守られているような気がしてなりません。

この写真、つい逆さまにしてしまいました。だって、まるで空が海のように見えてしまったから。
いくらでも見ていたいような気になります。実際は、朝日が昇る前の数秒のことだったのでしょうね。
こういう光景を目にすると、魂が千の風になっているのも自然に納得してしまいます。
La vie est belle !
(岩本:さかさまにして見るという発想に脱帽です。)

・ 東京の女性
私の父も昨年末に永眠しました。この「千の風になって」の歌詞を聞くと私も涙が零れ落ちますが、この歌詞の通りに亡き父はいつも私や家族、父の友人・知人・親戚を守っていてくれるようにも思います。

まだ新盆を過ぎたばかりですので、浄土真宗の住職の話を聞く機会が多く「千の風になっての歌のように仏様はいつも身の回りに居るものだ」とお話されます。
出張先の街角の信号で偶然に「千の風になって」が大画面に流れて、父の葬式から間もない頃だったので昼間なのに独り涙しながら仕事先へ歩いたことを思い出します。

今でも父を思い出して無性に悲しくなる時がありますが、これは父が「千の風になって皆の周りで守っているよ」と私にサインを送っているような気がしています。
(岩本:ぼくは、夜中に寝室に親父の存在を感じたことが何度もあります。ちょっと嬉しかった。)

・巴里の男性
海外生活にあって冠婚葬祭の経験をすることはめったにありませんが、別の意味でいい経験をされましたね。
この歌、誰でも考えそうなことを、誰でも言えそうな言葉で、覚え易い簡単なメロディーに乗せて見事に表現したいい歌でしたね。
いろいろと考える秋になりました。

・大阪の男性
妻の父が長い闘病の末に亡くなりましたが、そのとき、葬儀や納骨が終わり田舎に一人残った老いた母親から、秋川雅史の歌う「千の風になって」のCDを買ってきてくれと言われて、CDショップに探して行き、届けたことを思い出しました。作家の新井満がアメリカの古い歌を日本語に訳したことくらいしか認識はありませんでしたから、母親がなぜ聴きたいのか良くわかりませんでした。

しかし、よくよく彼が歌う詞を聴いてみると、肉体は無くなってしまったけれど、風、光、雪、鳥、星となり、これからも生き続けていきますと、大切な人を亡くした人たちにとって、癒しとなり、生きる勇気と希望を与える歌だと気がつき合点がいきました。

人生の中で必ず大切な人の“死”を経験しますが、それは“死”ではなく、新たな“生”のスタート、
「千の風になって」は“再生の歌”なのですね。イギリスの葬式で「千の風になって」が朗読されているとは驚きました。もともと、そうした趣旨の歌だったのですね。

・関東の女性
日本では、イケ面の声楽家でブレイクし、5歳の(知り合いの子)幼児まで、フリをつけて唱いあげる程となった曲です。

その歌詞について
以前に、東大附属病院にて、臨床医とし、癌治療にあたっている医師の話しを聞いた時に
つねに「死」がつきまとう「癌」という病巣、そして、末期患者への治療の在り方、
心と身体のケア、全てにおいて、日本は、医療においてもメンタリティにおいても諸先進国の医療現場より、遅れているとそう嘆いていました。

何故、そうも遅れるのか、そこに横たわる問題はそれは、日本人が持つ「死生観」だと、そうおっしゃっていました。

「死」をタブー視し、「死」を受け入れない国民性日本人の死生観。
その話しを聞いた頃にこの「千の風」が日本で流行っていました。

肉体は滅んでも、その心は自由であり、魂は永遠である、という歌詞

アメリカの女性が、故人に書き綴った想いの詩に日本にて流行ったのもその「死生観」に変化が現れたのだろうか、とそう思った事を思い出しました。

私も、あと何年生きられるのか判りません。すごい長生きかもしれないし、明日にでも、何かの事故で、
あっけなく逝ってしまうかもしれません。

いつ逝っても思い残す事無い様に、日々、やりたい事をして、自由気ままに生きています。なんて、ただの我侭ものなのかもしれませんね(笑)
(岩本:いつ死んでも悔いのない生き方、これが一番難しそうです。反省の日々を送るぼくです。)

2008年09月06日

◆巴里だより 「千の風になって」

                   岩本 宏紀(在仏)

去年の10月、イギリスの葬式は寒かった。会場に入りきれなかった
我々数人は、今にも雨になりそうな空の下、強い風に震えながら
スピーカーから流れる弔辞と司会の声に耳を傾けていた。

ロンドン郊外、レディング(Reading)の司会が話す英語は
さすがにきれいだった。朗読のようなその心地よい声に聴き
ほれていると、なにか聞き覚えのある内容だ。さらに注意して
聴くとそれは「千の風になって」の歌詞だった。

Do not stand at my grave and weep,  私のお墓の前で泣かないでく ださい
I am not there, I do not sleep.    そこに私はいません 眠って なんかいません
I am a thousand winds that blow,   千の風に 千の風になって  あの大きな空を吹き渡っています

4年前に死んだ親父のことを思い出して、胸が締め付けられた。
いつの日かぼくが死んで、その葬式を自分の魂が見ていたら、
ぼくもきっとこんな風に思うだろう。

事務所に戻ってイギリス人社員に、この詩は日本語に翻訳され、
メロディーをつけて歌になり、広く愛されていることを話すと
驚いていた。イギリスでは歌はないが、彼女の叔父さん、
叔母さんの葬式ですでに朗読されていたという。

ぼくの葬式では、まず一人が英語の詩を朗読し、次に全員で
日本語の歌を歌ってもらいたい。(完)

<添付画像 : 巴里郊外、アパートから見た朝焼け 
 デジタル一眼レフ>
sen.jpg 


2008年08月11日

◆巴里だより 「丹精を込める」

岩本宏紀(在仏) 

オランダが誇るもののひとつにキューケンホフがある。 3月から5月の2ヶ月しか開かれないチューリップの公園だ。

ぼく自身は、この公園の周辺を覆い尽くすチューリップ畑、ヒヤシンス畑の広大な花のじゅうたんが好きなので、公園のなかには入ったことがなかった。

4月20日、一眼レフを持って10年振りに出かけると、花畑のチューリップはほとんどが茎と葉っぱだけになっていた。いい球根を収穫するには、自然に花びらが散るのをまたずに切り取るらしい。

仕方なくキューケンホフに入った。これが予想を遥かに超える美しさ。
見たことのない品種が見事に花を咲かしている。チューリップを取り巻く芝生の緑との対比は眩いばかりだ。

よく見るとひとつひとつの花壇には緑の立て札があり、そこに会社名と村の名前が書いてある。気に入った品種を見つけたらそれをメモして、園内にある店で注文するという仕組みらしい。

それにしても完璧な手入れだ。 枯れた花びら、折れた茎は一切見当たらず、
ほとんどのチューリップが満開状態、かつ背丈も揃っている。

見とれていると作業服の中年の男性が花壇に近づき、腰をかがめてチューリップの根元に落ちているなにかを素早く拾った。それは単なる動作ではなく、いとおしさに溢れる仕草だった。

このとき頭に浮かんだのは「丹精を込めて」という言葉である。

最近は、やったからいいじゃないという、仕事は仕事と割り切るひとにしか
出会わなくなったぼくには驚きだった。

愛情を込めて世話をする人がいるからこそ、見る人を感激させるチューリップができるのですね。嬉しい一日でした。

添付画像 いつくしむようにチューリップの世話をする庭師。 咲き誇るチューリップ2008年4月20日オランダ、キューケンホフ

いつくしむようにチューリップの世話をする庭師 咲き誇るチューリップ2008年4月20日オランダ、キューケンホフ   

2008年08月04日

◆巴里だより 「嵐が丘」とゴッホ兄弟


                     岩本宏紀(在仏)

中学生の頃、筑摩書房世界文学全集の「嵐が丘」を読んだ。身分の違う男女の叶わぬ恋の物語だが、最後の場面がすごい。

この世では結ばれることは諦め、死後一緒になろうとする、しかも物理的に。墓守だったか神父さんだったか、二人の棺桶を管でつなぐよう頼むのだ。そうすれば死後数週間たてば、腐敗がすすんで二人は混じりあうことができる。

火葬が当り前の日本人にとって、このおどろおどろしいまでの発想は強烈だった。しかもエミリ・ブロンテという独身女性がこれを書いたということに、さらに衝撃を受けた。

ビンセント・ファン・ゴッホと弟テオの墓を見ると、いつもこの物語を思い出す。

生きている間は認められず、常に弟の経済的支援を受けていたビンセント。彼は37歳のとき巴里郊外のオベール・シュロワーズでピストル自殺する。

彼が描いた教会と麦畑のそばの墓地に、埋葬された。後を追うように翌年、弟は故国オランダで病死。数年後未亡人はテオの亡き骸をオベール・シュロワーズに運び、ビンセントの墓に並べて埋葬した。そしてこの画家を励ましつづけた医者ガシェの家にあった蔦を植えた。

今ではその蔦はふたつの墓を覆い尽くし、まるでひとつの墓のようだ。向かって左に「ビンセント・ファン・ゴッホ ここに眠る」。向かって右に「テオ・ファン・ゴッホここに眠る」という石板が、蔦のなかから頭を出している。

兄の才能を信じて支えつづけたテオ、それに応えておそるべき勢いで絵を描き続け、もうこれ以上弟夫婦に負担をかけられないと自らの胸に銃弾を撃ち込んだビンセント。蔦でひとつになったこの兄弟の墓を見ると胸がつまる。何度か来ているが、いつも雨が降る。(完)



2008年07月18日

◆巴里だより「アジアの水」

   
                      岩本宏紀(在仏)

◆蒸し風呂ゴルフ
2年前の6月半ば、中国広州はまだ雨の多い季節だった。束の間の晴れた土曜日、中国で初めてのゴルフはとにかく暑かった。汗は止まることを知らず、終盤では立ちくらみ直前だった。

このところ巴里も暑い、ブラッセルも暑かった。摂氏30度を超す太陽の下でのゴルフはもっと暑い。それでも中国の蒸し風呂ゴルフを思えば、まだ天国だ。木陰に陽射しを逃れ、そこへ一陣の風が吹き込めば、汗はすっと引いていく。これほどの爽やかさはない。

◆巴里ではパサパサ
ほとんどの日本人は、湿度が苦手だろう。けれども乾燥した国に長く住んでいると、逆にそれが懐かしく感じられることがある。

香港と中国のホテルで髪を洗った時リンスはしなかったのに、乾くと高価なリンスを使ったように髪がふんわりとしている。自分の髪が生き返ったようで気持ちよかった。シャンプーは高級品には見えなかったので、これはきっと水のせいに違いない。

日本の旅行者が巴里に来ると、数日で髪がパサパサになるという話をよく聞く。これは硬水と軟水の違いなのだろう。

◆梅雨がきれいな「肌」をつくる
冬の巴里の乾燥はかなりのもので、リップクリームはぼくの必需品だ。また乾燥を防ぐクリームを塗らないと、顔はもちろん、腕も向こう脛もかさかさになってしまう。

蒸し暑い時期に日本に帰ると飛行機から出た瞬間に、休止していたぼくの汗腺が一気に目を覚ます。汗でべたべた状態はもちろん快適ではないが、身体に溜まっていたものがどんどん排出されていく心地良さもある。

巴里に住む日本皮膚科医によると、日本のあの湿度と軟水が、日本女性のきれいな「肌」をつくるのだそうだ。そう考えれば梅雨のうっとうしさも多少軽減されるかも知れない。
                           (完)


2008年06月26日

◆巴里だより “カフェと鏡“

                      岩本宏紀(在仏)

巴里のカフェは、歩道にも椅子が並べてある。天気のよい日はこの席から埋まっていく。ところがすべての椅子が歩道を向いている。二人だと向かいあうのではなくて、映画館のように隣りあわせに座ることになる。そして道行くひとを眺める。

「着こなしがうまいなぁ」「あのスカーフの色、季節を先取りしてるぞ」「このおじいさん、かなりの年なのに背筋がぴんと伸びてるじゃないか」「逆光の髪がきれだなぁ」「おいおい、どうしとこの男とこんなに素敵な女が腕を組んでるの?」といった調子で退屈しない。

ぼく以上に巴里のひとは、ひとの恰好を観察している。

間口は小さいのになかにはいると、意外に広いと感じるカフェが巴里には多い。「あれ、ぼくによく似た服のアジア人が座っているじゃないか」と思うと、自分が鏡に写っていたということが何回かある。鏡をうまく使っているのだ。

広く見せるだけではなく、おしゃれのチェックという効果も大きい。女性が鏡やショーウィンドウの前で立ち止まり、髪の乱れを直したり、衿元を整えたりする場面をよく見かける。巴里は西ヨーロッパ、アメリカ、日本のなかで、最も鏡の多い街だと思う。

エレベーターはもちろん、地下鉄の車両にも貼り付けてあり、乗り込んできた女性はそれをちらっと見て、みだしなみを整えている。

以前、池袋メトロポリタンホテルのエレベーターのなかで従業員さんに
「ここに鏡があるとネクタイのチェックができたりして便利だと思いませんか?」と言うと、「はあ?そうですねぇ。」と、怪訝な顔をされたことをふと思い出した。

一般に自宅では自分しか鏡に写さない。街のなかにある鏡のおもしろいところは、ひとの群れのなかにいる自分がどんなふうかがわかることだ。

カフェでほかの客のなかにいる自分の姿を鏡のなかに発見すると、ぎょっとすることが多い。

200年以上昔、ベルサイユ宮殿の鏡の間では、着飾った貴族たちが美を競い合っていたことだろう。片側の壁がすべて鏡になっている細長いこの大広間は、ひとと比較して自分のおしゃれをチェックする最高の環境だったに違いない。

おしゃれのセンスは、ひとのなかにいる自分の姿をながめることによってより一層磨かれるのではないだろうか。巴里に住んでそう思うようになった。 (完)


2008年06月09日

◆巴里だより「菜の花畑と並木道」への反響


                     岩本 宏紀(在仏)

★「巴里だより・菜の花畑と並木道」の本稿は、5月27日の本欄に掲載されました。(編集部)

今回もいろんな視点からの感想をいただきました。文章を書くこと、写真を撮ることの楽しみ以上に、みなさんからの便りを読むことは心躍る喜びです。今後ともどうぞごひいきに。
               <巴里より 岩本宏紀>


◆菜の花のてんぷら 。。。 (ワインが大好きな巴里の女性)
今晩、夕食、何にしようか、ネットで、検索中にメールを頂きました。いつも、温かい、文章とお写真、有難うございます。菜の花、素敵ですね。ゴルフ場の近くですか?
今、お腹がすいているので、菜の花の天ぷらを、サンセールと一緒に食べたいなどと、考えています。(笑)

実は4月1日から30日まで、日本に帰国していました。京都のしだれ桜が見事でした。
日本の風景も美しいですよね。 また、お花の写真送って下さいね。 
(岩本:サンセールの白ワインはシャブリよりも好きです。赤もなかなかいけますよね。これからの季節はちょっと冷やして。)               
◆宇宙を感じるかも 。。。(フランスの女性)
この歌の景色は蕪村の句、「菜の花や 月は東に 日は西に」と同じ時節のものなのでしょう。

日本の菜の花畑とは比較にならないほど広大なフランスの畑に立つと、もっと宇宙を感じるかもしれませんね。写真は映画「ひまわり」を思い出させます。 
(岩本:ここでは地平線が見えます。 また、ゴルフの帰り、ヘッドライトを消して空を見上げると満天の星が見えます。まさに宇宙を感じる場所です。「ひまわり」はクラウディア・カルディナーレでしたか。 今でもときどきフランスの雑誌で見かけます。)

◆北日本の女性
フランスの菜の花畑は、本当に雄大で美しいですね。黄色は明るくて大好きな色なのですが、見ているだけで心が癒され、広くなりそうです。実物はどんなにかすばらしいのでしょう。

介護でとかく心が狭くなりがちなのですが、解放してくれるのは、やはりこの菜の花畑のような自然の美しさが最高です。
岩本さん、素敵なお写真をありがとうございました。 
(岩本:この写真、シャッターを押すときに何かを感じました。ボーリングでストライクをとる直前、これはいける、と感じるときに感覚と同じです。)

◆ハンガリーのひまわり 。。 (インドネシアに住む、旅行好きの男性)

菜の花畑の写真を見て、学生時代の旅行のことを思い出しました。
1996年夏、当時住んでいたイギリスから友達と2人で東欧旅行に出かけました。ウィーンまでは飛行機,そこからブダペストとプラハに電車で移動しました。ウィーンからブダペストに移動する電車の中で、友達が窓の外の変化に先に気づいて声を上げました。

見渡す限り一面黄色。最初は何だかよく分からなかったのですが、よく見るとひまわりの花でした。今までに見たことのないスケールの大きさに、圧倒されたのを覚えています。

当時はチェコもハンガリーもビザが必要でした(今は両国とも不要のはず)。ロンドンのチェコ大使館はスロバキア大使館と隣り合って2世帯住宅みたいになっていたのを思い出します。

今もあるのでしょうか、赤い表紙のトーマスクックの時刻表を見ながら、当時まだ怪しかった英語を使って(今も怪しいですが)チケットを取ったり、宿を探したりと、懐かしい思い出です。以上12年前の話でした(苦笑)。 

(岩本:トーマスクックの時刻表を懐かしく思い出すひとは少なくないでしょうね。ぼくの周りにも愛用者がいました。それにしてもヨーロッパは大きく変わりましたね。1985年にオランダに赴任。数年後東ドイツのひとがハンガリー経由で西ドイツに入り始めたというニュースを見たしばらく後には、ベルリンの壁が崩れ、ルーマニアの大統領が殺され、あっという間に東ヨーロッパがEUに加盟。 ドイツ統一の直後、西ドイツは経済的に大変でした。そのことを西ドイツのひとに言ったときの返事は今でも忘れられません。
「でも、これまで会えなかった親戚と、自由に交流できるようになったのですから。」

◆横浜の女性
雄大な菜の花畑にほっといたしました。このところ地球温暖化でアフリカはもちろんアメリカ地中海沿岸、オーストラリア、アメリカの旱魃で干上がった大地枯れる農作物、それに北極圏の解けた氷の海、
死んでいく北極熊など連日放映されています。本当に恐ろしい気がしておりました。

花が見渡す限りにある大地。心が休まります。
氷河がとけて滝のようにごうごうと流れ出ている光景は目に焼きつきました。なんともならないのでしょうが温暖化防止に取り組まないといけないとおもいます。
(岩本:十年ぶりにオランダにアパートを借りました。 冬が以前のように寒くないのに驚きました。凍った運河でスケートというのは、遠い昔の思い出になりつつあります。)

◆飛行機から見た 。。。(巴里の男性)
草、花、木といった目を楽しませ、薫りに一息、大気に漂う香りに慰められ、心身休まるものを好みますので、私からの拙文の便りにも植物について出来るだけ季節にそったものを取り上げてお届けしています。

菜の花はパリ郊外の広大な畑に、そして過日は利用した航空機の小窓から正に<絨毯>のような景色を見つけて楽しみました。
(岩本:植物の名前をよくご存知ですね。いつも感服しています。たしか山田詠美の言葉だったと思いますが、出来るだけ固有名詞に近いことばを使ったほうが、状況がいきいきしてくるそうです。

「マロニエや桐の花は散り、赤と白の西洋サンザシが咲いたと思えば、今度は ニセアカシアが咲き出しました。」
こういう文をごく普通に書いておられる。素晴らしいと思います。植物音痴のぼくには夢のような話です。)

◆辛子 。。。 (巴里の男性)
いつも「巴里だより」を有難う御座います。
ところで、菜の花と辛子の花が素人目には区別出来ないのを御存知ですか?
(岩本:一瞬「幸子の花」とは何だろうと思ったのですが、辛子の花と書いてあるのですね。広島の田舎で育ったのですが、まわりには辛子を栽培している農家はありませんでした。)
                 (完)


2008年05月27日

◆ 巴里だより    菜の花畑と並木道

岩本 宏紀 (在仏)


菜の花畠に 入り日薄れ

見渡す山の端 霞み深し

春風そよ吹く 空を見れば

夕月かかりて 匂い淡し

これは日本の風情。
フランスでこの時期見られる菜の花畑は雄大です。
春の太陽に照らされた黄色い花は、さらにその色を濃くして
眩しいほどです。

5月3日、この日は春というよりも夏の陽射しでした。

★添付画像 
2008年5月3日
<巴里の北、ラレーの近くの菜の花畑と並木道 >

NanohanaNamikiRE.jpg

2008年05月21日

◆巴里だより 「鈴らん」

  岩本宏紀(在仏)

二歳違いの姉は5月生まれだ。今はどうか知らないが、鈴らんが好きだった。中学生のころ、勉強机のうえに鈴らんの写真が入った小さな額縁があったのをおぼえている。

フランスでは毎年5月1日、至るところに鈴らんの屋台が並ぶ。売り子は子供、学生、大人とさまざまだ。しあわせを運ぶ花としてフランス人はこれを買い求める。

ぼくも買った。場所はモンマルトル。キャバレー 「ムーラン・ルージュ」とその裏手、「アメリー」に登場するカフェ「オ・ドゥー・ムーラン」から歩いて3分の角っこだ。一束2ユーロ(230円)で、春の匂いとしあわせを味わった。

テレビのニュースによると、意外にも、鈴らんの原産は日本だそうだ。数百年前にフランスにもたらされたという。それを聞いてコペンハーゲンにある日本料理屋「すずらん」を思い出した。

大柄な大将は、純朴という言葉をそのまま男にしたようないい人だった。家族と一緒によく行った。注文後の待ち時間は長かったが、飾り気のない山盛りの料理が、彼の性格を表していた。

今から40年ほど前、日本の若者はリュックサックを背負いシベリア鉄道でヨーロッパを目指した。ソ連を過ぎて初めての西側の国がフィンランド、そしてデンマーク。風になびく金髪、吸い込まれそうな青い眼、血管がみえそうな白い肌にさぞかし驚嘆したことだろう。「すずらん」の大将は、ここでデンマーク女性に一目惚れ、そして住み着いたという訳だ。

残念ながら恋人ができなかったひとは、さらに南西に下り、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスへと旅を続けた。

しかしアムステルダムや巴里では、「すずらん」の大将のような経緯で現地に住み着いたひとには、まだ会ったことがない。日本人と相性が悪いのか、それともここまで来るとヨーロッパ人に新鮮味を感じなくなったためだろうか。

ぼくのかつての上司によると、巴里まで辿りついたひとは、ここでアルバイトをしてお金を貯め、物価の安いスペインまで足を伸ばしたという。

日本から観光でやって来たひとが、巴里でアルバイトをするのは今では不可能だ。外国人の労働規制が緩かった、遠いむかしのはなしである。


2008年04月21日

◆巴里だより  屋根瓦

127ParisToits.jpg 
                  岩本 宏紀(在仏)

ヒースロー空港からロンドンへ移動する電車の窓から、ぼくは民家の屋根を何気なく眺めていた。

灰色の瓦、茶色っぽい瓦が多い。素材はセメントのようだ。曇り空のせいか、壁は立派なレンガ造りなのに、なぜかみすぼらしい家に見えた。

そのとき急に高松の民家を思い出した。2004年の夏、四国に死者を出した台風が去った翌日、今治から高松に高速バスで移動していたときのことである。

緑の斜面に点在する民家は純粋な日本式の木造住宅で、屋根は銀色の瓦。縦横寸分のずれもなくまっすぐに並び、瀬戸内の夕日を受けて品のある輝きを放っていた。

ぼくの故郷広島は島根県に隣接しているせいだろう、石州瓦(せきしゅうがわら)の家が多い。

通称「あかがわら」と呼ばれ、白壁とのコントラストがすばらしい。回りに何もなくて、田んぼのなかにぽつんと建っている一軒家、それも母屋と納屋がある家は、赤、白、緑の三色の調和が見事である。

しかし高松の家を見たときほど、日本家屋の屋根が美しいと思ったことはなかった。

その夜、一緒に飲み一緒に歌った高松の人たちにこの話をすると、
「近くにいい土が採れる所があり、瓦の工場があるからでしょう。
でも高松の家が全部立派な屋根とは限りませんよ。
高速道路沿いの家が立派なのは、立退きの補償金のおかげでしょう」
との答えが返ってきた。

4年前の夏を懐かしく思い出しながら、街の景観にとって屋根がいかに大切かを感じた今日の朝だった。(完)       2008年4月18日





★添付画像:巴里の屋根 1986年7月27日 
チュイルリー公演に組み立てられた観覧車からバンドーム、オペラ座、モンマルトルの丘を望む。
回転が速くて一番上に来たときには放り出されそうで恐かった。

2008年04月13日

◆巴里だより エトルタ・ノルマンディー上陸作戦の地

  岩本宏紀(在仏)

英仏海峡の白い断崖 the white cliffs of Dover という名前を初めて聞いたのは30年前のこと。BBC出版の英会話テープの出だしの台詞だった。長年どんなものだろうと気になっていたが、英仏海峡へ行く機会はなく、忘れかけていた。

ある時、フランス側でもこれが見られることを知った。ゴルフ友だちがエトルタ(Etretat)というまちのゴルフ場に誘ってくれたのだ。

エトルタは巴里の西200Km。砂浜ではなく鳩の卵くらいの小石の海水浴場があり、その裏にレストラン、ホテル、民家が密集している。三角州のようなその平地の北と南が海岸段丘になっている。

急な斜面を登った北側の丘には、石造りの小さな教会があり、まちを見守っている。南側の丘がゴルフコースだ。海からの強い風に煽られて苦労するが、あるときはまちを見下ろし、あるときは英仏海峡のきらめく水面(みなも)を眺めながらのゴルフは最高だった。
以来、エトルタはお気に入りのまちになった。

ちょっと肌寒いこの春のある日、またエトルタに行ってきた。教会からさらに海の方へ歩くと足がすくんだ。断崖は50メートルはあるだろう、飛んでいるかもめの背中が見える。

ほとんど垂直の崖のふちにも柵はない。「滑落の危険あり。自分の身は自分で守りましょう。」という立て札が代わりに立っている。その先には白い断崖が、遥か彼方、靄(もや)で見えなくなるまで続いている。

第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦は、ここでも敢行されたと聞いた。

この断崖を登ってくることはあるまいと、たかをくくっていたドイツ軍の裏をかき、勇敢にも連合軍は、鉤(かぎ)のついたロープを発射し、それをつたって忍者のようにこの垂直の断崖をよじ登ったという。援護射撃はあったにせよ、ロープの兵士と上で待ち構える兵士の優劣は明らかだ。

ノルマンディー(フランス北西部)では蒼々(あおあお)した芝生に白い十字架が整然と並ぶ墓地をよく見かける。エトルタの白い断崖と墓地のイメージがいつも重なってしまう。
(完)

2008年04月03日

巴里だより“黄色いじゅうたん”

岩本宏紀

毎年この時期になるとぼくも花粉症になる。目と鼻はほとんど問題ないが、咳が一月半くらい続く。

先日健康診断があった。
「最近、病気にかかったことはありませんか。」と尋ねられたので
「 花粉症です。」と答えた。

するとこのフランス人医師曰く、
「統計によると花粉症のひとは、そうでないひとに較べて癌にかかる率が低いそうです。アレルギーは一種の防衛作用なので、癌をやっつけてくれのでしょうね。」とのこと。

それを聞いて気が楽になった。

涙にしろはなにしろ、身体の外に出るものは、おそらく体内にたまった悪いものを捨て、身体をきれいにする働きがあるのだろうとぼくは思っている。だから我慢できる程度なら薬でとめることはしない、というのがぼくの方針だ。咳をするたび、はなをかむたびに身体が浄化されていると思えば、多少は苦痛がやわらぐ。

花粉症と並ぶこの時期の名物は、菜の花畑だ。巴里から30キロメートルも離れると、あちらこちらに黄色いじゅうたんが広がっている。その雄大さ、その色鮮やかさには圧倒される。

毎春三脚を立てて撮影していたオランダのチューリップ畑は、完全にまっ平らで、色は主に赤。

フランスの菜の花畑は、「 北の国から」の富良野のようにゆるやなか起伏があり、黄色一色だ。いずれ劣らぬ4月の景色。

花粉症はつらいが、自然はこんなにすばらしいものを見せてくれる。うまく釣り合いがとれているなぁと、つくづく思う。