2017年11月21日

◆末期癌患者は無医村状態

松永 美佳子(医師)



現在日本の死因の3分の1は、癌によるものです。癌は年々増加傾向にあり、高齢者の手術や様々な化学療法、放射線療法など積極的治療が盛んに行われています。

ところが、それらの治療が効果を示さなくなった、いわゆる「末期癌患者」の置かれた状況は、“無医村状態”と言わざるを得ない状態なのです。

病院に入院していても、主治医や看護師は積極的治療を受ける患者の治療や看護に忙しく、肝心の「末期癌患者」の痛みや様々な症状の治療、看護にゆっくり向き合うことが出来無いのが現状です。

癌の痛みや様々な症状への対応は専門的知識を必要としますが、ほとんどの病院には専門医が居らず、充分な治療も受けられていません。さらに、死に直面すれば精神的な苦痛も非常に大きくなりますが、そうした精神面でのサポートもほとんどなされていない状態です。

また、家に帰って通院している癌患者も大変です。通院出来ている間はまだいいのですが、次第に病院での待ち時間が辛くなり、その結果通院も困難になるのです。

それでも患者さんの多くは、必死で通院を続けますが、そうなっても何時間も待たされ、3分医療です。様々な苦痛を詳しく訴える時間もなく、効果のない薬を処方されて、家で苦しんでいる方がたくさんおられます。

こんなふうに通院が次第に困難になると、家族が病院に通院して、代わりに薬をもらって来ることになります。何故かといいますとそれは最期になったら、その病院に入院させてもらわないといけないので、病院と縁を切るわけにはいけないからです。

こうして家で苦しみながら最期を迎えた患者は、最期の最期に救急車で病院に運ばれ、息を引き取ります。病院にいても、家にいても、「末期癌患者は無医村状態」なのです。

わたしたちは今、「在宅ホスピス」に取り組んでいます。在宅ホスピスとは、癌患者の様々な苦痛を家でコントロールし、最期まで自分らしい人生を過ごしていただけるようサポートすることです。入院している癌患者の方は、多くが家に帰りたいと願っています。

今までは、強い痛みや吐き気、便秘、倦怠感、呼吸困難など様々な症状を抱えて家に帰ることはほとんど不可能でした。家に帰っても、医師の訪問を受けることなく、死ぬまで身体的、精神的苦痛に苦しんでおられました。当然それを支える家族の不安や負担は、計り知れないものがあります。

点滴を受け、死ぬまで病院の天井と睨めっこしめながら生きるのではなく、癌と闘いながらでも、最期まで家族とともに過ごし、最期まで自分らしい人生を生きることに人間の尊厳があると思うのです。

そうした願いを叶えるには、医師、看護師、ケアマネージャー、事務、ケースワーカー、ヘルパーなど様々な業種がチームを組み、24時間、365日体制で患者さんやその家族を支えるシステムが必要となります。

頻回な訪問により、痛みを和らげ、様々な症状を緩和する努力を行い、死と向かい合う苦痛に対して、患者・家族を支える医療スタッフの存在なしには実現しません。苦痛のないその人らしい最期を迎えられることが、わたしたちの願いなのです。

さて、このような在宅ホスピスを充実させるには、「在宅ホスピス」に対応する以前のステージとして、新しい「入院施設」を併設することが理想的だと考えます。

実はわたしたちが患者の家を訪問し、痛みや吐き気、不眠、呼吸困難などの症状を緩和する時、そのコントロールに難渋する瞬間があります。

麻薬などの難しい薬を使う場合、その患者さんに合った適切な薬の量や種類を調節する時や、その副作用に目が離せない時などです。

このようなとき、薬を調節する間だけでもこの「入院施設」に一旦入院させ、調節できた後、ご自宅へ帰すことができれば、ご家族の負担がかなり軽減されますし、その症状コントロールもよりし易くなると思われます。

また、経過が長期になると、ご家族の疲労が溜まることが多々あります。そのような時、一時的に患者をこの「入院施設」で預かってあげることが出来れば、ご家族の精神的、身体的な負担も軽減出来ると思うのです。

このようなことを考えると、入院先が市民病院や大学病院などでは敷居が高く、気軽に入退院させることができません。

治療をしている医師が変わることにより、症状のコントロールがうまくいかなくなることも考えられます。退院させるタイミングもうまくいかなくなります。折角家で最期をと思っていても、退院のタイミングが合わず、帰って来れなくなります。

もう一つ、わたしたちが「入院施設」を持つことには、大切な意味があります。現在、厚生省も在宅を勧めていますが、病院では、医療スタッフが患者さんを家に帰すタイミングが分からず、在宅への準備が出来ずに家に帰れない患者がたくさんおられます。

家族も知識がなく、介護に対する不安から迷います。そうしているうちに退院が遅くなり、現在では、ほとんどの方が、家に帰ってから1,2週間から1ヶ月程度で亡くなられています。

最期の1ヶ月というものは、痛みやその他の症状も強く、ほとんど寝たきりの状態となります。そのような時期に家に帰ってきても、自分らしい生活を送ることからはほど遠いと言えましょう。痛みを抑えるために麻薬も使用され、意識もぼーとしています。思考もはっきりしなくなります。

患者の生活の質をあげるには、もっと早い時期に在宅に移すことが必要です。もし、わたしたちが「入院施設」を持てば、一旦わたしたちの所へ入院してきた患者さんに対して、わたしたちの手で在宅への準備を進め、適切な時期に家に帰してあげることができます。必要ならまた入院させてあげられます。

そうしたバックグランドがあれば、患者やご家族も安心して家に帰ることができるでしょう。

このような理由からわたしたちは将来は、「在宅ホスピス」のサポートセンターとしての「入院施設」を是非作りたい念願をしています。わたしたちの現在のクリニックは大阪千里中央のビルで、「外来」と「在宅」を受け持っており、大変忙しい状態です。

特に在宅においては、癌の末期は症状の変化が早く、朝の状態と昼、夕方の状態が異なり、その対応には時間単位で対応しなければならない時があります。

そのような中で、お互いにコミュニケーションを取り合い、質の高い医療を行おうとすると、「入院施設」は現在のクリニックの近くに隣接することが理想的です。外来と患者宅と入院施設の間をスタッフが効率よく動き回るには、「入院施設」が遠方にあっては意味がありません。クリニックに隣接する「入院施設」であればこそ、ベストな医療環境といえるでしょう。
     
もしこれが実現すれば、このシステムは日本で癌のターミナルケアを行う上でのモデルケースとなります。

厚生省は在宅ケアをさかんに勧めていますが、実際には問題が山積みです。このシステムを成功させることは、今後日本の各地で、在宅ホスピスを広めるために必要なことと思われます。

多くの「末期癌患者が無医村状態」になっている中、少しでも早くこうしたことが実現することを、多くの患者やその家族が待ち望んでいると思います。そして、「末期癌患者の無医村状態」を無くす意味からも、このシステムを一日でも早く実現させたいと願っています。(再掲)

(千里ペインクリニック 院長)http://www.senri-pain.jp
(大阪大学医学部卒・日本麻酔学会専門医・日本ペインクリニック学会認定医)
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2017年02月04日

◆末期癌患者は無医村状態

松永 美佳子(医師)



現在日本の死因の3分の1は、癌によるものです。癌は年々増加傾向にあり、高齢者の手術や様々な化学療法、放射線療法など積極的治療が盛んに行われています。

ところが、それらの治療が効果を示さなくなった、いわゆる「末期癌患者」の置かれた状況は、“無医村状態”と言わざるを得ない状態なのです。

病院に入院していても、主治医や看護師は積極的治療を受ける患者の治療や看護に忙しく、肝心の「末期癌患者」の痛みや様々な症状の治療、看護にゆっくり向き合うことが出来無いのが現状です。

癌の痛みや様々な症状への対応は専門的知識を必要としますが、ほとんどの病院には専門医が居らず、充分な治療も受けられていません。さらに、死に直面すれば精神的な苦痛も非常に大きくなりますが、そうした精神面でのサポートもほとんどなされていない状態です。

また、家に帰って通院している癌患者も大変です。通院出来ている間はまだいいのですが、次第に病院での待ち時間が辛くなり、その結果通院も困難になるのです。

それでも患者さんの多くは、必死で通院を続けますが、そうなっても何時間も待たされ、3分医療です。様々な苦痛を詳しく訴える時間もなく、効果のない薬を処方されて、家で苦しんでいる方がたくさんおられます。

こんなふうに通院が次第に困難になると、家族が病院に通院して、代わりに薬をもらって来ることになります。何故かといいますとそれは最期になったら、その病院に入院させてもらわないといけないので、病院と縁を切るわけにはいけないからです。

こうして家で苦しみながら最期を迎えた患者は、最期の最期に救急車で病院に運ばれ、息を引き取ります。病院にいても、家にいても、「末期癌患者は無医村状態」なのです。

わたしたちは今、「在宅ホスピス」に取り組んでいます。在宅ホスピスとは、癌患者の様々な苦痛を家でコントロールし、最期まで自分らしい人生を過ごしていただけるようサポートすることです。入院している癌患者の方は、多くが家に帰りたいと願っています。

今までは、強い痛みや吐き気、便秘、倦怠感、呼吸困難など様々な症状を抱えて家に帰ることはほとんど不可能でした。家に帰っても、医師の訪問を受けることなく、死ぬまで身体的、精神的苦痛に苦しんでおられました。当然それを支える家族の不安や負担は、計り知れないものがあります。

点滴を受け、死ぬまで病院の天井と睨めっこしめながら生きるのではなく、癌と闘いながらでも、最期まで家族とともに過ごし、最期まで自分らしい人生を生きることに人間の尊厳があると思うのです。

そうした願いを叶えるには、医師、看護師、ケアマネージャー、事務、ケースワーカー、ヘルパーなど様々な業種がチームを組み、24時間、365日体制で患者さんやその家族を支えるシステムが必要となります。

頻回な訪問により、痛みを和らげ、様々な症状を緩和する努力を行い、死と向かい合う苦痛に対して、患者・家族を支える医療スタッフの存在なしには実現しません。苦痛のないその人らしい最期を迎えられることが、わたしたちの願いなのです。

さて、このような在宅ホスピスを充実させるには、「在宅ホスピス」に対応する以前のステージとして、新しい「入院施設」を併設することが理想的だと考えます。

実はわたしたちが患者の家を訪問し、痛みや吐き気、不眠、呼吸困難などの症状を緩和する時、そのコントロールに難渋する瞬間があります。

麻薬などの難しい薬を使う場合、その患者さんに合った適切な薬の量や種類を調節する時や、その副作用に目が離せない時などです。

このようなとき、薬を調節する間だけでもこの「入院施設」に一旦入院させ、調節できた後、ご自宅へ帰すことができれば、ご家族の負担がかなり軽減されますし、その症状コントロールもよりし易くなると思われます。

また、経過が長期になると、ご家族の疲労が溜まることが多々あります。そのような時、一時的に患者をこの「入院施設」で預かってあげることが出来れば、ご家族の精神的、身体的な負担も軽減出来ると思うのです。

このようなことを考えると、入院先が市民病院や大学病院などでは敷居が高く、気軽に入退院させることができません。

治療をしている医師が変わることにより、症状のコントロールがうまくいかなくなることも考えられます。退院させるタイミングもうまくいかなくなります。折角家で最期をと思っていても、退院のタイミングが合わず、帰って来れなくなります。

もう一つ、わたしたちが「入院施設」を持つことには、大切な意味があります。現在、厚生省も在宅を勧めていますが、病院では、医療スタッフが患者さんを家に帰すタイミングが分からず、在宅への準備が出来ずに家に帰れない患者がたくさんおられます。

家族も知識がなく、介護に対する不安から迷います。そうしているうちに退院が遅くなり、現在では、ほとんどの方が、家に帰ってから1,2週間から1ヶ月程度で亡くなられています。

最期の1ヶ月というものは、痛みやその他の症状も強く、ほとんど寝たきりの状態となります。そのような時期に家に帰ってきても、自分らしい生活を送ることからはほど遠いと言えましょう。痛みを抑えるために麻薬も使用され、意識もぼーとしています。思考もはっきりしなくなります。

患者の生活の質をあげるには、もっと早い時期に在宅に移すことが必要です。もし、わたしたちが「入院施設」を持てば、一旦わたしたちの所へ入院してきた患者さんに対して、わたしたちの手で在宅への準備を進め、適切な時期に家に帰してあげることができます。必要ならまた入院させてあげられます。

そうしたバックグランドがあれば、患者やご家族も安心して家に帰ることができるでしょう。

このような理由からわたしたちは近い将来、「在宅ホスピス」のサポートセンターとしての「入院施設」を是非作りたい念願しています。わたしたちの現在のクリニックは大阪千里中央のビルで、「外来」と「在宅」を受け持っており、大変忙しい状態です。

特に在宅においては、癌の末期は症状の変化が早く、朝の状態と昼、夕方の状態が異なり、その対応には時間単位で対応しなければならない時があります。

そのような中で、お互いにコミュニケーションを取り合い、質の高い医療を行おうとすると、「入院施設」は現在のクリニックの近くに隣接することが理想的です。外来と患者宅と入院施設の間をスタッフが効率よく動き回るには、「入院施設」が遠方にあっては意味がありません。クリニックに隣接する「入院施設」であればこそ、ベストな医療環境といえるでしょう。
     
もしこれが実現すれば、このシステムは日本で癌のターミナルケアを行う上でのモデルケースとなります。

厚生省は在宅ケアをさかんに勧めていますが、実際には問題が山積みです。このシステムを成功させることは、今後日本の各地で、在宅ホスピスを広めるために必要なことと思われます。

多くの「末期癌患者が無医村状態」になっている中、少しでも早くこうしたことが実現することを、多くの患者やその家族が待ち望んでいると思います。そして、「末期癌患者の無医村状態」を無くす意味からも、このシステムを一日でも早く実現させたいと願っています。(再掲)

(千里ペインクリニック 院長)http://www.senri-pain.jp
(大阪大学医学部卒・日本麻酔学会専門医・日本ペインクリニック学会認定医)

2012年12月19日

◆末期癌患者は無医村状態

松永 美佳子(医師)


現在日本の死因の3分の1は、癌によるものです。癌は年々増加傾向にあり、高齢者の手術や様々な化学療法、放射線療法など積極的治療が盛んに行われています。

ところが、それらの治療が効果を示さなくなった、いわゆる「末期癌患者」の置かれた状況は、“無医村状態”と言わざるを得ない状態なのです。

病院に入院していても、主治医や看護師は積極的治療を受ける患者の治療や看護に忙しく、肝心の「末期癌患者」の痛みや様々な症状の治療、看護にゆっくり向き合うことが出来無いのが現状です。

癌の痛みや様々な症状への対応は専門的知識を必要としますが、ほとんどの病院には専門医が居らず、充分な治療も受けられていません。さらに、死に直面すれば精神的な苦痛も非常に大きくなりますが、そうした精神面でのサポートもほとんどなされていない状態です。

また、家に帰って通院している癌患者も大変です。通院出来ている間はまだいいのですが、次第に病院での待ち時間が辛くなり、その結果通院も困難になるのです。

それでも患者さんの多くは、必死で通院を続けますが、そうなっても何時間も待たされ、3分医療です。様々な苦痛を詳しく訴える時間もなく、効果のない薬を処方されて、家で苦しんでいる方がたくさんおられます。

こんなふうに通院が次第に困難になると、家族が病院に通院して、代わりに薬をもらって来ることになります。何故かといいますとそれは最期になったら、その病院に入院させてもらわないといけないので、病院と縁を切るわけにはいけないからです。

こうして家で苦しみながら最期を迎えた患者は、最期の最期に救急車で病院に運ばれ、息を引き取ります。病院にいても、家にいても、「末期癌患者は無医村状態」なのです。

わたしたちは今、「在宅ホスピス」に取り組んでいます。在宅ホスピスとは、癌患者の様々な苦痛を家でコントロールし、最期まで自分らしい人生を過ごしていただけるようサポートすることです。入院している癌患者の方は、多くが家に帰りたいと願っています。

今までは、強い痛みや吐き気、便秘、倦怠感、呼吸困難など様々な症状を抱えて家に帰ることはほとんど不可能でした。家に帰っても、医師の訪問を受けることなく、死ぬまで身体的、精神的苦痛に苦しんでおられました。当然それを支える家族の不安や負担は、計り知れないものがあります。

点滴を受け、死ぬまで病院の天井と睨めっこしめながら生きるのではなく、癌と闘いながらでも、最期まで家族とともに過ごし、最期まで自分らしい人生を生きることに人間の尊厳があると思うのです。

そうした願いを叶えるには、医師、看護師、ケアマネージャー、事務、ケースワーカー、ヘルパーなど様々な業種がチームを組み、24時間、365日体制で患者さんやその家族を支えるシステムが必要となります。

頻回な訪問により、痛みを和らげ、様々な症状を緩和する努力を行い、死と向かい合う苦痛に対して、患者・家族を支える医療スタッフの存在なしには実現しません。苦痛のないその人らしい最期を迎えられることが、わたしたちの願いなのです。

さて、このような在宅ホスピスを充実させるには、「在宅ホスピス」に対応する以前のステージとして、新しい「入院施設」を併設することが理想的だと考えます。

実はわたしたちが患者の家を訪問し、痛みや吐き気、不眠、呼吸困難などの症状を緩和する時、そのコントロールに難渋する瞬間があります。

麻薬などの難しい薬を使う場合、その患者さんに合った適切な薬の量や種類を調節する時や、その副作用に目が離せない時などです。

このようなとき、薬を調節する間だけでもこの「入院施設」に一旦入院させ、調節できた後、ご自宅へ帰すことができれば、ご家族の負担がかなり軽減されますし、その症状コントロールもよりし易くなると思われます。

また、経過が長期になると、ご家族の疲労が溜まることが多々あります。そのような時、一時的に患者をこの「入院施設」で預かってあげることが出来れば、ご家族の精神的、身体的な負担も軽減出来ると思うのです。

このようなことを考えると、入院先が市民病院や大学病院などでは敷居が高く、気軽に入退院させることができません。

治療をしている医師が変わることにより、症状のコントロールがうまくいかなくなることも考えられます。退院させるタイミングもうまくいかなくなります。折角家で最期をと思っていても、退院のタイミングが合わず、帰って来れなくなります。

もう一つ、わたしたちが「入院施設」を持つことには、大切な意味があります。現在、厚生省も在宅を勧めていますが、病院では、医療スタッフが患者さんを家に帰すタイミングが分からず、在宅への準備が出来ずに家に帰れない患者がたくさんおられます。

家族も知識がなく、介護に対する不安から迷います。そうしているうちに退院が遅くなり、現在では、ほとんどの方が、家に帰ってから1,2週間から1ヶ月程度で亡くなられています。

最期の1ヶ月というものは、痛みやその他の症状も強く、ほとんど寝たきりの状態となります。そのような時期に家に帰ってきても、自分らしい生活を送ることからはほど遠いと言えましょう。痛みを抑えるために麻薬も使用され、意識もぼーとしています。思考もはっきりしなくなります。

患者の生活の質をあげるには、もっと早い時期に在宅に移すことが必要です。もし、わたしたちが「入院施設」を持てば、一旦わたしたちの所へ入院してきた患者さんに対して、わたしたちの手で在宅への準備を進め、適切な時期に家に帰してあげることができます。必要ならまた入院させてあげられます。

そうしたバックグランドがあれば、患者やご家族も安心して家に帰ることができるでしょう。

このような理由からわたしたちは近い将来、「在宅ホスピス」のサポートセンターとしての「入院施設」を是非作りたい念願しています。わたしたちの現在のクリニックは大阪千里中央のビルで、「外来」と「在宅」を受け持っており、大変忙しい状態です。

特に在宅においては、癌の末期は症状の変化が早く、朝の状態と昼、夕方の状態が異なり、その対応には時間単位で対応しなければならない時があります。

そのような中で、お互いにコミュニケーションを取り合い、質の高い医療を行おうとすると、「入院施設」は現在のクリニックの近くに隣接することが理想的です。外来と患者宅と入院施設の間をスタッフが効率よく動き回るには、「入院施設」が遠方にあっては意味がありません。クリニックに隣接する「入院施設」であればこそ、ベストな医療環境といえるでしょう。
     
もしこれが実現すれば、このシステムは日本で癌のターミナルケアを行う上でのモデルケースとなります。

厚生省は在宅ケアをさかんに勧めていますが、実際には問題が山積みです。このシステムを成功させることは、今後日本の各地で、在宅ホスピスを広めるために必要なことと思われます。

多くの「末期癌患者が無医村状態」になっている中、少しでも早くこうしたことが実現することを、多くの患者やその家族が待ち望んでいると思います。そして、「末期癌患者の無医村状態」を無くす意味からも、このシステムを一日でも早く実現させたいと願っています。(再掲)

(千里ペインクリニック 院長)http://www.senri-pain.jp
(大阪大学医学部卒・日本麻酔学会専門医・日本ペインクリニック学会認定医)

2011年08月24日

◆今より大きかった「太閤大阪城」

毛馬 一三


国の特別史跡に指定されている大阪城が、実は「太閤秀吉築城の大阪城」ではなく、総てが「徳川大阪城」だと知る人は、意外に少ないのではないか。

では秀吉が、織田信長から引継ぎ築城した元々の「大阪城」は一体どこに姿を消したのか。

橋下徹大阪府知事が、先般、大阪南港の元WTC高層ビルへの府庁舎全面移転を断念したことから、大阪本庁舎が元のまま活かされることになったため、本庁目の前の「大阪城」の歴史的価値とからんであらためてこの話題が持ち上がりだした。

そう言えば、大阪城を巡って様々な話題がある。

「聳える天守閣は昭和初期に再建され、城の堀は徳川方によって埋められたことは承知していたが、だからと言って秀吉大阪城の城跡が些かも無いとは全く知らなかった」云々である。

大阪城への朝の散歩を日課とする人々や大阪府庁の知人らからも、異口同音に同様の返事が返ってくる。

大阪城真近の天満橋から大手前、森の宮、新鴨野橋と城郭を一周する道筋からは、「大阪城の高い石垣と深い堀」が、雨滴の葉が陽光を跳ね返す樹林の間からと、大きく広がる視界の中から歴史の威容を誇らしげに見せ付ける。特に大手前周辺の高さ32mもある幾重もの「反りの石垣」には、当時の石垣構築技術の進歩の姿を覗かせる。

大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた徳川家康は、同戦いの2年後(1616)死ぬが、家康遺命を受けた秀忠が、元和6年(1620)から寛永6年(1629)までの10年3期にわたり大阪城を大改築する。その時徳川の威令を示すために、「太閤大阪城」の二の丸、三の丸を壊し、総ての「堀」は埋め、「石垣」は地下に埋め尽して、豊臣の痕跡をことごとく消し去ったとされている。

眺める大阪城は、総て「徳川の手になる城郭」だったのだ。では「太閤大阪城」は、どうなったのか。

「大阪城石垣群シンポジウム実行委員会」の論文をみると、そこに「太閤大阪城」が地下に埋められたままになっていた遺跡の一部を発掘した調査記録が下記のように書かれている。

<地下に埋蔵された「太閤大阪城」の石垣を最初に見つけたのは、大阪城総合学術調査の一環として大阪城本丸広場で行われたボーリング調査だった。昭和34年(1959)のことである。天守閣跡の南西にあたる地下8m から「石垣」が見つかった。

4m以上も積まれた石垣で、花崗岩だけでなく、様々な石を積み上げた「野面積み」だった。「野面積み」は、石の大小に規格がなく、積み方にも一定の法則が認められないもの。当時城郭作りの先駆者だった織田信長が手掛けた安土城の「野面積み」工法と同じだったことから、秀吉がその工法を導入して築いた「石垣」と断定された。

それから25年後の昭和61年(1986)になって、再び天守閣跡の南東部の地表1mの深さから地下7mまで、高さ6mの「石垣」が発見されている。

この石垣も「野面積み」だったうえ、その周辺で17世紀初頭の中国製の陶磁器が火災に遭って粉々の状態で見つかったことから、大阪夏の陣で被災した「太閤城」の「石垣」であると断定される2回目の発見となったのである。

両「石垣」の発見場所の位置と構造を頼りに、残された絵図と照合していくと、この「石垣」は本丸の中で最も重要な天守や、秀吉の家族が居住していた奥御殿のある「詰め丸」と呼ばれる曲輪(くるわ)の南東角にあたることが明らかになったのである。

地下に消えた「石垣」は、切り石が少なく、自然石や転用石を沢山積み上げたもので、傾斜が比較的ゆるい、「徳川城」とは異なる「反り」の無い直線だった>。

第3の発見は偶然が幸いした。現在の「大阪城・西外堀」の外側の大阪城北西で、平成4年に大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)建設の際の発掘調査で、地下から長さ25m に亘る「太閤大阪城の石垣」が出現した。同石垣は、いま同センターの北の道沿いに移築復元されている。

何よりもこの発掘の価値が大きかったのは、今の大阪城郭からかなり離れた外側で「石垣」が現れたことだ。それは徳川の「城」よりも「太閤城」の方が遥かに規模が大きかったことの証ということになる。
しかも、上記ドーンセンターに隣接する学校法人追手門学院の校庭に「太閤大阪城」の石垣が、今も大切に保存されていることを、私は見た。

非公開なので、許可なしでは見ることができないが、ドーンセンターの石垣と同様、大阪城の外堀からかなり離れたところにあるため、あらためて「太閤大阪城」がいかに大きかったか確かめられる。出来れば学院に公開を求めたい。

地下に眠る遺跡の発掘調査は、エジプトやイタリアなど文明発祥地でブームになっているが、現在進められている大阪市の大阪城発掘調査で、「天下の台所」の基礎を築いた「太閤大阪城」の遺跡が、今の城郭の外側でさらに発見かることを期待したい。(了)


                      

2011年06月05日

◆橋下「大阪維新の会」の「数の力」

毛馬一三

橋下徹大阪府知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が、5月大阪府議会でこの春の統一選挙で勝利獲得した議会定数の「単独過半数」にモノを云わせ、暴れまくった。

5月定例府議会では、まず、大阪維新の会が提出した「公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案」を賛成多数で可決させたのに続き、4日未明には、「議員定数109を21削減して88にする条例改正案」も可決させた。

削減幅は全国でも最大規模とみられ、公明、自民、民主、共産の各会派が、「数の横暴」と激しく抵抗する姿勢をみせたが、結局「数の力」にはどうしようもなかった。

また「大阪府監査委員の議員枠を2から1に削減」する議案も、可決させた。この1枠には「維新」議員を充てる心積りらしい。

一見すると、「公立校教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例」成立で全国的注目を集めるのが、最大の目標だったように見られているが、実はそうではない。

残るもう1つの条例案を、さりげなく、しかも穏便の内に可決させるのが、最大の狙いだった。

その条例案とは、「大阪府と大阪・堺両市再編に向けた各党協議会の設置条例案」を可決させることだった。この可決の際にも、公自民3会派は退席したものの、結末は思い通りの結果を引き出した。

なぜこれに傾注したのか。

それは橋下知事自ら政治生命をかけて挑む「大阪都構想」の実現のために、まずはこの条例を活かし、しかも「数の力」を背景に、大阪府議会全会派を巻き込み議論し合意の形を取るのが狙いだ。

そうする事が、府民に対し、大阪府議会全体で纏まった「合意」だと訴えることによって、理解と賛意を求めることが出来る、いわば構想実現にむけた最善の近道と考えたようだ。

しかも、この動静が、本陣の大阪市や大阪市議会へジワリと圧力を加えて行くと共に、この秋の大阪市長選挙に出馬意思があるといわれる知事自身の出馬決意に資することになると考えたためではないかとも思える。

ところが、そうはスムーズに行かない局面が、突如あらわれだした。

5月府議会で強行策を行使した維新の一連の「数の力」行動に、公・自・民等他会派の反発と警戒感が一段と強まり、知事と「維新の会」とに、今まで以上の距離を置く厳しい行動が際立ってきたのだ。

ということは橋下知事が、「大阪都構想」実現には他会派の協力が不可欠だとして、5月議会で「秘策の条例」を可決させ、特に第2会派の公明との友好関係を堅実なものにさせたいとの願いだったことが、そうは問屋が卸しそうにないことになってきたということだ。

むしろ事態は、今度の異例の“数の力による強行可決”によって、他会派との繋がりが完全に暗礁に乗り上げ、知事が願う友好関係樹立の道は一層険しくなったのは間違いないことになる。

「大阪都構想」実現に道付けをつけたい橋下知事は、秋に想定される大阪市長選迄に、他会派との連携を「数の力」を活用しながら、さてどのように巧く画策して行くのだろうか。

他会派の壁は厚い。それをどう崩していくのか。9月府議会に向けたこれからの4ヶ月の間が、「数の力」をバックにした知事と「維新の会」の勝負処だろう。 (了)
             2011.06.04

◆本稿は、6月5日(日)刊の全国版メルマガ「頂門の一針」2282号に
掲載されました。他の著名な寄稿者の卓見を、お手続きしてご拝読ください。

◆<著名寄稿者卓見の目次>
・朝日新聞に切り捨てられた菅首相 : 阿比留瑠比
・復興利権と原発推進・欲ボケの攻防:山堂コラム 372
・橋下「大阪維新の会」の「数の力」:毛馬一三
・講談社の“サドンデス”:平井修一
・素人(native) の感覺こそ國語の基本:上西俊雄
・社説は空しい:渡部亮次郎

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
◆「頂門の一針」の購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
 

2011年06月04日

◆入院施設の早期確立を

松永 美佳子

日本人の死因の第1位となっているがん。死者数は毎年更新し、現在3人に1人ががんでなくなっている。がんは日本の国民病である。

医療が発達し、高齢であっても化学療法や手術を受けるがん患者が増えた。10年前には、80代でがんの手術を受けることはまれであったが、5年前にはそれが普通となり、現在では患者が望めば90代でも可能である。化学療法も同様であり、延命医療は留まるところを知らない。

現代医療の恩恵を受け、最高の治療を施されたがん患者は寿命を延ばし、一昔より長く人生を送ることが可能となった。しかし、一方でその多くは再発し、精神的にも肉体的にも過酷な戦いを強いられているがん患者が多数存在する。

化学療法や放射線療法、免疫療法など考えられるすべての治療が功を奏しない状態になる末期がん患者が日本人の3人に1人なのである。

がん患者の90%以上は病院で最期を迎える。約5%程度の人がホスピスと言われるがん患者の専門施設でお亡くなりになる。入院している末期がん患者は、ほとんどが充分な緩和医療を受けることがない。厚労省ががんの痛みを緩和させる重要性に気づき、その対策をうたい始めたのがやっと今である。これから先の計画が発表されたに過ぎない。

日本では、麻薬に対する知識が少ない医師が多く、がんの痛みに麻薬を使うことをためらう風潮が根強い。痛みはがまんするものという昔からの誤った認識が現在でも一般的だ。麻薬の使用量は欧米に比べはるかに少ない。

がん末期の症状は痛みだけではない。麻薬による副作用をうまくコントロールされないでいる患者は多い。副作用による吐き気。腸閉塞による吐き気、嘔吐。呼吸困難。便秘の苦しみ。全身倦怠感。過剰な点滴による浮腫。

様々な身体症状に患者は苦しむ。そして、死に直面する精神的苦痛。このような苦痛を持ったがん患者は、延命治療がすべてであった現代医療からは取り残されてきた。医療の関心は全く注がれなかった。病院の中でも孤独な存在である。

通院する多くのがん患者もまた同様な医療環境の下に置かれている。次第に通院が困難になる患者。何時間も待って、3分で終わる診察。何週間に1度の診察の間に病状が悪化し、食事もできず痛みに苦しんでいる患者は多い。医療の目の届かない家の中で瀕死の状態になっている末期がん患者が非常に多いのである。

病院の中にいても、通院していても目の届かない末期がん患者。末期がん患者は無医村状態である。

日本の医療は本当にこれでいいのだろうか?

我々は今、在宅ホスピスに取り組んでいる。在宅ホスピスとは、がん患者の様々な苦痛を自宅でコントロールし、最期まで自分らしい人生を家族とともにすごしていただくことをサポートする医療システムである。末期だけではなく、自宅で療養しておられるがん患者すべてが対象だ。

今、我々のまわりには、家に帰りたいと希望されてクリニックを訪れる患者が増えつつある。医師や看護師の訪問を受け、24時間、365日体制で医療のサポートを受けながら自分らしい生活を家族とともに過ごされる方が増えている。

介護力が不足し、最期は再入院される方もおられるが、多くの方が家族に見守られ、人生の最後をご自宅で迎えられている。孤独にさいなまれながら病院の天井を見つめる生活ではなく、自分らしい、人間の尊厳を保った人生の最期を迎えることは誰もが望むことではないだろうか。

患者の苦痛を側で受け止め、目の当たりにし、看病される家族の負担は計り知れないが、患者にとって一番大切な家族が常に患者のそばに存在し、愛する家族をこの世から送り出す。死をすべて病院にまかせてしまった現代の日本人。死を見つめ、死を語ることをタブー視してしまった日本人が忘れていた大切なものがここに存在する。

延命ばかりが大切な医療ではない。いかに苦痛なく人生の最期を迎えるか、それをサポートする医療はがんが国民病となった日本にはなくてはならない医療である。

このような自宅での療養を支える医療は現実には数少なく、現状は厳しい。

24時間体制で重症な患者に対応するには、充分教育された医療スタッフが必要であり、多数の職種によるチーム医療が必要となる。このようなシステムを維持するにはかなりの経費が必要となるが、厚生省から支給される医療費は充分ではなく、経営維持は困難だ。

さらに、自宅療養を維持するには、家族の介護疲れ、急変時の対応、あるいは痛みなどの症状をコントロールするための短期入院は欠かせない。がん患者のショートステイを目的とした入院施設を考えると、さらに経営は厳しいのが現状だ。

病院に付属する緩和ケア病棟は数が少ない上に、担当する専門医や看護師が不足しており、充分な医療を提供できていない。経営的にも70%稼働率でやっと維持できる程度である。一般病棟は、がんの末期医療に無関心であり、「なにもすることがない」と入院を断られることがしばしばだ。我々が創設したいと考えるがん患者の有床診療所は、全く経営が成り立たたず、全国的に見ても、手を出すべきではないと結論づけられている。

皆さんはご存じだろうか。

歯のインプラント治療は、入れ歯の代わりになる治療として世の中に広がりつつある。入れ歯のように取り外す必要もなく、自分の歯のように食べ物が食べられる。高齢者が増えていく中、大変ありがたい治療法である。
歯を3本、インプラント治療すると、1時間あまりの治療時間で147万円必要となる。保険適応外で自費となる。

一方、有床診療所で、がんの末期患者一人を24時間体制で1ヶ月お世話をして得られる医療費は、30万円である。経営は全く成り立たず、末期がん患者を支えることはできない。

歯の治療もがんの治療も同じ現代の医療である。お金のあるものはインプラント治療が受けられるが、お金のないものは受けられない。がんの末期に人間らしい医療を受けることは、お金があってもなくても不可能である。これが、今の日本の医療なのである。

厚労省は膨れ上がった医療費を削減するために、医療改革関連法を成立させた。
患者負担の引き上げ、診療報酬の引き下げ、国保料と介護保険料の引き上げ。
お金のないものは当たり前の医療さえも受けることが困難になる。また、病院での入院日数の短縮によって4兆円の削減を目論んでいる。2年後には入院患者を6割減らそうとしている。

手術や化学療法など積極的治療に歯止めがかかることはなく、患者が希望すれば、効果が期待されなくても高額な治療が行われている。そのほとんどは国が支払う医療費でまかなわれる。しかし、そのような治療が適応とされない患者、そのような治療を希望しない患者への医療は削減されるばかりである。

厚労省の打ち出す病院から地域、生活へという計画自体、間違いではないが、地域の実態は、病院から追い出された患者を受け止めることができる状況ではない。

地域の医療機能が低下している中で、行き場を失う高齢の入院患者やがん患者が大量に生まれ、今よりさらに家庭や地域の中で孤立する事態が予想される。

厚労省は、病床数の削減を一律に行うのではなく、がん患者を収容する病院や有床診療所の新たな設立を認め、365日、24時間体制でも経営が成り立つ制度および医療費を早期に現実化させなければ、これらがん難民を救うことはできない。

現場の苦悩を全く考えていない現在の医療法。国民病となったがんにかかっても、安心して人生を全うできるために、当たり前の医療を受けられるような日本になってほしい。

現場の最先端でがん患者に接する医師として目の前で苦しんでいる患者をみるにつけ、切に願わずにいられない。

                  医療法人 永仁会 千里ペインクリニック 院長

2011年04月09日

◆入院施設の早期確立

松永美佳子(医師)

日本人の死因の第1位となっているがん。死者数は毎年更新し、現在3人に1人ががんでなくなっている。がんは日本の国民病である。

医療が発達し、高齢であっても化学療法や手術を受けるがん患者が増えた。10年前には、80代でがんの手術を受けることはまれであったが、5年前にはそれが普通となり、現在では患者が望めば90代でも可能である。化学療法も同様であり、延命医療は留まるところを知らない。

現代医療の恩恵を受け、最高の治療を施されたがん患者は寿命を延ばし、一昔より長く人生を送ることが可能となった。しかし、一方でその多くは再発し、精神的にも肉体的にも過酷な戦いを強いられているがん患者が多数存在する。
化学療法や放射線療法、免疫療法など考えられるすべての治療が功を奏しない状態になる末期がん患者が日本人の3人に1人なのである。

がん患者の90%以上は病院で最期を迎える。約5%程度の人がホスピスと言われるがん患者の専門施設でお亡くなりになる。入院している末期がん患者は、ほとんどが充分な緩和医療を受けることがない。厚労省ががんの痛みを緩和させる重要性に気づき、その対策をうたい始めたのがやっと今である。これから先の計画が発表されたに過ぎない。

日本では、麻薬に対する知識が少ない医師が多く、がんの痛みに麻薬を使うことをためらう風潮が根強い。痛みはがまんするものという昔からの誤った認識が現在でも一般的だ。麻薬の使用量は欧米に比べはるかに少ない。

がん末期の症状は痛みだけではない。麻薬による副作用をうまくコントロールされないでいる患者は多い。副作用による吐き気。腸閉塞による吐き気、嘔吐。呼吸困難。便秘の苦しみ。全身倦怠感。過剰な点滴による浮腫。

様々な身体症状に患者は苦しむ。そして、死に直面する精神的苦痛。このような苦痛を持ったがん患者は、延命治療がすべてであった現代医療からは取り残されてきた。医療の関心は全く注がれなかった。病院の中でも孤独な存在である。

通院する多くのがん患者もまた同様な医療環境の下に置かれている。次第に通院が困難になる患者。何時間も待って、3分で終わる診察。何週間に1度の診察の間に病状が悪化し、食事もできず痛みに苦しんでいる患者は多い。医療の目の届かない家の中で瀕死の状態になっている末期がん患者が非常に多いのである。

病院の中にいても、通院していても目の届かない末期がん患者。末期がん患者は無医村状態である。
日本の医療は本当にこれでいいのだろうか?

我々は今、在宅ホスピスに取り組んでいる。在宅ホスピスとは、がん患者の様々な苦痛を自宅でコントロールし、最期まで自分らしい人生を家族とともにすごしていただくことをサポートする医療システムである。末期だけではなく、自宅で療養しておられるがん患者すべてが対象だ。

今、我々のまわりには、家に帰りたいと希望されてクリニックを訪れる患者が増えつつある。医師や看護師の訪問を受け、24時間、365日体制で医療のサポートを受けながら自分らしい生活を家族とともに過ごされる方が増えている。

介護力が不足し、最期は再入院される方もおられるが、多くの方が家族に見守られ、人生の最後をご自宅で迎えられている。孤独にさいなまれながら病院の天井を見つめる生活ではなく、自分らしい、人間の尊厳を保った人生の最期を迎えることは誰もが望むことではないだろうか。

患者の苦痛を側で受け止め、目の当たりにし、看病される家族の負担は計り知れないが、患者にとって一番大切な家族が常に患者のそばに存在し、愛する家族をこの世から送り出す。死をすべて病院にまかせてしまった現代の日本人。死を見つめ、死を語ることをタブー視してしまった日本人が忘れていた大切なものがここに存在する。

延命ばかりが大切な医療ではない。いかに苦痛なく人生の最期を迎えるか、それをサポートする医療はがんが国民病となった日本にはなくてはならない医療である。

このような自宅での療養を支える医療は現実には数少なく、現状は厳しい。

24時間体制で重症な患者に対応するには、充分教育された医療スタッフが必要であり、多数の職種によるチーム医療が必要となる。このようなシステムを維持するにはかなりの経費が必要となるが、厚生省から支給される医療費は充分ではなく、経営維持は困難だ。

さらに、自宅療養を維持するには、家族の介護疲れ、急変時の対応、あるいは痛みなどの症状をコントロールするための短期入院は欠かせない。がん患者のショートステイを目的とした入院施設を考えると、さらに経営は厳しいのが現状だ。

病院に付属する緩和ケア病棟は数が少ない上に、担当する専門医や看護師が不足しており、充分な医療を提供できていない。経営的にも70%稼働率でやっと維持できる程度である。

一般病棟は、がんの末期医療に無関心であり、「なにもすることがない」と入院を断られることがしばしばだ。我々が創設したいと考えるがん患者の有床診療所は、全く経営が成り立たたず、全国的に見ても、手を出すべきではないと結論づけられている。

皆さんはご存じだろうか。

歯のインプラント治療は、入れ歯の代わりになる治療として世の中に広がりつつある。入れ歯のように取り外す必要もなく、自分の歯のように食べ物が食べられる。高齢者が増えていく中、大変ありがたい治療法である。歯を3本、インプラント治療すると、1時間あまりの治療時間で147万円必要となる。保険適応外で自費となる。

一方、有床診療所で、がんの末期患者一人を24時間体制で1ヶ月お世話をして得られる医療費は、30万円である。経営は全く成り立たず、末期がん患者を支えることはできない。

歯の治療もがんの治療も同じ現代の医療である。お金のあるものはインプラント治療が受けられるが、お金のないものは受けられない。がんの末期に人間らしい医療を受けることは、お金があってもなくても不可能である。これが、今の日本の医療なのである。

厚労省は膨れ上がった医療費を削減するために、医療改革関連法を成立させた。患者負担の引き上げ、診療報酬の引き下げ、国保料と介護保険料の引き上げ。

お金のないものは当たり前の医療さえも受けることが困難になる。また、病院での入院日数の短縮によって4兆円の削減を目論んでいる。2年後には入院患者を6割減らそうとしている。

手術や化学療法など積極的治療に歯止めがかかることはなく、患者が希望すれば、効果が期待されなくても高額な治療が行われている。そのほとんどは国が支払う医療費でまかなわれる。しかし、そのような治療が適応とされない患者、そのような治療を希望しない患者への医療は削減されるばかりである。

厚労省の打ち出す病院から地域、生活へという計画自体、間違いではないが、地域の実態は、病院から追い出された患者を受け止めることができる状況ではない。

地域の医療機能が低下している中で、行き場を失う高齢の入院患者やがん患者が大量に生まれ、今よりさらに家庭や地域の中で孤立する事態が予想される。

厚労省は、病床数の削減を一律に行うのではなく、がん患者を収容する病院や有床診療所の新たな設立を認め、365日、24時間体制でも経営が成り立つ制度および医療費を早期に現実化させなければ、これらがん難民を救うことはできない。

現場の苦悩を全く考えていない現在の医療法。国民病となったがんにかかっても、安心して人生を全うできるために、当たり前の医療を受けられるような日本になってほしい。

現場の最先端でがん患者に接する医師として目の前で苦しんでいる患者をみるにつけ、切に願わずにいられない。(再掲)

医療法人 永仁会 千里ペインクリニック 院長

2008年11月24日

◆末期癌患者は無医村状態

                松永 美佳子(医師)

現在日本の死因の3分の1は、癌によるものです。癌は年々増加傾向にあり、高齢者の手術や様々な化学療法、放射線療法など積極的治療が盛んに行われています。

ところが、それらの治療が効果を示さなくなった、いわゆる「末期癌患者」の置かれた状況は、“無医村状態”と言わざるを得ない状態なのです。

病院に入院していても、主治医や看護師は積極的治療を受ける患者の治療や看護に忙しく、肝心の「末期癌患者」の痛みや様々な症状の治療、看護にゆっくり向き合うことが出来無いのが現状です。

癌の痛みや様々な症状への対応は専門的知識を必要としますが、ほとんどの病院には専門医が居らず、充分な治療も受けられていません。さらに、死に直面すれば精神的な苦痛も非常に大きくなりますが、そうした精神面でのサポートもほとんどなされていない状態です。

また、家に帰って通院している癌患者も大変です。通院出来ている間はまだいいのですが、次第に病院での待ち時間が辛くなり、その結果通院も困難になるのです。

それでも患者さんの多くは、必死で通院を続けますが、そうなっても何時間も待たされ、3分医療です。様々な苦痛を詳しく訴える時間もなく、効果のない薬を処方されて、家で苦しんでいる方がたくさんおられます。

こんなふうに通院が次第に困難になると、家族が病院に通院して、代わりに薬をもらって来ることになります。何故かといいますとそれは最期になったら、その病院に入院させてもらわないといけないので、病院と縁を切るわけにはいけないからです。

こうして家で苦しみながら最期を迎えた患者は、最期の最期に救急車で病院に運ばれ、息を引き取ります。病院にいても、家にいても、「末期癌患者は無医村状態」なのです。

 わたしたちは今、「在宅ホスピス」に取り組んでいます。在宅ホスピスとは、癌患者の様々な苦痛を家でコントロールし、最期まで自分らしい人生を過ごしていただけるようサポートすることです。入院している癌患者の方は、多くが家に帰りたいと願っています。

今までは、強い痛みや吐き気、便秘、倦怠感、呼吸困難など様々な症状を抱えて家に帰ることはほとんど不可能でした。家に帰っても、医師の訪問を受けることなく、死ぬまで身体的、精神的苦痛に苦しんでおられました。当然それを支える家族の不安や負担は、計り知れないものがあります。

点滴を受け、死ぬまで病院の天井と睨めっこしめながら生きるのではなく、癌と闘いながらでも、最期まで家族とともに過ごし、最期まで自分らしい人生を生きることに人間の尊厳があると思うのです。

そうした願いを叶えるには、医師、看護師、ケアマネージャー、事務、ケースワーカー、ヘルパーなど様々な業種がチームを組み、24時間、365日体制で患者さんやその家族を支えるシステムが必要となります。

頻回な訪問により、痛みを和らげ、様々な症状を緩和する努力を行い、死と向かい合う苦痛に対して、患者・家族を支える医療スタッフの存在なしには実現しません。苦痛のないその人らしい最期を迎えられることが、わたしたちの願いなのです。

さて、このような在宅ホスピスを充実させるには、「在宅ホスピス」に対応する以前のステージとして、新しい「入院施設」を併設することが理想的だと考えます。

実はわたしたちが患者の家を訪問し、痛みや吐き気、不眠、呼吸困難などの症状を緩和する時、そのコントロールに難渋する瞬間があります。

麻薬などの難しい薬を使う場合、その患者さんに合った適切な薬の量や種類を調節する時や、その副作用に目が離せない時などです。

このようなとき、薬を調節する間だけでもこの「入院施設」に一旦入院させ、調節できた後、ご自宅へ帰すことができれば、ご家族の負担がかなり軽減されますし、その症状コントロールもよりし易くなると思われます。

また、経過が長期になると、ご家族の疲労が溜まることが多々あります。そのような時、一時的に患者をこの「入院施設」で預かってあげることが出来れば、ご家族の精神的、身体的な負担も軽減出来ると思うのです。

このようなことを考えると、入院先が市民病院や大学病院などでは敷居が高く、気軽に入退院させることができません。

治療をしている医師が変わることにより、症状のコントロールがうまくいかなくなることも考えられます。退院させるタイミングもうまくいかなくなります。折角家で最期をと思っていても、退院のタイミングが合わず、帰って来れなくなります。

もう一つ、わたしたちが「入院施設」を持つことには、大切な意味があります。現在、厚生省も在宅を勧めていますが、病院では、医療スタッフが患者さんを家に帰すタイミングが分からず、在宅への準備が出来ずに家に帰れない患者がたくさんおられます。

家族も知識がなく、介護に対する不安から迷います。そうしているうちに退院が遅くなり、現在では、ほとんどの方が、家に帰ってから1,2週間から1ヶ月程度で亡くなられています。

最期の1ヶ月というものは、痛みやその他の症状も強く、ほとんど寝たきりの状態となります。そのような時期に家に帰ってきても、自分らしい生活を送ることからはほど遠いと言えましょう。痛みを抑えるために麻薬も使用され、意識もぼーとしています。思考もはっきりしなくなります。

患者の生活の質をあげるには、もっと早い時期に在宅に移すことが必要です。もし、わたしたちが「入院施設」を持てば、一旦わたしたちの所へ入院してきた患者さんに対して、わたしたちの手で在宅への準備を進め、適切な時期に家に帰してあげることができます。必要ならまた入院させてあげられます。

そうしたバックグランドがあれば、患者やご家族も安心して家に帰ることができるでしょう。

このような理由からわたしたちは近い将来、「在宅ホスピス」のサポートセンターとしての「入院施設」を是非作りたい念願しています。わたしたちの現在のクリニックは大阪千里中央のビルで、「外来」と「在宅」を受け持っており、大変忙しい状態です。

特に在宅においては、癌の末期は症状の変化が早く、朝の状態と昼、夕方の状態が異なり、その対応には時間単位で対応しなければならない時があります。

そのような中で、お互いにコミュニケーションを取り合い、質の高い医療を行おうとすると、「入院施設」は現在のクリニックの近くに隣接することが理想的です。外来と患者宅と入院施設の間をスタッフが効率よく動き回るには、「入院施設」が遠方にあっては意味がありません。クリニックに隣接する「入院施設」であればこそ、ベストな医療環境といえるでしょう。
     

もしこれが実現すれば、このシステムは日本で癌のターミナルケアを行う上でのモデルケースとなります。

厚生省は在宅ケアをさかんに勧めていますが、実際には問題が山積みです。このシステムを成功させることは、今後日本の各地で、在宅ホスピスを広めるために必要なことと思われます。

多くの「末期癌患者が無医村状態」になっている中、少しでも早くこうしたことが実現することを、多くの患者やその家族が待ち望んでいると思います。そして、「末期癌患者の無医村状態」を無くす意味からも、このシステムを一日でも早く実現させたいと願っています。(再掲)


(千里ペインクリニック 院長)http://www.senri-pain.jp
(大阪大学医学部卒・日本麻酔学会専門医・日本ペインクリニック学会認定医)

 

2006年09月20日

癌患者のための「緩和ケア入院料」

                松永 美佳子(医師)

「頂門の一針」570号に掲載された渡部亮次郎氏(同主宰者)の「痛まずに死ねたら」を拝読した。富山県射水市で人工呼吸器を取り外した事件以来、終末期医療をどこで線引きするかが問題となっている。しかし、死に触れる機会が多い我々は、昔から、日々の診療の中で、この問題に直面することが多かった。

渡部氏の義母が胃癌で痛みに苦しんでおられた時、彼女は早くこの苦痛から解放してほしいとただそれだけを願っておられただろう。家族も同様である。その苦痛を断ってこそ、医療と言えるのだと思う。その苦痛をとることが、余命の短縮につながったとしても、そこには人間の尊厳がある。現代の医療は、人間の尊厳を忘れ、臓器の延命しか見えなくなった。
・・続きのページへ・・

2006年09月13日

入院施設の早期確立

             松永 美佳子

日本人の死因の第1位となっているがん。死者数は毎年更新し、現在3人に1人ががんでなくなっている。がんは日本の国民病である。

医療が発達し、高齢であっても化学療法や手術を受けるがん患者が増えた。10年前には、80代でがんの手術を受けることはまれであったが、5年前にはそれが普通となり、現在では患者が望めば90代でも可能である。化学療法も同様であり、延命医療は留まるところを知らない。

現代医療の恩恵を受け、最高の治療を施されたがん患者は寿命を延ばし、一昔より長く人生を送ることが可能となった。しかし、一方でその多くは再発し、精神的にも肉体的にも過酷な戦いを強いられているがん患者が多数存在する。
化学療法や放射線療法、免疫療法など考えられるすべての治療が功を奏しない状態になる末期がん患者が日本人の3人に1人なのである。
・・続きのページへ・・

2006年04月23日

末期癌患者は無医村状態

  松永 美佳子(千里ペインクリニック 院長)
        http://www.senri-pain.jp

現在日本の死因の3分の1は、癌によるものです。癌は年々増加傾向にあり、高齢者の手術や様々な化学療法、放射線療法など積極的治療が盛んに行われています。ところが、それらの治療が効果を示さなくなった、いわゆる「末期癌患者」の置かれた状況は、“無医村状態”と言わざるを得ない状態なのです。

病院に入院していても、主治医や看護師は積極的治療を受ける患者の治療や看護に忙しく、肝心の「末期癌患者」の痛みや様々な症状の治療、看護にゆっくり向き合うことが出来無いのが現状です。癌の痛みや様々な症状への対応は専門的知識を必要としますが、ほとんどの病院には専門医が居らず、充分な治療も受けられていません。さらに、死に直面すれば精神的な苦痛も非常に大きくなりますが、そうした精神面でのサポートもほとんどなされていない状態です。
・・続きのページへ・・

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