川原 俊明
交通事故の恐ろしさは、現実に被害を受け、後遺症に苦しんだ人でない
と、なかなか理解できません。車社会では、便利さが優先される反面、
一つ間違うと、車が他人を傷つける凶器ともなり、鉄の棺(ひつぎ)に
もなり得るのです。
予期せぬまま、他人の過ちにより、一瞬にして人生に終止符を打たれ、
あるいは、何十年にわたり精神的肉体的苦痛を負わせられる現実。これ
らが如何に不条理なことか。
現在の法制度の下では、交通事故紛争では、治療費や車両損害など、目
に見える実損害の補填が原則的です。慰謝料という名の精神的損失補填
は、裁判所の基準があるにせよ、欧米に比べれば、まだまだお涙程度で
す。被害者は明らかに損をする。これが現実です。
依頼者のS夫妻には、大学生になった最愛の1人娘がいます。その娘が
こともあろうに交通事故被害者となり、文字どおり、瀕死の重傷を負っ
たのです。娘さんは、一命を取り止めたものの、重度の被害者となりま
した。一時は、意識が全くなく、植物人間として一生を終わりかねない
状態でした。
ベッドの上で、かろうじて息をするだけの娘さん。食事・排泄など、生
存に必要な行動は、一人では、何もできない状態です。ご両親のS夫妻
は、娘さんの現実を突きつけられ、娘さんの介護にその後の人生を賭け
ることを決意。
S夫妻は、今までの職場や仕事をすべて投げ打つことになったのです。
1日24時間の介護なくして生きられない娘さんを前にしたご両親の決断
には、心を打たれるものがありました。
客観的には、娘さんの命と、S夫妻の早すぎる退職との引き替え。それ
だけに、ご両親の決断に頭の下がる思いがしました。S夫妻にとっても、藁をもつかむ思いだったのでしょう。娘さんのために、少しでも回復手段があれば、どんなに高額な治療法であろうと、借金をしてでも、それに頼ろうとしてきたのです。
その1つが、脊椎御策電気刺激療法(DCS療法)。DCS療法は、頸
髄背側に挿入した電極で患者に電気刺激を与えて、脳や末梢神経を刺激
し、意識の活性、除痛、筋緊張の緩和を図る治療法です。もちろん健康
保険で使える治療法ではありません。
わかりやすく言えば、毎日一定の時間、患者に対し、持続的に電気刺激
を与える、という治療法です。植物人間状態、あるいは、それに近い症
状といわれる遷延性意識障害患者。この人達に対するDCS療法の臨床
症状改善率は44.3%でした。
これを聞きつけたS夫妻。約1000万円もの借金をして、娘さんに、この
治療法を試みたのでした。当初、保険会社は、このような高額医療は、
交通事故と因果関係がないとして一切の支払を拒否しました。その結果、
S夫妻は、その借金の返済に負われる事態に陥ったのでした。娘さんの
自由を奪われ、しかも多額の借金を抱えるS夫妻。
私は、S夫妻の窮状を見かね、この分野の権威であるY医師を訪ねまし
た。Y医師からDCS療法の内容および有効性について教授を乞い、資
料や文献を借りて、研究成果を裁判に活かすことにしました。
Y医師によるとDCS療法の有効例は、若年者であること、頭部外傷に
より植物症となった場合であること、早期治療の場合であること、脳全
体の萎縮が顕著でないこと、障害領域が広範囲でないこと、などの要件
を満たす場合ということでした。
娘さんは、幸いなことに、有効例とされる要件をすべて満たしていまし
た。療法開始後1か月。ついに、奇跡が起こったのです。いままで、生
活反応が全く見られなかった娘さんに、開眼、追視、笑顔が出てきたの
です。その後も、徐々に回復が見られ、手指を用いての若干の意思表示
ができるまでになりました。そして今回、朗報がやってきました。
S夫妻と娘さんを原告として提訴した交通事故に基づく損害賠償請求訴
訟の判決において、DCS療法の有効性が認められたのです。その結果、
DCS療法にかけた巨額の治療費負担が、交通事故との因果関係のある
損害の1つとして認容され、保険会社から支払を受けられるようになり
ました。
この判決は、まさに画期的な先例となりました。まず交通事故被害の中
でも、最も深刻な植物症に陥った人や、その家族に光を与えることにな
ったのです。同時に、DCS療法の数多くの臨床例の重りが、治療法の
改善に結びつき、さらなる医療の進歩を遂げることになったからです。
今回の事例は、交通事故被害救済の一つですが、他の被害者の救済にも
大いに目を向ける必要があります。そして何よりも、「被害者が損をす
る社会そのものを是正」しなければなりません。法改正あるいは法解釈
の弾力化により、弱者救済を図り、公平な社会を築く必要があります。(了)
(弁護士法人 川原総合法律事務所)