川原 俊明
刑事事件でも、民事事件でも、時の経過とともに、過去の権利関係は、曖昧になってきます。
証拠が散逸し、明確な立証ができないにもかかわらず、過去の権利主張だけがいつまでも持続すると、現在の社会秩序が混乱します。平穏な社会の形成に不安定要素を残す結果となります。
民事関係では、特にそうです。
長年の間、権利主張をしなかった者の主張を認めず、現在の権利関係を尊重するためには、時効制度により「権利主張の制限」をするのもやむを得ないことです。
人間は、過去のことはすぐに忘れるものだからです。現在の権利関係を尊重することは、むしろ、社会の安定につながります。
ところが、刑事犯罪の場面では、かなり様相を異にします。家族にとって、身内を殺害された恨みは、一生消えることはありません。にもかかわらず、今までの刑事訴訟法は、被害者の感情を余りにも無視してきたように思います。捜査機関の捜査の煩わしさを考慮に入れ、時効制度を活用して、さっさと刑事事件の幕引きをしようとしてきました。
しかし、それでは、刑事事件における、被害者の立場はどうなるのでしょうか。
犯人の逃げ得は、絶対に許されません。癒されないほどにダメージを受けた被害者感情を考慮すべきです。何十年かかろうと、犯人を見つけ出して、刑事制裁を科すのが、国家の使命でしょう。
今般、殺人罪など、重要犯罪に、時効制度を撤廃し、逃げ得を許さない、という方向に、刑事訴訟法改正案が国会に上程されそうです。考えてみれば、こんなこと、当たり前のことかも知れません。
「公訴時効が過ぎたから、正直に白状するけれど、俺は、30年以上も前に人を殺した。」と公言し、その供述どおり、犯行現場から遺体が発見された、とします。公訴時効制度を理由に、その人物を無罪放免するしか、手の下しようがないとすれば、世の中、明らかに間違っています。
特に、刑事事件において、公訴時効制度撤廃の議論は、憲法違反の疑いがある、との議論もあります。
憲法第39条〔刑罰法規の不遡及、二重処罰の禁止〕
何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
抵触する可能性がある憲法条文は、これでしょう。
しかしながら、刑罰法規の不遡及とされるのは、事件当時、当該行為が適法とされていたのに、後日成立した法律で、刑事処罰されることはない、というものです。現代の社会では、あたりまえのことです。
ところが、公訴時効制度撤廃の議論は、刑罰法規の不遡及とは、似て非なるものです。その犯罪行為に対する処罰を、時間の経過によって証拠も甘くなってくるし、刑事裁判にかけないでおこう、とするのが、公訴時効の趣旨なのです。
公訴時効が問題となるのは、もともと刑事法に抵触する犯罪行為の存在が、前提となっています。もともと、当該行為は、犯罪行為として違法だったのです。
ですから、適法であったものを、法律で、後日、違法にするのではありません。 ですから、公訴時効制度を撤廃しても、決して憲法に違反しないのです。 悪を、のさばらせてはなりません。