2010年09月12日

◆法曹への夢を壊すな

川原俊明

2010年9月9日、第5回新司法試験の合格発表がありました。昔の司法試験合格発表のとき、両親が喜んでくれたことを思い出しました。

ところが私たちの時と異なり、司法試験制度が変わりました。法曹の世界に、幅広い人材を送り込もう! 法曹人口を増やし、多くの国民が、法の救済を受けやすくしよう!これが新司法試験制度の目的であったはずです。

今回発表された新司法試験合格率25.4%は、制度趣旨から、大幅にずれています。 国は、法曹をめざす若者の夢を奪っているのです。

国が、いったん決めた制度・方式を、朝令暮改あるいは、猫の目のようにくるくる代わっていいものでしょうか。若者に対する国家的詐欺です。

少なくとも、新制度を公表し、それに呼応して、法曹をめざした若者に、国は最後まで責任を果たすべきでしょう。若者の夢を、つぶしてはいけません。

他にも、問題はいくつもあります。

新司法試験とは言え、それを支えるべき司法試験委員の感覚は、旧態依然たるものがあります。新司法試験制度を理解して問題を作っていません。現役の弁護士ですら、直ちに回答しかねる問題が多く、こんな問題を解かせて、法曹の世界に、幅広い人材を送り込める、とでも思っているのでしょうか。

さらには、合格者数の学校間格差を、問われています。しかし、合格者数上位校の多くは、弊害を指摘された、従来の司法試験予備校並みの体制をとっています。旧司法試験の弊害をなくすための新司法試験ではなかったのでしょうか。

新司法試験の理念のもとに、一般人を対象としたロースクールカリキュラムを組む大学が低位に留めていること自体が問題で、すべてのロースクールの学習体制を見直すべきでしょう。合格者数を誇ればいい、というものではないのです。

ロースクールの中にも、主に法学部卒業生を対象とした2年制既修コース、主に一般人を対象とした3年制の未修コースがあり、それぞれ卒業しないと新司法試験の受験資格がありません。

しかし、たかだか1年の差で、未修者の法律レベルが、既修者と肩を並べられるとは思えません。むしろ新司法試験制度を考えれば、未修者と既修者に同じ問題を提供すること自体が、糾弾されるべきです。幅広い人事を求める、といいながら、難解な法律問題を未習者に解け、といっているのですから。

ここまでくると、5年間の3回受験期限は、撤廃すべきです。若者のチャレンジ精神を国が奪ってはいけません。

さらには、せっかく、国が、一定の法的レベルありと認定した司法試験合格者の、司法修習終了後の処遇、就業確保体制を、国が真剣に考えるべきです。せっかくの人材を、国がつぶしては、日本の将来はありません。


2010年09月10日

◆ひき逃げ弁護士と検事の非常識

川原俊明

最近、東京で、若手弁護士が、酒気帯び運転の上、タクシーと衝突し、運転手と乗客に怪我をさせたまま、「逃げた」事件が報道されました。もちろん、その弁護士は、逮捕され、世田谷警察署に留置されました。

弁護士たるもの、聖人君子ではないので、日常生活において、全く法律違反がないとは言えません。左右どこにも車の影がないのに、長時間と思える赤信号にしびれを切らし、つい、赤信号のまま、歩道を横断することもあるでしょう。

これも、道路交通法違反といえば違反です。「道路交通法」(昭和35年法律第105号)
同法第7条  道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第一項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない。

しかし、これによって罰金を取られたり、民事上の賠償請求において、大きく過失相殺されたりするのも、自己責任の範囲内です。

しかし「酒気帯び」+「ひき逃げ」は、決して許されません。他人を怪我させ、その責任から逃げようとする態度は、法律家の行動として、情状酌量の余地がありません。

私が、問題にするのは、この事件で、ひき逃げ弁護士が、知人の検事とともに出頭してきた、という点です。

弁護士も検事も、同じ法律家仲間として、相談ごとはあるとしても、弁護士が、検事同行で警察署に出頭したことが問題です。

小学生の子どもでもないのに、なぜ、検事を同行させたのでしょうか。

おそらく、弁護士の脳裏には、検事の威力で、事件もみ消しを、期待したのでしょうか。もしそうなら、とんでもないことです。弁護士として、検事を同行させる、という判断そのものが、たとえ知人の検事であっても、検事という立場に迷惑をかける、ということを理解しなければなりません。

安易に同行した検事も、問題です。検事という立場を、捜査すべき警察に明らかにすること自体、無言の圧力になる、ということがわからないのでしょうか。

一般市民が、ひき逃げをした場合、警察への出頭に検事が同行してくれる場面があるでしょうか。
ひき逃げ弁護士も、付き添い検事も、社会の常識から、はずれていることを、理解しなければなりません。



2010年08月23日

◆司法修習生の体験航海が悪いのか

川原俊明

8月18日、香川県沖で、第6管区海上保安本部のヘリコプター「あきづる」が送電線に接触して墜落した事故がありました。犠牲者にはご冥福をお祈りします。

このへり、岡山地方検察庁主催の司法修習生実務体験の一環として、デモ飛行していた矢先のことでした。法律家の卵である司法修習生を巡視艇に乗せ、海上保安庁の業務内容を理解させようとしていたものです。

司法修習生による、社会修習。
私たち法律家は、社会のあらゆる現象から発生した紛争ないし事件の法的処理のため、幅広い社会知識の習得が必要です。司法修習を終え、法曹資格を得てからの実務に少しでも役に立てるように、との実務体験修習が、司法修習生に課せられた社会修習なのです。
 
私たちが、30期司法修習生の頃、大阪での実務修習には、パトカー試乗による違反車両の検挙、司法解剖立ち会いによる漂流死体の解剖見学などがありました。
 
今回、マスコミが、ヘリ墜落に伴い、飛行目的の組織的隠蔽、という場面に焦点を当てて問題を指摘しています。ヘリ墜落とは何の因果関係もないのに・・・。

いくら、情報化社会とはいえ、マスコミの取り上げ方に問題があります。
これによる、司法修習生の社会修習が、将来にわたってやめることになれば大変な社会的損失です。

私たちの時も、社会修習というものがありました。たとえば、近鉄の列車試乗です。 私たちが、司法修習生だったころ、近鉄電車の一区間を、運転手の指導の下に、実際に、電車のハンドルを操作し、車両を運転していました。
 
もちろん、一般乗客を乗せず、です。しかし、これも、数年後に、マスコミの指摘で、この社会学習が廃止されました。 資格のないものが、電車を運転している、というマスコミ報道のおかげで。

マスコミの取り上げ方如何で、司法修習生の社会修習の芽を摘んではなりません。
 

2010年08月05日

◆現代は姨捨山(おばすてやま)か

川原俊明

約1000年ほど昔の日本の説話「大和物語」。そこには、姨(おば 老女)を、山に捨てた男が、名月を見て後悔に耐えきれず、翌日連れ帰った、という話が残されています。貧しかった昔の日本には、家族の貧困に耐えきれず、やむなく老人を捨てる風習が、あったのでしょう。
 
現代の日本。

厚生労働省の役人ですら、高齢者のことを「後期高齢者」等と平気で名付け、高齢者を切り捨てています。姨捨山に老女を捨てた男でさえ、後悔して、翌日連れ帰った、といのに。人情の薄さを露呈する現代社会。

しかしながら、お年寄りは、私たちのルーツであり、私たちの行き着くところであります。若者だって、いつかは、年をとっていくのです。

日本の経済成長を支えてきた人たちに対し、働けなくなった年寄りとして、不要品扱いするのは、「人間のくず」です。

最近、東京都に住民票を置く男性の最高齢者とされる111歳の人が、白骨死体で見つかった事件がありました。それも数十年前に死亡している事実が判明。ところが、家族の供述も、二転三転。事実を隠蔽していると疑われても仕方のない状況です。

どこに問題があるのでしょうか。

一つには、昔の大家族制のように、お年寄りを中心とした家族のきずなが、崩壊しているのでしょう。儒教など、祖先、先達、先輩、年配をいたわる思想が、日本から消えてしまったのでしょうか。

アメリカ仕込みの個人主義の悪いところだけを真似してきた戦後教育制度。お役所の、形だけの高齢者対策。心を失った政治のなれの果てが、この問題の根源にあります。

心を失った人間関係も・・・。心の復活が、今、日本に求められています

2010年07月30日

◆司法修習生未就職率の責任は

川原俊明

新63期司法修習生の、就職未内定率43%。 裏返せば、就職率53%。
2010年6月末現在のデータをマスコミが公表しました。

法科大学院(ロースクール)を卒業したのち、晴れて司法試験受験資格を得、無事司法試験に合格したものの、社会の受け入れ体制がないという現実は、一体誰の責任なのでしょうか。
 
昔の司法試験制度を廃止し、新しくロースクール制度を設け、多様な人材を法曹界に受け入れようとしたにもかかわらず、この就職率は、一体どういうことでしょうか。

私たち、30期の弁護士からすれば、司法試験に合格し、司法修習生を終えてから法律事務所への就職がないなんて、聞いたことがありません。就職は、需要と供給のバランスによるものであることは、十分に理解しています。しかし、ロースクール制度を前提に、毎年の司法試験合格者を3000人にまで引き上げる、と主張していたオリックス宮内会長、およびその取り巻きの官僚たち。
 
まじめに法曹界に進出してこようとしている若者の人生をもてあそんではいけません。

はじめに毎年3000人司法試験合格ありき、という、このバカげた認識は、法曹界の実態を明らかに見誤っています。オリックス宮内会長は、就職未定者の司法試験合格者を、すべてオリックスの法曹部門で優遇採用してくれるなら、まだ、辻褄があうでしょう。
 
社会の変遷に伴い、法曹人口を順次、微増させようとする考えは、私も賛成です。 しかしながら、一気に、司法試験合格者枠を2倍も3倍も増加させても、法律事務所が、当然のように受け入れることは、できるはずがありません。 弁護士業務の飛躍的拡大を実感していないのですから。

弁護士の需要と供給の中で、法律事務所は、司法修習生の採否を決めていきます。一般的に弁護士事務所は、慎重派が多いので、一気に、2人も3人も採用する、というのは、中小の法律事務所では、かなりの決断を要します。
 
そうなると、法曹人口毎年3000人体制を標榜してきた責任は、一体誰がとるのでしょうか。 当時の日弁連執行部は、先を見通す力量がなかった、ということです。
 
政府も、司法の一翼を担うべき司法修習生の必要枠をミスった責任は重大です。司法修習生に対し、司法官僚としての採用を至急検討すべきでしょう。 
いずれにしても、司法修習生には、何ら責任がありません。

法曹全体で、裁判官、検察官の採用枠大幅増大を含め、緊急に検討すべき課題でしょう。

■本稿は7月31日刊全国版メルマガ「頂門の一針」1995号に
掲載されました。他の寄稿と共にご案内します。

◆<目次>
・厚労省調査「政務三役に驕り」:阿比留瑠比
・司法修習生未就職続出の責任:川原俊明
・反日勢力の蜂起:MoMotarou
・米大手企業には何が起きるか:前田正晶
・「日韓併合100年」菅首相の謝罪談話を阻止!
・ 話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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 下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2010年07月13日

◆内閣不信任に繋がる法相続投

川原俊明

今回の参議院議員選挙で、衆議院の多数派を占める民主党が過半数を割り、選挙結果は敗北と評価されました。
 
このため、衆議院と異なり、参議院の主導権は野党に移りました。いわば「ねじれ国会」です。しかし、ねじれ国会は、国会審議の遅滞、というゆゆしき事態を招きます。 

ただでさえ世界政治から取り残された日本は、ねじれ国会が、さらに日本の国益をむしばむことでしょう。

日々進化する世界情勢に適応する国政が必要なのに、立法審議がすすまないおそれがあるのです。
二院制の廃止、参議院の役割軽減など、この分野での憲法改正論議が必要にかも知れません。二院制を前提とするとしても、衆参同時選挙の実施、など、ねじれ国会の弊害を排除する手段を講じること検証すべきです。

話題の多い参議院選挙でした。その中で、神奈川選挙区から立候補した千葉景子法務大臣が落選。
民主党は、この事態を深刻に考えるべきです。

国会議員の選挙といえども、現役閣僚の落選は、内閣の不信任としての意味が伴っています。ところが、菅政権。落選した千葉法相の続投方針を、安易に打ち出してい留野が問題です。

憲法第68条〔国務大臣の任免〕
内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
 
たしかに、憲法上、内閣総理大臣が選任する国務大臣は、すべてが国会議員でなくても構いません。民間登用の途が開けています。しかし、議員内閣制のもとでは、国会と内閣の連係プレーを確保するため、国会議員の中から選任するのが原則です。

あくまで、民間登用は、例外的といわざるを得ません。しかるとき、千葉法相が、国会議員選挙で落選し、民間人になったからといって、法務大臣を民間人枠で当然続投できるとするのは大いに問題です。

千葉法相が、最初から民間登用者であれば、ともかく、国会議員だからこそ法務大臣に選任された人物です。
 
千葉法相が、落選したのは、国民が当該候補者を結果的に不適格としたのです。であれば、総理は、落選者を閣僚から、はずすべきでしょう。
 
落選者を閣内に温存することは、内閣不信任を招きます。国民が、国務大臣を不適格としたことは、千葉法相に対する総理の指名権を否定したことになるのですから。
 
安易な続投は、民主党政権を揺るがします。千葉法相の続投を求めざるを得ないほどに、民主党には人材がいないのでしょうか。
http://www.e-bengo.com

2010年07月12日

◆子の相続分は平等であるべき

川原俊明

近時、最高裁判所が、嫡出子(ちゃくしゅつし 婚姻届を出している夫婦の子)と非嫡出子(ひちゃくしゅつし 婚姻届のない男女の子)の相続分に、民法が差異を設けていることに対し、憲法判断を加えようとしています。

民法第900条(法定相続分) 
1〜3号 省略
4 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。
ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする。

平等主義をうたった日本国憲法の下では、おなじ、子ども間、兄弟間では、各自の相続分は同じであるべきです。
 
たとえば、被相続人甲を父親に持つ3人の子どもの場合、相続分は三等分されます。
ところが、3人の子のうち、法律上の妻である乙さんとの子(嫡出子)は、AとB。他の1人Cさんは、丙という妻以外の女性との間の子(非嫡出子)だったとします。

民法は、例外的に、嫡出子と非嫡出子の相続割合を2:1、すなわち、婚姻外に生まれた子の相続割合を、婚姻中の夫婦の子の半分にしています。
 民法第900条4号但し書き
 先ほどの例では、Aさん2 Bさん2 Cさん1となります。

民法は、なぜ、このような差異を設けたのでしょうか。
それは、法律婚主義のもと、結婚には、婚姻届の提出を奨励しているからです。
婚姻外の子に、相続時に不利益を与えることで、いわば婚姻届を間接強制しているのです。

しかしながら、昨今の社会生活、家族形態は、大いに変化しています。婚姻届を出さない事実上の夫婦形態が、増加しています。夫婦のあり方も、考え方に変化があります。男女関係も、昔と比べ、認識の差が顕著です。

これほど社会が変遷する中で、法律婚以外は悪だ、として、婚姻外に生まれた子どもに、そのひずみを与えていいのか、というのが、今回の問題点です。

この問題を、親の立場から考えるから間違いが生じるのです。 子の立場から考えれば、正解が見つかります。

考えてみれば、子どもには、なんの罪もありません。両親が、法律婚であろうと、事実婚であろうと、入籍できない関係であろうと、守られるべき子どもの立場からすれば、なんの変わりもないのです。

日本国憲法は、個人の尊重と、平等主義を標榜していたはずです。

憲法第14条(法の下の平等)
この観点からみれば、嫡出子、非嫡出子の間に、相続分割合に差を設けるのは、明らかに違憲、といわざるを得ません。

国政がもたもたしていて、民法改正に時間がかかるのであれば、最高裁判所が、違憲判決を下し、事実上の民法改正とすべきでしょう。

 相続 嫡出子 研究

 弁護士法人 川原総合法律事務所   
E−MAIL kawahara@e-bengo.com ホームページ http://www.e-bengo.com 

2010年06月30日

◆日本相撲協会は、仕切り直せ

川原俊明

相撲は、日本の国技です。日本には、長い歴史の中で、技を磨き、国技として確立されたスポーツの一つに、世界に誇るべき相撲の世界があります。

その相撲界が、ヤクザとつるんで賭博の世界に品格を落としてしまった現実は、日本国民を裏切った、としか評価できません。

私は、野球賭博とヤクザのつながりは、一朝一夕でなく、かなり以前から、悪しき風習があったのでしょう。それならば、日本相撲協会は、今、過去を断ち切る必要があります。何を、いまさら、名古屋場所の開催をこだわっているのでしょうか。目先の営業利益でしょうか。

そんなことなら、なおさら、名古屋場所は、開催すべきではありません。

国民の目から見て、日本相撲協会の目先の利益と比較にならないほどに、相撲界に対する国民の信頼・応援ば失われています。

私は、日本相撲協会が、名古屋場所の開催をやめ、賭博関与力士に対する徹底的な糾弾とともに、厳罰がなければ、私は、今後、一生、相撲を観戦するつもりはありません。親方の解雇ごときで、お茶を濁すべきではありません。

日本相撲協会の構成理事たちの元力士たち。理事に張り詰めた皆さんも、かつて、賭博に関わっていたのかも知れません。日本相撲協会は解体すべき、ということです。

それで、相撲が国技でなくなるのであれば、むしろアジアの諸外国で、スモウを承継していただきたいものです。

NHKの名古屋場所放映は、視聴者の支持を得るものではありません。名古屋場所テレビ中継は、やめるべきです。(完)

2010年06月24日

◆愛犬ロクちゃんの死

川原俊明

愛犬ロクちゃんが、眠ったように亡くなりました。

平成22年6月19日未明でした。住み慣れた我が家の犬小屋で、体を丸めて、ほんとに眠ったままの状態でした。

「ロク イク(逝く)」とも読めるその日の別れは、家族にとって大きな悲しみでした。

イングリッシュ スプリンガー スパニエル。猟犬の純血、そのままの姿で15年7か月もの間、長生きして家族を楽しませてくれました。 弁護士費用の着手金代わりにもらってきたロクちゃん。

我が家は、長男から4男までの4人の息子がおります。子どもたちが飼った雄のハムスターが、5番目の男ゆえ「ハムゴロー」と命名。その後にもらってきた雄のワンちゃんだったので「ロクちゃん」と名付けられたのです。

生まれたての時から、えさの袋に首を突っ込んだまま、貪欲な生きざまを見せてくれました。その姿は、決して忘れることができません。

幼少のロクちゃん。家では、家族と一緒に、頭に枕をして布団を被って寝ていました。物心ついた頃から、自分は「イヌ」という自覚がなくなった、と思います。

どんな人間が家に近づいても、みんな自分と同じ仲間感覚で尻尾を振ります。どんな人が近づいてきても、吠えることがなく、噛むこともなく、ひたすらにスキンシップを求めて近づいてきました。特に若い女性が好きでした。

逆に、本物のイヌが近づいてきたら、一人前に恐ろしい、威嚇のうなり声をあげていましたが・・・。

老犬になってからは、庭の横で野良猫が無断でえさを食べ、且つ、厚かましくも、横に寝そべられても、追い出そうとすることもありませんでした。カラスが、えさを失敬しても、特に追い立てることなく、悠然と構えていました。

私は、老犬ロクちゃんの姿を見て、学んだことがあります。ワンちゃんだって、キャパシティが広いんだ。

私は、つまらないことにも過敏に反応している。ロクちゃんの、悠然さを学ばないと・・・。

ロクちゃんの死の前日、不思議なことがありました。我が家の周囲にある生け垣に網を巻きつけ、自由に出ていけないようにしていた屋敷を抜けだし、深夜、行方不明になっていたのです。どこからともなく「家出」していたロクちゃん。

以前から、散歩道だった水飲み場のある公園まで、一人で(一匹で)逃避行していたことがわかりました。早朝、出勤時のおばさんが、ロクちゃんの存在を見つけ、寝屋川警察に通報してくれており、同警察への問い合わせで判明したのです。

死への逃避行。 
象には、象の墓場があり、猫も、死に間際に、行方をくらます、といいます。死を察知した動物の本能でしょうか。

50年ほど前のこと、実家で飼っていた「クロ」(黒色雑種犬)を思い出します。やはり、死の前日、行方をくらまし、元旦の集まりに戻ってきて、家族からおせち料理をわけてもらったあと、なくなったそうです。私は、まだ幼稚園で、前日の逃走騒ぎまでは、理解していませんでした。

言葉は話せないけど、言葉以上の気持ちが伝わるロクちゃんでした。私たち家族には、15年7か月もの間、楽しかった思い出をたくさん残してくれたことに、感謝しています。(完)





2010年06月04日

◆交通事故無保険車両からの救済

川原俊明

道路交通法上、すべての車両は、自動車損害賠償保険(自賠責保険)をかけないと、公道を運行することができないことになっています。

自賠責保険が、強制保険といわれるゆえんです。

新車購入時や、自動車販売会社を通じての車両取得の場合、まずは自賠責保険が前提で、保険が当然のように付いています。ところが、車両の個人売買などでは、自賠責保険の期限切れのまま取得する場面が要注意です。

車検を受けるときは、自賠責保険の支払い済み証明が必要です。しかし、車検を受けていない車両が公道を走行している場合も、ないわけではありません。無保険者で被害にあった人は、実に災難です。

でも、現実には、こんな案件もありました。

任意保険会社は、必ずしも自賠責保険と同一会社でなく、別の保険会社であることもあります。
自賠責保険が切れていても、任意保険だけが契約している場合がありました。

その車両が、運転手の過失で事故を発生させた場合、被害者は、任意保険会社に直接請求することも可能です。

交通事故被害者は、決して、自賠責保険の無保険車両だといって、あきらめないでください。
 
さらにいえば、加害車両が、業務上運行していた場合には、運行企業に対する責任も、追求する余地があるのですから。

2010年05月22日

◆弁護士が問われている

川原 俊明

裁判員制度が始まって、1年が経過しました。裁判員になった方々から、裁判員制度に対する評価が伝えられています。

私たちにとって、最も関心が深いのは、弁護士に対する評価です。肝心の弁護士に対する評価。
実は、これが、低かったのです。
 
裁判員にとって、凶悪犯罪の犯人を前に、弁護士が、何をいまさら、情状を持ち出して擁護するのか、という認識。弁護士なんて、存在自体、社会悪ではないか、とまで思っている方がおられるかも知れません。
 
それは、弁護士が、社会における役割を、アピールしてこなかったことが原因です。100%極悪犯人でも、その立場を擁護する者が必要だということを。社会をすべて敵に回してでも、最後の味方は弁護士であることを。適切な量刑であることの監視役、それが弁護士であることを。

もし、あなたが、警察や検察から、無実の濡れ衣をかぶされようとした場合、弁護士が戦わなければ、あなたの有罪が確定してしまいかねないのです。

でも、肝心の弁護士。すべての弁護士が、自分の役割を全うしているでしょうか。

裁判員から、弁護人の情状主張の説得力のなさを指摘されています。「相手に怪我をさせておきながら、背景事情がどうしたというのか」。要は、個々の弁護士の表現能力、対応能力、説得力に問題があるのです。

裁判員制度のなかった時代。弁護士は、裁判官と検事だけに目を向けてきました。お互い、法的論理を振り回すだけの裁判。社会から批評にさらされにくい法廷の中で、自己満足している弁護士。

個々の弁護士にも、力の差はあります。裁判員制度を経て、今から、弁護士力の差が、試されています。 刑事事件だけに限りません。民事事件でも、法律を駆使する弁護士力の差は、歴然としています。
 
弁護士が、たえず、切磋琢磨しないと、社会は、弁護士を見放すでしょう。

2010年05月09日

◆相続税法を活用するには

川原 俊明

日本の所得税制は、サラリーマンが、所得税を給与から源泉される場合を除き、基本的に、自主申告制度で運営されています。

逆に言えば、申告しなければ、税の優遇措置は適用してもらえない、ということです。相続税の場面で言えば、配偶者に対する相続税の軽減特例や、小規模宅地の評価減の特例などが受けられないのです。

たとえば、遺産総額10億円の夫が死亡した、とします。「配偶者に対する相続税の軽減特例」の場面だけで説明します。

残された相続人は、妻と一人の子どもでした。妻は、2分の一の相続権があります。すると、妻が相続する5億円に相当する遺産には、相続税がまったくかからないのです。

仮に、夫の遺産が100億円だったとします。妻が、50億円相続しても、相続税は0なのです。ただし、これも、申告期限内に、ちゃんと申告することが前提の特例措置なのです。
 
ここでのポイントは、夫婦は、死ぬまで仲良くしておくこと、です。

年老いて、夫婦げんかの末に、離婚し、多額の遺産を残したAさん。妻がいれば、相続割合に相当する遺産の半分までは、相続税が無税だったのに、残された子どもが遺産を全部相続したため、子どもは、多額の相続税を支払わされたのでした。相続税制も、夫婦円満が前提なのです。

さらに言えば、相続税の申告は、複数の相続人がいれば、全員で共同して申告することになっています。被相続人に、複数の相続人がいて、遺産分割協議が円満にできない場合が問題です。

この場合は、「未分割の申告」として、配偶者に対する相続税の軽減特例や、小規模宅地の評価減の特例などが受けられません。

兄弟は、日頃から仲良くしておくのが得策だ、ということです。ここでも、相続税制は、円満な遺産分割協議の成立を求めているのです(完)




2010年05月04日

◆憲法記念日によせて

川原俊明

1946年制定の日本国憲法。憲法は、前文と、103条からなる日本国の規範(きまり)です。

悲惨な第二次世界大戦の反省の元に生まれた憲法でした。国民主権、基本的人権の保障、永久平和主義など、世界に誇り得る憲法を手にして、60数余年。
 
憲法の神髄は、すべて「前文」に言い表されています。

《前文》
本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
 
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

この憲法が、制定された時点から、異を唱える論者がいました。現在の、改憲論者につながっています。「マッカーサーの押しつけ憲法だ。自主憲法を制定しよう。」
 
敗戦直後の混乱期、確かに原案は、GHQ占領軍司令部の手にかかるものです。しかし、敗戦に打ちのめされ、戦争の悲惨さを痛いほど身に感じた日本国民にとって、この憲法は、まさに未来への希望の星だったのです。
 
自衛隊の海外派兵、自由主義と個人主義の混同など、社会の実情が、憲法の精神に合致していないところがあるとしても、それは、まだ、現状が、憲法の理念に到達していない、ということに過ぎません。憲法の実現は、国民の今からの努力により実現すべきものです。

改憲論者は、現状にあわせて、憲法を改正する必要がある、と主張しています。しかし、2000年の日本の歴史のなかで、はじめて民主主義をうたった憲法が、日本国憲法なのです。これを、低レベルの現実に引き戻す必要はありません。

私たちは、憲法前文の崇高な理念を、もう一度、心に刻み、世界に範をたれるべきです。(完)    20010.05.03