2010年06月04日

◆交通事故無保険車両からの救済

川原俊明

道路交通法上、すべての車両は、自動車損害賠償保険(自賠責保険)をかけないと、公道を運行することができないことになっています。

自賠責保険が、強制保険といわれるゆえんです。

新車購入時や、自動車販売会社を通じての車両取得の場合、まずは自賠責保険が前提で、保険が当然のように付いています。ところが、車両の個人売買などでは、自賠責保険の期限切れのまま取得する場面が要注意です。

車検を受けるときは、自賠責保険の支払い済み証明が必要です。しかし、車検を受けていない車両が公道を走行している場合も、ないわけではありません。無保険者で被害にあった人は、実に災難です。

でも、現実には、こんな案件もありました。

任意保険会社は、必ずしも自賠責保険と同一会社でなく、別の保険会社であることもあります。
自賠責保険が切れていても、任意保険だけが契約している場合がありました。

その車両が、運転手の過失で事故を発生させた場合、被害者は、任意保険会社に直接請求することも可能です。

交通事故被害者は、決して、自賠責保険の無保険車両だといって、あきらめないでください。
 
さらにいえば、加害車両が、業務上運行していた場合には、運行企業に対する責任も、追求する余地があるのですから。

2010年05月22日

◆弁護士が問われている

川原 俊明

裁判員制度が始まって、1年が経過しました。裁判員になった方々から、裁判員制度に対する評価が伝えられています。

私たちにとって、最も関心が深いのは、弁護士に対する評価です。肝心の弁護士に対する評価。
実は、これが、低かったのです。
 
裁判員にとって、凶悪犯罪の犯人を前に、弁護士が、何をいまさら、情状を持ち出して擁護するのか、という認識。弁護士なんて、存在自体、社会悪ではないか、とまで思っている方がおられるかも知れません。
 
それは、弁護士が、社会における役割を、アピールしてこなかったことが原因です。100%極悪犯人でも、その立場を擁護する者が必要だということを。社会をすべて敵に回してでも、最後の味方は弁護士であることを。適切な量刑であることの監視役、それが弁護士であることを。

もし、あなたが、警察や検察から、無実の濡れ衣をかぶされようとした場合、弁護士が戦わなければ、あなたの有罪が確定してしまいかねないのです。

でも、肝心の弁護士。すべての弁護士が、自分の役割を全うしているでしょうか。

裁判員から、弁護人の情状主張の説得力のなさを指摘されています。「相手に怪我をさせておきながら、背景事情がどうしたというのか」。要は、個々の弁護士の表現能力、対応能力、説得力に問題があるのです。

裁判員制度のなかった時代。弁護士は、裁判官と検事だけに目を向けてきました。お互い、法的論理を振り回すだけの裁判。社会から批評にさらされにくい法廷の中で、自己満足している弁護士。

個々の弁護士にも、力の差はあります。裁判員制度を経て、今から、弁護士力の差が、試されています。 刑事事件だけに限りません。民事事件でも、法律を駆使する弁護士力の差は、歴然としています。
 
弁護士が、たえず、切磋琢磨しないと、社会は、弁護士を見放すでしょう。

2010年05月09日

◆相続税法を活用するには

川原 俊明

日本の所得税制は、サラリーマンが、所得税を給与から源泉される場合を除き、基本的に、自主申告制度で運営されています。

逆に言えば、申告しなければ、税の優遇措置は適用してもらえない、ということです。相続税の場面で言えば、配偶者に対する相続税の軽減特例や、小規模宅地の評価減の特例などが受けられないのです。

たとえば、遺産総額10億円の夫が死亡した、とします。「配偶者に対する相続税の軽減特例」の場面だけで説明します。

残された相続人は、妻と一人の子どもでした。妻は、2分の一の相続権があります。すると、妻が相続する5億円に相当する遺産には、相続税がまったくかからないのです。

仮に、夫の遺産が100億円だったとします。妻が、50億円相続しても、相続税は0なのです。ただし、これも、申告期限内に、ちゃんと申告することが前提の特例措置なのです。
 
ここでのポイントは、夫婦は、死ぬまで仲良くしておくこと、です。

年老いて、夫婦げんかの末に、離婚し、多額の遺産を残したAさん。妻がいれば、相続割合に相当する遺産の半分までは、相続税が無税だったのに、残された子どもが遺産を全部相続したため、子どもは、多額の相続税を支払わされたのでした。相続税制も、夫婦円満が前提なのです。

さらに言えば、相続税の申告は、複数の相続人がいれば、全員で共同して申告することになっています。被相続人に、複数の相続人がいて、遺産分割協議が円満にできない場合が問題です。

この場合は、「未分割の申告」として、配偶者に対する相続税の軽減特例や、小規模宅地の評価減の特例などが受けられません。

兄弟は、日頃から仲良くしておくのが得策だ、ということです。ここでも、相続税制は、円満な遺産分割協議の成立を求めているのです(完)




2010年05月04日

◆憲法記念日によせて

川原俊明

1946年制定の日本国憲法。憲法は、前文と、103条からなる日本国の規範(きまり)です。

悲惨な第二次世界大戦の反省の元に生まれた憲法でした。国民主権、基本的人権の保障、永久平和主義など、世界に誇り得る憲法を手にして、60数余年。
 
憲法の神髄は、すべて「前文」に言い表されています。

《前文》
本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
 
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

この憲法が、制定された時点から、異を唱える論者がいました。現在の、改憲論者につながっています。「マッカーサーの押しつけ憲法だ。自主憲法を制定しよう。」
 
敗戦直後の混乱期、確かに原案は、GHQ占領軍司令部の手にかかるものです。しかし、敗戦に打ちのめされ、戦争の悲惨さを痛いほど身に感じた日本国民にとって、この憲法は、まさに未来への希望の星だったのです。
 
自衛隊の海外派兵、自由主義と個人主義の混同など、社会の実情が、憲法の精神に合致していないところがあるとしても、それは、まだ、現状が、憲法の理念に到達していない、ということに過ぎません。憲法の実現は、国民の今からの努力により実現すべきものです。

改憲論者は、現状にあわせて、憲法を改正する必要がある、と主張しています。しかし、2000年の日本の歴史のなかで、はじめて民主主義をうたった憲法が、日本国憲法なのです。これを、低レベルの現実に引き戻す必要はありません。

私たちは、憲法前文の崇高な理念を、もう一度、心に刻み、世界に範をたれるべきです。(完)    20010.05.03
 
 

2010年05月01日

◆検察審査会「起訴相当」の意味するもの

川原俊明

刑事訴訟手続きにおいて、被疑者に対する起訴不起訴を決めるのは、検察官です。最近、検察の不起訴案件について、検察審査会なる組織が、脚光を浴びています。

検察審査会では、被疑者に対する検察官の不起訴判断について無作為で抽出された11名の市民が、検察の判断の当否を審議します。
今まで、有名無実の存在であった検察審査会。

最近では、裁判員制度の採用で、市民が裁判に関わりを持つようになりました。その影響からか、裁判制度に対する認識が高まっています。それに関連して、検察の起訴不起訴についても、否応なく国民の関心が高まっています。

明石歩道橋事件、多数の死傷者を出したJR西日本脱線事故事件、自民党二階堂代議士の贈収賄疑惑事件、などが、脚光を浴びました。
 「起訴相当」を結論づけた検察審査会の意見を経て、強制起訴までされた事例もあります。もちろん、検察審査会は、法律のプロ集団ではなく、起訴すべきかどうかの判断について、厳格な証拠判断がなされているわけではありません。

したがって、検察審査会の「起訴相当」に基づき、強制起訴されたからといって、当然に被告人の有罪が決まっているわけでもありません。
しかし、大事なことは、被疑者の起訴にあたり、それが民意の反映だ、ということでしょう。

市民の目から見て、不起訴扱いすることが許されない、と判断された場合、起訴に持ち込み、公開の刑事裁判手続きの中で、真相が明らかにすることが大事です。被疑者に対する起訴権限の検察集中に対する国民の不満解消には、検察審査会をフルに活用すればいいのです。

ことに、政治家の犯罪容疑について、国民は、検察の起訴不起訴判断が、恣意的に操作されているのではないか、との疑惑を持っています。
それであればなおさら、国民が起訴不起訴について、意見を述べる機会を与えられる検察審査会は、今後、大きな役割を果たすでしょうか。

これによって、検察審査会が、「起訴相当」とした案件を含め、今後の起訴案件について、従来より有罪率が下がるかもしれません。でも、いままでの、起訴=有罪、の構図そのものが間違っているのです。

この構図に毒された刑事裁判官の実に多いこと。別に、有罪が保証された起訴でなくとも、国民監視の下で、堂々と犯罪の正否を争えばいいと思います。

今回の、民主党小沢幹事長陸山会事件に対する検察審査会の意見は、大多数の民意の反映です。要は、国民からみれば、金に汚い政治家を一切信頼していないのです。

国民は、小沢幹事長に、不信任をつきつけているのです。
検察審査会の「起訴相当」意見は、政治家としての小沢を否定した、とみるべきです。

小沢一郎代議士が、裁判で、法的に争うのは自由であり、その権利もあります。しかし、国民が、「政治家」小沢氏を否定している現実を、小沢氏自身が、早く理解すべきでしょう。(完)

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<目次>
・まだ小鳩政権が参院選では優位に立っている:花岡信昭
・鳩山首相は沖縄を見たことがない!!:古森義久
・鹿児島知事、徳之島案で「政府側と会わない」:古沢 襄
・舛添 要一氏のような政治家:須藤文弘
・昭和33年の流行歌手:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

・御意見・御感想は:
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2010年04月25日

◆直ちに衆議院を解散せよ!!

川原俊明

欧米のマスコミは、鳩山首相を完全にバカにしています。
 
普天間基地移転問題、高速道路無料化公約の破綻、小沢一郎民主党幹事長の独裁体制による二重政権構造。これらの現状を見れば、日本の政治は、糸の切れたタコのようです。日本国憲法に保障された総理大臣の権限はどこへ行ったのでしょうか。

欧米のマスコミの見る目は、正しいと思います。世界は、日本の政治家を、嘲笑しています。

私は、大阪のアメリカ領事館の隣に事務所を構えています。アメリカ領事館への抗議行動は、よくある風景です。しかし、普天間問題で、街宣車で抗議に来る最近の右翼たちですら、「たよりない鳩山首相ではあるが・・アメリカ出て行け」と拡声器で表現する始末。

多くのまじめな日本人は、欧米のマスコミ以上に、現状を憂いています。現在の政治不信は、民主党の支持率低下だけの問題ではありません。日本の存在を、世界から埋没させることになるのです。

アメリカの日米同盟体制が大きく揺らいでいます。もうすぐ、アメリカは、日本を捨てて、日中同盟体制を築くかも知れません。指導者不在の今の日本では、政治だけでなく日本経済も動かなくなることが必至です。

このままでは、日本は、かならず世界から見放されます。

近い将来、中国の属国になるか、アメリカの51州目の一つの州になるか、韓国に逆に併合していただくか、のいずれかの運命にたどる、と推測しても、決して大外れでないかも知れません。
早く日本の政治体制を立て直さなければなりません。

今年夏の参議院議員選挙を待っていてはダメです。衆議院も解散し、衆参同時選挙で、もう一度、民意を確かめ、日本丸の再出発が必要です。小松左京が書いたSF小説「日本沈没」。
これが、今にも現実味を帯びているのです。

平成の坂本龍馬、出でよ!!


2010年04月17日

◆C型薬害肝炎患者の救済には法改正が必要

川原 俊明

あるC型肝炎患者の代理人として、当事務所が提訴した、国に対する損害賠償請求訴訟が4月15日、裁判上の和解により解決しました。

カルテの残されていない患者にとって、希少価値のある和解でした。

都会から離れた地方の裁判所での、お医者さんに対する証人尋問の成果でもあります。2年にわたる長い戦い。薬害に疲れた患者の喜びは、ひとしおでした。

数十年前の手術の際、大量出血に伴う止血剤がウイルスに感染しており、その後の患者の肝臓をむしばむ事態となったのでした。ウイルスに感染したフィブリノゲンという止血剤が、悪の元凶です。
 
C型薬害肝炎患者の救済のため、国は、平成20年1月16日施行の「給付金支給に関する特別措置法」を5年間の時限立法という形で制定しました。

ところが、患者のカルテは、10年もたてば、大抵破棄されています。ましてや、C型薬害肝炎は、投薬後5年から10年後に発症する例が多いのです。

国が制定した救済法により、薬害被害者が救済を受けるためには、C型肝炎に罹患(りかん)した事実と、それが薬害によるものであること、の間に因果関係があることの立証責任を、患者側に求められています。

国は、救済法を制定したことにより、薬害患者に対する救済の途を開いたことは事実です。しかし、肝炎患者の救済は、現実には、気の遠くなるほどに苦しい裁判での戦いを強いられています。

肝炎と薬害の間の因果関係の立証。
カルテも破棄され、肝臓ガンの不安におののく被害者が、数十年前の手術した医師を捜し求め、裁判で証人となっていただく必要がありました。

執刀医にしても、数多くの患者を診てきたうちの、特定の患者の数十年前の手術の状況を、記憶で再現させるのは、まさに至難の業です。

厚生労働省は、昭和の時代に、国が承認したフィブリノゲン止血剤を、製薬会社がどの病院に納入したか、その記録をネット上で公開しています。でも、数十年前に行った手術担当医は、高齢故に、生存すら危ぶまれる状態であり、この救済法は、救いを求める原告患者に、過酷な立証責任を負わせているのです。

この法律は、C型肝炎患者の救済のために制定されましたが、現実には、多くの薬害患者に門戸を閉ざしています。

この法律を改正すべきです。

患者には、フィブリノゲン止血剤が投薬された可能性のあること、C型肝炎に罹患した事実を示すことによって患者の救済を図るべきです。

裁判では、国が、原告患者に対し、薬害との因果関係に疑義があると主張する場合、疑義の立証責任は国にある、として、立証責任を転換させるように、法改正が必要です。


2010年04月07日

◆離婚年金分割の実態

川原俊明

平成19年4月施行、平成20年4月施行、と2回に分けてなされた年金法改正。簡単に言えば、夫婦でいた期間に、掛け続けてきた厚生年金記録を、離婚の際に分けましょう、というものです。

サラリーマンは、将来の年金受領を見越して、毎月の給与から、厚生年金負担料を源泉徴収されています。事業主が、負担料の半額を負担しているので、源泉されるのは、半額相当分です。

給与からの天引きですから、勤務者であるサラリーマンの名前で年金負担料を納めることになります。一方配偶者Aさんが得た給与は、他方配偶者Bさんの内助の功を考慮するとき、夫婦の共同収入と見るべきです。
ですから、他方配偶者Bさん(3号被保険者 サラリーマンつまり2号被保険者の配偶者のこと)にも、将来の年金受領にあたって、一方配偶者Aさん名義の年金記録を分け合うのは、いわば当然、ともいえるのです。

改正前は、どんなに婚姻期間が長くとも、どんなに夫Aさんが高収入でも、離婚すれば、夫Aさん名義の厚生年金(標準報酬部分)は、全額、夫Aさんのものでした。離婚した妻Bさんには、夫Aさん名義の厚生年金を分けてもらうことがなかったのです。

高齢化社会のもとでは、離婚配偶者の生活を維持するため、当然、年金分割による生活財源の確保が必要でしょう。平成19年4月施行の年金改正法は、離婚配偶者に年金分割による生活財源確保の道を開きました。

しかし、この法律には、まだまだ問題が残されています。

今でも、離婚によって、当然に、年金が分割されるわけではありません。あくまで、「分割請求」という意思表示を必要とし、「5割を上限」とするものです。しかも、3号被保険者という立場の配偶者だけが、改正法の恩恵を受けます。

しかし、平成19年4月法律施行だから、その4月1日以降に離婚した人が対象でなければならない、というのは、理論的に、当然の結論ではないのです。(現行の法律ではできませんが)

今回の改正法は、施行日以前に離婚した元配偶者の立場にある人は、全く保護の対象外となっています。離婚配偶者の生活保護という観点から考えれば、法律施行日以降の離婚者だけに保護を限る必要はないでしょう。

夫婦平等、夫婦共有財産の認識の深まりを考えれば、この法律をさらに改正し、平成19年4月1日以前の離婚配偶者にも、当然のように、年金記録の分割をすべきでしょう。

さらにいえば、3号被保険者という立場以外の離婚配偶者の生活保護も、私たちは真剣に考えるべきです。
 

2010年04月01日

◆日弁連の役割は

川原俊明

平成22年3月、日弁連の新会長に宇都宮健児氏が、当選されました。日弁連選挙としては、極めて珍しい再選挙での当選。
 
司法試験合格者の低減を標榜し、若手弁護士票を一気に集めたと見られています。 若手弁護士の勤務・業務形態をとらえて、イソ弁(いそうろう・勤務弁護士)から、ノキ弁(法律事務所のノキを借りるたとえ)、宅弁(自宅開業弁護士)、即弁(登録して直ちに独立開業)など、さまざまな新語が生まれました。

新語が現れるほどに、新しくバッチをつける弁護士の就職難は、依然として厳しいものがあります。

 若手弁護士にまつわる、さまざまな新語。
最近乗ったタクシーの運転手が、これを話題にしてくれました。 それほどに、法曹人口の増大、これにともなう就職場面でのひずみが、社会の多くの人々に知れ渡っているのだと、痛感しました。
 
私も、日弁連(日本弁護士団体連合会)に関心の薄いノンポリ弁護士です。

「こんな日弁連に誰がした?」
最近、平凡社新書として刊行された表記の新書を熟読し、弁護士会が主張するような「法曹一元」が、幻想に過ぎないことを認識しました。

弁護士からの裁判官志望者が、極めて少ない現実を見ると、いくら弁護士を増やしても、すべての裁判官を弁護士経験者で構成する、とする法曹一元論者の「裁判所支配」論は、非現実的です。

幻想の「法曹一元」論実現のために、現実を見ないで突っ走った日弁連の弁護士人口増大構想。「法曹一元」が実現する前に、弁護士同士の過当競争と、弁護士の質の低下による自己崩壊が目に見えています。

従来の日弁連執行部が提唱した司法試験合格者数3000人構想は、弁護士業界の実態とかけ離れているし、多くの弁護士の意見を反映したものか、今では、疑問を感じます。

同時に、今の日弁連が、弁護士業界全体の将来を真剣に考えているのか。私には、このような根本的な疑問を払拭できません。

前記書籍は、私に弁護士業界の問題を提起をしたものとして評価しています。



2010年03月18日

◆子供を差別するな

川原俊明

政府は、小中の義務教育だけでなく、高校に対しても、授業料などの無償化を実現しようとしています。 これは、大変結構なことです。

日本のように、天然資源の乏しい島国にとって、人的資源こそは国の財産であり、国の発展に不可欠な要素です。 戦後、日教組主導の下での教育は、何かにつけて「平等であること」が、すべてでした。

そのせいか、「出る杭」に対する「モグラたたき」は、日本社会では、相当な圧力となっています。でも、それだけでは、秀でたリーダーが育成できません。

 日本の戦後教育が忘れていたこと。 それは、エリートの育成でした。
 
その結果、日本の政治世界は、三流政治家ばかり。世界で通用する人は、わずかです。 「第二の経済大国」の看板も、もうすぐはずされる運命にあります。

政治的後進国、経済的後退国の原因は、決して、少子化現象、老人大国化だけが原因ではありません。 日本の政治姿勢に、原因があります。

政治家は、選挙だけを目当てにした行動に終始し、国の将来を見据えることができない人が多いからです。 政治家の、ケツの穴の小さな考えが、日本の国力を削いでいます。

政治家は、もっと大きな度量を持つべきです。

少子化問題一つにしても、今の日本国民の人口だけを基準にして、物事が考えられています。 戦前でさえ、多くの国民が飯が食えないとき、日本は、大規模なブラジル移民政策を断行したではないですか。 国境線なんて、宇宙から地球を見ても見えないし、人為的なものに過ぎないのです。
 
今の少子化現象を解消するには、近隣のアジア諸国との交流を重ね、日本に多くの若い優秀な人材を取り込むべきです。 元々、日本が、大和単一民族だ、と言う偏見教育そのものが間違っているのです。

日本国成立の歴史的背景、また、地球的規模の観点から見て、プレートの移動によって分離された今の日本は、もともと大陸と地続きだったのですから。 今の日本人は、アジア系の他民族の結集によって成り立っているのです。

そんなことを考えれば、政府は、高校無償化の対象から、朝鮮高校を除外すべきではありません。 私たちは、北朝鮮に対し、拉致問題は、糾弾すべき問題です。 しかし、それとこれとは、全く別問題です。長年、日本に暮らす朝鮮の人々の家族である高校生に対し、日本の高校生と、何も取り扱いを区別すべきではありません。

むしろ、日本の度量の広さを全世界にアピールすべきでしょう。

朝鮮高校の生徒達も、将来にわたって日本社会に同化して生きていくのです。 このことは、日本の少子化対策に有効な手段となるはずです。

大局的に考えて、どこの国の子供であろうが、平等に扱うべきです。 日本国憲法は、国民の平等をうたっています。(憲法第14条)
 
この精神は、日本国民だけでなく、日本に住むすべての人々に、適用すべきものです。(完)


 

2010年03月12日

◆殺人罪の時効廃止は憲法違反か

川原俊明

刑事事件でも、民事事件でも、時の経過とともに、過去の権利関係は、曖昧になってきます。

証拠が散逸し、明確な立証ができないにもかかわらず、過去の権利主張だけがいつまでも持続すると、現在の社会秩序が混乱します。平穏な社会の形成に不安定要素を残す結果となります。

民事関係では、特にそうです。

長年の間、権利主張をしなかった者の主張を認めず、現在の権利関係を尊重するためには、時効制度により「権利主張の制限」をするのもやむを得ないことです。

人間は、過去のことはすぐに忘れるものだからです。現在の権利関係を尊重することは、むしろ、社会の安定につながります。

ところが、刑事犯罪の場面では、かなり様相を異にします。家族にとって、身内を殺害された恨みは、一生消えることはありません。にもかかわらず、今までの刑事訴訟法は、被害者の感情を余りにも無視してきたように思います。捜査機関の捜査の煩わしさを考慮に入れ、時効制度を活用して、さっさと刑事事件の幕引きをしようとしてきました。

しかし、それでは、刑事事件における、被害者の立場はどうなるのでしょうか。

犯人の逃げ得は、絶対に許されません。癒されないほどにダメージを受けた被害者感情を考慮すべきです。何十年かかろうと、犯人を見つけ出して、刑事制裁を科すのが、国家の使命でしょう。

今般、殺人罪など、重要犯罪に、時効制度を撤廃し、逃げ得を許さない、という方向に、刑事訴訟法改正案が国会に上程されそうです。考えてみれば、こんなこと、当たり前のことかも知れません。

 「公訴時効が過ぎたから、正直に白状するけれど、俺は、30年以上も前に人を殺した。」と公言し、その供述どおり、犯行現場から遺体が発見された、とします。公訴時効制度を理由に、その人物を無罪放免するしか、手の下しようがないとすれば、世の中、明らかに間違っています。

 特に、刑事事件において、公訴時効制度撤廃の議論は、憲法違反の疑いがある、との議論もあります。

 憲法第39条〔刑罰法規の不遡及、二重処罰の禁止〕
何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

抵触する可能性がある憲法条文は、これでしょう。

しかしながら、刑罰法規の不遡及とされるのは、事件当時、当該行為が適法とされていたのに、後日成立した法律で、刑事処罰されることはない、というものです。現代の社会では、あたりまえのことです。

ところが、公訴時効制度撤廃の議論は、刑罰法規の不遡及とは、似て非なるものです。その犯罪行為に対する処罰を、時間の経過によって証拠も甘くなってくるし、刑事裁判にかけないでおこう、とするのが、公訴時効の趣旨なのです。

公訴時効が問題となるのは、もともと刑事法に抵触する犯罪行為の存在が、前提となっています。もともと、当該行為は、犯罪行為として違法だったのです。

ですから、適法であったものを、法律で、後日、違法にするのではありません。 ですから、公訴時効制度を撤廃しても、決して憲法に違反しないのです。 悪を、のさばらせてはなりません。


2010年03月05日

◆弁護士費用保険を活用すべし

川原俊明

ドライバーにとって、安全と事故は、紙一重。道路上においては、どんなに自分だけが安全運転していても、被害者となりことがあります。

もともと、生身の人間が、鉄のかたまりを高速で動かすこと自体、ぶつからない方がおかしなことだと思いませんか。
その意味で、交通事故場面では、被害者になったり加害者になったりすることは、日常茶飯事と割り切らなければなりません。

こんな交通事故案件を取り扱っていて感じることは、任意保険に特約でつけた弁護士費用保険を活用する人が増えてきたことです。

交通事故事案では、たいてい、過失認定、怪我と事故との因果関係、逸失利益の算定、慰謝料算定、といった法律問題について、どうしても争いが生じがちです。

なぜなら、ドライバーの誰もが、事故を想定して運転していないために、事故当事者が、一瞬の事故状況を正確に把握してないからです。

そんなときに、加害者被害者双方が、口角泡を飛ばして喧嘩していても、埒があきません。弁護士に委ねるのが、自然でしょう。そんな意味で、弁護士費用が、わずかな追加保険料で、保険担保されるのは、いいことだと実感しています。

病気治療の場合にも、日本では、国民皆保険制度が取られています。それなら、交通事故に限らず、法的紛争のすべての場合において、弁護士費用保険が設定されていれば、いつでも安心して弁護士に頼ることができるのです。

裁判員制度など、法律が身近になればなるほど、弁護士を手軽に利用する制度が必要です。
単なる弁護士の宣伝というよりも、私は、法治社会における理想を追い求めているのかもしれません。(完)



2010年02月10日

◆「信頼」は社会の基本

川原俊明

世界のトヨタに対する信頼が、揺らいでいます。アクセルやブレーキの効きに問題がある、とされています。

昨年、アメリカで発生したレクサス車の衝突事故も、懸念材料となって問題を引きずっています。

しかも、ハイブリッドの最先端を行く新型プリウスにも、ブレーキの効きが問題視されています。

日本が誇るハイブリッド車の象徴だけに、手痛い指摘となっています。

ただ、クルマは、人間の生身を乗せて走る器だけに、安全性は、絶対でなければなりません。トヨタの責任者が、「運転者の感覚の問題」と説明するようではいけません。

たとえブレーキの効き方が,ABSという高度なブレーキシステムによるものであるとしても、すべての運転者が、安心して運転できる「アクセルとブレーキ」が必要なのです。

トヨタは、車両を、システムに合わせるのでなく、人間の「安全認識」に合わせて、早急にソフトを改良すべきでしょう。アメリカや欧州で、GMやフォード、さらには韓国の現代自動車が、トヨタ車からの乗り換えキャンペーンを実施しています。

競争相手に、「敵失」を与えたわけですが、トヨタにとっては、良い反省の材料ではないでしょうか。車両は、「安全」がすべてですから。

今年に入ってから、東海道新幹線の架線切断事故が発生し、開業以来ともいえる大規模な運行停止の事態に見舞われました。原因は、パンタグラフに取りつけるべき、一本のネジの閉め忘れ。

これも、現代日本の実情を反映しているのではないでしょうか。 新幹線の管理作業員の「プロ」感覚は、どこに行ったのでしょう。

ネジのゆるみは、日本社会にガタが来ていることの象徴だと思います。 政治家のトップクラスが、金に汚れているようでは、国民は、誰もついてきません。

 一国の長たる内閣総理大臣が、黒幕のご機嫌伺いをしながら、政治をしているようでは、日本はダメになります。

今の日本が置かれた社会経済的立場は、開国時代の黒船来襲どころでないことを、みんなが理解すべきです。命をかけ、私財を投げうって、日本の未来のために身を捧げた明治の政治家たちを見習うべきでしょう。

私たち法曹も、裁判員制度を含め、国民の信頼を得た仕事をしているのか。このことを、我が身に振り返って、考える必要があります。