2010年01月18日

◆検察と政権の異常な対決構造

川原俊明

東京地検特捜部は、平成22年1月15日、民主党小沢幹事長の元秘書であった石川衆議院議員、大久保公設秘書らを、政治資金規正法違反の疑いで逮捕しました。

小沢幹事長の政治資金管理団体である陸山会が購入した土地の購入資金について、政治資金収支報告書に虚偽記載がある、というのです。
 問題の土地は、小沢幹事長が、個人で4億円を出資した、と陸山会は説明しています

しかし、当時、小沢幹事長のお膝元である岩手県において建設中の胆沢ダム工事を担当した建設業者は、5000万円を石川議員に渡した、と供述しています。

これでは、政治資金規正法違反どころか、小沢幹事長に対する収賄容疑まで、におってきます。

しかし、検察は、あくまで陸山会の政治資金収支報告書に対する疑義を唱え、会計責任者であった石川議員らを逮捕したのであり、民主党や政権の政治姿勢を何ら問題にしているものではないことは、明らかです。

検察の独立。

検察庁は、法務省の組織に属しています。
検察は、法務大臣の指揮下にあります。法務大臣は、内閣総理大臣の指揮下にあるのです。

しかし、時の内閣総理大臣が、検察を批判し、検察が、総理大臣の顔色をうかがいながら、事件を捜査するようなことになれば、一体誰が、政治家の悪をあばける、というのでしょうか。

鳩山首相は、1月16日の民主党大会で、小沢氏の検察批判に、軽率にも、同調発言をしています。

しかしながら、小沢幹事長は、国民に対し、今だ、まともな弁明をしていないのに、内閣総理大臣たる鳩山首相が、同調発言をすることは、民主党の体質を疑います。

検察は、法務省の中にありながら、裁判所と共に、司法の一翼を担っています。

行政機関である内閣、立法機関である国会とともに、三権分立体制のなかで、司法の独立は、国家機関に対する大変重要な牽制作用があるのです。

検察は、かつての自民党政権時代、元総理大臣田中角栄を、ロッキード疑獄事件として逮捕し、起訴に持ち込んでいるのです。

検察の独立体制は、国民のために、大変重要な役割を担っているのです。

2009年12月31日

◆選挙権の不平等は民主主義の破壊

川原俊明

今年の夏、衆議院議員選挙がおこなわれました。自公政権から民主党中心の政権交代が大きな脚光を浴びました。

しかしながら、国政の選挙制度のなかで、もっと根本的なことが、長年にわたり封印されてきた事実を指摘する必要があります。

それは、国民の「選挙権の平等」が無視されてきたことです。
 
もともと、民主国家では、個々の国民の権利が平等に扱われることを前提に、各種の国民の権利義務が認められています。
 
憲法第14条〔法の下の平等〕
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

その前提に立って、国民は、自分たちの代表者を選出する権利があります。

憲法第15条〔公務員の選定罷免権、普通選挙の保障〕
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

ところが、憲法制定以降、都会と地方の人口格差が拡大するに伴い、国民の選挙権の価値が、地域によっては、5倍近くになることもありました。

議員一人あたりの有権者数の格差。このことを、国民一人一人から見たら、A地域では、B地域の国民の選挙権と比べて、5分の一しか値打ちがない、という現実が生じているのです。

同じ国民でありながら、1票の値打ちが、他の地域の国民と比べて5分の一でしかない、という現実。

これに対し、最高裁判所は、2007年7月の参議院議員選挙において発生した5倍の格差がありながら、「違憲ではない」、との結論を出しています。

しかし、この最高裁判所の判断は、民主主義の破壊につながります。

司法は、立法行政と並ぶ、三権の一翼を担っています。国民の権利を守る最後の砦が最高裁判所であったはずです。立法府の国会議員が、自分たちの選挙地盤を守るために地盤の分割を認めない、など、議員の既得権益を排除し、国民にとって、平等扱いされる選挙権を守ることが司法の役割であります。

今般、大阪9区の衆議院議員選挙において、2倍の選挙格差があったことをもって、大阪高等裁判所が、違憲判決を下しました。平成21年12月28日

大阪の裁判官の勇気にエールを送ります。もちろん、大阪高等裁判所の違憲判断なので、さらに上告され、最高裁判所で、最終判断がなされることになります。

最高裁判所が、過去の判例にとらわれず、既成観念を打破し、平和憲法を素直に理解すれば、2倍を超える格差をもって、「憲法違反」を宣告すべきは、当然のことでしょう。

同時に、司法に携わる私たちは、よりよき社会の建設に力を注ぐ必要があります。(完)    <弁護士>

2009年12月27日

◆PC解析の追跡調査で成果

川原 俊明

東北のある会社役員から、依頼が舞い込みました。大阪の会社に10年も勤めていた息子さんが、会社とのトラブルが原因で、連絡がつかない状態がすでに2か月経過した、というのです。

会社からは、ご両親に対し、連絡の取れない息子さんのトラブルを理由に、身元保証人としての賠償請求が求められていたのでした。

ご両親としては、会社とのトラブル内容が掴めず、会社との対応に苦慮したことから、すべてを法律事務所に依頼することになったのです。最初、興信所に依頼しようとされていました。

しかし、費用が多額すぎるばかりか、もともと息子さんの所在調査も、掴み所のない事案として、迷宮入りしかけていたのです。

当法律事務所では、まず、息子さんの勤務先である会社と、ご両親の関係を、法的に整理することにしました。

身元保証に関する法律。
身元保証して5年経過すれば、もはや、法的には保証債務を負わない。これは、会社にとって、見ず知らずの新入社員の行動保証が目的で身元保証人を立てさせるのですが、入社後5年も経過すれば、その社員の行動は、身元保証人でなく、会社自身が責任を持つべきだからです。

勤務先には、弁護士から、ご両親に法的債務が存在しないことをお伝えした上、道義的な対応は、息子さんの所在が判明してから、という方針を伝えました。まずは、行方不明になった息子さんの所在調査が先決です。

ご両親と家主さんの協力を得、行方をくらませた息子さんのマンションを訪ねました。郵便物や、息子さんの連絡先の手がかりを探ろうとしたのです。

すると、部屋の中に雑然と積まれたゴミの山から、「1台のパソコン」が姿を現しました。現代人は、パソコンを、住所録やメール発信手段に使うことが多いので、パソコン解析に狙いをつけました。特殊業者に依頼し、引き揚げたパソコンの解析をはじめました。

通常、プライバシー保護のため、暗証番号など、容易にパソコンのデータを解読されないようキーをかけている場合が多く見られます。案の上、息子さんのパソコンも、暗証番号が必要でした。しかし、そこは、パソコンに詳しい特殊業者。

暗証番号をかいくぐり、パソコンのデータをすべて解析することに成功したのです。
解析されたデータをもとに、住所録、メール送受信のデータをフルに使い、今度は、法律事務所から、すべての連絡先に、問い合わせメールを一斉送信しました。

その結果、息子さんの友人に、法律事務所からのメールが届いたようです。早速、行方不明だった息子さんから、法律事務所に連絡がありました。狙ったとおり、パソコン解析は、大成功を収めました。

その後、法律事務所にやってきた息子さんから事情聴取を終え、事件は、終盤戦に向かうことになりました。当法律事務所は、行方不明者調査で、興信所以上の大きな成果を生むことができました。

同時に、弁護士には、依頼者であるご両親の安堵の顔が目に映りました。(完)
                           <弁護士>


2009年11月23日

◆1通の手紙

川原俊明

1通の手紙によって、家屋明渡執行が回避できました。

1年半もの長い間、賃料滞納の事態が発生。人の良い家主さん。ようやくしびれを切らし、K弁護士に相談したのです。

当然のことながら、賃貸借契約の即時解除。これを前提とする明け渡し判決。ところが、訴状の送達から判決の送達まで、すべて受領を拒否し続けてきた相手方。よほどの事情があったのでしょうか。

しかしながら、家主にとって、契約当初から賃料を支払わぬ借主を住まわせるわけにはいきません。それが契約(約束ごと)なのですから。

私たちは、家屋明渡の判決を得て、強制執行を申し立てました。
大阪地方裁判所執行官とともに、相手方の住むマンションに立ち入り、動産を差押さました。そして、1か月後に来るべき強制執行日を予告したのです。相手方不在の部屋に、執行予告通知を貼り付けました。

私たちは、その後、何度も現場を確認し、相手方に、任意明渡を勧める書面を送り続けていたのです。しかし、法律事務所から、何度も書面を送り続けているのに、全く反応がなかったため、相手方は、よほどの悪質な入居者だ、と考えていました。

同時に、私たちは、強制執行を実施するにあたり、相手方の住民票を取り寄せ、家族調査をしました。
 
その結果、相手方の家族には、高校生の息子と娘がいたことがわかりました。私は、これらの事情を踏まえ、もはや「最後通告」、の意味で、相手方に、次のような1通の手紙を書きました。

「1年半も家賃滞納していれば、追い出されても仕方がないけど、子供達に、強制執行の残酷な場面を見せないよう、任意で明け渡すよう勧めます。」
「強制執行は、子供達の大事な思い出のものまで、ゴミと一緒に処分されてしまいます。」
「私にも子供がいます。罪もない子供達の大事な思い出までも、ゴミと一緒に処分されるのは、あまりにもかわいそうです。」

しかし、私は、手紙を何度も送り続けているのに、相手方からは、まったく連絡がありません。相手方が手紙を読んだかどうかわからことため、直接、届けることにしたのです。それも、私の息子が経営するビジネスサポートのB社に依頼して。

手紙を届けた翌日、私の意図が、ようやく相手方に通じました。相手方から、ついに法律事務所に電話連絡が入ったのです。それまで、訴状から判決文に至るまで、一切無視されていていたのに・・・・。

今日の午後、相手方から電話がありました。 「会いたい。」と。

不況下で仕事にあぶれた相手方。 以前、所有だった自宅は、ローンが支払えず、競売で追い出をくらう。以前から迷惑をかけた祖母には、この一年、連絡も取っていない。相手方は、私に、このような事情を語ってくれたのです。

父親の苦労を目のあたりにした長男。裁判所や法律事務所から送付されてくる書類を一切、父親に隠していたそうです。

ところが、昨夜、娘や息子から、隠していた手紙を見せつけられ、相手方は、あわてて法律事務所に電話したそうです。 
  
そして、私は、相手方の事情を踏まえ、次のように言いました。
「子供たちを泣かすな。」
「この連休中に、任意で明け渡せ。」
「当面、祖母に頭を下げてでも、孫を預かってもらえ。」
「今は苦しいけれど、きっと良いことがあるから、我慢してがんばれ。」
「任意に明け渡すなら、すでに動産執行で差し押さえているテレビなど、必要な家財道具は持って行きなさい。私が目をつぶるから。」

のちほど、相手方から、私宛に電話がありました。「祖母が、しばらく子供達を置いてくれることになりました。」、と。
相手方の子供二人の将来を考え、ベストの状態で、任意明け渡しを確認した次第です。(完)2009.11.21

2009年11月08日

◆議員立法権の剥奪は憲法違反

川原俊明

民主党政権になって、思い切った改革を打ち出す姿勢には、評価できるものがあります。

しかし、民主党小沢代表は、何か勘違いしているところがあります。

いくら、先の衆議院議員選挙において大勝し、手柄を立てたからといって、国会機能の根本的なことまで、口出しすべきではありません。

一番気になるのは、法案提出権を政府(内閣)に集約し、国会議員の議員立法権を民主党議員から剥奪する方針が見られることです。
憲法第41条は、国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である、と定めています。

それならば、国会議員は、どこの党に所属していようが、立法機関を構成する国会議員が、議員立法権を行使することは、憲法上の権利として当然のことです。一党派の代表者の一言で、憲法をゆがめてしまうような方策をとる様なことは許されないのです。

むしろ、小沢方針は憲法違反も、いいところです。

民主党国会議員も、小沢党首の言いなりであることが、逆に怖いです。国民も、憲法を知らない国会議員をたくさん生み出してどうするのでしょうか。

民主党に対しても、独裁政党と言われかねないことになります。民主党国会議員は、堂々と小沢方針に反対意見を主張する勇気がないのでしょうか。

国会議員は、国を憂う者として、憲法を学び、自分の信念をもって、国をリードすべき立場にあります。そのはずの国会議員の、不思議な沈黙は、国民の反発を買うことになりかねません。

民主への風が、いつまでも吹いているわけではありません。逆風もあるのです。普段から、どんな立場にあっても、自分の信念や意見を堂々と言えなければなりません。国会議員たるもの、国民の代表なのですから。  2009.11.05

2009年10月04日

◆夫婦は「同姓か、別姓か」

川原俊明


日本で、戦後初の本格的政権交代。民主党政権になって、夫婦別姓論議が再燃してきました。夫婦関係にも革命が起こるのでしょうか。

現代の夫婦制度には、結婚した以上、同じ姓で一生を伴にするという欧米のキリスト教思想があります。

欧米では、夫婦同姓が原則の国が多いようです。欧米のファミリーネームという呼称も、その意味でしょう。欧米の法律を見習った日本の民法も、夫婦同姓を採用しました。

近代日本では、独自の家族制度と相まって、夫婦同姓が,当然のように定着しました。

しかし、考えてみれば、夫婦同姓は、生まれてから結婚するまで慣れ親しんできた一方の姓を、むりやり変える、ということでもあります。婚姻を機に、姓を変えないと、入籍できない、ということなのです。入籍しないと、相続時の配偶者相続制度など、配偶者としての多くの利益を享受できないのです。

ところが最近、婚姻しない男女が増えてきています。夫婦同姓は、多くの場合、女性側に、その「ムリ」を強いています。

一方で、経済的社会的に自立する女性が増えてきた現代日本。女性にとって、婚姻のために姓を変えることが不利益だと認識する場面が、以前に比べて急激に増加しているのではないでしょうか。女が結婚しないのは、弱体化した男のせい、という意見もありますが・・・。

夫婦同姓の強要は、昔ながらの家族制度の押しつけ、とする意見があります。かといって、夫婦別姓が、近代的・民主主義的なのでしょうか。
 
中国・韓国では、夫婦別姓が基本になっています。儒教の国々では、男系社会の思想が強く、女を家に入れない、という考えが前提になっている、という解釈があります。
 
世界の様々な思想・宗教が、現代の夫婦の形態を形作っているようです。

 
現代日本の夫婦の姓はどうあるべきか。まさに、個々の夫婦による「選択制」を採用すべきでしょう。二人で決めればいいことです。

同姓でも別姓でも、原則はなく、婚姻の届け出時に、いずれかを選択できるようにすべきです。

すでに、日本では、離婚時に、婚姻時に変更した姓を、そのまま継続するか、旧姓に復帰するか,の選択制が形成されています。

要は、何十年、夫婦として同じ姓を名乗っていた夫婦が、離婚しても、互いにそのまま婚姻姓を名乗って生涯を遂げてもいいのです。
 
であれば、夫婦の姓をきめるときも、夫婦になろうとする二人が、同姓・別姓の、どちらかに決めればいいのではないでしょうか。


2009年09月12日

◆ロースクール生の人生を狂わすな

              川原俊明

新司法試験の合格者発表がありました。

法科大学院修了者を対象とする新司法試験の合格者は2043人。
合格率は、27.6%でした。

法科大学院制度を設けた4・5年前、法務省は、合格率7・8割をうたい文句にして新制度を宣伝していました。
 
法曹を夢見たサラリーマンも、中途退社し、預金をはたいて、法科大学院の門を叩いたのでした。

しかしながら、現実の試験が始まると、合格率は、どんどん下がり、良くて30%台を維持するのが精一杯となりました。

では、どうして新司法試験に移行したのでしょうか。
従来の司法試験が、高度な法律知識ばかりを求めるために、偏った法律家が生まれることの弊害が指摘されていました。

長期にわたる受験勉強が、受験生の人間性をゆがめてしまいます。
受験専門勉強の必要から、司法試験受験予備校が繁盛します。
こんなばかげた実態を是正する必要があったのです。

新司法試験は、法律分野以外の社会人や、医師・技術者などの理系人間など、幅広い分野からも、法曹人を育てようというのが、目的でした。

当然ながら、昔の司法試験のように、合格率が、1〜2%程度では、ますます司法試験の勉強方法が効率化を求め、テクニックに特化していきます。

その結果、受験予備校全盛の弊害が生まれてしまったのです。
同じ民法でも、私たちの司法試験受験時代は、基本書を隅から隅まで読みこなし、オールマイティにこなせる勉強をしていました。最近では、試験によく出る箇所しか法律知識のない弁護士が出現する始末です。

それではいけないのです。

法律家は、幅広い教養と常識を身に付けたうえで、法律をまんべんなく理解し、多方面に活用できる法的訓練こそ必要なのです。

新司法試験の本来の趣旨は、多様な人材を法曹に集めること。

ところが、今年の結果を見ても、いわゆる「未修者」といわれる学生で、法律中心に勉強してきていない人材に対する合格率は、18.9%と、さらに低率でした。

地方大学の合格者が少ないなど、新司法試験は、すでに本来の趣旨が失われてしまったのではないでしょうか。

昨年頃から、新しく弁護士のバッチは付けたものの,就職先の法律事務所が見つからないなど、せっかく司法試験に合格したのに、ボスを見習って研鑽するという体制がとれない,という問題が発生しました。
 
オリックスの宮内さんが司法改革論議で唱えた合格者3000人体制を前提に、法科大学院を乱立させてしまった,国の責任は大きいものがあります。
 
しかし、それは、ロースクール生の責任ではないでしょう。法曹界の中で、新司法試験合格者に対する軽い評価を主張する人がいます。

でも、新司法試験が、「法律知識だけがすべてではない」という命題のもとで新たな制度を生み出したものであれば、合格時点での法律的素養を認定すればよく、高度な法律知識を求めてはいけません。
 
彼らの、今後の修練に期待すべきです。社会は、自ずと淘汰します。

今年の合格率は、昨今の弁護士就職難論争に振り回された結果だと思います。

すくなくとも、法曹への夢をもって、法科大学院の門を叩いたロースクール生には、新司法試験制度の趣旨に合わせた基準で、法曹の世界に送り出してやるべきです。

ロースクール生の人生を狂わせてはならないのです。(完)












2009年09月01日

◆最高裁裁判官の国民審査?

川原俊明


今回の衆議院議員選挙で、「政権交代」が行われることになりました。

しかし、最高裁判所裁判官には「政権交代」はありません。
 
憲法で決められた、最高裁判所裁判官のチェック機能は、現実には、全く果たされていないのです。
憲法第79条2項によれば、最高裁判所裁判官は、任命後、初めて行われる衆議院議員選挙の際、国民審査に付されることになっています。
 
ところが、国民の大半は、最高裁判所の裁判官が誰で、どんな判決に関わり、どんな意見をもっているのか、みんな知らないのです。それもそのはず。最高裁は、判決内容を国民に知らせる努力をしていないのです。

たしかに、最高裁判所のホームページからは、判決全文を見ることができます。しかし、このホームページを「お気に入り」に入れる奇特な方は、法律家を除き,いないでしょう。マスコミも、最高裁判決の結論だけを報道し、個々の最高裁判所裁判官の
意見を報道することはほとんどありません。
 
政治家は、失言を含めて、年中、国民やマスコミから叩かれているのですが、裁判官の意見は、国民から、まったく見えないのです。

でも考えれば、大変なことなのです。司法は、国家の三権の一つです。
 
法律を積極的に制定する立法機関(国会)を構成する国会議員に対しては、選挙という洗礼を受けます。司法機関(裁判所)の属する裁判官は、法律を適用し、具体的事案の解決を目指す役割を有しています。
 
国会で制定された法律を、一定の見解のもとに解釈し、当該事案にあてはめれば、同種事案は、その後、同様に解釈されることになり、一つの指針が生まれます。
 
それぞれの地方裁判所など下級審判例も、最高裁判所判決により、大きな指針が打ち立てられ、下級審の指導判例になるのです。
それが、憲法解釈だったらどうしますか。それは一つの立法と何ら変わらないのです。消極的な立法ともいえるのです。すなわち、裁判所は、立法機関ではないが,司法は、一つの権力機構なのです。

このことを考えたら、現実の国民審査制度は、国民を馬鹿にしている、と思います。

期日前投票においてもそうです。衆議院議員選挙には投票できても、国民審査の投票ができない現実があります。衆議院議員選挙は、公職選挙法により、投票日の12日以上前に公示することが定められています。そのため、公示日の翌日から期日前投票できます。

ところが、国民審査制度は、投票日の7日前からようやく投票できます。これでは、少なくとも4日間のタイムラグが生じ、投票日8日以上前の期日前投票では、衆議院議員選挙にしか投票できないのです。

私の場合もそうでした。それでも、本来の投票日にもう一度、投票所にでかければいいではないか,との意見があります。
しかし、当日にいけないから、期日前投票をするのでしょう。

個々の法律のブレに対しては、場合により,憲法第14条定められた、法の下の平等違反となります。最高裁判所国民審査法を憲法違反で訴え、最高裁判所裁判官に意見を求めたいものです。
 
陪審員制度が始まるなか、国民が、裁判にもっと関心を寄せ、個々の裁判官の動向を意識するようになります。そうであれば、地方裁判所裁判官の国民審査も必要かも知れません。
 
これは決して、できないわけではありません。憲法に規定がないだけで,法律に定めれば,実現可能です。要は、民主主義国家における裁判官は、「国民のための司法」をめざすべきであります。

旧態依然たる国の制度を維持するために国民を犠牲にしてはいけないのです。(完)


2009年08月23日

◆凶悪犯罪に公訴時効は不要



川原俊明

1995年(平成7年)7月、東京八王子のスーパーで3人のアルバイト女子高生らが、頭部を至近距離で射貫かれて射殺された事件がありました。

残忍なこの事件は、私たちの脳裏にいまだに刻まれています。今日に至るも犯人が逮捕されていません。15年の公訴時効が、あと1年にまで迫っています。

平成16年に改正された現行刑事訴訟法は、殺人など死刑にあたる罪について、公訴時効を15年から25年に延長しました。(同法250条)
 
しかし、刑事法における不遡及の原則(不利益をさかのぼらせない)により、改正時以降の犯罪にしか適用されません。

最近、この事件に知人が関わったとする証言をもとに、中国に捜査員を派遣するそうです。
 
公訴時効という制度は、どんな罪を犯しても、一定の期間さえ経過すれば刑事裁判に持ち込めなくなり、結果的に「逃げ得」を許してしまうことになります。

この実体を国民が知れば、みんな、納得するのでしょうか。ましてや、犯罪被害者、その家族・遺族は、時の経過というだけで、犯人を許せるでしょうか。
 
もちろん、時間の経過は残酷なものです。

捜査が困難となり、証拠の収集がますますできなくなる、という現実があります。公訴時効制度は、この現実をもって、犯罪捜査にピリオドを打とうとするものです。いつまでも、昔の事件の捜査網を維持できない、金がかかる、という理由で。

しかし、考えてみれば、それは、お上の都合にすぎません。被害者・遺族の気持ちはどうなってもいいのでしょうか。

刑事法は、犯罪抑圧に効果を発揮しなければなりません。人を殺しても、15年(今は、25年)潜伏すれば、まさに無罪放免という制度が、果たして犯罪抑止力になるでしょうか。逆効果だと思います。

私は、殺人など一定の凶悪犯罪に対しては、一切、公訴時効を廃止すべきだと考えます。
 
凶悪犯罪の犯人に、逃げ得を許すべきではありません。むしろ、殺人などの凶悪犯罪に及べば一生逃げられないのだ,かならず法の裁きを受けるのだという法制度が、常識的な国民感情ではないでしょうか。

 
公訴時効廃止論に対して、えん罪を生むではないか、という議論があります。
 
捜査機関が、むりやり犯人を仕立てないと、事件が終わらない,という理屈です。むりやり犯人にされても、無罪を主張する証拠が見つからない、というのです。

しかし、それは違うでしょう。もともと、時の経過により,証拠が薄れるのは、やむを得ないことです。

えん罪が作られる前に、犯人であることを立証すること自体、難しいのが現実なのですから。

とはいえ、証拠が残っていても、公訴時効を理由に、犯人を処罰できない、とする方が不合理だ、と言いたいのです。「逃げ得」を許さない健全な社会。そんな社会であるべきです。

いま、法務省で、公訴時効制度の存廃について,勉強会が開かれているようです。

だけど、役人の頭で考えてはいけません。一般常識人から見た、安全な社会を作るためには、どんな制度であるべきか、を再検討すべきです。(完)

2009年08月09日

◆裁判員制度が下した「懲役15年」の重み


                   
                川原敏明

東京都足立区の路上女性刺殺事件。

東京地方裁判所は、殺人を犯した被告人に対し、懲役15年の実刑判決を言い渡しました。

裁判員制度のもとで、初めての判決でした。
数日間にわたる集中審理のもとで、3人の裁判官と6人の裁判員が決めた結論です。

この判決に対し、法律家のプロが、「やや重い」とかの評価を重ねています。

しかし、プロの評価は、あくまで、今までの裁判例を見ての見解にすぎません。

従前の刑事裁判は、殺人犯人に対し、「人を一人殺せば、懲役○年」などと、裁判所内部でマニュアルを作っていて、どんな極悪犯人でも、形式的な量刑内で判決が言い渡されてきたように思えます。
 
しかし、それがいけないのだ、という認識のもとに裁判員制度が生まれたはずです。

長年、刑事裁判に携わることは、被告人も、被害者も、「人間」として見えにくくなってくるのではないでしょうか。
その結果、市民感覚からすれば、日本の刑事裁判がいかに甘いかを実感してきました。

しかし、処罰の甘い社会は、犯罪の増加を生みます。社会の常識からはずれた甘い刑事判決は、問題です。

今回の、殺人事件に対する「懲役15年」。一般常識がもたらした判決です。

決して「やや重い」のではなく、これが、社会が納得する判決だと思います。

最高裁判所は、裁判員制度の広報映画に、女優のノリピーこと酒井法子を主役として登場させ、裁判員を演じさせました。その酒井法子に対し、裁判所は、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状を出しました。
 
最高裁判所は、約7000万円の巨費を投じてDVDやポスターを作成し、裁判員制度を広報しだし、全国の裁判所に酒井法子のポスターが張り巡らされていたのです。
 
しかし、彼女が8日夜逮捕されたことで、最高裁判所は、急遽、すべてのポスターを撤去し、DVDを回収してしまいました。
 
酒井法子は、DVDやポスター以外でも、主役を演じてしまい、裁判員制度は、ますます世間に認知されることでしょう。

何とも皮肉なことです。
   

2009年08月01日

◆行政書士は離婚相談に応じられないのか


                  川原敏明

大阪弁護士会が、NHKドラマ「コンカツ・リカツ」で、行政書士さんが離婚問題をアドバイスするシーンに、クレームを付けたそうです。弁護士以外の者が、報酬目的で法律事務を取り扱うことは弁護士法に違反することになり、行政書士さんの違法な場面を放映するな、というのです。

たしかに、その場面だけをとらえたら、大阪弁護士会の言うことも、わからないではありません。

でも、行政書士は、官公庁に提出する文書の作成が仕事の内容です。依頼者から、離婚に関連する書類を作れと言われ、離婚すべきか、離婚のメリット・デメリットを説明するのも、行政書士の仕事でしょう。

私は、今回の大阪弁護士会のやり方を見て、思いました。ゲスな言い方をすれば、なんと「ケツのアナがちっちゃい」のか。大阪弁で言えば、「ミミッチイ」問題提起をしたものだ、と。

今回の大阪弁護士会の問題提起の背景は、明らかに、弁護士人口増大に伴う弁護士業務の囲い込み、があります。

しかし、私は、弁護士側に問題があると考えています。

今までの弁護士。多くの人が離婚問題を悩んでいるのに、どれほどの弁護士が、真剣に取り組んできたのでしょうか。離婚に関連する年金問題など、新しい法改正に、適切に対応できる弁護士がどれほどいるのでしょうか。

超難関の司法試験合格にあぐらをかいてきた弁護士の傲慢な態度に、庶民の悩みをともに解決しようとする姿勢が見えないのではないでしょうか。

弁護士も、幅広い法律知識を駆使し、行政書士に負けない努力をすべきでしょう。弁護士が、真剣に、心の底から依頼者の悩みを受け止めて、あらゆる観点から法的措置を講ずるならば、行政書士に負けない仕事ができると思います。
 
ましてや、離婚裁判など、弁護士しか代理行為ができないのですから。

2009年07月19日

◆国際離婚で、子供を国外に奪うな



                                   川原敏明

最近、国際結婚が増えています。それに比例するように国際離婚も増加の一途をたどっています。
 
日本で、外国籍の女性と婚姻し、子供をもうけたものの、婚姻生活が破綻し、たため、母親が、子どもを連れて、母国に帰ってしまったケースがあります。
 
日本国内に子どもがいる限り、たとえ外国籍の母親が、子どもを不当に父親から引き離したとしても、刑法や人身保護法など、日本の法律により、それなりに対応することが可能です。

しかし、裁判権の及ばない外国に子どもを連れ去られた場合、他方の親が、果たして子どもを日本に連れ戻すことができるのでしょうか。
 
最近の事例では、夫と不仲になった妻が、子どもを連れてそのまま母国に戻ってしまったため、父親は、子どもと生き別れ状態になったケースがあります。

夫婦が不仲でも、互いの親は、子どもとは血縁関係にあります。親が、子どもと会える(面接交渉権)のは、人間として当然の権利です。 たとえ、国境を異にしても、親が子どもに会う権利を奪ってはいけません。
 
この問題では、日本側に問題がありそうです。

1980年(昭和55年)、ハーグ条約というのが制定されました。この条約は、加盟国間において、親による国際的な子どもの連れ出し行為に対して、迅速な子どもの返還を請求できることになっています。日本が、この条約を批准(承認)し、国内法を整備すれば、一方的に連れ去られた子どもの返還が可能になるのです。欧米を中心として、すでに、世界の80か国近くが批准し、条約加盟国になっています。

先進国ではほとんど加入しています。

国際離婚して、日本に子どもを連れ帰る日本人妻が多く、現に、カナダやアメリカから、条約を批准していない日本が批判を浴びています。どうも、アジア系の国々が加盟しておらず、人権感覚の後進性を疑われています。

日本が加盟すれば、逆に、外国に子どもを連れ去られた場合でも、ハーグ条約によって、加盟国に対し、この引き渡しを求めることが可能になるのです。


2009年06月21日

◆生の終点は「脳」か「心臓」か



                        川原俊明

臓器移植法改正案(A案)が、衆議院を通過し、参議院で審議されることになりました。この法案は、臓器移植が可能となる提供者の死亡時期が、たとえ心臓が動いていても、脳が機能停止になれば、その段階で人の死を認定するものです。
 
現行法では、臓器提供に限って「脳死は人の死」と定義していますが、改正案は、一律に「脳死は人の死」と規定されています。

今回の改正案は、臓器提供の機会を増加し、移植を必要とする患者の一人でも多く救済を図ろうとするものです。 また、提供者の年齢制限が撤廃され、15歳未満の子どもも、提供者になり得えます。

人の死を、どの時点で判断するか。

この議論は、わたしたちが、司法試験受験生の時代からも、議論のあったところです。 単に、臓器提供に適するかどうか、という問題だけではありません。人の人生観、宗教観のつながるものです。

以前は、心臓停止こそが死でした。

たとえ、数年まえから、脳が機能停止状態となっていても、人工呼吸により心臓さえ動いていれば、たとえ植物人間であろうとも、「まだ、生きている」と理解されていたのです。

医療技術の進歩は、ますます、客観的に回帰不能な患者を長年にわたり、生きながらえさせています。
たとえ脳が機能しなくても、心臓が動いていてくれれば、ずっと「生きていて欲しい」と考えるのも、大事な考えです。

しかし、それにより、患者を見守る家族が不幸になることも、ないわけではありません。要は、患者を見守る家族の意思を尊重すべきです。

患者を生死の判断は、家族の意思が関わる必要があると思います。