2010年04月01日

◆日弁連の役割は

川原俊明

平成22年3月、日弁連の新会長に宇都宮健児氏が、当選されました。日弁連選挙としては、極めて珍しい再選挙での当選。
 
司法試験合格者の低減を標榜し、若手弁護士票を一気に集めたと見られています。 若手弁護士の勤務・業務形態をとらえて、イソ弁(いそうろう・勤務弁護士)から、ノキ弁(法律事務所のノキを借りるたとえ)、宅弁(自宅開業弁護士)、即弁(登録して直ちに独立開業)など、さまざまな新語が生まれました。

新語が現れるほどに、新しくバッチをつける弁護士の就職難は、依然として厳しいものがあります。

 若手弁護士にまつわる、さまざまな新語。
最近乗ったタクシーの運転手が、これを話題にしてくれました。 それほどに、法曹人口の増大、これにともなう就職場面でのひずみが、社会の多くの人々に知れ渡っているのだと、痛感しました。
 
私も、日弁連(日本弁護士団体連合会)に関心の薄いノンポリ弁護士です。

「こんな日弁連に誰がした?」
最近、平凡社新書として刊行された表記の新書を熟読し、弁護士会が主張するような「法曹一元」が、幻想に過ぎないことを認識しました。

弁護士からの裁判官志望者が、極めて少ない現実を見ると、いくら弁護士を増やしても、すべての裁判官を弁護士経験者で構成する、とする法曹一元論者の「裁判所支配」論は、非現実的です。

幻想の「法曹一元」論実現のために、現実を見ないで突っ走った日弁連の弁護士人口増大構想。「法曹一元」が実現する前に、弁護士同士の過当競争と、弁護士の質の低下による自己崩壊が目に見えています。

従来の日弁連執行部が提唱した司法試験合格者数3000人構想は、弁護士業界の実態とかけ離れているし、多くの弁護士の意見を反映したものか、今では、疑問を感じます。

同時に、今の日弁連が、弁護士業界全体の将来を真剣に考えているのか。私には、このような根本的な疑問を払拭できません。

前記書籍は、私に弁護士業界の問題を提起をしたものとして評価しています。



2010年03月18日

◆子供を差別するな

川原俊明

政府は、小中の義務教育だけでなく、高校に対しても、授業料などの無償化を実現しようとしています。 これは、大変結構なことです。

日本のように、天然資源の乏しい島国にとって、人的資源こそは国の財産であり、国の発展に不可欠な要素です。 戦後、日教組主導の下での教育は、何かにつけて「平等であること」が、すべてでした。

そのせいか、「出る杭」に対する「モグラたたき」は、日本社会では、相当な圧力となっています。でも、それだけでは、秀でたリーダーが育成できません。

 日本の戦後教育が忘れていたこと。 それは、エリートの育成でした。
 
その結果、日本の政治世界は、三流政治家ばかり。世界で通用する人は、わずかです。 「第二の経済大国」の看板も、もうすぐはずされる運命にあります。

政治的後進国、経済的後退国の原因は、決して、少子化現象、老人大国化だけが原因ではありません。 日本の政治姿勢に、原因があります。

政治家は、選挙だけを目当てにした行動に終始し、国の将来を見据えることができない人が多いからです。 政治家の、ケツの穴の小さな考えが、日本の国力を削いでいます。

政治家は、もっと大きな度量を持つべきです。

少子化問題一つにしても、今の日本国民の人口だけを基準にして、物事が考えられています。 戦前でさえ、多くの国民が飯が食えないとき、日本は、大規模なブラジル移民政策を断行したではないですか。 国境線なんて、宇宙から地球を見ても見えないし、人為的なものに過ぎないのです。
 
今の少子化現象を解消するには、近隣のアジア諸国との交流を重ね、日本に多くの若い優秀な人材を取り込むべきです。 元々、日本が、大和単一民族だ、と言う偏見教育そのものが間違っているのです。

日本国成立の歴史的背景、また、地球的規模の観点から見て、プレートの移動によって分離された今の日本は、もともと大陸と地続きだったのですから。 今の日本人は、アジア系の他民族の結集によって成り立っているのです。

そんなことを考えれば、政府は、高校無償化の対象から、朝鮮高校を除外すべきではありません。 私たちは、北朝鮮に対し、拉致問題は、糾弾すべき問題です。 しかし、それとこれとは、全く別問題です。長年、日本に暮らす朝鮮の人々の家族である高校生に対し、日本の高校生と、何も取り扱いを区別すべきではありません。

むしろ、日本の度量の広さを全世界にアピールすべきでしょう。

朝鮮高校の生徒達も、将来にわたって日本社会に同化して生きていくのです。 このことは、日本の少子化対策に有効な手段となるはずです。

大局的に考えて、どこの国の子供であろうが、平等に扱うべきです。 日本国憲法は、国民の平等をうたっています。(憲法第14条)
 
この精神は、日本国民だけでなく、日本に住むすべての人々に、適用すべきものです。(完)


 

2010年03月12日

◆殺人罪の時効廃止は憲法違反か

川原俊明

刑事事件でも、民事事件でも、時の経過とともに、過去の権利関係は、曖昧になってきます。

証拠が散逸し、明確な立証ができないにもかかわらず、過去の権利主張だけがいつまでも持続すると、現在の社会秩序が混乱します。平穏な社会の形成に不安定要素を残す結果となります。

民事関係では、特にそうです。

長年の間、権利主張をしなかった者の主張を認めず、現在の権利関係を尊重するためには、時効制度により「権利主張の制限」をするのもやむを得ないことです。

人間は、過去のことはすぐに忘れるものだからです。現在の権利関係を尊重することは、むしろ、社会の安定につながります。

ところが、刑事犯罪の場面では、かなり様相を異にします。家族にとって、身内を殺害された恨みは、一生消えることはありません。にもかかわらず、今までの刑事訴訟法は、被害者の感情を余りにも無視してきたように思います。捜査機関の捜査の煩わしさを考慮に入れ、時効制度を活用して、さっさと刑事事件の幕引きをしようとしてきました。

しかし、それでは、刑事事件における、被害者の立場はどうなるのでしょうか。

犯人の逃げ得は、絶対に許されません。癒されないほどにダメージを受けた被害者感情を考慮すべきです。何十年かかろうと、犯人を見つけ出して、刑事制裁を科すのが、国家の使命でしょう。

今般、殺人罪など、重要犯罪に、時効制度を撤廃し、逃げ得を許さない、という方向に、刑事訴訟法改正案が国会に上程されそうです。考えてみれば、こんなこと、当たり前のことかも知れません。

 「公訴時効が過ぎたから、正直に白状するけれど、俺は、30年以上も前に人を殺した。」と公言し、その供述どおり、犯行現場から遺体が発見された、とします。公訴時効制度を理由に、その人物を無罪放免するしか、手の下しようがないとすれば、世の中、明らかに間違っています。

 特に、刑事事件において、公訴時効制度撤廃の議論は、憲法違反の疑いがある、との議論もあります。

 憲法第39条〔刑罰法規の不遡及、二重処罰の禁止〕
何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

抵触する可能性がある憲法条文は、これでしょう。

しかしながら、刑罰法規の不遡及とされるのは、事件当時、当該行為が適法とされていたのに、後日成立した法律で、刑事処罰されることはない、というものです。現代の社会では、あたりまえのことです。

ところが、公訴時効制度撤廃の議論は、刑罰法規の不遡及とは、似て非なるものです。その犯罪行為に対する処罰を、時間の経過によって証拠も甘くなってくるし、刑事裁判にかけないでおこう、とするのが、公訴時効の趣旨なのです。

公訴時効が問題となるのは、もともと刑事法に抵触する犯罪行為の存在が、前提となっています。もともと、当該行為は、犯罪行為として違法だったのです。

ですから、適法であったものを、法律で、後日、違法にするのではありません。 ですから、公訴時効制度を撤廃しても、決して憲法に違反しないのです。 悪を、のさばらせてはなりません。


2010年03月05日

◆弁護士費用保険を活用すべし

川原俊明

ドライバーにとって、安全と事故は、紙一重。道路上においては、どんなに自分だけが安全運転していても、被害者となりことがあります。

もともと、生身の人間が、鉄のかたまりを高速で動かすこと自体、ぶつからない方がおかしなことだと思いませんか。
その意味で、交通事故場面では、被害者になったり加害者になったりすることは、日常茶飯事と割り切らなければなりません。

こんな交通事故案件を取り扱っていて感じることは、任意保険に特約でつけた弁護士費用保険を活用する人が増えてきたことです。

交通事故事案では、たいてい、過失認定、怪我と事故との因果関係、逸失利益の算定、慰謝料算定、といった法律問題について、どうしても争いが生じがちです。

なぜなら、ドライバーの誰もが、事故を想定して運転していないために、事故当事者が、一瞬の事故状況を正確に把握してないからです。

そんなときに、加害者被害者双方が、口角泡を飛ばして喧嘩していても、埒があきません。弁護士に委ねるのが、自然でしょう。そんな意味で、弁護士費用が、わずかな追加保険料で、保険担保されるのは、いいことだと実感しています。

病気治療の場合にも、日本では、国民皆保険制度が取られています。それなら、交通事故に限らず、法的紛争のすべての場合において、弁護士費用保険が設定されていれば、いつでも安心して弁護士に頼ることができるのです。

裁判員制度など、法律が身近になればなるほど、弁護士を手軽に利用する制度が必要です。
単なる弁護士の宣伝というよりも、私は、法治社会における理想を追い求めているのかもしれません。(完)



2010年02月10日

◆「信頼」は社会の基本

川原俊明

世界のトヨタに対する信頼が、揺らいでいます。アクセルやブレーキの効きに問題がある、とされています。

昨年、アメリカで発生したレクサス車の衝突事故も、懸念材料となって問題を引きずっています。

しかも、ハイブリッドの最先端を行く新型プリウスにも、ブレーキの効きが問題視されています。

日本が誇るハイブリッド車の象徴だけに、手痛い指摘となっています。

ただ、クルマは、人間の生身を乗せて走る器だけに、安全性は、絶対でなければなりません。トヨタの責任者が、「運転者の感覚の問題」と説明するようではいけません。

たとえブレーキの効き方が,ABSという高度なブレーキシステムによるものであるとしても、すべての運転者が、安心して運転できる「アクセルとブレーキ」が必要なのです。

トヨタは、車両を、システムに合わせるのでなく、人間の「安全認識」に合わせて、早急にソフトを改良すべきでしょう。アメリカや欧州で、GMやフォード、さらには韓国の現代自動車が、トヨタ車からの乗り換えキャンペーンを実施しています。

競争相手に、「敵失」を与えたわけですが、トヨタにとっては、良い反省の材料ではないでしょうか。車両は、「安全」がすべてですから。

今年に入ってから、東海道新幹線の架線切断事故が発生し、開業以来ともいえる大規模な運行停止の事態に見舞われました。原因は、パンタグラフに取りつけるべき、一本のネジの閉め忘れ。

これも、現代日本の実情を反映しているのではないでしょうか。 新幹線の管理作業員の「プロ」感覚は、どこに行ったのでしょう。

ネジのゆるみは、日本社会にガタが来ていることの象徴だと思います。 政治家のトップクラスが、金に汚れているようでは、国民は、誰もついてきません。

 一国の長たる内閣総理大臣が、黒幕のご機嫌伺いをしながら、政治をしているようでは、日本はダメになります。

今の日本が置かれた社会経済的立場は、開国時代の黒船来襲どころでないことを、みんなが理解すべきです。命をかけ、私財を投げうって、日本の未来のために身を捧げた明治の政治家たちを見習うべきでしょう。

私たち法曹も、裁判員制度を含め、国民の信頼を得た仕事をしているのか。このことを、我が身に振り返って、考える必要があります。


2010年01月18日

◆検察と政権の異常な対決構造

川原俊明

東京地検特捜部は、平成22年1月15日、民主党小沢幹事長の元秘書であった石川衆議院議員、大久保公設秘書らを、政治資金規正法違反の疑いで逮捕しました。

小沢幹事長の政治資金管理団体である陸山会が購入した土地の購入資金について、政治資金収支報告書に虚偽記載がある、というのです。
 問題の土地は、小沢幹事長が、個人で4億円を出資した、と陸山会は説明しています

しかし、当時、小沢幹事長のお膝元である岩手県において建設中の胆沢ダム工事を担当した建設業者は、5000万円を石川議員に渡した、と供述しています。

これでは、政治資金規正法違反どころか、小沢幹事長に対する収賄容疑まで、におってきます。

しかし、検察は、あくまで陸山会の政治資金収支報告書に対する疑義を唱え、会計責任者であった石川議員らを逮捕したのであり、民主党や政権の政治姿勢を何ら問題にしているものではないことは、明らかです。

検察の独立。

検察庁は、法務省の組織に属しています。
検察は、法務大臣の指揮下にあります。法務大臣は、内閣総理大臣の指揮下にあるのです。

しかし、時の内閣総理大臣が、検察を批判し、検察が、総理大臣の顔色をうかがいながら、事件を捜査するようなことになれば、一体誰が、政治家の悪をあばける、というのでしょうか。

鳩山首相は、1月16日の民主党大会で、小沢氏の検察批判に、軽率にも、同調発言をしています。

しかしながら、小沢幹事長は、国民に対し、今だ、まともな弁明をしていないのに、内閣総理大臣たる鳩山首相が、同調発言をすることは、民主党の体質を疑います。

検察は、法務省の中にありながら、裁判所と共に、司法の一翼を担っています。

行政機関である内閣、立法機関である国会とともに、三権分立体制のなかで、司法の独立は、国家機関に対する大変重要な牽制作用があるのです。

検察は、かつての自民党政権時代、元総理大臣田中角栄を、ロッキード疑獄事件として逮捕し、起訴に持ち込んでいるのです。

検察の独立体制は、国民のために、大変重要な役割を担っているのです。

2009年12月31日

◆選挙権の不平等は民主主義の破壊

川原俊明

今年の夏、衆議院議員選挙がおこなわれました。自公政権から民主党中心の政権交代が大きな脚光を浴びました。

しかしながら、国政の選挙制度のなかで、もっと根本的なことが、長年にわたり封印されてきた事実を指摘する必要があります。

それは、国民の「選挙権の平等」が無視されてきたことです。
 
もともと、民主国家では、個々の国民の権利が平等に扱われることを前提に、各種の国民の権利義務が認められています。
 
憲法第14条〔法の下の平等〕
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

その前提に立って、国民は、自分たちの代表者を選出する権利があります。

憲法第15条〔公務員の選定罷免権、普通選挙の保障〕
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

ところが、憲法制定以降、都会と地方の人口格差が拡大するに伴い、国民の選挙権の価値が、地域によっては、5倍近くになることもありました。

議員一人あたりの有権者数の格差。このことを、国民一人一人から見たら、A地域では、B地域の国民の選挙権と比べて、5分の一しか値打ちがない、という現実が生じているのです。

同じ国民でありながら、1票の値打ちが、他の地域の国民と比べて5分の一でしかない、という現実。

これに対し、最高裁判所は、2007年7月の参議院議員選挙において発生した5倍の格差がありながら、「違憲ではない」、との結論を出しています。

しかし、この最高裁判所の判断は、民主主義の破壊につながります。

司法は、立法行政と並ぶ、三権の一翼を担っています。国民の権利を守る最後の砦が最高裁判所であったはずです。立法府の国会議員が、自分たちの選挙地盤を守るために地盤の分割を認めない、など、議員の既得権益を排除し、国民にとって、平等扱いされる選挙権を守ることが司法の役割であります。

今般、大阪9区の衆議院議員選挙において、2倍の選挙格差があったことをもって、大阪高等裁判所が、違憲判決を下しました。平成21年12月28日

大阪の裁判官の勇気にエールを送ります。もちろん、大阪高等裁判所の違憲判断なので、さらに上告され、最高裁判所で、最終判断がなされることになります。

最高裁判所が、過去の判例にとらわれず、既成観念を打破し、平和憲法を素直に理解すれば、2倍を超える格差をもって、「憲法違反」を宣告すべきは、当然のことでしょう。

同時に、司法に携わる私たちは、よりよき社会の建設に力を注ぐ必要があります。(完)    <弁護士>

2009年12月27日

◆PC解析の追跡調査で成果

川原 俊明

東北のある会社役員から、依頼が舞い込みました。大阪の会社に10年も勤めていた息子さんが、会社とのトラブルが原因で、連絡がつかない状態がすでに2か月経過した、というのです。

会社からは、ご両親に対し、連絡の取れない息子さんのトラブルを理由に、身元保証人としての賠償請求が求められていたのでした。

ご両親としては、会社とのトラブル内容が掴めず、会社との対応に苦慮したことから、すべてを法律事務所に依頼することになったのです。最初、興信所に依頼しようとされていました。

しかし、費用が多額すぎるばかりか、もともと息子さんの所在調査も、掴み所のない事案として、迷宮入りしかけていたのです。

当法律事務所では、まず、息子さんの勤務先である会社と、ご両親の関係を、法的に整理することにしました。

身元保証に関する法律。
身元保証して5年経過すれば、もはや、法的には保証債務を負わない。これは、会社にとって、見ず知らずの新入社員の行動保証が目的で身元保証人を立てさせるのですが、入社後5年も経過すれば、その社員の行動は、身元保証人でなく、会社自身が責任を持つべきだからです。

勤務先には、弁護士から、ご両親に法的債務が存在しないことをお伝えした上、道義的な対応は、息子さんの所在が判明してから、という方針を伝えました。まずは、行方不明になった息子さんの所在調査が先決です。

ご両親と家主さんの協力を得、行方をくらませた息子さんのマンションを訪ねました。郵便物や、息子さんの連絡先の手がかりを探ろうとしたのです。

すると、部屋の中に雑然と積まれたゴミの山から、「1台のパソコン」が姿を現しました。現代人は、パソコンを、住所録やメール発信手段に使うことが多いので、パソコン解析に狙いをつけました。特殊業者に依頼し、引き揚げたパソコンの解析をはじめました。

通常、プライバシー保護のため、暗証番号など、容易にパソコンのデータを解読されないようキーをかけている場合が多く見られます。案の上、息子さんのパソコンも、暗証番号が必要でした。しかし、そこは、パソコンに詳しい特殊業者。

暗証番号をかいくぐり、パソコンのデータをすべて解析することに成功したのです。
解析されたデータをもとに、住所録、メール送受信のデータをフルに使い、今度は、法律事務所から、すべての連絡先に、問い合わせメールを一斉送信しました。

その結果、息子さんの友人に、法律事務所からのメールが届いたようです。早速、行方不明だった息子さんから、法律事務所に連絡がありました。狙ったとおり、パソコン解析は、大成功を収めました。

その後、法律事務所にやってきた息子さんから事情聴取を終え、事件は、終盤戦に向かうことになりました。当法律事務所は、行方不明者調査で、興信所以上の大きな成果を生むことができました。

同時に、弁護士には、依頼者であるご両親の安堵の顔が目に映りました。(完)
                           <弁護士>


2009年11月23日

◆1通の手紙

川原俊明

1通の手紙によって、家屋明渡執行が回避できました。

1年半もの長い間、賃料滞納の事態が発生。人の良い家主さん。ようやくしびれを切らし、K弁護士に相談したのです。

当然のことながら、賃貸借契約の即時解除。これを前提とする明け渡し判決。ところが、訴状の送達から判決の送達まで、すべて受領を拒否し続けてきた相手方。よほどの事情があったのでしょうか。

しかしながら、家主にとって、契約当初から賃料を支払わぬ借主を住まわせるわけにはいきません。それが契約(約束ごと)なのですから。

私たちは、家屋明渡の判決を得て、強制執行を申し立てました。
大阪地方裁判所執行官とともに、相手方の住むマンションに立ち入り、動産を差押さました。そして、1か月後に来るべき強制執行日を予告したのです。相手方不在の部屋に、執行予告通知を貼り付けました。

私たちは、その後、何度も現場を確認し、相手方に、任意明渡を勧める書面を送り続けていたのです。しかし、法律事務所から、何度も書面を送り続けているのに、全く反応がなかったため、相手方は、よほどの悪質な入居者だ、と考えていました。

同時に、私たちは、強制執行を実施するにあたり、相手方の住民票を取り寄せ、家族調査をしました。
 
その結果、相手方の家族には、高校生の息子と娘がいたことがわかりました。私は、これらの事情を踏まえ、もはや「最後通告」、の意味で、相手方に、次のような1通の手紙を書きました。

「1年半も家賃滞納していれば、追い出されても仕方がないけど、子供達に、強制執行の残酷な場面を見せないよう、任意で明け渡すよう勧めます。」
「強制執行は、子供達の大事な思い出のものまで、ゴミと一緒に処分されてしまいます。」
「私にも子供がいます。罪もない子供達の大事な思い出までも、ゴミと一緒に処分されるのは、あまりにもかわいそうです。」

しかし、私は、手紙を何度も送り続けているのに、相手方からは、まったく連絡がありません。相手方が手紙を読んだかどうかわからことため、直接、届けることにしたのです。それも、私の息子が経営するビジネスサポートのB社に依頼して。

手紙を届けた翌日、私の意図が、ようやく相手方に通じました。相手方から、ついに法律事務所に電話連絡が入ったのです。それまで、訴状から判決文に至るまで、一切無視されていていたのに・・・・。

今日の午後、相手方から電話がありました。 「会いたい。」と。

不況下で仕事にあぶれた相手方。 以前、所有だった自宅は、ローンが支払えず、競売で追い出をくらう。以前から迷惑をかけた祖母には、この一年、連絡も取っていない。相手方は、私に、このような事情を語ってくれたのです。

父親の苦労を目のあたりにした長男。裁判所や法律事務所から送付されてくる書類を一切、父親に隠していたそうです。

ところが、昨夜、娘や息子から、隠していた手紙を見せつけられ、相手方は、あわてて法律事務所に電話したそうです。 
  
そして、私は、相手方の事情を踏まえ、次のように言いました。
「子供たちを泣かすな。」
「この連休中に、任意で明け渡せ。」
「当面、祖母に頭を下げてでも、孫を預かってもらえ。」
「今は苦しいけれど、きっと良いことがあるから、我慢してがんばれ。」
「任意に明け渡すなら、すでに動産執行で差し押さえているテレビなど、必要な家財道具は持って行きなさい。私が目をつぶるから。」

のちほど、相手方から、私宛に電話がありました。「祖母が、しばらく子供達を置いてくれることになりました。」、と。
相手方の子供二人の将来を考え、ベストの状態で、任意明け渡しを確認した次第です。(完)2009.11.21

2009年11月08日

◆議員立法権の剥奪は憲法違反

川原俊明

民主党政権になって、思い切った改革を打ち出す姿勢には、評価できるものがあります。

しかし、民主党小沢代表は、何か勘違いしているところがあります。

いくら、先の衆議院議員選挙において大勝し、手柄を立てたからといって、国会機能の根本的なことまで、口出しすべきではありません。

一番気になるのは、法案提出権を政府(内閣)に集約し、国会議員の議員立法権を民主党議員から剥奪する方針が見られることです。
憲法第41条は、国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である、と定めています。

それならば、国会議員は、どこの党に所属していようが、立法機関を構成する国会議員が、議員立法権を行使することは、憲法上の権利として当然のことです。一党派の代表者の一言で、憲法をゆがめてしまうような方策をとる様なことは許されないのです。

むしろ、小沢方針は憲法違反も、いいところです。

民主党国会議員も、小沢党首の言いなりであることが、逆に怖いです。国民も、憲法を知らない国会議員をたくさん生み出してどうするのでしょうか。

民主党に対しても、独裁政党と言われかねないことになります。民主党国会議員は、堂々と小沢方針に反対意見を主張する勇気がないのでしょうか。

国会議員は、国を憂う者として、憲法を学び、自分の信念をもって、国をリードすべき立場にあります。そのはずの国会議員の、不思議な沈黙は、国民の反発を買うことになりかねません。

民主への風が、いつまでも吹いているわけではありません。逆風もあるのです。普段から、どんな立場にあっても、自分の信念や意見を堂々と言えなければなりません。国会議員たるもの、国民の代表なのですから。  2009.11.05

2009年10月04日

◆夫婦は「同姓か、別姓か」

川原俊明


日本で、戦後初の本格的政権交代。民主党政権になって、夫婦別姓論議が再燃してきました。夫婦関係にも革命が起こるのでしょうか。

現代の夫婦制度には、結婚した以上、同じ姓で一生を伴にするという欧米のキリスト教思想があります。

欧米では、夫婦同姓が原則の国が多いようです。欧米のファミリーネームという呼称も、その意味でしょう。欧米の法律を見習った日本の民法も、夫婦同姓を採用しました。

近代日本では、独自の家族制度と相まって、夫婦同姓が,当然のように定着しました。

しかし、考えてみれば、夫婦同姓は、生まれてから結婚するまで慣れ親しんできた一方の姓を、むりやり変える、ということでもあります。婚姻を機に、姓を変えないと、入籍できない、ということなのです。入籍しないと、相続時の配偶者相続制度など、配偶者としての多くの利益を享受できないのです。

ところが最近、婚姻しない男女が増えてきています。夫婦同姓は、多くの場合、女性側に、その「ムリ」を強いています。

一方で、経済的社会的に自立する女性が増えてきた現代日本。女性にとって、婚姻のために姓を変えることが不利益だと認識する場面が、以前に比べて急激に増加しているのではないでしょうか。女が結婚しないのは、弱体化した男のせい、という意見もありますが・・・。

夫婦同姓の強要は、昔ながらの家族制度の押しつけ、とする意見があります。かといって、夫婦別姓が、近代的・民主主義的なのでしょうか。
 
中国・韓国では、夫婦別姓が基本になっています。儒教の国々では、男系社会の思想が強く、女を家に入れない、という考えが前提になっている、という解釈があります。
 
世界の様々な思想・宗教が、現代の夫婦の形態を形作っているようです。

 
現代日本の夫婦の姓はどうあるべきか。まさに、個々の夫婦による「選択制」を採用すべきでしょう。二人で決めればいいことです。

同姓でも別姓でも、原則はなく、婚姻の届け出時に、いずれかを選択できるようにすべきです。

すでに、日本では、離婚時に、婚姻時に変更した姓を、そのまま継続するか、旧姓に復帰するか,の選択制が形成されています。

要は、何十年、夫婦として同じ姓を名乗っていた夫婦が、離婚しても、互いにそのまま婚姻姓を名乗って生涯を遂げてもいいのです。
 
であれば、夫婦の姓をきめるときも、夫婦になろうとする二人が、同姓・別姓の、どちらかに決めればいいのではないでしょうか。


2009年09月12日

◆ロースクール生の人生を狂わすな

              川原俊明

新司法試験の合格者発表がありました。

法科大学院修了者を対象とする新司法試験の合格者は2043人。
合格率は、27.6%でした。

法科大学院制度を設けた4・5年前、法務省は、合格率7・8割をうたい文句にして新制度を宣伝していました。
 
法曹を夢見たサラリーマンも、中途退社し、預金をはたいて、法科大学院の門を叩いたのでした。

しかしながら、現実の試験が始まると、合格率は、どんどん下がり、良くて30%台を維持するのが精一杯となりました。

では、どうして新司法試験に移行したのでしょうか。
従来の司法試験が、高度な法律知識ばかりを求めるために、偏った法律家が生まれることの弊害が指摘されていました。

長期にわたる受験勉強が、受験生の人間性をゆがめてしまいます。
受験専門勉強の必要から、司法試験受験予備校が繁盛します。
こんなばかげた実態を是正する必要があったのです。

新司法試験は、法律分野以外の社会人や、医師・技術者などの理系人間など、幅広い分野からも、法曹人を育てようというのが、目的でした。

当然ながら、昔の司法試験のように、合格率が、1〜2%程度では、ますます司法試験の勉強方法が効率化を求め、テクニックに特化していきます。

その結果、受験予備校全盛の弊害が生まれてしまったのです。
同じ民法でも、私たちの司法試験受験時代は、基本書を隅から隅まで読みこなし、オールマイティにこなせる勉強をしていました。最近では、試験によく出る箇所しか法律知識のない弁護士が出現する始末です。

それではいけないのです。

法律家は、幅広い教養と常識を身に付けたうえで、法律をまんべんなく理解し、多方面に活用できる法的訓練こそ必要なのです。

新司法試験の本来の趣旨は、多様な人材を法曹に集めること。

ところが、今年の結果を見ても、いわゆる「未修者」といわれる学生で、法律中心に勉強してきていない人材に対する合格率は、18.9%と、さらに低率でした。

地方大学の合格者が少ないなど、新司法試験は、すでに本来の趣旨が失われてしまったのではないでしょうか。

昨年頃から、新しく弁護士のバッチは付けたものの,就職先の法律事務所が見つからないなど、せっかく司法試験に合格したのに、ボスを見習って研鑽するという体制がとれない,という問題が発生しました。
 
オリックスの宮内さんが司法改革論議で唱えた合格者3000人体制を前提に、法科大学院を乱立させてしまった,国の責任は大きいものがあります。
 
しかし、それは、ロースクール生の責任ではないでしょう。法曹界の中で、新司法試験合格者に対する軽い評価を主張する人がいます。

でも、新司法試験が、「法律知識だけがすべてではない」という命題のもとで新たな制度を生み出したものであれば、合格時点での法律的素養を認定すればよく、高度な法律知識を求めてはいけません。
 
彼らの、今後の修練に期待すべきです。社会は、自ずと淘汰します。

今年の合格率は、昨今の弁護士就職難論争に振り回された結果だと思います。

すくなくとも、法曹への夢をもって、法科大学院の門を叩いたロースクール生には、新司法試験制度の趣旨に合わせた基準で、法曹の世界に送り出してやるべきです。

ロースクール生の人生を狂わせてはならないのです。(完)












2009年09月01日

◆最高裁裁判官の国民審査?

川原俊明


今回の衆議院議員選挙で、「政権交代」が行われることになりました。

しかし、最高裁判所裁判官には「政権交代」はありません。
 
憲法で決められた、最高裁判所裁判官のチェック機能は、現実には、全く果たされていないのです。
憲法第79条2項によれば、最高裁判所裁判官は、任命後、初めて行われる衆議院議員選挙の際、国民審査に付されることになっています。
 
ところが、国民の大半は、最高裁判所の裁判官が誰で、どんな判決に関わり、どんな意見をもっているのか、みんな知らないのです。それもそのはず。最高裁は、判決内容を国民に知らせる努力をしていないのです。

たしかに、最高裁判所のホームページからは、判決全文を見ることができます。しかし、このホームページを「お気に入り」に入れる奇特な方は、法律家を除き,いないでしょう。マスコミも、最高裁判決の結論だけを報道し、個々の最高裁判所裁判官の
意見を報道することはほとんどありません。
 
政治家は、失言を含めて、年中、国民やマスコミから叩かれているのですが、裁判官の意見は、国民から、まったく見えないのです。

でも考えれば、大変なことなのです。司法は、国家の三権の一つです。
 
法律を積極的に制定する立法機関(国会)を構成する国会議員に対しては、選挙という洗礼を受けます。司法機関(裁判所)の属する裁判官は、法律を適用し、具体的事案の解決を目指す役割を有しています。
 
国会で制定された法律を、一定の見解のもとに解釈し、当該事案にあてはめれば、同種事案は、その後、同様に解釈されることになり、一つの指針が生まれます。
 
それぞれの地方裁判所など下級審判例も、最高裁判所判決により、大きな指針が打ち立てられ、下級審の指導判例になるのです。
それが、憲法解釈だったらどうしますか。それは一つの立法と何ら変わらないのです。消極的な立法ともいえるのです。すなわち、裁判所は、立法機関ではないが,司法は、一つの権力機構なのです。

このことを考えたら、現実の国民審査制度は、国民を馬鹿にしている、と思います。

期日前投票においてもそうです。衆議院議員選挙には投票できても、国民審査の投票ができない現実があります。衆議院議員選挙は、公職選挙法により、投票日の12日以上前に公示することが定められています。そのため、公示日の翌日から期日前投票できます。

ところが、国民審査制度は、投票日の7日前からようやく投票できます。これでは、少なくとも4日間のタイムラグが生じ、投票日8日以上前の期日前投票では、衆議院議員選挙にしか投票できないのです。

私の場合もそうでした。それでも、本来の投票日にもう一度、投票所にでかければいいではないか,との意見があります。
しかし、当日にいけないから、期日前投票をするのでしょう。

個々の法律のブレに対しては、場合により,憲法第14条定められた、法の下の平等違反となります。最高裁判所国民審査法を憲法違反で訴え、最高裁判所裁判官に意見を求めたいものです。
 
陪審員制度が始まるなか、国民が、裁判にもっと関心を寄せ、個々の裁判官の動向を意識するようになります。そうであれば、地方裁判所裁判官の国民審査も必要かも知れません。
 
これは決して、できないわけではありません。憲法に規定がないだけで,法律に定めれば,実現可能です。要は、民主主義国家における裁判官は、「国民のための司法」をめざすべきであります。

旧態依然たる国の制度を維持するために国民を犠牲にしてはいけないのです。(完)