2009年09月01日

◆最高裁裁判官の国民審査?

川原俊明


今回の衆議院議員選挙で、「政権交代」が行われることになりました。

しかし、最高裁判所裁判官には「政権交代」はありません。
 
憲法で決められた、最高裁判所裁判官のチェック機能は、現実には、全く果たされていないのです。
憲法第79条2項によれば、最高裁判所裁判官は、任命後、初めて行われる衆議院議員選挙の際、国民審査に付されることになっています。
 
ところが、国民の大半は、最高裁判所の裁判官が誰で、どんな判決に関わり、どんな意見をもっているのか、みんな知らないのです。それもそのはず。最高裁は、判決内容を国民に知らせる努力をしていないのです。

たしかに、最高裁判所のホームページからは、判決全文を見ることができます。しかし、このホームページを「お気に入り」に入れる奇特な方は、法律家を除き,いないでしょう。マスコミも、最高裁判決の結論だけを報道し、個々の最高裁判所裁判官の
意見を報道することはほとんどありません。
 
政治家は、失言を含めて、年中、国民やマスコミから叩かれているのですが、裁判官の意見は、国民から、まったく見えないのです。

でも考えれば、大変なことなのです。司法は、国家の三権の一つです。
 
法律を積極的に制定する立法機関(国会)を構成する国会議員に対しては、選挙という洗礼を受けます。司法機関(裁判所)の属する裁判官は、法律を適用し、具体的事案の解決を目指す役割を有しています。
 
国会で制定された法律を、一定の見解のもとに解釈し、当該事案にあてはめれば、同種事案は、その後、同様に解釈されることになり、一つの指針が生まれます。
 
それぞれの地方裁判所など下級審判例も、最高裁判所判決により、大きな指針が打ち立てられ、下級審の指導判例になるのです。
それが、憲法解釈だったらどうしますか。それは一つの立法と何ら変わらないのです。消極的な立法ともいえるのです。すなわち、裁判所は、立法機関ではないが,司法は、一つの権力機構なのです。

このことを考えたら、現実の国民審査制度は、国民を馬鹿にしている、と思います。

期日前投票においてもそうです。衆議院議員選挙には投票できても、国民審査の投票ができない現実があります。衆議院議員選挙は、公職選挙法により、投票日の12日以上前に公示することが定められています。そのため、公示日の翌日から期日前投票できます。

ところが、国民審査制度は、投票日の7日前からようやく投票できます。これでは、少なくとも4日間のタイムラグが生じ、投票日8日以上前の期日前投票では、衆議院議員選挙にしか投票できないのです。

私の場合もそうでした。それでも、本来の投票日にもう一度、投票所にでかければいいではないか,との意見があります。
しかし、当日にいけないから、期日前投票をするのでしょう。

個々の法律のブレに対しては、場合により,憲法第14条定められた、法の下の平等違反となります。最高裁判所国民審査法を憲法違反で訴え、最高裁判所裁判官に意見を求めたいものです。
 
陪審員制度が始まるなか、国民が、裁判にもっと関心を寄せ、個々の裁判官の動向を意識するようになります。そうであれば、地方裁判所裁判官の国民審査も必要かも知れません。
 
これは決して、できないわけではありません。憲法に規定がないだけで,法律に定めれば,実現可能です。要は、民主主義国家における裁判官は、「国民のための司法」をめざすべきであります。

旧態依然たる国の制度を維持するために国民を犠牲にしてはいけないのです。(完)


2009年08月23日

◆凶悪犯罪に公訴時効は不要



川原俊明

1995年(平成7年)7月、東京八王子のスーパーで3人のアルバイト女子高生らが、頭部を至近距離で射貫かれて射殺された事件がありました。

残忍なこの事件は、私たちの脳裏にいまだに刻まれています。今日に至るも犯人が逮捕されていません。15年の公訴時効が、あと1年にまで迫っています。

平成16年に改正された現行刑事訴訟法は、殺人など死刑にあたる罪について、公訴時効を15年から25年に延長しました。(同法250条)
 
しかし、刑事法における不遡及の原則(不利益をさかのぼらせない)により、改正時以降の犯罪にしか適用されません。

最近、この事件に知人が関わったとする証言をもとに、中国に捜査員を派遣するそうです。
 
公訴時効という制度は、どんな罪を犯しても、一定の期間さえ経過すれば刑事裁判に持ち込めなくなり、結果的に「逃げ得」を許してしまうことになります。

この実体を国民が知れば、みんな、納得するのでしょうか。ましてや、犯罪被害者、その家族・遺族は、時の経過というだけで、犯人を許せるでしょうか。
 
もちろん、時間の経過は残酷なものです。

捜査が困難となり、証拠の収集がますますできなくなる、という現実があります。公訴時効制度は、この現実をもって、犯罪捜査にピリオドを打とうとするものです。いつまでも、昔の事件の捜査網を維持できない、金がかかる、という理由で。

しかし、考えてみれば、それは、お上の都合にすぎません。被害者・遺族の気持ちはどうなってもいいのでしょうか。

刑事法は、犯罪抑圧に効果を発揮しなければなりません。人を殺しても、15年(今は、25年)潜伏すれば、まさに無罪放免という制度が、果たして犯罪抑止力になるでしょうか。逆効果だと思います。

私は、殺人など一定の凶悪犯罪に対しては、一切、公訴時効を廃止すべきだと考えます。
 
凶悪犯罪の犯人に、逃げ得を許すべきではありません。むしろ、殺人などの凶悪犯罪に及べば一生逃げられないのだ,かならず法の裁きを受けるのだという法制度が、常識的な国民感情ではないでしょうか。

 
公訴時効廃止論に対して、えん罪を生むではないか、という議論があります。
 
捜査機関が、むりやり犯人を仕立てないと、事件が終わらない,という理屈です。むりやり犯人にされても、無罪を主張する証拠が見つからない、というのです。

しかし、それは違うでしょう。もともと、時の経過により,証拠が薄れるのは、やむを得ないことです。

えん罪が作られる前に、犯人であることを立証すること自体、難しいのが現実なのですから。

とはいえ、証拠が残っていても、公訴時効を理由に、犯人を処罰できない、とする方が不合理だ、と言いたいのです。「逃げ得」を許さない健全な社会。そんな社会であるべきです。

いま、法務省で、公訴時効制度の存廃について,勉強会が開かれているようです。

だけど、役人の頭で考えてはいけません。一般常識人から見た、安全な社会を作るためには、どんな制度であるべきか、を再検討すべきです。(完)

2009年08月09日

◆裁判員制度が下した「懲役15年」の重み


                   
                川原敏明

東京都足立区の路上女性刺殺事件。

東京地方裁判所は、殺人を犯した被告人に対し、懲役15年の実刑判決を言い渡しました。

裁判員制度のもとで、初めての判決でした。
数日間にわたる集中審理のもとで、3人の裁判官と6人の裁判員が決めた結論です。

この判決に対し、法律家のプロが、「やや重い」とかの評価を重ねています。

しかし、プロの評価は、あくまで、今までの裁判例を見ての見解にすぎません。

従前の刑事裁判は、殺人犯人に対し、「人を一人殺せば、懲役○年」などと、裁判所内部でマニュアルを作っていて、どんな極悪犯人でも、形式的な量刑内で判決が言い渡されてきたように思えます。
 
しかし、それがいけないのだ、という認識のもとに裁判員制度が生まれたはずです。

長年、刑事裁判に携わることは、被告人も、被害者も、「人間」として見えにくくなってくるのではないでしょうか。
その結果、市民感覚からすれば、日本の刑事裁判がいかに甘いかを実感してきました。

しかし、処罰の甘い社会は、犯罪の増加を生みます。社会の常識からはずれた甘い刑事判決は、問題です。

今回の、殺人事件に対する「懲役15年」。一般常識がもたらした判決です。

決して「やや重い」のではなく、これが、社会が納得する判決だと思います。

最高裁判所は、裁判員制度の広報映画に、女優のノリピーこと酒井法子を主役として登場させ、裁判員を演じさせました。その酒井法子に対し、裁判所は、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状を出しました。
 
最高裁判所は、約7000万円の巨費を投じてDVDやポスターを作成し、裁判員制度を広報しだし、全国の裁判所に酒井法子のポスターが張り巡らされていたのです。
 
しかし、彼女が8日夜逮捕されたことで、最高裁判所は、急遽、すべてのポスターを撤去し、DVDを回収してしまいました。
 
酒井法子は、DVDやポスター以外でも、主役を演じてしまい、裁判員制度は、ますます世間に認知されることでしょう。

何とも皮肉なことです。
   

2009年08月01日

◆行政書士は離婚相談に応じられないのか


                  川原敏明

大阪弁護士会が、NHKドラマ「コンカツ・リカツ」で、行政書士さんが離婚問題をアドバイスするシーンに、クレームを付けたそうです。弁護士以外の者が、報酬目的で法律事務を取り扱うことは弁護士法に違反することになり、行政書士さんの違法な場面を放映するな、というのです。

たしかに、その場面だけをとらえたら、大阪弁護士会の言うことも、わからないではありません。

でも、行政書士は、官公庁に提出する文書の作成が仕事の内容です。依頼者から、離婚に関連する書類を作れと言われ、離婚すべきか、離婚のメリット・デメリットを説明するのも、行政書士の仕事でしょう。

私は、今回の大阪弁護士会のやり方を見て、思いました。ゲスな言い方をすれば、なんと「ケツのアナがちっちゃい」のか。大阪弁で言えば、「ミミッチイ」問題提起をしたものだ、と。

今回の大阪弁護士会の問題提起の背景は、明らかに、弁護士人口増大に伴う弁護士業務の囲い込み、があります。

しかし、私は、弁護士側に問題があると考えています。

今までの弁護士。多くの人が離婚問題を悩んでいるのに、どれほどの弁護士が、真剣に取り組んできたのでしょうか。離婚に関連する年金問題など、新しい法改正に、適切に対応できる弁護士がどれほどいるのでしょうか。

超難関の司法試験合格にあぐらをかいてきた弁護士の傲慢な態度に、庶民の悩みをともに解決しようとする姿勢が見えないのではないでしょうか。

弁護士も、幅広い法律知識を駆使し、行政書士に負けない努力をすべきでしょう。弁護士が、真剣に、心の底から依頼者の悩みを受け止めて、あらゆる観点から法的措置を講ずるならば、行政書士に負けない仕事ができると思います。
 
ましてや、離婚裁判など、弁護士しか代理行為ができないのですから。

2009年07月19日

◆国際離婚で、子供を国外に奪うな



                                   川原敏明

最近、国際結婚が増えています。それに比例するように国際離婚も増加の一途をたどっています。
 
日本で、外国籍の女性と婚姻し、子供をもうけたものの、婚姻生活が破綻し、たため、母親が、子どもを連れて、母国に帰ってしまったケースがあります。
 
日本国内に子どもがいる限り、たとえ外国籍の母親が、子どもを不当に父親から引き離したとしても、刑法や人身保護法など、日本の法律により、それなりに対応することが可能です。

しかし、裁判権の及ばない外国に子どもを連れ去られた場合、他方の親が、果たして子どもを日本に連れ戻すことができるのでしょうか。
 
最近の事例では、夫と不仲になった妻が、子どもを連れてそのまま母国に戻ってしまったため、父親は、子どもと生き別れ状態になったケースがあります。

夫婦が不仲でも、互いの親は、子どもとは血縁関係にあります。親が、子どもと会える(面接交渉権)のは、人間として当然の権利です。 たとえ、国境を異にしても、親が子どもに会う権利を奪ってはいけません。
 
この問題では、日本側に問題がありそうです。

1980年(昭和55年)、ハーグ条約というのが制定されました。この条約は、加盟国間において、親による国際的な子どもの連れ出し行為に対して、迅速な子どもの返還を請求できることになっています。日本が、この条約を批准(承認)し、国内法を整備すれば、一方的に連れ去られた子どもの返還が可能になるのです。欧米を中心として、すでに、世界の80か国近くが批准し、条約加盟国になっています。

先進国ではほとんど加入しています。

国際離婚して、日本に子どもを連れ帰る日本人妻が多く、現に、カナダやアメリカから、条約を批准していない日本が批判を浴びています。どうも、アジア系の国々が加盟しておらず、人権感覚の後進性を疑われています。

日本が加盟すれば、逆に、外国に子どもを連れ去られた場合でも、ハーグ条約によって、加盟国に対し、この引き渡しを求めることが可能になるのです。


2009年06月21日

◆生の終点は「脳」か「心臓」か



                        川原俊明

臓器移植法改正案(A案)が、衆議院を通過し、参議院で審議されることになりました。この法案は、臓器移植が可能となる提供者の死亡時期が、たとえ心臓が動いていても、脳が機能停止になれば、その段階で人の死を認定するものです。
 
現行法では、臓器提供に限って「脳死は人の死」と定義していますが、改正案は、一律に「脳死は人の死」と規定されています。

今回の改正案は、臓器提供の機会を増加し、移植を必要とする患者の一人でも多く救済を図ろうとするものです。 また、提供者の年齢制限が撤廃され、15歳未満の子どもも、提供者になり得えます。

人の死を、どの時点で判断するか。

この議論は、わたしたちが、司法試験受験生の時代からも、議論のあったところです。 単に、臓器提供に適するかどうか、という問題だけではありません。人の人生観、宗教観のつながるものです。

以前は、心臓停止こそが死でした。

たとえ、数年まえから、脳が機能停止状態となっていても、人工呼吸により心臓さえ動いていれば、たとえ植物人間であろうとも、「まだ、生きている」と理解されていたのです。

医療技術の進歩は、ますます、客観的に回帰不能な患者を長年にわたり、生きながらえさせています。
たとえ脳が機能しなくても、心臓が動いていてくれれば、ずっと「生きていて欲しい」と考えるのも、大事な考えです。

しかし、それにより、患者を見守る家族が不幸になることも、ないわけではありません。要は、患者を見守る家族の意思を尊重すべきです。

患者を生死の判断は、家族の意思が関わる必要があると思います。

2009年06月08日

◆足利事件の背後にあるもの


                       川原俊明

1990年5月、栃木県足利市で発生した女児殺害事件。既に最高裁で刑が確定し、犯罪者として服役中の菅家利和氏に対し、刑の執行が停止され、身柄が釈放されました。

確定判決に対しても、一定の事由があれば、再審請求により、判決内容が覆る可能性があります。ただし、きわめて例外的ですが・・・。

刑事訴訟法第435条は、再審請求ができる場合を定めています。原判決の証拠となった証拠書類または証拠物が、確定判決により、偽造または変造であつたことが証明されたとき、などです。

今回の事件は、犯人の決め手となったDNA鑑定が、科学の進歩とともに、2003年から検査法が変わり、精度が高まりました。再鑑定により、菅家さんのDNAと一致しない、とする鑑定結果が出たのです。

今回の再審事由としては、

「有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」にあたる、と見られています。

事件発生当時のDNA鑑定方法では、1000人に一人の確率で識別可能とされていました。ところが、今の科学技術、4兆7000億人に一人の識別が可能だそうです。まさに科学の勝利とでも言うべきものです。

ただ、この事件、現時点では、再審判決が言い渡されておらず、まだ、無期懲役の確定判決が生きています。にもかかわらず、早々と、被告人の身柄を釈放したことは、珍しいケースです。

この裁判過程には、大きな問題点があります。

判決が確定する前の上告手続中の1997年。すでにDNA型が異なる、との鑑定が出ているのに、最高裁判所は、これを無視していました。

その後、2002年の再審訴訟においても、宇都宮地方裁判所は、再鑑定をすることなく、2008年、被告人からの再審請求を棄却しています。

ようやく、東京高等裁判所での再鑑定実施により、異なるDNA型と判明。

この裁判過程を見て感じること。

裁判所は、刑事事件において、弁護人から提出された新たな証拠を真剣に取り上げようとしない例が多々あるということです。
 
私の長年の経験では、多くの刑事裁判官は、検察官の起訴した事件を、最初から、「有罪」の心証をもっているように思います。
 
本来、刑事訴訟法の理念からすると、起訴された被告人は、有罪判決が出るまで無罪推定が働くのです。ところが、現実の刑事裁判官は、最初から、予断と偏見を持っている場合が多く見受けられます。

裁判官として、検察の言い分に乗った方が、仕事は楽かもしれません。弁護人の意見には、形式的にしか耳を貸さない刑事裁判官。

弁護人が足でかき集めてきた新たな証拠も、検察官の「不同意」のひとことで、裁判所に上程することもできません。

しかし刑事裁判では、被告人の有罪無罪を決めるにあたって、実体的真実の発見こそが、真剣に求められるべきものです。
 
検察も、「公訴」の本当の意味を、理解すべきです。検察は、国民のために、国として被告人を糾弾する立場にあるのです。しかし、有罪の可能性がゆらぐのであれば、むしろ積極的に、真相解明に協力すべきでしょう。
 
いったん公訴提起すれば、これに反する証拠はすべて排斥するのみの姿勢は問題です。無罪となれば、検事の出世の妨げになるなんて、目先のことはかんがえるべきではありません。
 
刑事裁判は、被告人の人生がかかっているのですから。判事・検事・弁護士の法曹三者は、刑事事件について、互いの有利不利を問わず真相究明に協力すべきでしょう。
 
そのためには、今の刑事裁判手続きは、事件の真相究明に役立っているのでしょうか。民事裁判では、よほどのことがない限り、原告被告とも、相手方の同意を要することなく、立証に必要な範囲で、書証などの証拠提出が可能です。

あとは、提出された証拠を、どのように評価するかの問題です。
 
ところが、刑事裁判では、基本的に、検察・弁護人の提出する証拠は、相手方の「同意」が前提で、それがなければ証拠として裁判所に提出できないのです。
 
かといって、証拠の提出手続きに、検察・弁護人は、全く対等か。そうではなく、警察で作成された調書を弁護人が不同意にしても、検察官の面前で作成された調書は、たとえ弁護人の不同意であっても、一定の要件の下に証拠として採用されます。
 
反面、弁護人が、一生懸命、証人を捜して調書を作成しても、検察の同意がなければ、日の目を見ることもありません。

現在の刑事裁判の制度は、弁護人に不利、すなわち被告人に不利な裁判構造を伴っています。それ自体が問題でしょう。国民に開かれた刑事裁判を進めるには、刑事訴訟法の抜本的な改正が必要です。
 
その前に、刑事裁判官は、起訴された事案に「白紙」でのぞむべきです。捜査段階で集められた証拠には、検察が証拠として提出できない犯罪立証に不利な証拠が存在することを理解すべきでしょう。 
                                   (弁護士)
 
 

2009年05月31日

◆刑事裁判官は真相究明を怠るな

                      川原俊明

実体的真実発見を目的とする刑事裁判。
現実の刑事裁判は、事件に対する予断をもって、検察の意見を鵜呑みにする傾向にあります。

刑事事件において、ある人が、業務上過失傷害に問われた事案がありました。被告人とされる男性は、当然、無罪主張をしています。その人、今のオートマチック車でなく、クラッチ式の旧型の車を運転していたのです。
オートマ車は、ブレーキから、足を上げるだけで、勝手に前進をはじめます。

ところが、この車両、発進しようとすれば、右手でハンドルを握り、左手でギアを操作します。さらに、右足でアクセルを踏み、左足でクラッチを調整しないと動かないのです。両手両足を使わないと、車両は動かないのです。ノッキング現象を起こし、エンストします。

よそ見をしても、一旦停止後、発進できるのは、オートマ車ですが、よそ見をして足をアクセルから離れても、この車は動かないのです。

裁判所は、停車している被告人車両の前を横断しようとした被害者が、よそ見運転した被告人車両にあてられた、というのです。

裁判官は、なぜ、クラッチ式の車両のメカを理解しようとしないのでしょうか。
 
被害者は、あてられて、下半身が内出血で青あざになった、と証言。しかし、被害者とされる人の診断書・病院のカルテには、一切、青あざの記載がありません。医師は、患者が患部を診察し、その症状をカルテに記載するはずなのに。

弁護人が、苦労して入手したカルテを、検事の「不同意」の一言で、裁判官は、証拠に採用しようとしません。(刑事手続きの話を省略して書いています)

裁判官も、事案に対する疑問を感じないのでしょうか。
真相究明のために、カルテを、見たいと思わないのでしょうか。

裁判員制度が、始まりました。裁判員の常識で、万人が納得できる結論を導いて欲しいものです。裁判官の偏見を、裁判員の新鮮な目で、見直してください。

ただし、裁判員制度は、殺人など、一定の重大犯罪にのみ適用され、上記事案は、対象外となります。
(弁護士)



2009年05月21日

◆マスク社会の異常な光景


                 川原俊明

何十年と大阪に住んでいて、今のような異常な風景は、初めてです。
 
その原因。
大阪・神戸で、高校生への新型インフルエンザ感染が判明しました。感染者は、病院に缶詰。同行動者も、「停留」という名の隔離処置。

これを契機に、大阪・神戸の公立・私学のほとんどが、休校処置に入ることになりました。 生徒には、自宅謹慎処置をとったそうです。しかし、元気のいい中高生が、自宅にじっとしているはずがありません。現に、平日なのに、カラオケ店に中高生の長蛇の列が報じられています。

同時に、約100万人近く集まる神戸祭りもすべて中止。徳島からの中高生の関西圏修学旅行が中止。
JR私鉄を問わず、関西を走る電車内では、車掌さんが呼びかけているせいか、車内の7・8割近くの人がマスクを着用しています。

通勤のため、大阪のメイン道路・御堂筋を歩く人も、やはり、7〜8割がマスク・マン。マスクメロンはおいしいけれど、マスクマンは、いただけません。昨日は、大阪弁護士会入館時にまで、マスク着用を求められました。これは、あきらかに異様な光景です。

日本人は、まじめで、清潔隙ですから、お上が言えば、みんながマスクを着用します。逆に着用しない私を怪訝そうに見る人も出てきました。

確かに、新型インフルエンザ対策として、最初は、メキシコで多くの死者が出たため、厳重な警戒が必要でした。メキシコの場合、それなりの社会的背景があるのかも知れません。

しかし、現実には、新型インフルエンザといえども、感染者が、早期手当さえすれば、軽度な症状で治癒するのは、普通の風邪と変わりません。

それであれば、いつまでも、厳戒態勢を敷くのは不要でしょう。

桝添厚生労働大臣は、早く、警戒レベル・感染者対応措置レベルを下げないと、世の中、おかしくなります。これだけ清潔で医療体制が整っている日本だけが、異常に感染者数が増大しています。感染は、致し方ないとしても、過剰反応はやめましょう。

反面、近隣の諸外国では、ほとんど数値に変化がありません。これは、何を意味しているのでしょうか。政治力、指導力の差が背景にあるかも知れません。

関西地方は、いま、異常反応を起こしています。私たちが生きるために吸っている空気の中に、常時、各種ウイルスをはじめ雑菌がたくさんいます。ウイルスや雑菌は、ヒトと同居しているのだ、ということを認識すべきでしょう。

新型インフルエンザ対策は、マスクよりも、自らの健康管理こそ、最も大切なことだと、いってあげるべきでしょう。毒性の比較的弱い「豚インフルエンザ」でさえ、このありさまです。

冬に、流行が予想される毒性の強い「鳥インフルエンザ」なら、どうするつもりでしょうか。
マスクマンは、99.9%になるのでしょうか。私をのぞいて。(完)
                                    <弁護士>

2009年05月18日

◆民主党は開かれた政党か

                     川原俊明

古い自民党の体質をもつ政治家・小沢一郎を、党の代表として担いできた民主党。

国民は、新しい政党に、新しい政治を期待しています。
しかし、今の民主党は、国民の期待に応えられるのでしょうか。

右から左まで、幅広い政治思想を抱えた政治団体の民主党。
既存政党を破壊ばかりしてきた小沢を、民主党の党首に抱えざるを得なかった背景は、明白です。余りにも広範囲な寄り合い所帯を統率するために、小沢の個性を生かさなければならなかったのです。

しかし、政治家小沢ほど、民主的でない、国民に開放されていない政治家は、いまどき珍しい存在です。

自分の機嫌が悪くなれば、いつも、雲隠れ。
新しい政党を作っては、片っ端から破壊。
建設的な言動はなく、党首討論も逃げてばかり。

小沢一郎の、今までの言動を吟味する必要があります。
ほんとうに民主党員は、小沢一郎を、次の首相にふさわしいと考えていたのでしょうか。

民主党が、真剣に次の政権を狙うなら、小沢一郎の影を徹底的に排斥すべきでしょう。
小沢の遅すぎた辞任劇は、民主党の斬新なイメージを壊してしまいました。

民主党代表選挙において、まだ、小沢色を維持しようとするなら、民主党は、小沢とともに、また、解体の運命を歩むでしょう。民主党は、まだまだ、熟していないと思います。

日本に、今こそ、真に命がけで勝負する政治家の登壇を望みます。
日本再生のために。(完)(09.05.15)
                     <弁護士>

2009年05月01日

◆法廷侮辱を許さない

                  
                   川原俊明

東京地方裁判所で審理中の、傷害被告事件に対する刑事裁判が開かれている最中、証人尋問中の被害者の女性に対し、「また、やってやるぞ」という暴言を吐いた事件がありました。

被告人は、審理中の傷害事件のみならず、暴言についても、別途、刑事事件の犯行として逮捕されました。

当然だと思います。少なくとも、廷秩序維持法(法廷侮辱罪)に違反します。

※ 法廷等の秩序維持に関する法律
(この法律の目的)
第一条  この法律は、民主社会における法の権威を確保するため、法廷等の秩序を維持し、裁判の威信を保持することを目的とする。 (制裁)

第二条  裁判所又は裁判官(以下「裁判所」という。)が法廷又は法廷外で事件につき審判その他の手続をするに際し、その面前その他直接に知ることができる場所で、秩序を維持するため裁判所が命じた事項を行わず若しくは執つた措置に従わず、又は暴言、暴行、けん騒その他不穏当な言動で裁判所の職務の執行を妨害し若しくは裁判の威信を著しく害した者は、二十日以下の監置若しくは三万円以下の過料に処し、又はこれを併科する。

それよりも、本件の傷害事件を犯したことに対する反省がありません。さらには、被害者に対する脅迫罪を、別途、構成します。こんな被告人に対し、弁護士はどんな態度を取るべきでしょうか。
 
私たち法律家は、依頼者の権利擁護、刑事事件においては、被告人の利益保護をすることが、仕事の内容としています。

とはいえ、弁護士は、社会の中で、生命身体の保護を求める人々に対する救済を主な使命としています。でも、違法な行為に荷担すること、あるいは、違法行為に巻き添えになることはゴメンです。
 
私は、法廷で、被害者を侮辱した被告人が、本件事件の反省どころか、犯罪に対する違法の認識もないことに、憤りを感じます。罪を犯し、反省もない被告人は、平和な社会を乱すだけです。
 
厳罰は当然でしょう。日本の社会は、違法行為に対し甘すぎる傾向にあります。  正義を追求し、悪を排斥する。そして平和な社会を築くべきです。

最近の橋下知事が、スマップの草薙(くさなぎ)容疑者が、公然わいせつをしたことに対し、同情発言をしています。

しかし、たとえ、タレントであれ、社会に不安を与え、常識を破る行動を容認する発言は、知事として失格です。 違法を容認すべきではありません。

また、草薙容疑者に対する家宅捜査を問題にする声があります。 しかし、普通、酒を飲んだ程度で全裸になるのは異常な事態です。捜査機関の立場からは、覚醒剤使用、大麻など、薬物使用が当然疑われる事案です。
 
家宅捜査は、やむを得ない事態です。
                    (弁護士)

2009年04月28日

◆政治家は三権分立を忘れたのか

                 川原俊明

最近、野党政治家が、検察・警察批判を軽率に口に出しています。
具体的には、民主党小沢代表が、秘書の逮捕をめぐって「国策捜査」と批判。

アイドルグループ「SMAP」の草薙(くさなぎ)くんが、飲酒のうえ、公園で全裸の醜態をさらし、公然わいせつ被疑事件として逮捕された事件。

この事件をめぐって、民主党鳩山幹事長が、逮捕・捜索に対する疑義を公言しました。

しかしながら、立法府に属する国会議員が、司法権を担う裁判所の関わる逮捕拘留手続きに平然と批判を繰り返していいのでしょうか。
マスコミを通じ、自分の影響力を行使して、司法を揺さぶろうとしている魂胆がみえみえです。

そもそも、日本国憲法は、司法・立法・行政と三権が分立し、互いに牽制し、尊重しながら、独裁国家を認めない体制がとられています。

にもかかわらず、小沢さん、鳩山さんは、国会議員の立場を使って、堂々と、司法権を行使する検察・警察を批判しているのです。
ましてや、捜査中の事件なのに・・・。

仮に、民主党が、政権を取ったのちでも、彼らは、こんなに堂々と、司法批判を口に出すのでしょうか。

もし、そうであるなら、彼らの政治家・国会議員としての資質を疑います。

そんな国会議員を代表者に据えているようでは、民主党は、責任政党にはなれません。かつて、検察は、ロッキード疑獄事件で、元総理大臣の田中角栄を逮捕し、裁判所は、有罪判決を言い渡しました。たとえ総理大臣であろうと、犯罪行為には、処罰が当然なのです。

それが民主国家というものです。
 
小沢民主代表、鳩山民主幹事長は、「野党ぼけ」しています。
 
                       (弁護士)


2009年04月24日

◆新米弁護士は「士」を捨てたのか

                   川原俊明

最近の朝日新聞に、新米弁護士の年収について、アンケート結果が報道されました。それによると、初年度の年収が低下傾向にあり、「給料が少ない」「公益活動をする余裕がない」などの不満が多くあるそうです。

私は、これを見て、弁護士もサラリーマン化したな、と実感しました。

私が、数十年も前、弁護士としてボス弁事務所に登録させていただくにあたり、ボスから、給料の額を尋ねたことなんてありません。弁護士といえども、司法試験に合格し、2年間(今は1年に短縮)の司法修習を終え、バッチをつけたところで、事件処理の仕方について、右も左もわかない、役立たずの立場です。

イソ弁の頃は、ボス弁について、必死に事件解決のテクニックを教わるものです。いわば、私たち弁護士は、本来職人なのです。ボスの技術を盗み、体で覚え、数多くの経験を重ねるのです。そうやって、一人前のプロとしての弁護士になっていくのです。

イソ弁は、昔で言う丁稚奉公の認識を持ち、与えられた事件処理を必死にやってこそ、経験がものを言う世界で成長していのです。

いまの司法修習生。就職氷河期と言われているものの、法律事務所を、少しでも給料がよく、少しでも楽なところを選ぼうとします。こんなサラリーマン化した司法修習生なんて、うちはいりません。

世の中、プロ意識の欠如した専門家が多くなっています。弁護士の世界も、例外ではありません。プロとしての技術・知識を磨き、依頼者の利益を擁護する。これが、サムライとしての弁護士なのです。

サラリーマン根性しか持たない弁護士には、ろくな仕事ができません。プロ意識こそ、新米弁護士に植え付けるべきです。

こんなアンケートを実施する弁護士側にも問題があります。もっと、弁護士としての根源的な意識について、アンケートを実施すべきです。(完)
                            (弁護士)