川原俊明
古い自民党の体質をもつ政治家・小沢一郎を、党の代表として担いできた民主党。
国民は、新しい政党に、新しい政治を期待しています。
しかし、今の民主党は、国民の期待に応えられるのでしょうか。
右から左まで、幅広い政治思想を抱えた政治団体の民主党。
既存政党を破壊ばかりしてきた小沢を、民主党の党首に抱えざるを得なかった背景は、明白です。余りにも広範囲な寄り合い所帯を統率するために、小沢の個性を生かさなければならなかったのです。
しかし、政治家小沢ほど、民主的でない、国民に開放されていない政治家は、いまどき珍しい存在です。
自分の機嫌が悪くなれば、いつも、雲隠れ。
新しい政党を作っては、片っ端から破壊。
建設的な言動はなく、党首討論も逃げてばかり。
小沢一郎の、今までの言動を吟味する必要があります。
ほんとうに民主党員は、小沢一郎を、次の首相にふさわしいと考えていたのでしょうか。
民主党が、真剣に次の政権を狙うなら、小沢一郎の影を徹底的に排斥すべきでしょう。
小沢の遅すぎた辞任劇は、民主党の斬新なイメージを壊してしまいました。
民主党代表選挙において、まだ、小沢色を維持しようとするなら、民主党は、小沢とともに、また、解体の運命を歩むでしょう。民主党は、まだまだ、熟していないと思います。
日本に、今こそ、真に命がけで勝負する政治家の登壇を望みます。
日本再生のために。(完)(09.05.15)
<弁護士>
2009年05月18日
2009年05月01日
◆法廷侮辱を許さない
川原俊明
東京地方裁判所で審理中の、傷害被告事件に対する刑事裁判が開かれている最中、証人尋問中の被害者の女性に対し、「また、やってやるぞ」という暴言を吐いた事件がありました。
被告人は、審理中の傷害事件のみならず、暴言についても、別途、刑事事件の犯行として逮捕されました。
当然だと思います。少なくとも、廷秩序維持法(法廷侮辱罪)に違反します。
※ 法廷等の秩序維持に関する法律
(この法律の目的)
第一条 この法律は、民主社会における法の権威を確保するため、法廷等の秩序を維持し、裁判の威信を保持することを目的とする。 (制裁)
第二条 裁判所又は裁判官(以下「裁判所」という。)が法廷又は法廷外で事件につき審判その他の手続をするに際し、その面前その他直接に知ることができる場所で、秩序を維持するため裁判所が命じた事項を行わず若しくは執つた措置に従わず、又は暴言、暴行、けん騒その他不穏当な言動で裁判所の職務の執行を妨害し若しくは裁判の威信を著しく害した者は、二十日以下の監置若しくは三万円以下の過料に処し、又はこれを併科する。
それよりも、本件の傷害事件を犯したことに対する反省がありません。さらには、被害者に対する脅迫罪を、別途、構成します。こんな被告人に対し、弁護士はどんな態度を取るべきでしょうか。
私たち法律家は、依頼者の権利擁護、刑事事件においては、被告人の利益保護をすることが、仕事の内容としています。
とはいえ、弁護士は、社会の中で、生命身体の保護を求める人々に対する救済を主な使命としています。でも、違法な行為に荷担すること、あるいは、違法行為に巻き添えになることはゴメンです。
私は、法廷で、被害者を侮辱した被告人が、本件事件の反省どころか、犯罪に対する違法の認識もないことに、憤りを感じます。罪を犯し、反省もない被告人は、平和な社会を乱すだけです。
厳罰は当然でしょう。日本の社会は、違法行為に対し甘すぎる傾向にあります。 正義を追求し、悪を排斥する。そして平和な社会を築くべきです。
最近の橋下知事が、スマップの草薙(くさなぎ)容疑者が、公然わいせつをしたことに対し、同情発言をしています。
しかし、たとえ、タレントであれ、社会に不安を与え、常識を破る行動を容認する発言は、知事として失格です。 違法を容認すべきではありません。
また、草薙容疑者に対する家宅捜査を問題にする声があります。 しかし、普通、酒を飲んだ程度で全裸になるのは異常な事態です。捜査機関の立場からは、覚醒剤使用、大麻など、薬物使用が当然疑われる事案です。
家宅捜査は、やむを得ない事態です。
(弁護士)
2009年04月28日
◆政治家は三権分立を忘れたのか
川原俊明
最近、野党政治家が、検察・警察批判を軽率に口に出しています。
具体的には、民主党小沢代表が、秘書の逮捕をめぐって「国策捜査」と批判。
アイドルグループ「SMAP」の草薙(くさなぎ)くんが、飲酒のうえ、公園で全裸の醜態をさらし、公然わいせつ被疑事件として逮捕された事件。
この事件をめぐって、民主党鳩山幹事長が、逮捕・捜索に対する疑義を公言しました。
しかしながら、立法府に属する国会議員が、司法権を担う裁判所の関わる逮捕拘留手続きに平然と批判を繰り返していいのでしょうか。
マスコミを通じ、自分の影響力を行使して、司法を揺さぶろうとしている魂胆がみえみえです。
そもそも、日本国憲法は、司法・立法・行政と三権が分立し、互いに牽制し、尊重しながら、独裁国家を認めない体制がとられています。
にもかかわらず、小沢さん、鳩山さんは、国会議員の立場を使って、堂々と、司法権を行使する検察・警察を批判しているのです。
ましてや、捜査中の事件なのに・・・。
仮に、民主党が、政権を取ったのちでも、彼らは、こんなに堂々と、司法批判を口に出すのでしょうか。
もし、そうであるなら、彼らの政治家・国会議員としての資質を疑います。
そんな国会議員を代表者に据えているようでは、民主党は、責任政党にはなれません。かつて、検察は、ロッキード疑獄事件で、元総理大臣の田中角栄を逮捕し、裁判所は、有罪判決を言い渡しました。たとえ総理大臣であろうと、犯罪行為には、処罰が当然なのです。
それが民主国家というものです。
小沢民主代表、鳩山民主幹事長は、「野党ぼけ」しています。
(弁護士)
最近、野党政治家が、検察・警察批判を軽率に口に出しています。
具体的には、民主党小沢代表が、秘書の逮捕をめぐって「国策捜査」と批判。
アイドルグループ「SMAP」の草薙(くさなぎ)くんが、飲酒のうえ、公園で全裸の醜態をさらし、公然わいせつ被疑事件として逮捕された事件。
この事件をめぐって、民主党鳩山幹事長が、逮捕・捜索に対する疑義を公言しました。
しかしながら、立法府に属する国会議員が、司法権を担う裁判所の関わる逮捕拘留手続きに平然と批判を繰り返していいのでしょうか。
マスコミを通じ、自分の影響力を行使して、司法を揺さぶろうとしている魂胆がみえみえです。
そもそも、日本国憲法は、司法・立法・行政と三権が分立し、互いに牽制し、尊重しながら、独裁国家を認めない体制がとられています。
にもかかわらず、小沢さん、鳩山さんは、国会議員の立場を使って、堂々と、司法権を行使する検察・警察を批判しているのです。
ましてや、捜査中の事件なのに・・・。
仮に、民主党が、政権を取ったのちでも、彼らは、こんなに堂々と、司法批判を口に出すのでしょうか。
もし、そうであるなら、彼らの政治家・国会議員としての資質を疑います。
そんな国会議員を代表者に据えているようでは、民主党は、責任政党にはなれません。かつて、検察は、ロッキード疑獄事件で、元総理大臣の田中角栄を逮捕し、裁判所は、有罪判決を言い渡しました。たとえ総理大臣であろうと、犯罪行為には、処罰が当然なのです。
それが民主国家というものです。
小沢民主代表、鳩山民主幹事長は、「野党ぼけ」しています。
(弁護士)
2009年04月24日
◆新米弁護士は「士」を捨てたのか
川原俊明
最近の朝日新聞に、新米弁護士の年収について、アンケート結果が報道されました。それによると、初年度の年収が低下傾向にあり、「給料が少ない」「公益活動をする余裕がない」などの不満が多くあるそうです。
私は、これを見て、弁護士もサラリーマン化したな、と実感しました。
私が、数十年も前、弁護士としてボス弁事務所に登録させていただくにあたり、ボスから、給料の額を尋ねたことなんてありません。弁護士といえども、司法試験に合格し、2年間(今は1年に短縮)の司法修習を終え、バッチをつけたところで、事件処理の仕方について、右も左もわかない、役立たずの立場です。
イソ弁の頃は、ボス弁について、必死に事件解決のテクニックを教わるものです。いわば、私たち弁護士は、本来職人なのです。ボスの技術を盗み、体で覚え、数多くの経験を重ねるのです。そうやって、一人前のプロとしての弁護士になっていくのです。
イソ弁は、昔で言う丁稚奉公の認識を持ち、与えられた事件処理を必死にやってこそ、経験がものを言う世界で成長していのです。
いまの司法修習生。就職氷河期と言われているものの、法律事務所を、少しでも給料がよく、少しでも楽なところを選ぼうとします。こんなサラリーマン化した司法修習生なんて、うちはいりません。
世の中、プロ意識の欠如した専門家が多くなっています。弁護士の世界も、例外ではありません。プロとしての技術・知識を磨き、依頼者の利益を擁護する。これが、サムライとしての弁護士なのです。
サラリーマン根性しか持たない弁護士には、ろくな仕事ができません。プロ意識こそ、新米弁護士に植え付けるべきです。
こんなアンケートを実施する弁護士側にも問題があります。もっと、弁護士としての根源的な意識について、アンケートを実施すべきです。(完)
(弁護士)
最近の朝日新聞に、新米弁護士の年収について、アンケート結果が報道されました。それによると、初年度の年収が低下傾向にあり、「給料が少ない」「公益活動をする余裕がない」などの不満が多くあるそうです。
私は、これを見て、弁護士もサラリーマン化したな、と実感しました。
私が、数十年も前、弁護士としてボス弁事務所に登録させていただくにあたり、ボスから、給料の額を尋ねたことなんてありません。弁護士といえども、司法試験に合格し、2年間(今は1年に短縮)の司法修習を終え、バッチをつけたところで、事件処理の仕方について、右も左もわかない、役立たずの立場です。
イソ弁の頃は、ボス弁について、必死に事件解決のテクニックを教わるものです。いわば、私たち弁護士は、本来職人なのです。ボスの技術を盗み、体で覚え、数多くの経験を重ねるのです。そうやって、一人前のプロとしての弁護士になっていくのです。
イソ弁は、昔で言う丁稚奉公の認識を持ち、与えられた事件処理を必死にやってこそ、経験がものを言う世界で成長していのです。
いまの司法修習生。就職氷河期と言われているものの、法律事務所を、少しでも給料がよく、少しでも楽なところを選ぼうとします。こんなサラリーマン化した司法修習生なんて、うちはいりません。
世の中、プロ意識の欠如した専門家が多くなっています。弁護士の世界も、例外ではありません。プロとしての技術・知識を磨き、依頼者の利益を擁護する。これが、サムライとしての弁護士なのです。
サラリーマン根性しか持たない弁護士には、ろくな仕事ができません。プロ意識こそ、新米弁護士に植え付けるべきです。
こんなアンケートを実施する弁護士側にも問題があります。もっと、弁護士としての根源的な意識について、アンケートを実施すべきです。(完)
(弁護士)
2009年04月17日
◆痴漢事件の最高裁「無罪判決」
川原俊明
痴漢行為は、満員電車という密室での女性に対する悪質な嫌がらせである。もちろん、そうだと思います。ただ、この場合、犯罪性の認定が極めて難しいのも事実です。
もともと男女を問わず、他人同士が身動きもままならない状態で、体が触れたかどうかの問題ですから。最高裁判所が、「特に慎重な判断が必要」というのも、一般論としてはわかります。しかし、今回の最高裁判所の判断が、痴漢の犯罪認定にあたり、犯人が、「否認すれば罪を免れる」と思わせるようにでもなれば、女性救済に逆行します。
とんでもないことになります。
もともと、痴漢場面で、女性に大声を上げろ、といっても、言えないのが実情でしょう。女性が、被害にあった後、車両を乗り換えなかったから、といって、被害女性に不利益判定をすることは、許されません。反面、女性側に、痴漢されているという「思い込み」の場面もあるでしょう。
女が、男と結託し、痴漢被害を虚構して恐喝を重ねてきた事件も、現実に摘発されました。要は、今の状態で、満員電車が存在する限り、痴漢犯罪はなくなりません。「やった」「やっていない」の男の供述だけで、犯罪認定をすること自体も問題です。
そこで、私から、全国の電鉄会社に、痴漢犯罪撲滅のための根本的な解決策を提案します。まじめに取り上げて欲しいと思います。
各車両の天井から、複数のモニターカメラを設置することです。
いくら男と女が満員電車で隣接していても、痴漢かどうかは、男の犯行前後の行動でわかります。女性にすり寄って行くとか、男が女性のそばで異様な行動をするとか・・記録された録画判定により、痴漢犯罪に対する「否認」はできなくなるでしょう。
痴漢に限らず、暴力など、車内犯罪を徹底して阻止するためにも、監視社会は必要です。最近、街頭にも、多くの防犯カメラが設置されるようになりました。これは、犯罪の検挙に大いに役立っています。犯罪予防にも役立ちます。
私の、この提案には、必ず「プライバシーの侵害」という反論があるかもしれません。しかしながら、人間の権利は、すべて、比較考量、利益考量により、保護の有無・程度をきめるしかないのです。憲法に保障された権利といえどもすべて、人間社会の中での「権利の存在」にすぎません。
要は、犯罪予防の必要性が大きければ、プライバシーといえども、権利の主張は抑制されても当然です。監視社会は、悪いことでしょうか。犯罪のない住みよい社会を築くため、防犯カメラの有効活用を提案します。
但し、私は、防犯カメラ会社の顧問弁護士ではありません。
(弁護士)
痴漢行為は、満員電車という密室での女性に対する悪質な嫌がらせである。もちろん、そうだと思います。ただ、この場合、犯罪性の認定が極めて難しいのも事実です。
もともと男女を問わず、他人同士が身動きもままならない状態で、体が触れたかどうかの問題ですから。最高裁判所が、「特に慎重な判断が必要」というのも、一般論としてはわかります。しかし、今回の最高裁判所の判断が、痴漢の犯罪認定にあたり、犯人が、「否認すれば罪を免れる」と思わせるようにでもなれば、女性救済に逆行します。
とんでもないことになります。
もともと、痴漢場面で、女性に大声を上げろ、といっても、言えないのが実情でしょう。女性が、被害にあった後、車両を乗り換えなかったから、といって、被害女性に不利益判定をすることは、許されません。反面、女性側に、痴漢されているという「思い込み」の場面もあるでしょう。
女が、男と結託し、痴漢被害を虚構して恐喝を重ねてきた事件も、現実に摘発されました。要は、今の状態で、満員電車が存在する限り、痴漢犯罪はなくなりません。「やった」「やっていない」の男の供述だけで、犯罪認定をすること自体も問題です。
そこで、私から、全国の電鉄会社に、痴漢犯罪撲滅のための根本的な解決策を提案します。まじめに取り上げて欲しいと思います。
各車両の天井から、複数のモニターカメラを設置することです。
いくら男と女が満員電車で隣接していても、痴漢かどうかは、男の犯行前後の行動でわかります。女性にすり寄って行くとか、男が女性のそばで異様な行動をするとか・・記録された録画判定により、痴漢犯罪に対する「否認」はできなくなるでしょう。
痴漢に限らず、暴力など、車内犯罪を徹底して阻止するためにも、監視社会は必要です。最近、街頭にも、多くの防犯カメラが設置されるようになりました。これは、犯罪の検挙に大いに役立っています。犯罪予防にも役立ちます。
私の、この提案には、必ず「プライバシーの侵害」という反論があるかもしれません。しかしながら、人間の権利は、すべて、比較考量、利益考量により、保護の有無・程度をきめるしかないのです。憲法に保障された権利といえどもすべて、人間社会の中での「権利の存在」にすぎません。
要は、犯罪予防の必要性が大きければ、プライバシーといえども、権利の主張は抑制されても当然です。監視社会は、悪いことでしょうか。犯罪のない住みよい社会を築くため、防犯カメラの有効活用を提案します。
但し、私は、防犯カメラ会社の顧問弁護士ではありません。
(弁護士)
2009年04月10日
◆小事は大事を生む
川原俊明
小事は大事を生む
Great things have small beginnings.
満開の桜のもとで、学校ごとに入学式が開かれる季節になりました。今日も、ある学園の入学式に参列しました。私は、他人のご挨拶を熱心に聞かせていただく方で、いつも感心して帰ってくるタイプです。今日も、某校長先生が、新入生へのお祝辞の中で、いい話をされました。
「小事は大事を生む」
些細なことだけれど、一日一日の行動の積み重ねが、その人の人生を決める。日々の努力が、大きな成果につながる。毎日毎日を大切にして、充実した日々を送りなさい。
希望に満ちた中高新入生へのお祝いの言葉として、ふさわしいものでした。私は、中高生だけに、伝える言葉としてはいかにも、もったいない、と思いました。
日本の大学の新入生。たいていは、受験戦争に疲弊した反動で、4年間を目的もなく遊びまくろうとする学生のいかに多いこと。入学試験だけでふるい落とし、入学後、学生の成長について、面倒を見ない日本の大学制度そのものが、根本的に間違っています。
折角の高校時代までの知識や理解が、大学に入って打ち止めになっています。あるいは、後退の局面を迎えています。これはまさに日本の国にとって、大損害なのです。
いま、中国韓国など、近隣諸国の大学生の勉強意欲は、日本の大学生と比較にならないほど、貪欲です。彼らは、自分たちが国を支えようとする意思を持っています。その意思をバネに大学での勉学に励んでいるのです。
日本の場合はどうでしょう。日本の大学生は、勘違いしています。日本の社会も勘違いしています。
日本の経済的繁栄は、今までの企業戦士の熾烈な戦いの中で勝ち取ってきたものです。当然のように、いつまでも継続するものではありません。
すでに、日本は、国としてのピークを過ぎ、衰退に向かっているのが現実です。日本国民は、この事態を認識し、一刻も早く、国としての衰退を止める必要があります。マスコミは、国の衰退を必然であるかのように記事を流していますが、決してそうではありません。
かつての大英帝国が、一時期、経済的困窮な時代をへて、その後、教育に力を注ぎ、いま、復活の傾向を示しているように、国の盛衰に、山もあれば谷もあります。
一国の盛衰は、指導者の存在にもよりますが、日本のように、タレントに政治を任せているようではだめです。
「小事は大事を生む」
日々精進。私自身にも、この言葉をあらためて受け止め、もっと真剣に日々を過ごそうと考えた次第です。
日常の仕事に追い回されながらも、もっと良い内容の仕事をしたい、ものです。(完)
(弁護士)
小事は大事を生む
Great things have small beginnings.
満開の桜のもとで、学校ごとに入学式が開かれる季節になりました。今日も、ある学園の入学式に参列しました。私は、他人のご挨拶を熱心に聞かせていただく方で、いつも感心して帰ってくるタイプです。今日も、某校長先生が、新入生へのお祝辞の中で、いい話をされました。
「小事は大事を生む」
些細なことだけれど、一日一日の行動の積み重ねが、その人の人生を決める。日々の努力が、大きな成果につながる。毎日毎日を大切にして、充実した日々を送りなさい。
希望に満ちた中高新入生へのお祝いの言葉として、ふさわしいものでした。私は、中高生だけに、伝える言葉としてはいかにも、もったいない、と思いました。
日本の大学の新入生。たいていは、受験戦争に疲弊した反動で、4年間を目的もなく遊びまくろうとする学生のいかに多いこと。入学試験だけでふるい落とし、入学後、学生の成長について、面倒を見ない日本の大学制度そのものが、根本的に間違っています。
折角の高校時代までの知識や理解が、大学に入って打ち止めになっています。あるいは、後退の局面を迎えています。これはまさに日本の国にとって、大損害なのです。
いま、中国韓国など、近隣諸国の大学生の勉強意欲は、日本の大学生と比較にならないほど、貪欲です。彼らは、自分たちが国を支えようとする意思を持っています。その意思をバネに大学での勉学に励んでいるのです。
日本の場合はどうでしょう。日本の大学生は、勘違いしています。日本の社会も勘違いしています。
日本の経済的繁栄は、今までの企業戦士の熾烈な戦いの中で勝ち取ってきたものです。当然のように、いつまでも継続するものではありません。
すでに、日本は、国としてのピークを過ぎ、衰退に向かっているのが現実です。日本国民は、この事態を認識し、一刻も早く、国としての衰退を止める必要があります。マスコミは、国の衰退を必然であるかのように記事を流していますが、決してそうではありません。
かつての大英帝国が、一時期、経済的困窮な時代をへて、その後、教育に力を注ぎ、いま、復活の傾向を示しているように、国の盛衰に、山もあれば谷もあります。
一国の盛衰は、指導者の存在にもよりますが、日本のように、タレントに政治を任せているようではだめです。
「小事は大事を生む」
日々精進。私自身にも、この言葉をあらためて受け止め、もっと真剣に日々を過ごそうと考えた次第です。
日常の仕事に追い回されながらも、もっと良い内容の仕事をしたい、ものです。(完)
(弁護士)
2009年04月04日
◆予想を下回る「年金離婚」者数
川原俊明
平成19年度4月、そして、さらに平成20年4月の法律改正により、厚生年金の離婚時分割制度が実施されるようになりました。
長年にわたり家庭内別居を続けてきた仮面夫婦。
この法案が審議されていた頃、彼らに朗報、とばかり、マスコミが騒ぎたてた年金離婚。年金分割制度の実施を機会に、平成20年4月以降、熟年離婚の急増が想定されていたのです。
ところが、意外な現実が判明しました。年金分割制度が実施されて約1年経過した統計では、なんと、「年金離婚」者数は、予想を下回っていたそうです。
様々な要因が考えられます。私は、次のように分析しました。
@分割制度への幻滅
分割額は、夫の厚生年金額の半分ではない。
分割制度は、夫名義の厚生年金額が、そのまま妻に半額分割されるものでないのです。
この理解が、徐々に浸透してきたのでしょう。
平成19年4月以降に離婚した夫婦は、それ以前の婚姻期間中の保険料納付記録が、2分の1を上限に、請求によって初めて、分割されます。夫の厚生年金額全体の半分分割、という幻想は、これで、醒めてしまいます。
A相続の方が得
せっかくの年金分割が、この程度か、となると、発想が代わります。ここまで我慢してきたのだから、もう少し、ついでに我慢しておこう。
どうせ、男の平均寿命は、女よりも、6歳ほど短いのだから、離婚で経済的に苦労するよりも、たっぷり、相続でもらったほうがいい。 この方が正解かもしれません。
B余りにも不況
不況下で生き延びるには、夫婦共同体がいい。
たとえ年金を分けてもらっても、この不況下で、別々の生活を営むには、経済環境が余りにもお寒い。
一から生活を始めることの経済的負担がどれほど大きいか。
多くの賢明な仮面夫婦さん。
夫婦は、いつまでも仲良くするものです。(完)
<弁護士>
平成19年度4月、そして、さらに平成20年4月の法律改正により、厚生年金の離婚時分割制度が実施されるようになりました。
長年にわたり家庭内別居を続けてきた仮面夫婦。
この法案が審議されていた頃、彼らに朗報、とばかり、マスコミが騒ぎたてた年金離婚。年金分割制度の実施を機会に、平成20年4月以降、熟年離婚の急増が想定されていたのです。
ところが、意外な現実が判明しました。年金分割制度が実施されて約1年経過した統計では、なんと、「年金離婚」者数は、予想を下回っていたそうです。
様々な要因が考えられます。私は、次のように分析しました。
@分割制度への幻滅
分割額は、夫の厚生年金額の半分ではない。
分割制度は、夫名義の厚生年金額が、そのまま妻に半額分割されるものでないのです。
この理解が、徐々に浸透してきたのでしょう。
平成19年4月以降に離婚した夫婦は、それ以前の婚姻期間中の保険料納付記録が、2分の1を上限に、請求によって初めて、分割されます。夫の厚生年金額全体の半分分割、という幻想は、これで、醒めてしまいます。
A相続の方が得
せっかくの年金分割が、この程度か、となると、発想が代わります。ここまで我慢してきたのだから、もう少し、ついでに我慢しておこう。
どうせ、男の平均寿命は、女よりも、6歳ほど短いのだから、離婚で経済的に苦労するよりも、たっぷり、相続でもらったほうがいい。 この方が正解かもしれません。
B余りにも不況
不況下で生き延びるには、夫婦共同体がいい。
たとえ年金を分けてもらっても、この不況下で、別々の生活を営むには、経済環境が余りにもお寒い。
一から生活を始めることの経済的負担がどれほど大きいか。
多くの賢明な仮面夫婦さん。
夫婦は、いつまでも仲良くするものです。(完)
<弁護士>
2009年03月26日
◆「角を矯めて牛を殺す」日弁連
川原俊明
牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとすれば、かえって牛を殺してしまうことになります。小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまう、のたとえです。
日本弁護士連合会が、最近、次のような決議をするそうです。
「弁護士費用をクレジットカード決済で利用した場合、そのこと自体が直ちに懲戒対象になるものではないが、他の要因と重なり合った場合、懲戒対象となり得る。」
いかに弁護士業界が、世間ズレしているかを示す一例です。
日弁連は、弁護士報酬を、「僧侶に対するお布施」と同視しているのでしょうか。たしかに、法事で読経していただいたお坊さんに、クレジットカードで、お布施を決済するのは、見たことがありません。
いままで、日弁連は、弁護士が利益を得ることそのものを、潔よしとしない体質がありました。
弁護士は、聖職なのだ、と。確かに、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義の実現が使命です。
<弁護士法第1条>
しかし、弁護士業務は、れっきとした社会活動として、法的サービス業務なのです。業務に対する報酬の発生は、当然のこと、と認識すべきです。
それも、法律のプロとして、積極的な社会貢献、社会活動をすべきでしょう。弁護士報酬が、法的サービスの対価であるとしたら、依頼者からの報酬の支払い方法に制限を設ける、という議論自体が問題です。
弁護士報酬は、何も現金でなければならない、ということはないはずです。もちろん、現金の方がありがたいのは山々ですが・・・。
(クレジットカード決済の場合、加盟店である法律事務所は、カード会社に5%の手数料を取られます。)
依頼者に、手元に現金がない場合、事件を弁護士に委任できないのでしょうか。小切手や約束手形での振り出しは、だめなのでしょうか。
弁護士が、小切手決済に応じて、何か悪いことがあるのでしょうか。
これと同じことが、弁護士報酬のクレジットカード決済です。クレジットカードが、世の中に普及してすでに50年を経過しています。今の日本では、社会人は、クレジットカードを複数枚所持しているのが一般的な姿です。
弁護士という人種は、クレジットカードを持っていないのでしょうか。 「カード利用は悪だ」、と認識する弁護士おじさんが、多いのでしょうか。
弁護士が、買い物に自分のクレジットカードを使ったりするくせに、弁護士業務の対価に、依頼者にはクレジットカードを使わせない、とするほうが、間違っています。
大病院において、現金の手持ちがない急患が、クレジットカードで治療費を支払っています。何か問題があるのでしょうか。それと同じことでしょう。
弁護士会の中では、カード利用に対し、次のような反対意見があります。
破産寸前の依頼者に、破産申立費用をクレジットカード決済するのは、許されない。
しかし、これを許してならないのは、当然のことでしょう。
もし、カード決済のできないことが明白な依頼者に、カード決済を許せば、弁護士は、依頼者とともに詐欺の共犯です。こんなことは当たり前でしょう。これは、弁護士倫理の問題です。
クレジットカード利用の是非と、弁護士倫理の議論を置き換える方が間違っています。
依頼者が、カード会社のポイントサービスを受けるため、カードでの支払いを求めることがあります。カード利用を当然と考える依頼者にとって、法的サービスの対価である弁護士費用も、商品購入と何らかわりがないのです。
弁護士会は、いままで、世間から、お高くとまっていた体質を改善しようと、しきりに「依頼者の目線」を公言します。
でも、クレジットカード利用の一点をとらえてみても、依頼者の影はまったくありません。
弁護士の体質、社会常識の保持など、弁護士そのものを改善しなければ、世間に笑われる議論をいつまでも続けることになります。
こんなことでは、日本の弁護士業界は、世界に通用しません。読売新聞(東京版)は、日弁連の決議に対し、私のコメントを掲載するそうです。
(弁護士)
牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとすれば、かえって牛を殺してしまうことになります。小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまう、のたとえです。
日本弁護士連合会が、最近、次のような決議をするそうです。
「弁護士費用をクレジットカード決済で利用した場合、そのこと自体が直ちに懲戒対象になるものではないが、他の要因と重なり合った場合、懲戒対象となり得る。」
いかに弁護士業界が、世間ズレしているかを示す一例です。
日弁連は、弁護士報酬を、「僧侶に対するお布施」と同視しているのでしょうか。たしかに、法事で読経していただいたお坊さんに、クレジットカードで、お布施を決済するのは、見たことがありません。
いままで、日弁連は、弁護士が利益を得ることそのものを、潔よしとしない体質がありました。
弁護士は、聖職なのだ、と。確かに、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義の実現が使命です。
<弁護士法第1条>
しかし、弁護士業務は、れっきとした社会活動として、法的サービス業務なのです。業務に対する報酬の発生は、当然のこと、と認識すべきです。
それも、法律のプロとして、積極的な社会貢献、社会活動をすべきでしょう。弁護士報酬が、法的サービスの対価であるとしたら、依頼者からの報酬の支払い方法に制限を設ける、という議論自体が問題です。
弁護士報酬は、何も現金でなければならない、ということはないはずです。もちろん、現金の方がありがたいのは山々ですが・・・。
(クレジットカード決済の場合、加盟店である法律事務所は、カード会社に5%の手数料を取られます。)
依頼者に、手元に現金がない場合、事件を弁護士に委任できないのでしょうか。小切手や約束手形での振り出しは、だめなのでしょうか。
弁護士が、小切手決済に応じて、何か悪いことがあるのでしょうか。
これと同じことが、弁護士報酬のクレジットカード決済です。クレジットカードが、世の中に普及してすでに50年を経過しています。今の日本では、社会人は、クレジットカードを複数枚所持しているのが一般的な姿です。
弁護士という人種は、クレジットカードを持っていないのでしょうか。 「カード利用は悪だ」、と認識する弁護士おじさんが、多いのでしょうか。
弁護士が、買い物に自分のクレジットカードを使ったりするくせに、弁護士業務の対価に、依頼者にはクレジットカードを使わせない、とするほうが、間違っています。
大病院において、現金の手持ちがない急患が、クレジットカードで治療費を支払っています。何か問題があるのでしょうか。それと同じことでしょう。
弁護士会の中では、カード利用に対し、次のような反対意見があります。
破産寸前の依頼者に、破産申立費用をクレジットカード決済するのは、許されない。
しかし、これを許してならないのは、当然のことでしょう。
もし、カード決済のできないことが明白な依頼者に、カード決済を許せば、弁護士は、依頼者とともに詐欺の共犯です。こんなことは当たり前でしょう。これは、弁護士倫理の問題です。
クレジットカード利用の是非と、弁護士倫理の議論を置き換える方が間違っています。
依頼者が、カード会社のポイントサービスを受けるため、カードでの支払いを求めることがあります。カード利用を当然と考える依頼者にとって、法的サービスの対価である弁護士費用も、商品購入と何らかわりがないのです。
弁護士会は、いままで、世間から、お高くとまっていた体質を改善しようと、しきりに「依頼者の目線」を公言します。
でも、クレジットカード利用の一点をとらえてみても、依頼者の影はまったくありません。
弁護士の体質、社会常識の保持など、弁護士そのものを改善しなければ、世間に笑われる議論をいつまでも続けることになります。
こんなことでは、日本の弁護士業界は、世界に通用しません。読売新聞(東京版)は、日弁連の決議に対し、私のコメントを掲載するそうです。
(弁護士)
2009年03月21日
◆闇サイト殺人事件は「死刑」が当然
川原俊明
帰宅途中の女性が拉致され、殺害された事件がありました。それも、3人の殺人犯は、インターネットで示し合わせ、何の罪もない女性の命をゲーム感覚で奪ってしまったのです。インターネット全盛のこの世の中。仮想ゲームで、平気で人を殺すのに飽きた連中が、今度は、より刺激を求めて、リアルな殺人を選んだのでしょう。
人と人のふれあいでこそ、人の温かみがわかります。パソコンという機械の箱を使ったインターネットを駆使したあげく、結局は、機械の一部になってしまったのでしょう。この殺人犯たちは。
人には、暖かい血が流れているのです。愛情をふれあう家族がいるのです。 自分が、殺人機械の一部になってしまったとすれば、殺人を犯したその機械は、破壊するしかありません。
昔、映画で見たチャップリンの映画に描かれた、歯車の一つになった人間を思い出します。 3人の殺人犯は、もはや人間ではありません。機械なのです。 機械化された人間が、殺人を犯したのであれば、たとえ殺した被害者が一人であろうとも、死刑は、やむを得ないでしょう。
通常の人間は、人を殺せば、殺人罪で処罰され、殺人罪の法律により、死刑で処罰されることがあり得ることを100人中、100人が認識しています。その上で、機械化され、人間としての情を失った無機質な人間が、殺人を犯したのです。
結論は、言うまでもありません。今回、3人の殺人犯のうち、二人が死刑。もう一人が無期懲役となりました。その一人は、自首したからだというのです。
確かに、刑法第42条は、罪を犯した者が、捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を軽減することができる、と規定されています。
しかし、自首であっても、刑の軽減は、法律上、要件ではなく、最良であることが明らかです。悪知恵の働く人間が、自首により、減刑を求めることだってないわけではありません。
裁判所も、形式的な法の適用をしてはいけません。
自首した人間が、もともと、犯罪を犯すにあたって、情状酌量の余地のある状況があったのか。これを審理すべきです。形式的な裁量の対象となる「自首」を理由に、死刑でなく無期懲役に軽減すべきではありません。
この際、裁判所は、人間の尊厳、命の大切さを知らしめるべきです。
(弁護士)
帰宅途中の女性が拉致され、殺害された事件がありました。それも、3人の殺人犯は、インターネットで示し合わせ、何の罪もない女性の命をゲーム感覚で奪ってしまったのです。インターネット全盛のこの世の中。仮想ゲームで、平気で人を殺すのに飽きた連中が、今度は、より刺激を求めて、リアルな殺人を選んだのでしょう。
人と人のふれあいでこそ、人の温かみがわかります。パソコンという機械の箱を使ったインターネットを駆使したあげく、結局は、機械の一部になってしまったのでしょう。この殺人犯たちは。
人には、暖かい血が流れているのです。愛情をふれあう家族がいるのです。 自分が、殺人機械の一部になってしまったとすれば、殺人を犯したその機械は、破壊するしかありません。
昔、映画で見たチャップリンの映画に描かれた、歯車の一つになった人間を思い出します。 3人の殺人犯は、もはや人間ではありません。機械なのです。 機械化された人間が、殺人を犯したのであれば、たとえ殺した被害者が一人であろうとも、死刑は、やむを得ないでしょう。
通常の人間は、人を殺せば、殺人罪で処罰され、殺人罪の法律により、死刑で処罰されることがあり得ることを100人中、100人が認識しています。その上で、機械化され、人間としての情を失った無機質な人間が、殺人を犯したのです。
結論は、言うまでもありません。今回、3人の殺人犯のうち、二人が死刑。もう一人が無期懲役となりました。その一人は、自首したからだというのです。
確かに、刑法第42条は、罪を犯した者が、捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を軽減することができる、と規定されています。
しかし、自首であっても、刑の軽減は、法律上、要件ではなく、最良であることが明らかです。悪知恵の働く人間が、自首により、減刑を求めることだってないわけではありません。
裁判所も、形式的な法の適用をしてはいけません。
自首した人間が、もともと、犯罪を犯すにあたって、情状酌量の余地のある状況があったのか。これを審理すべきです。形式的な裁量の対象となる「自首」を理由に、死刑でなく無期懲役に軽減すべきではありません。
この際、裁判所は、人間の尊厳、命の大切さを知らしめるべきです。
(弁護士)
2009年03月19日
◆「法律」は誰のもの
川原俊明
法治国家は、法律の名において国が統治されます。その国が、民主国家であれば、その法律は、国民のためにあります。法律を制定するのも、執行するのも、解釈するのも、です。
民主国家を標榜する日本。
果たして、国民のために、「法律」が運営されているのでしょうか。
最近、こんなニュースを目にしました。急患のために病院へ向かう医師が、途中、スピード違反をしたことがもとで、免許を取り消されてしまった、というのです。
もちろん、スピード違反は、道路交通法など、法律に抵触することで、許容するつもりはありません。
何も、全くおとがめナシにせよ、と言っているのではありません。
しかし、事情が事情でしょう。医師が、本当に、急患のため、一刻も早く病院にたどり着かなければならない事情があったとしたら、です。
杓子定規に、免許取り消しにするほど、馬鹿げた裁定はありません。良識ある国民が、当該の処分官であったら、一等を減ずべきでしょう。今の世の中、政治家をはじめとして、社会のピラミッドの上から腐りきっている、と思われても仕方のない状況があります。
しかし、国民の多くは、常識のある善良は人々ばかりです。処分官は、的確な状況把握の中で、適切な処置、納得できる常識的判断をすべきです。
仮に、それが結果的に一等を減じることになっても、誰も非難するものなどいません。今こそ、法律を国民の手に取り戻すべきでしょう。
そして、法律家も、杓子定規な解釈で、世の中を見ていてはだめです。
(弁護士)
法治国家は、法律の名において国が統治されます。その国が、民主国家であれば、その法律は、国民のためにあります。法律を制定するのも、執行するのも、解釈するのも、です。
民主国家を標榜する日本。
果たして、国民のために、「法律」が運営されているのでしょうか。
最近、こんなニュースを目にしました。急患のために病院へ向かう医師が、途中、スピード違反をしたことがもとで、免許を取り消されてしまった、というのです。
もちろん、スピード違反は、道路交通法など、法律に抵触することで、許容するつもりはありません。
何も、全くおとがめナシにせよ、と言っているのではありません。
しかし、事情が事情でしょう。医師が、本当に、急患のため、一刻も早く病院にたどり着かなければならない事情があったとしたら、です。
杓子定規に、免許取り消しにするほど、馬鹿げた裁定はありません。良識ある国民が、当該の処分官であったら、一等を減ずべきでしょう。今の世の中、政治家をはじめとして、社会のピラミッドの上から腐りきっている、と思われても仕方のない状況があります。
しかし、国民の多くは、常識のある善良は人々ばかりです。処分官は、的確な状況把握の中で、適切な処置、納得できる常識的判断をすべきです。
仮に、それが結果的に一等を減じることになっても、誰も非難するものなどいません。今こそ、法律を国民の手に取り戻すべきでしょう。
そして、法律家も、杓子定規な解釈で、世の中を見ていてはだめです。
(弁護士)
2009年02月23日
◆切り刻まれた命と、切り刻んだ命
川原俊明(弁護士)
東京都江東区のマンションで、ほぼ隣接して居住していた女性の部屋に、強姦目的で侵入したという事件がありました。犯人は、女性に騒がれたが故に、その女性を切り刻み、肉片や骨片にして、トイレに流し、証拠隠滅を図ったというのです。想像するだけでもぞっとするような話です。
この事件に対し、東京地方裁判所は、被告人に、死刑判決でなく、無期懲役刑を言い渡しました。裁判長は、「戦慄すら覚える犯行だが、計画性はなかった。」「死刑を持って望むのは重きに過ぎる。」というのです。
従前の日本の刑事裁判では、罪を犯した被告人の人権擁護のための手続きが重視されてきました。もちろん、えん罪をなくすためには、取り調べを含む刑事手続きは、法律に従って厳格に処理する必要があります。そのために弁護士が、活動すべき場面が多々あります。
しかし、今までの日本の刑事事件は、被害者の人権など、考慮の外でした。被害者には、被告人の処罰内容も知らされず、裁判がいつ行われるのかもわからないまま、刑事裁判が進められてきました。刑事被害者は、事件の片隅に追いやられていたのです。被害者の被害の程度など、被告人の量刑を決めるための物差しに過ぎなかったのです。
それでいいのでしょうか。
被害者の人権、遺族の人権こそ、大切にすべきではないのでしょうか。 最近になって、ようやく、被害者が、刑事裁判の中で、意見陳述の機会を得ることができるようになりました。
犯罪被害者等基本法の制定です。
それでも、日本の殺人事件の量刑の軽さは、疑問です。 従来の刑事裁判での量刑基準では、人を一人殺したくらいでは、死刑にしない、という暗黙の了解が、裁判所内にあります。 これ自体が、世間の常識とかけ離れていると思います。
裁判所基準では、死刑になりたければ、二人以上殺せ、と暗に言おうとしているように思えます。
もちろん、殺人事件と言っても、様々な事情があり、一概には言えません。
その事情を引き出し、実情にあわせた量刑を求めるのが、弁護士の役割です。
しかし、殺人罪は、故意犯なのです。過失によって発生した事態ではありません。殺意をもった犯人は、他人の命の破壊を目的として、人間としての一線を越えた行動をしたのです。
どのような事情があるにせよ、他人を抹殺する決意は、自分が抹殺されてもかまわない、という覚悟があってしかるべきでしょう。
自分が抹殺されるのがいやならば、他人を抹殺すべきではありません。人間社会は、互いの人格を尊重することで成り立っているのですから。刑罰の犯罪抑止力は、そのためにあります。死刑判決もしかりです。
何の罪もない人を、切り刻んで捨てても、死刑にもならない。人を一人殺したくらいでは、死刑にならない。こんな寛容すぎる社会は、犯罪を抑止するどころか、犯罪天国になるでしょう。
いまの日本社会は、組織の上から順に、ガタがきています。大多数の国民の健全な常識によって、健全な社会を取り戻す必要があります。いまこそ、日本の司法は、社会秩序を取り戻すため、諸悪を排斥すべき役割を率先して担うべきでしょう。
死刑廃止論議にかかわることですが、死刑廃止によって、日本の社会がよくなるのでしょうか。
死刑廃止によって、極悪犯罪がなくなり、健全で安心な日本社会の形成に役立つなら、私も大いに賛成です。
しかし現実は、逆でしょう。世界の趨勢が、死刑廃止に向かっている、ということだけで、どうして、現在の日本が、死刑廃止に転換しなければならないのでしょう。
日本の歴史風土、日本人の生命に対する認識など、死刑廃止を受け入れられる環境の熟成が必要です。多少の時間がかかっても、人間同士の強い絆を作るべきです。人間関係が薄れてきている日本の社会こそ、立て直すことが先決だと思います。
東京都江東区のマンションで、ほぼ隣接して居住していた女性の部屋に、強姦目的で侵入したという事件がありました。犯人は、女性に騒がれたが故に、その女性を切り刻み、肉片や骨片にして、トイレに流し、証拠隠滅を図ったというのです。想像するだけでもぞっとするような話です。
この事件に対し、東京地方裁判所は、被告人に、死刑判決でなく、無期懲役刑を言い渡しました。裁判長は、「戦慄すら覚える犯行だが、計画性はなかった。」「死刑を持って望むのは重きに過ぎる。」というのです。
従前の日本の刑事裁判では、罪を犯した被告人の人権擁護のための手続きが重視されてきました。もちろん、えん罪をなくすためには、取り調べを含む刑事手続きは、法律に従って厳格に処理する必要があります。そのために弁護士が、活動すべき場面が多々あります。
しかし、今までの日本の刑事事件は、被害者の人権など、考慮の外でした。被害者には、被告人の処罰内容も知らされず、裁判がいつ行われるのかもわからないまま、刑事裁判が進められてきました。刑事被害者は、事件の片隅に追いやられていたのです。被害者の被害の程度など、被告人の量刑を決めるための物差しに過ぎなかったのです。
それでいいのでしょうか。
被害者の人権、遺族の人権こそ、大切にすべきではないのでしょうか。 最近になって、ようやく、被害者が、刑事裁判の中で、意見陳述の機会を得ることができるようになりました。
犯罪被害者等基本法の制定です。
それでも、日本の殺人事件の量刑の軽さは、疑問です。 従来の刑事裁判での量刑基準では、人を一人殺したくらいでは、死刑にしない、という暗黙の了解が、裁判所内にあります。 これ自体が、世間の常識とかけ離れていると思います。
裁判所基準では、死刑になりたければ、二人以上殺せ、と暗に言おうとしているように思えます。
もちろん、殺人事件と言っても、様々な事情があり、一概には言えません。
その事情を引き出し、実情にあわせた量刑を求めるのが、弁護士の役割です。
しかし、殺人罪は、故意犯なのです。過失によって発生した事態ではありません。殺意をもった犯人は、他人の命の破壊を目的として、人間としての一線を越えた行動をしたのです。
どのような事情があるにせよ、他人を抹殺する決意は、自分が抹殺されてもかまわない、という覚悟があってしかるべきでしょう。
自分が抹殺されるのがいやならば、他人を抹殺すべきではありません。人間社会は、互いの人格を尊重することで成り立っているのですから。刑罰の犯罪抑止力は、そのためにあります。死刑判決もしかりです。
何の罪もない人を、切り刻んで捨てても、死刑にもならない。人を一人殺したくらいでは、死刑にならない。こんな寛容すぎる社会は、犯罪を抑止するどころか、犯罪天国になるでしょう。
いまの日本社会は、組織の上から順に、ガタがきています。大多数の国民の健全な常識によって、健全な社会を取り戻す必要があります。いまこそ、日本の司法は、社会秩序を取り戻すため、諸悪を排斥すべき役割を率先して担うべきでしょう。
死刑廃止論議にかかわることですが、死刑廃止によって、日本の社会がよくなるのでしょうか。
死刑廃止によって、極悪犯罪がなくなり、健全で安心な日本社会の形成に役立つなら、私も大いに賛成です。
しかし現実は、逆でしょう。世界の趨勢が、死刑廃止に向かっている、ということだけで、どうして、現在の日本が、死刑廃止に転換しなければならないのでしょう。
日本の歴史風土、日本人の生命に対する認識など、死刑廃止を受け入れられる環境の熟成が必要です。多少の時間がかかっても、人間同士の強い絆を作るべきです。人間関係が薄れてきている日本の社会こそ、立て直すことが先決だと思います。
2009年02月18日
◆WTCへの移転は、何のため?
川原俊明(弁護士)
橋下府知事の就任以来の言動をみていると、マスコミ受けを狙ったタレントとしての観点から、「奇をてらう」ものばかりです。
将来を見越した政治家としての発言がありません。出馬段階から、「2万%出ない。」などと公言しながら、陰で、チャッカリ出馬工作をしていたくらいですから・・・。
伊丹空港廃止論も、然りです。関西国際空港活性化のためとはいえ、伊丹周辺を取り巻く地域社会の現状や、必要性を分析しないまま、思いつき発言がなされたのには、あきれてしまいます。結局、伊丹空港廃止論は、後日、撤回に至りました。
肝腎のマスコミの姿勢も、人気タレントとしての橋下氏をチヤホヤするだけです。府知事としての言動をあらゆる角度から検証し、府民の立場から、批判すべきこと、問題点の存在を、大いに指摘すべきでしょう。
橋下府知事は、未だ、ワッハ上方などの大阪の文化そのものを次々に破壊する方針を打ち出しています。目立ちたがりのタレントぶった一人の思いつき発言で、大阪府民が長年にわたって培ってきた文化を消されてしまっていいのでしょうか。大阪府の財政再建論議と重ねて問題提起されていますが、文化は、一度失われると、再生できないか、再生できるとしても、多大の経費と時間を要します。
さて昨今、府庁移転問題が取り上げられています。大阪市中央区にある大阪府庁。 大阪府庁は、大阪のシンボルである大阪城の堀に面しています。大阪の中心地として、行政機能を果たすにふさわしい立地条件にめぐまれています。隣接する大阪府警本部や裁判所、公私立の教育施設、NHKの報道機関など、行政機能と一体化、集約した機関がそこに集中しています。
橋下府知事は、財政再建のもとに、府庁の立て替え構想を排斥し、一見、安い買い物だとの安易な見識から、積極的に府庁移転構想を進めようとしています。
しかし、府庁は、大阪府を代表する建造物として、府民のため、府のため、国民のため、あらゆる総合的な検討のもとに、移築か新築かを決めなければなりません。単に、評価額が、安い高い、の問題ではありません。
もし、今、大阪府にお金がなければ、現時点での移転計画そのものをやめればいいだけの話です。府庁建造物の建替えもしくは移転の論議は、存立する場所の歴史的背景、立地条件、府民の利用のための交通の便宜、警察機構など防犯機能、情報発信機関など、多角的観点から、本当に移転が正しいのか、もっと大阪府民全体の意見を集約して結論を出すべきです。
人気タレントの得票数が、すべての施策を是認した訳ではありません。もともと、大阪市住之江区にある第三セクター「大阪ワールドトレードセンタービル」(WTC)は、大阪市が大金を投入しながら、立地条件を含め、事業として成り立たなくなったから、手放そうとしているビルです。
ということは、そのビルそのものが、もともと商品価値がないのです。建築した大阪市は、行政能力のなさを覆い隠すため、安易な橋下構想に便乗して、必死で大阪府へ売却をすすめているものです。
しかも、WTCビルの鑑定評価方法には、大変な問題を抱えています。大阪府と大阪市の「共同鑑定」をしたことです。
本来、大阪府も大阪市も、それぞれの運営財源は、府民から徴収した税金で成り立っています。当初、WTCビルの鑑定評価額は、売り手の大阪市が153億円だったのに、買い手の大阪府では95億円と、60億円もの隔たりがありました。それぞれの鑑定は、不動産鑑定士が査定しており、それなりの根拠があるはずです。
ところが、「共同鑑定」により、99億円と設定しました。 この価格は、大阪市から大阪府が買い上げるための金額設定を、いわば談合して決めようとしています。府民を馬鹿にしています。
これでは、公共団体として、公金支出の透明性が、担保されていません。 大阪市も、153億と評価された建物を、第三者への入札を経ることなく、ほぼ大阪府の言い値に近い評価額を共同鑑定という名の下に、「出来レース」を演じようとしているのです。
平松市長も、市民の税金を粗末に扱うことは許されません。橋下府知事も、移転と立て替えの表面上の金額対比だけでなく、もっと高い見識の元に、府庁移転問題を議論すべきです。
WTCビルは、府庁の全面移転に必要な使用スペースから、約4000平米も足らず、移転しても、隣接地に、さらに別のビルを購入、もしくは賃貸しなければなりません。その費用は、橋下府知事も計上していません。
もともと、WTCビルの立地は、埋め立て地であり、万が一の場合、震災による液状化現象を想定しなければいけません。
さらには、警護設備など、移設には、付属の設備に多額の経費がかかることを、隠さず議論すべきです。
人気タレントの思いつき発言により、大阪を潰してはならないのです。大阪府民へのサービス向上に繋がる施策を打ち出すべきでしょう。思いつきのWTCビル移転構想は、直ちにやめるべきです。(完)
橋下府知事の就任以来の言動をみていると、マスコミ受けを狙ったタレントとしての観点から、「奇をてらう」ものばかりです。
将来を見越した政治家としての発言がありません。出馬段階から、「2万%出ない。」などと公言しながら、陰で、チャッカリ出馬工作をしていたくらいですから・・・。
伊丹空港廃止論も、然りです。関西国際空港活性化のためとはいえ、伊丹周辺を取り巻く地域社会の現状や、必要性を分析しないまま、思いつき発言がなされたのには、あきれてしまいます。結局、伊丹空港廃止論は、後日、撤回に至りました。
肝腎のマスコミの姿勢も、人気タレントとしての橋下氏をチヤホヤするだけです。府知事としての言動をあらゆる角度から検証し、府民の立場から、批判すべきこと、問題点の存在を、大いに指摘すべきでしょう。
橋下府知事は、未だ、ワッハ上方などの大阪の文化そのものを次々に破壊する方針を打ち出しています。目立ちたがりのタレントぶった一人の思いつき発言で、大阪府民が長年にわたって培ってきた文化を消されてしまっていいのでしょうか。大阪府の財政再建論議と重ねて問題提起されていますが、文化は、一度失われると、再生できないか、再生できるとしても、多大の経費と時間を要します。
さて昨今、府庁移転問題が取り上げられています。大阪市中央区にある大阪府庁。 大阪府庁は、大阪のシンボルである大阪城の堀に面しています。大阪の中心地として、行政機能を果たすにふさわしい立地条件にめぐまれています。隣接する大阪府警本部や裁判所、公私立の教育施設、NHKの報道機関など、行政機能と一体化、集約した機関がそこに集中しています。
橋下府知事は、財政再建のもとに、府庁の立て替え構想を排斥し、一見、安い買い物だとの安易な見識から、積極的に府庁移転構想を進めようとしています。
しかし、府庁は、大阪府を代表する建造物として、府民のため、府のため、国民のため、あらゆる総合的な検討のもとに、移築か新築かを決めなければなりません。単に、評価額が、安い高い、の問題ではありません。
もし、今、大阪府にお金がなければ、現時点での移転計画そのものをやめればいいだけの話です。府庁建造物の建替えもしくは移転の論議は、存立する場所の歴史的背景、立地条件、府民の利用のための交通の便宜、警察機構など防犯機能、情報発信機関など、多角的観点から、本当に移転が正しいのか、もっと大阪府民全体の意見を集約して結論を出すべきです。
人気タレントの得票数が、すべての施策を是認した訳ではありません。もともと、大阪市住之江区にある第三セクター「大阪ワールドトレードセンタービル」(WTC)は、大阪市が大金を投入しながら、立地条件を含め、事業として成り立たなくなったから、手放そうとしているビルです。
ということは、そのビルそのものが、もともと商品価値がないのです。建築した大阪市は、行政能力のなさを覆い隠すため、安易な橋下構想に便乗して、必死で大阪府へ売却をすすめているものです。
しかも、WTCビルの鑑定評価方法には、大変な問題を抱えています。大阪府と大阪市の「共同鑑定」をしたことです。
本来、大阪府も大阪市も、それぞれの運営財源は、府民から徴収した税金で成り立っています。当初、WTCビルの鑑定評価額は、売り手の大阪市が153億円だったのに、買い手の大阪府では95億円と、60億円もの隔たりがありました。それぞれの鑑定は、不動産鑑定士が査定しており、それなりの根拠があるはずです。
ところが、「共同鑑定」により、99億円と設定しました。 この価格は、大阪市から大阪府が買い上げるための金額設定を、いわば談合して決めようとしています。府民を馬鹿にしています。
これでは、公共団体として、公金支出の透明性が、担保されていません。 大阪市も、153億と評価された建物を、第三者への入札を経ることなく、ほぼ大阪府の言い値に近い評価額を共同鑑定という名の下に、「出来レース」を演じようとしているのです。
平松市長も、市民の税金を粗末に扱うことは許されません。橋下府知事も、移転と立て替えの表面上の金額対比だけでなく、もっと高い見識の元に、府庁移転問題を議論すべきです。
WTCビルは、府庁の全面移転に必要な使用スペースから、約4000平米も足らず、移転しても、隣接地に、さらに別のビルを購入、もしくは賃貸しなければなりません。その費用は、橋下府知事も計上していません。
もともと、WTCビルの立地は、埋め立て地であり、万が一の場合、震災による液状化現象を想定しなければいけません。
さらには、警護設備など、移設には、付属の設備に多額の経費がかかることを、隠さず議論すべきです。
人気タレントの思いつき発言により、大阪を潰してはならないのです。大阪府民へのサービス向上に繋がる施策を打ち出すべきでしょう。思いつきのWTCビル移転構想は、直ちにやめるべきです。(完)
2009年02月07日
◆交通事故被害者を救済せよ
川原俊明(弁護士)
多発するひき逃げ事件。
発生率ワーストワンといわれるほどに運転マナーの悪い大阪。 たとえ歩行者用信号が青になっても、信号をそのまま信用していたら、命を落とします。ご注意!!
「石橋を叩いて渡る。」まさに名言があります。自分の身を守るためには、道路の左右を凝視し、右折左折の車両、あるいは信号無視で突っ込んでくる車両のないことを確認する必要があるのです。
先行する人並みを盾として、おっかなびっくりで横断歩道を渡ります。それでも突っ込んでくる鉄のかたまりにぶつかれば、生身の人間は、ひとたまりもありません。
それなのに、現実の交通事故被害者は、泣き寝入りがちです。甚大な被害の割に、救済がお粗末だからです。日本での、人命の値段の安さはあきれかえってしまいます。
そのためにも、交通事故被害者救済の観点から、刑事・民事の両面で、法律を大いに駆使すべきでしょう。
【刑事】
刑事裁判は、犯人処罰を目的としています。損害賠償など、民事上の問題は、民事裁判にゆだねられています。
しかし、たとえ、悪質な交通事故加害者を、殺人罪、業務上過失致死傷罪などで厳罰処罰しただけでは、被害者の損失は補填されません。場合によっては、不自由な体のため、仕事も奪われ、明日からの生活も困窮する事態を招きます。
被害者にとっては、人生の未来をも奪われてしまうことがあるのです。しかも、加害者のすべてが、車両の任意保険に加入しているとは限りません。切れた保険のまま運転している場合もあるのです。
この場合は、損害を、保険でもカバーできないのです。
そこで、改正された犯罪被害者保護刑事手続法。
刑事裁判で、殺人、傷害など故意の犯罪行為により人を死傷させた場合、有罪の判決の言い渡しがあったのち、刑事裁判所に対し、刑事事件の訴因を原因とする不法行為に基づく損害賠償を被告人に命ずる旨の申し立てをすることができるようになりました。悪質なひき逃げ事犯などに適用されます。
簡単に言えば、刑事裁判官が、被告人に対し、損害賠償命令を出すことができるようになったのです。画期的なことです。この命令は、民事裁判の確定判決と同様の効力が生じ、強制執行力があります。ぜひ被害者救済のため、活用すべきでしょう。
【民事】
いままで、後遺症損害について、逸失利益(いっしつりえき)という言葉で、将来にわたる労働能力の損失の程度を等級別に認定し、賠償額を決めてきました。
たとえば、67歳まで満足に働けたはずの体が、交通事故被害により、足腰が負傷し、50パーセントくらいしか使えないため、将来にわたって得られるはずの収入を、現時点で損失補填しようとするものです。
ところが、ここに、計算上の問題点があります。損害額は、被害者の現時点での収入を基準に、何十年先の将来にわたる損害までも、現時点で算出し、賠償する必要があります。でないと、現時点での解決ができないからです。
このため、どうしても将来の損害について、中間利息を差し引いて、現時点での損害として計算する必要があります。
たとえば、の話。10年先の損失額100万円について、中間利息を差し引いて現時点では、50万円として計算するのです。
しかし、その計算方式に大いに問題があります。現在、裁判所では、中間利息の計算に、二つの方法がとられてきました。ライプニッツ方式と、ホフマン方式です。
前者は、複利方式を採用し、後者は、単利方式を採用しています。損害算定にあたって、ライプニッツ方式で計算すれば、現在、手にする将来の損害額は、複利計算のため大幅に減額されてしまいます。
ホフマン方式では、中間利息が単利計算のため、将来損失を、ライプニッツ方式より多額の算出ができます。
従来、ライプニッツ方式は東京方式、ホフマン方式は、大阪方式として、裁判所ごとに別々の方式により、賠償額を算定してきた経過があります。
ところが、最近、東京・大阪の裁判官が、統一的に、ライプニッツ方式で計算することの意見を提言しました。このため、全国的に、ライプニッツ方式での賠償額算定をする判決が多くなっています。
しかし、もともと日本の命の安い評価を考えれば、むしろ、ホフマン方式で統一し、被害者救済をすべきなのです。
裁判所は、時代に逆行してはいけません。
最高裁判所は、いずれの方式も、適切であると明言しているのです。私たち、弁護士は、交通事故被害者に対し、より多くの救済をはかるため、
最大限、法律を駆使すべきでしょう。
多発するひき逃げ事件。
発生率ワーストワンといわれるほどに運転マナーの悪い大阪。 たとえ歩行者用信号が青になっても、信号をそのまま信用していたら、命を落とします。ご注意!!
「石橋を叩いて渡る。」まさに名言があります。自分の身を守るためには、道路の左右を凝視し、右折左折の車両、あるいは信号無視で突っ込んでくる車両のないことを確認する必要があるのです。
先行する人並みを盾として、おっかなびっくりで横断歩道を渡ります。それでも突っ込んでくる鉄のかたまりにぶつかれば、生身の人間は、ひとたまりもありません。
それなのに、現実の交通事故被害者は、泣き寝入りがちです。甚大な被害の割に、救済がお粗末だからです。日本での、人命の値段の安さはあきれかえってしまいます。
そのためにも、交通事故被害者救済の観点から、刑事・民事の両面で、法律を大いに駆使すべきでしょう。
【刑事】
刑事裁判は、犯人処罰を目的としています。損害賠償など、民事上の問題は、民事裁判にゆだねられています。
しかし、たとえ、悪質な交通事故加害者を、殺人罪、業務上過失致死傷罪などで厳罰処罰しただけでは、被害者の損失は補填されません。場合によっては、不自由な体のため、仕事も奪われ、明日からの生活も困窮する事態を招きます。
被害者にとっては、人生の未来をも奪われてしまうことがあるのです。しかも、加害者のすべてが、車両の任意保険に加入しているとは限りません。切れた保険のまま運転している場合もあるのです。
この場合は、損害を、保険でもカバーできないのです。
そこで、改正された犯罪被害者保護刑事手続法。
刑事裁判で、殺人、傷害など故意の犯罪行為により人を死傷させた場合、有罪の判決の言い渡しがあったのち、刑事裁判所に対し、刑事事件の訴因を原因とする不法行為に基づく損害賠償を被告人に命ずる旨の申し立てをすることができるようになりました。悪質なひき逃げ事犯などに適用されます。
簡単に言えば、刑事裁判官が、被告人に対し、損害賠償命令を出すことができるようになったのです。画期的なことです。この命令は、民事裁判の確定判決と同様の効力が生じ、強制執行力があります。ぜひ被害者救済のため、活用すべきでしょう。
【民事】
いままで、後遺症損害について、逸失利益(いっしつりえき)という言葉で、将来にわたる労働能力の損失の程度を等級別に認定し、賠償額を決めてきました。
たとえば、67歳まで満足に働けたはずの体が、交通事故被害により、足腰が負傷し、50パーセントくらいしか使えないため、将来にわたって得られるはずの収入を、現時点で損失補填しようとするものです。
ところが、ここに、計算上の問題点があります。損害額は、被害者の現時点での収入を基準に、何十年先の将来にわたる損害までも、現時点で算出し、賠償する必要があります。でないと、現時点での解決ができないからです。
このため、どうしても将来の損害について、中間利息を差し引いて、現時点での損害として計算する必要があります。
たとえば、の話。10年先の損失額100万円について、中間利息を差し引いて現時点では、50万円として計算するのです。
しかし、その計算方式に大いに問題があります。現在、裁判所では、中間利息の計算に、二つの方法がとられてきました。ライプニッツ方式と、ホフマン方式です。
前者は、複利方式を採用し、後者は、単利方式を採用しています。損害算定にあたって、ライプニッツ方式で計算すれば、現在、手にする将来の損害額は、複利計算のため大幅に減額されてしまいます。
ホフマン方式では、中間利息が単利計算のため、将来損失を、ライプニッツ方式より多額の算出ができます。
従来、ライプニッツ方式は東京方式、ホフマン方式は、大阪方式として、裁判所ごとに別々の方式により、賠償額を算定してきた経過があります。
ところが、最近、東京・大阪の裁判官が、統一的に、ライプニッツ方式で計算することの意見を提言しました。このため、全国的に、ライプニッツ方式での賠償額算定をする判決が多くなっています。
しかし、もともと日本の命の安い評価を考えれば、むしろ、ホフマン方式で統一し、被害者救済をすべきなのです。
裁判所は、時代に逆行してはいけません。
最高裁判所は、いずれの方式も、適切であると明言しているのです。私たち、弁護士は、交通事故被害者に対し、より多くの救済をはかるため、
最大限、法律を駆使すべきでしょう。