2009年04月04日

◆予想を下回る「年金離婚」者数

川原俊明

平成19年度4月、そして、さらに平成20年4月の法律改正により、厚生年金の離婚時分割制度が実施されるようになりました。
  
長年にわたり家庭内別居を続けてきた仮面夫婦。

この法案が審議されていた頃、彼らに朗報、とばかり、マスコミが騒ぎたてた年金離婚。年金分割制度の実施を機会に、平成20年4月以降、熟年離婚の急増が想定されていたのです。

ところが、意外な現実が判明しました。年金分割制度が実施されて約1年経過した統計では、なんと、「年金離婚」者数は、予想を下回っていたそうです。

様々な要因が考えられます。私は、次のように分析しました。

@分割制度への幻滅

分割額は、夫の厚生年金額の半分ではない。
分割制度は、夫名義の厚生年金額が、そのまま妻に半額分割されるものでないのです。
この理解が、徐々に浸透してきたのでしょう。

平成19年4月以降に離婚した夫婦は、それ以前の婚姻期間中の保険料納付記録が、2分の1を上限に、請求によって初めて、分割されます。夫の厚生年金額全体の半分分割、という幻想は、これで、醒めてしまいます。

A相続の方が得
 
せっかくの年金分割が、この程度か、となると、発想が代わります。ここまで我慢してきたのだから、もう少し、ついでに我慢しておこう。

どうせ、男の平均寿命は、女よりも、6歳ほど短いのだから、離婚で経済的に苦労するよりも、たっぷり、相続でもらったほうがいい。 この方が正解かもしれません。

B余りにも不況

不況下で生き延びるには、夫婦共同体がいい。
たとえ年金を分けてもらっても、この不況下で、別々の生活を営むには、経済環境が余りにもお寒い。
一から生活を始めることの経済的負担がどれほど大きいか。

多くの賢明な仮面夫婦さん。
夫婦は、いつまでも仲良くするものです。(完)
                         <弁護士>



2009年03月26日

◆「角を矯めて牛を殺す」日弁連

川原俊明

牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとすれば、かえって牛を殺してしまうことになります。小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまう、のたとえです。 

日本弁護士連合会が、最近、次のような決議をするそうです。
「弁護士費用をクレジットカード決済で利用した場合、そのこと自体が直ちに懲戒対象になるものではないが、他の要因と重なり合った場合、懲戒対象となり得る。」
 
いかに弁護士業界が、世間ズレしているかを示す一例です。
 
日弁連は、弁護士報酬を、「僧侶に対するお布施」と同視しているのでしょうか。たしかに、法事で読経していただいたお坊さんに、クレジットカードで、お布施を決済するのは、見たことがありません。

いままで、日弁連は、弁護士が利益を得ることそのものを、潔よしとしない体質がありました。

弁護士は、聖職なのだ、と。確かに、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義の実現が使命です。

<弁護士法第1条>
しかし、弁護士業務は、れっきとした社会活動として、法的サービス業務なのです。業務に対する報酬の発生は、当然のこと、と認識すべきです。

それも、法律のプロとして、積極的な社会貢献、社会活動をすべきでしょう。弁護士報酬が、法的サービスの対価であるとしたら、依頼者からの報酬の支払い方法に制限を設ける、という議論自体が問題です。
 
弁護士報酬は、何も現金でなければならない、ということはないはずです。もちろん、現金の方がありがたいのは山々ですが・・・。

(クレジットカード決済の場合、加盟店である法律事務所は、カード会社に5%の手数料を取られます。)

依頼者に、手元に現金がない場合、事件を弁護士に委任できないのでしょうか。小切手や約束手形での振り出しは、だめなのでしょうか。

弁護士が、小切手決済に応じて、何か悪いことがあるのでしょうか。
 
これと同じことが、弁護士報酬のクレジットカード決済です。クレジットカードが、世の中に普及してすでに50年を経過しています。今の日本では、社会人は、クレジットカードを複数枚所持しているのが一般的な姿です。

弁護士という人種は、クレジットカードを持っていないのでしょうか。 「カード利用は悪だ」、と認識する弁護士おじさんが、多いのでしょうか。
 
弁護士が、買い物に自分のクレジットカードを使ったりするくせに、弁護士業務の対価に、依頼者にはクレジットカードを使わせない、とするほうが、間違っています。
 
大病院において、現金の手持ちがない急患が、クレジットカードで治療費を支払っています。何か問題があるのでしょうか。それと同じことでしょう。

弁護士会の中では、カード利用に対し、次のような反対意見があります。
破産寸前の依頼者に、破産申立費用をクレジットカード決済するのは、許されない。

しかし、これを許してならないのは、当然のことでしょう。

もし、カード決済のできないことが明白な依頼者に、カード決済を許せば、弁護士は、依頼者とともに詐欺の共犯です。こんなことは当たり前でしょう。これは、弁護士倫理の問題です。

クレジットカード利用の是非と、弁護士倫理の議論を置き換える方が間違っています。

依頼者が、カード会社のポイントサービスを受けるため、カードでの支払いを求めることがあります。カード利用を当然と考える依頼者にとって、法的サービスの対価である弁護士費用も、商品購入と何らかわりがないのです。

弁護士会は、いままで、世間から、お高くとまっていた体質を改善しようと、しきりに「依頼者の目線」を公言します。

でも、クレジットカード利用の一点をとらえてみても、依頼者の影はまったくありません。

弁護士の体質、社会常識の保持など、弁護士そのものを改善しなければ、世間に笑われる議論をいつまでも続けることになります。

こんなことでは、日本の弁護士業界は、世界に通用しません。読売新聞(東京版)は、日弁連の決議に対し、私のコメントを掲載するそうです。
                                            (弁護士)


2009年03月21日

◆闇サイト殺人事件は「死刑」が当然

川原俊明

帰宅途中の女性が拉致され、殺害された事件がありました。それも、3人の殺人犯は、インターネットで示し合わせ、何の罪もない女性の命をゲーム感覚で奪ってしまったのです。インターネット全盛のこの世の中。仮想ゲームで、平気で人を殺すのに飽きた連中が、今度は、より刺激を求めて、リアルな殺人を選んだのでしょう。
 
人と人のふれあいでこそ、人の温かみがわかります。パソコンという機械の箱を使ったインターネットを駆使したあげく、結局は、機械の一部になってしまったのでしょう。この殺人犯たちは。
 
人には、暖かい血が流れているのです。愛情をふれあう家族がいるのです。 自分が、殺人機械の一部になってしまったとすれば、殺人を犯したその機械は、破壊するしかありません。
 
昔、映画で見たチャップリンの映画に描かれた、歯車の一つになった人間を思い出します。 3人の殺人犯は、もはや人間ではありません。機械なのです。 機械化された人間が、殺人を犯したのであれば、たとえ殺した被害者が一人であろうとも、死刑は、やむを得ないでしょう。
 
通常の人間は、人を殺せば、殺人罪で処罰され、殺人罪の法律により、死刑で処罰されることがあり得ることを100人中、100人が認識しています。その上で、機械化され、人間としての情を失った無機質な人間が、殺人を犯したのです。
 
結論は、言うまでもありません。今回、3人の殺人犯のうち、二人が死刑。もう一人が無期懲役となりました。その一人は、自首したからだというのです。
 
確かに、刑法第42条は、罪を犯した者が、捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を軽減することができる、と規定されています。
 
しかし、自首であっても、刑の軽減は、法律上、要件ではなく、最良であることが明らかです。悪知恵の働く人間が、自首により、減刑を求めることだってないわけではありません。
 
裁判所も、形式的な法の適用をしてはいけません。
 
自首した人間が、もともと、犯罪を犯すにあたって、情状酌量の余地のある状況があったのか。これを審理すべきです。形式的な裁量の対象となる「自首」を理由に、死刑でなく無期懲役に軽減すべきではありません。
 
この際、裁判所は、人間の尊厳、命の大切さを知らしめるべきです。
                                  (弁護士)


2009年03月19日

◆「法律」は誰のもの

                 川原俊明

法治国家は、法律の名において国が統治されます。その国が、民主国家であれば、その法律は、国民のためにあります。法律を制定するのも、執行するのも、解釈するのも、です。

民主国家を標榜する日本。
果たして、国民のために、「法律」が運営されているのでしょうか。

最近、こんなニュースを目にしました。急患のために病院へ向かう医師が、途中、スピード違反をしたことがもとで、免許を取り消されてしまった、というのです。

もちろん、スピード違反は、道路交通法など、法律に抵触することで、許容するつもりはありません。
何も、全くおとがめナシにせよ、と言っているのではありません。

しかし、事情が事情でしょう。医師が、本当に、急患のため、一刻も早く病院にたどり着かなければならない事情があったとしたら、です。

杓子定規に、免許取り消しにするほど、馬鹿げた裁定はありません。良識ある国民が、当該の処分官であったら、一等を減ずべきでしょう。今の世の中、政治家をはじめとして、社会のピラミッドの上から腐りきっている、と思われても仕方のない状況があります。

しかし、国民の多くは、常識のある善良は人々ばかりです。処分官は、的確な状況把握の中で、適切な処置、納得できる常識的判断をすべきです。

仮に、それが結果的に一等を減じることになっても、誰も非難するものなどいません。今こそ、法律を国民の手に取り戻すべきでしょう。

そして、法律家も、杓子定規な解釈で、世の中を見ていてはだめです。
                                  (弁護士)


2009年02月23日

◆切り刻まれた命と、切り刻んだ命

川原俊明(弁護士)

東京都江東区のマンションで、ほぼ隣接して居住していた女性の部屋に、強姦目的で侵入したという事件がありました。犯人は、女性に騒がれたが故に、その女性を切り刻み、肉片や骨片にして、トイレに流し、証拠隠滅を図ったというのです。想像するだけでもぞっとするような話です。

この事件に対し、東京地方裁判所は、被告人に、死刑判決でなく、無期懲役刑を言い渡しました。裁判長は、「戦慄すら覚える犯行だが、計画性はなかった。」「死刑を持って望むのは重きに過ぎる。」というのです。

従前の日本の刑事裁判では、罪を犯した被告人の人権擁護のための手続きが重視されてきました。もちろん、えん罪をなくすためには、取り調べを含む刑事手続きは、法律に従って厳格に処理する必要があります。そのために弁護士が、活動すべき場面が多々あります。

しかし、今までの日本の刑事事件は、被害者の人権など、考慮の外でした。被害者には、被告人の処罰内容も知らされず、裁判がいつ行われるのかもわからないまま、刑事裁判が進められてきました。刑事被害者は、事件の片隅に追いやられていたのです。被害者の被害の程度など、被告人の量刑を決めるための物差しに過ぎなかったのです。
 
それでいいのでしょうか。
 
被害者の人権、遺族の人権こそ、大切にすべきではないのでしょうか。 最近になって、ようやく、被害者が、刑事裁判の中で、意見陳述の機会を得ることができるようになりました。

犯罪被害者等基本法の制定です。
 
それでも、日本の殺人事件の量刑の軽さは、疑問です。 従来の刑事裁判での量刑基準では、人を一人殺したくらいでは、死刑にしない、という暗黙の了解が、裁判所内にあります。 これ自体が、世間の常識とかけ離れていると思います。

裁判所基準では、死刑になりたければ、二人以上殺せ、と暗に言おうとしているように思えます。
 
もちろん、殺人事件と言っても、様々な事情があり、一概には言えません。
その事情を引き出し、実情にあわせた量刑を求めるのが、弁護士の役割です。 

しかし、殺人罪は、故意犯なのです。過失によって発生した事態ではありません。殺意をもった犯人は、他人の命の破壊を目的として、人間としての一線を越えた行動をしたのです。

どのような事情があるにせよ、他人を抹殺する決意は、自分が抹殺されてもかまわない、という覚悟があってしかるべきでしょう。

自分が抹殺されるのがいやならば、他人を抹殺すべきではありません。人間社会は、互いの人格を尊重することで成り立っているのですから。刑罰の犯罪抑止力は、そのためにあります。死刑判決もしかりです。

何の罪もない人を、切り刻んで捨てても、死刑にもならない。人を一人殺したくらいでは、死刑にならない。こんな寛容すぎる社会は、犯罪を抑止するどころか、犯罪天国になるでしょう。

いまの日本社会は、組織の上から順に、ガタがきています。大多数の国民の健全な常識によって、健全な社会を取り戻す必要があります。いまこそ、日本の司法は、社会秩序を取り戻すため、諸悪を排斥すべき役割を率先して担うべきでしょう。

死刑廃止論議にかかわることですが、死刑廃止によって、日本の社会がよくなるのでしょうか。

死刑廃止によって、極悪犯罪がなくなり、健全で安心な日本社会の形成に役立つなら、私も大いに賛成です。

しかし現実は、逆でしょう。世界の趨勢が、死刑廃止に向かっている、ということだけで、どうして、現在の日本が、死刑廃止に転換しなければならないのでしょう。

日本の歴史風土、日本人の生命に対する認識など、死刑廃止を受け入れられる環境の熟成が必要です。多少の時間がかかっても、人間同士の強い絆を作るべきです。人間関係が薄れてきている日本の社会こそ、立て直すことが先決だと思います。


2009年02月18日

◆WTCへの移転は、何のため?

                川原俊明(弁護士)

橋下府知事の就任以来の言動をみていると、マスコミ受けを狙ったタレントとしての観点から、「奇をてらう」ものばかりです。

将来を見越した政治家としての発言がありません。出馬段階から、「2万%出ない。」などと公言しながら、陰で、チャッカリ出馬工作をしていたくらいですから・・・。

伊丹空港廃止論も、然りです。関西国際空港活性化のためとはいえ、伊丹周辺を取り巻く地域社会の現状や、必要性を分析しないまま、思いつき発言がなされたのには、あきれてしまいます。結局、伊丹空港廃止論は、後日、撤回に至りました。

肝腎のマスコミの姿勢も、人気タレントとしての橋下氏をチヤホヤするだけです。府知事としての言動をあらゆる角度から検証し、府民の立場から、批判すべきこと、問題点の存在を、大いに指摘すべきでしょう。

橋下府知事は、未だ、ワッハ上方などの大阪の文化そのものを次々に破壊する方針を打ち出しています。目立ちたがりのタレントぶった一人の思いつき発言で、大阪府民が長年にわたって培ってきた文化を消されてしまっていいのでしょうか。大阪府の財政再建論議と重ねて問題提起されていますが、文化は、一度失われると、再生できないか、再生できるとしても、多大の経費と時間を要します。
 
さて昨今、府庁移転問題が取り上げられています。大阪市中央区にある大阪府庁。 大阪府庁は、大阪のシンボルである大阪城の堀に面しています。大阪の中心地として、行政機能を果たすにふさわしい立地条件にめぐまれています。隣接する大阪府警本部や裁判所、公私立の教育施設、NHKの報道機関など、行政機能と一体化、集約した機関がそこに集中しています。
 
橋下府知事は、財政再建のもとに、府庁の立て替え構想を排斥し、一見、安い買い物だとの安易な見識から、積極的に府庁移転構想を進めようとしています。
 
しかし、府庁は、大阪府を代表する建造物として、府民のため、府のため、国民のため、あらゆる総合的な検討のもとに、移築か新築かを決めなければなりません。単に、評価額が、安い高い、の問題ではありません。

もし、今、大阪府にお金がなければ、現時点での移転計画そのものをやめればいいだけの話です。府庁建造物の建替えもしくは移転の論議は、存立する場所の歴史的背景、立地条件、府民の利用のための交通の便宜、警察機構など防犯機能、情報発信機関など、多角的観点から、本当に移転が正しいのか、もっと大阪府民全体の意見を集約して結論を出すべきです。

人気タレントの得票数が、すべての施策を是認した訳ではありません。もともと、大阪市住之江区にある第三セクター「大阪ワールドトレードセンタービル」(WTC)は、大阪市が大金を投入しながら、立地条件を含め、事業として成り立たなくなったから、手放そうとしているビルです。

ということは、そのビルそのものが、もともと商品価値がないのです。建築した大阪市は、行政能力のなさを覆い隠すため、安易な橋下構想に便乗して、必死で大阪府へ売却をすすめているものです。

しかも、WTCビルの鑑定評価方法には、大変な問題を抱えています。大阪府と大阪市の「共同鑑定」をしたことです。
 
本来、大阪府も大阪市も、それぞれの運営財源は、府民から徴収した税金で成り立っています。当初、WTCビルの鑑定評価額は、売り手の大阪市が153億円だったのに、買い手の大阪府では95億円と、60億円もの隔たりがありました。それぞれの鑑定は、不動産鑑定士が査定しており、それなりの根拠があるはずです。
 
ところが、「共同鑑定」により、99億円と設定しました。 この価格は、大阪市から大阪府が買い上げるための金額設定を、いわば談合して決めようとしています。府民を馬鹿にしています。
 
これでは、公共団体として、公金支出の透明性が、担保されていません。 大阪市も、153億と評価された建物を、第三者への入札を経ることなく、ほぼ大阪府の言い値に近い評価額を共同鑑定という名の下に、「出来レース」を演じようとしているのです。

平松市長も、市民の税金を粗末に扱うことは許されません。橋下府知事も、移転と立て替えの表面上の金額対比だけでなく、もっと高い見識の元に、府庁移転問題を議論すべきです。

WTCビルは、府庁の全面移転に必要な使用スペースから、約4000平米も足らず、移転しても、隣接地に、さらに別のビルを購入、もしくは賃貸しなければなりません。その費用は、橋下府知事も計上していません。

もともと、WTCビルの立地は、埋め立て地であり、万が一の場合、震災による液状化現象を想定しなければいけません。

さらには、警護設備など、移設には、付属の設備に多額の経費がかかることを、隠さず議論すべきです。

人気タレントの思いつき発言により、大阪を潰してはならないのです。大阪府民へのサービス向上に繋がる施策を打ち出すべきでしょう。思いつきのWTCビル移転構想は、直ちにやめるべきです。(完)


2009年02月07日

◆交通事故被害者を救済せよ

                  川原俊明(弁護士)

多発するひき逃げ事件。

発生率ワーストワンといわれるほどに運転マナーの悪い大阪。 たとえ歩行者用信号が青になっても、信号をそのまま信用していたら、命を落とします。ご注意!!

「石橋を叩いて渡る。」まさに名言があります。自分の身を守るためには、道路の左右を凝視し、右折左折の車両、あるいは信号無視で突っ込んでくる車両のないことを確認する必要があるのです。

先行する人並みを盾として、おっかなびっくりで横断歩道を渡ります。それでも突っ込んでくる鉄のかたまりにぶつかれば、生身の人間は、ひとたまりもありません。

それなのに、現実の交通事故被害者は、泣き寝入りがちです。甚大な被害の割に、救済がお粗末だからです。日本での、人命の値段の安さはあきれかえってしまいます。

そのためにも、交通事故被害者救済の観点から、刑事・民事の両面で、法律を大いに駆使すべきでしょう。

【刑事】

刑事裁判は、犯人処罰を目的としています。損害賠償など、民事上の問題は、民事裁判にゆだねられています。

しかし、たとえ、悪質な交通事故加害者を、殺人罪、業務上過失致死傷罪などで厳罰処罰しただけでは、被害者の損失は補填されません。場合によっては、不自由な体のため、仕事も奪われ、明日からの生活も困窮する事態を招きます。

被害者にとっては、人生の未来をも奪われてしまうことがあるのです。しかも、加害者のすべてが、車両の任意保険に加入しているとは限りません。切れた保険のまま運転している場合もあるのです。

この場合は、損害を、保険でもカバーできないのです。

そこで、改正された犯罪被害者保護刑事手続法。

刑事裁判で、殺人、傷害など故意の犯罪行為により人を死傷させた場合、有罪の判決の言い渡しがあったのち、刑事裁判所に対し、刑事事件の訴因を原因とする不法行為に基づく損害賠償を被告人に命ずる旨の申し立てをすることができるようになりました。悪質なひき逃げ事犯などに適用されます。

簡単に言えば、刑事裁判官が、被告人に対し、損害賠償命令を出すことができるようになったのです。画期的なことです。この命令は、民事裁判の確定判決と同様の効力が生じ、強制執行力があります。ぜひ被害者救済のため、活用すべきでしょう。

【民事】

いままで、後遺症損害について、逸失利益(いっしつりえき)という言葉で、将来にわたる労働能力の損失の程度を等級別に認定し、賠償額を決めてきました。

たとえば、67歳まで満足に働けたはずの体が、交通事故被害により、足腰が負傷し、50パーセントくらいしか使えないため、将来にわたって得られるはずの収入を、現時点で損失補填しようとするものです。

ところが、ここに、計算上の問題点があります。損害額は、被害者の現時点での収入を基準に、何十年先の将来にわたる損害までも、現時点で算出し、賠償する必要があります。でないと、現時点での解決ができないからです。

このため、どうしても将来の損害について、中間利息を差し引いて、現時点での損害として計算する必要があります。

たとえば、の話。10年先の損失額100万円について、中間利息を差し引いて現時点では、50万円として計算するのです。

しかし、その計算方式に大いに問題があります。現在、裁判所では、中間利息の計算に、二つの方法がとられてきました。ライプニッツ方式と、ホフマン方式です。

前者は、複利方式を採用し、後者は、単利方式を採用しています。損害算定にあたって、ライプニッツ方式で計算すれば、現在、手にする将来の損害額は、複利計算のため大幅に減額されてしまいます。
 
ホフマン方式では、中間利息が単利計算のため、将来損失を、ライプニッツ方式より多額の算出ができます。
 
従来、ライプニッツ方式は東京方式、ホフマン方式は、大阪方式として、裁判所ごとに別々の方式により、賠償額を算定してきた経過があります。

ところが、最近、東京・大阪の裁判官が、統一的に、ライプニッツ方式で計算することの意見を提言しました。このため、全国的に、ライプニッツ方式での賠償額算定をする判決が多くなっています。

しかし、もともと日本の命の安い評価を考えれば、むしろ、ホフマン方式で統一し、被害者救済をすべきなのです。
裁判所は、時代に逆行してはいけません。

最高裁判所は、いずれの方式も、適切であると明言しているのです。私たち、弁護士は、交通事故被害者に対し、より多くの救済をはかるため、
最大限、法律を駆使すべきでしょう。


2009年01月23日

◆新大統領のもう一つの側面

川原俊明(弁護士)

アメリカに新しい大統領が就任しました。

初代ジョージワシントンから数えて、第44代目の大統領となるオバマ氏。アメリカ史上初めてのアフリカ系アメリカ人が大統領となりました。アメリカンドリームという言葉にふさわしい大統領の誕生です。

アメリカのサブプライムローン問題に端を発した経済不況は、いま、全世界の経済に悪影響を及ぼしています。日本では、天下のトヨタでさえ、操業停止や期間工の契約更新拒絶など、日本経済の先行き自体が見通しのつかない逼迫した状態にあります。

ところが考えてみれば、資本主義経済は、好況と不況の波を交互に経験し、それなりに発展してきました。

不況の脱出は、一つのきっかけが必要です。マスコミを含めて、みんなが、先行きが見えない心理状態のもとでは、だれも蓄えを消費に使いません。資本主義は、金が世界をかけ回らないと、経済が好転しない仕組みになっています。まさに自転車操業的経済構造だと思います。

とはいえ、消費経済環境をつくるには、社会を構成する人々に、近未来に対する期待や希望、展望を持たせることが必要です。近代資本主義経済の発展の原動力は、意外と、身近な人間の心理に根ざしているのかもしれません。

その原動力の一つが、オバマ新大統領の誕生でしょう。

アメリカンドリームという心理環境のもとで、従来の殻を破った新しい大統領の誕生は、おそらく世界の人々の心理状態を動かし、景気回復への期待を抱かせて、消費経済が回復しはじめれば、車などの耐久消費財も、順次、売れるようになるでしょう。

社会の多くの人々は、世界経済の再出発という側面を、オバマ新大統領の出現に期待しているのだと思います。
 
オバマ新大統領のもう一つの側面。

それは、オバマ氏が、ハーバード法科大学院を出た弁護士だということです。実は、選挙戦で戦ってきた共和党のヒラリー・クリントン。彼女も、弁護士でした。

アメリカ大統領の戦いは、弁護士同士の戦いでもあったそうです。アメリカの歴代44大統領のうち、半数近くが弁護士出身です。大統領が弁護士であることは何を示しているのでしょうか。
 
法による統治。

この理解度が高くなる、ということは、完成度の高い平和な社会に近づく、ということだと思います。
 
だとすれば戦争のない平和な社会、経済格差のない豊かな社会の建設に、オバマ新大統領の力量を期待したいものです。
 
日本の社会も、オバマ新大統領並みの政治家が社会をリードすべきです。既存政治家のような、自分の集票活動だけの政治活動では、日本の経済も社会も発展しないと思います。

2009年01月14日

◆弁護士村は隔離社会なのか

川原俊明(弁護士)

最近、ある新聞社から取材を受けました。
弁護士法人 川原総合法律事務所のホームページには、弁護士費用の支払にクレジットカード決済が可能だと書いてあるが、日本で初めてのことなのか、ということでした。

その記者によると、現在、日本弁護士連合会が、東京・大阪など、各地域の単位弁護士会に対し、カード決済の是非について調査を開始している、とのことでした。

私は、この話を聞いて、弁護士の世界が、如何に現実の経済社会とかけ離れた実態であるかを痛感しました。
クレジットカードの歴史は、日本でもすでに約50年の歴史があります。

1960年、日本ダイナースクラブがプラスチックカードを発行したことが記録されています。現在の日本だけでも2億3000枚ほどのクレジットカードが発行され、人口を2倍上回っています。今や、複数枚所持が当たり前で、現金に代わるほど利用価値が高まっています。

これほど、カード社会の現代において、弁護士費用を現金でしか扱えないと考えている弁護士の存在自体が、時代錯誤ではないでしょうか。

私たち弁護士は、法的ノウハウを、商品として顧客たる依頼者に提供しているのです。

小売り販売店が扱う商品が、形のある電気製品や食品であり、私たち弁護士の扱う商品が、形のない法的ノウハウであろうと、「商品の提供」という意味では何ら変わりがありません。

商品の提供に対する対価が、現金であろうと、小切手、約束手形、クレジットカード決済のいずれであろうと、依頼者の要請に応じることに何ら問題がありません。法律事務所にとっては、カード会社に手数料を支払うデメリットがありますが、依頼者は、銀行から現金を引き下ろす手間を省け、カード会社からポイントが付くというおまけまで付いています。

もちろん、経済的に困窮した依頼者が破産手続を含む債務整理を依頼しようとする場合は、弁護士がカード決済に応じるはずがありません。

それは、場合によっては詐欺に荷担することであり、弁護士倫理に反することでもあります。

しかし、一般事件の依頼者に対し、カード決済に応じている法律事務所が物珍しいと思うこと自体、本来おかしいのです。

総合病院の治療費の支払いに、カード決済が導入されていて何ら不自然ではない時代なのです。
日弁連が、今頃になって、弁護士費用について、カード決済の是非を検討すること自体、感覚のずれを感じます。
弁護士は、もっと社会常識、経済動向を把握すべきでしょう。


2009年01月09日

◆大阪は無法地帯か

川原俊明(弁護士)

大阪で、いま、流行(はや)るもの。
昨年末からの交通事故ひき逃げ事件。今年に入ってタクシー強盗。
ひき逃げ事件は、道路交通法改正による飲酒運転の罰則強化に伴い、処罰を免れようとして、さらに殺人罪の適用など凶悪犯罪に至るものです。

本来、交通事故加害者は、業務上過失傷害・同致死罪だけですむものを、ひき逃げによって、殺人罪(刑法199条 死刑・無期または5年以上20年の懲役)という人生の十字架まで背負ってしまうことになるのです。

今年は、タクシー強盗。
東大阪から始まって、松原、高槻、寝屋川と、タクシー強盗が続発しています。模倣犯まで出てくる始末。タクシー運転手も、今や命がけの仕事となりました。

江戸時代では、「雲助」(くもすけ)といわれた籠かき屋が、人の弱みにつけ込んで法外な搬送代金をせしめる場面があったそうです。現代のタクシー運転手のことを、今でもそんな表現をする御仁もいます。

ところが、今の大阪では、タクシー運転手の方が、乗り込んでくる客を怖がっています。タクシーの狭い密室を利用し、人通りのいない場所にも指示通り連れて行ってくれるタクシー業務の特性を悪用して、強盗を働くのは、絶対に許せない行為です。

だいたい、タクシーの売り上げを想定してみても、多額の現金を車内にストックしておくことはありえません。タクシーを24時間、街中を走行させても、1日の水揚げが何十万円もなるはずがありません。冷静に考えれば、そんなことがすぐわかるのに、それでもタクシー強盗を働いて、刑務所に入りたいのでしょうか。

強盗の罪は重いのです。
単純強盗でも5年以上20年以下の懲役、強盗して人を怪我させた場合は6年以上20年以下の懲役、ましてや人を死に至らせた場合には、強盗致傷罪として死刑もしくは無期懲役となります(刑法第236条 240条)。

計算高い大阪人にしては、強盗を働いて人生を棒に振る代償として、
タクシー運転手のわずかな水揚げを狙うのは、余りにも短絡的です。

一方、タクシー車内の余りにも無防備さにも、改めて驚きです。タクシー車内が撮影できるカメラを搭載して、その映像を乗降時に本社送信したり、本社とタクシー運転手との会話が無線でつながれていること、などを車内表示したり、運転席を透明の遮蔽板で囲ったりなど、改善の余地が多々あるはずです。
 
タクシー会社に値下げ競争させるよりも、その分、車内装備に金をかけさせるべきでしょう。
大阪の汚名返上のためにも・・。


2009年01月03日

◆法曹の未来は・・・

                  川原俊明(弁護士)

裁判員制度が、今年の5月から施行されるにいたり、すでに裁判員候補者に指名された人たちの反響が様々な形で上がっています。
 
忙しくて参加できない、あるいは、犯罪者に対する量刑を下す仕事にたえられない、など・・。
 
これらの意見の存在は、一般の人々と司法(裁判所)との乖離(かいり・かけ離れていること)が改めて鮮明に出て来たことの証明でもあります。
 
もともと、法律は、常識の集大成であり、社会の掟を明文化したものにすぎないはずです。

ところが、日本では、明治時代から今日まで、国は、法律を一般国民から理解しがたいほどに難しく条文化し、普通の常識だけでは解読しがたいものをつくりあげ、法律学者も、さらに難解な解釈論を組み立ててきました。
 
それも現実の社会の動向を無視して・・。法律を、国民から遊離させたのは法律家の責任です。

しかしながら、法律は、国民みんなが理解し、みんなの決まりとして存在すべきものです。

法律家は、エリートの錯覚から目を覚まし、一般市民のための法的サービス機関として、法律の理解を補助し、法律の適用を援助するように機能すべきです。

弁護士はもちろん、裁判官、検察官も同様です。一つの文章が、何十行にもわたる判決文などは、悪文の典型でしょう。

一般市民が、このような判決文を一読しても、直ちに理解できるはずがありません。法曹の未来は、一般市民の視線に合致してこそ、存在意義があります。

そのためにも、法曹人の意識改革がなにより必要です。私自身の自戒を込めて・・。


2008年12月20日

◆国技が泣く大相撲

川原俊明(弁護士)  
   
〜大相撲・時津風部屋序の口力士に対する傷害致死事件〜

元親方を除く、兄弟子たちの実行正犯部隊に対し、なんと執行猶予付きの寛大判決が言い渡されたのでした。
 参考までに、傷害致死罪(刑法205条)の法定刑は、3年以上20年以下の有期懲役とされています。
 元親方が中心となり、兄弟子たちが、気にくわない新人を相手に、命を落とすまで執拗に暴行を加え続けたこの事件は、ヤミに包まれた大相撲界の醜態を世間にさらけ出したものと言えます。
 もともと、相撲は、土俵の上で、裸の人間が力のせめぎ合いを見せる健全なスポーツです。
 力士の力量により、序の口から横綱まで、順位が定められています。多少の番狂わせがあるとしても、一般的には、横綱と序の口との勝負では、勝敗は、おのずと決まっています。
 新人が、序の口から登板し、体力も技も磨き、順次上位にのぼるシステムからみても、新人が、兄弟子に簡単に勝てるわけがありません。
 それにもかかわらず、「ぶつかりげいこ」の名のもとに、金属バットまで持ちだして新人に制裁を課す兄弟子たちの行動は、リンチ以外のなにものでもありません。
 部屋を代表する親方ともあろう者が、新人にリンチを加え、兄弟子たちも、一緒になって暴行を加える体質は、暴力団同士のリンチ集団と何ら変わるところがありません。
 日本を代表する国技が泣いています。
 野球の練習をするならともかく、相撲の稽古に金属バットは不要でしょう。
 金属バットを使って新人を殴打すれば、いくら体が大きくても、致死の結果は、十分に予想がつきます。
 そんなリンチの実行部隊に、執行猶予付きの寛大判決がはたして妥当なのでしょうか。
 相手の死が十分に予想される暴力沙汰に、甘すぎる制裁では、相撲界の浄化はできません。
 兄弟子たちも、何でも親方のせいにすればいい、というものではありません。
 大相撲八百長疑惑事件をはじめ、今回のリンチ事件などにより、私には、大相撲を神聖な国技として見ることができなくなりました。
 八百長試合も、観衆をバカにしています。
 大相撲は、旧態依然たる部屋制度の解体から始める必要があります。

2008-12-19 

2008年12月02日

◆裁判員制度の功罪

                  川原俊明(弁護士)

裁判員制度が、来年(平成21年)5月から始まります。いよいよ、裁判員候補者に対する通知も発想されました。

この裁判員制度。裁判に民意を反映させようとするもので、理念としては誠にすばらしいものです。
 
選挙により民意を反映した国会(立法)や内閣(行政)。これに対し、裁判所(司法)は、端的に言えば、司法試験合格者による権力の掌握であり、考えてみれば従来の裁判制度は、民意を反映しない誠に危険な国家システムだったのかもしれません。
 
ただし、裁判というものにかかわったことのない大多数の国民が、裁判員制度だ、といって急に裁判所に呼び出され、「民意」を反映せよといわれても、反映しようのないのが現実ではないでしょうか。
 
裁判員制度の下でも、裁判官の「指導」が色濃く反映されるのは目に見えています。それでは意味がありません。
 
結局は、民意の反映された裁判だ、という体裁をとりたい国側の意向が見え隠れしています。弁護士から見ると、現実の刑事裁判では、本来「有罪判決があるまで被告人は無罪が推定される」、とする刑事訴訟法の理念を忘れたと思える裁判官が多く見受けられます。
 
刑事裁判を重ねてきた裁判官の多くは、その惰性で、起訴された被告人を最初から犯罪者扱いしています。
 
私は、刑事裁判において、本当の犯罪実行者に、軽微な訴訟手続き上の不備で、無罪判決がなされることは望ましいとは思いません。
 
しかし、刑事裁判を担当する裁判官は、もっと社会の常識を理解して裁判をすべきです。事実認定の判断の甘さを国民から非難されるような判決をしてはいけないと思います。
 
裁判員制度は、すべての刑事裁判に適用されるのでなく、重要、あるいは凶悪な刑事事件にのみ適用されます。
 
裁判員制度適用の有無にかかわらず、裁判官、検察官、弁護士は、裁判員に負けないよう、幅広い社会常識を備える必要があります。
 
その意味で、裁判員制度が、法律家そのものに警鐘を与える制度として機能すれば良いことだと思います。(完)