2008年08月10日

◆「中国ギョーザ」とマスコミの対応

川原俊明(弁護士)

今年1月、中国・天洋食品製冷凍ギョーザに強い毒性を持つ農薬メタミドボスが混入していた事件が発生しました。

これに関連して、このたび、中国側が、中国国内でも、天洋食品製冷凍ギョーザを食べた中毒被害者が発生したことを日本に伝えてきました。

食の安全のため、早期の原因究明が必要です。
 
ただ、この件のマスコミ報道で気になることがあります。中国から、被害発生の連絡があって1か月も経つのに、日本政府が公表しなかったことをもって、あたかも政府の対応に問題があるかのような論調がマスコミで流されています。

これに応じて、昨日、小沢民主党代表が、政府の対応を批判しました。しかし、この問題は、食の安全という観点から報道されるべきでしょう。

今回の中国側の被害報告を日本政府が直ちに公表しなかったからといって、一体何が問題なのでしょうか。公表の遅れがあったことをもって、どうして政府の責任となるのでしょうか。原因究明がなされた、という結果報告があったわけでもないのに。

日中が、責任のなすりあいをしてきた本件にとって、あくまで捜査途上の報告にすぎず、この報告によって問題が解決したわけではありません。

むしろ日中友好を大切にするならば、日本政府の態度は、むしろ正解で、日中双方で、早期に問題解決を計るべきです。

政治というものは、大局的な観点で対処すべきです。
マスコミが小さなスクープをもって、鬼の首でも取ったような報道をすること自体が問題でしょう。

日韓問題にしても、日中問題にしても、政治家は、国家100年の計をもって行動すべきであり、マスコミの目先の興味本位の報道により、国際関係を揺るがせてならないと思います。今回のマスコミの報道姿勢を疑います。 (完)

2008年08月03日

◆橋下大阪府知事に異議あり

                      川原俊明(弁護士)

今、橋下府知事の意見として、伊丹空港廃止の検討が取りざたされています。大阪府の財政再建と称して、削減策ばかりを説く、府知事の姿勢には、大いに疑問があります。

「大阪府は破産状態にある」「歳出は、歳入の範囲内で」、それ自体は、もっともらしい発想ですが、府知事には、現在の固定化された歳入額しか念頭になく、歳入から歳出を引き算する、という単純すぎる発想では、大阪の未来はありません。

ましてや、府知事の単純計算のおかげで、大阪の文化をなくし、私学の伝統を切り捨て、大阪の玄関口まで閉ざしてどうする、というのでしょうか。

長年の歴史の中で大阪に根付いた文化を育てるどころが、「金がない」の一言で切り捨てるのは、言語道断です。タレント弁護士として、人気を誇る橋下氏の手法は、明らかに「府民の受け」のみを意識しています。

弁護士の破産管財人的発想では、大阪は、店じまいをしなければなりません。弁護士といえども、行政に経営的感覚をもたないといけません。今のままでは、大阪の未来を展望するどころか、大阪の経済・文化を切り捨てることになります。

府の与党は、大阪府予算案を承認したわけですが、今の政治家が、目先の票集めのことしか念頭にない態度には幻滅を覚えます。

いくらタレント性があり、人気があったとしても、その政策が、もし、間違っているとするならば、府民は、大いに批判すべきです。

橋下府知事の大阪府に対する今の認識では、大阪の地盤沈下は、ますます加速するでしょう。東国原宮崎知事のまねをして物産展に姿を現すだけでなく、100年先の大阪府を見据えて、大阪の経済活性化を考え、府政を司るべきでしょう。

2008年07月27日

◆多発する少年少女殺人事件

                      川原俊明(弁護士)

埼玉県川口市の女子中学生による父親殺害事件、群馬県桐生市の無職少年による高校生殺害事件をはじめ、このところ、中高生を含め、未成年者が加害者となる殺人事件が目だっています。

人間の成長過程における青春期では、心理学的にも、現実と想像の世界の区分が明確でない場合があり、想像の世界の中で、現実の犯行がおこなわれる場面がないわけではありません。

(私の時代の司法試験には、刑事政策も、教養科目としての心理学(特にフロイト心理学)も、受験科目として、その両方を必死に勉強していたことがあります。)

父を殺した少女が、「父が家族を殺す夢を見た」等と供述しているのも、あるいは、そのような現実と想像の未分化という心理的背景があったかもしれません。それだけに、今の社会現象を持って、社会経験に乏しく、想像だけが先行しがちな年代の過ち、として片付けるべきではありません。

その背景には、現代の若者の多くをバーチャル【Virtual・仮想】世界に塩漬けしてきた大人にも、多くの責任があるのではないでしょうか。

昨今のテレビゲームでは、人間の姿をしたキャラクターを倒しても、「リバイバル(復活)」が待っています。

ところが、このゲーム感覚で成長した子供たちは、人間の命というものに対し、それが、取り返しのつかない崇高なもので、それぞれの命に家族や歴史を持っている、ということを理解できていないのではないでしょうか。

テレビゲーム世代の若者にとって、殴った自分も、殴られた相手も、痛みを感じません。
「死」というものに対する究極的な考えを持たず、ただ一つのキャラクターが消えていくだけのように認識してるのではないでしょうか。

このような若者を育てたのは誰か。まさしく現代の大人です。限りある命、暖かい血のかよった人が築く社会。このことを、真剣に若い世代に教えなかった大人の責任が問われているように思います。
 人間教育の根幹を忘れ、営利主義に走ったゲーム会社の責任、それを許してきた社会の責任を痛感します。
 
しかし、私は、今からでも遅くないと思います。
人の心とは。人が生きるということは。
現代の大人、特に団塊の世代が、責任を持って若者に立ち向かうべきだと考えます。


2008年07月20日

◆殺人事件の増加傾向を憂う

                      川原俊明(弁護士)

最近の警察庁発表によれば、刑法犯の件数は6年連続で減少気味だが、殺人事件は増加傾向にある、とされています。私たちが、現実に体感している日本の社会は、本当に良くなっているのでしょうか。

私には、何となく、逆ではないか、との印象があります。

社会は、人と人のつながりで成り立っています。人それぞれが、互いに相手の存在を認め合い、理解しあう、という気持ちが備わっていれば、たとえ、どのような紛争があったとしても、人を傷つけ、人の命を奪うことまではできないはずです。
 
最近の残虐な無差別殺人事件で、犯人が、「誰を殺しても良かった」と平気で供述しているのは、一体、何が原因なのでしょうか。人間の暖かい心まで失わせてしまった冷たい社会が、これ以上拡大しないことを祈っています。何の恨みもない善良な市民が、犯人のストレス発散のために、命を奪われることは、絶対に許されることではありません。

人の命が、ここまで軽んじられる原因の一つと考えられることがあります。現代の日本の社会の特徴の一つである核家族化です。

大家族制度の下では、老若男女が社会を構成し、互いの立場を理解しながら社会生活をしてきました。大家族制度のもとでは、長たるものは、権威と尊厳を持っていました。そこでは、家庭生活の中で、自然と、互いの人間教育ができていました。

ところが、核家族の下では、親が子供を甘やかし、子供も、自分独りよがりの人間になりかねない環境となっています。

私は、人の気持ちを理解しない人たちが増えることを危惧しています。
法による取り締まり以前の問題です。人に対する思いやり、礼節など、人間としての真の教育が、社会全体に求められているのではないでしょうか。(完)

2008年07月14日

◆死刑論議について

     
川原 俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞素粒子欄の「死に神」記事に端を発し、ネット上では、死刑問題について、いまだに議論が続出しています。

私は、法律家の立場から考えても、死刑容認論と死刑廃止論について、多くの皆さんが、冷静に、且つ、徹底的に議論すべきではないかと思います。目には目を、歯に歯を。

紀元前に制定されたハムラビ法典が、現代の社会にそのまま反映すべきでないのは当然です。しかし、法律というものは、神が創るのではなく、その時々の社会の常識の集大成である、という理解が必要です。

法律は、そのときどきの社会の鏡です。法律は、社会の認識を反映しているのです。

現代日本の社会では、なぜ死刑廃止論が多数を占めないのでしょうか。いくら、日本弁護士連合会が、死刑廃止論を観念的に主張しても、国民の多くは、受け入れていないのが現実でしょう。

日本の社会は、基本的に村社会なのです。お互いの寛容をもとに、日本の社会が成り立っています。多少のことをしても、村社会の掟からはずれさえしなければ、寛容の精神で物事は解決されていきます。

ところが、一旦掟を破れば、社会は、徹底的に排斥します。殺人行為など、その典型でしょう。殺人行為を認容していれば、その社会は成り立ちません。人間社会の根源を揺るがす行為なのですから。但し、殺人行為が、直ちに死刑であるべきだ、という訳ではありません。

殺害に至るには、通常、さまざまな背景事情があり、それを斟酌した上で、処罰を決める必要があります。ときには、死の苦しみに匹敵する被害者が、殺人の加害者となることもないわけではありません。その意味で、決して、目には目を歯に歯を、の考えを鵜呑みにする訳にはいかないのです。

一方、死刑廃止論の背景には、人間社会の希薄さを感じます。

誰が死のうが、その被害者に家族がいてもいなくても、どんな残虐な犯行であろうとも、殺人犯人を、刑務所で更生させることが人権擁護である、と。こんな抽象的な「刑事政策的」議論は、まるで人ごとでしょう。

日本の刑事裁判においては、何人もの殺害行為がなされた事案でも、弁護人の要請により、精神鑑定がなされたうえで、裁判官が慎重な審理をします。しかも、特定の裁判官の判断のもとで、誤った結論をだしてはいけないので、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所といった三審制がフルに使われ、多くの裁判官の関与により、はじめて死刑判決が確定されるのです。

裁判官の立場から、どんな極悪犯人であれ、被告人に死刑判決を言い渡すことが、どれだけのプレッシャーであるかを理解すべきです。死刑論議は、この点の、前提事実を、無視して展開されています。

「死刑判決」をうけた死刑囚に、絞首刑をするのは、死刑囚の人権を侵害するものだ、とかの意見があります。死刑判決を受けざるを得ない事案は、犯人が、生きて更生させるには、あまりにも残虐非道であるからこそ、死の償いもやむを得ないとの判断があるのです。死刑にしてしまえば、冤罪の回復はない、との議論もあります。

しかし、これも現実離れの議論です。

戦前はともかく、戦後日本で、冤罪の可能性の極限の案件で、いとも簡単に死刑執行された事案があるのでしょうか。逆に、何人も人を殺害しておいて、殺意がなかった、とかの議論が、通用するのでしょうか。

法務大臣の死刑執行は、それこそ事案を慎重に検討し、やむなく法に基づいて実施されるのです。
 
わたしは、死刑制度の存在が望ましい、といっているのではなく、死刑判決をしなくてもいい平和な社会が欲しい、と言っているのです。
 
弁護士が、死刑容認論を展開すると、何か奇異に受け止める人がいます。しかし、弁護士は、法律を大切にし、今に生きる人々の気持ちを理解できる法律家でありたいと思っています。(完)

2008年07月05日

◆ガソリン値上げと憲法論議

川原俊明(弁護士)

どのように結びつくのか、わからないほどの難問です。

道路財源法案が、先般衆議院で再可決されました。現行憲法制定以来、50数年ぶりとか。衆議院で可決された法案が、参議院で否決された場合、衆議院で3分の2以上の再議決により可決されると、法律となります。これも、憲法上の合法的な手続きです。
 
ねじれ国会でこそ、みられる憲法上の権限行使かもしれません。

このねじれ国会で何を見たか。衆議院の欠席戦術と河野衆議院議長の議場阻止行動。昔の社会党の戦術と何ら代わりがありません。その社会党は、すでに姿も形もないことを理解すべきです。
 
小沢一郎さんには、昔ながらの政治屋の戦術が見え隠れしています。小沢さんは、民主党内で自分の基盤を死守しようとして、強硬路線に出ています。しかし、その姿勢の背後には、国民の姿がまったく見えません。
 
小沢さんの自らの権力欲以外、何者でもありません。国会議員は、国民の立場に立って、大局的に物事を理解し、事物を把握すべきです。今回の「国会議員」たちの行動には、あきれ果てました。
 
未だに政治三流の国家・日本。平和であることはすばらしいことですが、すべての国会議員が、国民のあるべき姿を見ながら、活動すべきでしょう。
 
憲法上の手続きを履行しながら、それを妨害する輩が、私たちの代表であるというのは、きわめて恥ずかしいことです。
 
とはいえ、私は、無条件で与党の対応に賛成しているわけでもありません。世界は、ますます大きく変化を遂げています。日本の政治家は、もっと真剣に世間並びに社会の動きを把握したうえ、世界の動きを見て、健全な社会の構築に全力を挙げて欲しいものです。(完)

2008年06月30日

◆弁護士の役割

川原俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞の「素粒子」コラムに、「死に神」指摘があったので、私は、マスコミの表現として、明らかに不適切であることを指摘しました。<本欄6月24日号に「鳩山法相は、死神なのか」を掲載>
 
鳩山法相が、現在の日本の法律に従って、法務大臣としての義務を履行している以上、従来の法務大臣と比較して、執行の多さを非難することは、筋違いです。後の朝日新聞が、同じコラムで「執行の多さをチクリと刺した」、というのは、今回の問題を理解していないし、使う言葉を間違えているように思います。
 
これに関連して、私のブログにも、ご意見が殺到しているので、誤解なきよう、私の弁護士としての考え方なり、信念、をお伝えします。
 
私は、一つの新聞社を批判しているのではありません。マスコミの質を問題にしています。全国紙を代表する新聞記事の一行が、どれだけ指摘された人の心を踏みにじむのか。これが理解されていないことを問題にしています。

マスコミは、その道でプロであるべきしょう。安易なペンの暴力は、自らの身を滅ぼすことになります。その意味で、今回、軽率な表現に対する謝罪がなかったことは、新聞社としての姿勢を疑います。
 
もう一つ考えたいのは、刑事弁護における弁護士の役割です。司法に対する一般的な理解として言えることは、公権力を背景に犯罪を糾弾する検察官と、被告人を保護する弁護人、これを中立的な立場から判断する裁判所。

この図式は正しいものがあります。しかし、私が言いたいのは、弁護士の社会的役割をふまえた上で、この図式を運営させる必要があります。

さまざまな欲望と自我を持った人間が、利害を対立させている社会では、残念ながら、犯罪は決してゼロにはなりません。しかし、一旦、発生させた犯罪者に、二度と犯罪をおこさせるべきでない。この姿勢を貫くことによって、世の中が少しでも良くなる、と私は考えています。

司法の中で、弁護士が、検察官と立場を異にすることがあっても、よりよき社会を築くべき役割は、司法の一員として同じことであるはずです。

私は、弁護士が、被告人の更生のため、適切な量刑を求めるのが大切であり、単に被告人の量刑さえ軽くなればいい、と考える刑事弁護は間違っている、と思っています。
どんな刑事事件であろうが、弁護士が、被告人に「刑を軽くしてやった。」と思わせる弁護は、その被告人の、犯罪に対する安易な考えを植え付けることになりかねません。

被告人が、凶悪犯罪にもかかわらず「こんな量刑で済んだ」、と思わせるのは、弁護士が、被告人に、更生どころか、次の犯罪を助長させるようなものでしょう。

私が刑事弁護する場合、絶えず、被告人と向き合い、犯罪が明らかな場合、弁護人の立場から、罪を犯すことのむなしさと、身柄拘束など、犯罪が割に合わないことを説諭します。被告人の更生を望んで、「同じ過ちを犯すな」と、説得するのです。このことにより、社会が少しでも良くなってくれたら、と考えています。 

この観点から、弁護士は、検察と立場を異にしますが、社会を少しでも良くしたい、被告人に立ち直ってもらいたい、と考えて弁護活動すべきでしょう。(完)

2008年06月24日

鳩山法相は「死に神」なのか

                     川原俊明

連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚に対するマスコミの評価で、気になる表現がありました。平成20年6月18日付け朝日新聞夕刊「素粒子」欄です。

「永世死刑執行人 鳩山法相 またの名、死に神」。
三流週刊誌の表題なら、軽く受け流す私も、全国紙を代表する新聞社が、こんな表現をしていいのだろうか、と疑問を持っています。
 
鳩山法相が、在任中最多の13人の死刑執行に署名したことをもって、この表現をされたのでしょう。
 
しかし、現在の日本の刑法では、殺人罪などの凶悪犯罪に対し、明らかに死刑に処すことがあることを、明記されています。
 
裁判所は、事件の諸事情を勘案し、相当の勇気を持って死刑判決を言い渡しているのです。死刑判決が確定した死刑囚に対し、死刑執行をするのは、法律に基づいたものであり、時の法務大臣は、死刑執行の義務があります。
 
私は、多くの刑事弁護を手がけておりますが、犯罪に応じた適切な処罰は、当たり前のことです。不適切な処罰に対しては、敢然と検察に立ち向かいます。

しかし、当該犯罪に相応する処罰であるならば、むしろそれが本人の更生につながるのです。それによって社会が良くなると思っています。
 
刑事事件における弁護士の仕事は、適切な量刑を求めることであり、被告人の量刑が単に軽くなればいい、と考えるのは間違っています。
 
そんな勘違いしている弁護士の多いことも問題です。
 
法律に基づいた死刑執行を非難するならば、法律を無視していることと同じです。法律の内容が不適切であれば、法律改正を考えるべきであります。

マスコミの議論は、次元が異なります。

東京の秋葉原での無差別殺人事件を見ても、最近の人の心の中に、相手を思いやる気持ちがなくなっているのではないか、あるいは少なくなっているのではないか、と心配しています。人は、100人いれば、100人とも、その背後に愛する家族があり、その人の過去未来の人生があります。

そんな人の命を簡単に切り捨てる者は、人間の皮を被ったケダモノにすぎません。人の命を無残に奪った者の人権が尊重されて、被害にあった家族の苦しみは、どうして報われるのでしょうか。

朝日新聞の前掲記事は、遺族の心を逆なでするものとしか思えません。                            (完)
                  
                 大阪弁護士会所属 弁護士
                            2008.6.19


2008年04月12日

◆C型肝炎訴訟の終結に向けて

川原俊明(弁護士)

薬害肝炎救済法が国会で成立したのは、平成20年1月11日です。C型肝炎訴訟に関わっている当法律事務所としても、誠に喜ばしい事態と考えています。

昭和49年、血液製剤フィブリノゲン投与を受けたため、C型肝炎に罹患(りかん)し、重篤な状態に陥って入院中の奥さんを抱えるMさん。

今までの勤めを辞め、病状が悪化する奥さんの看護に専念してこられたのでした。

奥さんは、息子さんから生体肝移植を受け、命を取り留めたものの、依然として事態は悪化しています。肝臓ガン、さらには体全体を病巣がむしばもうとするに至っているのです。

Mさんの奥さんは、自らが被害に遭いながらも、訴訟に至らない多くの肝炎患者が全国に散らばって苦しんでいることを知りました。

もともと、国や製薬会社に対する損害賠償請求訴訟という形での責任追及だけでは、究極の解決にならない。そのように考えたMさんと奥さんは、集団原告訴訟団から離脱して、独自の訴訟をめざし、訴訟に及んでいない多数の肝炎患者の救済を図るために、「肝炎家族の会」を発足させたのでした。

そして、多くの肝炎患者に救済の手をさしのべようと、Mさんが中心となり、肝炎に苦しむ多くの患者救済の受け皿となるべく、何度も国会を駆け回って国会議員と折衝を重ねました。

また、厚生労働省にも掛け合い、幅広く肝炎患者救済体制確立の必要性を主張してきたのでした。

当法律事務所は、Mさんの行動を全面的に支援すべく、弁護団から離れたMさんの奥さんの訴訟代理人となりました。その結果、訴訟を遂行する一方、「肝炎家族の会」を支援する体制をとることにしたのです。

今回の薬害肝炎救済法成立にあたっても、Mさんたちの肝炎患者全体救済の考え方が全面的に採用されています。C型肝炎訴訟は、まもなく全面終結の予定です。

Mさんたちは、平成19年12月13日、大阪高裁が提案した和解案についても、いち早く和解受け入れを表明し、訴訟の早期終結を訴えてきました。


Mさんたちの肝炎患者全体に対する救済活動は、今からが本番です。「肝炎家族の会」は、内閣府にNPO(特定非営利活動法人)法人設立申請を行い、さらに力強く救済活動に踏み切ったのです。私たちも、福田首相の決断を大いに評価したいと思います。(完)


★補足―<厚生労働省は4月11日、C型肝炎感染の危険性のある血液製剤フィブリノゲンを原料とする縫合用接着剤「フィブリンのり」を使用していた可能性のある計556医療機関名を公表。「フィブリンのり」は、C型肝炎の原因となったフィブリノゲンが、納入先で他の薬剤と調合された「のり」として止血や縫合に使われていたもの。

肝臓、肺がん、大動脈瘤、心筋梗塞、狭心症などの手術、尿路結石や骨折などにも遣われていた。(朝日新聞4月12号)―ネットモウ編集部>




2008年01月03日

◆「偽」のレッテルを貼られるな

                川原 俊明(弁護士)
明けましておめでとう御座います。

さて、「偽」が、2007年を象徴する漢字だとされました。
確かに、賞味期限改ざんや、食品の内容を偽った食品業界の「偽」がマスコミを騒がせました。
 
それも新進企業に限らず、100年を超える老舗とされる企業ですらも、「偽」が常態化されているのは、何とも弁解の余地がありません。

もちろん、賞味期限の経過により、食品が直ちに毒物に代わることはまれであるにせよ、消費者から見れば、食品あるいは、食品会社に対する信頼を揺るがす大きな問題となりました。
 
しかも、食品会社だけでなく、大手・建設会社でも、高層ビル建築にあたり、鉄骨の数量不足が露見したり、建設資材製造会社が、品質を落としていたりして、「日本製品」への信頼を揺るがす一年でした。
 
この現象は、世界的に見ても、日本が、あらゆる分野で生ぬるい国となり、賞味期限が切れかかった国になりつつあることを示しています。今のうちに手綱をきつく締め直し、精神的にも物質的にも日本の国を立て直すことが不可欠です。
 
弁護士業界も同じことが言えます。
弁護士業界が、いまだに、昔と同じギルド制度でエリートの立場が守られていると固く信じて疑わない老獪弁護士。たかが司法試験を合格したくらいで、そのことを自慢するしか能のない弁護士。社会常識すら分からない弁護士・・・。

これら、老若を問わず、賞味期限切れの弁護士が多い現実を憂います。弁護士業界にも、「偽」のレッテルを貼られないようにしなければなりません。

新年を迎えたのを機会に、我が事務所も心機一転のつもりで、大いにがんばろうと思います。(了)

2007年12月15日

◆知事選挙を芸能人の人気投票にするな

                   川原俊明(弁護士)


太田房江知事の突然の不出馬を受け、知事候補者選びが、難航しています。

その中で、ある政党が、某タレント弁護士を擁立するのではないかとの報道もあります。

太田知事就任の背景には、横山ノック前知事の醜態があったことを忘れられません.

大阪では、吉本などお笑い系のタレントが人気を呼び、お笑いタレントがトップ当選しました。

ノリで投票する大阪人の多いこと。大阪人らしいといえばそうなのでしょうが、擁立する側の政党にも問題があります。参議院議員選挙のときもそうでした。選挙のたびに、集票効果をねらって、各党が、タレントの擁立を模索します。

たしかに、テレビ全盛の今の時代に、マスメデイアを通じて顔が売れている候補が、何かと有利なのは良く理解できます。

しかし、政治は、公共のものです。世界を考え、国全体を見据え、地方自治の発展のため、あるいは生活環境改善のため、公共の目的のために行うものです。

政党は、そのような志を持った人材を擁立すべきであり、安易な票集めの観点から人材を選ぶものではありません。
 
大阪弁護士会でも、役員の選挙活動が始まろうとしています。どのような選挙でも、人材こそ選抜の基準にすべきです。(完)


2007年07月22日

◆人の痛みを理解しない者は


川原俊明(弁護士)


旧聞となりましたが、久間防衛大臣の、「原爆投下は、しょうがない」発言が問題となりましたよね。当の本人は、軽い気持ちで、本心を吐露したのでしょう。

戦後60年を経過し、昭和の歴史が検証される中で、日本が終戦を決断する理由の一つとして、長崎・広島に原爆が投下されたことが、大きな動機となったことは否定しがたいものがあります。

しかし、2発の原爆投下により、2つの都市が焼け野原となり、数十万人の人が一瞬にして死亡し、多くの人が原爆の放射能による後遺症で一生を苦しみ続けてきた現実があります。
日本が、この地球の中で、唯一の原爆被爆国であり、それがゆえに平和国家を標榜してきたことを、忘れてはなりません。
 
日本の防衛大臣は、平和ぼけで、原爆被爆者の存在を忘れたのでしょうか。
防衛庁が防衛省に昇格となり、初の防衛大臣が、この失言騒ぎでは、日本の将来は危ういものです。
 
そんないい加減な人物を大臣に据えた人間も失格でしょう。大臣の、辞任騒ぎ、自殺騒ぎが多すぎます。
 
国際社会は、日本の大臣の馬鹿さ加減、質の悪さを笑っているように思います。 人の上に立つ者は、人格者であるべきです。人間として、人の痛みを理解できないで、人心を掌握できるわけがありません。政治家としても失格でしょう。
 
日本には、本物の政治家が必要とされています。参議院選挙の投票日が迫ってきました。人気投票を期待する与野党の政治家のレベルの低さには、開いた口がふさがりません。

私達は、他人の批判だけにとどまらず、自らを振り返り、他人の痛み、苦しみを理解できているかを胸に手をあてて反省すべきでしょう。平和な社会は、相互の理解から始まります。



2007年04月15日

◆涙の刑事裁判

 
川原 俊明 (弁護士)
被告人を処罰すべき刑事裁判で、被告人も弁護人も涙を流す光景は、めったにありません。ある地方裁判所での、刑事法廷の出来事でした。

被告人が刑事裁判にかけられている罪は、今はやりの詐欺事件。騙されやすい高齢者を相手に、警察官を装い、「某会社に、リフォーム工事を依頼したことがありますね。その会社が不正を働いたので、警察を通じてお金を返すことになりましたが、手続上、あなたから、まずお金をお預かりしないと行けないのです。」といって,お金を騙し取ったというものでした。

犯罪それ自体は、決して容認されるべきものではありません。私達弁護人としても、被告人には、接見(面会)のたびに、二度と罪を犯さないよう厳しく問い詰めて来たのです。

これを担当するK弁護士。
刑事弁護について、一つの信念を持っています。弁護士たるもの、言い渡された刑事判決の量刑の軽さを手柄のごとく自賛するだけでは、かえって被告人の再犯を助長するようなものである。

被告人に、犯罪の重大さと比べて、判決内容が「この程度で済んだ」と勘違いさせるのでは、本来の刑事弁護の目的に反する、と。弁護士は、被告人に有利な事情を引き出すことが当然の職責としても、裁判所、検察庁とともに、司法の一翼を担う立場にあります。

弁護士は、被告人が犯罪者であることに間違いなければ、十分な反省と再犯防止策を講じさせ、更生の決意を抱かせなければなりません。「社会を良くする」「社会から紛争を少しでもなくす」こと信念に、刑事弁護にチャレンジするK弁護士。

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