2008年09月22日

◆C型肝炎患者の製薬会社との和解


                   川原 俊明(弁護士)

大阪地方裁判所で、製薬会社を被告として提訴していた、薬害に基づく損害賠償請求訴訟の原告であるC型肝炎患者が、製薬会社との間で、9月17日裁判上の和解を成立させました。
 
患者にとっては、4年半にわたり、訴訟を維持してきました。

しかし、今年2月に、国との和解が成立したこともあり、できるだけ早期決着に向けて、製薬会社との和解交渉を続けることにしたのです。

患者は、肝ガンに罹患し、重篤な状態にありながらも、他の多くの肝炎患者救済のため、自らの体を顧みず、患者救済の受け皿としてのNPO法人肝炎家族の会を立ち上げるなど、涙ぐましい努力をしてきました。
 
今回の和解内容には、製薬会社が、C型肝炎患者救済のため新薬開発に向けて最大限努力する趣旨の条項が入りました。
 
裁判上の和解調書という公文書において、製薬会社の新薬開発にむけての努力条項が記載されたことは、画期的なことです。
 
原告であるC型肝炎患者は、みずからの損害賠償金を放棄してまで、この条項を求めたのでした。

製薬会社には、原告患者のこうした気持ちを、汲んで上げてもらいたいと思います。
<川原敏明弁護士は、本訴訟の担当弁護士>


2008年09月17日

◆新司法試験合格率の意味

                     川原俊明(弁護士)

今年の新司法試験合格者が発表されました。2065人で合格率33%。
 
この結果は、様々な問題を含んでいます。元来、国は、法曹人口を拡大し、年間3000人の司法試験合格者を輩出する目標を設定しました。無医村ならぬ、無弁村をなくそう、との方針です。

その下に、近年、合格者は、年間1000人、1500人と徐々に増加してきました。日本弁護士連合会(日弁連)も、年間3000人合格路線を容認してきました。
 
ところが、昨年の司法試験合格者の深刻な就職難という現状は、安易な法曹人口の拡大方針に警告を発したものといえます。
 
しかしながら、基本的には、日本の法曹人口は、世界に比して極端に少ないのです。したがって、現代の錯綜した法律関係のもとでは、裁判官、検察官を含めた法曹人口の拡大傾向は、社会の要請ともいえるものです。
 
しかるに、日弁連は、近時、会長声明によって、増員問題に水を差すかのような、軌道修正路線を表明しました。たしかに、就職難の現実を目のあたりにして、増員抑制案は、やむを得ないのかも知れません。しかし、考えてみれば、日弁連の方針変換も無責任です。
 
3000人合格方針を信じて、すでに数年前から、若者達は、ロースクール受験生になるべく、今まで勤めてきた会社を捨て、預貯金をはたき、あこがれの弁護士を目指して、法律の世界に飛び込んできているのです。
 
旧司法試験に比べれば、弁護士になれる確率が高く、法律を学んでこなかった他分野の人材を法曹人として育てる、というロースクール制度の高邁な方針に共鳴して、多くの若者が新司法試験に挑戦しようとしているいるのです。
 
日弁連の変身は、法曹を目指す若者にとって、迷惑な話です。当初の合格率予想は、70〜80%程度でした。それならば、むしろ、ロースクール卒業生に対し、新司法試験合格者に対してはもちろんのこと、仮に、司法試験に合格しなくとも、ロースクールでの勉学の成果を習得した若者たちを、国や地方公共団体、企業が、何らかの就職の場を提供するべきでしょう。
 
増加する法曹人口に対し、社会が受入体制を築く必要があります。ちなみに、就職活動により、法律事務所で勤務する弁護士のことを「イソ弁」、といいます。近時、就職難の落とし子として、法律事務所に籍だけ置かせてもらうが、給与は出ない「軒弁」(のきべん)といわれる弁護士がいます。法律事務所の軒先も貸してもらえず、給与ももらえないで、最初から自宅で開業せざるを得ない弁護士のことを「宅弁」(たくべん)といいます。 「軒弁」、「宅弁」は、近年の新造語です。
 
熟練弁護士の指導を受けない「宅弁」は、事件を依頼する立場からは、果たして任せていいものかどうか、問題かもしれません。
 
裁判員制度が、来年から施行されます。裁判に対する国民の関心は増大します。これにともない、ますます法曹人口の拡大は、不可避でしょう。しかも、高い合格率を維持するためには、肝心のロースクールでの法曹教育体制を再検討すべきです。
 
今まで以上に質の高い実務的な法曹を、ロースクール教育に投入すべきでしょう。そのうえで、法曹人口を増やしていくべきだと思います。(完)

2008年09月05日

◆救急医療に免責・責任軽減制度!

                      川原俊明(弁護士)

福島地方裁判所でなされた産婦人科医師に対する無罪判決に対し、福島地検が控訴を断念し、無罪が確定しました。
 
帝王切開手術で大量出血した患者の死亡事故について、産婦人科医師が逮捕され、業務上過失致死の疑いで刑事裁判にかけられていたのです。
 
亡くなられた遺族の気持ちもわかります。しかし、医療体制に、どこまで司直の手をのばすべきか、慎重に検討すべき事案となりました。
 
この事案に限らず、産科・小児科の医師のなり手が少ないのは、他の科目の医師よりも、多くの医療訴訟に巻き込まれる危険が大きいからです。民事事件ならまだしも刑事事件にまで追求されるとなれば、医師としてやる気を失うのも、わからないではありません。
さらには、マスコミを賑わすものに、救急病院での患者のたらい回し現象があります。
 
医療機関が、時間外での緊急医療受け入れ体制を取り、限られた医師の手配による暫定治療の結果に対し、大きな医療過誤訴訟に回ってくるのでは、医療機関側にとって、割に合うはずがありません。それなら、最初から緊急患者を受け入れない方が、医療訴訟で攻められることがなく、医師にとって安心だからです。

しかしながら、これも、最終的には、患者につけが回ってきます。

結果的には、目の前に救急病院があっても、救急患者を受け入れてくれないのですから。
救命は、時間との戦いです。
 
そこで、緊急医療の場面では、患者も、とりあえずの暫定処置を期待している、と割り切る必要があります。

医療過誤訴訟では、医師の過失を判断する基準として、当該時期における医療水準を満たした処置がなされたかどうか、これが医師の注意義務違反かどうかを認定します。

しかし、緊急医療において、この原則をそのまま当てはめるのは、果たして妥当なのでしょうか。酷に過ぎる場合が発生します。
 
緊急医療の場合、いままでの治療歴の有無に関係なく、当該症状を訴える初対面の患者に対し、医師が、限られた時間で処置をするのです。この場面で、医療水準を満たした適切な処置がなされたかどうかの判断基準を適用する方が無理を言っているのは明らかです。
 
そこで、救急医療においては、医師の注意義務を軽減するなどの処置を、立法的に明記して解決すべきです。

法律は、当該社会の実情に合わせたものでなればなりません。

限られた環境のもとでの適切な措置さえなされていれば、当該医師に対し、それ以上の民事・刑事の責任を追及すべきではありません。

そうすれば、救急医療機関も安心して救急患者を受け入れることができます。患者のたらい回しもなく、産科・小児科の医師不足も解消されるかもしれません。
 
現在の、医師責任追求型訴訟社会では、医師、とくに産科・小児科の医師がますます少なくなり、医療体制が整わないことによって、結果的に少子化現象を助長することになります。
 
これでは、決して、社会全体が、良くなりません。(完)


2008年09月02日

◆総理は日本の船頭なのに・・

                   川原俊明(弁護士)

9月1日夜、福田総理が辞任を表明しました。

日本の総理大臣の地位は、それほど軽いものなのでしょうか。行政の頂点に立つ総理大臣たるもの、一国の船頭さんに例えられます。

航海の途中で、総理の椅子の座り心地が悪くなったからといって、簡単に椅子を蹴っていいものでしょうか。ましてや、今年は、中国・韓国などとの関係を修復しなければならない大事なときに、仕事半ばで無責任にも辞任を表明するのは許されないことです。
 
韓国との竹島問題の平和的解決をどうするのですか。中国との関係強化も、目前に対策が迫られているではないですか。9月にも開かれようとしている日中韓首脳会談はどうするのですか。
 
総理大臣の「職場放棄」は、日本政治の後進性をまたしても世界に見せつけてしまうことにならないでしょうか。
 
福田総理が辞めたとしても、ただちに小沢総理になるわけではありませんが、もう少し、タイミングを考えて辞任時期を考えるべきでしょう。
 
世界の政治は、急速に進んでいます。ロシアの覇権主義が動き出しています。アメリカの大統領選挙結果によって、世界の流れが変わります。
 
ロシアとEU諸国との冷戦も、ぶり返す可能性を秘めています。そんなときに、自分だけ、身を引いて責任を取ろうとするのは、日本的ではあります。しかし、現代の世界には決して通用しない行動です。
 
総理大臣たるもの、命をかけて政治を動かすべきです。命をかけた仕事もしないで、辞任するのは、余りにも無責任です。(完)


2008年08月10日

◆「中国ギョーザ」とマスコミの対応

川原俊明(弁護士)

今年1月、中国・天洋食品製冷凍ギョーザに強い毒性を持つ農薬メタミドボスが混入していた事件が発生しました。

これに関連して、このたび、中国側が、中国国内でも、天洋食品製冷凍ギョーザを食べた中毒被害者が発生したことを日本に伝えてきました。

食の安全のため、早期の原因究明が必要です。
 
ただ、この件のマスコミ報道で気になることがあります。中国から、被害発生の連絡があって1か月も経つのに、日本政府が公表しなかったことをもって、あたかも政府の対応に問題があるかのような論調がマスコミで流されています。

これに応じて、昨日、小沢民主党代表が、政府の対応を批判しました。しかし、この問題は、食の安全という観点から報道されるべきでしょう。

今回の中国側の被害報告を日本政府が直ちに公表しなかったからといって、一体何が問題なのでしょうか。公表の遅れがあったことをもって、どうして政府の責任となるのでしょうか。原因究明がなされた、という結果報告があったわけでもないのに。

日中が、責任のなすりあいをしてきた本件にとって、あくまで捜査途上の報告にすぎず、この報告によって問題が解決したわけではありません。

むしろ日中友好を大切にするならば、日本政府の態度は、むしろ正解で、日中双方で、早期に問題解決を計るべきです。

政治というものは、大局的な観点で対処すべきです。
マスコミが小さなスクープをもって、鬼の首でも取ったような報道をすること自体が問題でしょう。

日韓問題にしても、日中問題にしても、政治家は、国家100年の計をもって行動すべきであり、マスコミの目先の興味本位の報道により、国際関係を揺るがせてならないと思います。今回のマスコミの報道姿勢を疑います。 (完)

2008年08月03日

◆橋下大阪府知事に異議あり

                      川原俊明(弁護士)

今、橋下府知事の意見として、伊丹空港廃止の検討が取りざたされています。大阪府の財政再建と称して、削減策ばかりを説く、府知事の姿勢には、大いに疑問があります。

「大阪府は破産状態にある」「歳出は、歳入の範囲内で」、それ自体は、もっともらしい発想ですが、府知事には、現在の固定化された歳入額しか念頭になく、歳入から歳出を引き算する、という単純すぎる発想では、大阪の未来はありません。

ましてや、府知事の単純計算のおかげで、大阪の文化をなくし、私学の伝統を切り捨て、大阪の玄関口まで閉ざしてどうする、というのでしょうか。

長年の歴史の中で大阪に根付いた文化を育てるどころが、「金がない」の一言で切り捨てるのは、言語道断です。タレント弁護士として、人気を誇る橋下氏の手法は、明らかに「府民の受け」のみを意識しています。

弁護士の破産管財人的発想では、大阪は、店じまいをしなければなりません。弁護士といえども、行政に経営的感覚をもたないといけません。今のままでは、大阪の未来を展望するどころか、大阪の経済・文化を切り捨てることになります。

府の与党は、大阪府予算案を承認したわけですが、今の政治家が、目先の票集めのことしか念頭にない態度には幻滅を覚えます。

いくらタレント性があり、人気があったとしても、その政策が、もし、間違っているとするならば、府民は、大いに批判すべきです。

橋下府知事の大阪府に対する今の認識では、大阪の地盤沈下は、ますます加速するでしょう。東国原宮崎知事のまねをして物産展に姿を現すだけでなく、100年先の大阪府を見据えて、大阪の経済活性化を考え、府政を司るべきでしょう。

2008年07月27日

◆多発する少年少女殺人事件

                      川原俊明(弁護士)

埼玉県川口市の女子中学生による父親殺害事件、群馬県桐生市の無職少年による高校生殺害事件をはじめ、このところ、中高生を含め、未成年者が加害者となる殺人事件が目だっています。

人間の成長過程における青春期では、心理学的にも、現実と想像の世界の区分が明確でない場合があり、想像の世界の中で、現実の犯行がおこなわれる場面がないわけではありません。

(私の時代の司法試験には、刑事政策も、教養科目としての心理学(特にフロイト心理学)も、受験科目として、その両方を必死に勉強していたことがあります。)

父を殺した少女が、「父が家族を殺す夢を見た」等と供述しているのも、あるいは、そのような現実と想像の未分化という心理的背景があったかもしれません。それだけに、今の社会現象を持って、社会経験に乏しく、想像だけが先行しがちな年代の過ち、として片付けるべきではありません。

その背景には、現代の若者の多くをバーチャル【Virtual・仮想】世界に塩漬けしてきた大人にも、多くの責任があるのではないでしょうか。

昨今のテレビゲームでは、人間の姿をしたキャラクターを倒しても、「リバイバル(復活)」が待っています。

ところが、このゲーム感覚で成長した子供たちは、人間の命というものに対し、それが、取り返しのつかない崇高なもので、それぞれの命に家族や歴史を持っている、ということを理解できていないのではないでしょうか。

テレビゲーム世代の若者にとって、殴った自分も、殴られた相手も、痛みを感じません。
「死」というものに対する究極的な考えを持たず、ただ一つのキャラクターが消えていくだけのように認識してるのではないでしょうか。

このような若者を育てたのは誰か。まさしく現代の大人です。限りある命、暖かい血のかよった人が築く社会。このことを、真剣に若い世代に教えなかった大人の責任が問われているように思います。
 人間教育の根幹を忘れ、営利主義に走ったゲーム会社の責任、それを許してきた社会の責任を痛感します。
 
しかし、私は、今からでも遅くないと思います。
人の心とは。人が生きるということは。
現代の大人、特に団塊の世代が、責任を持って若者に立ち向かうべきだと考えます。


2008年07月20日

◆殺人事件の増加傾向を憂う

                      川原俊明(弁護士)

最近の警察庁発表によれば、刑法犯の件数は6年連続で減少気味だが、殺人事件は増加傾向にある、とされています。私たちが、現実に体感している日本の社会は、本当に良くなっているのでしょうか。

私には、何となく、逆ではないか、との印象があります。

社会は、人と人のつながりで成り立っています。人それぞれが、互いに相手の存在を認め合い、理解しあう、という気持ちが備わっていれば、たとえ、どのような紛争があったとしても、人を傷つけ、人の命を奪うことまではできないはずです。
 
最近の残虐な無差別殺人事件で、犯人が、「誰を殺しても良かった」と平気で供述しているのは、一体、何が原因なのでしょうか。人間の暖かい心まで失わせてしまった冷たい社会が、これ以上拡大しないことを祈っています。何の恨みもない善良な市民が、犯人のストレス発散のために、命を奪われることは、絶対に許されることではありません。

人の命が、ここまで軽んじられる原因の一つと考えられることがあります。現代の日本の社会の特徴の一つである核家族化です。

大家族制度の下では、老若男女が社会を構成し、互いの立場を理解しながら社会生活をしてきました。大家族制度のもとでは、長たるものは、権威と尊厳を持っていました。そこでは、家庭生活の中で、自然と、互いの人間教育ができていました。

ところが、核家族の下では、親が子供を甘やかし、子供も、自分独りよがりの人間になりかねない環境となっています。

私は、人の気持ちを理解しない人たちが増えることを危惧しています。
法による取り締まり以前の問題です。人に対する思いやり、礼節など、人間としての真の教育が、社会全体に求められているのではないでしょうか。(完)

2008年07月14日

◆死刑論議について

     
川原 俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞素粒子欄の「死に神」記事に端を発し、ネット上では、死刑問題について、いまだに議論が続出しています。

私は、法律家の立場から考えても、死刑容認論と死刑廃止論について、多くの皆さんが、冷静に、且つ、徹底的に議論すべきではないかと思います。目には目を、歯に歯を。

紀元前に制定されたハムラビ法典が、現代の社会にそのまま反映すべきでないのは当然です。しかし、法律というものは、神が創るのではなく、その時々の社会の常識の集大成である、という理解が必要です。

法律は、そのときどきの社会の鏡です。法律は、社会の認識を反映しているのです。

現代日本の社会では、なぜ死刑廃止論が多数を占めないのでしょうか。いくら、日本弁護士連合会が、死刑廃止論を観念的に主張しても、国民の多くは、受け入れていないのが現実でしょう。

日本の社会は、基本的に村社会なのです。お互いの寛容をもとに、日本の社会が成り立っています。多少のことをしても、村社会の掟からはずれさえしなければ、寛容の精神で物事は解決されていきます。

ところが、一旦掟を破れば、社会は、徹底的に排斥します。殺人行為など、その典型でしょう。殺人行為を認容していれば、その社会は成り立ちません。人間社会の根源を揺るがす行為なのですから。但し、殺人行為が、直ちに死刑であるべきだ、という訳ではありません。

殺害に至るには、通常、さまざまな背景事情があり、それを斟酌した上で、処罰を決める必要があります。ときには、死の苦しみに匹敵する被害者が、殺人の加害者となることもないわけではありません。その意味で、決して、目には目を歯に歯を、の考えを鵜呑みにする訳にはいかないのです。

一方、死刑廃止論の背景には、人間社会の希薄さを感じます。

誰が死のうが、その被害者に家族がいてもいなくても、どんな残虐な犯行であろうとも、殺人犯人を、刑務所で更生させることが人権擁護である、と。こんな抽象的な「刑事政策的」議論は、まるで人ごとでしょう。

日本の刑事裁判においては、何人もの殺害行為がなされた事案でも、弁護人の要請により、精神鑑定がなされたうえで、裁判官が慎重な審理をします。しかも、特定の裁判官の判断のもとで、誤った結論をだしてはいけないので、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所といった三審制がフルに使われ、多くの裁判官の関与により、はじめて死刑判決が確定されるのです。

裁判官の立場から、どんな極悪犯人であれ、被告人に死刑判決を言い渡すことが、どれだけのプレッシャーであるかを理解すべきです。死刑論議は、この点の、前提事実を、無視して展開されています。

「死刑判決」をうけた死刑囚に、絞首刑をするのは、死刑囚の人権を侵害するものだ、とかの意見があります。死刑判決を受けざるを得ない事案は、犯人が、生きて更生させるには、あまりにも残虐非道であるからこそ、死の償いもやむを得ないとの判断があるのです。死刑にしてしまえば、冤罪の回復はない、との議論もあります。

しかし、これも現実離れの議論です。

戦前はともかく、戦後日本で、冤罪の可能性の極限の案件で、いとも簡単に死刑執行された事案があるのでしょうか。逆に、何人も人を殺害しておいて、殺意がなかった、とかの議論が、通用するのでしょうか。

法務大臣の死刑執行は、それこそ事案を慎重に検討し、やむなく法に基づいて実施されるのです。
 
わたしは、死刑制度の存在が望ましい、といっているのではなく、死刑判決をしなくてもいい平和な社会が欲しい、と言っているのです。
 
弁護士が、死刑容認論を展開すると、何か奇異に受け止める人がいます。しかし、弁護士は、法律を大切にし、今に生きる人々の気持ちを理解できる法律家でありたいと思っています。(完)

2008年07月05日

◆ガソリン値上げと憲法論議

川原俊明(弁護士)

どのように結びつくのか、わからないほどの難問です。

道路財源法案が、先般衆議院で再可決されました。現行憲法制定以来、50数年ぶりとか。衆議院で可決された法案が、参議院で否決された場合、衆議院で3分の2以上の再議決により可決されると、法律となります。これも、憲法上の合法的な手続きです。
 
ねじれ国会でこそ、みられる憲法上の権限行使かもしれません。

このねじれ国会で何を見たか。衆議院の欠席戦術と河野衆議院議長の議場阻止行動。昔の社会党の戦術と何ら代わりがありません。その社会党は、すでに姿も形もないことを理解すべきです。
 
小沢一郎さんには、昔ながらの政治屋の戦術が見え隠れしています。小沢さんは、民主党内で自分の基盤を死守しようとして、強硬路線に出ています。しかし、その姿勢の背後には、国民の姿がまったく見えません。
 
小沢さんの自らの権力欲以外、何者でもありません。国会議員は、国民の立場に立って、大局的に物事を理解し、事物を把握すべきです。今回の「国会議員」たちの行動には、あきれ果てました。
 
未だに政治三流の国家・日本。平和であることはすばらしいことですが、すべての国会議員が、国民のあるべき姿を見ながら、活動すべきでしょう。
 
憲法上の手続きを履行しながら、それを妨害する輩が、私たちの代表であるというのは、きわめて恥ずかしいことです。
 
とはいえ、私は、無条件で与党の対応に賛成しているわけでもありません。世界は、ますます大きく変化を遂げています。日本の政治家は、もっと真剣に世間並びに社会の動きを把握したうえ、世界の動きを見て、健全な社会の構築に全力を挙げて欲しいものです。(完)

2008年06月30日

◆弁護士の役割

川原俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞の「素粒子」コラムに、「死に神」指摘があったので、私は、マスコミの表現として、明らかに不適切であることを指摘しました。<本欄6月24日号に「鳩山法相は、死神なのか」を掲載>
 
鳩山法相が、現在の日本の法律に従って、法務大臣としての義務を履行している以上、従来の法務大臣と比較して、執行の多さを非難することは、筋違いです。後の朝日新聞が、同じコラムで「執行の多さをチクリと刺した」、というのは、今回の問題を理解していないし、使う言葉を間違えているように思います。
 
これに関連して、私のブログにも、ご意見が殺到しているので、誤解なきよう、私の弁護士としての考え方なり、信念、をお伝えします。
 
私は、一つの新聞社を批判しているのではありません。マスコミの質を問題にしています。全国紙を代表する新聞記事の一行が、どれだけ指摘された人の心を踏みにじむのか。これが理解されていないことを問題にしています。

マスコミは、その道でプロであるべきしょう。安易なペンの暴力は、自らの身を滅ぼすことになります。その意味で、今回、軽率な表現に対する謝罪がなかったことは、新聞社としての姿勢を疑います。
 
もう一つ考えたいのは、刑事弁護における弁護士の役割です。司法に対する一般的な理解として言えることは、公権力を背景に犯罪を糾弾する検察官と、被告人を保護する弁護人、これを中立的な立場から判断する裁判所。

この図式は正しいものがあります。しかし、私が言いたいのは、弁護士の社会的役割をふまえた上で、この図式を運営させる必要があります。

さまざまな欲望と自我を持った人間が、利害を対立させている社会では、残念ながら、犯罪は決してゼロにはなりません。しかし、一旦、発生させた犯罪者に、二度と犯罪をおこさせるべきでない。この姿勢を貫くことによって、世の中が少しでも良くなる、と私は考えています。

司法の中で、弁護士が、検察官と立場を異にすることがあっても、よりよき社会を築くべき役割は、司法の一員として同じことであるはずです。

私は、弁護士が、被告人の更生のため、適切な量刑を求めるのが大切であり、単に被告人の量刑さえ軽くなればいい、と考える刑事弁護は間違っている、と思っています。
どんな刑事事件であろうが、弁護士が、被告人に「刑を軽くしてやった。」と思わせる弁護は、その被告人の、犯罪に対する安易な考えを植え付けることになりかねません。

被告人が、凶悪犯罪にもかかわらず「こんな量刑で済んだ」、と思わせるのは、弁護士が、被告人に、更生どころか、次の犯罪を助長させるようなものでしょう。

私が刑事弁護する場合、絶えず、被告人と向き合い、犯罪が明らかな場合、弁護人の立場から、罪を犯すことのむなしさと、身柄拘束など、犯罪が割に合わないことを説諭します。被告人の更生を望んで、「同じ過ちを犯すな」と、説得するのです。このことにより、社会が少しでも良くなってくれたら、と考えています。 

この観点から、弁護士は、検察と立場を異にしますが、社会を少しでも良くしたい、被告人に立ち直ってもらいたい、と考えて弁護活動すべきでしょう。(完)

2008年06月24日

鳩山法相は「死に神」なのか

                     川原俊明

連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚に対するマスコミの評価で、気になる表現がありました。平成20年6月18日付け朝日新聞夕刊「素粒子」欄です。

「永世死刑執行人 鳩山法相 またの名、死に神」。
三流週刊誌の表題なら、軽く受け流す私も、全国紙を代表する新聞社が、こんな表現をしていいのだろうか、と疑問を持っています。
 
鳩山法相が、在任中最多の13人の死刑執行に署名したことをもって、この表現をされたのでしょう。
 
しかし、現在の日本の刑法では、殺人罪などの凶悪犯罪に対し、明らかに死刑に処すことがあることを、明記されています。
 
裁判所は、事件の諸事情を勘案し、相当の勇気を持って死刑判決を言い渡しているのです。死刑判決が確定した死刑囚に対し、死刑執行をするのは、法律に基づいたものであり、時の法務大臣は、死刑執行の義務があります。
 
私は、多くの刑事弁護を手がけておりますが、犯罪に応じた適切な処罰は、当たり前のことです。不適切な処罰に対しては、敢然と検察に立ち向かいます。

しかし、当該犯罪に相応する処罰であるならば、むしろそれが本人の更生につながるのです。それによって社会が良くなると思っています。
 
刑事事件における弁護士の仕事は、適切な量刑を求めることであり、被告人の量刑が単に軽くなればいい、と考えるのは間違っています。
 
そんな勘違いしている弁護士の多いことも問題です。
 
法律に基づいた死刑執行を非難するならば、法律を無視していることと同じです。法律の内容が不適切であれば、法律改正を考えるべきであります。

マスコミの議論は、次元が異なります。

東京の秋葉原での無差別殺人事件を見ても、最近の人の心の中に、相手を思いやる気持ちがなくなっているのではないか、あるいは少なくなっているのではないか、と心配しています。人は、100人いれば、100人とも、その背後に愛する家族があり、その人の過去未来の人生があります。

そんな人の命を簡単に切り捨てる者は、人間の皮を被ったケダモノにすぎません。人の命を無残に奪った者の人権が尊重されて、被害にあった家族の苦しみは、どうして報われるのでしょうか。

朝日新聞の前掲記事は、遺族の心を逆なでするものとしか思えません。                            (完)
                  
                 大阪弁護士会所属 弁護士
                            2008.6.19


2008年04月12日

◆C型肝炎訴訟の終結に向けて

川原俊明(弁護士)

薬害肝炎救済法が国会で成立したのは、平成20年1月11日です。C型肝炎訴訟に関わっている当法律事務所としても、誠に喜ばしい事態と考えています。

昭和49年、血液製剤フィブリノゲン投与を受けたため、C型肝炎に罹患(りかん)し、重篤な状態に陥って入院中の奥さんを抱えるMさん。

今までの勤めを辞め、病状が悪化する奥さんの看護に専念してこられたのでした。

奥さんは、息子さんから生体肝移植を受け、命を取り留めたものの、依然として事態は悪化しています。肝臓ガン、さらには体全体を病巣がむしばもうとするに至っているのです。

Mさんの奥さんは、自らが被害に遭いながらも、訴訟に至らない多くの肝炎患者が全国に散らばって苦しんでいることを知りました。

もともと、国や製薬会社に対する損害賠償請求訴訟という形での責任追及だけでは、究極の解決にならない。そのように考えたMさんと奥さんは、集団原告訴訟団から離脱して、独自の訴訟をめざし、訴訟に及んでいない多数の肝炎患者の救済を図るために、「肝炎家族の会」を発足させたのでした。

そして、多くの肝炎患者に救済の手をさしのべようと、Mさんが中心となり、肝炎に苦しむ多くの患者救済の受け皿となるべく、何度も国会を駆け回って国会議員と折衝を重ねました。

また、厚生労働省にも掛け合い、幅広く肝炎患者救済体制確立の必要性を主張してきたのでした。

当法律事務所は、Mさんの行動を全面的に支援すべく、弁護団から離れたMさんの奥さんの訴訟代理人となりました。その結果、訴訟を遂行する一方、「肝炎家族の会」を支援する体制をとることにしたのです。

今回の薬害肝炎救済法成立にあたっても、Mさんたちの肝炎患者全体救済の考え方が全面的に採用されています。C型肝炎訴訟は、まもなく全面終結の予定です。

Mさんたちは、平成19年12月13日、大阪高裁が提案した和解案についても、いち早く和解受け入れを表明し、訴訟の早期終結を訴えてきました。


Mさんたちの肝炎患者全体に対する救済活動は、今からが本番です。「肝炎家族の会」は、内閣府にNPO(特定非営利活動法人)法人設立申請を行い、さらに力強く救済活動に踏み切ったのです。私たちも、福田首相の決断を大いに評価したいと思います。(完)


★補足―<厚生労働省は4月11日、C型肝炎感染の危険性のある血液製剤フィブリノゲンを原料とする縫合用接着剤「フィブリンのり」を使用していた可能性のある計556医療機関名を公表。「フィブリンのり」は、C型肝炎の原因となったフィブリノゲンが、納入先で他の薬剤と調合された「のり」として止血や縫合に使われていたもの。

肝臓、肺がん、大動脈瘤、心筋梗塞、狭心症などの手術、尿路結石や骨折などにも遣われていた。(朝日新聞4月12号)―ネットモウ編集部>