2016年12月29日

◆検察審査会「起訴相当」の意味するもの

川原 俊明



刑事訴訟手続きにおいて、被疑者に対する起訴不起訴を決めるのは、検察官です。最近、検察の不起訴案件について、検察審査会なる組織が、脚光を浴びています。

検察審査会では、被疑者に対する検察官の不起訴判断について無作為で抽出された11名の市民が、検察の判断の当否を審議します。

今まで、有名無実の存在であった検察審査会。

最近では、裁判員制度の採用で、市民が裁判に関わりを持つようになりました。その影響からか、裁判制度に対する認識が高まっています。それに関連して、検察の起訴不起訴についても、否応なく国民の関心が高まっています。

 「起訴相当」を結論づけた検察審査会の意見を経て、強制起訴までされた事例もあります。もちろん、検察審査会は、法律のプロ集団ではなく、起訴すべきかどうかの判断について、厳格な証拠判断がなされているわけではありません。

したがって、検察審査会の「起訴相当」に基づき、強制起訴されたからといって、当然に被告人の有罪が決まっているわけでもありません。

しかし、大事なことは、被疑者の起訴にあたり、それが民意の反映だ、ということでしょう。

市民の目から見て、不起訴扱いすることが許されない、と判断された場合、起訴に持ち込み、公開の刑事裁判手続きの中で、真相が明らかにすることが大事です。被疑者に対する起訴権限の検察集中に対する国民の不満解消には、検察審査会をフルに活用すればいいのです。

ことに、政治家の犯罪容疑について、国民は、検察の起訴不起訴判断が、恣意的に操作されているのではないか、との疑惑を持っています。

それであればなおさら、国民が起訴不起訴について、意見を述べる機会を与えられる検察審査会は、今後、大きな役割を果たすでしょうか。

これによって、検察審査会が、「起訴相当」とした案件を含め、今後の起訴案件について、従来より有罪率が下がるかもしれません。でも、いままでの、起訴=有罪、の構図そのものが間違っているのです。

この構図に毒された刑事裁判官の実に多いこと。別に、有罪が保証された起訴でなくとも、国民監視の下で、堂々と犯罪の正否を争えばいいと思います。(完)(再掲)

2016年12月22日

◆涙の刑事裁判

川原 俊明 (弁護士)

被告人を処罰すべき刑事裁判で、被告人も弁護人も涙を流す光景は、めったにありません。ある地方裁判所での、刑事法廷の出来事でした。

被告人が刑事裁判にかけられている罪は、今はやりの詐欺事件。騙されやすい高齢者を相手に、警察官を装い、「某会社に、リフォーム工事を依頼したことがありますね。その会社が不正を働いたので、警察を通じてお金を返すことになりましたが、手続上、あなたから、まずお金をお預かりしないと行けないのです。」といって,お金を騙し取ったというものでした。

犯罪それ自体は、決して容認されるべきものではありません。私達弁護人としても、被告人には、接見(面会)のたびに、二度と罪を犯さないよう厳しく問い詰めて来たのです。

これを担当するK弁護士―。
刑事弁護について、一つの信念を持っています。弁護士たるもの、言い渡された刑事判決の量刑の軽さを手柄のごとく自賛するだけでは、かえって被告人の再犯を助長するようなものである。

被告人に、犯罪の重大さと比べて、判決内容が「この程度で済んだ」と勘違いさせるのでは、本来の刑事弁護の目的に反する、と。弁護士は、被告人に有利な事情を引き出すことが当然の職責としても、裁判所、検察庁とともに、司法の一翼を担う立場にあります。

弁護士は、被告人が犯罪者であることに間違いなければ、十分な反省と再犯防止策を講じさせ、更生の決意を抱かせなければなりません。「社会を良くする」「社会から紛争を少しでもなくす」こと信念に、刑事弁護にチャレンジするK弁護士。

刑事法廷では、被告人に対する検察側の立証を終え、次に弁護側の情状立証に入るところでした。情状証人に予定されていた被告人の奥さんが、むずがる幼い男の子を脇に抱えながら、傍聴席を出て、証人席に立とうとしたときのことです。

裁判長が、被告人の奥さんに、「その子は被告人の子ですか。」と確認したあと、「被告人に抱いてもらっておいて下さい」。

裁判長は、奥さんが抱えていた子供を、一時的にせよ、身柄拘束をうけて刑事裁判中の被告人に託することを許可してくれたのでした。約5か月もの期間、勾留状態にある被告人にとって、妻子が毎日のように拘置所に面会に来てくれていたものの、面会室では、もちろんガラス越しの話ゆえに、肌の触れ合いができなかったため、被告人もびっくり。

慌てて我が子を抱きしめ、奥さんの情状証人が終わるまで、幼い子は、ずっと被告人の膝の上にいたのです。その間の被告人。ぐずっていた子供に代わって、被告人自身が感極まって涙を流し続けていました。

30年近く弁護士生活を送っているK弁護士。裁判長のこんな粋な計らいは、初めての経験でした。K弁護士、早速、被告人質問で尋ねました。

「今、裁判長のご配慮で、子供さんを抱かせてもらったけれど、どんな思いでしたか」。
被告人「うれしかったです。ありがとうございました。子供のためにも立派に更生するつもりです」。

泣きながらの被告人の言葉に、被害者や、被告人の家族達が見守る傍聴席から、すすり泣きが聞こえてきました。そしてK弁護士の目にも・・・。

K弁護士「あなたが罪を犯していなかったら、毎日のように子供を抱けるのですよ。いかに罪を犯すことが愚かであることを自覚しましたか」。

被告人「もう二度と罪を犯しません」。
被告人の言葉は、子供を抱えた温かみが裏打ちされていました。

裁判翌日の毎日新聞朝刊にー大きな見出しが載っていました。
「むずがる長男 被告の腕に」、「裁判官 開廷中に促す」、「家族のために更生したい」。

裁判長の英断に、被害者と被告人、そして家族が涙した刑事法廷が生まれ、そこには、被告人の更生への硬い決意が響いていました。(了)

2016年12月16日

◆新米弁護士は「士」を捨てたのか

 
川原 俊明



ある新聞に、新米弁護士の年収について、アンケート結果が報道されました。それによると、初年度の年収が低下傾向にあり、「給料が少ない」「公益活動をする余裕がない」などの不満が多くあるそうです。

私は、これを見て、弁護士もサラリーマン化したな、と実感しました。

私が、数十年も前、弁護士としてボス弁事務所に登録させていただくにあたり、ボスから、給料の額を尋ねたことなんてありません。弁護士といえども、司法試験に合格し、2年間(今は1年に短縮)の司法修習を終え、バッチをつけたところで、事件処理の仕方について、右も左もわかない、役立たずの立場です。

イソ弁の頃は、ボス弁について、必死に事件解決のテクニックを教わるものです。いわば、私たち弁護士は、本来職人なのです。ボスの技術を盗み、体で覚え、数多くの経験を重ねるのです。そうやって、一人前のプロとしての弁護士になっていくのです。

イソ弁は、昔で言う丁稚奉公の認識を持ち、与えられた事件処理を必死にやってこそ、経験がものを言う世界で成長していのです。

いまの司法修習生。就職氷河期と言われているものの、法律事務所を、少しでも給料がよく、少しでも楽なところを選ぼうとします。こんなサラリーマン化した司法修習生なんて、うちはいりません。

世の中、プロ意識の欠如した専門家が多くなっています。弁護士の世界も、例外ではありません。プロとしての技術・知識を磨き、依頼者の利益を擁護する。これが、サムライとしての弁護士なのです。

サラリーマン根性しか持たない弁護士には、ろくな仕事ができません。プロ意識こそ、新米弁護士に植え付けるべきです。

こんなアンケートを実施する弁護士側にも問題があります。もっと、弁護士としての根源的な意識について、アンケートを実施すべきです。(完)
                                    (弁護士)

2016年12月05日

◆慰謝料の相場    法律コラム

川原 俊明 (弁護士)

 

男女トラブル・離婚問題の事件処理をしていくうえにおいて、「慰謝料」についてのご質問が非常に多いです。

「慰謝料はいくらが妥当なんでしょう?」
そもそもの前提として、慰謝料が認められるためには、

・浮気・不倫をした
・DVをした
・モラハラ(モラルハラスメント=精神的な暴力)をした
・生活費を渡さない
・理由もないのに同居を拒否する
・セックスレスである
このような事情が必要となります。

慰謝料の性質は、不貞行為を行った「けじめ」としての賠償の意味合いがあります。傷ついた心に対する賠償であるならば、1億円もらったとしても納得できない!!というご意見も至極真っ当であると思います。

しかし現実問題として、1億円の慰謝料請求など、一般的には認められません。

では、いくらくらいが妥当なのでしょうか。

実は、法律的に、慰謝料の相場、というものどこにも書いてありません。

本人同士が話し合い、自由に金額設定することが可能なのです。
とはいえ、それでは話も進まないだろうと、裁判所がだいたいの相場を決めています。

☆不倫・浮気を原因とする慰謝料

→100万〜300万程度

☆DVやモラハラが原因とする慰謝料

→50万〜300万程度
などが一つの基準となっています。

もちろん、婚姻期間や、相手方の年収や職業、年齢などにより、高めの慰謝料設定がされることもあります。同じ理由で低めに設定されることもあります。

また、証拠があるかどうか、という点に関しては、そもそも慰謝料請求が可能かどうか、という点にも大きく影響します。

当事務所は、6000件を超える解決事例をベースとした、お一人お一人に応じた慰謝料請求をすることが可能です。

慰謝料のことでご質問ございましたら当事務所までお問い合わせください。

弁護士法人 川原総合法律事務所 
(06)6365−1065(代表)

2016年12月01日

◆弁護士を選択できる時代

川原 俊明(弁護士)

「現在、〇〇弁護士先生に事件を頼んでいますが、契約解除して、そちらにお願いしたいのですが、可能でしょうか?」

そのようなお問い合わせをいただく機会が増えています。ネットの流通により、容易に弁護士を選び、自身に適した弁護士を選択できる時代に入ったということでしょう。

弁護士全体の敷居が低くなったという背景もあると思います。

この事実は反対に、私たちも容易に契約解除されるという危険性もあるということを意味します。

依頼者が契約解除しようとする背景には、説明不足や、方針の違い、金銭的な理由など様々でしょうが、信頼関係がなくなったことが原因であることは間違いありません。

私たちは、そのような依頼者・お客様を前に、日々、自身を改善し、矜持といいますか、自覚を持って事件処理に当たる必要があると考えています。

ただそれは、単に依頼者の思った通りに動く、ということではありません。

依頼者のことを真剣に考え、十分な打ち合わせ時間を利用したうえで、依頼者と私たちが納得する形での事件処理です。

私たちは依頼者にとって都合のいい、その場しのぎの存在になるつもりはありません。口酸っぱくも、依頼者にとってためになると考える提案をさせていただきます。

弁護士が選択できる・選択される時代だからこそ今後もそのスタンスは大事にした事件処理に徹する決意です。

2016年11月27日

◆離婚に「強い」弁護士とは

川原 俊明(弁護士)



 離婚サイトのトップページに「不倫・浮気問題に強い」事務所という
 うたい文句があります。総合的に、離婚問題に強い、というニュアンスです。

 私たちはなにをもって離婚に「強い」と自負しているのでしょう。
 〇莫大な慰謝料を取れる?
 〇確実に親権を取れる?
 〇どんなもめ事も解決できる?

 確かに、これらも「離婚に強い」要件ではあることは間違いないでしょう。

基本的に依頼者のニーズに合わせ、求められている以上の結果を出すことが求められていることも理解しています。
 
しかし、私たちの考える「強さ」は、あくまで依頼者の「その後」に主観を置いています。
 
 たとえ莫大な慰謝料を取れたとしても、確実に親権を取ることが出来たとしても、厄介  なもめ事を解決したとしても、その後のビジョンが明確でなければ、本当の意味で問題は解決したとはいえません。

 離婚という大変な問題をクリアーしたからこそ、その後の人生設計を相談し、検討して創造し、導くことまでが私たちの仕事であり、「離婚問題の強さ」を自負する原因となっています。
 
 依頼者が本当に望んでいるのは目先の解決だけではなく、もっと長いビジョンでの問題解決だということが、
 依頼者の声を聞き、数え切れない解決実績を導いた、私たちの答えです。

 離婚問題の「その後」までも 考えることができるからこそ、「離婚問題に強い」のです。

2016年11月23日

◆死刑論議について

川原 俊明(弁護士)



ネット上で死刑問題について、いまだに議論が続出しています。

私は、法律家の立場から考えても、死刑容認論と死刑廃止論について、多くの皆さんが、冷静に、且つ、徹底的に議論すべきではないかと思います。目には目を、歯に歯を。

紀元前に制定されたハムラビ法典が、現代の社会にそのまま反映すべきでないのは当然です。しかし、法律というものは、神が創るのではなく、その時々の社会の常識の集大成である、という理解が必要です。

法律は、そのときどきの社会の鏡です。法律は、社会の認識を反映しているのです。

現代日本の社会では、なぜ死刑廃止論が多数を占めないのでしょうか。いくら、日本弁護士連合会が、死刑廃止論を観念的に主張しても、国民の多くは、受け入れていないのが現実でしょう。

日本の社会は、基本的に村社会なのです。お互いの寛容をもとに、日本の社会が成り立っています。多少のことをしても、村社会の掟からはずれさえしなければ、寛容の精神で物事は解決されていきます。

ところが、一旦掟を破れば、社会は、徹底的に排斥します。殺人行為など、その典型でしょう。殺人行為を認容していれば、その社会は成り立ちません。人間社会の根源を揺るがす行為なのですから。但し、殺人行為が、直ちに死刑であるべきだ、という訳ではありません。

殺害に至るには、通常、さまざまな背景事情があり、それを斟酌した上で、処罰を決める必要があります。ときには、死の苦しみに匹敵する被害者が、殺人の加害者となることもないわけではありません。その意味で、決して、目には目を歯に歯を、の考えを鵜呑みにする訳にはいかないのです。

一方、死刑廃止論の背景には、人間社会の希薄さを感じます。

誰が死のうが、その被害者に家族がいてもいなくても、どんな残虐な犯行であろうとも、殺人犯人を、刑務所で更生させることが人権擁護である、と。こんな抽象的な「刑事政策的」議論は、まるで人ごとでしょう。

日本の刑事裁判においては、何人もの殺害行為がなされた事案でも、弁護人の要請により、精神鑑定がなされたうえで、裁判官が慎重な審理をします。しかも、特定の裁判官の判断のもとで、誤った結論をだしてはいけないので、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所といった三審制がフルに使われ、多くの裁判官の関与により、はじめて死刑判決が確定されるのです。

裁判官の立場から、どんな極悪犯人であれ、被告人に死刑判決を言い渡すことが、どれだけのプレッシャーであるかを理解すべきです。死刑論議は、この点の、前提事実を、無視して展開されています。

「死刑判決」をうけた死刑囚に、絞首刑をするのは、死刑囚の人権を侵害するものだ、とかの意見があります。死刑判決を受けざるを得ない事案は、犯人が、生きて更生させるには、あまりにも残虐非道であるからこそ、死の償いもやむを得ないとの判断があるのです。死刑にしてしまえば、冤罪の回復はない、との議論もあります。

しかし、これも現実離れの議論です。

戦前はともかく、戦後日本で、冤罪の可能性の極限の案件で、いとも簡単に死刑執行された事案があるのでしょうか。逆に、何人も人を殺害しておいて、殺意がなかった、とかの議論が、通用するのでしょうか。

法務大臣の死刑執行は、それこそ事案を慎重に検討し、やむなく法に基づいて実施されるのです。
 
わたしは、死刑制度の存在が望ましい、といっているのではなく、死刑判決をしなくてもいい平和な社会が欲しい、と言っているのです。
 
弁護士が、死刑容認論を展開すると、何か奇異に受け止める人がいます。しかし、弁護士は、法律を大切にし、今に生きる人々の気持ちを理解できる法律家でありたいと思っています。(完 )

2016年11月17日

◆「離婚理由」ランキング 法律コラム

川原 俊明(弁護士)



あるサイトにて、離婚理由ランキングというものが発表されていました。

1位 性格の不一致

2位 不倫

3位 DV(暴力)

4位 精神的暴力・モラハラ

5位 子供への愛情が感じられない


いかがでしょうか。

実務上の立場から申しますと、離婚事件として当事務所にご依頼いただく際、この5つのどれかに該当することがほとんどだな、という印象があります。

特に、上位2つが8割を超えているのではないでしょうか。あとは、性格の不一致から生じる暴力や、不倫を前提としたモラハラ、子への愛情不足など、上位ランクは、すべて派生的に発生することが多いでしょう。

よく様々なサイトで、
「不倫なら慰謝料◎●円!」などとうたい文句がありますが、例えば先ほどの例である、不倫→モラハラなどであれば、追加的に慰謝料請求を行うことが可能な場合も多々あります。

言いたいことは一つです。これらの判断は弁護士だから可能なのです。

ご自身で判断され、行動することよりも、確実な法的知識を有する弁護士に事件解決を依頼し、適切な手続きで相手方との交渉を行うことが、一番の近道であると断言することができます。

また、電話で無料相談をご希望される方がいらっしゃいますが、実際に顔を合わせ、事情をご説明いただかなければ交渉の必要性をはじめ、その判断自体もできかねます。
(一般論はあくまでも一般論に過ぎません。あなたに該当するかどうかは不明です。)

そのためにも、電話口だけでなく、ご足労はおかけしますが、面談という方式にこだわり、
依頼者様一人一人に適したアドバイスをしていきたいと考えております。

離婚をはじめとする、男女問題のトラブルには絶対の自信を持って事件解決に望んでいます。



2016年11月13日

◆相続前サポート 法律コラム

川原 俊明

相続は非相続にが亡くなってから。そう思っていませんか?

結論としまして、それでは遅いと言わざるを得ません。

この場合、遺産分割で揉めてしまうことが非常に多いといえるでしょう。
(相続は「争続」とよく揶揄されます。)

相続前にできる相続サポートをすることにより、紛争の未然防止に役立つことになります。

具体的にはどのようなことをしておくべきでしょうか。

@ 相続人調査
亡くなってから行うことが多いですが、事前に行っておくことも有用です。問題を提起してきそうな人物を抽出したり、未然に合意書を交わすことなど、
相続人調査を行うことで可能となります。

A 相続財産調査
資産の管理については、わかっている部分につきましては、ある程度まとめておいた方が良いでしょう。どの不動産や動産(物)に価値があって、実際に揉める可能性があるのかなど、ある程度、把握しておけば問題の未然防止になります。

公正証書の作成
これを一番オススメする理由は、問題を未然に防止することが目的です。
後々の問題を「法的に」予防することが可能です。
揉めそうな動産・不動産について被相続人を含め、相続人間で決めておけば、
紛争の防止に役立ちます。

以上@、A、Bは、弁護士でなければなかなか出来ることではありません。

相続前にでも、弁護士が入るメリットが多いという点を
ご理解いただければ幸いです。

2016年11月10日

◆不倫案件における弁護士の役割

川原 俊明



ワイドショー、政治家、到るところで、「不倫」というキーワードがワイドショーを賑わせています。

実は、法律上「不倫」は、法律用語ではありません。

民法第752条は、夫婦間の基本的な義務として、貞操義務があると解されています。
貞操義務に反する行為は、不貞行為として離婚理由になることが
民法第770条に定められています。

不貞行為とは、貞操義務に反すること、つまり結婚しているひとが自由意思で配偶者以外の異性と性的交渉を持つことです。

この不貞行為が離婚事由になり、不法行為として損害賠償を求めることができるのです。
(民法第709条)

確かに不倫は、良いことではありません。配偶者の一方を深く傷つけるだけでなく、
子供がいる場合など、言うに及ばずです。

当事務所、不倫案件を数多く扱っていることから、不倫問題でお悩みの依頼者が多数いらっしゃいます。

繰り返しますが、確かに不倫自体は良いことではありません。

しかし、例えば、不倫を行ったものには人権がないのか?
何を請求されたとしても、仕方がないのか?

「毎日土下座に来い」と言われ、従わなければならないのか。

このように考えた場合、弁護士として、相手方と交渉する必要を強く感じます。

慰謝料を支払う場合でも、相手の言い値を支払いするのではなく、適正価格での支払いを交渉したり、会社を辞めることを強いられた場合、越権だとして相手をたしなめたり、

相手方も、弁護士が入るだけで必要以上の要求をしてこなくなる
ケースも多々あります。
(自らも違法だと認識しているのでしょう)

不倫は文化!では決してありませんが、不倫してしまったものを擁護することも、
社会正義の観点から、弁護士としての立派な役割なのだと強く感じています。

不倫問題でお困りの方は、お気軽にご相談ください。
(弁護士)

2016年11月08日

◆交通事故で健康保険を使うには

川原 俊明



交通事故によって生じた傷害の治療を受ける際、病院は「交通事故は健康保険の適用外です」と言ってくることがしばしばあります。

もちろん、加害者が全部の損害を弁償してくれるのであれば、健康保険を使わなくても問題ありません。しかし、相手方の保険会社から治療費の支払いを拒まれているときなどは健康保険が使えるか否かは死活問題です。

病院側としては、保険診療(健康保険を適用した場合の診療)よりも、自由診療(健康保険を適用しない場合の診療)の方が、利益が多いので、健康保険適用を回避するため、「交通事故は健康保険の適用外です」と言ってくるのです。

しかし、保険診療機関(健康保険が使用できる病院等)においては、健康保険適用の申し出があれば、病院がこれを拒むことは法律上できません。 すなわち、交通事故においても健康保険を使うことはできます。

ただし、交通事故において健康保険を使うためには、被害者が1つしなければならない手続きがあります。

それは、「第三者行為による傷病届」を保険機関(市町村、健康保険組合等)に提出することです。 健康保険は治療費の7割を保険機関が病院に支払いますが、実はこれ、立替払いなのです。

すなわち、本来治療費は、加害者が過失の割合に従って払うべきものですから、これを保険機関が支払えば、その分、後で加害者からもらいますよ、というものです(健康保険法57条)。これを、健康機関から加害者へ「求償」すると言います。

そして、「第三者行為による傷病届」とは、被害者が、この「求償」をしていいですよと、了解するものなのです。

以上のことを理解したうえで、必要であれば、病院に対し保険診療をきちんと求めていきましょう。     (弁護士)

2016年10月28日

◆幼児受難の時代

 
川原 俊明



以前、福岡で小1男児、千葉で保育園女児が、それぞれ幼い命を失ったことを、ふと思い出しました。

人間、生まれてきたからには、肉体が朽ちるまで、思い切った人生を歩む権利があります。

人それぞれに人生があり、運命があります。人生には、苦しみと楽しみがあり、山と谷があります。せっかく生を授かった生命体が、寿命が尽きるまではぐくむことは、神あるいは自然の摂理への義務です。 
 
しかしながら、他人によって自分の人生を打ち切られることは、余りにも殺生な話です。被害者が、生を受けてまもなくの乳幼児であろうが、何十年の人生を享受してきた老齢者であろうが、まったく同じことです。
 
他人を殺害することは、自分の命の尊さすらも理解していないからです。

これだけ文明が進んでも、人間が、細胞一つ、一から作り上げることはできていません。細胞の遺伝子を変える技術があったとしても・・・。
 
生命の神秘は、まさに神のみぞ知る分野でしょう。ましてや、幼児には、多くの未来が待っています。
 
福岡の小1男児の場合、たとえ多少の発達障害があったとしても、その男児は、寿命が尽きるまで人生を享受する権利があったはずでした。犯人とされる母親に、たとえ多くの事情があったにせよ、男児の生を奪うことは許されないことです。

ただし、往々にして、人の殺傷事件の背景には、社会問題が山積していることも事実です。経済問題、介護問題、環境問題、医療問題など、社会のるつぼの中に、多くの事件の発生があります。
 
この世の中から、少しでも犯罪をなくすには、平和で、多くの人が幸せを感じる社会環境が必要だと思います。それぞれに人生があります。
 
互いを思いやり、命の尊さを理解することが大切なことです。
                             (弁護士)

2016年10月17日

◆死刑論議について

川原 俊明(弁護士)



私は、法律家の立場から考えても、死刑容認論と死刑廃止論について、多くの皆さんが、冷静に、且つ、徹底的に議論すべきではないかと思います。目には目を、歯に歯を。

紀元前に制定されたハムラビ法典が、現代の社会にそのまま反映すべきでないのは当然です。しかし、法律というものは、神が創るのではなく、その時々の社会の常識の集大成である、という理解が必要です。

法律は、そのときどきの社会の鏡です。法律は、社会の認識を反映しているのです。

現代日本の社会では、なぜ死刑廃止論が多数を占めないのでしょうか。いくら、日本弁護士連合会が、死刑廃止論を観念的に主張しても、国民の多くは、受け入れていないのが現実でしょう。

日本の社会は、基本的に村社会なのです。お互いの寛容をもとに、日本の社会が成り立っています。多少のことをしても、村社会の掟からはずれさえしなければ、寛容の精神で物事は解決されていきます。

ところが、一旦掟を破れば、社会は、徹底的に排斥します。殺人行為など、その典型でしょう。殺人行為を認容していれば、その社会は成り立ちません。人間社会の根源を揺るがす行為なのですから。但し、殺人行為が、直ちに死刑であるべきだ、という訳ではありません。

殺害に至るには、通常、さまざまな背景事情があり、それを斟酌した上で、処罰を決める必要があります。ときには、死の苦しみに匹敵する被害者が、殺人の加害者となることもないわけではありません。その意味で、決して、目には目を歯に歯を、の考えを鵜呑みにする訳にはいかないのです。

一方、死刑廃止論の背景には、人間社会の希薄さを感じます。

誰が死のうが、その被害者に家族がいてもいなくても、どんな残虐な犯行であろうとも、殺人犯人を、刑務所で更生させることが人権擁護である、と。こんな抽象的な「刑事政策的」議論は、まるで人ごとでしょう。

日本の刑事裁判においては、何人もの殺害行為がなされた事案でも、弁護人の要請により、精神鑑定がなされたうえで、裁判官が慎重な審理をします。しかも、特定の裁判官の判断のもとで、誤った結論をだしてはいけないので、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所といった三審制がフルに使われ、多くの裁判官の関与により、はじめて死刑判決が確定されるのです。

裁判官の立場から、どんな極悪犯人であれ、被告人に死刑判決を言い渡すことが、どれだけのプレッシャーであるかを理解すべきです。死刑論議は、この点の、前提事実を、無視して展開されています。

「死刑判決」をうけた死刑囚に、絞首刑をするのは、死刑囚の人権を侵害するものだ、とかの意見があります。死刑判決を受けざるを得ない事案は、犯人が、生きて更生させるには、あまりにも残虐非道であるからこそ、死の償いもやむを得ないとの判断があるのです。死刑にしてしまえば、冤罪の回復はない、との議論もあります。

しかし、これも現実離れの議論です。

戦前はともかく、戦後日本で、冤罪の可能性の極限の案件で、いとも簡単に死刑執行された事案があるのでしょうか。逆に、何人も人を殺害しておいて、殺意がなかった、とかの議論が、通用するのでしょうか。

法務大臣の死刑執行は、それこそ事案を慎重に検討し、やむなく法に基づいて実施されるのです。
 
わたしは、死刑制度の存在が望ましい、といっているのではなく、死刑判決をしなくてもいい平和な社会が欲しい、と言っているのです。
 
弁護士が、死刑容認論を展開すると、何か奇異に受け止める人がいます。しかし、弁護士は、法律を大切にし、今に生きる人々の気持ちを理解できる法律家でありたいと思っています。(完)(再掲)