2016年02月12日

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡 荘十



正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めたが、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先まで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。

インフルエンザは、熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   

2016年02月03日

◆BNP検査をやってみよう

石岡 荘十(ジャーナリスト)

病院に心臓の薬の処方箋をもらいに行ったついでに、馴染みの循環器内科の女医さんの部屋に顔を出して「風邪のせいかなんとなくしんどい」と訴えると、「BNP検査をやってみましょう」とに勧められた。

9年前、大動脈弁を人工の機械弁に置き換える心臓手術の経験をして以来、ヒマにあかせて、臓病関連の本を読みまくり、挙句、手術体験記(『心臓手術』 文藝春秋刊)を上梓したりした。

だから、こと循環器系疾病に関しては、人並み以上の知識を持っていると自負していたのだが、「BNP検査」は聞いたことがなかった。

で、詳しく訊いてみると、これはなかなか役に立ちそうなので、日本人の死亡原因第2位の心臓疾患の予備軍である高齢者向けに、聞いた話の受け売りをする。

BNPは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」のこと。心臓に負担がかかると心臓の、主として心室から、一部は心房から血液に分泌されるホルモンの一種である。

血液検査で心臓にかかると交感神経を抑制したり、心臓が肥大する異常事態を防いだりする働きがある。

心臓にかかる負担が大きければ大きいほど多量のBNPを分泌するので、その分泌量を測ることで、心臓にかかっている負担の度合いを測定することが出来るというわけだ。

臨床的には、心筋梗塞、心不全の診断や治療・手術の後の判定によく使われる。血液検査で心臓の不具合の程度を測定できる唯一の検査だという。

心疾患の重傷度、つまり心臓がどの程度いかれているかの分類方法にNYHAという分類の仕方がよく知られている。「ニハ分類」、または「ナイハ分類」と読む。ニューヨーク心臓協会が定めた方法だ。4段階に分類してある。

・!)度 日常生活では症状は起こらない
・!)度 安静にしているときには症状は出ないが日常生活をすると疲れ、動悸、呼吸困難、 狭心症の症状が起きる
・!)度 軽い日常生活でも疲れる、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる
・!)度 安静にしていても胸に違和感を覚えたり心不全の症状や強心所の症状が起きたりする

このうち、健康診断などで心臓疾患の有無を診る方法で一番一般的な心電図検査だけでは、!)度の発見は困難だとされ、見逃されがちだ。!)度(軽度)もほとんど自覚症状がないこともあって、そのまま進行することが多い。

NYHA 分類は、自分である程度判断できるが手がかりにはなるが、感覚的な分類であるところが弱い。

こに対して、BNP検査で濃度を測定すると!)度、!)度もはっきり検査数値で確認することが出来る。

BNP値100pg/dl以下だと「心疾患なし」(pg/dl:ピコグラム・パー・デシリットル、ピコグラムは1兆分の1グラム)

私の検査結果は77・5でセーフだった。
100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。
200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。

日本人の年間の死者は110万人。死亡原因の第1位は癌で3割、2位の心疾患と3位の脳疾患を併せて3割、この3つで6割の人が亡くなっているが、病名別にではなく臓器別に見ると、心臓疾患による死者(17万3000人余)が一番多い。高齢者は明らかにこの予備軍である。

他の病気と同じように、心臓病も完治を目指すなら、「早期発見、早期治療」が鉄則である。
・なんとなく胸の辺りが重苦しい人
・血圧が高い人
・タバコを吸う人
は、健康診断や人間ドックの折にでも、オプションだが一度、心電図検査と併せて、BNP検査を申し出てみてはどうだろう。

◆BNP検査をやってみよう

石岡 荘十(ジャーナリスト)

病院に心臓の薬の処方箋をもらいに行ったついでに、馴染みの循環器内科の女医さんの部屋に顔を出して「風邪のせいかなんとなくしんどい」と訴えると、「BNP検査をやってみましょう」とに勧められた。

17年前、大動脈弁を人工の機械弁に置き換える心臓手術の経験をして以来、ヒマにあかせて、臓病関連の本を読みまくり、挙句、手術体験記(『心臓手術』 文藝春秋刊)を上梓したりした。

だから、こと循環器系疾病に関しては、人並み以上の知識を持っていると自負していたのだが、「BNP検査」は聞いたことがなかった。

で、詳しく訊いてみると、これはなかなか役に立ちそうなので、日本人の死亡原因第2位の心臓疾患の予備軍である高齢者向けに、聞いた話の受け売りをする。

BNPは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」のこと。心臓に負担がかかると心臓の、主として心室から、一部は心房から血液に分泌されるホルモンの一種である。

血液検査で心臓にかかると交感神経を抑制したり、心臓が肥大する異常事態を防いだりする働きがある。

心臓にかかる負担が大きければ大きいほど多量のBNPを分泌するので、その分泌量を測ることで、心臓にかかっている負担の度合いを測定することが出来るというわけだ。

臨床的には、心筋梗塞、心不全の診断や治療・手術の後の判定によく使われる。血液検査で心臓の不具合の程度を測定できる唯一の検査だという。

心疾患の重傷度、つまり心臓がどの程度いかれているかの分類方法にNYHAという分類の仕方がよく知られている。「ニハ分類」、または「ナイハ分類」と読む。ニューヨーク心臓協会が定めた方法だ。4段階に分類してある。

・!)度 日常生活では症状は起こらない
・!)度 安静にしているときには症状は出ないが日常生活をすると疲れ、動悸、呼吸困難、 狭心症の症状が 起きる

・!)度 軽い日常生活でも疲れる、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる
・!)度 安静にしていても胸に違和感を覚えたり心不全の症状や強心所の症状が起きたりする

このうち、健康診断などで心臓疾患の有無を診る方法で一番一般的な心電図検査だけでは、!)度の発見は困難だとされ、見逃されがちだ。!)度(軽度)もほとんど自覚症状がないこともあって、そのまま進行することが多い。

NYHA 分類は、自分である程度判断できるが手がかりにはなるが、感覚的な分類であるところが弱い。

こに対して、BNP検査で濃度を測定すると!)度、!)度もはっきり検査数値で確認することが出来る。

BNP値100pg/dl以下だと「心疾患なし」(pg/dl:ピコグラム・パー・デシリットル、ピコグラムは1兆分の1グラム)

私の検査結果は77・5でセーフだった。
100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。
200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。

日本人の年間の死者は110万人。死亡原因の第1位は癌で3割、2位の心疾患と3位の脳疾患を併せて3割、この3つで6割の人が亡くなっているが、病名別にではなく臓器別に見ると、心臓疾患による死者(17万3000人余)が一番多い。高齢者は明らかにこの予備軍である。

他の病気と同じように、心臓病も完治を目指すなら、「早期発見、早期治療」が鉄則である。
・なんとなく胸の辺りが重苦しい人
・血圧が高い人
・タバコを吸う人
は、健康診断や人間ドックの折にでも、オプションだが一度、心電図検査と併せて、BNP検査を申し出てみてはどうだろう。

2016年01月25日

◆心筋梗塞は予知できる

石岡 荘十



まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というのは単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそが「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、10数年前人工の弁に置き換える手術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にもわたって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復する。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管(冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かりやすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これは心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話して症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みではない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開している。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのような幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行きわたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった>とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバイスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

http://www.melma.com/backnumber_108241_4024688/

それにもうひとつ大事なことを付け加えて言えば、いざというときどこの病院に駆け込むか、これが大切だ。

心臓疾患は突然、人を襲うわけではない。必ず予兆がある。背中が重い、肩が凝る、左の奥歯が痛む---。

「神の手」を持つといわれる米田正始元京都大学血管外科教授がいる。

彼は「心臓が動いているうちにつれてきて下さい。なんとかします」と豪語している。

http://www.melma.com/backnumber_108241_4234308/
                                            20100119

2016年01月20日

◆子宮頸がんワクチン適齢期

石岡 荘十



欧米先進国では子どもがこの歳になると親はまず、子宮頸がんから守るためのワクチン打つ。

肉体的に成長の早い欧米ではセックスを始めて体験する“セックス・デビュー”の年齢だと考えられている。「うちの子に限って---」と考えたいところだが、現実は、そうはいかない。11歳は子宮頸がんワクチンを打つ“適齢期”であり、このタイミングでワクチンを打つのが、多くの先進国では常識となっている。

子宮頸がんはすべての女性の80パーセントが一生に一度は感染しているという。子宮の入り口である頸部に発生する上皮性の悪性腫瘍であり、世界では年間約50万人が子宮頸がんを発症し、約27万人が死亡していると推計されている。

2分間に1人が子宮頸がんで命を落としている計算になる。日本では毎年約1万5000人の女性が子宮頸がんを発症し、約3500人が死亡している。

原因は、ほぼ100パーセントが性交渉、つまり皮膚と皮膚の粘膜の接触でヒトパピローマウイルス(HPV)というありふれたウイルスの感染することによることが1983年、明らかになっている。パピローマウイルスを発見した独がん研究センターのハラルド・ツア・ハウゼン名誉教授には、2008年度ノーベル生理学医学賞が授与されている。この研究成果をもとに予防ワクチンが開発され、現在、世界100カ国以上で使われている。

子宮頸がんはいろいろながんの中でも例外的に原因が特定されているだけでなく、ワクチンによる予防法が確立されている。アメリカでは2006年ワクチンの使用を承認、昨年10月には日本でも使用が承認されたものだ。

成人になって、検診を受けずワクチンの接種もしない場合、がんは進行し、子宮をすべて摘出する手術が必要になることもある。

妊娠、出産の可能性を失い、女性だけでなく家族にとっても心身ともに大きな痛手となる。また、子宮のまわりの臓器にがんが広がっている場合には、卵巣やリンパ節などの臓器もいっしょに摘出しなければならなくなり、命にかかわる。

先般、都内で開かれたワクチン普及のためのシンポジウムで、「子宮頸がんは予防ができるがんです。また、定期的に検診を受けることで、がんになる前に発見し、子宮を失わずに治療もできます。そのことを知らなかった私は、こどもを産むどころか妊娠することも出来ない体になってしまいました。死ぬではないかとこわかった。1人でも多く女性がワクチンを打ってください」と切々と訴えた。

子宮頸がんは、初期には全く症状がないことがほとんどで、自分で気づくことはほとんどない。このため、不正出血やおりものの増加、性交のときの出血などに気がついたときには、がんが進行しているということも少なくない。

進行するにつれ性交時の出血などの異常がみられ、さらには悪臭を伴う膿血性の不正性器出血、下腹痛や発熱などが認められるようになるという。

子宮頸がんは遺伝などに関係なく、性交経験がある女性なら誰でもなる可能性のある病気である。近年では20代後半から30代に急増、若い女性の発症率が増加傾向にある。子宮頸がんは、がんによる死亡原因の第3位、女性特有のがんの中では乳がんに次いで第2位を占めており、特に20代から30代の女性では、発症するすべてのがんの中で第1位となっている。

一度ワクチンを接種しておけば、その効果が20年は持つといわれる。だから、11歳という“適齢期“にワクチンを打った上で、定期的に検診を受け、早期に発見・手術を受ければ、術後に妊娠・出産が可能だという。

85パーセントに女性がワクチンを打っていれば、95パーセントの女性が助かるという研究報告もある。

ワクチンは3回に分けて打つ。初回、2回目がその1ヶ月後、さらに6ヶ月後に3回目。問題は費用が高額なことだ。

3回で5万円ほどの費用がかかる。健康保険は効かない。しかし適齢期のお子さんを持つ親は子ども手当てを貯めておいてでも、これに充てるべきだろう。

セックス・デビュー前の“適齢期“の女の子(11〜14歳)全員に公費でワクチンを打っても費用はわずか200億円ほどと計算されている。今のまま放置しておくと、いずれこれを上回る医療費がかかる計算もあり、充分に元は取れるという。


2016年01月18日

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡 荘十


正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めてまだ半年足らずだ。

それで、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。


「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣

歴史の中でインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。

その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。

というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。

ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな


スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ

つい先だってまで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。そこで、先日「ウイルスは季節に関係なく拡散しているのではないか、と疑わせる」と根拠もなく書いた(7/30)が、最近の定説は私の山勘どおりだった。

インフルエンザは熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

この春、新型インフルエンザの蔓延を経験した兵庫県医師会は、「兵庫県においても、初期規制の徹底で一旦ゼロとなったものが、再 び5月を上回るレベルになりつつあり、全数調査の全国的中止にもめげず、可能なPCR検査実施による確定数は増え続けています」と報告(8/6)している。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

最近の厚労省の報道リリースを見ても緊張感はない。記憶に新しい水際検疫作戦は、世界の非常識だったことを最近になってしぶしぶ認め、方針転換に踏み切ったが、日本国内の企業は秋口に備えてマスクの買いだめに走っている。

記者会見で、ワクチン不足を突かれた厚労省の医系技官は「輸入もありうる」とバカなことを言っている。「日本が世界のワクチンを買占め」などという非難を受けないことを祈るばかりである。

やはり、この際の世界の常識はWHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   2009.08.07


2016年01月03日

◆脳梗塞の治療薬t-PAの投与時間延長へ

石岡 荘十



脳梗塞治療の“特効薬”に、血栓を溶かすt-PA(アルテプラーゼ)がある。 

一般的に脳梗塞と呼ばれる症状には@心臓でできた血栓が脳に飛んで血管を詰まらせる脳塞栓と、A脳の動脈硬化によって血管が詰まる脳血栓の二つのケースがある。

こうなると脳へ行く血の流れが滞り、脳の組織が死んでしまうことを言うが、脳梗塞で倒れたあの長嶋茂雄さんの場合は、心原性脳梗塞だったと発表されている。

「心原性」とは、心臓病が原因のということで、心臓の中で出来た血の塊(血栓)が脳の血管を詰まらせたことを意味する。心原性脳塞栓というほうが正確な病名である。血栓が出来る原因は、心臓にある四つの部屋の一つ、心房がぶるぶる震える不整脈、心房細動であるケースが多い。

しかし、心原性脳塞栓の場合、条件がそろって適切な処置が行われれば、後遺症も残さずあっけなく回復することもある。その「条件」は、症状が起きてから3時間以内に処置をすること。その「処置」に使われるくすり、それがt-PAという血栓溶解剤である。脳の組織は血流が少なくなったからといって、とたんに死ぬわけではない。

ちょろちょろとわずかでも血が流れていれば活動をやめてじっと血流の再開を待つ。3時間以内に血流が戻ってくれば、患者は劇的に回復し、後遺症もまったく残らない。

血流再開が早ければ早いほど、症状が回復して、後遺症も軽くなる可能性も高くなる。t-PAの点滴を開始して15分後に歩けるようになったという報告もある。

脳梗塞患者を寝たきりから救える“夢の治療薬”t-PAは1996年、米国で開発・承認され、欧米では広く使われるようになったが、日本でこの薬が認可されたのは欧米に遅くること10年、2005年10月になってからだった。

t-PAは1時間かけて静脈に点滴(「静注」という)することで、脳内に詰まった血栓を溶解して、閉塞血管を再開通させる効果が認められている。と言ってもすべての脳梗塞に効くわけではなく、

(1)発症時間が特定されて、発症から3時間以内に投与開始できる場合

(2)治療前のCT/MRI検査で、脳梗塞の所見が全くないか、ごく軽微な場合

(3) 脳梗塞の症状が軽症から中等症ぐらいの場合

などこれを使える条件(適用条件)は厳しく限定されている。まかり間違えば重大な副作用を起こすからだ。特に発症からの時間については「3時間以内」と厳しい。

ところが最近、脳梗塞発症後3〜4.5時間(4時間半)であっても、t-PA投与により病状が改善するという臨床試験の結果を受けて、t-PAの推奨投与時間を「発症後4.5時間以内」に延長するガイドラインの書き換えが進んでいる。

<欧州脳卒中学会(ESO)は、09年1月にガイドラインを書き換え、t-PAの推奨投与時間を発症後3時間から4.5時間以内に延長した。その後、米国、カナダ、オーストラリアでも同様にガイドラインの書き換えが進んでいる>(この項「日経メディカルオンライン」)。これを受けてわが国でも、日本脳卒中学会が今年度中にも指針の改訂を行う見通しとなった。

併せて、現在80歳未満となっている適応年齢について、英グラスゴー大学のNishant K. Mishra氏らは複数の試験による検討を行い,80歳を超えても同療法の効果は80歳以下と同様であるとの結果を医学誌BMJ(British Mdical Journal)の電子版で報告。高齢を理由に適応から除外する現在の治療方針を見直すよう提唱している。

こんな学術報告を読むと、高齢者にとっては世の中がパッと明るくなったような気がするが、問題がないわけではない。

慎重に判断しないと重大な副作用を起こすおそれがあるからだ。例えば、「症状の悪化を伴うような脳出血の合併症が5〜6%に発生する。大出血を生じた場合には生命に関わることもあります」(聖マリアンナ医科大学)。日本脳卒中学会はこの治療が認められる病院は、次のような体制がなくてはならないとしている。

(1) CT・MRI検査が24時間可能なこと

(2) 集中治療のため十分な人員や設備があること
              
(3)内出血などの不慮の事故に際し、脳神経外科的処置が迅速に行える体制 急性期脳梗塞(発症後24時間以内)治療の経験が十分(例えば年間50例以上)あること

(4) 省略

要するに、ヒトも設備も充分ではない病院には認めないということだ。ウン億円の検査機器、コンビニ並に24時間患者受け入れ態勢の使用条件を満たすところはそう多くはない。結果、t-PA投与の対象となる患者の割合は全脳梗塞患者の2〜3%程度に留まっているのが現状だという。

付け加えれば、救急体制との連携の問題もある。急性の脳梗塞だとわかっても、どこの病院に搬送したらt-PA治療を受けられるのか。救急隊員は、その情報をもっていないので、患者はたらい回しにされ、制限時間以内に専門病院に駆け込むことは、まず不可能だ。

そこで、いつ脳梗塞になってもおかしくない高齢者の防衛策は? もうこれは、本人があらかじめ、いざというときの“駆け込み寺”を決めておくしかないだろう。

2015年12月24日

◆齢は足にくる

石岡 荘十


学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。

しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。

それから、少なくとも1キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。

脊柱管はどこも狭くなっているところはない。しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の1割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。これを立証するのが、「血圧波検査」だ。

両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。展望は開けた。近々、トライしようと思っている。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。

原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。

                                 

2015年12月12日

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡 荘十



「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習ししている。

それで、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。

「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣

歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。

その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。

というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。

ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな

スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ

つい先だってまで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。そこで、先日「ウイルスは季節に関係なく拡散しているのではないか、と疑わせる」と根拠もなく書いたが、最近の定説は私の山勘どおりだった。

インフルエンザは熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。


日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

記憶に新しい水際検疫作戦は、世界の非常識だったことを最近になってしぶしぶ認め、方針転換に踏み切ったが、日本国内の企業は秋口に備えてマスクの買いだめに走っている。

やはり、この際の世界の常識はWHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。  

2015年12月10日

◆プロメテウスは今なにを思うか

石岡 荘十



いうまでもなくプロメテウスはギリシャ悲劇に登場する火の神。天界にあった火を人類にもたらしたことで主神ゼウスの怒りを買って山に縛り付けられ、日々、鷲に肝臓を食い荒らされるという責め苦に遭う。

しかし肝臓は夜間にしぶとく再生し、プロメテウスは生き延びたとされる。原発災害を聞いたときすぐ思い出したのがこのプロメテウスの神話である。原発が世に出たころ、「プロメテウスの第二の火」と呼ばれていたからだ。

火が人類にもたらした利益は測り知れない。が、その一方で、人類に甚大な災禍をもたらした歴史的事実もまた否定することは出来ない。

にもかかわらず、ヒトの存在は最早、火を抜きに考えることは出来ない。他の動物との違いヒトのヒトたる所以は火を使いこなす動物だということだ。人類の歴史はプロメテウスがもたらした果実の歴史だったとも言えるだろう。

時代はずっと下ってダイナマイトが発明される。1866年のことだ。ダイナマイトがもたらした禍福もまた、火に劣らないどころか、その禍のスケールは火の比ではない。

ノーベル賞は発明者アルフレッド・ノーベルはダイナマイトがもたらした禍を償うことにあった、と昔習った。発明者は自爆テロを想像もしなかっただろう。

ついでに言うと、航空機や自動車という「文明の利器」の事故が原因となった世界中の犠牲者は、数え切れない。その禍はいまだとどまるところを知らない。それでも、人類は、その利便性に目がくらんで、手放すことが出来ないでいる。

そこで、原子力である。

西側で初めての商用原子力発電所を作ったのはイギリスである。1956年のことだった。以来、世界31カ国で435基が稼動中だ。計画中のものを併せると500基を超える。

この間、スリーマイルやチェルノブイリなどで世界を震撼させるような放射線漏れの大事故を起こしているが、今回の福島原発事故はそれに劣らない衝撃を世界に与えている。

そこでこれを機に、原発なんか要らないという反原発世論が日本だけではなく世界中で巻き起こっている。しかし、冷静に振返ると、火、ダイナマイト、航空機事故、自動車事故の犠牲者に較べ、まだ核による犠牲者それほど多くない。ヒロシマ、ナガサキの犠牲者を、核の犠牲者だと考えても、である。

東電も政府も安全対策の前提が甘かったと認めている。特に津波について、福島原発はチリ地震津波(1960年)のマグニチュード8,5を最大と想定しての安全対策だったことが問題だった。

その意味で「想定外」だった、と。貞観地震(869年)にでも耐えられる高いハードルを前提で福島原発が作られていたら反・脱原発の世論は起きなかっただろう。

原発の事故対応に国内外が一喜一憂しているが、ここを切り抜けることが出来れば、その功罪、得失、教訓を併せた反面教師としての原発事故安全対策のジャパンモデルケースとして標準化される時代が来るかもしれない。

人類が火を手にしたのはギリシャ神話の時代、自動車が出現して二百数十年、ライト兄弟が飛行機を飛ばして100年以上。この間のさまざまな安全対策にもかかわらず犠牲者は絶えない。

犠牲者の数だけでその安全性を議論するなら、航空機も自動車も廃絶しようという世論が盛り上がらないのは不思議なことである。「プロメテウスの第二の火」が実用化されてわずか半世紀余り。

プロメテウスならいま原発の未来の存亡をどう占うだろうか。こう言うかもしれない。

「人類はまだ新しい火の扱いに慣れていないだけだ」と。

人類は、脳細胞に刻み込まれた甘い果実の記憶を容易には消し去ることは出来ない。朝日と毎日は脱原発の方向に舵を切ったようだが、核武装はともかく日本が原発を放棄・廃絶することはありえないと思う

2015年12月04日

◆ヒズ・マスターズ・ボイス

石岡 荘十



蓄音機から飛び出したラッパのような形をした大きなスピーカーの前に、きちんとお座りをして、ちょっと首をかしげた犬が音楽に聞き入っている。この図は、最近はあまり見かけなくなったが、歴史のある音響メーカー「ビィクター」のトレードマークである。

http://www.jvc-victor.co.jp/company/profile/nipper.html


昭和21年、群馬県新町(現・高崎市)に紡績工場があり、わが一家は中国から引揚げてきたばかりで、その社宅に住んでいた。木造平屋の粗末な建物だったが、その居間に、小型冷蔵庫ほどの大きさの電蓄がでーんと居座っていた。

クラシック好きの父親がどこでどう工面してきたのか、戦後間もない食うや食わずの時代にいかにも似つかわしくない“贅沢品”であった。

おまけに、唯一のレコード、これがすごかった。羊の皮表紙の12枚組みのアルバムで、その表紙の真ん中には「ヒズ・マスターズ・ボイス」が刻印されている。収蔵された曲は---

1.A&B パガニーニ作曲 「狂想曲イ短調」 ハイフェッツ
2A&B  ヘンデル作曲 「ピアノ組曲ニ短調」 フィッシャー
3.A&B  ヴェルディー作曲  歌劇「トラヴィアータ 第一幕、(あヽ、そは彼の人か)」 
      ソプラノ独唱 アイデ・ノレナ

4.A&B  ヨハン・シュトラウス作曲 管弦楽 歌劇「蝙蝠 序曲」ミネアポリス交響楽団 
5.クラヴサン独奏 ランドルフスカヤ
A「燕・愉しき夢」
B シャコンヌ 円舞曲」

6・ A&B  ハイドン作曲 「弦楽四重奏曲ヘ長調」 プロ・アルト弦楽四重奏楽団
7.     バス独唱 シャリアピン ムソルグスキー作曲 
A      ヴォルガの舟歌
B     蚤の歌

8. チェロ独奏 ピアティゴルスキー
  A ウエーバー作曲「アダヂオとロンド」
  B フランクール作曲「ラルゴーとヴィヴォ」
9. A&B 管弦楽 バッハ作曲 「トッカータとフーガ」 フィラデルフィア管弦楽団 

10. A&B ベルリン独唱者連盟
    A バリトン独唱 ベートーベン作曲 「自然に顕はる神の栄光」
   B ソプラノ独唱 ヴェルディー作曲 「アヴェ・マリア」

11. A&B  ヴァイオリン独奏 ヴェラチーニ作曲 「奏鳴曲ホ短調」(ティボー)

12. A&B  管弦楽 ワグナー作曲 歌劇「ローエングリン」(第一幕への前奏曲) ニューヨーク愛好家協会 

どうです、この見事な選曲と演奏者の顔ぶれ。珍品はシャリアピン本人のサイン入りのレコードだ。一つしかないこのアルバムを小学校の高学年から高校を卒業して家を出るまで繰り返し繰り返し聴いているうちに、全曲、鼻歌を歌うように何気なくハミングできるように刷り込まれてしまった。

その一方で、ラヂオから流れるハリー・ベラフォンテ、高校のときには、高崎市に本拠を置く群馬フィルハーモニーオーケストラ」(群響)合唱団でロシア民謡から第九まであらゆるジャンルの楽曲を歌い続けた。

群響は、あの映画「ここに泉あり」(昭和30年 監督今井正、音楽団伊玖磨、出演岸恵子・小林桂樹)で知られた市民オーケストラで、当時大学生であった小沢政爾もしばしば指揮をとった。

この映画のストーリどおり、夏休みには県内の田舎の中学校を群響と一緒に巡回して移動音楽教室を開き、歌った。

当時、シルクを生産していた鐘紡では、年に1回、当時有名な歌手を工場に呼んで、社員の慰労演芸会を開いていた。高峰三枝子、林伊佐緒、奈良光枝、灰田勝彦・晴彦----ナマの流行歌手を目の前にして、ジャンルを問わない音楽にのめりこんだ。

音に対するこんな思い入れのきっかけとなったのが、「ヒズ・マスターズ・ボイス」だった。この出会いがなければ、この歳で、クラシックからカントリー、演歌まで、数百曲をパソコンに取り込んで、一日中BGMに濫読ならぬ“濫聴”する生活をエンジョイすることにはならなかっただろう。

1889年にイギリスの画家フランシス・バラウドによって画かれビクターの商標となった原画は、フランシスの兄マークが亡くなるまで可愛がっていた愛犬のフォックス・テリア「ニッパー」が、兄のマークの生前、蓄音機に吹き込んだ声に聞き入っている姿を描いたものだそうだ。

愛犬ニッパーがラッパの前でけげんそうに耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き入っている姿だとビクターのHPにある。つまりHisMaster's Voiceに耳を傾ける姿なのである。

そこで話は飛ぶが---、

政権に関わる者は、この国の主である国民の声に耳を傾けるニッパーを見習ってもらいたいものである。       

2015年11月13日

◆皇女和宮の死因は急性心筋梗塞

石岡 荘十


「篤姫」は聴収率の高かったNHKの大河ドラマだったが、もう一人のヒロインで将軍に降嫁した皇女和宮は脚気(かっけ)だったといわれる。挙句、今風に言えば、「急性心筋梗塞」に襲われたのだった。

簡単におさらいをしておくと、和宮は弘化3年(1846年)仁孝天皇の第8皇女として生まれるが、公武合体を図る幕府の画策の末、文久2年(1862年)、14代将軍徳川家茂の妻となった。ともに16歳だった。

慶応元年、家茂は20歳のとき、長州征伐のため大阪に赴いたが、翌年大阪城で病死する。死因は「脚気」だったとされている。

脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害、下肢のしびれ、心臓の機能に異常を起こす原因となり、心機能の低下、心不全(衝心)を起こすことから、昔から「脚気衝心(かっけしょうしん)」と呼ばれている。

NHKのドラマでは、家茂は江戸城で胸をかきむしって、最後は、勝海舟に抱きかかえられて息を引き取るシナリオだった。現代の病名で言うと、脚気から急性心筋梗塞を起こした、というのが定説である。

「将軍家十五代のカルテ」(新潮新書 石川英輔)によると、3人の将軍が脚気衝心で死んでいる。10代・家治、13代・家定、それに和宮の夫15代・家茂の3人だ。

10代・家治の頃(在職1760〜1786)から江戸の裕福な家庭では、ビタミンB1を含む米糠や玄米を丹念にといだ精米をたべる習慣が広まった。

まず富裕層に患者が多発、江戸末期には一般庶民にも患者が出るようになったことから「江戸患い」と呼ばれたという。115代桜町天皇(在位1735〜1747)もこの病に冒されて亡くなったという説もある。

さて皇女和宮である。

和宮は夫・家茂の死後、大政奉還の後、1868年、江戸城を出て一時、江戸に住んでいた。明治になって京都に帰ったが、東京に移られた天皇の勧めで明治7年、東京に移住。

それが<数え32歳の頃、脚気の病になり、明治10年8月7日から箱根塔之沢「元湯」に静養のため滞在、(中略)26日目、俄かに衝心の発作が起こり>(以下、ウイキペディア)、他界した。

つまり現代医学で言うところの「脚気の合併症たる急性心筋梗塞」で亡くなったと考えられる。

脚気は明治時代、日本の風土病と考えられ、都市部の富裕層や陸軍に多発していた。が、じつは<脚気は栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である>

海軍では、高木がパンや麦飯を出したところ、海軍では脚気を根絶した。ところが陸軍では、森林太郎(森鴎外)らが麦飯に反対。麦飯しか食えなかった田舎から徴兵した健康な兵隊に白米を食わせ、多くの脚気患者を”生産“するという、皮肉な結果を招いた。

日清・日露戦争では、戦死者より多い数万人の兵士を脚気で病死させている。麦飯を支給した海軍に病死者はなかった。

明治天皇も脚気に苦しみ漢方による食事療法を希望視したが、森を中心とするドイツ系学派の侍医に反対され、西洋医学そのものに不信を抱いていたといわれる。(この項については、主宰者がいつだったか詳しく書いている)。

原因がB1欠乏と分からないまま、<大正時代以降、精米された白米が普及し、副食を摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで2大国民病とまで言われた>

「脚気」が根絶されたのは1952(昭和27)年になってからだ。ビタミンB1の工業生産に成功し、安く簡単に摂取することができるようになったためだ。

ところが、1972年に脚気が再燃したことが、日本内科学会誌で取り上げられている。原因は若者を中心に、砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といった、ビタミンの少ないジャンクフードをよく食べるようになったためだといわれる(糖分の消化にビタミンB1を大量に消費するため)。

脚気は心臓にダメージを与える。心筋梗塞は老人の病気だという考えが一般的だが、若い人の食生活を見聞きすると、家茂・和子夫妻がそうだったように、若くして脚気衝心から急性心筋梗塞を発症する患者が増えてくる恐れがある。(2010年)

2015年11月07日

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡 荘十



正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めたが、まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”がいかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先まで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。

インフルエンザは、熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。