2015年07月09日

◆いまどき「飲み、食い合せ」

石岡 荘十


昔、上州の田舎の高校卒業後に上京するとき、喰い合わせにはくれぐれも気をつけるよう母親から戒められたことがあった。曰く、

・うなぎと梅干
・鮎とごぼう
・熊の胆とかずの子
・蛸と梅の実

などなど。「一緒に食べないように」と。本当かどうか分からないが、いってみれば、言い継がれた「おばあちゃんの智恵であった。その後、そんなこと、思い出しもしなかったが、ある“事件”で、いまどきの“飲み喰い合せの禁手(きんじて)”があることを思い知らされることとなった。

・抗血液凝固剤と納豆
・降圧剤とグレープフルーツ・ジュース

これを知るきっかけとなった事件というのは、16年前の心臓手術である。この飲み食いあわせは医学的に「禁忌」とされている。親譲りの大動脈弁が不具合を起こし、人工の機械弁に取り換えた。

が、人工弁は人の肉体にとって「異物」であるから、血流が異物に触れると小さな血の塊、血栓が出来る性質がある。この血栓が大動脈を経由して脳に流れ着くと、脳の血管を塞いで脳梗塞を起こす。

そこで、手術後、血栓が出来にくくする、つまり体内の血液をいつもさらさらに保つ必要がある。それが抗血液凝固剤で、その代表的なものがワルファリン(商品名:ワーファリン)だ。

心臓手術に先立って行われたインフォームドコンセントでも、「一生飲みつづけなくてはならなくなりますが、いいですね」とダメを押されていた。

毎日1回決まった量のワーファリンを飲むのも煩わしいことだが、つらいのは食い合わせに禁忌食品があることだ。納豆である。

理由を理解するためには、血液が凝固するメカニックを学ばねばならないが、複雑すぎて手に負えないのでここでは省く。要するに、納豆は体内で大量のビタミンKを作る。すると、ワーファリンが効かなくなる→血液が固まりやすくなり、最悪、脳梗塞を起こす恐れがある、ということだそうだ。

永年、朝食に納豆を欠かしたことのない年寄り(私)。ある日、耐え難くなってかみさんが買いだめしてあるヤツを盗み食いした。

翌日、かかりつけの循環器内科の医者にこのことを、ぽろっと洩らすと、大騒ぎになった。

自覚症状はなかったが、血液検査では明らかに薬の血中濃度が低下している。脳梗塞に危険が高まっているのだ。あわててその場でいつもの倍のワーファリンを飲まされ、さらに翌朝も倍。お陰で、その日の午後には、危険水域を脱したことが血液検査で確認できた。

薬はすべて毒である。が、過不足なく処方することで薬としての効能を発揮する。しかしその効能を阻害するもの(この場合納豆)を摂取するとバランスが崩れ毒に戻る。血栓が出来やすくなるのである。

患者が納豆を盗み食いして脳梗塞になったのでは、洒落にもならない。担当医にとっても沽券にかかわるということだった。医師があわてるはずだ。

「出先で災害にあったりすると大変だから、いつもポケットに余分に持っていてください」と女医さんにたしなめられた。

歳をとると高血圧患者が増え、降圧剤が処方される人が多くなる。ところが、1991年、英国の医学雑誌「ランセット」に、「フェロジピンまたはニフェジピンとグレープフルーツ・ジュースとの相互作用」という論文が発表になり大騒ぎとなった。

2つともよく使われている降圧剤だが、これをグレープフルーツ・ジュースと一緒に飲むと、降圧剤がスムースに体外に排泄されなくなり、血液の中に滞ってしまう。結果、薬の血中濃度が異常に高くなり、血圧が下がりすぎる、という論文だったのである。

降圧剤を飲んでいる人は何十万人にも上るが、このことを知っている人はどのくらいいるか。ジュースがやばいのは分かった。ならばグレープフルーツの実はどうか。大丈夫そうだがまだ最終的な、科学的な結論は出ていないそうだ。

因みに、脳梗塞予防のために処方されたという抗血液凝固剤「プレタール」もグレープフルーツ・ジュースと「相互作用」を起こす薬だ。副作用を起こす恐れがあるとされている。

医者の中には、そんな説明をしないやつも居る。薬局で渡される注意書きは伊達ではない。小さい赤字で書いてあるが、よく読まれるようお薦めする。

筆者も、プレタールを飲んでいる。したがって、ワーファリンの関係で納豆、プレタールの関係でグレープフルーツ・ジュース、この2つはここ暫く摂取していない

2015年07月03日

◆インフルエンザの常識・非常識

石岡 荘十



正直言って、「インフルエンザとは何か」、関心を持って集中的に学習し始めた。まず気がついたのは、今までインフルエンザに関して持っていた知識・感覚、“常識”が、いかにいい加減で、非常識なものだったかということである。

と同時に、専門家の話をきいたり本を読んだりすると、ことによると国家を滅亡させる引き金ともなりかねないほどの猛威を振るう“身近な”病についていかに無知であるかを思い知らされる。

まず、
・病名について、である。
「インフルエンザ」はなんとなく英語のinfluenceから来たものと思っていたが、その語源はイタリア語の「天体の影響」を意味する「インフルエンツァ」であった。中世イタリアでは、インフルエンザの原因は天体の運動によると考えられていたからだそうだ。

・「スペイン風邪」は濡れ衣
歴史のなかでインフルエンザを疑わせる記録が初めて現れるのは、もっとずっと前の紀元前412年、ギリシャ時代のことだったという。その後もそれと疑わせるインフルエンザは何度となく起こっているが、苛烈を極めたのは1580年アジアから始まったインフルエンザで、全ヨーロッパからアフリカ大陸へ、最終的には全世界を席巻し、スペインではある都市そのものが消滅したと記録されている。

より詳細な記録は1700年代に入ってからで、人類は以降、何度もパンデミック(世界的大流行)を経験している。なかでも、史上最悪のインフルエンザは「スペイン風邪」である。
というとスペインが“震源地”、あるいはスペインで流行ったインフルエンザだと誤解されがちだが、発祥は、じつは中国南部という説とアメリカのどこかで始まったという説がある。

が、確かなことは1918年3月、アメリカ・デトロイト、サウスカロライナ州、そして西海岸で姿を現したということだ。

その頃世界は第1次世界大戦の真っ只中にあり、アメリカからヨーロッパ戦線に送られた兵士を宿主としたウイルスがヨーロッパ席巻の端緒を開いた。大戦の当事国は兵士が病気でバタバタ倒れている事態を隠蔽し続けたといわれる。
ところが参戦していなかったスペインでは情報統制を行わなかったため、大流行がことさらフレームアップされ伝わったのではないか、と推測されている。「スペイン風邪」はとんだ濡れ衣なのである。

・第二波の毒性をなめるな
スペイン風邪の猛威は、その後2年間、第2波、第3波---と毒性を強めながら津波のように襲い掛かり、猖獗を極めた。第2波の初期、アメリカ東海岸から公衆衛生担当者が国内担当者に送ったアドバイス。

「まず木工職人をかき集めて棺を作らせよ。街にたむろする労働者をかき集め墓穴を掘らせよ。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死体がどんどんたまっていくことは裂けられずはずだ」(『アメリカ公衆衛生学会誌』1918)積み上げられた死体の山を「ラザニアのようだ」と表現するほどだった。

毒性が弱い新型インフルエンザの場合はこんなことにはならないと言うのが今の見方だが、少なくとも秋口と予想される第二波がこの春よりはるかに強烈なものとなる可能性は否定できない。これが常識である。なめてはいけない。

・「寒い地域の病気」はウソ
つい先だってまで、インフルエンザは寒いところで流行るもの、と思い込んでいた。ただ、それにしては夏になってもじりじりと患者が増え続けるのはどうしたことか。そこで、先日「ウイルスは季節に関係なく拡散しているのではないか、と疑わせる」と根拠もなく書いたが、最近の定説は私の山勘どおりだった。

インフルエンザは熱帯地域でさえ年間を通して穏やかに流行っている。だが熱帯ではマラリアやデング熱など、臨床症状がインフルエンザに似ているので、インフルエンザと診断されなかった可能性が否定できないという。人口当たりの死亡率は温帯・寒帯地域より高いという報告さえある。

新型インフルエンザの蔓延を経験した兵庫県医師会は、「兵庫県においても、初期規制の徹底で一旦ゼロとなったものが、再 び5月を上回るレベルになりつつあり、全数調査の全国的中止にもめげず、可能なPCR検査実施による確定数は増え続けています」と報告している。

日本では、新型インフルエンザは冬であるオーストラリアなど南半球に移っていったという一服感が支配的だ。世界中で笑いものになった日本のあの“マスクマン”も見かけなくなった。マスコミもあの騒ぎをお忘れになってしまったようだ。

しかし、ウイルスは日本だけでなく北半球のイギリス、ドイツでも決して衰えてはいとWHO(世界保健機関)に報告している。いまや新型インフルエンザは「地域の寒暖に関係なく1年を通して穏やかに流行している」というのが常識である。

最近の厚労省の報道リリースを見ても緊張感はない。記憶に新しい水際検疫作戦は、世界の非常識だったことを最近になってしぶしぶ認め、方針転換に踏み切ったが、日本国内の企業は秋口に備えてマスクの買いだめに走っている。

やはり、この際の世界の常識は、WHOのホームページで確認するしかないと私は考えている。   

2015年06月29日

◆傷だらけでやっとたどり着いた傘寿

石岡 荘十



「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」。つまり、わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母から頂戴したものである。それを大切に守っていわれもなくいたみ傷つけないようにする。それが孝行の始めなのだ、と「孝経(孔子)」は謂う。

そこで、振り返ってみると、小さいころはよく悪ガキどもと喧嘩をして頭から血を流して帰ってきたり、柿ノ木から転落してウデを骨折したりして生傷の絶えることはなかった。

しかし幸いなことに、父母の存命中には入院するような大病もせず、30歳で母を、50歳で父を失った。その後、一度も医療保険の世話になるような大病もせず、還暦に達した。

ところが64歳のとき、心臓にある4つの弁のうち、全身に血液を送り出す最後の扉とでも言うべき大動脈弁の不具合が見つかった。手術は喉元から鳩尾まで胸骨を24センチ、真っ二つにのこぎりで縦割りにして胸板を観音開きに---。心臓を露出、大動脈弁を切り取って、代わりにチタンとカーボンで出来た人工の弁に置換するという怖い経験を強いられた。このとき初めて、遺言書を用意した。両親ありせば、親不孝もいいところだ。


そして14年後の78歳のとき(一昨年)、今度は心臓の中の血液の流れでいうと大動脈弁の川上にある僧帽弁に不具合が生じた。これまた人工弁に取り替える手術が必要となった。二度目の心臓手術も胸骨を縦割り。

インフォームドコンセントでは、手術で1ヶ月以内に死ぬかもしれない確率(予測死亡率)40%、つまり10人のうち4人は死ぬかもしれないというリスキーな手術だった。

手術前夜、病室のベッドの中で2度目の遺言を書いた。手術は10時間、入院は70日に及んだが、よく耐えた。ただ麻酔覚醒まで丸々4日間かかった。そのせいで、しばらく“麻酔ボケ“が残った。

一般病室に戻ってテレビをつけると見覚えのある女優さんが写っていた。だが、名前が出てこない。見舞いに来ていた妻に「だれだっけ」と訊くと、「なに言ってんの?あなたの大好きな吉永小百合さんでしょ---」


長期の入院で足が萎えていた。体重は14キロ減。退院直後から、歩行訓練開始。5000歩歩けるようになるまで、3ヶ月の苦しいリハビリだった。それなのに親不孝はまだ続く。

傘寿を2ヶ月後に控えた3月はじめの深夜、腹痛で目が覚めた。息子をたたき起こして行き着けの病院へ駆け込んだ。CT検査の結果をPCで見ると、胆嚢にそらまめ大の2つの白い影(胆石)が写っている。

その上,胆嚢そのものも相当化膿して、周辺臓器と癒着している。で、そのまま入院。出来るだけ早く胆嚢摘出手術を、とのご託宣である。 

胆嚢は動物性の脂肪を消化する胆汁を蓄えるいわば倉庫であり、大量の肉を食った後などに十二指腸に分泌され、消化を助けるということになっている。

しかし、これを摘出しても、必要なとき肝臓から胆汁が分泌されるから問題ない。盲腸(虫垂)が役立たずのなくてもいい臓器だということは若いときから知っていたが、胆嚢もまた無ければ無くともいい臓器であることを、思い知った。10人に1人は胆石を持っているといわれ、毎年20万人が胆嚢摘出手術を受けている。
  
手術は、鳩尾から臍まで縦に16センチの開腹。喉元から測ると心臓手術の傷とあわせて、臍まで真直ぐ40センチの手術痕が残った。これで、帝王切開をやれば,マージャンでいう「一気通貫」---だが、これはあるまい。

それにつけても、還暦後3度の大手術、トータル120日の入院で、髪や皮膚どころか内臓まで切り刻む満身創痍---それでも、しぶとく大手術に耐える生命力を授けてくれた両親に、改めて感謝しながら迎えた傘寿である。20150620  

2015年06月23日

◆いちごの生産者だった夏

石岡 荘十



「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が掲載した「いちごの話」を読んで、思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

70年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

2015年06月20日

◆ワーファリンにご用心!

石岡 荘十



ワーファリンで危うく死ぬところだった。

その顛末を話す前にワーファリンについてどんな薬なのか、基礎的な“常識”を説明しておく。

ワーファリンは血液をさらさらにする代表的な薬だ。心筋梗塞や心臓の弁を人工の機械弁に置き換えた弁置換手術経験者は血液が固まって血栓を作りやすくなるため、これを防ぐべく処方される。

心臓病患者だけではなく慢性的な脳梗塞患者に対しても、血栓が脳に飛んで細い血管を詰まらせないように予防薬としても使われている。

もともとは、ネズミ取りの薬剤(殺鼠剤、商品名は、強力ラットライス、強力デスモア、ネズミランチdeコロリ)として使われていた。

ネズミにこの薬が入った餌を与えると、目の網膜内の内出血で視力が低下するため明るいところに出てくる。最終的には腹腔内の内出血で死亡するというわけだ。人間に対する治療薬として日本で使われ始めたのは30年以上前の1976年のことだった。

よく言われるように、薬はすべて毒物であり使い方、とくにその量を間違えると、死に至る。薬として有効かどうかは、微妙な量(専門的には治療域という)の調整が欠かせない。

ワーファリンは殺鼠剤に使われるくらいだから、とりわけ服用する量の調整が重要だとされている。

私は‘99年心臓にある4つの弁のうち血液の出口である大動脈弁を機械弁に置き換える手術を受けて以来、毎日朝食後、この薬を飲み続けている。

私の場合、3ヶ月前までは毎日2錠(1mg×2)だったが、最近は加齢の影響もあってか、先月、血液検査の結果、効き目が落ちているとのことで、週3日は、プラス0.5mgの処方を受け、処方箋を病院の周辺に門前市をなす薬局の一つに出した。

エーザイが販売しているワーファリンは、0.5mg、1mg、5mgの3種類の錠剤だから、処方箋に従えば私の適量は
・月、水、金 1mg2錠と0.5mg1錠で合計2.5mg
・残る火、木、土、日は1mg2錠で2mg ということになる

ところが、である。

薬局で手渡された薬をその場で確認すると、0.5mgの錠剤は見当たらず、代わりに袋に入っていたのは5mgの錠剤だったのである。つまり、処方箋で指示された量の10倍の量のワーファリンを薬剤師が出したのだ。

ここでこのことに気づかず、服用したらどんなことになるか。殺鼠剤入りの餌を与えられたネズミになるところだったのだ。おお怖!   

「人は間違う動物」、医療の世界ではTo err is human.とよく言われるが、これは酷すぎる。まかり間違えば業務上過失致死に問われかねない過ちではないか。

いろいろな薬の中で、とりわけワーファリンに対する感受性は個体差が大きい。薬の量は大概、患者の体重によって決まるが、ワーファリンは同じ体重でも、年齢や食生活、疾患の種類などによって適量を厳密に調整する必要のある薬だとされ、同じ人でも、適量(治療域)は変わる。

このため、永年この薬を飲んでいる患者は、少なくとも月に1度は血液検査をして適量を決めなくてはならない。プロトロンビン時間測定(=PT-INR)という検査である。

昔は、トロンボテストという検査が一般的だったが、近年はPT-INRが推奨されている。その標準値は、1.6〜3.0(値が高いほど血が固まりにくい)が理想的である。(「1.8〜3.4 の間であれば、ワーファリンの投与量は変更しないほうがよい」という報告もある)。

先月の私のINRは1.9。適正だった。そこへ、5mgを飲んだりすれば、血液は真水のようにさらさら流れ、体内の臓器、とりわけ脳出血のおそれもあった。

ほとんどの薬は、薬品メーカーが製造、医師が処方し、薬剤師が調剤し、患者は何の疑問も抱かず指示通り服用する。つまり水源から河口まで関係者はすべて性善説に立っている。

ワーファリンの販売元エーザイに確認すると、担当者は、「こんな間違いは初めてのケースだ」という。しかし、どんな仕事もそうだが慣れてくると、そこに’to err’が起こる。メーカーは貴重な教訓とし、包装紙の色を変えるなどの防止策がないか検討するというが、同時に、ユーザーである患者もやばい薬については特に確認をする努力を心がけたいものである。

(註)INR:International Normalized Ratio=国際標準比

2015年06月11日

◆BNP検査をやってみよう

石岡 荘十


病院に心臓の薬の処方箋をもらいに行ったついでに、馴染みの循環器内科の女医さんの部屋に顔を出して「風邪のせいかなんとなくしんどい」と訴えると、「BNP検査をやってみましょう」とに勧められた。

17年前、大動脈弁を人工の機械弁に置き換える心臓手術の経験をして以来、ヒマにあかせて、臓病関連の本を読みまくり、挙句、手術体験記(『心臓手術』 文藝春秋刊)を上梓したりした。

だから、こと循環器系疾病に関しては、人並み以上の知識を持っていると自負していたのだが、「BNP検査」は聞いたことがなかった。

で、詳しく訊いてみると、これはなかなか役に立ちそうなので、日本人の死亡原因第2位の心臓疾患の予備軍である高齢者向けに、聞いた話の受け売りをする。

BNPは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」のこと。心臓に負担がかかると心臓の、主として心室から、一部は心房から血液に分泌されるホルモンの一種である。

血液検査で心臓にかかると交感神経を抑制したり、心臓が肥大する異常事態を防いだりする働きがある。

心臓にかかる負担が大きければ大きいほど多量のBNPを分泌するので、その分泌量を測ることで、心臓にかかっている負担の度合いを測定することが出来るというわけだ。

臨床的には、心筋梗塞、心不全の診断や治療・手術の後の判定によく使われる。血液検査で心臓の不具合の程度を測定できる唯一の検査だという。

心疾患の重傷度、つまり心臓がどの程度いかれているかの分類方法にNYHAという分類の仕方がよく知られている。「ニハ分類」、または「ナイハ分類」と読む。ニューヨーク心臓協会が定めた方法だ。4段階に分類してある。

・!)度 日常生活では症状は起こらない

・!)度 安静にしているときには症状は出ないが日常生活をすると疲れ、動悸、呼吸困難、狭心症  の症状が起きる

・!)度 軽い日常生活でも疲れる、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる

・!)度 安静にしていても胸に違和感を覚えたり心不全の症状や強心所の症状が起きたりする

このうち、健康診断などで心臓疾患の有無を診る方法で一番一般的な心電図検査だけでは、!)度の発見は困難だとされ、見逃されがちだ。!)度(軽度)もほとんど自覚症状がないこともあって、そのまま進行することが多い。

NYHA 分類は、自分である程度判断できるが手がかりにはなるが、感覚的な分類であるところが弱い。

こに対して、BNP検査で濃度を測定すると!)度、!)度もはっきり検査数値で確認することが出来る。

BNP値100pg/dl以下だと「心疾患なし」(pg/dl:ピコグラム・パー・デシリットル、ピコグラムは1兆分の1グラム)

私の検査結果は77・5でセーフだった。

100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。
200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。

日本人の年間の死者は110万人。死亡原因の第1位は癌で3割、2位の心疾患と3位の脳疾患を併せて3割、この3つで6割の人が亡くなっているが、病名別にではなく臓器別に見ると、心臓疾患による死者(17万3000人余)が一番多い。高齢者は明らかにこの予備軍である。

他の病気と同じように、心臓病も完治を目指すなら、「早期発見、早期治療」が鉄則である。

・なんとなく胸の辺りが重苦しい人
・血圧が高い人
・タバコを吸う人

は、健康診断や人間ドックの折にでも、オプションだが一度、心電図検査と併せて、BNP検査を申し出てみてはどうだろう。

(注) BNP:brain natriuretic peptide
                        

2015年06月02日

◆いちごの生産者だった夏

石岡 荘十



「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を読んで、思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、NHK報道部に就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

75年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

2015年05月23日

◆せめぎ合う内科と外科

石岡 荘十



医療技術の賞味期限は5年、といわれる。心臓疾患治療の分野もその例外ではない。

心臓の筋肉にエネルギーを送り届ける冠動脈の血管が狭まって血液が流れにくくなるのが狭心症、完全にふさがってしまうのを心筋梗塞という。こんな病状の患者の治療法をめぐって、内科医と外科医の陣取り合戦が繰り広げられている。

とりわけ、心筋梗塞の治療法は、かつては心臓外科医の独壇場だった。手術は胸の胸骨の真ん中を縦に真っ2つ切り離し、肋骨、つまり胸板を持ち上げて心臓を露出し、人工心肺を取り付けて、全身への血液循環を確保しながら、心臓に張り付いた冠動脈の詰まったところをまたぐように別の血管を吻合(縫い合わせる)し、詰まった部分をまたいでバイパ
スを作る。

開心手術というが、医者にこんな説明を受けた患者は例外なく衝撃を受ける。だけでなく、その後肉体的にも患者には大きなダメージとリスクを強いる手術が待っている。

そこで、内科医は考える。

「心臓を露出しないで、詰まった血管を開通させる方法はないのか」と。

考え出された治療法が、細い管(カテーテル)を、血管を通して心臓まで挿入する。狭くなった部分にカテーテルが到達すると、そこで先端に仕掛けられたフーセン(風船)をぷっと膨らませて狭くなったところを広げる。

あるいは、先端に仕掛けられたドリルで血管にこびりついたコレステロールを削り取ったり、最近、脳梗塞治療薬として人気が高まったt-PA で血栓を溶かしたりする方法だ。

崖崩れでふさがったトンネルをあきらめてバイパスを作る外科心臓手術か、土砂を取り除いてもともとのトンネルを開通させる内科治療か。

この判断は、まず、最初に患者の診断をする内科医が行なうが、内科医によるトンネル再貫通(カテーテル)方式は、1度貫通しても、かなりの患者の血管がまたふさがる(再狭窄)、何度も手術をしなくてはならない。これが欠点だ。

一方、外科手術は患者に与える精神的な衝撃だけでなく、全身麻酔や人工心肺がもたらす肉体的なダメージやリスクも大きいが、同じ部分が再狭窄するリスクだけは避けられる。

一長一短だ。

そこへ登場したのが内科医によるカテーテル治療の新兵器「ステント」である。

ステントは金網でできた筒。まず、風船で押し広げたところへ、これそっと挿し入れて置き去りにすると、そこは再び狭窄しなくなる。掘ったトンネルを中から強固な金属の管で補強するような治療法だ。

しかし、ステントの金属が血管を傷つけて炎症を起こし、2・3割がまた再狭窄へ向かうという問題が起きる。

これを阻止できないか。

そこへ「薬剤溶出性ステント」が米国で03年4月に登場し、日本でも04年4月から使われるようになった。新型ステントは再狭窄を防ぐ効果のある薬(シロムスリ)が塗ってある。

これが少しずつ溶け出して、再狭窄を防ぐ。再狭窄率は最大5%へと激減した。ほとんどゼロだった。世界の内科医軍団は、もはや心筋梗塞治療で外科医の手を借りることはなくなった、と胸を張った。

外科医によるバイパス手術と内科医によるカテーテルの割合は欧米で1対1だった。日本では1対3から4だったが、それが1対7か8となり、間もなく10人中9人がカテーテルという時代になるのではないか。

しかし、世の中そんないいことばかりあるわけない。問題が起きた。

血管内に異物であるステントを入れると、血栓ができやすくなり、かえって心筋梗塞を起こすリスクが高まる。それを防ぐ薬を使うと、今度は重い肝臓障害などの副作用が出て、死に至るというケースも報告された。あちら立てればこちらが立たずというわけだ。

一方、外科医も指をくわえてこんな状況を見ていたわけではない。外科手術の分野では、胸は開くが人工心肺も使わず、心臓を動かしたままバイパス手術を行なう手法(心拍動下CABG)や、胸も開かず、胸を6〜7センチ切るだけで、そこから手術器具を挿入、バイパス手術を行なうというすでに評価の定まった“名医”も登場している。

心筋梗塞治療をめぐる内科医と外科医の陣取り合戦はさらに熾烈なものとなるだろう。

ちなみに、治療費である。
・人工心肺を使った冠動脈バイパス術 : 300万〜400万円
・使わないバイパス術: 200万円くらい
・カテーテル治療:技術料などを含めると100万円ほど。

額面の値段では内科方式に分がありそうだが、副作用の問題もある。治療費用は一定額を超えるとほとんどが戻ってくる高額療養費制度もあるし、致命を回避する費用としては、大差ない差額といえそうだ---。

さて、そうなったら、
♪あなたならどうする? (了)

2015年04月17日

◆基礎疾患に注目しよう

石岡 荘十


「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。

体型で判断すると、多分、金正日氏は五重奏のいくつかを抱え込んでいると思われる。脳梗塞ではないかといわれたが、基礎疾患を改善しなければ、再発の可能性を否定することはできない。

内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

本メルマガ主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、18年前(1999.2)、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50余年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。 (再掲)      

2015年03月04日

◆齢は足にくる

石岡 荘十



学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで、数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。

しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。

それから、少なくとも1キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。

脊柱管はどこも狭くなっているところはない。しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の1割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。


では、ビッコの原因は何か。考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。これを立証するのが、「血圧波検査」だ。

両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。展望は開けた。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は、腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。

原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。

それにしても、同じ世代の主宰者は毎日、万歩を続けているという。奇人というしかない。 

2015年02月21日

◆判って貰えないがん患者の性

石岡 荘十


子宮、卵巣、子宮頸がんなど女性特有のがんを患い手術を受けた女性は、もう女ではないのか、こんな疑問を抱き続けてきた知人が、会員制の月刊誌の求めに応じて、自分の手術体験をふまえて、術後の女性の性について赤裸々に告白する記事をまとめ掲載された。

同誌は会員制の雑誌なので、ここに紹介する。

以下、要旨を引用。

「男性の方にうかがいたい。病気で卵巣や子宮を失った恋人や連れ合いのことを『女としてもうおしまいだ』と思っていませんか。婦人科のがん患者はその偏見に悩んでいます」

女性の場合、勃起する、しないに悩みが集中する男性とは異なり、パートナーや周囲の偏見による悩みが大きい。

病院で知り合った同じ病気をかかえる女性患者たちのなかにも、「夫のセックスの相手ができないのが申し訳ない」、「術後の女性の機能を知ろうとせず迫ってこられても、性交痛でセックスするのが嫌だ。

気持ちはあるけど応じられない」、「自分が女じゃなくなったのだから連れ合いが浮気をしても仕方ない」などと考える女性は多かった。しかし、そんな深刻な悩みをどこにも相談できない人もまた多いのだ。

病気をしたり、歳とったりした人は性の戦線からはずれて当然。60歳、70歳でセックスしてるなんて気持ち悪いと平気でいう若者もいます。病気で卵巣や子宮を取ると『もう女じゃないのね』と女性からいわれたこともありました」

女性にとっても、セックスは重要なのだ。命が助かった、仕事にも復帰できると一安心した時、「あのー、できますか?」と回診にきた主治医に思い切ってたずねると医師は、「うーん、性欲がいつ回復するかだけどね・・・。大丈夫だよ」と答えた。その後、退院時に渡された「退院の栞」の性生活についての説明に力づけられた。

「開始時期については個人差がありますので医師の指示に従うのが望ましいでしょう。初めは男性の方が浅いと感じますが性生活を繰り返していくうちに膣の部分が伸びていきます。

数か月で元に戻り、違和感がなくなります。膣の中の縫ってある部分がさけたり、傷ついたりすることはありませんので安心して行って下さい。また、性生活によって病気が再発することもありません。

ホルモン分泌の環境を整えるためには、むしろ積極的に性生活を行った方が良いと考えられています。

卵巣を摘出した方は性交時の分泌が減り、膣が委縮するため性交時痛が起こりますので、潤滑剤リュウブゼリーの使用をお勧めします。今までは、精子の一部が子宮の入り口より中に入り、膣内に排出された精子はすべて流れ出てきます(腹腔内には入りません)…」

退院後、夫に栞を見せ、セックスに挑戦してみた。

「まだお腹の傷も生々しい時期でしたから、お互いにお腹に触れるのが怖く、でも久しぶりの触れあいは素敵で、ただ抱き合い、触り合う時から体は反応して濡れました。

それでも挿入するとき彼はとても心配して『大丈夫?』と聞きました。久しぶりなので緊張もありましたが、始めの痛さはすぐに消えて、気持ちよくなりました。以前のようなオーガズムとは比べようもありませんが、満たされた気持ちで満足しました」

術後3年で夫とは別れたが、新しく出会う人に病気のことは話せても、ベッドに行きたいとはいえない。

「女性器を失っているという劣等感があるからです。婦人科がんを患い、離婚した芸能人カップルのニュースをみるたび、同じ悩みを抱えているのではと思うようになりました」

婦人科がん患者の悩みは病院での治療が終わってから始まる。しかし、医者や看護師との密接な関係はすでになく、相談相手もいない。前述の「栞」の内容を、引け目を感じている女性がパートナーに説明するのは難しい。

「退院する時に医師や看護師が、患者とそのパートナーに病気と性生活についての説明をし、疑問に答えてくれる機会があればどんなに救われるかわからない」。

これまでがん患者は命を救うことが第一とされ、セックスについてはタブーとされてきた。だが、若い世代も含め、2人に1人ががんに罹る時代だ。がん患者のセックスの問題は、生活の質という点からも真剣に取り組むべき時期に来ている。(引用終わり)

筆者は、私の大学の後輩で53歳のときから4回にわたって手術を受けた経験を持つ。高齢域に入って、ようやく率直に話せるようになったと告白している。  (再掲)

2015年02月06日

◆なぜ高い日本の医療機器

石岡 荘十


薬事法上、医療機器はそのリスクに応じて3つに分類されている。

まず、高度管理医療機器。 副作用や機能に障害が起きたとき、まかり間違えば人の命や健康に重大な影響を与える恐れがあるもの。

例えば、透析器、人工骨、人工呼吸器、PTCAカテーテル、ペースメーカなど(PTCAカテーテルは、狭心症や心筋梗塞を治療するための管)。

次に管理療養機器。前項以外の機器で、やはり副作用や機能に障害が起きたとき、それほどではないが患者の命や健康に重大な影響を与える恐れがあるもの。

たとえば、MRI、腹腔鏡、電子式血圧計など。MRIは、日本語では「磁気共鳴画像診断装置」といわれ、強力な磁場や電波で脳や体を輪切りにした画像を撮影する大型の検査機器。

よく似た機能を持つものにCTがあるが、MRIはCTに比べタテ・ヨコ・ナナメなど断面を自由に設定できるなどの利点がある)。

さらに、一般医療機器。副作用や障害が起きても直ちに人命や健康に影響を与える恐れのないもの(聴診器など体外診断用機器、X線フィルムなど)。

これらの機器のうち、ペースメーカ、PTCAカテーテル、MRI、腹腔鏡の4つについて、公正取引委員会が05年12月、詳細な実態調査を行なっている。

それによると、まずペースメーカは100パーセント輸入。メーカーは欧米の10社程度で、04年の日本国内での販売個数は47,460個。その市場規模は465億円だった。

ペースメーカは機能的には8つに区分され、国内価格は、116万円から185.2万円となっている。

ところが、たとえば国内で133万円のものがアメリカでは83万円余と、日本の価格はアメリカの1.6倍である。日本で148万円のものはアメリカで95万円、これまた1.6倍という価格差となっている。

実態調査報告書の翌年06年、保険適用が承認された最新型InSync3マーキー(419万円)の価格差は多少圧縮されて1.27といわれている。それでもこの比率で換算すると、アメリカでは330万円で売られている計算になる。その価格差は90万円である。

ことほど左様にPTCAカテーテルの場合の内外価格差はさらに大きく、2倍以上。
ペースメーカとカテーテルの価格差が大きいのは、国内の多すぎる医療機関の数に関係があるといわれている。


ペースメーカの植込み治療を行なっている病院は、人口比でいうと日本はアメリカの4倍。アメリカは大型集約型、日本は中小分散型で、日本では膨大な流通経費がかかる。

その差は5600億円(05年)と試算されている。これが機器の価格、ひいては医療費に上乗せされている。

ところが、である。

MRIの平均販売価格の対アメリカ比は0.75と、日本のほうが安いのだ。これはどうしたわけか。理由は2つ。

・国産のMRIのシェアが大きいこと

・販売台数の6割はメーカーが直接、医療機関に納品するため流通経費がかからないこと

普及率は60パーセントで世界一。海外でも売れている。メーカーによる売り込み競争は熾烈で、値崩れが起きている。業界では「半値の8掛け」といわれている。

そんなに優れた技術力があるのなら、技術的には遥かに簡単なペースメーカやカテーテルくらい国産で賄ったらよさそうなものだと思うかもし
れないが、ほとんどが輸入品である。なぜか。

長年、医療機器の営業に携わっているセールスマン(ME:MedicalEngineerという)はこう言う。

「国民性ですかねぇ。医療機器の中でも、副作用や故障が起きたとき直接患者の命にかかわる高度管理医療機器については、いざというときには膨大な賠償や製品のリコールを覚悟しなくてはならない。

MRIやCTは検査機器ですから、まず命に関わるようなことは考えられないので、複数のメーカーが作っています。ペースメーカやカテーテルは1歩間違うと、訴えられて会社がつぶれてしまいます。

欧米のメーカーはそのリスクを乗り越えて、開発にしのぎを削っています。医療機器の内外価格差は、リスク回避の代償といえます」

「危ないことはごめん」

自分では作らないが危ないところは他所さんにお願いする。技術力があっても自分では作らないのは核と航空機と医療機器だ。

アメリカの核の傘で守られ、カネだけは出すという構図にどこか似てないか。

2015年02月02日

◆皇女和宮の死因は急性心筋梗塞

石岡 荘十


「篤姫」の将軍に降嫁した皇女和宮は、脚気(かっけ)だったといわれる。挙句、今風に言えば、「急性心筋梗塞」に襲われたのだ。

簡単におさらいをしておくと、和宮は弘化3年(1846年)仁孝天皇の第8皇女として生まれるが、公武合体を図る幕府の画策の末、文久2年(1862年)、14代将軍徳川家茂の妻となった。ともに16歳だった。

慶応元年、家茂は20歳のとき、長州征伐のため大阪に赴いたが、翌年大阪城で病死する。死因は脚気だったとされている。

脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害、下肢のしびれ、心臓の機能に異常を起こす原因となり、心機能の低下、心不全(衝心)を起こすことから、昔から「脚気衝心(かっけしょうしん)」と呼ばれている。

NHKのドラマでは、家茂は江戸城で胸をかきむしって、最後は、勝海舟に抱きかかえられて息を引き取るシナリオとなっている。現代の病名で言うと、脚気から急性心筋梗塞を起こした、というのが定説である。

「将軍家十五代のカルテ」(新潮新書 石川英輔)によると、3人の将軍が脚気衝心で死んでいる。10代・家治、13代・家定、それに和宮の夫15代・家茂の3人だ。

10代・家治の頃(在職1760〜1786)から江戸の裕福な家庭では、ビタミンB1を含む米糠や玄米を丹念にといだ精米をたべる習慣が広まった。

まず富裕層に患者が多発、江戸末期には一般庶民にも患者が出るようになったことから「江戸患い」と呼ばれたという。115代桜町天皇(在位(1735〜1747)もこの病に冒されて亡くなったという説もある。

さて皇女和宮である。

和宮は夫・家茂の死後、大政奉還の後、1868年、江戸城を出て一時、江戸に住んでいた。明治になって京都に帰ったが、東京に移られた天皇の勧めで明治7年、東京に移住。

それが<数え32歳の頃、脚気の病になり、明治10年8月7日から箱根塔之沢「元湯」に静養のため滞在、(中略)26日目、俄かに衝心の発作が起こり>(以下、ウイキペディア)、他界した。

つまり現代医学で言うところの脚気の合併症たる急性心筋梗塞で亡くなったと考えられる。

脚気は明治時代、日本の風土病と考えられ、都市部の富裕層や陸軍に多発していた。が、じつは<脚気は栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である>

海軍では高木がパンや麦飯を出したところ、海軍では脚気を根絶した。

ところが陸軍では森林太郎(森鴎外)らが麦飯に反対。麦飯しか食えなかった田舎から徴兵した健康な兵隊に白米を食わせ、多くの脚気患者を”生産“するという皮肉な結果を招いた。

日清・日露戦争では戦死者より多い数万人の兵士を脚気で病死させている。麦飯を支給した海軍に病死者はなかった。

明治天皇も脚気に苦しみ漢方による食事療法を希望視したが、森を中心とするドイツ系学派の侍医に反対され、西洋医学そのものに不信を抱いていたといわれる。(この項については、主宰者がいつだったか詳しく書いている)。

原因がB1欠乏と分からないまま、<大正時代以降、精米された白米が普及し、副食を摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで2大国民病とまで言われた>

脚気が根絶されたのは、1952(昭和27)年になってからだ。ビタミンB1の工業生産に成功し、安く簡単に摂取することができるようになったためだ。

ところが、1972年に脚気が再燃したことが、日本内科学会誌で取り上げられている。原因は若者を中心に、砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードをよく食べるようになったためだといわれる(糖分の消化にビタミンB1を大量に消費するため)。

脚気は心臓にダメージを与える。心筋梗塞は老人の病気だという考えが一般的だが、若い人の食生活を見聞きすると、家茂・和子夫妻がそうだったように、若くして脚気衝心から急性心筋梗塞を発症する患者が増えてくる恐れがある。