2014年04月01日

◆ハイリスク手術をクリアした(5)

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

13 9 時間の大手術の流れ

13・1 手術開始

翌4月3日、手術前日の就寝前、入院中手許に置いて日々の治療を記録し ていたメモ帳に、妻と3人の子供宛の書置きを遺した。

――いままでありがとう。みんな元気で、さようなら――。

4月4日、手術当日。朝早くから妻や3人の子供たち、嫁さん、婿さん、 4人の孫たちが三々五々病室に集まってきた。私が50年で作った家族全員 集合だ。つぎにこれだけ集まるのはオレの葬式のときか? もう一度、家 族一人ひとりの顔をちゃんと見わたす---みんなの「おとうさん、がん ばって!」「じいじ、がんばれ」という声を背中で聞きながら、9時前、 ナースが押す車椅子で手術室に入った。直ちに、手術が始まった。

・全身麻酔。

・胸の真ん中で皮膚を切開し、前胸部の真ん中を縦に走る胸骨をのこぎり で縦に切断(正中切開)する。再手術なので、心臓が周辺の組織に癒着し ている。胸骨を 切断するときに、心臓の一部を傷つけるおそれがある。

・胸骨は縦割りにすると、ちょうど握りこぶしの幅一つ分ぐらい左右に観 音開きにする。このすき間から器具を入れて手術をする。

・案の定、肥大した心臓が胸骨にくっついている。癒着したところの剥離 を慎重に続ける。

・心臓は心膜と呼ばれる膜で袋状に包まれている。心膜を切り開くと、初 めて見えてくる。が、心臓は一度手術を受けると表面に粉雪をかぶったよ うに癒着し、どこが大動脈でどこが右心房かわからないほど強く癒着する こともある。再手術のときはこの癒着をはがすことからはじまる。癒着の 強い部分をはがすときに心臓の壁の一部が裂けて出血するなどのトラブル が考えられ、初回手術よりもはるかにリスクが高くなる。

13・2 人工心肺の装着

・心臓の手術では一時的に心臓の血液の流れを止め、心臓そのものの動き を止める必要がある。そのために、まず心臓と肺を迂回する一時的な血液 の流れ「体外循環」を作る。人工心肺の装着だ。

・心筋保護液を大動脈の根元から冠動脈に注ぐ。心筋保護液は心臓が動き を止めている間、余分な心筋の代謝を抑え、心筋の細胞が低酸素状態に 陥って障害されるのを防ぐ。人工心肺と心筋保護液の導入・改良により、 現在では3〜4時間程度なら安全に心臓を停止させておくことが可能に なった。

・心臓の温度を15℃くらいまで下げる。命の源である心臓は、その機能を 肉体から切り離され、しばらく静かに休眠状態に入る。

13・3 僧帽弁置換術 

初回手術の場合は、左心房に直接メスを入れてアクセスする。しかし再手 術では左心房に直接メスを入れて僧帽弁を切り取ろうとすると、初回の手 術で癒着した周囲の臓器を剥がさなければならない。

それだけ出血のリスクが高くなる。そこで、遠回りをするようだが右心房 からアクセスする。

・まず右心房にメスを入れ、突破口を作る。つぎに右心房と左心房の境に ある心房中隔を切開して左心房に入る。

・僧帽弁に到達する。弁そのものに血液中の石灰質が堆積して硬く、分厚 くなっている。

・病んだ僧帽弁を丁寧に切除する。

・切り取った僧帽弁の切り口とぴったり合う大きさの人工弁を選定する。

・20針で人工弁を縫合し、しっかり固定した。

・切開した心房中隔と右心房を順番に元どおり縫合する。

13・4 冠動脈のバイパス手術 

・直径2ミリほどの細い左内胸動脈を丁寧に剥がしていく。これを冠動脈 の左前下行枝の狭窄した部分の川下に吻合、縫い合わせる。

・体温が36度に戻り、心臓が自力で拍動できることが確認できたら、人工 心肺の管を取り外す(「人工心肺からの離脱」という)。

・癒着を剥離したところからすこしずつ出血があるので丹念に止血をする。

・それでも術後じわじわと出てくる出血が胸のなかに溜まらないように、 体外に排泄するため4本のドレーン(管)を鳩尾(みぞおち)のあたりに 置いて、管を体外に出す。

レセプトの「症状詳記」は、想定どおり大量の出血と血圧のコントロール に悪戦苦闘した様子をこう記述する。

<術中を通じ、自己血回収装置を用いて出血を極力回収しこれを利用した が、出血量多く、術中に濃厚赤血球液6単位、人工心肺に10単位使用した>

<大量出血による凝固因子減少症に対し新鮮凍結血漿を10単位使用した>

<---濃厚血小板液20単位を使用した>

<開胸時、突然、血圧が180mmHgまで急上昇、2種類の降圧剤を使用した>

そうかと思うと---人工心肺の離脱後に、

<収縮期血圧が50〜60mmHg程度に低下して心臓の動きが鈍くなった>
「低心拍出症候群」といわれる症状だ。そこで

<強心剤をつぎつぎと投与>

危機を脱した。全身麻酔の影響で腸がうまく働かなくなる「腸管麻痺」も あった。こんな事態を乗り切ってやっと、心臓の自律拍動が確認できた。

・切断した胸骨を真ん中に引き寄せてチタンの針金で固定。

・胸の皮膚をホチキンスのような金属ピン(スキンステープラー)26個で 縫合。  
                           
午後6:00過ぎ、手術を終わった。手術室に入ってから、9時間経過。 
<(麻酔・手術時間が長くなったことに伴って)自発呼吸が得られず、血 液の循環も不安定だったため、気管内挿管のまま手術室に隣接した集中治 療室(ICU)に搬送>

患者はまだ深い全身麻酔の中にあった。


2014年03月31日

◆ハイリスク手術をクリアした C

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

11 手術の是非選択の岐路に立つ」

 IC説明の続き。

「通常はユーロよりジャパンのほうが低く出てくる。ジャパンはユーロの半分くらい成績がいいというのが普通だが、石岡さんの場合は、何度も、どう計算しても高く出てくる。全体状況としてはかなり厳しい。手術をすべきかどうか、循環器内科とも長い時間をかけて議論をしました」

内科が外科に手術をオーダーしても、気軽に二つ返事で引き受けることができなかったのだという。

「僧帽弁の弁置換をして冠動脈バイパスを造るのは大きなメリットなのだが、これを実現するためには大きな侵襲(*)がある。もともと体力的に余力のないところに大きな侵襲を受けて、回復せずに寿命が尽きるということも、重症な患者の場合ありうる。手術そのもので寿命が尽きるかもしれない。そうすると、手術なんかしない方がよかったということになるかもしれない」 
 
*「侵襲」:手術・検査などで外部から肉体に与えられる刺激、負荷を表わす専門用語。

「内科的な治療を続けると、ちょっとよくなったり悪くなったりを繰り返しながらの、日常生活を制限された寿命ということになるが、(生命の)エンドポイント(死)に至るまでには時間が稼げる。

一方、手術が成功すれば、QOL、生活の質も改善され、余命も伸びるなどのメリットは大きい。だが、これだけリスクの数値が高くなると、私どもとしても、積極的に絶対手術すべきだというのとは違う。(この数字だから)どうしても手術をすべきだとは、私にも言えない」

淡々と、抑揚を抑えた口調での説明は率直といえば率直だが、それだけに手術が想像以上にリスキーなものであることをかえって強烈に印象付けた。Y 字型の岐路で天を仰ぎ呆然と立ちすくむ思いだった。

山崎医師に訊いた。

Q: 手術を放棄する選択肢もあるのか。

A: ある。但し、手術をしない場合、余後の生活は限定的になる。薬を中心とした内科的治療はあくまで対症療法であり、血液の逆流をとめることは出来ない。強心剤の点滴はしているが、これが心臓への負担になり、心臓の機能はジリ貧状態になる。

Q: 当院で弁置換手術の実績は?

A: 当院の弁置換の心臓手術そのものの実績は5,000例以上あるが、重症の人のリスクはどうしても高くなる。通常の、僧帽弁置換の予測死亡率は精々5パーセントだから石岡さんのは非常に高い数字だ。手術は充分可能だと考えているが、何度計算しなおしてもリスクは高い。それでも手術を受けるかどうか判断してもらいたい。

山崎医師は、分厚いファイルを取り出して示してこう述べた。「これは私がいままでに手がけた手術の内容をメモしたものです。この中に同じような手術の症例も沢山あります」

自信に満ちた説明だった。ファイルは、一つひとつの症例について手術の詳細を丹念に手書きでスケッチした手術記録、ドクターが執刀した実績を示すものだった。昼寝の枕にでもなりそうな昔の東京都の電話帳のような、ずっしりと重いファイルは、ドクターの豊富な手術経験の証でもあった。私にとっては手術を託す拠りどころとなるものだった。

12 合併症33の懸念、でも手術を決断

手術は順調にいって9時間。この間、さまざまな合併症が起きる。ドクターが列挙した懸念される合併症は、脳梗塞、心筋梗塞、大量出血など、なんと33にのぼった。

だから、何度計算し直してみてもリスクは高い。でも「手術は十分可能だ思っています。手術を受けるかどうか判断して下さい」とドクターは迫っている。

決断しなければ先に進まない。で---決めた。

私 「よろしくお願いします」

医師「手術予定日はあさってです。今晩一晩、ご家族ともよくご相談なさってから、お決めになってもいいのですが---」

私 「いえ、人のいうことは聞かない性質ですから。手術を受けます」医師「分かりました。総力を挙げてやります」

ドクターは、立会いの次男と長女の意志を確認するように視線を投げかけた。2人は涙ぐんでいるように見えた。うなだれて黙ってうなずいた。手術同意書に私と次男が署名をした。賽は投げられた。

2014年03月30日

◆ハイリスク手術をクリアした(3)

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

8 インフォームドコンセント 〜腎機能の低下〜  
 

インフォームドコンセント(IC)は、執刀医が手術の概要を説明し、勿論、手術予測死亡率も明らかにした上で、患者の手術同意を求めるものだ。47歳の次男と40の長女が同席した。以下、山崎医師の説明である。

「危険因子は、左心室の機能そのものが劣化して強心剤を使っていることです」

「腎臓の機能がかなり悪い。腎臓が正常に働いていれば、腎臓が老廃物などを取り除く力がどれくらいあるかを示すクレアチニン・クリアランス(CCR:Creatinine Clearance)が、通常は約100のところ、26.4しかなかった。正常な機能の4分の1しかない」。

「腎臓の機能障害をステージング(?〜?)というもので評価をしているが、いまはステージ?。60パーセントぐらいの可能性で、術後人工透析が必要だと考えている」

山崎医師の説明は手術予測死亡率の問題へと踏み込んでいく。

9 衝撃の心臓手術予測死亡率 〜ユーロスコアとジャパンスコア~手術に伴うリスクは、手術予測死亡率(手術して30日以内に患者が死亡する確率)で推定される。その確率は「ユーロスコア(EURO Score)」や「ジャパンスコア(Japan Score)」という方法で算出される。

ユーロスコアは、正確なモデルシステムだとされている。手術前の患者の状態を17項目にわたってチェックして算出する。ユーロスコアでは20%が手術の限界、それ以上は専門用語でいう「手術不適応」、手術をしても意味がないとされている。

ジャパンスコアはこれに習って日本独自の方法で死亡を予測する方法だ。山崎主任教授が計算した。その結果、私のスコアは、
 
・ユーロ-----28.83%
・ジャパン---39.9%

想像をはるかに超える高率な死亡リスクをはじき出した。

通常、冠動脈バパス手術の予測死亡率は精々3%、僧帽弁置換手術は高くとも5%だから、同時に手術をしたとして、年齢的な危険因子を併せ考えても考えても、死亡リスクは10%を超えないはずだ。(参考:金沢大学病院 バイパス+弁置換死亡率2.03%)。

日本より手術死亡率が高いといわれる米国の学会の統計(The Society ofthe Thoracic Surgeons,2003)でも、僧帽弁の人工弁置換術は5.5%、冠動脈手術を同時に行なった場合は13%だった。だから、ユーロスコアの28%を超える私の数字は、治療法としての手術という選択肢を無情にも否定する残酷な数字だった。

私の場合、39.9%。ジャパンスコアがユーロスコアを10%以上超えている。

加えて、ジャパンスコアは死亡率(Mortality)と、「術後合併症発症率」といわれる後遺症(Morbidity)の発症率のトータルの計算が行われる。

私の場合、手術をしたときの死亡率と、死亡しなくとも後遺症が残るかもしれない確率を合算した数字(Morbidity & Morbidity)は、79.1%だった。

ということは、運良く手術で死ななかったとしてもなお40%近い確率(39.2)で後遺症が残りますよ、という非情な数字であった。足して8割、これじゃあ逃れようがない。一命をとりとめても、人工透析は覚悟しなければならないのか。

10 手術の危険因子とは何か

僧帽弁置換手術と冠動脈バイパス手術を同時に受けた場合、私の予測死亡率がこのように桁違いに大きく想定されるのはなぜか。患者一人ひとりの手術予測死亡率はそれぞれの患者が持っているマイナス要素、危険因子によって大きく左右される。

危険因子として挙げられるのは、手術をしなければならない心臓疾患以外の慢性疾患(併存疾患)、例えば肺機能の低下、腎機能低下、糖尿など。手術のとき起こるかもしれない合併症、患者の高年齢なども手術のリスクを嵩上げする要因となる。

初回待機(*)の冠動脈バイパス手術(CABG)のときの年齢の影響について、欧州心臓・胸部外科学会(EACTS)からは、5歳きざみで年齢別死亡率が報告されている。

*「初回待機」というのは、「はじめての手術で患者の容態が比較的安定しているため、余裕をもって手術日を決めて執刀できるケースのこと。56歳未満---0.9%、 61-65歳 ---1.3%、 71-75歳 ---2.9%、 80才以上---6.7%

はじめての手術か2度目、3度目かによっても予測死亡率は大きく変わってくる。心臓手術の経験がある“ばついち”の再手術の場合は、最初の手術で心臓周辺の臓器が癒着している。このためこれを丁寧にはがす(剥離)必要がある。それだけ手術中の出血のリスクが高くなる。

手術時間がそれだけ高くなることも患者にとっては大きなマイナスだ。さらに人工心肺を使った場合、腎臓が悪い患者は手術後、人工透析が必要になることが多い。肝臓が悪い人は出血が止まりにくくなり、大量輸血をする危険性もある。心筋梗塞のリスクもある。

そんなことで、再心臓手術は初回手術の5〜6倍、難度が高くなるといわれる。(つづく)

2014年03月29日

◆ハイリスク手術をクリアした(2)

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

3・1 心機能の確認

心エコーは、人の耳には聞こえない高周波数の超音波を心臓に発信して、返ってくるエコー(反射波)を受診し、心臓の様子を画像化して診断する。胸の上にあてた探触子(プローブ)と呼ばれる小型の装置でから、拍動する心臓の筋肉や弁に向かって超音波を発射する。はね返ってきた超音波を受信することで、動いている心臓の画像をつくる。

心房や心室の大きさ、壁の厚さや動きなどから、心筋梗塞とその範囲などが診断できる。弁の形や動きから心臓の中の血流がわかる。

弁の不具合(弁膜症)によってどの程度血液の逆流が起きているかを画像で見ることが出来る。検査の結果、極めて深刻な症状であることが分かった。

僧帽弁は、透明で薄い紙のようなぺらぺらの2枚の弁で出来ていて、尖端が合わさることで、血液が左心房から左心室に向かって一方向に流れるようになっている。

ところが私の弁は2枚の弁の尖端が肥厚して硬くなり、弁の接合がうまくいかなくなって、閉まらなくなっている(僧帽弁閉鎖不全症)。こうなると、左心房から送り出された血液が、一旦、左心室に送られてもすぐ、左心房に逆戻りしてしまう。

逆流の程度は、最も深刻な?シビア(高度)状態だった。僧帽弁がうまく閉まらないので、左心房から左心室に送られた血液の半分が逆流している。ということは、心臓は2倍働かなければ、必要な量の血液を全身に送り出すことができない。その分心臓に大きな負担がかかっている。
 
                    
4 弁を歪めた少年時代のリューマチ熱

心臓には4つの弁がある。?三尖弁?肺動脈弁?僧帽弁?大動脈弁の4つである。このうち大動脈弁が15年前うまく閉じなくなった。原因は、少年期
(多分、8歳か9歳の時)のリューマチ熱だと考えられている。
このときの高熱で大動脈弁がゆがんで変形したまま成人し、高齢となった。医学的には「閉鎖不全」という状態になり、血液が逆流していることが心エコー検査で確認された。15前、大動脈弁に起きた閉鎖不全と同じような現象が今度は僧帽弁で発症した、と診断された。

5 経食道エコー図検査で弁を確認

弁の状態をさらに詳しく確認する方法がある。経食道エコー図検査というカテーテルを使った検査法だ。食道は心臓のすぐ後ろ、左心房の真裏側を走っている。  
        
そこで経食道心エコー図検査は、胃カメラのような管を口から食道に入れ、心臓を真近から細かいところまで観察する。心臓の弁の動きや弁のかたちや直径数ミリの血管でも鮮明に映し出すことができる。心臓弁膜の原因や重症度が判定できる。                     
      
6 血液駆出率は普通の人の半分以下

心臓の機能(能力)を評価する方法のひとつに「駆出率」(EF:EjectionFraction)がある。心臓(特に左心室)はポンプとして全身に血液を送り出しているが、心臓がよく縮めば高い割合で血液を送り出すことが出来、左心室の収縮力、駆出率が高いと評価される。

左心室が一番大きくなった時と、小さくなったときの駆出率の正常値は、70%ぐらいだとされているが、私のEFはわずか37%に過ぎなかった。正常な心機能の半分だった。大半の血液は左心房に逆戻りする。

左心房は満タンになるから、その上流の肺静脈には行き場のない血液がうっ滞する。車の渋滞のように、圧力は手前、手前へと遡り、肺動脈の圧力は、通常の2〜3倍になっている。これを放置すると、突然死の原因にもなる。

そこで、患者には利尿剤や強心剤を使って内科的治療で凌ぐことになるが、これは疲れた馬に鞭打つようなもので、薬の投与がまた輪をかけて心臓の負担にかけている。

7 心カテで冠動脈の狭窄を確認

心不全患者の診断に必須のもう一つの検査が「心血管カテーテル検査(心カテ)」だ。

心臓の表面は心臓に酸素と栄養分を送り届ける冠動脈に覆われている。このうち左冠動脈主幹部は心臓の裏側に回りこむ「左回旋枝」と前側に出てくる「左前下行枝」に分かれる。

そのなかで最も重要なのが左前下行枝で、心臓に必要な血液の50%をこの動脈が供給している。左前下行枝に異常がある場合は、これを放置すると命に関わる。左前下行枝の狭窄は、一昨年2月、天皇陛下が心臓手術を受けられたことで世間によく知られるようになった。

陛下は、3本ある太い冠動脈のうち「左回旋枝」と「左前下行枝」の2ヶ所に75%から90%の狭窄があることが確認され手術に踏み切った。

私の場合は、3本ある太い冠動脈のうち一番重要な左下行枝だけが75%狭窄している狭心症という診断だった。心臓は弁の不具合で散々、働かされているのに、必要な栄養の補給路が大事なところで狭まり、半分、首を絞められているような状態なのだった。

!)僧帽弁の 機能が内科的治療の限界に達している。その上、?重要な冠動脈がほとんど役に立たなくなっていることが明らかになった。

3月末まで、循環器内科が担当する薬を中心とした内科的治療が続けられたが、その限界が見えてきた。ではどうするか。実は、内科から手術の要請を受けていた心臓血管外科では、手術を前提とした準備が着々と進んでいた。そして4月2日夕方、手術の可能性についてインフォームドコンセント(IC)を受けることになった。(つづく)


2014年03月28日

◆「4割は死ぬ」手術をクリアした@

石岡 荘十


〜心臓手術、怖れるに足らず〜

1 手術予測死亡率とは何か

すべての手術は一定のリスクを伴う。患者が死ぬこともある。一命をとりとめても、重い後遺症に苦しむこともある。しかし、こんな手術のリスクについて、ほとんどの人の認識は漠然とした不安の域を出ない。

手術で患者が死ぬかもしれないリスクのことを、専門的には「手術予測死亡率」という。「手術後30日以内に患者が死亡するパーセンテージ」のことだ。

手術に伴うリスクは、患者の症状や年齢、病歴、併存疾患(*)、懸念・想定される合併症などの危険因子を、手術前に点数化して積算した客観的な数字で表わされる。

*「併存疾患」は、併発している別の病気のこと。

患者にとっては手術死亡だけでなく、術後の重い後遺症もまたリスクであることに変わりはないが、術後30日を超えからの死亡や、死ななくともその後長い間、後遺症に苦しむかもしれないリスクは、この「予測死亡率」には含まれない。ではまず心臓手術のリスクとは、一体どれ程のものなのか。

心臓手術の実績、つまり手術方法が確立している“ありふれた心臓手術、“冠動脈バイパス手術や弁置換手術で患者が死ぬ割合は、大体どこの病院でも、緊急手術を除けば、3%以下だと言われる。1%以下、0.5%というところ(金澤大学病院「チーム・ワタナベ」)もある。

医療技術の進歩で、心臓手術のリスクはよく航空機事故の乗客死亡率に例えられ、限りなくゼロに近づいているといわれる。

ところがそんな中、昨年春、私は突然の体調異変から極めて難度の高い心臓手術を受けなければならない事態に追い込まれた。手術に先立って突きつけられた手術予測死亡率は39.9%という想像を絶する残酷な数字だった。

外科手術では、予測死亡率が20%を超える手術は「手術不適応」、つまりリスクがあまりにも高すぎて手術をする意味がないというのが“常識”だ。

だから、それが39.9%となると、最早、選択肢の一つとして手術を考えること自体、無謀、“非常識”な数字ということになる。それも高齢者の場合、患者はそんな危ない手術に耐えられるのか。

そんなリスクを承知の上で、丁度1年前、敢えて手術に踏み切らざるを得なくなった。72日間の入院治療、9時間に及ぶ大手術。“4割は死ぬ”かもしれない手術だけでも無謀なことなのに、これに加えて、術後6割近い確率で重い後遺症に苦しむことになる可能性が高い、その覚悟をするよう求められた。喜寿の11ヶ月目、高齢者の症例としては文句なしのハイリスク心臓手術だった。

以下、「今度こそやばい」と万一を覚悟して臨んだ手術体験の顛末である。

執筆に先立って、似たケースがほかにないか捜したが、類似の記録は見つからなかった。

2 胃潰瘍で緊急入院

昨年2月6日、小雪の降る寒々とした朝、足がだるい上、呼吸困難に陥って長男の車でかかりつけの東京女子医大病院(東京・新宿区)に駆け込み、そのまま入院を命じられた。

胃カメラ検査で胃の上部2カ所に胃潰瘍痕があり、それぞれ1×2センチほどの黒々としたかさぶたが確認できた。年末年始、年甲斐もなく調子にのった暴飲暴食が祟った。

<採血にてヘモグロビン量6.8(g/dL)と顕著な低下あり>(カルテ)ヘモグロビン量の通常の基準値は男性で13.0〜18.3(g/dL)とされているが、それが6.8しかない。ということは、基準値の半分から1/3。

体内のどこかで大量の出血があったことを疑わせる。それまで多分、ほぼ1ヶ月の間、胃潰瘍による大量の出血で、酸素を全身に運ぶ血液中のヘモグロビンが通常の半分以下に減少している。

こんなに大量の出血を招いたのには原因があった。毎日飲んでいたワルファリンという薬の影響だ。ワルファリンは、血液をさらさらに保つ薬で、心臓に人工弁を入れた患者にできやすい血栓(小さな血の塊)ができないようにする薬だ。

私は15年前大動脈弁を人工弁に置き換える手術(大動脈弁置換術)を受けた結果、心臓内で血栓ができやすくなり、これを防ぐため、ずっと飲み続けている。その影響で血液は常にさらさら状態に保たれている。

で、潰瘍ができたりすると、普通の人以上に容易に出血して止まらない。あらゆる臓器が貧血、酸欠状態に陥ってダメージを受けていると診断された。酸素が足りない! 全身60兆個の細胞が悲鳴を上げている。

酸欠が引き金となって、心不全を発症。その上、心臓の筋肉に酸素と栄養を送る冠動脈が詰まって拍動は弱々しく、全身に充分な血液を送り出すパワーが落ちている。肺には血液が溜まり(うっ血状態)、呼吸困難を起こしている。

直ちにCCU (Coronary Care Unit:冠動脈集中治療室)に運び込まれた。CCUは重篤な心臓病患者に濃密な治療をするための特別な治療部屋だ。

<高度の貧血が心不全の発症に大きく関与している>(レセプト症状詳記)ため、大量の輸血を続けると共に、心臓のパワーアップを図る強心剤の投与。特殊な酸素マスクで、強力な圧力で肺に酸素を吹き込む酸素吸入など、弱った心臓と肺の機能回復のため集中的な治療が行われた。

輸血量は全身の血液、約5000mlの三分の一近い10単位、1400mlにのぼった。急速に激減したヘモグロビンを補給するため、赤血球濃厚液も随時注入された。

酸素マスクはCPAPというフルフェイス型で、ベルトでがっちり頭に装着されている。自分ではずすことはできない、自分で呼吸ができないほど強力な酸素の圧力だ。「苦しい。マスクを取ってくれ」とわめくと、「今マスクをとったら死んでしまいます」と、取り合ってもらえない。精神錯乱状態で苦しさのあまり「死んでもいいからマスクを取れ」と怒鳴りまくる。丸々2日、こんな状態が続いた。

その結果、肺にたまっていた水がかなり少なくなり、自力呼吸ができるようになった。胃潰瘍は2週間ほどでかさぶたもなくなって、もう大丈夫と判断された。

3月1日、春一番が吹いたとポケットラジオで知った。その翌日(2日)、循環器内科の3階一般病棟に移った。尿道にはカテーテルが突っ込まれたままになっているが、ひとまず虎口を脱したと判断されたらしい。

3月18日、東京にさくら前線が上陸した。らしいが、ベッドはカーテンで仕切られ、シャバの空気は入ってこない。陽射しも見えない。

心臓機能は相変わらず不安定だ。引き続きドブポン(強心剤)を投与しながら本格的な心機能検査が始まった。(以下次号)


2013年12月31日

◆プロメテウスは今なにを思うか

石岡 荘十


いうまでもなくプロメテウスはギリシャ悲劇に登場する火の神。天界にあった火を人類にもたらしたことで主神ゼウスの怒りを買って山に縛り付けられ、日々、鷲に肝臓を食い荒らされるという責め苦に遭う。

しかし肝臓は夜間にしぶとく再生し、プロメテウスは生き延びたとされる。原発災害を聞いたときすぐ思い出したのがこのプロメテウスの神話である。原発が世に出たころ、「プロメテウスの第二の火」と呼ばれていたからだ。

火が人類にもたらした利益は測り知れない。が、その一方で、人類に甚大な災禍をもたらした歴史的事実もまた否定することは出来ない。

にもかかわらず、ヒトの存在は最早、火を抜きに考えることは出来ない。他の動物との違いヒトのヒトたる所以は火を使いこなす動物だということだ。人類の歴史はプロメテウスがもたらした果実の歴史だったとも言えるだろう。

時代はずっと下ってダイナマイトが発明される。1866年のことだ。ダイナマイトがもたらした禍福もまた、火に劣らないどころか、その禍のスケールは火の比ではない。

ノーベル賞は発明者アルフレッド・ノーベルはダイナマイトがもたらした禍を償うことにあった、と昔習った。発明者は自爆テロを想像もしなかっただろう。

ついでに言うと、航空機や自動車という「文明の利器」の事故が原因となった世界中の犠牲者は、数え切れない。その禍はいまだとどまるところを知らない。それでも、人類は、その利便性に目がくらんで、手放すことが出来ないでいる。

そこで、原子力である。

西側で初めての商用原子力発電所を作ったのはイギリスである。1956年のことだった。以来、世界31カ国で435基が稼動中だ。計画中のものを併せると500基を超える。

この間、スリーマイルやチェルノブイリなどで世界を震撼させるような放射線漏れの大事故を起こしているが、今回の福島原発事故はそれに劣らない衝撃を世界に与えている。

そこでこれを機に、原発なんか要らないという反原発世論が日本だけではなく世界中で巻き起こっている。しかし、冷静に振返ると、火、ダイナマイト、航空機事故、自動車事故の犠牲者に較べ、まだ核による犠牲者それほど多くない。ヒロシマ、ナガサキの犠牲者を、核の犠牲者だと考えても、である。

東電も政府も安全対策の前提が甘かったと認めている。特に津波について、福島原発はチリ地震津波(1960年)のマグニチュード8,5を最大と想定しての安全対策だったことが問題だった。

その意味で「想定外」だった、と。貞観地震(869年)にでも耐えられる高いハードルを前提で福島原発が作られていたら反・脱原発の世論は起きなかっただろう。

原発の再稼働に国内外が一喜一憂しているが、ここを切り抜けることが出来れば、その功罪、得失、教訓を併せた反面教師としての原発事故安全対策のジャパンモデルケースとして標準化される時代が来るかもしれない。

人類が火を手にしたのはギリシャ神話の時代、自動車が出現して二百数十年、ライト兄弟が飛行機を飛ばして100年以上。この間のさまざまな安全対策にもかかわらず犠牲者は絶えない。

犠牲者の数だけでその安全性を議論するなら、航空機も自動車も廃絶しようという世論が盛り上がらないのは不思議なことである。「プロメテウスの第二の火」が実用化されてわずか半世紀余り。

プロメテウスならいま原発の未来の存亡をどう占うだろうか。こう言うかもしれない。

「人類はまだ新しい火の扱いに慣れていないだけだ」と。

人類は、脳細胞に刻み込まれた甘い果実の記憶を容易には消し去ることは出来ない。核武装はともかく、日本が原発を放棄・廃絶することはありえない。

2013年12月22日

◆足の血管にもステント

石岡 荘十


数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。

このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については、以前本メルマガ「齢は足にくる」

http://www.melma.com/backnumber_108241_4132433/

で述べたとおりだが、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は、典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば「脳梗塞」になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると「狭心症」、詰まると「心筋梗塞」になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

このあと、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。

ステントは、ステンレスで出来た金網のチューブである。これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは、新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。

2013年12月07日

◆皇女和宮の死因は急性心筋梗塞

石岡 荘十


簡単におさらいをしておくと、和宮は弘化3年(1846年)仁孝天皇の第8皇女として生まれるが、公武合体を図る幕府の画策の末、文久2年(1862年)、14代将軍徳川家茂の妻となった。ともに16歳だった。

慶応元年、家茂は20歳のとき、長州征伐のため大阪に赴いたが、翌年大阪城で病死する。死因は脚気だったとされている。

脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害、下肢のしびれ、心臓の機能に異常を起こす原因となり、心機能の低下、心不全(衝心)を起こすことから、昔から「脚気衝心(かっけしょうしん)」と呼ばれている。

NHKのドラマでは、家茂は江戸城で胸をかきむしって、最後は、勝海舟に抱きかかえられて息を引き取るシナリオとなっている。現代の病名で言うと、脚気から急性心筋梗塞を起こした、というのが定説である。

「将軍家十五代のカルテ」(新潮新書 石川英輔)によると、3人の将軍が脚気衝心で死んでいる。10代・家治、13代・家定、それに和宮の夫15代・家茂の3人だ。

10代・家治の頃(在職1760〜1786)から江戸の裕福な家庭では、ビタミンB1を含む米糠や玄米を丹念にといだ精米をたべる習慣が広まった。

まず富裕層に患者が多発、江戸末期には一般庶民にも患者が出るようになったことから「江戸患い」と呼ばれたという。115代桜町天皇(在位(1735〜1747)もこの病に冒されて亡くなったという説もある。

さて皇女和宮である。

和宮は夫・家茂の死後、大政奉還の後、1868年、江戸城を出て一時、江戸に住んでいた。明治になって京都に帰ったが、東京に移られた天皇の勧めで明治7年、東京に移住。

それが<数え32歳の頃、脚気の病になり、明治10年8月7日から箱根塔之沢「元湯」に静養のため滞在、(中略)26日目、俄かに衝心の発作が起こり>(以下、ウイキペディア)、他界した。

つまり現代医学で言うところの脚気の合併症たる急性心筋梗塞で亡くなったと考えられる。

脚気は明治時代、日本の風土病と考えられ、都市部の富裕層や陸軍に多発していた。が、じつは<脚気は栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である>

海軍では高木がパンや麦飯を出したところ、海軍では脚気を根絶した。

ところが陸軍では森林太郎(森鴎外)らが麦飯に反対。麦飯しか食えなかった田舎から徴兵した健康な兵隊に白米を食わせ、多くの脚気患者を”生産“するという皮肉な結果を招いた。

日清・日露戦争では戦死者より多い数万人の兵士を脚気で病死させている。麦飯を支給した海軍に病死者はなかった。

明治天皇も脚気に苦しみ漢方による食事療法を希望視したが、森を中心とするドイツ系学派の侍医に反対され、西洋医学そのものに不信を抱いていたといわれる。(この項については、主宰者がいつだったか詳しく書いている)。

原因がB1欠乏と分からないまま、<大正時代以降、精米された白米が普及し、副食を摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで2大国民病とまで言われた>

脚気が根絶されたのは1952(昭和27)年になってからだ。ビタミンB1の工業生産に成功し、安く簡単に摂取することができるようになったためだ。

ところが、1972年に脚気が再燃したことが、日本内科学会誌で取り上げられている。原因は若者を中心に、砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードをよく食べるようになったためだといわれる(糖分の消化にビタミンB1を大量に消費するため)。

脚気は心臓にダメージを与える。心筋梗塞は老人の病気だという考えが一般的だが、若い人の食生活を見聞きすると、家茂・和子夫妻がそうだったように、若くして脚気衝心から急性心筋梗塞を発症する患者が増えてくる恐れがある。


2013年12月03日

◆齢は足にくる

石岡 荘十


学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。

しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。

それから、少なくとも1キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。

脊柱管はどこも狭くなっているところはない。しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の1割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。これを立証するのが、「血圧波検査」だ。

両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。展望は開けた。近々、トライしようと思っている。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。

原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。

それにしても、同じ世代の主宰者は毎日、万歩を続けているという。奇人というしかない。                               (ジャーナリスト)

2013年11月18日

◆せめぎ合う内科と外科

石岡 荘十


医療技術の賞味期限は5年、といわれる。心臓疾患治療の分野もその例外ではない。

心臓の筋肉にエネルギーを送り届ける冠動脈の血管が狭まって血液が流れにくくなるのが狭心症、完全にふさがってしまうのを心筋梗塞という。こんな病状の患者の治療法をめぐって、内科医と外科医の陣取り合戦が繰り広げられている。

とりわけ、心筋梗塞の治療法は、かつては心臓外科医の独壇場だった。手術は胸の胸骨の真ん中を縦に真っ2つ切り離し、肋骨、つまり胸板を持ち上げて心臓を露出し、人工心肺を取り付けて、全身への血液循環を確保しながら、心臓に張り付いた冠動脈の詰まったところをまたぐように別の血管を吻合(縫い合わせる)し、詰まった部分をまたいでバイパスを作る。

開心手術というが、医者にこんな説明を受けた患者は例外なく衝撃を受ける。だけでなく、その後肉体的にも患者には大きなダメージとリスクを強いる手術が待っている。

そこで、内科医は考える。

「心臓を露出しないで、詰まった血管を開通させる方法はないのか」と。

考え出された治療法が、細い管(カテーテル)を、血管を通して心臓まで挿入する。狭くなった部分にカテーテルが到達すると、そこで先端に仕掛けられたフーセン(風船)をぷっと膨らませて狭くなったところを広げる。

あるいは、先端に仕掛けられたドリルで血管にこびりついたコレステロールを削り取ったり、最近、脳梗塞治療薬として人気が高まったt-PA で血栓を溶かしたりする方法だ。

崖崩れでふさがったトンネルをあきらめてバイパスを作る外科心臓手術か、土砂を取り除いてもともとのトンネルを開通させる内科治療か。

この判断は、まず、最初に患者の診断をする内科医が行なうが、内科医によるトンネル再貫通(カテーテル)方式は、1度貫通しても、かなりの患者の血管がまたふさがる(再狭窄)、何度も手術をしなくてはならない。これが欠点だ。

一方、外科手術は患者に与える精神的な衝撃だけでなく、全身麻酔や人工心肺がもたらす肉体的なダメージやリスクも大きいが、同じ部分が再狭窄するリスクだけは避けられる。

一長一短だ。
そこへ登場したのが内科医によるカテーテル治療の新兵器「ステント」である。

ステントは金網でできた筒。まず、風船で押し広げたところへ、これそっと挿し入れて置き去りにすると、そこは再び狭窄しなくなる。掘ったトンネルを中から強固な金属の管で補強するような治療法だ。

しかし、ステントの金属が血管を傷つけて炎症を起こし、2・3割がまた再狭窄へ向かうという問題が起きる。

これを阻止できないか。

そこへ「薬剤溶出性ステント」が米国で03年4月に登場し、日本でも04年4月から使われるようになった。新型ステントは再狭窄を防ぐ効果のある薬(シロムスリ)が塗ってある。

これが少しずつ溶け出して、再狭窄を防ぐ。再狭窄率は最大5%へと激減した。ほとんどゼロだった。世界の内科医軍団は、もはや心筋梗塞治療で外科医の手を借りることはなくなった、と胸を張った。

外科医によるバイパス手術と内科医によるカテーテルの割合は欧米で1対1だった。日本では1対3から4だったが、それが1対7か8となり、間もなく10人中9人がカテーテルという時代になるのではないか。

しかし、世の中そんないいことばかりあるわけない。問題が起きた。

血管内に異物であるステントを入れると、血栓ができやすくなり、かえって心筋梗塞を起こすリスクが高まる。それを防ぐ薬を使うと、今度は重い肝臓障害などの副作用が出て、死に至るというケースも報告された。あちら立てればこちらが立たずというわけだ。

一方、外科医も指をくわえてこんな状況を見ていたわけではない。外科手術の分野では、胸は開くが人工心肺も使わず、心臓を動かしたままバイパス手術を行なう手法(心拍動下CABG)や、胸も開かず、胸を6〜7センチ切るだけで、そこから手術器具を挿入、バイパス手術を行なうというすでに評価の定まった“名医”も登場している。

心筋梗塞治療をめぐる内科医と外科医の陣取り合戦はさらに熾烈なものとなるだろう。

ちなみに、治療費である。
・人工心肺を使った冠動脈バイパス術 : 300万〜400万円
・使わないバイパス術: 200万円くらい
・カテーテル治療:技術料などを含めると100万円ほど。

額面の値段では内科方式に分がありそうだが、副作用の問題もある。治療費用は一定額を超えるとほとんどが戻ってくる高額療養費制度もあるし、致命を回避する費用としては、大差ない差額といえそうだ---。

さて、そうなったら、♪あなたならどうする? (了)


2013年11月08日

◆「革命ごっこ」の記録

石岡 荘十


日米安保条約は、いまや日本の安全保障にとって皮膚のような存在となったが、条約の改訂(’60)と延長(’70)をめぐって、国中が轟々と揺れ動いた時代があった。

その時代、学生でありながら条約の延長に鋭く牙を剥いた若者たちの生き様の記録ともいえる映画「実録・連合赤軍」(監督・若松孝二)を観た。

あれから40年余年だから、「連合赤軍」とは何か、いささか説明が必要だろう。

その母体は赤軍派である。当時京都大学生で共産主義者同盟(ブント)のメンバーだった塩見孝也が、「こんな生ぬるい運動では70年安保は乗り越えられない」という危機感から、関西地方の学生を糾合して結成した超過激派集団で、塩見本人が議長におさまった。

警視庁で公安・警備事件担当の記者だった当時のメモをひっくり返してみると、赤軍派が公然と名乗って姿を現したのは1969年9月4日の東京・葛飾公会堂での結成大会だった。

300人ほどが女物のナイロンストッキングを頭からかぶって、「われわれはーぁ---」と“新左翼用語”をわめきまくる変な集団だった。

その年、治安当局は日米安保条約の自動延長を翌年に控え、正月早々東大安田講堂の”城攻め“を敢行、これで学生運動は急速に沈静化するだろう、と肩の力を抜きつつあった。

そのころ、塩見赤軍派議長は、山梨県の大菩薩峠で“軍事訓練”をするが早朝、山梨県警・警視庁の機動隊に寝込みを襲われ、53人が逮捕(‘69.11.5)されて失敗。

併行して、航空機をハイジャックしてキューバか北朝鮮で本格的な軍事訓練を受け、日本に帰って革命を実現しようと計画する。ところが、塩見は計画実行直前に治安当局に察知され、東京・駒込のアジトを出たところで逮捕される。その日は一人息子の満1歳の誕生日だった。

が、残る“同志”9人が2週間後(‘71.3.31)、日航機「よど号」をハイジック、北鮮に飛びこむ。逮捕された塩見元議長の手帳に「HJ」の文字があったが、これがハイジャックを意味すると分かったのは、事件後のことだった。それからは、4人が北鮮で生存している。

塩見がシャバに出てきたのは20年後(‘89.12.27)だった。

その間、「革命は銃口から生まれる」という過激理論のもと、京浜工業地帯の労働者や学生で結成した京浜安保共闘(革命左派)は、米大使館や米軍基地を火炎瓶で攻撃したり、各地での銀行強盗や拳銃を狙って交番を襲ったりするが拳銃強奪は失敗。

が、71年2月、栃木県真岡市の銃砲店を襲って、遂に、銃と銃弾を獲得する。この武装左派集団と赤軍派が地下でひそかに接触、ドッキングする。これが「連合赤軍」だ。それで、その後、彼らはどうなったのか。

これまでにも、「光の雨」(’01)、「にっぽん零年」(‘02)、「突入せよ!『浅間山荘事件』」(‘02)などで映画化されているほか、関連の出版物も少なくないが、今回の「実録・連合赤軍事件」は、当時の実写フィルムと、無名の役者を使ったどぎついドラマ仕立ての演出画像を巧みに組み合わせて、彼らの行動・心理に入り込んで、ドキュメンタ
リータッチで描いている。

若松監督は私と同世代(72)のちょっと太りぎみの男で、若い時代、いわば赤軍派を頂点(?)とする極左学生運動のシンパだった。

映画の公開に先立って2月、都内のライブハウスで、あるフォーラム開かれた。塩見元議長や若松監督も交え、若き日の専門用語「路線」と「運動」の「総括」について深夜にわたって“極左専門用語”で延々と議論を交わした。

しかし、言語明瞭、意味不明。これでは今の若い人たちに理解されるわけもなく、老人の懐旧マスタベーション大会で終わった。

いわゆる羽田闘争(‘67)から、浅間山荘事件(‘72)まで、公安事件のほとんどを現場で目撃し、取材し、中継リポートし、ニュース原稿を書きまくった。その経験からいうと、どう理屈をつけようと、彼らの理想・行動は所詮、屁理屈で、現実離れした「革命ごっこ」に過ぎなかった、と私は総括している。

法治国家という建前でいえば、彼らは破壊活動・殺人・強盗・監禁---破防法、刑法上の犯罪集団に過ぎなかった。その動機・思想・目的が”世直し“だったからといって、正当化されると考えるのは甘ったれでしかない。

彼らが自分勝手な高邁な(?)理論を展開して群馬山中アジとで殺した12の人柱は、世直しのなんの足しにもならなかった。彼らはいわば赤軍派の”鬼っ子“だった。彼らが「銃を持って立ち向かった」と豪語する警察機動隊は、権力の心臓部からは程遠い、じつは手足に過ぎなかった。

大菩薩峠事件に引き続き警察部隊を率い、浅間山荘で被弾、警視庁公安部の内田尚孝警部(死後2階級特進で警視正)ら警察官2人が殉職しているが、その後、時代は何事もなかったように進行している。

しかし、映画は、あの時代に何が起きていたのか再確認する手がかりとして、同時に、若さとは何か、今の若者との対比を考える上での記録として、一見に値する。

浅間山荘事件へ至る”連続殺人”の主犯である永田洋子(63)は、死刑判決が確定し、脳腫瘍を患いながら獄中にある。山中のアジトを2人で抜け出して、東京都内で永田と肉体関係を結んでいたと言われる元塩見の部下・森恒夫は逮捕された(’72)翌年の元日、東京拘置所内で首吊り自殺している。
 
懲役労働で、20年間、国家に扶養されて生き、出獄した後、いまだ革命家を自称している塩身元議長(66)は、「獄中ボケが治っていない」と一部の元同士から批判される中、雑誌、新聞の原稿料、講演料、本の印税などで生活の糧を得ていたが、最近は大型スーパーで駐車場の管理の仕事をしている。

2013年10月10日

◆BNP検査をやってみよう

石岡 荘十(ジャーナリスト)

病院に心臓の薬の処方箋をもらいに行ったついでに、馴染みの循環器内科の女医さんの部屋に顔を出して「風邪のせいかなんとなくしんどい」と訴えると、「BNP検査をやってみましょう」とに勧められた。

14年前、大動脈弁を人工の機械弁に置き換える心臓手術の経験をして以来、ヒマにあかせて、臓病関連の本を読みまくり、挙句、手術体験記(『心臓手術』 文藝春秋刊)を上梓したりした。

だから、こと循環器系疾病に関しては、人並み以上の知識を持っていると自負していたのだが、「BNP検査」は聞いたことがなかった。

で、詳しく訊いてみると、これはなかなか役に立ちそうなので、日本人の死亡原因第2位の心臓疾患の予備軍である高齢者向けに、聞いた話の受け売りをする。

BNPは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」のこと。心臓に負担がかかると心臓の、主として心室から、一部は心房から血液に分泌されるホルモンの一種である。

血液検査で心臓にかかると交感神経を抑制したり、心臓が肥大する異常事態を防いだりする働きがある。

心臓にかかる負担が大きければ大きいほど多量のBNPを分泌するので、その分泌量を測ることで、心臓にかかっている負担の度合いを測定することが出来るというわけだ。

臨床的には、心筋梗塞、心不全の診断や治療・手術の後の判定によく使われる。血液検査で心臓の不具合の程度を測定できる唯一の検査だという。

心疾患の重傷度、つまり心臓がどの程度いかれているかの分類方法にNYHAという分類の仕方がよく知られている。「ニハ分類」、または「ナイハ分類」と読む。ニューヨーク心臓協会が定めた方法だ。4段階に分類してある。

・!)度 日常生活では症状は起こらない
・!)度 安静にしているときには症状は出ないが日常生活をすると疲れ、動悸、呼吸困難、狭心症  の症状が起きる
・!)度 軽い日常生活でも疲れる、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる
・!)度 安静にしていても胸に違和感を覚えたり心不全の症状や強心所の症状が起きたりする

このうち、健康診断などで心臓疾患の有無を診る方法で一番一般的な心電図検査だけでは、!)度の発見は困難だとされ、見逃されがちだ。!)度(軽度)もほとんど自覚症状がないこともあって、そのまま進行することが多い。

NYHA 分類は、自分である程度判断できるが手がかりにはなるが、感覚的な分類であるところが弱い。

こに対して、BNP検査で濃度を測定すると!)度、!)度もはっきり検査数値で確認することが出来る。

BNP値100pg/dl以下だと「心疾患なし」(pg/dl:ピコグラム・パー・デシリットル、ピコグラムは1兆分の1グラム)

私の検査結果は77・5でセーフだった。
100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。
200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。

日本人の年間の死者は110万人。死亡原因の第1位は癌で3割、2位の心疾患と3位の脳疾患を併せて3割、この3つで6割の人が亡くなっているが、病名別にではなく臓器別に見ると、心臓疾患による死者(17万3000人余)が一番多い。高齢者は明らかにこの予備軍である。

他の病気と同じように、心臓病も完治を目指すなら、「早期発見、早期治療」が鉄則である。
・なんとなく胸の辺りが重苦しい人
・血圧が高い人
・タバコを吸う人
は、健康診断や人間ドックの折にでも、オプションだが一度、心電図検査と併せて、BNP検査を申し出てみてはどうだろう。

(注) BNP:brain natriuretic peptide
                        

2013年09月14日

◆ハートセンター続々開業

石岡 荘十


心臓病だけを専門に治療するハートセンター(以下、HC)は、分かりやすくいえば、総合病院の循環器内科、心臓血管外科が分離独立した心臓病治療専門の、いわば専門店である。

日本で初めて発足したHCは、豊橋ハートセンター(‘99)、次いで葉山ハートセンター(’00)、三重ハートセンター(‘04)、そして名古屋ハートセンターの開業だった。

心臓専門病院草分けの豊橋は、循環器内科・外科あわせて医師21人、開業以来10年ほどで2000例、最近は年間250例の手術実績を誇っている。

名古屋は、医療法人澄心会が経営する豊橋と同じグループで、その「遺伝子を受け継いだ」(院長)という病院はモダンな鉄筋5階建て、名古屋駅からさほど遠くないところ(名古屋市砂田橋)にある。

ベッド数63床、ドクターは循環器内科医5人、心臓血管外科医3人の少数精鋭でスタートする。

医療技術は賞味期限5年といわれるが、患者治療や症状検査の機器も日進月歩、最新設備が欠かせない。手術・治療を中心とする2階の部屋は、まるでコンピュータを駆使した最新医療機器の展示場のようだ。

その1.
128マルチスライスCT装置。(シーメンス社製)。CTは人の体を薄く輪切りにした映像を描き出すことによって病変部分を特定する装置だが、撮影のスピードや解像度などによって4スライス、8スライス、16スライス---と進化し、2~3年前までは倍々ゲームみたいに機能を向上させた64スライスが最新といわれたものだ。それがここのCTは128スライスに達した。

5ー10秒で心臓を128枚の画像を切り出し、これを合成して生々しい心臓の立体三次元映像をカラーで描き出す。

その2.
3台の4D心エコー(フィリップ・東芝・GE社製)。動いている心臓をリアルタイムで3次元画像で映し出し、高度な弁の形成手術や異常に拡張した心臓の筋肉を部分的に切り取って心臓を小さくするメイズ手術を行なうとき、また心臓の機能を正確に評価するときなどに使う。

その3.
心臓血管造影装置(シーメンス社製)。カテーテル(ビニールの細い管)を足の付け根から心臓まで挿入し、狭窄した心臓の血管を開通させる手術(PCI=経皮的冠動脈形成手術)のとき、360度の方向から自由自在に血管を撮影し、ドクターを助け、手術時の事故防止に役立てる。

この機種は2007年暮れアメリカで発売が開始されたもので、日本国内では未だ最新鋭機器である。

これらの機器はいずれも1−4億円。まあ業界の常識で6−7掛けだとしても投資額がいかに膨大なものか分かる。

そうは言っても機械が手術をするわけではないので、ドクターの”品質“が問われることになる。

「神の手」を持つといわれるのは、米田正始元京都大学血管外科教授(外科)である。米田医師は「大学病院では出来なかったことをやりたい。どんな重症の患者も断りません。息のある間に(患者を)連れてきてもらえば、最善を尽くし何とかします」と豪語する。

そんな病院が出現したのでは、周辺都市を含む県内の心臓病の診療科はあがったりになるのではないかと心配になるが、高齢化で心臓患者は激増する傾向にある。

しかも、大学病院を含め、土日は休み、中には重症患者は自信がないのでお断りというところが多いのが現状だから、「365日、24時間対応」を謳ったハートセンターと周辺病院とは、いわば持ちつ持たれつの関係で、歓迎されているという。

ある大学の循環器科の若いやる気のある医師からは、小さな声で「雇ってほしい」と打診してくるものもいるという。それどころか、ある大学の医局長(教授)までが、「もう少し若かったら手を挙げるところだ」と、ささやくそうだ。

ハートセンターは岐阜市でもオープンした。さらにその後、大阪以西のある県でも、開業する計画が進んでいる。            (ジャーナリスト)