2013年04月06日

◆基礎疾患に注目しよう

石岡 荘十



「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。


内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、13年前、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50余年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、術後8年目(‘07年)、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。        

2013年03月22日

◆プロメテウスは今なにを思うか

石岡 荘十


いうまでもなくプロメテウスはギリシャ悲劇に登場する火の神。天界にあった火を人類にもたらしたことで主神ゼウスの怒りを買って山に縛り付けられ、日々、鷲に肝臓を食い荒らされるという責め苦に遭う。

しかし肝臓は夜間にしぶとく再生し、プロメテウスは生き延びたとされる。原発災害を聞いたときすぐ思い出したのがこのプロメテウスの神話である。原発が世に出たころ、「プロメテウスの第二の火」と呼ばれていたからだ。

火が人類にもたらした利益は測り知れない。が、その一方で、人類に甚大な災禍をもたらした歴史的事実もまた否定することは出来ない。

にもかかわらず、ヒトの存在は最早、火を抜きに考えることは出来ない。他の動物との違いヒトのヒトたる所以は火を使いこなす動物だということだ。人類の歴史はプロメテウスがもたらした果実の歴史だったとも言えるだろう。

時代はずっと下ってダイナマイトが発明される。1866年のことだ。ダイナマイトがもたらした禍福もまた、火に劣らないどころか、その禍のスケールは火の比ではない。

ノーベル賞は発明者アルフレッド・ノーベルはダイナマイトがもたらした禍を償うことにあった、と昔習った。発明者は自爆テロを想像もしなかっただろう。

ついでに言うと、航空機や自動車という「文明の利器」の事故が原因となった世界中の犠牲者は、数え切れない。その禍はいまだとどまるところを知らない。それでも、人類は、その利便性に目がくらんで、手放すことが出来ないでいる。

そこで、原子力である。

西側で初めての商用原子力発電所を作ったのはイギリスである。1956年のことだった。以来、世界31カ国で435基が稼動中だ。計画中のものを併せると500基を超える。

この間、スリーマイルやチェルノブイリなどで世界を震撼させるような放射線漏れの大事故を起こしているが、今回の福島原発事故はそれに劣らない衝撃を世界に与えている。

そこでこれを機に、原発なんか要らないという反原発世論が日本だけではなく世界中で巻き起こっている。しかし、冷静に振返ると、火、ダイナマイト、航空機事故、自動車事故の犠牲者に較べ、まだ核による犠牲者それほど多くない。ヒロシマ、ナガサキの犠牲者を、核の犠牲者だと考えても、である。

東電も政府も安全対策の前提が甘かったと認めている。特に津波について、福島原発はチリ地震津波(1960年)のマグニチュード8,5を最大と想定しての安全対策だったことが問題だった。

その意味で「想定外」だった、と。貞観地震(869年)にでも耐えられる高いハードルを前提で福島原発が作られていたら反・脱原発の世論は起きなかっただろう。

原発の事故対応に国内外が一喜一憂しているが、ここを切り抜けることが出来れば、その功罪、得失、教訓を併せた反面教師としての原発事故安全対策のジャパンモデルケースとして標準化される時代が来るかもし
れない。

人類が火を手にしたのはギリシャ神話の時代、自動車が出現して二百数十年、ライト兄弟が飛行機を飛ばして100年以上。この間のさまざまな安全対策にもかかわらず犠牲者は絶えない。

犠牲者の数だけでその安全性を議論するなら、航空機も自動車も廃絶しようという世論が盛り上がらないのは不思議なことである。「プロメテウスの第二の火」が実用化されてわずか半世紀余り。

プロメテウスならいま原発の未来の存亡をどう占うだろうか。こう言うかもしれない。

「人類はまだ新しい火の扱いに慣れていないだけだ」と。

人類は、脳細胞に刻み込まれた甘い果実の記憶を容易には消し去ることは出来ない。朝日と毎日は脱原発の方向に舵を切ったようだが、核武装はともかく日本が原発を放棄・廃絶することはありえないと思う。(再掲)
              

2013年03月09日

◆いま必要な「サラダ・ボウル理論」

石岡 荘十


日本では小さいときから障害を持つ子ども達を、特殊な存在として特別な学校で教育をすることが当然のように行われている。障害を持ち、盲・聾・養護学校で特別な教育を受けている児童・生徒は約10万人に上る。

「普通の学校へ通わせたい」

親がこう希望しても、障害を持つ子が一般の学校への入学を果たすには多くの困難を伴う。受け入れられると、上記の地裁決定のように、それが美談風なニュースになるほど稀である。

さすがに最近では、障害を持つ子どもが、障害を持たない同じ年代の仲間と一緒に学び成長していくことが、双方の人格形成に大きな意味を持つとして、障害児が一般の小・中学校で教育を受けるケースが増えているそうだ。しかし、まだまだ十分とはいえない。

私たちは障害を持った人をどのような存在として考えたらいいのだろうか。

福祉国家として知られるデンマークで「ノーマライゼーション」という考え方が生まれたのはいまから半世紀以上前のことで、社会福祉を考える上で極めて重要な理念だといわれてきた。

ノーマライゼーションの理論は、はじめは、障害者が社会に適応していく手助けをする、そのことによって障害者が出来るだけ普通の社会に適応できるようにする、障害者をノーマルにするという考え方だった。

道路の段差を無くす、駅にエレベーターを設置する、車椅子の購入費を補助する------「まだまだ」と批判されながら、国や自治体の行政レベルで進められてきた様々な支援策の根拠になっている思想だと言ってもいいだろう。

このような施策は「同化主義」、つまり健常者を基準にして作られている社会のバリアーをなくし、障害者が健常者主導の社会に同化できるよう手助けをしようという考え方だ。

しかし、そこには多数の健常者がノーマルな存在で、障害者は「特異な存在」だという偏見がある。このような初期のノーマライゼーション理論には限界がある、と批判された。

そこに登場したのが、「多元主義」という考え方である。障害者を特異な存在としてではなく、当たり前の存在としてありのまま受け入れ共に生きていこうというものだ。このような考え方を、「サラダ・ボウル理論」と言っている。

一つひとつの野菜の個性をそのまま残しながら、いろいろな種類のナマの野菜をサラダの入れ物(ボウル)に盛りつけることで、別の味覚を創造する。そんな社会をイメージした理論だ。

障害者が健常者に近づくのではなく、目が見えない、耳が聞こえない、歩けなくとも、手助けは必要だが、そのままノーマルな存在として受け入れられるという考え方である。

重要な認識は、障害者をノーマライズするのではなく、健常者がひそかに持っている偏見をノーマライズするということだ。このような認識でいうと、現実は、明らかに健常者サイドに問題がある。

障害を持つ子どもは特別の教育施設に“隔離”されている。そんななかで、“普通”の学校で育った子どもに、大人になって突然、「障害者を特異な存在と思うな」と言っても、長年、無意識のうちに刷り込まれてきた差別意識や偏見を拭い去ることが出来るだろうか。

ノーマライズされなければならないのは、むしろ健常者と言われる人々が抱いている差別意識や偏見だと言えるのではないか。

自宅近くに聾学校があり、手話で話す生徒とバスに乗り合わせることがよくあるが、健常者と見られるほかの乗客が彼(彼女)らを「当たり前の存在」と受け入れている様にはとても見えない。

中には、見てはいけないものに出逢ったとでも言うように、ことさら目線を外らす気配さえ感じさせる。手話に興味津々の子どもの手を引っ張って、顔を無理やりそむけさせる親もいる。

「何で自分が-----」「まさか自分が------」

大きな病気になると、誰もがそう思う。ある調査では、障害者と認定された人、心臓病と診断された人は、100パーセントそう思うという。だが人は経験して学習する。

心臓手術の後、私は身体障害者となった。その経験は、身障者のことを改めて考えさせる “絶好”の大事件であった。よく言われるように「障害はその人の個性」である。自分もその個性を与えられたことで、別の世界が見えてきたような気がする。

日本は猛スピードで高齢社会に突き進んでいる。だから養老院、高齢者向け養護施設が盛んに造られている。それも空気のいい郊外に多い。

しかし、こうして高齢者をまとめて街から遠ざけ、若い世代の人たちの目に触れないところに体よく“隔離”する施策がノーマルといえるだろうか。「養護施設と小中学校は必ず隣合わせに作る」くらいの英断がなければ、「サラダ・ボウル」を目指す意識改革は無理かもしれない。(再掲)
                (ジャーナリスト)

2013年03月07日

◆足の血管にもステント

石岡 荘十


数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。この頃は。50メートルも歩くことが出来なくなった。2月中旬にも「循環器内科」に入院する羽目になった。原因等は追々―。

このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については、本メルマガ「齢は足にくる」で述べたとおりだが、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。

ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。(完)
       <再掲>

2013年02月04日

◆BNP検査をやってみよう

石岡 荘十(ジャーナリスト)


病院に心臓の薬の処方箋をもらいに行ったついでに、馴染みの循環器内科の女医さんの部屋に顔を出して「風邪のせいかなんとなくしんどい」と訴えると、「BNP検査をやってみましょう」とに勧められた。

14年前、大動脈弁を人工の機械弁に置き換える心臓手術の経験をして以来、ヒマにあかせて、臓病関連の本を読みまくり、挙句、手術体験記(『心臓手術』 文藝春秋刊)を上梓したりした。

だから、こと循環器系疾病に関しては、人並み以上の知識を持っていると自負していたのだが、「BNP検査」は聞いたことがなかった。

で、詳しく訊いてみると、これはなかなか役に立ちそうなので、日本人の死亡原因第2位の心臓疾患の予備軍である高齢者向けに、聞いた話の受け売りをする。

BNPは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」のこと。心臓に負担がかかると心臓の、主として心室から、一部は心房から血液に分泌されるホルモンの一種である。

血液検査で心臓にかかると交感神経を抑制したり、心臓が肥大する異常事態を防いだりする働きがある。

心臓にかかる負担が大きければ大きいほど多量のBNPを分泌するので、その分泌量を測ることで、心臓にかかっている負担の度合いを測定することが出来るというわけだ。

臨床的には、心筋梗塞、心不全の診断や治療・手術の後の判定によく使われる。血液検査で心臓の不具合の程度を測定できる唯一の検査だという。

心疾患の重傷度、つまり心臓がどの程度いかれているかの分類方法にNYHAという分類の仕方がよく知られている。「ニハ分類」、または「ナイハ分類」と読む。ニューヨーク心臓協会が定めた方法だ。4段階に分類してある。

・!)度 日常生活では症状は起こらない
・!)度 安静にしているときには症状は出ないが日常生活をすると疲れ、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる
・!)度 軽い日常生活でも疲れる、動悸、呼吸困難、狭心症の症状が起きる
・!)度 安静にしていても胸に違和感を覚えたり心不全の症状や強心所の症状が起きたりする

このうち、健康診断などで心臓疾患の有無を診る方法で一番一般的な心電図検査だけでは、!)度の発見は困難だとされ、見逃されがちだ。!)度(軽度)もほとんど自覚症状がないこともあって、そのまま進行することが多い。

NYHA 分類は、自分である程度判断できるが手がかりにはなるが、感覚的な分類であるところが弱い。

こに対して、BNP検査で濃度を測定すると!)度、!)度もはっきり検査数値で確認することが出来る。

BNP値100pg/dl以下だと「心疾患なし」(pg/dl:ピコグラム・パー・デシリットル、ピコグラムは1兆分の1グラム)

私の検査結果は77・5でセーフだった。
100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。
200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。

日本人の年間の死者は110万人。死亡原因の第1位は癌で3割、2位の心疾患と3位の脳疾患を併せて3割、この3つで6割の人が亡くなっているが、病名別にではなく臓器別に見ると、心臓疾患による死者(17万3000人余)が一番多い。高齢者は明らかにこの予備軍である。

他の病気と同じように、心臓病も完治を目指すなら、「早期発見、早期治療」が鉄則である。
・なんとなく胸の辺りが重苦しい人
・血圧が高い人
・タバコを吸う人
は、健康診断や人間ドックの折にでも、オプションだが一度、心電図検査と併せて、BNP検査を申し出てみてはどうだろう。

検査費用:健康保険は効かないが、2100円。(入院患者の場合は1996年から保険が適用になった)
(注) BNP:brain natriuretic peptide

2013年01月25日

◆ワーファリンにご注意を

石岡 荘十


ワーファリンで危うく死ぬところだった。

その顛末を話す前にワーファリンについてどんな薬なのか、基礎的な“常識”を説明しておく。

ワーファリンは血液をさらさらにする代表的な薬だ。心筋梗塞や心臓の弁を人工の機械弁に置き換えた弁置換手術経験者は血液が固まって血栓を作りやすくなるため、これを防ぐべく処方される。

心臓病患者だけではなく慢性的な脳梗塞患者に対しても、血栓が脳に飛んで細い血管を詰まらせないように予防薬としても使われている。

もともとは、ネズミ取りの薬剤(殺鼠剤、商品名は、強力ラットライス、強力デスモア、ネズミランチdeコロリ)として使われていた。

ネズミにこの薬が入った餌を与えると、目の網膜内の内出血で視力が低下するため明るいところに出てくる。最終的には腹腔内の内出血で死亡するというわけだ。人間に対する治療薬として日本で使われ始めたのは30年以上前の1976年のことだった。

よく言われるように、薬はすべて毒物であり使い方、とくにその量を間違えると、死に至る。薬として有効かどうかは、微妙な量(専門的には治療域という)の調整が欠かせない。

ワーファリンは殺鼠剤に使われるくらいだから、とりわけ服用する量の調整が重要だとされている。

私は‘99年心臓にある4つの弁のうち血液の出口である大動脈弁を機械弁に置き換える手術を受けて以来、毎日朝食後、この薬を飲み続けている。

私の場合、3ヶ月前までは毎日2錠(1mg×2)だったが、最近は加齢の影響もあってか、先月、血液検査の結果、効き目が落ちているとのことで、週3日は、プラス0.5mgの処方を受け、処方箋を病院の周辺に門前市をなす薬局の一つに出した。

エーザイが販売しているワーファリンは、0.5mg、1mg、5mgの3種類の錠剤だから、処方箋に従えば私の適量は
・月、水、金 1mg2錠と0.5mg1錠で合計2.5mg
・残る火、木、土、日は1mg2錠で2mg ということになる

ところが、である。

薬局で手渡された薬をその場で確認すると、0.5mgの錠剤は見当たらず、代わりに袋に入っていたのは5mgの錠剤だったのである。つまり、処方箋で指示された量の10倍の量のワーファリンを薬剤師が出したのだ。

ここでこのことに気づかず、服用したらどんなことになるか。殺鼠剤入りの餌を与えられたネズミになるところだったのだ。おお怖!   

「人は間違う動物」、医療の世界ではTo err is human.とよく言われるが、これは酷すぎる。まかり間違えば業務上過失致死に問われかねない過ちではないか。

いろいろな薬の中で、とりわけワーファリンに対する感受性は個体差が大きい。薬の量は大概、患者の体重によって決まるが、ワーファリンは同じ体重でも、年齢や食生活、疾患の種類などによって適量を厳密に調整する必要のある薬だとされ、同じ人でも、適量(治療域)は変わる。

このため、永年この薬を飲んでいる患者は、少なくとも月に1度は血液検査をして適量を決めなくてはならない。プロトロンビン時間測定(=PT-INR)という検査である。

昔は、トロンボテストという検査が一般的だったが、近年はPT-INRが推奨されている。その標準値は、1.6〜3.0(値が高いほど血が固まりにくい)が理想的である。(「1.8〜3.4 の間であれば、ワーファリンの投与量は変更しないほうがよい」という報告もある)。

私のINRは1.9。適正だった。そこへ、5mgを飲んだりすれば、血液は真水のようにさらさら流れ、体内の臓器、とりわけ脳出血のおそれもあった。

ほとんどの薬は、薬品メーカーが製造、医師が処方し、薬剤師が調剤し、患者は何の疑問も抱かず指示通り服用する。つまり水源から河口まで関係者はすべて性善説に立っている。

ワーファリンの販売元エーザイに確認すると、担当者は、「こんな間違いは初めてのケースだ」という。しかし、どんな仕事もそうだが慣れてくると、そこに’to err’が起こる。メーカーは貴重な教訓とし、包装紙の色を変えるなどの防止策がないか検討するというが、同時に、ユーザーである患者もやばい薬については特に確認をする努力を心がけたいものである。(再掲)

(註)INR:International Normalized Ratio=国際標準比

2013年01月18日

◆心臓外科医600人の専門医資格を剥奪

石岡 荘十


日本胸部外科学会など心臓外科関連の3つの学会で作る心臓血管外科専門医認定機構(以下、機構)は、心臓血管外科専門医の資格を更新するための審査を行った結果、2009年からこの5年間の資格剥奪者が、実に合計600名を越えることが確実となった。

機構は、2004年から毎年、一定の手術実績などを基準に、心臓血管外科医に対し専門医の資格を与えるとともに、2009年からは、資格を取得してから5年を経過した専門医に対して、資格を更新する実績を積んでいるかどうかを審査している。

この結果、昨年の審査で13名の専門医について、専門医資格の更新をしないことを決め、その資格を剥奪した。さらに、今年、25名が専門医の資格を失う見通しとなった。

これによって、この5年間に資格を剥奪された専門医は600名を超え、608名となることがわかった。

資格更新の審査は、決められた学会への出席回数、論文の数、手術実績などが決められた数に達しているかなどで判断されることとなっているが、とりわけ問題なのは手術実績だ。

専門医となってから「5年間に100例の手術を経験していること」が資格更新の絶対条件とされている。5年間で100例、ということは年間平均20例、つまり月に1〜2例の手術をやっていれば資格を更新することが出来る。

国やベテランの心臓血管外科医は、手術に必要な技術力を維持し、安全な手術を行うためには年間少なくとも100例の手術を毎年こなし続ける必要があるとしている。

このことを考え併せると、年間平均20例というのは資格更新の基準としてはいかにも甘すぎる。これは人の心臓にメスを入れる専門医の資格更新のハードルというより、水溜りをひょいと超えるような軽いものだ。にもかかわらず、600名もの多くの専門医がこれをクリアできなかったことが明らかになったのだ。

ということは、この600名を超える心臓外科医は「専門医」という看板を掲げて、素人に毛の生えたような未熟なウデで心臓にメスを振るってきたことになる。

振返ると、機構が専門医制度を始めたのは2004年のことだが、当初から専門医資格取得条件を「手術実績20例」としていたため、ベテラン医師からは、「危ない。この程度の手術経験しかない医者を専門医と認定するようでは、医療事故が起こる」という批判が絶えなかった。

案の定、制度発足直後、同じ病院(東京医科大学)で未熟な専門医が手がけた手術で、4人の患者が次々と死亡する“事件”が、内部告発で明らかになった。この外科医の年間症例数は40例に過ぎなかった。

このため、機構は専門医認定に必要な手術症例数を「数年間で50例」と引き上げたものの、業界の常識とも言える「年間100例」という基準には遠く及ばない。受験者に“優しい”ものだった。

欧米(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)、オーストラリアでは専門医は1ヵ月150例から250例の手術をしている。日本は世界各国に較べても認定基準が甘すぎるのだ。

結果、専門医の数は年々増え続けた。専門医制度が発足した2004年、1453名だったものが、昨年(2012年)には1816名となった。毎年数十名から数百人の資格を剥奪しているものの、その一方で低いハードルをクリアした“新人”専門医がぞくぞくと誕生しているのだ。

日本で心臓手術が必要とされる患者は6万人と言われるが、専門医は1816名(2012年現在)。単純計算すると、専門医1人当たりの手術症例数は23例に過ぎない。要するに、産婦人科や小児科などで深刻な医者不足が問題となっているなかで、この分野だけは患者の数に比べて専門医の数が異常に多すぎるのである。

心臓血管外科の執刀医には、脳神経外科と並んで、高度で微細なテクニック(手技)が要求される。

鉛筆の芯ほどの微細な何本もの血管を髪の毛より細い糸ですばやく縫い合わせる高度な(縫合)技術は、心臓血管外科外科医にとって基礎的だが必須の技術である。

この技術をマスターするのは容易なことではない。少なくとも数百例の手術経験を積んではじめて習得できるといわれる。しかも少なくとも年間100例という実績を重ねていかなければ、そのスキルを維持できない。

にもかかわらず、年間平均20例というハードルの低い資格更新審査もクリアできない多くの “えせ専門医”が野放しになっている。

手術を受ける年間6万人の患者の命を常に危険にさらし、未熟な専門医の手術によって人知れず犠牲者が出ているのではないかという懸念を裏付けるものだ。

機構の幕内晴朗元代表幹事(聖マリアンナ医科大学病院長、心臓血管外科教授)は「東京医科大学“事件”のようなケースがないとは断言できない」という。なんぼなんでもとは思うが「何とかに刃物」状態では?---という言葉が浮かぶ。

数に限りある患者を、多過ぎる心臓血管外科専門医と中小の病院が奪い合う構図が浮かび上がってくる。この渦中に巻き込まれる患者はたまったものではない。なかには、カテーテル治療などの内科的な治療法でも治る患者まで、手術室に引きずり込んで外科医がメスを振るうというケースもある、と噂されている。恐ろしいことだ。

「神の手」を持つといわれる現役バリバリの心臓血管外科外科医、東京ハートセンター(東京・品川)の南淵明宏センター長は「1ヶ月の手術20件なんてチャンチャラおかしい。こんな専門医を送り出す専門医認定機構は、詐欺みたいなもので、患者にとっては百害あって一利なしだ」と切って捨てる。

南淵医師は「(助手を勘定に入れても)日本で必要な実数は500人程度」と言い切っている。もっと厳しい見方をすれば、現実は専門医1800名余のうち、毎年100例以上の手術を執刀する、プロと呼べる外科医は100人ほどに過ぎないという。

毎年数百例を手がける天皇陛下の執刀医・天野篤順天堂大学教授や南淵医師クラスの名医となると、20名ほどに過ぎないという。毎年、専門医資格を更新しているといっても、心臓病患者はよほど慎重に医師や病院を選ばない限り、知識も技術も未熟な危ない専門医の手にかかる危険な状況であることに変わりはない。

心臓や血管の疾患は、高齢社会の宿痾とでもいうべき病である。筆者は、昨年はじめ「多過ぎる専門医」がはらむリスクについての特別リポートを、本紙で明らかにしたが、状況は一向に好転していない。

心臓関係の学会は「医者の、医者による、医者のための仲好しクラブだ」という批判も聞こえてくる。機構は自浄能力を失っている。ならば、世論に期待したいところだが、少なくとも大手マスコミで資格認定制度や更新制度とこれがもたらすリスクをまともに取り上げたところはなかった。

マスコミ各社の医療担当記者の奮起を熱望する。

(いしおか・そうじゅう) 1935年京都市生まれ。NHK社会部OB。著
作 「心臓手術 〜私の生還記〜」(文藝春秋社刊)


2013年01月17日

◆判って貰えないがん患者の性

石岡 荘十


子宮、卵巣、子宮頸がんなど女性特有のがんを患い手術を受けた女性は、もう女ではないのか、こんな疑問を抱き続けてきた知人が、会員制の月刊誌テーミスの求めに応じて、自分の手術体験をふまえて、術後の女性の性について赤裸々に告白する記事をまとめあげた。

同誌は会員制の雑誌なので、ここに紹介する。

以下、要旨を引用。

「男性の方にうかがいたい。病気で卵巣や子宮を失った恋人や連れ合いのことを『女としてもうおしまいだ』と思っていませんか。婦人科のがん患者はその偏見に悩んでいます」

女性の場合、勃起する、しないに悩みが集中する男性とは異なり、パートナーや周囲の偏見による悩みが大きい。

病院で知り合った同じ病気をかかえる女性患者たちのなかにも、「夫のセックスの相手ができないのが申し訳ない」、「術後の女性の機能を知ろうとせず迫ってこられても、性交痛でセックスするのが嫌だ。

気持ちはあるけど応じられない」、「自分が女じゃなくなったのだから連れ合いが浮気をしても仕方ない」などと考える女性は多かった。しかし、そんな深刻な悩みをどこにも相談できない人もまた多いのだ。

病気をしたり、歳とったりした人は性の戦線からはずれて当然。60歳、70歳でセックスしてるなんて気持ち悪いと平気でいう若者もいます。病気で卵巣や子宮を取ると『もう女じゃないのね』と女性からいわれたこともありました」

女性にとっても、セックスは重要なのだ。命が助かった、仕事にも復帰できると一安心した時、「あのー、できますか?」と回診にきた主治医に思い切ってたずねると医師は、「うーん、性欲がいつ回復するかだけどね・・・。大丈夫だよ」と答えた。その後、退院時に渡された「退院の栞」の性生活についての説明に力づけられた。

「開始時期については個人差がありますので医師の指示に従うのが望ましいでしょう。初めは男性の方が浅いと感じますが性生活を繰り返していくうちに膣の部分が伸びていきます。

数か月で元に戻り、違和感がなくなります。膣の中の縫ってある部分がさけたり、傷ついたりすることはありませんので安心して行って下さい。また、性生活によって病気が再発することもありません。

ホルモン分泌の環境を整えるためには、むしろ積極的に性生活を行った方が良いと考えられています。

卵巣を摘出した方は性交時の分泌が減り、膣が委縮するため性交時痛が起こりますので、潤滑剤リュウブゼリーの使用をお勧めします。今までは、精子の一部が子宮の入り口より中に入り、膣内に排出された精子はすべて流れ出てきます(腹腔内には入りません)…」

退院後、夫に栞を見せ、セックスに挑戦してみた。

「まだお腹の傷も生々しい時期でしたから、お互いにお腹に触れるのが怖く、でも久しぶりの触れあいは素敵で、ただ抱き合い、触り合う時から体は反応して濡れました。

それでも挿入するとき彼はとても心配して『大丈夫?』と聞きました。久しぶりなので緊張もありましたが、始めの痛さはすぐに消えて、気持ちよくなりました。以前のようなオーガズムとは比べようもありませんが、満たされた気持ちで満足しました」

術後3年で夫とは別れたが、新しく出会う人に病気のことは話せても、ベッドに行きたいとはいえない。

「女性器を失っているという劣等感があるからです。婦人科がんを患い、離婚した芸能人カップルのニュースをみるたび、同じ悩みを抱えているのではと思うようになりました」

婦人科がん患者の悩みは病院での治療が終わってから始まる。しかし、医者や看護師との密接な関係はすでになく、相談相手もいない。前述の「栞」の内容を、引け目を感じている女性がパートナーに説明するのは難しい。

「退院する時に医師や看護師が、患者とそのパートナーに病気と性生活についての説明をし、疑問に答えてくれる機会があればどんなに救われるかわからない」。

これまでがん患者は命を救うことが第一とされ、セックスについてはタブーとされてきた。だが、若い世代も含め、2人に1人ががんに罹る時代だ。がん患者のセックスの問題は、生活の質という点からも真剣に取り組むべき時期に来ている。(引用終わり)

筆者は、私の大学の後輩で53歳のときから4回にわたって手術を受けた経験を持つ。高齢域に入って、ようやく率直に話せるようになったと告白している。<再掲>  

2013年01月12日

◆勤務医はほろ酔い状態

石岡 荘十


患者のたらい回しはなぜ起きるのか。このままでは日本の医療は崩壊すると懸念されている。

原因は「医師不足」、あるいは地域や診療科目によって医師の数が多すぎたり少なすぎたりする「偏在」にあると、これまで指摘してきたが、今回は、そんな医療の現場で何が起こっているのか、見ていきたい。

東京大学医科学研究所の「医療再建を目指すワーキンググループ」による論文が詳細な現状分析を行っている。そのひとつが勤務医の労働条件に関するものである。

風邪を引くとか、ちょっと子供の具合が悪いと、一口に「病院にかかる」というが、じつは統計上、「病院」はベッド数20以上の医療施設をいい、ベッド数19以下は「診療所」と分けている。「○○医院」、「××クリニック」と呼ばれる所のほとんどが診療所に分類される、いわゆる開業医である。

日本の医師の総数は27万人。このうち、病院で働く医師が16.3万人、診療所で9.3万人、残りは介護施設、行政機関などで働く医師という内訳になっている。

「ちょっとした病気は近所の診療所で、重い病気は大きな病院で---」

これがほとんどの患者の対応だ。だから妊産婦が診察を受けるところ、陣痛が来て駆け込むのは診療所、近くの医院という人がほとんどだ。

もともとお産は病気ではなく、大半の赤ちゃんは医師のお世話にならなくとも、すんなり産まれるものだという考えがあるからだ。

昔、札幌で駆け出しのサツ回りをしていたころ、軒下で雨宿りをしていた婦人が、立ったまま出産をした”事件“を取材したことがある。

それが近年、高齢出産のケースが増え、これに伴う異常分娩が増えていることもあって、“正常な”妊婦までが周産期(妊娠満22週以降)に入るやいなや入院して、医師に見守られながら出産を待つ妊婦まで出てき
た。

ところが誤解を恐れずに言えば、診療所の医師9万人のほとんどは、異常分娩の妊婦、重症の救急患者治療については無力で、正常分娩をただ見守るだけといっていい。

いざ妊婦に異常、例えば脳出血のような症状や胎盤が子宮に癒着し帝王切開しなければならない事態が起きて医師の出番となっても、ほとんどの産婦人科開業医にはこれを受けて立つ技術も設備もないし、スタッフもいない。

そこで、総合病院に搬送される事態になるのだが、大きな病院でも「医師がいない」「ベッドが空いていない」などの理由で、受け入れを拒否するという経過をたどる。それどころか総合周産期病院でさえ患者を断り、政治問題化する。これがよくある“妊産婦たらい回し事件”のストーリーだ。

役割の分担ということもあろうが、それはそれとして、医師の数が、国内平均の6倍(人口1000人当たり12.6人を超え)の東京都心部でさえ、妊産婦に限らずほかの救急患者も土日祝日365日、24時間、患者を受け入れる余裕のある病院は稀である。

なぜか。理由の第一は、医師不足だ。

「あんな大きな病院で、患者ひとりくらい何とかならないのか」

そう考えるのがせっぱつまった救急患者の率直な感想だが、大きな病院でも、患者を診る医師は足りないのである。

数字で示そう。

ベッド数200以上の病院で働く勤務医16万人余の週平均勤務時間は70.6時間、診療所医師55.2時間、ヨーロッパ諸国平均は40〜50時間だ。

日本の多くの病院では日勤の医師がそのまま当直を行い、交代要員がいないため次の日は続けて日勤という勤務形態が常態化している。日勤の医師がそのまま夜間の当直勤務(ほぼ不眠)をする。

その翌日も普段どおりの夕方まで勤務を行い、その日の夜に患者の容態が悪化すればまた病院へ出向く必要がある日もある。いつも寝不足というこんなケースは、特に若い医師の場合、決して珍しくない。

研究グループによると、睡眠不足(24時間覚醒)はアルコール血中濃度0.10%と同程度の注意力しかないとされている。ビール大瓶2本飲酒後のほろ酔い期から酩酊初期の状態にあたり、

理性が失われる、脈が速くなる、運転すると交通事故の可能性は6〜7倍、判断力が鈍り、スピードの出しすぎにも気づかない、とっさの判断が難しい、平衡感覚が鈍る---。当直明けで手術など診療に当たる医師は、こんな「ほろ酔い期」状態だ(出典Nature )、というのである。

内科の問診などの診療はまだしも、脳や心臓など高度な技術と経験が生死を分ける手術でメスを握る担当医が、こんな状態だと知ったら、怖くて病院にいけなくなる。

医療の崩壊は、じりじりとわれわれ一人ひとりの日常に迫ってきている。医師不足からくる勤務医の過酷な労働環境の見直しは他人事ではないのである。

2013年01月10日

◆悪歌が良歌を駆逐する日本

石岡 荘十


表題は「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則をもじったものだ。いうまでもなく経済学の法則のひとつで、実質価値の低いものが流通すると、価値の高い貨幣が流通ルートから駆逐されるという法則だ。転じて、悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときにもよく引き合いに出される。

毎年、年末年始ちびちびやりながら音楽番組をテレビで見ていると、この風潮を実感する。

音楽としては実質的価値のない薄っぺらな最たるものは、最近ではAKB48だ。恒例の民放(TBS)のレコード大賞でこのジャリタレグループが2年連続大賞に選ばれた。

1人ひとりの貧弱な歌唱力を大勢の派手なパフォーマンスと、ドタバタで誤魔化し、ちゃんとした音楽を聴いたことのないミーハーや小遣いをむしりとったことで業界に貢献した。音楽性を評価されたわけではない。

小遣いだけならいいのだが、大事な感性をはぐくむべき若い年頃の人たちの脳に、“悪歌“を刷り込んだことに対するご褒美だった。

こんな傾向はいまに始まったことではなく、思いつくまで挙げると、1962年発足したジャニーズ、その後のジャニーズjrあたりがはしりだろう。素人の女の子をオーディションで選んで出来たおにゃん子クラブ(1982〜1987)、etc,etc---。

こんなグループだけでなく、音楽的にレベルの低いCDが何百万枚も売れる国は希だ。先日の紅白でもジャリタレ嵐が司会を、おおとりをSMAPが勤めた。

勿論、どんな音楽を好きになるかは個人の勝手だが、NHKの紅白も含め、“悪歌”が若者の感性にギコギコやすりをかけ、いまやその時代に育った世代がプロデュースするテレビ番組がまた、音楽を知らない若者を再生産している。

結果、日本の音楽番組はガラパゴス状態にあるといっていいだろう。日本のポップスは世界には通用しない絶海の孤島、日本列島の固有種、ローカル音楽だ。

ソロ歌手はどうか。

唯一、記憶に残っているものでいうと‘SUKIYAKI’(「上を向いて歩こう」坂本九 1961年)くらいだ。世界で売れた音楽のランキング、米ビルボード(BILL BOARD 100)で3週連続のNo.1を果たした(1963年)。

もうひとつあえて挙げれば、昨年由紀さおりの古い曲『夜明けのスキャット』が偶然、アメリカのミュージシャンに発掘され、世界的な話題となったくらいだろう。

サザン・オールスターズ(桑田圭祐)の「いとしのエリー」(1979年)。盲目の黒人歌手レイ・チャールズが惚れ込み、英語でカバーした‘ELLIE MY LOVE‘がレイの持ち歌として世界進出を果たしたこともあるが---。

あの松田聖子が、米ポップス界の凄腕音楽プロデューサー、デイヴィッド・フォスターの門を叩いたが、門前払いを喰らったといわれる。デイヴィッド・フォスターはマイケル・ジャクソン、バーバラ・ストライサンドらを世に送り出しただけでなく、フランス語しかしゃべれなかったセリーヌ・ディオンに英語の手ほどきをし、映画「タイタニック」
(1997年)の主題歌‘My Heart Will Go On’を謳わせた。屈指の音楽プロデューサーだ。

松田だけでなく、世界進出を企んだ日本人歌手は数知れないが、フォスターのお眼鏡にかなった歌手は皆無だ。日本人で世界レベルの活躍を勝ち取ったのは、宇多田ひかる(1983.1〜)くらいだ。

彼女の母親は往年の日本人演歌歌手、藤圭子だが、ひかるは米国生まれ米国育ちで、その感性はmade in USAだから、日本人シンガーのジャンルには入らない。

メイドインジャパンのシンガー、楽曲は世界的なレベルでいうと惨憺たるものだ。日本では若いときから“悪歌”にその感性を汚染されて育った、いい音楽を聞き分ける耳が退化しているからだ。フォスターが手がけた、世界レベルのシンガーを見ればそれが分かる。

フィリピンのシンガー、シャリース・ペンペンコ(Charice Pemgpenco)は、母親が鼻歌で歌っていたセリーヌ・ディオンを小さいときから聞い
て育った。
http://www.youtube.com/watch?v=35z5VOmI7Gs

http://www.youtube.com/watch?v=Bfa8YrdsfpI

彼女は昨年、日本進出を果たした。

天使といわれる、天才少女オペラ歌手、ジャッキー・エヴァンコ(Jackie Evancho)は音楽教育を一度もうけたことはないが、両親が無類のオペラ好きで、物心が着く前から、オペラの楽曲にどっぷりつかって育ったという。
http://www.youtube.com/watch?v=MY-yYHfVEiM

AKB48で汚染されたミーハーの中から、第二のシャリースや、エヴァンコが産まれることはあり得ないだろう。「悪貨が良貨を駆逐する」というグリシャムの法則がそのことを予言している。

若者の良歌に感動する感性をつぶし続ける「良歌駆逐運動」の共犯者はテレビだ。「1億総白痴」を予言した大宅壮一も、この考えに賛同するに違いない。「それみたことか」と。     
                                20130107

(いしおか そうじゅう)1935年京都市生まれ。NHK社会部 OB。


2012年12月30日

◆歳は足にくる(続編)

石岡 荘十



数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については前回述べた。今回はその続編である。

8月、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

8/23、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。

これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。歳は足にくる。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。(再掲)

2012年12月17日

◆歳は足にくる 

石岡 荘十



学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは3月末、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。

こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)、それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。それから、少なくとも一キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。脊柱管はどこも狭くなっているところはない。

しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の一割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。

これを立証するのが、「血圧波検査」だ。両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。

いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。(再掲)

2012年12月08日

◆「侵略」の時効は?

石岡 荘十


どなたか教えてください。

先日、大学時代の友人数人と会った。その席でひとりがこう訊いて来た。

「歴史上、人の国を侵略し、植民地化し、虐殺し、じつに多くの人を大規模に連れ去って奴隷とした例は数知れない。日本はいま、70年余前の戦争をめぐって、近くの国から『謝れ。口ばかり出なく、謝罪の意を行
動で表せ』と攻め立てられている」。

その上「戦争指導者を祀っているところに,総理がお参りするのはけしからん。おまえの歴史認識をこっちと同じに改めない限り、会ってやらんと脅されている」

そこで、2つ訊きたいと友人は言う。

まず、歴史上、他国を侵略し、占領し、植民地化した国々が、謝った話はあまり聞かないが、あるとすればどこの国がどこにどんな謝り方をしたのか。先の戦争で謝罪をしたのは、ドイツと日本ぐらいだと思うが----。ほかにあったっけ? 

次に、歴史認識が国によって異なるのは当たり前だと思う。が、それを変えなければ、会ってやらんとごねた国は、歴史上あるのか。あるとすればどの国がどこの国にそう言ったのか。言われた方は、どう対応したのか。

日本はかつて蒙古に襲われたり、近海でロシアの海軍相手に戦ったりしたこともあった。防衛のために多数の死傷者が出ている。幸い、侵略未遂だったが、彼らは謝ったのか。
加藤清正のことを謝れとは言ってないようだが。

友人はつまり、先の戦争が「侵略」だったとして、それがいつになったら時効になるのか、そんなものに時効はないのか、教えてくれと言っている。

酒席だったこともあって、むにゃむにゃとごまかして、議論は消化不良のまま終わってしまった。

どなたか、正解を教えてくれませんか。