2011年10月10日

◆小沢氏の見事な危機対応

石岡 荘十

この数日各紙で報道された内容を総合すると、民主党の小沢一郎代表が「陸山会」事件の初公判を終えたその夜、酷い腰痛を訴え、救急車で東京・文京区にある日本医科大学付属病院(以下、日医大病院)に搬送された。6日深夜11時過ぎのことである。

永田町の常識では、政治家に健康問題が起きたことがばれると、即、政治生命に関わるそうだから、異例のことといわねばならない。しかもまるで初公判当日にタイミングを合わせたように救急車を呼んだというのだから、これは“事件”である。周りが大騒ぎするのも無理はない。

しかし、“事件”のの続報を総合し、彼の・病歴
・まもなく古希という年齢
・病院の選択

などを考え合わせると、政治家にしては希に見る適切な危機管理対応だったと感心してしまった。

小沢氏は平成3年、心臓に酸素と栄養分を送る冠動脈が狭くなる狭心症で今回と同じ日本医科大病院に入院、18年には臨時党大会の後体調を崩して検査入院、さらに20年には風邪をこじらしたとして一週間入院という前歴がある。

ついでにいうと、彼の母親も7年もここに入院したことがあるというから、日医大病院は小沢家のかかりつけ病院だったようだ。だから、同病院には自身の病歴カルテがきちんと整っていただろう。

自宅の世田谷区から、わざわざ都心にある有名病院を素通りして遠くの文京区千駄木のこの病院に駆け込んだのは、きわめて適切な判断だった。

私が初めて同病院の存在に注目したのは、1995年のことだった。3月30日、その日の早朝、当時の国松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区の自宅マンションを出たところで何者かにに拳銃で狙撃され、重傷を負った。

瀕死の長官は救急車で日医大病院に搬送され約6時間半にわたる手術が行われ、奇跡的に一命を取り留めたのだった。

手術後、しばらくして日医大病院に見舞いにいったのだが、後に国松元長官はこう語っている。

「1発目は、痛いという感覚より、背中に命中したときどーんと突き飛ばされたような感じで、あっ、と思って逃げようとしたとき、下半身に続けて2発、頭の上を1発かすめて---。血だらけになって倒れていました。

迎えに来ていた秘書が救急車を呼んで、病院に着くまで意識はありました。後で救急隊員から聞いた話ですが、『この状態では、すこし遠くても一番体制の整った救急病院に搬送すべきだと考え、あそこ(日本医大高度救命救急センター・文京区)へ搬送した』ということでした。

治療設備と優秀なスタッフが揃っていない近くの病院に運ばれていたらダメだったかもしれません」。

「最寄」の病院ではなく「最適」の病院に搬送することが大切だと強調している。「あの適切な判断をした救急隊員には感謝してもしきれない」(国松元長官)。

このインタビューの経緯については、↓
http://melma.com/backnumber_108241_2257052/ 

「 国松孝次VSブラック・ジャック」

この記事を小沢氏が読んでいたとは思えないが、「最寄」の病院ではなく「最適」の病院に搬送することが大切という教訓を見事に実行している。

もうひとつ、高齢者である小沢氏の危機管理は、自分のかかりつけ病院を持っていたことだ。それも、政治家がよく行く有名病院ではなく、救命救急治療では日本でも屈指の日医大病院を選択したことだ。

「日医大病院の高度救命救急センターは、院内臨床各科とは独立した診療体系で運営され、初期治療から手術ICU管理まですべてセンター専属の救急医学教室スタッフは、一般救急科・脳神経外科・胸部外科・整形外科・麻酔科・精神科などのサブスペシャリティーをもつ救急専門医集団でもあり、

平成5年4月より全国救命センターの“The Best of Bests”として第1号の「高度救命救急センター」の認定を受けました」(ホームページより)。

高齢者には多かれ少なかれ心臓疾患や脳疾患のおそれがあるが、イザというときこれほどのかかりつけ病院を持っている人が果たしてどれほどいるだろうか。

私は小沢氏の政治的な手腕・手法や動向について評論する知見は持ち合わせていないが、ご自身の健康危機の管理に対する備えは、用心深く「お見事」というほかない。

6日の“事件”で、「さすがの彼も、もしかしたら---」と期待したむきもあったかもしれないが、同病院には泌尿器科の権威もついている。どっこい、そうはいかなさそうである。20111008

2011年10月07日

◆”良歌”を蹴散らす日本の“悪歌”

石岡 荘十

標題は「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則をもじったものだ。

この法則はいうまでもなく経済学の法則のひとつで、実質価値の低いものが流通すると、実質で価値の高い貨幣が流通過程から駆逐されるという法則だ。転じて、悪人がはびこるような治安の悪い状態や、軽佻浮薄な文化が流行するような場合を指すときにもよく引き合いに出される。

日本の音楽界を振返ると、この法則がピッタシ当てはまるような気がする。実質価値のない軽薄な音楽の最たるものは、最近ではAKB48だ。1人ひとりの貧弱な歌唱力を大勢の派手なパフォーマンスと、どたばたで誤魔化し、ちゃんとした音楽を聴いたことのないミーハーの小遣いをむしりとっている。

小遣いだけならいいのだが、大事な感性をはぐくむべき若い世代の人たちの脳に、“悪歌“を刷り込んでいる。

こんな傾向はいまに始まったことではなく、思いつくまで挙げると、1962年発足したジャニーズ、その後のジャニーズjrあたりがはしりだろう。素人の女の子をオーディションで選んで出来たおにゃん子クラブ(1982〜1987)、etc,etc---。

SMAP(1988〜)が北京に行き、AKB48が上海で大歓迎を受けたと報じられているが、いまどき、というのは、ネットを通じて簡単に“良歌”にアクセスできる時代に、この程度のグループを招んで若者の不満のガス抜きを図り、政治利用する国はあそこぐらいだろう。

こんなグループだけでなく、音楽的にレベルの低いCDが何百万枚も売れる国は希だ。勿論、どんな音楽を好きになるかは個人の勝手だが、NHKの紅白をはじめとする日本の音楽番組はガラパゴス状態にあるといっていいだろう。日本のポップスは世界には通用しない日本列島の固有種、ローカル音楽だといえよう。

ソロ歌手はどうか。

唯一、記憶に残っているものでいうと‘SUKIYAKI’(「上を向いて歩こう」坂本九 1961年)くらいしか思い浮かばない。世界で売れた音楽のランキング、ビルボード(BILL BOARD 100)で3週連続のNo.1を果たした(1963年)。

いやもうひとつあえて挙げれば、サザン・オールスターズ(桑田圭祐)の「いとしのエリー」(1979年)だ。盲目の黒人歌手レイ・チャールズが惚れ込み、英語でカバーした‘ELLIE MY LOVE‘がレイの持ち歌として世界進出を果たした。

あの松田聖子が、米ポップス界の凄腕音楽プロデューサー、デイヴィッド・フォスターの門を叩いたが、門前払いを喰らったといわれる。

デイヴィッド・フォスターはマイケル・ジャクソン、バーバラ・ストライサンドらを世に送り出しただけでなく、フランス語しかしゃべれなかったセリーヌ・ディオンに英語の手ほどきをし、映画「タイタニック」(1997年)の主題歌‘My Heart Will Go On’を謳わせた凄腕音楽プロデューサーだ。

松田だけでなく、世界進出を図った歌手は数知れないが、フォスターのお眼鏡にかなった歌手は皆無だ。日本人で世界レベルの活躍を勝ち取ったのは、宇多田ひかる(1983.1〜)くらいだ。

彼女の母親は往年の日本人演歌歌手、藤圭子だが、ひかるは米国生まれ米国育ちで、その感性はmade in USAだから、日本人シンガーのジャンルには入らない。

グループだけでなくソロの歌手、楽曲もまた同じだ。メードインジャパンのシンガー、楽曲は世界的なレベルでいうと惨憺たるものだ。

なぜか。

それは、日本では若いときから“悪歌”にその感性を汚染されて育ったからだ。フォスターが手がけた、世界レベルのシンガーを見ればそれが分かる。

フィリピンのシンガー、シャリースは、母親が鼻歌で歌っていたセリーヌ・ディオンを小さいときから聞いて育った。

天使といわれる、天才少女オペラ歌手、ジャッキー・エバンコ(JackieEvancho)は音楽教育を一度もうけたことはないが、両親が無類のオペラ好きで、物心が着く前から、オペラの楽曲にどっぷりつかって育ったという。

AKB48で汚染されたミーハーの中から、第二のシャリースや、エバンコが産まれることはあり得ないだろう。

「悪歌が良歌を駆逐する」というグリシャムの法則がそのことを予言している。若者の良歌に感動する感性をつぶし続ける「良歌駆逐運動」の共犯者はテレビだ。「1億総白痴」を予言した大宅壮一も、この考えに賛同するに違いない。

「それみたことか」と。     20111004


2011年09月28日

◆いま必要な「サラダ・ボウル理論」

石岡 荘十

日本では小さいときから障害を持つ子ども達を、特殊な存在として特別な学校で教育をすることが当然のように行われている。障害を持ち、盲・聾・養護学校で特別な教育を受けている児童・生徒は約10万人に上る。

「普通の学校へ通わせたい」

親がこう希望しても、障害を持つ子が一般の学校への入学を果たすには多くの困難を伴う。受け入れられると、上記の地裁決定のように、それが美談風なニュースになるほど稀である。

さすがに最近では、障害を持つ子どもが、障害を持たない同じ年代の仲間と一緒に学び成長していくことが、双方の人格形成に大きな意味を持つとして、障害児が一般の小・中学校で教育を受けるケースが増えているそうだ。しかし、まだまだ十分とはいえない。

私たちは障害を持った人をどのような存在として考えたらいいのだろうか。福祉国家として知られるデンマークで「ノーマライゼーション」という考え方が生まれたのはいまから半世紀以上前のことで、社会福祉を考える上で極めて重要な理念だといわれてきた。

ノーマライゼーションの理論は、はじめは、障害者が社会に適応していく手助けをする、そのことによって障害者が出来るだけ普通の社会に適応できるようにする、障害者をノーマルにするという考え方だった。

道路の段差を無くす、駅にエレベーターを設置する、車椅子の購入費を補助する------「まだまだ」と批判されながら、国や自治体の行政レベルで進められてきた様々な支援策の根拠になっている思想だと言ってもいいだろう。このような施策は「同化主義」、つまり健常者を基準にして作られている社会のバリアーをなくし、障害者が健常者主導の社会に同化できるよう手助けをしようという考え方だ。

しかし、そこには多数の健常者がノーマルな存在で、障害者は「特異な存在」だという偏見がある。このような初期のノーマライゼーション理論には限界がある、と批判された。そこに登場したのが、「多元主義」という考え方である。障害者を特異な存在としてではなく、当たり前の存在としてありのまま受け入れ共に生きていこうというものだ。

このような考え方を、「サラダ・ボウル理論」と言っている。一つひとつの野菜の個性をそのまま残しながら、いろいろな種類のナマの野菜をサラダの入れ物(ボウル)に盛りつけることで、別の味覚を創造する。そんな社会をイメージした理論だ。

障害者が健常者に近づくのではなく、目が見えない、耳が聞こえない、歩けなくとも、手助けは必要だが、そのままノーマルな存在として受け入れられるという考え方である。

重要な認識は、障害者をノーマライズするのではなく、健常者がひそかに持っている偏見をノーマライズするということだ。このような認識でいうと、現実は、明らかに健常者サイドに問題がある。

障害を持つ子どもは特別の教育施設に“隔離”されている。そんななかで、“普通”の学校で育った子どもに、大人になって突然、「障害者を特異な存在と思うな」と言っても、長年、無意識のうちに刷り込まれてきた差別意識や偏見を拭い去ることが出来るだろうか。ノーマライズされなければならないのは、むしろ健常者と言われる人々が抱いている差別意識や偏見だと言えるのではないか。

自宅近くに聾学校があり、手話で話す生徒とバスに乗り合わせることがよくあるが、健常者と見られるほかの乗客が彼(彼女)らを「当たり前の存在」と受け入れている様にはとても見えない。中には、見てはいけないものに出逢ったとでも言うように、ことさら目線を外らす気配さえ感じさせる。手話に興味津々の子どもの手を引っ張って、顔を無理やりそむけさせる親もいる。

「何で自分が-----」「まさか自分が------」

大きな病気になると、誰もがそう思う。ある調査では、障害者と認定された人、心臓病と診断された人は、100パーセントそう思うという。

だが人は経験して学習する。心臓手術の後、私は身体障害者となった。その経験は、身障者のことを改めて考えさせる “絶好”の大事件であった。よく言われるように「障害はその人の個性」である。自分もその個性を与えられたことで、別の世界が見えてきたような気がする。

日本は猛スピードで高齢社会に突き進んでいる。だから養老院、高齢者向け養護施設が盛んに造られている。それも空気のいい郊外に多い。

しかし、こうして高齢者をまとめて街から遠ざけ、若い世代の人たちの目に触れないところに体よく“隔離”する施策がノーマルといえるだろうか。「養護施設と小中学校は必ず隣合わせに作る」くらいの英断がなければ、サラダ・ボウルを目指す意識改革は無理かもしれない。

2011年09月26日

◆彼岸の風景

石岡 荘十

多分、彼岸はこんなところではないかと思わせる風景を垣間見る機会があった。といっても、自ら望んで体験をしたわけではない。

少年の頃のリウマチ熱が原因で、全身に血液を送り出す心臓(左心室)の出口の、扉ともいえる大動脈弁がうまく開閉しなくなった。

このため、1999年2月、開心手術、つまり胸を切り開いて、ナマの大動脈弁を切り取り、代わりにチタンとカーボンで出来た人工の弁を縫い付ける手術(大動脈弁置換手術)を強いられた。

64歳だったがまだ死にたくなかった。怖かった。幸い、手術は成功し、集中治療室(ICU)から三日ぶりに一般病棟に還ったのはいいが、その翌朝、突然、激しい不整脈に襲われる。

こんなときに一発で不整脈をしゃんとさせる方法は一つしかない。「ドカン!」である。

後でわかったことだが、ドカンというのは業界スラングで心臓に電気ショックを与える治療のことだ。ストレッチャーに乗せられて別室につれ込まれ麻酔注射をブスッ。記憶はここまでで、全身麻酔をかけられた後の、見た風景は------。

地下室のような真っ暗なところに私はいる。見上げると長い階段があって「うんうん」言いながら這い上っていくと、そこに一条の光と川の流れ-----花園。うっとりしていると、女の声。
「石岡さん、石岡さん、わかりますか」

別の女の呼びかけ。
「お父さん!」
「おやじ聞こえるかっ」

薄目を開けてみると、家族の顔があった。
 
あれは、よく言われる「臨死体験」ではなかったか。死に臨む、つまり彼岸直前の風景ではなかったか。研究者によると、こんな話は腐るほどあって、数多くの体験者からの聞き取りを統計的に分析すると、二つの特徴がある。

その一つは「体外離脱」。英語ではOut of Body Experience。直訳すると「肉体の外の体験」である。

手術台とか布団に寝ている自分を家族や医者が取り囲んで嘆き悲しんでいる風景を、肉体から離れたもう一人の自分が高いところから見ている状態をいう。

ある体験者は祖母が隠し通していたハゲが頭のてっぺんにあることをそのとき初めて見つける。生還した後そのことを祖母に言うと「いつ見たんだ」と不機嫌に問い詰められたという。

こうしてみると、肉体から離れたもう一人の自分こそ本当の自分であり、肉体はただの抜け殻ということになる。

もう一つの特徴は、私が体験した「他界経験」。英語でいうとNear Death Experience。これには次のような共通の特徴がある。

(1)トンネル体験
(2)光の世界

暗いトンネル体験の後、光が近づいてくるか、自分が光に近づいていく。そこは、花、水、鳥------楽園が現出する。

(3)亡くなった身内に会う
(4)バリア体験

バリアは障害物、例えば川があって向こう岸に渡ってしまうと生還の可能性は少なくなる。生還した大概の人が渡る直前、家族に名前を呼ばれて引き返している。

私の場合は、亡くなった身内には会わなかったがそのほかの体験は合致する。

このような体験談は科学的、神経生理学的にはどのように説明されているか。有力な説は、脳の酸素欠乏説だ。

事故であれ不整脈であれ、最後の瞬間には、心臓が働かなくなって脳に十分な酸素が供給されなくなり、脳は低酸素状態になる。

すると、脳は広い範囲で無秩序に興奮し、正常な機能がマヒして幻覚が生じる、と説明する。しかし、なぜ「暗黒と光」がつきものなのか、学説は分かれていて、なるほどと思わせる説にはまだぶつかっていない。

それより興味深いのは、ほとんどの体験者が、いまわの際には至福、恍惚、安らぎを感じていることだ。清らかな水の流れ、花が咲き乱れ鳥が囀る楽園を見たという人もいる。

その意味で私の見た風景は、臨死としては“完璧”なものではないが、不整脈で一時的に脳に酸素が行き渡らなくなった可能性はある。

夏目漱石も体験者の一人である。43歳のとき胃潰瘍で大量の喀血をして、あやうく彼岸へ渡るところだった。そのときの感じを作品(『思ひ出す事など』)のなかで「縹渺とでも形容して可い気分------」と表現している。

この歓喜に満ちた恍惚感を生み出すのはエンドルフィンだという説が有力である。エンドルフィンは脳内麻薬物質といわれ、死に瀕して脳内が低酸素状態になると、脳内で活発に生産されるホルモンの一種であることが確認されている。

その作用はモルヒネと同じ、あるいは十数倍強烈で、これが脳の深いところでドーパミンという覚醒剤に似た物質を分泌させる。

その結果、瀕死の苦痛は次第に恍惚感に変わっていく、と説明されている。脳の酸素欠乏による幻覚に過ぎないという説もある。

「最後は安らかな表情でした」

長い闘病の末、愛する身内を看取った家族がこういう感想を漏らすことがよくある。その時、瀕死の身内は脳内に分泌した物質のおかげで恍惚の中にいるからだという説もある。

「死ぬのは怖い、間際では苦しい思いをする」という思い込みは、とんでもない誤解かもしれない。

臨死、そして死、来世の光景はどうも『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)に描かれた地獄絵巻とはまったく異なる、恍惚の世界である可能性があることを、研究者は報告している。

命の灯がまさに消えようとするとき、皮肉なことに本人はやっとの思いでたどり着いた楽園をうっとりと彼岸に向けて逍遥しているらしいのだ。

ここでだれも名前を呼ぶものがいないと彼岸へと渡っていく。

脳梗塞で死に掛った大学時代の友人は、川岸でなくなった母親に会い、追い返されたと体験を語ってくれた。

「三途の川」というのは作り話だと思っていたが、「案外、創造主はそこまでお見通しで設計・創造しているのかもしれない」と手術後は、半分信じるようになっている。

恐るべし、創造主の叡智。


本文は拙著『心臓手術〜私の生還記〜』執筆の際書いて、都合で所載で出来なかった部分を補・加筆しました。なお執筆に際しては「臨死体験 立花隆 文春文庫 上下」他数冊を参考・引用にしました。


2011年09月24日

◆この秋、天使が舞い降りる

石岡 荘十

米NBCのオーディション番組、‘America’sGot Talent’から、昨年、1人の天才歌手、それもクラシックオペラのアリア曲を得意とする世界最年少のオペラ歌手が誕生した。

その名はジャッキー・エバンコ(Jackie Evancho)、まだあどけない11歳の少女だ。 ‘America’s Got Talent’は一昨年、スーザン・ボイドを送り出したことで日本でもよく知れれるようになった新人タレント発掘のオーディション番組のアメリカ版である。

まずは、その番組をYou Tubeでご覧頂こう。↓
http://www.youtube.com/watch?v=SKhmFSV-XB0&feature=related

謳い出しから満場騒然、謳い終わると聴衆は総立ちとなりスタンディングオベーションが鳴り止まなかった。審査員の1人が、
‘This is the moment ,you are the star!
と最大級の賛辞を絶叫した。

別の女性審査員は、こんなけいけんははじめてだわ。‘You are little gem, angel!とこれまた興奮気味だ。

こんな金の卵を、アメリカの凄腕プロデューサー、デヴィド・フォスターが見逃すはずがなく、自分の番組に引っ張り込んでティームに引き入れた。↓
http://www.youtube.com/watch?v=lIQTJyIzn2U

おまけは、あのバーブラ・ストライザンドとのデュエッとだ。↓
http://www.youtube.com/watch?v=QfUz4THEgX8

デヴィド・フォスターの力の入れようが窺えようというものだ。

フォスターはマイケル・ジャクソン、バーバラ・ストライサンドらを世に送り出しただけでなく、フランス語しかしゃべれなかったセリーヌ・ディオンに英語の手ほどきをし、映画「タイタニック」(1997年)の主題歌‘My Heart Will Go On’を謳わせた凄腕音楽プロデューサーだ。昨年はフィリピンのこれまた天才少女歌手シャリースを世に送り出している。↓
http://melma.com/backnumber_108241_5084102/

そのフォスターが来月エバンコをつれて日本にやってくる。
・ 10/19(水) 18:00 開場
・        19:00 開演
・ 東京国際フォーラム ホールA

最後にYou Tube 255万アクセスのもう一曲 
http://www.youtube.com/watch?v=iiM9QVdJyVQ

この秋、この天使が東京に舞い降りる。  20110923

2011年09月17日

◆だんまり女房は早死にする

石岡 荘十

古い医学論文を拾い読みすると、ときどき面白い研究成果に出っくわす。そのひとつ---。

「夫と意見が対立したときに沈黙してしまう“だんまり女房”の死亡リスクは、そうでない妻に較べ4倍高い。

これに対し、亭主のだんまりは健康にさほど害をもたらさない」

本文の原題は、‘Wives Who Bite Their Tongues Risk Their Lives’。これを翻訳したNIKKEI NETの連載シリーズは、「押し黙る妻は死亡リスク高い」と直訳しているが、ボストン大学の研究者らが2005年、明らかにした論文を見ると、表題のような翻訳で間違いなさそうだ。

さて、その研究成果はこうだ。(以下、当時のNIKKEI NETの「アメリカ健康最前線」を引用しながら紹介する)

<先ごろオーランドで開かれた米国心臓協会(AHA)主催の「第2回女性、心疾患および脳卒中に関する国際会議」で報告された。

米ウィスコンシン州の独立研究法人代表Elaine D. Eaker氏とは、心疾患と社会的データ、人口統計学的データとを評価するフラミンガム子孫研究の参加者である18歳から77歳までの男性1,769例、女性1,913例を対象に、結婚生活における不調和が心疾患発生率あるいは総死亡率に及ぼす影響を検討した>。

研究論文と名がつくと、どうしてもこんな文章になってしまうが、要するに、「夫婦喧嘩は心臓病にどんな影響を与えるか」ということである。

<既婚者または結婚の形態をとっていた男性1,493例、女性1,501例に対して、1984〜1987年に初めての評価をし、その後10年間にわたって心疾患発症あるいは死亡状況を追跡評価した。

その結果、夫婦喧嘩のときぶすっと黙ってしまう(self-silencing)妻は、そうでない妻に較べ死亡リスクが4倍高い。このことは年齢、血圧、コレステロール値、体重などで調整した後でも認められた>

一方、口下手のだんまり亭主のほうはどうか。
<沈黙する亭主では健康に対する悪影響は認められなかった>

しかし、
<仕事上の問題を家庭に持ち帰る妻を持つ夫は、そのようなストレスを持たない夫に較べ心臓疾患の発症率が2倍であることが判明した>。

Eaker氏は、だんまり女房の死亡リスクが高い原因について、意見が対立したときにいつも沈黙する女性では、ストレスホルモンが活性化し、健康に害を与えるようになる>と推測している。

物言わぬは、腹が膨れるだけでなく心臓にも悪いということらしい。この結果を踏まえて、
<ニューヨークのある病院の女性専門心臓病治療部門主任、Nieca Goldberg博士は、女性が自分自身をいたわり、怒りの感情を前向きな方法で表現する必要がある>と指摘している。

またEaker氏は
<医師が病歴を問診する際に、結婚生活の緊張度や配偶者の仕事の影響について質問すれば、こうした問題に対処することができ、必要に応じてカウンセリングを進めることができると述べている>

研究結果は、健康上どのような夫婦関係が望ましいかについて興味深いデータを示しているかもしれない。つまり、夫婦喧嘩でぎゃーぎゃーわめきまくる妻はいい女房。黙ってそれを聞き流す夫はいい亭主。女房は家庭に仕事を持ち込むな。

(ただし、夫が家庭に仕事を持ち込むことの是非については研究テーマになっていない)。共白髪を目指すならこうでなくてはならない。

日本では昔から「沈黙は金」という。だが、これは男に限ったことで、女性にとってはマイナス。雄弁、しゃべくりが女性の長生きの秘訣であることを、この研究成果は示唆している。

2011年09月16日

◆AEDは万能ではない

石岡 荘十

サッカーの松田直樹選手(34)が8月4日、意識が回復しないまま死亡した。松田選手は2日午前、松本市内のグラウンドで練習中に急性心筋梗塞で倒れ、病院に運ばれたがすでに心肺停止状態だったと伝えられている。

この報道直後から、ティームにもグラウンドにもAED(自動体外式除細動器)を用意しておらず、このときAEDがあれば助かったのではないかという論調が民放のワイドショーで繰り返された。

テレビ朝日の4日朝のモーニングショーではAEDの実物をスタジオに持ち込んで、実演つきで「これがあったら松田選手は助かったのではないか。急性心筋梗塞で倒れた時の応急措置にAEDが有効」という印象を視聴者の間に植え付けた。

挙句、文部省までがこの事件を受けて全国のスポーツ施設についてAEDの有無の緊急調査を実施する方針を決めている。最近では、神奈川県警などがパトカーにAEDを搭載することにしている。だが、医学的に言えば、これらの反応は間違いである。

松田選手のように、「突然心臓が停まって」しまう心停止の原因として、心臓の筋肉が痙攣を起こし、心臓から血液が全身に送り出せなくなる危険な不整脈、心室細動や心室頻拍があるが、この心室細動に対して電気ショックを与える(除細動する、といいます)機械がAEDだ。

松田選手の心停止の原因ははっきりしていないが、心停止の原因が心室細動でなければAEDがその場にあったとしても役に立たなかったことになる。心停止により突然倒れた人すべてに対して、必ずしもAEDが有効なわけではない。

「突然死」は発作が起きて、24時間以内に死亡することをいい、年間の死者は3万人以上、毎日100人ほどが突然死しているのだが、AEDの必要性が世間で騒がれるようになったのは、2002年11月21日の高円宮さまの“事件”が直接のきっかけだった。

この日、高円宮さまは青山通りに面したカナダ大使館の地下にあるスカッシュのコートで練習中、突然倒れ、救急車で搬送される途中、亡くなった。

搬送先の慶応病院心臓先進医療学の三田村秀雄教授は「もしあの時救急車の中でAEDを使えたら助かった可能性は十分ある」と著書「心臓突然死は救える」の中で語った。この出来事で死因の心室細動とは何か、と関心を集めた。

当時日本には数十台しかなかったAEDはこれを機に人の集まる施設を中心に急速に普及し、いまやAEDは全国で27万台に上る。

 ただ、心室細動発生後1分で除細動が成功すると約90%の人は助かるが、2分では助かる人は約80%に減る。このように心室細動発生から除細動までの時間が1分間遅れるごとに7〜10%ずつ助かる人が減ってしまう。

日本では119番救急要請から救急隊員が到着するまでの平均時間は約6.2分といわれている。仮に人が倒れるところを発見してから119番救急要請するまでの時間が2分とすると、心室細動発生から救急隊到着までの時間は既に8分を越えることになる。

さらに除細動のための機器装着に1分かかるとすると、心室細動発生から9分を経過していることになり、この時の救命の可能性は1割程度にまで低下してしまう。つまり、倒れた人を見かけたあなたがその場でAEDを使わない限り、その人を助けることはかなり難しい。

日本サッカー協会によると、Jリーグでは試合場と練習場ですでに設置を義務づけている。松田選手が属していた松本山雅FCは事故後、トップチームだけでなく下部組織の練習にもAEDの携帯を始めたという。

無論、AEDの持込に時間がかかるより手許にあったほうが言いに決まっているが、救命率を高めるためには、1秒でも早い対応が出来るようティーム全員の訓練が欠かせない。AEDは万能ではない。使い方が分からなければ、猫に小判である。    
20110820/20110910


2011年09月12日

◆歳は足にくる(後編)

石岡 荘十

数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。

「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については前回述べた。今回はその続編である。

8月、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

8/23、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。

これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。歳は足にくる。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。     20110910
             


2011年09月11日

◆歳は足にくる(前篇)

石岡 荘十

学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは3月末、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。

こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)、それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。それから、少なくとも一キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。脊柱管はどこも狭くなっているところはない。

しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の一割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。

これを立証するのが、「血圧波検査」だ。両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。

いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。(続く)20110910

2011年05月27日

◆産みの親が検証・反省しない不思議

石岡 荘十

大震災は天災であり、人びとは誰を恨むこともできず天を仰ぐしかない。しかし原発事故について被災者は、東電をうらみ、国のエネルギー政策を批判する。

一国のエネルギー政策の責任は国が負うべきものだから、なにか不都合があったときには、まず国がその責めを負わなければならない。補償金は「まず東電が払え、足りなければそのときは国が面倒を見る」というのは、順序が逆だろう。

遡れば、わが国の原子力発電の原点は、1954年3月、当時改進党にいた中曽根康弘氏らが原子力研究開発予算を国会に提出したことにはじまる。

このときの予算学は2億3500万円。ウラン235にちなんだ語呂合わせだったといわれる(ウィキ)。ふざけた話だ。翌年12月、原子力基本法が成立。時の総理は鳩山一郎(自民)だった。

福島原発1号炉が営業運転開始を開始したのが1971年3月26日、丁度40年前のことだった。以降数十年、原発の安全管理・監督についても、政権が東電の後押しをして「安全神話」を作り上げ、日本は原発大国を目指してきた。つまり、自民党こそが最近の数年を除けば、原発の産みの親であり、育ての親でもある。

それだけでなく最近では、吉井秀勝衆議院議員(共産党)が、2006年から2010年4月にかけて3度にわたって、福島第一原発を含む43基の津波対策の不備を指摘。

冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告したのに対して、安倍総理は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はない」「多重防護でメルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」(2006年12月)と答弁している。

2010年4月には政権をもぎ取った民主党の直嶋正行経産大臣(鳩山内閣)までが「多重防護でメルトダウンというようなことを起こさせない」と啖呵をきっている。
http://melma.com/backnumber_108241_5168029/

安倍、直嶋両氏のコメントを聞きたいものだ。

原発の推進は国策であり、国が必要な法の整備を行い、安全基準を作り、安全性を管理監督してきたのもまた国である。つまり国はメシの献立から箸の上げ下げまで口を出してきた。

電力会社に地域独占を許す見返りに、自民党は毎年多額の政治献金を吸い上げ、官僚数十人が天下って、政・官・業べったりの構図が出来上がっていった。

この間、政権を担当してきたのはいうまでもなく、自民党であり、それをいいことに気がついてみれば、電力会社の社長の年俸は7千万円というやりたい放題、べらぼうな経営を許してきたのだった。

東電は補償金捻出のため1兆円を超える資産を処分すると報じられている。それは当然として、エネルギー政策の鬼っ子を生み育ててきた当時の政権政党が、遡ってどこで間違ったのか、いまだに党としてのエネルギー政策の検証もせず、反省の素振りも見せないのは不思議なことである。解せない。

4/23の衆院の震災復興特別委員会で党首が事故後のちまちました対応を、鬼の首でもとったように攻め立てている。

現政権にしてみれば、出来の悪い、金遣いの荒いどら息子がしでかした不始末の尻拭いの仕方が悪いとを叱られているようなものだ。「あんたに言われたくない」という心境だろう。

不信任案を出すなら、党として総括をまず明らかにすべきだ。いずれ、総選挙になれば、原発をどうするかが大きな争点になるだろう。知らぬ顔の半兵衛で逃げ切ることは出来まい。

独裁国家ではないわが国では「甘い安全基準」を作り、運用してきた政権を選択してきたのは、ほかならぬ時の有権者である。その意味で、税金であれ電気料であれ、全国民が応分の負担をするのが議会制民主主義の筋というものだろう。

福島原発1号炉はGEの設計である。非常用電源であるディーゼル発電機はタービン建屋の中にある。原子炉とワンパッケージで設計されていたものをそのまま採用したところに間違いがあったといわれる。

津波のリスクを甘く見た設計だった。アメリカには津波はないからだ。津波のリスクが高い日本仕様に設計を変更して「ディーゼルを山の上にもっていっていれば事故は防げたはずだ」と専門家(豊田正敏元東電副社長はいう(5/22TV朝日「フロントライン」)。

一般の国民にそこまで求めるのは無理だが、日本の原子力専門家は何をしていたのか、また政権政党の総括と同時に、当時のマスメディアに責任はないのか。メディアが総括をしたという話しも聞かない。

地元被災者に対しては、いま言うに忍びないが、安全神話を信じ込ませるために注ぎ込まれた交付金や税金は7000億円に上るといわれる。問題となっている原発が廃炉となった場合、現地自治体はこの恩恵を受けることが出来なくなるだろう。地元農・水産が復活しても立ち行かないのではないかといまから心配である。       20110524


2011年05月19日

◆花岡信昭氏の急逝を悼む

石岡 荘十

元産経新聞記者であり政治評論家の花岡信昭氏の訃報を16日の新聞で知った。氏は私より10年も若く、私が社会部畑だったのに対し、氏は永田町を中心とする政治畑だったから、取材の現場を共にしたことはなく、接点も面識もない。

ここ数年、本メルマガで氏の原稿を眼にしたことがあるくらいだ。が、その死亡原因、「急性心筋梗塞」を見たとき、「やっぱりやってしまったか」と思った。その理由はこうだ。

新聞記事だけでは、どのような経緯で急逝されたのか明らかではないが、医学的にいうと急性心筋梗塞による突然死は、じつはほとんどの人に「予兆」があったはずだというのが医学的な常識である。

その予兆の一は、性格的な問題だ。

急性心筋梗塞タイプ。専門的には「タイプA行動パターン」といわれる性格である。敵愾心が強く、大声で、同時に2つ以上の仕事をこなし、常に時間に追われ、食事の時間も早いという比較的にアグレッシブな行動をとる性格の人で、こういう人たちは狭心症や心筋梗塞を起こしやすいとされている。

別の言い方をすると、競争的で野心的性格、せっかち、ストレスの多い生活を選ぶが ストレスに対する自覚があまりない。aggressive(攻撃的)のAをとって「タイプA性格(行動)」という。タイプA行動パターンの人に多くみられるのは、日本人に多い「仕事中毒」や「仕事命」という人だという。

一方それとは正反対の「タイプB行動パターン」は、動脈硬化からくる心臓病にかかりにくいといわれている。あくせくしていない、 マイペース、リラックスしている。Bはbalance(均衡、心の落ち着き)のBである

http://melma.com/backnumber_108241_450774/ 

「あなたはA or B?」(2005.6,27)

この分類が、花岡氏に当てはまっているかどうかは分からないが、氏が書いた歯に衣(きぬ)を着せぬ批判の論調を散見すると、その傾向がなかったとはいえない印象を持つ。

予兆の二は、肉体的なサインである。心筋梗塞の患者の9割以上が発症する前に狭心症という前触れの発作を経験しているといわれる。

狭心症は、心臓に酸素や栄養を送る冠動脈が狭くなった状態で、これが進行すると冠動脈が部分的に完全に塞がってしまい、そこから川下の細胞は壊死する。これが心筋梗塞だ。

狭心症になると胸が痛くなったり(「狭心痛」という)息苦しくなったりするが、15分ほどで治まる。しかし心筋梗塞となると狭心症の痛みよりも強く、長く感じ、左胸の中央付近から胸骨の奥にかけて強い痛みを感じ「死ぬかと思った」という人もいる。

ただ、梗塞が冠動脈下流の細い血管で起きた場合は、左手、特に小指が痛くなったり重だるく感じたり、左肩や背中が凝ったり痛む、左の奥歯がうずくという程度で済む人もいる。

心筋梗塞は心臓の病気なのだが、心臓以外のところで異常を感じることもある。こんな痛みを専門的には「放散痛」という。冷や汗を伴う激しい胸の痛みが30分以上続くようであれば、一刻も早く専門病院に行かなければ助かるものも助からない。

心筋梗塞も狭心症と同様冠状動脈の動脈硬化が原因だ。したがって狭心症の原因である動脈硬化、高血圧症、高脂血症、糖尿病、肥満、たばこ、タイプA行動パターンなどの危険因子を取り除くことがその対策として挙げられる。

天候の急変、暴飲暴食、喫煙、時間に追われ強いストレスを感じる環境などが急性心筋梗塞のトリガーとなることもある。

花岡氏にこんな前兆があったのかなかったのか。前兆はあったが、我慢したのか。救急車を呼ぶのを躊躇ったりしなかったか。

急性心筋梗塞は、朝、起きてから1〜2時間後(早朝)と11〜12時頃に発症しやすい心疾患だという。休日の夜中・早朝に救急車を呼ぶなんて、近所迷惑だしかっこ悪いと躊躇して治療のタイミングを逃し、死に至った友人もいる。

急性心筋梗塞の死亡率は2割弱ほどであり、このうち死亡した人の約5割ほどは、躊躇して時間を無駄に過ごした後、発症数時間以内に死亡している。

もっと重大な疑問は、仕事柄陥りやすい死に至る病に対する知識、警戒心が日頃から欠落していたのではないかという疑念である。

花岡氏は団塊世代だ。じつは統計によるとこの年代から心臓病が急増する。糖尿病の患者や高齢者の中には、神経が鈍くなって痛みを感じにくくなっている人もいるといわれる。

糖尿病では合併症としての神経の障害が出るために神経がマヒして胸の痛みを感じにくくなっているためだと考えられている。前兆がもしあっても、知識や警戒心、自覚がなければ、しかるべき検査や治療にはなかなか踏み切れないものだ。

心臓手術を経験した患者で作る患者の会などで話を聞くと、知的なレベルも人並み以上で社会的に相当ステータスの高い人物でも、なぜか自身の健康状態についてだけ、信じられないほど無知で、“非常識”な人が少なくない。

脂の乗り切ったこの年代、知力と経験で天下国家を論じることも勿論大切だが、余生を過ごす上でのプライオリティーは、ありふれたことだがまず「健康であること」を確認しなければ、何にも始まらないし、続かない。

これからという花岡氏の急逝を悼む。

と同時に、検証の上、教訓を読み取って他山の石としたいものである。

20110517

2011年04月29日

◆いまこそ旗幟を鮮明にせよ

石岡 荘十

ねじれ、混迷する政治情勢の真っ只中で起きた天災。日本列島は、終戦直後にも匹敵する未曾有の数々の難問に直面している。いずれもわが70余年の人生の中でも、極めつけの難問である。

70年安保の前後、警備・公安関係の報道の端っこにいた現役時代は仕事柄、全国紙は言うに及ばず、左翼、新左翼、某“新興宗教”の機関紙、果ては永田町界隈でしか読まれていなかったウルトラライト組織のビラに至るまでチェックしなければならない何年かを過ごした。

いまはそうはいかず、ときどき近くの区立図書館で全国紙を中心に各紙の主張をまとめて拾い読みする程度だが、各紙がいまほどひとつの進むべき本流を見定めかねている時代は無かったように思う。一読者としては複数の新聞を読んでもトンネルの先に曙光は見えてこない。

世の中はどう動いているのか、とりあえず、いま私が知りたい当面の問題は3つある。

1.世界の原発、なかんづく日本の採るべき道は? 「賛」か「反」か「減」か。

2.現政権について。「菅は今すぐやめろ」「とりあえず災害対策のメドがつくまで」「任期一杯このまま」

3.即刻、退陣するとして、次は誰?

逐次、精密に検証したいがはっきりいうと、力及ばず、“精査”していないので、ここでは私見を独断で言う。

まず1.三択だが、全国紙の社説はばらばらだ。賛成する石原東京都知事の発言をフレームアップして、暗に賛成の意思をほのめかしてはいるものの、社として一人称で断言するところまでいっていない。

私は「賛」。理由は4月21日、本メルマガで書いた。

http://melma.com/backnumber_108241_5165423/


人類は核エネルギーの恩恵をすでに長く受け過ぎた。だから、いまさら脳に刻み込まれた甘い飴玉の記憶を拭い去ることは無理だろうと考えるからだ。ただその展望の正否は「プロメテウスの第二の火」をどう使いこなすか、これからの人知の成熟にかかっている。

つぎに2.

これも3択にしたが、「菅今すぐヤメロ」という主張は、以前は産経だけの少数意見だったようだが、このところ他紙も、その動きが加速している永田町の事情を伝えている。しかし、最近は全国紙のほとんどが「いましばらくは仕様がないか」という論調が多い。

この時期、仮に、現首相が総辞職したとして、あるいは首相専権の解散をしたとして、「被災者の皆さん、新政権が出来るまでしばらくお待ちくださいと」と言えるだろうか。

十数万人の避難者が待てるか。言いにくいが、季節的に加速する1万人を超える行方不明者の腐敗の進行を看過できるだろうか。「今すぐ」というなら、そのリスクをちゃんと計算・予測して書いてほしい。

「それでもすぐ辞めろ」というなら、「そんなのカンケーねぇ」という読者にたいする説得力のある記事がほしい。

私は、「いま、政局がらみのごたごたをやっている場合ではない」という論調に賛同する。政局より、「1日も早く普通の生活に戻りたい」という被災者の気持ちを最優先にしたい。

で、問題は3.である。

各紙は、人気投票のような世論調査の結果を他人事のように報道して「だから菅は降りるべきだ」という主張の根拠のように書いているだけで、その一方で「自民党も頼りないしなぁ」としか言っていない。

ならばどうするか。各紙を見ても、どこも固有名詞を上げて「この人に任せよう」とは主張していないのである。これでは、誰が適任か、素人の私には判断できかねる。大方の国民もそうだろう。

われわれ無垢な羊の群にとっては、IT情報がどうのといわれる時代になったいまでも、新聞が世論形成に重要な役割を担っていると思ってい
る。

そこで、政治部記者歴が長い某全国紙の主筆に聞いたが、「それがねぇ---」としか言えなかった。「この春の人事異動で代わった部長、局長全員を集めて議論をしたが、結論は出なかった」という。

“国難”だといわれている。だからこそ世論形成に一定の役割を果たそうという自負がおありなら、いまこそ新聞社は社論をまとめ、旗幟を鮮明にすべきではないのか。

戦時、国策に沿った提灯記事しか書けなかった時代があった。その結果は、いうまでもない。新聞社も営利を無視できない企業体だから、社論を決めることで後々、経営的にマイナスになることもあるかもしれない。

だが、何でも書ける、軍部による言論弾圧もないいま、新聞社にとっては、敗戦以来の“国難”に際して、実力と品格を示し、戦時の過ちを雪辱するチャンスではないのか。2011.04.28


2011年04月27日

◆石をもて君は東電を打てるのか

石岡 荘十

いまこの国で一番、非難・批判が集中している企業は東京電力だろう。だが、それにつけて思い出されるのは新約聖書にある話(ヨハネ伝第8章7節)である。

姦淫した女性へ石打ちの刑をイエスに迫る村人たちに対して、イエスが言った言葉。「まず罪なき者、石もて打つべし」。すると、村人たちは歳を取った者から1人帰り2人去っていったという。

問題となっている東電福島第一原子力発電所の1号機が営業運転を開始したのは1971年3月のことだった。

その10年前の1960年、福島県は、原子力利用による発電事業の可能性について調査を実施。人口希薄で、30m程度の断崖になっていたため、ここを適地と判断し、双葉町と大熊町を選定した。

これを受けて両町は原子力発電所誘致促進を議決した経緯がある。

安全性については、1960年5月24日のチリ地震津波(地震発生は5月22日)、高さ6メートルを最大限として防波堤、防潮堤を建設、立地をすることで国の安全基準をクリアした。

東京電力はここで機が熟したと判断してアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)社にプラント建設一式を発注したという経緯がある。

因みに、時の総理大臣は池田勇人(1960年月〜1964年1月)、佐藤栄作(1964年1月〜1972年1月)だった。

確かに原発建設に当って国の基準は守られた。しかし東電だけではなく国も「安全基準が甘かった」と認めている(18日、参議院予算委員会)。つまり、建設計画当時、安全性について両者は共犯関係にある。

ところが、2006年3月1日、京都大学原子学工学科卒という経歴のある共産党衆議院議員、吉井秀勝氏が国会質問で、福島第一原発を含む43基の津波対策の不備を指摘。

冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告した。当時の経済産業大臣は、二階俊博氏(自民党)で、対策を約束したがほとんど何の改善も行われなかった。

その年の9月、小泉総理退任。後任の安倍晋三総理大臣に対して12月、吉井議員は「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出したが、安倍総理は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と事実上、無視した。

吉井議員は2010年4月にも衆院経済産業委員会で同じ問題を取り上げたが、この時の直嶋正行経済産業大臣(民主党、鳩山総理)も「多重防護でしっかり事故を防いでいく、メルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」と断言し、何の安全対策も講じなかった。

今にして思えば、相手が共産党ということもあってか、なんとも白々しいものだった。多分、官僚の作文であろう政府答弁はおざなりであり、対策を約束しながらも、実際には何もしなかった。

事故を回避できなかった原因として指摘されている担当大臣や総理の答弁は個人の考えではなく、多分、官僚の作文、それを支える専門家(学者?)の書いたシナリオに乗ったものだろうが、政治家たる者、発言内容と結果に責任を持たねばならない。

元経済産業相、総理、そのシナリオを書いた官僚、学者は誰か。その責任を問う声は聞かれない。同時に、問いたいのは当時のマスコミに責任
である。

吉井議員が問題提起をした2006年当時は、いうまでもなく政局は混迷の真っ只中にあった。日替わりランチのように毎年総理が変わって、自滅への坂を転がり落ちていった時期だ。政治記者にとっては、ウデの見せ所だっただろう。

”Bad news is good news.”だからだ。政局取材に奔走したであろうことは当時の記事からも読み取れる。「原発危うし」などという分かりにくくて地味なニュースがフレームアップされて報道された記憶は私にはない。

事件屋だった私にはよく分からないが、「政治家は党利、党略、私利、私欲で物事を判断する人種」(某全国紙主筆)だそうだから、政治記者もまた政局取材に没頭した。地味な原子力エネルギー政策に取り組んでも、社内力学を考えるとボツだったのかもしれない。

東電の盆暮れの付け届け、接待攻勢で、「安全神話」を吹き込まれて信じこんだ記者もいた。当時、地方記者だったOBから具体的なケースも聞いているがここでは書かない。

だが、彼らも共犯者ではないのか。政権与党にも、東電から多額の政治献金があった。

歴史的・客観的な結果責任という評価の視点に立てば、“国難”の兆しがありながら、それを見逃がし、一億国民を戦争に駆り立てたあの時代のマスコミと同じ評価をいま受けることに甘んじなければならないだろ
う。

ただ戦時と違うのは、この時代、軍部による情報統制の圧力があったわけではないのに、国のエネルギー政策の検証と批判を怠ったという点だ。その分、より大きな責めを受けなければなるまい。

にもかかわらず、東電・政局批判の論調は続く。長年、政治担当だったというある政治記者は、いまも政局記事を生き生きと書きまくっているが、この間、政局報道にのめりこんで重大な政策を見落としたという反省はないのか。

被災者の苦難を思えば、いま長屋の井戸端会議ような政局がらみの噂話、憶測にかまけている場合ではないだろう。

「まず罪なき者、石もて打つべし」君はいま石で打つことが出来るのか。

                            20110425