2010年05月05日

◆「そして誰もいなくなる」のか

石岡 荘十

表題は、いうまでもなくアガサ・クリスティーのミステリー小説の名作『そして誰もいなくなった』(米版And Then There Were None)をもじったものだ。刊行されてから間もなく70年ほどになるので、簡単にあら筋をおさえておく。

大西洋の孤島に招待された10人がひとりずつ殺されていく。そして最後に誰もいなくなる。犯人は誰か。クローズド・サークルと呼ばれる外界との往来が断たれた状況設定の代表的ミステリー作品だとされている。1945年ルネ・クネールのメガホンで映画にもなっている。

私がアガサ・クリスティーにのめりこんだのは学生時代の‘50年代後半ことだが、ここではその話をしようというのではない。最近のこの国の状況が、アガサ・クリスティーの表題を思い起こさせる。

この閉塞状況は大西洋上の絶海の孤島に似ている。情報は燦燦と降り注ぐが、この国の国民は情報リテラシー、つまりあふれる情報を読む能力に欠けているらしい。

就中、リーダであるべき鳩は情報が読めない。本メルマガだけでなく、あらゆるメディアが「ヤメロ、ヤメロ」の大合唱で、これらを読む限り、いまや退任が“既成事実”、決まったことと国民に思い込ませている。

思い起こせば、遡った10人ほどのわが首相はアガサ・クリスティーの描く絶海の孤島で、それぞれのバックグラウンドや経緯はともかく、消えていった。

めまぐるしくて細かいことは思い出せないが、ここ5人か10人は首相になった途端、「ヤメロ、ヤメロ」の猛攻撃に合って倒れたような気がする。そしていま「鳩ヤメロ、一ヤメロ」の大合唱だ。

自分たちが選んだ首相に、政治のプロ、評論家が罵詈雑言のシャワーである。なかには、物書きとしての最低限の品性をも疑わせる単語も駆使する御仁がいる。

日本人は人を謗るにしても、昔はこんな言い方はしなかったものだ。その尻馬に乗って、止せばいいのにど素人が訳知り面で「ともかくヤメロ」と絶叫。

結果、無邪気な選挙民はつい半年前、自分があの人を選んだのはひょっとしたら「間違いだった?」「騙された?」とモヤモヤ。やがてそれが確信に変わり、世論調査に答える。

が、それは本当の世論か、と最近思う。彼らは「そして誰もいなくなる」リスクに気がついているのか。 

そこで政治問題のプロ、評論家、それに連なる方々にお聞きしたいのである。世界の孤島で歴代の首相がつぎつぎに“世論”の餌食になった日本列島で、鳩は何人目のターゲットなのか。10人目だとすると、これはやばくないですか。

この島をリーダーのいない極東の孤島にしたいのか。そんなことないですよね。つぎは誰が最適か、ベストではないが誰がベターか、密かな思いはあるはずだ。決まってから、ああでもないこうでももないとケチつけることで口を糊するのは後出しジャンケンのようなものだ。フェアではない。

ここはひとつ、ど素人なのでよく分からないが、プロは当然のこと、追っかけ素人も「辞めろ」というなら、「辞めさせて、菅にしろとか、舛がいいとか」、はっきり個人名を挙げて宣言してもらいたいのである。それがプロの最低限の見識・責任ではないのか。

本メルマガで何度か同じ趣旨のアピールをしたことがあるが、誰も答えてくれなかった。なぜ?子育ては「褒めて(おだてて)育てる」っていいますね。そんなことも考えないと「誰もいなくなる」のでは?

それはそうと、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』で10人を殺した犯人は誰か。思い出せない。で、アマゾンでハヤカワ文庫を発注した。    20100504

■本稿掲載の5月5日刊全国版誌「頂門の一針」1906号のご案内
<目次>:子供の日
・鳩山首相の安保感覚は:花岡信昭
・迷走招いた「言葉の軽さ」…鳩山発言録:古澤 襄
・ハトに寄り添う寺島実郎という悪党:平井修一
・小沢一郎氏のいう民主主義とは?:須藤文弘
・「そして誰もいなくなる」のか:石岡荘十
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

■購読(無料)申し込み御希望の方は
 下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年04月29日

◆半身不随になった2人の友人

石岡荘十

ゴールデンウィークに、母校である群馬県の高崎高校の友人とゴルフに行くこととなった。ところが、幹事から送られてきた名簿に常連の2人の名前がない。「どうしたんだ」と電話で訊くと、「2人とも脳卒中で倒れて半身不随だ」という。

1人目は、寒暖が激しかった3月のある日の明け方近く、様子がおかしいことに横で寝ていたかみさんが気づき、亭主の体をゆすって声をかけたが、「うーん」とうめいて言語不明瞭。夜明けが近かったので、迷ったがサイレンで近所に迷惑をかけてはと思い、そっとしておいた。夜が明けて救急車を呼んでかかりつけの地方の中核病院へ搬送。

もう“異変”から大分経っていたという。その病院でどのような処置が行われたのか、詳しい話しは聞けなかったが、察するに、このとき彼の脳内では、血管に血栓(血の塊)が詰まって血流を妨げ、そこから下流の脳細胞が壊死を開始していた。

脳細胞は壊死すると、その細胞がつかさどっている運動機能が麻痺する---。壊死した細胞は二度と機能を回復することはなく、余生を「よいよい」で過ごすことになる。本人は勿論、家族のご苦労を思えば胸が潰れる。

もう1人の友人は正月だったというが、発症後どんな対応を取ったのか、本人とは話しも出来ず、家族もきちんと説明することはなかったそうだ。

だが、この2人の家族に共通して言えることは、日本の3大疾病の3番目に挙げられている脳疾患(年間の死者15万人)について、高齢家族が持っていなければならない最低限の知識を持ち合わせていなかったのではないかという疑いである。

脳梗塞になっても、対応さえ間違えなければ何の後遺症も残さず、快適な老後を楽しむ治療法がある。このことさえ知ってさえいれば、2人の友人とはゴルフ場で再会の喜びを分かち合えたはずなのである。

その治療法を受けるための最低限の知識ははこうだ。
・体の片側、例え、それが片手の小指の先のしびれであっても、「おかしいな」と思ったら一刻も早く、夜中であろうと、明け方であろうと、迷わず救急車を呼んで病院に駆けつけること。

・だが病院ならどこでもいいいというわけではない。脳梗塞を解消するT-PAという特効薬(血栓溶解剤)の点滴を24時間体制でやってくれる専門医のいる病院でなくてはならない。

・この治療を受けることの出来る病院はそう多くない。24時間体制で専門医がいてMRIなどの検査が出来る医療体制が整っていなければならない。自分がいざというときに駆け込む病院をあらかじめ決めておかなければならない。

・というのも、このT-PAという薬は発症から3時間以内でなければ効果を発揮しないからだ。検査の時間を考えると、一刻も早く、出来れば2時間以内に病院に着いて精密検査を受けることが望ましい。
・ 点滴を開始すると、動かなかった半身が15分で機能を回復し、歩いて退院したという実例が専門誌に紹介されている。

問題は、地方ではそんな条件の整った病院はそう多くないということだ。そんな専門病院をどうやっての見つけるか。それはもうそのトシになったら、年に1回、定期的に脳ドックでも受けて、まず診察券を確保し、そのとき医者に訊くしかない。「T-PAをやってますか」と。やってなかったら他を当ってみよう。

インターネットで調べる方法もある。面倒なようだが、いざというときのことを考えると、どうせヒマなのだからこれくらいのトライはリクリエーションだと思えば、楽勝ではないだろうか。

で、ジジ、ババはトモシラガで天寿をまっとうできる。          20100427

2010年04月11日

◆残留孤児支援の菅原氏に吉川賞

石岡荘十

この32年間、中国残留孤児の生活支援に余生をかけてきた菅原幸助さん(84)に吉川英治賞・文化賞が贈られ、9日、都内のホテルで贈呈式が行われた。

吉川英治賞はもともと、芥川賞や直木賞ほど大騒ぎは市内が、文学を目指すものにとって名誉ある励ましの賞であることに変わりはない。昭和42年にできた第1回文学賞受賞者には松本清張、2回に山岡荘八、3回・川口松太郎、4回・柴田錬三郎、源氏鶏太、水上勉---と錚錚たる作歌が名前を連ねている。

そして今回(44回)は、学校でのいじめを扱った重松清の「十字架」が選ばれた。

9日夕刻、帝国ホテルで開かれた贈呈式で選考委員会を代表して、第10回(昭和51年)「青春の門」で受賞した五木寛之さんが挨拶と選評に立ち、「現代の罪と罰を鋭く描いた」と高く評価した。

吉川賞には、このような文学賞に加えて文化賞がある。文学賞に比べ地味な存在ではあるが、第7回(昭和48年)には「ねむの木学園」で身体に障害をもつ子どもを励まし続けた宮城マリ子さんが受賞しているが、ほとんどの人が無名の市民だ。

受賞者の名簿をざっと見ると、ブラジル移民に胡椒栽培を指導した人、野生の猿を記録し続けた人、文楽人形の鬘を作りつづけた職人ら、一人ひとりがその道一筋の筋金入りの頑固者を貫いてきた人ばかりだ。

その中にことしは、永年中国残留孤児の帰国と帰国後の支援に余生をかけてきた元日本陸軍関東軍の憲兵、朝日新聞記者だった菅原幸助さんが選ばれた。

菅原さんについては、これまでも何度か本メルマガで紹介しているのでここでは繰り返さないが、是非、下記をごらんいただきたい。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/1485775/

選考委員を代表してドキュメンタリー作家・柳田邦夫さんは「永年地味だが一筋つくしてきた皆さんに敬意を表する」と挨拶があった。

これに応えて、片肺摘出の大手術を受けて間もない菅原さんが、お嬢さんが押す車椅子でマイクの前に立ち受賞の挨拶でこう訴えた。

「中国奥地で開拓民を見捨て、自分の家族を終戦間じかにいち早く特別列車を仕立てて帰国させた関東軍や現地の満州国の官僚。私はその警備に当った。慙愧に耐えない。

その軍人遺族年金は年間500万円。見捨てられた孤児たちはやっと帰国したものの、その6割がすぐ生活保護に陥った。裁判は決着し政治解決を見たが、それでももらえるお金は生活保護に準じた厳しい条件が付けられているわずかなものに過ぎない。こんな国でいいのか。国はまだ彼らに正式に謝罪していない。中国残留孤児の尊厳のためにもこれからも国に謝罪を求める活動をつづけていく」

大正15年生まれ、85歳の老人の挨拶に出席していた10人ほどの中国残留孤児はみな鼻をすすり、涙を流した。

贈呈式の後開かれた祝賀パーティー。
菅原さんの奥さん、長男、長女、長男の奥さん、孫の2人の娘さんが、残留孤児に囲まれて記念写真に納まった。

財団法人吉川英治国民文化振興会の理事長・吉川英明氏と柳田邦夫さんは、ともに昔NHKの報道で私の同僚だった。まことに不思議なご縁だった。そのこともあって、お2人に改めて菅原さんご一家と残留孤児たちを紹介し、これからの運動への支援をお願いした。

菅原さんは、「これじゃー、まだ死ねねーな」と運動の仕上げへの情熱をつぶやいてご家族と一緒に会場を後にした。   20100410
  
            

2010年04月03日

◆がんセンター理事長が職員に喝!

石岡荘十

今日4月1日をもって「国立」から独立行政法人に移行したがんセンターの初代理事長嘉山孝正理事長は、午後、理事をはじめとする幹部職員に対する辞令を交付、職員に対しその抱負を語った。

会場はがんセンターの階段教室形式の国際会議場。300ほどの席は白衣の医師や看護婦らで満席、“立ち見”も出る盛況で、新人事とこれからのがんセンターが担う使命を語る嘉山理事長理事長に熱い眼差しが注がれた。

厚労省出身の医系技官が管理局長として総長や病院長を超える人事・管理権を持ちカネとヒトを思うがまま牛耳ってきた昨日までの体制がどう変わったのか。

理事長を補佐する理事2名はいずれも医師、研究者であり、厚労省天下り医系技官の名前はなかった。1962年、病院が出来て半世紀でがんセンターはやっと厚労省の頚木から解き放たれたということだろう。天下りの象徴的存在だった管理局長の業務は経営のプロが入って、旧体制の経営手法にメスを入れる人事体制が明らかとなった。

新生がんセンターの使命は、調査、研究、技術開拓、教育、政策立案など7つ。嘉山理事長の抱負はこうだ。

「これまでは国にいわれたことだけをやっていればいいという体制で、責任の所在がはっきりしなかった。これから違う。例えば、ドラッグラグ(医薬格差)の解消」

海外では広く使われている薬も日本で使われるまでには何年もかかって、患者がその恩恵を受けることが出来ないという格差の解消が問題となっているからだ。嘉山理事長はそれだけでなく、「創薬」、新しい抗がん剤の開発に取り組む決意を語っている。

「医療機器の開発、放射線治療のトップリーダーを育てる。臨床現場から問題を発掘して国に提言していく。そのためには医師や看護師を増やさなければならない。幹部職員など専門的な技術をもつ人は公募を基本とし優秀な人材を集める」

日本には今現在、がん患者は何人いるのか。これを「がん登録」というが、わが国ではこの調査さえ行われていない。患者が死亡した時はじめて、年間死亡数30数万人という統計数字となって出てくるだけで、治療を受けている患者の実態は不明だ。これではまともながん対策は出来ない。嘉山理事長は情報を収集し、開示する考えだ。

理事長はこう喝を入れる。
「がんセンターは真に国民のための組織に変わらなければならない。自分の家だと思ってほしい。だれが設計したのか知らないが、あの玄関ロビー。完全暖冷房。こんな家はよほどの金持ちしか建てられない。その借金をこれまで税金で払っているのですよ。ほっておけば事業仕分けの対象になるところだ」

東京・築地に威容を誇るがんセンター玄関を入ると3階までの吹き抜け。観葉樹が繁茂したロビー、一流ホテル並みの豪華さだ。

1997年当時、総工費600億円だった。業界の常識では400億円でできたはずだという。当時の相場では1床当り3千万円くらいだといわれるが、がんセンターでは7〜8千万円もかかっている。豪華なはずだ。設計管理者はいうまでもなく厚労省医系技官である。

その反面、職員に対する待遇は---。
駆け出しの医者は病院の中に6畳ほどの部屋をあてがわれて住み込みで働き、手取りは月20万円程度、ボーナスなし。

嘉山理事長は、就任挨拶の中で最後にこう約束した。
「職員にとって魅力的で働きやすい職場環境の整備に努める。医療事故などで問題が生きてもblame free、つまりだれの責任かを追及するのかではなく、なぜこの事故がおきたのか、原因を追求する姿勢で臨む」
嘉山理事長はこのように呼びかけ、拍手の中、会場を後にした。

なお、中央病院長を4月1日退任し癌研究所顧問に就任した土屋了介氏は、外部評価委員を務め間接的にではあるが引き続きガン研究センターの改革に関わる。院長の後任には嘉山理事長が当る。

新体制の組織図を見ると、理事長が名実共にトップで責任の明確化を図った。嘉山理事長は引き続き中医協の委員も務めることから、政治的なパイプの役割も担うこととなる。

関連記事は下記。
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_65179_51468_6 「再生なるか、がんセンター」 
20100401

■本稿は、本日4月3日刊「頂門の一針」1870号に掲載されました。
<1870号の目次>
・資質・能力を問われている首相:阿比留瑠比
・小沢一郎さんのパワーは落ちた:岩見隆夫
・記者会見の公開とは何か:花岡信昭
・がんセンター理事長が職員に喝!:石岡荘十
・胡錦涛、またもカメレオン的変身術:宮崎正弘
・4月期英語指導法研修会のご案内:e-pros
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
◆購読(無料)申し込み御希望の方は
 下記のホームページから手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年03月30日

◆現役医系技官がインフル総括に反論

石岡荘十

本誌(3/25刊)で、新型インフルエンザ中間総括に対し、この中でも取り上げた現役医系技官木村もりよ検疫官が「今更何を言うのか」と反論している。

中間総括は厚労省の新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会の委員長でもある尾身茂自治医大教授が明らかにしたもの。事実上、水際作戦が政治的パフォーマンスであったことを政府関係者として始めて認めながら、しかし、「行き過ぎやタイミングを間違ったところはあるが、うまくいった」と結論付けている。
http://www.melma.com/backnumber_108241/ 「水際作戦はパフォーマンスだった」

筆者が上記、中間総括の内容を木村氏に伝えて反論を聞いた。こうだ。

「水際作戦の無意味さは当初から分かっていたことであり、今更何を言うのか、という感じ。審議会の議事録も満足に残していない委員長はどうやって今回の新型インフルエンザ対策の総括をするつもりなのかと思う。新型対策が個人の思いつきで始まり、総括も個人の感想で終わる。これが国の総括として扱われることはおかしい」

ここでいう<議事録も満足に残していない--->、

このくだりは説明が必要だ。新型インフルエンザがパンデミックで大騒ぎになった頃の会議録2・3回分が残っていないことが最近になって明らかとなり、問題となっているのだ。会議録も満足に残していない厚労省の事務方(医系技官)がどうやって新型インフルエンザの総括をするのかと木村氏は指摘しているのである。

この件について尾身委員長に質すと、「対策に追われて、それどころではなかったのだろう」と官僚をがばっている。

木村氏はさらに<日本の新型死亡率が低かったことについてはきちんとしたデータを元にした多角的な考察が必要であろうが、世界でもっとも効率的な医療を提供している臨床現場の頑張りが大きく貢献していると考えられる。少なくとも尾身委員長のおかげではないだろう>と容赦ない。

自画自賛ともいえそうな、尾身委員長の中間総括の考え方を批判する論議はなにも今始まったわけではない。

先月19日の厚生科学審議会感染症分科会でのことだ。黒岩祐治委員(元民放キャスター、現在国際医療福祉大教授)の会議中の発言はこうだ。

「チフスのようなもののパンデミックが起きたかのように飛行機を止めて防護服を着てウロウロして水際作戦だと言ってやった。

しかも途中途中で水際作戦がうまく行っているとアナウンスして。しかし結果から見れば全くのウソ。誰がどこでどのように間違えたのか総括してもらいたい。厚生労働省に確認したい。国民は今回の騒動に振り回され騙されたと思っている。

総括はしたのか、してないとするならする気はあるのか。ワクチン接種の優先順位付けを国がやるかどうかも、今後の議論の対象に入れてほしい。それから厚労省の総括が行われるならそれを見守りたい」

また新型インフルエンザで大騒ぎをしている当時、現職の医系技官で大臣政策室の政策官を務め、舛添前厚労相のアドバイザー的役割を果たした村重直子氏は昨年9月、医療関係者を読者に持つメーマガジンMRICでこう述べている。

「日本の新型インフルエンザ対策は、目的が定まらず、ブレ続けてきました。公衆衛生の専門家であるはずの医系技官が勉強不足のために、何を目的として対策を行っているのか理解していないからです。医系技官というのは、医師免許を持つキャリア官僚ですが、終身雇用や2年毎のローテーションシステムの中で、公衆衛生の専門性さえ失ってしまった集団としか言いようがありません。(中略)

本来、患者への医療に専念してもらわねばならない医療機関に、これほどの責任と負担を負わせるのでは、新型インフルエンザ対策とは、医系技官による人災なのか、ウイルスによる天災なのか、わからなくなります」

官僚組織の真っ只中にあって実感したこの批判に、尾身委員長はどう答えるのだろうか。

村重氏は東京大学医学部卒、アメリカや日本国内の医療現場で武者修行をした後、厚労省に入省した変り種で、政権交代後は仙石由人大臣の許で仕事をしていたが、医系技官に愛想を尽かし今月15日、退職してしまった。

「仙石大臣のところでは医療にあまりかかわりのない仕事でした。医系技官でいることに意味がないと思って辞めました」とその心境を筆者に語った村重氏と同じようにアメリカで学び、帰国後厚労省に途中入省、現役の医系技官としては村重氏の先輩でありながら終始、厚労省の医療行政のあり方を批判し続けている木村氏は、村重氏が退職したことについて筆者へのメールでこう言っている。

「今まで内部から声を上げてきた同僚として残念である。ご本人の考えでの退職であろうが、もう少し内部で頑張ってほしかったと思う。言論の自由が持てないということを彼女が言っていたが、村重氏のバックグラウンド(舛添→仙谷)を考えると私とは違った制約があったのではないかと推察する」

政府は今月から6月にかけて委員会を開き正式な総括をまとめる考えだが、政府としての正式の総括が、すんなりゴールするとはとても思えない。

なお、木村氏、村重氏について詳細は下記。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4604026/
「感染症プロ、3女性に注目!」
20100326
         


2010年03月26日

◆癌ではないのか金総書記

石岡荘十

北朝鮮の金正日総書記の余命についての情報が飛び交っている。万が一のことがあれば日本を含む極東情勢に激震をもたらす可能性が高いだけに、安全保障上、あるいは拉致事件関連でも重大な関心が集まるのは当然だろう。

本メルマガ1854号(3/19)で、古澤氏が集約した情報によると、キャンベル米国務次官補は、韓国滞在中に非公開な席上で、北朝鮮情勢や金総書記の後継問題についてかなり踏み込んだ情報を提供していた。とくに金正日総書記の健康について、「寿命はあと3年ぐらいだろう」と述べたという。

ところが記事を読み進むと、医学的に頭をかしげるところがある。

<脳卒中で倒れて以降、金総書記のここ1年間の写真や映像を分析すると、手の色が黒ずんでいる一方で、爪は非常に白いことから、腎臓にも問題があるのではないかと推測されている>

この部分だ。
普通、医者が余命宣告をする病気は進行性の病に罹った患者に対してだ。典型的なものが癌だ。最近は早期発見で完治に近い健康を回復する症例が増えてきている。有名人で言えば、プロ野球の王監督(胃がん)、仙石大臣(胃がん)、与謝野財務大臣(喉頭がん)などのケースがそうだが、これらはいずれもがんが転移をしていない症例であって、転移をした癌について現代最新医学はまだ完治する治療法には到達していない。

転移が確認された進行性のがんの場合、その進行の度合いによって、多くの患者が余命宣告を受けている。

そこで、金総書記の病名は脳卒中だと言われている。脳卒中はいうまでもなく脳の血管が詰まったり破れたりし、そこから川下の細胞が壊死する病だ。これによって壊死した細胞がつかさどる運動機能が損なわれる。

金総書記の場合は、公開された映像などから判断すると、右脳の細胞が詰まったか切れた。損傷したところが比較的細い血管だったため、軽症で済んだということだろう。

だが、脳卒中のほとんどは、それらしき前兆はあってもある日突然、発症する類の病気だ。進行性の病ではないので、発症を根拠に「あと何年で死ぬ」などと余命を推測することは出来ない。

<腎臓が悪いらしい>とも言っているが、同じ理由で、「余命3年」と推測する根拠にはなりえない。

ただ、脳卒中も、心臓病、腎臓病も生活習慣病のひとつではあるから、広義の進行性の病ではある。が、それを根拠に余命を予言することは医学的に不可能である。

<昨年8月にクリントン元大統領が金総書記と面会した際には、米国は応急医学の専門医を同行させるなどして、金総書記の健康状態に関する情報をさまざまな角度から収集した>という。

だから「あと3年発言」が信憑性の高い情報だというのか。頭をかしげる。

クリントン氏に同行した医師らが「まあそう長くないな」という程度の発言はしたかもしれないが、伝えられた情報だけを手がかりに「あと3年」と判断するのは無理がある。
では「あと3年」が伝言ゲームのように流布しているのはなぜか。
考えられるのは次の2つのケースだ。

まず、公表されていない確度の高い情報が他にある。たとえば、金総書記がじつは癌であるという情報を米情報機関が得ている可能性はないか。それなら、余命を云々する根拠にはなり得る。

もうひとつ考えられるのが、何らかの理由で韓国での米軍存在意義・重要性を高め、危機感を煽る必要があった。その口実に金総書記の健康情報が使われたのではないかという見方だ。

古澤氏の記事によれば<マレン米合同参謀議長は昨年10月にソウルで開催された韓米軍事委員会(MCM)の会合で、さらにシャープ駐韓米軍指令官も今年の初めに、韓国軍に対して急変事態に備えた合同訓練の実施を提案した>という。軍事訓練の口実に、総書記の健康問題を利用したのではないかという疑いである。

今回、訪日をスキップしたキャンベル氏は改めて日本を訪れるといわれる。政治的な関心はまず在日米軍基地の問題だろう。が、「あと3年情報」の根拠についても、しかと確認する必要がある。         20100319

2010年03月25日

◆水際作戦はパフォーマンスだった

石岡荘十

新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会の委員長でもある尾身茂委員長(自治医大教授)は3月23日の記者会見で今回のインフルエンザ“騒動”を中間総括した。この中で尾身委員長は事実上、水際作戦が政治的なパフォーマンスであったという見解を、政府関係者としては始めて明らかにした。

海外からに帰国者を空港で厳しきチェックする“水際作戦”が始まったのは昨年4月28日のことだった。テレビは、SF映画でしか見たことのないような防護服に身を包んだ検疫官が右往左往する有様を繰り返し放送し、危機感を煽った。

舛添前厚労相は深夜テレビで国民に対して「冷静に行動するように---」と呼びかけたが、後に「あんたが冷静になれよ」と揶揄される有様だった。

尾身委員長によれば、厚労省に呼び出されたのは4日後の5月1日だった。その時にはすでに防疫法に基づく非常行動発令のボタンが入ってしまった後だった。アドバイスを求められたのは、感染の疑いがあるとして空港近くのホテルに停留、つまり隔離・軟禁状態に置かれている海外からの帰国者の扱いについてであった。

10日間停留となっていたのを潜在期間のメドとなっている1週間に短縮したほうがいいではないかと提言して、そうなった。

尾身委員長は言う。
「空港で1人の感染者も入れないといくら頑張ったって、潜伏期間のある感染者がすり抜けて国内に入ってくるだろうということくらいは、官僚(医系技官)だって分かっていたはずだが、WHO(世界保健機関)が警報を発している状況の中で、検疫レベルで何もしないのでは、国民に批判されたときにそれに耐えられるか。そう考えた。だがやり過ぎた。

その結果、国内対策へのシフトが遅れた。地域医療施設へのフォローアップが遅くなった。

この2点が今回の最大の教訓だと思う。地方自治体に対して、地域医療対策に力を入れるよう指令したのだが行き届かず、コミュニケーションがうまく取れなかった。水際作戦に気が行ってしまった。コストパフォーマンスからいっても問題はあった。」

水際作戦は事実上、政治的なパフォーマンスだった側面があったことを認める発言である。
当時、羽田の検疫所で勤務していた現役の医系技官、木村盛世検疫官は、政権交代前の昨年5月、参議院の集中審議で参考人として出席し、民主党の鈴木寛参議院議員(現、文部科学省副大臣)との質疑の中で「水際作戦は疫学的には無意味だ。政治的なパフォーマンスに過ぎない」と切って捨てているが、尾身発言はこの木村証言を裏付けるものとなった。
筆者が尾身委員長に訊いた。

Q:あれをやったのは間違いだったという反省点はないのか。
A:やり過ぎだったというところはある。しかし、患者の致死率は圧倒的に日本が少ない。(米;3.3、メキシコ;2.9、カナダ;2.8、日本;0.2)。学級閉鎖の効果もあった。はじめから患者の重症化を防ぐことが最重点目的だったからその意味で対策は成功だった。
Q:不評だったワクチン10mlバイアルの件は?

A:ともかく早く量を確保し、市場に供給とあせってああいうことになってしまった。今後の教訓としたい。地方の保健所が1万人に及ぶ海外とこう歴のある人の追跡調査を電話でやったが、もっと能率的な方法もあったのではないかと思っている。

Q:いろいろなところで、すでに厚労省の対応に対する厳しい批判が出ているが---
A:結果だけを見て場違いな批判もある
尾身氏はこうさらっとかわした。

要するに、尾身氏による総括は「行き過ぎやタイミングを間違ったところはあるが、うまくいった」という結論であった。

政府は今月から6月にかけて委員会を開き正式な総括をまとめる考えだが、会議をリードするであろう尾身氏の考えを見ると、総括をめぐって、これまでを上回るさらに広範囲な議論を巻き起こすことになるだろう。

なお、終息宣言を出すかどうかについては、WHOの動向を受けて考えたいという。
20100323

2010年03月20日

◆土屋がんセンター病院長、癌研へ

石岡荘十

国立がんセンターが来月独立行政法人に移行するのを機に、辞任を表明している土屋了介病院長の身の振り方が注目されていたが、癌研究所(東京・有明)へ転進し、で引き続き癌の治療と治療法開発の仕事に取り組む意向を明らかにした。ご本人の確認が取れた。

がんセンターが今抱えている問題については、すでにその概要を報告した。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4791329/ (「再生なるか、国立がんセンター」本誌41847号2/13)
この記事は反響を呼び、日経メディカルオンラインにも転載されている。
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_65179_51468_6

その前に、がんセンターを辞任する理由のひとつになったと思われる医師の人事について同院長がブログで率直に語っている。
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_64749_200302_4
こう述べている。
<(これまでの)自己評価は65点、大掃除が終わっていない。以前おられた麻酔科の先生方が、緩和ケアを行うためにがんセンターを去られたのは間違いありません。ですが「麻酔をかけている際の外科医の態度が悪い」ともはっきりと伺いました。

「麻酔科医を手足のようにこき使う外科医が多すぎる」というのです。この点については、嘉山孝正初代理事長(山形大学医学部長)に(病院経営を)引き継ぐ前に“大掃除”をし、刺し違えてでも、辞めてもらうべき人には辞めてもらおうと思っています。(そうしなければ)私は腹の虫がおさまりません>

土屋病院長は、医師らしからぬ“政治力”を発揮し、600億円にのぼる債務の大幅減額にメドをつける大技をやってのけた。今度は人事の “大掃除”だ。新生がんセンター発足までにはもうひと騒動ありそうだ。が、土屋病院長には新しい土俵でのご活躍を期待したい。

癌研究所は、1908年に“癌の撲滅をもって人類の福祉に貢献する”目的で結成された、民間の非営利組織。日本のがん研究とがん治療とともに、ゲノム研究、遺伝子発現研究、生物情報工学及び遺伝子改変動物実験等、新分野の研究に当っている。

2010年03月16日

◆小沢幹事長が男を上げる方法

石岡荘十

いま日本政界の“極悪人”は小沢一郎幹事長である。新聞やウエッブの政治記事を読むと、人を評するのにこんな日本語もあったか、と評論家の皆様の豊富なボキャブラリーに感嘆する毎日だ。

ただ、ここまでくると見出しを見ただけで中身はプロトタイプの評価・見通しを、手を変え品を変え似たりよったりの論法を繰り返しているだけで、新味はない。なかには書いている人物の品性を疑わせる罵倒台詞ややけくそな悪口三昧、犬の遠吠えのようなものまで散見する。

国会でも血筋正しいあの方が「平成の脱税王」呼ばわりではご先祖様の品位を汚す。正直うんざり、である。

で、週末の一夜、いささか政界に近い筋の仲間や元特派員との月に一度の放談会で、「へぇー」という“仮説”を耳にしたので紹介する。テーマは「小沢幹事長が男を上げる方法」。

いかに極悪人といえど、これから100年も政界を牛耳ることは出来ない。では、いつごろどんな形で退くのが一番格好いいか。何人かの酔っ払いの説はこうだ。

参議院議員選挙まで、すべてお膳立てを整える。某宗教政党とは、選挙協力を取り付けるところまではいかなくとも、これまでのように自民の応援はしないという感触はある。

桜の散る頃には、枝野必殺仕分け人が“平成田舎芝居”を盛大にぶちあげているだろう。でも政党支持率は確実に20パーセント台まで陥落している。そのタイミングを見て、ある日、ぱっと引退を表明する。

これで、政治とカネにまつわる党の「おまえもか」というダーティーイメージは劇的に薄まる。普天間問題も何とか片がついていれば、なかには「ハトもやるじゃないか」という無邪気な有権者も出てくるかもしれない。

引退の理由は、多分、「悪うござんした」ということではなく、かねて噂のあった心臓病を口実に、「一身上」あるいは「健康上」の理由とする。国会議員を辞め権力の座を降りた途端、様子を見ていた検察が動き出すかもしれないから、ここで渡英。あっちの病院に逃げ込むかもしれない。

友人は「前のときほどではないけど小沢が辞めれば、今のような強い逆風は治まり、そよ風が吹いて、選挙はすれすれで過半数取れるかもしれない」という。

その前に、渡米。オバマは多分会わないという見方が有力だが、ダライ・ラマと会ったときのような、公式会見とは違ったステージの出会いの設定はあるかもしれない。

余談だが、先の天皇の時代、宮内庁を担当したことがあるが、正式の会見以外に、須崎の御用邸で、早朝お会いし結構長い時間、肩を並べて歩きながら雑談をした経験がある。お散歩の途中、たまたま記者クラブの連中とぱったり出合ったという設定だった。

大統領と小沢幹事長との会見がこんな形ででも実現すれば、これでも小沢幹事長にとっては“勲章”であることに変わりはない。

辞めれば、小沢の功績を論うところもあるだろう。曰く、
・歴史的な政交代を実現した
・中国のトップと米大統領との会談も実現した
・すれすれでも、参院選で単独過半数を勝ちとった、etc---

これなら男の花道、男を上げることになるだろう。家庭内で充分な蓄財を実現したことも男の甲斐性に入るかもしれない。

さて、ではそのタイミングはいつか。
政界に近い友人は、酔っ払いの素人の戯言を頭から否定するかと思ったら、案に相違。
「あり得るねぇ。5月の連休明けがギリギリのところかなぁ」

Q(複数):「辞めるとしたら、幹事長だけか、政界を去るということか」
A:「代表を辞めた時点で総理になる考えは捨てたと思う。となれば、実質的な権力とカネは手に入ったのだから、政界を退くのではないかなぁ、歳も歳だしねぇ。あとは黒幕、キングメーカーもあるかなぁ。彼の師匠がそうだったから」

Q:「で、ハトはどうする?」
A:「相手がなんぼあの体たらくでも、飛車角落としというわけにはいかないから、選挙の後だろう」

この後のやり取りは、べろべろで覚えていない。素人の世迷い事、お粗末の一席。
お後がよろしいようで---。(文中敬称略) 
20100314


2010年03月14日

特筆◆がんセンター病院長が辞意表明

石岡 荘十

全国版メルマガ「頂門の一針」3月12日(夕刊)で、
( http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
「再生なるか国立がんセンター」を掲載してただいたその日、医療関係者限定のメールマガジン「MRIC」の上昌広編集長(東京大学医科学研究所准教授)が、「国立がんセンター中央病院院長の土屋氏が辞意を表明」の一報を送ってきた。

土屋了介病院長ご本人に対するインタビューが、日経メディカルオンラインのトップニュースで掲載されている。

<ブログ 土屋了介の「すべて話そう」
私は、3月でがんセンター院長を辞めます

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_64749_200302_4

<私はこの3月一杯で辞表を出すつもりです。私が退任を決めたのは、新理事長に嘉山孝正先生(山形大学医学部長)が決まったときでした。嘉山先生は私よりも年下ですし、彼がやりにくくて困るだろうと考えたのです>と土屋病院長は辞意表明に至る経緯を語っているが、記事を読むとどうも理由はこれだけではない。外部からは窺い知れない複雑な事情があるようだ。

国立がんセンターは日本のがん治療“総本山”である。独立法人化しようとしまいと国民の財産であることに変わりはない。新体制の下、その期待に応える再生を果たすことを国民は願っていると思う。ウォッチャーに1人として今後も動向をフォローしていきたい。
                          20100312

2010年03月13日

◆再生なるか国立がんセンター

石岡 荘十
独立法人への移行を3週間後に控えた国立がんセンターの土屋了介中央病院長は、3/9開かれた勉強会で「癌の明日の治療を提言する知恵袋を目指す」とその抱負をこう語った。

「これまでのがんセンターは何のためにあるのか世に問うてこなかったところもある。これからは(独立法人化するのを機会に)新しい癌治療政策を国に提言する知恵袋の役割を果たしたい。

新しい治療法を世に問えば税をつぎ込んでも国民は認めてくれると思う。国民みんなで考え、政策を立案し提言していきたい」

うっかり見過ごしそうだが、「これまでのがんセンターは---」には説明が必要である。

わが国の癌の治療・研究の“総本山”である国立がんセンターが発足したのは1962年、ざっと半世紀前のことだが、この間、厚労省医系技官のおいしい天下り先であり、膨大な国からの補助金を餌に病院を食い荒らしている事実が最近になって明らかとなり、政治問題化している。

具体的な問題のひとつはカネ。

独法化にあたり、600億円の債務を引き継ぐべきかどうかで議論が起きた。この借金の大部分は1997年、いま東京・築地に威容を誇る中央病院の建替えに際して、特別会計からの借り入れたものだ。

利息は4〜5%と高く、年間の診療報酬収入が250億円の医療機関が、毎年30億円の利息を払うことになっている。しかもこの建替えは常識では考えられないほど割高だった。

病院建設の場合、業界の相場では1床当り3千万円くらいだといわれるが、がんセンターでは7〜8千万円もかかっている。民間病院なら400億円ほどで済んだはずだというのに、だ。まるでッどこかで聞いた“ぼったくりバー”に出会ったような(土屋院長)お値段だった。この差額はどこへ流れたのか。

つぎは人事権や予算権の問題である。

がんセンター運営の実権を握っているのは、医師である最高責任者の総長や病院長ではなく、厚労省から出向している官僚たちである。特に、普通の病院の事務長に相当する運営局長は歴代、厚労省医系技官の指定ポストである。

医系技官も医師免許を持っているという意味では医師なのだが、現・運営局長の経歴を見ると、1958年千葉大学医学部卒業後、厚労省に入省。運営局長就任まで本格的に患者を直接診た経験は認められない。

研究者としての実績も無い。運営局長に就任する前のポストは本省の一課長に過ぎなかった。組織上格下にある運営局長が一手に握っている。総長や病院長には部長以上の幹部異動の人事権は無い。

つまり、カネもヒトも事実上、厚労省の思うが侭という状況が永年黙認されてきたのである。

患者の治療だけでなく、新しい療法の開発・普及も国立がんセンターに期待されている重要な使命であるが、どの研究にいくら配分するか、癌研究の方向性についてまで口を出す。

(多分)注射1本打つ技量も無い医系技官が国の医療・研究制度を差配している構図がここにある。これが土屋院長の言う「これまでのがんセンター」だったのだ。

そこで、行政改革の第1弾として俎上に載ったのががんセンターの改革だった。

まず、新体制では初代理事長に医療改革推進に実績のある嘉山孝正・山形大学医学部長が選ばれた。

嘉山氏と土屋院長は舛添要一・前厚労相時代に政府の委員会で、共に大臣のアドバイザー的な役割を務めた仲で、土屋院長は「かなり進取の気性があり、(中略)大変ふさわしい方だと思います」(2/5 日経メディカル・オンライン)と歓迎している。

この2人がタッグを組めば、人事権の問題は何とかなりそうだが、例の600億円の借金はどうするのか。

土屋病院長は3/9の勉強会でこう打ち明けた。

「前政権のとき与謝野財務大臣に陳情した。与謝野さんはここ(がんセンター)の患者さんでしたから。で、半分にということで補正予算に入れてもらったら政権交代になってしまった。

そこで、今度はやはりここで手術したことで医療問題に深い関心を持つようになられた仙谷由人行政刷新担当大臣にお願いしたら、170億円に(減額)してくれた」

仙谷大臣は2000年、がんセンターで胃がんの手術を受け、胃とその周辺の内臓3キログラムを摘出した経験がある。それ以来、癌医療体制に問題意識を持つ。民主党の癌議連の会長を務め、もっとも医療に詳しい議員のひとりといわれる。

土屋院長の専門は胸部外科学(特に、進行肺癌の手術)だが、なかなかの政治力もお持ちのようだ。だが、がんセンターが抱える問題はこれだけではない。

病院の中に6畳ほどの部屋をあてがわれて住み込みで働き、手取りは月20万円程度、ボーナスなしという下積み医師たちの労働条件の改善、厚労省による不透明な研究費分配問題など---。

医系技官の抵抗も生半可なものではない。独法化までもうわずかというこの時期に、今月退職する看護師長の後任に厚労省がある人物を押し込もうとしているそうだ。しぶとい。

土屋院長のいう「新しい癌治療政策を国に提言する知恵袋」として機能するようになるまでに超えなければならない障害は山積している。

医系技官こそが癌であり、医療政策の周辺からど素人の影響力を全摘するには、仙谷大臣以下の“政治的強権”がますます必要となるだろう。

国が挙げて高度医療の開発に取り組む病院をナショナルセンターという。
ナショナルセンターは次の6つだ。

・国立がんセンター(東京・中央区)

・国立循環器センター(大阪・吹田市)

・国立精神・神経センター(東京・小平市)

・国立国際医療センター(東京・新宿区)

・国立成生育医療センター(東京・世田谷区)

・国立長寿医療センター(愛知・大府市)

これらは、がん・心臓病・精神神経疾患などを対象として高度な医療開発と治療を目的とし、来年度独立法人化(独法化)することになっているが、外の5つのセンターも状況もがんセンターと似たり寄ったりであることが明らかになりつつある。

がんセンターの再生なるか。その成否は、わが国の医療の行方を占う上でも注目に値する。<メルマガ「頂門の一針」3月12日夕刊掲載>

◆菅原幸助さんからの手紙

石岡 荘十

永年、中国残留孤児の支援につくしてきた運動が評価され、吉川賞が贈られることになった菅原幸助さんから近況を知らせる手紙が来た。(菅原さんについては、下記)

(「中国残留孤児支援」に吉川賞」本誌1834号 3/1)
http://www.melma.com/backnumber_108241_4778707/ )

彼が病に倒れた。世話になった中国残留孤児にとっても大事件だった。以下、お手紙を抜粋して紹介する。

昨年末から体調を崩して入退院を繰り返しています。3月に入ってようやく家の外を歩行リハビリできるようになりました。

昨年11月末、夜トイレに起きて転倒、頭を打って脳内出血で入院。昨年暮れに肺がんが発見され手術するように医者に言われました。

脳内出血は1月5日、頭に2つの穴を開け、頭の中の血を洗い出し順調に回復しています。

肺がんは1月15日に手術。左肺を半分切除し、2週間後退院、自宅リハビリ中です。両方とも再発のおそれはあるが、4月ごろには仕事が出来るでしょう、と医師の話です。

中国残留孤児80人が横浜関帝朝に参拝してくれたり、孤児の皆さんが、生活が苦しいのに千円から数万円のお見舞金を集めたり、大変迷惑をかけました。

日本の社会では「快気祝い」として品物をお返しする慣わしがありますが、私は一部30万円を「中国残留孤児の尊厳を守る会に寄付します。従ってお返しはしません。悪しからず。

今回の病気は私の不注意によるものでした。トイレで転んだのはハルシオン(睡眠剤)を飲んで寝たため記憶を失ったものでした。ハルシオンは外国では販売禁止になっているそうです。皆さんも注意してください。

肺がんは50歳まで大量にタバコを吸ったためと医者は言っています。

私は85歳まで生きたのだから、頭や肺に穴をあけてまで生きなくともよい。天国に行く準備は出来ています。人はみな、いつかは死を迎えるわけですから。

天から降ってきたように、吉川賞を受賞することが決まりました。これは私に対する賞ではなく、団結して闘った孤児の皆さん、私を支えてくれた多くのボランティアの皆さん全員に与えられた賞だと思います。

孤児への支援はまだ充分ではありません。国の謝罪もありません。受賞をテコにこれからも団結して「戦争反対」「人間の尊厳」のために闘いましょう。

手紙は孤児たちへも同じ文面のものが送られた。

元新聞記者らしく簡潔で行き届いた文面である。支援運動の通訳をしている女性に電話で聞いた。彼女は北京の大学卒業後、中国人の夫の仕事で来日、大学で習ったという流暢な日本語を駆使してボランティアで通訳を買って出ている。

彼女はこう言う。

「大部分の孤児はお金をもらえるようになったことで満足しています。でも、菅原さんが病気で倒れても、『人としての尊厳を取り戻そう』とまだ頑張ってる。今度のことでみんなもやっとその意味が分かったみたいです。私も日本人がやっと分かりかけてきました。菅原先生が死ななくてよかった---」

彼女は話しながら、電話口で声を上げて泣いた。

吉川賞の授賞式は来月9日、都内のホテルで行われるが、たまたま吉川英治の長男と私がNHKの同期生だったという縁もあり、呼ばれることとなった。

その前に、延びのびになっていた新年会を横浜でもつ。心から菅原氏をねぎらいたいと思う。

なお、ハルシオンについて。
メーカーはファイザー社。その注意書きには
<睡眠時間が不十分だったり、睡眠の途中に一時的に起床して仕事など
を行うと物忘れが現れることがある>とある。

海外で売っているところはない。処方にご用心。    20100310



2010年03月11日

◆皇女和宮の死因は急性心筋梗塞

石岡 荘十

「篤姫」は久し振りに当たったNHKの大河ドラマだったが、もう一人のヒロインで将軍に降嫁した皇女和宮は脚気(かっけ)だったといわれる。挙句、今風に言えば、急性心筋梗塞に襲われたのだった。

簡単におさらいをしておくと、和宮は弘化3年(1846年)仁孝天皇の第8皇女として生まれるが、公武合体を図る幕府の画策の末、文久2年(1862年)、14代将軍徳川家茂の妻となった。ともに16歳だった。

慶応元年、家茂は20歳のとき、長州征伐のため大阪に赴いたが、翌年大阪城で病死する。死因は脚気だったとされている。

脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害、下肢のしびれ、心臓の機能に異常を起こす原因となり、心機能の低下、心不全(衝心)を起こすことから、昔から「脚気衝心(かっけしょうしん)」と呼ばれている。

NHKのドラマでは、家茂は江戸城で胸をかきむしって、最後は、勝海舟に抱きかかえられて息を引き取るシナリオだった。現代の病名で言うと、脚気から急性心筋梗塞を起こした、というのが定説である。

「将軍家十五代のカルテ」(新潮新書 石川英輔)によると、3人の将軍が脚気衝心で死んでいる。10代・家治、13代・家定、それに和宮の夫15代・家茂の3人だ。

10代・家治の頃(在職1760〜1786)から江戸の裕福な家庭では、ビタミンB1を含む米糠や玄米を丹念にといだ精米をたべる習慣が広まった。

まず富裕層に患者が多発、江戸末期には一般庶民にも患者が出るようになったことから「江戸患い」と呼ばれたという。115代桜町天皇(在位1735〜1747)もこの病に冒されて亡くなったという説もある。

さて皇女和宮である。

和宮は夫・家茂の死後、大政奉還の後、1868年、江戸城を出て一時、江戸に住んでいた。明治になって京都に帰ったが、東京に移られた天皇の勧めで明治7年、東京に移住。

それが<数え32歳の頃、脚気の病になり、明治10年8月7日から箱根塔之沢「元湯」に静養のため滞在、(中略)26日目、俄かに衝心の発作が起こり>(以下、ウイキペディア)、他界した。

つまり現代医学で言うところの脚気の合併症たる急性心筋梗塞で亡くなったと考えられる。

脚気は明治時代、日本の風土病と考えられ、都市部の富裕層や陸軍に多発していた。が、じつは<脚気は栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である>

海軍では高木がパンや麦飯を出したところ、海軍では脚気を根絶した。ところが陸軍では森林太郎(森鴎外)らが麦飯に反対。麦飯しか食えなかった田舎から徴兵した健康な兵隊に白米を食わせ、多くの脚気患者を”生産“するという皮肉な結果を招いた。

日清・日露戦争では戦死者より多い数万人の兵士を脚気で病死させている。麦飯を支給した海軍に病死者はなかった。

明治天皇も脚気に苦しみ漢方による食事療法を希望視したが、森を中心とするドイツ系学派の侍医に反対され、西洋医学そのものに不信を抱いていたといわれる。(この項については、主宰者がいつだったか詳しく書いている)。

原因がB1欠乏と分からないまま、<大正時代以降、精米された白米が普及し、副食を摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで2大国民病とまで言われた>

脚気が根絶されたのは1952(昭和27)年になってからだ。ビタミンB1の工業生産に成功し、安く簡単に摂取することができるようになったためだ。

ところが、1972年に脚気が再燃したことが、日本内科学会誌で取り上げられている。原因は若者を中心に、砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードをよく食べるようになったためだといわれる(糖分の消化にビタミンB1を大量に消費するため)。

脚気は心臓にダメージを与える。心筋梗塞は老人の病気だという考えが一般的だが、若い人の食生活を見聞きすると、家茂・和子夫妻がそうだったように、若くして脚気衝心から急性心筋梗塞を発症する患者が増えてくる恐れがある。