2009年03月10日

◆お薦め「メルクマニュアル」

石岡 荘十

ネット上の百科辞典が花盛りである。昔は、本棚にドーンと百科事典を取り揃え、休みの日などは、アトランダムにページを繰って「へー、そうなのか」と新しい知識を仕込んで悦に入っていたものだが、そんな事典がわが家から姿を消してもう久しい。

代って最近はほとんどの基礎知識は、ネットに頼っている。代表的なのは本メルマガ筆者にも出典としてよく引用されている「ウイキペディア」。

だがこの事典は、読者が継ぎ足し継ぎ足しして、ヴォリュームを重ねていくというネットならでの編集の仕方であるため、書き足した人の勘違いでか、初歩的な間違いを犯すことが少なくない。信頼性は今ひとつである。うっかり引用すると後で赤っ恥をかくこともある。

そんな中で、医療関係者が高い信頼を寄せているのが「メルクマニュアル」だ。一般の人の間でも、じわじわと“愛好者”が増えている。セールストークは<世界中の医療従事者が信頼を寄せる総合医学書。総合的な診断・治療マニュアルとして主要な疾病を網羅、症状から診断、治療法までを詳細にカバーしている>。

最新版は2006年、7年ぶりに改訂された18版。300人を超える世界の医師がそれぞれの専門分野について書き下ろしている。1899年の初版以来、17言語に翻訳、“診断と治療のスタンダード”として全世界で1000万部以上が利用されてきた。>。

あのアルベルト・シュバイツァーでさえ1913年アフリカへこの本を持っていったと伝えられている。日本語版は、万有製薬が非営利目的のサービスとして、オンラインで無料で提供している。 かつてはどこの家にもあった「家庭百科」に代わるのは一般向けの「家庭版」
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/index.html

で、たとえば「の」のところをクリックすると、「脳梗塞」の項目があり、下手なドクターのインフォームドコンセントで時間をつぶすより、はるかに分かりやすく、痒いところに手が届くような説明文が展開する。その「け」のある方は一度お試しあれ。お薦めする。20090303




2009年03月02日

◆「長嶋リハビリ」は稀少例

               石岡 荘十

22日、たまたま見た民放の夜の番組で長めのインタビューに答える長嶋茂雄さんの姿を見た。ナマの声をじっくり聞いたのはあの“事件”以来、はじめてのことである。

“事件”は、04年3月起きた。長嶋さんがアテネオリンピックの総監督に決まった直後、脳梗塞で倒れたのだ。その後、マスコミに姿を見せることもなく過ぎた。

懸命のリハビリに挑んでいると伝えられていた。その成果があってか、まず新聞に白黒写真で、また暫くしてプロ野球を観戦する長嶋さんをテレビが放送したこともあったが、ナマの会話、音声は放送されなかった。

その長嶋さんが、レポーターのインタビューに応えた。茶色の皮のジャケットに白のパンツというお洒落ないでたちで、多少、ろれつの回らないところもあるが、言いたいことをはっきりしゃべれるまで回復している。

足を多少引きずりながらではあるが、歩行にもそれほど不自由はなさそうに見受けた。「この5年間、一度もリハビリをあきらめなかった。今、一番の夢は元気な体でいること、次が野球。もう一度、監督をやってみたい」
右半身に不自由は残ったが、ここまで回復した彼に拍手を送りたい。

印象的だったのは、かつて「球場で死んでもいい」と胸を張っていた彼が、一番の夢が健康であること、その次が野球だと気づいた言葉だ。

よく「イタの上で死ねれば本望」と舞台人はいうそうだが、そんな台詞は芝居の中だけにしてもらいたい。

聞かれれば「健康第一」と答える人は少なくないが、実際に重い病気を経験した者だけが実感する感想は、健康であることへの心からの喜びである。長嶋さんは、その実感をすらすらと語っている。日本で最高という評判のある施設での5年に及ぶリハビリの成果である。ところが、である。

半身不随になった脳梗塞の患者が、ここまで回復し、その状態を維持することは、普通、とても望めないというのが、今の日本の医療制度である。

厚生労働省は2006年の診療報酬改定で、「医療の必要性の乏しい患者」の入院期間を1日でも短くしないと病院が損をする仕組みを作り、2012年までに療養病床を38万床から15万床にまで減らす考えを明らかにしたのだ。

このあおりで、医療保険でリハビリを受けられる期間も180日に制限されることとなった。もう少し続けたほうが、リハビリ効果が期待できるところまで漕ぎつけていても、“出所”しなければ、後は全額自己負担となる。

ほとんどの人はリハビリ施設から放り出され、ここで経済的にも精神的にも追い込まれ、家族に耐えがたい負担を強いることとなるのである。

「リハビリ中止は死の宣告だ」という患者の悲鳴が2006年4月の朝日新聞の「私の視点」欄に載っている。その一部を引用する。

<「私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害(中略)。リハビリのお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている」>。

180日を上限として施設を追い出された。<「私の場合は、昨年、別の病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルほど歩けたのに、立ち上がることすら難しくなった。(中略)一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度を作る国が、どうして「福祉国家」といえるであろうか」>

とても、長嶋さんのようなわけにはいかない。こんなにリハビリがうまくいくのは、極めて稀なケーなのである。「視点」の筆者は免疫学者であり、文筆家としても高名な多田富雄東京大学名誉教授(当時72歳)である。が、こうなってしまう。まして普通の人が長嶋さんのように5年
間もリハビリに打ち込むことは望むべくもない医療・介護制度なのだ。

脳疾患で死亡する人は年間13万人。軽微であっても、一度脳梗塞の症状を発症した人の23.6パーセントが4年以内に再発するという研究報告もある。

脳梗塞にはt-PAという特効薬はあるが、まだよく知られているとはいえないし、発症から治療開始まで3時間以内という適切な治療のタイミングを失うと重い後遺症で苦しむことになる。適切な言い回しではないかもしれが、死を免れても、死んでしまいたいというほどの、「リハビリ地獄」が待っているのである。

救急車を呼んでも、どこの病院でt-PA治療をしてくれる病院に搬送してくれるとは限らない。高齢者にとって、t-PA治療をしてくれる病院はいわば最後の「駆け込み寺」である。

http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/816878/

天下国家を論ずる前に、健康第一。まず、駆け込み寺はどこにあるか、調べて決めておこう。    20090228

2009年02月21日

◆「山科だより」への声

石岡荘十(本誌・「頂門の一針」の常連寄稿者、ジャーナリスト)

私は長い間東京に住んでいるが、じつは、「山科」生まれである。

いまは亡き両親が存命中に聞いた話では、当時の住まいは、山科市御陵四町野。カネボウ京都工場の社宅があった。

が、生まれて間もなく、父は中国の工場に転勤になり、以来、「生誕の地」を訪れる機会を失ったままになっている。

が、このところ歳のせいか、わがルーツの出発点である「山科」のことが気になっている。本誌に掲載された渡邊好造氏の優れた描写が、その思いをいっそう掻き立てる。

暖かくなったら、一度現地を確認したいと思う。 歴史伝説の豊かな街並みを訪れるその日を楽しみにしている。


◆渡邊好造氏の「山科だより」は下記からご覧下さい(編集部)
・2月1日の「山科疎水の道」
・2月17日の「山科義士祭」

http://hyakka.seesaa.net/category/2004362-1.html

2009年02月19日

◆基礎疾患に注目しよう

                石岡 荘十

「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。

体型で判断すると、多分、金正日氏は五重奏のいくつかを抱え込んでいると思われる。脳梗塞ではないかといわれたが、基礎疾患を改善しなければ、再発の可能性を否定することはできない。

内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

本メルマガ主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、10年前、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、術後8年目(‘07年)、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。        20090209

2009年02月15日

◆心臓病は怖くない(その2)

石岡 荘十

前回の最新心電図検査システムの続きである。私が使ったイベント心電計はアメリカ製のものだったが、最近では国産のものが出回っている。

精密機器の製作が得意な国内の医療機器メーカーが、イベント心電計とPHSをドッキングした機器を開発・発売を開始した。最新のこの国産機器は、異常発生の瞬間、即、データを病院にPHSで送信する。異常な心臓の症状がオンタイムで把握でき、治療が早ければ早いほうが救命率は向上する。

別の機種は、小型の電卓のように液晶画面がついていて、送信する前に心電図の波形を自分で確認するタイプのものもある。ただ、このタイプの機器は、患者に心電図を正確に“読む”素養がなければ、その場では異常を判断できない。別途、医師に読み取ってもらって判断を仰ぐことになる

欧米諸国では、イベント心電計が家庭用の血圧測定器のように広く普及し始めているという。日本での販売価格は3〜4万円。機器を病院から借りて検査をした場合の費用は、保険も効き、3割負担の人で、5,000円たらずだ。三種の神器ならぬ、紹介した三種の心電図検査システムは、中高年の必須のマシーンである。

とはいえ、どこの病院でもイベント心電計のデータを解析する体制を備えているわけではない。だから症状が重いときには病院の選択が生死を分けることになる。

さて、私の検査結果は頻脈性の不整脈、「心房細動」だった。胸に違和感を覚えたとき手首に指を添えて見る。正常な脈拍数は60〜90/分くらいだが、不整脈だと大きく分けると、

早い(頻脈:脈拍が100/分以上)
遅い(除脈:同50以下)
ばらばら(期外収縮)

このいずれかだと、不整脈と判断される。期外収縮というのは、時々脈拍が弱くなるので、跳んでいるような感じがする不整脈である。中高年になると、ほとんどの人が一日に何回か、脈が跳ぶが、この程度ならまず特別な治療の必要はないとされている。

問題なのは早いとき(頻脈)と異常に遅いとき(除脈)だ。頻脈も除脈も医学的には細かく分類されているが、発症頻度が高いのは頻脈の一つ、心房細動である。

心臓は筋肉で出来た袋で、漢字の「田」字の形に4つの部屋に分かれている。このうち2階に当たる2部屋が心房と呼ばれ、一日に10万回、規則正しく膨らんだり縮んだりして血液を下の部屋(心室)に送り出しているのだが、ここ(心房)がぶるぶる細かく震えてポンプの役割を果たさなくなることがある。

原因についてはさまざまな学説がある。ここでは詳細な説明は避けるが、トタで死に至ることはまずないとされる。しかし、血液が滞ると血の塊(血栓)が出来やすくなり、これが血流に乗って脳に達すると、脳の血管を詰まらせ、脳梗塞(脳塞栓)を発症する。

あの長嶋茂雄さんがそうだったように、半身不随、リハビリを余儀なくされることになる。そうなる前に、「そういえば」という何らかの予兆があったのではと考えられるが、おそらくきちんとした検査は行われなかったのだろう。小渕元総理はもまたこれで亡くなったというのが専門医の間での定説である。

治療法の第一は薬であるが、治癒率は50%にとどまるという報告もある。対症療法としては、電気ショックもあるが、これも根治治療とはいえない。不整脈はクセになる。そしてじわじわと心臓の機能を消耗していくとされる。ではどうするか。

最先端の治療法は「カテーテル・アブレーション」である。カテーテルは細いビニールの管、アブレーションは焼く、焼灼(しょうしゃく)という意味だ。日本語では「電気焼灼」という。

太ももの付け根から管を挿し込んで心臓の中まで推し進め、心房細動の病巣を探り当て、高周波で心臓の細胞をバーベキュー、つまり焼き切る治療法だ。治癒率90%以上というデータがある。私はこの方法で心房細動をほぼ克服した。心臓手術五年目のことである。

2002年11月、高円宮さまが心臓の左下の部屋、左心室の細動で亡くなった。突然死といわれる不整脈である。日本では毎日100人以上が同じ「心室細動」で突然死しているといわれる。

予兆があったのかなかったのか、必ずしも明らかではないが、適切なタイミングで、細心の検査・最先端の治療が行われていれば、このうちの何人かは最悪の事態を回避できていたに違いない。除脈の人も適切な検査とペースメーカーの埋め込み手術で、多くが助かっている。

それだけではない。最近開発された、埋め込み型除細動器(ICD:米国製)といわれるペースメーカーは、除脈だけではなく高円宮様のような致命的な不整脈、心室細動にも機敏に対応する機能を備えている。

胸がドキドキする、違和感を覚えて冷や汗が出る---というような不整脈の兆候が出ても、いたずらに滅入ることはない。繰り返すが、治療のタイミングを失わないこと、病院やドクターの選択を間違わないこと。そして何より、正しい知識を持っていること。

これだけを心がけて実行すれが、わずかな例外を除いて、心臓病は怖れるに足らない病気だといえる時代になったのである。

「神の手」を持つといわれる友人のある心臓血管外科医は「ともかく心臓が動いているうちに連れてきなさい。全力を挙げて何とかします」と豪語しているくらいだ。不整脈くらいで最悪のケースを考えるのは、杞憂というものである。   (ジャーナリスト)          20090130


2009年02月14日

◆心臓病は怖くない(その1)

                 石岡 荘十

主宰者・渡部氏が、軽微だったとはいえ脳梗塞を患ったとおもったら、今度は心臓にも不安を抱えていることを明らかにしている。

いずれも、広い意味でのよくある加齢疾病なのだが、心臓手術を経験した人たちの集まりでよく聞く台詞は、異口同音「何でまたこのおれが---、わたしが---、」。とんでもないことになったという不運を嘆く言葉である。

筆者も、4つある心臓弁のうちの一つ、大動脈弁が機能しなくなる事態となり、機械で出来た人工弁に置換する心臓手術を受けた経験を持つ。「心臓手術が必要」という告知を受けたときには64歳という若い(?)みそらで「これでおしまいだ」観念し、遺書まで書いた。

しかし手術は成功。あれから来月で丸10年になる。それだけではない、術後、今度は重篤な不整脈が頻発し、通算3回、のべ60日に及ぶ入退院を繰り返したが、これも最先端の根治治療を受けた結果、最近は、ぐずつく“心臓野郎”とうまく折り合っていく術を身につけることが出来ている。

この経験から学んだことは、日本人の3大死亡原因の2位と3位である心臓や脳の疾病は、1位の癌とは違い、適切な検査、最適な治療を腕利きの医師にやってもらえば治るということである。怖れは、患者自身の無知、最新医療の現実を知らないためであると悟った。

まず検査である。

心臓に不安のある中高年が最初に受ける検査は、まず心電図である。心電図については、2005/10/19、本メルマガ(下記URL)
http://www.melma.com/backnumber_108241_2328702/         

でリポートしたが、古い話なので、引用・補筆しながら改めて、確認しておきたい。             

心電図ですぐ思い浮かべるのは「12誘導心電計」である。この心電計を知らない人はまずいないだろう。ところが、普通のこの心電図検査には、決定的な弱点がある。

検査の間の数十秒間、異常がなければ正常な波形が描かれるから、それだけを見ると、正常だと判断されかねない。ところが心臓はまことに気まぐれな臓器で、検査のときは正常でも、直後、異変が起きて突然死に襲われる人もいないわけではない。

そこで登場したのが「ホルター心電計」だ。渡部氏もこれにトライしている。まず胸の5ヵ所に端子(5誘導)を貼り付け腰には記録装置の入った弁当箱ぐらいの箱をぶら下げる。別名「24時間心電図」というだけあって、こうして24時間様子を見る。

この間、普通の生活をしていいのだが、トイレに行く、駅の階段を上る、食事をするといった「行動」をしたときには、その都度、箱についているボタンを押して、行動の内容を日誌風に用紙に記録しておく。ただ、入浴は出来ない。

後で、弁当箱の中の記録テープをプロが解析すると、どんなときにどんな不整脈が起きたか、心臓のどこに不具合が起きたのかがわかる。24時間、事件の容疑者を尾行するようなもので、ウロウロするホシ(心臓の異常=不整脈)を現行犯で逮捕しようというわけだ。

しかし、敵もさるもの、丸一日張り込んだぐらいではなかなか尻尾を出さない。1週間に1度とか、1ヶ月に2、3度、突然動悸がはげしくなる、胸に違和感を覚える、脈拍が乱れるが15分かそこらで治まる。で、「まあ、なんてことはないだろう」とほとんどに人がほっておく。これ
があぶない。

突然死といわれる死に方をする人のすべてが、何も突然亡くなるわけではなく、事前に何らかのサインがあったはずだ。

なら、どうするか。こんな発想から開発されたのが、「イベント心電計(Event ECG)」だ。

心停止、つまり心臓が停まるといった致命的な症状を起こす前にどのような治療・救命処置を施すかが、重要な課題になってきている。心停止に至る前に、何らかの兆候があるはずだ。

これを確実に補足し適切な治療をすれば、救命率はさらに向上するに違いない、という発想である。

「イベント」は出来事・事件、「ECG」は心電図のことだから、いざ何かあったとき、心臓で何が起きているのか。その瞬間の心電図を記録する医療機器だ。といってもそれほど大袈裟な仕掛けではない。

掌に載るほど万歩計ほどの大きさで、右胸と左わきの下の2ヶ所にセンサーを貼るだけ。検査期間は普通、2週間。寝るときもつけたままにしておく。風呂に入るときだけは、センサーをいったん剥がして、入浴後センサーを張りなおす。これで準備OK。そして、ほっておく。

“異変”を感じたらrecord(記録)ボタンを押す。すると、その異変時の心電図が機器の中に蓄積される。2度の異変データを溜め込んだら、病院の担当のところに電話をする。

電話の送話口に機器をあてがってsend(送信)のボタンを押すと、「ピーピー」と音がしてデータが送信される仕組みである。つまり、2度異変を溜めたら、電話で吐き出すのだ。

送信を終わったら、機器の中は空っぽになるから、また待つ。こうして2週間この動作を繰り返す。病院では受信した心電図のデータを解析す
る。 

私の場合、朝方、痛いとか激しい苦しさというのではないが、なんとなく胸に違和感、喉が詰まるような感じがときどきあった。冷や汗がうっすら額を濡らす。が、15分から20分ほどでウソのように症状は消えていく。

そんな繰り返しで、「何とかせねば」と思って主治医に相談。医師は「ホルターをやりますか」と言ったが、私はイベント心電計を提案。症状から症状の間隔が長いからだ。

症状が出たとき、心電図はどんな波形を描き出すのだろう。それを判読・解析してもらうことで原因がわかるかもしれない。そのためには、「イベント」がもっとも効果的な検査法だと判断、機器を病院から借り出して、検査を開始した。2週間の間に、“異変”は3回だった。解析の結果は、心房細動だった。(つづく) 20090130

2009年02月04日

◆厚労省を徘徊する亡霊

石岡 荘十

「医者が増えると、医療費が増加する」という学説「医師誘発需要説」を元厚生省保険局長、吉村仁がぶち上げたのは1983年のことだった。

直後、アメリカの医療経済研究者のグループがアメリカでの実験結果に基づき「医者が10%増加しても外来患者の受診頻度は0.6%の上昇にとどまる。

確かに吉村学説は科学的には妥当な面もあるが、社会学的に与える影響には疑問の余地がある」と水を差したが、当時は誰も聞く耳を持たなかった。

吉村は論文や講演・国会答弁などで「医療費亡国論」を展開し、多くの関係者の間で、「医者が増えると患者が増え、ゆくゆく医療費の増大は国家予算を破綻に追い込む」というコンセンサスが出来上がっていった。

吉村元厚生省保険局は相当なやり手だったようで、「厚生省の歴史を変えた男」「ミスター官僚」と後に呼ばれる伝説的な人物だった。「医療費の現状を正すためには、私は鬼にでも蛇にもなる」と啖呵をきったとも伝えられる。

当時の武見太郎日本医師会長の退陣で業界からの圧力が弱まったこと、中曽根内閣の増税なき財政再建論が幅を利かせていたことなどの時流にも乗って、「医療費を減らすためには、医者の数を削減すべき」とぶちまくり、当時の金丸信幹事長や橋本龍太郎厚相ら田中派幹部の根回しに
奔走。

政界入りを熱心に口説いた田中角栄の邸に自動車のトランクに隠れてもぐりこみ、「医療費亡国論」を力説したという伝説が残されてい
る。

それやこれやで1984年、ついに医学部の定員の7%削減、保険者本人の医療費1割負担(原案は2割)などを実現。吉村は次官に上り詰め、退官するが、86年、肝臓癌で死亡。享年56。広島第一中学校三年のとき、原爆投下に遭遇しているが、奇跡的に被爆はしてはいないということになっており、死亡原因との関係は不明だ。

ともかく以来、政府はなにかというと吉村学説を根拠に医師定員削減を推し進めてきた経緯がある。そのツケがめぐりめぐっての今日の医師不足なのである。

ところがその後、医療経済の分野について各国で多くの追加研究が行われる。結果、驚くべき成果を報告した、1990年以降、アメリカや北欧で行われた全ての実証研究が「医者を増やしても、需要(患者の数)は誘発しない。医療費も増加しない」と吉村の「医師誘発需要説」を真っ向から否定したのだ。

医師一人当たりの稼ぎを根拠に医療費が増えるというのは、“暴論”だとまで言われるようになっている。

“妊婦のたらい回し事件“をきっかけに、舛添厚労相は医師不足を認め、医学部定員を増やすことを明らかにしたが、医師の増員は、”吉村学説“以来、実に25年ぶりのことなのである。

その意味で、舛添厚労相が四半世紀ぶりに増員に踏み切ったのは評価できるとしても、医学部定員増の規模については、舛添厚労相と研究者の提案との間には大きな隔たりがある。

厚労相の提案で”たらい回し”が解消できると考えるのは、とんだ勘違いである。その理由については、この13日、本メルマガで述べた通りである。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4349407/

結論を簡単に繰り返すと、今日の医師不足は医学部定員を数百人増やしただけで解決する問題ではないのである。

医師不足問題が主要な新聞で取り上げられ始めたのは2003年とされているが、ざっと点検した範囲で「医師誘発需要説」の過ちをまともに取り上げたマスコミはない。

数の問題もさることながら、地域によって極端に偏りのある医師や医療施設(病院)の偏在の実態に目を向けなければ患者のたらい回しは解消しない。

舛添厚労相の提案は、多分、厚労省官僚の示唆によるものだろう。増員をケチるのは官僚の頭の中には四半世紀にわたる「医師誘発需要説」がこびりついているせいだろう。吉村元局長の亡霊がいまだに省内を徘徊しているのではないかと疑う。

だとすれば、世界的な学説の検証、増員計画の見直しの前に、いますぐ御祓いして、わが国の医療政策に誤った学説を刷り込んだ亡霊には一刻も早くお引取り願ったほうがいいだろう。
                        

2009年01月30日

◆やっぱり怖い? あの国

石岡 荘十

(再掲)3階建ての日本旅館の屋上で子どもたちが遊んでいると、街が騒がしい。

屋上の柵越しに覗いてみると、男女2人連れの日本人が、大声でなにかわめきまくる暴徒に引きずり回され、蹴飛ばされ、袋叩きにあっている。

そのうちにひときわ大きな歓声が上がって群衆が去った後、路上に倒れた2人はピクリとも動かない。頭のあたりの地面に血溜まりが見える。子どもたちにとっては、残酷すぎる情景だった。といっても、中国での昨今の出来事ではない。

1945年夏(多分9月)、中国・天津市での事件である。中国での反日デモのテレビニュースを見て、60年前、少年の柔らかな脳に深く刻みこまれた怖ろしい記憶がよみがえってきた。

当時、私は10歳。父親の仕事の関係で天津市に住んでいたが、8月15日敗戦。数日後、それまで8年、住みなれた社宅を追い出され、日本租界にあった日本旅館にほかの社員家族とともに連れて行かれた。

日本からの引揚船が来るまでここで過ごすことになっていた。事件はここに収容されていたときのことだ。終戦の日、水力発電所建設技師だった父は蒙古奥地(中国東北地区)の大同(タートン)に軍需工場を建設するため関東軍から“現地徴用”され、単身で出張して留守だった。

家で雇っていた住み込みのアマ(中国人女中)は、「日本が負けた」という報が伝わるや、翌日、一族郎党を呼び込んで略奪を開始。高価な黒檀のテーブルは言うに及ばず、「あんなによくしてあげたのに、木綿針1本まで持っていった」と母は悔しがった。

どうせ着の身着のまま追い出されることはわかっている。こよなく本を愛していた父の愛読書だけは、あんな奴らの汚れた手に触らせたくないと母は思ったのか、庭に世界文学全集を積み上げ石油をかけて火を放った。

私も読んで貰って、大好きだったジャン・バルジャンもモンテクリスト伯、ロビンソン・クルーソーたちは、もくもくと黒煙に変身して大陸の空に消えた。父の消息は途絶えたまま、1ヶ月が経った。が、暴動を目撃したその日の深夜、旅館の裏木戸を、人目を忍ぶように叩く者があった。

眠っていた私と兄を誰かが起こす。目をこすりながら2階から降りていくと、旅館の裏口を入った土間で、離れたところからでも鼻をつく悪臭を放ち、汗と垢にまみれ、襤褸をまとったヒゲぼうぼうの男が、母親としっかり抱き合い、2人とも大声をあげて泣いている。父の帰還であった。

後に聞いた話はこうだ。終戦の日を間近に控えたある日、関東軍の現地司令部に呼ばれ、日本人の社員1人ひとりに拳銃1丁と、乾パンと缶詰の入ったリュックサックを手渡されたあと、「自力で帰ってくれ」と言い残して、彼らはさっさと列車で引き揚げていったという。数日後、敗戦。

各地で日本人が暴徒化した現地人に襲われているという情報があったので、集団で移動するのは危険と判断して、2人、3人とばらばらになって出発。

父はまあまあの現地語はしゃべれたが、しゃべれば現地人でないことはすぐばれる。そこで、おし(放送禁止用語ですが------)の乞食に扮装。「アー、ウー」だけで、天津まで百数十キロを迷い、迷いながら1ヶ月かけて、無言で歩き通した。

途中、「拳銃を3回使った」と日本に引き揚げた後、迂闊にも洩らしたことがあったが、それ以上のことは遂に一言も語らず、帰国から三十数年で他界した。77歳だった。

生前、日中国交回復があり、日中間には蜜月のような歳月もあった。その頃、建設に関わり当時も稼動していた発電所を再訪しようと昔の同僚から誘われたこともあったようだ。しかし父は頑なに断り続け、結局、2度と大陸の土を踏むことはなかった。

その父の胸中を推し測ると------民間人でありながら異常な経験を強いられた被害者であると同時に、加害者とならなければ生き残これなかった場面にも遭遇したとすれば、やり場のない罪悪感と恐怖感が足枷になって、父の中国再訪をためらわせたのではないか。

私もまた、同じ時代を同じ天津で過ごした友人に、「“センチメンタル・ジャーニー”で天津に行こうぜ」とここ数年、何度も誘われているが、なぜか気乗りしない。

60年前に遭遇したあのショッキングな映像が脳裏に頑固に居座っている。そして最近のニュース映像がトリガーとなって、暴徒に襲われ道路に転がっていた2人の遺体のVTRをリプレイする。

当時の出来事を、いまの中国にそのまま重ね合わせるのは、間違いかもしれない。理屈ではわかっている。しかし、いまでもやっぱり「あの国は怖い」というトラウマから脱け出せないでいる。

父は、このメルマの主宰者と同じ秋田県の出身で、「秋田音頭だよ〜、八森(はずもり)ハタハタ、男鹿でオガブリコ-----」で知られる八森町の、そのまた田舎の、山の上の小高い墓所に、ある。

墓石は、何故か中国の方向に向いている。父は、最近のニュースを見て、「やっぱり-----」と言っているかもしれない。(いしおか そうじゅう・ジャーナリスト 東京都在住)(05・4・28を再掲)

2009年01月27日

◆勤務医はほろ酔い状態

          石岡荘十

患者のたらい回しはなぜ起きるのか。このままでは日本の医療は崩壊すると懸念されている。

原因は「医師不足」、あるいは地域や診療科目によって医師の数が多すぎたり少なすぎたりする「偏在」にあると、これまで指摘してきたが、今回は、そんな医療の現場で何が起こっているのか、見ていきたい。

東京大学医科学研究所の「医療再建を目指すワーキンググループ」による論文(2008/06/,23発表)が詳細な現状分析を行っている。そのひとつが勤務医の労働条件に関するものである。

風邪を引くとか、ちょっと子供の具合が悪いと、一口に「病院にかかる」というが、じつは統計上、「病院」はベッド数20以上の医療施設をいい、ベッド数19以下は「診療所」と分けている。「○○医院」、「××クリニック」と呼ばれる所のほとんどが診療所に分類される、いわゆる開業医である。

日本の医師の総数は27万人(平成16年)。このうち、病院で働く医師が16.3万人、診療所で9.3万人、残りは介護施設、行政機関などで働く医師という内訳になっている。

「ちょっとした病気は近所の診療所で、重い病気は大きな病院で---」

これがほとんどの患者の対応だ。だから妊産婦が診察を受けるところ、陣痛が来て駆け込むのは診療所、近くの医院という人がほとんどだ。

もともとお産は病気ではなく、大半の赤ちゃんは医師のお世話にならなくとも、すんなり産まれるものだという考えがあるからだ。

昔、札幌で駆け出しのサツ回りをしていたころ、軒下で雨宿りをしていた婦人が、立ったまま出産をした”事件“を取材したことがある。

それが近年、高齢出産のケースが増え、これに伴う異常分娩が増えていることもあって、“正常な”妊婦までが周産期(妊娠満22週以降)に入るやいなや入院して、医師に見守られながら出産を待つ妊婦まで出てき
た。

ところが誤解を恐れずに言えば、診療所の医師9万人のほとんどは、異常分娩の妊婦、重症の救急患者治療については無力で、正常分娩をただ見守るだけといっていい。

いざ妊婦に異常、例えば脳出血のような症状や胎盤が子宮に癒着し帝王切開しなければならない事態が起きて医師の出番となっても、ほとんどの産婦人科開業医にはこれを受けて立つ技術も設備もないし、スタッフもいない。

そこで、総合病院に搬送される事態になるのだが、大きな病院でも「医師がいない」「ベッドが空いていない」などの理由で、受け入れを拒否するという経過をたどる。それどころか総合周産期病院でさえ患者を断り、政治問題化する。これがよくある“妊産婦たらい回し事件”のストーリーだ。

役割の分担ということもあろうが、それはそれとして、医師の数が、国内平均の6倍(人口1000人当たり12.6人を超え)の東京都心部でさえ、妊産婦に限らずほかの救急患者も土日祝日365日、24時間、患者を受け入れる余裕のある病院は稀である。

なぜか。理由の第一は、医師不足だ。

「あんな大きな病院で、患者ひとりくらい何とかならないのか」

そう考えるのがせっぱつまった救急患者の率直な感想だが、大きな病院でも、患者を診る医師は足りないのである。

数字で示そう。

ベッド数200以上の病院で働く勤務医16万人余の週平均勤務時間は70.6時間、診療所医師55.2時間、ヨーロッパ諸国平均は40〜50時間だ。

日本の多くの病院では日勤の医師がそのまま当直を行い、交代要員がいないため次の日は続けて日勤という勤務形態が常態化している。日勤の医師がそのまま夜間の当直勤務(ほぼ不眠)をする。

その翌日も普段どおりの夕方まで勤務を行い、その日の夜に患者の容態が悪化すればまた病院へ出向く必要がある日もある。いつも寝不足というこんなケースは、特に若い医師の場合、決して珍しくない。

研究グループによると、睡眠不足(24時間覚醒)はアルコール血中濃度0.10%と同程度の注意力しかないとされている。ビール大瓶2本飲酒後のほろ酔い期から酩酊初期の状態にあたり、

理性が失われる、脈が速くなる、運転すると交通事故の可能性は6〜7倍、判断力が鈍り、スピードの出しすぎにも気づかない、とっさの判断が難しい、平衡感覚が鈍る---。当直明けで手術など診療に当たる医師は、こんな「ほろ酔い期」状態だ(出典:Nature 1997;388:235)、というの
である。

内科の問診などの診療はまだしも、脳や心臓など高度な技術と経験が生死を分ける手術でメスを握る担当医が、こんな状態だと知ったら、怖くて病院にいけなくなる。

医療の崩壊は、じりじりとわれわれ一人ひとりの日常に迫ってきている。医師不足からくる勤務医の過酷な労働環境の見直しは他人事ではないのである。

2009年01月25日

◆心房細動が心配な心臓弁手術

石岡荘十

脚本家の内館牧子さん(60)が先月6日、心臓弁膜症の手術を受け療養していることをあるメルマガ(「頂門の一針」)で知った。

内館さんは岩手・盛岡市で上演された盛岡文士劇に出演後に体調を崩し、救急車で同市内の病院に搬送され緊急手術を受けた。

術後は回復に向かっているが、現在も入院中で長期療養が必要な状況だという。この記事を見て思い出したのは、橋本龍太郎元首相のケースである。

橋本さんは06年6月4日、猛烈な腹痛を訴えて入院。翌日、大腸の大半と小腸の一部を摘出する手術を受けたが、7月1日死去。68歳だった。

死亡原因は「腸管虚血を原因とする敗血性ショックによる多臓器不全」。「腸管虚血」は腸に十分な血液が回らなかったという意味だが、じつは橋本元首相には、心臓疾患の既往があった。

02年2月(死亡の4年前)、今回の内館さんと同じ「急性僧帽弁閉鎖不全」で入院していた。

僧帽弁は肺から受け取った新鮮な血液をいっぱいに溜め込む左心房と、ここから送り出された血液を全身に送り出す左心室との間にある。

ところがこの弁を支える腱の不具合で、弁がうまく閉まらなくなり、いったん送り出した血液が逆流する。専門的には「僧帽弁閉鎖不全」という。

この場合の治療法としては、心臓を切り開き僧帽弁を切り取って人工の機械弁か、豚の弁を加工したブタ弁に置き換える。または弁を切り取らず形成手術をするなどの方法がある。

橋本さんは人工弁に置き換える手術を受け手術は成功と発表された。だが、専門誌は「心臓に疾患があって人工弁を入れた人は、特に心房細動を起こしやすい」と指摘している。

つまり、このケースも、もともと死亡原因は「循環器心臓血管疾患」であり、心臓手術後、心房の中でできた血栓が腸の動脈に飛んで詰まったのではないか、と考えられている。

正確な病名は、「上腸間膜動脈塞栓症」。上腸間膜動脈は腹部大動脈から枝分かれした動脈血管のことで、小腸や大腸に血液を供給しているが、ここが詰まった。その原因として専門誌は、

・心原性の血栓が遊離して塞栓する
・慢性的な動脈硬化による狭窄から血栓が形成され閉塞する   
・この二つが考えられるとしている。

「心原性」というのは、「心臓の不具合が原因で---」ということだ。つまり、心房細動などの不整脈で出来た結構大きな血の塊が血液の流れに乗って腸の動脈に詰まる(塞栓)か、動脈硬化のために腸の動脈自体の壁にコレステロールなどが沈着し、血管が詰まってしまう(閉塞)二つの原因が考えられるが、後者のケースは日本では比較的数が少ないとされている。となると容疑者は弁置換手術後の不整脈、心房細動ということになる。

心臓には4つの弁(三尖弁、肺動脈弁、僧帽弁、大動脈弁)があるが、橋本さんのような僧帽弁と、全身に血液を送り出す心臓の最後の扉とでもいうべき大動脈弁のどちらか、または2つが一度に不具合を起こすケースがほとんどで、2つ同時に手術する人もいる。

内館さんは「昨年の春、軽い心臓の疾患が見つかり、以来定期的に検診を受けていた」と報じられていることから推測すると、1つ、または2つの弁に異常があった。

そのころから、動悸や息切れ、疲れやすい、胸痛、呼吸困難などの症状が出ていた。それでもなめてかかった。その結果が、緊急手術となったに違いない。

手術は、橋本元首相ケースと同じように、成功したと報じられているが、いくら心臓のパーツの一部分である弁を取り換えても、術後、今度は多くの人が不整脈に悩まされる。

とくに心臓の4つの部屋の一つ、心房の筋肉がぶるぶる震える心房細動が出やすくなるから、警戒を怠ってはならない。

心房細動で「トタで死ぬ」ことはないが、あの長嶋さんがそうだったように、心房細動で出来た血栓(血の塊)が脳に飛んで脳梗塞に襲われ、余生をリハビリで過ごすことになる人は少なくない。

私は10年前、大動脈弁を切り取り、チタンとカーボンで出来た人工弁に置き換える手術を経験しているが、案の定、術後さんざん悪女のような心房細動に付きまとわれ、通算3回、のべ60日の入院・治療を経て、やっと今日の小康状態を保っている。

内館さんも、退院後、多くの術後患者がそうであるように、また胸苦しくなるようなことがあるかもしれない。団塊世代は心臓病の予備軍なのだからよくあることだ。早めに腕利きの専門医に相談し、適切な治療を受け、末永く毒舌を振るわれるようお祈りする。

かりそめにも、「朝青龍が五寸釘を打っている」などと思い違いをしてはならない。

20090122


2009年01月20日

◆医師不足解消は絶望的 (下)

  石岡 荘十

さて、全国的には医師不足問題があることは否定できない。OECDのデータが示すとおりである。

そこで、舛添厚生労働相は、結果的に石原知事の批判を一部受け入れた形で昨年6月、医師の養成数を増やす方針を明らかにした。

計画では、医学部定員を現行の7893人から過去の最大定員の8360人まで増やそうと考えているようだ。しかし、この数字では医師不足は解消できない。そのからくりはこうだ。

明治以降、わが国では一貫して医師不足が叫ばれてきたが、1974年当時の田中角栄内閣が「一県一医大構想」をぶち上げ、79年琉球大学を最後に構想が完成した。

ところがこの頃から今度は「医師過剰」を指摘する声が強くなり、「医療費亡国論」に基づいて84年以降、医学部の定員削減が始まった。

それ以来、厚生労働省は「毎年7700人が医師免許を取得し、退職者を差し引いても年間3500人から4000人の医師が増える計算なので、近い将来、医師は過剰になる」と主張し続けてきた。しかし、いま問題となっている医師不足は、じつは正確には医師の総数ではなく、勤務医不足なのだ。

20代の半ばに医師免許を取得し、しばらくは過酷な病院勤務医を勤めるが、40歳〜50歳ぐらいになるとハードな勤務には肉体的についていけなくなり、大きい病院の管理職になるか開業医に転ずる。

これが医師の標準的なキャリアパスである。後は「土日・夜間休診、高額所得」という生活に入る。開業医は勤務医に較べ「仕事は半分、収入は倍」といわれる。そのほとんどが地域の医師会に入り、その三分の一は「欲張り村の村長さん」だと高名な医事評論家が著書の中で酷評した
ことがある。

曲がりなりにも医師不足の緩和に貢献してきた70年代新設医科大学の多数の卒業生がそろそろその年代に差し掛かり、これから毎年、大勢の勤務医が辞めていくことになる。

つまり、舛添大臣の医師増員計画では、勤務医を卒業する「開業医適齢期」の医師の数だけが増え、現在、勤務医として土日・夜間を問わず24時間、高度な先端医療を担うことを期待されている医師の数は、一向に増えない計算になるのである。

アメリカに較べコメディカルは四分の一ということもあって、日本の若い世代の医師は週平均80時間もの過酷な勤務を強いられているという。欧米医師の平均労働時間の倍である。

「皆さんの家族が外科手術を受けるとき、担当医は(徹夜の)当直明けかもしれないのです。これは明らかに危険です」と上准教授は問いかけている。

では、医学部定員をどの程度積み上げれば医師、勤務医不足を解消できるのか。上准教授の提案はこうだ。

医師養成の定員の50%増を目指す。具体的には、10年間、毎年400人ずつ増やしていく。こうすれば患者の数がピークになると推測される2030年には1万2000人の若者が医学部を卒業する計算になるから、中高年の医師8000人が開業医に転じても、差し引き4000人の勤務医が増えることとなる。その後は定員を減らしていけばいい。

現在と比較してピーク時(2018〜2025年)の医学生は2万4000人増えるから、医師養成のための公的負担は、学生一人当たりの交付金を平均788万円(現在)として、合計1800億円ほど、と計算している。

が、目先の選挙対策費(?)2兆円のほんの一部で済む。しかし、ムダ金をばら撒く猿智恵は働いても、10年先、20年先の医療改革を立案する発想が厚生官僚にあるとは思えないし、まして今の政治家に期待するのは無理というものだ。

国民的なコンセンサスをとり付けようにも、マスコミはこの問題に関しては冷静な提案をほとんどしていない。国民に正確な情報が提供されているとはとてもいえない。だから、医師不足解消は絶望的だ、と私は思う。

それだけではない。日本の医療が抱える問題は、医師の偏在もある。大都市と過疎地の間の医療格差は、既に取り返しの付かない崩壊の淵にある。

なお、上准教授の論文は下記。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1366.html
                     20090111

2009年01月19日

◆医師不足解消は絶望的(上)

    石岡 荘十(ジャーナリスト)

患者の、特に東京都内で起きた妊婦の“たらい回し事件”に端を発して、石原東京都知事は医師不足は国の責任だと噛み付き、舛添厚生労働相は都の病院運用の仕方に問題がある、と責任を押し付け合い、いがみ合っている。

結果、都は総合周産期病院の運用管理システムの改善に動き、国は医師増員の方針を決めている。しかしこれで一件落着したわけではない。

この問題に関連して、上昌広(かみ・まさひろ)東京大学医科学研究所客員准教授が昨年12月3日発行のメールマガジンJMM(Japan Mail media主宰:村上龍)で優れた論文を発表している。長文なのでその骨子を一部引用し、私見を加えながら問題点を整理しておきたい。

結論を先に言えば、「東京都は医師不足ではなく、医師の偏在を見過ごしている医療行政に問題がある。国が示した医師増員計画では医師不足は解消されない」ことが明らかになった。

まず、日本は医師不足か。データを確認しておく。

OECDの調査(2005年現在)によれば、人口1000人あたりの医師の数は、イタリア4.2、フランス3.4、ドイツ3.4、オーストラリア2.7、アメリカ2.4、イギリス2.3、カナダ2.1となっていて、日本2.0。日本より少ない国は、メキシコ、韓国、トルコ---。先進国首脳会議に参加している国の中で日本は最低である。

(OECD=経済協力開発機構、英:Organization for EconomicCo-operation and Development、略称OECD, fr:Organization decooperation et de developpement economiques OCDE)はヨーロッパ、北米等の先進国によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。

本部はパリに置かれ、公用語は英語とフランス語。市場経済を原則とする先進国によって構成されているため、「先進国クラブ」あるいは「金持ちクラブ」 とも呼ばれている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

厚生労働省の医療動態調査では、2005年現在、日本には29万人の医師がいるが、アメリカやイギリスなどアングロサクソン系の国々ではコメディカルが発達していて、強力に医師の仕事をサポートしているので、医師は医師にだけ許された医療に専念することが出来る。

「コメディカル」とは、「Co(共同)」と「Medical(医療)」の2つを繋いだ英語で、医師(看護師を含める場合もある)を除いた薬剤師、臨床検査技師、救急救命士、助産師などの多くの医療従事者、スタッフが協同して医療体制のことをいう。

最近話題になる臨床事務処理専門のスタッフ、メディカルクラークもこの中に含まれる。だから、舛添厚生労働相が言うように医師の数だけを増員すれば問題がが解決するという単純なものではない。

日本では医師免許のない人でも任せられる雑務に医師が忙殺されて睡眠不足、過労が常態化し、これが医療事故の原因だとも指摘されている。

まず、東京都の現状はどうか。

人口1000人あたりの医師の数は2.8人で、イタリアやドイツ、フランスには及ばないものの、アングロサクソン系の平均2.1〜2.7は上回っている。特に、東京都の中央部、千代田区、中央区、港区文京区、台東区(二次医療圏という)では人口1000人当たりの医師の数は12.6人で、医師過剰といってもいいほど恵まれた環境にある。

これは全国平均の6.3倍で、高度医療も充実している。ところが妊婦のたらい回しで問題となった都立ER墨東病院のある墨田区を含む東部医療圏(墨田区、江東区、江戸川区)では1.6人、最もひどいのは江戸川区で、住民1000当たりの医師は0.9人に過ぎない。医師の総数では不足しているわけではないが、この医師の偏りには目を覆う。

そこで、東京都や厚生労働省はIT技術や人的なネットワークを整備して、医師不足の周辺地域から過剰の中央部へ患者をスムースに搬送する体制を改革・整備しようとしている。

この点、石原知事が病院運用の仕方に問題があることを部分的に認めた結果とも言えるだろう。しかし、中央部の病院に日頃付き合いのない周辺部の病院から要請があっても、リスクが高く訴訟問題を起こすかもしれない重症の患者、特に妊婦の受け入れを躊躇するのは当たり前で、改革案は「机上の空論」だという声が現場医師から上がっているという。

患者搬送の手段についても、東京都の担当官は「救急車が沢山あり、病院も多いので問題ない。救急ヘリもあるし---」と能天気なことを言っている。ましてドクターヘリの導入については、まったく検討をしようとはしていない。

慢性的な交通渋滞の中、都心部の病院へ一刻を争う患者の搬送手段が救急車任せという感覚は理解できない。

理想的には、普段から人的・物的に交流が密な地域の中でその地域の患者を受け入れる医療体制を整備すべきなのだが、大学病院、都立病院、国立病院の大半はもともと明治から戦後の早い時期に設立されたもので、その後人口が激増した地域に新設された大型の医療施設は数えるほどし
かない。

板橋区の帝京大学病院と日大病院、大田区の東邦大学病院、品川区の昭和大学病院、三鷹市の杏林大学病院などだ。

ところが1983年、厚生省(当時)による「医療費亡国論」が発表され、1985年以降、医療計画が始まって、医療を提供する体制が厳しく規制されることとなった。増大する医療費が国の財政を破綻へと追い込むという考え方はいまなお根強く生き残っている。

東京東部や西部、多摩地区などに人口増に見合った医療施設がない。地元の医師会が、既得権が侵されることを警戒して地域に新しい大型医療施設が出来ることに反対しているとも言われるが、このような地域による医療格差の解消の責任は、最終的には国にある。長期展望を欠いた国の政策がもたらした結果なのである。

患者搬送体制の不備ももちろんあるが、救急医療全体が抱えるさまざまな問題は医療費削減最優先のこの発想を転換しなければ解決しない。その意味で妊婦が亡くなった責任の一端は、環境の変化に対応していない国の医療政策にあるのは間違いない。(つづく)

2008年12月29日

◆「一病」がもたらす息災

石岡 荘十(ジャーナリスト)

本メルマガ12/26で毛馬一三氏、翌12/27で渡部亮次郎氏が加齢疾病といえる病を切り抜けた自らの治療体験を、実感をもって生々しく語っておられる。

両氏とも筆者の古くからの友人であるが、治療前は、失礼だが、医療分野についてはそれほど深い関心も造詣も持ってはおられなかった印象であった。

ところが、このたびの2つのリポートは体験したものしか分からない現実感を持って迫ってくる。その上、白内障とは何か、脳梗塞とはどのような病気で原因は? 治療法は? と微に入り、細を穿った学習結果を披露している。

かくいう筆者も、心臓手術を経験している。全身に血液を送り出す最後の扉ともいえる心臓の大動脈弁が機能しなくなった。そこで、弁を切除、機械で出来た人工弁(100万円)に置き換える大手術だった。大動脈弁置換手術という。

‘99年、もう10年近く前、のことになる。当時64歳だった。「心臓手術が必要」と医師に告げられたそのときの衝撃・恐怖、絶望感は今でも忘れることは出来ない。

が、手術後、カルテ(手術記録)を取り寄せ、心臓外科医の話を聞き、専門書を漁ってよくよく検証してみると、現代の医学をもってすれば、それほど、怯える類の手術でないことが明らかになった。この間の経緯については、術後5年目に薦められて、上梓した。(「心臓手術 〜私の生還記〜」 文藝春秋社刊)。

手前味噌になるが、神の手を持つといわれる何人かの心臓血管外科医からは、「プロの医者から言うと生還記は大げさだけど、医者が一番知りたいと思うこと、患者の怖れ・不安・気持ちをよく書き込んでいる」と評価され、この道を目指す研修医の参考書のひとつに推薦して戴いた。

手術する者とされる者との間には、天と地ほどのギャップがある。その原因は病気に対する正しい知識の有無にかかっていることを、学習することが出来た。

日本では年間100万人以上が死ぬ。大雑把に言ってその死因の3割は癌、心臓と脳の疾患が3割だ。それで、この3大疾病は、「死に至る病」と思われている。これらの病を告知された患者が異口同音に発する台詞がある。

「何でまたオレが---、このわたしが---」である。死を宣告されたような衝撃を受けるのだ。この中には一部の癌のように、正しく診断して最高の医者が手術をしようと、放射線を照射しようと、現代の医学が総力を挙げても手に負えない疾病もあるが、一口に癌といっても、転移していない段階で適切な治療が行われれば、天寿を全うすることも夢ではない。

癌といわれるものの中でも転移していないものは、癌ではないという説さえある。これを「がんもどきという」(慶応大学病院 放射線治療・核医学科 近藤誠医師)そうだ。

そのほかのほとんどの病は、原因、治療法、治療に伴うリスクなどについてきちんと学習をすれば、恐れるに足らないものであることが分かる。ただし、正しく診断され、最適のタイミングで最高の治療を受ければ、のことであるが---。

今年10月、開業した名古屋ハートセンター副院長(元京都大学病院教授心臓血管部長)米田正始医師は手術実績8000例以上、神の手を持つといわれる名医だが、「ともかく心臓が動いているうちに連れてきなさい。全力を挙げて何とかします」と豪語している。

早期発見、早期治療、つまり適切なタイミングで真のプロの医師に診断と治療を受けること。まかり間違っても、家から近いからとか、大きな病院だからとかで、病院を選んではならない。

病院が手術をするわけではない。患者に触れるのは医者だからである。名医を見つけることが出来るかどうかが生死を分ける。これが、とくに団塊世代以上の高齢者が快適な余生を楽しむための鉄則である。

たとえば、王監督のケース、同じく、毛馬氏、渡部氏の経験はタイミングよく適切な治療を受けた好例であり、長嶋さんのケースはその対極にある。タイミングを逸したケースである。

と偉そうなことをいうが、それもこれも病を得た後の学習がもたらした結論だ。乞、寛恕。毛馬氏、渡部氏の両リポートは高齢者にとって貴重な情報といえると思う。一病息災という。「一病」がもたらした果実である。再読をお勧めする。         

なお、都立中央図書館は、3年前、医療情報コーナーの中に「闘病記文庫」を設置した。闘病記約1000冊を専用の書架にまとめて置いている。日本の公共図書館では、初の試みとして、自費出版を含む闘病記を、書名からだけでなく、主要な疾患のくわしい病名からも検索できる。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/05/20f5r100.htm
20081227