2008年09月01日

◆足の血管にもステント


石岡 荘十

数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。

このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については6/17の本メルマガ「齢は足にくる」

http://www.melma.com/backnumber_108241_4132433/

で述べたとおりだが、先日、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

6/23、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。

ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。20080827

2008年08月14日

◆これこそ歴史的快挙!


石岡 荘十

先日、北京五輪でフェンシング・女子フルーレで菅原智恵子(31=宮城ク=)が、7位に入賞、歴史的快挙だとお伝えしたが、“番狂わせ”はこれで終わらなかった。

8/13、今度は男子フルーレで、太田雄貴(22=京都クラブ=)がメダルをもぎ取ったのだ。しかも、銀。

日本のフェンシングでは団体・個人を通じてこれまでの最高は、東京五輪での男子フルーれの4位。それが今回は、決勝でドイツのクライブリンクを追い上げながら9-15で惜敗したものの、メダルを獲得したのは、昭和11年、日本フェンシング協会発足(戦時中の昭和18年一時解散、戦後22年再発足)以来、初。文句なしの、歴史的快挙だ。その模様は、8/13夜、9:55から放送された。

それに先立つ準決勝の雄姿は下記。準々決勝でもドイツ選手を破って4強にコマを進めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080813-00000048-kyt-l26

太田選手は、大津市生まれで、平安(現龍谷大付属平安)高、同志社大出身のまだ22歳、アテネ大会で9位、ロンドンでもまだいける年頃だ。

ところで、フェンシングはオリンピック競技としては第1回大会からある歴史と伝統のある種目で、ヨーロッパではもっとも一般的なスポーツだ。現在フランスの国技となっており、競技はフランス語で行なわれる。

アンガ(構え)、アレ(始め!)、アルト(止め)というのが、基本的な用語だ。

筆者がやっていた40年前は、いまのような電気審判器はなく、選手2人の競技に副審4人、主審1人が目で判断する。つまり、競技者2人に審判5人という変なスポーツだったが、最近ではメタルジャケットに剣先を一定以上の強さで押し付ける(ポイントという)と、ランプが点灯する仕掛けになっていて、これにより誤審が少なくなった。

快挙を成し遂げた菅原、太田はフルーレだが、男女で有効面が異なる。基本的には腕と顔を除く上半身だが、男子は臍下のデルタも有効なのに対し、女性は無効である。

さて、競技種目としてのフェンシングにはフルーレのほかに「エペ」と「サーブル」があるが、フルーレとエペは「突く」のが基本だ。

エペは遡れば決闘用の剣で、切っ先がチューリップのように割れており、全身を有効面とする。映画でしか観ることが無い本物の決闘は、相手を刺殺するのではなく、流血が確認できた時点で勝ち負けが決まる。

ユニフォームが白いのは、血流をわかりやすくするための名残だといわれる。

対して、サーブルは振り回して切る、突く、「何でもあり」だ。

「怪傑ゾロ」「三銃士」など派手な立ち回りを売り物にした映画に見る剣がこれである。

予断だが、怪傑ゾロにはタイロン・パワー、アラン・ドロンなどが扮しているし、エロール・フリンらも勧善懲悪、活劇映画では無敵の名剣士を何度も演じているが、本当に実力があり、強かったのは誰か。喜劇役者、ダニー・ケイだったという話を昔聞いたことがある。

それはともかく、五輪では、この後、エペもサーブルもあるが、ハリウッド映画のようにはいかない。スポーツとしてのフェンシングは、ルールをよく分かった上で、よほど目を凝らして観ないと、面白みは無いスポーツだ。

瞬きをしてはいけない。決定的な瞬間を見逃す。

柔道もそうだが、特に格闘技を国際化しようとすると碌なことはない。「有効」だの「技あり」だの細かいルールに縛られると、面白くなくなる。柔道は「一本勝負、無制限」でないといけない。谷本歩実が「これぞ柔道」と他の選手にはない歓喜をもたらしたのは、「オール一本」だったことが大きい。ボクシングでいえば、KOだろう。

フェンシングも、アタックを剣で払うと、例え同時ポイントでも、払った方に攻撃権が移るというややこしいルールがあったりして、観客を混乱させ、格闘技の醍醐味を削いでいる。

ともあれ、目出度いことに変わりはない。老剣士としては、この後も若者の健闘を祈りたい。                          20080814


2008年08月13日

◆歴史的快挙、女子フルーレ


石岡荘十

一面でも社会面でもなく、スポーツ欄の下のほうに写真もなく控えめながら、ビッグニュースを伝える記事を見つけた。

「菅原7位入賞 日本勢初個人8強」の文字(産経新聞 8/12)。
日本フェンシング協会のHPでも「初のオリンピック個人種目入賞です!」と一行あるだけで、歴史的な快挙にしては活字が小さい。
快挙のヒロインは菅原智恵子(31)。

筆者は大学時代、仲のよかった友人に騙されてフェンシング部に入部。授業は友達に代返を頼んで専ら体育館通いに明け暮れていたことがある。練習フロアが一緒だった剣道部の連中からは、「西洋チャンバラ」とコケにされたものだったが、目指すはハリウッドで活躍したアクション・スター、エロール・フリン張りの剣さばきだった。

といえば格好はいいが、当時、中央大学に目の醒めるような美人剣士がいて、合同練習試合が楽しみだった。

それはともかく、この経歴がものをいって、東京オリンピックでは、勤務地の札幌から東京に長期出張。大学時代の練習場を会場としたフェンシング競技の取材に駆り出された。

毎日、競技取材に通ったが、その頃の日本選手は「出ると負け」で、原稿は書けども書けどもボツ。テレビに出てくるのは共同配信のスコアのみ。弱いマイナースポーツの悲しさ、その後もずっとベタ記事で結果を見るだけのオリンピックだった。

あれから幾星霜。この競技がまともの取り上げられたのを見たことがない。それでも放送予定を探したら、快挙を報じる映像VTRがありました。
菅原の相手はドイツの某。敵は世界ランキング6位。案の定、どう見ても劣勢だ。

それが、である。
<ベスト8が懸かった個人の3回戦。菅原が格上に鮮やかな逆転勝ちを演じた。

0―3で迎えた最終第3セット、脅威の粘りで5―5に追いついた。一本勝負の延長戦は開始20秒、巧みな剣さばきで前に出る世界ランク6位のゴルビツキー(ドイツ)の剣を外し、至近距離からカウンターを決めた。 

スポットライトが当たるピット上で、「やー」と歓喜の叫びを上げた。五輪史上、日本初の個人戦入賞が確定した瞬間だ。>(河北新報ウェッブ版)。8強、7位入賞だった。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe185/news/20080812_004.htm

バドミントンで「オグシオ」が完敗したのに対し、ノーマークの末綱総子・前田美順組が世界ランク一位の中国を逆転で下し4強にかけのぼった。中国のニュースサイトは「北京五輪最大の番狂わせ」と報じたそうだ。

「ママでも金」の敗退と並ぶ番狂わせだが、菅原の勝利は、日本女子フェンシングにとって番狂わせ、歴史的快挙である。フェンシングはヨーロッパでは歴史と伝統のあるオリンピック種目である。ドイツの新聞がどう伝えたのか見たいものだ。

なのに、日本ではどこも扱いが地味なのは、私としては納得がいかない。オリンピックは、予想を裏切るところに醍醐味がある。こんなとき、雑感記者のウデの見せ所でもある。産経の記事が泣かせる。

<宮城県の高校教諭として臨んだ前回のアテネ大会では二回戦敗退。昨年夏から休職して、フェンシング漬けの生活を送った。応援席の両親に晴れ姿を見せた。「田んぼを売ってまで私を支えてくれた両親が、今日の結果を喜んでくれたのが嬉しい」。来春、教職に戻る先生は微笑んだ。>
20080812

2008年08月07日

◆「あなたならどうする?」

石岡 荘十

表題は、昭和45年、70年安保の真っ只中、いいしだあゆみが唄って流行った歌謡曲(なかにし礼作詞、筒美京平作曲)のタイトルだが、その話をしようというわけではない。

内閣改造後はじめての日曜日、テレビはどれも、早朝から新閣僚に加え、政治評論家をスタジオに迎えて、政治談議まっさかりである。評論家にとっては、年に何度もない稼ぎ時だ。

総理をはじめ新閣僚が”適材適所“なのか、やかましい限りだ。しかし、もともと社会部崩れの筆者としては一人ひとりの政治家の識見・政治信条をそれほどよく知っているわけでもないので、新閣僚の顔触れをどうこういう知識も見識もない。

素人が人物判定をするうえで頼りにするのは評論家の発言だが、こんなときにいつも思うのは、表題の唄、「さて評論家殿、あなたならどうする?」である。

いまいる日本人の中で総理にもっともふさわしい人物は誰だとお考えなのか? 民間起用も含めて重要閣僚には誰と誰がもっともふさわしいとお考えになるのだろうということである。総理になったつもりで、閣僚名簿をお示しいただけないだろうかということだ。

現実の問題としてはいろいろあって、そんなことをしても意味がないことくらいは承知しているつもりだが、素人有権者としては、この際、“玄人”ご見識を伺い、早晩やってくる総選挙で何を基準に人選し、投票すべきなのか、手がかりを得たいのである。

そうはいっても、完璧な”適材適所“はありえないから、出来上がった閣僚名簿にケチをつけるくらいなら筆者にも出来そうだ。しかし、つけたケチがどの程度説得力を持つか、持たないか、そこが素人と玄人との分かれ目だと思う。内閣改造は政治評論家殿のウデの見せ所である。

また、やけくそで浴衣姿で打ち水をして、何気ないような素振りだった人を始め、惜しくも入閣を逸した“大物”(複数)の心境を勘案しながら読むと、この歌詞は結構、意味深長だ。

<嫌われてしまったの 愛する人に
捨てられてしまったの 紙クズみたいに
私のどこがいけないの

それともあの人が変わったの
残されてしまったの 雨降る町に
悲しみの眼の中を あの人が逃げる
あなたならどうする あなたならどうする

泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら
私のどこがいけないの

それとも誰かを愛したの
忘れられてしまったの 愛した人に
何が出来るというの 女がひとりで

あなたならどうする あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら>

70年安保の時代“過激派学生”の間でよく歌われていたもうひとつの流行り歌は、新谷のりこが歌う「フランシーヌの場合」(いまいずみあきら作詞、郷五郎 作曲)である。

<フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい--->  20080803

2008年07月28日

◆どうなる、孤児訴訟弁護士費用


           石岡 荘十

神奈川県内の中国残留孤児国家賠償訴訟(原告207人)を終結し、8年間にわたる活動を支援してきた人々に対し感謝する集いが、26日、横浜中華街の中華飯店で開かれた。会場には150人が参集し、中国語が飛び交った。

敗戦の混乱の中、中国大陸に置き去りにされ、その後帰国を果たした中国残留孤児は総数で約2500人。

このうち2200人ほどが原告となって全国15の裁判所で起こしていた国家賠償を求める訴訟は、昨年7月までの間、神戸地裁で勝訴しただけで、他は敗訴。

しかし政府が新支援策を取りまとめたことで司法判断とは別に政治的に決着し、これにより原告は訴えを取り下げて5年間にわたる係争に幕を下ろした。

ところが、裁判を支援してきた関東地区弁護団が弁護士報酬として、原告1人当たり20万円を請求してきたのだ。

寝耳に水の高額請求だと神奈川県原告団が反発、「払え、払わない」でもめている。この件については、6/25、本メルマガで報告した。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4140962/

その後、読売新聞夕刊が7/9、社会面トップで盛大に取り上げたことから、弁護団は、この記事が原告側の主張に偏っているとして「申し入れ書」を送るとともに、関東の原告1096人全員に改めて、支払いを求める文書を郵送した。

このような関東弁護団の動きに呼応するように各地の弁護団も動き出し、高知で20万円、鹿児島16万円、京都5万円を弁護団が請求する。唯一、勝訴した神戸は1万円の請求だった。

これに対して、26日の横浜の集いで出席した150人に主催者が意見を求めた結果、「3〜5万円なら---」が圧倒的に多かった。

だがそもそも、弁護士費用について弁護団と原告の間の約束「勝訴判決が確定、または和解が成立したとき、原告が受け取った金額の25%を弁護士費用として支払う」ことになっていた。

が、裁判はいわば“政治決着”をしたのであり契約の条件には当たらない。したがって、弁護団は費用を請求する法的な根拠はないと考えるべきだ。

そうはいっても、5年もの間、多いときは 200人もの弁護団を結成し、裁判に要した経費は膨大だ。1円も払わないというのはいかがなものだろうという見方も当然出てくる。

かといって、国民年金の老齢基礎年金満額(6万6000円/月)と、月額最大8万円(単身世帯)の生活支援給付金が上乗せされるとはいえ、ギリギリの生活で、「20万円はとても---」というのが多くの原告の考えである。

神奈川県の原告団委員会の結論はこうだ。
・20万円は高額で払えない。訴訟費用の一部と謝礼として1人5万円(分割も可)、65歳未満で国民年金を満額もらえない人は1万円以上払うように努力する。

・謝礼の目標である1〜5万円を払うかどうか、金額は原告自身の自由意志で決める。

対して、弁護側は、
「国民年金が満額支給されることになった。着手から7年分の支給と着手金で、1人100万円とすべきところ20万円におまけした。実質的な和解であり訴訟費用の負担をお願いしたい」と言っているという。

そう、このケースでは法的な根拠がないから「お願いしたい」というほかはないのである。

でなければ、原告団を相手取って弁護士費用の支払いを求める訴訟を起こすという手段もないわけではないが、そこまでやっても勝訴の確率はきわめて小さい、と私は思う。

ところで、この問題についてマスコミ各紙は先に触れた読売以外に取り上げたという話を聞かない。

が、北九州市のある原告は、NHK衛星放送を受信しているという理由で、生活支援給付金の支給を差し止められていたが、読売の記者がそのことを取材する電話をしたところ、数日後、支給が開始されたという話がある。

北九州市は、「おにぎりが食べたかった」という遺書を残して独居老人が餓死したところだ。謝罪はしていない。役人は憲法25条を熟読すべきだろう。

また、国は本件訴訟を政治決着に持ち込んだことで、“一件落着“と考えているフシがあるが、肝腎のことを忘れている。「ごめんなさい」をまだ言っていないのである。

はるか60年以上前、大地に棄ててきた民草に対する償いを、国はまだ果たしていない。 20080727

2008年06月28日

◆狭心症で入院の松山千春


           石岡 荘十

歌手の松山千春(52)が25日未明、全国ツアーの滞在先で倒れ、緊急入院した。救急搬送された病院で「不安定狭心症」と診断され、急きょ、心臓の緊急治療術である「経皮的冠動脈形成術」が行われた。

一命を取りとめたが、診断した医師によると絶対安静が必要だという。松山さんは先月スタートしたコンサートツアー中で福岡市から三重県への移動日、滞在先で体調不良を訴えたという。(産経新聞電子版6月26日14時48分)

この記事の中に、いくつか医学的専門用語が出てくる。

まず、「不安定狭心症」とはなにか。何も特別なことをしていないのに、(彼の場合は、未明と言うから休んでいた可能性が高い)、1日何回も発作を繰り返す場合、また、(対症法的に使う)ニトログリセリンが効きにくくなった場合の狭心症のことをこう呼んでいる。

狭心症は、心臓に血液を送る冠動脈にコレステロールなどがたまって狭くなり、心臓の筋肉に十分な栄養が送れなくなる病気だ。この状態をほっておくと冠動脈が完全に詰まり、その川下の筋肉に血液が行きわたらなくなり、心臓の筋肉組織が死んでしまう。これが心筋梗塞(こうそく)だ。

つぎに「経皮的冠動脈形成術」とは?

治療は、要は、詰まった血管の血の流れが戻ればいいわけだが、流れが悪いからと言って即、外科医が心臓を開くというような乱暴な外科手術をするわけではない。

こんなとき広く行われているのが、内科医によるカテーテル(ビニールで出来た細い管)を使った治療法だ。足の付け根の静脈などからカテーテルを入れ、血管が狭くなった”現場“を押し広げ、そこにステントを使って冠動脈を広げる方法だ。

「経皮的」というのは皮膚を経由して(穴を開けて)、という意味だ。

「ステント」は網目状の金属製チューブのことだ。護岸に使う蛇籠をすぼめたみたいなヤツだ。その中に風船を仕込んで冠動脈が狭くなった部分に挿し入れる。

現場で風船をふくらませるとステントの直径も大きくなり、狭くなったところを内側から押し広げて補強する恰好になる。カテーテルを引き抜いてステントを置き去りにする。

つまり皮膚を経由してカテーテルをいれ、狭くなった血管の形を整える治療法、これが「経皮的冠動脈形成術」である。

ところが、置き去りにされた金属製のステントは血管を傷つけるなどして炎症を起こし、血管の内膜細胞が増殖して血管がまた狭くなる(再狭窄)。この治療法の欠点だ。

患者の2〜3割が半年以内に再狭窄を起こすだけでなく、心筋梗塞を繰り返すこともある。そこへ登場したのが、「薬剤溶出性ステント」だ。

米国で03年4月に実用化され、日本でも04年8月、実際に患者に使えるようになった。

この新型ステントには炎症を抑える働きのある免疫抑制剤「シロリムス」が塗ってあり、これが約3か月にわたってじわじわと血管の壁に溶け出し、血管内側の細胞の増殖を抑える。

ちなみに、シロリムスは約30年前にイースター島の土壌から発見された抗生物質だそうだ。臨床試験の結果、半年後の再狭窄率は、従来のステントに比べ4分の1以下の5%と激減した。

新型ステントが登場した丁度その時期、私は不整脈治療で入院していたが、爆発的需要で輸入が追いつかず、3ヶ月待ちだと言われていた。

そしてこれを機に、狭心症だけでなく、外科手術が常識だった心筋梗塞治療法も大きく変わった。この間の、経緯については、本メルマガ(下記)ttp://www.melma.com/backnumber_108241_3535670/

松山さんも、おそらくこの治療法を受けることになるだろう。心臓に十分な血液が行きわたらなくなる虚血性心疾患のなかで松山さんのケースは、まず”軽症“と言えるだろう。

だが冠動脈疾患に対する治療法は近年急速に普及してきているとはいえ、これらを合わせて虚血性心疾患といい、患者の数は国内でも推定100万人、年に7万人以上が亡くなっている。

狭心症の痛みは、胸とはかぎらない。へそより上、下顎より下、胃や歯、背中が痛いという人もいる。痛みは、抑えつけられる、締め付けられる、つまる感じ、むねやけなどの表現で訴える場合が多い。

が、痛む時間は2〜3分から20分程度までで、ここで大概の人は「ああよかった」と安心しアラームを見過ごす。20分以上痛みが続く場合は心筋梗塞を考えるというのが”常識”である。

さて、あなた、そんな経験は? 
20080626 

2008年06月22日

◆万能ではないAED     

石岡 荘十

自動体外式除細動器、AEDがようやく世間に知られるようになってきた。普及のスピードもたいしたものだ。しかし、その機能は必ずしも正確には理解されていないような気がする。

最近のケースとしては、例の、秋葉原の無差別連続殺傷事件関連の記事である。

6/16の産経新聞。記事は<事件当時も応急措置に活用されたAEDを(中
略)設置しようと募金活動を始めた>という趣旨だが、本当だろうか。

疑問は、本当に事件のとき、「応急措置に活躍した」のか? という点だ。

AEDは最悪の不整脈である心室細動に抜群の威力を発揮するマシーンだが、車にはねられて重症、あるいは即死状態で心肺停止した人に使っても意味はない。

AEDは心室細動患者に対してだけ威力を発揮するもので、出血多量やひどい打撲で停まった心臓を再稼動させる機能は持ち合わせていない。刺されて出血多量で瀕死の被害者に対しても同様だ。

車ではねられた瞬間、または刺されたとたんに、心室細動を起こした被害者が居て、AEDが「活躍した」というならともかく、そんな偶然はとても考えられない。記者はそこまで確認して記事を書くべきだった。

記事で、募金活動をしていた人の「もっとAEDがあれば、ひとりでも多くの人が救えたはず---」という談話を載せている。

大勢の人が押し寄せる商店街に、1台でも多くのAEDがあれば、それだけ安心・安全な街になることは間違いないが、なんとかとはさみ、いや、AEDも使いようなのである。機能を誤解して期待するのはケガのもとである。

もうひとつ問題の記事は、6/18(水)の本マガジン「話 の 福 袋」で紹介された千葉日報の記事だ。

それによると、<16日、千葉県船橋市のプールで、授業中に泳いでいた
6年生の女児が突然意識を失い、一時心肺停止状態となった。

(中略)女児は約30秒間水面にうつぶせで浮かんだ状態だったが、プールサイドの教員が気付き救助。ただちに救命措置を行い、119番通報で駆けつけた。救急隊員がAEDを使用したところ脈が回復した>そうだ。めでたしめでたしという記事だが疑義がある。

「救急隊員がAEDを使用したところ脈が回復した」、つまりAEDが役立ったとすると、少女は、子供には極めて稀な心室細動だったことになる。

しかも救急隊員が現場に駆けつけるのに要する時間は、平均で6分。3分以内に心室細動にAEDを使えた場合でも救命率は50%といわれる。

記事では救急隊員がAEDを使うまでに何分かかったのか、脈を回復した少女の容態はその後どうなっているのかをリポートしていないからなんとも言えないが、この事件が報道どおりだとして、その後少女が順調に回復しているとしたら、この少女は極めて稀な強運の持ち主だということになる。

AEDは、正常な拍動をしている心臓・完全に停止している及び心房細動を起こしている心臓に対してはAEDの診断機能が「除細動の必要なし」の診断を下し通電は行われない。

つまり心臓が停まった人や停まりかかった人になら、誰にでも万能ということではないのである。

所詮、AEDは機械なのだから、葵のご紋の印籠のように、都合のいいときにぱっと現われて万能を発揮するわけではない。過信は禁物である。 
20080618 (ジャーナリスト)

2008年06月19日

◆齢は足にくる

石岡 荘十

学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは3月末、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。

しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。

それから、少なくとも1キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。

脊柱管はどこも狭くなっているところはない。しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の1割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

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2008年06月15日

◆「よど号」犯引渡し


石岡 荘十

北朝鮮との公式実務者協議が6月11、12の両日、北京で開かれ、日本が拉致問題の解決や日航機「よど号」の乗っ取り犯の引渡しを求めたのに対し、北朝鮮側が新たな提案をしたと伝えられている。

横田めぐみさんら、日本国内から拉致されたと見られる人々については、この10年の間にしばしば報道されているのでここでは改めて触れないが、よど号乗っ取り事件については、事件から40年近い時間が経過しているので、この際、事実関係を整理しておく。

1970年3月31日、当時、70年安保闘争終盤、学生運動を日本各地で展開していた各派の中でももっとも過激な運動を展開していた共産主義者同盟赤軍派のメンバー9人が、羽田空港発午前7:33分、板付空港行きの日本航空351(ボーイング727機、愛称「よど号」)をハイジャック。

犯人グループは北朝鮮に亡命すると言って、福岡、韓国を経緯、韓国・金浦空港で乗員は7人と乗客は131全員を解放して、北朝鮮に到着した。

田宮高麿(当時27)をリーダーとするハイジャック犯9人は亡命後、当時の金日成首相の配慮でなに不自由ない生活を保障され、政治思想(主体=チュチュ思想)を学習しながら、1977年5月までにほとんど全員が日本人女性と結婚。

結婚相手の女性は日本国内のチュチュ思想研究会の会員で北朝鮮に渡った人が多かった。その後、共同で貿易会社を作り、平常市内に外貨ショップを開いたりしていたと伝えられるが、この間、4人が死亡、1人が逮捕され有罪判決を受けたがすでに出所。

死亡したのは、
・田宮高麿(27)---95年、52歳で病死。

・岡本武(24)---88年、42歳で妻とともに事故死とされているが、状況は未確認。

・田中義三(21)---96年、タイで偽ドルを使ったタイ人と外国人に協力したとしてカンボジアで拘束され、00年、日本へ30年ぶりに移送・帰国。国外移送略取、強盗致傷容疑で逮捕され、06年、最高裁で懲役12年が確
定。07年元日、服役中、58歳で癌で死亡。

・吉田金太郎(20)---85年、35歳で死亡とされているが、結婚したかどうか、死亡の状況など詳細は不明。

・柴田泰弘(16)---88年5月、密かに帰国したところを逮捕され、懲役
5年の実刑。94年満期で出所。


したがって、いまなお北朝鮮に生存が確認されているのは4人(年齢は当時)。

・小西隆裕(25)
・若林盛亮(23)
・安部公博(22)
・赤木志郎(22)

今回の日朝協議ではこの4人が引渡しの対象となっているのだが、横田めぐみさん拉致の関連で捜査が進む中、よど号事件のグループが別の拉致事件に関連しているのではないかと疑われる事実がつぎつぎと明らかになっている。

その端緒は、ハイジャック当時16歳だった柴田と結婚(87年)していた八尾恵が密かに帰国して横須賀市内でスナックを経営してるいという密告だった。

88年5月、八尾(当時32)は住民票への登録が偽名だったという容疑で逮捕、略式起訴されるが証拠不十分のまま釈放となった。ところが、八尾は02年3月、東京地裁で開かれた赤木恵美子(赤木志郎の妻)の公判
に検察側証人として出廷、

ハイジャック犯のリーダー田宮の指示で「83年、ロンドンに留学中だった有本恵子さん(当時23)を騙して北朝鮮に連れ出した」と証言。

またそれ以前80年に田宮の妻、森順子ら「よど号の妻」がスペインなどヨーロッパ留学中の日本人学生石岡亨さん(当時22)と松木薫さん(当時26)を拉致したという報道が93〜94年相次いだ。有本さんと石岡さんは、85年結婚したとされている。

北朝鮮側は、02年10月、日本の調査団に対して、「有本さんと石岡さんは亡くなった。松本さんについては調査中」としているが、これを裏付けるものは何もない。そんな中、いま北朝鮮にいま居る小西ら4人はどうしているのか。

映画「実録・連合赤軍」の若松孝二監督が今月始め平壌のホテルの一室で、焼酎を呑みながら、安部を除く3人にDVDを見せた。メンバーの一人は「同志の行為に責任を感じる」と語り、若松監督が「あなたたちが日本にいれば、あさま山荘事件は起きなかったのでは」と問うと、苦笑するだけで返事はなかった、とウェブで報告している。

赤軍派のいわば創始者であり、議長だった塩見孝也さん(66)は、実行犯9人とともに北朝鮮に渡り、世界同時革命を実現する計画だったがハイジャック実行直前の70年7月15日、尾行していた警視庁捜査員に逮捕されてしまう。

懲役18年の刑期を終わって出所したのは89年の暮れだった。それ以降、40回以上北朝鮮に渡り、彼らと会っているが、拉致の事実について、彼らははっきりとは認めていないという。

日朝実務者協議の結果について、6/13夕刻、電話でこういっている。

「今の段階で、彼らの身柄だけを引き渡すというのか、ヨーロッパで拉致したといわれる3人を含め、すべての拉致被害者を帰すというのかはっきりしないが、少なくとも(ハイジャック犯)4人の帰国がはっきり決まった段階で、自分の考えを明らかにしたい」

拉致をテロ国家の理由に挙げている米国に対するサインに過ぎないという見方を拭えないが、38年前ハイジャックを取材した者としては、別の視点から成り行きを見守りたい。       20080613


2008年06月10日

◆延命治療拒否宣言

石岡 荘十

「頂門の一針1198号」(5月26日)、内田一ノ輔さまの延命治療についてのお考えに関連して、私の経験と私見をお話したい。

「身体髪膚これ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という
教育を受けた私が、これまでにかすり傷や、腕の骨折などをした経験は
あっても、まさか心の臓にメスを入れる事態、(大動脈弁置換手術)に
遭遇するとは思いもかけなかった。

が、ドクターにインフォームドコンセントを受け、心臓手術以外に延命
の可能性はないと納得し、9年前、99年の2月、心臓手術を受けた。

その詳細については、04年末、文芸春秋社から上梓した。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978925880

土壇場に追い込まれて考えたのは、

・手術がうまくいけばラッキー!

・手術が100パーセント成功する保障がない以上、失敗して一巻の終わりになればそれも仕様がない

問題は、重度の合併症に襲われ瀕死の状態ではあっても、正確に自分の
考えを意思表示出来ない状態に陥ったとき、どうするか、だ。

家族は、内田さんが仰るように<1分1秒でも長く生きていてほしい、息
をしていてほしいと>願うだろうととりあえず自惚れてはみたが、<救
命・回復の見込みがなく、臨終を避けられないが、延命治療によって生
き続けている患者を持つ家族の感情の頃合>の見極めを家族に押し付け
るのは、いかにも可哀相だと思った。

何ヶ月か何年か植物状態にあった患者が、奇跡的に意識を回復した症例
がないわけではないが、ここで、奇跡的な可能性に期待して医師や家族
に治療をやめる「阿吽の呼吸」「暗黙の了解」を求めるのではなく、自
らの人生と命の灯火は自らの意思で吹き消そうと決めた。

「自力呼吸ができなくなった、と医者が判断したら躊躇なく、延命治療、
つまり薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養水分補
給をやめてくれ」

手術の朝、こう書いた紙を妻に渡して、「いざとなったらこの紙を医者
に見せなさい」と言い遺してストレッチャーで手術室に向かった。

後に聞いてみれば、私のケースは心臓手術の中でも、難易度”中程度
“で、死ぬの生きるのというような大騒ぎをする症例ではなかったよう
だが、「心臓」と「メス」という単語の取り合わせは、間違いなく、死
ぬかもしれないという危惧を患者に突きつけるものだ。

そこで、延命治療の是非を誰が判断するのか。

内田さんが遭遇したご尊父の臨終の様子は、胸に迫るものがあるが、私
は、お別れのタイミングは、医者や家族に押し付けるべきではない。

まして何を考えているのか分からない役人や“名ばかり議員”、“国民
の代表もどき”が患者の尊厳をこね回して指針・基準をつくろうなどと
いうのは100年早い、僭越極まりないと私は思っている。

“後期”というか“末期”高齢者の自覚があろうとなかろうと、日々、
ゴールが迫っているのは間違いない。

内田さんによれば、<厚生労働省が数年前に行った意識調査では、終末
期の医療に悩みや疑問を感じる医師は8割を超える。延命治療はやめた方
が良い、と考える市民も7割強を占めた>そうだ。

ただ、明日家族を集めて、意思表示を紙にしておくというわけにはいか
ないだろうから、どこからがムダな延命治療なのか、法的、医学的な基
準、<延命治療の明確な指針づくりを急ぐべきである>というご主張に
は賛同する。

仰るとおり、<医療の現場で対応するには、具体的な指針が必要だ。患
者の意思をどのように確認し、病状の判断をするのか。家族にも納得の
いく説明が要る。患者や家族が望んでも、医師が殺人罪に問われかねな
いのでは混乱するばかりだ>。

家族も納得し、医師が殺人罪に問われることなく、人を人らしく送る決
め手はひとつ。自分がどう終わりたいのか、まず家族と、あすにでも話
し合うことだろう。 20080528

2008年05月25日

◆黒人か女性か高齢者か

石岡 荘十

初代ジョージ・ワシントン(1789〜1797)以来、米大統領は大陸の侵略
者である「白人の男」と相場が決まっていた。いま大騒ぎしている44代
大統領選、民主党の指名争いは20日のケンタッキー、オレゴンの予備選
で先が見えてきたと報じられている。バラク・オバマ候補がこのまま指
名を得る勢いだという。

そうだとすればこの段階で国民は、白人ではあっても“所詮、女”とい
う性差別を乗り越えられなかったことになるが、人種差別を乗り越えて、
黒人に国の将来を託す可能性を選択したということになる。

予備選は、候補が黒人であれ、女性であれ、この国始まって以来初めて
という選択を国民に迫ったわけだが、正直言って、予備選が始まった時
点でまさか黒人がアメリカの顔となるという選択をすると確信していた
日本人は少ないのではないだろうか。

大分前に、元外務省北米課長から、こんな話を聞いたことがある。

アメリカはレディーファストの国といわれるが、われわれ日本人が考え
ている以上に、この国では性差別の壁は厚い。

ヒラリー・クリントンは、永田町で「ポスト福田かも」とささやかれて
いる某・こうもり女史などにくらべ、なるほど知名度・経歴・能力でけ
ちのつけようがないが、女性であるというこの一点で、劣勢を強いられ
たのではないか。

これに較べ、黒人に対するアメリカ人の人種差別意識は近年、日本人が
感じている以上にゆるやかで、そのことを実感しない日本人が、「まさ
か黒人大統領なんて」という先入観で観測しているに過ぎないという。

元外務省官僚はそうは言っていたが、私も「まさか」と思っていた。

で、バラク・オバマVS共和党の白人男性ジョン・マケインが見ものだ
が、マケインの弱点は高齢。71歳、就任時には72歳だ。

仮に、オバマとの本選挙になるとして、46歳対71歳。マケインは、よく
調べてはいないが、当選すれば、これまたアメリカ始まって以来の最高
齢大統領選となるだろう。

クリントンを含め、可能性のある3候補はいずれも、アメリカ国民が経
験したことのないハンディを背負った候補ということになる。

・クリントン(60) 女性
・オバマ  (46) 黒人
・マケイン (71) 高齢

つまり三すくみ状態。選挙民にしては、あちらを立てればこちらが立た
ずだ。

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2008年05月19日

◆「先祖返り」成るか

石岡 荘十
 
米民主党の大統領候補は、「オバマ確実」と伝えられている。ニュースを
見てひらめいたのは、アメリカが10万年ぶりに「先祖返り」を果たすか
もしれないという人類遺伝学上の“結論”だ。

オックスフォード大学人類遺伝学ブライアン・サイクス教授はDNA遺伝子が、古い骨にも残っていることを突き止めたと‘89年の「ネイチャー」誌に発表した。

その直後、‘91年、ドイツの登山家がイタリア・アルプスで発見したのが5000年前の人類の死体だった。死体は後に「アイスマン」と呼ばれるようになる。

サイクス教授が鑑定したところ、アイスマンから取り出したDNAが現代のヨーロッパ人から取り出したDNA のサンプルとまったく同じ配列だったことを突き止めた---。

つまり、5000年前のアイスマンは、現代ヨーロッパ人のご先祖様だったことになる。その後の、詳しい研究経緯や成果は、「イヴの七人の娘」(ソニー・マガジンズ)に譲るが、結論はこうだ。

現代のすべての人類、ホモ・サピエンスのDNAサンプルを遡ると、10万年前、アフリカにいた1人の女性にたどり着く。サイクス教授は、この女性を「イヴ」と名づけ、その7人の娘たちこそがすべての人類、ホモ・サピエンスの“始祖”であることを科学的に証明している。

「イヴ」はじつは黒人だった。その7人の娘たちの子孫が、まず近東に、そしてヨーロッパに、さらにシベリアを経由してアメリカ大陸に、その途中でアジア---へと移動していった。

この考え方は、突飛な仮説ではなく、考古学にも支持されている。つまり、この論理を覆す科学的な反論は今のところ、ない。

では、イヴの父母は? という疑問が出てくるが、その先は、「ネアンデルタール人、ホモ・エレクトスであり、さらにその先は---キリがない」、人類以前の世界になってしまう。教授の人類遺伝学の分野を超えるというわけだ。

サイクス教授によれば、その頃(10万年前)、アフリカには異なったDNAを持つ13群(グループ)がいたが、イヴの群を除くほかの群の子孫は、この10万年の間に、女の子が生まれなかったか、厳しい自然条件の中で、世界へ移動する過程で途絶えた---としている。

DNAは女性によってのみ子孫に引き継がれる。女の子がいない親のDNAは
途絶えることが証明されている。

女の子がいて、10万年のさまざまな厳しい気象条件を克服してDNAを継承し、生き残ったグループが、DNAの一部に突然変異を起こし、白人や黄色人種となっていった。

さて、オバマ候補である。近いルーツはアフリカ・ケニアと伝えられている。

その先のルーツについての報道は目にしていないが、10万年単位で人類の歴史を見ると、オバマ候補こそ、肌の色といい、「七人の娘」の素質をきっちり引き継ぐホモ・サピエンスの正統な継承者といえるかもしれない。

つまり黒人のオバマ候補は人類遺伝学的には、本家筋の知性的なぼんぼんなのである。クリントンのような白人、われわれ黄色人種は「イヴ」から見ると、「変な色の子」、いわば“亜種”ということになる。

オバマ候補が、アメリカ大統領になるようなことがあれば、これは、イヴ以来の10万年ぶりの「先祖返り」だ。

この間、アフリカから黒人を”拉致“し、奴隷として酷使した悲惨な歴史がある。そして差別は今も厳然として存在する。

それも、オバマ候補の「先祖返り」を見越して、いってみれば”分家の本家苛め“を諌めるために、10万年かけて神が仕組んだ巧妙な必然、というのは考えすぎか。    20080303



2008年04月09日

特報!◆京大病院の前院長らを送検

                  石岡荘十(ジャーナリスト)

京都・川端警察署が、業務上過失致死の疑いがあるとして告発されてい
た京都大学病院の内山卓前院長らを書類送検したことが分かった。

送検されたのはほかに前副院長で手術の安全管理の責任者だった橋本信
夫前脳外科教授(4月から国立循環器センター総長に栄転)、それに一
山智前検査部教授(副院長)の3人。

3人は一昨年(’06年)3月、京都大学病院で行なわれた手術患者が脳
死肺移植手術後死亡した医療事故について、移植手術にしては珍しいこ
とだが、脳酸素の飽和度を示すモニターを設置していなかった。

患者は30歳の女性で、手術が肺手術であるため呼吸器外科を主担当に、
麻酔科と心臓血管外科の3科が協力する体制が取られた。手術は順調に
進んだかに見えた。しかし患者は全脳虚血による脳障害を起こし、手術
後も意識を回復することなく、10月死亡した。
 
この手術をめぐって、“病院当局”は患者死亡から2ヵ月後の一昨年暮
れ、いわば手術の助っ人だった心臓血管外科の米田正始(こめだまさし)
教授(当時)に対してだけ、突然「心臓手術差し止め」を宣告し、事実
上、教授のメスを取り上げた。

米田教授はその後、京大病院を辞任した。しかし、手術の安全管理に責
任がある送検された3人の責任は重いとして、米田元教授が手がけた患
者関係者が告発状を川端警察署に提出し、その取り扱いが注目されてい
た。(経緯の詳細は、昨年「新潮45」10月号でリポートした)。

告発状によると、「平素から医療の安全管理に努め、手術担当医師らが
手術中の患者の異常を直ちに発見し、これに即座に対処できるよう脳組
織酸素飽和度モニターなどを設置するなど---(中略)の義務があるのに、
これを怠った。これが業務上過失致死に当たる---」としている。

その京大学病院は、4月7日、「心臓外科の手術差止めに関する
外部評価委員会」がこれまでの調査内容を公表した。このなかで、評価
委員会は「(患者が死亡したのは)米田が周囲とのチームワークをとっ
ていなかったという観点の批判になっていている」(米田元教授)。

委員会の発表内容は、地元の京都新聞で一面トップで扱われているほか、
朝・毎・読でも比較的詳しく伝えている。しかし、4月3日に行なわれた書
類送検については、川端警察署も大学側もこれを公表しなかった。

告発人の代理で、送検(4/3)の事実を今日(4/7)確認したとい
う高田良爾弁護士によると、警察が送検の事実を公表しなかったのは
「大学病院に気を使ったからでしょう」という。

都合のいい情報だけを盛大に発表し、そうでない情報には触れないのは、
海の向こうの”大国”だけではないようだ。

米田教授辞任後のその京大心臓血管外科はどうなったか。愛知や神奈川
の民間の心臓専門病院でメスを握っている米田元医師によれば、京大に
はドクター4・5人が残っているが、成人の心臓手術患者は月数人事実
上、ゼロで、診療科としての心臓血管外科は消滅した。若いドクターの
中の何人かが、今後の身のみの振り方について相談してきているという。
                 200080407