2008年03月30日

◆「長官狙撃犯」信憑性は?

石岡 荘十

産経新聞が3/20、「平成7年3月、国松孝次元警察長官狙撃事件につい
て、別の強盗殺人未遂事件で実刑判決を受けて上告中の中村泰(ひろし)
被告(77)が警視庁に対し、犯行を示唆する供述をしていることが19日、
分かった」と報じた。

記事は、初日1面トップ+社会面トップ、翌日、翌々日の3日にわたる詳
報だった。 “世紀の特種”扱いである。ところが、他紙、テレビ報道は
いま(3/25)に至るまで、一切追っかけ記事は書かず無視している、
「誤報」と断じているように見える。

記事全文は下記でご覧頂いた上で話を進める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080320-00000057-san-soci

国松孝次氏と最初に会ったのは、上映中の(本メルマガで紹介した)映
画「実録・連合赤軍」(若松孝二監督)で描かれたあの時代、彼が東京
大学を管内に抱える警視庁本富士警察署の署長だったときのことだ。

署長室に火炎瓶を投げ込まれる事件(’69)があったが、危うく難を逃
れている。その後70年安保後にかけて警視庁広報課長などを歴任、警察
庁長官に上り詰めるまでつかずはなれずの関係が続いていた。

そして、オウム事件捜査の最中、例の狙撃事件である。この事件でも国
松長官(当時)は奇跡的に、まさに奇跡的に一命をとりとめ、その後ス
イス大使を勤めている。

そんな付き合いもあって、国松氏にメールで訊いて見た。

<国松孝次さま

ご無沙汰をしています。3/20〜22の産経新聞を見てびっくりしました。
中村某がいまごろ何がきっかけでゲロった(筆者注:自白した)のか、
記事では明らかではなく、決定的な証拠となる凶器の発見は不可能能だ
と思わせる内容で、

「本当だろうか」と信憑性について今ひとつ腑に落ちないところもあり
ます。

国松さんにはどのようはアクセスがあったのでしょうか。ご本人として
どのように受け止めておられるのでしょうか。当然、各社から接触があ
るとは思いますが差し支えない範囲で教えてください。

もともと公安事件の担当だった私としては無関心ではいられないのです。
たまたま昨年暮れ塩見孝也(筆者注:元赤軍派議長)と話し合う機会が
あり、近々、また会うことになりそうで、「雀百まで」ということでし
ょうか。 よろしくお願いします。>

国松氏からの返事(3/25)

<石岡さん

産経の記事ですが、今回は、警察庁及び警視庁から、何の連絡もありま
せん。産経も含め、どこの社からも私宛ての取材はありません。「今回
は」と書きましたのは、同様の話は、2年ほど前に、警視庁幹部から、非
公式な形で話を聞いたことがあるからです。       國松>

警察当局は、2年前にこんな話があったが、その後、事件解明に特に進展
が見られないので、連絡をしてこなかったのだと考えられる。

他社はともかく、産経が事件被害者本人に確認を取らないというのは、
ありえない話だ。この商売(事件屋)である以上、トクダネ特種に目が
くらんで、「えいっ」と書く気持ちが分からないではないが、一記者の
情報がそのまま記事になるはずはない。デスクは? 部長は? 

国松氏が言うように、「同様の話が、2年前にもあった」とすると、古い
話で、潰れたネタ、つまりウラが取れないなので塩漬けなっていたもの
を何かの拍子で小耳の挟んだということなのかもしれない。

いづれにしても、続報が待たれる。このまま知らんぷりというわけには
いかないだろう。20080326

2008年03月24日

◆ともかく、選挙をやろう

石岡 荘十

いま日本に暮らす国民のほとんどは、あの敗戦以来、「この国はこれか
ら民主主義でいく」と刷り込まれ、今日に至っている。あれから60年経
つ。

それで、市町村議員から始まって県・国会議員が、民意を代表する
ということになっているが、大半の国民はいま首をかしげている。民主
主義は下手をすれば衆愚政治に陥ると賢者はいう。

このところの大阪然り、東京もまたそうだ。地方自治といえば格好いい
が、地方での取材経験を振返ると、地方自治をお任せできる能力のある
人材が地方にいると思ったことは一度もない。

新人当時の、現官房長官の父であった北海道知事は、エネルギー革命の
中、潰れ行く産炭地対策に何の施策も示せず、ただ、おたおたするばか
りだった。行き着いたところが“夕張”だ。

東北で初めての地下鉄を実現した仙台市長は有能な官僚という評価が高
く、親しく付き合ったが、1億円収賄で逮捕されるような地方行政が夜陰
に乗じて進行していたとは思いもしなかった。

それやこれやで、彼らがおれ達を代表するなんて、とんでもない。そん
な人材は地方にはいない。地方に権限委譲なんてとんでもないと思って
いる。

それより、国会である。本メルマガでもその筋の専門家が、高邁な政治
理論、まことしやかな情報、さもありなん観測を披瀝するが、その筋に
ど素人の私は、その都度「だからなんなのさ」と醒めるばかりである。

それもこれも、頭の片隅で彼らが本当に民意代表する存在ではないので
はないのではないかという懸念が引っかかっているからだと思い当たっ
た。なぜか。それは、民主主義(だとすれば)の基本ルールである国政
レベルの選挙をやっていないストレスが国民の間に溜まっているせいで
はないか。

報道を見る限り、米国のあの大騒ぎ、韓国、台湾---。良くも悪くも、有
権者は、自分が国の行方を左右するイベントに参加している、アドレナ
リンがふつふつと漲る思いをしているように見える。

国の最高権力者の選出にわが1票を託す、そのチャンスになにがしかの
エネルギーを注ぎ込んでいるように見える。ロシアはそうは見えないが、
ともかく”民意“を問うた形式は踏んだ。

それに比べ、わが国のこのざまである。

やれ年金だ、道路特定財源だ、日銀人事だ、福田がどうの、小沢がどう
しただって?その手の、重箱の隅を爪楊枝で穿り回すような専門知識や”
極秘情報“は、その都度、プロの政治評論家がメシの種である雑文のネ
タにするか、博識振りをひけらかすワイドショーの政治評論家の出演料
に化けるだけだ
ろう。

どうでもいいから、永田町の小さな部落の顔役の都合で選ばれた何人か
のおっさんが、つぎつぎと、いかにも日本国民の民意の代表のような顔
をして、国民を引きずりまわすのはいい加減にしてほしいと思っている。

何でもかんでも政局にしようとしていると与党や一部評論家から批判さ
れている野党第一党の戦略が好ましいかどうかは別にして、解散総選挙
で、自分の国を代表する顔は自分が選びたいという、潜在的だが、多分、
確かな願望に政治は敏感にこたえてほしい、いますぐにでもと思う。

それで、この国が混乱するかもしれないといえばそうだが、それを乗り
越える叡智とエネルギーがこの国民にない、とは私は思わない。ともか
く、選挙をやろう! 20080316

2008年03月09日

◆「あたる」前に「かする」

            石岡 荘十

ベテラン俳優若林豪さん(68)が5日、倒れた。若林さんは小林幸子特
別公演「天勝物語」で小林扮する天勝の師匠松旭斎天一役で、今月1日
から名古屋の御園座に出演していた。

しかし、若林さんの体調は思わしくなく、「セリフもよく入っていなか
った」という。この日も昼の部に出演したが、「右手がしびれる」など
の症状が出て、本番を終了直後に病院に向かった。

医師の診察を受けて「左側慢性硬膜下血腫」と診断され、緊急手術が行
われた。

病名「慢性硬膜下血腫」というのは、脳を覆っている硬膜とその下の脳
との隙間に血(血腫)が貯まる病気で、血腫が脳を圧迫し「様々な症状」
がみられる。

http://square.umin.ac.jp/neuroinf/patient/37.html

病名は違うが同じ脳疾患で、脳の血管がつまったり、破れたりして、そ
の先の細胞に栄養が届かなくなる「脳卒中」の場合も、

・片方の手足がしびれる、

・持っているものをポロリと落とす、

・思っていることが言葉に出てこない、

・ろれつがまわらなくなる---などなど、12項目の「危険な前ぶれ」があ
るという(東京都厚生会中央病院 高木誠院長)。

昔から、脳卒中で倒れることを業界では「あたる」といい、一過性の前
ぶれを「かする」という。つまり「あたる」前に必ず「かする」前兆が
ある。

したがってこの段階で、“適切な”治療を受けていれば、頭蓋骨を開く
というような恐ろしい経験をしなくとも済むかもしれないのだ。

話を若林さんの件に戻す。

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2008年02月25日

◆周産期・母子救急にDHを

石岡 荘十

「周産期・母子」とは妊娠22週から分娩までの母と生後1週間未満の
小児を指す。産科医不足が社会問題となっている中、ドクターヘリでこ
うした妊婦や小児を搬送する分野でもっとドクターヘリを活用すべきだ
という議論が高まっている。

ここに目をつけたのが、ドクターヘリの普及を目指し、着々とその成果
を挙げつつあるNPO・HEM-Net(国松孝次理事長)だ。しかし、そのため
に解決しなければならない問題は数知れない。

そこで、2/20、都内で産科専門医を中心とした60人ほどが参加したセミ
ナーがNPOの肝いりで開かれた。パネリストは現に各地でドクターヘリを
運用している病院のドクターや救急業務に従事している消防関係の専門
家8人。

それぞれが、まず現場での実情や問題点を提起・出席者との間で議論が
交わされた。産科救急医によるこのようなセミナーは、おそらく初めて
だろう。

ドクターヘリ事業は平成13年度から始まり、今年1月現在、13道府県の
14の地区で運営されている。平成18年度の実績は11ヶ所で出動件数4,444
件。診療人数4,253人で、出動件数で前年に比べ8.4%の増加であった。

ドクターヘリは救急車やドクターカーに比べ搬送時間を大幅に短縮し、
目に見えて治療の質を向上させている。また死亡率の減少、後遺症の軽
減、それだけでなく医療費の節減にも貢献していることが明らかになっ
た。

しかし、母体搬送はドクターヘリ45件(1%)、消防防災ヘリ75例
(2.7%)と低く、米国の1機当たり45例/年(2001年全搬送数の4,6%)
に比べ、日常的に活用されているとはいえない。

しかし、ドクターヘリの成果がなかったわけではない。

神奈川県内で受け入れ先の見つからなかった妊婦が、千葉県房総半島の
亀田総合病院・周産期母子医療センターに搬送されたケースが紹介され、
ヘリの足を利用した広域運用のメリットを印象づけた。

同センターの小原ますみ医師によると、05年、センターの開設以来、45
例の母体搬送を受け入れているが、4分の1は県外からの搬送だった。

45例の搬送距離の平均は直線距離で67,5km、これを救急車で搬送した
場合に距離は100kmとなった。当然といえば当然だが、搬送時間はなんと
陸送の6分の1から10分の1だった。

迅速な搬送は妊婦の重症中毒症や小児の予後に大きく影響することが分
かったという。

告されたこのようなデータから、危機的な医師不足の昨今の日本では、
ヘリを組み込んだ母体搬送が欧米よりいっそう重要だと結論づけている。

24時間母子を受け入れる拠点病院を地域ごとに整備する必要もある。そ
のためには広域医療施設のリアルタイムの情報を集約し、コーディネー
ターが搬送する病院をヘリや救急車に指示する情報システムの構築も必
須だ。

病院の集約と連携である。しかし、ここでも、閉鎖的な大学病院の医局
制度、自治体の縦割り行政が行く手を阻む。加えて、ドクターヘリにも
弱点はある。夜間や荒天には飛べない。で、どうするか。

産科医の不足から妊産婦がたらいまわしにされた挙句、死亡するという
ような実情を考えると、救急車で何時間もかかって受け入れ病院を捜し
まわるのではなく、ドクターヘリを効率的に広域運用する叡智をいまこ
そ結集すべきだという意見が、今日のセミナーでの大勢を占めた。


今回日のセミナーでは、無論、葵の御紋のついた印籠は示されたわけで
はないが、三3時間半、専門医が忌憚のない意見を交換できた意義は大
きい。

ヘリの運用経費は1機2億円。全国都道府県にくまなく配備してもざっ
と100億。欧米では夜間も運用可能なドクターヘリが活躍している。

道路財源59兆円をめぐって、病院のない過疎地のためにも道路を、と声
高に議論されているが、税の使い道としてドクターヘリの整備のほうが
安くつくのではという国会では聞かれない意見も耳にした。20080220

2008年02月03日

◆他人の振り見て------

                石岡 荘十(ジャーナリスト)

“毒入り餃子事件”で新聞もテレビも大賑わいだ。

餃子といえば、戦時中、中国・天津で過ごしたわが家では、何かといえ
ば、いまは亡き母と阿媽(アマ=女中)が腕を振るったメニューである。
戦後引き揚げてきてからも母のもっとも得意とする料理で、近所に振舞
って珍らしがられたものだった。

メリケン粉(小麦粉)を捏ね、皮から作って、中身を包み込むのを兄と
一緒に手伝ったものだ。育ち盛りの兄弟は1度に30個も50個も食った。

主宰者が言うように、当時は、餃子は茹でるか蒸すかで、焼き餃子にお
目にかかったのは高校卒業後、東京に出てからだった。当時は、農薬な
どという気の利いたものは、勿論まだ存在せず、唯一、人糞が畑の肥や
しだったから、何の心配もなかった。

それが、この時代、安いもの安いもの、便利な食品を求め求めて、この
ざまである。安全でうまいものは手作り――さすれば、手間も値段もそ
れなりにかかろうというものである。

なのに、どこの誰が作ったものかも気に留めず、便利な食品に飛びつく。
こんなことをしていれば、自分の五感で危険を察知する本能は磨耗して、
嗅覚も味覚も退化し、人柱が立ってやっとリスクに気づくようになるの
は、当然といえるかもしれない。便利さが人類を退化させている歴史は
食に限ったことではない。

と、偉そうなことをいう私が騙された。

正月、孫たちが来て、ケーキを作ることになった。妻の言いつけで練馬
の西友へ大粒のイチゴを買いに行かされた。ところが、である。

見た目、大粒のわりに安い2パックを買い求めて家に帰り開けてみると、
二段につめてあるパックの上段は見事な大粒だったが、下段は似ても似
つかぬ小粒が敷き詰められてあり、中には明らかに熟しすぎたものも混
ぜ込んである。

騙されて、頭にきて西友の食品売り場マネージャーを電話で呼び出し、
「偽装ではないか」とクレームをつけると「パックには『大粒』とは表
示していないので偽装ではない」と言い張る。

2パックとも同じ状態だったことから、明らかに「たまたまあたりが悪
かったわけではないだろう」というと、「皆さん、パックをひっくり返
して確認していますよ」とほざいた。

やり取りで判断すると、西友は、見てくれと中身が違っていることは承
知の上で、販売している。マネージャーはこれを認めている。

といっても売り場のすべてのイチゴがそうだというわけではない。

別の日、店へ行って他のイチゴパックを片っ端からひっくり返して確認
してみると、なるほど表から見ても裏から見ても見事な大粒がそろった
パックはそれなりに高い値札がついていた。

ほとんどのパックには生産者のJAか、中には生産者の名前や連絡先まで
書いているものもある。この手の商品を買ってみたが、形も味も見事な
ものだった。

餃子の話に戻ると、国内産のものは中国産の3倍ほどの値段だった。つ
まり“イチゴ事件“の教訓は、「安物買いの銭失い」だったわけだ。
件のイチゴをあえて公表する。「とちおとめ」。
生産者は「JAおやま」とあった。

イチゴといえば長い間「東の女峰、西のとよのか」が主力品種だったが、
静岡の「章姫」、福岡の「さちのか」など新品種が多く作られるように
なってきているという。「とちおとめ」はその名が示すように栃木を中
心に群馬、茨城などでも栽培されている。

餃子事件ほど生死にかかわる大げさな話ではないけど、「あわよくば消
費者に目くらまし」と企むみみっちい生産者や小売が蔓延していること
は間違いない。

中国産だけを目の敵にしている場合ではない。食品偽装で大騒ぎした昨
年のことを思い合わせると「他人(ひと)の振り見てわが振り直せ」と
いうことだろう。20080131


2007年12月08日

◆星野仙一は大丈夫か

          石岡 荘十(ジャーナリスト)

台湾に勝って来年の北京オリンピック出場権を手土産に凱旋した星野ジ
ャパン。テレビもスポーツ紙も大騒ぎだが、見ていて、ふと、「星野は
大丈夫だろうか」という懸念がよぎった。

3年前(‘04年)の3月、その年夏のアテネオリンピック総監督に決
まっていた長嶋茂雄が心原性脳梗塞で倒れたことを思い出したからだ。
長嶋さんについては、何度か本メルマガで紹介しているが、彼の脳梗塞
の原因はもともと心臓の不整脈、心房細動だった。心房で出来た血栓
(血の塊)が脳へ飛んで脳の血管を詰まらせたのが原因だった。そのと
き、68歳だった。その後の彼についてはご存知の通りだ。

それから丸2年後(‘06年)の7月、今度は、3月にWBCで優勝を飾った
日本ティームの王貞治監督が胃がんで胃の全摘手術。幸い術後の経過は
よく、間もなく、福岡ソフトバンクスに復帰したが、あの頬のこけかた
は尋常ではない、と心配する声をあちこちで聞く。王監督、いま67歳。

そこへ、イビチャ・オシム監督の入院騒ぎだ。先月16日午前2時頃、千
葉・浦安市の自宅で,テレビで海外のサッカーを観戦後、二階に上がろう
として急性脳梗塞で倒れた、と報じられている。(詳しくは下記アドレ
ス)。http://www.melma.com/backnumber_108241_3904405/

その後、最悪の危険な状態は脱したと伝えられているが、この場合の
「最悪」というのは、「命は取り留めた---」という程度のことだろう。
オシム監督66歳。

さて星野仙一監督である。

もともと、彼には心臓の不具合がある。ナゴヤドームで中日戦が行われ
た2003年7月27日、試合中に体調不良を訴えて倒れ、ベンチ裏で治療を
受けた。その後も度々持病の高血圧や不整脈で体調を崩し、島野ヘッド
コーチに「島ちゃん、あとは頼む」と試合を任せ、ベンチに座ったまま
黙り込むことも多かった。

‘03年の日本シリーズ終了後、体力的な問題から監督を勇退した、と当
時の新聞は報じている。

10年前の11月、夫人が亡くなった後も、心臓に不安、不整脈を抱えてい
るという報道を散見する。

ここ2、3日に見たどこだかの民放ニュースは「ちょっと不整脈があるく
らいで健康は心配ない」と伝えていた。アホなこと言うでない。不整脈
がもし心房細動だったらどうする? 長嶋さんの例もある。ナメたらあ
かんぜよ!

星野監督、まだ今年還暦を迎えたばかりで、不幸な病に見舞われたほか
の監督に比べ、いくらか若いといえば若いが、心臓病の最大の敵はスト
レスだ。北京を控えて油断は出来ない。

ただ、かすかに期待できることがある。それは2人のお嬢さんの嫁入り先
がどちらも医者であるということだ。お嬢さんたちは「本当に身勝手な
パパだけど、健康面のアドバイスだけはちゃんと聞いてくれる」とスポ
ーツ紙に語っている。

そうはいっても、愛妻の扶沙子さんを病に奪われて以来、独身だ。長嶋
さんが、奥さんと別居していて、脳梗塞の発見が遅れたように、年寄り
の一人暮らしは危険である。

プロスポーツ選手は年を取って体調を崩す人が少なくない。長年肉体を
酷使し、体力の限界ギリギリまで戦い続け、監督にでもなろうものなら、
その間のストレスの後遺症が、後年襲ってくる。

一国の総理にふさわしい人材は続々---、何時死んでも辞任しても後釜に
事欠かないが、この時期、星野監督は、特に野球フアンにとっては間違
いなくかけがえのないVIPである。

関係団体は、VIPの健康管理について、もっと真面目に、危機感を持って
学習し、対応したほうがいい。2007,11,03


2007年11月29日

◆万能細胞への臨床医のコメント

石岡 荘十

人の皮膚細胞から人体の各種の組織のもとになる万能細胞(人工多能性
幹細胞=iPS細胞)をつくることに、京都大・再生医科学研究所の山
中伸弥教授らが成功したと伝えられ、早くもノーベル賞の呼び声が高い。

この研究成果について、「神の手」を持つ心臓血管外科医・米田正始
(こめだまさし)元京大教授が以下のようなコメントを寄せてくれた。

石岡さま

今回の京大再生医学研究所・山中先生らのご研究は素晴らしい成果であ
り大変うれしく思っております。今後の展開次第で患者さんへの恩恵も
具体化してゆく可能性があり楽しみです。

前向きな意味であえて課題を申し上げるとすれば、こうした優れた仕事
が臨床の現場にいたるまでには数々のハードルがあり、医学的なものか
ら社会的・倫理的・経済的・行政的(とくに日本ではこれが問題です)な
ものまで含めれば実に沢山です。

たとえば一世を風靡したES細胞でさえ、10年経ってもまだ実用化には
ほど遠く、たとえばマウスのES細胞でできたことが霊長類のES細胞
では全然できないとか、

心筋にまで分化するといっても実際その数はごくわずかで必要量に遥か
に及ばないとか、本当にパワーを長期間発揮できるか不明とか、(ES細胞
の場合)拒絶反応の問題をクリアーしたと仮定しても研究室から手術室ま
での遠さを痛感するのが現実です。

行政的な観点からは患者さんに使うにはさらに多くの障壁があります。

また細胞治療はこれまでも期待と現実の落差が指摘されています。それ
さえ臨床治験に進むのに長い時間を要しています。

しかし今回、山中先生らの成果により、将来の到達点が一つ見えたとい
うのは大変意義があり、敬意を表したいのは皆さん同様と思います。米
田正始 拝

ところで、米田正始医師については本メルマガで何度か紹介したが、大
学側と病院の経営方針をめぐってソリが合わず、9月京大心臓血管外科
の教授を辞任した経緯がある。

そこで、米田医師辞任後の京大病院の近況を聞いたところ、以下のよう
なメールがあった。「京大の心臓血管外科はその後も低迷を続け、成人
の手術はごくわずかしかやっていませんし、新規入局もほとんどなく、
未だに大学内に残っている先生らが気の毒です。

研究も毎年世界に多数発信していたのが失速しています。患者さんのお
話では患者の流れは2つの日赤病院や府立医大等にすでに移行したよう
で、私と連絡がついた方々は豊橋ハートセンターなどで私がお世話する
ようになっています。

私自身は現在2つの病院で着実に実績と基盤を作りつつあります。いず
れも大変仕事しやすく、現場の若手医師やコメディカル(看護師ら心臓
手術スタッフ)の明るさと熟練度の高さが素晴らしく、臨床医の仕事環
境として理想に近いものと思います。

日本の心臓外科医療(循環器内科もそうかも知れません)の流れがこうし
た私立専門病院に移ったことを実感しています。今後もよろしくお願い
もうしあげます。2007,11,24豊橋ハートセンター・大和成和病院心臓血
管外科医(スーパーバイザー) 米田正始」。

(なお個人メールの公表については了承を取ってあります)2007,11,27

2007年11月20日

◆VIPの健康管理


  石岡 荘十(ジャーナリスト)

サッカー日本代表チームのイビチャ・オシム監督(66)が16日午前2時
頃、千葉・浦安市の自宅で,テレビで海外のサッカーを観戦後、2階に上
がろうとして急性脳梗塞で倒れた、と報じられている。

協会の川渕会長は記者会見で「命を取り留めてほしい」と涙をこらえな
がら話した。民放の報道だったと思うが、監督が倒れた直後、家族が救
急車を呼ぼうとしたが、片言の日本語が通じず、通報の仕方が分からな
かった。

サッカー協会の関係者に電話で連絡しようとしたが、誰もつかまらなか
った。そこで仕方なく家族は国際電話で、フランスの知人に連絡。その
知人がフランスから日本に電話して地元の救急車を手配。救急車が監督
の自宅に到着したのは、1時間後だったそうだ。

オシム監督は、この時期,日本のサッカー協会の中で、実践戦力としては
会長を越えるVIPであったはずだ。彼の健康管理体制はどうなっていたの
だろう。彼は、PK ゴールのとき、「心臓に悪い」といって控え室に姿を
消したことがあった。

これをテレビは「PK ゴールのとき自分が競技場にいると入らない」とい
う本人のジンクスだったと伝えている。あの体型で、あのストレスの中
で、監督の健康状態をキチッと取材、懸念し適切な健康管理を提案・提
言した記事を、どこのマスコミでも私は見ていない。

後出しじゃんけんみたいだが、心臓手術の経験者としては、あの体型、
年齢、仕事では以前から「心臓に悪いだろうなぁ」とかねてから感じて
いた。

発表されている病名は、脳の血管が詰まる急性脳梗塞だが、梗塞の原因
としては大雑把に言って2つの原因が考えられる。

ひとつは、脳のどこかの血管にコレステロールが積もり積もって血流を
妨げ、そこから下流に血が行きわたらなくなる。その結果、身体のどこ
かを支配するが神経が」麻痺する。どこが麻痺するかは、梗塞の部位に
よって異なる。

もうひとつの原因が、脳塞栓だ。心臓のどこか、多くは心房というとこ
ろで出来た血の塊(血栓)が脳に流れ出して脳の血管を詰まらせるケー
スである。

心臓で血栓が出来る原因の多くは不整脈、中でも、血液をためておく心
房がぶるぶると震える心房細動だといわれる。その心房細動を起こす原
因のひとつが、ストレス、心理的な緊張だ。

監督の「PKゴールは心臓に悪い」という言葉から推察すると、かねてか
ら心臓の不具合をそれとなく自覚していた。脈が途切れたり、ピョンピ
ョン跳んだり、急にどきどきしたりする不整脈があった可能性を否定で
きないだろう。

それが、監督の倒れた原因だとしても、こんなケースは珍しくもなんと
もない。長嶋茂雄さんのケースがよく知られている。脳梗塞と発表され
たが、じつは心房細動で出来た血栓が脳に流れ着いて、左脳の血流を直
撃し塞いでしまった。

結果、右半身を制御する脳の神経機能を麻痺させてしまった。正確には、
「心原性脳梗塞」、つまり心臓が原因の脳梗塞という。

もっと遡れば、国家の最高のVIP、小渕恵三元首相の死因も長嶋さんと同
じだったことを、千鶴子夫人が当時の月刊誌「文芸春秋」に寄稿した記
事が示唆している。

心臓専門医の間では、心房細動で心臓で出来た血栓が脳の血管を塞いだ
「心原性脳梗塞」だったという説がいまや定説となっている。

この記事の中で、夫人は「不整脈が出るくらいでした」と書いているよ
うに、心臓に問題があると認識していながら、夫人も主治医は「たかが
不整脈」と軽視していたのではないか。VIPの健康管理・緊急対応の体制
が普段から整っていたとはとても思えない。

政治のことはよく分からないが、仮にも、一国の総理にしてこの体たら
くである。サッカー協会にとって、オシム監督は最高のVIP だったに違
いないが、協会は長嶋ケース、小渕ケースに何も学んでいない。

首相の不幸があっても、アベとかフクダとか日本の政界は人材ザクザク
のようだから何の心配もないようだが、発売中の週刊新潮をパラパラと
めくっていたら、元医者のあの「失楽園」の著者が、「アベもオザワも
ビョーキ」と書いている。

政界では「首相の健康管理なんて、ふん!」てなもんかもしれない。が、
オシムの後任は? 人材は少ない。川渕会長は記者会見で涙ぐんでいる
場合ではない。なんて、思っていたら、おなじ新潮の記事。

あの体型にして心臓に懸念のあるノーベル賞受賞を目指すイケダさん
「大阪極秘訪問」の記事。「下にー下にー」の新幹線車両貸切りをJRに
要請するごただったそうだ。過ぎたるはなんとやら〜の感あり。
2007,11,17




2007年11月10日

◆「痰の話」で思い出す支那

石岡 荘十(ジャーナリスト)

‘35京都で生まれ、そのすぐ後から敗戦2年後まで中国(当時は支那)に
留め置かれた。幼い頃の記憶はもちろんないが、物心ついて以降、見聞
きしたかの国の“文化”といまの日本のギャップを、本メルマガの反響
欄が思い起こさせた。 

幼い頃の記憶はこうだ。

その1。

夏の日、父の仕事が休みのある日、「支那人と犬入るべからず」という
立て札が入り口にある公園に家族そろって出かけ、公園の中の、支那人
以外のためのプールで家族で泳ぐ。ある日、帰りに天津市内でも最高級
の中華料理店でそろって子豚の丸焼きを食った。

糞をしたくなって、用を足そうと便所へ行くと便器のはるか暗い、深い
底にうごめく動物がいて、驚いて下を見ると、数匹の豚が新鮮な私の排
泄物をむさぼっていた。今思えばここでは完璧な“食の循環”が実現し
ている。

だが、これで私は完全に食欲を失った。これがトラウマになって、決し
て宗教上の理由ではなく、長い間、私はブタが食えなかった。

その2。

小学校の同級生に、当時の天津領事の息子(小山田あきら?)がいて、
放課後、いつも領事館へ遊びにいっていた。ほとんどは広大な領事公邸
の中で遊んでいたが、ある日、門の外に来る物売りの声に誘われて外に
出た。

天秤にかけた台に切り分けた瓜が載っていた。それが喰いたくて「どれ
がうまい?」と私たちに付き添ってきた領事館の守衛に聞いた。守衛は
「ツエーガ(これだよ)」と指差したのは、ハエが一番多く群がってい
る瓜だった。

“動物学的”に言ってそれはそうだろうと納得したのはずっと後のこと
だが、ハエがたかっているのは汚いという考え方は彼らにはないらしい。

いつだったか大分昔、多分、日中国交回復の頃、「中国にいまや1匹の
ハエもいなくなった」という提灯記事をどこかの新聞で読んだ記憶があ
るが、決して信じなかった。私の幼い頃の確かな記憶が記事のウソを見
破った。

その3。

父が勤めていた会社の管理職住宅は鉄筋コンクリートの一戸建ての“豪
邸”で、玄関を入ったところに、日本流で言うと、女中部屋があった。
女は阿媽(アマ)と私たちが呼んでいた纏足の小柄な女だったが、時々、
旦那が小さな女の子を連れて泊まりに来ていた。

女中部屋は6畳ほどの小さな部屋だったが、遊びに行くと、部屋の隅に
花瓶のような形の壷が置いてあって、そこに時々、「ペッ」と痰を吐く、
というか飛ばす。

それがまた結構遠くから正確に痰壷のど真ん中に命中するのを、何の不
思議もなく見ていたのを思い出した。ホールインワンどころではない。
アルバトロス級である。北京オリンピックで「痰飛投」などという種目
が出来たら間違いなく金だろう。

人前での屁は慎むが、食事中、げっぷは割と平気でやる。屁は平気だけ
ど、げっぷは禁忌という国もあると聞く。生活習慣がそんなに違う民が
十数億人もすぐそこにいる。

痰。さてどうするか。

話題はそれますが、昭和18・9年当時、幼馴染の父、小山田天津領事
とその家族の消息を知りたいと思っています。その頃、いつもアイスキ
ャンディーを作ってくれた、髪の長い、美しいお姉さまがいました。確
か、「たえ」さんでした。2007,11,08

2007年11月08日

◆塩見孝也と昼飯を食った



                   石岡 荘十(ジャーナリスト)

つい先日、元赤軍派議長塩見孝也と昼飯を食った。

60年代から70年代にかけて、吹き荒れた学園紛争の真っ只中にあった団
塊世代が、いま表舞台から一斉にリタイアし始めている。

その時代の学生運動のヒーローの1人は東京大学出身の歌手・加藤登紀
子と獄中結婚して、スポーツ紙の1面トップにまで、でかでかと報じら
れ、すでに故人となった藤本敏夫(1944-02)である。

もっと遡ればいまや“伝説”の全学連委員長だった60年代の唐牛健太郎
(1937-84)だった。が、そんな路線に限界を感じて、さらに過激な武装
蜂起路線へと突っ走ったのは元赤軍派議長・塩見孝也(1941〜)だった。

団塊世代よりやや年長で、60年安保時代に学生時代を過ごし、70年安保
当時には、社会部警視庁公安部担当だった私にとっても、面識はなかっ
たが、彼は気がかりで忘れがたい存在である。

塩見は大阪・十三(じゅうそう)生まれ(ウィキペディアで尾道市出身
となっているのは間違い)。戦時中は広島・尾道市に疎開し、そこで中
学、高校を経て、1962年、2浪した後京都大学文学部に入学。

在学中に、左翼運動に傾倒、1969年、「これまでの闘争方針では70年安
保を乗り越えられない」として、京大、同志社、立命館の学生400人を糾
合して「共産主義者同盟(ブント)赤軍派」を結成、議長に就任した。

上京した塩見は、大阪や東京で交番やパトカーを襲撃する「大阪戦争」、
「東京戦争」を指揮。塩見はさらに国内にとどまらず軍事訓練を行なっ
た革命軍を世界に送り出し「世界同時革命」を実現するという理論を展
開。

その前段階として首相官邸を襲撃するため、1969年11月、大菩薩峠
(山梨)で手製の手榴弾の投擲など軍事訓練を行なおうとした。

しかしこの動向は早くから警視庁に察知されており,早朝、警視庁機動
隊に襲われ計画は壊滅した。この事件では毎日、読売、NHKの3社だ
けが機動隊に同行。私が送稿した「赤軍派軍事訓練、53人逮捕」の一部
始終は、その日の朝のニュースのトップを飾った。

この事件で幹部“兵士”を失った塩見は、海外に革命拠点を作るためハ
イジャックを計画するが、70年3月15日、タクシーで東京・駒込のアジ
トから移動中逮捕される。

塩見が持っていた手帳にH・Jの文字があったが、これがハイジャック
を意味するものだと警察は分からなかった。

しかし塩見逮捕で、残された田宮高麿ら9人は急遽計画を実行すること
となり、3月31日、よど号をハイジャックし北鮮に亡命した---。

塩見は、爆発物取締法、破防法などの共同正犯で1982年、刑が確定。19
年9ヶ月の獄中生活の後,1989年の暮れ出所した。29歳から48歳までを
3畳1間の獄中で過ごしたことになる。

ここまでの経緯は、彼の著書(『監獄記』 オークラ出版)などにも詳
しいが、私がいま彼に質したいと思ったのは、北鮮に亡命した「よど号
グループ」と拉致との関係である。

ハイジャック犯9人のうち、いま北鮮に生存しているのは4人。残り5
人は死亡、または日本に帰国したところで逮捕されている。塩見は、出
所後、90年の夏から頻繁にピョンヤンに行き、彼らに会っている。

そこでいま確認したいのは、彼らが拉致にどこまで関与しているのか、
逮捕されることを前提に帰国する意思はあるのか、この2点だ。4人は、
日北正常化の外交カードに使われるかもという見方もある。 

拉致についてハイジャックの生き残り4人が何と言っているのか。報道
されていない疑問だ。4時間近く問い詰め、説得したが、彼は他の問題
はともかく、拉致については「今は言えない、ノーコメント」で押し通
した。

ただ、ヨーロッパから連れて行かれた有本恵子さんについて「無理やり
つれてきたわけではない」というニュアンスの彼らの発言はあったと認
め、「どう総括するかを含め、考える時間がほしい」といった。塩見は
深く拉致に関連していると見ている。

日本赤軍の重信房子も、われわれ世代には懐かしいヒロイン(?)だが、
キッコーマン醤油に勤めながら、明治大学2部に通っていた彼女をオル
グしたのは塩見だった。

しかしその重信は、“塩見路線”にさらに飽き足らず海外に飛び出し、
PFLPを拠点に空港で銃乱射事件やハイジャックなど数々の事件を海
外で計画実行させたとされ、1999年、密かに帰国したところを大阪・高
槻で逮捕された。58歳だった。判決は懲役20年だったが、控訴中だ。

接見禁止を解かれた重信に、塩見が2週間前東京拘置所で面会した。有
に四半世紀を超える弟子との再会だった。面会室の透明なプラスティッ
クをはさんで、「ハイタッチしました」と塩見は言った。
 
彼とはメルトモになった。

善し悪しは別にして、若者のエネルギーが国のありよう、政治に向かっ
ていた時代があった。一つひとつに事件は異常であった。だから今の若
者は異常でないといえるだろうか。

2007年09月28日

◆心臓血管手術のメッカ

       石岡 荘十(ジャーナリスト)

神奈川県大和市に、どこにでも見かけるの病院がある。最寄の駅(小田
急・南林間)からはタクシーでワンメーターの距離だが、駅前の大通り
からくねくねと曲がった細い路地に入り込んだ、どこにでもある住宅街
の中に。

3階建ての病院、というより地方都市でよく見かける診療所規模のたた
ずまいだ。大和成和病院。ここへ、京大心臓血管外科教授を辞任した米
田正始医師(52)が移籍し、週に2〜3日が心臓手術の執刀すること
になった。京大病院心臓血管外科教授の、一見“華麗”とはいえない転
進である。

米田元教授の辞任をめぐるごたごたの経緯については、これまでも何度
か本欄メルマガ(ネットメディアおおさか)や、いま発売中の月刊誌(『新潮 45』10月号)で詳報しているのでここでは繰り返さないが、要するに、多分、日本では10人ほどしかいない“神の手”を持つといわれる心臓血管外科ドクターが、母校京都大学医学部との間で治療方針をめぐって衝突。

結果、京大での地位確認を求める訴訟が和解という形で決着、この15日、
正式に退任した。

ただ、これまでのリポートでは、辞任後の彼の身の振り方については触
れていないので、21日、ご本人に「これからどうするのか」、今後の医
療活動についての考え訊いた。それによると、米田医師のルーティンは
こうだ。

・月曜(午前) 京都市内の病院(泉谷病院)で、これまで9年間、京
大で執刀した患者千数百人の術後のアフーケアを外来で行なう。

・火、水曜 中京地方でよく知られた民間の心臓病専門病院である豊橋
ハートセンターで手術を行なう

・木〜土曜 民間の心臓病専門病院、大和成和病院で手術を行なう

基本的にはこのローテーションで、心臓病患者の治療を続ける。この中
で、冒頭に紹介した大和成和病院の院長は、日本では数少ない“神の手”
を持つといわれる南淵明宏(48)だ。

南淵院長は米田医師とは共に奈良県出身だからというより、時期や場所
は違っても大学卒業後、大学医局を飛び出して、長い間欧米で修行を重
ね、欧米流の「常識」を身につけているという点で、意気投合した間柄
だ。

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2007年09月16日

◆京大病院米田教授やはり辞任

               石岡 荘十(ジャナーリスト)

脳死肺移植で患者が死亡した手術をきっかけに、心臓手術のメスを事実
上取り上げられていた京都大学病院の米田正始(こめだまさし 52)心
臓血管外科教授が、15日付けで母校京都大学医学部教授を正式に退職した。

事の始まりは、昨年(’06年)3月、京大病院で行なわれた脳死肺移植
手術だった。患者は30歳の女性で、手術が肺手術であるため呼吸器外科
を主担当に、麻酔科と心臓血管外科の3科が協力する体制が取られた。

手術は順調に進んだかに見えた。しかし患者は酸素が脳全体にいきわた
らない障害を起こし、手術後も意識を回復することなく、10月24日死亡
した。

この手術をめぐって、病院当局は昨年12月27日、いわば手術の助っ人だ
った心臓血管外科の米田正始(こめだまさし)教授に対してだけ、突然
「手術停止」を宣告し、事実上、教授のメスを取り上げた。呼吸器外科、
麻酔科に対しては“お咎めなし”だった。

米田教授は‘55年奈良県生まれ、’81年京都大学医学部卒。国内の病院
で研修を終えたあと、’87年、海外へ武者修行に飛び出す。

カナダのトロント大学を振り出しにアメリカのスタンフォード大学を経
て、メルボルン大学ではオーストラリアで70人しかいない心臓血管外科
医に選任されている。

そして’98年、11年に及ぶ海外での実績を携えて42歳で母校京都大学に
心臓血管外科教授として迎えられている。

ここでいう「海外での実績」とは、世界的に有名な心臓外科医の下での
執刀1200例、アシスト(助手)や術後の患者管理を含め8000例を超える
経験と研究業績を指す。

日本では米田元教授に匹敵する手術経験のある心臓外科医はそう多くな
い。マスコミや、彼の“手にかかった”患者たちは、彼に「ゴッドハン
ド(神の手)」という尊称を奉っている。

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2007年06月12日

◆「さらば、京大心臓外科」


               石岡 荘十(ジャーナリスト)

今年1月以来、手術の進め方をめぐってメスを取り上げられていた京都
大学医学部の心臓血管外科診療科長・米田正始(こめだまさし)教授
(52)が、このほど辞任・大学病院には戻らない決意を固めた。
 
事の次第はこうだ。
昨年3月、30歳の女性に対する肺移植手術が、呼吸器外科を主担当に心
臓血管外科、麻酔科の3科が協力する形で行なわれたが、手術はうまく
いかず、10月患者は死亡。

この症例をめぐって、“病院当局”は患者死亡の2ヵ月後の12月、米田
教授に対してだけ「心臓外科の安全管理に問題がある。手術スタッフと
のコミュニケーションが取れていない」などとして、

教授本人から1度の事情聴取もしないまま、一方的に「手術自粛」を申
し渡した。手術ティームのリーダーである診療科長も解職(降格)され
た。呼吸器外科、麻酔科に対しては“お構いなし”、自粛通達はなかっ
た。

米田教授の経歴・実績、手術の安全性のデータなどについては、
2007,03,05の本メルマガ

http://blog.mag2.com/m/log/0000153821/108313477.html

で紹介しているので、ここではそれを踏まえて、その後の経過と同教授
の決意を紹介する。

今年1月から、手術停止の処分を受けていた米田教授は、院長以下病院
執行部との話し合いを求めていたが、埒が明かないため、3月6日、診
療科長としての地位保全と慰謝料を求めて京都地裁に仮処分を申請した。

その後今日まで、裁判所は双方の審尋(事情聴取)を行い、和解を含め
審理を進めてきたが、ここ1〜2ヶ月以内に結論が出される見通し(米
田教授)だという。

病院側は、このごたごたが週刊誌や新聞で取り上げられ、病院としての
評判・評価が落ちることを慮って、5月10日、鹿児島大学の坂田隆造教
授を招聘、同教授の指導の下、5ヶ月ぶりに心臓手術を再開した。事実
上、これで米田教授の帰るところはなくなったことになる。

そこで8日、あらためてこの騒動の本当の原因と、今後の展開を米田教
授に訊いた。

――病院が、メスを取り上げた本当の原因はなにか。

米田:院長とそれを取り巻く執行部が外科のことをよく分かっていない、
嫌いだということでしょう。院長はもともと血液内科の出身で、外科が
嫌いなのです。いじめです。

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