2013年02月01日

◆懐かしい博多弁

毛馬 一三


恒例の「俳句講座」を終え、同講座受講生で同じ福岡高校卒の盟友5人と帰り道、いつもの喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談を交わした。

その時、盟友のひとりの渡邉征一郎君が、福岡から持ち帰ってきた「博多かるた」を披露した。高さ17p、幅12p、厚さ3pの箱入りの新「かるた」<博多を語る会編・西日本新聞社刊>で、ユーモラスな絵に面白い解説書きが添えられた異色の「かるた」だった。

「かるた」には、「博多の行事・祭事・博多弁」が、「いろは順」で構成されている。熟視するほど、懐かしい「博多情景」が飛び出してくる。全員が、この異色「かるた」を凝視した。

私を除けば、全員が博多っ子。たまに帰省することはあっても、郷里を離れて4〜50余年経つため、「博多弁」はすっかり皆忘れている。そのため、少しでも記憶を呼び戻そうという気持ちを昂ぶらせながら見入っていた。

良かったことは、同「かるた」に、解説書が付いていたことだ。解説を読めば、「札」の文意がわかるようになっている。そこで「かるたの博多弁」思い出して、「この通りやな」と、頭を掻きながら大阪弁で呟く仲間もいた。

ところが、解説書を読んでも、何のことか分からない「博多弁」が沢山あった。例を上げると、「そ」の札。「そおついて わかる博多のよかところ」と解説に書いてある。「そおついて」って何?皆、首を傾げる。

<古代から大陸との文化交流の地だった博多には、いたるところに名所旧跡、歴史の地がある。ゆっくり町を「そおついて」(歩いて)回ると、路地裏のようなところにも、隠れた歴史を発見できる>と、解説書にはある。

なるほど、そんな意味の「博多弁」もあったのか。

「かるた」が持ち込まれたことで、久しぶりに「博多弁や博多行事等」が話題となって楽しいひと時を過ごせた。しかし肝腎の郷里「博多弁」をすっかり忘れて仕舞っていたことに、お互い苦笑いするばかりだった。

実は、私の故郷は久留米。これまた博多弁と久留米弁とはまるきり違う。越境入学で受験高の福岡高校に入学したのだが、入学当時は、博多弁で授業する先生の言葉になかなか慣れず、仲間つくりにも苦労した。でも3年間経つ内に、何とか博多弁に馴染み、言葉の情緒も分かるようになった。

その後、東京の早稲田大学を経てNHKに入局して記者になった。とはいえ、私にとって博多弁は第2の故郷弁だ。なのに、純粋の博多っ子の盟友たちが、懐かしい「博多弁」を咄嗟に思い出せないのには、聊か驚いた。時節の経過が災いする忘却の仕業なのだろうか。

そこで、懐かしい「博多弁」をウイキペディアを参考に、改めて頭の中に蘇らせみた。

<名詞>
•「かったりこうたい」…交互に。交代交替。
•「きさん」…貴様。
•「ど (ん) べ」…最下位。
•「こす」…こすいこと。
•「せこ」…せこいこと。
•「ちかちか」…チクチク
•「ごりょんさん」…主婦。

<動詞>
•「おっせこっせする」{サ行変格活用} …時間に追われてバタバタする。
•「くらす」 {サ行五段} …殴る。(「喰らわす」から)
•「くちのまめらん」{ラ行五段}…呂律が廻らない。
•「おらぶ」{バ行五段} …叫ぶ。
•「からう」{ワ行五段} …背負う。
•「きびる」{ラ行五段} … (紐などで) 縛る、束ねる。
•「こずむ」{マ行五段} …積み上げる。
•「ずんだれる」{ラ行下一段} …だらしない。
•「ぞろびく」{カ行五段} …引きずる。
•「たまがる」{ラ行五段} …びっくりする。
•「ねぶる」{ラ行五段} …舐める。
•「ねまる」{ラ行五段} …腐る。
•「のうならかす」{サ行五段} …なくす。
•「ねぶりかぶる」{ラ行五段} …うとうとする
•「腹かく」{カ行五段} …腹が立つ、苛立つ。
•「はわく」{カ行五段} …ほうき等で掃く。
•「ほがす」{サ行五段} …穴を開ける、穿孔する。
•「ほとびらかす」{サ行下二段} …ふやかす。
•「まどう」{ワ行五段} …弁償する。

<形容詞・形容動詞・副詞・連体詞>
•「しゃあしい (か) 」(語源は「せわし」)「じゃかしい (か) 」「せからしい (か) 」{形・シク} …うるさい、騒がしい。「そわそわすんな。しゃあしかぞ」[共通語訳]「そわそわすんな。気が散る。」
•「しょんない」{形・ク} …仕方ない。
•「しかたもない」{形・ク} …1. くだらない。どうでもいい。2. 期待して損する。
•「いっちょん」{副} … (否定語を伴って) 少しも。全然。
•「えずい」{形・ク} 怖い。
•「すいい」{形・ク} …酸っぱい。
•「そげな」{連体} … そんな。「そ」+「が」+「やうなる」
•「そげん」{副} … そんなに。そんなこと。そんなふうに。「そ」+「が」+「やうに」
•「どげな」{連体} … どんな。
•「どげん」{副} … どんなに。どう。どんなふうに。
•「なし」「なして」{副} …なぜ、どうして。
•「いたらん」{連体} …余計な。多くは「いたらんこと (するな / 言うな) 」の形で使用される。
•「なんかなし」{副} …とにかく。「なんかなし、電子辞書ば使わんで紙の辞書ば使うて見れ」>。

まだまだ懐かしい「博多弁」は沢山ある。どうか博多から離れてお暮しの方が、博多で過ごされた時のことをこの「博多弁」から思い出して頂ければ幸いだ。(了)   

2013年01月05日

◆大阪「蕪村公園」をご存知?

毛馬 一三
                  
   
「蕪村公園」は、大阪市毛馬町の毛馬桜ノ宮公園の北端、毛馬閘門近くの大川沿いに大阪市が平成20年に造営した。

これで、都島南端、川崎橋あたりまでの毛馬桜ノ宮公園迄との道筋が完成することになり、春に桜の咲くころには大川河畔が新名所として市民が楽しむことが出来るようになった。

与謝蕪村は、松尾芭蕉、小林一茶と並んで江戸俳諧を代表する俳人だが、その蕪村の生誕地が何処かということになると、あまり知らない人が多い。

蕪村は、享保元年(1716)に大阪毛馬村の裕福な農家の主人と奉公人の母との間に生まれた。家督を引き継げない私生児にすぎなかった。その上不幸にも幼くして両親が亡くしため、家人から総いじめされたからか、この辛苦に耐えられず、蕪村は20歳の頃(18歳の説も)毛馬村を出奔して、江戸に出奔を決意。家出して京都に向かった。

京都で人生を定めることになると人物と出会っている。それが俳人早野巴人だった。早野巴人を師匠として俳句を学びながら一緒に暮らしていたが、その後、二人は江戸に旅たった。

江戸では、早野巴人の真弟子として俳諧の世界に没入したが、頼りにしていた早野巴人師が急没して仕舞った。蕪村が26歳の時だった。師匠の急逝を悲しみつつも、新しい「俳句の世界」へ身を投じなければと決断。かねてから愛着のあった芭蕉俳句を追求するため、芭蕉が訪ねて廻った奧羽地方を放浪した。

宝暦元年(1751)になって、京に移り俳諧に挑む一方、南宋画家として励み、池大雅と並ぶ名声を得るようになった。その上、蕪村は、早野巴人を継いで「夜半亭」(初代巴人)主宰となった。

蕪村は京都で68歳の生涯を閉じたが、終生故郷の毛馬村には一度も帰っていない。しかし蕪村にとっては、生まれ故郷毛馬村の「慕情」は消えることは無く、この想いを脳裡に巡らせながら、書き記した「春風馬堤曲」がある。奉公娘の帰省の物語になぞって書き綴り、俳句を添えて「望郷」の念を一気に発散させている。

いまだに大阪には、蕪村に関する「伝承文献」は皆無だ。しかも明治19年に政府による淀川の河川改修工事によって毛馬村が総て埋め尽くされたため、生誕地の痕跡も一切残されていない。これが長い間、大阪俳人の蕪村を顕彰することが出来なかった主因なのだろう。

しかし、明治になり正岡子規が「蕪村俳句」を顕彰するようになったが、それでも地元大阪では依然として関心が薄く、蕪村顕彰には誰も手を付けなかった。

そこで、10年ほど前地元の有力市議会議員と私は共同して「蕪村顕彰公園」建設を大阪市政に働きかけました。大阪俳人蕪村を大々的な顕彰しようという運動は、嬉しいことに活発になりだした。

この運動も契機となり、大阪市は平成18年度から2年計画で、前述の「記念碑」と「春風橋」の中間にある市有地1.1hrの土地に、約2億5千万円をかけて「蕪村公園」を整備することを決定。

同「蕪村公園」には、公園の中央に大広場、公園全体に「蕪村俳句石碑」の建立、「自画絵、春風馬堤曲」などの「蕪村説明写真集」の掲示、公園全体には樹木植栽をする計画が立てられた。大阪輩出の与謝蕪村名を高揚し、文化集客地にしたいと大阪市は考えたのだ。

同公園は、重要文化財の「毛馬閘門」の側にあり、有名な「毛馬桜の宮公園」の北端に位置して、市の中心地中之島に通じる大川沿いの「桜回廊」の出発点になっている。「屋形船」や「遊覧船」の折り返し地点でもある。

いまや、同公園の建立で、大川沿いの見事な桜回廊と繋がった一連の観光名所として、集客効果が期待されている。

どうか、大阪市毛馬村の「蕪村公園」を是非お訪ね頂きたい。皆様のお力をお借りして、蕪村俳句の後世への継承と俳句文化を世界へを広める活動に、今後取り組んでいきたい。
 (了)

◆本稿は、1月5日(土)刊:全国版メイル・マガジン「頂門の一針」2838号に
掲載されました。
<2838号 目次>
・米国製憲法の「決定的証拠」:西村眞悟
・選挙協力は維新の意思統一が焦点:古澤 襄
・「こんにちは!鶴蒔靖夫です」:加瀬英明
・テレビと認知症 関係ある:平井修一
◆「蕪村公園」をご存知?:毛馬一三
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
◆購読(無料)申し込み御希望の方は
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2012年12月26日

◆台湾から「東日本大震災」へ俳句

毛馬 一三

               

「東日本大震災」の被災地について、今なお被害状況や復興の進み具合に諸外国から大きな懸念と関心が寄せられている。

こうした中、私が代表のNPO法人近畿フォーラム21に、台湾・義守大学の花城可裕講師から「東日本大震災に寄せる想いの俳句」が寄稿されてきた。
 
台湾から俳句が来たのは、今年の3月から当NPO法人が進めている「国際俳句交流」活動に、フランス、ウクライナ、台湾との間で「連携の絆」を結べたことがきっかけだ。

恐らく台湾で、東日本大震災の被災に寄せる懸念が広がっていることから、台湾の人たちの想いを伝えるため、「俳句」に託して送られたのに違いない。

台湾の花城講師は、「俳句に秘めた想い」を次のように記述している。

「下記掲載の3句とも、東日本大震災とかかわりのある句ですが、復興の遅々として進まぬ中、心を巡らせれば被災地のことが思われるのは、何も私だけの事ではないものと思われます」と添付している。

花城講師自作の「俳句3句」と「句の説明」を下記に掲載する。

◆<さまざまの事は忘れて櫻かな >
 元は「ざまざまの事は忘れて瀧櫻」と言う句でした。ここ数年、政治的空白や一向に回復しない景気、それに東日本大震災など、日本人は辛い日々を送って参りました。殊に去年の大震災が日本人に与えた衝撃は測り知ることはできません。そんな暗い世の中を少しでも明るくするかのように、瀧櫻は今年も満開の花を咲かせました。
満開の瀧櫻を見た日本人は日常の苦難を一瞬忘れたことでしょう。上の句は、「瀧櫻」を「櫻かな」に代えて地域限定をせず、一般化したものです。

◆<もみじ葉のしをりの痕や歎異抄>
 以前に古書店で購入した文学書の頁を捲っていると、もみじの葉の栞の痕が残っていました。葉の方はすでにありませんでしたが、赤い色素が本に移っていました。これに歎異抄を附けた訳ですが、歎異抄と言えば、門徒でなくとも「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という親鸞聖人のお言葉が連想されるものと思います。

今般の津波は善人・悪人の区別無く呑み込んでしまいましたが、亡くなられた方々の無念さは如何ばかりでしょう。古書のもみじの葉がすでに無くなっていたように、津波で亡くなられた方々も弥陀のご加護を得て極楽往生されたものと信じたく思います。
 この句は今回の為に作りました。「もみじ」に掛らないところが難点ですが、「凧きのふの空のありどころ」の句もございますから、瑕瑾刺するにあたわざる程度のものでしょう。むしろ、「難点」を以って「難を転ずる」ことができれば望外の幸いです。

◆<うめ咲きて返歌いただく心地かな>
 元は「梅一枝返歌頂く心地かな」という句でした。私は東日本大震災の年、弊校の俳誌『ゆうかりぷたす』第2号に於いて、「東北関東大震災祈祷平安歌文集」の特集を致しましたが、今年になって、東北在住の書家の方から、この歌文集に掲載した私の短歌を書いた作品を頂戴致しました。
 その歌は、「津波避け孤立してなお嬰児を囲み暖むる人の心根」です。
頂いたのは返歌ではありませんでしたが、返歌を頂いたような心持ちになりました。
 頃はちょうど好文木・梅の咲く時節でした。<花城可裕>

台湾でも「東日本大震災」の被災地が、一日でも早く復興することを願う想いが強いことを、この3句から伺い知ることが出来、台湾の方々にお礼を申し上げたい。

2012年12月16日

◆ロシアと「国際俳句交流」の絆

毛馬 一三


4年後の2016年に迫った与謝蕪村生誕300年記念に向け、私が代表のNPO法人近畿フォーラム21は、その記念事業として、諸外国と「国際俳句交流」をする活動を中心に進めている。

「国際俳句交流」とは、江戸時代の俳人与謝蕪村を輩出した大阪の伝統俳句文化を諸外国に広めると共に、世界諸国でブームになっている「世界最短の詩」五七五の日本伝統俳句を通して国際交流を図るのも目的だ。

そこで、当NPO法人が主催する市民講座「蕪村顕彰俳句大学」で、今年の春に「国際俳句蕪村賞」を設け、「国際俳句交流」を呼びかけた。するとフランス、ウクライナ、台湾の俳句愛好会や大学生等から俳句作品が応募されてきた。

これにより、大阪府知事、大阪市長、当大学学長名でフランス、ウクライナ、台湾の出句優秀句に「同賞」を授与した。
 

つまり、「国際俳句交流」を掲げる第一次の「国際俳句蕪村賞」の授与が出来、順調なスタートがきれた。その授与優秀句を顕彰するため「記念プレート碑」を、大阪市毛馬町の「蕪村公園」内に建立している。
 

こうした中で、今度は、ロシアとの俳句交流が新しく実現した。この交流には、「サンクトペテルブルグ日本センター」の代表・松原斉氏に多大なご協力を頂いて実を結んだのだ。

同日本文化センター代表・松原斉氏から、下記のお便りを頂いた。

「ご依頼の件につきましては、当地の日本総領事館文化部および、露日友好協会幹部ほか、日本語専攻のあるサンクトペテルブルグ大学日本語学科大学にも要請しております。特に特に露日友好協会の副会長kalinia V.A.女史(弊日本センター内の日本語講師でもあります)に協力をお願いしております」。

このようにロシアの「サンクトペテルブルグ日本センター」として、積極的に交流を進める意思が伝えられた。遂にロシアとも俳句を通して、心を通わせることが出来るようになったのだ。

ところで、サンクトペテルブルグとは、
<ロシア西部、バルルト海のフィンランド湾最東端、ネヴァ川河口デルタに位置する。ロシア有数の世界都市、港湾都市であるとともに、鉄道・国際航路の要衝でもあり、モスクワに次ぐロシア第二の都市。

第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)は「ペトログラード」、ソ連時代(1924 - 91年)は、「レニングラード」だったが、今は、英語圏では「セントピーターズバーグ」、日本では「サンクトペテルスブルク」と呼ばれている>
ということだ。(参考:ウイキペディア)

「レニングラード」だった「サンクトペテルブルグ」が、モスクワに次ぐロシア第2の大都市であり、その「サンクトペテルブルグ日本センター」との「交流」が、松原斉氏によって絆が出来たのには、感謝の極みだった。

それだけではない。松原斉氏は更に、モスクワへも働きかけ、モスクワの「国際交流基金モスクワ日本文化センター」で活動をしている坂上陽子さんに「交流」の橋渡しをしてくれた。
 
これによってロシアの2大都市との「俳句国際交流」が実現したのである。
 
早速、モスクワの坂上陽子さんからも便りが来た。
「ロシアでも俳句の愛好する方々は多く、ロシア語俳句コンクールも実施されています。今年で5回を迎えましたが、例年、2500句から3000句ほどの俳句が集まります。

ただ、ロシア語での俳句ですから、そのまま日本語の俳句にすることは難しいですね。しかしご連絡いただいたコンクールへの応募は、当センターのサイトに掲載すれば、関心をもつ日本語学習者がいるかもしれません。どうぞ当センターと俳句交流等に関しまして、よろしくお願いします」。
という誠に有難い便りだった。
 
ロシアと「俳句交流」が出来るようになったことは、画期的で非常に意義ある繋がりと言える。松原斉氏と坂上陽子さんに改めて「俳句交流」にお力添えを求めると共に、第6期講座表彰式の「国際俳句蕪村賞授与」を目指して、2013年2月1日までにロシアの方々に俳句応募して頂くようお願いした。

2012年12月11日

◆「がめ煮」が呼ぶ郷愁の味

毛馬 一三


随分前に友人に案内されて行った大阪梅田のビルの地階の古い暖簾の「小料理屋」に、またその友人と一緒に訪ねた。

店は、老主人が黙々と「料理」に専念し、老婦人が注文受けとお酒の配膳役を務める「こじんまり」とした小料理屋だ。壁に掛けられた「おつまみ品」には目を向けず、すぐに、以前に来た時食した「ガメ煮」をすぐ注文した。

「がめ煮」は、私の出身の福岡筑後久留米の郷土料理の呼称だが、この名前で出される店は、大阪には滅多に無い。

そう言えばこの「がめ煮」は、筑後地方以外では「筑前煮」と呼ばれている。本当は「がめ煮」と「筑前煮」とは具材と味が違い、「がめ煮」の方が食の玄人向きだと、私は今でも思っている。

早速箸をつけて味わってみたが、前回の味と全く変わらない。九州出ではない主人にしては、出来すぎの料理だ。

さて、その「がめ煮」のことだが、博多地方の方言では、「がめくり込む」(「寄せ集める」などの意)が、その名前の由来だとの説がある。

ところが、太閤秀吉が朝鮮半島を攻めた文禄の役の時に、朝鮮に出兵した兵士が、当時「どぶ亀」と呼ばれていたスッポンと食材と合わせた煮込の料理方法を、我が国に持ち帰って作ったのが始まりだとの説がある。

そのスッポンを使って煮込んだ「どぶ亀」をそのまま筑後地方で「がめ煮」という名で作り始めたと伝えられているから、「がめ煮」の名の方が筑後地方が先で、博多の「筑前煮」は後釜という説の方がある。

ところがいつ頃からかは分からないが、「がめ煮」にスッポンは使わず、代わって「鶏肉」をいれるようになった。この作り方も、筑後地方の方が先に手を付け、郷土料理にしたと言われている。

子供の頃、「がめ煮」が食前に出る時は、お正月や婚礼式などの祝い事の時だった。「がめ煮」は慶事の時の食べ物だったという記憶が蘇ってくる。

さて、作り方だが、

<本場筑後「がめ煮」と「筑前煮」との一番の違いは、具材を炒めて入れる手順にあるという。まずはだし汁、シイタケの戻し汁、酒、醤油、みりん、砂糖を混ぜて鍋で煮立たせるのから始まる。そこに、一口大に切った鶏肉を入れてひと煮立ちさせる。

そこまでの手順は一緒だが、その後、「筑前煮」は、里芋、干し椎茸を戻したもの、コンニャク、アクを抜いたゴボウ、レンコン、ニンジン、ナスで筍を一口大に切ったものなどを入れる。

「がめ煮」は、コンニャク、里芋、大根、ニンジンを入れ、鶏肉をじっくり煮込ませるやり方で、甘みを時間を掛けて滲ませるのが独特のやり方だ。

この点が「がめ煮」と「筑前煮」が違うところだ。野菜が柔らかくなるまで煮れば、出来上がり。煮あがったところに「筑前煮」の場合は、サヤエンドウを加えることもある。>

聞くところによると、久留米市は「久留米市食料・農業・農村基本計画」を作り、伝統の「がめ煮」を調理することのできる市民の割合を、2014年度までに65%とする目標を立てている。

「がめ煮」を郷土料理の誇りにしている。きっと「がめ煮」を筑後の伝統料理として後世に残したいためだろう。

年に1度郷里久留米の姉の家に寄ると、姉が昔ながらの見事な味の「がめ煮」を作ってくれる。「がめ煮」舌触りに接するだけで、子供の頃の郷愁が込み上げて来て感動するばかりだ。

今回「小料理屋」で食した「がめ煮」の味も、改めて郷愁を誘ってくれた。「食べ物」とは底が深い。(了)

参考 フリー百科事典

2012年12月09日

◆与謝蕪村が大阪生誕俳人ってご存知?

毛馬 一三


松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠与謝蕪村の生誕地が、大阪毛馬村(現・大阪市都島区毛馬町)だとは、江戸時代から「定説」になっていたものと信じていた。

ところがそうではないことが分かり、驚かされた。

というのは、私が代表のNPO近畿フォーラム21主催俳句講座「蕪村顕彰俳句大学」で、関西大学文学部の藤田真一教授の講演で初めて知ったのだ。

結論からいうと、蕪村生誕地が大阪毛馬であることが「定説」になったのは、実は終戦後のことで、奈良県で「蕪村直筆の書簡」が見つかったのがキッカケだったとの説明だった。

藤田教授は講演の中で、次のような説明だった。

蕪村は、自分の故郷のことには何故か余り触れたがらず、唯一、安永6年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(20頁ほど)の冒頭に「春風馬堤曲」を書き、毛馬村の側の淀川の馬堤に触れながら、18首の俳句を添えている。

毛馬村の名前を出したのは、唯一この「春風馬堤曲」だけだが、それでも自分の生誕地がこの毛馬村だったとは触れていない。

ところが、蕪村が自ら生誕地が大阪毛馬村だと初めて記したのは、蕪村が主宰する「夜半楽」の弟子に、この「春風馬堤曲」の冊子を贈呈した手紙の冒頭添え書に残されていった。

冊子を贈呈した大阪在住弟子は、柳女・賀端(がつい)で、添え書きの中に、自分の生誕地が毛馬村だと、下記のようにはっきりと書いている。

<春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふるさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどちと此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ」>。

この添え書きは、江戸時代から「物証」となって、毛馬村が生誕地と既知されていてもおかしくはないと思うのだが、そうならなかったのには理由がある。

というのは、江戸時代の発刊諸本には複製本が多く、勝手に削除・加筆されることが多々あった。「夜半楽」弟子に宛てたこの「添え書き」ですら、複製ものなのか、それとも蕪村直筆なのか、江戸時代以降長い間、判定されていなかった。従ってこのために蕪村生誕地には複数説が広がっていたという。

ところが前記の如く、終戦後奈良県で偶然見つかった同「書き添え書簡」が、「蕪村直筆」だと、専門家によって公式に認認された。これよって、やっと「蕪村生誕地が毛馬村」であると確定したのである。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述の、淀川風景の描写と切ない郷愁の18首も、毛馬が生誕地であることを補完する形を示すことになり、遂に毛馬村生誕地が不動のものになった訳だ。

この経過を考えると、弟子宛の蕪村生誕地を記述した1通の「蕪村直筆添え書き書簡」公認の意味は大きい。

これがなかったら、蕪村が俳諧史に大阪俳人として登場することも無かったことになる。

蕪村が大阪毛馬生誕の俳人と定説になってから、僅か70年ほどしかならない。この影響があって、芭蕉や一茶とは異なり、大阪俳人として蕪村の顕彰が疎かにされてきたことは事実だ。

これからは4年後の蕪村生誕300年に向けて、私たちのNPO近畿フォーラム21で、生誕300年記念事業を進めることにしている。

目下検討中の”記念行事” は、   

@「国際俳句蕪村賞」を外国応募者に授与
Aシンポジウム(俳句学者・俳人・俳句評論家が参加)
B屋形船の「句会」(蕪村生誕地の1級河川「淀川・大川」で)
C蕪村歩こう会:(大阪市立大学文学部と共同事業)

D蕪村公園内に「蕪村銅像建立」
E蕪村公園へ植樹(蕪村俳句に詠まれた樹木)
F蕪村生誕300年記念「俳句大会」(海外から作品募集)
G蕪村に宛てた絵手紙展(蕪村俳句の絵手紙募集・展示会)

H蕪村カルタつくり(蕪村俳句カルタ募集・優秀作品展示会)
I蕪村紙芝居」と「蕪村顕彰ライブコンサート」同時開催
J蕪村公園・毛馬閘門・毛馬胡瓜で生誕地「まちづくり」
K2016年秋「生誕300年祭」開催。外国俳句愛好家を招請

以上の事業を、推薦団体、協賛団体・協賛者のご協力を得て、生誕300年を迎える年迄に順次行いながら、2016年の生誕300年秋に盛大な「生誕記念祭」を行いたいと考えている。

大坂生誕与謝蕪村生誕記念事業をすすめることによって、後世と諸外国に「世界最短の詩・俳句」文化振興を進めていきたいのが、私の願いでもある。

◆本稿は、12月9日(日)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2810号に掲載されました。
<2810号の目次>   
・民進党の滅亡が台湾を救う:Andy Chang
・1等米、3等米、古々米:山堂コラム 448
・キャサリン妃入院先の看護師自殺で:古澤 襄
★与謝蕪村が大阪生誕俳人ってご存知?:毛馬一三
・マタギがいた時代:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
◆[
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2012年12月06日

◆「納豆」を食べよう!

毛馬 一三


私の苦手な「納豆」が、骨粗鬆症の予防に効果があるという記事を読んだ。だったら、これからもっと「納豆」を食べることに挑戦しなくてはなるまい。それはこのあと云々。

私は九州の筑後地方で幼少期を過ごした田舎育ち。日露戦争で活躍した日本旧陸軍「久留米師団」の軍事施設がわが家の近くにあったが、周辺全体が農村地帯だったので大東亜戦争が終ったあとも、米や野菜など食糧難に接した記憶はない。

だが、有明海や博多湾からはかけ離れていた所だったので、「海の生魚」には縁がなく、塩漬けのサバなどをリヤカーに積んで売り歩く行商から「塩漬け海魚」を買い求め、焼き魚にして食べさせられたことは、今でも思い出す。

ところが珍事がある。どうしたことかわが町には「納豆」の売る店も、行商も一切なかった。だから「納豆」を食することはなく、名前すら知らなかった。勿論、我が家が「納豆」を何かの因縁で食膳から避けたという話も聞いたこともない。

「納豆」に初めて出会ったのは、18歳の時東京に進学して、下宿先の食卓だった。「納豆」にネギ、わさび、醤油をいれてかき回しご飯の混ぜて食べるものだったが、異常なねばりによる味と、腐ったような異臭に思わず顔を背けた。以来食しなかった。

しかし、横浜生まれで「納豆」常食していた家内と結婚してから、健康のために食べようと説得されたことで、「納豆」に卵の黄身、ネギ、醤油、からしを混ぜて食べるようチャレンジした。

ところが、そのあと「納豆」にセットされて売り出された「味付き特別たれ」が意外に美味しかったことから、その「たれ」をかけた「納豆」だけを「おかず」として食べるようになった。

そんな折、骨粗鬆症などの予防に「納豆」などに効果があるという北国新聞の記事を読んだ。
同紙によると、

<納豆などに多く含まれる成分「ポリアミン」に骨量の減少を抑える効果があることを、金大医薬保健研究域薬学系の米田幸雄教授らの研究グループがマウスなどによる実験で突き止めたという。

ポリアミンは老化抑制効果が注目されているが、骨への効果が判明したのは初めて。骨粗鬆症などに対する副作用が少ない予防、治療法の開発につながるとみられる。

米田教授や檜井栄一准教授らのグループは、骨粗鬆症モデルのマウスと、関 節リウマチモデルのラットにそれぞれ28日間、ポリアミンを混ぜた水を投与した。

骨粗鬆症モデルでは何も与えない場合、骨量が3〜4割減少したが、ポリアミンを投与したマウスはほとんど減少しなかった。関節リウマチモデルでは、何も与えない場合と比べ、骨や軟骨が破壊される量が3分の1程度に抑えられた。

さらに培養細胞実験で、破骨細胞にポリアミンを加えると、細胞の働きが抑制されるこ とも確認した。
米田教授は「ポリアミンは納豆など日本人になじみの深い食品で摂取でき、副作用も少ないとみられる。特定保健用食品や医薬品などの開発につながる」と話した>としている。

たしかに高齢の時期になってくると骨粗鬆症が原因で股関節を骨折し、寝たきりになったという話よく耳にする。

序ながら「骨粗鬆症」に触れておくと
<骨粗鬆症(osteoporosis)とは、骨形成速度よりも骨吸収速度が高いことにより、骨に小さな穴が多発する症状をいう。背中が曲がることに現れる骨の変形、骨性の痛み、さらに骨折の原因となる。

骨折は一般に強い外力が加わった場合に起こるが、骨粗鬆症においては、日常生活程度の負荷によって骨折を引き起こす。骨折による痛みや障害はもちろん、大腿骨や股関節の骨折はいわゆる高齢者の寝たきりにつながり、生活の質(QOL) を著しく低くする。> 出典:ウィキペディア

2012年11月28日

◆驚く愛犬の習性

毛馬 一三


「犬は飼い主の足音を聞き分けている」という新聞の特集記事を読んだ。

これは、京都大の比較認知科学グループが様々な種類の犬を使った実験で、この通説を確かめたものだという。犬は飼い主の微妙な癖を覚え、聞き分けているのではないかというのだ。

<京大では、チワワやポメラニアン、ミックス(雑種)など様々な犬種の計21頭を、ドアや窓を閉め切ったマンションの一室に犬だけを入れて実験をした。

知らない人に部屋の外を2往復してもらい足音を聞かせた後、(1)その人が入ってくる(2)飼い主が入ってくる、逆に飼い主の足音を聞かせ、(3)飼い主が入ってくる(4)知らない人が入ってくる―の4パターンの実験。

入ってきた人を犬が見つめる時間を比較した結果、知らない人の足音を聞かせた後、飼い主が入ってきた時(2)は、知らない人が入ってきた時(1)より見つめる時間が平均で約2割長かった。

犬は期待と反する現象が起きると、驚いてその対象を見つめる。(2)では足音を聞き分け「飼い主ではない」と思ったのに、現れたのは飼い主だったので驚いたとみられる。

京大比較認知科学グループによると、「飼い犬は、飼い主の歩き方のリズムや左右のちょっとしたアンバランスなどの癖を知っているのではないか」とみている>という。

この実験結果には、愛犬飼い主としておおいに納得できる内容だ。

我が家の愛犬は、8歳のテリア系の小型犬ノーフォークテリア。私や家内が外出先から帰ってくると、足音や歩き方のリズムなどで聞き分け、ドアを開けると「帰宅歓迎」の声を上げながら飛びついてくる。マンションの外側から僅か3段の階段を上がっただけの「足音」で、わたし達の帰宅を識別するのだろう。

ところが、セールスなどの来訪者の足音が近づくと、むっくり起き上がって「警戒心」剥き出しに大声を張り上げ、玄関に向かって走っていく。犬が、未知の来訪者の足音に異常なほど敏感に反応する習性があるのは、飼い主ならどなたもご存知の筈だ。

この習性が、マンションでの空き巣等の犯罪防止に大きな効果をあげていると、団地内に住んでいる大手ビル管理会社の役員から聞かされ、愛犬の習性に改めて感謝した。

ところがその「足音識別の習性」より、まだ優れた修正に驚かされることがある。

というのは、我が家の愛犬ノーフォークテリアは、私たちがさりげなく交わす電話の会話中に、「これからお出でなさい」というやり取りをすると、それをしっかり感知する習性がある。そうすると、すぐさま玄関ドアの前にじっと座り込んで、来訪者が来るまで「待機」する。

単に「いらっしゃい」とか「お出でになりますか」程度の短いフレーズを正確に聞き分ける。しかもその来訪者を、熟知している、親しい知人だと判断するのだろうか。その「聞き分け名人芸」には舌を巻かざるを得ない。

来訪者が玄関に現れると、愛犬はピンピン飛び付いて喜びを思い切り表す。私たちが「いらっしゃいませ」と発する前に、愛犬の行動を宥めるのが先の段取りとなる。

訪問者も愛犬の歓迎におおいに喜び、雰囲気が一気に盛り上がる。訪問者を招き入れる私たちも、これに越したことはない。愛犬は、歓迎の飛び跳ねを終えると、次は先頭にたって来訪者を居間へと案内する。

愛犬の賢さは筆舌に尽くし難いが、電話のやり取りから次への行動を起こすということは、人間の言葉がわかっているというだけではなく、歓迎の人間の喜びまではっきりと熟知しているということになる。

こうした賢い「習性」が日常的にいろいろな面で顕になると、家族以上の愛情が湧いてくるものだ。またその愛情をしっかり受け止め、それを待ち望んでいるだけに、愛犬は、実に「賢い」という言葉しか思い浮かばない。(了)


2012年11月25日

◆「おきゅうと」って知ってる?

毛馬 一三


福岡の友人が案内した博多料理屋の宴席で、「おきゅうと」が出た。エゴノリという海藻から作った食品で、生姜、ゴマ、かつおぶしなどを振りかけ、それにポン酢を注いで食する。涼感を誘うツルッとした味わいと、磯の香りの食感が口内いっぱい広がった。

久し振りの味は、淡泊ながら旨みと滋味に溢れた、福岡特産の食感を十分に嗜め、郷愁を身近に感じた。

ところが、この「おきゅうと」を知る人は意外に少ない。筆者自身も、同じ福岡出身でありながら、福岡から僅か離れた筑後・久留米で育ったので、「おきゅうと」の名前は幼少の頃から耳にしたことはなく、食膳に上った記憶も無い。

筆者が、料理の一品として魅せられたのは、社会人になってからだ。以来、「おきゅうと」の愛好者になった。下戸なので、お酒のつまみではなく、専ら深みのある味を、ゆっくり箸を付けながら食する楽しみ方だ。

エゴノリが生育する日本海側の秋田、山形、新潟、長野の各県では「えご」、宮崎県では「キリンサイ」などと呼ばれて食用にされているらしいが、「おきゅうと」とは言わない。食べ方も福岡とは全く異なる。

さて、肝腎の「おきゅうと」の名前の由来だが、
1.「沖の独活(ウド)」説。エゴノリはウドの木の様に早く育つので、沖のウドが転訛した。
2.沖からやってきた漁師が作り方を伝授したから「沖人」(おきうど)説。
3.飢饉の際に簡単で大量に作られ多くの人を救ったから「救人」。
などの諸説あるらしい。

「おきゅうと」の食べ方だが、
・真空パックの中に5枚入っている添加物不使用・厚さ約3mmの「おきうと」を、水洗いして、幅2〜3mmくらいに切る。
・それを器に盛りつけ、生姜、ゴマ、かつおぶしなどをふりかけ、醤油またはポン酢で食べる。また、酢味噌などでもおいしい。>

いとも簡単に食することができる。しかもふりか材の工夫では、味付けが自分の好みに合わせられるだけに楽しみも倍増だ。

他府県の人が初めて食べた時は、独特な味覚と触覚に戸惑う人もいるらしい。しかし2度目からは、仄かな磯の香り・海苔の風味、涼感を誘う喉ごし、溢れる旨みと滋味に魅せられて、愛好者は増えていると聞く。

「おきゅうと」は「めんたいこ」と共に、数百年の昔から朝食の一品を占め続けて来た福岡・博多の食文化であり、福岡・博多の人々はその重みを了知している。

残念なことに大阪では、「飲み屋」か「博多料理店」に行かないと「おきゅうと」にはお目にかかれない。近郊スーパーの店頭にその姿が消えて長い。情けない話だ。

郷里福岡に帰省する福岡高校同窓会の先輩が、地元でしか味合えない「おきゅうと」の店に立ち寄り、本物の味を実感してくると述懐していた。こればかりは、羨ましい。(了)  
参考:ウィキペディア      

2012年11月13日

◆蕪村公園に「国際俳句交流」記念の植樹

毛馬 一三


私が主宰するNPO法人近畿フォーラム21は、大阪市が、与謝蕪村生誕地近郊の大阪市都島区毛馬町に「蕪村公園」を造営した2年後の平成21年に、市民講座「蕪村俳句大学」を立ち上げた。既に3年・6期講座を迎えている。

同市民講座を立ち上げたのには、深い想いがあった。というのは、俳人蕪村の名は知られているものの、生誕地が大阪毛馬町であることを知らない市民が意外にも多いことが分かり出した。芭蕉、一茶と並ぶ江戸時代の三大俳人の一人の蕪村生誕地を知られていないというのは、正に大阪市文化行政の失政。情けない話だ。

だから遅ればせながら「蕪村公園」を造営した機会に、NPO法人では、蕪村生誕地の告知と蕪村俳句を後世に広めると共に、俳句講座を通じて俳句文化の振興活動を高める支援をしてみようとしたのである。

与謝蕪村は、「なの花や 月は東に 日は西に」「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」などの俳句で知られ、江戸時代中期の1716年(享保元年、八代将軍徳川吉宗が将軍についた年)、大阪市都島区毛馬町(当時の摂津国(せっつのくに)東成郡(ごおり)毛馬村)に生まれている。ところがどうしたことか生年月日は不明。しかも生誕地の正確な場所の資料さえ未だに見つかっていない。

ところで、同講座開講の年に、蕪村公園内に蕪村句に登場する「くちなしの木50本」と「桂1本」の第1次植樹をし、それを前に講座の「優秀句プレート碑」を建立した。「プレート碑」は既に5基に達しており、同公園を散策する人々の目を魅き付けている。

これに続き、第2次の「植樹」を立案、同公園内に11月9日に「サクラ、ウメ、ツツジ」の植樹を行った。

植樹した「サクラ、ウメ、ツツジ」の樹木は、全部で7本。

・シダレザクラ   1本   (現在の高さ3.5m   樹齢 一千年)
・エドヒガンザクラ 1本   (現在の高さ3.5m   樹齢 二千年)
・イロハモミジ   1本    (現在の高さ 3.0m 樹齢 六百年)
・ウメ(白)    2本    (現在の高さ 2.5m 樹齢 千年)
・ウメ(紅)    2本    (現在の高さ 2.5m 樹齢 千年)

7本の樹木は、「5基プレート碑」より北側の、蕪村俳句の「斧入れて香におどろくや冬木立」石碑の真うしろあり、すぐに分かる。特に「樹齢」にこだわり、千年から二千年という樹木種を植樹できたので、この上にない安らぎを感じている。

そんな中、同NPO法人では、新たに「国際俳句蕪村賞」を設け、諸外国と「俳句を通して心を結ぶ国際俳句交流」を推進することにした。従来の「俳句講座」と二本立ての活動に力をいれていくことにした。

早速その手始めとして、第5期講座「表彰式」からフランス、ウクライナ、台湾から応募された作品のから初の「国際俳句蕪村賞」の「知事賞・市長賞・学長賞」を授与した。

幸運とは重なるもので、この10月30日に大阪集客プラン支援事業実行委員会(大阪市、大阪商工会議所、大阪観光コンベンション協会)から、当NPO法人の「国際俳句蕪村賞」の事業目的が認められ、平成24年度決定事業として“<情報発信部門>の大阪集客プラン事業”としての支援を得ることになった。

つまり、俳句情報を世界に発信していきながら、「国際俳句交流」を幅広く展開することが認定され、NPO法人の上記事業に支援をする公的事業として認められたことになる。これはNPO法人の目指す「国際俳句交流」にとって、超ラッキーな舞台作りとなったことになる。

そこで、今回の第2次植樹は、「「交際俳句蕪村賞」記念をアピールする植樹とすることに急遽決めた。既に国際俳句交流の絆を結んでいるフランス、ウクライナ、台湾から新たに俳句の出句を求めて作る「記念プレート碑」を、樹木の前に建立しようと考えている。

シダレザクラ、エドヒガンザクラ、ウメも、来年の春から花が咲くという。「国際俳句蕪村賞」記念する植樹により、「蕪村公園」の華やかさは増し、「国際俳句交流」を目指す「植樹」の効果は、大いに発揮されるだろう。

樹木は、年々幹は太くなり、しかも樹高も高くなり、成木になれば、高さが皆6〜7m、幹の直径は50p位となる。樹齢と想い合わせると見応えのある樹木になる。

NPO法人では、4年後に控えた「蕪村生誕300年記念事業」を実施する為、担当委員会を設けて諸記念事業計画を立案中だが、今回「国際俳句蕪村賞」記念の植樹として、世界中のこころとこころの拠り所とすることの初活動に繫げらたことは、歓喜に絶えない。

2012年11月04日

◆「腎臓癌」恐怖からの脱出

毛馬 一三


今年3月以来体調不良が続き、何をするのにも意欲を失った。体はだるい上、胃は痛むし、大腸にも異常を感じる。このような体調不良症状は初めてのことなので、まずは定期検診をうけている総合病院の内科医師に診察を依頼した。CT検査を受けたところ、何と「腎臓に癌の疑い」があると言われた。

「癌」など考えたこともなかったので、心因性疲労も加わって体調不良は増幅した。このため、本誌の発信も出来なくなり、「休刊」を迫られて仕舞った。

悩んだ末、畏友石岡荘十氏に相談したところ、「腎臓」なら権威のある大阪大学系の総合病院内科に行って、腎臓専門医に検診してもらうべきだと助言を受けた。「癌」は一日でも早い発見が、命を救うぞとの心に刺さる厳しい言葉が、今でも蘇ってくる。

すぐさま知り合いの阪大系総合病院名誉院長の紹介をうけて、同病院の腎臓内科医師のもとに駆け込んだ。

尋問を受けた後、特に痛みが強い「胃」と「大腸」の検査から始められた。


両検査とも初体験で、「胃」は鼻から内視鏡を入れて検査し、「大腸」は麻酔注射を打ちながら、肛門から内視鏡を入れて検査をした。ガスが体外に出るまでが苦しかったが、総体的には両検査ともたいした苦痛は無く無事終了した。
 

検査の結果は、「胃部」には潰瘍跡はあつかったが、「癌」は無い。「大腸」にも「癌」の転移はないと診断された。ひとまずホットした。

いよいよ、「腎臓」本体に「癌」が発症しているか否かの診断が、本題となった。このため、腎臓のCT検査が行うことになった。検査はその日ではなく、2週間ほど待たねばならない。

検査の結果、腎臓自体に「癌」はないと言われた。ただ、腎臓の「腎嚢胞(じんのほう)」に若干懸念があるので、腎臓内科から同院内の泌尿器科に移され、ヨード造影剤の注射をしながらCT検査行うことになった。腎臓に「癌の疑いがある」されたのは、この「腎嚢胞」の所為だったのだろうか。


また新たに「腎嚢胞」の異常が、「癌」に繋がるのではないかとの心配が芽生え出した
 

10日の後に泌尿器科の専門医師のもとで、ヨード造影剤を注射しながら「腎嚢胞」を検診するCT検査を行った。検査は30分ほどだった。


検査の結果、「腎嚢胞」に少々の肥大部分が見つかった。ただ肥大部分が「癌」に繋がる心配はないと診断された。念のため、これから半年か1年毎に「腎嚢胞」についてのエコー検査をうけるよう勧められた。

その上で同医師は、定期検診を受けている総合病院の医師に対して、「診断の結果」と「CT検査のCD」と「エコー検査を勧める書簡」を書いてくれて、定期検診医師に手渡すよう言われた。感謝の気持ちで一杯だった。

不安のどん底に落ち込まされ、迫られていた「腎臓癌」の恐怖から解放されたことになり、歓喜が体内に広がった。これに優る喜びは無かった。

私の「癌」脱出を知ったメルマガ全国版「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏から「体調不良」とは、どんな具合でしたかというご心配を添えての質問を頂いた。

これに対して私は下記のようなご返事を送った。
<当初の総合病院でのCT検査で、「腎臓癌に罹患している疑い」があるという診断を受けたことから、その不安による食欲不振と精神不安定が、強度の体調不良に結びついたものと思われます。

しかし、阪大系の総合病院に移って、幾つもの検査を行い、専門医師の診断を受けた結果、「腎臓癌」の疑いなしが判明したその日からは、体調が徐々に回復していくのを自覚しました。

ですから、阪大の主治医に、本当に「癌」への心配が体調不良に繋がっていたのでしょうかと訊いてみました。

すると同医師は、その心配もあるが、老化が進めば「仕事に伴うストレスの蓄積」が加増して体調不良を招くことが多く、その傾向が強かったとみるべきだと言われました。

「癌罹患の疑い」が体調不良のキッカケだったことは事実ですが、携わっているいろんな仕事の悩みや労苦に巻き込まれて生じた「ストレス」が体調不良を増幅させたのではないでしょうか。

答えになっているかどうか分かりませんが、これからは気楽な気持ちを維持し、「ストレス」が溜まらないようにして行こうと思っております。>

これに対して渡部亮次郎氏から
<良く分かりました。それにしても良かった。奥さんもやっと安眠できるようになったでしょう。おめでとう御座いました。私もそうです。>
という有難いお言葉を頂き感動した。

とにかく、人生初めての経験として苦しんだ「癌」から、解き放されてこんな感激はない。これからも、種々の仕事には追われることにはなるが、老化に伴って生じる「ストレス」を蓄積しないよう心掛けたいと思う。

ご心配をお掛けした皆さまに、予想もしなかった「喜び」をご報告したい。

◆本稿は、メイル・マガジン「頂門の一針」2775号(11月4日(日)刊)に掲載されました。
<目次>
・今年六十のお爺さん????:渡部亮次郎
・「腎臓癌」恐怖からの脱出:毛馬一三
・末期政権はロシアに手を出すな:山堂コラム 443
・亀井静香氏 「第4極」?を目指す:古澤 襄
・民主党が傾く「凡庸」路線:阿比留瑠比
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆「頂門の一針」を購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆本誌常連寄稿者 渡邊好造さんからのコメント
<おめでとうございます。良かったですね。 私も昨年食欲がなく、何をするにも全身がだるい状態が続き、28日間3回にわけて入院し全身検査した結果、内臓にどこも悪いところはなく、残るは精神科だけだと宣告された直後から、元気になりました。おかげで10キロ減量です。今思えばどこか悪いところがあるはず、と思い込んでいたのでしょう。あとは足首のシビレだけです。 今後とも面白い、興味ある話を満載してください。期待しています>。      114.172.58.199



2012年08月06日

◆夏バテ防止に「おきゅうと」

毛馬 一三


福岡の友人が案内した大阪にある博多料理屋で、博多特産の「おきゅうと」が出た。まず、大阪市内の料理屋で「おきゅうと」が出されることは、珍しい。

「おきゅうと」は、エゴノリという海藻から作った食品で、生姜、ゴマ、かつおぶしなどを振りかけ、それにポン酢を注いで食する。涼感を誘うツルッとした味わいと、磯の香りの食感が口内いっぱい広がる。

久し振りの味は、淡泊ながら旨みと滋味に溢れた特有の食感で、郷愁を深く感じた。食べるのは盛夏の時期が本番。なぜかと言うと、暑い盛りに涼感効果を感じさせる伝統食品だからだ。

博多出身の畏友津嶋礼文君によると、この酢やポン酢を掛けただけの「おきゅうと」を食膳に出して貰うと、食欲を全く無くしていても、これだけでご飯一杯は優に食べられるという。文字通り「夏バテ防止」だと、と話してくれた。

意外なことに、この「おきゅうと」を知る人は少ない。私自身も、同じ福岡出身でありながら、福岡から離れた筑後・久留米で育ったため、「おきゅうと」の名前は幼少の頃から耳にしたことはなく、食膳に上った記憶も無い。海藻の採れる海岸から離れていることが主因。

しかし私が、料理の一品として魅せられたのは、社会人になってからだ。以来、「おきゅうと」の贔屓者になった。下戸なので、お酒のつまみではなく、専ら深みのある味を、ゆっくり箸を付けながら食するという楽しみ方だ。

<エゴノリが生育する日本海側の秋田、山形、新潟、長野の各県では「えご」、宮崎県では「キリンサイ」などと呼ばれて食用にされているらしいが、「おきゅうと」とは言わない。食べ方も博多とは全く異なるという。>

そこで、「おきゅうと」の名前の由来にふれてみよう。

<1.「沖の独活(ウド)」説。エゴノリはウドの木の様に早く育つので、沖のウドが転訛した。
2.沖からやってきた漁師が作り方を伝授したから「沖人」(おきうど)説。
3.飢饉の際に簡単で大量に作られ多くの人を救ったから「救人」。
などの諸説がある。>

肝腎なことは、「おきゅうと」の食べ方だ。

・真空パックの中に5枚入っている添加物は不使用
・厚さ約3mmの「おきうと」を、水洗いして、幅2〜3mmくらいに切る。
・それを器に盛りつけ、生姜、ゴマ、かつおぶしなどをふりかけ、醤油またはポン酢で  食べる。また、酢味噌などでもおいしい。

いとも簡単に食することができる。しかも、ふりかけ材の工夫では、味付けが自分の好みに合わせられるだけに,楽しみも倍増余地がある。

他府県の人が初めて、これを食べた時、変わった味覚と触覚だと戸惑う人が多いらしい。しかし再度出会うと、仄かな磯の香り・海苔の風味、涼感を誘う喉ごし、溢れる旨みと滋味に魅せられて、注文する人が増えてくると聞く。

「おきゅうと」は「めんたいこ」と共に、数百年の昔から朝食の一品を占め続けて来た博多の食文化であり、博多の人々はその重みを了知している。

毎月1回、俳句の「句会講座」に集まる福岡高校の同級生と、講座修了後にお茶を飲むと、決まって「二品」の話が話題となる。

残念なことに大阪では、「飲み屋」か「博多料理店」に行かないと「おきゅうと」にはお目にかかれない。しかし残念なことに「おきゅうと」が、その店のメニューにあるとは限らない。しかも最近になって近郊スーパーあったその姿もお目に掛かれなくなっている。淋しい話だ。

前述の福岡高校同級生1人が近く帰省し、地元でしか味合えない特製「おきゅうと」店に寄って、じっくり旨味と滋味を味わってくると自慢げに話していた。こればかりは、羨ましい限りだ。  (了)  
参考:ウィキペディア           

2012年07月17日

◆怒りっぽくなるのは認知症の症状

毛馬 一三


最近、仕事の予定が重なるとイラついたり、些細なことでも怒りっぽくなる。「老人性うつ病」ではないかと思って、余計に苛立ちを感じていた。

そんな折、大阪厚生年金病院の向市眞知氏(医療ソーシャルワーカー)が、下記の11症状が半年以上続いた場合、「認知症の症状」と思って専門病院へ行くべきと助言してくれていた「メモ書き」があったことをふと思い出し、取り出して読んでみた。

住友病院神経内科の宇高不可思医師による「こんな症状があったら要注意!」の11項目が、それを指摘しているという。

それによると、

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった
6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

たしかに私自身、どうも2、3、4、11は該当する。歴史上人物や知人の名前すら出てこないことが多い。大切な「資料」を特別な場所に保管すると、その保管場所を忘れ、大騒ぎとなる。曜日の感覚も薄れてきた。だから該当する2,3,4の症状が「認知症」だと理解はできる。

ところが、まさか「ささいなことで怒りっぽくなった」の11項目が、「認知症」症状にあてはまるとは思いもよらなかった。ショックだった。

向市氏によると、
<やる気がおこらない意欲の低下もそうだし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理していた実行力の低下も、認知症の症状に該当する。

認知症高齢者自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているので、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまう。

また「まだらボケ」とか言うが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現される場合もある。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく、正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するように仕向けるべきだ>、という。
 
その上で、向市氏は
<「認知症と言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環。「認知症」の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなる。

不安やストレスが増幅すれば、いら立ちが高まり、怒りぽっくなる。それを軽減するには、どしどし脳裏に諸情報を与えることが、効果があるそうだ。そのためには外出が最適>だという。

つまり「認知症」には、「散歩が大きな効果」があると向市氏は助言してくれていたのだ。外に出歩くことは、聴覚、視覚、嗅覚の刺激につながり、真新しい空気を吸うことによって、脳の活性化につながるからだそうだ。

そういえば、いらついて寝つきが悪かったり、些細なことに朝から腹を立つときなど、愛犬(ノーホークテリア8歳)と朝の散歩に小1時間ほど出かけて、四季の移り変わりに見とれたり、思い切り新鮮な朝の空気を50回ほど深呼吸すると、たしかにストレスや怒りぽさは軽くなり、むしろやる気を感じる意欲が込み上げてくる。

散歩の途中、愛犬仲間と朝の挨拶を交わすことも、同様な効果がある。仲間との会話は、脳の活性化に効果がある。

怒りっぽくなっるのが「認知症」の症状だとは、思いもよらなかった。これからは毎朝夕のワンちゃん散歩の時、思い切り深呼吸をしながら、聴覚、視覚、嗅覚、脳へ刺激を与えことに心がけ、愛犬散歩を楽しもう。(了)