毛馬 一三
2016年に「蕪村生誕300年」を迎えました。このため、大阪毛馬町の氏神神社「淀川神社境内」に、「与謝蕪村銅像」を建立し、本日1月23日(土)午後1時から、同神社境内で「銅像除幕式」を行います。
この「蕪村銅像」が建立は、NPO法人近畿フォーラム21が、大阪俳人与謝蕪村を顕彰し、後世にその名を継承する為、大阪市毛馬町の「淀川神社」からご協同を得た上、蕪村愛好家や地元の人たちの賛同で出来たもので、銅製で高さ1m60pの勇壮な坐像の姿です。
ところで除幕式は、まず淀川神社の横路良宮司に修祓、玉串奉納、献饌を行った後、主催を代表して蕪村顕彰俳句大学の川原俊明学長(弁護士)、蕪村生誕300年記念行事実行委員会の村田正博委員長(市大文学部教授)、横路良宮司が祝辞を述べます。
このあとご来賓等のご紹介につづいて、参加者の方々から大きな拍手を頂きながら「除幕式典」を行います。
上記が「除幕式」の概略の記述です。
ここから「どうして蕪村望郷毛馬の淀川神社に蕪村銅像を建立したのか」。そのことを改めて書き添えたいと思います。これから追々。
焦点の「淀川神社」は、平安朝初期、またはそれ以前に、与謝蕪村生誕地の摂津国東成郡友渕村字外島(現・毛馬町1−2−11)に氏子神社として創建されました。ですから毛馬村に住む氏子たちは、その時代の常慣習として淀川神社に参詣していたのです。
実は淀川神社は、今の毛馬の場所に当時のまま存在しているのです。これに銅像建立の重大な理由とご縁が伴うのです。
ここから俳人与謝蕪村の参詣の縁の始まりです。蕪村は享保元年(1716年)に、この摂津毛馬村で生まれました。勿論、淀川神社の氏子であることは間違いありません。
さて、蕪村生家は、父が毛馬の庄屋主で、問屋、宿屋も営む「北国屋吉兵衛」。母は丹後与謝から奉公人として来た「げん」でした。その2人の間に、男の子(幼名・寅―後の蕪村)として誕生したのです。しかし肝腎の蕪村の「生誕日」は、未だ不明です。
北国屋庄屋が「淀川神社」の氏子でしたから、氏子慣習で、蕪村の生誕後も、両親と共に「淀川神社」を参拝していたでしょう。
その後両親を亡くした蕪村は、北国屋庄屋の実子ではなく、正妻の子でなかったために、庄屋継続が出来ない苦境に追い込まれ、幼少の頃から庄屋親族から様々な苦衷に見遭わされたと思われ、その都度、悲境回避や厄払いなどのお願いを、この「淀川神社」に参詣をしたと思われます。
結局、苦境に耐えらない17・18歳の頃、実家を出奔し江戸に下る決断をしますが、その際も、「淀川神社」に生涯安泰の祈願をして参拝をしたことでしょう。
この歴史的な因縁を考えて、NPO法人近畿フォーラム21は、「淀川神社」と協議を進め、協力関係を確立しました。画期的なことでした。そして「蕪村銅像」を同神社境内に、昨年の暮に建立したのです。
その記念行事を世間に広めるために、冒頭記載のように明日の1月23日(土)午後1時から、「蕪村銅像を建立した淀川神社で、除幕式」を行うことにしたのです。
これにより、与謝蕪村が出奔後切望していた生誕毛馬村への「望郷の念」を、今時代に充足してやれるとともに、蕪村生誕地が大阪毛馬村であることを、今年の「蕪村生誕300年の年記念行事」の先発として実行し、特に地元、全国、諸外国に精力的に広めて行きたい考えです。
いよいよ、明日の1月23日(土)に「蕪村銅像の除幕式」を開催いたします。どうか「除幕式」ご参加頂きたく存じます。
◆与謝蕪村銅像建立 除幕式
平成28年1月23日(土) 13時〜15時
「淀川神社 境内」
大阪市都島区毛馬町1−2−11