2011年06月15日

◆大阪だった「芭蕉終焉の地」

毛馬 一三

松尾芭蕉の「終焉(しゅうえん)の地」を、知っている人は少ない。終焉の句が「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」であることが有名だから、誰もが旅の果ての東北か、北陸の辺りでの死去ではないか思うのは当たり前だ。

ところが、芭蕉の終焉の地は、実は大阪だ。

御堂筋の真ん中辺りの「南御堂」向かいの花屋仁左衛門の離れ座敷だったのだが、そんなことは大阪人のほとんどが知らない。芭蕉が亡くなった花屋仁右衛門宅は、今喫茶店になっており、その屋敷跡から当時の事を髣髴させるものは何もないのも、原因の一つかもしれない。

今は、南御堂前の左側の緑地帯の中に「終焉(しゅうえん)ノ地」と銘を打った碑が、ポツンと建っているだけで、車の通行に挟まれた緑地帯の中だから、通行人の目に止まる筈がない。

私はたまたま、地下鉄御堂筋線・地下鉄中央線「本町」下車して南へ向かう用事があったため歩いていた処、“偶然”にも目に入った。その場所をたまた通り掛けたお陰で、“発見”出来たのは、言葉でも云えないラッキーなことだった。
 
<元禄7年(1694)9月、芭蕉は、故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越え、2度目の来坂をした。長崎へ向かう旅の途中に大阪に立ち寄り、住吉大社を詣でたり、句会に参加するなどしている。

しかし本当の來阪目的は、当時大阪俳壇をにぎわしていた2門人の仲違いが際立っていたため、それを収拾するのが主目的であったとも云われている。
 
伊賀上野の出発時から体調不良を訴えていたが、大阪・住吉神社に詣でたあと、発熱下痢を伴い花屋仁右衛門方離れ座敷で病臥。ついに10月12日夕方息を引き取る。51歳だった。最後の句として知られる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は、その4日前に病床で詠んだものだという>。

ところが「秋深き隣は何をする人とぞ」は、芭蕉が床に臥す直前に詠んだ句である。臥す直前まで世事に興味津々というか、「晩秋」の移ろいにも鋭利な感覚を失っていない。となると芭蕉は、出来るだけ早く床上げをして長崎へ向かう旅立ちへの気力は、この時溢れていたのではないかと思える。

<大坂御堂筋の花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した。(よく辞世の句と言われているが、結果論である。「病中吟」との前詞があり、辞世とは当人も意識していなかった)という説もある>。

しかし病状が急変したのは事実だ。その急変ぶりに死を予期し、「夢は枯野をかけ廻る」という七五を組み入れた句を編み出したのではないかと、私は思う。死期を悟った上での「辞世の句」だったと考えるのが、その頃の体調不良と考え合わせれば辻褄が合う気がする。

<臨終の時は、大勢の弟子達に見守られ、遺体は亡くなった日に舟で、土佐堀川を上り、芭蕉が遺言した近江の義仲寺に運ばれた>。芭蕉は、木曾義仲の墓の隣に眠っている。

序でながら、江戸時代の俳人与謝蕪村の終焉の地は、画人蕪村の活躍の場とも絡んで、京都だと知っている人は多い。ところが肝腎の蕪村生誕地が大阪毛馬だと知る人は意外に少ない。つまり蕪村と芭蕉のその辺りの謂れは、逆の形になっているのだ。

このため、蕪村の生誕地が大阪毛馬だと全国、世界に発信し、「生誕地と蕪村俳句」を後世のために伝えて行くために、わたしたちはいま様々な活動を進めている。(了)

参考<ウイキぺディア>

2011年05月25日

◆大阪でも「黄砂」の悪影響

毛馬一三

迂闊にも、渡部亮次郎氏主宰の5月23日刊「頂門の一針」2265号「反響欄」に掲載された前田正晶氏の「黄砂の悪影響」の記事を見逃し、翌5月24日に拝読して、「黄砂の悪影響」が大阪までも及んでいることに気付いた。

私自身同じ「黄砂の原因」で、今までに経験したことがない程の長期にわたる風邪気味の体調不良に襲われ、気力、体力共に失していたので、前田氏の「黄砂の恐ろしさ」原稿に改めて目を奪われた。

前田正晶氏によると、下記の通りだ。 

<先日、ゴールデン・ウイークに故郷の鹿児島に帰っていた50歳の女性から、黄砂の悪影響話を聞いた。

彼女がマスクをして咳をしていたので風邪ではなく黄砂の悪影響だった。その頃鹿児島では何とも言えない空の色で見通しが悪かったが、その根拠が黄砂の悪影響だと教えられた由。

彼女は黄砂に対する備えもなく、それほど重大なこととは認識していなかった。ところが、帰京して間もなく咳が止まらなくなって医師の診察を受けたそうだ。そこで、黄砂が肺に入っている状態で放置すれば肺炎になる危険性ありと、抗生物質を処方され何とか安定した状態になったそうである。

しかし、医師からは未だ油断は禁物と聞かされて、あらためて黄砂の恐ろしさを実感したと語っていた。(中略)

黄砂も放射性物質が福島から足柄まで風に乗って飛んでくるのであれば、中国で発生し偏西風に乗れば福島から足柄よりも遙かに遠い鹿児島に飛来して、そういう影響を及ぼすと知った>。

私の場合は、最初咽喉に痛みがあったので、「花粉症」に違いないと考え、耳鼻咽喉科医院で診てもらった。しかし咽喉の痛みと痰のが激しくなる一方、鼻什もひどくなり、微熱を伴うなど風邪症状に似た体調に変わってきたので、慌ててかかり付け内科医院に駆け込んだ。

診断によると、咽喉と鼻の炎症がひどく、早急な治療が必要だと言う診断で、原因は「黄砂」が一つの要因に絡んでいるという事だった。いまご当地では高齢者に広がっているそうだ。

そこで、・抗生物質として「メイアクトMS錠100g」、・咳を鎮める「メジコン錠15mg」、・痰や膿をうすめて痰や鼻什を出しやすくする「ムコダイン錠500mg」、・アレルギー性の鼻水等を抑える「アレグラ錠60mg」、・胃粘膜薬「テプレノンカプセル50mgト―ワ」、・それにうがい薬アズノール4%」の薬を出して貰った。マスクも常用が必要だそうだ

この3週間にわたった診察と薬服用で、何とか本日ごろから、症状はやや回復に向かいつつある

ただ、前田氏の原稿にあるように「黄砂が肺に入っている状態で放置すれば肺炎になる危険性が十分あり、注意が必要だ」との同じ診断は伝えられたし、今後も発症初期症状には十分気を配るよう、注意を受けた

ともかく中国から発生、偏西風に乗に乗って「日本」に与えている「黄砂」による悪影響は、鹿児島だけではなく、現実に大阪の私の友人や近郊の人たちまでにも広がっており、全国的に深刻になっているのではないだろうか。

マンションなどの駐車場に駐車している車のフロントガラスや車体全体に、「黄砂」がへばり付き、手洗いや洗車に毎日追われる苦情はあちこちで噴出している。

こうした悪影響の顕著な「黄砂」対応に、政府は何も関心を示していない。ましてや、気象庁もメディアも最近は「黄砂の悪影響」の実態に全く触れないし、「黄砂」の飛来予測も報じない。

前田氏が指摘するように、原発汚染が「黄砂」によって同時に運ばれてくる可能性が否定できないと考えると、身の毛がよだつ思いがする。

この「黄砂」についての政府の全く無関心に改めて苛立つ。情けない限りだ。
(了)2011.05.24

2011年05月14日

◆「万葉集」の軍事メッセージ

毛馬一三

韓国の「百済の都・扶余」の遺跡から、618年に作成された「出挙(すいこ)」の木簡が、2008年前後に発見されている。

「出挙」とは、作付けの季節に農民に利子つきで貸出した「種もみ」を、収穫の秋に利子分を含めた作物を現物で回収する制度で、木簡には農民毎に回収した「作物の量」が記録されている。

この木簡は、日本でも飛鳥時代以前の古代遺跡から、全く同じものが既に発掘されている。

つまり、中国から発祥した貴重な税収制度が、百済を通じて日本へ導入されていたことの証だが、もし百済と日本の間に、当時緊密友好な関係がなかったら、日本へこうした国家構築に属する機密情報が、伝わって来なかったであろうことは想像に難くない。

この韓国の発掘記事を読んだのは、随分以前のことだが、こうした日本と百済との「秘めたる繋がり」の驚くべき逸話を話してくれた、韓国の著名女流作家のことを思い出し、本稿を書いてみた。

同作家は、李寧煕(いよんひ)氏。韓国大手新聞社「韓国日報」の政治部長・論説委員長から国会議員(1981年)を経て、韓国女流文学会会長を歴任。

私は、李氏が来日されたた折、2日間奈良県桜井の「万葉の道」やその周辺の「古代天皇の古墳群」散策の案内役を務めたことがある。

その際李氏が、「軍事、政治メッセージに秘められた万葉集」という驚くべき学説を聴かされたのである。

韓国の李氏が、どうして日本の「万葉集」と関わりを持ったかというと、李氏が韓国国会議員だった当時、日本の高校の歴史教科書に韓国関係の記述が歪曲されているという問題が提起されたことから、日韓両国の国会議員による特別委員会が設けられ、その委員として調査に乗り出したのがきっかけだったという。

つまり、歴史書が歪曲されているかどうかに追求するには、どうしても日本の古代史にまで遡って検証する必要があった。そのために両国歴史書を克明に調べている内に、日本の「万葉集」に魅せられて仕舞ったのだという。

まずは「万葉仮名」の研究に惹かれたらしいが、その中で重大なことは「万葉仮名」で書かれた「難訓歌」や「未詳歌」、つまり日本語で判読出来ないとされている歌のほとんどを、韓国語で詠んでみると、総て詠み通せるうえ、解釈も可能であることを見つけ出したというのだ。

これは当時としては大発見に間違いなかった。

帰国した李氏から、私に李氏著書「もう一つの万葉集」(文藝春秋刊1989発刊)が送られてきた。読んでいくうち「日本語訳では見えない様々な謎」が書き込まれおり、驚愕した。

その中で、特に目を見張らせる下記の記述だった。

<万葉集20巻、4516首の内に、日本語では判読できない「未詳歌」とされているのは3首あり、このうちの1首に恐るべきメッセージが織り込められている。斉明天皇(655年即位)の意中を、額田王(ぬかだのおおきみ)が代詠した歌が、それである。

◆原文:  金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念<巻1の7・未詳歌>
・日本語よみー(秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 刈廬(かりいほ)し思ほゆ)

・この歌は、従来の「日本語解釈」では、こうなっている。
(秋の野の 萱(かや)を刈って屋根を葺き 旅宿りした 宇治のみやこの 仮の庵が思われる)。

しかしこの解釈では、額田王が何を言いたいのか、さっぱり意味が伝わってこない。だからこの歌が、解釈不能または解意不明なことから、公式に「未詳歌」とされてしまったのだ。

そこでこの祥らかでないこの歌の原文を、韓国語で読んでみると・・・。

(徐伐『そぼる』は 鉄磨ぐ 締め苦しむること勿れ 上の都は 刀来るぞよ 陣地固めよ)
・韓国語で詠むと―(新羅は刀を磨いで戦いに備えている。締め苦しめないといいのに・・・。吾がお 上の、百済の都は、敵が襲ってくるから、陣地をお固めなされ)。>
 ということが明らかになる。

李氏の韓国語解釈をそのまま読むと、これは斉明天皇が百済に送った「軍事警告メッセージ」というのとが明確となる。

だとすれば斉明天皇が百済に対して、これほどの機密「メッセージ」を送らなければならなかった理由とは何か、その疑問にブチ当たる。

皇極天皇(斉明天皇と同じ・斉明天皇は二度即位)から斉明天皇の時代は、朝鮮半島では、新羅、百済、高句麗の3国間は極端な緊張状態にあった。

特に重要なことはこの歌は、百済が新羅・連合軍に滅亡させられた661年より13年も早く、斉明天皇自身が国家危機を予測して、あえて百済に「軍事機密メッセージ」を伝えていたことになる。

となれば、「新羅の不穏な極秘情報」を、斉明天皇は歌に秘めて、百済が滅亡する相当前から「軍事メッセージ」として伝達していたに違いない。

実は斉明天皇は、百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、百済を援けるため、難波(大阪)で武器と船舶を作らせ、自らその船に乗り込んで瀬戸内海を西に渡り、百済とは目と鼻の先の筑紫(福岡)の朝倉宮て新羅・唐との戦争に備えた。

ところが斉明天皇は、遠征軍が百済に向かう前、失意の内に亡くなっている。

斉明天皇のこれほど異常な「百済ひいき」について日韓学者の一部には、斉明天皇は、百済第三十代武王の娘の「宝」で、百済最後の王、義慈王の妹だったとの説もある。

これが事実ならば、恐らく斉明天皇自身、「万葉集」歌に秘めた「軍事警告メッセージ」の存在だ真実味を帯びてくる。

「万葉集」を古代の珠玉の日本文学と仰ぐ人たちにとっては、「万葉集の韓国語詠み」は認め難いらしく、額田王作の「未詳歌」はあくまで「未詳歌」として位置付けている。

しかし、このあと白村江の戦いの敗戦(663年)まで、百済救国にこだわり続けてきた当時の日本の歴史を見ていけば、日本と百済との関係は極めて緊密であったことは証明されている。

だとすれば万葉集愛好家でも、万葉集の中に「軍事メッセージが込められた」「未詳歌」の存在に興味を抱かれるかも知れない。「万葉集」は奥が深い。(了)


参考―・李寧煕氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊」
   ・小林恵子著「白村江の戦いと壬申の乱・現代思潮社」
   ・ウィキぺディア
                             




2011年04月17日

◆始まった「大阪市長選挙」争乱

毛馬一三

統一地方選挙の前半選が終わり1週間が経ったばかりだが、橋下徹知事が代表の「大阪維新の会」が大坂で躍進したことから、今秋行われる「大阪市長選挙」へ向けた動乱が早くも始まった。

事の発端は、橋下徹知事が開票から2日後の13日に開いた「維新の会」全体会議で、「市長選に合わせて知事を辞職し、(市長選と知事選の)ダブル選という政治日程をつくる」と明言したことキッカケだった。

席上、橋下知事はダブル選を「大阪秋の陣」と表現し、「市長選、知事選で大阪の将来像を決め、大阪市役所に従わせる」と付け加えた。

ただ、自ら市長選に打って出るかどうかまでは言及しなかったが、維新の会の幹部によると、知事は大阪府・市再編を進めるため、市長選に出馬する方向に居ると示唆している。

ところで知事は、すぐさま大阪市議会第一党になった「維新の会」と、大阪市議会の「公明、自民、民主の既成政党3会派」が、「大坂都構想を協議する場」を設置したいと申し入れる二の手を打った。

ただ、橋下知事は、協議はあくまでも政党間で行うもので、「大阪府や知事としては協議には参加しない。府は政党間の交渉のサポートに徹したい」と述べ、平松市長と協議する意思の無いとの予防線を張っている。

これに対して公自民の既成政党3会派は、知事がこの協議の場では「大阪都構想」は「白紙」で臨みたいとの意向を示していることなどから、これを拒否する理由はないとして参加に前向きな意向を見せている。

そんな中で、大きな動きが出た。いままで「反・都構想」で市長と共闘してきた自民党大阪市議団の幹事長が15日、今秋の大阪市長選では、自民として独自候補の擁立を検討する意向を表明したのだ。

同市議団でも「当たり前の判断」として、幹事長発言を支持する声が圧倒的だ。

同じ共闘会派だった公明会派も、市長自ら街宣車で、「維新の会」の「都構想」を「亡構想」だと街頭演説することも無く、特に「反都構想」を訴える候補者の個人応援にも駆けつけなかったことにも反発。この辺りから平松市長と距離を置く見解が広まりつつある。

一方、肝腎の平松市長を支えて来た与党の民主党も、中央政局の影響も加わって、議席が選挙前の半数以下に惨敗した。今や「市長選挙まで考えている余裕はない」と、身動き取れない本音を漏らしている。

それもそうだが、高い人気を誇る知事が市長選に出馬すれば、まともに対抗できる候補者の擁立は不可能な上、敢えて「負ける戦はしたくないし、橋下氏との対決はしたくない」という判断が公自民会派で支配的になってきている。

それらが平松邦夫市長の再選を目指す動きを、「静観」するか、「阻む」かの動きに広がる要因に結びつきつつある。

当の平松市長は、次期市長選への態度決定の時期について、「(次期市長選の直前)ギリギリでも構わない」と発言して、静観の態度を通す姿勢を見せている。

いずれにしても、「市議会3会派との協議」は「白紙」で臨むという知事の公言は、レトリックに等しいとみる向きもあり、故に「区長の公選制」や「市の8分割」の「都構想」は受け入れない態度は崩さないとしている。

従って、この「協議の場」が今後どのように進展するかは未知数で、今秋の市長選までに開かれる5月、9月、10月議会開催期間の中で、この動向を平松市長がどのように使い分けて、動乱を凌ぎ、市長再選へ繋げて行くかも一つの鍵になりそうだ。(了)
                                     2011.04.16


2011年03月02日

◆大阪を行脚していた与謝蕪村

毛馬一三

江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

おそらく、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲からも過酷ないじめに遭わされたことなどから、意を決して毛馬村を飛び出したのに違いない。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結び付きや、師匠との今謂うコネがどうして在ったのか、ミステリーだらけだ。しかもこの時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。


<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪にやって来ていたことが、最近分かってきた。船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村とは全く正反対西側の淀屋橋や源八橋からで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪ねて回っている。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を巡行している。ということは大阪市内のいたる処を回っていたことになる   

特に、門人の吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この間「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚も活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり大阪は活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

こんな折、驚く情報と嬉しい要請が飛び込んできた。

大阪市中心部の北区梅田に茶屋町がある。ところがここに「菜の花や月は東に日は西に」の蕪村句を刻んだ高さ1m、幅50cmの碑があるのを初めて知り、見に行ってきた。この地では一昨年から地域の有志がこの句碑を中心に菜の花を植え、「菜の花の散歩道」というテーマを掲げて、いろんなまち起こしイベントを催している。

この句を、この茶屋町で蕪村が出句したかどうかはわからないが、茶屋町の周辺に蕪村が立ち寄っていたことは事実なので、これに因んでイベントを企画したという。しかも嬉しい要請とは、このイベントに私が主宰するNPO法人近畿ホーラム21の俳句つくり講座「句会」を催して欲しいとの要請があったことだ。

申し出を受け、この3月の同イベントの一環で、2回「句会」を行うことになった。

こうした話は、他の地域からも打診が相次いでいる。後世のために大阪俳人蕪村を顕彰し、文化振興活動をしようという当NPO法人の「句会」の試みは、立ち上げから1年が経ってようやく実り始めた。

本命の俳句つくり本「句会」講座も2期目を終え、この3月27日、「知事、市長、教育委員会委員長」の各賞を授与する「表彰式」を大阪市造営の「蕪村公園」で行う。と同時に4月からは、第3期講座を開講する。

大阪を行脚して回り俳人としての名を高めた与謝蕪村の俳句を、出来れば外国にも広めて行くことを、各大学と共同して進めたいとも考えている。(了) 2011.03.01

2011年02月07日

◆どうなる「大阪都構想」

毛馬一三

名古屋市長選、愛知県知事選、名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が6日、投開票された。

市長選では地域政党「減税日本」代表の河村たかし氏(62)が再選を果たし、知事選では同党推薦の大村秀章氏(50)が初当選。河村氏が主導した住民投票は賛成多数で、政令指定市で初めてリコールが成立し、即日解散された
 
ところで、この選挙結果に欣喜雀躍しているのは、「大阪都構想」を掲げてこの春の統一地方選挙に臨もうとする大阪府の橋下徹知事ではないだろうか。

橋下知事の目指す「大阪都構想」とは、大阪府庁と大阪市役所を解体し、広域行政は大阪都、住民サービスは特別区が担い、区長は公選制にするというもの。

この「大阪都構想」を実現するため、地域政党「大阪維新の会」を昨年立ち上げ、自ら党首となって今回の愛知県知事選・名古屋市長選挙に70人の党員とともに現地入りし、応援演説などに駆け回った。

確かに、名古屋市が主張する「中京都構想」は、広域行政を一本化するものの、名古屋市は存続させ、区長公選は想定していないなど、具体的な仕組みの点では「大阪都構想」とは異なる。

構想自体が異なっていたとしても、自治体の長が今春の統一地方選に向け新党を結成し、目指す構想を訴えて勝利したという斬新な事例については、これからの橋下知事の挑戦と重なって映ったのだろう。

「沈み行く“大阪丸”の都市制度を一度壊し、大阪都として再生させるしかない」。橋下知事は、こんな論旨で有権者とのタウンミーティングで訴えてきている。

ところが、愛知県知事選と名古屋市長選の勝利とは裏腹に、大阪都構想を進めたい橋下知事には、異常な事態が立ちはだかって来だしている。事態は急転しているのだ。

橋下知事の当初の戦略は、今春の統一地方選挙の大阪府会・大阪市会・堺市会3選挙で議席の過半数を獲り、過半数が確保出きれば、任期途中で知事を辞任し、今秋予定される大阪市長選挙の出馬、市長に収まって「大阪都構想」を実現するものだった。

しかも、「もし、過半数取れなければ、知事を辞職し自宅に籠もる」とまで言い切った。つまり、過半数獲得には、70%余の異常な高支持率の知事に支えられた維新の党の候補者はほぼ当選し、結果として3議会での過半数は確実に握れるとの自信があったのではないか。

ところがその思惑が今急激に崩れ出している。有権者の意向も知事の「都構想」の説明不足に不満を募らせている。しかも市長選出馬にも諸手を上げていない。

<知事が可能性をちらつかせる自らの大阪市長選出馬については、知事支持層からも反対意見が強かった。 知事が可能性を言及している自らの大阪市長への転身は、都構想に賛意を示す人でも賛成46%、反対40%と意見が割れた。知事の支持層では反対が45%で、賛成の39%を上回った>。 <朝日世論調査>

こうした中、知事と平松市長のバトルは、日増しに激化している。「大阪府にとって大阪市の存在は目の上のたんこぶかもしれない。ずっと我慢してきたが、大阪都構想は『大阪都妄想』でしかない」と、平松市長は厳しく「大阪都構想」を批判している。

これに加え、民主・自民・共産各党は反対し、公明党も知事と一線を画す。

となれば、知事が目指す大阪市議会での「過半数獲得」の読みは、事実上崩れた格好になっている。

さらには、これまで知事と親密だった竹山修身堺市長までもが、「大阪都構想」と距離を置くことを表明した。しかもこの動きを受けたためか、堺市議会の会派からは「維新の会」の候補者として出馬する議員が出ない事態がおきている。

となると、知事の当初の戦略は、根本から見直さなければならなくなってくる。議会の「過半数獲得」が不能であれば、大阪市長選出馬も現実味が薄れてくる。

はたして、「過半数獲得」を反故にし、それとは切り離して強引に市長選出馬を目指す政治手法を選択するだろうか。府民の動向に敏感な知事の選択肢にはおそらく、それはないだろう。(了)         2011.02.06

2011年01月05日

◆どうなる大阪バトル選挙選

毛馬一三

今年の4月には統一地方選が行われる。政権後初の統一地方選挙だが、結果が次の国政の行方にも影響を与えるのは間違いなく、成り行きは見逃がせない。

こうした中で、今年の大阪地方選は、別の渦が巻き起こっている。

大阪の統一地方選は、「大阪都構想」を掲げる橋下徹大阪府知事が党首の地域政党「大阪維新の会」によって、大阪府議選と大阪市議選での過半数を確保することを最大の狙いとしていることだ。

しかも、橋下知事が両議会会派の過半数を確保できた場合、2012年2月の任期満了前に知事を辞職し、自ら大阪市長へ鞍替えする意思があることを、至る所で幾度も示唆する発言をしている。大阪にとっては驚くべきことで、単なる思い付きとは思えない。

知事としては、府・市議会党派の過半数を地域政党「大阪維新の会」で確保できれば、その勢いと実績を背景に、統一選後の今年11月に予定される大阪市長に出馬・当選して、念願の「大阪市解体」を果たし、「大阪都構想」を一挙に実現させたいという腹積りのようだ。

既に,「大阪維新の会」に入党した20余人の府議も、知事と顔写真を並べたポスターを選挙区内に張り出し、知事の人気にあやかった宣伝に乗り出している。知事も、各地でシンポジュームを開き、「都構想」と「市長出馬」を披瀝し、府民の賛同を呼びかけている。4月からの統一選挙から11月の市長選まで視野に入れた選挙戦が本格的に動きだした。

この知事と大阪維新の会の動きに対して、他会派は緊張感を強めており、4月の統一地方選の対抗策を練り直してながら、正月返上で攻勢に出ている。

一方、標的に晒されている平松邦夫大阪市長は、知事の「大阪都構想」をめぐって激しいバトルを続けてきたが、「大阪市政だより・1月号」(1月2日各戸配布)に、「都構想」を暗に批判をした下記記事を掲載した。

<大阪市のあり方をめぐって、市域を分割・解体する案があります。これは地域間の格差や市民サービスの低下を生じさせるばかりか、関西の発展をリードしてきた大都市大阪市の力削いでしまう案であります。市民、企業、誰にとってもマイナスにしかなりません。

市民の暮らしを守る。大阪・関西に輝きを取り戻す。大阪市は徹底的に改革する。これが、新年にあたっての私の決意です>。

平松市長が、知事の「都構想」を暗に批判する記事を「公報」に敢えて掲載すること自体異例のことで、知事の主張する「市解体」の不合理を市民に理解してもらう思い切った決断だったに違いない。

しかも大阪市政運営は、自ら3項目を実行する決意を明らかにし、知事が市長へ鞍替えする動きにも、間接的ながら切り捨てている。

となると、「大阪維新の会」が府・市議会の過半数を取れるかが焦点になってくる。
そこで産経新聞が昨年12月10日〜12日に行った最新の「知事の府政運営などをめぐる府民意識調査」に触れておく。

<知事の支持率は計76.8%。前回調査時(昨年1月)に比べて6.4ポイント下がったものの、依然高率を保った。(略)

一方、政党支持率は自民が11.4%で最も高く、民主10.4%、みんなの党7.1%の順。維新は3.0%で、共産の2.9%と拮抗(きっこう)し、公明1.8%、社民1.4%。(略)

橋下氏は「大阪都構想」実現のため、4月の大阪府議選、大阪市議選、堺市議選で維新の過半数獲得を目指しているが、現状では厳しい状況もうかがわせた。>という見方を示している。

知事は、統一地方選で府・市議会などで過半数の議席を獲得することに敗北した場合は、「退陣する。そして自宅に引き籠もる」と言い切った民放のテレビ番組で、昨年の暮にじっくり拝見させてもらった。

この発言は、番組の雰囲気の盛り上げに合わせた過発言なのか、それとも多少なりとも本音の一部なのかは判然としなかった。

いずれにしても、始まった今年の大阪の一連のバトル選挙選の行方は未だ見えてこない。(了)2011.01.03

◆本稿は、1月5日(水)刊の全国版メルマガ「頂門の一針」2145号に
掲載されました。
◆<2145号 目次>
・中東でまた戦争不可避の様相:宮崎正弘
・どうなる大阪バトル選挙:毛馬一三
・若者も捨てたものじゃない:徳久 勲
・旗幟を鮮明にした「再編成」を:須藤文弘
・老人は死して年金を残す?:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2010年12月31日

◆心の真のふれ合い

毛馬一三


学校同窓会の集まりとは、せいぜい暮らしぶりや同窓生同士の去就などを、一杯飲みながら当り触り無く交わしながら終わるのが関の山だ。

お互いの喜怒哀楽に満ちた生き方などを、心の底から語り合うことなどはまず無い。結局、集まりは単なる顔見世行事で、たまのお付き合い程度にしか過ぎない。

ところが、こんな空疎な間柄だと思っていた同期生同士の間で、「心の真のふれ合い」を感じ合う新たな舞台が、意外なキッカケから生まれた。それはこれから追々―。

私の主宰する「NPO法人近畿フォーラム21」が、講座「蕪村顕彰俳句大学」講座を開講したのが、今年の4月。江戸時代の3大俳人与謝蕪村の生誕地・大阪毛馬町に昨年、蕪村18句碑を林立させた市営「蕪村公園」が造営されたのを機に、大阪俳人蕪村の高揚を兼ねて同講座を設けたものだ。

講座には大学教授や俳句結社の主宰者を講師に招いて開講した。受講生は40余人から始め、その中に同窓会(関西福中・福校同窓会)同期生の、津嶋礼文、増田忠勝、香月英夫、橋本紘、渡邊征一郎の5畏友に声を掛け、快く参加してもらった。

同講座は、「趣味の会」とは異なる専門講座を目指した。「俳句の歴史講座」に加え、五七五の17文字に「季語」を軸に、俳人蕪村が目指した「写生」の精神や自己の独特な感性を伝えることに心がけて出句する「句会」の開催だった。

この講座が、実は思いがけなくも「本題」を導いたのだ。

5人の畏友たちは当初、「季語」に沿う想いとそれを表す言葉の駆使に、正直当惑と苦渋を心の底から滲ませる姿がありありと窺えた。しかし句会を重ねていくうち、17文字に巧みに思いを折り込んで出句する上達ぶりが際立ってきた。

流石、福岡高校の畏友たちだけに、その「感性」と「視点」は確かなもので、講師からも高い評価を受けるまでに至った。

第1期講座が終わる9月の締め括りの焦点は、受講者全出句800余句の中から「大阪知事・大阪市長・俳句大学学長」3賞を授与する優秀句を選び、それらを「表彰」する式典開催にあった。

ここで驚くべきことが起きた。なんと5人の畏友の一人の増田忠勝君が「学長賞」に選ばれたのである。講師で構成する審査委員会が非公開で厳選したものだが、3賞句の評価には優劣は無かったという。

さて、その増田忠勝君の学長受賞句―。
◆「雨きざす 風をふふめる 牡丹かな」

審査委員・山尾玉藻講師の論評だは、
<自ずと多くの類句、類想の生まれる中、この句は独自の視点で牡丹の豊饒な美しさを再現しています。雨の気配のする湿った風を孕んで、牡丹の花に一層の重量感や潤沢感が生まれました。この句の切り取りもなかなか際立っていて、与謝蕪村の画人としての俳人としての魂を大いに触発することでしょう>と、絶賛している。

「表彰式」終了後、同公園内の一角に設置された増田君ら3賞の授賞句刻字の「記念プレート碑」の除幕式が行われ、マスコミも取材した。ここに至って増田君は初めて受賞の喜びを実感したらしい。

「表彰式」が終わった後、私と畏友全員が集っまった。

「お互いの心と感性をじっくりふれ合わせられるこのご縁に出会えたのは、最高だった。まさに老後の楽しみに結びつくね」と述懐する香月英夫君の言葉が心に響く。

「蕪村公園の刻字プレート碑に永久に名前が残るようにこれからも頑張ろう」。渡邊征一郎君の囁きも心を揺さぶる。それ以来、同期生同士の心のふれ合いが急激に濃密になってきた。

ところで、第2期講座は、今年10月から来年3月までの日程で進められており、受講生も6倍に増えた。勿論畏友たちは継続受講し、真剣に「句会」と向かい合っている。

12月22日の今年最後の2期講座の後、「忘年会」を兼ねて畏友同期会を初めて開いた。そこで飛び出したのが、畏友の一人が瀬戸際人生を何度も繰り返した苦難を初めて明かしたことだった。どちらからと云えば無口なこの畏友の予想外の語りに皆の涙を誘った。

この畏友の述懐を機に皆からも、身内の苦労話から苦節の経験、充足した達成感などを含め、過去耳にしたことも無い心境の吐露が次々と飛び出した。畏友同士の心の距離が、一挙に縮まった。

大阪俳句文化振興を目指す当NPO法人活動が、思いがけなく「俳人増田」を誕生させただけでなく、今まで微塵も無かった同期生の深層の心のふれ合いを繋げる場になったのかと想うと、これに優る欣快事はないと胸が打ち震える。

この「心の真のふれ合い」は、講座が続く限りもっと盛り上がってくるだろう。
そうなれば私の責務も、限りなく重いことになる。来年も一層頑張ろう。

今年もご拝読に深謝します。よいお年をお迎え下さるようお祈り致します。(了)          2010.12.31

◆反響   溝川茂久氏より

心温まる記事です。わたしは元都島区長です。「蕪村のふるさとにその名を冠した公園を」の要望をしたのが10数年前、完成しバス停の名称も変更された。俳句愛好家のみなさんが盛りあげてくれてなによりです。5年後は蕪村生誕300年です。全国の蕪村フアンにもアピールしていきたいものです。

2010年12月22日

◆橋下知事が「中京都構想」と連携した本音

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が、20日開いた自ら代表を務める地域政党「大阪維新の会」集会に、この日辞職を申し出た河村たかし名古屋市長と愛知県知事選に出馬する大村秀章衆院議員を来賓として招いた。

3人は、橋下知事が進めている「大阪都構想」と、河村・大村両氏が打ち出した「中京都構想」の理念が一致したことを強調。「われわれは平成の薩長同盟。東京都、中京都、大阪都の3都で日本を引っ張るエンジンになろう」と、がっちり握手を交わした。

その上で、名古屋市長選と愛知県知事選と来年4月の大阪府議、大阪・堺市議選をお互いに応援し合う方針にも合意した。橋下知事にとっては、願ってもない演出効果を上げたことになった。

ところで橋下知事が代表の地域政党「維新の会」について、改めて触れておく。

橋下徹知事は今年4月19日、大阪府と大阪市を解体・再編して「大阪都」を新設する構想実現を目標に掲げて、自ら代表となり、府議・市議と地域政党として立ち上げた。

橋下知事は、政党結成当初、「政治しか日本を変えることはできない。『東京都とともに、大阪都で日本を引っ張る』というゴールを共有し、本当の意味での政治を進めよう」という決意を表明していた。

ところが今回、これまで独自だった「大阪都構想」を、河村・大村両氏が打ち出した「中京都」構想」と連携させたことで、橋下知事にとっては、大阪府民へは勿論、全国に向けて「大阪都構想」理念の理解を深める更なる一歩を踏み出したことになる。

もうひとつは、大阪市解体を激しく批判し日増しに過激になっている大阪市長とのバトルに、心理的な圧力を一段と強めたことになる。また、「大阪都構想」を愛知県知事候補者と名古屋市長との有名人と共鳴したことで、府民の驚きと賛同を得ることにもなる。

ところが、3者がともに唱えた「都構想」には、意外にも具体像にズレが潜んでいる。

つまり「大阪都構想」では、大阪府庁と大阪市役所を解体し、広域行政は大阪都、住民サービスは特別区が担い、区長は公選制にするものだ。しかし「中京都」は、広域行政を一本化するものの、名古屋市は存続させることにしている。しかも区長公選は想定していないなど、根っこの部分で仕組みが異なっている。

更に河村市長は、「中京都」は、「減税」実施を最大の構想の柱にしており、「大阪都構想」の中味とは食い違っている。これに対して、「維新の会」の議員らから懸念の声が上がっている。

恐らく今後、3者で構想の詰めは進められるかも知れないが、橋下知事にとっては、「構想のズレ」などはどうでもよく、今回の連携演出の効果が上々だったことに満足しているのが本音だろう。

早い話、全国的な話題の主の2人と「構想理念」が一致したことが、来年春の統一地方選挙に初登場する「維新の会」所属の各議員が好成績をあげ、「大阪都構想」の実現を支えてくれることへ繋げる大きなパフォーマンスになったと、自信を深めているのではないか   (了)

◆本稿は、12月22日(水)刊の全国版メルマガ「頂門の一針」2131号に
掲載されました。同号の目次は下記の通りです

◆<2131号 目次>
・小沢の茶番劇にうんざり:阿比留瑠比
・馬鹿同士の90分間:西村眞悟
・朝鮮学校に神奈川県が6300万円を:古森義久
・「中京都構想」と連携した本音:毛馬一三
・外交トップの姜錫柱と譲歩した米外交:古澤 襄
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月05日

◆大阪は本当に「日本最貧!?」か?

毛馬一三

12月9日付で今発売中の「週刊新潮」が、米ニューヨーク.タイムスの<意気消沈するニッポン>と題した特集記事を載せている。

特集記事によれば、<(あれほどリッチだった日本が)これほど急激に経済が逆転してしまった国は世界でも珍しい>と、日本経済の有り様を指摘している。

その上で、何と<そんな凋落ニッポンの“象徴”が「大阪」なのだと書き立てている>のだ。

しかも、<誇り高き商都・大阪では、商人たちが極端な行動に走り始めている。街には10円で缶入りドリンクを売る自販機が並び、レストランに行けば50円でビールが飲める>と書き、<日本のデフレスパイラルを激化させるだけだ>と切り捨てている。

この論評に「週刊新潮は」、<まるで大阪がデフレで今にも沈没しそうといわんばかり」だと補足し、日本のことになると嫌がらせみたいな記事ばかり載せるNYタイムスの記事だから、多少割引いて読むべきだと示唆している。

ここまで商都大阪をコケにされていいのか。

たしかにあれほど賑わっていた歓楽街・北新地の閑散ぶりは目に余るものがあり、今では土曜日に営業している店はほとんど無く、居るのは人待ちタクシーばかりだ。とわ言え、この閑散ぶりが大阪低迷の総てを語るものではなかろう。

街歩きが好きな大阪の知人数人に聞いてみても、10円の自販機など北と南の繁華街で見たことは無く、ましてや50円ビール看板に出会ったことはないという。早い話、NYタイムスの記事は、ゴミ箱をほじくった類の記事だと見下す。

NYタイムスは、大阪商人の商売根性を知らないようだ。どうやら浪速商魂とデフレ化とを混同しているとしか思えない。

驚くような「値下げ」して商売するのは、決して商買破綻の表れではない。ましてやデフレの象徴でもない。

「労せずしてカネ儲けは出来ない!」ことを家訓とする商家では、大根1本でも鮮度に合わせだんだんと値下げをしながら、その日に売り捌き、元を取ってしまえば、残りはタダにする。これが次に繋がると考えるのが浪速商法だ。

「常に人のせんことをしなはれ」と真似らない知恵を出せ。万一真似られても「古井戸と知恵は枯れぬ」の例え通り、汲めば汲むほど湧き出るものだ。
<あきない夜話・和田亮介著>

つまり、浪速商法を「永続」したいと思えば、「利を取るより(信用)をとれ」と戒め、買い手を楽しませ、買い手側に喜ばれる方法で商売を乗り切れとの定法を取ってきたのだ。

NYタイムスが載せた大阪・千林商店街では、12月4日第3回の「100円商店街」を開催した。食料品・衣類・雑貨アクセサリーなど153店舗が100円均一の品揃えをして販売したので見学に行って見たが、予想を越える賑わいだった。

タイムスが載せた<結果は、皆を落胆させるばかりだった>との記事は、とても想像できないことだった。

いずれにしても、「安い値段」が「商都大阪のデフレ」を見せつけ、「凋落ニッポンを象徴している」という見方は、皮相的であり、真実を伝えていない。

集客を拡大して将来の浪速商法を発展させるために、長期視野にたった「知恵」を絞って商いをしている実像を、NYタイムスはよく見極めて欲しいものだ。(了)                 2010.12.04

◆本稿は、12月5日刊の「頂門の一針」2114号に掲載されました。
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2010年12月04日

◆サッカーW杯落選の余波

毛馬一三

サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)招致に立候補していた日本は、スイスのチューリヒで開かれた国際サッカー連盟理事会の投票で落選し、初の単独開催はならなかった。

日本は最先端の立体映像技術を使って世界中で「次世代W杯」の理念を強調したが、そのような理論だけの展開では有効に働かず、結局積極的なロビー活動に重点を置いて活動したカタールが勝利した。

この「落選」に恐らく、サッカーW杯の日本初の単独開催を待ち望んでいたサッカーフアンらにとっては、情けない思いをしていることは間違いない。

中でも、大阪市は特別だ。日本サッカー協会の要請を受けて、大阪市の中心部梅田に「大阪エコ・スタジアム」(仮称)を建設。開催が決まれば、開幕・決勝戦を行うことが有力視されていただけに、大阪市の平松邦夫市長らは、今失意の中いる。

その平松市長は、3日未明大阪市役所内のインターネット中継で同理事会の投票の行方を凝視していたが、「日本落選」が決まると体をのけぞらせ、「残念としか言いようがない…」の一言を漏らすのが精一杯の落胆ぶりだった。

それもその筈、財界などの協力合意も得て大阪の中心部・梅田のJR大阪駅の北側に建設する上記「大阪エコ・スタジアム」構想が、吹き飛んでしまったからだ。これが出来ないとなると大阪市の将来発展を賭けた同構想自体は、事実上頓挫してしまうことになる。

平松市長にとって、これをどうしても成功させたいもうひとつの「わけ」が終盤にあった。

それは、サッカーW杯日本開催に伴い進めていた大阪市の「大阪エコ・スタジアム」構想に、最初積極的に賛意を示していた大阪府の橋下知事が、スイスでの「投票」寸前に突然態度を豹変、同構想に「反対」を訴え出し、拡大している知事・市長のバトルに新たな火種を投じたからだ。

橋下知事の「反対」の理由は、「あんな都市中心部にサッカースタジアムなんて大阪府民全体の立場として反対。基礎自治体が扱う範囲を超えており、関西全体を考えて使い道を考えるべきだ」というものだった。

これに対して、大阪市内部では、「なぜ開催地が決まる直前の大事な時期に反対発言をしたのか。(反対)発言が他国にどんな形で発信されるか分からない。招致に頑張っている人たちにダメージを与えてほしくない」と、変節ぶりに憤った話も聞く。

ともかく、サッカーW杯開催そのものは「日本落選」により振り出しに戻ったが、大阪がこの構想を生かすのか、お釈迦にするかをめぐっては、これから余波が更に広がることが予想される。

市長は、「国立施設は大阪にはなく、構想の予定地は駅にも近い。スポーツだけでなく、コンサートや複合施設などとしても使える」とのべ、同構想を大阪市発展のために更に実現させる意向を捨てていない。

これに対し、橋下知事は、「ワールドカップが来なければ梅田にスタジアムはいらない。大規模な施設は大阪全体でプランを描くべきで、大阪市が独断でやることではないと平松市長には言いたい」と述べ、今後、大阪府として同構想の建設に反対していく考えを改めて示している。

このバトルの原因はどこにあるのか。府議会・市議会議員によれば、知事が大阪府と大阪市を統合させる「大阪都構想」を来春の統一地方選挙の争点の柱に据えるための計画的策略だという。
そうなれば知事・市長のバトルは更に加熱し、サッカーW杯落選余波はその一過程に過ぎなかったということになるのだが。(了)   2010.12.03

2010年11月24日

◆顕微鏡検査で歯周病菌発見

毛馬一三

奥歯に違和感があったので、近くの「歯科医」に診療に行った。これまで虫歯は一本もなかったので、歯科医院に行くのは10余年振りのことだった。

診察の結果、奥歯1本に軽度の虫歯があるとのことで、治療を開始することになった。とにかく軽い虫歯発見だけで済んだため、一旦は胸を撫で下ろした。

ところが驚いたことがあった。この歯科医院の診察室には「位相差顕微鏡」が備えられており、患者の口内に歯周病菌やカビ菌が有るか否かをたちどころに検査するシステムが整えられていた。

歯科医院には「顕微鏡と映像公開装置」のセットが5年ほど前から導入され始めたそうだが、長期ご無沙汰していた筆者にとっては、このようなセットがあるとは、全く知らなかった。

映し出された筆者の口内検査画面の映像をじっくり見ると、紐状の歪んだ塊が幾重もあり、その間を原虫みたいなものが無数に蠢いている。初めて見る映像だったので、不気味な映像に悪寒が込み上げてきた。

歯科医師の説明によると、映像で蠢いているのは歯周病菌で、紐状の塊はカビ菌だという。なんと口内で歯周病菌が見付かったのだ。

歯周病菌は、回し飲みや回し食い、箸の使い回し、キス、くしゃみなどが感染ルートとして上げられ、一旦口の中に進入すると定着して発症するケースが多いそうだ。外食の多い人には特に罹患の可能性が高いという

歯周病は、口の中で出血すると血管に入り、心臓で炎症を起こすという。歯周病の患者が心臓病になる確率は2〜3倍にあがり、このほか食道癌、糖尿病、早産、高血圧などにも関与しているという。

カビも酸を出すので歯を溶かし、虫歯につながるという。予防を怠れば、どちらも恐ろしい病気だ。

このため歯周病菌予防とカビ菌除去のために、「細菌の除去薬剤・シスロマック」とスプレー式カビ取り歯磨き剤の「ぺリオバスターN」を出してもらい、予防措置を講じた。

2週間後に再度行った「顕微鏡」検査で、症状に改良が確認されたので一安心したが、油断は禁物。今も歯の手入れには真剣に取り組んでいる

ところで、歯周病の進行を症状の具合でみると、

@口臭、ネバネバ感
A歯ぐきに赤み、時々出血
B歯ぐきの炎症、腫れ、赤みの悪化
C歯ぐきを押すと膿が出る
D口臭が更に悪化、出血がひどい、歯が揺れる、歯ぐきがよく腫れる
E歯が痛くて噛めない、歯が揺れて噛めない、歯ぐきが常時腫れている

といった順序で進行いくという。無感覚の中で進行する場合もあるという。

であれば、定期的に歯科医院に通い、歯周病が再感染していないかを「顕微鏡」で調べる必要があるようだ。またカビ菌も歯周病菌の棲みかとなって歯周病に再感染する要因になるので、適切なクリーニングが求められる。

序でながら、義歯にもかなりのカビが付くので、歯周病と関わりがあり、義歯のブラッシングも留意すべきだそうだ。

歯周病菌が「顕微鏡」で発見されたものの、歯周病には患っていなかったのでラッキーだったが、この機会に歯の手入れには一層気を配って行こう。そうしないとこれから美味しいものが頂けなる。
参照:<国際歯周内科学研修会監修・顕微鏡検査のススメ>                 
                          2010.11.23




2010年11月18日

◆再燃し出した「大阪カジノ誘致構想」

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が、大阪カジノ誘致構想の是非について大阪府民にアンケートを実施し、年内にも提言をまとめることになった。どうやらこれには橋下流の様々な思惑が絡んでいそうだ。

カジノ構想は各地の自治体が次々と名乗りを上げており、東京の石原慎太郎知事も02年2月に「お台場カジノ構想」を発表している。

大阪では、6年前に前知事が関西国際空港などを対象に構造改革特区「国際交流特区」にからめて「大阪カジノ構想」をブチあげたが、刑法(第23章第185条〜第187条)と「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律(いわゆる風営法)が壁となって、見送られた。

ところが橋下徹知事は、就任後からこの「大阪カジノ構想」を、逼迫している府財政改善施策の旗印のひとつに掲げて動き出している。

これを加速させたのは、大阪市から大阪臨港にある48階建ての「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(WTC)を85億円で買い取り、ここに大阪府本庁を移すこと決めたことから、動きが一層新展開しだした。

本庁移転は、「大阪都構想」実現拠点地とすることが知事の悲願だったが、同時にこの周辺地域に「金儲け」と観光誘致に最大貢献する「カジノ誘致」を図り周辺の実質的な整備をはかることも、知事が描く一大構想だった。

今年6月になって、その根拠に「大阪での規模なら1500億円稼げる」として、「国民に増税だなんて言わなくてもいい。世界の富裕層、外国人から金を巻き上げればいい」と述べ、構想の現実味を披瀝した。

こうした中で大阪港ベイエリアに、知事の「カジノ誘致」の意向が俄然伝わり出すと、大阪港周辺を管理所管する大阪市との間で紛糾が起こりだした。

大阪市WTCを売却した大阪市としては、足元の同市管理の大阪港内の「夢島」周辺にカジノが誘致されれば、大阪市の将来の港湾管理と用途活用に重大な支障が出るとして、これは受け入れられない大反発。公式の場で何度も、橋下知事と平松邦夫市長がバトルを繰り広げる始末となった。

ところが、新たに橋下知事が立ち上げた知事を代表とする地域政党「大阪維新の会」が、府市再編の「大阪都構想」の是非を掲げ、来春の統一地方選挙に候補者を立て、市民の意向を質したいとの動きを見せだしたことから、「カジノ誘致構想」も絡んで更に複雑な様相を見せだした。

しかし、<アサヒ.コム>によると、<「カジノ」も絡む「都構想」について知事の説明が十分かどうかを尋ねると、「不十分」が69%で、「十分」の15%を大きく上回った。知事や維新の会側が、より具体的な説明を求められている、と言えそうだ。

また同構想が選挙で最大の争点になることについて、「好ましい」が37%、「好ましくない」が38%と伯仲。争点が絞られることは必ずしも歓迎されていない。>たなっている。

このように、構想の説明不足が指摘されている他、全国からは大阪に「都」の呼称を付けることは不適切との意見が寄せられている。さらには府市再編についても政府部内からは疑問が投げられており、知事にとってはこれを無視する訳にはいかなくなった。

そこで、大阪府が近く「都構想」の主軸のひとつに据える「カジノ誘致」の是非を問う府民アンケートを実施し、年内にも提言をまとめることにしたようだ。

大阪では、前回の例もあるように、「カジノ誘致」をめぐっては経済効果に期待する声がある半面、たしかに「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律」に触れてはいけないなどの慎重意見も根強い。そうなれば「アンケート」は重要となるのは必至だ。

たしかに知事としては、府財政改善施策としてこの「カジノ誘致」を前面に打ち出す一方、誘致に危惧がないかの府民意識を調査したいのが建前のようだ。

ただこのアンケート結果を、本来の行政遂行目的以外の、いわゆる来春の統一地方選挙に利用され危惧もあるとの府・市議会も多く、この知事の深い思惑がないとは否定できない。

いずれにしても「カジノ誘致構想」が再燃し、大阪が紛糾し出すことは間違いない。
                                      2010.11.17

◆本稿は、11月19日(金)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2100号に
掲載されました。他の卓見も下記から手続きしてご高覧下さい
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆<2100号 目次>
・「大阪カジノ構想」再燃:毛馬一三
・豪州捕鯨反対の真相:渡部亮次郎
・本末転倒『犯人探し』は菅・仙谷内閣の責任隠蔽だ:櫻井よしこ
・表現の自由と入間基地での航友会会長挨拶:阿比留瑠比
・南沙諸島で漁民が漁に出られず:上西俊雄
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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