2009年05月14日

◆白内障手術のすすめ

                 毛馬一三

<本稿は、全国版メイル・マガジン「頂門の一針」5月15日・1547号に
掲載されました>

白内障(はくないしょう・cataract)とは、目の疾患の一つ。白内障水晶体が灰白色や茶褐色に濁り、物が翳んだり、ぼやけて見えたりするようになる。以前は「白底翳」(しろそこひ)と呼ばれていたものだ。

筆者が、大阪市立総合医療センター眼科で白内障の手術を受けたのが、08年12月16日。以来5ヶ月間、手術をした担当医(松川みう医師)から術後の経過検査を4回受けた。

その結果、09年5月12日の診察で同担当医から「手術経過は順調で、これ以上の経過診察の必要なし」と診断され、白内障手術に伴う「経過診察の終了」を告げられた。

にこやかな表情の同担当医から「白内障手術成功」を告げられた時、歓喜が全身を走り抜けた。しかも視力は、術前右眼が0.4、左眼が0.2だったのが、最終診察の時点で、右眼は1.2、左眼は1.5になっているという。眼科医術の進歩に感動した。

60年ほど前だが、50余歳を超えた父が「白底翳」(しろそこひ)で眼科に飛び込んだ時同行したことがあるが、これは老化すれば誰でも患う病だと眼科医にいわれ、何の施しも受けなかったことを、今でも思い出す。それが今となれば手術によって、青年時代の視力を回復出来るのだから、感動以外の何ものでもない。

とは云え経過診察の5ヶ月間、全く不安が無かったのかと言われれば嘘になる。主治医が手術前の患者面談で述べた下記の事項について、終始気になっていた。

・手術では、濁った水晶体を、水晶体を包む袋(水晶体後嚢)を残して取り除き、代わりに眼内レンズを挿入するが、術後、通常は発生しない事態が起こることもある。
・たとえば、稀に病原体の眼内感染症により、視力障害が起こることがある(0.05%)。また眼底からの激しい出血(駆逐性出血)による重大な視力障害が起きることがある。
・緑内障や糖尿病、眼底動脈瘤などの持病のある人が手術すると合併症などの障害が起こる場合がある。
・目に違和感を覚えることがある。
などだった。

術後の経過検査の度に、角膜の炎症を抑え、角膜の乾燥を防ぐ「ヒアレイン点眼液0.1%5mL」と、細菌を殺し、感染を起こしている炎症を抑える「クラビット点眼液0.5%」の目薬を貰い、毎日3回点した。

ところが、この途中に目の中がゴロゴロしだし、あるときは軽い痒みに襲われたため、術後の異常ではないかと思い、急患で診察を受けた。しかしこれは手術経過とは無関係で、擦りによる角膜の少々の傷とアレルギー症の関与だと判り、事なきを得た。

白内障手術を終えた直後に、本誌(08年12月26日 1406号)に「白内障手術の素晴らしさ」掲載しているが、術後5ヶ月間の経過検査を受けた末、主治医から“放免”を言い渡された今になって、あらためて「白内障手術」に感謝したい気持ちだ。

この春は、大阪の大川(旧淀川)河畔の桜並木で、蕾の膨らみから満開にいたる花びらの移ろいを、何十年振りに心ゆくまで楽しませてもらった。今まで全く見えなかった夜空に輝く星座も、遠くに聳える六甲山系(神戸)や生駒山系(奈良)も、鮮やかに目に飛び込んでくる。

今まで、難渋した読書も物書きにも勇躍対応出来るようになったし、高速道路の標識も遠くから識別出来るようになって事故の心配も薄らいだ。とりわけ往きすがりの人をいち早く見分けて欠礼を防げるようになったのは大きな生活の糧だった。

そんな中、筆者の本誌寄稿を読んで、思い切って「白内障手術」にトライしたという6人の仲間からメールを貰った。筆者は、本誌主宰渡部亮次郎氏の励ましで手術に立ち向かったのだが、6人の仲間のいずれもが身近な筆者の体験に心を動かされて飛び込んだのだそうだ。6人とも、術後は快適だという。

白内障手術が支障なく終われば、世の中は一変する。白内障に罹る高齢者にとっては、新しい生き甲斐と感動を覚えることは間違いない。是非、「素晴らしい白内障手術」をお勧めしたい。

幸い筆者には、糖尿病も緑内障もなく、それが「白内障手術」の成功に繋がったことも確かだと、主治医も認めている。

ところが本誌寄稿者の畏友は「白内障手術」予定日直前に「網膜細動脈瘤」が見つかり、取りあえず様子を見ることになったと聞いた。どうか「白内障手術」を受ける際は、専門医と相談し、持病との合併症の可能性や、眼底検査など事前精密検査を受けられることをお勧めしたい。(了)2009.05.13

参考―フリー百科事典ウィキペディア 

■本稿が掲載された全国版メイル・マガジン「頂門の一針」1547号(5月15日)の<目次>は下記の通り。

・岡田代表は千載一遇の好機:古澤 襄
・小澤一郎の勘違い:渡部亮次郎
・西松の25億円は誰の手に:平井修一
・領土問題1ミリも譲るな:櫻井よしこ
・白内障手術のすすめ:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年05月13日

◆「NHKを正す会」へご支援を!

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NHKが平成21年(2009)4月5日に放送したNHKスペシャル シリーズJAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』のあまりにも偏向した内容に驚愕したNHK記者OB2人と同憂の士が語らい、NHKを公共放送の本道に引き戻したいと願って「NHKを正す会」のサイトを創設いたしました。

NHKに対し良識ある国民の思いを突きつけるため「署名サイト」へのリンクも用意しました。NHKが私たちの批判に誠実に対応しない場合は受信料の支払いを停止する計画であり、ご賛同いただける場合は「署名サイト」でぜひともNHKへ「NO!」を突きつけていただきたく、お願い申し上げます。

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11-職業は任意です。

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13-市区町村・番地は任意です

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「NHKを正す会」有志一同
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2009年05月06日

◆絶滅?大阪淀川のイタセンパラ・反響欄も

毛馬一三

薫風溢れる五月晴れの5日の朝、久し振りに大阪淀川河畔を自転車で駆けてみた。大阪都島区の住居近くに、淀川と同河川敷の緑とが融合する広大な自然が在るのは、住民にとりこれに勝る幸せはない。

5年半前まで13年間毎日愛犬シベリアンハスキー犬を連れて走ったこの淀川河川敷。勢い良く流れる淀川の川面と河川敷一面を覆う緑の風景は今も変わらず、心を躍らせられる。川沿いのコンクリート道路を20分ほど疾駆すると「城北ワンド」に着いた。

当時からここを必ず訪ねるようになったのは、国の天然記念物の淡水魚「イタセンパラ」が同ワンドに棲息していることを知ったからだ。お蔭でワンド周辺の佇まいにひときわ親しみを感じるようになった。しかも「イタセンパラ」が、淀川水系以外に富山平野、濃尾平野だけしかいないことがわかると、尚更興味を掻き立てられた。

そのイタセンパラは、全長7-8 cm、最大で12 cm以上。タナゴ類としては比較的大型。体形は著しく左右に扁平で体高比1.9-2.3と体高が高く、オスメス間の体格差はあまりない。寿命は1〜2年。95年に「種の保存法」の国内希少野生動植物種に指定されている。

だが、愛犬が5年半前に逝ってから自転車散策が途絶えたことで、「城北ワンド」とはご無沙汰して仕舞い、不覚にも「イタセンパラ」の認識は薄らいでいた。

ところが何と、国土交通省近畿地方整備局が行った淀川水系の「イタセンパラ」稚魚の調査で、同水系の「イタセンパラ」の稚魚は05年には約500匹が確認されているが、06年から3年連続で1匹も確認できていないことが分かったのだ。

原因を調べて見ると、淀川には70年代、イタセンパラが生息する「天然ワンド」少なくとも100以上あったが、無計画な河川改修でほとんどが消滅。

その後、人工ワンドが造成されたが、83年に淀川河口から10キロ付近の淀川大堰(おおぜき)が稼働したため、環境が大きく変わったのが起因しているといわれる。

絶滅の原因は他にもある。都市化にともなう生活・工業排水による水質汚濁や河川用水路への農薬流出といった要因も重なった。

中でも淀川大堰(おおぜき)の影響で、平時水位が50 cm上昇して、イタセンパラの産卵に欠かせない二枚貝類の繁殖に重要な水深30 cm以下の浅瀬が1/4に減少し、生息が圧迫された。

代わってブルーギルなど外来魚が繁殖し、それら外来魚が減少するイタセンパラを食べて仕舞うという皮肉な結果になったという。

話は戻るが、今回の自転車散策の途中、ワンドに向かって釣りをしている何組かの釣り人に出会った。釣りをしている川面は、5年半前より腐った水草が浮遊して汚れ、ペットボトル・空き缶・玩具・下着などが溜まって、以前の優雅さは失せていた。

そのひと組に「何が釣れますか?」と訪ねたら「鮒や鯉がたまにかかります。でも釣り糸を垂らすだけの日が多いですわ」とのことだった。「川面が昔より汚くなったようですね」と切り出すと、「去年は一度もこの周辺の掃除をしてませんからね」。

国土交通省近畿地方整備局河川事務所では、天然記念物イタセンパラについて、「絶滅とは言い切れないが、極めて危険な状態」と 危機感を抱いているのは確か。

しかも「3年連続で1匹も確認できていなかった先の事態が、09年調査で再び繰り返されれば大変なことになる」として、同局河川事務所にこの4月、学識経験者など10名による「専門家会議」を立ち上げ、5月1日に2回目の会合を開いている。

・08年夏からイタセンパラが産卵できるよう始めたイシガイの放流成果はどうか
・外来魚の駆除徹底をどう進めるか
・疑問視される淀川大堰操作の効果を再考できないか。
・影響を受けない枚方市楠葉地区のワンドで産卵環境を整備する事は可能か

などを検討し、9月〜11月の繁殖期を観察しながら結論を出すそうだ。

こうした中で、民間団体の動きも活発になっている。「琵琶湖を戻す会」(高田昌彦代表)は「待ったなしの緊急事態。1匹でも多く外来魚を駆除しなければ復活はあり得ない」と協力を呼びかけている。

ところが、天然記念物「イタセンパラ」の棲息に関与する自治体が、同記念物の復活を国に任せ切りにして、一向に熱を入れない現実に、極め付きの問題がある。

「イタセンパラ」の復活をめざす「城北ワンド」(旭区)が大阪市にある限り、大阪市が復活運動の先頭に立つことは論を待たない。

74年6月、イタセンパラが文化庁から文化財保護法に基づき国の天然記念物に指定、淀川のワンド群が最大生息地とされたのだが、この記念すべき事実に大阪市は目を外らせている。

しかも行政と保護団体が連携し、環境保全活動や人工ワンド建設などの保護増殖策も実施しなければならない同法の義務も履行せず、これを軽んじていると批判されても、大阪市には抗弁でき無い。

処が、大阪市水道局の水道記念会館でイタセンパラを人工的に孵化させることに成功し保育しているが、この画期的実績を多くの市民には知らされていない。大阪府の水生生物センターでも同様に孵化に成功しているそうだ。

ということは、大阪市がイタセンパラの復活に向けて、本気で国に協力する意思があれば、明日にでも手を打てる筈なのだ。

国松市長は、市民が誇りとする「大阪文化」の育成と堅持に取り組む市政運営に、もっと関心と手配りをすべきではないないか。残念で仕方がない。(完)  09.05.05

参考―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』・毎日新聞

<■本稿は、渡部亮次郎氏主宰・全国版メルマガ「頂門の一針」(5月7日(木)1538号)に掲載されました。同誌(購読無料)は
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<■反響 <渡邊好造氏より>  09.05.06
イタセンパラ、いいですねー。懐かしいですー。

淀川は汚くなったのですね。最近は、電車の窓からしかみたことがありませんでした。一度、川原に下りてみたいものです。

大の釣り好きですが、食べない魚はとりません。イタセンパラは、滋賀県博物館で何回も見ました。淡水魚に関してはこの博物館は日本一でしょう。

これから8月まで、滋賀県野洲川の子鮎・投網漁を楽しみにしています。この川の下流は県の公園で無料ですが、地元の人しか知りません。

ただ、上流で農業用に止水しますので大雨が降り水量が多くないと、子鮎はとれません。我が家から30キロ、約1時間かかるので空振りにならないよう雨と気温とのにらめっこがこれから続きます。

琵琶湖の子鮎は12センチ位にしか育ちませんが、全国の他の川に放流すると友釣りできるまでに大きくなるようです。

エンジン付きのゴムボートで海釣りにもよくいきましたが、重たくて車に積めなくなり、2級ボートの免許証が無駄になりました。ではまた、、、。








2009年04月16日

◆蕪村生誕の大阪に「顕彰公園」

                  毛馬一三

芭蕉や一茶と並んで江戸俳諧を代表する俳人与謝蕪村の「顕彰公園」が、蕪村生誕の地・大阪市都島にこのほど完成した。筆者が本誌(2006年3月9日)にこの建設構想を寄稿してから3年が経つ。

大川(旧淀川)河畔の毛馬橋東詰め北側に造成された1.1ヘクタールの新公園内には、蕪村自筆の13句を刻んだ石碑や広々とした石畳、コンクリートづくりの休憩所、芝生や樹木に囲まれた広場などが設えてある。

特に公園入り口の鉄柵には、蕪村自作の「春風馬堤曲」の写しや自画像8枚のパネルなどを飾り、出奔後、生涯帰省することのなかった生誕地への郷愁の強さを示すことで、蕪村が大阪と繋がりの深い俳聖であることを説明している。

ところが3年前の新公園の設計段階では、公園の一隅に「東屋」を建て、ここに大阪に皆無に等しい蕪村資料を収集展示すると共に、俳句愛好家の発句例会の場所にする計画だった。だが完成した公園にはその「東屋」の姿はない。

だからその「東屋」で「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」「なの花や月は東に日は西に」など、蕪村自筆の名句に直に接しながら、地元輩出の蕪村に誇りを感じつつ、発句例会を定期的に開催したいと願う俳諧同好会の人たちの夢も消えた。

早い話、江戸文化の俳諧の世界に浸る文化施設のイメージとはかけ離れ、むしろ石碑を鏤めて見栄えだけを強調し、石畳の中の憩いの場で一息入れるだけの、典型的な都市型公園になってしまった感は拭えない。

つまり俳聖の顕彰公園であればこそ、17字の使い回しに苦吟しながら発句する、古風な屋根付の空間がどうして設営されなかったのだろうか。俳諧文化顕彰を兼ねた新公園から「東屋」計画が失われたことには、失望を禁じ得ない。

さて、前にも触れたが、俳人与謝蕪村は、享保元年(1716)摂津国東成郡毛馬村(現都島区毛馬町)に生まれた。家は裕福な農家だったが、幼少の頃両親を亡くした事で心身に苦難の日々を送ことになり、20歳の時意を決して出奔、江戸へ出た。

江戸では、早野巴人の弟子として俳諧を学び、師が没した26歳の時から芭蕉の世界を慕って奧羽を放浪。宝暦元年(1751)36歳で京に上って俳諧に勤しむ一方、南宋画家として池大雅と並ぶ名声を得るまでに至る。

天明3年12月25日(1783)、京で68歳の生涯を閉じたが、出奔してからは故郷毛馬村には帰っていない。

だから生誕地への想いは強かったようで、62歳になった時発表した「春風馬堤曲」中で、「淀川をわたり毛馬の堤を通り過ぎる時、薮入りの少女に出会う」というフィクションを綴っている。生誕地への郷愁を同地を訪れる少女に託した筋書きで、「薮入りの寝るやひとりの親の側(そば)」と句を残している。

蕪村の郷愁はそれほど強かったのに、大阪人はずっと無関心。いまだに大阪には蕪村に関する伝承文献は殆ど無く、生誕地に関する資料すら皆無。ましてや京都や東京の収集家などから資料を集める努力もせず、結果的にこれが大阪での「蕪村資料館」不在の原因に結びついているといっていい。

だとすれば今回2億5000万円もつぎ込んで「蕪村公園」を造営した機会に、当初の計画通り「東屋」を作り、「蕪村資料館」と兼務運営させることで、過去の文化行政欠落を猛省し、以後大阪文化の継承に果敢に挑む意欲を示すべきだったのではないか。

大阪市は「蕪村公園」の完成日時を4月1日だしているが、その完成の事実と日時を公表しておらず、オープンセレモニーも全く行っていない。勿論市のホームページにもそのことを掲載していない。

平松市長は、新設した「与謝蕪村顕彰公園」で地元住民の他、俳諧同好会の人々を集めて改めて同公園オープンセレモニーを開催すべきであろう。

「蕪村顕彰公園」の完成が、小中学生の国語・歴史教育に役立つことは言うまでも無く、蕪村俳諧に魅せられた全国の蕪村ファンを招く集客にも繋げられると思われるのだが。
(了)2009.04.16

■本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1515号(09年4月16日)に掲載されました。

<1515号目次>
・小沢一郎のルーツ:渡部亮次郎
・スイスの秘密口座から2兆円脱出:宮崎正弘
・蕪村生誕の大阪に「顕彰公園」:毛馬一三
・プーチン親分、お土産は?:平井修一
・緒方ありせば:古澤 襄

・話 の 耳 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年04月09日

◆「黄砂アレルギー」にご注意

                  毛馬一三

喉に違和感を覚えるようになったのが3月中旬の頃。花粉症歴の無い筆者にとっては、軽い風邪症状の一種かなと思って余り気にも止めていなかった。ところがとんでもない。次第に喉の違和感が痛みを伴うようになり、咳も痰も出るようになった。

しかし発熱は無いので、夜の仲間の会合に参加し3時間ほど懇談したところ、なんと就寝直前から声が嗄れ出し、喉の痛みも増してきた。

そこで3月25日、慌てて近くの内科診療所に飛び込んだ。内科医は喉の症状を見た途端、「炎症がひどいですね」という。「原因は?」と訊いたら、「飛来してくる黄砂の黴によるものと思われます。花粉症ではありません」と教えてくれた。

同医師によると、黄砂によるいろんな健康被害で訪れる患者が、いま急増しているという。同医院から、

・抗生物質―フロモックス錠100mg(毎食後1錠・3日間分)
・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、痰や鼻汁を出しやすくする薬―ムコダイン錠500mg(毎食後1錠・7日分)
・胃薬―セルベックスカプセル50mg(毎食後1カプセル・7日分)の薬を貰った。

だが、マスクを付けて外出を余儀なくさせられた1週間が過ぎても喉の炎症と咳、痰共に治まる気配が無い。再診の結果、まだ喉の炎症は完治してないと診断され、改めて下記の薬を貰った。
・咳を鎮める薬―メジコン錠15mg(毎食後2錠・7日分)
・痰や膿を薄めて、出しやすくする薬―クリアナール錠200mg(毎食後1錠・7日間分)
・炎症を抑えて腫れや痛みを和らげる薬―ダーゼン5mg錠(毎食後1錠・7日分)
・SPトローチ0.2mg(28錠・1日4回)
・アズノールうがい液4%(5ml・1日4回)

2度目の薬を飲んだり、うがいを励行して更に1週間が経過した4月7日になって、ようやく喉の痛みや違和感がなくなり、咳と痰も出なくなった。

喉にこのような強度な症状が出たのは初めてのことだ。しかも気にはなっていた飛来の黄砂が原因だとわかって、大気汚染による黴を含んだ黄砂を発生させる中国に無性に腹が立った。

話は後先になったが、<黄砂(こうさ)とは、中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂嵐などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛来し、地上に降り注ぐ気象現象。あるいは、この現象を起こす砂自体のこと>である。
細かい砂の粒子や、粒子に付着した物質、黄砂とともに飛来する化学物質などにより、さまざまな健康被害が生じる。

即ち、咳、痰、喘息、鼻水、痒みといった呼吸器官への被害や、目や耳への被害が目立つ。黄砂が多い日には、花粉症、喘息、アトピーなどのアレルギー疾患の悪化が見られる。>という。 参考―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花粉症で悩まされるだけでなく、黄砂アレルギーで健康被害を煩わされるのでは、堪ったものではない。ところが肝腎の黄砂による呼吸器官への被害が、今年から俄に増えていることはあまり知られていないようだ。

黄砂の飛来が顕著な九州では既にこの被害が問題化しつつあるようだが、関西は勿論、全国に広がるのも時間の問題ではないか。もし喉などに異常を感じたら、医療機関の診察を早めに受けられることをお勧めしたい。(了)     2009.04.08

■主宰者よりー本稿は、全国誌メルマガ「頂門の一針」1508号(平成21年4月9日・木)に掲載されました。ご案内と共に同誌に掲載されたその他の著名寄稿者の卓見もご拝読下さい。

■<1508号目次>

・テポドンよ何処に: MoMotarou
・全世界で500兆円は張りぼて?:宮崎正弘
・明晰過ぎた宮澤喜一:渡部亮次郎
・「黄砂アレルギー」にご注意:毛馬一三
・円相場が100円に逆戻り:前田正晶
・お江戸のぶらり散策(6):平井修一

・話 の 耳 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

■御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp

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2009年03月24日

◆大阪「新都心移転構想」の挫折

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が政治生命を賭けると称して2月定例大阪府府議会に提案していた「府庁舎を大阪南港のWTC(ワールドトレードセンタービルディング)に移転する条例改正案」が、3月24日未明の本会議で否決された。

焦点の「WTC移転のための条例改正案」の採決は、出席議員112名が無記名投票の結果 、賛成 46 反対65 無効1で、賛成が可決に必要な3分の2(75名)にも達せず、否決された。

さらに同条例案に伴う「ビル購入費103億円を盛り込んだ補正予算案」も、議長を除く111名の無記名投票の結果、賛成 40 反対69 白票2で、賛成が過半数にも至らず否決された。この結果、橋下知事の大阪の「新都市創生構想」は、もろくも頓挫してしまった。

筆者は、橋下知事が目指す同構想の実現に困難性が多いことを指摘した「大阪府の新都心構想は頓挫?」を、3月9日の<全国メルマガ「頂門の一針」1469号>に寄稿した。その後府議会ではかなりの曲折はあったものの、やはり当時の読み通りの結果に終わった。
<記事内容― http://www.melma.com/backnumber_108241

つまり大阪府の橋下知事が「関西再生の起爆剤」と位置づけていたWTCに府庁舎を移転し、大阪湾ベイアリアに新都心を設けて一大関西都市圏を創生したい「知事の夢」は、消えた訳だ。

知事は、記者団に「完全燃焼、悔いはない。僕の感覚が(府民感覚と)ずれていた」と心境を沈痛に語り、条例改正案と補正予算案共に、賛成が過半数にも達せず否決された想定外の事態に驚きと自戒を吐露した。

その上で知事は、「(大阪の変化を)止めないようにするのが僕の役割」と語り、府政改革には引き続き挑戦する決意を追加することを忘れなかった。
ところが各メディアは一斉に、「橋下知事は今回大きな痛手を受け、府政運営に影響が出るのは確実」と悲観的な見方を下した。

しかし、これらの論評は的を射ているとは思えない。

何故なら1年目を迎えた橋下知事は、過去の知事経験者とは全く異なる政治判断と、したたかな計算に基づいて府政運営に立ち向かっている。その一つが、国が認めないことを承知の上で喧嘩をしかけ、府民をふくめた世論を喚起しながら、事の成就を目指すという手法で幾つもの実績を上げている。

道路整備やダム建設など国直轄事業への地方負担金の支払い拒否をはじめ、独立行政機関の教育委員会を揺さぶって児童・生徒の学力テスト公開を迫り、全国の地方自治体を先導する役割を果たしてきている。今や国に対し地方分権を唱える急先鋒の旗手となっていることも事実。

ところが今回の「WTC移転構想」が挫折した背景には、知事が不覚にも気が付かなかった幾つかの事由があったと府議会関係者・専門家らは指摘する。

i)大阪市が破綻させたWTCに府庁舎を移転させることで、大阪府が大阪市代わってベイエリアの開発・再生を進めることは不合理で、かつ経済発展を図るという「都市整備構想」の説明が不十分
i)WTC建物の耐震強度、WTC周辺の湾岸埋立地の安全性についての説明が欠如
i)売買双方(大阪市・大阪府)がWTCの売買価格について異例の共同鑑定を行い、大阪府が買い易いように仕組んだのは、紛れもない“出来レース”?
i)WTCへの移転による経済効果を7,802億円としたのは、現実性と合理性に乏しい

つまりこうした疑問や反発の噴出に対して、十分な説明を関係者に行わず、移転構想そのものを独自に先行させ過ぎたのは、関係者軽視の「拙速」そのものであり、これが知事案を否決する主因になったとされる。

さらに、「否決」という最悪の事態を招いたのは、知事支持の世論を背景に府議会各会派を味方につけることはさほど難しいことではないという、直截な考えに知事自身が支配されていた気配が濃厚なこともある。早い話、議会との折衝不足が災いした結果を意味する。

しかし、このことに早くも知事は気づき、議会対応の重要性を側近に漏らし、今後の府政運営は、世論形成とともに府議会との折衝に重点を置く必要性の意思を伝えたといわれる。

こうした事態の改善に乗り出す決意を知事が固めた以上、今後の府政運営が今回の「否決」のシコリを引き摺ったまま、困難に直面するとは考え難い。

一方、知事が議会重視に転換すれば、議会は知事の考えに真摯に耳を貸すことは吝かではないと、複数会派の幹部が漏らすこともそれを裏付ける。
各メディアが「知事は府政運営の困難に直面する」という論評が的外れなのは、こうした理由からだ。


橋下知事は、新しい視点に立った「関西再生の奇抜構想」を準備中との情報もある。知事が例え政治生命を懸けたWTC府庁舎移転構想を頓挫させたとしても、近々これに代わる新たな「関西再生プロジェクト」を打ち上げる可能性は高い。(完)2009.03.24

■<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1489号
平成21年3月25日(水)「夕刊」に掲載されました>。

<同号 目次>
・小沢氏、代表続投の意味:花岡信昭
・大阪「新都心移転構想」の挫折:毛馬一三
・中国の通貨覇権の野心:宮崎正弘
・北朝鮮に強い圧力が必要:櫻井よしこ
・心臓移植患者の9割が生存:石岡荘十

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2009年03月09日

◆大阪府「新都心移転構想」は頓挫?

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が、就任2年目を迎えて初の苦境に直面している。

橋下知事が、政治生命を賭けて取り組むとまで宣言して2月定例大阪府議会に提案した「府庁舎移転条例改正案」が、議会各会派の強い反発を受け議決される見通しが立たなくなってきたからだ。

府庁舎移転条例改正案とは、大阪南港にある大阪市の第3セクター・WTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング・高さ256.0m、階数55階・地下3階、延べ面積150.000uの日本第3位の超高層ビル)を、大阪市から買取り、そこに大阪府庁舎を移転するというもの。

この超高層ビルへの移転により、周辺のベイエリアを行政機能と絡ませて「人、モノ、情報が行き交う関西のビジネス交流戦略拠点」とすると共に、ベイエリアをアジアの一大物流拠点とする国の事業とも連動させながら、「新都心」創造を目指していくというのが主軸だ。

この移転構想に関連し、大阪府はこの移転が実現すると、経済波及効果は7,802億円になるという、府関連研究所の試算を既に明らかにしている。

橋下知事は、この条例改正案とともに、WTCの購入費として約103億円を盛り込んだ補正予算案も提出した。これについて橋下知事は、冒頭の府政方針演説で、「この移転構想こそが大阪から時代を動かすことの象徴」と強調、併せて「この一点(WTC移転)が崩れると、すべてが崩れる」と訴えた。

ところが府議会各会派は、同移転案は「ことごとく破綻し、大阪市が撤回したはずの臨海部開発計画の“焼き直し“に過ぎない」と一斉に反発。更にはベイエリアに新都市機能を創生し、大阪経済を活性化させる肝腎なビジョンが欠落、安全性・経済波及効果もズサンだとして、移転には同意できないとの空気が急速に高まっている。

一方、まちづくり、防災などの専門家からも、疑問の意見が相次いでいる。
<問題なのは、府市が共同で発表した都市構想案が非常に時代遅れなことだ。この構想案を読むと、関西空港の時とほとんど同じように、移転すれば周りにコンベンション施設ができるとか、情報発信できるとなどとしているが、そんなこと全く関係ない。

都市構想は本来、時間をかけて、今の大阪に何が欠けていて、大阪を何で再生させていくのかを分析して、そのために何が必要かを考えないといけない。そこから物事を考えないと、時代遅れそのものだ>。(まちづくりプランナー・高田昇さん)

また防災についても、<WTCのある人工島が大規模災害時には陸の孤島になる」とした上で、防災上は長所より欠点の方が多いので移転は止めるべきだと指摘する>。(京都大防災研究所河田恵昭教授)

時期は前後するが、過去犬猿の間柄だった府知事と市長が、民間出身同士で親密になったことから、両者間で異例の共同鑑定を行い、売買価格の調整をしたことが明らかになったことで、常識では考えられない「出来レース」だと批判があったことも、議会開会と共に改めて批判の俎上に上った。

更に、ここに来て新たな火種が芽生えた。平松大阪市長が5日の記者会見で、「府議会が今議会で結論を出さなければ、3月末を超えて府との協議が続くことはない。WTC売却は白紙にする」と発言したのだ。

これには府議会各会派は面白くない。本来大阪ベイエリアの整備と、周辺の都市整備は政令都市の大阪市に課せられた責務であって、大阪府議会にその帰趨と責任を委ねるのは筋違いも甚だしいという反発だ。知事与党会派の幹部は、こう反論する。

<WTCへの移転構想は、本来、大阪市が都市構想などを明確にし、その上で大阪府に庁舎移転を持ちかけてくるのが筋だ。市長は何か勘違いしているのではないか。橋下知事自身が大阪市に、早く結論を出さなければ打ち切るというのなら話は通るが、話が逆転している>
と、府議会に責任を負わせる市長発言を痛烈に批判する。

<大阪市がやらないなら大阪府がやろう、大阪府が大阪市に取って代わるとかいうことではなく、大阪市が主導的役割を果たしながら、大阪府が後押しをする。これが出来てこそ、知事の言う「歴史上かつてない新たな関係」が生まれるのではないか>
と、同与党幹部は、在るべき大阪府の立場を強調する。

いずれにしても、WTC移転による「新都心構想」に対する府議会各会派の反対の姿勢が収まる気配は無い。この条例改正案を議決するには112の定数の3分の2の賛成が必要だが、議会関係者によると、賛成は多く見ても50人前後。3分の2には満たない情勢だ。

となると橋下知事の悲願は、余程の変化が無い限り、頓挫するという公算が強まっている。

つまり移転案が議決されないと、府がWTCビルを買い取ることができなくなる。そうなれば、大阪市のシミュレーションでは、WTCはこの9月に2次破綻を迎えることは変わらない。(了)2009.03.09


2009年02月28日

◆梅に集う「秘鳥 メジロ」

    毛馬一三

<■本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」3月1日号(日)に掲載されました。同誌をお読みになりたい方は、本稿末尾から手続きしてください。>


大阪の中心部を横切る大川(旧淀川)の河畔や近郊の大阪城公園では、例年よりかなり早く、いま梅の花が満開となっている。

その梅の花をめがけて沢山のメジロが寄り付き、早春の日差しの中で、「チーチュルピーチュルチーチュル」とせわしく鳴きながら動き回っている。間近に迫る春本番を告げているように映り、何ともいえない安らぎと和みを与えてくれる。

<メジロは、スズメ目メジロ科に属し、低地から山地に生息する留鳥。西日本の常緑広葉樹のある暖地に多く生息している。北海道には少なく、寒地や山地のものは、冬になると暖地へ移動する。
 
全長約12cm、翼開長18cmになるスズメよりも小さな小鳥。上面はウグイス色で、目の周りは白く、下面は喉が黄色く、他は汚白色で、脇が栗色。
 
花や木の蜜や、柔らかい木の実、昆虫、カキの実なども好んで食べ、幹にとまって染み出した樹液を吸うこともある。近年では、市街地でも繁殖する例が増えている>。(そらいろネット)

ところが筆者にとって、このメジロと毎年身近に接することが出来るようになったのは、実はご当地・大阪大川河畔近くに住むようになってからのことだ。中々お目に掛かれなかったメジロとの出会いは、万感胸に迫る感激以外の何ものでもなかった。

生まれ育った郷里の福岡筑後地方は、まさに「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」の通り、自然風光に恵まれた穀倉地帯の土地柄だったため、幼少の頃は梅の木の茂る山間に足しげく通い、「メジロやうぐいす獲り」などに夢中になったものだ。

しかし、囮のメジロを入れた鳥篭にトリモチを仕掛けて、山間に半日間潜んでいても、メジロは姿を見せないばかりか、やっと現れても囮籠は見向きもせず飛び去るばかり。子供心にこれほど悔しかったことは無い。メジロは「珍鳥」どころか、まさに「幻の鳥」だった。

その「幻の鳥」が、なんと住居内の眼前の梅ノ木に複数羽で幾度となく現れるのを目撃した時は、「奇跡」ではないかと吾が目を疑った。ウグイス色、目の周りが白い姿のメジロは、幼少時代の様々な思い出までも運んでくれたのだ。

以来、メジロは梅ノ木の花の咲く頃の「季節の常連客」となり、わが屋の家族の心を捉えた「秘鳥」となったのである。

最近メジロは、市街地でも繁殖する例が増えているとのことだが、「鳥」も「昆虫」も、そして「天然魚」も、以前とは生態系に大きな変化を来たしているのではないという気がして成らない。

生態系で思い出したが、九州での盛夏の「蝉」は、ニイニイゼミから鳴き始め、アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、そして秋の到来を告げるツクツクボウシの順で、夏の主役を務める。

ところが、ご当地大阪では「クマゼミ」がひと夏を独り占めして、他の蝉はその姿の片鱗すら見せない。蝉に関する限り、大阪は実に寂しい生態系と言わざるをえない。

さて近所の友人が、ベランダに輪切りにした「みかん」1個を盆栽の「梅ノ木」の花の横に置いてみたところ、目聡いメジロが一羽偵察に訪れ、安全と珍味を確認したのか、もう一匹のメジロを呼び寄せ、なんと「つがい」で味見をして飛び去ったそうだ。

友人が、室内からデジタルカメラで苦心して撮影したメジロの写真を見せてもらったが、じっくり見るとやはりメジロは、梅の開花期に現れる文字通り「珍鳥」の王者だ。その上幼少時代のことまで思い出させる「秘鳥」そのものでもあった。(完)
2009.02.28
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■メイル・マガジン「頂門の一針」 1459号 平成21(2009)年3月1日(日)
<同号目次>
・依然江沢民派が抑え込む中国軍:宮崎正弘
・新しい保守政治の構築を:古澤 襄
・襲来!糖尿病との闘い:渡部亮次郎
・梅に集う「秘鳥メジロ」:毛馬一三
・メジロ捕りで捕まった大臣:渡部亮次郎

・話 の 福 袋
・反     響
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2009年01月26日

◆地下に眠る「太閤大阪城」


                        毛馬一三

国の特別史跡に指定されている大阪城が、実は「太閤秀吉築城の大阪城」ではなく、総てが「徳川大阪城」だと知る人は、意外に少ないのではないか。

では秀吉が、織田信長から引継ぎ築城した元々の「大阪城」は一体どこに姿を消したのか。それは追々―。

橋下徹大阪府知事が、大阪城大手門の真ん前にある大阪府庁舎を大阪南港のWTC(おおさかワールド・トレード・センター) へ移転する構想をブチ上げ、 眼前に聳える大阪のシンボル「大阪城」と敢えて決別する意向を示したことから、「大阪城」の歴史的価値を巡る議論が活発となった。

それに纏わり浮上したのがこの話題だった。「聳える天守閣は昭和初期に再建され、城の堀は徳川方によって埋められたことは承知していたが、だからと言って秀吉大阪城の城跡が些かも無いとは全く知らなかった」云々である。大阪城への朝の散歩を日課とする人々や大阪府庁の知人らからも、異口同音に同様の返事が返ってくる。

朝の小雨が上がり、陽光が漏れ出した23日の昼ごろ、大阪城周辺を車でゆっくり周回してみた。

天満橋から大手前、森の宮、新鴨野橋と城郭を一周する道筋からは、「大阪城の高い石垣と深い堀」が、雨滴の葉が陽光を跳ね返す樹林の間からと、大きく広がる視界の中から歴史の威容を誇らしげに見せ付ける。特に大手前周辺の高さ32mもある幾重もの「反りの石垣」には、当時の石垣構築技術の進歩の姿を覗かせる。

大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた徳川家康は、同戦いの2年後(1616)死ぬが、家康遺命を受けた秀忠が、元和6年(1620)から寛永6年(1629)までの10年3期にわたり大阪城を大改築する。その時徳川の威令を示すために、「太閤大阪城」の二の丸、三の丸を壊し、総ての「堀」は埋め、「石垣」は地下に埋め尽して、豊臣の痕跡をことごとく消し去ったとされている。

車で周遊しながら眺めた大阪城は、総て「徳川の手になる城郭」だったのだ。では「太閤大阪城」は、地下に眠ったままなのか。

「大阪城石垣群シンポジウム実行委員会」の論文をみると、そこに「太閤大阪城」が地下に埋められたままになっていた遺跡の一部を発掘した調査記録が下記のように書かれていた。

<地下に埋蔵された「太閤大阪城」の石垣を最初に見つけたのは、大阪城総合学術調査の一環として大阪城本丸広場で行われたボーリング調査だった。昭和34年(1959)のことである。天守閣跡の南西にあたる地下8m から「石垣」が見つかったのだ。

4m以上も積まれた石垣で、花崗岩だけでなく、様々な石を積み上げた「野面積み」だった。「野面積み」は、石の大小に規格がなく、積み方にも一定の法則が認められないもの。当時城郭作りの先駆者だった織田信長が手掛けた安土城の「野面積み」工法と同じだったことから、秀吉がその工法を導入して築いた「石垣」と断定された。

それから25年後の昭和61年(1986)になって、再び天守閣跡の南東部の地表1mの深さから地下7mまで、高さ6mの「石垣」が発見されている。

この石垣も「野面積み」だったうえ、その周辺で17世紀初頭の中国製の陶磁器が火災に遭って粉々の状態で見つかったことから、大阪夏の陣で被災した「太閤城」の「石垣」であると断定される2回目の発見となったのである。

両「石垣」の発見場所の位置と構造を頼りに、残された絵図と照合していくと、この「石垣」は本丸の中で最も重要な天守や、秀吉の家族が居住していた奥御殿のある「詰め丸」と呼ばれる曲輪(くるわ)の南東角にあたることが明らかになったのである。

地下に消えた「石垣」は、切り石が少なく、自然石や転用石を沢山積み上げたもので、傾斜が比較的ゆるい、「徳川城」とは異なる「反り」の無い直線だった>。

第3の発見は偶然が幸いした。現在の「大阪城・西外堀」の外側の大阪城北西で、平成4年に大阪府立女性総合センター建設の際の発掘調査で、地下から長さ25m に亘る「太閤大阪城の石垣」が出現したのだ。同石垣は、いま同センターの北の道沿いに移築復元されている。

何よりもこの発掘の価値が大きかったのは、今の大阪城郭から離れた外側の場所から「石垣」が現れたことだ。それは「徳川城」よりも「太閤城」の方が遥かに規模の大きかったことの証であり、今後の調査で城郭外から新たな「太閤大阪城」が出現する可能性を引き出したことだった。

地下に眠る遺跡の発掘調査は、エジプトやイタリアなど文明発祥地でブームになっているが、現在進められている大阪市の大阪城発掘調査で、「天下の台所」の基礎を築いた「太閤大阪城」の遺跡が、今の城郭外から見付かることを期待したい。

橋下府知事の府庁舎移転構想の議論は、図らずも面白い話題までも引き出してくれたものだ。(完)
                          2001.01.23

2009年01月16日

◆どうなる「大阪都心移転構想」

(本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1426号・1月16日(金)に掲載されました。同号目次は、本稿の後に紹介)
                       
                   毛馬一三

「暴れん坊将軍」ならぬ「暴れん坊知事、官と戦う」というタイトルで、橋下徹大阪府知事と堺屋太一氏(作家・元経済企画庁長官)との対談が、文藝春秋(2月特別号)に載った。

堺屋太一氏との対談なら橋下知事は、知事就任以来この1年間に誰にも漏らさなかった「本音」を、誰憚ることなく吐露しているに違いないと思いページを繰った。

ご承知のように堺屋太一氏は、橋下知事が08年1月27日の大阪府知事選挙に出馬した際、関西財界や与党政党との繋ぎ役をしたほか、自ら橋下陣営の陣頭指揮を執った後ろ盾で、橋下知事にとっては知事誕生の“恩人”いうべき立場の人物だったのである。(本誌08年1月10日号「大阪知事選を左右する人物!?」掲載)

予想に違わず、堺屋氏の絶妙な話術に導かれて、知事1年間の努力の成果を揚々と語っている。

特に、小中学生全国学力テストデータの公開をめぐり、文部科学省に「バカ官僚」と過激発言をして国の官僚と戦った上での教育改革の成果や、大胆な財政改革の強行実施内容を明らかにし、1年目知事としても並みの知事でないとの世間の評価を裏付けている。

ところが、筆者だけでなく多くの読者は、橋下知事が2年目から政治目生命をかけて挑むと最近強烈にブチ上げている「大阪府庁舎を移転」して、新しい「大阪都心を創造する構想」が、同誌上で一言も触れられていないのにはいささか拍子抜けしたのではないか。

注目される「府庁舎移転による新都心構想」とは。

事のきっかけは、橋下知事が08年8月に大阪南港にある大阪市の「破綻第3セクター・WTC (大阪ワールド・トレード・センター)」を買収し、そこに大阪市中央区大手前にある今の大阪府の庁舎をそっくり移転する構想を発表したことが始まりである。

WTC へ庁舎移転すれば、関西国際空港や神戸港へのアクセスの良さや、周辺に利用可能な空き地が多いことなどの有利な立地条件を活用して、企業誘致や港をフル使った輸出入港湾事業の拡大を導けば、大阪経済を一挙に再建できる「新都心」の創造を可能に出来ると言うのが、知事の持論だ。

年が明けた09年1月9日に橋下知事は、府庁内に職員による「庁舎移転構想推進チーム」を結成。2月大阪府議会に提出する新都心構想や、移転先の防災課題を盛り込んだ「庁舎移転議案」の具体的な検討に入ったのである。こうした動きで大阪では、いよいよ「移転構想」が現実課題として捉えられるようになってきた。

ところで移転先に挙げられたWTCとは、どんなものなのか。

WTCは、95年に大阪市が総事業費1193億円をかけて完成させた高さ256.0m、階数55階・地下3階、延べ面積150.000uの日本第3位の超高層ビル。  

ところが、同ビルへのアクセスの不便やバブル崩壊で大阪市が計画した周辺の開発が一向に進まなかったため、同ビルへのテナントが集まらず、大阪市は04年2月に特定調停を成立させて再建を進めていた。

この間入居率が低迷したため大阪市は、市港湾局や建設局など市役所5局を同ビルに移転入居させる対策を取っており、WTCは「大阪市役所第2庁舎」などと揶揄されていた。そこへきてこの橋下知事の「府庁移転構想」が飛び出したことから、大阪市は歓迎の姿勢を示した。

とは言えこの移転構想に対して、大阪府民の間では、賛否両論が渦巻き出した。賛成論は、「庁舎移転」によって、南港周辺に大手企業、商社、金融機関が進出するようになれば、「新都心」が現実のものになるほか、これまで過疎状態だった今の都心から南港へ通じる東西軸の街並みの活性化が期待できるため、大阪が息を吹き返す大きなチャンスになると知事案に賛意を見せている。

知事がこの構想を打ち上げた直後には、京阪電気鉄道が今ある京阪中之島線をWTCまで延伸の検討を開始したことを明らかにするなど、財界では知事構想支持の動きも目立ってきている。

これに対し、消極論もしくは反対論は、
・大阪の北西端に位置するWTC へのアクセスの不便は、府民にとって
時間と経費が嵩み過ぎて通うことが難しく、府政運営の妨げるとなる。
・大阪市が計画して実現できなかった南港の開発を、この新都心構想で再起させることは困難。
・南港からの輸出入の増大は、隣接する神戸港や韓国釜山港のハブ港と競合するため、その実現までには時間が掛かりすぎる−等々である。

一方、知事発案ののち、大阪市のWTCの最新の評価額が153臆円に対して、大阪府の評価額が95億円と58億円もの差があることが明らかとなり、ひとまず橋下知事に歓迎の姿勢を示していた大阪市も、この評価額の差にどう応じるか迷っている状態だ。

最大の難関は、大阪府議会で知事提案の「移転構想議案」が可決されるのには議員3分の2の賛成が必要とされるが、議会筋によると定員112人のうち今のところ賛成派はほぼ半数程度で、議決に漕ぎ着けられるかどうかは極めて困難な情勢だという。

こうした情勢を敢えて踏まえながら橋下知事は、この「移転構想」を実現させることが大阪の生き残りを託す不可欠な課題であることの不変の決意を、広く府民に理解を得るため各地で府民集会を開いていくという。

将来を担う子供たちの教育改革を全国に先駆けて提唱、実績を残した知事が、就任2年目を迎えるこの2月から知事の政治生命をかけて進める「構想実現」の議論は、一層盛んになることは確実だ。(了)
参考・フリー百科辞典「ウイキぺディア」

■本稿が掲載された全国版メルマガ「頂門の一針」1426号・平成21年1月16日(金)の目次は下記の通りです。

<1426号 目次>

・どうなる「大阪都心移転構想」:毛馬一三
・自慢の最新鋭ジェット機が墜落:宮崎正弘
・オバ政権の外交政策:翻訳:平井修一
・建築の未来・ BAU 2009:永冶ベックマン啓子
・アメリカ人はキャジュアルか:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年01月06日

◆新年早々の感動

毛馬一三

<本稿は、全国版メイル・マガジン「頂門の一針」1416号・1月5日(月)に掲載されました>

長男から、「快気祝い」と称して、正月4日の早朝から車で連れ出された行き先が、30余年ほど前の思い出に胸震わせることになろうとは、予期もしないことだった。

正月元旦の恒例家族祝い会の席上、昨年暮れ受けた「白内障の手術」のお陰で、筆者が青年時代の視力と気力を取り戻した話を聞いた長男が思い巡らせて、このお祝い企画をしてくれたのだった。(「頂門の一針」08年12月26日号に「白内障手術の素晴らしさ!」で掲載)。

長男の運転する車は、筆者と家内、長男家族を乗せて、国道1号線を京都方面に向かい出した。時折訪れる兵庫県有馬温泉とは方角が違う。何処に向かうのだろう。行き先は「お楽しみ」と言って、長男は頬を緩めるだけだ。

早朝からの好天の所為もあって、国道1号線沿いに立ち並ぶ街並みの立体感と鮮やかな色合いが両眼に吃驚するほどの鮮やかさで飛び込んでくる。5年間も続いた深刻な視力の悩みは、見事に何処かに失せて仕舞った。霞目からの脱却は、予想を超えたマジック世界への転入のようだ。

古色蒼然とした昔のままの守口市役所の庁舎を眺めながら進んだ後、松下電器からパナソニックに社名を変更したばかり同社前で、これを誇示するカラフルな巨大看板の林立が目に入る。30分程走った後、「木屋」と示された道路標識を見て右折して、東に向い出した。

道幅の広い道路をしばらく進むと、私鉄京阪電車 の「香里園駅」前に出た。駅の手前を左折して、急な坂道を登り始めた。「成田山神社」への初詣かと思いきや、そちらには向かわず直進する。


見覚えのある景色が次々と現れ始め、そのあとから記憶が付いてくる。大きなゴルフ練習場も左手に広がって見えた。「親父ここだよ」。長男がバス通りを右折して、すぐ車を停めた。見れば、3階建ての瀟洒なマンションの佇まいの前だった。おお!32年振りに見る、昔の棲家じゃないか。

この「NHK香里園職員寮」は、当時5階建て2棟だったが、今は3階建ての1棟だけに建替えられていた。駐車場のある広い庭と子供がたむろし遊べる広い敷地もあったが、それも手狭になっている。

そういえばこの寮には、本欄主宰の渡部亮次郎氏が、筆者の上階3階に住んでいたことを思い出した。当時の若々しい渡部氏の姿が再び目の前に現れるよう気がして、懐かしさが澱みなく込み上げて来る。30余年前へのタイムスリップだ。

今や著名なカメラマンの網代守男氏も、隣の棟に住んでいた。生方アナ、島村俊治アナ、井上善夫アナなどもここにいた。


NHK政治部の中核だった渡部氏が、どうして大阪放送局の「香里園寮」に住むようになったのか、田中角栄に左遷されたというおぞましい経過や心の闇まで知る由も無かった。そんなことよりも30余年前の当時は、後輩記者たちにとり、熟練政治記者の渡部氏の鋭利なセンスによって、放送前の原稿を手直してもらえるのが無常の喜びであったことを思い出す。

35年ぶりの感動は、筆者だけに留まらない。小学高学年から中学3年まで近郊の学校に通った長男も、PTAを通じて近隣の親と親しくなった家内も、「香里園寮」を眺めたり、近隣に現存する1戸建ての表札を見ると、思い出もひとしおのようだった。

「もうひとつ行く先があるよ」。長男が向かったのは、「香里園寮」を下って住宅街を抜け、30年前見たことのある鬱蒼とした竹林の方角だった。

広大な竹林な中に車を入れていくと、高台に天然温泉「香里・長者の湯」があった。長男は快気祝いの締め括りを、ここ癒しの天然温泉に案内したかったようだ。

地下1200m から湧き出る温泉で、泉温37度。分あたり湧出量485リットル。泉質ナトリウム 塩化物温泉などが多く含まれる療養泉だという。神経痛、関節のこわばり、慢性消化器病、慢性婦人病等に効果があるそうだ。

関西最大級の広さを誇るというだけあって、高台に聳え目を見張らせていたあの大規模竹林の自然を巧みに活かした温泉ではあった。

入浴客は、正月休み最終日のためか超満員。天然温泉のかけ流し「露天風呂」や「漢方薬草塩サウナ」等、男性16、女性6の浴場は、いずれも順番待ちの混みようだった。

陽は照っているとはいえ外気は冷え切っている。身震いしながら素早く「露天風呂」に浸かると、体だけは十分温まり気分は最高。

30余年ぶりの思いがけない香里園の訪問だったが、様変わりした竹林の下での温泉で、懐かしき思い出に浸りながら心身ともに癒せたのも、正月早々から身に余る喜びだった。(了)

◆本稿が掲載された全国版メイル・マガジン「頂門の一針」1416号
(平成21(2009)年1月5日(月) )の目次は、下記通りです

<目次>
・米国経済構造の欠陥(1):前田正晶
・ハマス・ロケットは中国製:宮崎正弘
・インドネシア独立を支援した皇軍:平井修一
・独で飛んでるジロコプター:永冶ベックマン啓子
・新年早々の感動:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
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2008年12月26日

◆「白内障手術」の素晴らしさ!

毛馬一三

<本稿は、全国メルマガ「頂門の一針」1406号・12月26日(金)に掲載されました。詳細は下段をご高覧ください>

・「白内障手術」を受けるため、8日間入院したが、今週初めの22日、無事退院を果たした。退院直後に驚いたことは、想像を遥かに超えた驚くべき視力を取り戻せたことだった。

白内障(はくないしょう・cataract)とは、目の疾患の一つ。白内障水晶体が灰白色や茶褐色に濁り、物が翳んだり、ぼやけて見えたりするようになる。以前は「白底翳」(しろそこひ)と呼ばれていたものだ。

視力低下を自覚して診察を最初に受けたのは4年程前。「今後の症状を見ながら、手術の時期を考えましょう」という診断だった。

ところが、昨秋頃から視力低下が急速に進み、読書や文章綴りにも支障を来たすようになってきたばかりか、遠近両方ともに視界がぼやけ出して車の運転もままならなくなり、気分を落ち込ませる事態となってきたのである。

更に今年9月頃からは症状が更にひどくなり、11月上旬「大阪市立総合医療センター眼科」での診察の結果、「入院ベッドが空き次第、即手術を行いましょう」という診断が出された。この時の矯正視力は、右眼0.4、左眼0.2だった。

待機すること1ヶ月余りの12月15日、遂に入院した。入院初日、再検査の後、主治医(松川みう医師)から下記のような「手術に関する説明」を受けた。

1)白内障の視力低下は水晶体が濁っているために起こるもので、濁りを透明にする薬はないため、手術しかない。

2)手術は、濁った水晶体を、水晶体を包む袋(水晶体後嚢)を残して取り除き、代わりに眼内レンズを挿入する。手術時間は20分前後。

3)手術は、局所麻酔で行うため、痛みはない。もしあれば、麻酔を追加する。

4)後嚢が弱いと、眼内レンズが挿入できない場合があるので、その場合は眼内レンズを目の壁に縫い付ける手術を行う。

5)通常は発生しない事態が起こることもある。たとえば、稀に病原体の眼内感染症により、視力障害が起こることがある(0.05%)。また眼底からの激しい出血(駆逐性出血)による重大な視力障害が起きることがあるが、これは全国で年間1例あるか無いかの頻度。

全体としては安全な手術だとの説明だったが、手術が目前に迫ると流石、不安が募る。ごく親しい知人に「白内障の手術」を受けて左目を失明した人が居り、聞かされた経過の話が頭をよぎる度に心は穏やかではなくなる。

その時、思い出したのが、記者の先輩で全国メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏からの励ましだった。

「体験者から一言。何の痛さもなし。少年時代に戻ったような視力を得られる。10年ぐらい前にやりました。乱視はなくなる。大いにお勧めします」。これが不安を吹き飛ばしてくれた極めつけの言葉だった。

いよいよ手術。入院翌日の16日に右眼、1日置き18日に左眼の順で行われた。広い手術室で松川主治医ら2人の医師と看護師3人が対応した。

この術前後の期間、点滴(セファメジン・100cc)1日1回4日間と、点眼 の抗生剤(クラビット)、アレルギー予防(リンデロンA)、充血防止( ジクロフェナック)の3種類を1日4回注入。同点眼は退院後も続けている。

術後に主治医が、検査した結果、手術には問題がなく、経過も順調とのことだった。ただ右眼術後3日目に眼内にゴロゴロした違和感が生じたため、炎症を防ぐクリーム(クリビート軟膏)を3日間塗った結果、違和感は消滅した。

術後に視力検査を行った結果、矯正視力は両眼ともに1.5に回復していると驚異的な数値を示され、喜びは頂点に達した。

こうして入院後8日目の22日(月)の午後、両眼を保護するアクリル製の眼帯をつけたままで退院した。

帰宅を急ぐタクシーから外の景色を眺めると、外界は限りなく眩しく映り、木立や橋梁、川面の彩りが美しく、鮮やかに浮かび上がりながら行き過ぎて往く。

帰宅すると、 夕方なのに信じられないほど室内全体が明るい。テーブルの上にあった新聞を見遣ると、眼鏡無しでも今までぼやけていた文字が鮮明に見える。飾り棚にある有田焼や三川内焼(陶器)の紺・赤・緑の模様が、何十年前に見た時と同じ彩の輝きを放ちながら飛び込んでくる。

これを読む「白内障手術」経験者にとって筆者の驚きと感激は、いとも陳腐なものかも知れない。だが、読書ができる、ペンも執れる、パソコンとも向かい合えるなどということは、明日からの新しい生き甲斐を与えてもらったといっても過言ではない。

主治医の話では、数ヶ月から数年後に、「後発白内障」といって後嚢が濁って見えにくくなることがあるが、これは通院でレーザー治療により、濁りを取ることが可能だという。この将来不安を払拭してくれた主治医(松川医師)やスタッフへの感謝の気持ちが込上げてくる。

「白内障手術」が、これ程までに素晴らしい生き甲斐を与えてくれるとは思いもしなかった・・・。<了>2008.12.25
参考―フリー百科事典ウィキペディア


■本稿が掲載されたメイル・マガジン「頂門の一針」1406号 <平成20年12月26日(金)>。

◆<第1406号・掲載目次>
・「お上に傳へてくれ」!?:上西俊雄
・ジャブジャブ、ジャーブジャブ:平井修一
・麻生さんの気力次第だ:花岡信昭
・「白内障手術」の素晴らしさ!:毛馬一三
・Native Speakerの活用法:Plagiarismの勧め:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2008年12月15日

◆軍事メッセージの「万葉集」


                     毛馬一三

<本稿は、12月14日発刊の全国版メルマガ「頂門の一針」に掲載されました>

・韓国の百済の都扶余の遺跡から、618年に作成された「出挙(すいこ)」の木簡が、先頃発見された。

「出挙」とは、作付けの季節に農民に利子つきで貸出した「種もみ」を、収穫の秋に利子分を含めた作物を現物で回収する制度で、木簡には農民毎に回収した「作物の量」が記録されている。

この木簡は、日本では飛鳥時代以前の古代遺跡から、全く同じものが既に発掘されている。

つまり、中国から発祥した貴重な税収制度が百済を通じて、日本へ導入されていたことの証だが、もし百済と日本の間に当時、緊密友好な外交関係がなかったら、日本へこうした国家構築に属する機密情報が、伝わって来なかったであろうことは想像に難くない。

この韓国の発掘記事を読んだとき、随分以前になるが(1989年11月)、日本と百済との「秘めたる繋がり」の逸話を話してくれた、韓国の著名女流作家のことを思い出した。

同作家は、李寧煕(いよんひ)氏。韓国大手新聞社「韓国日報」の政治部長・論説委員長から国会議員(1981年)を経て、韓国女流文学会会長を歴任。

筆者は、「韓国日報」からの紹介で、李氏が来日した折、2日間奈良県桜井の「万葉の道」やその周辺の「古代天皇の古墳群」散策の案内役を務めた。その際李氏が、こもごもに語ってくれたのが、この「万葉集」に秘められた「軍事、政治的なぞ」の話だった。

李氏によると、日本の「万葉集」と関わりを持ったのは、国会議員だった当時、日本の高校の歴史教科書に韓国関係記述が歪曲されているという問題が提起されたことから、日韓両国の国会議員による特別委員会が設けられ、事実の調査を始めたのがきっかけだったという。

つまり、歴史書が歪曲されているかどうかに迫るには、どうしても古代史にまで遡って検証する必要があり、そのために両国の歴史書に目を通すうち、日本の「万葉集」に魅せられて仕舞ったという。

ここから「万葉仮名」の研究に惹かれたらしいのだが、「万葉仮名」で書かれた「難訓歌」や「未詳歌」、つまり日本語で判読出来ない歌のほとんどを、実は韓国語で読むと総て読み通せることを見つけ出したというのだ。これは当時としては大発見に違いなかった。

帰国した李氏から、筆者に李氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊1989発刊」が送られてきた。読んでいくうち「日本語訳では見えない様々な謎」が書き込まれて居たことを思いだす。その中で、特に目を見張らせる下記のものがあった。

<万葉集20巻、4516首の内に、日本語では判読できない、正式に「未詳歌」とされている3首があり、このうちの1首に恐るべきメッセージが織り込められている。斉明天皇(655年即位)の意中を、額田王(ぬかだのおおきみ)が歌にしたのが、それである。

◆原文:  金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念<巻1の7・未詳歌>

・日本語よみー(秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 刈廬(かりいほ)し思ほゆ)

この歌は、従来からの「日本語解釈」では、次のようになっている。
(秋の野の 萱(かや)を刈って屋根を葺き 旅宿りした 宇治のみやこの 仮の庵が思われる)。

しかしこの解釈では、額田王が何を言いたいのか、さっぱり意味が伝わってこない。だからこの歌が、解釈不能または解意不明なことから、公式に「未詳歌」とされたのも当然であろう。

そこでこの祥らかでないこの歌の原文を、韓国語で読んでみた・・・。すると、
(徐伐『そぼる』は 鉄磨ぐ 締め苦しむること勿れ 上の都は 刀来るぞよ 陣地固めよ)

・韓国語訳―(新羅は刀を磨いで戦いに備えている。締め苦しめないといいのに・・・。吾がお上の、百済の都は、敵が襲ってくるから、陣地をお固めなされ)。>
ということが明らかになった。

李氏の韓国語解釈をそのまま読むと、これは斉明天皇が百済に送った「軍事警告メッセージ」ということがはっきり分かる。だとすれば斉明天皇が百済に対して、これほどまでの機密「メッセージ」を送らなければならなかった理由とは何か、その疑問にブチ当たる。

<皇極天皇(斉明天皇と同じ・斉明天皇は二度即位)から斉明天皇の時代は、朝鮮半島では、新羅、百済、高句麗の3国が緊張状態にあった。

この歌(皇極時代の時の648年に入手していた情報)は、斉明天皇に即位してから額田王に歌として作らせたものといわれるが、百済が新羅・連合軍に滅亡させられた661年より13年も早くからこの事態を予測していたことになる。

当然百済が滅亡する相当前から、この「新羅の不穏な極秘情報」を、斉明天皇は歌に秘めて百済に伝達していたに違いない。即ち人一倍百済の存亡に長年心を砕いていた斉明天皇なら、国家存亡に関わる極秘情報を百済に提供しない訳は無い。

実は斉明天皇は、百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、百済を援けるため、難波(大阪)で武器と船舶を作らせ、自らその船に乗り込んで瀬戸内海を西に渡り、百済とは目と鼻の先の筑紫(福岡)の朝倉宮て新羅・唐との戦争に備えた。しかし斉明天皇は、遠征軍が百済に向かう前、失意の内に亡くなっている。

斉明天皇の異常なまでの「百済ひいき」について日韓学者の一部には、斉明天皇は百済第三十代武王の娘の宝で、百済最後の王、義慈王の妹だったとの説がある。>

上記説も考えられないこともない。恐らく斉明天皇自身、あるいは親族関係と百済との間に何らかの強力な繋がりが現実に在ったとしたら、「万葉集」歌に秘められた「軍事警告メッセージ」の存在も真実味を帯びてくる。

「万葉集」を古代の珠玉の日本文学と仰ぐ人たちにとっては、この韓国語読みは認め難く、あくまで額田王作の「未詳歌」としてしか受け入れられないかもしれない。

しかし、このあと白村江の戦いの敗戦(663年)まで百済救国にこだわり続けてきた日本の歴史を見れば、日本と百済との関係は極めて緊密であったことを証明していることになる。

だとすれば、万葉集愛好家方々も韓国語で読み明かされる「万葉集の新たなメッセージ」に興味を抱かれことも、「万葉集」の珠玉の枠を更に広げることにはならないだろうか。(了)2008.12.13

参考―・李寧煕氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊」
   ・小林恵子著「白村江の戦いと壬申の乱・現代思潮社」
   ・ウィキぺディア
                             
◆本稿が掲載された全国版メルマガ「頂門の一針」の<目次>を御覧に頂き、どうか優れた他の寄稿者のご卓見もご拝読ください。

◆メイル・マガジン「頂門の一針」1397号<2008年12月14日(日)>
<同号 目次>
・中国「08憲章」の衝撃:平井修一
・貧すれば鈍す(!)):山堂コラム:244
・今や絶滅寸前花柳界:渡部亮次郎
・軍事メッセージの「万葉集」:毛馬一三
・英会話に謙りの心は不要:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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