2010年01月01日

◆11年目への挑戦

毛馬一三

明けましてお目出度う御座います。

日刊メールマガジン「ネットメディアおおさか」をご拝読頂き、心から感謝して居ります。どうか本年もご愛読を賜りますようお願い致します。

さて「ネットメディアおおさか」は、もともと大阪を中心に自治体に関る行政論評やふるさとだより、まちづくりなどを発信する目的で、99年に立ち上げたもので、新年から11年目を迎えます。

本誌主題の「百家争鳴」は、全国版メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏による秀逸な政局評論や同誌常連筆者・畏友石岡荘十氏の卓越した医学論評の寄稿を得て、既存メディアとは異なる視点と筆力による、新しいメルマガとして大きな評価を集めて来ました。

また、川原俊明氏(弁護士)、渡部好造氏(財界OB)、岩本宏紀氏(在仏)、眞鍋峰松氏(行政職OB)、仲村友彦氏(海運会社勤務)、久保成行氏(雑誌主宰)、藤本敬八郎氏(彫刻家)、石田岳彦氏(弁護士)、医師ら医療関係者など多彩な20余名の執筆者の参加も頂き、新メディアとしての分野を拓いて参りました。

しかも、当「ネットメディアおおさか」は、上記「百家争鳴」の卓見発信のほかに、様々な地域支援活動にも参加、尽力してきました。

想えばこの他、大阪市が目指した「08年の大阪五輪誘致」運動にインターネットによる新企画で全面支援をしたり、国松孝次氏(元警察庁長官)主宰の「救急ヘリ病院ネットワーク」が進める「ドクターヘリの大阪府導入」を支援して、ドクターヘリが大阪府民の救急救命に当たるよう努力し、成果を上げました。

さて11年目の今年からのことです。当然、当「ネットメディアおおさか」が、論評・卓見を披瀝する「百家争鳴」の発信に傾注することには変りはありません。

しかし10年を越えて11年目となった今年は、大きな「転換期」だと位置づけ、新たな挑戦に立ち向かいたいと考えております。


即ち今年からは「百家争鳴」と併行して、地域住民との関わりを繋げる「ふるさと活性化」支援活動を、NPO「近畿フォーラム21」と連携強化していきたい考えております。

「ふるさと活性化」支援活動とは、一例を上げれば、経済沈下から脱皮したい自治体と連携し、農産物の育成と販売までの効率的システム化の支援、また有効地を活用した介護施設建設の計画とその運営コンサル事業などを進めます。

また文化支援事業として、「ネットアカデミー」(仮称)を立ち上げ、次世代のために自己の「経験と知識」を綴る「いわゆる自分史」作成支援を行います。特に「昭和と戦争」、「大阪経済の衰退の原因」、「零細企業の奇想と人材発掘」などを綴るもので、「講習会」も開き、優秀作品の全集を発刊する予定です。

このように、「ネットメディアおおさか」のIT情報システムを活用しながら、自治体の「ふるさと活性化」事業を特定地域と結びつけて、住み良い「ふるさと」作りの貢献に臨む方針です。

当メルマガから積極的に「ふるさと活性化」案を発信し、自治体と地域との橋渡しになり得れば、これにこしたことはないものと考えております。

どうか従来通り「百家争鳴」卓見のご拝読とともに、是非この新しい挑戦に皆様のご協力が得られますよう祈念いたし、新年のご挨拶とさせて頂きます。(了)
                    2010.01.01


2009年12月30日

◆大阪「お笑い殿堂」、そのまま

毛馬一三

<本稿は、全国メルマガ「頂門の一針」12月30日号に掲載されました。同誌掲載の満載卓見をご覧になりたい方は、下記から。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

■移転先を巡り迷走状態だった「大阪お笑い殿堂・ワッハ上方」(大阪府立上方演芸資料館)が、結局、現在の場所で存続することで、やっと落ち着いた。

一時は大阪の観光名所・通天閣移転へ傾きかけたが、橋下徹大阪府知事の決断で28日、“振り出し”に戻った。マスコミは「二転三転の上の大逆転」で決着と、意外性を報じている。

しかし、実はここに至るまでには、いわゆる橋下流のしたたかな情況判断と駆け引きが込められた秘策がある。

もともと、当選直後の橋下知事は、際立った政治姿勢をいち早く披瀝する目的で、年間賃料が約4億円要する「お笑い殿堂・ワッハ上方」の運営費を早速槍玉に上げ、直ちにこれより安価な場所への「移転」を俎上に掲げた。

つまり知事としては、大阪伝統文化保存育成の手抜きだと評価されても、安価な「移転先」を優先させる方が、府民には財政再建を貫く知事の積極姿勢が、分かりやすく、しかも効果的だとの筋書きを立てたのだ。

「ワッハ上方」は、浪速の漫才師「捨丸師匠の鼓」の保存をきっかけに、昭和63年から西川きよし氏と大阪府庁生活文化部(当時)が共同して企画、吉本興業に協力を求めて、平成8年11月14日にオープンしたものだ。

ここには、設立当初「浪速有名芸人の遺品、ビデオ、レコード、音声テープ」などの資料が、遺族や愛好家から4万点余が寄贈され、今では7万点に達すると言われている。「府庁が責任を以って保存してくれるなら、喜んで預けたい」と盛り上がった。

だが、「ワッハ上方」も創設以来13年間して除々に来館者も減り出したこともあって、たしかに知事案に理解を寄せる世論が醸し出され出した。

このため知事は移転先の選択肢の一つとして、今より年間経費を約3億円節約出来る「通天閣」への移転をしようと、自ら現地視察し交渉を煮詰め出した。交渉は前進し出した。

ところがそこに至って、難問が立ちはだかった。

i)大阪府と吉本興業との「ワッハ上方」の最重要規定である契約期間がまだ3年残っており、大阪府がこれを強行するなら吉本側は訴訟も辞さない構えを見せ出した。
i)寄贈に協力した著名芸人の中から、「通天閣」へ移転するなら、寄贈品の返還を求める動きが出始めた。

i)「通天閣」への移転後は、「資料展示」のみに縮小するとした府案に対し、「保存管理」に新たに費用をかけて「通天閣」に維持装置を新設すべきだとの意見が出だした。
I)かつ、現地運営に当たる在阪放送局によるNPO法人が、「移転」そのものに反対行動を強めだしたーなどなど。

橋下知事の真骨頂はここからだ。こうした露呈してきた難問に苦渋している意向を全く見せず、吉本興業に対して「通天閣移転」実施意向を伝える場を拵え、吉本側に譲歩の考えがないかどうか最終的な確認をやってみたのだ。一種の賭けでもあった。

ここぞとばかり吉本側も踏み込んだ。現在の4フロアのうち落語や漫才を公演する「ワッハホール」のある5階は吉本が運営。残る3フロアの家賃は年1億円として、吉本が委託料0円で管理を請け負うなどと提案したのだ。しかも隣接する「なんばグランド花月」などと連携し、集客増を図るという。

知事の「読み」は見事に成功した。「通天閣」と同額で運営が可能になり、「ライブラリーの維持は従来通り完璧に行われる見通しがたった。否応もなかった。知事は「通天閣観光」の社長を訪ね、陳謝を兼ね移転取りやめを報告している。

こうして「ワッハ上方」は、現在の場所で存続することで、やっと決着したのである。

筆者は、「ワッハ上方を作った男たち」という題名で、「ワッハ上方」創設のドキュメント小説を2005年5月に(有)西日本出版社から発刊している。苦闘話ばかりだ。(http://www.jimotonohon.com

ここに登場する大阪府庁、吉本興業、民間放送局の諸氏(ほとんどがOB)、それに西川きよし氏らは、きっと今頃、極限を超えて譲歩した吉本興業と、秘策を弄しながらも浪速の文化殿堂を護った橋下知事に感謝しながら、将来にわたり「ワッハ上方」が永続することをひたすら願っているに違いない。筆者もそう願っている。(了)
                                           2009.12.29

2009年12月28日

◆年の瀬に賑わう漁協「青空市場」

毛馬一三

<本稿は、12月29日刊・全国版「頂門の一針」に掲載されました>

年の瀬も迫った27日(日)の朝、車で急遽大阪府泉佐野漁協の「青空市場」に駆けつけた。50メートルほどの市場内には27店舗余が軒を並べる、こじんまりとしたもの店舗群だが、大阪では知る人ぞ知る人気の「魚市場」だ。

何といっても、水揚げされた直後の豊富な魚介類が、その日の内に買い求められるというのが最高の魅力。しかも、店の女将さんに「なんぼになるの?」と掛け合って「値切り値段」で買うのも、楽しみを倍化させる。

普段なら左右の店舗を交互に目を配りながらゆったり歩けるこの「市場」も、この日ばかりは、暮とお正月用の買い物客でごった返し、店舗1軒毎に順番待ちをするか、客の肩越しに品定めをするという異常な混みようだった。

あじ、穴子、赤えい、車海老、おこぜ、いか、こち、がっ長、さば、しゃこ、かに、太刀魚など超新鮮な魚貝のほか、数の子や烏賊の塩辛、干物などが店先に山積みされている。男女の店員が「売り込み」の声を張り上げて客の気持ちを惹こうとするので、客の足は停まってしまう。

各店舗では、鯛、いか、赤えい、かにに人気が集中していた。面白いことに、こうした単一の魚類だけでなく、「赤えいの鍋物セット」が売れていることが目に留まった。3000円前後の値段で、家庭で4人〜5人程度で十分楽しめる盛り付け量と見栄えのよさが、人気の的になっていたのだろう。

我が家では、お歳暮と正月用に供する買い物は予め決めていたので、一応各店舗を見て回ったものの、やはり店主との「なんぼ迄まけてくれるか」の駆け引きが焦点となった。「まけさせる」ことには中々不慣れな我が家だが、ここだけは通用する慣習だけに思い切って相談した。やはりやすさは、背に腹をかえられない。

結局、顔なじみの店の女将さんに頼んで、鯛、いか、ぶり、マグロ、太刀魚を安く買い求めることが出来た。これほど新鮮且つ大きさの同種の商品を、居住している近くのスーパーで買ったら、恐らく倍くらいの値段を取られていたのではないだろうか。

買い物を済ませると、ここに来た時必ず立ち寄る「お食事処」で、久しぶりに新鮮な味が嗜める「「あなご丼」、家内は「いくら丼」を食べて、魚の旨さに接した。やはり「魚市場」内にある食事処だけに、大阪市内で食する食べ物とはまるきり違う。ここに来た甲斐があった。


小生宅と泉佐野「魚市場」とは、高速道路を使い往復100キロ余もの道のりを行き来しなければならないが、やはり年越時期になるとわざわざここまで買い物にくる客で混雑する。

31日までは「市場」が開いているそうだから、それまでは暮と正月の楽しみを求めてここを訪れる買い物客で混雑するだろう。(了)                    2009.12.27

<交通アクセス>
 ・南海 泉佐野駅から徒歩約20分
 ・阪神高速湾岸線 大阪方面からの場合「泉佐野北」出口から
         臨海道路直進。「佐野漁港前」交差点を右折

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(12月29日・1770号)に
掲載されました。他の著名寄稿者の原稿もご拝読を!>
◆<1770号・目次>
・新幹線を創ったサムライたち:伊勢雅臣
・温首相「元切り上げ圧力には屈しない」:宮崎正弘
・小沢人民共和国を潰せ:平井修一
・「小澤氏は曹操気取り」…香港報道:古澤 襄
・年の瀬に賑わう漁協「青空市場」:毛馬一三
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年12月07日

◆アフガン・中村哲医師の死闘

毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(12月8日刊・1748号)に掲載されました>

パキスタン北西辺境州およびアフガニスタン北東部で医療活動に取りくんでいる、医師・中村哲氏のことは耳にしたことはあるが、何と同氏が筆者と同じ福岡高校の後輩(17回卒)とは、不覚にも知らなかった。

つい先日の同校同窓会合幹事会の席上、DVD化された「アフガンに命の水を」を同窓会ホームページに転載出来ないかと相談を持ちかけられた時、初めてその事実に接した。驚きと敬服の想いが脳裏を駆け巡った。

中村氏は、福岡高から九州大学医学部を卒業、国内の神経内科の診療所勤務を経て、1984年にパキスタンのペシャワールに赴任。以後アフガン難民の診療に携わり、ペシャワール会現地代表・PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長を務めている。

中村氏は当初、主にハンセン病の治療に当たっていた。ところが2000年の大干ばつに遭遇し、これが同氏の運命の岐路となったという。

この大干ばつ状況下での医療では、人々を救えないため、命をつなぐ飲料水確保のためには「井戸掘り」しかないと決意、日本に帰国して義援金を集めに奔走。

集まった2億円の義援金をもとに、アフガンの600箇所に井戸を完成させた。だがこれだけでは難民の生活を支えることは出来ない、そう考えた中村氏は、2003年から農業の復活に要する全長24キロにも及ぶ、とてつもない長い用水路の建設に挑んだ。完成すれば3000ヘクタールの緑が蘇るからだった。

ところがその最中、不運にも米軍とタリバンとの戦争に巻き込まれ、一刻も無駄に出来ない用水路建設は、被弾をさけながら工事敢行を進めざるを得ない、まさに命懸けの闘いを余儀なくさせられた。今は順調に進み完成の目途が付き出しているという。

このDVD「アフガンに命の水を」は、菅原文太の朗読による3部構成(56分)になっている。言葉や文字ですら表現できない“死闘”の様子が、中村氏の述懐を交え、克明に映し出されている。

己の生き方にしか執着固執しない現行社会の中で、自らを省みず「国際貢献に邁進している」同窓生中村氏の死闘の姿を見たとき、感動以外にはなかった。ぜひこのDVD「アフガンに命の水を」をご高覧願いたい。

◆企画 ペシャワール会 制作 日本電波ニュース社
語り 菅原文太
問い合わせ・申し込みは(株)日本電波ニュース社
〒106-0047 東京都港区南麻布1‐5‐10小池ビル3F
TEL 03‐5765‐6810 
定価 2500円(税抜き・送料別)


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■本稿が掲載された12月8日刊「頂門の一針」1748号の
<目次>は下記の通りです。

◆<目次>
・亡国の連立内閣:前田正晶
・中村哲医師の用水路建設:毛馬一三
・「鳩山さんは誰にもいい印象を」:古森義久
・中国人、10万人が日本に帰化:渡部亮次郎
・馬英九の統一路線に「NO」:宮崎正弘

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆上記<目次>の著名人による「卓見」をご覧になりたい方は、
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2009年12月02日

◆知らなかった「シルクロードの核汚染」

毛馬一三

<本稿は、全国版「頂門の一針・12月2日1742号」に掲載されました>

「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏の卓見「シルクロードの核汚染」を読み、驚愕した。それは、札幌医科大学・高田純教授がNHKに出した公開質問状に一節に、こう記されているという内容のことだった。

<高田教授は、核爆発災害研究の専門科学者として、世界の核被災地を調査してきたが、中国共産党がシルクロードの要所であった楼蘭遺跡周辺での総威力22メガトンの核を爆発させ、世界最悪の災害発生を確認した。

その総核爆発は、広島の核の1375発分。現地では 100万人以上のウイグル人たちが死傷したという。(伊勢雅臣「シルクロードの裏側」より。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

しかもNHKはその事実をよく調べもせず、1980年3月に現地入りして撮影し、『シルクロード』を放送。それを見て、27万の日本人がシルクロード入りし、知らずに放射能を浴びて帰ってきた>というのだ。

あの「美しい未知の世界」の映像を見ながら胸躍らせた魅惑の地で、実はそのようなおぞましいことが行われていたのか。NHKではその秘密をしりながら、外部には一切公開していなかったのか。急に胸が疼いた。

その瞬間、当時NHKの「シルクロード取材」に従事し、NHK退職後も「映像通信」の仕事を続けている、NHKで同期だった友人のカメラマンのことを思い出し、電話をかけてみた。ひょっとしたら、何か分かるかもしれないと思ったからだ。

そこで聴けた話は、こうだった。
NHK「シルクロード取材班」は、シルクロードの中国の「天山山脈」を南北に2分した2班に分けられ、

・1班は、長安、敦煌、楼蘭など中国本土を主体とした「草原の道」編チーム、

・2斑は、「天山山脈」の南のルートからのインド、チベット、パキスタン、クルグス、イラン、イラクを結ぶ「砂漠とコーラン」編チームだった。

今考えれば幸いにも友人は、後者の取材班に属し、取材の過程で中国国内に幾度か足を踏み入れたことはあるものの、肝腎の核爆発地「楼蘭遺跡周辺」に近づいた事はなく、上記の様に取材対象地のほとんどが、中国本土以外だった。

当時NHKには、特別スペシャル番組「シルクロード取材班」の特別室が設けられ、それぞれチームのプロデューサー11人とカメラマン10人、合わせて42人が、常時打ち合わせを行い、取材対象やコンテンツを緻密に精査すると共に、現地「中国中央電視台」から来日した担当者と協力体制を詰めた。

しかし、あれほど打ち合わせに時間をかけながら、「中国核実験」の話は一度も話題にも、噂にも上らず、恐らく取材チームは誰一人知らなかったにではないかと思われる。

だとすれば、取材先の中国からは、この世界初の「シルクロード」放送を中国自体のプロバガンダに利用することだけに終始し、「国家秘密」としては完全秘匿を貫いて、NHKはつんぼ桟敷に置かれていたのではないか。

あるいは、NHKの上層部がこの事実を知っていたとした場合、これを取材班に漏らせばメンバー全員がビビり、現地中国に向かうことを拒否することは必至だっただけに、黙して語らなかったことも想定されるという理屈も成り立つ。

いずれにしてもどちらかではなかったろうかと、友人カメラマンは述懐する。

とにかく、自分が「中国本土取材班」ではなかったことで、被爆被害を受けなかったことにホッとはしたものの、「中国本土取材」、特に総威力22メガトンの核を爆発させたという楼蘭遺跡周辺の取材をした仲間のことを思うと、胸が締め付けられると漏らす。

そんな中国だったからだろうか。そういえば、取材が総て終わった時点で、撮影に要したカメラやフイルムなど撮影機材一式を中国側に差し出せられたほか、取材に協力した「中国中央電視台」に取材協力費として膨大な金額を召し上げられるという、悪夢も蘇るという。

イラク・イランの戦争中での撮影も終え、未知の「シルクロード」撮影に誇りを感じていたカメラマン人生に、思いがけない暗い影が突如現れ、心が痛むと友人は悲痛な声を出していた。(了)    200912.01

◆本稿が掲載された「頂門の一針」(平成21年12月2日1742号)の
<目次>は下記の通りです。

・地方財政再建の核心衝く仕分け:屋山太郎
・試算が非公表になったわけ:阿比留瑠比
・記者に「書かない」原稿料:宮崎正弘
・知らなかった「シルクロードの核汚染」:毛馬一三
・東北人の西洋との出合い:平井修一

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2009年11月20日

◆古稀のホールインワン

毛馬一三

<<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」<11月22日(日)1732号>に掲載されました>>

70歳以上の高齢者が楽しむゴルフで、ホールインワンをしたという記憶はないではないが、私の高校同期生の70歳の友人が、つい最近その快挙を果たしたことを知って、その壮健ぶりに脱帽した。

その話が持ち上がったには、所用のため11月16日に実家の福岡市に帰省し、集まってもらった新宮松比古氏(自民県支部連合会長)ら母校・福岡高校同窓会関係者との会合が、一段落した折だった。

その快挙を成したのは、同席していた同期生の高杉重行氏(9回生)。同氏が、はにかみながら吶々と語ったその時の状況とはこうだった。

ゴルフ場は、福岡市内で名門クラシックゴルフ場で有名な手作りの「福岡カントーリークラブ・和白コース」で、9月10日福岡・福中福校同窓会親睦ゴルフ大会に参加した時のことだった。

ここには何度も足を運んでいるが、ゴルフ場全体が起伏やドッグレッグが入り組む難コースで、過去いい成績を残したことはない。

この日4人で回り、アウトの2番「157ヤード・ショートホール・パー3」のティーグランドに立った。このホールは、打ち上げで、うまくグリーンに乗せても前方から後方に向けて2段の高低があるため、ピン側には中々寄せられない。せいぜいグリーン回りからアプローチしてパーが取れれば、万々歳のホールだ。

7番ウッドを取り出し、距離とグリーン方向をイメージしながら振り抜いた。しかしハーフトップとなり低い弾道で飛び出し、うまい具合にグリーン上にオンするのが見えた。

グリーンに上がってボールを探したが、回りも含め何処にも見当たらない。奥が林のOB区域なので、きっとここに飛びこんだに違いないとガッカリして、駆け足で再び元のティーグランドに駆け戻り、4打目で打ち直した。

再びグリーンに上がり、カップまでの距離を確認しようとカップを覗き込んだところでアット驚いた。なんと1打目のボールがカップの中にあるではないか。同僚3人も、高杉氏が引き返してくるのをグリーン回りで待機していたので、その事実を知る由もなかった。

高杉氏は叫んだ。「おーい、ホールインワンやで!」。3人の仲間とキャディーが駆け寄ってきた。「凄い!やったなぁ!」「高杉君は70歳やろ、奇跡やな!」。仲間が口々に絶賛する。

本人は嬉しさより、「驚き」で頭が白くなり、言葉が出てこない。28歳からゴルフを始め、一時はハンディーが14までに上達し、78のベストスコアを出したしたこともある。だが今は99くらいで回ればいいほうだ。しかも、43年間のゴルフ暦の中でホールインワンとは全く縁もなかった。

暫くして喜びが込み上げてき出し、「古稀のお祝いにおまけがついた」と思うようになると、初めてにんまりし出した。

以上が、高杉氏からの「古稀快挙」の話だった。

筆者も、腰痛を患ってからここ7年程は中断しているが、ゴルフ暦は長い。そこそこの実績は残している積もりだが、ホールインワンの経験は無い。「運」に恵まれなかったこともあるが、ピンに寄せられない実力不足が主因だろう。

世界の高齢者によるホールインワンの記録は、2007年4月5日のアメリカの102歳の女性が、100ヤード・パー3で達成している。<参考・ウィキペディア(Wikipedia)>

しかし老齢に伴い体が動きにくくなった70歳の高杉氏がホールインワンを果たしたのは、単に幸運だっただけではなく、まさに今なお壮健の証であろう。慶事そのものといっていい。福岡の同期生たちが「お祝いの会」をするらしい。(了)   2009.11.19

◆「頂門の一針」 <11月22日(日)1732号>
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◆<22日号・目次>
・「川向う」を変えるか「スカイツリー」:渡部亮次郎
・中医協新委員の抱負:嘉山孝正
・ドン亀使って膏薬はがし:山堂コラム 293
・中華料理考:加瀬英明
・古稀でホールインワン:毛馬一三

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2009年11月12日

◆市橋容疑者逮捕の油断

毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」11月13日・1724号に掲載されました>。

偶然とは恐ろしい。実は、英国人女性死体遺棄事件の市橋達也容疑者(30)が逮捕された11月10日の前日に、筆者は、逮捕現場となった「大阪南港フェリーターミナル」の近くを訪ねていたのだ。

そこへ行ったのは、本誌の寄稿者でもある畏友仲村友彦氏の海運会社への初めての訪問が目的だった。まさかその翌日に同氏会社と隣接する「大阪南港フェリーターミナル」に、市橋達也容疑者が現れるとは、無論想像する筈もなかった。

10月9日、大阪地下鉄御堂筋線で大国町駅まで行き、そこから四っ橋線に乗り換えて住之江公園駅で下車。ニュートラム(南港ポートタウン線)に乗り継いで、4っ目の「フェリーターミナル駅」で降りた。

改札出口のからペデストリアンデッキを歩けば、わずか3分程で「大阪南港フェリーターミナル」に着くという。外洋に繋がるフェリー埠頭と2階建ての「大阪南港フェリーターミナル」建物は、秋の日差しを受けて眩しく映っていた。

駅から地上に降りて、それらの風景を眺めつつ海運会社に向かった。周辺は埠頭倉庫や、海運会社、貿易会社等の建物が建ち並び、上には神戸から繋がる阪神高速湾岸線が走っている。一見臨海都市のようだが、一般住居やレストランなどは一切ない。

仲村氏の9階の会社から真下に「大阪南港フェリーターミナル」がはっきり見えたので、フェリーの事も話題となった。

ここは国内向けだけフェリーの発着ターミナルで、四国や博多などにはここから出航するが、沖縄・鹿児島(志布志)ゆきなど一部は、別の「大阪南港かもめ埠頭」から出航するという。出航時間が迫ると、ここからバスで送るということだった。

なぜ市橋達也容疑者が「大阪南港フェリーターミナル」に現れたのか。報道によると、11月10日、市橋容疑者は大阪・南港を訪れる前、タクシーで神戸市東灘区の六甲アイランドに乗り付け、沖縄行きのフェリーに乗ろうとした。

ところがこの日神戸から出航しないことが分かり狼狽したが、大阪南港からは出航することを教えて貰ったため、踵を返し10日午後1時40分ごろタクシーで神戸から高速道路湾岸線を利用し、およそ20〜30分後には「大阪南港フェリーターミナル」にやってきている。

ところが市橋容疑者自身、対面した六甲アイランドフェリーの社員が「市橋容疑者に似ている。怪しい」と考え、携帯電話で同社大阪支店(大阪市北区)に連絡、まさか南港フェリー会社を経由して警察に通報されているとは想像もしていないとおもわれる(アサヒ.コム)

それを裏付けるようにタクシー運転手に「仕事で沖縄に行く」と気軽に語りかけているのだ。<共同通信>

しかし、なぜ待合室に着いてから全く動いていない。なぜか?
10日午後2時頃「大阪南港フェリーターミナル」2階の待合室に着くとサングラスとマスクをつけたまま、逮捕される同日午後6時40分までの4時間半ほど待合室の椅子に座ったまま、移動した形跡は確認されていない。

おそらく、時間が来るまでターミナルの外に出て時間を潰そうかと思ったかもしれないが、前述のようにレストランやコンビすらないこの周辺に出かける気にもならなかったのではないか。

犯行発覚当日、警察官の職務質問からも裸足で逃げたすばしつこい市橋容疑者も、むしろこうした閑散としたみなとまちなら警察の手が回るなどとは思いもさず、些か「安堵感」を抱いていたのではないだろうか。

つまり、2年半に及んだ逃亡劇の中、瞬間的な「隙」だったのだろう。「大阪南港フェリーターミナル」を前日に偶然見合わせたことから、思いを書いてみた。(了) 2009.11.12

◆本稿が掲載された「頂門の一針」(平成21年11月13日・1724号)
<目次>
・不評の参政権法案は今国会提出断念へ:古澤 襄
・キリスト教をけなした小澤幹事長:古森義久
・「心臓手術取り止め」の背景:石岡荘十
・市橋容疑者の油断を招いた風景:毛馬一三
・米国の新聞ビジネスは無限地獄に近い:宮崎正弘

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年11月04日

◆「ワッハ上方」の通天閣移転のわけ

毛馬一三

本誌11月2日号で、大阪府議会での初めて取り上げられた「万博跡地利用」の質疑応答を音声付画像で発信したところ、読者の方々から思いがけない多数の感想を多数頂いた。

感想の大部分は、新聞・テレビなどのメディアが取り扱わないこの手法を、本誌が掲載を試みたことによって、質疑応答の臨場感や生の声による橋下知事の前向きな回答を聞くことが出来て、驚きとともに楽しさを実感したというものだった。

そこで、同日(10月21日)の大阪府議会府民文化常任委員会では、「万博跡地利用」に続いて、もうひとつの注目課題「ワッハ上方移転問題」を、光澤忍議員(公明会派)が取り上げ質疑している。

これに対して橋下府知事は「ワッハ上方を年間100万人の来館者がある通天閣に移転させ、ここから上方文化を発信していきたい」と述べ、「通天閣移転」に変更がない意思を強調している。

しかも大阪府としては、吉本興業や関係放送局に「移転プラン」を説明した上で、「通天閣」への移転の伴う予算案等を2月府議会に提出する方針を初めて明らかにしている。

ただ「移転プラン」がまだ詰まっていない所為か、どのような展示の方法をとるのか、移転にともなう「上方文化の発信」をどのように進めるなどは明らかにしていない。しかも肝腎の寄贈品の「保存」をどのように管理運営するかも示してしていない。

いずれこの「移転プラン」の詳細は、纏まり次第府民に提示したいと橋下知事は述べているので、それを待ちたい。

この「ワッハ上方」を巡る質疑応答の状況は下記から入室して、ご覧頂きたい。(了)
                                2009.11.03
      http://mituzawa.com/DVD/10.21-2shitsumon.swf

2009年11月02日

◆初めての審議「万博跡地利用」

毛馬一三

大阪WTC移転の成否を巡る審議で大荒れだった大阪府議会の9月定例大議会。

この大騒ぎの影響をもろに受けて、注目の重要課題「万博跡地利用」構想の対応は陰に隠れた格好に見えていたが、何とこの騒ぎのさ中、同構想をめぐる初の委員会審議が行われていたことが分かった。


メディアも、WTC騒ぎに気を奪われ過ぎて、肝腎のこの審議の存在に全く気づかなかったのか、些かも記事にしていない。

この重要な「審議」は、10月21日の府議会府民文化常任委員会で行われていた。どうして同構想が注目されながら、これまで府議会で取り上げられなかったのか、これは追々―。

大阪に巨大な経済効果をもたらす新事業として浮上していた同「万博跡地利用」構想に、橋下知事が非公式ながら意欲と行動を示していることに、大阪財界などが克目していたのが大きな背景となっている。 

というのもこの「万博跡地」に、民間による「米映画大手・パラマウントピクチャー」のテーマパークを誘致するとともに、Jリーグ・ガンバの新スタジアムも併設して「新万博公園」をつくる構想が実を結べば、逼迫する大阪活性化に多大な貢献をすることに繋がると、知事が考えたのは当然のことだ。

事実知事は、今夏8月18日に「万博跡地」を所管する吹田市長と会談、同構想を実現させて大阪全域の活性化の起爆剤にすることに合意。しかも、この構想が実現すれば年間千億円単位の経済効果があることを初めて明らかにするなどして、構想実現に向けて共同して実行する約束をしている。

ところが、衆院選挙による政権交代の影響やWTCへの移転騒ぎが過大になり過ぎたため、この構想実現に立ち向かう橋下知事の動きは事実上宙に浮いた形となり、9月定例府議会でも審議枠の外に置かれていた。

その忘れ去れていた重要課題を、府議会府民文化常任委員会で光澤忍議員(公明会派)が取り上げ、「万博跡地利用」に対する知事の意向を質したのがキッカケだった。

よく考えてみると、「パラマウントのテーマパーク誘致」を軸に「万博跡地に新大阪府公園」を設ける構想が、大阪府議会で取り上げられたのは、これが初めてだ。メディアが予知し得なかった理由もここにもあったのだろう。

光澤議員の質疑に対して、知事は「万博跡地」を「大阪府公園」として活用したい意向を強調し、概略次のように述べている。

「同構想の進展は、テーマパークを誘致する民間の資金調達がまだはっきり証明されておらず、逆に民間側からは府の万博機構などの対する積極的な支援を求める動きが出ており、今のところはこう着状態が続いている。

しかし大阪府としてはこれが大阪の活性化に繋がることなので、情勢さえ整えば、府として全面的の支援する」と力強い意向をしめしている。

以上が、橋下知事が、大阪府議会で初めて「万博跡地利用」に対する現状説明と推進に意欲を示した内容だ。そこで本誌が入手した「審議状況」を伝える音声付画像を掲載したい。

下記から入室して、府議会で初めて登場した「パラマウント・テーマパーク」「ガンバ、サッカー併設」の「大阪府公園構想」審議の様子をご覧頂きたい。
http://mituzawa.com/DVD/10.21-1shitsumon.swf
(了)2009.11.01



2009年10月29日

◆「新都心構想」一歩前進の大阪府知事

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が、大阪府庁舎を大阪南港のWTCに移転させたいとする「新都心移転構想」は、肝腎な「移転」は否決されたが、一歩前進した。 

同「新都構想」を実現する条例改正案は、実はこの2月定例府議会提出したものの、反対多数で否決された。しかしこれに黙っている橋下知事ではない。「政治生命を賭ける」と称して9月定例府議会に「移転条例案」を再提案し「意地」を見せた。

しかも、同条例案とともに「WTCを買う」補正予算案も同時提案したのだ。

ところが、徹夜を含む審議の末、WTCを購入する85億円の予算案は可決した。が、肝腎の府庁舎を移転するための条例案は、またも否決されて仕舞った。この結論だけ見比べると、両者間に「矛盾」が生じていることになる。

何故なら、高額な「住居」を買う予算は確保したが、「移転」は出来ないということだから、納税者の府民感覚からすれば、皆目分けがわからなくなる。

たしかに、「移転」と「買う」の手順が逆さまになってはいるが、よく考えると「買う」ことが先決議決された以上、「移転」を全面否定することは事実上出来なくなったことだ。

だとすれば「移転」について、府民や府議会の納得が得られる合理的な説明が完備されれば、上記の不可解な「矛盾」は解消されることになる。

実をいうと橋下知事は、今回も「移転」が可決されるとは考えていなかった。総選挙の結果を受けて知事野党の民主会派の一部が賛成に回ることは予測できても、総選挙時の知事の動向を激怒した知事与党の自公両会派が賛成する筈もなく、可決に必要な3分の2の賛成は不可能だったからだ。

とはいっても、低迷の極にある大阪再生の道付けとして、どうしてもこの「政治使命」は貫きたかった。そこで秘策を練った。今「移転」可決がだめな以上、「WTC購入」を先行させる「補正予算案」を通して欲しいという作戦だ。表立って言えないにして、もそうすれば、将来何らかの「移転」の実現性が見えてくるという仕掛けだ。

知事はこの新たな「買取先行案」の提出を各会派幹部個別に折衝して説得に回った。案の定、一部会派幹部からは、それを読まれたのか、根強い反発をうけて最終場面まで揉めにもめた。だが結局知事の「悲願」は成就した。

知事は、この一里塚を突破できた以上、目指す「新都心移行構想」へ向けて、一歩前進したと確信している。

しかも知事の腹には、この「予算」でWTCを購入したら、空きビルにする意思はない。府庁本庁舎を除き、第2分庁舎(技術部局)などの移転と、8民間ビルに間借りして年間6億円もの賃料を払っている部局(水道局等)の「部分的移転」を、すぐさま実行する腹積もりだ。

その上で、移転した第2分庁舎跡地は売却し、150億円見込まれる本庁舎の耐震強化工事費の一部に当てることも考えている。逼迫した府財政の健全化にも役立てたいという。

この部分的「移転」でも先行できれば、政令都市大阪市と共同してアジア諸国との貿易を拡大して港経済圏の創生に乗り出せると共に、WTC周辺に企業誘致とまちづくりを進められる政治戦略を描いている。

知事自身は、完全「移転」の希望を捨てては居ない。再度「移転」案を出すことは間違いない。

ただ,WTCに関して学者や専門家の中には、WTCそのものの耐震構造や地震に伴う津波防災対策等に不安を述べている。さらに「移転」に伴う経済効果はまだ白紙のままだ。しかも大阪市でさえ港湾開発に成果を上げられなかった拠点周辺だけに、ここの活性化は極めて難しいと指摘されている。ここが課題だ。

とはいえ、完璧とは言えないまでも、知事構想が一歩前進したことは事実だ。

したたかな橋下知事のことだから、これらの課題に解決策を見出し、WTCを拠点に「関西再生の起爆剤」にしたいという詳細な説明を、府議会と府民に対して納得行くまでするだろう。納得が得られれば先が見えてくる。予断は許さないが、今後に注目したい。(了)2009.10.28

◆本稿は下記のように、「頂門の一針」(10月29日 1710号)に掲載されました。

<1710号・目次>
・無為無策のKY鳩山政権:古澤 襄
・「平成維新」演説に不安が倍増:宮崎正弘
・「子ども手当」は内需拡大にもならない:古森義久
・アフガン戦争の大義はどこに:平井修一
・一歩前進の「新都心構想」:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2009年10月27日

◆続いた「荘厳なる終焉」

毛馬一三


本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(10月28日刊1709号)に掲載されました。「頂門の一針」には、多彩かつ有名な執筆家・ジャーナリストが世論・卓見を投稿しています。どうかご拝読ください。購読(無料)申し込み御希望の方は、下記から手続きして下さい
    http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆本文ー
畏友仲村友彦氏の「荘厳なる終焉」を、全国版メルマガ「頂門の一針」と私のメルマガ「ネットメディアおおさか」に掲載したところ、本人へは勿論、私の処にも予期以上の反響があった。

仲村原稿は、私が書いた「運命の子・愛犬もも逝く」を読み、54歳で早逝した愛妻の思い出と重ね合わせながら、生きとし生けるものの終焉の荘厳さを心情を込めて綴ったものだ。

生き残る人に「感謝の意を伝えて息を引き取った私の愛犬と仲村氏の愛妻の終焉の有り様」が余りにも極似していることに感動した感想を詳述したものだった。

ところがなんとこの掲載直後、またもや「荘厳なる終焉」の新舞台が、仲村氏を待ち受けていたのである。気丈で通る仲村氏が、その展開を落涙しながら語った想いを、下記に記してみることにした。

仲村氏は、10月11日、居住地の神戸から46年ぶりに「中学同窓会」に参加するため、生まれ故郷の奄美市へ飛行機で帰郷。同窓会では、60歳を超えてお互い健康であることを称え合いながら、酒宴に酔い痴れ、同夜はホテルで宿泊。

その翌日12日の正午ごろ、「ヘルニア」で入所している介護老人ホームに母・チヨ子さんを訪ねた。91歳になった母と会うのは5年ぶりだったが、高齢とはいえ、前回に会った時と少しも変った風はなく元気だった。

ベッドから身を起こしてやると母は、彼の手を両手でしっかり握り「友彦!よく帰ってきてくれたぁ。有難う。会いたかった」と語りかける。手の温もりが母の愛情を伝えてくれる。長男でありながら5年ものご無沙汰を詫びた。母親の近況に耳を欹てた。

母親が痛むという腹部をやさしく撫でながら、病床生活に耳を欹てたり、愛妻の死後も引き続き大阪の海運業界で活躍している自分の様子などを30分くらい話し合っている内、いつの間にか母はすこやかに寝入ってしまっていた。

この間、ホテルに戻ってシャワーをしてこようと思い、レンタカーを疾駆させて20分ほど離れたホテルの自室に戻った。そこへ驚愕する「一報」が飛び込んできたのだ。

日頃、母親の介護に当たっている4男の弟が咳き込むように言う。「母さんの病状が悪化した。救急車で県立総合病院の集中治療室に搬送したので兄貴、すぐ来てくれ」。えっ?嘘だろう?ほんの先程まで元気に話していたんだぞ!

頭は真っ白になった。冷静になるよう自ら言い聞かせながら、取るものも取らず入院先の総合病院に駆けつけた。暫く待っても病状が皆目分からない。

入院から4時間たった夜8時、主治医が家族を呼んだ。「ヘルニアは関係ない。腸内癒着で、肝臓にも空気が入っており、重篤」と、事実上余命が薄いことを宣言。「手術は出来ないことは無いが、開腸の大手術となり、成功率は30%ぐらい」と説明する。

家族会議が始まった。もう歳だから痛ませず、このまま逝かしてやったらどうかが大勢の意見だったが、面倒見ている4男夫婦が「30%に賭けよう。少しでも長生きしてもらいたいよ」と言い出し、結局手術に託すことになった。

13日午前1時過ぎから手術が始まることになった。母親が手術室に向かう時、ベッドで運ばれる母親とやっと対面できた。仲村氏が母に「頑張ってね!」と声を掛けると、母はしっかりした意識の下で、仲村氏に優しい眼差しと頷きを送り返した。

だが、手術は開腹して腸内を調べた結果、腸内のほとんどが「壊死」状態にあることが判明、手術はすぐに中止となった。

母は、同13日の午前10時35分、家族に看取られて逝去した。信じられない逝去だった。昨日話をしたばかりの母親が息を引き取るなんて、「生きている」ということは、一体何なんだろうか?


仲村氏は慟哭している内、ふとあることが頭をよぎった「あの優しい眼差しと頷きが、母の最後のメッセージだったのではないか。きっとそうだ」。

1日も満たない前日の昼、「友彦!よく帰ってきてくれたね。有難う。会いたかった」と語りかけてくれたのも、母親が「終焉の前に感謝の意を長男の自分に伝えた」のだ。

ということは、長男の友彦氏が帰郷する瞬間まで永らえる努力を続け、逝くのを待っていてくれたのだ。その「役目」を果たしたことに安堵し、この世を去ったに違いない。なんと素晴らしい母親なんだろう。

そう考えている内、毛馬氏の「運命の子・愛犬もも逝く」とそのあと自分が反響として書いた「荘厳なる終焉」とが、今回の母親の「有り様」とが重なり合い、この3者が1本の太い絆で結ばれているような気がしてならなくなった。

自分自身終焉を迎える時、毛馬氏が言うとおり、身内に「感謝の意」をしつかり伝えて逝けるだろうか。この1本の絆で結ばれた「荘厳なる終焉」だけは、自分の生き方の中に、絶対活かしたいと思っている。

以上が、仲村氏の想いを綴ったものである。1本の絆の話も、私には信じられる。しかし、両親・祖父母の終焉には総て立ち会えなかった私自身にとって、仲村氏が生前の母親と最後の「会話」をし、「おくりびと」の「親孝行」の大役も果たしたことは、限りなくうらやましい。合掌。2009.10.26

ご参考―
◆仲村友彦氏著「終焉の大切さ」
http://hyakka.seesaa.net/article/129580726.html

◆毛馬一三拙稿「運命の子・愛犬もも逝く」は、下記に掲載
 http://hyakka.seesaa.net/article/128505213.html


◆冒頭記載の「頂門の一新」平成21(2009)年10月28日刊の
<目次>
・アメリカを怒らせた鳩山政権:渡部亮次郎
・官僚に国会の「答弁メモ」を丸投げ:古澤 襄
・平野貞夫氏の鳩山首相論:阿比留瑠
・お尻が冷たいのはイヤッ!:平井修一
・続いた「荘厳なる終焉」:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

2009年09月28日

◆意外な堺市長選の結果


                 毛馬一三

政令都市になった初の大阪・堺市長選挙は27日投開票が行われたが、驚くべき結果で終焉した。

しかもこの結果を引き出した「裏の主役」が、実は橋下大阪府知事であったことが、この驚きを加速している。

もともと堺市長選挙は、3選を目指す現職の木原敬介氏に対する実績評価が高く、自民・公明両党推薦、民主・社民が支援するという、地方独自の応援体制も確立されていたことから、現職3選は不動という見方で固まっていた。

ところが、この選挙趨勢を根本から覆したのが、橋下知事だった。

橋下知事は当初、有権者の前で公然と現職市長を持ち上げ、現職支持を訴えていた。ところがそれを一転させたのは、知事の愛弟子である部下の元大阪府政策企画部長の竹山修身氏が市長選出馬に意欲をもたらしたことから、竹山氏支援に乗り替えたのだ。

ご承知のように、橋下知事は先の衆院選の時、目指す「地方分権」は民主マニフェストの方が優れているとして、与党の批判轟々の中で「民主支持」を打ち出した。早い話、目指す政治が実現するならば、批判や反発には目を瞑り、一気に突き進む老練さと強引さがある。

橋下知事にはいま、大きな目標がある。「地方分権」の推進母体とする「首長連合」の組織拡大がそれだ。その右腕に近郊政令都市の市長を「連合」の主要メンバーに出来たら、これほどの好都合なことはない。

その意味では、知名度ゼロの竹山氏ではあったが、身命を賭してでも全面応援する価値のある新人候補であったわけだ。過去の市長選で例のない、両人が写ったポスターを市内に張りめぐらし、チラシも配布した。

この作戦は、成功した。地方政治にも変革を求める有権者は、改革派のイメージの強い橋下知事の後継者たる新人・竹山氏に関心を寄せる勢いが後半ごろから強まった、出口調査によれば、無党派層の50余%が竹山氏に投じたという。

初当選した竹山氏は「橋下知事と連携し改革を進めたい」とテレビインタビューで抱負を語っている。まさに橋下知事の実質的な“請負人”であり、知事の夢を叶える「首長連合」の主要メンバーになるにふさわしい適任者だ、

今回の市長選を「橋下知事vs政党」と書いたメディアもあったが、そうではなく地方でも政治改革を望む有権者らが、むしろ市長選を通じて「知事信任の投票」をしたものだと見るのも、的を得ているような気もする。(了)2009.09.27


2009年09月24日

◆<反響> 泣かせるねぇ


                 
                   毛馬一三

筆者が9月21日の本誌に掲載した、<「運命の子」の愛犬逝く>の拙稿に、思いがけなく反響が相次いだ。「慰めの電話」や「メールによる感想」などだった。

拙稿<「運命の子」の愛犬逝く>は、5年5ヶ月生活を共にした愛犬シベリアンハスキーの「もも」との別れの話だった。

寝たきり状態の「もも」は、逝く時苦しまないどころか、終始愛された家内の居ると所へ最後の力を振り絞って歩いていき、「最後の別れと感謝の意」を告げたあと、そのまま倒れこんで息絶えた。 http://hyakka.seesaa.net/article/128505213.html (ご拝読頂ければこれに優る幸せはありません)。


筆者が終焉を迎えるとき、このような「感謝の意と表現」を家内や家族に伝えられるだろうか。「もも」の死は、死に際の所作に、「貴重な教訓」を残してくれて逝ってくれたのだ。
      

ところで、上記記載のように沢山の「お悔やみの電話や感想」を頂いた。「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏からの「感慨」は、既に本誌21日号に掲載している。

ところが、本日「頂門の一針」の常連執筆者で畏友石岡荘十氏(ジャーナリスト)から、またまた感涙を誘う一文を貰った。下記に掲載したい。

◆<毛馬 兄―

泣かせるねぇ。

小生も、ここ東京練馬(自宅)にウサギ小屋を作って以来、30年の間に2度犬を飼い、2度失った。

2匹とも庭で放し飼いにしていた。はじめのヤツは年の暮れに閉め忘れた門扉から出て、行方が分からなくなっていたが正月の三日朝、血だらけになって門の前に倒れていた。

交通事故にでもあったか。飼い主の家にたどり着いたところで、事切れたらしい。

2匹目は、賢いビーグルだったが肝臓癌で逝った。

イヌには懲りて、ネコも飼ったがこれは老衰で天寿を全うした。

この数年、懲りずにまた犬か猫をと思ったが下手をすると飼い主より長生きしそうなので
やめている。

犬2匹、猫1匹は自宅の庭の片隅に仲良く葬られている。

連れ合いが、万一のときこんなに泣きはしないだろうと女房に言ったら「私も」だって。
ああ!

貴兄が既に書き上げているという小説「命のバトンタッチ」が、本になるといいね。期待しています>。

◆石岡氏が愛犬家だったとは初めて聴く話だった。でも動物に愛情を注いだ者しか分からない「癒しの世界と格別な愛情の世界」を熟知している石岡兄から、このような「追悼文」を頂き、また「もも」のことを思い出して涙がこぼれてきた。有り難う。(了)2009.09.23