2009年09月21日

◆「運命の子」の愛犬逝く

                  毛馬一三


<本稿は「頂門の一針」(9月221日・1677号)に掲載されました。同誌には有名執筆家の卓見満載。購読(無料)御希望の方は、下記からお手続き下さい。
   http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


■私たちの家族だった愛犬「もも」が逝き、この17日に初七日の法要を済ませ数日が経った。シベリアンハスキー犬の「もも」(雌)は、13歳5ヶ月、人間の年齢では95歳位に相当する生涯だった。

たしかに長寿には違いなかったが、私たちと共に過ごしたのは、僅か5年と5ヶ月。しかも「命のバトンタッチ」という責務を背負わされた、いわば「運命の子」だったのだ。そのわけは追々・・。

さて、9月11日午前、外出先から家内と帰宅すると、いつもなら病のため伏したままの「もも」が、部屋の中でしっかりと立ち上がったまま出迎えているではないか。

「どうしたの。元気になったの?」。家内が縁側のサッシ扉を開けてやると、しっかりした足取りで、一人で庭に下りて行った。寝たきり同然の「もも」が、私たちの手助け無しに昔乍らの一人歩きを始めたことに、私たちは嬉しさと驚きが交錯した。

私たちが見守る中、庭の中をゆったりと周回しながら臭いを嗅ぎ回ったあと、片隅でたっぷりと「おしっこ」をし、再び家に中に歩いて戻ってきた。

そのまま布団に倒れ寝込んで仕舞うのかと思っていたら、何と部屋を横切り、まっすぐ家内が居る台所の方に向かって歩き出したのだ。そこで異変が起きた。

台所で炊事仕事をしていた家内の側に行った「もも」は、何かいいたげな眼差しをじっと家内に投げかけ暫く佇んでいた。家内と目を交わした「もも」は、体を反転。その瞬間、そばにいた私の両腕の中に体ごと倒れこんだ。

「どうした!もも」。絶叫する私の声に驚いた家内が、「もも、死んじゃ駄目!」と声を張り上げ抱き起こそうとしたが、「もも」はそのまま息絶え、そのまま静かに逝ってしまった。私たちは慟哭しながら、心臓マッサージ、深呼吸をしたが無駄だった。

ところで、「もも」は、今年6月に「乳腺に癌の疑い」があると宣告され、以後乳腺部位の患部が日を追う毎に肥大した。消炎の抗生物質等を飲ませる一方、患部からの出血と粘液を抑えるためにナプキンを当てた晒しをお腹に巻き、3時間おきに昼夜を問わず交換した。

だが、6月ごろからは食欲が急減、体重も減った。散歩も家の周りだけを回るだけ。あとは家に引き返すと布団の中で寝たきりという状態となった。8月中旬になると、22キロの体を抱えて身を起こし、支えて外に連れ出してやらなければ、「排尿・排便」さえ出来なくなった。

医者によると、このひどい症状でも痛みの自覚はないという。しかし死期の判断は難しいとの診断だった。それなら1日でも長生きさせようと、家内は食欲減退の「もも」に新鮮な生肉やステーキ肉、ハム、レバ、パン粥などの栄養豊富な食事を好きなだけ与えた。

これを機嫌よく食べ尽くしたため、病を吹き飛ばすに違いないと信じ、「まだまだ永らえるぞ」と自ら言い聞かせたものだった。だから天国に旅立った当日の11日、スクッと屹立した姿を見た時は、快方の現れと狂喜したのだ。

なぜ、「もも」は自力で立ち上がり、庭で所要を済ませたあと台所の家内のとこへ、奇跡だとしか言い様のない一人歩きしたのだろうか。

あとで静かに考えてみると、きっと最後の力を振り絞って、家内に「別れと感謝」の気持ちを告げたかったのに違いない。しかも「運命の子の役目」を果たしたことを直接遺言したかったのではないだろうか。そうとしか思えないのだ。

何度も書く「運命の子」だった「もも」の意味は、何だったのか。

この物語は、「命のバトンタッチ」(未刊)という題名の長編小説を、既に私が書き上げている。愛犬にまつわる家族の「生き甲斐と悲しみ」のドラマ、思いも寄らぬ奇跡の展開、それに「もも」に託した「悲願」をドキュメントタッチで綴ったものだ。

さてその物語。

平成15年3月24日、我が家で初めて飼った愛犬シベリアンハスキーの「ゴルビー」(オス)が癌のため、死んだことから始まる。生後2ヶ月で我が家の家族となった「ゴルビー」は、我が家が辛い時も嬉しい時も、そして悲しい時も、いつも癒し、楽しみ、共に慰め合うまさに家族の一員だった。

「ゴルビー」の死後、もぬけの殻になった私たちに「ゴルビー」とそっくりの「もも」の存在を知らせてくれたのが、近所の愛犬家の女性だった。飼い主の会社が倒産し、公園の片隅で飼い主の男性とホームレス同然の不自由な生活を強いられているという。

そのことを祭壇の「ゴルビー」の遺骨と遺影に報告すると、「ゴルビー」が「その子の命を早く助けて!」と叫ぶ声が、家内にはっきり聞こえてきたと言う。

その夜、教えられた現場の公園に急行。飼い主と協議の上、「もも」を救出したのだ。こうして平成16年4月24日から「ゴルビーからの命のバトンタッチ」の役目を背負った「運命の子」になったのだ。8歳の「ゴルビー」と全く瓜二つの「もも」だった。

以後、子宮蓄膿症に罹るなど2回の死線を乗り越え、5年5ヶ月にわたり、家族を癒し助け合ってくれる「運命の子」の役を果たしながら生き続け、長寿を全うしたのだった。

愛犬「もも」は、3つの貴重な教訓を残して逝っている。ひとつは苦しまず、誰にも迷惑を掛けず逝ったこと。2つめは、死後に「清潔に逝くこと」を心がけ、死の直前に「不浄を済ませた」こと。もうひとつは、お世話になった家内に最後の力を振り絞って「感謝と別れ」を告げ、私に倒れ掛かって旅立ったことだ。

私たちが生を終える時は、「もも」のような終焉を迎えることが出来るだろうか。いつの日か発刊する拙著「命のバトンタッチ」のご拝読を願いつつ、合掌。(了)
                  2009.09.19

■「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏からの本稿へのコメント。
  同メルマガ<身 辺 雑 記>欄に掲載されましたー。

 <太宰治は「すべての犬は人間を噛む」とおそれたそうだが、わたしもそう思う。だからどんなに小さな犬でも近付かない。これは子供のころ秋田で秋田犬にわき腹を食いちぎられたトラウマだろうと思う。

 毛馬さんの犬は噛まなかったのだろう。ちょっと泣かせる話だ。>

◆「頂門の一針」(9月221日・1677号)をご覧ください。

<目次>
・小澤幹事長の健康状態:渡部亮次郎
・小沢・李相得のパイプ:古澤 襄
・功罪半ばする鳩山内閣の布陣:古澤 襄
・アフガン新兵は記号も分からず:宮崎正弘
・武士道〜先人からの贈り物:伊勢雅臣
・「運命の子」愛犬逝く:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

              


2009年09月14日

◆異様な様相の大阪堺市長選

毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(9月15日・1670号)に掲載されました。同号のご案内は、本稿のあとに掲載。ご高覧の程を>


◆民主党が圧勝した衆院選挙から僅か2週間後に、今度は近畿で初めての政令市長選となる大阪府堺市長選が、異様な選挙戦の様相を展開し出した。

13日に告示された堺市長選には、3選を目指す現職に対して、3人の新人候補が立候補した。現職VS新人の対決という選挙戦は、まことに異常なことはない。だが今回の堺市長選ばかりは、その対決構造に複雑さと異様さが交じり合って、27日の投票日に向け激戦となりそうだ。

というのは、3選を目指す現職の木原敬介市長(自公推薦・民主、社民支援)に対して、新人で元大阪府政策企画部長の竹山修身氏が有力対抗馬として挑む。ところが橋下知事が新人の竹山修身氏を応援したことから、選挙戦の異様な様相が激化してきた。

早い話、知事与党である自公推薦の現職に対抗して、知事は自ら無所属新人の竹山氏を公然と支援し、11日の「決起集会」演壇で、竹山氏を自ら肩車に担ぎ上げて支援を求める派手なポーズを取るほどの熱の入れようだった。

これに対して知事与党の自公両党は、先の衆院選で「民主支持」を表明した知事への「しこり」は依然燻ぶり続けたままだが、今回の堺市長選で再び「信義違反」を繰り返し、「対抗馬」の支援に回ったことから、反発どころかあからさまに憤激の様相を示している。

更に選挙構造を複雑にしているには、先の衆院選で「政権奪取」を果たした民主・社民会派の府議や市議が、「現職」の木原氏を支援していることだ。

つまり現職木原氏には、民主・社民・自民・公明の各党が相乗りした形となっている。もっと付け加えると、民主が現職支援すれば、これに当然知事は同意するだろうと読んでいた。それが見事に外れたわけだ。

だから民主市議の中からは、「知事は自分の意に沿わない者を潰そうとする。独裁者、ファッショだ」と過激な批判を放つ声も出る始末。

ところで、橋下知事は実は08年11月の木原市長のパーティーに出席し、木原氏を「自治体の神様」と讃えて一旦は支持を打ち上げものの、今夏突如「僕はもっと素晴らしい神様を見つけた」と橋下流の言い回しをして、「竹山支持」に鞍替えして仕舞ったのである。

しかも「国政で激烈な選挙をしたばかりなのに、自公民の相乗りはわかりづらい」と相乗り選挙に批判を繰り返した。つまり木原現職不支持を鮮明にしたのだ。

まず大阪での過去の府下の市長選挙で、知事が特定候補者の支持を打ち出し、街頭で支援を呼びかけるなど事例はない。それどころか、今回の支持表明も初めての事だが、知事自身が市長候補者の竹下氏とツーショットポスターを堺市内に張り出したことも、異例なことだった。

そんな厳しい環境に敢えて身を投じていく橋下知事の腹積もりは一体何なのだろうか。見方にはいろいろあるようだが、こうした行動に出る知事には、したたか政治判断と老練さが伺えるような気がする。

知事が政治生命を賭けて目指しているのは「地方分権」であり、これを支持構成団体の「首長連合」の組織強化だ。

知事が支援する竹山氏は、知事の側近中の側近として府政改革を支えてきた人物であり、とりわけ「地方分権」推進の強力な支援者だ。だとすれば、竹山氏に政令市の市長になってもらい、その上で「首長連合」強化の核になってもらいたいという願いが、今回の支援に繋がっていると思える。

その意味では、府行政改革に些か隔絶感のある現職の木原氏より、知事自身と連携強化を図りながら常に共同歩調を確実に取ってくれる竹山氏支持に打って出たことが、自然な成り行きであり、知事の判断の上では合理性がありそうだ。

こうしたことから政令市移行後、初の市長選挙は自公推薦、民主・民社支援の現職VS無所属新人・知事支援の激戦となることは必至で、知事の知名度をバッックにする強力対抗馬の動向が、有権者の関心の的になりそうだ。(了)2009.9.13

◆本稿が掲載された「頂門の一針」(9月15日・1670号)の目次は下記の通りです。どうぞご拝読ください。

<目次>
・代表的保守論客からアフガン撤退論:宮崎正弘
・文字通り捨て石?の谷垣禎一氏:古沢 襄
・異様な様相の大阪堺市長選:毛馬一三
・静岡空港の悲惨と滑稽:平井修一
・ノースウエスト最低の記憶:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年08月31日

◆関西も自公完敗

                                   毛馬一三

自民党の大敗は、予想されていたとはいえ、現実の形なると、「自民党第1党体制」が遂に終止符を打ったことを実感させられる。

関西48小選挙区の中でも、自民党と退廃は著しく、選挙前の34議席に比べ残ったのは5議席だ。ましてや与党公明党も選挙前の6議席すべてを失った。これに対し、民主党は選挙前の8議席を何と41議席まで獲得し、自公に決定的な打撃を与えたのだ。

しかも、保守王国和歌山県の二階俊博氏(70)や大阪13区の西野あきら氏(69)らが辛くも議席を確保したものの、閣僚経験者や党幹部などの大物候補者が、次々に「敗北」という憂き目に合ったのも、今回の目を剥く特徴だった。

重複立候補せず、小選挙区での敗退で議席を失った全国最高齢候補で元外相の自民党前職、中山太郎氏(85)・大阪18区は、「自民党の政策が間違っていた。反省すべき点が多々ある」と敗因を述べた。

また大阪1区で10選を目指した落選した自民党前職、中馬弘毅氏(72)は、「全国の土石流のような流れの中で、何とか大阪1区を防波堤にという信念の下に戦ったが、本当に残念な結果になった」と敗因を語った。

一方、公明党も大阪16区の北側一雄党幹事長(56)と兵庫8区(尼崎市)の冬柴鉄三氏(73)も、完敗を避けられなかった。民主が推薦する新党日本新人の田中康夫氏(53)に敗れた冬柴氏は、「市民の厳正な判断の結果」と悔しさをにじませた敗戦の弁を吐露。今後については「年も年なので…」と政界引退も仄めかせる始末だ。

確かに民意の強い意思表示で「政権交代」は実現した。民主党の鳩山代表は9月中旬にも、鳩山内閣を誕生させる意向だという。当然「圧勝」に後押しされる新しい政治構図には違いない。

しかし民主党政権に不安がないではない。第一、続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の若手や女性候補たちだ。

天下り、随意契約、官製談合、消えた年金等さまざまな闇を徹底的に暴いてみせると 口を揃えて訴えてきたが、霞ヶ関の官僚体制の一角でも崩し、打破していくパワーがあるだろうか。

今回民主党に鞍替えして投票した主婦らに聞くと、「高校の授業料が無料化」される公約だけを信じて、一票を献じたと言っていた。ということは民主が歴史的飛躍を遂げた以上、マニフェストを誠実に実行するのが重大な責務となるのは当然のことだ。

「子育て」「授業料無料化」「高速道路無料化」等、耳障りのいい家計支援の公約実現に引き当てる「財源」はどこから引き出してくるのか。その公約実現をひたすら信じて民主党に投票した有権者ですら、今なおそこには「不安を感じる」との本音を吐き出している。

政権交代が凄まじい民意によって導き出され、日本の政治に新しい扉をこじ開けた事は事実だ。55年の結党以来続いた自民党「第一党体制」も崩れた。自民党は「奈落の底」に当分低迷し、暫くは立ち上がれないかもしれない。

しかし、民主党のマニフェストが一向に陽の目を見ない事態が次々と表面化しだしたら、また政局は激動しはじめるだろう。民意を舐めてかかると、今回のような自民党惨敗の憂き目に合うことを忘れて欲しくないものだ。(了)  2009.08.31

◆渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」(8月31日刊1655号)をご拝読下さい。

<同号目次>
            
・「小泉選挙」の裏返しだ:花岡信昭
・いい加減な死因報道:石岡荘十
・「お前の目は黒くない」:渡部亮次郎
・広島・長崎への原爆投下の真実(3):岡崎渓子
・すべては米国の計算違いから:宮崎正弘

・話 の 福 袋
・反     響
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2009年08月25日

◆橋下大阪府知事のタイ訪問


              毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1650号(8月26日刊)に掲載されました。有名著者卓見満載の同メルマガをご覧ください>

大阪府の橋下知事が、24日昼前、関西空港からバンコクに向けて出発した。タイ訪問は初めて。訪問の理由を、タイで行われる経済交流セミナーへの出席としているが、本音は別のところにある。

橋下知事は、総選挙が始まる直前に、自民・民主のマニフェストを検証した結果、衆院選挙では民主党支持を明らかにした。その上で、選挙中は「与党自公の応援マイクは握らない。といって、民主党のマイクも握らない」と述べ、18日の総選挙告示日からは総選挙には関りをもたず、ひたすら山積する府政課題に傾注している。

とはいえ、府議会与党の自公両党からは、「知事選応援の恩義を忘れ、勝ち馬に乗ろうとする意思が伺える卑劣な行為」と、橋下知事に対する反発は一向に収まる気配を見せていない。

こうしたことから橋下知事としては、総選挙の生々しい情勢下の大阪を離れ、アジア各国との関係強化のテーマに専従する事の方が、府議会与党の神経を些かなりとも和らげることに繋がり、同時に民主党を有利に導くとの見方からも回避出来るという、橋下流の本音の判断がここにある。

橋下知事は、今月27日までバンコクに滞在し、25日は、大阪とタイの経済交流を促進するためのセミナーに出席し、大阪の企業の製品や技術力をアピールするほか、26日は、タイの通商代表らと会談し、経済や観光交流の促進に向けて意見を交わすことになっている。

タイ滞在は27日までで、27日に現地の公立高校や、舟の上から物を売り買いする水上マーケットを視察したあと帰国する。

従って、知事の執務は28日からで、総選挙には実質的な関りはないことを貫くことになる。

ということは、この知事の巧みな戦略で、府議会与党が改めて「民主支持」を打ち上げた橋下知事との与党関係の見直しを迫る舞台は、総選挙の結果とも絡んで急遽バトル化する可能性は薄い。


ところで橋下知事にからむ余談だが、総選挙後に開かれる大阪府議会9月定例議会で、橋下知事が「知事辞職」を匂わせながら府議会と対決する意向を固めている案件があるということだ。このほうが今から懸念される。

その案件とは、「府庁舎を大阪南港のWTCビルへ移転する議案」を再提出することだ。同案は、先の府議会で否決されたが、再び否決された場合、府民に是非を問うため知事を辞職し、知事選挙に再立候補する可能性もあることを記者会見で示唆したのである。

もともと知事は、将来大阪港を臨む南港地帯を副都心とし、海外との輸出入を拡大する新しい港の整備や、周辺地域に関連企業、金融機関などを集約して、低迷する大阪経済の突破口にしたい考えで、大阪市との連携も視野にいれた協議会つくりを急いでいる。

だから、議案が再び否決された場合、「前回は、出直しの選挙はやらないと言ったが、今回は、やらないとは言わない」と記者団に述べ、府民に是非を問うため知事を辞職し、再び知事選挙に立候補する可能性を示唆したわけだ。

府議会の各党では、従来は知事案に一部が賛成しているものの、大多数は反対の意向だ。しかし今度の総選挙の結果が、知事の「背水の陣」の気構えにどのような動きをみせるのか不透明。再び知事をめぐり大騒動になることだけは間違いなさそうだ。(了)2008.08.24

■「頂門の一針」1650号(8月26日刊)

<目次>
・橋下大阪府知事のタイ訪問:毛馬一三
・米国は「バナナ共和国」に:宮崎正弘
・お土産を持って北にいらっしゃい:古澤 襄
・福澤桃介と大井ダム:永冶ベックマン啓子
・「極東ロシア見てある記(1):粕谷哲夫

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2009年08月21日

◆大阪市立友渕中 全中サッカーで惜敗

                    
             毛馬一三

長崎県島原市で開催されている全国中学校サッカー大会で、初戦突破を果たした近畿代表の大阪市立友渕中学は、21日2回戦で地元島原市立第一中学と対戦した。

この試合、両チームとも実力は互角、キックオフのホイッスル直後から厳しい試合展開となった。前半戦は双方相譲らず0−0で終わり、後半戦に勝敗を賭ける緊迫した試合となった。しかし後半戦10分に島原市立第一中が幸運にも決めたゴールが決勝点となり、友渕中は涙を呑んだ。

アウェイの試合となった友中の選手たちは、会場満杯の相手校応援団の爆発的な声援にも負けることなく、最後までゴールに向かって突進した。アウェイの試合にも怖気付かなかった友中は、素晴らしい。

大阪から遠路駆けつけた30余人の父兄たちの応援団は、試合後応援団の前で感謝の頭を下げる選手・コーチに健闘を称える大きな拍手と声援を送ったが、選手たち全員が泣きじゃくり、コーチ陣が必死になだめる一幕もあった。

同中の全中サッカー大会出場に「激励電報」を寄こした平松市長も、「今日の惜敗」より「初戦突破で友中の名前を全国に広めた」実績に改めて賛辞を送るとともに、「サッカーで培った努力の尊さ」を、部活全員が深く心に刻むよう願っているという。

とにかく初の初戦突破を果たし、念願の2回戦に進出したこと自体が友渕中サッカー部の歴史を華々しく飾る。選手たちは胸を張って帰校して欲しい。よくやった、友渕中サッカー部!!

なお、近畿代表のもう1チームの高槻市立第二中は、20日東京都代表の日本大学第三中と初戦を対戦。1−1でPK戦となったが、7−6で敗れている。(了)2009.08.21 14.30

◆全中サッカー大会、友渕中2回戦へ

             毛馬一三

長崎県島原市で20日から開かれた全国中学校サッカー大会(全中サッカー大会)で、近畿代表の大阪市立友渕中学サッカー部が、初戦の相手校・栃木県の下野市立国分寺中学校をPK戦で破り、初戦を飾った。

試合の前半は0−0と互いに譲らず無得点、後半は友中が先制したものの、すぐに国分寺中に追いつかれ、1-1の同点のまま、延長戦にもつれ込んだ。

前半・後半にわたる延長戦でも決着がつかず、結局PK戦となり、友中が5-4で国分寺中を辛うじて突き放し、初戦を飾った。初戦に勝ち2回戦に挑むのは、友中としては初めて。

全中大会には、昨夜から自家用車などで駆けつけた父兄30余人が声を嗄らし懸命の応援を続け、PK戦で勝利した瞬間には、緊張と感激の余り泣き出す母親たちも多数いた。また友渕中の松本克彦校長も急遽、飛行機で会場に駆けつけ、勝利した選手・コーチ一人ひとりと握手を交わし勝利の喜びを分かち合った。

特にこの初戦勝利のニュースは、昨日友渕中校長宛に「檄電」を送った平松市長にも届けられ、これを聞いた平松市長も「明日からの試合に期待したい」と熱っぽく語ったという。

さて初戦を勝ち2回戦に挑む友渕中は21日、地元島原市立第一中学校と対戦する。言ってみれば、地元の大勢の応援団の声援をまともに受けるアウェーの試合と同様で、強烈なプレッシャーを受けることになる。

しかも対戦相手の島原市立第一中は、四国代表の強豪市立中学に4−0で完勝している。特に試合開始直後の6分に最初のゴールを決めているほか、終盤の50分と58分にも得点を重ねるなど、多様かつ執拗な攻撃性を特徴とするチームだけに終始油断は出来ない。

だが、友渕中は極めて意気軒昂。全中大会2回目の挑戦で、初めて初戦を突破し2回戦への舞台へ飛び出すことになった友渕中の全選手は、果敢な気力と闘志に満ち溢れ、アウェーの雰囲気などには絶対負けずに頑張り抜くと意気込んでいる。

とにかく悔いの無い試合を期待している。がんばれ!友渕中!

>☆大阪市立友渕中学校vs島原市立第一中学校 ←クリック(大会の詳細)

2009年08月15日

◆橋下知事の民主支持で広がる衝撃


               毛馬一三

<本稿は全国版メルマガ「頂門の一針」8月15日刊1639号に掲載されました。卓見満載の「頂門の一針」もご拝読ください>

大阪府の橋下徹知事が、総選挙で民主党支持を鮮明にしたことで、地元大阪では激震が広がり、選挙直前のこの週末に向けて大きな騒動となりそうだ。

発端は橋下知事が、自民・民主の政権公約を検証した結果、民主党が「政権交代というエネルギーを活用して国のあり方をけることに踏み込もうとしている」と評価、「首長連合」として衆院選挙では民主党を支持すると、中田横浜市長とともに表明したことがキッカケ。

民主支持を明らかにした橋下知事は、「自公応援のマイクは握らない。といって民主のマイクを握ることまではしない」と与党自公への配慮を覗かせているが、知事が野党民主党支持に転じた予想外の行動に有権者の間では、反発と賛意が激しく交錯し出している。

しかも総選挙直前の知事の行動は、総選挙の趨勢を知事なりに見極めた上でのことではないかとの受け止め方も多く、府民の投票行動にも影響を与えそうだ。

橋下知事は、どうして野党民主党支持に転じたのか。

橋下知事が就任以来掲げてきた最大の政治テーマが「地方分権」だ。地方は「霞ヶ関の奴隷」だと槍玉に挙げ、「霞ヶ関の解体」こそが地方救済の秘策だとし、全国5首長を結集して「首長連合」を立ち上げた。

ということは、地方に任せるべき財源まで搾取同様の政策を強行する「霞ヶ関」を解体する以外に、破綻寸前の地方財政を救済する道は無いという理屈だ。

そこで今回の衆院選挙を絶好機と考え、自民・民主両党本部から「地方分権改革への熱意」を聞き質し、詳細に検証した。その結果、自民には期待できないと判断。ついに民主党支持を打ち出したのだ。

知事にしてみれば、悲願の「地方分権の実現」を民主党が公約してくれた以上、府民優先を考えた末に決断した「知事選択」を、府民は十分に理解・納得して呉れると言う筈との判断に至ったものだ。

案の定、府議会野党ながら知事から支持を受けた民主党府連では「自公を応援しないことだけでも、選挙にはプラスになる」と大歓迎。街宣車でマイクを握らなくても、知事が民主党を支持している政治効果は絶大だとして、総選挙本番に向けての活動でこの宣伝に力を入れる方針。

だが、知事選、議会運営で与党役割を果たしてきた自公両党は、それでは収まらない。「裏切り行為だ」として一斉に反発。与党幹部の一人は「勝ち馬に乗ろうという算段で動いている。与党貢献を省みない、言語道断の信義則違反だ」と切り捨てる。

正直、今回の総選挙が民主有利に動いているとの情勢を踏まえ、これを跳ね返す極め付きの戦術を模索していた矢先だけに、想定を覆す意外な知事の行動には大きな衝撃を受けているのが事実だ。

とはいえ、来週早々に迫った総選挙を控え、いまさら知事の意思を覆すことに時間を費やすことも実効なしと判断、この際この週末からの総選挙対策を「知事抜き」で組み立てなおす緊急対応策を協議するなど、火が付いた慌ただしさを見せている。

従って与党自公両党は、「知事離反行為の是非」は、総選挙後の9月議会で決着付けることにし、今は徒に騒ぎ立て過ぎて不利な選挙情勢として跳ね返ってこないよう、事態の沈静化を図ることに躍起となっている。

当の知事は、こうした情勢を見守りながら「政党に対する恩よりも、府民がどう理解してくれるかに今も軸足を置いている」と依然「民主支持」のスタンスを堅持する意向を崩しておらず、となれば知事の民主党支援が大阪での総選挙の影の舞台で、少なからず影響を与えることは間違いなさそうだ。(了)2009.08.14 

◆本稿掲載の「頂門の一針」(8月15日刊)1639号
<同号目次>
・中国経済は空前の破裂が近い?:宮崎正弘
・橋下知事の民主支持で広がる衝撃:毛馬一三
・国会議事録の危機:綾野 幸
・米国市民の日本政治認識:前田正晶
・繰り返すインフルエンザ蔓延の歴史:石岡荘十

・話 の 耳 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年08月12日

◆戦没先輩を偲んだ(再掲)



                 渡部亮次郎

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏が本欄「百家争鳴」に寄稿、07年6月27日掲載したものです。今回「再掲」したわけは、本稿末尾に追筆します。ご高覧の程を。
 なお、「頂門の一針」本日号に掲載されました・・主宰毛馬一三>


<本稿>
学校の創立記念事業にはいろいろある。私の県立秋田高校は前身秋田中学校の始まりが1873(明治6年9月1日)だから、この秋で創立134年を迎える。

私たちが卒業した時は80周年だったので、秋田県記念館で日本舞踊家五條珠実の舞踊披露が記念行事の1つだった。

先輩の大流行歌手東海林太郎(しょうじ たろう)が存命中だったから、彼の公演を希望したが、届かなかった。尤も地元では彼はアカ(共産主義者)と思われていたので、それでかもしれない。

話は九州に飛ぶ。その昔、福岡県立中学修猷館(しゅうゆうかん)の寄宿舎の一部を仮校舎として開校した県立福岡高等学校が、平成19年6月9日に創立90周年記念式典を挙行した。ここまではどこにでもある話。

福岡高校の男女生徒たちは昭和20年4月、海軍航空隊攻撃機の機長として散った大先輩の遺徳を詩や短歌に詠み、それをもう1人の先輩の声楽家に歌っていただき、CD4000枚と歌曲集(楽譜)3000部を先輩や関係者に配布したのだ。

「誰よりも 愛すべき人よりも なお 国を愛して 逝きし人かな」
「願わくは 時空をこえて 語りたい 白き心は くちなしの花」
74歳の現役バリトン歌手山本健二さんが朗々と、しかし、しんみりと歌った。

歌われた話題の主は大東亜戦争で学徒出陣し24歳で散った故宅島徳光さん。福岡高校(当時はまだ福岡中学校)から慶応大学に進んだが、戦況の悪化に伴って断行された学徒出陣で海軍航空隊に入り、終戦直前の昭和20年4月9日、宮城県の松島基地から出撃したまま、金華山沖上空で不帰の人となった。

生前に残していた「青春の記録」は、一部は既に戦没学生の手記を集めた「きけわだつみのこえ」に収録されているが、遺族は「記録」の全部を昭和36(1961)年に「くちなしの花」として自費出版した。

実はこの遺稿集を偶然の機会に読んだのが声楽家の山本さん。「この本を読んだいまの高校生の言葉を歌にして、後世に残してみては」と母校に持ちかけたのだ。

話をうけた校長(当時)藤 和義さんが遺族に「全校生徒に読ませたいので、是非」とお願いしたところ井上清方さんから1冊が寄付された。

生徒たちは一昨年から全員で回覧。伝わる思いを詩や短歌にした。その中から10編が選ばれ、山本さんの知り合いの作曲家平野淳一さんがすべてに曲をつけ、更に山本さんが黒尾友美子さんのピアノ伴奏で10曲すべてを謳いあげた。

ほかに「くちなしの花」と題する故人の手記を元NHKアナウンサーの山田誠浩さんが朗読している。

90周年記念音楽会は6月9日の夜、博多区築港本町の福岡サンパレスで開かれ山本さんがCDから選んだ2曲を歌った。

CDの冒頭の1曲「くちなしの花」作詞村上駿君は高校60回生。
くちなしの花が散った 枯葉と共に散り落ちた それでも 今日も
明日も 心の中に いつまでもその花を 咲かせていよう 寂しくとも 寂しくとも

高校60回生 末次由布子さん「光の種」
この青空の向こう側 あなたは笑っているのでしょうか 今日もあなたを想います 故郷(ふるさと)遠い空の下

・・・たとえ心が枯れようと 光の種を残しましょう あなたが咲かせてくれるなら 輝く未来(あす)にゆれるでしょう

縁あって山本さんから、今度はこのCDに紹介記事(5月29日付西日本新聞)を添えてご恵贈に与かった。

山本さんは言う。「作品を通して若き後輩たちの深き精神性を知ることが出来た。満ち足りた気持で同窓の方々と共に90周年を祝うことが出来る。

西方浄土、薄きばら色の空に眠る宅島徳光先輩、並びにわだつみの声、草生す屍となった幾万々の御魂に、合掌」。
CDについての御問合せ先は福岡県立福岡高等学校 
電話:092-651-4265 HPは http://fukuoka.fku.ed.jp/


◆主宰者よりの追筆ー

本稿を再掲したきっかけは、実は今年「関西福中・福高同窓会」の常任幹事(IT担当)に就任した私宛に、同会会長小山富夫氏から貰った一通のメールだった。

そのメールは下記のような内容だった。

<昭和20年4月9日、飛行訓練中金華山沖で殉死された福中先輩・宅島徳光さんのURLをお送りします。宅島先輩の手記が「くちなしの花」として渡哲也が歌ったことはあまりにも有名です。
http://fukuoka-senjin.kinin.com/data/item/759
http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=386

19年6月9日の福中福高創立90周年記念式典で、宅島先輩の詩が詠まれ、高校3回生卒で歌手の山本健二さんが作曲した鎮魂曲が披露されました。この時の模様を記録したCDを、近くお持ちします>。

俳優渡哲也が歌った「くちなしの花」は、よく知っている。というより、歌名を聞いただけでメロディーが脳裏を駆け巡るほどの愛唱歌のひとつだ。「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさくちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくるくちなしの白花・・・」。

それほどの歌であるのに、その歌詞の基になったものが、福中先輩の宅島徳光さんの「戦時手記」だったとは不覚にも、知らなかった。小山氏のメールが無かったら、知らないままに過していたに違いない。

ところがそうこうしている内、ハッと思い当たることがあった。たしか宅島徳光さんのことを、畏先輩で「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏から寄稿して頂き、本欄「百家争鳴」に掲載したような記憶が、頭をよぎったのだ。

急かれるままに本欄のバックナムバーを調べた。間違いなく07年6月27日の本欄に掲載していたことが確認できた。内容が凄い!

ご拝読頂いたように、我が同窓会90周年記念に触れられ、宅島先輩の当時の想いの詩が詠まれ、先輩声楽家作曲の鎮魂歌の披露のことまで克明に書き込まれている。しかも「CD」のことにも触れられている。紛れも無く今も息づく「玉稿」だ。

同窓会の小山会長が近く、創立90周年の行事記録の「CD」を持参してくることになっているが、おそらくその会合の時は宅島徳光先輩の「偲ぶ会」になるだろう。であれば、2年前に掲載した渡部亮次郎氏の原稿を、事前に「再掲」しておこうと思った次第だった訳だ。
                        (了)  2009.08.12

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2009年08月05日

◆意気軒昂! 大阪府庁稲門会

           
                    毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1630号・8月5日(夕刊)に掲載されました>

平成21年度の「大阪府稲門会」の総会が4日夜、大阪梅田の大阪マルビルの宴会場で開かれた。大阪府庁に入庁した早稲田大学卒の現役職員やOBらを会員とする同窓生交流会である。

いま時の人の橋下徹知事も同窓生で、知事に出席要請をしたそうだが、残念ながら同知事は公務多忙を理由に出席出来ないという返事だったという。同窓会は100余人の会員のうち31人が参加した。

私は府庁職員OBではないが、NHK記者時代に府庁記者クラブのキャップをしていた頃の親交の深かった府議会議員や府幹部職員からの推薦で、20数年程前から、「同会顧問」として招かれている。

今回は勿論久しぶりに旧友たちと再会するのが主目的だったが、特に打ち解けた雰囲気の中で府庁現場の実情を確めたい事もあって出掛けた。

というのは、橋下知事の府財政改革に伴う職員待遇の切り詰めなどにより、知事と職員との間に軋轢が生じていると巷間流布されていることが、事実存在するのかどうかを質したかったのだ。

現職とOB(府外郭団体勤務)職員のそれぞれ複数人に、雑談の合間にそれとなく訊いてみた。総じて返答は一致していた。

<いきなりの給与カットは痛かった。過去の知事と悉く異なる業務指示のスピードに、当初困惑したことも事実だ。しかし、これが府財政再建を最優先させる知事の政治姿勢だと理解出来始めてからは、納得して業務に励んでいる。

知事からの業務指示はメールで職員個々に伝えられるが、指示内容は適切なので、それに沿って案件処理を円滑に行っている。違和感は特にありません>、ということだった。

だとすれば、知事と職員間の確執が広がりつつあるとの風評は、一体どこから発せられたものなのか。少なくともこの稲門会会員の間からは、そのような危惧やボヤキは皆無だった。

ところで、交流会は盛り上がった。私と同じ「顧問」として出席していた自民党府議2名と共産党府議1名から、近況報告と激励の辞が述べられ歓声が沸いた。私にも挨拶を促されたので、マスコミ出身の立場から「ワッハ上方移転」に触れた。

「知事は、吉本興業の抗議に対して契約書を精査すると言っておられるが、これは実務上同締結に携わった中川和雄元知事と谷川秀繕元副知事(当時)に質すべで、契約もあと2年残っていることも勉強すべきです。知事には渡している拙著「ワッハ上方を作った男たち」を熟読して欲しいですね」。

こう言ったら、「ワッハ上方の本、読んだよ!」という声があちこちから飛び交い、感激の余り胸がつまった。

ところで、隣に座ったのが中川元知事時代に知事室長を務め、府水道管理者で退職した田中建治氏(現家裁調停員)だった。今年70歳になる同氏が面白い話を聞かせてくれた。

<ボケ防止には、毎日一、十、百、千、万の鍛錬があります。「一」は1時間の読書。「十」は内容にある十の会話。「百」は深呼吸の数。「千」は毎日千文字書く。「万」は万歩の歩き。私は毎日意識して之を励行しているんです>

そうか、これが健康維持の秘訣か。そう思うと同じ年の田中氏の健康ぶりが如実に伺える。私もやってみようと思った次第だ。

総会の締めくくりに、その田中氏が演壇に立ち、今年の11月23日13時から「53年ぶりにオール早慶戦・甲子園決戦」が行われるので、早めにチケットを求め早慶戦を盛り上げようと呼びかけた。ハンカチ王子の斉藤祐樹投手(早稲田)も参加するという。

とにかく有意義かつ意気軒昂な「府庁稲門会」総会ではあった(了)
2009.08.05


◆本稿掲載の「頂門の一針」
   <1630号(夕刊)目次>

・元米大統領、米女性記者と帰国:古澤 襄
・これがアメリカのやり方だ:花岡信昭
・中共に日本を売る民主党:平井修一
・初期水戸藩の一風景:照山忠利
・意気軒昂!大阪府庁稲門会:毛馬一三
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年07月31日

◆橋下知事vs吉本興業って?

            毛馬一三

◆<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1624号(本日刊)に掲載されました。同号目次は下記に記載、同号のご拝読を!>


大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」の移転をめぐり、橋下大阪府知事と家主の吉本興業との間でバトルが浮上してきている。

ことの起こりは、ビル賃貸料が高すぎるとして「ワッハ上方」を大阪名所・新世界の通天閣(大阪市浪速区)へ移転させる意向を突然公表したことから、ビルの家主・吉本興業が「一方的な発表には遺憾の意を表する」と抗議したことから始まった。

この抗議に対して橋下知事は、すぐさま「移転には府民の99.999%が賛成している。抗議は、府民に『自分たちの賃料だけはくれ』と言っているということだ。吉本さんはあまりにもお金に“がめつい”のではないか」と反論したのだ。

確かに、橋下知事は就任直後から危機的な府財政再建に取り組み、職員の給与カットや不要な府施設の廃止、各種事業の縮小などを強行する一方、国に対しても「地方分権」を主張して府の無駄な出費を食い止めるなど、府財政改革に際立った成果を上げている。

だから知事としては、年間約2億8000万円に上る賃料の「ワッハ上方」を、年間僅か1800万円で借りることの可能な通天閣に移転すれば、財政改革を目指す橋下府政が府民の評価を受けることは必至と進めだした秘策だったのだ。

しかも賃料が極端に安いだけでなく、大阪観光名所の通天閣とそこに同居する「お笑い殿堂・ワッハ上方」の名声とが結びつけば、他府県からの集客効果も上がり、諸所から聞こえてくる移転そのものに反対する意見も、それとなくかわすこと出来ると読んでいる。

だが、吉本興業の抗議には強固な姿勢が浮き彫りになってきており、両者のバトルは、そう簡単には沈静化しそうにはない。

というのも第一、「ワッハ上方」のビル賃貸の契約期間は、15年となっていることだ。「ワッハ上方」が開館したのが、平成8年11月14日だから、契約上では、大阪府は平成23年まで同ビルを賃貸しなければならない責務がある。

中でも「ワッハ上方」の4階演芸ホールは、大阪府の要請で特別仕様とした壁、床、天井の作りは、契約解除の時点で「鉄骨状態」に戻すスケルトン条項を遵守しなければならないことが契約に盛り込んである。これを放置した契約解除は有り得ない。

つまりこうした契約内容が事実上黙殺され、些かの告知なしに「一方的移転」を公表した大阪府の姿勢に、吉本興業側としては納得いかないという主張である。

しかも吉本興業が、「損害については適切な補償を求める」と抗議の中で暗に訴訟も辞さないという態度を示したのは、2年を残したまま一方的な賃貸契約の打ち切りにより生じる賃貸料の赤字については、大阪府に補償を求めるという意味に他ならない。

年間2億6千余万円も節約できる通天閣移転が、府財政改革に多大な貢献を果たすと信じている橋下知事と、土地買収費、ビル建築費を全額負担し、且つ賃貸料金を値下げに応じてきた吉本興業側との間は、契約打ち切り問題も絡み、事態は深刻だ。

となれば、この契約に対する両者の歩み寄りがなければ、知事の目指す「移転」は簡単に運ぶことにはならない。

実は、契約を結んだのは、知事就任直後の横山ノック氏(故人)だが、事実上の契約締結者は、ノック知事の前任者の中川和雄元知事と谷川秀善副知事(現参議院議員)だ。中川元知事は、谷川副知事と共に吉本興業の中邨秀雄社長(当時)と規約書の内容を詰めた人物である。

私は、2005年5月に拙著「ワッハ上方を作った男たち」(西日本出版社)を発刊したが、そのドキュメント小説の中に、契約の経緯やこれに関わった人物像を克明に綴っているので、ご一読頂ければその辺りはご理解頂ける筈だ。

そうした事情を知るために橋下知事は、中川元知事と谷川参院議員と会い、契約の経緯や大阪府の取るべき立場を相談することになるだろう。

全国知事会であれほど執拗に主張していた「支持政党表明」を、態勢を見極めるとただちに同主張を取り下げるなど、橋下知事の政治判断に基づく行動は素早い。

となれば、府財政改革に避けて通れない吉本興業との対応にも、これまた“橋下流”の素早さを作用させて府民を驚かす結果を導き出すのではないだろうか(了)2009.07.29

◆本稿が掲載された「頂門の一針」1624号(7月31日・金曜刊)
<同号目次>
・リベラル派は自殺への行進:古森義久
・米でのワクチン接種順位:石岡荘十
・日本が消えている:宮崎正弘
・橋下知事vs吉本興業って?:毛馬一三
・8月期特別フォーラムのお知らせ
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年07月17日

◆米パラマウント大阪進出の支援者

                          
                 毛馬一三

大阪万博公園に隣接するエキスポランド跡地に、米映画パラマウント・ピクチャーグループ「パラマウント・ライセンシング・インク(PLI)」が、(日本時間16日)、テーマパーク・リゾート会社「パラマウント・リゾート大阪」の進出計画を発表した。

PLIは出資しないが、今後、同社と共同開発を手がける大阪市北区のファンド運営会社「燦キャピタルマネージメント」が、開発・建築資金の出資を投資家から募ることになっている。

気になる開業時期だが、パラマウント側は、同社が創業100周年を迎える2012年の前年の2011年に立ち上げたい意向だといわれる。このテーマパークが開業すれば、大阪にはUSJ(ユ二バーサル・スタジオ・ジャパン)と共に、2つの米映画テーマパークが共存することになる。

さて、進出する「パラマウント・リゾート大阪」では、40万平方メートルの同跡地地に、パラマウント映画ブランドを冠する世界的なエンターテインメント・リゾート施設の開発を目指す。

目指すのは、豪華な造園風景、美しい建築物、革新的「グリーンテクノロジー」を特徴とする、パラマウント映画の伝説的な貯蔵フィルムの感性をちりばめた複合施設を想定しているという。

「地元住民と観光客の双方に、感動的で独創的なエンターテインメントを体験してもらう」としているが、既に構想計画は終え、計画作成は最終段階を迎えているとしている。

このパラマウント大阪進出について橋下徹大阪府知事は、<「大阪府としては大歓迎。非常に大きな話と捉えている。実現すれば、大阪のUSJと並ぶエンターテインメントとなる可能性があり、2つの施設で都市を活気づかせる中核施設になるに違いない。是非実現するように頑張って頂きたい」>と16日、語っている。

また<PLI社のマイケル・バルトック筆頭副社長は、「エキスポランド跡地は非常に優れた立地。われわれは長い間、このマーケットに注目してきた」とのメッセージを出している>。(産経ニュース)

ところで、このテーマパークの進出には、日米民間企業の共同事業であるため、本来なら大阪府知事が表立って関与する立場にはない。

ところが、この跡地が、国と大阪府が出資する独立行政法人「日本万国博覧会記念機構」が保有、管理する万博公園内にあることから、事情が違ってきた。というのは、同エキスポランドは昨年10月に経営破綻し、この処理に大阪府が看過出来ない状況に迫られているのだ。

そんなところに、パラマウント側が昨年、大阪府に同跡地への進出打診をはじめ、跡地利用が可能になるよう、橋下知事に直訴してきたのである。

そこで橋下知事は、このテーマパークが開業すれば、雇用の創出、集客による財政効果、更には運営に伴う税収増加が見込まれるなど低迷する府財政の再建に繋がると判断。パラマウント側との説明会に出席して進出計画の全容を聴取している。

その上で知事は、今年1月ごろから政府首脳と数回面会し、跡地利用が実現するよう直談判しているのだ。

こうした知事の熱心な行動を見守っていた関西財界は、大手商社や大手証券会社などが、パラマウントテーマパークの開業の出資に応じる態勢を固めだし、最近になり開業に必要な資金調達の目途はほぼ就きだしたといわれている。

早い話、橋下知事のこうした動きは、図らずもパラマウントテーマパーク進出計画を後方支援する強力なパワーとなっているのは事実だ。知事の「大歓迎。是非実現するように頑張って頂きたい」の文言には重みを感じる。

突然降って沸いたようなパラマウントテーマパーク進出計画だったが、これが開業したら、大阪を訪れる観光客も増え、再び活気溢れる大阪が蘇ることは、知事の言う通り間違いないところだろう。(了)2009.07.16

2009年07月15日

◆米原潜佐世保初入港のスクープ

 
                   毛馬 一三

<本稿は、7月15日刊の全国版メルマガ「頂門の一針」1607号に掲載されました>

山崎豊子著の「運命の人」(全4巻・文藝春秋)が今、ベストセラーになっている。山崎豊子フアンの筆者は、先ず同書1巻を買い求め、読み始めた。ところが、読み始めたところ、「エッ!?」と思う記述が目に飛び込んできた。

その記述とは、第1章の「外交官ナンバー」に書かれている「米原潜日本初入港スクープ」のくだりである。主人公の毎朝新聞政治部の外務省担当・弓成亮太が同省審議官から耳打ちされたことがキッカケで、政府公式発表前に米原潜佐世保入港当日の朝刊で「スクープ」したというのだ。

だがその「スクープ」より先に「原潜佐世保入稿」の「特報」を出したのは、NHK福岡放送局からだった。しかも入港より丸1日早い、昭和39年11月11日早朝6時だったのである。

この「特報記事」を書いたのは、当時現地NHK佐世保放送局の新人記者の筆者だった。当時の思いと事実経過を「回想」しながら、綴ってみることにした。経過は追々・・。

そもそも、「米原潜佐世保米軍海軍基地入港」が発表されたのは、昭和38年3月。以来、佐世保では地元社会党系労働組合が「原潜入港反対闘争本部」を立ち上げ、これに市民団体も呼応して、大規模な入港反対闘争がはじまり、佐世保市内は米海軍基地周辺を中心に騒然となり出した。

とりわけ被爆地長崎と隣り合わせの現場佐世保では、米原潜搭載「核」持込みの懸念が市民らを強く刺激し、急遽集結した各地の革新団体や全学連が、デモ行進や集会を繰り広げ、騒動は日増しに激化していった。

その反対闘争の取材担当が、当時NHK佐世保局に赴任して間もない筆者だった。「サツ回り」と兼務だったが、入港反対闘争本部だった当時の佐世保地区労(佐世保地区労働組合会議)本部に夜討ち朝駆けを行い、反対運動の動静を追い続けた。

当時、総評系の佐世保労働組合の中核組織「全駐労」の委員長だった石橋政嗣氏が、衆院議員に転身して社会党書記長に就任していたことなどから、この反対運動は当時野党第一党の社会党と緊密に連携しながら、全国規模の反対運動に発展していった。

筆者は、帰郷する石橋書記長を掴まえ「反対運動」の中央の方針をしつこく聞き取って回ったことから、気難しい石橋書記長から特に目を掛けて貰う間柄となった。

同時に、足元の社会党系「佐世保地区労闘争本部」の速見魁議長、小島亨事務局長、西村暢文本部員らにも気に入られ、極めて親密な関係を築くことが出来た。

この仕事は、歴史の現場を直に目撃できる、当に「記者冥利」に尽きる無上の喜びであった。しかも現場で親交を深めた取材対象の人脈とも、立場を超えた人間同士の触れ合いが出来ることも学んだ。そうした教訓は、駆け出し記者の記者魂を助長してくれた。

そんな折の昭和39年11月10日の夜10時過ぎ、佐世保放送局で当直勤務をしていた筆者に、佐世保地区労の小島事務局次長から電話が入った。

「あなたの家に電話をしたら、当直と聞いたので電話したよ。実はね、上の方からあなただけに伝えなさいと今、指示があったので連絡するんだが・・・」

小島事務局次長はそう言った上で、「米原潜シードラゴンが12日朝、佐世保に入港する」という極秘情報を伝えてきた。筆者は、足が諤諤と振るえ、気は動転し、感謝の意を短く伝えるのがやっとだった。

すぐさま、福岡放送局の報道課長の自宅に架電してその情報を伝えると共に、これから出稿する旨を伝えた。報道課長は直ちに東京政治部の首相官邸キャップに連絡し、政府から確認を取って貰う。「君は、米原潜12日入港の記事を急いで書き、送りなさい」という指示が出た。

11日の2時ごろ、原稿を送ろうとしているところに、報道課長から電話が来た。「官邸キャップが官房長官に確認したが、どうも煮え切らない返事だったようだ。東京政治部では、引き続き政府関係者に当たるが、スクープとして当面は福岡発で流したらどうかと言っている。原稿をすぐ
送ってくれないか」ということだった。

そこで、「米原潜あす佐世保入港・現地では大規模集会やデモ」という原稿にすることを考え、「闘争本部」に裏付け取材をして上、急ぎ福岡局報道課に電話送稿した。「闘争本部」で特に友好の深い西村暢文氏に「他社は気付いていませんよね」と念を押し、確認を取ることを忘れなかった。

これが他社より1日早く福岡局から「原潜あす佐世保入港」のスクープが発せられたいきさつである。NHK東京発の同関連ニュースが放送されたのは、「米原潜」が入港する12日午前6時のニュースからであった。従って小説の毎朝新聞のスクープには遅れを取っていない。

これを綴るに当たり、先述の西村暢文氏に電話してみた。46年ぶりの懐かしい声に接した。西村氏は原潜闘争の後、佐世保市会議員を9期務め、最近引退されたという。「あなたのスクープで、闘争本部が一層盛り上がったことを、時折思い出していたよ」という嬉しい返事だった。

感涙の言葉だった。歴史の現場にいち早く立ち会える記者稼業とは、この上ない幸せ者である。(了) 2009.07.14

◆7月15日刊メルマガ「頂門の一針」1607号の
 <目次>

・米原潜佐世保初入港のスクープ:毛馬一三
・麻生政権の後ろ盾・森元首相:古澤 襄
・IT化著しい医療現場:平井修一
・隣に坐った渡辺はま子:渡部亮次郎
・映画「ごくせん the movie」:馬場伯明

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年07月09日

◆衆院選行方を左右する?「首長連合」


                  
                   毛馬一三

<本稿はメルマガ全国版「頂門の一針」1601号7月9日(木)「夕刊」に掲載されました>

大阪府の橋本徹知事や横浜市の中田宏市長らが、地方分権推進を掲げて結成を目指す政治グループの「首長連合」の動きが、際立ってきた。8日夜、東京都杉並区の山田宏区長が参加決定するなど、参加の波は規模を広げる様相を見せている。

山田区長は会合終了後、同連合への参加について「日本が大きく変われるチャンスに、われわれが立ち上がるしかないと考えた」と語っている。山田氏は平成5年の衆院選で旧日本新党から初当選、旧新進党を経て平成11年に杉並区長に転進、現在3期目。

「首長連合結成」の動きは、6月末、東京で橋下知事と中田市長、中村時広松山市長・露木順一神奈川県開成町長が会合し合意したのがきっかけで、地方分権を推進するための自治体首長らによる政治グループの結成を目指すことになったもの。

「全国知事会や全国市長会といった既存組織とは違う、政治グループ」という認識で一致し、次期衆院選で各政党が示すマニフェストに地方分権への方針を盛り込ませることを求めることで一致した。

中田市長によると、<「日本の政治を良くするにはまず官僚支配を打破し、地方分権を進める必要があり、そのための動きを首長連合で広げていきたい。その後は『よい国日本』を実現するため、新党を結成することも視野に入れている」としている。

改革派首長による新党結成が実現すれば、それぞれが高い行政能力をもっているうえ、国民的な人気を集めると予想される。国政で一定の勢力を確保できれば、政界再編の起爆剤になる可能性がある>という。(産経ニュース)

となれば改革派と称する首長が、各政党が示すマニフェストを見極めた上で、「連合」に馳せ参じ、支持政党表明をする動きにまで発展すれば、迫る衆院選では過去には無かった「地方分権」が大きな争点になることは必至、自民・公明、民主もこれを座視出来る筈が無い。

こうした中、橋下知事の動きは素早い。8日に民主幹部・公明幹事長と会ったのに続いて、9日午前には自民党の古賀誠選対委員長と会談している。

一連の会談で橋下知事は、国と地方自治体が対等に協議する場を設けることなど地方分権について要請、とりわけ「地方に拒否権、議決権」を求めている。これに対し、民主・公明は前向きな対応を示し、古賀氏も「検討してもいい」と応じている。

<自民との会談で橋下氏は、「地方分権の中心が財源と権限の移譲になっているが、その前に国が大きな国家戦略を描くべきだ」と強調。古賀氏も同様の認識を示したという。

会談後、橋下氏は自民党マニフェストプロジェクトチィームの菅義偉座長と、電話で同党マニフェストの内容について意見交換した>ことを明らかにしている。

余談だが、<全国知事会の政権公約評価特別委員会が8日、自民、公明、民主党のマニフェストの策定状況に関する中間評価をまとめた。委員を務める橋下知事によると、国と地方が対等な立場で政策を協議する場を設ける方針を打ち出した民主党に61.3点が付いた。自民党は45.8点、公明党は55.7点だった。>(日経ネット)

つまり、知事会ですら「地方分権」に取り組む各党の評価は今のところまだ低い。ただ、「首長連合」結成を目指す橋下知事の各党への対応以前に作成されたマニフェストだけに、この中間評価の段階で、低い評価となったのは仕方が無いかも知れない。

さて、改革派首長で構成される「首長連合」の参加規模は未定といわれるが、数十人に上る可能性もあると言われる。

肝腎の参加首長メンバーについては、「人数より理念、政策での一致が重要」として厳選する方針。橋下知事、中田市長らの会談では、東国原英夫知事とのとの関係も議題になったが、「理念や政策が相いれない」として、一線を画すことになったという。

橋下知事や中田市長らは次々衆院選を念頭に新党結成も視野に入れているというが、内部には「新党となれば、単に地方分権だけではなく、外交や安全保障など国策の理念、政策の一致が必要で、そう簡単ではない」と、「首長連合」のあり方に懸念する向きがないではない。

しかし、国と地方自治体が対等に協議する場を設けようという発想や主張は、過去の自治体から発信されたことはなく、しかも衆院選を前にこれを求める「首長連合」結成の動きが活発になることよって、「地方分権」に対する有権者の関心が一挙に高まることは間違いない。

となれば、衆院選で与野党がこの「首長連合」の主張と動向を無視できないことは必定で、これからの「首長連合」の結成に向けた動きに、ますます注目が集まっていきそうだ。(了)
2009.07.09

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・ウィグル騒擾、王楽泉書記を更迭か?:宮崎正弘
・ウイグル族を擁護するわけじゃないのだが:福島香織
・衆院選行方を左右する?「首長連合」:毛馬一三
・世界大収縮金銭哲学の要諦:佐藤ライザ

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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