2007年11月05日

◆大阪市長選挙に激震

                      毛馬 一三
(この記事は、渡部亮次郎氏のメイル・マガジン 頂門の一針  第987号
 平成19(2007)年11月05日(月)に掲載されました。)


民主党の小沢代表が4日、「自民党との連立政権に向けた政策協議の提案を役員会で認められなかったのは、不信任を受けたに等しい」と述べて辞表を提出したことが、同日選挙戦に突入した直後の大阪市長選挙に激震が走った。

任期満了に伴う大阪市長選挙は、もともと福田政権が誕生してから初の政令都市での選挙であり、予想される衆議院選挙を睨んだ与野党対決の前哨戦の様相になるとの見方から、各政党本部が国政選挙並みの応援態勢で臨むことを決めるなど、早い時期から緊迫してきた。

その通り、自民党と公明党が推薦する現職の関淳一氏(72)に対し、民主党の推薦を受けた元民放アナウンサーの平松邦夫氏(59)が立候補、自公対民主の与野党対決による選挙戦が始まったのである。

しかも有力無所属新人の元大阪市立大学教授の橋爪紳也氏(46)と共産党が推薦する元の市会議員の姫野浄氏(72)が参戦したことで、その様相は更に過熱することになった。

ところが、その激突が始まってから8時間後に、小沢代表の辞任表明のニュースが、各党選挙対策本部に飛び込むと、その事実確認と各方面からの問い合わせの対応に追われるなどに忙殺、大混乱が生じた。

特に激震が激しかったのはご本家の民主陣営。関係者によると4日朝刊各紙が、「自民、民主両党の連立政権構想が、実は小沢氏の方から先に持ち出された」と一斉に報道したことから、陣営内部では戸惑いを隠せない空気が高まるとともに、それが事実だとすれば、「小沢ブーム」に掛けてきた民主陣営の結束に緩みも出かねないとの懸念が急速に広がった。

さらに追い討ちを掛けたのが、この「辞任表明」騒ぎだった。同党市会議員の中から、「これでは今の民主党の勢いが止まり、現職を有利にするだけだ」と、その原因者の小沢代表への批判が飛び交い出したという。

このため民主党大阪府連の平野代表は、「なんとしても辞任を思いとどまるよう執行部が慰留すべきだ」との考えを示した上、「中央のことと市民の代表を選ぶ市長選挙は別であり、これによる影響が出ないようにしなければならない」と、陣営に冷静さを保つようヤッキになったのである。

一方自公陣営では、始まったばかりの選挙戦だけに5日からの民主党の動きを見なければ何とも判断出来ないとしながらも、この騒ぎで現職陣営が不利には結びつくことにはならず、むしろ相手陣営の混乱が加速すれば、その分有利になるのは確かと、ニンマリが本音のようだ。

そこで、党本部の支援を受けて結束を固めたいとしていた各陣営は、一転して中央に頼らず地元に即した公約論争を繰り広げ、選挙戦を勝ちに行くとの意向を再確認している。

上記の動きから各候補は、4日の街頭演説で地元大阪のテーマに絞った論陣を張った。現職の関候補は、「経費の削減や労働組合との関係の正常化に取り組み、大阪をリーディング都市とする基礎を作ることができた。いま市長が代われば、3年前の状態に逆戻りすることになる」と訴えた。

新人の橋爪候補は、「大阪の至るところで街づくりに関わってきた。市民の中から生まれた市民派の市長が大阪の将来にとって大事だ」と訴え、新人の平松候補は、「前向きに未来に向けて税収の増加を図る方法を考え、もう一度日本のリーダーとしての大阪の存在感を打ち出していきたい」と訴えた。新人の姫野候補は、「今度の選挙で、大阪市を正当な地方自治体に蘇らせて健全な財政を確立すれば、市民の多くの要求を実現できる」と演説した。

とはいうものの、市長選へ本格取り組みの構えを見せていた各党の姿勢を知る市民の間では、小沢騒動で一喜一憂する陣営の様子を伝えるニュースに白けた格好。

「自民党と民主党はやりたいことが違うのだから、連立はもともと無理がある話。小沢さんが今の時期に辞めるのも意味がわからない」との声があちこちで聞かれる。

始まったばかりの大阪市長選挙だが、何が起こるか分からない様相を孕みながら、過去の事例とは全く異なる推移を辿りそうな気がしてならない。                      (了)    2007.11.04

◆<お知らせ>

   渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第987号
        平成19(2007)年11月05日(月)

<目次>

  ・これが「小沢流」だ: 花岡信昭

  ・大阪市長選挙に激震:毛馬一三

  ・庶民の分際で御政道を批判:平井修一

  ・“世界史のゴミ記事”:宮崎正弘

  ・ミカンにまつわる話:渡部亮次郎

  第987号    発行周期 不定期(原則日曜日発行)
        御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp

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2007年10月19日

◆大阪市長選 与野党対決の具に

                    毛馬 一三

11月24日に告示が迫ってきた大阪市長選挙は、切迫している衆議院選挙の前哨戦として、中央の「与野党対決」そのままの構図が持ち込まれる公算が強まってきた。停滞に歯止めが効かない大都市大阪市の再生の政策論争が主軸から外され、中央政治の思惑に先取りされることが見えてきたことから、市民の間では早くも“白けムード”が高まりつつある。

任期満了に伴う大阪市長選挙は、現職の關淳一市長(72)と元大阪市立大学教授の橋爪伸也氏(46)、それに共産党元市議の姫野浄氏(72)の3人が立候補表明をしていた。

ところがここに来て、民間放送の元アナウンサーの平松邦夫氏(58)が、18日に立候補表明を行い、同選挙はこの4人で争われる激戦模様となった。

東京都に次ぐ第2の大都市圏の中核大阪市は、近年在阪大手企業が東京への一極集中へ奔り、同関連主力工場が隣国中国へ移転、近隣県へ拠点を移したことなどで、経済基盤の弱体化とこれに伴う税収の激減に見舞われ、都市の円滑運営が見えない大きな岐路に立たされている。

従って今や名古屋・横浜などの後塵を拝するに到った大阪市をこれからどう甦らせるかを、この市長選の最大の争点にすべきだとの期待が市民の間で広まっていたことは事実。「都市規模を縮少」させたいとする現職市長に対し、「大都市復活」を目指す都市工学専門家の元私大教授との、相対立する論争展開に注目が集まりだしていたのは当然だった。

が、状況が変わり出した。上記2候補から公約の説明を受けた市会与党自民会派は即、關氏推薦を決めてしまったのだ。自民府連では、一時、自民本部の協力を得て、テレビで売れっ子のあの某弁護士に折衝したが、結果的には体よく断られたため、急遽關氏推薦に矛先を変えたという秘めた裏話がある。

一方、議会軽視の姿勢に厳しい批判を突きつけている同じ与党会派の公明は、關氏への推薦には応じたくないとして態度保留中だが、市会与党の枠組みは壊すべきではないとの判断から、最終的には自民党と足並みを揃えるだろうというのが、関係者の見方だ。

ここへ来て、事態急変を一段と加速させたのは、これまで候補者見送りを公言してきた民主党が、一転して平松氏を擁立したからである。「自民党が擁立する現職を勝たせる訳には行かない」との党本部からの強い要請を受けて民主府連は、候補者探しに奔走。

民主党傘下の某団体とも個人的につながりが在り、長年ニュースキャスターを務めて知名度もある同氏を党本部首脳にも引き合わせ、ついに口説き落としたものだった。「仮に敗れたとしても、来る衆院選挙で空席となる大阪3区の議席を保証する」との秘密の約束が取り交わされたとうわさも、関係者で取りざたされている。

民主党本部では、先の参議院選挙の大勝をこの大阪市長選の勝利に結びつけて党勢を誇示し、次いで迫る衆院選挙の事前運動に弾みを付けたいと狙っていることは、容易に察せられる。

一方自公連立内閣でも、福田体制が誕生して初めての大都市の市長選であり、これに躓けば、切迫してきている次期衆議院選挙への大きな痛手になりかねないとの判断から、単なる地方政令都市の市長選挙だとは微塵にも考えていない。事実、自民党本部からは大阪府連に対し連日檄が飛んで来ているという。

このように、本来「まちづくり政策」をめぐる論争に集中すべき大阪市長選挙が、何と与野党激突の中央政治情勢をそっくり大阪の場に引き継ぐという異常事態となってきたのだ。大都市首長選挙だから、特に現下の「与野党対峙」の中だからという理由で、中央政治の政争の具に利用されていい筈がない。

おそらく選挙公示後は、与野党の党首らが続々と來阪し、「政権交代」や「政権維持」を巡る論陣を張るのは目に見えている。低迷の極にある大阪の都市基盤と市民の快適生活維持という大阪にとって最大のテーマは片隅に追いやられることも明白だ。中央政治の介入は誠に迷惑千万なことだ。地方首長選挙には、地方の自治を巡る論争が焦点となるべきで、中央与野党のプロパガンダは迷惑至極なことは論を待たない。

大阪の未来を見出す4年に1度の絶好の機会を、“心ならずも”政争の具に奪われて仕舞うことに、市民の間から 早くも“白けムード”が漂い出してきている。
(了)             07.10.18


◆同上原稿は、「渡部亮次郎氏の全国版メイル・マガジン 頂門の一針  第969号」・平成19年10月19日(金)に掲載されました

<第969号の目次>
・キャリア廃止は「没」:渡部亮次郎
・習近平(上海市書記)を大抜擢:宮崎正弘
・ヒラリーのアジア外交:古澤 襄
・大阪市長選 与野党対決の具に:毛馬一三
・インドネシア雑感(7):平井修一
 話 の 福 袋
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2007年10月02日

◆迷走する關市長の「選挙公約」


                    毛馬 一三

11月24日に告示が迫ってきた大阪市長選挙は、最大の争点となる「市営地下鉄の民営化」を巡る關淳一市長(72)の二転三転の公約転換に、市民や関係者の間で困惑を隠せない空気が広まっている。

もともと關市長は、有識者の意見を取り入れて「地下鉄を切り離して株式会社化する」と明言していた。が、その後「地下鉄とバスの一体経営がいいのか、別々がいいのかは、これからの検討の結果」と前言を翻した。

ところが、市長選挙立候補会見では、「バスは今、株式会社化できる状態ではないとした上で、株式会社化は地下鉄とする」と、その前言と違う、地下鉄のみ株式会社化する原案に戻る意向を披露。市民が目を白黒さいている間に、今度は推薦を求める大阪市会与党の自民・公明両会派に示した公約原案で、「地下鉄は今後5年を目途に株式会社への移行を目指す」と、株式会社化の時期まで踏み込んだ考えを示したのだ。

これに対して与党公明市議団は、「市長は、19年度末までに市会と議論するとしてきたのに、何の相談もなく選挙公約に盛り込むのは議会軽視で、到底納得できない」として關氏推薦に踏み切ることに強い反発の意向をしめしたのである。

これに動揺したためか、市長は株式会社への移行は堅持しながらも、「5年をメドに」を削除、「議会の了解を得た上で」に急遽変更するという、関係者に言わせると無節操ぶりを露呈した。

なぜこうした關市長に迷走事態が起きるのか。首を傾げる市会関係者や市民団体が目立つ。その理由は、市長自身が側近と称する弁護団らの意見に盲従し過ぎるためで、市政の実態に即した市長自身の経験と見識が片隅に追いやられているからだと、指摘する関係者は多い。

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2007年09月23日

◆京大病院への警鐘


                  毛馬 一三

9月18日発売の「新潮45」の小特集「心臓血管外科医辞任へ・どこへ行く京大病院」(同誌120ページ〜127ページ)を読んで驚愕した。信じきっていた国公立のブランド病院の心臓外科現場で、そのような空恐ろしい実態があったことを初めて知ったからに他ならない。

執筆者は、同期の記者OBで、本欄常連寄稿者の石岡荘十氏である。自ら心臓外科手術を受け、彼岸の際まで彷徨った挙句、辛くも生還した経験の持ち主。以来著書「心臓手術〜私の生還記〜文芸春秋刊」を出版するなど、心臓手術に関するさまざまな所見を医学界・患者会に投げ掛けているジャーナリストである。

同氏は、この特集記事で、脳死肺移植で患者が死亡した手術をきっかけにおきた、京都大学病院の米田正始心臓血管外科前教授(9月15日退任)と同京大病院の間で起きたごたごたをとりあげている。

しかし本当の狙いは、そのごたごたのことではなく、そこに到ったいきさつと舞台裏が、これからの患者にとって重大な問題を孕んでいることに警鐘を鳴らしたのだと思う。

本来インタビュー記事であれば、取材する同氏が聞き取った米田前教授との一問一答のみを書くのが常道だが、ここでは「前・中・後」の3部構成の異色な手法を駆使している。すなわち前節の1部と後節の3部とに「事件の経緯とこれに対する持論」を展開し、それを挟んだ2部の中節に、「米田前教授とのインタビュー」を据えている。

この手法だと、2部のインタビューの内容を前後の論者の主張で補強し、インタビューでの主張内容の合理性・正当性を証明する高度な方法だからだ。

特集によると事のはじまりは、<昨年(’06年)3月、京大病院で行なわれた脳死肺移植手術を受けた30歳の女性患者が死亡したのをきっかけに、手術の助っ人だった心臓血管外科の米田正始教授(52)だけに、病院当局が突然「手術停止」を宣告、事実上メスを取り上げたことからだった。呼吸器外科、麻酔科に対しては“お咎めなし”だった。

米田教授に対する手術停止の理由のひとつとして病院の執行部は、「安全上の問題」を挙げているが、手術実績を検証したところ、取り立てて米田教授だけを問題とする理由は見当たらない。

このため、米田元教授は「手術できる地位を侵害され、外科医としての信用が低下する」などとして診療科長の地位確認を求め、3月6日京大病院を相手取り京都地裁に仮処分を申請した>という。これが前節1部の経過記述である。

目を剥くのは、下記に綴る米田教授(当時)との間で交わされた一問一答である。その一部を以下取り上げる。

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2007年09月03日

◆大阪市長選 一転超波乱含みに

                       毛馬 一三

11月4日告示、同18日に投開票の大阪市長選挙は、当初現職と共産党推薦の一騎打ちとみられていたが、先の参院選挙で大勝した民主党がその余勢を駆って独自候補を立てる方針を固めたことから、様相が様変わりし出した。

ところが、ここに来て新たに市民グループなどが押す有力新人が4日にも出馬の意向を表明する動きが表面化し、市長選はかってない波乱含みの激戦となる見通しとなった。<読売新聞9月1日夕刊>。

大阪市長選挙は、2005年の出直し選挙で現職の關淳一市長(72)が再選され、悪しき因習を打破する市政改革を断行するマニフェストを実行するとして、労働組合との関係を絶縁する一方、同和行政の改革にも乗り出し、とりわけ累積赤字の市の第3セクターの売却に乗り出すなど、行財政健全化を目指してきたのは周知の事実。

ただ気になるのは、その改革に取り組む姿勢の全てが、「過去の清算」という後ろ向きの対応に終始しており、大阪の行政・経済の地盤沈下の回復にどのような将来ビジョンと具体策を持っているのか、それが今でもさっぱり見えてこない。これが市長批判に繋がる最大要因である。

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2007年08月21日

◆事件の真相解明 法廷へ

 
                    毛馬 一三

大阪・枚方(ひらかた)市の清掃工場をめぐる談合事件をめぐり中司宏市長が、大阪地方検察庁特捜部の調べに対し、談合に「主導的」に関与したことを大筋で認めたとされることから、特捜部では市長を競争入札妨害(談合)の罪で
20日起訴した。

しかし、同市長は談合関与を大筋で認めながらも、関与の度合いを「黙認」しただけと主張しているともいわれており、談合を黙認していたという行為が刑法の入札妨害の罪に当るかどうかが、法廷での争いの焦点になってきた。

同市長は、「これ以上市政を混乱させたくない」として、同日弁護士を通じて市当局に対し「辞意」を表明、21日には市議会議長に対して正式に辞職願いを提出する。これに伴い、21日から6日以内に市選挙管理委員会に通知され、その日から50日以内に、市長選挙が行われるため、選挙日程は9月下旬から10月上旬になる見通し。

平成19年5月以来3か月にわたって進められてきた枚方市の清掃工場をめぐる談合事件の捜査は終結し、いよいよ“改革派”新市長を選ぶ選挙が始まる。

ところで、この事件の焦点は、中司市長が、一旦受注を断った大手ゼネコン「大林組」を翻意させる環境づくりに、以下のような市長の関与があったかどうかだった。

それは、17年7月頃、市の清掃工場建設の1回目の入札の際、工場建物本体とプラント部分を39億円で「一括入札方式」を提案したのに対して、大林組が辞退したことから、これを翻意させようと、11月の再入札の際、建物本体とプラント部分を「分離発注」に変更したうえ、入札価格を一挙に56億円に引き上げ、「大林組」との談合が成立するよう働きかける一連の工作に、市長自身が関与していたどうかであり、これについては既にご存知の通り。

中司市長は、供述に二転三転はあったものの、最終的には大筋でこうした談合への関与を認めたという。しかも特捜部の調べで、中司市長が99年12月大阪府議会議員の初田豊三郎被告と共に大林組の元顧問、森井繁夫被告らとホテルで会合した際、同府議が工事受注を促したのに対し、市長自ら「宜しく」と告げ、「大林組」元顧問も「こちらこそ宜しく」といったやり取りの裏付けもとれているという。

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2007年08月11日

◆芭蕉随行の『曾良』は忍者?

                            毛馬 一三

拙稿「芭蕉終焉(しゅうえん)の地って?」の第2弾。同稿が日本一メルマガ「頂門の一針」に掲載されたところ、当主宰者の渡部亮次郎氏からご寄稿を頂戴した。

もともと拙稿とは、松尾芭蕉の「終焉の地」が大阪・南御堂向かいにあった花屋仁左衛門の離れ座敷であったことや、辞世の句といわれる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」が、この座敷の病の床で亡くなる4日前に詠んだものであることを、筆者は不覚にも知らなかったが、先般偶然このことを知る機会を得たことから、思い立って綴ったものだった。

その執筆中に、渡部亮次郎氏が以前本欄に掲載された『老化は熟成である』の記述の中に、<生きるとは死ぬことである。生まれたら成長すると言うが、それは違う。最後に来る死に向かって懸命に走っているに過ぎないのだ>という同氏の「死生観」が記述されていたことを思い出し、それと終焉の芭蕉の心境と重なるよう思えたので、同拙稿中に引用させて貰った。

芭蕉は、大阪で死ぬなどとは夢想だにせず、早く床払いをして好きな旅を続けたいとの気持であったと、様々な文献が記している。

だが、思いもよらず病(食中毒といわれる)は悪化、意に反して終焉を迎えるのだが、見守る弟子たちの顔を眺めながら「死」が迫るのを悟り、幸せな生涯だったと瞑目しながら、逍遥と死の旅についたようだ。渡部氏の『老化は熟成である』という「死生観」を、芭蕉も終焉のその瞬間同様の想いを脳裏の中に去来させたに違いないと筆者は思ったのだ。

渡部亮次郎氏から頂いた寄稿は、下記の通りであった。
<深川・芭蕉記念館 は拙宅の近くです。徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。江戸の発展とともに新たな市街地、農地が必要となり、土地の開発が始まった。大阪からきていた深川八郎右衛門が新田を開発、慶長元年(1573年)深川村と称したのが始まり。

江戸の下町と言えばなんと言っても深川。出発地は都営新宿線森下駅。駅を出て新大橋通りを浜町方面に5分ほど歩いていくと隅田川にかかる橋が見えてくる。これがこの通りの名前になっている新大橋。橋の手前の十字路を左に曲がりしばらく歩いていくと最初の目的地「芭蕉記念館」がある。

芭蕉は延宝8年(1680年)江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだ。元禄2年(1689年)3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる奥の細道。岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅。

「芭蕉記念館」には 当時、芭蕉が着ていた袈裟を初め芭蕉庵を模したほこら、句碑 などがある。記念館の裏木戸を出るとそこはもう隅田川のほとり。川沿いの道を左に少し歩いていくと史跡庭園があり、芭蕉像や芭蕉庵のレリーフがある。 先日来日した李トウキ前台湾総統もご覧になって行った>。
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この寄稿を読ませて貰った時、芭蕉に纏わる新たな衝撃が脳裏を駆け巡った。それは、<徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。(そんな未開発の深川だったが、その深川から)元禄2年3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。(略)岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅>というくだりである。

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2007年08月07日

◆枚方市長 辞職へ


                    毛馬 一三

大阪・枚方市の清掃工場建設談合事件で談合容疑で逮捕された市長の中司宏容疑者(51)が、大阪地検特捜部の調べに対し、談合への関与を大筋で認め出したといわれる。特捜部の追及に「すみません」との反省の弁も述べているという。

逮捕されてからも「談合関与」については、曖昧な供述を続けていた同市長だが、容疑を認めたことにより「談合罪」での起訴は避けられないものと見られる。また関係者の話では、「市政に混乱を招いた」と辞意を漏らしているという。この結果、市長の辞職は確実となり、枚方市では、出直し選挙が行われる見通しとなった。

これまで金の収受(贈収賄罪)に発展の見通しのない談合事件に関して、首長の摘発には目を瞑ってきた捜査当局も、官製談合防止法の施行などによって状況は一変した。この7月に着任した大阪地検の斉藤雄彦特捜部長は、「社会の誤った慣行に切り込むのが、検察に求められる役割だ」ときっぱりと宣言している。

「金を受け取っていない限り、問われることはあるまい」と、市長自ら寄せていた微かな期待も、大阪地検の強固な捜査方針が微塵にも打ち砕かれた形となった。

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2007年08月06日

◆芭蕉終焉の地って?


                            毛馬 一三

松尾芭蕉の「終焉(しゅうえん)の地」が、大阪だということを知っている人は少ないのではないか。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」と詠んだ旅の俳聖松尾芭蕉だから、旅の果ての東北か北陸の辺りでの病死ではないか思うのが普通だろう。

ところが、芭蕉の終焉の地は大阪・南御堂向かいの花屋仁左衛門の離れ座敷だったのだ。大阪人ですら、知らない人が多い。芭蕉が亡くなった花屋仁右衛門宅は今喫茶店になっているので、その屋敷跡から当時を髣髴させるものは何もない。じつはその事実を告げる記念碑は、大阪のメインストリート・御堂筋南御堂前の、緑地帯の中に「終焉(しゅうえん)ノ地」と銘を打った石碑が、ポツンと建っているだけだ。

たまたま、筆者が地下鉄御堂筋線・地下鉄中央線「本町」下車して南へ向かう用事があったため、“偶然”にも発見出来たもので、それまでは不明にも目に止まったことはなかった。その「碑の銘」が南に向いて建っているため、北から南に通じる一方通行の御堂筋を車で通過する人目には、「芭蕉終焉の地」という文字を読み取ることは物理的に不可能だ。ましてや道路の緩衝地帯の中だから、通路を通る人の関心を呼ぶことはまずない。その意味で、“発見”出来たのは偶然の目配りに感謝したいラッキーなことだった。
 
<元禄7年(1694)9月、芭蕉は故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越え、2度目の来坂をした。長崎へ向かう旅の途中に大阪に立ち寄った。住吉大社を詣でたり、句会に参加するなどしていたが、当時大阪には俳壇をにぎわしていた2人の門人の仲に円満を欠くところがあり、それを取り持つための来坂が主目的であったとされている。
 
出発時から体の不調を訴えていたが、大阪・住吉神社に詣でた後、発熱下痢を伴い花屋仁右衛門方離れ座敷で病臥、10月12日夕方息を引き取る。51歳だった。最後の句として知られる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は、その4日前に病床で詠まれたものだ>

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2007年07月31日

◆今日の友は、明日の敵

毛馬 一三

大阪・枚方市の中司宏市長が、うだるような暑さの中、7月31日午前大阪地検特捜部に談合(競争入札妨害)容疑で逮捕された。同市長は、記者会見や議会での答弁でも「談合には一切関与していない」と何度も開き直っていたが、その強気の姿勢も刎頚の友と信じていた盟友の自供であっけなく崩れた。

「お互い首を刎ねられても悔いはない」とする誓いを結んだ仲が、「刎頚の交わり」「刎頚の友」の故事の由来といわれ、ロッキード事件の小佐野賢治が田中角栄の刎頚の友といわれたことは記憶に新しい。

市長のその友とは、この枚方市発注の清掃工場建設をめぐる談合事件・汚職事件で逮捕された、20年来の友人・大阪府警捜査2課警部補の平原幸史郎被告(47)と元市議で府議会議員・初田豊三郎被告(49)、それに側近の副市長・小堀隆恒被告(61)である。

この人脈がこの事件の裏側で巧妙に動いた。平原被告と初田被告が大手ゼネコン大林組元顧問の森井繁夫被告(64)に市長を引き合わせる仕掛けをした。
副市長・小堀被告は、市長から紹介された上記2被告に受注工作に関する情報や動きを流し、それを掴んだ2被告は勇んで大林組側へ乗り込み発注させる工作をしたとされる。

しかもこの裏工作のあと、大阪市内のホテルや料亭で、市長は初田被告同席のもと大林組元顧問の森井被告と会食、大林組が工事を受注するよう話を持ちかけた。これが市長に対する談合容疑の要件である。

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2007年07月30日

◆党利党略からの回避

毛馬 一三

参院選挙の結果は、年金問題の逆風が与党大敗の原因につながった。閣僚の不規則発言や、閣僚不祥事もこれを後押しした格好だ。

参院大阪選挙区(改選数3)は、民主新人の梅村聡さん(32)が1277501票を獲得してトップ当選。公明前職の白浜一良さん(60)は組織力に支えられて4選。前回の選挙でトップ当選を果たした自民前職の谷川秀善さん(73)は、逆風をもろに受けて苦戦しながらも3選を決めた。

大阪選挙区の投票率は、平成16年の前回を上回る55.81%だった。この投票率のアップは、期日前投票と不在者投票が前回の47万6539人を上回り、66万6755人に達したことも投票率アップの引き金となったのも事実。この背景には、やはり「年金問題」に対する国民の怒りが投票行動を促した結果であろう。

トップ当選した梅村さんは「思い責任を感じ身が引き締まる思いです。この戦いがきっと政権交代の足がかりとなる」と喜びを語った。4選を果たした白浜さんは、「逆風を押し退けて勝利することが出来ました。責任の重大さを痛感している」と述べている。

谷川さんは、一転3位当選。「いかなる逆風が吹いても、大阪自民の議席を守ろうと頑張った。当選できたのは皆さんのお陰。感謝しています」とホッとした表情を覗かせていた。

大阪人の金銭感覚は、商人の街だけに他都市よりいたく敏感だ。長年掛けてきた「年金給付」を得るための証明に「払い込み領収書」をもってこいといわれたのでは、シビアーな浪速っ子が怒らない訳はない。その矛先が今回の選挙で与党批判につながり、大敗させる原因をつくった。

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2007年07月02日

◆けったいな「学歴詐称」

<本稿は、ネットマガ全国版「頂門の一針」7月1日・853号に掲載されました>

                     毛馬 一三

大阪市の關淳一市長が27日の記者会見で明らかにした「学歴詐称」職員
とは、大学卒業直後に市職員の採用試験を受けた者が、「大学卒」の学
歴を「高校卒」と偽ったものだと判断し、市職員採用試験を欺く大学新
卒者の卑劣な行為だとの批判が集まった。

しかしこれには市長のお粗末な記者会見での説明に起因している。

処分を受けるのは、全ての部局にまたがっており、市民サービスを考慮
して、停職の次期は7月に404人、8月に561人に対称に2回に分けて実施す
る。

採用年次で多かったのは、平成10〜14年度の278人、ついで5〜9年度の
246人、昭和63年度〜平成4年度の169人。職種別では、市教委・建設局・
交通局が100人超で、最も多いのがゴミ収集担当の環境局の179人だった。

今回の学歴詐称問題は、神戸市など近隣自治体で同問題が発覚、神戸市
で懲戒・諭旨免職が38人、尼崎市で諭旨免職が2人となり、これを受けて
大阪市で調査していたもの。

大阪市では、自己申告すれば「定職処分」に留めるという緩やかな処分
基準を示して自己申告を促したところ、1141人が申告。精査した結果正
式処分は、965人に絞られた。 1000人近い職員が学歴詐称で集中処分を
受けるのは、大阪市が初めて。 

この問題は、学歴を低く偽って高卒枠の採用試験に受験し採用された965
人の職員を、停職1ヶ月の処分にすることを大阪市の關淳一市長が記者会
見で明らかにしたもので、5月27日のことだ。全国的なニュースとなった。

その席上同市長は、「組織ぐるみではない。学歴を低く偽る受験者の自
己申告を信じる他はなかった」と市の関与と責任を全面的に否定し、あ
くまで当該職員個人の違反行為だと言い切った。

採用年次で多かったのは、平成10〜14年度の278人、ついで5〜9年度の
246人、昭和63年度〜平成4年度の169人。

職種別では、市教委・建設局・交通局が100人超で、最も多いのがゴミ処
理業務担当の環境局の179人だった。

案の定、マスコミは飛びついた。新たな大阪市の不祥事発覚として、
「学歴詐称」の職員に対する批判キャンペーンを繰り広げた。大阪市会
も反発した。

極め付けは、大阪市の元助役だった女性弁護士が、27日に開かれた人事
院の国家公務員倫理審査会の席上、「停職処分は甘すぎる。当然免職に
すべきだ」と述べたことだ。<読売新聞28日朝刊>

確かにこのキャンペーン記事に市民は、またもや怒った。てっきり大学
新卒者が民間会社の入社試験に合格出来ない為、学歴を偽って「高卒」
になりすまし、職員採用試験を潜り抜けたものだと思い込んだ。偽った
こと自体、紛れもない事実だから、批判を免れるものではないことは確
かなことだ。

しかし、市の関与は皆無だと胸を張った市長の釈明会見内容が、ちょっ
と事実と違うことが浮かび上がってきたのだ。

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2007年06月22日

◆「公金」への感覚マヒ

                     毛馬 一三

全国の地方議会を今揺るがせているのが、「議員政務調査費」問題。地方自治体が、議員報酬とは別に「議員個人と会派」に支給している費用のことである。

この「政務調査費」について各自治体では、条例で使途を議員の調査研究目的に限定し、政治活動、後援会活動、交際費への支出は一切認めていない。

ところが問題なのは、交付対象となる支出明細に、領収書添付が義務づけていないために、適正に使用されたか否かの判断がなされないまま見過ごされてきたのが実態。このためこれを追及する市民団体が「政調費」の返還を求める訴訟を起こし、近年これを是認する司法判断が示されるほどになってきている。

「公金」の使途に領収書がなければ、それが純然と公務たる政務調査活動の目的に使われたのかどうか、疑われても仕方があるまい。

そんな中、大阪府議会がこの「政務調査費」返還勧告を巡って、いま大騒動となっている。住民の監査請求で府監査委員が外部監査人(弁護士)の報告を受けて府議会に勧告を突きつけたことに端を発した。

勧告は議会にとり、半端な返還額ではなかった。平成16、17両年度に支出された会派分と議員112人の個人分の両方の「政務調査費」返還額の総計が、なんと計3億4116万円に上り、過去全国の返還勧告額の例とは比べものにならない高額だったのだ。

このうち1人当り毎月49万円支給されている議員個人分についての返還額が、総額で約2億9000万円。対象者112人の大半の89人が100万円以上、500万円以上が10人。最高額は2年分全額の1176万円にも上っている。

目的外で返還を求められたのは、領収書添付がない不明確な支出は言うまでもないが、自宅兼事務所ビルの賃借料や事務員などの人件費、車の購入など公私の区別が曖昧なものなども本来の調査活動ではない、不適正な目的外支出との認定を下した。これが大きく膨らんで異例の高額返還に結びついたのである。

これに府議会各会派が噛み付き、騒ぎが大きくなった。自民、民主、公明、共産の主要4会派が揃った異例の記者会見で、「政務調査の見解に大きな相違がある。納得がいかない」と不満をぶちまけた。



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