2009年11月02日

◆初めての審議「万博跡地利用」

毛馬一三

大阪WTC移転の成否を巡る審議で大荒れだった大阪府議会の9月定例大議会。

この大騒ぎの影響をもろに受けて、注目の重要課題「万博跡地利用」構想の対応は陰に隠れた格好に見えていたが、何とこの騒ぎのさ中、同構想をめぐる初の委員会審議が行われていたことが分かった。


メディアも、WTC騒ぎに気を奪われ過ぎて、肝腎のこの審議の存在に全く気づかなかったのか、些かも記事にしていない。

この重要な「審議」は、10月21日の府議会府民文化常任委員会で行われていた。どうして同構想が注目されながら、これまで府議会で取り上げられなかったのか、これは追々―。

大阪に巨大な経済効果をもたらす新事業として浮上していた同「万博跡地利用」構想に、橋下知事が非公式ながら意欲と行動を示していることに、大阪財界などが克目していたのが大きな背景となっている。 

というのもこの「万博跡地」に、民間による「米映画大手・パラマウントピクチャー」のテーマパークを誘致するとともに、Jリーグ・ガンバの新スタジアムも併設して「新万博公園」をつくる構想が実を結べば、逼迫する大阪活性化に多大な貢献をすることに繋がると、知事が考えたのは当然のことだ。

事実知事は、今夏8月18日に「万博跡地」を所管する吹田市長と会談、同構想を実現させて大阪全域の活性化の起爆剤にすることに合意。しかも、この構想が実現すれば年間千億円単位の経済効果があることを初めて明らかにするなどして、構想実現に向けて共同して実行する約束をしている。

ところが、衆院選挙による政権交代の影響やWTCへの移転騒ぎが過大になり過ぎたため、この構想実現に立ち向かう橋下知事の動きは事実上宙に浮いた形となり、9月定例府議会でも審議枠の外に置かれていた。

その忘れ去れていた重要課題を、府議会府民文化常任委員会で光澤忍議員(公明会派)が取り上げ、「万博跡地利用」に対する知事の意向を質したのがキッカケだった。

よく考えてみると、「パラマウントのテーマパーク誘致」を軸に「万博跡地に新大阪府公園」を設ける構想が、大阪府議会で取り上げられたのは、これが初めてだ。メディアが予知し得なかった理由もここにもあったのだろう。

光澤議員の質疑に対して、知事は「万博跡地」を「大阪府公園」として活用したい意向を強調し、概略次のように述べている。

「同構想の進展は、テーマパークを誘致する民間の資金調達がまだはっきり証明されておらず、逆に民間側からは府の万博機構などの対する積極的な支援を求める動きが出ており、今のところはこう着状態が続いている。

しかし大阪府としてはこれが大阪の活性化に繋がることなので、情勢さえ整えば、府として全面的の支援する」と力強い意向をしめしている。

以上が、橋下知事が、大阪府議会で初めて「万博跡地利用」に対する現状説明と推進に意欲を示した内容だ。そこで本誌が入手した「審議状況」を伝える音声付画像を掲載したい。

下記から入室して、府議会で初めて登場した「パラマウント・テーマパーク」「ガンバ、サッカー併設」の「大阪府公園構想」審議の様子をご覧頂きたい。
http://mituzawa.com/DVD/10.21-1shitsumon.swf
(了)2009.11.01



2009年10月29日

◆「新都心構想」一歩前進の大阪府知事

毛馬一三

大阪府の橋下徹知事が、大阪府庁舎を大阪南港のWTCに移転させたいとする「新都心移転構想」は、肝腎な「移転」は否決されたが、一歩前進した。 

同「新都構想」を実現する条例改正案は、実はこの2月定例府議会提出したものの、反対多数で否決された。しかしこれに黙っている橋下知事ではない。「政治生命を賭ける」と称して9月定例府議会に「移転条例案」を再提案し「意地」を見せた。

しかも、同条例案とともに「WTCを買う」補正予算案も同時提案したのだ。

ところが、徹夜を含む審議の末、WTCを購入する85億円の予算案は可決した。が、肝腎の府庁舎を移転するための条例案は、またも否決されて仕舞った。この結論だけ見比べると、両者間に「矛盾」が生じていることになる。

何故なら、高額な「住居」を買う予算は確保したが、「移転」は出来ないということだから、納税者の府民感覚からすれば、皆目分けがわからなくなる。

たしかに、「移転」と「買う」の手順が逆さまになってはいるが、よく考えると「買う」ことが先決議決された以上、「移転」を全面否定することは事実上出来なくなったことだ。

だとすれば「移転」について、府民や府議会の納得が得られる合理的な説明が完備されれば、上記の不可解な「矛盾」は解消されることになる。

実をいうと橋下知事は、今回も「移転」が可決されるとは考えていなかった。総選挙の結果を受けて知事野党の民主会派の一部が賛成に回ることは予測できても、総選挙時の知事の動向を激怒した知事与党の自公両会派が賛成する筈もなく、可決に必要な3分の2の賛成は不可能だったからだ。

とはいっても、低迷の極にある大阪再生の道付けとして、どうしてもこの「政治使命」は貫きたかった。そこで秘策を練った。今「移転」可決がだめな以上、「WTC購入」を先行させる「補正予算案」を通して欲しいという作戦だ。表立って言えないにして、もそうすれば、将来何らかの「移転」の実現性が見えてくるという仕掛けだ。

知事はこの新たな「買取先行案」の提出を各会派幹部個別に折衝して説得に回った。案の定、一部会派幹部からは、それを読まれたのか、根強い反発をうけて最終場面まで揉めにもめた。だが結局知事の「悲願」は成就した。

知事は、この一里塚を突破できた以上、目指す「新都心移行構想」へ向けて、一歩前進したと確信している。

しかも知事の腹には、この「予算」でWTCを購入したら、空きビルにする意思はない。府庁本庁舎を除き、第2分庁舎(技術部局)などの移転と、8民間ビルに間借りして年間6億円もの賃料を払っている部局(水道局等)の「部分的移転」を、すぐさま実行する腹積もりだ。

その上で、移転した第2分庁舎跡地は売却し、150億円見込まれる本庁舎の耐震強化工事費の一部に当てることも考えている。逼迫した府財政の健全化にも役立てたいという。

この部分的「移転」でも先行できれば、政令都市大阪市と共同してアジア諸国との貿易を拡大して港経済圏の創生に乗り出せると共に、WTC周辺に企業誘致とまちづくりを進められる政治戦略を描いている。

知事自身は、完全「移転」の希望を捨てては居ない。再度「移転」案を出すことは間違いない。

ただ,WTCに関して学者や専門家の中には、WTCそのものの耐震構造や地震に伴う津波防災対策等に不安を述べている。さらに「移転」に伴う経済効果はまだ白紙のままだ。しかも大阪市でさえ港湾開発に成果を上げられなかった拠点周辺だけに、ここの活性化は極めて難しいと指摘されている。ここが課題だ。

とはいえ、完璧とは言えないまでも、知事構想が一歩前進したことは事実だ。

したたかな橋下知事のことだから、これらの課題に解決策を見出し、WTCを拠点に「関西再生の起爆剤」にしたいという詳細な説明を、府議会と府民に対して納得行くまでするだろう。納得が得られれば先が見えてくる。予断は許さないが、今後に注目したい。(了)2009.10.28

◆本稿は下記のように、「頂門の一針」(10月29日 1710号)に掲載されました。

<1710号・目次>
・無為無策のKY鳩山政権:古澤 襄
・「平成維新」演説に不安が倍増:宮崎正弘
・「子ども手当」は内需拡大にもならない:古森義久
・アフガン戦争の大義はどこに:平井修一
・一歩前進の「新都心構想」:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年10月27日

◆続いた「荘厳なる終焉」

毛馬一三


本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(10月28日刊1709号)に掲載されました。「頂門の一針」には、多彩かつ有名な執筆家・ジャーナリストが世論・卓見を投稿しています。どうかご拝読ください。購読(無料)申し込み御希望の方は、下記から手続きして下さい
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◆本文ー
畏友仲村友彦氏の「荘厳なる終焉」を、全国版メルマガ「頂門の一針」と私のメルマガ「ネットメディアおおさか」に掲載したところ、本人へは勿論、私の処にも予期以上の反響があった。

仲村原稿は、私が書いた「運命の子・愛犬もも逝く」を読み、54歳で早逝した愛妻の思い出と重ね合わせながら、生きとし生けるものの終焉の荘厳さを心情を込めて綴ったものだ。

生き残る人に「感謝の意を伝えて息を引き取った私の愛犬と仲村氏の愛妻の終焉の有り様」が余りにも極似していることに感動した感想を詳述したものだった。

ところがなんとこの掲載直後、またもや「荘厳なる終焉」の新舞台が、仲村氏を待ち受けていたのである。気丈で通る仲村氏が、その展開を落涙しながら語った想いを、下記に記してみることにした。

仲村氏は、10月11日、居住地の神戸から46年ぶりに「中学同窓会」に参加するため、生まれ故郷の奄美市へ飛行機で帰郷。同窓会では、60歳を超えてお互い健康であることを称え合いながら、酒宴に酔い痴れ、同夜はホテルで宿泊。

その翌日12日の正午ごろ、「ヘルニア」で入所している介護老人ホームに母・チヨ子さんを訪ねた。91歳になった母と会うのは5年ぶりだったが、高齢とはいえ、前回に会った時と少しも変った風はなく元気だった。

ベッドから身を起こしてやると母は、彼の手を両手でしっかり握り「友彦!よく帰ってきてくれたぁ。有難う。会いたかった」と語りかける。手の温もりが母の愛情を伝えてくれる。長男でありながら5年ものご無沙汰を詫びた。母親の近況に耳を欹てた。

母親が痛むという腹部をやさしく撫でながら、病床生活に耳を欹てたり、愛妻の死後も引き続き大阪の海運業界で活躍している自分の様子などを30分くらい話し合っている内、いつの間にか母はすこやかに寝入ってしまっていた。

この間、ホテルに戻ってシャワーをしてこようと思い、レンタカーを疾駆させて20分ほど離れたホテルの自室に戻った。そこへ驚愕する「一報」が飛び込んできたのだ。

日頃、母親の介護に当たっている4男の弟が咳き込むように言う。「母さんの病状が悪化した。救急車で県立総合病院の集中治療室に搬送したので兄貴、すぐ来てくれ」。えっ?嘘だろう?ほんの先程まで元気に話していたんだぞ!

頭は真っ白になった。冷静になるよう自ら言い聞かせながら、取るものも取らず入院先の総合病院に駆けつけた。暫く待っても病状が皆目分からない。

入院から4時間たった夜8時、主治医が家族を呼んだ。「ヘルニアは関係ない。腸内癒着で、肝臓にも空気が入っており、重篤」と、事実上余命が薄いことを宣言。「手術は出来ないことは無いが、開腸の大手術となり、成功率は30%ぐらい」と説明する。

家族会議が始まった。もう歳だから痛ませず、このまま逝かしてやったらどうかが大勢の意見だったが、面倒見ている4男夫婦が「30%に賭けよう。少しでも長生きしてもらいたいよ」と言い出し、結局手術に託すことになった。

13日午前1時過ぎから手術が始まることになった。母親が手術室に向かう時、ベッドで運ばれる母親とやっと対面できた。仲村氏が母に「頑張ってね!」と声を掛けると、母はしっかりした意識の下で、仲村氏に優しい眼差しと頷きを送り返した。

だが、手術は開腹して腸内を調べた結果、腸内のほとんどが「壊死」状態にあることが判明、手術はすぐに中止となった。

母は、同13日の午前10時35分、家族に看取られて逝去した。信じられない逝去だった。昨日話をしたばかりの母親が息を引き取るなんて、「生きている」ということは、一体何なんだろうか?


仲村氏は慟哭している内、ふとあることが頭をよぎった「あの優しい眼差しと頷きが、母の最後のメッセージだったのではないか。きっとそうだ」。

1日も満たない前日の昼、「友彦!よく帰ってきてくれたね。有難う。会いたかった」と語りかけてくれたのも、母親が「終焉の前に感謝の意を長男の自分に伝えた」のだ。

ということは、長男の友彦氏が帰郷する瞬間まで永らえる努力を続け、逝くのを待っていてくれたのだ。その「役目」を果たしたことに安堵し、この世を去ったに違いない。なんと素晴らしい母親なんだろう。

そう考えている内、毛馬氏の「運命の子・愛犬もも逝く」とそのあと自分が反響として書いた「荘厳なる終焉」とが、今回の母親の「有り様」とが重なり合い、この3者が1本の太い絆で結ばれているような気がしてならなくなった。

自分自身終焉を迎える時、毛馬氏が言うとおり、身内に「感謝の意」をしつかり伝えて逝けるだろうか。この1本の絆で結ばれた「荘厳なる終焉」だけは、自分の生き方の中に、絶対活かしたいと思っている。

以上が、仲村氏の想いを綴ったものである。1本の絆の話も、私には信じられる。しかし、両親・祖父母の終焉には総て立ち会えなかった私自身にとって、仲村氏が生前の母親と最後の「会話」をし、「おくりびと」の「親孝行」の大役も果たしたことは、限りなくうらやましい。合掌。2009.10.26

ご参考―
◆仲村友彦氏著「終焉の大切さ」
http://hyakka.seesaa.net/article/129580726.html

◆毛馬一三拙稿「運命の子・愛犬もも逝く」は、下記に掲載
 http://hyakka.seesaa.net/article/128505213.html


◆冒頭記載の「頂門の一新」平成21(2009)年10月28日刊の
<目次>
・アメリカを怒らせた鳩山政権:渡部亮次郎
・官僚に国会の「答弁メモ」を丸投げ:古澤 襄
・平野貞夫氏の鳩山首相論:阿比留瑠
・お尻が冷たいのはイヤッ!:平井修一
・続いた「荘厳なる終焉」:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

2009年09月28日

◆意外な堺市長選の結果


                 毛馬一三

政令都市になった初の大阪・堺市長選挙は27日投開票が行われたが、驚くべき結果で終焉した。

しかもこの結果を引き出した「裏の主役」が、実は橋下大阪府知事であったことが、この驚きを加速している。

もともと堺市長選挙は、3選を目指す現職の木原敬介氏に対する実績評価が高く、自民・公明両党推薦、民主・社民が支援するという、地方独自の応援体制も確立されていたことから、現職3選は不動という見方で固まっていた。

ところが、この選挙趨勢を根本から覆したのが、橋下知事だった。

橋下知事は当初、有権者の前で公然と現職市長を持ち上げ、現職支持を訴えていた。ところがそれを一転させたのは、知事の愛弟子である部下の元大阪府政策企画部長の竹山修身氏が市長選出馬に意欲をもたらしたことから、竹山氏支援に乗り替えたのだ。

ご承知のように、橋下知事は先の衆院選の時、目指す「地方分権」は民主マニフェストの方が優れているとして、与党の批判轟々の中で「民主支持」を打ち出した。早い話、目指す政治が実現するならば、批判や反発には目を瞑り、一気に突き進む老練さと強引さがある。

橋下知事にはいま、大きな目標がある。「地方分権」の推進母体とする「首長連合」の組織拡大がそれだ。その右腕に近郊政令都市の市長を「連合」の主要メンバーに出来たら、これほどの好都合なことはない。

その意味では、知名度ゼロの竹山氏ではあったが、身命を賭してでも全面応援する価値のある新人候補であったわけだ。過去の市長選で例のない、両人が写ったポスターを市内に張りめぐらし、チラシも配布した。

この作戦は、成功した。地方政治にも変革を求める有権者は、改革派のイメージの強い橋下知事の後継者たる新人・竹山氏に関心を寄せる勢いが後半ごろから強まった、出口調査によれば、無党派層の50余%が竹山氏に投じたという。

初当選した竹山氏は「橋下知事と連携し改革を進めたい」とテレビインタビューで抱負を語っている。まさに橋下知事の実質的な“請負人”であり、知事の夢を叶える「首長連合」の主要メンバーになるにふさわしい適任者だ、

今回の市長選を「橋下知事vs政党」と書いたメディアもあったが、そうではなく地方でも政治改革を望む有権者らが、むしろ市長選を通じて「知事信任の投票」をしたものだと見るのも、的を得ているような気もする。(了)2009.09.27


2009年09月24日

◆<反響> 泣かせるねぇ


                 
                   毛馬一三

筆者が9月21日の本誌に掲載した、<「運命の子」の愛犬逝く>の拙稿に、思いがけなく反響が相次いだ。「慰めの電話」や「メールによる感想」などだった。

拙稿<「運命の子」の愛犬逝く>は、5年5ヶ月生活を共にした愛犬シベリアンハスキーの「もも」との別れの話だった。

寝たきり状態の「もも」は、逝く時苦しまないどころか、終始愛された家内の居ると所へ最後の力を振り絞って歩いていき、「最後の別れと感謝の意」を告げたあと、そのまま倒れこんで息絶えた。 http://hyakka.seesaa.net/article/128505213.html (ご拝読頂ければこれに優る幸せはありません)。


筆者が終焉を迎えるとき、このような「感謝の意と表現」を家内や家族に伝えられるだろうか。「もも」の死は、死に際の所作に、「貴重な教訓」を残してくれて逝ってくれたのだ。
      

ところで、上記記載のように沢山の「お悔やみの電話や感想」を頂いた。「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏からの「感慨」は、既に本誌21日号に掲載している。

ところが、本日「頂門の一針」の常連執筆者で畏友石岡荘十氏(ジャーナリスト)から、またまた感涙を誘う一文を貰った。下記に掲載したい。

◆<毛馬 兄―

泣かせるねぇ。

小生も、ここ東京練馬(自宅)にウサギ小屋を作って以来、30年の間に2度犬を飼い、2度失った。

2匹とも庭で放し飼いにしていた。はじめのヤツは年の暮れに閉め忘れた門扉から出て、行方が分からなくなっていたが正月の三日朝、血だらけになって門の前に倒れていた。

交通事故にでもあったか。飼い主の家にたどり着いたところで、事切れたらしい。

2匹目は、賢いビーグルだったが肝臓癌で逝った。

イヌには懲りて、ネコも飼ったがこれは老衰で天寿を全うした。

この数年、懲りずにまた犬か猫をと思ったが下手をすると飼い主より長生きしそうなので
やめている。

犬2匹、猫1匹は自宅の庭の片隅に仲良く葬られている。

連れ合いが、万一のときこんなに泣きはしないだろうと女房に言ったら「私も」だって。
ああ!

貴兄が既に書き上げているという小説「命のバトンタッチ」が、本になるといいね。期待しています>。

◆石岡氏が愛犬家だったとは初めて聴く話だった。でも動物に愛情を注いだ者しか分からない「癒しの世界と格別な愛情の世界」を熟知している石岡兄から、このような「追悼文」を頂き、また「もも」のことを思い出して涙がこぼれてきた。有り難う。(了)2009.09.23

2009年09月21日

◆「運命の子」の愛犬逝く

                  毛馬一三


<本稿は「頂門の一針」(9月221日・1677号)に掲載されました。同誌には有名執筆家の卓見満載。購読(無料)御希望の方は、下記からお手続き下さい。
   http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


■私たちの家族だった愛犬「もも」が逝き、この17日に初七日の法要を済ませ数日が経った。シベリアンハスキー犬の「もも」(雌)は、13歳5ヶ月、人間の年齢では95歳位に相当する生涯だった。

たしかに長寿には違いなかったが、私たちと共に過ごしたのは、僅か5年と5ヶ月。しかも「命のバトンタッチ」という責務を背負わされた、いわば「運命の子」だったのだ。そのわけは追々・・。

さて、9月11日午前、外出先から家内と帰宅すると、いつもなら病のため伏したままの「もも」が、部屋の中でしっかりと立ち上がったまま出迎えているではないか。

「どうしたの。元気になったの?」。家内が縁側のサッシ扉を開けてやると、しっかりした足取りで、一人で庭に下りて行った。寝たきり同然の「もも」が、私たちの手助け無しに昔乍らの一人歩きを始めたことに、私たちは嬉しさと驚きが交錯した。

私たちが見守る中、庭の中をゆったりと周回しながら臭いを嗅ぎ回ったあと、片隅でたっぷりと「おしっこ」をし、再び家に中に歩いて戻ってきた。

そのまま布団に倒れ寝込んで仕舞うのかと思っていたら、何と部屋を横切り、まっすぐ家内が居る台所の方に向かって歩き出したのだ。そこで異変が起きた。

台所で炊事仕事をしていた家内の側に行った「もも」は、何かいいたげな眼差しをじっと家内に投げかけ暫く佇んでいた。家内と目を交わした「もも」は、体を反転。その瞬間、そばにいた私の両腕の中に体ごと倒れこんだ。

「どうした!もも」。絶叫する私の声に驚いた家内が、「もも、死んじゃ駄目!」と声を張り上げ抱き起こそうとしたが、「もも」はそのまま息絶え、そのまま静かに逝ってしまった。私たちは慟哭しながら、心臓マッサージ、深呼吸をしたが無駄だった。

ところで、「もも」は、今年6月に「乳腺に癌の疑い」があると宣告され、以後乳腺部位の患部が日を追う毎に肥大した。消炎の抗生物質等を飲ませる一方、患部からの出血と粘液を抑えるためにナプキンを当てた晒しをお腹に巻き、3時間おきに昼夜を問わず交換した。

だが、6月ごろからは食欲が急減、体重も減った。散歩も家の周りだけを回るだけ。あとは家に引き返すと布団の中で寝たきりという状態となった。8月中旬になると、22キロの体を抱えて身を起こし、支えて外に連れ出してやらなければ、「排尿・排便」さえ出来なくなった。

医者によると、このひどい症状でも痛みの自覚はないという。しかし死期の判断は難しいとの診断だった。それなら1日でも長生きさせようと、家内は食欲減退の「もも」に新鮮な生肉やステーキ肉、ハム、レバ、パン粥などの栄養豊富な食事を好きなだけ与えた。

これを機嫌よく食べ尽くしたため、病を吹き飛ばすに違いないと信じ、「まだまだ永らえるぞ」と自ら言い聞かせたものだった。だから天国に旅立った当日の11日、スクッと屹立した姿を見た時は、快方の現れと狂喜したのだ。

なぜ、「もも」は自力で立ち上がり、庭で所要を済ませたあと台所の家内のとこへ、奇跡だとしか言い様のない一人歩きしたのだろうか。

あとで静かに考えてみると、きっと最後の力を振り絞って、家内に「別れと感謝」の気持ちを告げたかったのに違いない。しかも「運命の子の役目」を果たしたことを直接遺言したかったのではないだろうか。そうとしか思えないのだ。

何度も書く「運命の子」だった「もも」の意味は、何だったのか。

この物語は、「命のバトンタッチ」(未刊)という題名の長編小説を、既に私が書き上げている。愛犬にまつわる家族の「生き甲斐と悲しみ」のドラマ、思いも寄らぬ奇跡の展開、それに「もも」に託した「悲願」をドキュメントタッチで綴ったものだ。

さてその物語。

平成15年3月24日、我が家で初めて飼った愛犬シベリアンハスキーの「ゴルビー」(オス)が癌のため、死んだことから始まる。生後2ヶ月で我が家の家族となった「ゴルビー」は、我が家が辛い時も嬉しい時も、そして悲しい時も、いつも癒し、楽しみ、共に慰め合うまさに家族の一員だった。

「ゴルビー」の死後、もぬけの殻になった私たちに「ゴルビー」とそっくりの「もも」の存在を知らせてくれたのが、近所の愛犬家の女性だった。飼い主の会社が倒産し、公園の片隅で飼い主の男性とホームレス同然の不自由な生活を強いられているという。

そのことを祭壇の「ゴルビー」の遺骨と遺影に報告すると、「ゴルビー」が「その子の命を早く助けて!」と叫ぶ声が、家内にはっきり聞こえてきたと言う。

その夜、教えられた現場の公園に急行。飼い主と協議の上、「もも」を救出したのだ。こうして平成16年4月24日から「ゴルビーからの命のバトンタッチ」の役目を背負った「運命の子」になったのだ。8歳の「ゴルビー」と全く瓜二つの「もも」だった。

以後、子宮蓄膿症に罹るなど2回の死線を乗り越え、5年5ヶ月にわたり、家族を癒し助け合ってくれる「運命の子」の役を果たしながら生き続け、長寿を全うしたのだった。

愛犬「もも」は、3つの貴重な教訓を残して逝っている。ひとつは苦しまず、誰にも迷惑を掛けず逝ったこと。2つめは、死後に「清潔に逝くこと」を心がけ、死の直前に「不浄を済ませた」こと。もうひとつは、お世話になった家内に最後の力を振り絞って「感謝と別れ」を告げ、私に倒れ掛かって旅立ったことだ。

私たちが生を終える時は、「もも」のような終焉を迎えることが出来るだろうか。いつの日か発刊する拙著「命のバトンタッチ」のご拝読を願いつつ、合掌。(了)
                  2009.09.19

■「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏からの本稿へのコメント。
  同メルマガ<身 辺 雑 記>欄に掲載されましたー。

 <太宰治は「すべての犬は人間を噛む」とおそれたそうだが、わたしもそう思う。だからどんなに小さな犬でも近付かない。これは子供のころ秋田で秋田犬にわき腹を食いちぎられたトラウマだろうと思う。

 毛馬さんの犬は噛まなかったのだろう。ちょっと泣かせる話だ。>

◆「頂門の一針」(9月221日・1677号)をご覧ください。

<目次>
・小澤幹事長の健康状態:渡部亮次郎
・小沢・李相得のパイプ:古澤 襄
・功罪半ばする鳩山内閣の布陣:古澤 襄
・アフガン新兵は記号も分からず:宮崎正弘
・武士道〜先人からの贈り物:伊勢雅臣
・「運命の子」愛犬逝く:毛馬一三

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

              


2009年09月14日

◆異様な様相の大阪堺市長選

毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」(9月15日・1670号)に掲載されました。同号のご案内は、本稿のあとに掲載。ご高覧の程を>


◆民主党が圧勝した衆院選挙から僅か2週間後に、今度は近畿で初めての政令市長選となる大阪府堺市長選が、異様な選挙戦の様相を展開し出した。

13日に告示された堺市長選には、3選を目指す現職に対して、3人の新人候補が立候補した。現職VS新人の対決という選挙戦は、まことに異常なことはない。だが今回の堺市長選ばかりは、その対決構造に複雑さと異様さが交じり合って、27日の投票日に向け激戦となりそうだ。

というのは、3選を目指す現職の木原敬介市長(自公推薦・民主、社民支援)に対して、新人で元大阪府政策企画部長の竹山修身氏が有力対抗馬として挑む。ところが橋下知事が新人の竹山修身氏を応援したことから、選挙戦の異様な様相が激化してきた。

早い話、知事与党である自公推薦の現職に対抗して、知事は自ら無所属新人の竹山氏を公然と支援し、11日の「決起集会」演壇で、竹山氏を自ら肩車に担ぎ上げて支援を求める派手なポーズを取るほどの熱の入れようだった。

これに対して知事与党の自公両党は、先の衆院選で「民主支持」を表明した知事への「しこり」は依然燻ぶり続けたままだが、今回の堺市長選で再び「信義違反」を繰り返し、「対抗馬」の支援に回ったことから、反発どころかあからさまに憤激の様相を示している。

更に選挙構造を複雑にしているには、先の衆院選で「政権奪取」を果たした民主・社民会派の府議や市議が、「現職」の木原氏を支援していることだ。

つまり現職木原氏には、民主・社民・自民・公明の各党が相乗りした形となっている。もっと付け加えると、民主が現職支援すれば、これに当然知事は同意するだろうと読んでいた。それが見事に外れたわけだ。

だから民主市議の中からは、「知事は自分の意に沿わない者を潰そうとする。独裁者、ファッショだ」と過激な批判を放つ声も出る始末。

ところで、橋下知事は実は08年11月の木原市長のパーティーに出席し、木原氏を「自治体の神様」と讃えて一旦は支持を打ち上げものの、今夏突如「僕はもっと素晴らしい神様を見つけた」と橋下流の言い回しをして、「竹山支持」に鞍替えして仕舞ったのである。

しかも「国政で激烈な選挙をしたばかりなのに、自公民の相乗りはわかりづらい」と相乗り選挙に批判を繰り返した。つまり木原現職不支持を鮮明にしたのだ。

まず大阪での過去の府下の市長選挙で、知事が特定候補者の支持を打ち出し、街頭で支援を呼びかけるなど事例はない。それどころか、今回の支持表明も初めての事だが、知事自身が市長候補者の竹下氏とツーショットポスターを堺市内に張り出したことも、異例なことだった。

そんな厳しい環境に敢えて身を投じていく橋下知事の腹積もりは一体何なのだろうか。見方にはいろいろあるようだが、こうした行動に出る知事には、したたか政治判断と老練さが伺えるような気がする。

知事が政治生命を賭けて目指しているのは「地方分権」であり、これを支持構成団体の「首長連合」の組織強化だ。

知事が支援する竹山氏は、知事の側近中の側近として府政改革を支えてきた人物であり、とりわけ「地方分権」推進の強力な支援者だ。だとすれば、竹山氏に政令市の市長になってもらい、その上で「首長連合」強化の核になってもらいたいという願いが、今回の支援に繋がっていると思える。

その意味では、府行政改革に些か隔絶感のある現職の木原氏より、知事自身と連携強化を図りながら常に共同歩調を確実に取ってくれる竹山氏支持に打って出たことが、自然な成り行きであり、知事の判断の上では合理性がありそうだ。

こうしたことから政令市移行後、初の市長選挙は自公推薦、民主・民社支援の現職VS無所属新人・知事支援の激戦となることは必至で、知事の知名度をバッックにする強力対抗馬の動向が、有権者の関心の的になりそうだ。(了)2009.9.13

◆本稿が掲載された「頂門の一針」(9月15日・1670号)の目次は下記の通りです。どうぞご拝読ください。

<目次>
・代表的保守論客からアフガン撤退論:宮崎正弘
・文字通り捨て石?の谷垣禎一氏:古沢 襄
・異様な様相の大阪堺市長選:毛馬一三
・静岡空港の悲惨と滑稽:平井修一
・ノースウエスト最低の記憶:前田正晶

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年08月31日

◆関西も自公完敗

                                   毛馬一三

自民党の大敗は、予想されていたとはいえ、現実の形なると、「自民党第1党体制」が遂に終止符を打ったことを実感させられる。

関西48小選挙区の中でも、自民党と退廃は著しく、選挙前の34議席に比べ残ったのは5議席だ。ましてや与党公明党も選挙前の6議席すべてを失った。これに対し、民主党は選挙前の8議席を何と41議席まで獲得し、自公に決定的な打撃を与えたのだ。

しかも、保守王国和歌山県の二階俊博氏(70)や大阪13区の西野あきら氏(69)らが辛くも議席を確保したものの、閣僚経験者や党幹部などの大物候補者が、次々に「敗北」という憂き目に合ったのも、今回の目を剥く特徴だった。

重複立候補せず、小選挙区での敗退で議席を失った全国最高齢候補で元外相の自民党前職、中山太郎氏(85)・大阪18区は、「自民党の政策が間違っていた。反省すべき点が多々ある」と敗因を述べた。

また大阪1区で10選を目指した落選した自民党前職、中馬弘毅氏(72)は、「全国の土石流のような流れの中で、何とか大阪1区を防波堤にという信念の下に戦ったが、本当に残念な結果になった」と敗因を語った。

一方、公明党も大阪16区の北側一雄党幹事長(56)と兵庫8区(尼崎市)の冬柴鉄三氏(73)も、完敗を避けられなかった。民主が推薦する新党日本新人の田中康夫氏(53)に敗れた冬柴氏は、「市民の厳正な判断の結果」と悔しさをにじませた敗戦の弁を吐露。今後については「年も年なので…」と政界引退も仄めかせる始末だ。

確かに民意の強い意思表示で「政権交代」は実現した。民主党の鳩山代表は9月中旬にも、鳩山内閣を誕生させる意向だという。当然「圧勝」に後押しされる新しい政治構図には違いない。

しかし民主党政権に不安がないではない。第一、続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の若手や女性候補たちだ。

天下り、随意契約、官製談合、消えた年金等さまざまな闇を徹底的に暴いてみせると 口を揃えて訴えてきたが、霞ヶ関の官僚体制の一角でも崩し、打破していくパワーがあるだろうか。

今回民主党に鞍替えして投票した主婦らに聞くと、「高校の授業料が無料化」される公約だけを信じて、一票を献じたと言っていた。ということは民主が歴史的飛躍を遂げた以上、マニフェストを誠実に実行するのが重大な責務となるのは当然のことだ。

「子育て」「授業料無料化」「高速道路無料化」等、耳障りのいい家計支援の公約実現に引き当てる「財源」はどこから引き出してくるのか。その公約実現をひたすら信じて民主党に投票した有権者ですら、今なおそこには「不安を感じる」との本音を吐き出している。

政権交代が凄まじい民意によって導き出され、日本の政治に新しい扉をこじ開けた事は事実だ。55年の結党以来続いた自民党「第一党体制」も崩れた。自民党は「奈落の底」に当分低迷し、暫くは立ち上がれないかもしれない。

しかし、民主党のマニフェストが一向に陽の目を見ない事態が次々と表面化しだしたら、また政局は激動しはじめるだろう。民意を舐めてかかると、今回のような自民党惨敗の憂き目に合うことを忘れて欲しくないものだ。(了)  2009.08.31

◆渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」(8月31日刊1655号)をご拝読下さい。

<同号目次>
            
・「小泉選挙」の裏返しだ:花岡信昭
・いい加減な死因報道:石岡荘十
・「お前の目は黒くない」:渡部亮次郎
・広島・長崎への原爆投下の真実(3):岡崎渓子
・すべては米国の計算違いから:宮崎正弘

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2009年08月25日

◆橋下大阪府知事のタイ訪問


              毛馬一三

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」1650号(8月26日刊)に掲載されました。有名著者卓見満載の同メルマガをご覧ください>

大阪府の橋下知事が、24日昼前、関西空港からバンコクに向けて出発した。タイ訪問は初めて。訪問の理由を、タイで行われる経済交流セミナーへの出席としているが、本音は別のところにある。

橋下知事は、総選挙が始まる直前に、自民・民主のマニフェストを検証した結果、衆院選挙では民主党支持を明らかにした。その上で、選挙中は「与党自公の応援マイクは握らない。といって、民主党のマイクも握らない」と述べ、18日の総選挙告示日からは総選挙には関りをもたず、ひたすら山積する府政課題に傾注している。

とはいえ、府議会与党の自公両党からは、「知事選応援の恩義を忘れ、勝ち馬に乗ろうとする意思が伺える卑劣な行為」と、橋下知事に対する反発は一向に収まる気配を見せていない。

こうしたことから橋下知事としては、総選挙の生々しい情勢下の大阪を離れ、アジア各国との関係強化のテーマに専従する事の方が、府議会与党の神経を些かなりとも和らげることに繋がり、同時に民主党を有利に導くとの見方からも回避出来るという、橋下流の本音の判断がここにある。

橋下知事は、今月27日までバンコクに滞在し、25日は、大阪とタイの経済交流を促進するためのセミナーに出席し、大阪の企業の製品や技術力をアピールするほか、26日は、タイの通商代表らと会談し、経済や観光交流の促進に向けて意見を交わすことになっている。

タイ滞在は27日までで、27日に現地の公立高校や、舟の上から物を売り買いする水上マーケットを視察したあと帰国する。

従って、知事の執務は28日からで、総選挙には実質的な関りはないことを貫くことになる。

ということは、この知事の巧みな戦略で、府議会与党が改めて「民主支持」を打ち上げた橋下知事との与党関係の見直しを迫る舞台は、総選挙の結果とも絡んで急遽バトル化する可能性は薄い。


ところで橋下知事にからむ余談だが、総選挙後に開かれる大阪府議会9月定例議会で、橋下知事が「知事辞職」を匂わせながら府議会と対決する意向を固めている案件があるということだ。このほうが今から懸念される。

その案件とは、「府庁舎を大阪南港のWTCビルへ移転する議案」を再提出することだ。同案は、先の府議会で否決されたが、再び否決された場合、府民に是非を問うため知事を辞職し、知事選挙に再立候補する可能性もあることを記者会見で示唆したのである。

もともと知事は、将来大阪港を臨む南港地帯を副都心とし、海外との輸出入を拡大する新しい港の整備や、周辺地域に関連企業、金融機関などを集約して、低迷する大阪経済の突破口にしたい考えで、大阪市との連携も視野にいれた協議会つくりを急いでいる。

だから、議案が再び否決された場合、「前回は、出直しの選挙はやらないと言ったが、今回は、やらないとは言わない」と記者団に述べ、府民に是非を問うため知事を辞職し、再び知事選挙に立候補する可能性を示唆したわけだ。

府議会の各党では、従来は知事案に一部が賛成しているものの、大多数は反対の意向だ。しかし今度の総選挙の結果が、知事の「背水の陣」の気構えにどのような動きをみせるのか不透明。再び知事をめぐり大騒動になることだけは間違いなさそうだ。(了)2008.08.24

■「頂門の一針」1650号(8月26日刊)

<目次>
・橋下大阪府知事のタイ訪問:毛馬一三
・米国は「バナナ共和国」に:宮崎正弘
・お土産を持って北にいらっしゃい:古澤 襄
・福澤桃介と大井ダム:永冶ベックマン啓子
・「極東ロシア見てある記(1):粕谷哲夫

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2009年08月21日

◆大阪市立友渕中 全中サッカーで惜敗

                    
             毛馬一三

長崎県島原市で開催されている全国中学校サッカー大会で、初戦突破を果たした近畿代表の大阪市立友渕中学は、21日2回戦で地元島原市立第一中学と対戦した。

この試合、両チームとも実力は互角、キックオフのホイッスル直後から厳しい試合展開となった。前半戦は双方相譲らず0−0で終わり、後半戦に勝敗を賭ける緊迫した試合となった。しかし後半戦10分に島原市立第一中が幸運にも決めたゴールが決勝点となり、友渕中は涙を呑んだ。

アウェイの試合となった友中の選手たちは、会場満杯の相手校応援団の爆発的な声援にも負けることなく、最後までゴールに向かって突進した。アウェイの試合にも怖気付かなかった友中は、素晴らしい。

大阪から遠路駆けつけた30余人の父兄たちの応援団は、試合後応援団の前で感謝の頭を下げる選手・コーチに健闘を称える大きな拍手と声援を送ったが、選手たち全員が泣きじゃくり、コーチ陣が必死になだめる一幕もあった。

同中の全中サッカー大会出場に「激励電報」を寄こした平松市長も、「今日の惜敗」より「初戦突破で友中の名前を全国に広めた」実績に改めて賛辞を送るとともに、「サッカーで培った努力の尊さ」を、部活全員が深く心に刻むよう願っているという。

とにかく初の初戦突破を果たし、念願の2回戦に進出したこと自体が友渕中サッカー部の歴史を華々しく飾る。選手たちは胸を張って帰校して欲しい。よくやった、友渕中サッカー部!!

なお、近畿代表のもう1チームの高槻市立第二中は、20日東京都代表の日本大学第三中と初戦を対戦。1−1でPK戦となったが、7−6で敗れている。(了)2009.08.21 14.30

◆全中サッカー大会、友渕中2回戦へ

             毛馬一三

長崎県島原市で20日から開かれた全国中学校サッカー大会(全中サッカー大会)で、近畿代表の大阪市立友渕中学サッカー部が、初戦の相手校・栃木県の下野市立国分寺中学校をPK戦で破り、初戦を飾った。

試合の前半は0−0と互いに譲らず無得点、後半は友中が先制したものの、すぐに国分寺中に追いつかれ、1-1の同点のまま、延長戦にもつれ込んだ。

前半・後半にわたる延長戦でも決着がつかず、結局PK戦となり、友中が5-4で国分寺中を辛うじて突き放し、初戦を飾った。初戦に勝ち2回戦に挑むのは、友中としては初めて。

全中大会には、昨夜から自家用車などで駆けつけた父兄30余人が声を嗄らし懸命の応援を続け、PK戦で勝利した瞬間には、緊張と感激の余り泣き出す母親たちも多数いた。また友渕中の松本克彦校長も急遽、飛行機で会場に駆けつけ、勝利した選手・コーチ一人ひとりと握手を交わし勝利の喜びを分かち合った。

特にこの初戦勝利のニュースは、昨日友渕中校長宛に「檄電」を送った平松市長にも届けられ、これを聞いた平松市長も「明日からの試合に期待したい」と熱っぽく語ったという。

さて初戦を勝ち2回戦に挑む友渕中は21日、地元島原市立第一中学校と対戦する。言ってみれば、地元の大勢の応援団の声援をまともに受けるアウェーの試合と同様で、強烈なプレッシャーを受けることになる。

しかも対戦相手の島原市立第一中は、四国代表の強豪市立中学に4−0で完勝している。特に試合開始直後の6分に最初のゴールを決めているほか、終盤の50分と58分にも得点を重ねるなど、多様かつ執拗な攻撃性を特徴とするチームだけに終始油断は出来ない。

だが、友渕中は極めて意気軒昂。全中大会2回目の挑戦で、初めて初戦を突破し2回戦への舞台へ飛び出すことになった友渕中の全選手は、果敢な気力と闘志に満ち溢れ、アウェーの雰囲気などには絶対負けずに頑張り抜くと意気込んでいる。

とにかく悔いの無い試合を期待している。がんばれ!友渕中!

>☆大阪市立友渕中学校vs島原市立第一中学校 ←クリック(大会の詳細)

2009年08月15日

◆橋下知事の民主支持で広がる衝撃


               毛馬一三

<本稿は全国版メルマガ「頂門の一針」8月15日刊1639号に掲載されました。卓見満載の「頂門の一針」もご拝読ください>

大阪府の橋下徹知事が、総選挙で民主党支持を鮮明にしたことで、地元大阪では激震が広がり、選挙直前のこの週末に向けて大きな騒動となりそうだ。

発端は橋下知事が、自民・民主の政権公約を検証した結果、民主党が「政権交代というエネルギーを活用して国のあり方をけることに踏み込もうとしている」と評価、「首長連合」として衆院選挙では民主党を支持すると、中田横浜市長とともに表明したことがキッカケ。

民主支持を明らかにした橋下知事は、「自公応援のマイクは握らない。といって民主のマイクを握ることまではしない」と与党自公への配慮を覗かせているが、知事が野党民主党支持に転じた予想外の行動に有権者の間では、反発と賛意が激しく交錯し出している。

しかも総選挙直前の知事の行動は、総選挙の趨勢を知事なりに見極めた上でのことではないかとの受け止め方も多く、府民の投票行動にも影響を与えそうだ。

橋下知事は、どうして野党民主党支持に転じたのか。

橋下知事が就任以来掲げてきた最大の政治テーマが「地方分権」だ。地方は「霞ヶ関の奴隷」だと槍玉に挙げ、「霞ヶ関の解体」こそが地方救済の秘策だとし、全国5首長を結集して「首長連合」を立ち上げた。

ということは、地方に任せるべき財源まで搾取同様の政策を強行する「霞ヶ関」を解体する以外に、破綻寸前の地方財政を救済する道は無いという理屈だ。

そこで今回の衆院選挙を絶好機と考え、自民・民主両党本部から「地方分権改革への熱意」を聞き質し、詳細に検証した。その結果、自民には期待できないと判断。ついに民主党支持を打ち出したのだ。

知事にしてみれば、悲願の「地方分権の実現」を民主党が公約してくれた以上、府民優先を考えた末に決断した「知事選択」を、府民は十分に理解・納得して呉れると言う筈との判断に至ったものだ。

案の定、府議会野党ながら知事から支持を受けた民主党府連では「自公を応援しないことだけでも、選挙にはプラスになる」と大歓迎。街宣車でマイクを握らなくても、知事が民主党を支持している政治効果は絶大だとして、総選挙本番に向けての活動でこの宣伝に力を入れる方針。

だが、知事選、議会運営で与党役割を果たしてきた自公両党は、それでは収まらない。「裏切り行為だ」として一斉に反発。与党幹部の一人は「勝ち馬に乗ろうという算段で動いている。与党貢献を省みない、言語道断の信義則違反だ」と切り捨てる。

正直、今回の総選挙が民主有利に動いているとの情勢を踏まえ、これを跳ね返す極め付きの戦術を模索していた矢先だけに、想定を覆す意外な知事の行動には大きな衝撃を受けているのが事実だ。

とはいえ、来週早々に迫った総選挙を控え、いまさら知事の意思を覆すことに時間を費やすことも実効なしと判断、この際この週末からの総選挙対策を「知事抜き」で組み立てなおす緊急対応策を協議するなど、火が付いた慌ただしさを見せている。

従って与党自公両党は、「知事離反行為の是非」は、総選挙後の9月議会で決着付けることにし、今は徒に騒ぎ立て過ぎて不利な選挙情勢として跳ね返ってこないよう、事態の沈静化を図ることに躍起となっている。

当の知事は、こうした情勢を見守りながら「政党に対する恩よりも、府民がどう理解してくれるかに今も軸足を置いている」と依然「民主支持」のスタンスを堅持する意向を崩しておらず、となれば知事の民主党支援が大阪での総選挙の影の舞台で、少なからず影響を与えることは間違いなさそうだ。(了)2009.08.14 

◆本稿掲載の「頂門の一針」(8月15日刊)1639号
<同号目次>
・中国経済は空前の破裂が近い?:宮崎正弘
・橋下知事の民主支持で広がる衝撃:毛馬一三
・国会議事録の危機:綾野 幸
・米国市民の日本政治認識:前田正晶
・繰り返すインフルエンザ蔓延の歴史:石岡荘十

・話 の 耳 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2009年08月12日

◆戦没先輩を偲んだ(再掲)



                 渡部亮次郎

<本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏が本欄「百家争鳴」に寄稿、07年6月27日掲載したものです。今回「再掲」したわけは、本稿末尾に追筆します。ご高覧の程を。
 なお、「頂門の一針」本日号に掲載されました・・主宰毛馬一三>


<本稿>
学校の創立記念事業にはいろいろある。私の県立秋田高校は前身秋田中学校の始まりが1873(明治6年9月1日)だから、この秋で創立134年を迎える。

私たちが卒業した時は80周年だったので、秋田県記念館で日本舞踊家五條珠実の舞踊披露が記念行事の1つだった。

先輩の大流行歌手東海林太郎(しょうじ たろう)が存命中だったから、彼の公演を希望したが、届かなかった。尤も地元では彼はアカ(共産主義者)と思われていたので、それでかもしれない。

話は九州に飛ぶ。その昔、福岡県立中学修猷館(しゅうゆうかん)の寄宿舎の一部を仮校舎として開校した県立福岡高等学校が、平成19年6月9日に創立90周年記念式典を挙行した。ここまではどこにでもある話。

福岡高校の男女生徒たちは昭和20年4月、海軍航空隊攻撃機の機長として散った大先輩の遺徳を詩や短歌に詠み、それをもう1人の先輩の声楽家に歌っていただき、CD4000枚と歌曲集(楽譜)3000部を先輩や関係者に配布したのだ。

「誰よりも 愛すべき人よりも なお 国を愛して 逝きし人かな」
「願わくは 時空をこえて 語りたい 白き心は くちなしの花」
74歳の現役バリトン歌手山本健二さんが朗々と、しかし、しんみりと歌った。

歌われた話題の主は大東亜戦争で学徒出陣し24歳で散った故宅島徳光さん。福岡高校(当時はまだ福岡中学校)から慶応大学に進んだが、戦況の悪化に伴って断行された学徒出陣で海軍航空隊に入り、終戦直前の昭和20年4月9日、宮城県の松島基地から出撃したまま、金華山沖上空で不帰の人となった。

生前に残していた「青春の記録」は、一部は既に戦没学生の手記を集めた「きけわだつみのこえ」に収録されているが、遺族は「記録」の全部を昭和36(1961)年に「くちなしの花」として自費出版した。

実はこの遺稿集を偶然の機会に読んだのが声楽家の山本さん。「この本を読んだいまの高校生の言葉を歌にして、後世に残してみては」と母校に持ちかけたのだ。

話をうけた校長(当時)藤 和義さんが遺族に「全校生徒に読ませたいので、是非」とお願いしたところ井上清方さんから1冊が寄付された。

生徒たちは一昨年から全員で回覧。伝わる思いを詩や短歌にした。その中から10編が選ばれ、山本さんの知り合いの作曲家平野淳一さんがすべてに曲をつけ、更に山本さんが黒尾友美子さんのピアノ伴奏で10曲すべてを謳いあげた。

ほかに「くちなしの花」と題する故人の手記を元NHKアナウンサーの山田誠浩さんが朗読している。

90周年記念音楽会は6月9日の夜、博多区築港本町の福岡サンパレスで開かれ山本さんがCDから選んだ2曲を歌った。

CDの冒頭の1曲「くちなしの花」作詞村上駿君は高校60回生。
くちなしの花が散った 枯葉と共に散り落ちた それでも 今日も
明日も 心の中に いつまでもその花を 咲かせていよう 寂しくとも 寂しくとも

高校60回生 末次由布子さん「光の種」
この青空の向こう側 あなたは笑っているのでしょうか 今日もあなたを想います 故郷(ふるさと)遠い空の下

・・・たとえ心が枯れようと 光の種を残しましょう あなたが咲かせてくれるなら 輝く未来(あす)にゆれるでしょう

縁あって山本さんから、今度はこのCDに紹介記事(5月29日付西日本新聞)を添えてご恵贈に与かった。

山本さんは言う。「作品を通して若き後輩たちの深き精神性を知ることが出来た。満ち足りた気持で同窓の方々と共に90周年を祝うことが出来る。

西方浄土、薄きばら色の空に眠る宅島徳光先輩、並びにわだつみの声、草生す屍となった幾万々の御魂に、合掌」。
CDについての御問合せ先は福岡県立福岡高等学校 
電話:092-651-4265 HPは http://fukuoka.fku.ed.jp/


◆主宰者よりの追筆ー

本稿を再掲したきっかけは、実は今年「関西福中・福高同窓会」の常任幹事(IT担当)に就任した私宛に、同会会長小山富夫氏から貰った一通のメールだった。

そのメールは下記のような内容だった。

<昭和20年4月9日、飛行訓練中金華山沖で殉死された福中先輩・宅島徳光さんのURLをお送りします。宅島先輩の手記が「くちなしの花」として渡哲也が歌ったことはあまりにも有名です。
http://fukuoka-senjin.kinin.com/data/item/759
http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=386

19年6月9日の福中福高創立90周年記念式典で、宅島先輩の詩が詠まれ、高校3回生卒で歌手の山本健二さんが作曲した鎮魂曲が披露されました。この時の模様を記録したCDを、近くお持ちします>。

俳優渡哲也が歌った「くちなしの花」は、よく知っている。というより、歌名を聞いただけでメロディーが脳裏を駆け巡るほどの愛唱歌のひとつだ。「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさくちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくるくちなしの白花・・・」。

それほどの歌であるのに、その歌詞の基になったものが、福中先輩の宅島徳光さんの「戦時手記」だったとは不覚にも、知らなかった。小山氏のメールが無かったら、知らないままに過していたに違いない。

ところがそうこうしている内、ハッと思い当たることがあった。たしか宅島徳光さんのことを、畏先輩で「頂門の一針」主宰の渡部亮次郎氏から寄稿して頂き、本欄「百家争鳴」に掲載したような記憶が、頭をよぎったのだ。

急かれるままに本欄のバックナムバーを調べた。間違いなく07年6月27日の本欄に掲載していたことが確認できた。内容が凄い!

ご拝読頂いたように、我が同窓会90周年記念に触れられ、宅島先輩の当時の想いの詩が詠まれ、先輩声楽家作曲の鎮魂歌の披露のことまで克明に書き込まれている。しかも「CD」のことにも触れられている。紛れも無く今も息づく「玉稿」だ。

同窓会の小山会長が近く、創立90周年の行事記録の「CD」を持参してくることになっているが、おそらくその会合の時は宅島徳光先輩の「偲ぶ会」になるだろう。であれば、2年前に掲載した渡部亮次郎氏の原稿を、事前に「再掲」しておこうと思った次第だった訳だ。
                        (了)  2009.08.12

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