2007年09月03日

◆大阪市長選 一転超波乱含みに

                       毛馬 一三

11月4日告示、同18日に投開票の大阪市長選挙は、当初現職と共産党推薦の一騎打ちとみられていたが、先の参院選挙で大勝した民主党がその余勢を駆って独自候補を立てる方針を固めたことから、様相が様変わりし出した。

ところが、ここに来て新たに市民グループなどが押す有力新人が4日にも出馬の意向を表明する動きが表面化し、市長選はかってない波乱含みの激戦となる見通しとなった。<読売新聞9月1日夕刊>。

大阪市長選挙は、2005年の出直し選挙で現職の關淳一市長(72)が再選され、悪しき因習を打破する市政改革を断行するマニフェストを実行するとして、労働組合との関係を絶縁する一方、同和行政の改革にも乗り出し、とりわけ累積赤字の市の第3セクターの売却に乗り出すなど、行財政健全化を目指してきたのは周知の事実。

ただ気になるのは、その改革に取り組む姿勢の全てが、「過去の清算」という後ろ向きの対応に終始しており、大阪の行政・経済の地盤沈下の回復にどのような将来ビジョンと具体策を持っているのか、それが今でもさっぱり見えてこない。これが市長批判に繋がる最大要因である。

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2007年08月21日

◆事件の真相解明 法廷へ

 
                    毛馬 一三

大阪・枚方(ひらかた)市の清掃工場をめぐる談合事件をめぐり中司宏市長が、大阪地方検察庁特捜部の調べに対し、談合に「主導的」に関与したことを大筋で認めたとされることから、特捜部では市長を競争入札妨害(談合)の罪で
20日起訴した。

しかし、同市長は談合関与を大筋で認めながらも、関与の度合いを「黙認」しただけと主張しているともいわれており、談合を黙認していたという行為が刑法の入札妨害の罪に当るかどうかが、法廷での争いの焦点になってきた。

同市長は、「これ以上市政を混乱させたくない」として、同日弁護士を通じて市当局に対し「辞意」を表明、21日には市議会議長に対して正式に辞職願いを提出する。これに伴い、21日から6日以内に市選挙管理委員会に通知され、その日から50日以内に、市長選挙が行われるため、選挙日程は9月下旬から10月上旬になる見通し。

平成19年5月以来3か月にわたって進められてきた枚方市の清掃工場をめぐる談合事件の捜査は終結し、いよいよ“改革派”新市長を選ぶ選挙が始まる。

ところで、この事件の焦点は、中司市長が、一旦受注を断った大手ゼネコン「大林組」を翻意させる環境づくりに、以下のような市長の関与があったかどうかだった。

それは、17年7月頃、市の清掃工場建設の1回目の入札の際、工場建物本体とプラント部分を39億円で「一括入札方式」を提案したのに対して、大林組が辞退したことから、これを翻意させようと、11月の再入札の際、建物本体とプラント部分を「分離発注」に変更したうえ、入札価格を一挙に56億円に引き上げ、「大林組」との談合が成立するよう働きかける一連の工作に、市長自身が関与していたどうかであり、これについては既にご存知の通り。

中司市長は、供述に二転三転はあったものの、最終的には大筋でこうした談合への関与を認めたという。しかも特捜部の調べで、中司市長が99年12月大阪府議会議員の初田豊三郎被告と共に大林組の元顧問、森井繁夫被告らとホテルで会合した際、同府議が工事受注を促したのに対し、市長自ら「宜しく」と告げ、「大林組」元顧問も「こちらこそ宜しく」といったやり取りの裏付けもとれているという。

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2007年08月11日

◆芭蕉随行の『曾良』は忍者?

                            毛馬 一三

拙稿「芭蕉終焉(しゅうえん)の地って?」の第2弾。同稿が日本一メルマガ「頂門の一針」に掲載されたところ、当主宰者の渡部亮次郎氏からご寄稿を頂戴した。

もともと拙稿とは、松尾芭蕉の「終焉の地」が大阪・南御堂向かいにあった花屋仁左衛門の離れ座敷であったことや、辞世の句といわれる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」が、この座敷の病の床で亡くなる4日前に詠んだものであることを、筆者は不覚にも知らなかったが、先般偶然このことを知る機会を得たことから、思い立って綴ったものだった。

その執筆中に、渡部亮次郎氏が以前本欄に掲載された『老化は熟成である』の記述の中に、<生きるとは死ぬことである。生まれたら成長すると言うが、それは違う。最後に来る死に向かって懸命に走っているに過ぎないのだ>という同氏の「死生観」が記述されていたことを思い出し、それと終焉の芭蕉の心境と重なるよう思えたので、同拙稿中に引用させて貰った。

芭蕉は、大阪で死ぬなどとは夢想だにせず、早く床払いをして好きな旅を続けたいとの気持であったと、様々な文献が記している。

だが、思いもよらず病(食中毒といわれる)は悪化、意に反して終焉を迎えるのだが、見守る弟子たちの顔を眺めながら「死」が迫るのを悟り、幸せな生涯だったと瞑目しながら、逍遥と死の旅についたようだ。渡部氏の『老化は熟成である』という「死生観」を、芭蕉も終焉のその瞬間同様の想いを脳裏の中に去来させたに違いないと筆者は思ったのだ。

渡部亮次郎氏から頂いた寄稿は、下記の通りであった。
<深川・芭蕉記念館 は拙宅の近くです。徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。江戸の発展とともに新たな市街地、農地が必要となり、土地の開発が始まった。大阪からきていた深川八郎右衛門が新田を開発、慶長元年(1573年)深川村と称したのが始まり。

江戸の下町と言えばなんと言っても深川。出発地は都営新宿線森下駅。駅を出て新大橋通りを浜町方面に5分ほど歩いていくと隅田川にかかる橋が見えてくる。これがこの通りの名前になっている新大橋。橋の手前の十字路を左に曲がりしばらく歩いていくと最初の目的地「芭蕉記念館」がある。

芭蕉は延宝8年(1680年)江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだ。元禄2年(1689年)3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる奥の細道。岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅。

「芭蕉記念館」には 当時、芭蕉が着ていた袈裟を初め芭蕉庵を模したほこら、句碑 などがある。記念館の裏木戸を出るとそこはもう隅田川のほとり。川沿いの道を左に少し歩いていくと史跡庭園があり、芭蕉像や芭蕉庵のレリーフがある。 先日来日した李トウキ前台湾総統もご覧になって行った>。
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この寄稿を読ませて貰った時、芭蕉に纏わる新たな衝撃が脳裏を駆け巡った。それは、<徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。(そんな未開発の深川だったが、その深川から)元禄2年3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。(略)岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅>というくだりである。

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2007年08月07日

◆枚方市長 辞職へ


                    毛馬 一三

大阪・枚方市の清掃工場建設談合事件で談合容疑で逮捕された市長の中司宏容疑者(51)が、大阪地検特捜部の調べに対し、談合への関与を大筋で認め出したといわれる。特捜部の追及に「すみません」との反省の弁も述べているという。

逮捕されてからも「談合関与」については、曖昧な供述を続けていた同市長だが、容疑を認めたことにより「談合罪」での起訴は避けられないものと見られる。また関係者の話では、「市政に混乱を招いた」と辞意を漏らしているという。この結果、市長の辞職は確実となり、枚方市では、出直し選挙が行われる見通しとなった。

これまで金の収受(贈収賄罪)に発展の見通しのない談合事件に関して、首長の摘発には目を瞑ってきた捜査当局も、官製談合防止法の施行などによって状況は一変した。この7月に着任した大阪地検の斉藤雄彦特捜部長は、「社会の誤った慣行に切り込むのが、検察に求められる役割だ」ときっぱりと宣言している。

「金を受け取っていない限り、問われることはあるまい」と、市長自ら寄せていた微かな期待も、大阪地検の強固な捜査方針が微塵にも打ち砕かれた形となった。

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2007年08月06日

◆芭蕉終焉の地って?


                            毛馬 一三

松尾芭蕉の「終焉(しゅうえん)の地」が、大阪だということを知っている人は少ないのではないか。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」と詠んだ旅の俳聖松尾芭蕉だから、旅の果ての東北か北陸の辺りでの病死ではないか思うのが普通だろう。

ところが、芭蕉の終焉の地は大阪・南御堂向かいの花屋仁左衛門の離れ座敷だったのだ。大阪人ですら、知らない人が多い。芭蕉が亡くなった花屋仁右衛門宅は今喫茶店になっているので、その屋敷跡から当時を髣髴させるものは何もない。じつはその事実を告げる記念碑は、大阪のメインストリート・御堂筋南御堂前の、緑地帯の中に「終焉(しゅうえん)ノ地」と銘を打った石碑が、ポツンと建っているだけだ。

たまたま、筆者が地下鉄御堂筋線・地下鉄中央線「本町」下車して南へ向かう用事があったため、“偶然”にも発見出来たもので、それまでは不明にも目に止まったことはなかった。その「碑の銘」が南に向いて建っているため、北から南に通じる一方通行の御堂筋を車で通過する人目には、「芭蕉終焉の地」という文字を読み取ることは物理的に不可能だ。ましてや道路の緩衝地帯の中だから、通路を通る人の関心を呼ぶことはまずない。その意味で、“発見”出来たのは偶然の目配りに感謝したいラッキーなことだった。
 
<元禄7年(1694)9月、芭蕉は故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越え、2度目の来坂をした。長崎へ向かう旅の途中に大阪に立ち寄った。住吉大社を詣でたり、句会に参加するなどしていたが、当時大阪には俳壇をにぎわしていた2人の門人の仲に円満を欠くところがあり、それを取り持つための来坂が主目的であったとされている。
 
出発時から体の不調を訴えていたが、大阪・住吉神社に詣でた後、発熱下痢を伴い花屋仁右衛門方離れ座敷で病臥、10月12日夕方息を引き取る。51歳だった。最後の句として知られる「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」は、その4日前に病床で詠まれたものだ>

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2007年07月31日

◆今日の友は、明日の敵

毛馬 一三

大阪・枚方市の中司宏市長が、うだるような暑さの中、7月31日午前大阪地検特捜部に談合(競争入札妨害)容疑で逮捕された。同市長は、記者会見や議会での答弁でも「談合には一切関与していない」と何度も開き直っていたが、その強気の姿勢も刎頚の友と信じていた盟友の自供であっけなく崩れた。

「お互い首を刎ねられても悔いはない」とする誓いを結んだ仲が、「刎頚の交わり」「刎頚の友」の故事の由来といわれ、ロッキード事件の小佐野賢治が田中角栄の刎頚の友といわれたことは記憶に新しい。

市長のその友とは、この枚方市発注の清掃工場建設をめぐる談合事件・汚職事件で逮捕された、20年来の友人・大阪府警捜査2課警部補の平原幸史郎被告(47)と元市議で府議会議員・初田豊三郎被告(49)、それに側近の副市長・小堀隆恒被告(61)である。

この人脈がこの事件の裏側で巧妙に動いた。平原被告と初田被告が大手ゼネコン大林組元顧問の森井繁夫被告(64)に市長を引き合わせる仕掛けをした。
副市長・小堀被告は、市長から紹介された上記2被告に受注工作に関する情報や動きを流し、それを掴んだ2被告は勇んで大林組側へ乗り込み発注させる工作をしたとされる。

しかもこの裏工作のあと、大阪市内のホテルや料亭で、市長は初田被告同席のもと大林組元顧問の森井被告と会食、大林組が工事を受注するよう話を持ちかけた。これが市長に対する談合容疑の要件である。

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2007年07月30日

◆党利党略からの回避

毛馬 一三

参院選挙の結果は、年金問題の逆風が与党大敗の原因につながった。閣僚の不規則発言や、閣僚不祥事もこれを後押しした格好だ。

参院大阪選挙区(改選数3)は、民主新人の梅村聡さん(32)が1277501票を獲得してトップ当選。公明前職の白浜一良さん(60)は組織力に支えられて4選。前回の選挙でトップ当選を果たした自民前職の谷川秀善さん(73)は、逆風をもろに受けて苦戦しながらも3選を決めた。

大阪選挙区の投票率は、平成16年の前回を上回る55.81%だった。この投票率のアップは、期日前投票と不在者投票が前回の47万6539人を上回り、66万6755人に達したことも投票率アップの引き金となったのも事実。この背景には、やはり「年金問題」に対する国民の怒りが投票行動を促した結果であろう。

トップ当選した梅村さんは「思い責任を感じ身が引き締まる思いです。この戦いがきっと政権交代の足がかりとなる」と喜びを語った。4選を果たした白浜さんは、「逆風を押し退けて勝利することが出来ました。責任の重大さを痛感している」と述べている。

谷川さんは、一転3位当選。「いかなる逆風が吹いても、大阪自民の議席を守ろうと頑張った。当選できたのは皆さんのお陰。感謝しています」とホッとした表情を覗かせていた。

大阪人の金銭感覚は、商人の街だけに他都市よりいたく敏感だ。長年掛けてきた「年金給付」を得るための証明に「払い込み領収書」をもってこいといわれたのでは、シビアーな浪速っ子が怒らない訳はない。その矛先が今回の選挙で与党批判につながり、大敗させる原因をつくった。

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2007年07月02日

◆けったいな「学歴詐称」

<本稿は、ネットマガ全国版「頂門の一針」7月1日・853号に掲載されました>

                     毛馬 一三

大阪市の關淳一市長が27日の記者会見で明らかにした「学歴詐称」職員
とは、大学卒業直後に市職員の採用試験を受けた者が、「大学卒」の学
歴を「高校卒」と偽ったものだと判断し、市職員採用試験を欺く大学新
卒者の卑劣な行為だとの批判が集まった。

しかしこれには市長のお粗末な記者会見での説明に起因している。

処分を受けるのは、全ての部局にまたがっており、市民サービスを考慮
して、停職の次期は7月に404人、8月に561人に対称に2回に分けて実施す
る。

採用年次で多かったのは、平成10〜14年度の278人、ついで5〜9年度の
246人、昭和63年度〜平成4年度の169人。職種別では、市教委・建設局・
交通局が100人超で、最も多いのがゴミ収集担当の環境局の179人だった。

今回の学歴詐称問題は、神戸市など近隣自治体で同問題が発覚、神戸市
で懲戒・諭旨免職が38人、尼崎市で諭旨免職が2人となり、これを受けて
大阪市で調査していたもの。

大阪市では、自己申告すれば「定職処分」に留めるという緩やかな処分
基準を示して自己申告を促したところ、1141人が申告。精査した結果正
式処分は、965人に絞られた。 1000人近い職員が学歴詐称で集中処分を
受けるのは、大阪市が初めて。 

この問題は、学歴を低く偽って高卒枠の採用試験に受験し採用された965
人の職員を、停職1ヶ月の処分にすることを大阪市の關淳一市長が記者会
見で明らかにしたもので、5月27日のことだ。全国的なニュースとなった。

その席上同市長は、「組織ぐるみではない。学歴を低く偽る受験者の自
己申告を信じる他はなかった」と市の関与と責任を全面的に否定し、あ
くまで当該職員個人の違反行為だと言い切った。

採用年次で多かったのは、平成10〜14年度の278人、ついで5〜9年度の
246人、昭和63年度〜平成4年度の169人。

職種別では、市教委・建設局・交通局が100人超で、最も多いのがゴミ処
理業務担当の環境局の179人だった。

案の定、マスコミは飛びついた。新たな大阪市の不祥事発覚として、
「学歴詐称」の職員に対する批判キャンペーンを繰り広げた。大阪市会
も反発した。

極め付けは、大阪市の元助役だった女性弁護士が、27日に開かれた人事
院の国家公務員倫理審査会の席上、「停職処分は甘すぎる。当然免職に
すべきだ」と述べたことだ。<読売新聞28日朝刊>

確かにこのキャンペーン記事に市民は、またもや怒った。てっきり大学
新卒者が民間会社の入社試験に合格出来ない為、学歴を偽って「高卒」
になりすまし、職員採用試験を潜り抜けたものだと思い込んだ。偽った
こと自体、紛れもない事実だから、批判を免れるものではないことは確
かなことだ。

しかし、市の関与は皆無だと胸を張った市長の釈明会見内容が、ちょっ
と事実と違うことが浮かび上がってきたのだ。

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2007年06月22日

◆「公金」への感覚マヒ

                     毛馬 一三

全国の地方議会を今揺るがせているのが、「議員政務調査費」問題。地方自治体が、議員報酬とは別に「議員個人と会派」に支給している費用のことである。

この「政務調査費」について各自治体では、条例で使途を議員の調査研究目的に限定し、政治活動、後援会活動、交際費への支出は一切認めていない。

ところが問題なのは、交付対象となる支出明細に、領収書添付が義務づけていないために、適正に使用されたか否かの判断がなされないまま見過ごされてきたのが実態。このためこれを追及する市民団体が「政調費」の返還を求める訴訟を起こし、近年これを是認する司法判断が示されるほどになってきている。

「公金」の使途に領収書がなければ、それが純然と公務たる政務調査活動の目的に使われたのかどうか、疑われても仕方があるまい。

そんな中、大阪府議会がこの「政務調査費」返還勧告を巡って、いま大騒動となっている。住民の監査請求で府監査委員が外部監査人(弁護士)の報告を受けて府議会に勧告を突きつけたことに端を発した。

勧告は議会にとり、半端な返還額ではなかった。平成16、17両年度に支出された会派分と議員112人の個人分の両方の「政務調査費」返還額の総計が、なんと計3億4116万円に上り、過去全国の返還勧告額の例とは比べものにならない高額だったのだ。

このうち1人当り毎月49万円支給されている議員個人分についての返還額が、総額で約2億9000万円。対象者112人の大半の89人が100万円以上、500万円以上が10人。最高額は2年分全額の1176万円にも上っている。

目的外で返還を求められたのは、領収書添付がない不明確な支出は言うまでもないが、自宅兼事務所ビルの賃借料や事務員などの人件費、車の購入など公私の区別が曖昧なものなども本来の調査活動ではない、不適正な目的外支出との認定を下した。これが大きく膨らんで異例の高額返還に結びついたのである。

これに府議会各会派が噛み付き、騒ぎが大きくなった。自民、民主、公明、共産の主要4会派が揃った異例の記者会見で、「政務調査の見解に大きな相違がある。納得がいかない」と不満をぶちまけた。



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2007年06月08日

◆新疑惑構図と「市長選挙?」

<当原稿は、日本一メルマガ「頂門の一針」6月8日号に掲載されました。
    http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
                     
                         毛馬 一三

枚方市の清掃工場建設をめぐる談合事件は、市のナンバー2の副市長や「建設談合のドン」といわれる大手ゼネコン大林組顧問、それに大阪府警2課の現職警察官や市長と刎頚の友といわれる現職府議会議員など、中司宏市長と密接な間柄にある関係者が、相次いで逮捕されるというまことに異常な“構図”を顕にした。

だが異常な事態はそれだけで済まなかった。この4月四選を果たしたばかりの同市長が、華々しい舞台としたいと心積りにしていた6月14日からの定例市議会での「所信表明演説」を、中止させられる羽目になったのである。

というのは、市会議員が出席する全員協議会が7日午後開いた会合で、枚方談合事件の捜査の進展がはっきりしない現段階で、市長が議会冒頭で「所信表明演説」を行うのは妥当ではないとして、「中止」させたのだ。

だいたい、市長が市政運営の新たな方針を誇らしげに表明したいとする当選直後の初議会で、議会側の意思でそれを中止させられること自体、全国の自治体では異例なことだ。選挙中に不祥事を起こして後に辞任する嵌めになった故横山ノック大阪府知事も、当選直後の「所信表明演説」は粛々とおこなっていることをみても、その異例さが分かる。

確かに中司市長は、終始事件との関与を否定しているものの、冒頭に触れたように今回の事件を構成する重要人物との交流も深く、それらの人物との会食や引き合わせ紹介行為が浮上してきたことから、市長の「関与」を疑う機運が議会内で急速に高まってきていることは事実。会派によっては、「市長辞職」を主張するところも出てきている。

だから、談合事件を未然にチェック出来なかった議会側が、地検特捜部の捜査の渦中で関与の噂も浮上している同市長の行政運営の行使に“待った”をかける意味も頷けないではない。

こんな中、新疑惑の構図が明るみに出てきた。今回の談合は、市の清掃工場建設を「一括発注方式」から建物本体とプラント部分を「分離発注」させるよう、逮捕された副市長が大林組などに提案したことから始まっている。

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2007年06月05日

◆枚方談合 大詰めへ

                   毛馬一三

<大阪地検特捜部は、枚方市の清掃工場をめぐる談合で、大阪府議会議員と、関西の建築工事の談合を長年仕切ってきたと大林組の顧問を、4日談合共犯の疑いで逮捕した。

逮捕されたのは、大阪府議会議員の初田豊三郎容疑者(49)と大林組の顧問の山本正明容疑者(71)の2人。

調べによると、初田議員と山本顧問は、枚方市が05年清掃工場の入札をめぐってすでに逮捕されている副市長の小堀隆恒容疑者(60)らとともに談合に関わった疑い。

山本顧問は関西の建築工事の談合を長年仕切ってきたといわれており、すでに逮捕されている大林組の「顧問」森井繁夫容疑者(63)らに業者間の調整に具体的な指示していたといわれている。この事件で合わせて10人が逮捕された。

談合事件が起きるたびにその陰の“仕切り屋大物”といわれながら、事件の表面に中々現れなかった大林組の山本容疑者が今回逮捕されたことで、枚方談合の構図がくっきりと浮かび上がってきた。

これにより今後は大林組の“影の超大物”と談合枠組みを作り上げたと見られる枚方市のトップの関与が焦点となり、捜査はいよいよ大詰めの段階に入ってきた>。

2007年06月01日

◆「思惑はずれ」・枚方談合事件

 <本稿は、全国版メルマガ「頂門の一針」6月1日発刊 820号に掲載されています>                    

                          毛馬 一三

捜査2課の現職警察官が「談合」に関与して大阪地検特捜部に逮捕されるという前代未聞の事件が、大阪府枚方市で起きた。

談合を摘発する立場の大阪府警察本部の面子は丸つぶれだが、事件の端緒が現職知事が逮捕された和歌山県談合事件の押収資料からだったという新事実が、関係者の話で浮かび上がってきた。

今回の談合事件の主役の1人が、競争入札妨害(談合)容疑で逮捕された大阪府警捜査2課の警部補・平原幸史郎容疑者(47)。枚方市発注の清掃工場の建設工事をめぐり、枚方市のトップから「工事入札情報」を入手。かって別の事件で事情聴取し、それがキッカケで親密となった建設会社「国土建設」の社長山田睦司容疑者=同容疑で逮捕=と図って、この情報をネタにゼネコン大林組側と中司宏枚方市長と会談させる会食を設営したといわれる。

さらに平原容疑者は、同工事建設担当の小堀隆恒・副市長(60)に数回にわたって接触、工事計画の進捗状況や入札情報を聞きだし、それを「市の内部情報」としてゼネコン側に伝えていたという。

小堀副市長が平原容疑者を中司市長から紹介されたのは、平成15年ごろで、「(自分が)府会議員時代からの知り合いだから、力になって頂けると思う」と市長から言われたので、「警察官である平原容疑者には何の疑いも持たなかった。むしろ後ろ盾になってもらえる人だと思って安心して話をした」と述べ、平原容疑者との接触は認めたが、事件との関わりは否定していた。

関係者によると、平原容疑者は「談合が行われている」と、恰も情報収集の捜査をしているかのように巧みに持ちかけながら、「入札情報」を聞き出していたと指摘する。

「確かに捜査する場合は、相手の懐に飛び込んで情報収集にあたるのが常道だが、ゼネコン側に流す目的でそうしていたとすれば言語同断、警察官としてあるまじき行為」と、大阪府警捜査2課OBは嘆く。

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2007年05月16日

◆上方漫才 はな寛太さん 逝く

                        毛馬 一三

はな寛太さん(本名西村一文)が、15日午前10時55分食道癌のため、大阪済生会中津病院で亡くなった。61歳だった。喪主は西村康二氏(実弟)。通夜は17日午後7時、告別式は18日共に大阪市北玉泉院(大阪北区長柄西)で行われる。

はな寛太さんは、昭和20年8月30日兵庫県加西市生まれ。松竹新喜劇出身。昭和45年「いま寛大」さんとコンビを結成。平成17年度には「文化庁芸術祭大賞」を受賞。

はな寛太さんとは、2年ほど前、下記に掲載する拙稿「私の生きざま」の取材をきっかけに親交があった。何度も苦難の立ち向かいながら「こびず、おごらず、手をぬかず」を人生訓に生き抜いてきたことを口癖のように語っておられたことを、鮮明に思い出す。

漫才の台本は全て自分が手がけ、コンビのいま寛大さんと絶妙な呼吸で観客を爆笑に誘うことを一番の目標にしていた。舞台に余裕があると、老人クラブに出向き、お年寄りに生き甲斐を感じさせる話を繰り返していたのには、頭が下がる想いだった。

1年余前に最愛のおかんを胃癌で亡くし悲嘆にくれておられたが、今は最愛のおかんとの出会いがあの世で実現しておられるだろうと思う。長い間、沢山の人を楽しませくれたことに感謝の意を奉げます。安らかにお眠りください。 (合掌)

◆ 拙稿・はな寛太さんの「生きざま」  毛馬 一三著

<「病気」が私の転機>

「漫才の神様がおって、ようやく春が来た」と心の底から思うことが起こりました。 昨年10月16日大阪「ワッハ上方」で行った「はな寛太、いま寛大漫才結成35周年記念公演」が、文化庁の04年度芸術祭演芸大賞に選ばれたのです。今年1月19日大阪のホテル・ニューオータニで、私達コンビは身に余る栄誉と歓喜の大賞を文化庁から直に頂戴致しました。長年上方漫才に携わってきた者として、演者冥利に尽きる天にも昇る心地でした。

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