2018年02月18日

◆「九条の二」 自衛隊加憲私案

                     宝珠山  昇

「頂門の一針」4605号 2018・2・13(火)の「自衛隊加憲の発議を期
待」に対して、これらの懸念を払拭できる代替案を示せ、と言った反論が
ある。老生の私案は次のようなものである。

第九条の二 前条第一項に規定する「正義と秩序を基調とする

国際平和」が実現するまでは、前条第二項の規定にかかわらず、我が国の
平和と独立を守り、国の安全を保つため、必要最小限の防衛力を保有する。

2 我が国は、内閣を代表する内閣総理大臣を最高指揮権者とし、前項に
定める防衛力を以って、必要最小限度の自衛権を法律の定めるところによ
り行使する。

3 我が国は、第一項に定める防衛力を以って、国際社会が行う平和維持
活動に法律の定めるところにより貢献する。

この案であれば、「文民統制」は、「内閣総理大臣を最高指揮権者とす
る」や「(国権の最高機関が議決する)法律の定めるところにより」によ
り明記される。

また、「集団的自衛権の限定的行使」は、「法律の定めるところにより」
により、柔軟性を以って行使できることになる。(柔軟性を持つことの可
否、その限界などについては、4605号を参照されたい。) 

第3項は、国連の平和維持活動などへの貢献を、この際、憲法に明記する
ものである。

補足すれば、この案は、「自衛隊は最小限度の自衛権を行使のための必要
最小限の防衛力」であることを憲法に明記し、立憲主義の本旨に則って運
営されるものであることを鮮明にするものである。

即ち、安倍自民党総裁が答弁などされている通りの(現状を変更するもの
ではないが、半世紀以上経っても種々の非生産的論議のある自衛隊を、憲
法上に正当に位置づけ、厳しい安全保障環境の下で任務を遂行する自衛隊
員の士気を損なわないようにする)などとする趣旨に合致するものと考える。

また、「(条文を)変えても変えなくても(現状が)変わらないのであれ
ば変える必要がない。変えないという選択肢も当然ある」と言った、無責
任・消極的・政争的・

感情的な反対論に対する積極的・生産的・立憲主義尊重の反論でもある。

更に、「自衛隊」を憲法に直接明記することは、法律によって設置されて
いる他の省庁等の上位に位置づけられたと誤解され、文民統制上の支障が
生ずる(これは論理的には完全に誤っているものであるが)ので、避けた
いなどとする反対論にも配慮しているものである。

なお、本稿に関連する小生の呟きについてご興味をお持ちいただける方
は、頂門の一針 4388号(2017年6月19日(月)の「安倍総裁提案の改憲
に期待」、同4501号〈2017年10月30日(月)の「改憲勢力の増大を喜
ぶ」、同4596号(2018・2・4(日)の「国会議員の責務など」、同4605号
〈2018・2・13日(火)の「自衛隊加憲の発議を期待」や、[
http://natdef.exblog.jp/ ]の憲法改正の項などを参照いただけれ
ば幸いです。 (2018年2月15日記)

2018年02月17日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第2章

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(93)】現役時代、仕事上でついた嘘で最大
のものは、こんな風だった。

上場企業の販促課長がこう言ってきた。

「今度な、商品発表会で1時間ほどのプロモーションビデオを流すことに
なったんやが、修ちゃん、作れる?」

「あっ、ビデオ、もう‟得意中の得意”ですわ、任せてくださいよ」

「できるんやな?」

「しっかりやらせてもらいます」

大体、テレビも見ないしビデオも見ない、映画もまず見ないから「得意中
の得意」は大ウソ、ハッタリである。しかし泡沫零細企業とは言え経営者
としては「できません」なんて言えない。それは課長も十分承知してい
て、小生にチャンスをくれたのだ、やってみなはれ、と。

もし小生がしくじったら課長の大失態になる。だから「できるんやな?」
と確認したわけだ。小生がドジっても「修一クンができます、得意ですと
言ったさかいに頼んだんやけど・・・もう出入り禁止にしますわ」と、ま
あ、上司の部長に対して多少の言い訳にはなるさかいに。

で、小生は小さなオツムをクルクル回して「どないしよ」と駅でオシッコ
をしながら考えるわけや。心なしかチンチンもうなだれている。「どない
したもんかいな・・・雑誌作るみたいなもんで、シナリオ/構成/面割、台
本/セリフ/記事/コピーを作って、映像/写真を添える・・・ここまでは雑
誌と同じや・・・あとはナレーション、音楽をくっつければええんやない
か・・・それならできるで。そうや、前の会社の後輩の岩谷がテレビ朝日
映像に転職したっと言っておったな、あいつは中学の後輩でもあるから電
話しよ」

なにやらチンチンも元気になったようだ。

「お、岩谷君か、修一や」

「あ、修一さん、お久し振りです」

「――と、いうわけでな、力貸してほしいねん」
「バッチリ、任せてください」
「よっしゃ、じゃあ細かいことは一杯やりながらってことで」
「じゃあ、プロデューサーとディレクターも連れていきまっさかい、7時
に『鳥一』に予約入れておきますわ」

てなことで恵比寿のテレビ朝日映像のスタジオで3年ほど一緒に仕事をし
た。「ここが『徹子の部屋』かいな。ずいぶん辛気臭いけど、照明が入る
とええんやろな。あの子、ニューヨークで充電して帰ってきたとき、オッ
パイプリントのTシャツ着てみなを笑わせていたな・・・おお、ここがウ
ルトラマンの編集室か。β版をデジカル化しているんやろか、地味な仕事
やな」

徹子じゃなくて徹夜が当たり前のような仕事で、48時間ぶっ通しでやった
こともあったが、「ハイ」な気分になったりするのはおかしかった。「始
発まだやから僕の車で送っていきますわ、同じ方面やさかいに」「そう
か、助かるわ」・・・居眠り運転されて怖かったこともある。

一仕事してディレクターとおしゃべりしたりする。彼はフェラーリとホ
ラー映画が大好きだった。

「徹夜明けで風呂入って昼めし食ってさ、ちょっとテレビ見たりするじゃ
ん、なんかゴミみたいな番組ばかりで、あれどないなってるんや」
「だって修一さん、昼過ぎから夕方まで、普通の人はテレビ見ませんで、
仕事してますよ。普通じゃない人が見てるんですわ。呆け老人とか、犬と
か。あの時間帯の担当なんて誰もやる気ないですわ、適当に昔の映画とか
ドラマの再放送を流しておけば十分ですよ」

では午後6時とか7時以降は見るに値するか。「8時だよ、全員集合!」は
集合する価値があるのか。9時以降はどうか、大の男が見るべきものはあ
るのか。変な女がキャスターを務める「クローズアップ現代」を見れば現
代が分かるのか。リベラル≒アカモドキということは分かるが、一度分か
れば十分ではないか。

テレビ会社の社長はまずテレビは見ていない(検査入院して自社の番組を
見て、あまりにもの低俗さに驚いた、という話がある)。ビジネスマンで
テレビを見るのはごく稀で、ほとんど話題にも上がらない。商売に関係す
る番組は見ることもあるが、新聞を含めて必要な情報は大体広報がコピー
して持ってくるから、自分でナマで見ることはない。休日でもあまり見な
いだろう、ゴルフぐらいか。

ゴルフを見ていたって「スポンサーはどこや」、ライバル社が協賛してい
れば「宣伝部は何やってるんや」と気になったりして・・・月月火水木金
金、24時間戦うのはトップにとって日常茶飯事だ。戦死は名誉。閑話休題。

テレビは女子供のオモチャ、ということ。意味のある情報はテレビではな
く、商談やら会議やら、接待や懇親会やら、リークその他の手段で得るの
がビジネスマンだ。テレビや広告などの業界人はともかく、テレビを見て
賢くなった人を小生は寡聞にして知らない。「テレビは古稀を過ぎてか
ら」でええんでね?

テレビは見るものではなく「稼ぐための手段や」とワルやスネ夫どもは
思っている。見るのではなく「出る」、機械やソフトを「創る」、モノ・
サービスを「売る」手段だと思っている。博打で家は建たないが、胴元に
なればカネも女も酒も手に入る。盆の下は宝の山や。

賭ける客は鴨葱。競馬、競輪、競艇、パチンコ・・・胴元が一番儲かるこ
とになっているんやで。宝くじなんてほとんど詐欺、犯罪的や。テレビで
一番儲けているのはテレビ局、30歳で年収1300万円、こういう真実、リア
ルはテレビを見ても分からんで。

ただ、80%くらいの人=消費者はテレビを見る、その影響力は大きいのだ
が、昔から「まじめな話は暗くなる」から、視聴率を稼ぐためには「面白
い、楽しい、愉快」な番組にならざるを得ない。視聴率が高ければええん
や、アホな番組でもな。

スポンサーの社長としてはCMもゴールデンタイム に集中的に流したい
が、どーでもいい時間帯の枠まで抱き合わせで買わさ れたりするのかも
しれない。公取に叩かれるから今はないだろうが(それ とも巧妙になっ
たのか)。

広報担当者は当然ながら自社の広報に努めるのだが、記者と仲良くしてい
ないとまずい。記者はいいネタをもらうために広報と仲良くしていないと
まずい。利害が合ってウィンウィンや。広報は他社の動向、行政の動き、
本音なども記者から得る。記者も同様に広報からネタを仕入れる。

「いいネタあるんやけど、昼飯一緒にどうや」
「じゃあ11時45分頃に鴨川で待ってますわ、あそこ個室やさかい」

「――てなことでな、日経さんだけにリークしてんのやから、明日の朝刊の
トップ、とは言わんが1面に載せてほしいんや」

「できるだけやってみますわ。役員さんに取材できますかね」
「うん、大谷常務と池谷部長には日経さんが取材に行くかもしれんとは伝
えてあるさかい」

かくしてスクープになり、他社は慌てて広報に電話する。釣り針に引っか
かるわけや、「11時に記者会見します」。で、その日の夕刊には後追い記
事が出て広報はニンマリ。さらに役員連中も取材に応じさせるから、翌日
の朝刊もそのニュースの続きが載る。広報は上司、役員から褒められるわ
け。スクープした記者もデスク、編集長から褒められるという仕組み。

警察とヤクザ、警察と朝鮮総連、総連と日共/リベラル/マスコミも「持ち
つ持たれつ」のウィンウィン関係ではないか。

「シーチン、おまえ、こんなところで何してんのや」
「あ、〇暴のダンナ、久し振りです。町会から学童の登下校の見守りを頼
まれたもんやさかい」

「お前、誘拐すなよ・・・暇そうやな、シノギはどうや」
「暴排でもうダメですわ、任侠のビジネスモデルは崩壊しましたで」

「お前んとこのシマのミカジメ料もダメか」
「ダンナ、ダメにしたんはダンナじゃないでっか」

「わしやてしとうてしたわけやないで、しょうもないわい、東大出のクソ
ガキみたいなのが署長に来て厳命されればやらざるを得ん。裏社会のネタ
をもらうにはヤクザとも上手くやらんといかん、ヤクザがおるから俺らも
食える、天下り先もある、取り締まりもほどほどが大事やと、そう言って
も通じる相手やないんや。何しろお受験階級、文化資産階級やさかい、ど
ろどろした世間の裏、人情の機微なんぞ、いくら説明したところで分から
んからな」

「ダンナも大変やな・・・なんか、仕事ないですかいな、用心棒と
か・・・まともな履歴書を書けるわけもないんで、苦労しますわ。カミサ
ンからも就職しろ、いつまでヒモでいる気やと、きつーく言われてまっさ
かい」
「いや、俺もなこの春に定年退職でな、どないしようかと迷っているんや
が・・・お前、大松ホールの用心棒はどないや」

「本社は目黒ですやろ、総連幹部の金さんが経営しているとかで、ちょっ
と遠いですなあ・・・あそこ、小鉄会系碑文谷一家のシマのはずやが・・・」
「うん、傘下の中川組やったんやがこの前オヤジが死んでな、舎弟は皆
そっくり警備会社へ移って、大松ホールもそこが出入りしてるんやが、半
グレがのさばっても以前のようにボコボコにできんさかいな、ちゃんとし
た用心棒を探しているそうや。どや、紹介したるで」

「ハハ・・・ちゃんとした用心棒・・・まあ、カミサンに相談してみます
わ。あ、そうや、住吉会のヒットマンの沢渡さん、府中から出たそうです
わ、20年ぶりに娑婆に出ても帰る組がないんやから気の毒で・・・昔の仲
間が奉加帳を回してカネを集め、今は綱島でラーメン屋をやっていると
か。確かドンパチ家って言うらしいですわ」
「チャカの達人がラーメン屋・・・時代は変わるわな、もう俺らの時代や
ないんやろなあ」

「ダンナはどこに就職するつもりなんですや」
「まだ決めてはおらんのやけど、金融業、保険業、私鉄、警備会社、建設
会社、パチンコ屋あたりかなあとは思うとるが・・・先輩もおるしな。セ
ガサミーとかゲーム/ソフト会社の総務あたりの口を探しているんやが、
任天堂とかが‟おいでやす京都へ”と呼んでくれるんならすっ飛んでいくん
やが・・・待遇ええとこは競争が激しいさかい、苦労するで」

「退職金もあるんですやろ、ノンビリやったらええやないですか。暇つぶ
しにうちらみたいな極道の社会復帰を応援するNGOを創るとか・・・・」
「競艇のアガリで笹川さんがやってはるが・・・金欠の庶民はそうもいか
んのや、住宅ローンの残りを返すとバアサンと2人暮らしでもカツカツや
で。再就職せざるを得んのや・・・そうそう六角組と貴田組の小競り合い
な、なんか知っとるか」

「何や“シッテルカドウカソレイケ”とかいうサーカス興行で蒙古組につく
かどうかのけったいなデイリみたいですが、ネタがあったら連絡しますわ」

「頼むで、じゃあまたな」

「信頼関係」とは言うものの、持ちつ持たれつ、阿吽の呼吸。馴れ合い、
相互依存、癒着、腐敗、二重スパイとかにはなりやすい。ゾルゲ事件は大
したものだった、ゾルゲはロシアでは今でも英雄だ。騙された近衛文麿
は・・・ま、血縁の細川護熙を見れば分かるだろう、いい人だけどバカ殿
様・・・

北朝鮮による拉致犯罪は1977年あたりから始まった。戦後の南北の経済、
シノギはどんな具合だったのだろう。

日本のタガが外れた半島は「仁義なき戦い」でマッカーサーもお手上げ、
「この際、原爆を」と提案したらクビを斬られて大統領の夢も消えた。ス
カシッペで「あの戦争は日本の自衛戦争だった」と議会証言したが話題に
もならず、「老兵は去るのみ」と隠居し、最高機密を持ったままご逝去。

全部ばらせば日本では称賛されるが、米国では完全に無視され、マッカー
シーの二の舞になってしまうからそうはいかない。「不都合な真実」はマ
スコミ≒アカモドキの「報道しない自由」で隠蔽されるのは世界一緒だ。

朝鮮戦争の休戦/1953年以降は南北とも焦土の中から国造りに励んだが、
南は米国の、北はソ連・中共の援助頼りで、復興はなかなか進まず、それ
でも北は鉱物資源が豊富で重工業インフラも残っていた分、南よりはかな
りマシだった。

<朝鮮戦争で大被害を蒙った北朝鮮は、ソ連や東欧諸国、中国からの援助
を受けつつ(民需ではなく軍需のために)重工業中心の産業復興を進めて
いく。(ソ連、中共などからの)援助効果もあって3カ年計画
(1954〜56)は順調に遂行され、計画を上回る速さで戦後復興していく>
(WIKI)

それに比べて南はだいぶ遅れ、世界最貧国とさえ言われたものだ。

<南北に分裂したとき、南朝鮮には工業としては紡績工場とソウルを中心
とした軽工業しかなかった。頼みの農業も日本、満州から大量の人が引き
揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、
食料品まで不足した。

日本統治時代は日本に農産物を売り、その金で消費 材を買っていたの
が、その農産物すら不足する事態となったのである。更 には北朝鮮から
の送電を絶たれ、韓国の国民の命を守ったのは、一にも二 にもアメリカ
の援助であった。

韓国のように資源の無い国で、国を興すには貿易に頼るしかないはずであ
る。しかし李承晩は独立前最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否
し、物乞いと強請(ゆすり)に徹したのである。1961年に朴大統領が政権
を取ったとき、韓国は北朝鮮やフィリピンより貧しかった>(ネット「戦
後の韓国」から)

共産圏のリーダーは横綱・ソ連がダントツ、3役が不在で前頭筆頭・中共
が続く。「競争的共存の課題 国民生活の比較」(岩波)によると、1957
年は共産圏にとって多分、最高の年だった。ソ連はトップを走る米国の背
が見えるまで発展した。大陸間弾道弾の完成(8/26)、人工衛星の成功
(10/4)、小型水爆弾頭の完成(10/6)は世界に大ショックを与えた(ま
るで今の北そっくり)。

ソ連に頭が上がらない毛沢東はスターリンが死んで機嫌が良かったのだろ
う、「東風が西風を圧倒している」(11月)とはしゃぎ、モスクワ宣言は
「社会主義は資本主義より優位だ」と誇った(11月)。

1917年のロシア暴力革命から40年、WW2大戦に勝利してから12年、死屍
累々、血だらけになりながらの「快挙」に、共産圏のみならず世界中のア
カやアカモドキの誰もが「世界は共産主義へ向かう」と美酒に酔いしれた
のだ。

現実は残酷なもので、ソ連は共産連峰の最高峰に赤旗を立てて万歳3唱し
たが、雲が晴れたら西側連山のはるかに高い峰々がそびえていた。ソ連に
用意されていた道は下山路だけで、33年後にはソ連自体が消えてしまった
のだ。

毛沢東は、はしゃぎすぎて1958〜61年にかけて「大躍進」という農工業の
大 増産政策を進め、米英を追い越すんだと意気込んだ。結果はさんざん
で、 経済の大混乱により1000万〜4000万の餓死者が出た。「毛沢東は生
涯で ただ一度の自己批判を行って、国家主席を辞任した」(WIKI)。

当時は共産圏が落ち目になるとは誰も思わなかった。アカい人々は相変わ
らず「やったね、GJ!」と1950年代末〜60年代まではどうにか夢の余韻と
いうかウオツカや老酒の酔いは残っており、日本では60年にアンポハンタ
イ、キシヲタオセのデモが盛んだった。

この中で「在日朝鮮人の北朝鮮送還事業」が進められた。いろいろな理由
があるのだろうが、情報不足のためだろう、「北は大発展している、共産
主義の夢をかなえ、この世の天国だ」という見方が日本では急速に広まっ
た。マスコミ記者の多くは元々がマルクスボーイあがりでアカに同情的
(当時はそれがインテリの一般的な初期設定)で、たとえ現地取材したと
ころで北の宣伝に乙女のごとく騙されるだけだから、記事は「この世の天
国」のオンパレードになったろう。

在日朝鮮人は大体が貧しく(日本全体が食うことだけでも大変だった、小
生は今でもサツマイモとカボチャにはうんざりする)、たとえ大学を出て
も就職先はパチンコ店といった辛い、悲しい事情もあった。

そういう時に 「この世の天国に帰国しよう」という熱狂が起き、小泉純
一郎の父、小泉 純也議員(クリカラモンモンの代議士、小泉又次郎の女
婿)は先頭に立っ て「朝鮮人はかわいそうだ、北へ帰してやろう」と国
会で、あるいは街頭 で情熱的かつ人道的に訴えたのだ。

純也は小泉家に婿入りしたのだが、生い立ちが貧しく、大変な苦労人で
あったから、在日への同情心が強かったのだろう。ただ、それだけではな
く、選挙の事情もあったようだ。

<小泉純也は1950年代末、在日朝鮮人の帰還事業に中心的な役割を果たし
た。当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の
代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動した。

国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長・歳川隆雄は、小泉純也
が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也の選
挙区である神奈川2区に、多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含ま
れていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党
議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だっ
た」と述べた。

また歳川は「純也が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたことも
あった」と述べた>(WIKI)

小生の街は今は神奈川9区で、純ちゃんというか小泉家の選挙区(横須
賀)とは違うが、かつては小泉純也の選挙区であったわけだ。「彼はなぜ
に在日朝鮮人の帰還事業に燃えていたのだろう」というのは長い間の疑問
だったのだが、前回書いたように川崎市民は概ね“難民キャンプ”のような
朝鮮人の不法占拠、粗末なバラックを「どうにかしてほしい」と思ってい
たのだろう。小泉純也にも陳情したはずだ。

彼にすれば「それなら“この世の楽園、天国”である北へ帰ってもらうのが
いいだろう、在日もハッピー、川崎市民もハッピーだ」となる。義父・又
次郎の侠客気質、任侠道の影響もあって猪突猛進したのだろう(単細胞の
純ちゃんもその血をひいている)。

当時は北がまさかの「この世の地獄」だとは誰一人想像もしていなかった
のだ。韓国でもごく一部の情報通しか知らなかった。それなのに情報通は
沈黙し、隠していた。彼らにとってそれは実に大きな「不都合な真実」
だったからだ。報道しない自由、公表しない自由・・・不作為がやがては
大きな不幸になる。

久し振りに快晴で温かく、屋上の鉢に水遣り。もうすぐ白梅も開花するだ
ろう、心せわしい季節になる。

たくましく 優しき男に 触れもせで 悲しからずや セクハラ説く君
(修一)

「亀戸に物凄い美人が出る!」・・・独占はあかんとちゃうか、公取にゲ
ンコツ食らうで、皆でシェアするのが今のやり方や。「どや、君、僕と共
鳴せえへんか、松葉くずし、僕得意なんや、今ならお試し期間中や
で・・・」、これってセクハラ? 日々問題が蓄積される発狂亭“リバー
スボストンクラブ”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/11】日曜、快晴。産経から。*山口直子「いま再びの『風塵
抄』」。

<(司馬は)平成5年にこんなことを書いていた。「中国文明は偉大だ
が、古来“私”の文化であり続けた」と。皇帝も大官(官吏)も庶民も私で
あり、その“私”を壮麗な倫理体系にしたのが儒教であった」という。孫文
はそれを嘆き「天下為公」(天下をもって公となす)と書いたそうだ。
「彼は中国の近代化を志すにあたって、中国人の“私”について、ときに恐
怖し、ときに絶望していた」

いま隣の国で起きている事柄の根っこにあるものはこれかと、今さらなが
らに合点がいった>

支那、儒教・・・親に孝、君に忠・・・それも私利私欲、幇利幇欲(幇=
支援、互助会とか仲間内の利欲)のためであり、古代から今日まで独裁王
朝が続き、天下国家を憂える人はごく少数だ。憂国の士は国家転覆罪で殺
されるから、何清漣女史が嘆くようにリーダーがいないのだ。女史も身の
危険を察知して米国へ逃れた。

軍閥も所詮は私利私欲なら、今の中共独裁体制で軍事費が伸び、蓄財も増
えていけば満足なのだろう。ソ連が崩壊したくらいの財政破綻、大不況、
あるいは敗戦、暴動、腐敗摘発拡大といった大ショックがない限り、支那
は変わらないだろう。

*関厚夫記者「信長最期の言葉『言語道断』深まる謎」によると、最期の
言葉は「是非に及ばず」とか「是非もなし」あたりで、小生もそう思って
いた。「敵は光秀か・・・しょうがない、今さらジタバタしてもどうにも
ならん」という意味だと思っていたのだが、信長が内心では見切りをつけ
た幕府の足利義昭将軍が光秀に襲撃させた、それに対して信長が「義昭、
光秀は言語道断、けしからん」という意味で「是非――」と言ったのだとい
う説が多数派だそうだ。

当時の本能寺は広大な敷地にあったため、信長は「猿にこの顛末を伝え
よ」とお側衆の何人かを逃がし、それが「是非――」や最後の戦いの様子を
伝えたのではないか。秀吉は毛利方の間諜を捕らえる前に信長の最後を知
り、感銘し、泣いたはずだ。そういう侠気が全軍を奮い立たせ、1日に70
キロを疾駆する驚異の「中国大返し」になったのだろう。

奇跡の君主は希代の名優でもある。歴史に名を刻む人は「今、俺は歴史の
中にいる」と強烈に自覚しているのではないか。「今、俺は精神病院にい
る」、絵にならんな。

*田村秀男記者「日米緊密、米中緊張の時代 通貨と安保政策は一体で」。

<通貨を縄張りにする財務省は親中派が多数を占め、外交、安保を仕切る
外務省は経済音痴で、ワシントンの意向次第だ。中共の通貨、貿易を原動
力として軍事的脅威をアジアにまき散らす仕掛けに関し、日本の官僚は気
に留めなかった。

安倍政権はこの機を逃してはならない。通貨と安保を一体にした対中戦略
でトランプ政権と足並みをそろえるチャンスである>

まことに正論だ。が、官僚の多くは発達障害、リベラル≒アカモドキだか
ら八方美人的で、政権がよほど強く出ないと動かない。気に入らない政策
でも反対はできないから、サボタージュで抵抗する。ロシアのことわざに
は「馬と女は殴って調教しろ」というのがあるそうだ。レーニン、スター
リンは殴るどころか殺しまくって人民を恐れさせ、イエスマンにした。日
本の官僚も信賞必罰で調教しないとまともにならないのではないか。(つ
づく)2018/2/15

2018年02月15日

◆拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇 第1章

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(92)】2月11日は「紀元節」、今の呼称で
「建国記念(の)日」だが、明治に制定された。

<神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、そ
の即位月日を明治に入り新暦に換算した日付(が2/11)である。

1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と
定められたが、戦後の1948年(昭和23)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止され
た。その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭
和41)に国民の祝日となり翌年から適用された。

なお、神武天皇は、古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存したと
あるが、現在の歴史学では、考古学上の確証が提示されていないこと、ま
た古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇が実在した人物か
も含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない>
(WIKI)

神武天皇などが活躍した当時は「春と夏で1年、秋と冬で1年」だったとい
う説があり、これに倣えば神武天皇は60代で没。それでも当時としては長
寿だろうが、不自然ではない。

神武東征というのは、西日本の諸部族を平定した勢力が東へと押し出し、
諸部族に「仲間になるか、それとも戦で決着するか」と迫り、兵力を増や
しながら東進して紀元前660年1月1日 (旧暦)に建国を宣言した、というこ
とだろう。

塩野七海氏は「(ローマの建国神話には、ローマの始祖は狼が乳を与えた
双子だとあるが)神話は史実かどうかはさておき、国民がその物語を受
容、共有することに意味があるのだ」と書いているが、多くの日本人は、
というか少なくとも小生は「神話時代はともかくも2000年は日本という国
が連綿として続いている。世界史の奇跡ではないか」と誇りに思う。

万世一系、代々の天皇が直接的あるいは間接的であれトップに君臨し(初
期設定)、諸勢力の争いがあってもそれを超越して泰然自若としてあり続
けるというシステム(OS)を編み出したのはすごいし、それを国民(ユー
ザー)が支持し続けたというのもすごい。(温度差はあっても、少なくと
も「大黒柱とか心棒とか、受け皿とか、ないよりはあったほうがいいよ
ね」とは思っているだろう)

喜びも 悲しみもともに 2千有余年 陽射しのごとく 天地育む(修一)

前回「バカチョ〇」に触れたが、小生が小学生の昭和30年代でもわが街の
多摩川の土手の街側には朝鮮人集落があった。不法占拠だ。小学校には朝
鮮人も通っていたと思う。僕らは下校途中で「チョーセ〇人はカーワイ
ソ、地震のためにおうちはペッチャンコ」と声を張り上げたことがしばし
ばあった(関東大震災で生まれた言葉らしい)。チョーセ〇人の子はケン
カが強いと、子供たちからは敬遠されていた。

川崎市から最後の朝鮮人集落が撤去されたのは20年ほど前で、高額な補償
金に市民は「なんなんや、泥棒に追い銭かいな」と大いに困惑したもの
だ。今はマンションが建てられているが、集落の人が優先的に入居してい
るのかもしれない。

日本の敗戦で朝鮮半島には2つの国ができた。大韓民国(1948年8月15日
樹立、通称韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(1948年9月9日樹立、通称北
朝鮮)だ。

その3年前の1945年8月には日本の敗戦が決まったのだが、半島では連合国
の意向でしばらくは「連合国による暫定統治」、実質的には日本の統治
(行政機構の運用)が続いていた。

連合国は「朝鮮人は国家統治の経験、能力に欠けるから、日本による統治
をしばらくは続けざるを得ない」という判断だったのだろう。ソフトラン
ディングを狙ったわけだ。

日本でも占領下におかれてはいたものの天皇制と日本政府は存続し、ソフ
トランディングが進められたが、食糧難他いろいろな困難があり、その一
つには、日本が朝鮮半島の主権を放棄すると、敗戦国民でも勝戦国民でも
ない“第三国人”の在日朝鮮人の法的立場が曖昧になってしまったこともある。

このために戦後は朝鮮人が暴れまくった。政府も警察も国内法で彼らを制
圧していいのかどうか、ひるんでいたようだ。何しろ国家主権のない占領
下なのだから。

朝鮮人はやりたい放題。駅前の一等地の不法占拠、警察署襲撃・・・怖い
ものなしだ。

小生の大学時代の友人、石館君は卒業後に中国新聞社に就職したが、彼が
よく言っていたのは「日本中で朝鮮もんが暴れまくったが、広島でも警察
は役に立たず、代わりにヤクザが朝鮮もんを押さえ込んだやで」。WIKIから。

<『仁義なき戦い』は、日本のノンフィクション。作者は飯干晃一。本作
は戦後の広島県で実際に起こった広島抗争を、当事者の1人である美能幸
三の手記に飯干が解説を加えた作品。

美能幸三が獄中で書き綴った手記をベースに、飯干晃一が1972年(昭和
47)「週刊サンケイ」5月26日号から連載したノンフィクション。原作は
半分近くを美能の手記を引用しており、戦後の実際に起こった広島抗争
で、当事者の1人である美能の手記をベースに、飯干が補筆し当時の状況
を解説した内容が掲載されており、出版し続けている会社もドキュメント
として本書を紹介している。

団体・人名・地名も全て実名で載っており、手記と解説が一対になり、事
件や行事ごと、広島抗争が時系列に沿って進む。「週刊サンケイ」で連載
が開始されると圧倒的な人気で、印刷所ではゲラ(校正用の試し刷るり)
の奪い合いになったという。

獄中手記を美能が執筆した原動力は、1965年(昭和40)に中国新聞報道部
記者である今中瓦が『文藝春秋』4月号に執筆した「暴力と戦った中国新
聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録"」という記事への反論から
であった。網走刑務所で服役中だった美能が、たまたま雑誌でこの記事を
見つけた。なつかしくて飛びついて読んだというが、読むと10日間メシが
食えない程腹が立った。

ケンカの張本人が自分と決めつけられている上、身に覚えのないことまで
書かれている。"美能が他の組幹部の意向を無視して山口組と勝手に盃を
交わした"、"破門された美能が山口組と打越会に助けを求めた"という記
述など。特に美能は "打越会に助けを求めた"という部分にプライドを傷
つけられた。

「助けを求めたなどと書かれては、ヤクザとして生きていく以上、黙って
はいられない。ウソを書かれて悔しい」と翌日から舎房の机にかじり付い
た美能は、こみ上げてくる怒りを抑えながら、マスコミに対する怨念を込
め、7年間にわたり総計700枚の手記を書き上げた。手記は汚名返上の執念
が書かせたものであった。

このため廻りまわって「週刊サンケイ」から連載が決定した時、"登場人
物を全て実名で掲載すること" を連載の条件に付けた。実名を出せばトラ
ブルになることは分かっていたが、あくまで名誉回復のためなので「実名
でなければ断る」と頑なであったという。「週刊サンケイ」の矢村隆編集
部次長が、掲載許可を取り付けるため、美能と会ったのは、1971年の秋、
東京のホテル。

美能は無関係の第三者に読ませるつもりはなかったが、5度目の交渉で首
を縦に振った。この時の条件が前記の登場人物の実名掲載であった。矢村
が編集長と相談し、条件を飲んで正式に打診した。現在とは社会背景も大
きく違うとはいえ、当時『仁義なき戦い』が実名のまま世に出たことは、
まさに驚愕に値する。「週刊サンケイ」の担当者は、数多くの恫喝をヤク
ザから受けたといわれる>

毒を以て毒を制す、江戸時代からの伝統で、ヤクザがチンピラの乱暴狼藉
を押さえ込んで、配下にするわけ。飯岡助五郎のように十手を持った親分
はゴロゴロしていたのではないか。今、ヤクザが弱体化しているために半
グレというチンピラが増えているとか。

こういう経緯もあってヤクザには朝鮮人、朝鮮系が多いのだろう。暴れん
坊を押さえつけてしつけられるのはジャイアンしかいない。

小生は警察の組織犯罪対策部(通称「〇暴/マルボウ」)のデカに若かり
し頃、睨みつけられたことや、彼らの忘年会を近くで眺めたことがある
が、ヤクザと誼(よしみ)を通じて情報を得るのも〇暴の大事な仕事だか
ら、顔つき、しぐさ、服装はほとんどヤクザだった。見分けがつかないと
いうか、ヤクザ以上にヤクザらしかった。ジャケットは寅さん風に肩にか
けただけで周囲を睥睨するように歩くさまは、まるで菅原文太。

健さんもかっこよかったが文太もえかったで。

「男が世に立つ以上は、人の風下に立ったらいけん。一度舐められたら、
終生取り返しがつかんのがこの世間いうもんよ、のう。ましてや侠客渡世
ならなおさらじゃ。時には命を張ってでもという性根がなけりゃ親分とい
われるような男にはなれんわね・・・

最後じゃけん、云うとったるがよ、狙われるもんより狙うもんの方が強い
んじゃ、そがな考えしとったら、スキができるど」

文太は東映労組のボスだったが、労組は大体がアカとの親和性が高い(ソ
連の映画や舞台芸術に憧れたりする)。戦後の混乱は戦後動乱、戦後革命
(内乱を革命へ転化せよ!)の絶好の機会でもあるからアカは占領軍を
「解放軍」と言って大喜びしていた。

日共こと「コミンテルン日本支部」の宮本顕治(通称ミヤケン)は戦前の
1934/昭和9年にリンチ事件で“同志”を殺しており、殺人犯として刑務所
(ほとんど温暖な東京)暮らしだったが(大物だから待遇はいいし、セレ
ブのカミサン、百合子が仕出し屋に毎日弁当を届けさせたから多分、麦
シャリはほとんど食べなかったのではないか)終戦で釈放された。思想
犯、政治犯ではない「ただの人殺し」なのにGHQは間違って釈放したのだ
ろう。

小生はミヤケンに義理も恩も恨みもないが、スパイ容疑で“同志”を査問中
に“同志”が逃げ出そうとするのを柔道が得意のミヤケンが体固めで締め付
けたら「死んじゃった、どないしょ!?」という、まあ事故死的な面が
あったようだ。今ならミヤケンは暴行傷害致死あたりだろうから、「殺人
犯」とまでは言えないかもしれない。

ミヤケンは今の日共の始祖みたいな感じだが(要は権力闘争に勝ったわ
け)、彼がいなければ日共の歴史はずいぶん違ったものになっていたろう。

上意下達で党内議論を認めないという党内の空気は彼が作ったのではない
か。関東大震災の前年、1922年の結党から間もなく100年を迎えようとし
ているのに、革命の「か」の字もできずに「確かな野党」に甘んじてい
る。政権を取るなんてとっくに放棄しており、日共一筋、2代、3代の赤い
血筋が評価される世襲制の利権集団でしかないようだ。北朝鮮そっくり。

「任侠」同様に戦後の「日共」にも多くの朝鮮人がいた。以下はサイト
「日本共産党の正体」から。(2005年の記事らしいが、初出媒体、著者=
林玲の詳細は不明。2003年に日共を追放されたNO.4の筆坂秀世あたりが書
いたのではないか)

<「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話 ジャーナリスト
 林 玲

【5月25日、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が、創立50周年を迎え
た。北朝鮮を支持する在日団体として、何かと話題になることが多いが、
かつての日本共産党との深い関わりを知る人は少ない。日本革命を共に目
指した在日朝鮮人のコミュニストの多くが、総連結成に参加したのであ
る。党史から抹殺された秘話をジャーナリスト林玲氏がレポートする】

今では党史のどこにも書かれておらず、すっかり忘れ去られているが、実
は日本共産党は戦前から戦後にかけて、在日朝鮮人と共に歩み、大いに助
けられた。

共産党と在日朝鮮人の関係を辿ってみよう。

1922年(大正11)の創立時から、共産党は植民地解放の方針に基づき、朝
鮮の独立を綱領に掲げた。コミンテルン(共産主義インターナショナル)
の方針で、1930年代以降、日本在住の朝鮮人共産主義者は、日本共産党に
所属した。ちょうど在米中の片山潜がアメリカ共産党に所属し、在仏中の
ホー・チミンやトウ小平がフランス共産党に入党したのと同じである。

戦前から、日本共産党のもとに多くの在日朝鮮人が集っていた。例えば、
共産党系の労働組合の全協(日本労働組合全国協議会)は、最盛時の1931
年(昭和6)ごろ、組合員数は3万人だったが、うち3割を朝鮮人が占めて
いた。

1945年(昭和20)、敗戦の年の10月、徳田球一ら共産党幹部が、府中刑務
所を出獄した。その際、<歓迎 出獄戦士 万歳>の幔幕を掲げ、熱狂的
に出迎えたのは、数多くの朝鮮人だった。その後、催された歓迎大会の会
場を設営したのもまた朝鮮人党員である。彼らが待ちわびていたのは、獄
中15年の不屈の闘士、金天海であった。金天海は在日朝鮮人から圧倒的な
支持を集めていた、云々>(以上)

金天海はその後、北へ行ってから消息はぷっつり絶えた。処刑されたのだ
ろう。

反社会的なヤクザ組織や、共産主義革命を目指す日共、北の出先機関であ
る朝鮮総連に多くの朝鮮人がいる。つまり政府や警察の監視対象であり、
今でもそれは変わらないだろう。何があったのか、次回も闇を覗いてみよう。

天気が良くても風が冷たく、風邪の再発を恐れて外で遊べず、終日PCに向
かうしかない孤独な(Kは友達とスーパー銭湯1泊)発狂亭“ファルコンア
ロー”雀庵の病棟日記から。格闘技には、一歩間違えると「自滅技」にな
りかねないものも多いが、総じてこの世はそういうものかもしれない。わ
しゃ、自滅の連続だあ!

【2016/12/9】金曜、快晴。

*産経から。榊原英資「正論 統合危うくする反EUの歯車」、曰く――

<戦後、統合と経済の自由化が進んできたが、再び主権国家への回帰、保
護主義化が進んできている。リベラリズムや寛容な態度でまとめて一つの
ヨーロッパをつくり上げたのがEUであり、確かに難民などの問題を生んで
しまったのだが、その理念に立ち返るときではないか。

日本は自由化の流れを止めない、保護主義を食い止めるという、グローバ
リゼーション=GLBのリーダーシップを取るべきだ>

GLBとは、国境をなくす or フェンスを低くし、ヒト、モノ、カネができ
るだけ自由に動けるようにすることだ。それにより経済は活性化し、夢と
希望にあふれ、自由化=〇、保護主義=×だった。

日本で派遣労働が認められたころ、識者は「年功序列、終身雇用という労
働市場の固定は不合理だ。企業は必要な時に必要な労働力を求めており、
労働市場の流動化は進めるべきであり、生産性向上に繋がる」と主張して
いた。

どうなったか。結局は非正規雇用が急増し、多くの労働者の収入も減った。

モノとカネの流動化は、賃金の安い後進国、中共など新興国への工場移
転=国内製造業の衰退、産業空洞化、失業率の上昇、景気悪化を招き、
「就職氷河期」などと言われた。

米国ではGLBにより「早く儲かればよし」とする風潮に一層拍車がかか
り、自動車の街デトロイトをはじめ中部の製造業都市は軒並み空洞化にに
より壊滅的打撃を受け、今やラストベルト(鉄サビ地帯)と呼ばれるよう
になってしまった。

EUには移民、難民モドキが押し寄せ、低賃金化、既存労働者の解雇が進ん
だ。英国のEU離脱、欧州全体での“極右”の台頭、米国のトランプ勝利は、
明らかにGLBの大失敗を示しているのではないか。

globalization という造語以前は globalism と言っていたが、後者は孤
立主義に対する言葉で、「世界的干渉主義」の意だった。国家、国民、民
族、人種にはそれぞれの歴史、伝統、文化、成り立ち、価値観がある。国
家主権とは、「アナタはアナタ、オレはオレの道を行く」ということで、
タガをはめるのなら国連、WTOあたりでいいものを、言うことを聞かなけ
れば「村八分にするぞ」と干渉しまくり、脅かし続ければ、アカモドキの
EU真理教から皆が目覚めてくる、「うちらの主権どないなっているんや」と。

榊原などリベラル≒アカモドキは、どうせ東大出て大蔵省か外務省の官僚
を務めたバカだろう。お花畑の邪論、愚論、暴論、詐論、偽論のどこが
「正論」なのか。読者はこの手の妄言を読むためにカネを払っているので
はない。編集者はよくよく反省すべし。(つづく)2018/2/13

2018年02月13日

◆自衛隊加憲の「発議」を期待

宝珠山  昇 

憲法改正論議の中で、自衛隊加憲(9条1項2項をそのまま残し、憲法に自
衛隊の根拠規定を加えることをいう。以下本稿中同じ)を巡って、平和安
全法制が容認している集団的自衛権の行使にかかる部分を除去しなければ
反対だ、とか、自衛権行使の限界を、憲法の条文に書き込むか、法律に委
ねるのが良いか、などが論議されている。

半世紀以上、いわゆる解釈改憲、自衛権行使体制の整備の現場に、直接・
間接に関わってきた者の一人として所見を述べたい。

 〇自衛権の行使は、憲法や国連憲章で認められているか否か以前の、自
然法の根本理念、いわゆる砂川事件に関する最高裁判決の明言している通
り、主権国家の固有の権利である。集団的自衛権も当然これに含まれる。

この自衛権は、これを行使する国、民族、集団、個人の意思と能力と環境
によって限界づけられる。

これまでの日本は、憲法9条第1項が規定している「正義と秩序を基調とす
る国際平和」状態、願望的な環境の実在を信じてか、あるいは暗黙の前提
としてか、意思と能力を最小限度に縛る振る舞いをして来た。集団的自衛
権の行使は憲法が許容していないとも解し得る政府統一見解も出された。

 〇平和安全法制は、次の「3要件」を満たすものは、国際法的には集団
的自衛権に仕分けられるものがあっても、新しい環境の下では、憲法も否
認できない最小限度の自衛権行使の範囲内のものであり、行使できるとし
ている。これは従来の政府統一見解などに違背するものでもないとしている。

●自衛の措置としての武力の行使の3要件

 (1)わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密接な関
係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅か
され、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危
険があること

 (2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適
当な手段がないこと

 (3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 〇これに対し、この3要件の下では、自衛隊が、専守防衛を逸脱し、地
球の裏側まで行って武力行使することになる、などと主張し、自衛隊は合
憲と認めな がらも、自衛隊加憲に反対する国会議員がいる。

自衛隊加憲は、現行の平和安全法制を変更することとなるものではない。

平和安全法制は、前記の3要件を全て満たす場合に、国会承認などの諸手
続きを経て、自衛隊を諸法を順守して行動させることとしている。

(地球の裏側まで行くことが)あるか、どうかは、前記の3要件を満たす
かどうかの判断にかかわるものである。この判断は、その時の国際情勢な
どを踏まえ て、国権の最高機関が総合的に決断すべきものである。

この判断基準を予め規定などしておくことは、変転極まりない生存環境を
踏まえれば、不可能、不適当なことである。その時々の主権者及びその代
表の判断 に委ねる他ないものであろう。

また、わが国が、3要件の下で、同盟国の要請などに従って(地球の裏側
まで行って)集団的自衛権を全面的に行使しなければならない状況に至る
こと、そ れ程までに同盟国の力が低下すること、などを懸念しなければ
ならない状況はないは ずである。

万一、そのような状況が現出した場合には、国権の最高機関が、法律の
定める国会承認に際し厳正に判断、対応すればよいことである。

3要件の乱用・誤用などの防止は、国権の最高機関が行政機関などを確り
と監視・牽制する義務を履行することによる他ないものである。

 〇また、自衛権の行使を、この3要件によることを憲法に規定すること
は、将来の国民の選択の余地を縛りすぎるのではないか等と懸念し、この
自衛隊加憲 に反対する国会議員もいる。即ち、2項を削除し、自衛権行使
の限界は、将来の国民 が法律によって容易に変更できるようにしておく
べきではないか、などの主張である。

これは、わが国が集団的自衛権を全面的に行使する意思と能力と環境を持
てるようになるかどうかを問う、即ち、日本が米中ロのような国になる意
思がある か、成れるか、国際環境がそれを許すか、を問うことと同じで
あろう。この懸念は、 杞憂と言っても良いであろう。

わが国が置かれている基本的戦略環境下では、その意思は持てても、能力
を持つことはほぼ絶望的、環境面でも、選択できない、許されないであろう。

わが国は、日米同盟を、3要件の下で堅持する努力をするのが賢明であ
る。これらは先の敗戦に至る歴史を見れば論じるまでもないことである。

 〇国権の最高機関の構成員が、自衛隊加憲を発議して、国民多数の賛同
を得るように努める責務を果たすことを期待してやまない。 

なお、本稿に関連する小生の呟きについてご興味をお持ちいただける方
は、頂門の一針 4388号(2017年6月19日(月)の「安倍総裁提案の改憲
に期待」、同 4501号〈2017年10月30日(月)の「改憲勢力の増大を喜
ぶ」、同4596号(2018・ 2・4(日)の「国会議員の責務など」や [
http://natdef.exblog.jp]の憲法改正の 項などをご
参照いただければ幸いです。(老生の呟き) (2018年2月11日記)


2018年02月12日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」序章

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(91)】「築城8年、落城3日」に倣えば「洗
脳1年、除染10年」だ。縁あって小生はマルクス主義にかぶれたが、「あ
りゃあハシカみたいなビョーキ、一度は罹るよ」と当時は言われていたも
のの、病膏肓で「お縄頂戴、下獄」するほどに赤く染まると、余程のこと
がないと除染は難しい。

小生の場合は50歳で胃がんで入院し、抗がん剤の副作用で1年ほどふらふ
ら、ぶらぶらしていた間に勉強し始め、脳ミソのあちこちにこびりつてい
る赤いバグを排除していったので60歳でどうにか除染できた。

理想的には、保釈後の23歳くらいまでに除染すべきだったろうが、まだま
だ迷いっぱなしで、就職し、さらに結婚すればピーピー鳴いている3羽の
スズメにエサを運ばにゃならんので除染まで手もオツムも回らなかった。
で、50の手習になったわけだ。

オウムと同じで、中核派も在家信者と出家信者がいる。中核派の最前線で
暴れるのは出家信者=兵隊で、サティアンならぬアジトとか拠点で暮ら
す。「今日は早朝と夕方は京成船橋の駅頭で署名・カンパ活動、昼間は香
取郡の八街と多古町で家庭訪問、署名とカンパを集める。夕方5時には京
成船橋に再結集だ、遅れるな」なんて指示を受け、交通費と昼食代を貰う。

通常は兵隊(職革/職業革命家、専従という言い方もあるが、現実は末端
兵士、使い捨ての駒、奴隷)になった時点で財布は取り上げられる(オウ
ムそっくり)。カネがないから離脱、逃げるにも逃げられない。パクられ
るまではアジト暮らしを続けるしかない。

カンパで集めたカネは基本的に組織の活動資金、幹部の生活資金になる。
幹部の中には子弟を留学させたり、高級外車を乗り回す者もいる。幹部
(60年安保の主力=ブント共産主義者同盟の残党、良家のお坊ちゃまが多
いようだ)の奥さんは大体が働いており、旦那を支えているようだ。

有名な幹部になるとカンパと言うか、大口の個人献金もある。赤軍派の塩
見孝也は働いて稼いだ経験がほとんどない。出獄後は生活保護とカンパで
食っていたようだ。

兵隊は食事代でパンを買うのが普通だ。まだコンビニも弁当屋もマックも
ない時代だから、腹にたまるのはせいぜいパンしかない。20歳前後の兵隊
はいつも腹をすかしており、デパ地下の試食コーナーでマネキンの目を避
けながらつまんだりする。

1日3本のたばこが配給され(幹部はロングピースを吸い放題で、小生は早
く出世してそういう身分になりたいものだと思ったものである。批判する
ことなど思いつきもしなかった)、1週間に一度ほどは風呂屋へ行けた。
風呂屋では洗濯もするが、靴下なんて汚れでカチカチだった。

アジトでは深夜まで学習、討論というか洗脳教育。船を漕ごうものなら叱
られる、「角栄は睡眠5時間だ、眠たいなどはもってのほかだ! そんな
根性で革命できるか!」。

へとへとになって雑魚寝し、もちろんパジャマなんてない。ひどい時には
スプーン合わせで寝たりする。まるで鯖缶。

お縄を頂戴して下獄し、運よく保釈になっても、3年とか、小生の場合は
10年も裁判が続く。判決を受諾すれば両親が負担した保釈金は返ってくる
のだが、「お前を支えたのは組織と弁護士だ。保釈金は組織に寄付しろ」
となる。兵隊は(同志、組織を売りたくないから)辛うじて統一公判にと
どまっていたが、判決を機に組織と縁を切りたい奴がほとんどで、面倒く
さいから「分かりました、そうします」となる。

組織と幹部にとってはこれはボーナスだから「大騒動、大量の逮捕者」は
大歓迎だった(兵隊になるアホが激減していったので、このビジネスモデ
ルは崩壊した)。

1965年の日韓闘争、その後の新左翼による乱暴狼藉、69年の東大落城、70
年安保(湿気た花火)、夢よもう一度の71年の三里塚騒動(警官3人死
亡)、ヤケクソの渋谷暴動(同1人死亡)で大規模な公然活動は終わっ
た。その後は連合赤軍のあさま山荘事件、リンチ事件が発覚し、新左翼時
代は基本的に終わった。

今はリベラル≒アカモドキに変装して辛うじて沖縄やJR総連、日弁連、日
教組、マスコミに生き残っているが、そのうち消えるだろう。

経済システムとしての「共産主義=資本主義/市場経済の否定」は今では
キューバ以外にないのではないか。中共も北朝鮮も、少なくとも市場経済
モドキになっている。国営企業は続くとしても、庶民レベルでは今さら配
給制度には戻れない。

北朝鮮はこれからどうなるのか。プロが分からないのだから小生も分から
ない。分からないけれど過去を観察することはそこそこできるだろう。そ
こには明るいか暗いかは知らないが行く末の萌芽、兆候があるはずだ。ま
ずは、戦後からの朝鮮半島人の動き、日本人の反応、対応などを調べていく。

@バカチョ〇カメラと言わないで

一時期、「バカチョ〇カメラ」が一世を風靡した。ちょっとした革命で、
駅の売店、観光地の土産物屋、動物園、遊園地などの店・・・どこでも
売っていた。当時世間では「バカチョ〇カメラ」と呼んでいたが、今は
「使い捨てカメラ」とでも言っているようだ。WIKIから。

<レンズ付きフィルムの出現

「カメラとフィルムは分離した製品であり、別個の部品である」という既
成概念を破り、最初からカメラにフィルムを内蔵、取り出しは筐体の解体
を前提としたのが「レンズ付きフィルム」である。

使用者がフィルム装填・取り出しを行う必要はなく、撮影終了後はカメラ
ごと現像・プリントの依頼先に引き渡し、通常のフィルムと同様、現像さ
れたフィルムが返却されると同時にプリントされた写真が渡される(カメ
ラ本体はメーカー側に回収される)。

外部のカメラ機能部分は現像後も返却されず、フィルムを使い切った時点
でカメラとしての機能を果たさなくなることから「使い捨てカメラ」と一
般からは呼ばれもしたが、フジの「写ルンです」は品名を「レンズ付フィ
ルム」とし、他メーカーも「使い切りカメラ」などと称した(流通面にお
いて、カメラの一種ではなくフィルムの一種として扱う必要があるためも
ある)。

写真業界では、1991年に「レンズ付フィルム」を統一呼称とした。資源浪
費イメージの忌避や、実際にメーカーでは回収した機能部分を点検して
(写真業界の義弟が小遣い稼ぎでやっていた)リユースしていることなど
を示し「使い捨て」ではない点がアピールされている>

「レンズ付フィルム」という言葉が普及しているのかどうかは不明だが、
「バカチョ〇カメラ」という言葉は消えた。小生は知らなかったのだが、
「バカチョ〇」はバカ&朝鮮人とか、バカな朝鮮人の意味だそうで、マス
コミでは禁止用語になったのだろう。

歴史を振り返れば、日本と朝鮮は「平時にあっては友、戦時にあっては
敵」で、普通の隣国同士のように勝ったり敗けたり仲良かったりしていた
が、江戸時代は鎖国でも支那、朝鮮、オランダとは交易していたから、朝
鮮は「友」で、朝鮮から不定期ながら視察団「朝鮮通信使」が明治の始め
まで来日していた(全17回)。

(秀吉はカトリックの先進国が弱小国を次から次へと植民地化するのを見
て、「支那、朝鮮が取られたら日本は丸裸や、ここは先手を打って日本を
なめたらいかんぜよと世界に向けて咆哮しよう」と大陸へ大軍を送ったの
ではないか。この「唐入り」は16世紀における世界最大規模の戦争だっ
た。家康もカトリックの先進国を警戒していたろう、それが鎖国になった)

ただ、朝鮮は同じ儒学でも支那同様のゴリゴリの朱子学(「上のものが下
を統治する」がキモらしく頑迷固陋)で、日本では儒教研究は結構自由
で、朱子学を批判する古学、陽明学(「現実を見て改革しよう」がキモら
しく創意工夫が好き)だったために、インテリ層ではお互いに不信感や蔑
視があったようだ。(所詮バカチョ〇やな VS チョッパリの野蛮人め、とか)

明治以降の日朝間のおもな出来事は――(飛ばし読みでもええで。要は半島
は自立自存できずに大国のはざまで揺れに揺れていたということ)

1875年 江華島事件。日本の軍艦雲陽に向けて朝鮮が突然発砲して、応酬
合戦となった事件。
1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1882年 米朝修好通商条約。大院君扇動による壬午軍乱(壬午事変)が失
敗し、清政府と中朝商民水陸貿易章程を締結。
1883年゜米朝の友好関係構築のためアメリカへ初の朝鮮政府訪問団を送
り、朝鮮には初のアメリカ公使が駐在する。

1884年 甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事
大派の勝利となる。
1885年 巨文島事件。露朝密約事件(第1次)。
1886年 露朝密約事件(第2次)。
1888年 露朝陸路通商条約。

1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)。大院君派と閔妃派の対立が深ま
る。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。甲午改革(〜1896年)。

1895年 下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国
に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔
妃(明成皇后)が暗殺される(乙未事変)。

1897年 日清戦争の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は
清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。
1904年8月23日 第一次日韓協約を結ぶ。

1905年7月29日 桂・タフト協定。韓国には日本が、フィリピンにはアメリ
カ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。

1905年11月17日 第2次」日韓協約を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国
となる

1906年 韓国統監府設置。

1907年 国債報償運動。ハーグ密使事件。高宗が退位し純宗が即位。第三
次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。

1909年 韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺
される。朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)

1910年 日韓併合条約を結び、日本に併合される(韓国併合)。韓国から
朝鮮に国号を戻し、京城に朝鮮総督府が設置される。

1919年 三・一独立運動。大韓民国臨時政府の樹立。

1920年 朝鮮を日本の食料供給地とする産米増殖計画が始まる。

1920年 シベリア東部のニコラエフスクで共産革命が激化し、朝鮮パルチ
ザンが赤軍と協力して日本軍を全滅させる尼港事件が起こる。


1920年 梨本宮方子女王が李王家に嫁ぐ。

1920年 満州東部の間島で独立軍 (朝鮮)の抗日武装闘争が激化し、間島事
件、青山里戦闘が起こるが、翌年自由市惨変で壊滅。

1929年 光州学生事件。

1931年 朝鮮排華事件。朝鮮から中華街が無くなる。
1933年 朝鮮語学会がハングル綴字法統一案を発表する。

1934年 朝鮮農地令施行。

1937年 白白教事件。

1937年10月2日 皇国臣民ノ誓詞が発布される。

1938年 国家総動員法施行。

1940年 2月から8月にかけて創氏改名が行われる。

1941年12月8日 日本がイギリスやアメリカ合衆国に宣戦布告。(太平洋戦
争/大東亜戦争勃発)

1944年 朝鮮徴兵令施行。

1945年8月8日 ソビエト連邦が日本に宣戦布告。ソビエト連邦軍が朝鮮半
島東北部に侵攻。

1945年8月14日 北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除するこ
とを内容とする「一般命令第一号」を、トルーマン米大統領がソビエト連
邦に通告。ソビエト連邦も命令内容に同意した――(以上WIKI)

この後は御存知のようにソ連バックの北朝鮮と米国バックの韓国が争い、
今は休戦という休火山になっているが、いつ噴火するかもしれないという
情況が60年以上も続いているわけだ。その中で北による「日本人拉致事
件」があり、永らく無視されていた。背景には何があったのだろうか。

久し振りに脳ミソが正常になった発狂亭“チョークスラム”雀庵の病棟日記
から。

【2016/12/8】日米開戦記念日、木曜、快晴。

*小生が政治経済、すなわち天下国家にいたく感心を持つようになったの
は、、海外旅行産業がメシの種になったためだ。この産業は平和・平穏で
ないと伸びない。テロ、戦争、疫病、反日デモなどがあると、ごく一部地
区での騒動でも「あの国は危険だ」となる。鳥インフルでさえ容赦しな
い。キャンセルの山になる。

2001年の9.11テロの際は、観光旅行も出張さえも中止になるという潰滅的
な状況になり、北米、中南米、英国の航空会社を得意先としていた小生の
会社も煽りを食って清算に追い込まれた。

そういう事情で、常に世界の治安状況、安保環境、内外の景気動向(円高
だと旅行が増える)などに関心を寄せざるを得なかったし、それを業界人
に伝えるのも仕事だった。

OPECが増産する→原油価格が下がる→航空運賃が下がる→海外旅行市場は伸
びるとか、日本で〇月に国政選挙があるから、その時期は市場が動かない
とか、どこそこで〇月に大イベントがあるあら、この間のホテル事情は悪
化するとか、イチローがマリナーズに入団したから観戦ツアーはヒットす
るぞとか、これからは個人旅行の時代になるから多品種少量販売、自由旅
行に備えよとか発信したものである。

で、現役を離れた今でも天下国家への関心が強いのだが、ほとんどの人は
身の回りのことにしか関心を寄せない、興味がない。男でもおしゃれや趣
味に没頭し、俗事に関心がない人は多いようだ。

収集癖、旅行、写真、短歌、俳句、書道、スポーツ、鉄チャン、グルメな
どなど、何か夢中になれる趣味があるとアドレナリンが分泌して元気が出
るのかもしれない。毎日が楽しいし、呆け予防にはなるだろうし、生き甲
斐にもなり、鬱々しているよりは長生きしそうだ。

老生の同志諸君、TVを見るな、趣味を持て、酒は飲んでも飲まれるな! 
小生の痛切なる助言である。

ヒラリーは何をしているのだろう。疲れ果てて入院でもしているのか、そ
れとも三度目の正直を準備しているのか・・・サッチャーもレーガンも晩
年は呆けたそうだが、加齢とともに多かれ少なかれ呆けるのは普通なのだ
ろう。冷静な判断ができずに騙されたりする。

*「お試しのはずが定期購入」、悪徳通販の常套手口だ。
*「冷暖自知:れいだんみずからしる」、他者から言われなくても、自分
のことは自分で分かる、ということだが、呆ければ「私は誰、ここはど
こ?」と思うことさえできなくなる。

*リベラル宮家邦彦が「中国の核心的利益を損う、トランプ・蔡英文の電
話会談は危いものだった。トランプとその側近は猛省すべきだ」と中共の
怒りを代弁している。ただの中共の狗、一緒に心中するがいい、賞味期限
切れ。トランプショックで呆け始めたか。

*ノーベル賞の大隅良典氏曰く「人と違う好きなことをやって新たな発見
をする。それが科学者の本質」。中共は「人と違うことをするな」「新た
な発見なんてとんでもない」「科学者、学者は中共のクチパクたれ」。こ
のままでは何年たとうと三流国家のままだろう。大清帝国の末期から人民
のマインド、オツムは全然進化していない。阿片戦争から180年経つとい
うのに「近代化拒否」のままで、国全体が呆けている。逝ってよし。(つ
づく)2018/2/10

◆英語には意外な言い方があるのだ

前田 正晶


It’s yours.

解説)こういう言い方を1970年頃に香港から来た貿易商にされた時には、
悲しいかな何のことか解らなかった。言うなれば Make it yours. でも同
じような意味になるとは、後に知ったのだった。何れも「君に上げるよ」
なのである。それなら素直に I will give ~ to you. とでも言ってくれ
れば良いのにと思った。



このことをアメリカ人に話してみたら「そういう言い方はあるが、そのま
までは一寸不躾だと思う。我々ならば please を付ける」と教えてくれた。



It’s all yours.

解説)これは上記と似ているが、全く異なる意味で使われていた。即ち、
司会者が講演か説明かプレゼンテーションをする人を紹介した後で、言っ
たことだった。敢えて日本語にしてみれば「さー、貴方の番です。どうぞ
お話し下さい」とでもなるだろうか。All が入っただけで全く意味が変
わってくるのが面白かった。



It’s a piece of cake.

解説)日本語にすれば「朝飯前」ということだろう。要するに「簡単なこ
とだ」か「お安い御用だ」と言いたい時に使える表現だと思う。同じよう
な意味で彼らがよく使っている言葉に cinch というのがある。これは、
Oxfordには「アメリカン・イングリッシュの話し言葉であり、馬の腹帯を
締めるという意味」とある。なお、余計なことかも知れないが、It would
be a before breakfast matter. などと言っても通じないと思う。



I will give you a ride.

解説)これも話し言葉に馴れていないとまごつく表現の一つだと思う。要
点は ride である。「私の車で送ってあげるよ」という意味なのだ。これ
も初めて聞いた時には「何のこと?」と一瞬戸惑ったが、雰囲気で見当が
付いた。自動車の運転をしない(出来ないし、免許を取ったこともない)
私がアメリカで常に言っていたことが Who will give me a ride back to
my hotel? と Who will pick me up tomorrow morning? だった。後者は
「明朝は誰が迎えに来てくれるの」となる。I need a ride.となどという
一寸図々し言い方もある。



Let’s play it by ear.

解説)これも初めて聞いた時には「何を言っているのか」と困惑させられ
た。“to play it by ear”は本来は「譜面を見ないで(即興か諳譜で)演
奏する」という意味だそうだが、それが転じて「どうなるかは解らない
が、その場の状況に応じてやってみよう」と言いたい時に使われるように
なった。言わば「臨機応変に行こう」なのである。



I’ll tell you what.

解説)これも何のことか直ちに理解できなかった。日本語で何と言えば良
いかも解らない話し言葉かと思う。皆で昼食に出掛けようとなった時に、
中華か日本食か意見が纏まらなかった。そこに最年長者が割って入って I
will tell you what. Let’s try Mexican.と言ってメキシコ料理に決まっ
たのだった。



We are a party of four.

解説)前項の続きのような言い方。レンストランに入って入り口の
Please wait to be seated. の看板のところに立っている係員(maître-
d‘ または maître d)に「我々は4人である」と告げているのだ。ただ単
に Four. と言っても通じるが、この方が格好が良いか?電話予約の時な
どには使える言い方だ。尤も、電話では We need a table for four.と
言っても良いと思う。



何時のことだったか、私が昼食が終わって一緒に来ていた秘書さんたち
を、この「お席にご案内しますので、ここでお待ちを」と看板のところに
立って待っていた時に、後から入ってきたお客に Table for two,
please. と言われてしまったことがあった。その日は金曜日で、私は寛い
だ服装で濃紺のダブルブレストのブレザーを着て濃灰色のズボンをはいて
いたので、如何にもメートルデイ―っぽく見えたらしい。それを見ていた
女性たちに「貴方は新しい職を確保できたではないか」と大受けだった。



筆者の意見:

私はこれまでに繰り返してアメリカで日常的に使われている表現を紹介し
てきた。しかし、我が国の学校教育での英語で育った来られた方々には
「これぞ一般的に通用する話し言葉であるから、会話を為さる時には積極
的にお使いになれば」と薦めた記憶はない。その理由は簡単且つ明らか
で、我が国で教えられている『科学としての英語』とは違いすぎで、この
ような表現を使えば、木に竹を接いだようなおかしな事になる危険性が高
いから」である。



でも、彼らがこういう表現をするものだと予め備えができておられれば、
「何を言っているのだろうか?」と困惑せずに済むとは考えている。正直
なところ、私はそういう未知な表現に出会った際には、「解らない」と正
直に申告するか、後で同僚にでも尋ねて「そういうことか」と覚えて自分
のものにしてきたのである。これも重要な勉強法の一部だった。

2018年02月10日

◆先が読めない「まさか!」の時代

                    “シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(90)】男の子は好奇心旺盛だからいろいろ
なことに手を出す。「アソコどないなってるんやろ」と小生はやたらとオ
モチャやラヂオ、双眼鏡、拳銃、カエルなどを分解、観察したものだ。こ
の程度の好奇心はOKだが、スカートの中や更衣室、トイレの中を観察した
り、スマホで撮ったりすると犯罪になり、大体が所払いとか無宿人にな
る。気持ちは分かるが・・・

文春による「新潮覗き見」事件は「まさか!ほんまかいな」の珍事だった
が、続報がないから「手打ち」「示談」になったのだろう。

「申し訳ありませんでした」
「謝って済むんなら警察いらんで。誠意を見せるのが良識やろ」

「これでどうでしょう」
「何やこれ、板チョコ1枚かいな、誠意を見せ、言うてんのやで」
「2枚でどうでしょう」

「あんさん、ガキツカかいな、世間に嗤われるで、ホンマ、リアルが分
かっておらんようやな」
「ではこれで・・・」

「たった3枚で許してくれ言うんか・・・あんさん、背広の内ポケットが
膨らんでるな、ヂヂイのションベン、黄金町のストリッパーやあるまい
し、しょぼちょぼやらんで全部出さんかい!」

「は、それでは全部で5枚で・・・」
「・・・ま、とりあえずはええやろが・・・こんどやったら許さんからな!」

「では示談書に代表印をいただきたいんですが、それとこの間のことや経
緯は他言無用ということで・・・」
「・・・ま、ええやろ・・・まあ2度とスカートまくりせんことやな!」

以上は最近の事件をもとにした創作です(週刊シーチン編集部「真っ黒い
報告書」係)。

北による拉致疑惑をスルーした警察、マスコミ、政府。緘口令、利害、不
都合な真実・・・何があったのだろう。明日あたりから調べてみよう。

2/7産経は「宮中 某重大事件」を書いていたが、昨年12/26号の主婦と生
活社「週刊女性」の「秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭
さん母『400万円』借金トラブル」のスクープが発端だったようだ。老若
男女、ゴシップやスキャンダルが大好きだ。が、秋篠宮家はもとより皇室
全体は「まさか!」のブルーだろう。渚のプリンスはシンドバッドだった
のか。この事件、どう着地するのやら。

主婦と生活社は以前は「主婦と生活」がメイン雑誌だったようだが、主婦
が絶滅危惧種になりつつあるから廃刊になったのだろう。同社の最高経営
責任者は遠藤大介会長とか。ネットにはこんな評価があった。

<何しろ遠藤は出版よりもカーレースに熱中する経営者として出版業界で
は有名な存在だ。このLEON RACING チームオーナーとしての雄姿を見よ!
である。

http://as-web.jp/photonews/info.php?c_id=2&no=36762
http://autoc-one.jp/amg/sls-class/launch-1314945/photo/0027.html

ただし「クルマはプロでも出版はド素人」という声も社内外から聞こえて
きたりもする。だから、会社案内には自分の名前を載せていないのだろう>

同社は女性向け雑誌などをいろいろ出しているが、実質的にトップがあー
だこーだ言わないから社員は結構自由にやっていそうだ。経営状況は、業
界全体を宿痾(しゅくあ)の「出版不況」が覆っているからいいはずはな
いが、社長(現在は高納勝寿)がころころ変わるのは、どの社長も経営の
プロでも出版のプロでもなく、「遠藤に好かれたら安泰、嫌われたらク
ビ」なのだろう。

それでも道楽でトップがカーレースに熱中できるのだから小生にとっては
面妖、「まさか!」だ。かなりの資産家なのかもしれない。カネがあると
男は乗り物に凝る。女、車、馬。出版も遠藤の道楽みたいなものか。事実
は小説より奇なり。

2/6は通院で丹沢山麓へ。往路はKが、帰路は小生が運転した。母が大往生
してからはまったく運転していないから5年ぶりだ。1時間15分ほどの運転
で疲れ切って、2時間も昼寝した。Kは「うちはもう1年も付き合ったんや
から疲れた。

来月からはアンタ1人で行け」と言うのだが、大丈夫やろ か・・・カー
レースのあげくにダンプに追突してアポーンとか、あるいは 死神が「逝
くなら今がチャンスやで」と囁いたり。

薬局では薬の量にかなり厳格になった。ヂヂババは皆たっぷり薬の在庫を
抱えているだろう。少しでも社会保障費を抑えたい政府からキツーイお達
しがあったとかで、才色兼備の薬剤師はPCを見ながら「あんさん、まだ14
日分残っているはずやで、来月はセンセに『3週分でええです』と言うん
やで」。はーい。可愛いヂヂイを演じるのだ。

(薬剤師になるためには4000万円、医師は1億5000万円ほどかかるらし
い。それを負担できる家庭=文化資産のある良家=お受験階級の子女だか
ら、仲良うしとったほうがええんやで)

才色兼備のカウンセラー‟ピーコック”にはほんのりとやけど遂に愛を告白
した。スズメ同様、蝸牛の歩みのようにアプローチすれば、そのうち手乗
りペットになるで。「アソコどないなってるんやろ」、老いても少年の心
は永遠なり。

ケースワーカーの“マリア”には犬のふりをして「ワン!」と吠えて見せた
ら大喜びをしていた。今度は犬の着ぐるみを着て通院したいが、皆引ける
だろうな、「まさか!」な、なんなんや、このヂイサン!? ウー、吠え
るで。

「目指せ!元気な老人」の標語はこんな具合か。

一に養生、二に生き甲斐、三四がなくて五にクスリ、うちのヂイサン六で
なし、まごまごしながら七五三、お酒大好き八またのおろち、クスリはリ
スク、飲みすぎ注意、十(とお)とお来ましたお出迎え

痴楽つづり方教室、おあとがよろしいようで・・・・

一にイキガイ、二にキチ〇イ、ガイアの夜明け、時代を生きろ!痴人の愛
は地球を壊す、いささか躁状態の発狂亭“ボストンクラブ”雀庵の病棟日記
から。

【2016/12/7】水曜、曇。

*今朝の産経も面白かった。産経新聞は表向きは「愛国保守=リアリズ
ム=旧弊を改め改革・前進を!」というのが看板だが、自民党と同様に記
者はリベラル≒アカモドキから右派までおり、一枚岩ではない。「主張:
反EUの広がり 結束の否定では解決せぬ」は、産経リベラルの焦りがうか
がえて笑ってしまった。曰く――

<既存政治の打破を掲げる大衆迎合主義(ポピュリズム)的勢力の伸長
は、押しとどめることが困難なほど強まっているということだろうか。

反移民、反ユーロといった主張は、英国のEU離脱やトランプ氏の勝利など
予想を覆す動きにも通じている。

EUは自由主義や民主主義といった共通の価値観で結びついてきた。加盟国
の分断が進めば、域内はおろか世界全体の安保環境や経済にも悪影響を及
ぼすことを忘れては困る>

まるで朝日の社説のよう。「困る」って・・・“極右”やトランプに断固反
対するならそう書けばいいし、誰が一体困っているのか。困っているのは
記者なのか、産経なのか、少なくとも小生はEU≒リベラル≒お花畑のアカモ
ドキと思っているから、EUの崩壊は望むところだ。

「大衆迎合主義」とは近年の造語である。広辞林によれば、大衆とは「多
くの人、民衆。一般勤労階級」で、迎合とは「他人の意向を察して、気に
入るようにすること。阿ること」だ。いいか悪いかは別にして、普通選挙
の国ではおおむね大衆迎合なのではないか。「良薬は口に苦し」なんて政
策を掲げたら票が集まらない。

以前は大衆団交=つるし上げというのもあったが、今は「大衆路線」と言
うようだ。それは「大衆の実情から遊離することなく、大衆の知恵に学び
つつ、運動を進めていこうとする行き方」とある。アカの思想だ。

米国では Populist はアカの「人民党(員)」、Populism はアカの思想
である(ニューコンサイス英和辞典)。だから大衆迎合主義(ポピュリズ
ム)は、EU官僚などアカの思想、主義であり、“極右”と罵倒されている愛
国保守派を非難するのはまったくの筋違いだ。

ブリグジットやトランプ勝利を「予想を覆す動き」と言うが、産経の古森
氏は以前から「もしかしたらトランプ」と何回も書いていた。それを予想
できなかった己を恥じるがいい。リベラル≒アカモドキは現実を見ない、
見えない、見たくないの典型だ。古森氏の爪のアカでも煎じて飲め!

「EUは自由主義や民主主義といった共通の価値観で結びついてきた」とい
うのは表しか見ていないから。物事は天地左右裏表から観察しないとダメ
だ。英国など反EUが増えてきたのは、「移民を受け入れろ」「死刑を廃止
しろ」、そうしなければEUに入れないぞなどとEUから脅かされ、国家主権
を譲歩、削らざるを得なかったことが背景にある。

そういう事情が分からないからトンチンカンな屁のような社説になってし
まう。勉強し直すんだな。

一方、リアルな曽野綾子氏は同じ産経で「欧米の反『PC』潮流『おきれい
ごと』に愛想尽かした民衆」でこう書いている。

<もし極右が台頭しそうなら、近年の日本とヨーロッパのマスコミが振り
かざした「ポリティカル・コレクトネス=政治的妥当性(PC)」のせいだ
と私は教えられた。

人間はみな葛藤に苦しむ。難民を受け入れたいと思っても、(できるこ
と、できないことがあり)理想、おきれいごと、PCではすまないことがある。

トランプを当選させたのも、ヨーロッパに極右勢力を台頭させそうな空気
を作ったのも、共にマスコミの幼児的なPC一辺倒の姿勢の「功績」である。

差し当たり、PCに易々として傾くマスコミの姿勢と戦うことは必要だ、と
私は体験からも思っている>

氏の体験の一つは、確か昨年、「(南アで)人種、民族が別々に暮らすこ
とには、それなりの理由がある」と書いたところ、マスコミから「アパル
トヘイトを是認するのか!」と総反撃を食らったことだろう。氏は「分か
ろうとしない人には何を言っても無駄」と知っていたろうから、何も反論
しなかったが、PCを振りかざした狂気のようなバッシングはいつの間にか
終息した。マスコミなどはまるで発作、発狂の体だった。

こうしたPCにウンザリしている人々が、メインストリート、エスタブリッ
シュメントに反旗を翻しているのだろう。

水曜の産経は読みごたえがある。日系脱藩三羽烏の松浦肇氏の「トランプ
VS 記者 裏側では・・・」は、記者=経営者ではない、という面白い話。

<(左巻の)ニューヨークタイムズ(NYT)は購読者が増えている。NYTの
CEOが(投資家向けに)話したことによると、選挙中にはクリントン氏よ
りもトランプ氏の方が露出度が高かった。

クリントン氏は(宣伝戦で)献金依存だったが、トランプ氏がそれに頼ら
ずに済んだのは「(視聴率の取れる)トランプ氏に偏重した選挙報道が
あった」(ハーバード大報告書)からだ。

際立ってきた米メディアとトランプ氏の対立。だが、裏では両者はちゃん
と手を握っている、相互依存の関係なのだ>

ウィンウィンでメデタシメデタシか。記者連中は株主や幹部の掌で左巻音
頭を踊らされているピエロ、パペットみたい。人生、この世は不可解、
「まさか!」なり!

*こちらはPCでもパソコンの話。小生の会社のデジタル革命は1990年頃。
8ビットとか16ビットの富士通のFM7とかいうPCを導入し、ニフティの
メール機能を使い始めたことによる。ニフティは先端を走っており、光り
輝いていた。

産経が報じたところでは、プロバイダー別光回線契約シェアは、NTTコム
(OCN)19.9%、ソフトバンク(ヤフーBB)12%・・・そしてニフティは
3.2%。

生き馬の目を抜く政財界。一瞬でもしくじると転落する。去年の今頃、誰
がクネやサムソン、ロッテ、韓進の苦境を予想しただろうか。トランプは
泡沫候補で、ヒラリーは本命だった。多くのマスコミは先を読めなかった
し、これからも読めないだろう。

一寸先は闇。ハプニング、番狂わせ、sudden death・・・「まさか!」が
続きそうな予感がする。(つづく)2018/2/8



2018年02月08日

◆宴果てて気象学者は氷河期目前

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(89)】高校1年3組の同窓会は20年ほど前に
小生が立ち上げたのだが、数年前に東大理系教授の大島君がポツリとこう
つぶやいた。

「毎日のように文科省などへ行って研究助成金をお願いしている、来る日
も来る日も・・・自分は一体何なんだって思うんだよね・・・」

興味のある分野を究めたいとか、それを学生に教えながらともに研究した
い、真理を探求したい、だから教授になった、それなのに今は研究費の調
達で、今日は霞が関、明日は○○財団、明後日は△△機構を訪ねて無心しなく
てはならない、腰を落ち着けて研究するなんてできやしない、何のために
教授になったのか、俺は何をやってるんだ、俺は何なのだ・・・

そういうことなのだろうが、何やらうつ病一歩手前のような・・・大丈夫
かいな。大島君はもともとがスポーツマン(バスケ)で、かつ明るくて真
面目で仁徳があり、さらに勉強もできたから女子の憧れの的。暗くてとん
がって敬遠されていた小生も彼には一目を置いていた。

小生は「放物線」で挫折して理系を諦めたから、理系の教授とか研究者、
技術者、職人には大いに敬意を表し、明治の職人の話などを読むと涙が出
そうになる。同窓生には青学の文系教授もいるが、彼とはスケベな話もする。

「君んとこ、若くてかわいい子がいっぱいおるやろ、ええなー、でも手を
出したらアウトやさかい、大変やろ」
「僕も男やさかい、クラクラするわ、触るわけにはいかんから、質問され
たらそばへ寄ってな、どこが分からのや、どれどれ・・・なんて顔を寄せ
るわけよ、ええ匂いがしてなあ、たまらんで・・・普通の仕事なら問題に
ならんでも、教授が教え子にちょっかいだしたら新聞記事になるさかい、
気ー使うわ」

みんな大変だ、まっこと男はつらいよ。

小生はスケベ心満載だから、同窓会もビジネスに役立てたかったし、大成
建設の部長だったK君などもそれに賛同していたが、大島君は「それはダ
メ、清く正しく美しく、で行きましょう」。まるで舟木一夫や。

♪ああ 高校三年生 ぼくら 道はそれぞれ分かれても 越えて歌おう 
この歌を

女子はスネ夫の脳ミソとジャイアンの暴力性、さらにバイアグラを混ぜ合
わせたような小生より、石鹸の臭いのする大島教授に賛同するのだ。

(母校の高校全体の同窓会は数年前から勤務地や職域ごとの交流を深める
ようになったが、名門大学や名門高校に比べると50年、100年は遅れてい
る。実利がないと同窓会は発展しないということを分からせるためには永
い年月がかかるのだ。小生にとって同窓会が今さら進路変更しても It's
too late, baby, now, it's too late や)

話が脱線したが、多分、大学の理系教授は今や学究の徒ではなく、集金マ
シンになっているのではないか。教授会などでは、

「アイツはただの学究の徒や、一銭も稼いでこんくせに、わてらが汗水流
して、ドブさらいや落穂ひろいまでしてかき集めたカネを使うているだけ
や。寄生虫、クズや、ホンマ、腹立つで」

「財前先生、ほんまに里見君には困ったもんですわ」と同調する教授ばっ
かりではないんかい。そこまで言って委員会?

理研の「リケ女」騒動は、「最先端でないと研究費を得られない」という
要因もあったのではないか。今ならICTとかAIなら予算をGETしやすいかも
しれない。

これがミソや。これが真実なら小生の50年間の疑問も氷解する。1970年前
後に世界の気象学者の大多数は「太陽の黒点活動を観察すると、地球は本
格的な氷河期に入りつつある」と唱えていたのである。「いや、むしろ温
暖化が懸念される」と主張していたのはごく少数派だった。

ところが70年代以降は徐々に、少しずつ、ひっそり、こっそりと「やっぱ
温暖化やな」の学者が増えていったのである。80年代以降は温暖派が圧
勝、氷河派は今や世界中でも絶滅危惧種になってしまった。

なぜか。太陽活動が寒冷化の原因なら、人間にそれを止めるすべはない。
太陽へ行ってガソリンを撒くことはできない。国や財団などは「これ以上
研究しても意味ないわ、助成金は無駄や」となる。カネがなければ研究で
きへん、学者はメシの食い上げだ。

「どないしよ」
「わて思うんやが、温暖化は人間のせいや、油を燃やすから温暖化するん
や、温暖化を止める対策を研究しよう、となればな、研究費も出るんやな
いか」

「でもな、今さら寒冷化やなくて温暖化やなんて転向できるんやろか」
「忘却は忘れ去ることなり、君の名は? 皆忘れるで。“省エネ”とか“地
球にやさしい”とかで製品開発をあおれば製造業も歓迎するやろし、新製
品が出れば広告も増えるさかいマスコミやって大歓迎や。電博も大喜びす
るで」

かくして地球温暖化は今や初期設定で、異を唱える学者、マスコミはキチ
〇イ扱いされるのである。太陽活動なんて研究すると「コイツ、異端や、
追放や」となる。

で、みんなで渡れば怖くない、どうせアホなら踊りゃなそんそんや。

学者もマスコミも「不都合な真実」は報じないから、温暖化なのか寒冷化
なのかは分からないが、温暖化=カネになる、という認識は正しい。所
詮、千年、万年の話で、「絶対にこうなる」なんて分からないし、証明も
できない。人類自体が絶滅しているかもしれない。

WIKIでは両論併記だが、温暖化を疑問視する記述をちょっと転載すると――

<徐々に起こる気候の変化は、地球の歴史45億年の間、頻繁に起こり、大
きな原因としては大陸と海洋の配置の変化がある。

温室効果モデルによれば地上よりも対流圏中層の気温が上がるといわれて
いるが、ラジオゾンデなどによって実際に観測された気温データには、対
流圏中層の特異的な昇温現象(ホットスポット)は観測されていないな
ど、モデルと観測の食い違いが指摘されている。

GHCN(Global Historical Climatology Network)の観測地点はアメリカ
やヨーロッパなどの先進国に偏っており、気温測定そのものに対しても、
観測地点の周囲の環境の変化による影響や、百葉箱などの保守管理に対す
る不備を指摘する声もあり、観測地点の選定や都市化の影響等を受けた近
年の気温測定に関する不備を指摘する声は少なくない。

一方、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書によれば気温変化
における都市化の影響はそれほど大きくないとされているが、観測地点の
変化と平均気温の間に高い相関が見られることなどから、IPCCの気温デー
タに対して批判的な見方がある>(以上)

「センセ、学生さんにもちっと百葉箱を掃除しておかんといかんと注意し
たってや、スズメが巣つくってましたで」
「あ、みっちゃん、昨日パネルからいんだんやったな。あんたが1か月も
おらんさかい仕事が詰まっててなあ、しんどかったわ。今なあスパコン買
うんで助成金を集めにゃならんさかい、学生に掃除しろ言う時間もないん
や、まったく忙しゅうてかなわんわ、夜は前川さんの接待やし」

「スパコン買ってどないするんやねん、うちには初耳ですがな」
「いや、実際買うかどうかはまだ決定しておらんんや。まずは億ション買
うてな、次にフェラーリかランボルギーニや。でな、残金でスパコン買う
んやが、まずは将棋ソフトで羽生さんに勝つことが目標や」

「センセ、パネルでちょっと耳に挟んだんやけど温暖化対策は中止やろか」
「温暖化って、気象庁が150年かけて研究したって明日雨が降るかどうか
が大体当たるようになったレベルやで。明日の天気も正確に分からん、地
震も噴火も分からんのに50年後、100年後がどうなるんか分かるはずない
で。大体わては生きておらへんしぃ。ま、近くOSで食えなくなることは確
かや」

「OSってオレオレ詐欺ですやろ」
「ちゃうがな、温暖化詐欺や。ブームは近く終わりやから、スパコンで50
億円引っ張ったらハイ、サイナラ。余生は美女軍団に囲まれて面白おかし
く暮らすんや。もう専属コックは先に行って待っとるわ・・・みっちゃ
ん、あんさん、よー見ると結構な別嬪さんやな、どや、アンタも一緒に。
IPCCと心中したってどないしょうもないやろ。それよりわてと共鳴せえへ
んか」

そのうち町内会のパトロールカーが「電話で温暖化言われたらサギ! 温
暖化対策でカネが要る言われたらサギ!」とやりだすだろう。

プーチン曰く「温暖化で北極海が航行できると便利になる。ノープロブレ
ムや」。100年で1〜4度ほど気温が上昇するかもという曖昧なリスク、一
方で地震、噴火、事故、戦争、テロ、金北豚、習近平、プーチンなどの目
の前のリスク。どちらを優先すべきか、考えるのが知性だ。

知性を突破し超人を目指す発狂亭“パイルドライバー”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/6】(承前)*NHK子会社のワル2人が2億円をネコババしたそう
だ。他者のカネを盗むのはためらうが、「公金」は「みんなのカネ」で、
特定の所有者はいないからブレーキが利かないことがままある。公金に接
する機会の多い役人は汚職の誘惑に惑わされることが多いのではないか。

日本では2億円だろうが10万円だろうが、汚職がバレたら一罰百戒でまず
まともな人生には戻れまい。リスクが高すぎる。

*2、3年ほど前から経済用語として「コモディティ commodity」がよく使
われているが、小生は単に「商品」としか思っていなかったものの、もし
かしたら投資商品でもある「石油、鉱物、資源なども意味するのかな」と
分からずにいた。

今朝の産経には「普及商品」と翻訳・説明されていたが、意味がよく分か
らない。辞書には「有用品」「雑貨、土地、技能、健康など」ともある。
貴金属や旅客機など特殊なものを除く、街で一般に広く売買されているモ
ノ、サービスなどか。

それでは自動車はどうか。一般的な乗用車は「コモディティ」、希少価値
のあるロールスロイスはどうなのか。

外来語を持ち込むなとは言わないが、幕末、明治の先輩のように、できる
だけ日本語にした方がいいのではないか。「中華人民共和国」の7文字で
支那語は中華だけ、人民/Peopleも共和国/Republicも我らの先輩が造った
ことはよく知られている。自由、民主、人権、法治から恋まで日本語にし
たのだ。だからあっという間にこの言葉は普及し、漱石は「変しい変し
い」と書いて「恋」導入初期の世相を描き、笑いを取ったのだ。

日本語がなければ板垣退助は「板垣死すとも自由は死なず」ではなく「フ
リーダムは死なず」になっていたろう。「蘭学事始」を読むと、先人がい
かに翻訳に苦労したか、涙が出るほどだ。

我らの今はご先祖、先人、先輩、英霊の礎の上にある。この日本を次代へ
繋ぐことが今人の務めだ。これを大義という。山本夏彦翁曰く「国家とは
言語なり」。学者、通訳、翻訳者、文筆家はよくよく心すべし。(つづ
く)2018/2/5

2018年02月07日

◆奈良木津川だより 浄瑠璃寺

                          白井 繁夫

大和と山城国の国境(京都府の最南端)の奈良山丘陵地の山間の地(当尾:とうのお)に、
「小田原山浄瑠璃寺」(木津川市加茂町西小)通称「九体寺」と呼ばれる寺院があります。この寺が「九体の国宝阿弥陀仏」を本尊として祀る、我国で唯一の寺院です。

この寺院へ行く道は、古来より東大寺の転害門(てがいもん)から般若寺を経て笠置街道を採る「般若坂越え」、つまり南から北方へのルートと北の京から南方へ木津川を遡行して加茂道の高田より丘陵を登って南の西小(にしお:西小田原)の集落へ行く道とがありました。(私は浄瑠璃口から南へ約2kmの登りの山道、浄瑠璃寺正門(北門)へ出る道を採りました)。

あまり車や人と出会わない山道を歩きやっと小さく開けた集落に着くと、無人のスタンドには農家の野菜や柿や芋があり、子供時代の遠い昔ののどかな雰囲気に浸っていた時、一時間に一本?のバスが到着し、行楽客?の一団の賑やかな会話となり、そのご一行様は三々五々静かに佇む寺院に吸い込まれて行きました。

「浄瑠璃寺」の創建は不明ですが、嘗ては西小田原寺とも云われ、天平11年(739)
聖武天皇の勅願により僧行基が開創したとか、また天元年中(978−983)多田満仲が開いたとも伝えられていますが、どちらも史料などによる正確な確証は得られていません。

浄瑠璃寺の創建、堂塔の建造.修理、法会(ほうえ)等や施行年などにつてのこの寺院の唯一の根本史料『浄瑠璃寺流記事』、観応元年(1350)寺僧長算(ちょうさん)が、当寺の釈迦院に蔵されていた本をもとに転写し、「釈迦院本の流記、貞和2年(1346)までと観応元年までを加筆、さらに末尾に15世紀の記事二つを長算が付け加えた史料(永承2年:1047〜文明7年:1475)」があります。

以後『流記事:るきのこと』と云う、を参照します。

「浄瑠璃寺」の創建は、永承2年(1047)7月18日義明(ぎみょう)上人を本願とし、
阿知山大夫重頼を檀那として本堂を造立しました。(一日で屋根を葺くと記しているから、最初は小さい本堂と推察されます。)

平安時代の後期になると、釈迦の入滅後、しだいに仏法が廃れ「永承7年(1052)末法の世に入る」と云う、「末法思想」が蔓延しました。この世を救いに来る薬師如来の信仰と現世を捨てて、極楽浄土に往生を遂げようとする「浄土信仰」も高まりを見せ、大和に近いこの山間に、興福寺の一部の僧達が、草庵を建て、修行に励み、教学にも精励しました。

60年後の嘉承2年(1107)正月11日、本仏(薬師如来像)などを西堂に移します。(本尊の移動は本堂を取り壊すため)。

「浄瑠璃寺」は、寺名となる薬師如来が最初の本仏です。一体の木造薬師如来像が当初からこの寺に伝わっており、薬師如来はこの仏の浄土である東方の瑠璃光(るりこう)浄土からの教主であり、この世の苦悩を救い、西方の極楽浄土の阿弥陀仏(来迎仏)へバトンタッチする遺送仏でもありました。

新本堂の建設には約1年半を費やし、翌3年6月23日総供養が導師迎接房経源(ごうしょうぼうきょうげん)、願主阿波公公深で執り行われました。

この時の九体の阿弥陀仏像が当寺院の本尊仏となりました。ただし、この新本堂(九体阿弥陀堂)は現在の場所ではなくて、九体阿弥陀堂と安置の国宝の仏像等はこれより50年後(保元2年1157)に現在の池の西岸に移築されました。

12世紀後半から13世紀にかけては浄瑠璃寺の寺勢が最も隆盛な時代でした。即ち、久安3年(1147)摂政藤原忠道の第1子の伊豆僧正恵信(えしん)の入寺から始まります。

興福寺一乗院門跡であった恵信は、興福寺別当職就任を覚晴に先に越されたのを不満に思い、この山中の小寺に入山して、当寺の延観上人の草庵に隠棲しました。

その後は恵信の力を持って、まず寺域の境界(四至:しいし)を定め、現在の伽藍の中心となっている苑池の原型を整え、浄瑠璃寺一山の守護とするべく、一乗院の法橋信実.寺主玄実父子の墓を寺内に築かせて、(後日)当寺は一乗院の御祈願所となり、興福寺末となりました。

恵信は、保元2年10月興福寺別当に補任されており、本堂を解体して現在の池の西岸に移築した年でもあります。現在見られる浄瑠璃寺の景観は恵信の時代、基本的に完成しました。

九体阿弥陀堂と浄土庭園の一体化を目指し、治承2年(1178)には京都の一条大宮から三重塔を移築して、公式どおりの東に薬師如来の三重塔、池を挟んで西に九体阿弥陀堂の浄土庭園を完成させ、堂宇や多数の仏像も造立されました。

これら一連の大事業は興福寺別当に就任した恵信が浄瑠璃寺に関りがあって尚且つ、摂関家の力を持ってはじめて可能にした大事業だったと思われます。

治承2年には鐘楼も建立され、翌年の11月には三重塔の完成供養を一印上人空心が法会の導師となって執り行われた。(空心上人は九条兼実:摂政関白.太政大臣.九条家の祖:に寺額を依頼できる実力者です)。現在の伽藍の中心である九体阿弥陀堂.苑池.三重塔がそろった輪奐の美が平安時代の末期にここに完成しました。

12世紀末の文治4年(1188)藤原氏の氏神「春日大明神」を請け鎮守とする。『春日大社文書』によると、当時山内には「凡(およそ)当山の住僧僅に80に及ぶ」とあり、80人の住侶を統制して行く組織が浄瑠璃寺では形成されていたと思われます。

鎌倉時代以降の浄瑠璃寺について、『流記事』より少し列挙してみます。

★建久5年(1194)〜元久2年(1205)舎利講と一品経(いっぽんきょう)購読を
一千日つづけた勤修を4度おこなう。
★ 建仁3年(1203)2月楼門.経蔵を上棟、貞慶を導師とし、千基塔供養を行う。
★ 建暦2年(1212)薬師如来像に帳を懸ける。吉祥天立像(重文)を本堂に祀る。
★ 仁治2年(1241)馬頭観音立像(重文)造立される。(体内墨書銘)
★ 永仁4年(1296)弁財天像を勧請す。
★ 応長元年(1311)護摩堂を建立。本尊不動明王、二童子像を安置す。
★ 観応元年(1350)9月『浄瑠璃寺流記事』長算によって書写される。

皇族や平安貴族が極楽浄土へ往生出来るように九体の阿弥陀仏を祀る、浄土信仰が隆盛な時期に藤原道長の法成寺(無量寿院)や、白河天皇の法勝寺阿弥陀堂など京都を中心に九体阿弥陀堂が約30建立されましたが、現在当時のまま現存している唯一の寺院がここの「浄瑠璃寺」だけになりました。

寺院の来歴説明が長くなり過ぎました。山内の国宝三重塔、国宝の九体阿弥陀堂.阿弥陀仏像の参拝は、次回にさせてもらいます。

参考資料:浄瑠璃寺と南山城の寺    日本の古寺美術 18    保育社
     加茂町史          古代.中世編         加茂町

2018年02月06日

◆生野菜信仰、記者稼業、ハブの奄美 etc.

 “シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(88)】小生が中1の1964年、東京五輪の前
後から、わが家の食卓に生野菜サラダが登場した(姉2人が夕食をを作る
ようになったから)。それまでは和食主体の多くの日本人に生野菜を食べ
る習慣はなかった。つまり熱湯で温めて食べていた。畑では堆肥を大いに
利用していたから寄生虫をやっつけるために茹でたり、炒めたり、蒸した
りしていたわけだ。

その頃から検便による寄生虫検査が少なくなっていった。近所の農家では
芝生を育てていたが(園芸用とかゴルフ場向けだったろう)、柄杓で肥桶
から糞尿ミックスを撒くのは1963年で終わりになった。

女は生野菜や果物が好きだ。精神病棟で体感したことの1つは、女の70%
は便秘、一方で男は10%でしかない。なぜか・・・男女の食生活で一番大
きな違いは生野菜の摂取量だろう。何でも食べ過ぎる、偏食すると体調に
は良くないのではないか。

生野菜≒体が冷える(夏にはいいが冬には良くない)≒繊維質で便通が良く
なる(大量に食べると逆に便秘になる)≒生野菜の塩分やカリウム、カル
シウムは病気によっては摂り過ぎになる(産経「健康cafe」1/30:軽度の
腎障害ではカリウムが尿に排出されにくくなることで血液中のカリウム濃
度が高くなり、致死的な不整脈を起こす危険が高くなる)。

塩分は控えめがいい。天然の野菜(可食部)などよく食べる食材100gあた
りに含まれる塩分量(mg)をネットで調べたら――

梅干し  22,098
わかめ  16,764
ラーメン 6,350
乾麺 4,318
あさり 2,209
ベーコン  2,209
ちくわ  2,108
塩ざけ  1,828
ハンバーグ 1,244
野菜ジュース 584
しじみ 185
鶏  149
豚  137
まぐろ  124
牛  106
牛乳  104
ほうれんそう  40
白菜 15
きゃべつ 12
トマト 7
みかん 2
りんご 微量
バナナ 微量

まあ、梅干しを食べる人でもせいぜい1日に1粒だろうから避ける必要はな
さそうだが、生野菜はマヨネーズやドレッシング、塩で食べるし、野菜
ジュースなどは健康に良さそうな感じがするから1日に300ml飲む人も多い
だろう。小生は週に最低2回はラーメン、1回は天ぷらうどんを食すが、汁
はあまり飲まないものの控えた方がいいかもしれない。

いちいち気にしていたら、それこそがビョーキ
だが、「偏食はダメよ」ということだ。朝はトーストと生野菜サラダ、と
いうのは一見健康そうだが、これが毎日だと体調を崩すのではないか。精
神病棟の食事は基本的に普通食だが、生野菜は揚げ物のおまけで出てくる
だけだった。小生は減塩のために塩分の多い海苔の佃煮、フリカケなどは
×だった。

入院以来もちろん酒は×で、その代わりに菓子好きになった。Kによると
「お酒には糖分が結構あるから、それを補うために断酒→甘党になる人は
多いのよ」。ふーん。

塩分も糖分もほとほどに、ということなのだが・・・確かに1日に2個のア
イスクリーム、大福1個、キットカット4個、ビスケット8枚などなどは、
自分でも「ちょっとなー」とは思うものの、真面目にやっていたら人生お
もろうないんやないか、と・・・ま、悩ましいね。

悩ましいと言えば、昨日と今日、2日連続で嫌な夢を見た。昨日は発達障
害の28歳ほどの女性を保護して面倒を見ていたら、いつの間にか10歳ほど
の少年になり、多摩川の六郷橋の手摺の上から見事な高飛び込みをし、悲
しくなって目覚めた。西部(にしべ)の自殺が夢の引き金になったのだろう。

(初めて福岡を取材した際、西部瓦斯博物館を訪ねたが、「せいぶ」では
なく「さいぶ」と言うのにはちょっと驚いた。東西南北(とうざいなんぼ
く)で、東部に対して「さいぶ」と言っていたのかもしれない)

夕べの夢は、量販店でうろうろしていたら右腕の袖をオバサンにつかまれ
た。横顔を見ると知らない人で、なんなんやと、正面から見たらKだっ
た。「何見てんのや、このボケ!」と怒られそうで怖かった。小生が迷子
にならないように袖をつかんでいたようだ。ぐったりして目覚めた。

産経の連載、元記者・阿部雅美氏の「40年目の検証 私の拉致取材」はホ
ラー小説を読むような・・・真っ暗な洞窟を手探りで行くような怖ろしさ
を感じる。2/2から。

<自分が書いた記事の信ぴょう性に疑いを抱いたり、確信が揺らいだこと
は一度もない。ないが、被害者の一人から「自分たちは拉致されたのでは
ないんです。訳があって隠れているんです」と、なぜか私に電話がかかる
夢にうなされたことが幾度かあったことは正直に告白しておく。

ずっと、思い続けていた。続報を待つ家族や読者に申し訳ない。

ずっと、思い続けていた。拉致が事実と分かる日が、やがて来る・・・>

記者はトップ屋を目指す。同時に誤報を恐れる。ディープスロート(消息
筋)を大事にする。取材拒否にあったら何も書けない。小生の場合は日本
航空(IATA国際航空運送協会の日本代表でもあった)、運輸省(特に航空
局と観光部)、JATA日本旅行業協会も大切にした。やはり大事な情報源
だった。

一度、運輸省の課長から睨まれたことがある。一席設けて平身低頭し謝っ
たら、「はなっから謝られたら何も言えんやないか!」、あとは楽しい宴
会になった。

これは「旅行業公正取引協議会」という組織を立ち上げる際の記事で、
「運輸省と大蔵省が天下り先として縄張り争いをしている」とコラムで書
いたら、大蔵省に予算を握られ気を使っているだろう運輸省が激怒したわ
けだ。痛いところを突かれたのだろうか。真実というか裏側を書きすぎる
とまずい、わが社は運輸省と喧嘩しても一銭のメリットもない、謝った方
がベストや、となる。大人の知恵や。

(その後、運輸省からオイシイ話があったから、お代官様と越後屋は表で
はそっけないとか、時には喧嘩しているようでも、裏では「まあ一献どう
ぞ」の仲良しなのだと思う)

小生は記者になれて本当に良かったと思っているが、ストレスは大きい。
そのキツサから見ると年刊>月刊>週刊>日刊で、年刊の場合は1か月ほ
ど締め切り地獄が続く。一方で日刊は午後4時で物理的にオシマイ、あと
は翌日以降の原稿を書き始めたりアポ取りをしたりで、まあ、年刊に比べ
ればかなりマシである。

いい記事を書きたい、偽報、虚報、捏造、盗作は「ダメ、絶対!」(確実
にクビ、業界追放になる)、間違いはないかどうかという不安、締め切り
の重圧(特に一般紙の場合は競争が激しい)・・・寝ていてもうなされる
のが記者ではないか。

正月に奄美から野生のイノシシ肉が届いた。いつも小生は食材を包んでい
る地元紙「南海日日新聞」を読むのが楽しみなのだが、元旦号には「奄美
 世界自然遺産の扉を開く」という特集があった。今夏の遺産登録を目指
しているそうだ。

シマッチュ(奄美人)は小さい頃から草むら、林、森を恐れる。山奥に入
るのは概ね物好きのハンターだけ。猛毒のハブを皆怖れているのだ。「国
内最大級の亜熱帯照葉樹の森に、多様な動植物が息づく奄美」、その自然
の守護神はハブである。

特集にはハブのことが何も書かれていなかったが、遺産登録で観光産業を
活性化したいのにハブの存在を改めて書くのもナンカナーということで、
多分、奄美のマスコミでは「ハブにはアンタッチャブル」が暗黙の合意に
なっているのかもしれない。

小さな奄美大島は山だらけで雨も多いし、基本的に大きな平地の沖縄とは
観光産業では圧倒的な差があり、もうこれはどうにもならない。樹齢3000
年とかの屋久島の縄文杉みたいな名物があればいいのだが・・・西郷先生
のドラマでブームになればいいが・・・島全体を「奄美江戸村」にして、
島民の服は着物、ミス愛加那コンテストをやるとか。いつまでも「ハブと
マングースの決闘」では客は呼べない。

力道山との対戦などでナント視聴率60%超、一世を風靡し、TV普及にも大
いに貢献したデストロイヤーに敬意を表しつつ、発狂亭“足4の字固め”雀
庵の病棟日記から(子供の頃父と一緒に本家のTV(今なら300万円相当=
年収分)を見に行った。「三菱ダイヤモンドプロレス」とかいう番組で、
途中で小生はいつも寝てしまったっけ)。

【2016/12/6】(承前)*民間企業の経理マンが汚職でクビになると(本
人が依願退職だと言ったところで)再就職で経理マンは絶対になれない。
カネを扱う部署だから、前の会社に必ず問い合わせが行き、上司だった人
は必ずこう言うのだ、「私の口からは何ともお話しできません」。

問い合わせた方は、それだけで「ははん、不祥事だな」と分かるのだ。こ
れは実際にその場面を目撃し、経理マンは大変だなあと感じ入ったもので
ある。

どこかの学校から元部下について問い合わせを受けたことがある。本当は
バイトなのだが、彼は教師になりたかったようで、履歴書に社員だったと
書いたのだろう。「人柄や働きぶりはどうでしたか」と聞かれたので、
「明るいし、素直で一所懸命にやっていましたよ」と答えておいた。「言
われたことはやるけれど、なんか自己主張とか存在感のない奴でした」な
んて言ってしまったら、彼の夢を潰してしまう。それはとてもできない。

小生はシャバに出てから3年間勤めた会社を「同僚があまりにも程度が低
いので一緒に仕事はできない」と依願退職したのだが、上司の田中部長
(後の仲人、やがて社長になった)からは「バカと一緒にやるのも仕事な
んだ」と慰留された。当時の光岡社長は「君も再就職するだろうから」と
ナント推薦文まで書いてくれた。こういう社長、上司は奇跡的なのではな
いか。

お陰で再就職はごくスムースに行ったのだが、上司、同僚は頭がいいし、
パワーがあって残業は当たり前、自分の仕事が終わって帰ろうとすると
「修一! 他の奴の仕事を手伝え!」と空自出身の上司が教育的指導をす
る。「死ぬときは一緒だ!」というわけ。慣れるまではきつかった。

同僚たちは「君の言うのは議論だろう、議論は局中法度だ」「それは武士
道にもとる、切腹ものだ」なんて新撰組を気取っていた。Mさんは机に隊
旗まで飾っていた。気分はすっかり“トシさん”。

6時、7時に終われば当然飲み屋、9時、10時でも「軽くやっていくか」と
飲み屋、毎晩のように飲んでいた。みな金欠だったが、いい会社のいい時
代だった。(つづく)2018/2/4

2018年02月04日

◆我もフリーズ&ダウン、首都圏大雪奇譚

“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(87)】大雪になった1/22(月)から30日
(火)の8日間は悲惨だった。

小生は会話が苦手で一種の発達障碍、「自閉スペクトラム」ではないかと
思っているが、医師やカウンセラー、Kもこの見立てには異を唱えないか
ら、概ね当たっているのかもしれない。

簡単に言えば一種の「引きこもり」で、まあ「ヒッキー」なのだろう。
「実はキチ〇イ、心神喪失で暴れまくる危険性があります」と告ったら皆
ひいてしまうだろうが、「ヒッキー」なら何となく受け入れてもらえそう
な気がする。

(アルコール依存症の専門医によると、常習的大量飲酒でもアル中(含:
酒乱)になる人とならない人がいる。「だからアル中は病気だ」というの
だが、ほとんどの医師、カウンセラー、世間にそういう認識はない。だか
ら酒乱は「お前が悪いんだろ」ということになる。

これが実態で、本来は小生は「酒乱です、刃物を持って暴れかねません」
と言わなければならないのだが、これでは嫌われるだけだから自閉スペク
トラムとかヒッキーとか曖昧な表現をして、同情されたいのである。山本
夏彦翁曰く「人皆飾ってものを言う」。

せめて「ああこの人は病気なんや、お気の毒に」と憐憫の情で接してくれ
んかいなあと思うんや。リアルの世界では「何言うてけつかんねん、おま
え死刑や、無期懲役や、ヂヂイやさかい、まあ罪一等減じて遠島にしたる
わ」てなもんである。「アッチ行け、シッシッ」。キッツイもんやで。閑
話休題)

そういうわけで小生にとっては外界、世間、娑婆とのやり取りはPCが主体
なのだが、このPCが不調になったのには大いに困惑させられた。これを含
めて山また山の日々、以下はその顛末。

1/22朝には運転免許の更新をした。5年ほど前に母が大往生して介護で車
を使うこともなくなったし、反射神経が怪しくなったので、以来運転して
いないから免許証の自主返納を考えてもいたが、小生とKのどちらが先に
要介護になるか分からない。もしかしたらKの世話を小生がするかもしれ
ない。その時にはやはり免許証と車がないとまずいだろうと判断したのだ。

小雪がちらついている程度だからさして問題はなかろうと自転車で警察署
までエッチラオッチラこいで無事着いたたのだが、20分間サドルに座って
いたから自分でも驚くほど腰が弱って歩行困難、ヨタヨタしている。

そこでは「まあ仕方がない」と思ったのだが(ヘークション! ウー
寒)、免許証の写真や印紙を求めるために署敷地内の交通安全協会(警察
官の天下り先)へ行ったところ、かじかんだ手とオツムが緩んできていさ
さか躁状態。きれいなオネエサン相手に、

「なんやこの写真、まるで強盗殺人犯みたいやな」

「ほなら撮り直しましょ、メガネを外した方がええと思いますが」
「さよか、男前に撮ってや」

「これでどうです、ずいぶん良くなりましたで」

「うーん、まあ窃盗犯みたいやが、元が悪いからこんなもんやろ。おおきに」

ここまでは良かったのだが、署内の手続きでは右往左往。受付へ行ったら
「あちらで書類を書いてから来てください」、まずは機械に免許証を差し
込むのだが、その免許証がどこかへいってしまった。

昔のことはよく思い出すのだが、最近は「ちょっと置いたもの」、その置
いた場所、置いたこと自体も忘れてしまうことが結構ある。すっかりヂイ
サンだ。

オタオタしながら探しているうちに機械はタイムアウトで、そこにパワフ
ルなママさん風が来てさっさと機械を操作している。見ながらやり方を覚
え、ポケットに探り当てた免許証を差し込んで暗証番号を入れるとナンバ
リングした書類が出てくる。

書類には適性検査のQ&Aもあるが、「あんさん、オツム大丈夫かいな」と
いう項目では、まさか「わては現役バリバリのキチ〇イでっせ」とは書け
んから嘘を書くしかない。

昔、パスポートを申請した際に、「保釈中」と書いたら、数日後に旅券事
務所から「見落としてしもうた、うちが悪いんやが、保釈中やとパスポー
トは発給できませんのや、堪忍したって」という連絡を受けたことがある。

仕方がない、虚偽申告するしかない、パクられたら終わりやが、他に方策
なかりし、と嘘をついたことを思い出した。

嘘は大嫌いだ。嘘をつくと、それがバレないように嘘を重ねていくことに
なる。シンドイ、消耗する、非生産的。だから嘘をつかない。大昔「キモ
サベイ嘘つかない」というインディアンが登場する西部劇TVドラマがあっ
たっけ。嘘の代わりに口を閉ざすとか聞こえない振り、痴呆を装う方がは
るかに無難だ。

67年間を振り返って嘘をついたのは数回しかないが、最大の嘘は結婚する
際に「Kを世界一の幸せ者にしよう」と誓ったことである。それをKに言っ
たことはないのだから嘘とは言えないが、結果的には嘘を言ったようなも
のだ。忸怩たるものがある。

「あ、ヂイサン、あんさんまだ番号を呼んでませんさかい、そこで待っと
いて」なんて講習会の先生に言われたりして、挙措もオツムも耳も目も劣
化しているから、オタオタ、ウロウロ、アワワワですっかり老人である。

手続きをすべて終えて外へ出ると、自転車のサドルには3センチほどの雪
が積もっている(ヘークション! ウー寒)。帰路を急がにゃあかんと焦
るのだが、ナント、いつもの道がない! 駅周辺は再開発でどんどん昔の
狭い道がなくなっていくのだ。再び3度アワワワだ。

「全国500万の農民の皆さん、全国150万の学生・労働者・同志諸君、我々
は国家権力の横暴を絶対に許さない。今ここに機動隊、空港公団職員に正
義の鉄槌を下す。三里塚、天浪団結小屋から革命のノロシを上げるのだ。
1971年9月16日午前6時、同志諸君、全員突撃せよ、前へ!」

あの頃はターザンのごとくアーアアーッ!と吠えるバカ、今はアワワワ、
アーウーアーウーと唸るバカ、歳をとったところで進化しない。祖先もそ
うで、子孫もそうだろう。さはされなれどもや、考えるところに意味があ
るんやないかいな。

考えるどころではなく、這う這うの体で帰宅し(ヘークション! ウー
寒)、暖房を利かした隔離室で老体を解凍、乾燥させてベッドに倒れ込ん
で昼寝。

夕食後もバタンQだったが、夜中にエアコンが変な音を立てて止まってし
まった。ウ? ナンナンヤ、どないになってんやろとカーテンを開けた
ら、そこは雪国だった。駒子はどこや、どころではない、屋上の5台の室
外機は雪だるま状態。「ヤバ! このままでは壊れる!」と箒やデッキブ
ラシをもって除雪へ。

雪は下の方が氷状態で、空気の通り道のパイプ(薄い放熱板がついている
もの、熱交換器)はほとんど詰まっているようだった。

どうにか払い除けたが、5台掃除したら手足は冷え切って、すっかりフ
リーズ、このまま凍死するのじゃないかと思うほど(ヘークション! 
ウー寒)。「八甲田山 死の彷徨」、辛かっただろうな。「薄幸ヂイサン
 死の咆哮」・・・最後の言葉は「せめて、せめて一口」お湯割り焼酎か
熱燗がいいなあ。

23日は早朝から家の前の道路の雪かき。ドイツ辺りでは自宅前の歩道の雪
かき(安全確保)は常識というか義務みたいなものらしい。滑って転んだ
人から損害賠償を請求されかねないのか。不作為はダメのようだ。小生が
除雪したラインはほとんど直線で、見ようによっては狂気じみている。こ
の作業療法で、手足は寒いが体はかなり汗ばんだ(ヘークション! ウー
寒)。

午後には晴れて、展望台2期工事。吹きっさらしの上に細かい作業は手袋
なしでやるからとても冷える(ヘークション! ウー寒)。

24日はPCの具合が悪くなったので、個人データを棄損しないやり方で初期
設定をしたが、メール機能が消えてしまって、どうすることも can not。

昔の契約書類を発掘してあれこれやってみたら27日あたりにはどうにか復
旧した。普段使わない脳ミソを酷使するからとても疲れた。PCをよく知っ
ている人がそばにいればいいのだが・・・「またですか? 覚えてくださ
いよ」なんて言われたりして。プロに来てもらうと出張料1万円、技術料2
万円、プラス部品代とかになるのだろう(ヘークション! ウー寒)。

27日からは4歳女児と6歳男児が風邪をひいたので預かったが、食事を作る
のはいいとしても、双六やおはじきの相手をさせられたのにはグッタリし
た。50年以上、やっていないから頭も体も疲れる。女児に「風邪の具合は
どう?」と聞くと「私はインフル!」と誇らしげに言う。インフルは風邪
より上位の病気だと思っているようだ。ハハハハ・・・(ヘークション!
 ウー寒)

28日はKの買った車がガレージの天井にぶつかりそうなので、床にタイヤ
の位置を白いペンキで塗った。日が差さないところだからとても冷える
(ヘークション! ウー寒)。ガレージに合わせて車を買えばいいもの
を・・・と思うのだが、Kは何でも、いつでも「だって欲しかったんだも
ん」。

夕食後に「あっ、そうだ、今日は退院1周年や!」と叫んだところ、K曰く
「山あり谷あり・・・違うな、山あり、また山ありやな」だと。病人を前
によー言うわ。

「そんなん言わんでもえーやろに、キッツイなあ。昔は可愛かったの
に・・・」なんて言うたらえらいこっちゃで。「こんな女にしたのは誰
よ! アンタやないか!」と倍返し、3倍返しや。わてはどないしたらえ
えんやろ。

子供の頃からヂヂイになるまでずーっとブルー、時々発狂。ああ、死ぬま
でブルー人、ブルージーンズ、ノーマ・ジーン(M.モンロー)。賢そうな
女の子ジーンは「モンロー」を演じ続けるのに耐えられなくなったのだろ
う。いい夫、いい父親を演じ続けることをしくじった小生の老い先はいか
に。Who knows? No one knows(ヘークション! ウー寒)。

30日は朝から鼻水、夕方から発熱、悪寒(ヘークション!ヘークション!
 ウー寒、ヤバ!)、早目に寝たが薬効むなしく21時に嘔吐感、下痢、筋
肉痛で目覚め、ベッドから下りたら頭から床に倒れてヒクヒク、まるでゴ
キブリた。音を聞きつけたKに介抱され、Nがクリエイトで求めたクラシエ
の漢方「腹痛 はきけのあるかぜに 柴胡桂枝湯(しこけいしとう)」を
飲んだらだいぶ改善した。まるで小生の病状に合わせたような薬だ。

「ツムラはん、ブランドに胡坐をかいていると座布団とられますで、庶民
はなあ、クラシエファンが増えていますんや、みずから変わらんと置いて
け堀になりまっせ」

ま、余計な一言、憎まれ口やろうが・・・

数日前に読者のrepkomさんから「シーチンさんの読者はたくさんいます
よ」とメールをいただき、「頂門」の常連、馬場伯明氏の新連載「病気自
慢と健康自慢」を教えてもらった。小生の文章も一種の病気自慢なのかも
しれない。「頂門」主宰者・渡部氏からもお褒めの言葉があった。もっと
もっと高い木に登りたいなあ、という気分にはなるね。わては登りつめて
キチ〇イの星になるんや・・・墜落したりして。

冬の多摩川にドボンでは探す人に迷惑がかかるのではないか。自裁なら上
はハラキリ、並は首吊り、下の下は「人を殺せば死刑になれると思って
やった、誰でもよかった」。好みはあるだろうがドボンは推奨できない
な・・・♪あなたならどうする 泣くの 歩くの 死んじゃうの・・・美
しく、かっこよく死ぬのは大変やで。

岸和田のだんじりは死傷者が多そうやが、死んでも皆が供養してくれるん
や、「壮絶やったなあ、奴はホンマの男や、一歩も引かんかった、大した
根性やで、さあ飲みまくって供養しよう」。ええ祭りや。

31日、今日も元気だ お酒がうまい→今日も元気だ お酒のむまい。憐れ
なヂイヂ、発狂亭“ジャーマンスープレックス”雀庵の病棟日記から(ヘー
クション! ウー寒、治りきらん、やっかいや)。

【2016/12/6】土曜日、快晴。

*今朝の産経によるとオーストリアの大統領選挙得票率は“極右”ホー
ファーが48%、アカのベレンが52%で“極右”の敗け。次回はホーファーが
勝つだろう。イタリアは改革派のレンツェが敗け、“極右”勢力が伸びた。

*IR(統合リゾート)法案が衆院通過するそうだが、遅すぎる。10年以上
もシンガポールに後れを取っている。無知な議員が多すぎる。旅行業界で
はIR=MICE(会議、招待旅行、展示会、見本市)振興は何十年も前から常
識だ。これを促進すれば世界中から人が集まる、カネが落ちるのだ。

旅行産業の売上は観光目的が70%、業務目的が30%なのだが、利益では完
全に逆転する。つまりMICEは美味しい市場であり、たとえば国際見本市に
参加する人々は少なくとも航空機はビジネスクラス、ホテルはファースト
クラスを利用し、高級レストランでお客さんと食事をする。

カジノとかギャンブルは「ゲーミング」と呼ばれ、IRの主役や脇役ではな
く、その他大勢の端役でしかない。パチンコは取扱高は多くても、90%は
客に還元しているから純粋な売り上げは少ない。カジノなども同様だろう。

今どき、ラスベガスを「カジノシティ」などと思っているのは中2レベル
どころか痴呆症だろう。日本の名物を「ゲイシャ、フジヤマ」と言われた
ら日本人は「なんやこの人、60年前からタイムスリップしたんかいな」と
思われるのと一緒だ。

現実を見る、そして判断するには、ある程度の知的好奇心とか問題意識が
必要だが、ほとんどの人は身の回りの「体感、実感」できること、つまり
形而下=モノ、コト、好みには関心を寄せるが、形而上=思索、思想、哲
学などに関心をもつのはせいぜい10%だろう。

幕末の武士階級は人口の7%で、当時来日した白人は「士と農工商はまる
で人種が違うようだ」と驚いている。維新=戊辰戦争に関わったのは全人
口の3%未満ではないか。

3%未満でも体制変換できるというのはすごいことだが、こうしたケース
は歴史を紐解けばゴロゴロしているのではないか。満州族はたった3万人
の軍で4億の漢族を制覇している。漢族は「誰が君臨統治しようがかまへ
ん、『上に政策あれば、下に対策あり』や」の民族だから、異民族支配に
あまり拒絶感はないようだ。支那4000年の歴史の中で漢族の王朝は漢・
宋・明の計600年でしかないという説もある。

(修一:若き毛沢東は「統一国家を造ると言っても言語も違うから、せめ
て南北には分けるべきだ」と書いている。漢族の定義も難しいから「漢族
の王朝」の定義も難しい)

清(大清帝国)は満州族が君臨したのだが、逆に漢族に感化されて同化さ
れてしまったようだ。漢族恐るべし。

(修一:アジアでは取引の際にリベート、キックバック、賄賂、袖の下は
当たり前のようだが、この風習、悪習を広めたのは華僑だという説があ
る。旅行業界ではその昔「添乗員を3年やって家が建たない奴はバカだ」
と言われていたが(女を売ってもカネになる)、やがて日本の旅行会社は
この手のカネを添乗員ではなく自社に入るようにした(その分、ツアー価
格は下がる)。以来、添乗員=年に海外添乗200日=年収360万円という貧
乏人になってしまった。

毛沢東曰く「(外交で必要なら)カネ、女、名誉・・・相手の欲しがるも
のは何でもくれてやれ」。ミニ中華の北は美女軍団まで用意している、
「油くれたらどの娘でも贈呈しまっせ、何人でもOKや」ということかもし
れない。

清朝末期に皇帝は高給でお雇い外国人を採用したが、シュリーマンによる
と、それまで1兆元の税関収入が4兆元に急増したという。つまりそれまで
は税収の4分の3が役人の懐に入っていたわけだ。外国人に漢族役人の10倍
の給料を払っても「安いものだ」とはなる)(つづく)2018/2/2

◆非常に広義にアメリカ人

前田 正晶

非常に広義にアメリカ人、それもビジネスの世界にいる者たちを定義すれば:



私はこれまでに何度も繰り返して、長年慣れ親しんだつもりでいる「アメ
リカのビジ
ネスマン人とは」を論じるというか分析して定義してきた。今回は言わば
その総集編
とでもしたいものを纏めてみた次第だ。以下は思いつくままに順序不同で
書き連ねて
みた。

(1)上意下達の世界で部下には命令忠実実行型を求める。この点は事業
本部長=
General managerに全ての権限が集中しており、人事権まで握っているこ
とを考えれ
ば解ってくると思う。



(2)謝罪の文化はなく、自ら我と我が身の非を認めるような思考体系の
持ち合わせ
がない。この点は我が国の文化との非常に大きな相違点である。謝らない
ことは屡々
傲慢であると見做されるのだ。即ち、“I am sorry.”という全面的に非を
認める表
現を使うことはなく、精々 “We regret 〜.”辺りが「自社の責任を認める
表現」の
限界であると思っていれば良いと思う。



(3)会社の意志と意向と政策に忠実で、そこを得意先に対してほぼ絶対
的に認めさ
せる努力する。即ち、得意先の意向や反論を会社側に伝えて方針変更を進
言したりす
ることは回避することが評価される。この辺りは(1)とやや重複する
が、我が国の
企業社会の文化と思考体系ではあり得ないことだ。


(4)自社と自社製品に対して絶対(あるいは過度の)の信頼と自信を
持っており、
平気で得意先に向かって“It’s a mistake, if you don’t buy our world’s
greatest product.”のようなことを躊躇わずに言える感覚を持つ。即ち、
先手必勝
的に自社にとって最も有利に運ぶような売り込みをかける。その裏にある
ことが「謙
り」の精神がないということでもある。この手法は屡々我が国では高飛車
だと解釈さ
れる。敢えて彼らの為に弁護しておけば、彼らは高圧的でもなければ高飛
車に出てい
るつもりはないのだ。私は純粋に文化と思考体系の違いと捉えてきた。



(5)論争と対立を怖れないのも、彼らの際だった特徴であると思う。怖
れないから
こそ「これを言うことで失うものはない」といった、我々から見れば強硬
な姿勢で交
渉に臨んでくることが多い。その背景には学校教育で debateの仕方を教
えられてい
ることがあると思う。このような彼らの態度に臆してはならないのだが、
そういう態
度に出ることは我々には難しいかと危惧する。


(6)会社の組織の中では何事にもというか、圧倒的に物事は「個人単
位」出来上
がっているので、集団で行動するという精神は極めて希薄である。個人が
主体である
から、毎朝全員が同じ時間までに出勤して(遅刻せずに)一斉に仕事を始
めようなど
といった考え方はない。



(7)妥協という二文字は彼らの辞書にはない。故に落としどころを探る
ような交渉
術は採らず、勝つか負けるかの二者択一的な姿勢で交渉していく。第一
に、上司から
顧客と妥協してきて良いと、予め許可を得て話し合いに臨んでくることな
どない世界
に住む人種だ。



しかしながら、賢明な者たちは玉砕戦法を採ることなく“alternative”と
いうか代
替案乃至は“contingency plan”とでも言うべき安全弁を用意して臨んでい
く。何れ
にせよ、飽くまでも「デイール」が成り立つか成り立たないかだけを目指
してくる。


(8)国際感覚は我が国ほど鋭くないし、必ずしも外国人との交渉事に馴
れていない
と思っていてそれほど誤りではない。その辺りは州単位で物事を考えてい
る傾向があ
ることも看過できないと思う。言うなれば「アメリカ合衆国」とは訳され
ているが、
United States of Americaで、州の集合体であることを考えれば、納得で
きるのでは
ないか。



といった辺りになると思う。



要点は上記の(1)から(8)までを我々というか、我が国のビジネスマン
たちの在り
方と比較してみれば、我が国とアメリカの企業社会における文化の違いが
浮き彫りに
なってくるということだ。



ここまで述べてきてふと考えたのだが、トランプ大統領という人物は多か
れ少なかれ
上記の各項目に当てはまるところがありはしないかという点だった。如何
なものだろ
うか。






2018年02月02日

◆トランプの一般教書演説

前田 正晶


トランプ大統領のThe State of the Union Address (Message):

この見出しを噂の「広辞苑」で見ると「米国大統領が念頭に議会に送る
メッセージ。内政・外交全般にわたって情勢を分析し、政策について具体
的な勧告を行う」とある。なるほどその通りで、トランプ大統領にとって
は初めてのことだったが、彼の独自色が些か希薄だという印象があった
が、そういう趣旨のものだと思って素直に報道を聞いていた。ある意味で
は解りやすい内容だと感じた。

いきなり英語論だが、どうしてこの英語表記が「一般教書」乃至は「年頭
教書」になるかと不思議に思っていた。だが、何かに解説してあったとこ
ろでは stateは「状況を示す」のであって、United Statesの stateでは
ないらしい。

何れにせよ、こういう訳をする方は素晴らしいのか、何かに気を遣ってお
られているのかと何時も感心している。私はこの種の最悪の傑作が
United Nationsを「国際連合」だと思っている。

さて、トランプ大統領の演説である。スピーチライターの手になるものだ
と思って聞いていたが、プロンプターが何処にあるのか解らないような画
面で、大統領がそれを読んておられる気配は余り見えなかったが、よく見
ると視線はほとんど下か斜め下に向いているようだった。言葉遣いは流石
に日頃の天衣無縫というか38%とか言われているプーアホワイト如何に向
けた語り口とは違って、大統領らしいものだと聞こえた。

意外だったのは強調したいだろうところでも、声を張り上げることがほと
んどなく、ここぞと思われただろうと着に上を向いて「どうだ」という表
情で反応とスタンディング・オベーションを待っておられただけだった点だ。

産経には重要な諸項目に関しては原文との対訳が載っていたが、表現の仕
方は穏やかな英文だと思って読んだ。その全体の内容の印象は専門家にお
任せするが、基調は飽くまでも「アメリカファースト」と「アメリカを再
び偉大に」で貫かれており、これまでの諸政権との施策とは異なる点を明
言した辺りは如何にもトランプ氏らしさが出ていて印象的だった。

余計なお世話かも知れないが、私はトランプ氏が Make America Great
Againを唱えられた時に「それを言うと、そのコインの裏側では現在のア
メリカは偉大ではなくなっていることになる」と皮肉ったのだ。だが、果
たして現在のアメリカは好景気に沸き、株価が上昇の一途で、失業率も著
しく低下して、「偉大なる方向」に進んでいる。

そういう状態にあればこそ There has never been a better time start
living the American dream. などと言われたのだと思って聞いていた。
さらには The eraof economic surrender is totally over. From now
on, we expect tradingrelationships to be fair, andveryimportantly
reciprocal. という件もNAFTAやFTA等に関する「決意の表明」として印象
的だった。

DPRKの脅威に対するところにかなり長時間を費やされたのも、さもありな
んと思って聞いた(「読んだ」と言うべきかな)。あれほど協調されてい
た不法移民問題でもDACAの緩和(なのだろう)に触れておられた辺りは民
主党に対する配慮か譲歩かなとも聞こえた。

純粋に個人的な感想を言えば「矢張り、11月の中間選挙をかなり意識され
ていたようだとの印象が濃厚だった。日頃からこの演説のような大統領ら
しい品格を備えた英語で(Twitterのような俗受けを狙わずに)語ってお
られれば、より尊敬できる大統領になっておられたのかも知れないな」と
いう辺りになる。