平井 修一
■11月2日(月)、朝は室温17度、雨、氷雨のよう、風も結構強く、ちょっと冷える。散歩不可で、何となく犬も小生もホッとしている感じ。のんびりと朝食。たまにはいいものだが、だんだんと寒くなってきた。今季初めて暖房をつけた。
昨日「俺が倒れたらデスクトップの一番左上に“ヂイヂの願い”を書いておくから、そのようにしてくれ」とNに言っておいた。内容はこうだ。
<・入院不要。必要なら在宅診療で。痛みがあるようだったら痛み止めを。
・治療、延命、チューブは不要。水だけで結構。十分に喜怒哀楽を堪能し、やるべきことはしたから未練はない。あの世で父母に、やり残した孝行をしたい。父には小生は過酷過ぎた。償いたい。
・カミサンがすべて相続すること。資産は分割すると価値が毀損される。一人が相続して家を守ること。カミサン亡き後もそうすること。家の面倒を見た者がすべてを相続すること。手続きは武田高雄税理士に相談すること(彼は友人の司法書士と連携して上手くやってくれる)。
・葬儀は子・孫だけで自宅でひっそりと「お別れ会」(宅配の寿司やピザでいいだろう)。諸手続きは葬儀屋(阿部葬儀社とかJAあたり)に依頼。寺には後日報告し、四十九日の納骨の時に戒名代を含めて50万円を納めこと。戒名は「反共熱戦厨房信士」あたりでいいだろう。
・小生について聞かれたら「世界漫遊中、変わっている人ですから。先週はブラジルからベネズエラに渡ったとメールが来ました」と言ってくれ。あの世のことも取材して報告したい。
・一周忌は「壮行会」。ケータリング会社にキッチンは任せて、どんちゃん騒ぎをすること。カラオケで小生を楽しませてくれ。
以上、ヨロタム(宜しく頼む)。2015/11/2>
氷雨・・・欧州は冬になってきた。メルケルは冬将軍だ。“メルケル禍”と後世の人は呼ぶだろう。「7万人もの難民が押し寄せた176人の村の現実」(ナショナルジオグラフィック11/2)から。
<*スロベニアの小さな村の様子は突如として一変した
スロベニアのリゴンツェは、クロアチアとの国境に接する人口わずか176人ののどかな村だ。村人の多くはカトリック教徒で、農作業に精を出し、近所の人に行き合えば温かく挨拶する。先週、そんな村の様子が一変した。
牛や鶏の鳴き声やトラクターで畑を耕す音は、一夜にして、戦車の走行音、拡声器でアラビア語の指示をがなり立てる音、いつまでも続くヘリコプターのプロペラ音に取って代わられた。
ドイツやオーストリアをめざす何千もの人々が、クロアチアとスロベニアを結ぶ橋を渡ってリゴンツェ村に入ってきたのだ。その多くは、シリア、アフガニスタン、イラクの戦争や内乱を逃れてきた難民だ。彼らは、船や列車や徒歩で数カ月も旅をしてここまで来た。
彼らは、すでにセルビアとハンガリーの国境を先に通過した難民たちの後を追って数週間後に故郷を出たが、ハンガリーがセルビアとの国境を封鎖したため、進路を変更してリゴンツェ村にやって来たのだ。村当局の見積もりによると、これまでに7万人以上の難民や移民が村を通過したという。
「ひどい災難です」と村人ヤニャ・フリバルさん(19歳)は嘆く。「うちの牛は逃げてしまいました」
リゴンツェに押し寄せた難民や移民たちは、当初、村のメインストリートを歩いていた。メインストリートとは言っても、車2台がやっとすれ違える程度の幅しかない、埃っぽい田舎道だ。道の両側には20軒ほどの家があり、数カ所の小さな庭ではレタスやキャベツを育てている。
移民たちは道を歩きながらごみを捨てていくため、「スロベニアで最も美しい村」コンテストの常連だったこの村の道端に、ペットボトルや丸めた紙や毛布やコートが散乱するようになってしまった。
移民の行列は村人たちを圧倒した。村人の多くは何世代も前からこの村に住んでいる。彼らは家の外に出て、フェンスの向こうの信じられない光景をじっと見ていた。
村人のブランコ・プロセルツさんは、「リゴンツェは国境に位置していますが、何の問題もない、のどかな村でした」と言う。「車にもトラクターにも家にも、鍵をかける必要などありませんでした」
移民たちは今、柵と暴動鎮圧用装備を身につけた警察官に囲まれて野原で待機している。指示が出たら、牧草地の中を突っ切り、家々の裏の道を通って、バスが来ているところまで歩いてゆく。バスに乗り込んだら近隣の街にあるキャンプに運ばれ、そこでまたオーストリアやドイツのキャンプに空きが出るのを待つのだ。
多くの村人が、移民を親切に迎え入れようとした。「彼らは穏やかな顔をしています。小さな子どものいる家族は、本当に気の毒だと思います」とプロセルツさんは言う。彼は村当局と協力して、野原で待機する人々にきれいな水を供給するため、1日に数回、村の消火栓から引いた水をタンクに入れるように手配した。
とはいえ、移民たちはいつも穏やかに過ごしているわけではなく、喧嘩をする若者たちもいた。
「どなり声は人々を不安にします。小さな子どものいる家庭は、この人たちを怖がっています」
冷たくじめじめした地面に座る移民や難民は、毛布をかぶって縮こまっている。夜になると野原の気温は氷点下まで下がるため、彼らは暖を取ろうとしてごみやプラスチックを燃やす。このことが、一部の村人の眉をひそめさせている。
移民たちが集められている野原に隣接する家に息子一家と暮らしているスタンコ・ブチャニクさん(63歳)は、「あの煙のせいでひどい咳が出て、薬をもらいに行かなければなりませんでした。彼らにプラスチックではなく木を燃やすようにさせる手立てはあるはずです」と訴える。
一部の村人は、トウモロコシや小麦がだめになったり汚染されたりするのを心配して、予定より早く収穫するつもりだと言っている。
退役軍人のアルビン・ユルカスさん(64歳)は、移民に対する苛立ちを隠さない。「私たちは農民です。この小さな村で、大地の恵みによって暮らしています。移民の中には病人がいて、この土地にはない病気を持ち込んでいます。彼らがこの地にとどまるかぎり、私たちは病気もごみもなくせないでしょう」
国際移住機関(IOM)によると、2015年に入ってから、すでに70万人以上の難民や移民がヨーロッパに流入しているという。10月25日には、スロベニア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、ギリシャ、アルバニア、マケドニア、ブルガリア、ルーマニア、オーストリア、そしてドイツの首脳が国連難民高等弁務官事務所やEU高官とブリュッセルで会合を開き、移民の流入を効果的に管理する方法について話し合った。
「私たちは腹を立ててはいません。どこの国の人でも気にしません」とプロセルツさんは言う。「彼らがこの国にとどまるのか、通り過ぎるだけなのかは分かりませんが」
それは、リゴンツェ村の住民の多くが、故郷を追われる辛さを知っているからだ。高齢の村人の中には、第二次世界大戦中に村がナチス・ドイツに占領された際に、ドイツの強制労働キャンプに送られた人もいる。プロセルツさんの父親もその1人だ。
家政婦をしているアナ・ペトリッチさん(57歳)のように、移民に救いの手を差し伸べる人もいる。彼女は、炊き出しを行っているNGOに自分の牧草地を提供している。
アンカ・ブチャニクさん(32歳)は、移民の子どもたちに暖かい衣服を提供した。5歳になる彼女の息子は、水を供給するタンクが設置されるまで、11リットルの水を野原に運んだという。また、移民の流入が始まった当初は、学校の送迎バスが道を通れなくなり、子どもたちは通学できなかったそうだ。
リゴンツェの村人の多くは移民に敵意を持っていない。だが、彼らを村に送り込んできたクロアチアには怒りを感じている。
ユルカスさんは、「スロベニアとクロアチアの間には何の合意もなく、連絡さえないのです」と言う。「クロアチアは大勢の移民を送り込んできますが、私たちは受け入れの準備ができていません。彼らがやって来るなんて誰も教えてくれなかったので、本当に驚きました」
最初の数日間は、数千人の移民が列車から降ろされて、どこをめざすべきかも分からないまま徒歩で国境を越えてきた。道案内をする人が誰もいなかったので、橋を見つけられずに川の中を歩いてきた人もいた。
「私が知るかぎり、こんなにたくさんの人がリゴンツェ村を通ることはありませんでしたし、これからもないでしょう」とユルカスさんは言う。
「早く元どおりになるとよいのですが、今のところは、終わりがないような気がします」
スロベニアの大統領と外務大臣はリゴンツェ村の国境沿いにフェンスを立てる可能性に言及しているが、村人の多くは、それでは問題は解決しないと考えている。一部の村人は、ギリシャとトルコの間の国境を封鎖するべきだと主張している。移民や難民がオーストリアやドイツに早くたどり着けるように、ヨーロッパ内を安全に移動できるようにするべきだと主張する人もいる。
けれども、ドイツがアフガニスタンからの移民の送還を始めるという報道については、全員が不安を感じている。
「ドイツとオーストリアが国境を封鎖してしまったら、私たちはこれだけの数の移民を支えることができません」とプロセルツさんは言う。「彼らがここにとどまる場合、どうやって共存していけばよいのか、とても心配です」
何よりも心配なのはヨーロッパの未来だ。
ペトリッチさんは言う。「移民の数があまりにも多いので、彼らを迎え入れる国々の平和が破られるのではないかと不安です。このことがきっかけで、将来、ヨーロッパによくないことが起こるかもしれません。とにかく数が多すぎるのです」>(以上)
昔ヒトラー、今メルケル。900年前に欧州は十字軍でイスラム教国を叩き始め、そして今、欧州はメルケルの手引きでイスラム教徒の“逆十字軍”に攻め立てられている。ギリシャ危機は所詮はゼニカネの問題、皮膚病だったが、難民危機は心臓病だ。欧州は緩やかに没落するだろう。遺言書を用意しておくことだ。「リベラルは亡国を招く、騙されるな」と。
国家独占資本主義の中露も心臓病の他にすべての成人病を抱えているから自滅を免れない。いずれは日米が世界を支えることになるのだろうが、日本にとっては重荷だ。天命なのだろうか。大東亜(TPP)共栄圏という経済基盤がないと難しいかもしれない。
中韓14億人の面倒を見るなんて・・・世界中の華人のチームワークでどうにかしてほしいなあと思うが、火中の栗を拾うのは結局、日本だったりして・・・呆然とするわな。
■11月3日(火)、明治天皇のお誕生日の明治節。占領憲法公布の日でもある。占領憲法は文化か。バカバカしい。早く「棄憲」するがいい。
「占領下で押しつけられたものだから一片の正当性もない。直ちに廃棄する。日本の名誉の問題だ。向こう3年間は暫定憲法で対処し、新憲法は国会で定める」と宣言すれば、フィリピンなどあちこちの国の憲法をコピペした占領憲法はお仕舞になる。
そもそも改憲できないようになっているのだから、占領憲法に則って改憲するなんてできっこない。針の穴に電柱を通すようなものだ。
「棄憲」は安倍氏の決断次第だ。戦後にピリオドを打って日本は再生する。英霊も喜ばれるだろう。
朝は室温16.5度、快晴、ちょっと足を延ばして2/3散歩だが、犬は楽しそうではない。体力的にきついのかもしれない。
小生らを追い抜いて行ったジョギングの女性は滑るように走っていたが、無駄な動きがまったくない。10キロ走っても疲労感がないのじゃないか。彼女は学習しているのだ。古武術走法の「ナンバ走り」に似ているかもしれない。
余計な体力を使わずにさっさと「棄憲」を宣言する。公序良俗に反する憲法は廃棄して当然だ。古い上着よさようなら。新憲法は憲法特別委員会で3年間審議する。日本らしい憲法をつくる。前文は中曽根案がいい。
「憲法改正の歌」1956年 中曽根康弘作詞
一
鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に 占領憲法強制し
祖国の解体計りたり 時は終戦6ヶ月
二
占領軍は命令す 若(も)しこの憲法用いずば
天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は
国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり
三
10年の時は永くして 自由は今や還りたり
我が憲法を打ち立てて 国の礎(いしずえ)築くべき
歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり
四
国を愛す真心を 自らたてて守るべき
自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき
原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや
五
この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり
マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓(ひら)く者 興国の意気挙(あ)げなばや
同志諸君、英霊とともに「棄憲」の声を上げ、新憲法を作ろう、中曽根氏が生きているうちに! 今97歳、100歳のお祝いに新憲法を贈ろう。
■11月4日(水)、朝は室温17.5度、快晴、ハーフ散歩。
ロイター11/2「南シナ海で高まる中国のプレゼンス、米軍を“量”で凌駕」から。
<米国は、海軍のミサイル駆逐艦を南シナ海で中国が造成した人工島付近に派遣したが、それは中国の艦隊が周囲で監視・追跡する中で行われた。
米海軍は今後も長い間、アジアで技術的優位を維持すると思われるが、それに対し中国は数で勝負していると言えるかもしれない。南シナ海では、多くの中国の海軍艦艇や巡視船が定期的に配備されている。
アジアや米国の海軍当局者は、中国が領有権を主張する、南シナ海の約90%が対象となる「九段線」の周縁部でさえ、中国船との遭遇が頻繁に起きていると語る。以前は、そのような遭遇は比較的まれだったという。
米ミサイル駆逐艦「ラッセン」が(10月)26日に派遣され、南沙(英語名スプラトリー)諸島の渚碧(同スビ)礁から12カイリ内を航行したのと同じような「航行の自由」作戦を定期的に行うと米当局者らが明らかにしたのを受け、そのような遭遇は増える一方となるだろう。
「彼ら(中国の海軍と巡視船)はどこにでもいる。そして、自分たちの存在を示したがっている。南シナ海にいたら、追跡されていると考えた方がいい」と、アジアにいる米海軍将校は匿名で語った。
実戦では米国の技術的優位が決定的となるだろうが、中国の数的優位は、とりわけ海上で対峙した場合は考慮に入れるべき事柄だと、安全保障の専門家らは指摘する。
米国防総省が4月に発表した調査によると、南シナ海に配備されている中国の艦隊は、同国が保有する3艦隊のうち最大となる116隻で構成されている。
同調査はまた、中国が500トン型以上の巡視船200隻以上を保有しており、その多くが1000トン型以上だとしている。同国の巡視船隊だけで、他のアジア諸国の合計数をしのぐという。
一方、日本の横須賀を拠点とし、原子力空母ロナルド・レーガンが所属する米海軍の第7艦隊は55隻で構成され、西太平洋とインド洋の大半を管轄下に置く。
「中国には地元の利がある」と、オーストラリアの元海軍将校で、ラジャラトナム国際研究院(シンガポール)のアドバイザーを務めるサム・ベイトマン氏は指摘。侵入者とみなされる相手と対峙する場合など「いくつかの状況では、質よりも量が重要となり得る」と語った。
ベイトマン氏や他の同地域の安全保障専門家らは、航行の自由を掲げて哨戒活動を行う米艦船は今後、それを阻止しようとする中国の艦船に包囲されることになる可能性を指摘する。
中国国営メディアの報道によると、一部の中国人専門家は、中国が米艦船を阻止するための作戦を行うと警告している。
行動基準によって、米国の艦船は攻撃の口火を切ったり、事態をエスカレートさせたりすることには消極的となり、撤退を余儀なくさせられる可能性があると、ベイトマン氏は述べた。
米海軍はコメントを差し控えている。
だが、メイバス米海軍長官は近年、艦船数増加を優先事項としており、多くの場で「量は質を兼ねる」と語っている>(以上)
中共は、日本近海を荒らしまくったサンゴ漁船(海上民兵)のように大量の船団で米艦船を包囲し、スクリューなどにワイヤをからませて立ち往生させるなどのグレーゾーン攻撃を仕掛けるかもしれない。
そうならないように日豪や周辺国を含めた船団でパトロールすべきだ。
<2009年3月8日に海南島沖約120kmの海域で、中国人民解放軍海軍の調査船5隻が「インペッカブル」(米海軍の音響測定艦)を包囲し進路妨害をした。これに対し「インペッカブル」は接近してきた中国船に対し放水、対する中国船2隻も前方に進出し、結果「インペッカブル」は緊急停止した。
この事件発生前の3月4日から中国側は「自国管轄海域」であると警告し、
「インペッカブル」に強力な照明を当てるなどしていた>(ウィキ)
この際に中国船はインペッカブルの進路上に木材を投下するなどして進路妨害をしたという。海上民兵は日本の巡視船に体当たり攻撃をしたが、グレーゾーン攻撃は中共の得意技だ。海賊行為として攻撃すべきだろう。共産主義者への遠慮は大災厄を招く。ひたすら叩くべし。
「いい人はいいね」、いい人を装ったメルケルはドイツ、そして欧州を破滅させる。叩くべし。遠慮するとこちらが殺される。習大大(習おじさん)こと習近平は14億人を地獄へ導こうとしている。叩き潰さないと支那は大混乱になる。ためらいなく排除すべし。
ハンガリー、オーストリア、ポーランドはメルケルにNOを突きつけた。日米、越比は習にNOを突きつけた。アカを殲滅する秋である。イザ!
(2015/11/4)