2015年10月28日

◆信用失墜は一瞬

鹿間 孝一



鉄血宰相と呼ばれたビスマルク(1815〜98年)の有名な言葉がある。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

補足すると、元の発言はこうだ。「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」

■信用失墜は一瞬で

旭化成の子会社の旭化成建材によるくい打ち工事のデータ改竄(かいざん)が大きな社会問題になっている。

強固な地盤にまで杭が届いていなかった横浜市内のマンションが傾いた。旭化成建材が過去約10年に請け負ったくい打ち工事は全国で約3千件あり、うち41件はデータを改竄した現場管理者が関わっていた。

さらにデータ改竄が明らかになり、建て替え、改修の費用を負担するとなると、親会社まで傾きかねない。

 「当社の歴史上、未曽有の事件であり、光輝ある歴史にぬぐうべからざる一大汚点を残した。この影響するところ極めて大であり、まさに当社に与えられた一大警鐘である」

これは旭化成のトップの言葉ではない。

昭和30年に東京都内の小学校で、給食に出された雪印乳業(当時)の脱脂粉乳で集団食中毒が起きた。製造した工場の全従業員を集めて社長が訓示した。話すうち、いつしか涙声になった。

「信用を獲得するには長い年月を要し、これを失墜するのは一瞬である。そして信用は金銭では買うことができない」

訓示が終わると、一人の社員が進み出て土下座した。工場の製造課長だった。社長は泣きじゃくる課長に言った。

 「これからが大事なんだよ」

その雪印が45年後の平成12年、関西を中心に被害者1万人以上という食中毒事件を起こしたのは記憶に新しい。

さらには関連会社の雪印食品がBSE(牛海綿状脳症)対策として実施された国産牛肉買い取り制度を悪用し、外国産輸入肉を国産と偽って国に買い取らせようとしたことが明るみに出て、会社は解散した。

自社の経験すら生かされていなかった。

■続く「愚者」の列

雪印ばかりを取り上げるのは気の毒だから、他の事例も挙げよう。

大阪の高級料亭「船場吉兆」が消費期限・賞味期限切れの菓子や総菜を販売、さらに食材の産地偽装や客の食べ残しを使い回して提供していたことまでわかり、廃業に追い込まれた。謝罪会見で女将(おかみ)が息子に答え方をささやく姿が話題になった。

地方の銘菓として知られる「赤福」や「白い恋人」の賞味期限改竄などもあった。大阪のホテルや百貨店などで食材の偽装表示が騒がれたのは2年前である。

防振ゴム製品の性能データの改竄を発表した東洋ゴム工業は、今年6月に免震装置ゴムのデータ改竄で社長らが引責辞任したばかりだった。

業種は異なるが、なぜ似たような改竄、偽装が相次ぐのか。黙っていればわからないと思っているのだろうか。

企業の不祥事が発覚する度にデジャビュ(既視感)にとらわれる。歴史に学んでいないと言わざるをえない。

■頭を下げるだけでは

いずれも自社の業績のみにとらわれ、企業の社会的責任を自覚していない。つまりは内向きなのである。そして危機管理の要諦を理解していない。

もとより法令違反は論外だが、普段から情報が、それも悪い情報が現場からトップに上がってくる社内体制を構築しておくことが必要である。

不祥事が起きた場合は、迅速に情報を集め、想定されるリスクを分析する。このとき、トップは「事実を隠蔽(いんぺい)しない」「ウソをつかない」「責任を転嫁しない」と腹をくくり、ことさらに損失を小さく見積もってはいけない。

不祥事がなぜ起きたか原因を究明し、再発防止策を立て、事実を公表する。関係者の処分は、事案によってはトップ自らに波及することを覚悟すべきである。

こうした対応が遅くなるほど事態が悪化するのは言うまでもない。また、内部調査には限界があり、甘くなりがちである。第三者の視点が必須だ。

記者会見を見ると、頭の下げ方はうまくなったと思う。それだけなのが情けない。
(しかま こういち・論説委員)

産経ニュース【日曜に書く】2015.10.25   
            (採録:松本市 久保田 康文)

◆6〜7世紀「木津川流域」

白井 繁夫



『古事記.日本書紀』の古墳時代に登場した物語:「武埴安彦の反乱、忍熊王の謀反」という2度にわたる「木津川流域の戦い」に大和政権が勝利した結果、「木津」は大和盆地からの北の出入口となり、大和政権の拡大した支配領域の重要な結節点にもなったのです。

6世紀に入ると、大和政権は仁徳系の王統を継承する皇子(25代武烈天皇後の皇子)が絶えかける状況になり、大伴金村大連(おおともかねむらのおおむらじ)が、近江の息長(おきなが)氏の系統:応神天皇五世の孫:男大迹王(おほどのみこ)の擁立をはかります。


大和、河内の一部の「男大迹王」を快く思わない勢力が丹波の別の王を推すのに対して、前述の2度の戦いで敗れた樟葉、綴喜の子孫や、近江の息長氏、母方(越前三国の振媛)や木津川流域の人々の強い支援もあり、更に前王統の手白香皇女(たしらかのひめみこ:仁賢天皇の皇女)と結ばれ、「男大迹王」は河内北部の楠葉宮で即位し、「継体天皇」になりました。

しかし、大和への入国を阻止しようとする反対勢力により、即位5年後、山背(やましろ)の筒城宮(つつき:京田辺市普賢寺)に遷都し、さらに、7年後の12月3日に弟国宮(おとくに:乙訓:長岡京市今里)へ遷都しました。

「継体天皇」が大和(磐余玉穂宮:いわれたまほのみや:桜井市池之内)に入り名実ともに大王となるのには、楠葉宮を出てから20年の歳月を要しました。

この間、近江、越前、尾張などをはじめ木津川、淀川水系の諸豪族(息長、和珥、茨田氏:まんだ)の地道な支援と、前王統の皇女との婚姻などで、継体政権は安定したのです。
(日本書紀は継体の直系の子孫:天武天皇によって編纂されており、古事記の記述と異なるところもあります。)

「木津川流域」は「継体天皇」以降の大和にとっては更に重要度が増し、海外からの渡来人も木津川市内に多く住むようになりました。

6世紀半ばを過ぎると、朝鮮半島の戦乱をさけて北九州の筑紫に到着した人達も、高麗人(こまひと)も上狛(かみこま).下狛(しもこま)など木津川地域に定着しだしました。(南部2郡:相楽、綴喜は「高麗(狛)氏」、山城北部:京都盆地は「秦氏」が集中していました。)

朝鮮半島の百済と倭国は非常に親密な関係であり、欽明天皇13年には百済の聖明王から仏像や経論が贈られ、文字や土木技術も伝えられました。

欽明天皇31年(570年)に、国交を開く目的で来日した高句麗使の一行の船が難破して北陸沿岸に漂着したのを、現地の道君(みちのきみ)が隠していると奏上あり、天皇は山城国相楽郡に館を建て、使者を安置するよう命じました。

「木津川の港」(泉津)、木津の相楽神社近隣に外交館舎「相楽館:さがらかのむろつみ」を建てて、一行を出迎えました。しかし、上表文と献物を差し出せないうちに、天皇が病死していまい、使者はいたずらに滞在が長引いていました。
(相楽館は高楲こまひ館とも呼ばれたことから木津川北岸の上狛との説もありますが外交館舎は後の難波館同様港の近く相楽:サガナカに在ったと思われます。)

次に即位した敏達天皇は、長く使者が逗留していることを知り、大いに憐れみ、即刻臣下を派遣して上表文などを受け取らせて、(572年5月)帰国の途に就かせました。
(大和朝廷は百済との外交が基本であり、物部氏らは高句麗との新しい外交に反対していました。政界のニュウリーダー大臣蘇我馬子の決断によったと云われています。)

任務を終えて帰国途中の一行は、蘇我氏に反対する者たちによって、暗殺されてしまったと云われています。当時の日本の一部には、大陸から伝来した仏教文化を受け入れずに神道をもって国教とすべきという信念を抱く反対勢力があったのです。

6世紀後半以降、外交使節は大和川を遡上しその支流なども利用して大和盆地の南部にある「宮」へ行く水運利用や、難波から大和にむけて敷設された陸路も利用していました。
しかし、木材や石材などの物資輸送に関する「木津川の重要度」にはなんの変化もありません。

朝鮮半島では3世紀(220年)、後漢の滅亡により、中国の影響から離れて、3国時代に入り、それぞれの国は発展し、文化的にも儒教から仏教に変化し、百済は4世紀が最も栄えていたと云われています。高句麗も鴨緑江から満州へ領土を徐々に拡大して行きました。

6世紀末から7世紀にかけて、朝鮮半島が再び、中国の隋、唐の侵略戦争の被害を受けていた時代、倭国では蘇我氏が皇族との婚姻を結び、絶大な勢力を得ることにより、大伴、物部の各氏を廃絶し、無力化してしまいました。

蘇我馬子は592年11月には東漢駒(やまとのあやのこま)に命じて、崇峻天皇をも弑逆(しいぎゃく:臣下が君主を暗殺)しましたが、(根回しの効果か?)、他豪族からのクレームもでなかったと云われています。

30代敏達天皇の皇后(33代推古天皇)は蘇我馬子に請われ即位しました。日本史上、初の女帝が誕生したのです。(593年)推古天皇は甥の厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子)を皇太子として政治を補佐させました。

7世紀に入ると、大化の改新、壬申の乱、白村江の戦いなど木津川流域にもまた動乱があり、大津京、飛鳥京から藤原京へと移り行くのです。

参考資料: 木津町史  本文篇  木津町

2015年10月27日

◆ロシアのシリア介入、新局面に突入

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015 )10 月26日(月曜日)弐 通算第4700号> 

 
〜ロシアのシリア介入、新しい局面に突入
  「第三次世界大戦」に繋がりかねないサウジ、カタール、トルコの参戦〜

 
ロシアは4000名と推定される軍隊をシリアに派遣し、空爆を展開しつつ、アレッポ奪回へ動いている。

 西側記者団をロシア軍基地に招待した映像をみたが、長期戦にそなえるため兵舎、娯楽施設に図書室なども持ち込んでいる。すでにロシア側の発表によれば、アレッポの五つの街を奪回したうえ、トルコからの兵站ルートを絶った。

 10月20日にシリアのアサド大統領が突如モスクワを訪問し、具体策をプーチン大統領との間で協議したが、ロシアは長期戦に構える姿勢を見せた。

 他方、ロシアのプロパガンダは色彩が変わった。

 第一に「カタール、サウジアラビア、そしてトルコがシリアに本格介入すれば、第三次世界大戦へ繋がる」という警告をはじめた。 サウジとカタールは当初、ISへテコ入れしてきたが、直近では反政府武装組織へ武器を供給し、またトルコはその兵站ルートを確保する補助的な作戦を展開してきたとされる。ロシアは、これを牽制しているのである。

 第二にシリアを守護する論理として、「シリアはキリスト圏であり、もし、シリアが破綻すれば中東のキリスト教の橋頭堡である場所がイスラム過激派に侵されてしまう」という論法を用い始めたことである。 シリアの現状からは目を離せなくなった。

◆ベンガジ事件とヒラリー

Andy Chang

10月22日、ベンガジ事件の解明のため国会の調査委員会がヒラリークリントンを喚問した。ヒラリーは当時の国務長官で事件の主役である。アメリカの大使を含む4人がテロ攻撃で死亡した事件で、真相を追及する共和党側に対し、民主党側は公聴会はヒラリー追い落としのためと主張し、メディアもヒラリー擁護に回っている。

ベンガジ事件とは大使を含む4人のアメリカ人がリビアのベンガジテロ攻撃に逢って死亡した事件である。2012年9月11日、アメリカのスティーブン(Chris Stevens)駐リビア大使が護衛二人を連れてリビアの首都トリポリから危険なベンガジ市に赴き、テロ攻撃で死亡した事件である。攻撃は前後13時間に及んだがヒラリー、国防部、CIAなどは救援隊を派遣しなかった。ヒラリーは直ちにこれがテロ攻撃でなく反イスラムのビデオに抗議した暴動と発表した。

疑問はたくさんある。

(1)英国が領事館を撤退した危険地域になぜ護衛もつけず、大使を派遣したのか。

(2)ベンガジに行った目的は何か。ヒラリーはスティーブン大使が状況調査のため「個人の意思」で行ったと責任逃れをした。

(3)なぜ13時間の攻撃で救援隊を出さなかったのか。ヒラリーは国防部やCIAがやることで国務省の責任ではないと言った。

(4)「イスラム批判のビデオ」に抗議暴動とウソの発表をしたのはなぜか。ヒラリーはビデオ説が正しい説明と言い張った。

(5)ビデオ説が嘘とわかった今もヒラリーやオバマが嘘を言い続ける理由はなぜか。ヒラリーはビデオ説にこだわり説明はなかった。

11時間に及ぶ公聴会のあと、民主党側は「共和党はヒラリーを攻撃した」、「ヒラリーは勝った、全ての質問に答えた」、「ヒラリーの当選は確実となった」などと発表した。

私が11時間かけてテレビで見た印象では、ヒラリーは嘘を繰り返し真相を喋っていない。後述するように真相は早耳の宮崎正弘氏が述べたところにあるが、真相が明るみに出るかどうかはわからない。最後の「私の憶測」で説明するように真相はベンガジで大使が殺害
された事実よりもっと大きい。

●ヒラリーのベンガジ公聴会で判明したこと

民主党がヒラリーを褒めまくっているにもかかわらず、公聴会で解明されたいくつかの要点は次の通り。

(1)スティーブン大使は2012年5月に就任し9月に殺害された。5月に就任してから600回もヒラリーに護衛を増すよう要請したが却下された。ベンガジに行く二か月前にも13人の護衛を要求したが却下された。攻撃に逢った時は5人の護衛した居なかった。(2)ヒラリーは攻撃されても救援を派遣しなかった責任は国防部とCIAの責任と弁解した。

(3)リビア大使館は2011年に7500通以上のメールを国務省に送っていたが、2012年のメールは65通しかない。これはメールがないのではなく国務省がメールを隠蔽し発表していないと思われる。

(4)ヒラリーは一度もスティーブン大使とメール交信をしなかったと主張している。その代りヒラリーは政府役員でないブルーメンソールをリビアに派遣し、600通以上のメール交信があった。ブルーメンソールはオバマに批判的なのでオバマが彼の政府雇用を拒否した。にも拘らずヒラリーは彼をリビアに派遣した。なぜスティーブン大使を使わずブルーメンソールを使ったのか説明はなかった。

(5)大使の死亡が確認された10時32分、ヒラリーは「反イスラムのビデオ」に抗議した暴動と発表した。しかし、半時間後の11時12分、ヒラリーは娘のチェルシーに「ビデオ抗議ではない。アルカイーダの攻撃だ」とメールした。それから一晩たった24時間後に
ヒラリーは「攻撃はビデオではなくアルカイーダの計画的攻撃」とエジプト首相に電話した。ヒラリーは明らかに国民に嘘をついたのに公聴会で嘘を暴かれてもビデオ説を白々と強調した。

(6)ヒラリーは公聴会で4回、リビアに武器を提供したか、シリアに武器提供したかと聞かれ、4回とも否定した。

●私の憶測:「リビア・コントラ」疑惑

オバマは国会に無断でリビアに武器を提供したが、2011年にカダフィが殺されたので、武器を秘密裏に回収する必要があった、しかも今度は回収した武器をシリアの反アサドグループに渡すつもりだったらしい。スティーブン大使が護衛なしでベンガジに行った。とこ
ろが計画がアルカイーダ側にばれて大使は殺害され武器は敵に奪われた。これが私の憶測「リビア・コントラ」である。

大統領が国会の許可なしにある他国に武器を提供してはならない。嘗てレーガンが秘密裏にイランに武器を提供して問題になった。これを「イラン・コントラ」と呼ぶ。だから今回のベンガジ事件の真相は「リビア・コントラ」と呼ぶべきなのである。

リビアの独裁者ガダフィが2011年に殺害されたので反米政権に武器を取られては困る。しかし、武器の回収に米国大使が直接交渉するわけにはいかない。そこでヒラリーは政府公務員でないブルメンソールを使って回収交渉をしていたのではないか。こうすれば理屈が通る。

でも交渉がうまくいきそうになったら公式な国の大使が出向く必要がある、しかも大使の行動は秘密である。国会に知られても困る。だからヒラリーは国務省の公式通信を使えない。スティーブン大使と交信をせず、ブルメンソールと非公式通信で交渉していたらしい。
機密を知っているのはヒラリーの親密な部下であるウマ・アベディンとジェーク・サリバンだけだったと思う。

ところがヒラリーは個人のスマホを使っていたのでハッカーが機密を盗むのは容易いことで、武器引き渡しの為に大使がベンガジに赴いたことはすぐにアルカイーダの知ることとなり、ベンガジ領事館を攻撃して武器を奪った。アルカイーダの攻撃である。

真相が国会にばれたらオバマとヒラリーは大変、監獄入りである。だから二人とも絶対に真相を言わない。ヒラリーは公聴会で嘘を指摘されてもテロ攻撃でない、ビデオに抗議した暴動だと言い張ったのである。ヒラリーはエジプトの首相にテロ攻撃だと本当のことを
言ってもアメリカ国民を騙し続ける必要があったのである。

これが私の憶測した、シリア・コントラである。読者にもいろいろ意見や感想があると思うが、誰にも真相がわからないから「シリア・コントラ」疑惑である。

真相を解明するためにはヒラリーが消去したサーバーのメールを全部復元し、ブルメンソールとの交信と突き合わせ、さらに一部の関連者が自分の罪を軽くするため白状する必要がある。オバマとヒラリーは必死に隠すだろう。真相が明るみに出るかどうかはわからな
い、永遠に解明されないかもしれない。

◆琥珀の瞬き(またたき)

馬場 伯明



小川洋子(53歳)の「琥珀のまたたき」を読んだ。2015/9/9・講談社・第一冊発行・1500円(税別)。変な小説である。しかし、読み終えたら、懐かしいような不思議な感動が込みあげてきた。

あらすじなどを詳しく紹介するのが本意ではないので、本の「帯」の文章を転載する。なお、拙稿を書く前にはWEBなどの他者の「書評等」は読まないこととする。

《 もう二度と取り戻せないあの儚くも幸福な一瞬》(背)

《 古びた図鑑の片隅に甦る、失われた時の輝き。閉ざされた家で暮らす子どもたち。彼らだけの密やかな世界は、永遠に続くはずだった―――。小川文学の粋が結晶した最新長編小説。》(表)

《 『壁の外には出られません』最も大事な禁止事項を、ママは言い渡した・・・・。妹を亡くした三人きょうだいは、ママと一緒にパパが残した別荘に移り住む。そこで彼らはオパール(長女)・琥珀(こはく・長男)・瑪瑙(めのう・次男)という新しい名前を手に入れた。閉ざされた家のなか、三人だけで独自に編み出した遊びに興じる・・・・(裏 以下略)》。

でも、これではよくわからない。思わせぶりなPR。結局、読むしかない。

小川洋子は、登場人物を限定された空間に配置し、その中の彼らに寄り添い、その一挙手一投足を見つめ、その静謐な団欒と安寧な雰囲気とを、あたたかい目線で丁寧に描いていく。

世間の常識からすれば「とても危うい」4人家族なのに、いつの頃か、自分も経験したような、していないようなある種の臨場感や既視感がある。「うんうん、そうやったかもしれん」と妙に納得してしまった。

三人の子供らは「図鑑」専門の出版社の社長だったパパが残した「こども理科図鑑」から新しい名前をもらう。閉鎖された空間であっても彼らには想像する自由がある。図鑑の読み方などを工夫し、学習し、ゲーム化し、無邪気に、しかし、知的に遊ぶ。

小学5〜6年生の夏、猛暑の図書館の片隅で、採集した蝶や収集した鉱石の名前を「図鑑」で必死に調べ判明した・・・あのときの興奮を私はありありと思いだした。

また、言葉の組み合わせで「オリンピックゲーム」を楽しみ、庭では、ロバのボイラーと遊び、ひっつき虫を投げる。幼い瑪瑙が得意のオルガンを演奏する。庭や池、古びた別荘の壁の中で幸せの日々が続いた。

では、この硝子細工のような珠玉の生活はどのように展開し、いつまで続いて行くのか。ママと次第に成長する三人の子供の未来はどうなるのか。(子供はそれぞれ11・8・4歳から、次女は3歳で死去している)。

彼ら家族の「めでたし(Happy ending)」を願いながらも、ありきたりな「崩壊」をついつい予想してしまう。ママの永遠の願望と成長する三人の子供の均衡が崩れる日が来るのだろうか。

この小説では(老人ホームらしい)「芸術の館」で暮らしているアンバー氏(琥珀)の晩年の今の姿が並行して描かれる。しかし、別荘時代とその後の長い空白は語られない。読者は自分で想像の海へ漕ぎだすしかない。

三人の子供の名前は象徴的である。オパール(長女・Opal・蛋白石)、琥珀(長男・こはく・Amber・アンバー)、瑪瑙(次男・めのう・Agate・アゲート)。いずれも地中深くにあり長い長い年月を経て美しく結晶し、そして、いつの日にか掘り起こされる。

鉱石や化石は不滅で永遠の存在であり、人間の命と営みは危うく幻のようなものである。私たちは、身の程もわきまえず、鉱石や化石の美しい俤(おもかげ)を、儚く追いかけているだけかもしれない。


「読書感想」的なことはここまで。本書の中で気になった下世話な関心事などをいくつか記す。

2015年10月26日

◆中国は将来、必ず崩壊していく

石原 慎太郎




欲望が自らを蝕む原理

最近大学で同窓の気の合った仲間数人と会食した折、誰しもがこの国は将来は一体どういう事になっているのだろうかという、慨嘆とも危惧ともつかぬ言葉を口にしていたものだった。

私とてこのところ同じ漠たる感慨を抱きつづけてきている。それは今まさに激しく変動しつつあるこの世界の中でのこの国の立ち位置の危うさと、この国自身における天変地異ともいうべき現象を合わせた懸念に他ならない。

私個人についていえば私には4人の息子とその下に7人の孫がいて上の2人の女の子はすでに社会に出て1人は弁護士の資格を取得し、1人はすでに著名な銀行で忙しく働いている。彼女たちも間もなく結婚し子供も儲(もう)けるに違いない。

他の孫たちが社会に出て大人として働く頃のこの国のありさま、いやそれ以上にこの国を囲む世界全体の態様ははたしてどんなことになっているのだろうかと誰しもが思わぬ訳にはいくまい。

思えば私たちはいかにも良き時代に青春を過してこれたものだと思う。戦後間もなくの大学時代の粗末な寮生活で味合った貧困を懐かしくさえ思える高度成長の末の今日の繁栄は世界屈指のものに違いない。

私たちの世代が断片的に体験した戦争は、同窓の際どい年齢差の多くの先輩たちの犠牲でなりたち、それが引き金になって中世以来続いてきた白人による有色人種への一方的な植民地支配と収奪は、現今のヨーロッパの混乱と衰退が証すように終りを告げつつある。

トインビーが人類の歴史における奇蹟(きせき)と称した有色人種で唯一つの近代国家日本の存在は太平洋戦争を引き金に世界の歴史をようやく変貌させたのだ。

その日本なる国家は世界最大の火山脈の上に位置している国土の原理的な危うさを今や晒(さら)している。4年7ヶ月前の東日本大震災以来頻発する地震と、それとの関連性は明らかではないがこのところ頻発する火山の爆発はせまりつつあるものを暗示しているような気がしてならない。

専門家の所見だとあの大災害の後首都東京の地下で体に感じられなくとも敏感な機械には10分間に1度の地震が感得されていたそうな。

この夏の異常な暑さと水害の続発には、まさしく天変地異の印象が拭えない。しかしこれはこの日本人一人に限ったことではなしに地球の随所に見られる現象だ。

私は都知事時代に世界全体が存外呑気(のんき)にかまえている温暖化現象について警告してきたつもりだが、米航空宇宙局(NASA)のハンセン教授がかねて警告してきた通り北極海の氷は後数年で解けてしまうだろう。

世界中の氷河は解けて崩落し海水は膨れ上がり蒸発した水分は大気に溜(た)まり大雨となって地上を襲うという循環を誰がどう防ぐのだろうか。

この今になると40年前に東京で聞いた天才宇宙学者ホーキングの予言を思い出さぬ訳にいかない。この地球のように文明の発達した天体は自然の循環が狂って宇宙時間でいえば瞬間的、およそ100年間でその生命は消滅すると。

私が歴訪したツバルやフィジーといった赤道直下の島国は地球の自転で膨れ上がった海に埋没して滅びつつあった。これを食い止める術はないものなのだろうか。

亡き開高健が愛吟していたゲオルグの詩に真似(まね)て「たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日林檎(りんご)の木を植える」べきなのではなかろうか。

我々の将来を規定するだろう隣国中国の将来について私はそう深く懸念してはいない。彼等(かれら)のような非人間的非合理的な政治体制は大都市に鬱積している、中産階級になりきれぬ知的な大衆の不満の爆発と、地方で抑圧されている多くの異民族の反発によって近々必ず崩壊していくに違いない。

かつてあの大陸に断片的誕生し消滅していった政権の歴史がそれを証している。しかしなお我々の世代がこの世を去った後のこの国、この地球について本気で思い量っておく事は未(いま)だ生ある老いたる世代の何よりもの責任に違いない。

文明の発展が育む人間たちの欲望が、実は自らを蝕(むしば)み滅ぼすという存在の原理をこの今にこそ自覚すべき時なのではなかろうか。

産経ニュース【石原慎太郎 日本よ、ふたたび】2015,10,24 
                  (採録:松本市 久保田 康文)

◆ヒラリー、最悪危機乗り切ったか?

宮崎 正弘
 

<平成27年 (2015) 10月25日(日曜日)通算第4698号> 
 
〜ヒラリー、最悪の危機を乗り切ったか?
  バイデン不出馬、ブッシュ選挙戦撤退か〜
 
共和党の激しい攻撃に11時間にわたった公聴会を弁舌巧みにかわし、ヒラリーは最大の危機を乗り切った模様である。
 
論戦の焦点はリビアでおきた「ベンガジ事件」だった。

米国駐リビア大使が領事館にいたところを過激派に襲われ、四名が殺害されたが、(1)なぜ米大使はトリポリではなく、警備のお粗末なベンガジの領事館にいたのか(2)シリア反体制派への武器を、リビアで蒐集していたのではないのか(3)作戦をヒラリーは私的メールで国務省を通さずにおこなっていたのではないのか。

しかし、22日の下院特別委員会での質問に満を持してヒラリーへの詰問を展開した共和党だったが、言葉巧みに、雄弁に乗り切られた。

ヒラリーは予備選前の最大の危機を克服できた模様で、党内最大の脅威とされたバイデン副大統領は不出馬を宣言した。

また共和党は、最有力とされたジェブ・ブッシュ(元フロリダ州知事)が、選挙本部を縮小し、スタッフへの給与削減に踏み切った(フィナンシャルタイムズ、10 月25日、電子版)。ということはブッシュの撤退の構えを見せたことになる。

   

◆虎屋の見た国史

伊勢 雅臣


人から人へと心をつなぐ和菓子を500年作り続けてきた虎屋が見た日本の歴史。

■1.「歴史が違うわ、虎屋さん」

創業500年の老舗和菓子屋「虎屋」の赤坂本店が建て替えのため一時休業することを告知した17代・黒川光博社長のメッセージに、ネット上で賛嘆の声があがっている[1]。こんな一節がある。

3日と空けずにご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。

車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。

このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。

「深みのある文章。これぞブランド」「歴史が違うわ、虎屋さん」などという声がネット上で渦巻いている。

虎屋の『掟書(おきてがき)』は、天正年間(1593〜92)にまとめられたものを、文化2年(1805)年に9代目光利が書き改めたものだが、そこには「御用のお客様でも、町方のお客様でも丁寧に接すること」なる一節がある。[a]

御用、すなわち宮中に代々、和菓子を納めていたことが、虎屋の誇りであったが、それに奢らず「町方」の普通のお客様も大事にせよ、というのである。これを今も忠実に実践しているからこそ、このような味わい深いメッセージが書けるのだろう。


■2.父娘で楽しまれた和菓子

虎屋の「お客様とともに過ごさせて頂いた時間」は500年にも亘る。最古の販売記録の一つとして残っているのが、寛永12(1635)年9月、女帝・明正天皇が父君・後水尾上皇の御所に行幸された時に、虎屋が納めたものである。

徳川幕府の草創期で、幕府は「禁中(きんちゅう)並(ならびに)公家(くげ)諸法度(しょはっと)」を定めるなど、朝廷への介入を強めていた。後水尾天皇はこれに反発して、寛永6(1629)年、幕府に諮ることなく、突然、第二皇女(明正天皇)に譲位して、以後、半世紀、天皇4代にわたって院政を敷かれた。

一方、当時は文芸復興の気運に満ちた時代で、朝廷や公家ばかりでなく、武家や町人まで含めて、清新な寛永文化が生まれた。後水尾上皇は和歌、連歌、茶道、華道にも長じ、文化サロンの中心的人物であった。さらに朝廷で廃絶していた年中行事の復興にも努めた。

行幸は5日間に及び、多くの公家がお供をし、天皇と上皇は舞楽や猿楽をたっぶり楽しまれたという。

その際に、虎屋から多種大量の和菓子が取り寄せられた。大饅頭(2500個)、薄皮饅頭(1475個)、羊羹(ようかん、538棹、さお)等々、20種以上もの商品が並ぶ。なかには、かすていら(66斤)などポルトガルから伝わった南蛮菓子もある。現在の貨幣価値では250万円ほどの代金となるそうだ。

天皇と上皇は楽曲の合間に様々な和菓子、南蛮菓子を楽しまれたのだろう。数からして随伴した多くの公家や演者にも振る舞われたに違いない。上皇は幕府との対立の心労を、愛娘との水入らずの一時で癒やされたのではないか。人びとの華やかな、楽しげな様が思い浮かぶ。


■3.名君の息抜き

第8代将軍、徳川吉宗は享保の改革で、破綻しかけていた幕府の財政を立て直した名君で、自身も1日2食、一汁三菜の質素な生活をしていたが、実は甘い物が大の好物だったという。

虎屋の台帳によると、寛保2(1742)年2月8日に「水の葉」「吉野川」など様々な干菓子3重の桐箱に入れられて江戸に進上された。朝廷からの贈答であろう。また、洲浜(すはま、大豆の粉を飴で練り固めた菓子)20棹が毎年、吉宗に贈られていたという。

名君の誉れ高く、自らの生活も謹厳に節制していた吉宗が、京の名菓に舌鼓を打って、一時の息抜きをしている様を想像すると微笑ましい。


■4.和宮が病床の夫に贈った和菓子

江戸の世も幕末になると急に慌ただしくなる。第14代将軍・徳川家茂(いえもち)は孝明天皇の妹・和宮との婚姻により、朝廷の権威を借りて、幕府の権力を回復しようとする。

文久3(1863)年3月、家茂は孝明天皇と対面するため京都に入った。将軍の上洛(じょうらく)は3代家光以来229年ぶりのことだった。家茂が二条城に入ってすぐ、虎屋12代店主・黒川光正は賄い方から呼び出されて、大枚の前払いを受け、将軍在京中の御用を命じられた。

 3日後に参内した家茂には宮中から「長月」(市松模様入りの羊羹)、「遅桜」(紅白の桜模様の羊羹)等々、5種類の菓子が贈られた。家茂も、扇面形の三重の箱に「夜の梅」(小倉羊羹)、「新八重錦」(紅葉模様の羊羹)など何種類もの和菓子を入れて宮中に献上した。朝廷と幕府の外交は、互いに虎屋の和菓子を競うように贈り合うことから始まったので
ある。

慶應2(1866)年、第2次幕府・長州戦争中に、家茂は大阪城で病に臥せっていた。江戸の和宮からは見舞いとして「吉野山落雁」「カステラ」などが、また先代の御台所・天璋院(てんしょういん)からも練羊羹(ねりようかん)が届けられた。

翌日、天璋院からの煉羊羹は家臣に下げ渡した、と記録にあるが、和宮からの和菓子については何の記述もない。家茂と和宮は仲睦まじかった。その妻の愛情を受けとめながら、和菓子を食べたのではないか。しかし和宮の思いも虚しく、21歳の家茂はそのまま大阪城で病没する。


■5.天皇と民衆をつないだ菊の御紋の饅頭

明治の世となって、明治天皇は遷都の下準備として、明治元(1868)年9月20日に京都を出発され、東京に行幸された。これに12代黒川光正の庶兄・黒川光保(みつやす)も同行して、各地の菓子屋と共同で、天皇が召し上がったり、民衆に配られる和菓子を作った。

たとえば9月27日、天皇は熱田神宮に参拝後、稲の収穫をご覧になり、刈り取りをした農民一同に和菓子を配ってねぎらわれた。この時は熱田(名古屋市)の和菓子屋「つくは祢(ね)屋」が黒川光保の立ち会いのもと、製造にあたった。下賜用の和菓子は菊の御紋の焼き印が押された直径3寸(約9センチ)の饅頭で、合計3千個も作られたという。

菊の御紋の入った饅頭をいただいた農民たちは、皇室の民への愛情を感じただろう。

明治政府は欧風化政策を進め、明治天皇も公式の行事では洋服や軍服を召されるなど、欧米の生活スタイルをとられていたが、これはあくまでも表向きであって、奥での日常生活では畳の部屋で和服を着用され、食事も和食を好まれたという。

甘い物もお好きで、菓子は皇居内の大膳職が作る以外に、赤坂に進出した虎屋にもご用命があった。時々、女官を通じて、新しいお菓子を作るようご内命があり、お気に入りのお菓子には「月影」「三河の沢」など陛下自らが命名された。

虎屋の製造所では13歳の頃から50年間も務めてきた職工が製造し、主人みずからが監督したという。


■6.軍人と和菓子

昭和の戦争の時代になると、虎屋は軍にも特製菓子を納入するようになる。海軍用は円筒形の羊羹で「海の勲(いさお)」、陸軍用も羊羹だが四角形で「陸(くが)の誉(ほまれ)」。出征した兵士が携帯できるよう小ぶりに作られていた。

経済統制で砂糖が不足するようになると羊羹は貴重な甘味で、現在でも来店する客が「戦争中、軍隊で食べた虎屋の羊羹がいまだに忘れられない」とか、「あの時の虎屋の丸棒(海の勲)はうまかったなあ」などと、しみじみと店員に漏らしたりするそうな。

虎屋の羊羹は戦地でも愛されていた。アリューシャン列島のキスカ島からの守備隊5千余名の救出[b,c]に赴いた水雷戦隊の特設水上機母艦・君川丸では死地に赴く前に酒保を開いて、飲み放題、食べ放題とした。

振る舞われた中に虎屋の羊羹もあり、「虎屋の羊羹−この時期になってもやっぱり海軍は上等なものを持っていた」と体験者は記している。将兵は、物資の不十分な中でも、最高級の羊羹を自分たちに振る舞ってくれる国と国民のために戦おうと、さぞや闘志を高めたことだろう。

皇室には「御紋菓」と呼ばれる菊と桐の御紋をかたどった押物(押し固めて作られる菓子)が大量に納められ、昭和天皇の名代として各宮様が戦地を慰問される際に、将兵に下賜された。

戦死者の家族にも、5個入りの「御紋菓」が贈られたが、夫や父や兄を亡くした家族にとって、せめてもの慰めだったろう。

赤坂の製造工場が空襲で焼け落ちると、その甘い香りに、数十人の戦災者が工場のまわりを取り囲んだ。見かねた虎屋の工員の一人が「前線へ送るお菓子ですが、もう輸送もできません。自由に召し上がってください!」と叫んだ。

人びとは工場の瓦礫の中から厚い銀紙に包まれた羊羹を掘り起こし、湯気が立つまま、無我夢中で食べたという。砂糖の配給が中止となって2年。久しぶりの甘さに泣き笑いしながら。


■7.和菓子を愛された昭和天皇

昭和天皇がご幼少の頃に好物だったのが「虎屋煎餅」だった。小麦粉、卵、砂糖、牛乳が入った直径12センチほどの甘い煎餅で、表面の絵柄は、虎屋の屋号にちなんだ虎と竹の組合せで、富岡鉄斎が描いたものだった。

大正10(1921)年に皇太子として訪欧された時[d]には、この煎餅50缶の他に、紅白の押物5千個や、缶詰にした羊羹200缶などがお召し艦「香取」に積み込まれた。お召し艦の乗員や、欧州での在留邦人にも下賜された事と思われる。

昭和3(1928)年の即位の礼を初めとする諸行事では、虎屋に注文が寄せられ、「鏡餅」「椿餅」、紅白の煉羊羹を納めた。祝賀では東郷平八郎元帥をはじめとする官民代表、各国大公使らに配られた虎屋の雅な和菓子が祝賀ムードに花を添えたことだろう。

先代社長の黒川光朝は昭和62(1987)年の園遊会で昭和天皇にお会いした様子を次のように書いている。この頃は、毎月25日に皇室に和菓子を献上していたようだ。

(昭和天皇は)「きょうはよく来てくれてありがとう」と一歩踏み出され、30糎(センチ)も離れぬ至近でのお言葉だった。さらに「毎月25日にはお菓子をありがとう」のお言葉を賜り、「ありがとうございます」との一言がやっとの位、涙にむせぶ一瞬だった。

そして皇太子殿下、美智子妃殿下からも「いつもお菓子を楽しみにしています」、続いて浩宮様も「しばらくでした。お元気ですか。」礼宮様からも会釈を賜った。・・・

店から毎回お納めしている菊池残月の五個入りを頂戴して退出した。25日献上のお菓子は、毎月必ず召し上がっておられるそうで、和菓子屋の主人として名誉この上もない。[2,p46]

昭和天皇崩御の後、皇太后陛下から遺影にお供えする菓子の依頼があった。生物学者・昭和天皇が特にご関心の深かった「貝」と「シダ」にちなむ菓子を作れないか、とのご注文だった。

虎屋が製造した2種類の羊羹に、皇太后は「葉山の幸」「木下道(このしたみち)」と御銘を下され、昭和天皇のお誕生日とご命日には、かならず、この二種の菓子を遺影にお供えされたという。


■8.人から人へ心を届ける和菓子

先代・黒川光朝は「和菓子は五感の芸術である」という言葉を残している。その父の言葉を、光博氏はこう解説している。

和菓子にはまず形や目に映る美しさがある(視覚)。次に口に含んだ時のおいしさ(味覚)。そしてほのかな香り(嗅覚)と、手で触れ、楊枝で切るときの感じ(触覚)があるが、これらに加えてもう一つ、菓子の名前を耳で聞いて楽しむ「聴覚」がある、と言うのです。・・・

例えば、「薄氷(うすらひ)」という菓子。これは初冬のある朝、紅葉が池の氷に閉じ込められている情景を、道明寺生地の中の煉羊襲で表したものです。「春霞」「初蛍」「紅葉の錦」など、それらの菓銘を耳にするだけで季節のうつろいすら感じ取ることができます。[2,p170]

日本人は慶弔事や故人へのお供え、お見舞い、時候の挨拶などに、この「五感の芸術」に自らの心を込めて相手に贈ってきた。日本の社会は何よりも人と人との「間柄」を重視した「相互的個人主義」で成り立っていると西部邁(にしべすすむ)氏は喝破した。[e]

そして、人から人へ心を伝えてきたのが、世界に類のない和菓子の本質だろう。そんな和菓子の作り手は何よりも、送り手の心を慮って、それに即した和菓子を作る。そういう仕事を500年もやってきた虎屋だからこそ、顧客の心に寄り添った冒頭のようなメッセージも出せるのだろう。



■リンク■

a. JOG(786) 不易流行 〜 守るべきもの、変えるべきもの
何百年も続く老舗は、守るべきものを守りつつ、時代の変化に即して、変えるべき所を変えている。
http://blog.jog-net.jp/201302/article_3.html

b. JOG(859 国史百景(9): キスカ島守備隊を救出せよ(上)
米軍に包囲された孤島の守備隊5千2百名を救出すべく、木村昌福少将率いる艦隊は死地に赴いた。
http://blog.jog-net.jp/201407/article_8.html

c. JOG(860) 国史百景(9):キスカ島守備隊を救出せよ(下)
 濃霧の中を、救援艦隊はキスカ湾に突入していった。
http://blog.jog-net.jp/201408/article_1.html

d. JOG(187) 皇太子のヨーロッパ武者修行
 第一次大戦後の欧州を行く裕仁皇太子は、何を見、何を感じたか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog187.html

e. JOG(170) 個人主義の迷妄〜「国民の道徳」を読む
 奉仕活動をする青年も、援助交際をする女子高生も、同じく「個人の尊厳」では、、、
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog170.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. Yahoo!ニュース「『感動的』『商人の鑑』……虎屋17代の休業あいさつ文、称賛相次ぐ」
http://bit.ly/1QNyw9K

2.黒川光博『虎屋―和菓子と歩んだ五百年』★★、新潮新書、H17
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4106101327/japanontheg01-22/


◆赤い沖縄が蒼くなる?

平井 修一



チャンネル桜沖縄支局スタッフのブログ9/16「自治労で増える自民党支持」から。自治労は85万人の組合員からなる。

<サヨクの集会といえば、自治労や日教組等の動員によって行われますが、沖縄のいわゆる『県民大会』にも同じことがいえます。

ちなみに来月の21日に、恒例の『県民大会』が行われるようです。今回の『県民大会』のテーマは、20年前に沖縄で起きた米兵による少女暴行事件を受けて同年10月21日に大々的に行われた『県民大会』から来月の21日でちょうど20年ということで行うようです。

主催者発表で8万5000人が集まったらしい当時の『県民大会』と同規模となるかが課題、と沖縄タイムスの記事にはあります。

こうしたサヨク集会に欠かせない組織による動員ですが、かつてほど勢いがないことは全国的な自治労のデータでも明らかとなっており、サヨク活動が盛んな沖縄でも同じ傾向でしょう。

とりあえず、まずは本日の沖縄タイムスの記事をご覧下さい。

《労組若手、自民支持が増 自治労の調査 全国の動き 沖縄に衝撃

昨年8月、自治労が全国の組合員を対象に行ったアンケート結果に衝撃が走った。政党支持に関する設問で、20・30代の回答が『支持政党なし』に続き『自民党を支持する』という答えが多かった。内部資料のため詳しい数字は非公表。

『危機的かも知れない』

担当者は嘆息する。

本来、自治労が支援するのは民主党と社民党。それにもかかわらず、集団的自衛権行使に意欲的な自民党に支持が広がるのは予想外だった。

自治労沖縄県本部の組織局長を務める平良誠さん(39)も『正直ショックだった』。

労組が平和・反基地運動を引っ張ってきた沖縄でも対岸の火事とは思えなかったからだ。

(沖縄自治労の)組合員は減少傾向にあり、本年度は1万1297人と、2006年度から約2400人減った。背景には公務員の定数削減もある。

しかし、雇用労働者に占める組合員の割合は、14年に10.3%と調査開始時から3分の1以下に減少し、県内の労働組合で加入者が減っていることを裏付ける。

不景気が長引く中、公務員は『高給取り』と揶揄された。賃上げが難しいと、労組への風当たりも厳しい。

もしも戦争が起きれば、住民保護のために国の一部として仕事に当たるが、それだけ危険性も増す。だからこそ、戦争のない社会づくりに声を上げないといけない。

だが、反戦・反基地活動に疑問的な声もある。『反戦反基地という言葉が出ると、若い人が寄り付かない』と平良さんは話す。 一緒にテレビニュースを見ていた若者が『中国人嫌い』と話すのを聴くこともある。

尖閣諸島をめぐる武力衝突が目前にあるような物言いだが、紛争が起きる
気配はない。平良さんは、感情で判断しているように感じる。

先月、沖縄では『シールズ琉球』が発足。安全保障法案や新基地建設に、大学生たちが声を上げる。その姿に、平良さんは今後の活動へのヒントも得たという。

『形にとらわれず、若い人たちの声を引き出されば、思いは広がるのかもしれない』

模索が続く》

以前、たしか番組『沖縄の声』で日教組の加入率が低下しているという新聞記事を紹介した記憶がありますが、どうやら自治労も同様の傾向のようです。

沖縄に限っていえば、沖教組や自治労の組合員が減少傾向にあるのは、あまりにも政治的主張が強すぎるからでしょう。

本来、自治労を始めとする労働組合は、いわば労働者の権利を獲得するのが目的のはずで、主として米軍基地に反対したり、安保に反対するのは、目的とかけ離れた主張に思えます。

恐らく20代・30代の若者にとって、そもそもなぜそこまで頑なに基地に反対するのか、その理由と現実、そして自分なりに集めた情報を咀嚼した時に、一連の基地反対に疑問が生じているのでしょう。

また、上の記事には、若者の中国の脅威に対する言葉に対し、『尖閣諸島をめぐる武力衝突が目前にあるような物言いだが、紛争が起きる気配はない。感情で判断しているように感じる』と評しています。

私はこの一文に認識の差を感じます。

尖閣をめぐる緊張に対して、紛争が起きる気配などないと断じ、まるで危機感を募らせることが杞憂であり、そのような感情的な判断をすべきでない、という書きっぷりです。

私からすれば逆に日本の安保体制に危機感を募らせ、感情的に反対しているのはいったいどちらなのかと言いたいですね。

尖閣諸島のみならず、至るところでみられる中国の侵略行為、ならびに軍拡・軍事パレードをみれば、脅威に感じない方がどうかしています。

自治労のイデオロギーと現実の乖離。昨今の中国に脅威を抱く若者の姿。私にはこれらの解が自治労の組合員減少のデータに如実に表れていると思います。

それにしても自治労で自民党支持が増えているとは・・・見方を変えれば自民党が自治労に侵食されているという見方もできます。自治労の変化に喜ぶのは早計でしょう>(以上)

「シールズ」というのはネット情報によると韓国系キリスト教カルトの運営する高校(島根県のキリスト教愛真高等学校)出身者を核にした反日組織のようだ。日共は戦後、朝鮮人と手を組んで暴れまくったが、日共には朝鮮人党員が多かったし、反日憎日という共通点があるから今でも親和性が高いのだろう。

韓国系キリスト教カルトにはイラクで殺されたGも接触していた。同校は全寮制のためにオームのように洗脳されやすいのだろう。サイトには「平和学習:平和活動をされてきた方を講師に招き、5月に「憲法学習会」、2月に「日本の戦争責任を考える特別授業」を行います」とある。

沖縄は今や全国の老いたアカどもの介護施設的な島になっているのではないか。ロートルは年々減る一方だからシールズなどで若い後継者を増やそうと画策しているのだろうが、運動のコアとなる組合員が自民党支持に回るようでは、戦後沖縄の伝統産業の「反戦反基地」は消滅しかねない。

それは小生にとっては結構だが、マスコミなど「反戦反基地」で飯を食ってきた連中は危機感を持っているだろう。アカい沖縄が蒼くなる? 嗤うべし。(2015/10/25)

       

◆ハロウィン恐怖症

室 佳之



というほど大袈裟に恐れている訳ではないが、とにかくハロウィンが嫌い。いい思い出がない。以下は、単なる個人的な体験記である。

珍しく本場(と云ってもカナダでの話であるが、、、)ハロウィンを幼少時に経験している。父親の仕事の関係でカナダに3年滞在していたが、そのうちの2回のハロウィンを記憶している。

1回目は、まだ滞在して半年も経っていない頃だと思うが、5歳の小生はフランス語がおぼつかなく、周りが何をしゃべっているのかよく分からなかった。

そんな中、近所の子供たちに交じって、着ぐるみを皆で着た。周りの子供達は色鮮やかなものを着ていたが、小生に与えられたのはネズミ色の文字通りネズミの着ぐるみで、なんだか弱弱しい。

その上、右も左も分からず、ただただ面識のない子供たちに交じってくっ付いていくだけ。心細かったという印象のハロウィンだった。

ちなみに、日本では近年、色々な変装をして都会の繁華街などを練り歩くなどがハロウィン祭と考えられているようだが、本来は変装をして、夕刻時に家々を練り歩いて子供たちがお菓子をもらうというのが正しいはずである。

そのお菓子を渡す役にまわったのが、2回目のハロウィンだった。その年は、前年の厭な思い出があったからだったのか、経緯を忘れたが、学校が終わって変装もせず家でお菓子の準備に取り掛かっていた。

この時の小生は、事前に飴玉やビスケットなどを種類分けし、訪ねて来る子供達一人ひとりに均等となるようお盆に並べていた。その日は、何故だか4つ上の兄と母親は留守にしており、家にいたのは小生と父親だけ。

いよいよ、夕刻時となり、近所の子供たちが来る。

『しっかりお菓子を渡す役目を果たそう!』

緊張すると同時にワクワクと心躍りそうになる自分がいた。

いよいよ第1陣の変装した子供たち数人がドアの前に現れた。待ってましたとばかりに、小生が種類分けしていたものを一つ一つ摘まみ上げ『これと、これと、それと、、あれと、、』という具合に丁寧に渡そうとしていた。

すると、脇で見ていた父親が、じれったかったのだろう『そんなことしてないで、いっぺんにあげちゃいな』と云って、種類関係なくお菓子をひと掴みして、子供たちにパッと渡していってしまった。

それまで細かく丹念に種類分けし、綺麗に並べていた(と思い込んでいた)お菓子がメチャクチャにされ、それがそのまま子供等に渡ってしまった、その光景が眼前で繰り広げられた途端、小生は発狂せんばかりに泣き始め、気付いたら寝室へ閉じこもっていた。父親は『悪かった、悪かった』と謝りに来たが、一晩中悔しくて泣き続けた。

今思えば、他愛のないことだが、すっかり忘れていた記憶がここ数年の流行りで、最近は毎年思い出される。

加えて、上述したが、本来とは異なるスタイルで日本は催されるから余計に腹立たしい。

以下、Wikipediaより抜粋。

<ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween またはHallowe'enとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカで民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。

カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある>

やはりお菓子をもらったりする風習と云うのは正しいようである。ちなみに、30年以上前を想い返すと、小生の住んでいたところは、平気で家々を練り歩いていたのだから、長屋付き合いのような感覚が向こうの国でもあったということだ。今の日本の都心じゃ難しいかもしれない。

Wikipediaから、

<各国の現況

文化圏によってかなり扱いが異なっている。世界を見渡すと、興味を示している地域と、興味が無くほぼ無視している地域があるのである。

現代でハロウィンが大々的に行われているのは主に英語圏であり、例えばアイルランド、イギリス、およびイギリスが進出・侵略して植民地化するなどして「イギリス帝国」の一部に組み込みイギリス流の文化を広めた場所(米国、カナダ、ニュージーランド、そしてオーストラリアなど)に広まっている。>

小生はカナダのフランス語圏にいたが、英語圏文化のハロウィンがいつからか浸透していったということなのだろうか。

Wikipediaから、

<日本とハロウィン

日本ではあまり馴染みのなかったハロウィンであるが、後述の1990年代後半より始まった東京ディズニーランドのイベントを筆頭として、各地でのハロウィンイベントの開催が増えたこと、さらに2000年代後半より菓子メーカーが相次いでハロウィン商戦に参入したことなどを契機としながら、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及にも後押しされて市場規模が拡大、近年では店頭・街中でのハロウィン装飾が見られるようになったほか、特に20代の成人による仮装・コスプレのイベントとして日本式にアレンジされたハロウィンが定着した。

日本では「夜にコスプレをして街中を闊歩しても恥ずかしくない日」と位置づけられているが、大概の人物がハロウィンがどういう日かというのは具体的に説明できない。

また、ハロウィン前の9月あたりからお菓子会社などかカボチャ味のお菓子を期間限定で販売したり、包装をハロウィン風にすることが多い。そのため「ハロウィン=カボチャを食べる」と勘違いしがちだが、ハロウィンにカボチャを食べる習慣はない。また、家でカボチャを顔のように切り抜く習慣がなく、海外のようにハロウィンにカボチャが売れることはない。>

 結局、本来の意味は誰も関心なく、お菓子業界が売り上げのために食い付いたイベントということだろうか。何だかさもしい。 小生は介護業界に身を置いているが、クリスマスやバレンタインに引き続き、そろそろデイサービスなどでは、ハロウィン行事を催しているのかも知れない。高齢者にとっては、何のこっちゃと云うところだろうが。

 これから毎年、秋が来るたんびに、あのハロウィンの想い出がよみがえってくると思うと少々憂鬱である。(むろ よしゆき)

         

2015年10月25日

◆「憲法9条」では平和は守れない

加瀬 英明



米原子力空母『ロナルド・レーガン』が原子力空母『ジョージ・ワシントン』と交替して、横須賀に入港した。

テレビでその勇姿をみたが、排水量9万7千トンだけあって、さすがに堂々としていた。

これから、しばらくのあいだ、横須賀を母港として、朝鮮半島や、日本の周辺に睨みをきかせることになる。

大江健三郎氏をはじめとする護憲派は、この巨艦が日本に戻ってきてくれたことを、きっと双手をあげて、歓迎しているにちがいない。

護憲派の人々も、まさか戦後今日にまで、「平和憲法」があったから、日本の平和がしっかりと守られてきたと、信じているわけはあるまい。

マッカーサー元帥が日本を無力化するために、「第9条」を押しつけたが、「平和憲法」を強要してから、その僅か4年後に朝鮮戦争が勃発した。

マッカーサーは大失敗をしたことを、おくびにも出さず、日本に再武装することを命じて、警察予備隊が発足した。

日本国民が今日まで泰平の世を謳歌してきたのは、「平和憲法」という呪(まじな)いによるものではなく、アメリカの保護によるものだ。

「第9条」は祈りでしかない。もし護憲派のなかで、「第九条」が今日まで平和をもたらしてきたと信じている人々がいれば、祈祷師なのだろう。

杉田玄白といえば、江戸時代後期の蘭方医学の先駆者で、『解体新書』と『蘭学事始』によって有名だが、著作『形影夜話』(1803)のなかで、医が兵法とまったく変わらないと、論じている。

玄白は「孫呉(孫子、呉子)の兵法を知らざれば、軍理は立たぬ。医も形体(かたち)詳(つまびらか)ならざれば、医理は立たざる事と知らる」と戒めている。医術も、その時々に変わる状況の形体(かたち)に合わせて、兵略を柔軟に立てるのと同じことだといって、医術と兵法の共通点をとりあげて詳述している。

国を人間にたとえれば、国外から蒙っている脅威は、疫病と同じものだ。

玄白の時代から今日にいたるまで、世界では残念なことに弱肉強食が、まかり通っている。マッカーサーが早とちりして与えた“即席憲法”によって、全人類が平和を愛するようになったはずはない。人が病いを恐れることも、まったく変わっていない。

国会の周辺に集まって安保関連法制に反対していた人々は、アメリカの力が相対的に弱まってしまったかたわら、日本を囲む安保保障環境が激変していることに対して、目を閉じている。

幕末の志士の吉田松陰は、『幽囚録』のなかで、「耳なくば何を以て聴かん。目なくば何を以て視む。能(よ)く足挙げ手を揺(うごか)すことなく、国が衰えるのは当然」と、説いている。

安保関連法制がよく分からないという人々は、まったく不勉強だ。目を見開き、耳を澄ませなければ、日本の安全を守ることができない。

民主党の岡田克也党首は、「集団的自衛権は必要ない」といい切っているが、アメリカという外国の手を借りて、国を守るということ自体が、広義の集団的自衛権の恩恵を蒙っている。

それでなければ、アメリカの対日占領が続いていることになってしまう。


◆中国、否応な「通貨安戦争」に参入

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)10月24日(土曜日)通算第4697号> 

 
〜中国、否応なく「通貨安戦争」に参入
  銀行預金金利の上限を撤廃、「自由化」を装うが。。〜

 
日本の新聞はまたもおめでたい論調である。

たとえば日本経済新聞は「中国、マネーのゆがみ是正―――銀行金利自由化、不動産の過熱防ぐ」などと好意的な見方をしている。

これは金融改革につながり、景気浮揚をねらうものだと。

中国は23日、いきなり「銀行預金金利」の上限を撤廃すると発表したが、これを「自由化」の一歩と位置づけるには疑問が多い。実際には「基準金利」は残るにもかかわらず。。。

まして上限規制撤廃というのは一年以内の定期と普通預金金利であり、一見すれば銀行が自由競争の時代に突入したことを意味する。

実際に市場の反応はと謂えば、株高、金利安、そして通貨安を誘発した。 ドイツ国債は金利低下、株高は2・5%、日本も2%近いかさ上げとなった。日本円は「円安」に傾き、株高(23日、日経は389円も上げた)、先行きは「日経平均」の先物相場がはやくも19,000円台を付けた。

英紙『ファイナンシャル・タイムズ』(24日、電子版)は「中国はグローバルな通貨安レースに参加してきた」と報じた。『ウォールストリート・ジャーナル』(同24日、電子版)は景気浮揚の一環というとらえ方をしている。

そうだ、通貨安誘導の突破口を中国が切り開いたことを意味し、これから世界的規模での「通貨安」が始まる気配濃厚となったのである。同時に金取引も活発化している。
 
為替の完全変動相場制に移行できない中国は8月11日に4・6%という「通貨切り下げ」という挙に出たが、世界からの評判は悪く、また株安に拍車がかかり、中国から外資が一挙に撤退を開始したためマイナス効果となった。

一部の観測は「中国はIMFから与えられたSDRいりの条件を満たすための措置」だと主張したが、IMFが求めているのは完全な「変動相場制」への移行であり、こんかいの基準金利を維持したままの銀行金利「自由化」などとは、小手先の技術的なジェスチャーだと見透かしている。
 
来週26日に世界的規模での反応がでるが、この日は中国が「5中全会」の開始日でもあり、政治的効果を狙った動機の方が強いと想定される。

◆中国ビジネス、腐敗の現場

中村 裕
 


中国国家主席、習近平が躍起になる政権中枢の腐敗撲滅。その手も行き届かない闇が社会を覆っている。ビジネスの現場も例外ではない。現地に進出する日本企業の末端でも、仕事の発注の見返りに金品を要求する「キックバック」が横行する。最前線の現場で“腐敗の実態”に迫った。

■30代課長、もう一つの財布

中国南部の一大経済圏、広東省西部のある都市――。2000社を超える日系企業が集中し、トヨタ自動車、日産自動車、ホンダなど日本の大手自動車メーカーが主力拠点を置く、日本にもなじみの深いこの街で、日系の大手自動車部品メーカーに勤務する30代前半の中国人男性、寧恩達(仮名)が、腐敗に手を染め始めてから、もうすぐ1年になる。

見た目は小柄で、非常に真面目な雰囲気。身なりもきっちりとしIT(情報技術)管理部の課長だ。寧の給料は月額5000元(約10万円)。一般的な民間企業に勤める中国人の給料は数万円だから、待遇は良いと言っていい。

ところが彼には、実はもう一つ別の財布がある。「キックバック専用」の財布だ。昨年12月、4年間務めた前任の中国人の課長から引き継ぎ、手に入れたその“黒い財布”には、給料の4倍の2万元(約40万円)が毎月、自動的に振り込まれるようになった。

振り込んでくるのは、寧がIT管理部の課長権限で毎月発注するパソコンやモニター、プリンターのインクなど、工場で日常的に使う各種製品を取り扱うIT関連の中国企業だ。製品を毎月、寧に大量に発注してもらう代わりに、発注価格の10%分を「お礼」として、寧にキックバックしている。

寧が勤務する日系企業の従業員は、現在約2000人。IT関連の製品だけでも毎月の発注金額は400万円ほどになるため、その10%の40万円がキックバックされ、寧の懐に入る仕組み。だから、寧は正規の給料の10万円と合わせ、合計毎月50万円を、この日系企業で稼いでいる計算になるのだ。

寧にも、もちろん後ろめたいことをしている自覚はある。だからこそ月々40万円ものお金の振り込み先は、寧本人の銀行口座ではなく、寧の妹の口座にして、毎月振り込んでもらってきた。

中国では、スマホを使って、手軽に送金ができるサービスが普及しており、腐敗の温床になりやすいとの指摘もある中国では、スマホを使って、手軽に送金ができるサービスが普及しており、腐敗の温床になりやすいとの指摘もある

だが、それでもまだ寧は不安になったのか、ここ2カ月は、中国で人気のスマートフォンのアプリ「微信(ウィーチャット)」の決済サービスを使って送金してもらい、銀行間の直接取引は止める念の入れようだ。

■「権限委譲、好都合だった」

しかしなぜ、コンプライアンス(法令順守)に厳しいはずの日本企業で、こんな不正が可能なのか。寧に毎月、キックバックを振り込むIT関連企業の中国人男性担当者、張建新(36、仮名)との接触に成功した。彼は中国ビジネス社会の常識や裏側を、分かりやすく、丁寧に語り始めた。「中国でビジネスをするなら、何かしらの便宜やキックバックは欠かせません。何も無ければ、人は動かない。仕事は永遠にもらえない。ただ、それだけですよ」

中国ビジネスの裏側、実態について話をしてくれた張建新は、「できればキックバックなどはやりたくない」と語った(9月、広東省)

中国ビジネスの裏側、実態について話をしてくれた張建新は、「できればキックバックなどはやりたくない」と語った(9月、広東省)

張はそう言い切った。張が勤める中国企業は中国では中堅クラスのIT企業。取引先は、ほぼすべてが中国に進出する大手日系企業だ。張によると、取引がある100社の日系企業のうち、約90社の日系企業でこうしたキックバックの裏取引が「中国人同士の間で日常的に行われている」のだという。

「今のキックバックの相場は5〜10%」(張)。だが、「こんな中国ビジネスの常識ですら、日系企業の駐在員の日本人ビジネスマンは良く分かっていません」。張はそう言って話を続けた。「彼ら大手の日本企業のサラリーマンの中国駐在は、おおよそ4、5年と短く、複雑な中国人社会や中国ビジネスをよく理解しないまま、人事異動で日本へ帰国してしまいます」

「それでいて日本企業は最近、一生懸命、現地化が大切だとか、中国人に権限を委譲すべきだとか、中国になじもうと努力はしてくれてはいるが、それは反面、中国人にとっては非常に都合の良いことだった」と張は話す。

なぜなら、「中国人に権限を委譲してくれる分、キックバックなど裏取引はやりやすくなる」からだ。「ただ、仮にもし日本人社員が中国人社員の不正に気付いたとしても、日本人はおとなしいからなのか、中国人同士の面倒な事に巻き込まれたくないのか、大抵何も言ってこない」。張は少し苦々しい表情で、こう中国ビジネスの裏側を語った。

■偽領収書で経費水増し

寧が勤める日系大手自動車部品メーカーの場合も、状況は全く同じだ。IT管理部門で働く寧の上司の部長は、40代男性の日本人。中国駐在歴は約1年とまだ浅く、「中国の事情をあまり良く分かっていないまま、今も仕事を続けている」(張)といい、一見、真面目に見える部下の寧にも、全幅の信頼を寄せているのだという。

そんな日本人上司の下で働ける寧が喜んでいるのは言うまでもない。「まさか裏でキックバックの取引が行われているとは、日本人の部長は全く思っていない」(同)
のだ。

中国では、領収書を不正に販売する業者から、勧誘のFAXが毎日のように、各企業に大量に送りつけられてくる中国では、領収書を不正に販売する業者から、勧誘のFAXが毎日のように、各企業に大量に送りつけられてくる

張は問題の核心、キックバックの費用をどう会計処理しているかについても語り始めた。

「一般に中国の民間企業の場合、社員が、家族や友人と食事に行った時、会社名義で領収書をもらうなど、普段から会社全体で領収書をあちこちから集める工夫をしています。それでも、キックバックなどで客先に支払った金額に比べ、到底足りませんから足りない金額分は、領収書を専門に売る業者のところにわざわざ買いに行って、帳尻を合わせるのです」。実際、中国には、領収書を不正に販売する業者が山ほどある。

■車の中で、札束を

「私は絶対に足跡が付かないように、銀行口座は使わず、キックバックは、いつも現金で相手に手渡ししています」

中国内陸部の中核都市、湖北省武漢市。経済発展著しい同市内の中心部で、大手企業向けに通信関連のシステム工事を手掛ける企業のトップ、中国人男性の李金平(50、仮名)はこう打ち明ける。

この会社は電子部品や自動車関連メーカー向けに、各種のシステム工事を手掛けているが、やはり「取引先の中国企業はもちろん、大半の日本企業の取引先でも、当たり前のように中国人担当者からキックバックを求められ、裏取引を行っている」という。

手口はいつも同じだ。 まずは商品を注文してくる先方の日系企業の中国人担当者から、李の会社に、システムの注文段階で合図が送られてくる。

例えば「今回はプラス1で」といった具合だ。プラス1とは1万元(約20万円)のこと。プラス6なら6万元(約120万円)だ。それがつまりキックバックの要求金額になる。そのキックバック分の金額を、見積もり金額の中にうまく入れ込み、先方の会社に、正式な見積書として提出するのだ。

そうして、商品を注文してくれる中国人担当者の“指示通り”に作った見積書を、提出しさえすれば、仕事は予定通りに落札、受注させてもらえる。

その後、システム工事が無事完了した段階で、李はいよいよ工事を発注してくれた中国人担当者を、電話で食事に誘い出す。

2人だけで食事を済ませた後、李が車で相手を自宅の目の前まで送り届けた段階で、誰も見ていない車の中で、資料に札束を入れた封筒をはさんで手渡すのが、李のいつものやり方だという。「相手は何も言わずに黙って受け取ってくれ、次の仕事のチャンスをまたくれる」。いつもがこの繰り返し。キックバックの相場はやはり、工事代金の5〜10%だ。

■タイミング良く席を立つ

日本人がまったく蚊帳の外かというと、そうでもない。日本人営業マンの高塚克彦は、「中国でキックバックを止めれば、仕事は他の会社に持っていかれるだけだ」と話す

日本人営業マンの高塚克彦は、「中国でキックバックを止めれば、仕事は他の会社に持っていかれるだけだ」と話す。「もう、私は、中国ビジネスのやり方に、慣れ過ぎてしまいましたけど…」。そう話すのは、広東省広州市に拠点を持つ、ある日系大手の上場企業で営業マンを務める日本人男性の高塚克彦(44、仮名)だ。

彼には、10年近い長年の中国駐在経験で身につけたちょっとした“技術”がある。中国に進出する日系メーカーを中心に営業をかける高塚の会社では、営業に強い中国人の営業マンと、技術に強い高塚のような日本人の営業マンが、ペアを組んで、客先に営業をかけるのが、社内ルールになっている。

そんなスタイルで日々営業を重ね、客先の会社でようやく商談がまとまりかけると、日本人の高塚はきまって、携帯電話に電話がかかってきたフリをて、商談中、席を外すのだという。その理由は、「キックバックの相談を中国人同士で話ができる環境をつくってあげる」(高塚)こと。中国ビジネスではそれがマナーで、重要だと言うのだ。

いくらキックバック慣れした中国人でも、引け目はあるのだろう。「日本人の前で、そういう話はしたくないのは、彼らのせめてものプライドなんです。だから私は、自然な形で席を立ち、中国人のプライドを傷つけないよう心がけている」という。

もちろん高塚自身、日本人として、思いは複雑だ。取引先の日系企業に勤める若い中国人社員が、自分がもらう給料の何倍ものお金をキックバックで得て、数千万円のマンションを買い、高級車に乗る姿を幾度となく見てきたからだ。

業種で見ると、広告業界、建設業界、自動車関連業界、IT業界、不動産業界など、扱う商品やサービスの金額規模が比較的大きかったり、商品の価格設定が分かりにくい業界で、やはりキックバックが横行し、腐敗の温床となっている場合が多い。

しかし、高塚は「この中国のビジネスの世界で、顧客からのキックバックの要求を受け付けずに商売をやることは相当厳しい」と切実に打ち明ける。自らがやめても、やめない会社は中国には無数にあり、「それらの会社に仕事を持っていかれるだけ」だからだ。

■庶民にはびこる腐敗

中国には誰もが知る有名なことわざがある。

「過了這個村,没這個店」

村をいったん通り過ぎてしまえば、もうお店を見つけることはできない――。日本のことわざで言うなら、「柳の下の泥鰌(どじょう)」。柳の下で一度、泥鰌を捕まえたからといって、いつもそこに泥鰌がいるとは限らない。いつも幸運を得られるものではないという戒めを込めたことわざだが、今の中国では、こんな解釈がはやっている。

 「その職場で、権限を使わないと、2度とチャンスは訪れない」――。

習近平は「虎(大物)もハエ(小物)も同時にたたく」とのスローガンを掲げ腐敗撲滅運動を推し進める。共産党内部の権力闘争はいまだ冷めやらず、大物取りが連日、報道で伝えられる。それを見てスカッとしている庶民が実は腐敗に漬かっているのだ。

子供を有名大学に入れるための袖の下は序の口だ。将来自分の子を共産党幹部にしようと、小学校の学級委員にさせたり、病院で不機嫌な看護師から機嫌良く注射1本を打ってもらったり、ただそれだけのためにカネが動く。

社会のありとあらゆるところで、賄賂の類いが頻繁に行き来する、それが中国の一面である。

中国では、一般の民間企業に勤める社員が、激しい中国ビジネスの競争を勝ち抜くのは、容易な事ではない…(9月、広東省広州市)

中国では、一般の民間企業に勤める社員が、激しい中国ビジネスの競争を勝ち抜くのは、容易な事ではない…(9月、広東省広州市)

日本の場合、一般企業でも従業員が取引先から裏リベートを受け取れば就業規則違反による懲戒免職に相当する。それだけでなく、本来値引きで会社の利益になる分をキックバックとして受け取ったことが立証されれば、背任や詐欺、業務上横領などの刑事責任を問われる可能性もある。雇用主の企業にとっては思わぬイメージダウンにつながりかねない。

独フォルクスワーゲンや東芝の不祥事で企業統治にこれまでにない厳しい目が注がれる中、日系企業はいつまで見て見ぬふりをできるだろうか。

今年1月、日立製作所の中国エレベーター合弁子会社のトップが突然、当局に拘束されたことが明らかになった。汚職容疑だった。容疑は日立合弁での業務に関わるものなのか、別にトップを務める国有企業でのものなのか明らかになっていない。だが、彼の下で仕事をしていた中国人社員が最近、こんな事を話してくれた。

「捕まったあの方は、我々のような日系の外資企業が、中国ビジネスでいかに勝ち抜くか、まさにそれを全身で教えてくれた立派な人でした。だからこそ、うちは中国では大きくなれました。

ですが、あの方が突然いなくなり、今後、うちのような日系企業がどうなるのか心配です。中国では建前だけでは会社は大きくはなれません。大きな仕事を取るためには、人脈が必要です。人脈をつくるには、多くのお金がかかるのが現実です」

今回の取材では、紹介し切れぬほど、数多くの日系大手の企業の名前が挙がってきた。改めて、中国に駐在する日本人ビジネスマンに感想をたずねてみると、こんな答えが返ってきた。

 「これ(腐敗)は、もはや中国の商習慣なんです」「中国の文化、必要悪なんです」「いまさら言ったところで、しょうがない」「目をつぶっておいた方がいいんですよ」「知らないふりが一番」

 「そっとしておいた方がいいんですよ」

=敬称略(広州)
日本経済新聞 電子版 2015/10/19
            (採録:松本市 久保田 康文)