矢板 明夫
■目立ってしまった脇役たち
中国の首都、北京で9月3日に抗日戦争勝利70周年の軍事パレードが世界中で注目されるで行われた。「パレードブルー」と呼ばれる快晴の下、北京市中 心部を東西に走る長安街の大通りを約1万2千人の人民解放軍の兵士たちが軍靴を響か せて行進した。
戦闘機200機あまりの飛行や、初公開の武器など500点強の軍装備を披 露し、中国の軍事大国ぶりを内外に誇示した。
しかし、この日の主役である習近平国家主席は始終、さえない表情をしていた。車に乗って解放軍の隊列を検閲したときも、高揚感はまったくなく、ひどく 疲れた様子だった。
国内のメディアを総動員して宣伝し、長い時間をかけて準備した 大きなイベントにも関わらず、内外から多くの批判が寄せられ、欧米などの主要国に 参加をボイコットされたことは習氏にとって想定外だったに違いない。習氏の表情に は、その悔しさが出ていたのかもしれない。
一方、習氏と比べて、一緒に天安門楼上に並んだロシアのプーチン大統領や、久々に表舞台に登場した江沢民元国家主席ら党長老たちは、最後まで、リラッ クスした表情で手を振り、元気な姿をみせ続けた。
脇役であるはずの彼らは、今回の 軍事パレードを通じて習氏よりも多くのものを手に入れたからかもしれない。
クリミア併合問題で欧米や日本などから経済制裁を受け、国際社会から・村八分・にされたプーチン大統領には、自身の存在感を示す大きな晴れ舞台が提供 された。軍事パレードのメインゲストとして習氏の隣に立ち続け、中露の蜜月ぶりを 演出し、国際社会の孤立と国内経済低迷を払拭し、ロシア国内の支持者を勇気づけよ うとする思惑もあったとみられる。
また、これまで失脚説が何度も流された江沢民氏にとって、自身の健在ぶりを示す最高の場面となった。習国家主席が主導する反腐敗キャンペーンで、江氏 の側近だった周永康・前政治局常務委員や、徐才厚前軍事委員会副主席らが次々と拘 束されたことで、習派と江派の対立が深刻化したといわれる。
式典の約2週間前の8月 中旬、米国を拠点とする中国語ニュースサイトには、「江沢民氏が天津市の爆発に関 与したとして拘束された」との情報が流れた。北京の当局関係者はすぐに否定した が、習派が江氏の影響力を低下させようとして流した偽情報の可能性が指摘された。
この日の軍事パレードで、江氏は強い日差しの中を約2時間立ち続ける 壮健ぶりを見せた。また、親族の不正蓄財で調査を受けていると香港メディアに伝え られた曽慶紅元国家副主席や、李鵬元首相、温家宝前首相らも楼上から笑顔で手を 振った。
党長老たちは、習氏が最近、官製メディアを使って自身への個人崇拝を進めて いることや、反腐敗の名目で政敵を次々と倒していくやり方に不満を募らせてい る。今夏に開し てかれた、共産党内の現、元最高幹部による北戴河会議でも、習氏ら長老からは批判が集まったとされる。
ある共産党関係者は、「今回の軍事パレードは習氏にとって権力集中を誇示する晴れ舞台であり、長老たちに出てきてほしくないのは本音だ」と説明した。 中国で10年ごとに行われる建国記念日を祝う軍事パレードに、党長老を招待する慣習 はあったが、今回は抗日戦争をテーマに行われた初の式典。しかも約30人もの外国 首脳を招待した。場所が狭いことなどを理由に、天安門楼上ではなく、長安街沿いに 長老たちのために特別観覧席をつくるという選択肢もあった。
しかし、結果として98歳の宋平・元政治局常務委員を含めて、存命中の約20人の長老は全員、天安門に上った。共産党関係者は「それを阻止できなかったこ とは、習氏にとって大きな誤算であり、政治力がまだ不十分であることをも内外に示 す結果となった」と指摘した。
習陣営にとって一つだけ・朗報・があった。今回の軍事パレードに出席した、胡錦濤前国家主席の手が微かに震え続けていたことがテレビを通じて流れたこ とだ。
「パーキンソン病など病気を患っているのではないか」といった憶測がインターネットに次々と書き込まれた。習派にとって間もなく90歳を迎える江氏より も、3年前に引退した72歳の胡錦濤氏の方が大きな脅威になっている。胡氏の健康不安 が国民に広く知られることになれば、その影響力が低下することは必至で、現在の指 導部による政権運営がやりやすくなる可能性もある。
■軍事パレードの効果
ロシアは第2次世界大戦後、10年ごとに対ドイツ戦勝利を祝う軍事パレードを実施してきたが、これに対し中国は昨年まで対日戦争を祝う軍事パレードを一 度も行ったことはなかった。
日中戦争を戦った経験者はほとんどいなくなり、100周年ではなく70周 年という中途半端の時期に、なぜこんなに大規模な行事を行うのか。その目的は三つ あると考えられる。
一つ目は、習氏の個人の威信を高めることである。2012年11月に発足した習指導部は、外交、経済面などで目立った実績がほとんどない。しかも、反腐敗 キャンペーンの中で、強引な形で軍制服組元トップだった郭伯雄と徐才厚両氏を失脚さ せた。軍を掌握しているように見えても、軍の中で自分を敵視している勢力があるの ではないかという不安を抱えている。今回の軍事パレードを通じて、自分が軍のトッ プであることを改めて強調する必要があった。
二つ目の目的は、共産党による一党独裁の指導体制の正当性をアピールするためである。共産党は選挙によって選ばれた政権ではないため、その合法性につ いて疑問が持たれている。毛沢東や小平ら革命世代の指導者らが亡き後、官僚出身の 指導者が続き、彼らは国民に本当に支持されているのかについて不安になることがある。
軍事パレードのようなイベントを開催し、国民を結束させる必要があった。
とくに抗日戦争について、共産党指導部は「共産党軍が中心となり、侵略者である日本軍を中国から追い出したため、中華民族の独立が保たれた」と主張し ている。このことを国民にアピールすることも軍事パレードの主要目的といわれる。
もちろん、これは事実ではない。日中戦争における中国側の主役は中国国民党軍であることは言うまでもない。中国当局は歴史を歪曲し、小学校の教科書か ら、日中戦争は共産党軍が戦ったと強調して、国民党が果たした役割をほとんど教え ていない。
三つ目の目的は国民の不満を外に向けさせることである。具体的に言うと、貧富の格差や、景気低迷、それから最近の株価の暴落、さらに天津の爆発に代表されるようなずさんな管理、深刻な環境問題など、多くの国民は今の政府に対し大き な不満を持っている。
そうした不満をかわし、国民の関心をほかの方向にそらす必要があった。ほかの方向とは、日本である。習政権発足後、日本叩きをしつづけたことで政権の 求心力を繋いできたのが実情だ。
今回の軍事パレードの前後に、メディアなどを使っ て、旧日本軍が中国人を虐殺した蛮行が強調され、安倍政権の安全保障政策を批判し た。「日本で軍国主義勢力が復活しつつある」との印象を国民に植え付けようとした。
では、軍事パレートを終えて、以上の目的は達成できたかどうかを検証してみたい。
まず、若者や貧困層の間で一定の効果があったと考える。レストラン の店員や、タクシー運転手、農民工たちに軍事パレードの感想を聞くと、「習主席の 格好がよかった」「兵隊さんの行進が美しかった」といった反応が多かった。
普段、下層社会で厳しい生活を強いられている彼らは、軍事パレードを見ることで中国が 強くなったことを実感し、中国の一員である自分への自信をいくらか取り戻した効果 があったかもしれない。
インターネットを見ても、とくに大学生ら若者が集まる掲示板などには「祖国万歳」「習近平主席万歳」といった内容の書き込みが多かった。中国に招待 されたにもかかわらず、欧米や日本がボイコットしたことに対し批判する声も多かった。
1900年の北清事変で清国の都北京に攻め入った日、英、米、仏、 独、露、伊、墺の8カ国連合軍の歴史に触れ「ロシアを除き列強が中国を再びいじめは じめた」といった書き込みもみられた。
しかし一方、富裕層と知識人たちの間で、今回の軍事パレードに対し「金の無駄遣い」「冷戦時代の発想だ」といった批判が多かった。香港紙の試算によれ ば、今回の軍事パレードの予算と経済損失は合わせて、215億元(約4000億円)に達 した。
政権に強く失望した知識人もあった。ある大学教授は「日米欧をみな敵に回してしまい、小平以来、中国が30年以上も続けてきた善隣友好外交が台無しと なった」と嘆いた。
当局は今回の軍事パレード前後の3日間を休日に決めたが、この期間を 利用して、日本に観光にきた富裕層も多かった。彼らは政府の日本批判キャンペーン を全く気にしていなかった。
また、青空を実現させるために、周辺数千の工場の操業を停止し、経済活動が停滞した。企業の経営者からは恨み節が聞かれた。ある製鉄会社の社長は「う ちの溶鉱炉は一旦止めると壊れてしまう。昨年のAPECの時に止まって、新しく設備を 入れたばかりだ。まだ1年もたたないうちにまた操業停止となり、大損だ」と嘆いた。
しかも、これらの操業停止はすべて行政命令の形で行われ、法的根拠がない。習政権が昨年秋の党中央総会で「法による支配」という執政方針を打ち出した のに、早くも自らがその方針を否定した形となった。
貧困層や若者は人数的に多いけれど、富裕層と知識人の方がより社会的に影響力を持っている。軍事パレードで富裕層と知識人の政府に対する不満が高ま り、批判を浴びたことは、習政権にとって大きなマイナスといえる。
■パレード外交でも失敗した
今回の軍事パレードに対し国際社会の反応も決して良くなかった。習政権にとって外交成果もマイナスだった。今年2月、軍事パレードの実施を決めたと き、習氏の裏でイメージしたのは、米国をはじめ、世界中の主要国のリーダーがみん な北京に集まり、出迎える自分のところに一人ずつやってきて握手する場面だったか もしれない。
しかし、ふたを開けてみれば、日本や米国など先進7カ国(G7)の首脳 は全員参加を見送った。太平洋戦争の戦場となったフィリピンやインドネシアの首脳 も姿を見せなかった。
習政権発足後、唯一関係が良くなったといわれた韓国の朴槿恵大統領でさえ、直前になるまで、態度をあきらかにしなかった。30人の出席者のなかに、朴大 統領とロシアのプーチン大統領以外に、ほとんど国際社会で知名度も影響力も低い リーダーばかりだ。
人民解放軍の隊列に続き行進したパキスタン、キューバ、メキシコなど11カ国の外国軍の部隊のほとんどは、旧日本軍と戦ったこともなければ、日中戦争中 に中国を支援したこともない。むしろ、中国から支援を受けている国が大半を占めた。
ベネズエラ軍代表も行進に参加したが、派遣された兵士はわずか9人 だった。軍事パレードのあと、中国がベネズエラに対し50億ドルを融資することを発表 した。
中国の外交関係者の間で「1人当たり5億ドル弱、史上最高の出場費を中国が 支払った」などと揶揄された。
1980年に独立し、人口わずか20万人あまりのバヌアツ共和国のロンズデール大統領は夫人とともに参加した。同国は今年3月、サイクロンの被害に遭ったと き、中国から3千万元(約6億円)という破格の支援を受けた。「お礼のための出席で はないか」と話す欧米記者もいた。
また、別の理由で国際社会に注目された出席者がいる。スーダンのバシル大統領である。バシル氏はダルフールでの虐殺に関与した疑いで、国際刑事裁判所 (ICC)から逮捕状が出されており、現在、国際指名手配を受けているからだ。
「反 ファシズム
勝利を祝うイベントなのに、ファシストのような犯罪者を呼んでいいのか」と複数の人権団体から抗議の声が上がっている。
5月にロシアで行われた対ドイツ戦勝70周年の記念式典には25カ国が参 加した。このことを受け、中国が苦心してそれを上まわる30カ国を集めた感が否めない。
国の数では、クリミア併合問題で国際社会から制裁を受けているロシアには勝ったようにみえた。しかし、2008年夏に北京でオリンピックが行われたとき、 その開幕式に、米国のブッシュ大統領、日本の福田康夫首相、フランスのサルコジ大 統領(肩書はいずれも当時)ら世界中から86人の首脳と王室関係者が参加した。
胡錦濤政権当時と比べて、いまの中国の外交環境が著しく悪化したことがうかがえる。そういう意味で、習政権が展開した軍事パレード外交は完全に失敗し たといえる。
ただ、一つだけ成果があるとすれば、中露が主導する国際組織、上海協力機構のメンバー全部が出席したことだ。中央アジアの旧ソ連に加盟していた国々を 中心に構成している組織だが、最近、欧州でNATO(北大西洋条約機構)と対抗して、 東アジアで日米同盟と対抗する構図がいよいよ鮮明化した。
これらの国々は中国の習政権が推進する、欧州やアフリカまで結び、新しい経済圏を生み出そうとする「一帯一路」構想と深く関わっており、今後、中国の これらの国々に対する影響力はますます高まる可能性がある。
上海協力機構が中露 中央アジア軍事同盟の雛形になりつつあることを、日本をはじめ、国際社会は注目す る必要があるかもしれない。
■左手で敬礼の波紋
今回の軍事パレードで、思わぬところで話題になったことがある。習主席が自動車に乗り、立ち上がって閲兵した際に、左手で敬礼したことが注目された。
中国軍の規定では、けがや障害など特別な理由がなければ、「右手で敬礼する」と決 められている。習氏がこれを守らず左手で敬礼したことに「兵士たちはあれだけ必死 になって練習したのに、上司は常識も覚えようとしない」といった批判がよせられ た。このことが習氏の人気にマイナス効果をもたらす可能性もある。
3日午前、中国のテレビのほぼ全チャンネルが軍事パレードを生中継した。習主席は車上で、緊張していたせいか、ほとんど無表情だった。長安街をUター ンして天安門方向に戻ろうとしたとき、部隊の方を眺めて左手を顔の横まで持ち上 げ、「敬礼」をした。
不自然な感じがあり、インターネットには「習主席は左利きなの か」「いや左利きでも右手で敬礼しなければならない」といった書き込みが殺到した。
その後、各ネットメディアはそれぞれ、独自の解説をし始めた。あるメディアは中国の古典「老子」のなかに、「吉事は左、凶事は右に属する。君子は左を 貴ぶ、用兵は右を貴ぶ」を紹介し、習主席が左手で敬礼をしたのは、「軍事パレード は戦争ではなく、武力を使用しない吉事である」と解釈した。
また、別のメディアは、「軍服を着たものが敬礼をする場合は右手だが、私服の習主席は左手でするのは当然だ」とも説明した。
その後、共産党の機関紙、人民日報(電子版)で「実際には撮影の角度で(敬礼との)誤解を招いただけ。本当は、習近平主席が軍の将兵に左手であいさつ をしただけだ」と説明した。これが共産党の公式見解となり、その後、すべての中国 メディアは「敬礼」という言葉をつかわなくなり「単なるあいさつ」と報じはじめた。
しかし、これまで、毛沢東、トウ小平、江沢民など軍事パレードで閲兵した 指導者はみな、敬礼も挨拶も右手をつかったのに、習氏だけが左手を使うのは明らか に不自然だ。
「緊張しすぎたため手を間違った」とみる共産党関係者がいる。現場の近くにいた同関係者によると、テレビ画面に映らなかったが、実は習氏が敬礼する直前 に、陳情者と思われる男性が習氏に近づこうとして長安街に一瞬突入し、警察に抑え られた場面があった。「それをみた習主席が動揺したのが、あげる手を間違った原因 ではないか」と推測した。
米国在住の民主化活動家の胡平氏も「単純ミス」と見ている。胡氏は米国メディアに対し、米国大統領も就任宣誓の時に言葉を間違ったことがあるのを指摘 した上で、「人間は誰でもミスをする。しかし、ミスをしてもそれを認めず、官製メ ディアを使ってそれを正当化するのは独裁国家の特徴だ」と指摘した。
ある軍関係者は、「習氏の左手による敬礼について、兵士の中に『失礼だ』と思っている人もいる」と紹介したうえで、「習氏が翌日に、自分の言葉で左手 をあげた理由を説明すべきだった。ミスであっても兵士たちに謝罪すれば、好感度は 上がるかもしれない」と指摘した。
しかし、毛沢東のような偉大な指導者を目指している習氏は、メディアを使って、自分自身をミスのない神様のような指導者に仕立てようとしているため、 謝罪はしいだろう。情報を完全にコントロールすることは不可能のいま、「こうい うことをすればするほど、習氏に対する国民の信頼がうしなわれていく」と指摘する 声もある。
■発行されなかった取材証
今回の軍事パレードで、筆者(矢板)も珍しい経験をした。外国人記者の中で唯一、取材する取材証が発行されなかったことだ。思わぬ形でニュースの当 事者となり、菅義偉官房長官が会見で「記者の扱いは平等に行うことは民主国家と して当然だ」と中国を批判するなど意外な展開となった。
経緯を簡単に説明する。8月中旬、中国で外国人記者を管理する外務省 記者センターに軍事パレードの取材証の発行を申請したが、同月下旬に同僚記者と 支局の二人の中国人スタッフの分が出ただけで、筆者の分は降りなかった。
当初は手 続きミスだと思い、何度も問い合わせをしたが、9月になってから担当者は「審査を 通過しなかった」と回答してきた。北京にある日本大使館に報告すると、大使館は 中国外務省に対し「遺憾の意」を表明してくれた。
取材証が発行されなかったことで、取材に支障が出た。軍事パレード当日は、管制区域内にある支局にもいけなかった。自宅でテレビと電話取材だけで原稿 を書かざるをえなかった。
取材証が発行されなかった理由はいまもはっきりしない。日々の原稿で中国当局を批判することが多いため、中国当局が不満を募らせたのかもしれないが、 北京駐在になってからすでに8年が過ぎた。これまで電話や呼び出しなどで抗議を受 けることはよくあったが、取材証の発行拒否は初めてだ。
心当たりが一つだけあった。8月中旬に北京郊外で軍事パレードに参加 する予定のヘリコプターが墜落した事故があった。ある軍関係者が情報を教えてくれ てすぐ現場にかけつけたが、すでに周辺が封鎖され、目撃者にも厳しい緘口令がしか れた。
なかなか厳しい取材だったが、翌日になってようやく全容がつかめた。しかし、軍の秘密に絡む話で、中国当局が否定する可能性もある。記事にすれば情報 提供者にも迷惑をかけるかもしれないと思いすぐには書かなかった。
その後、共同通 信が北京市関係者の話としてこのニュースを配信したため、後追いの形で記事にし、 共同電よりかなり踏み込んだ内容を盛り込んだ。
今から思えば、へリ墜落後、現場に到着した時から軍からマークされていた可能性があった。軍からみれば、ヘリの墜落の現場を駆け回る記者は、軍事パ レードの成を邪魔しようとしているようにみえたかもしれない。外務省に対し、取材 証を出さないように圧力をかけた可能性もある。
今回、取材証のことで、日中間の外交問題に発展したことは、中国は産経新聞と筆者に対し大きな不快感を覚えたに違いない。今後、取材妨害などの嫌がら せが増える可能性がある。私たち北京に駐在する外国人記者にとって、もっとも大き な嫌がらせは年末に記者証更新が拒否され、国外追放されることだ。
2007年末、産経新聞中国総局の福島香織記者がブログで、当時の胡錦濤国家主席ら中国の指導者を批判する記事などを連続して掲載したことを、中国外務省 が問題視し、年末の記者証を更新しないことを示唆したことがあった。
しかし、こ れを受けた福島記者がまたブログで、「私が追放されれば、元日号の一面トップにそ れを書く」とブログで宣言した。
その後、当時の産経新聞の伊藤正総局長が粘り強く交渉した結果、北京五輪を控えた中国は態度を軟化させ、記者証の更新を認めた。しかし、当時は温厚な 胡錦濤政権だったが、今は日本に対する態度がもっとも厳しいといわれる習近平政権 である。同じようなことになれば、厳しい結果になるかもしれない。
もっとも、中国当局からどんな嫌がらせがあっても、筆者は中国報道の姿勢を変えるつもりはない。
(産経新聞中国総局特派員 矢板明夫)
★月刊「正論」11月号★
産経「正論」【矢板明夫のチャイナ監視台】2015.10.11
(採録松本市: 久保田 康文)