2015年08月31日

◆私の「身辺雑記」(255)

平井 修一


■8月28日(金)、朝は室温23.5度、薄曇り、涼しい。肌寒いので昨日から下着をつけている。洗濯物は増えるが、シャワーは1日おきで済むから楽にはなる。犬は元気で2/3散歩。コオロギの音、オシロイバナのピンク、いとおかし。

笹川陽平氏のブログ8/26「中国の小話 天津大爆発」その1と2から。

<天津港大規模爆発事故後、数日たっても死者の数や危険化学物質の成分、爆発の規模、環境に対する影響、事故対策の指揮者の所在等々、天津市当局の記者会見では明確な説明が全くなかった。

この曖昧模糊とした説明に、人民の政府に対する不信感は募るばかり。そこで天津当局の記者会見での要領を得ない答弁を、西遊記を題材に皮肉を込めて語らせているのである。

三蔵法師は中国人民、孫悟空は天津当局として読んで下さい。
【西遊記の花果山爆発】

三蔵法師:何匹の猿が死んだ?
悟   空:26の洞窟が水没した。

三蔵法師:何匹の猿が死んだ?
悟   空:わずか5000本の桃の木が倒れた。

三蔵法師:何匹の猿が死んだかを訊いている。
悟   空:生きている猿を無事に避難させた。

三蔵法師:はっきり言いなさい。何匹の猿が死んだか?
悟   空:救援チームはすでに現場に入り、死んだ猿の家族たちは落ち
着いている。

三蔵法師:一体何匹の猿が死んだのか?
悟   空:今日、観音様が一匹の猿を救出した。

三蔵法師は卒倒した。

*天津大爆発その2―

天津の爆発事故では、首都圏の市民たちが、有害物質が空気中に飛散したとして大気汚染を心配していたが、政府の発表によると、観測データーでは普段よりも汚染物質が少なく、空気がきれいだということであった。

政府発表に不信感を募る市民たちからは、以下のような小話が誕生した。

農民が収穫後にわらを焼くと、重度な大気汚染を観察したので、厳禁にした。

春節前後に爆竹を鳴らしたら、重度な大気汚染のデーターが出たので、厳禁にした。

屋台で串焼き屋さんたちが商売を始めると、重度な大気汚染を裏付けるデーターが示されて、これも厳禁にした。

にもかかわらず、今回は百年に一回ともいわれる化学有害物の大爆発が起きたが、不思議なことに、政府が発表した大気や水に関するすべての数値が逆に正常になっていた。

唯一考えられるのは、大爆発した化学物質は空気洗浄剤の可能性が高い。これで首都圏上空に立ち込める靄(もや)や大気中の有害物質を一気に吹き飛ばしたのかも知れない>(以上)

デタラメし放題の「メチャクチャイナ」。ユーモアというか皮肉を込めてチャカスのが言論不自由独裁強権国での庶民のガス抜き、うっぷん晴らし、娯楽だ。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」

この狂歌は「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と並ぶ五輪級のレベルだ。アカどもも真似たらどうか。

「泰平の眠りを覚ます安倍晋三 自衛めぐってアカは眠れず」

「占領の七十年に住みかねて もとの誇りの帝国恋しき」

さて「メチャクチャイナ」のお隣の北朝鮮は「コリアイカン」だ。

朴斗鎮・コリア国際研究所所長の論考「避けられない金正恩の権威低下〜地雷挑発に対する遺憾表明で」(Japan In-depth 8/27)から。

<8月4日、非武装地帯(DMZ)の韓国側で北朝鮮軍が埋めた地雷が爆発し、韓国兵2人が重傷を負った。この事件を受けて始まった南北の軍事対決は、韓国側の勝利に終わったようだ。

地雷挑発の対抗措置として韓国が11年ぶりに再開した北朝鮮向け「拡声器放送」に対して、金正恩第1書記は20日、「48時間以内の中断」を求め、22年ぶりの「準戦時体制」を宣布した。

こうして一触即発の危機を演出したが、21日には南北高位級会談を韓国側に提案するなど早々とチキンレースから降りていた。

当初北朝鮮側は、労働党書記で統一戦線部長の金養建を首席代表として送り込もうとしていたが、韓国側が朝鮮人民軍総政治局長の黄炳瑞を逆指名するとそれに応じた。協議場所でも板門店の北朝鮮施設「統一閣」ではなく、韓国側の「平和の家」とする提案を受け入れた。

そればかりではない。高官協議の開催を発表する際、北朝鮮は、韓国を「傀儡」「南朝鮮」と呼ばずに「大韓民国」と正式な国名で呼称した。この時点で南北会談の結末はほぼ見えていたと言える。

22日午後6時から25日午前0時まで断続的に続けられた南北高位級会談は、北朝鮮側の「遺憾」表明と韓国側の「拡声器放送中断」など6項目で合意された。

今回の南北高位級会談は、その経緯や合意文から見て北朝鮮が「謝罪」したと考えるのが自然である。外交慣例から見ても「遺憾」は「謝罪」と理解するのが通例だ。北朝鮮では最高指導者の権威を守るために公式文では「謝罪」という言葉は使わない。これまでのケースを見てもそうだ。「遺憾」が「謝罪」なのである。

今後北朝鮮は、金正恩の権威を守るために様々な詭弁を弄するだろう。すでに黄炳瑞は国内向けで「韓国に教訓を与えた」などと説明している。しかし、そのような欺瞞宣伝は今の北朝鮮国民にすら通用しないであろう。

未熟な挑発行動で「敗北」を国内外にさらした金正恩第1書記の権威は、今後ますます低下するに違いない>(以上)

「バカンコク」を入れて「東亜妄想統失トリオ」。素敵な隣人のお陰で日本人は「日本人」を取り戻しつつある。ありがとう、中韓北。しっかりたっぷり報いるからお楽しみに。

■8月29日(土)、朝は室温23度、薄曇り、涼しい。洗濯物が乾きにくくなってきたが、まあ仕方がない。犬は機嫌よくハーフ散歩。

夕べは集団的子育て。孫3人は夕食を終えると、キッチンでレーニン「帝国主義論」を読んでいる小生に食器を持ってくる。「キレイキレイ、スゴイスゴーイ、花丸二重丸!」と誉められるとご褒美にアイスクリームをもらえるから孫たちも一所懸命に食事を摂る。

「キッチン帝国主義」の孫用バージョンだ。帝国の安保も小生の役割だが、ここ数週間、PCにやたらと「Windows 10アップグレード」の案内が来る。「ただより高いものはない」「うまい話にご用心」は先人の知恵だが、MSが悪さをすることはないだろうから、さてさてどうしたらいいだろうかと迷っていたら、NECから以下のメールが来た。

<日頃は、NEC製パソコンをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

本メールは、2013年4月以前に発表されたLaVie、VALUESTARの保有商品情報を希望されている方へお届けしております。

◆Windows 10アップグレードに関するご注意

2015年7月29日にマイクロソフト社から公開されたWindows 10について、アップグレード後にパソコンの操作ができない、動作が不安定になる、ソフトウェアが使用できない、などのトラブルが増加しております。

マイクロソフト社より“Windows 10は、すべてのWindows 8.1、Windows 7パソコンに無償で提供される”とアナウンスされていますが、弊社Webサイトでご案内しておりますとおり、2013年4月以前に発表されたLaVie、VALUESTARは、Windows 10アップグレードの動作確認の対象外製品です。

対象外製品につきましては、アップグレードを行うことによりトラブルが発生する可能性があります。また、動作確認情報、ドライバ提供を含めてサポートを行いませんので、現在のOSのままご利用いただくことをおすすめします。

・通知領域から「Windows 10を入手する」アイコンを削除する方法
 ⇒ http://news.121ware.com/?e=7q7YHW6taLSDr1GEmbq

・Windows 10にアップグレードしたパソコンを元のWindowsに戻す方法
 ⇒ http://news.121ware.com/?e=7q7YHW6taLSDr2kEmbb>(以上)

小生のPCは2011年、還暦の際にプレゼントされた LaVie/Windows 7 だか
ら、安易にWindows 10にアップグレードしたら被害をこうむっていたかも
しれない。

この世は危険に満ち満ちている。冷静に現実を見て、情報を収集分析し、危険あるいは安全を認知し、適切に処置すること(同意する、シカトする、対峙する、叩くなど)が大切だ。

夕食は婿さん交えて7人でピザ=カミサン担当と、鶏の唐揚げ=小生担当。キッチンで並んで仕事をするが、カミサンはラヂオをつける、小生は「静かにしてくれ」という。カミサンは脳みそと声帯が一体化しているからさえずりっ放し。トイレに行くときも「うー、オシッコ!」とさえずる。実によく喋る。

「お、お、俺は先に天国へ行くから、追いかけてくるなよ、静かに暮らしたいからな」

「誰が行くものか、もう二度とアンタとは一緒にならないわ。ほんとにつまらないオヤジ。今度は犬に生まれたらいいわ、口をきかなくてもいいから」

アーダコーダ言いながら美味しい料理ができ上がって皆大満足。

それにしてもお人形さんみたいに可愛いお嬢さんだったのだが・・・荒淫矢の如し、ナニのことは夢の股夢、か。

■8月30日(日)、朝は室温22.5度、薄曇り、涼しい。犬は機嫌よくハーフ散歩。涼しくなると元気になる。

わが街の台所、スーパーライフは8/24(月)〜9/4(金)まで店舗改装のためお休みだ。失念して訪ねたら工事真っ最中だった。もう一つのスーパーは結構評判がいいのだが、中流以上の層をターゲットにしているため、モノはいいものの、とにかく高い。一番安いワインが880円もした。

ライフは中流以下がターゲットで、分相応だし、魚が新鮮なことでも気に入っている。400円以下でも美味しいチリワインがある。

先だって産経にライフ創業者・清水信次氏のインタビューが連載されていたが、この方は何回も九死に一生の体験をし、無事に危機を免れている。ああ、天の庇護があったのだなあと思わざるを得なかったが、「そう言えば俺もずいぶん死ぬ目に遭ったなあ」と思い出した。

5歳:台風による洪水で避難中に溺れる。夜明け時だったから助かった。夜中なら即行方不明だ。

7歳:奇病で突然、歩行困難になる。父母は死を覚悟したそうだ。

19歳:革マルに東池袋のアジトを急襲されそうになる。仲間が速攻で集まったので助かった。

20歳:1971年9月初頭、成田空港滑走路下に掘っていたトンネルが台風の大雨で陥没、小生が早朝点検に入る直前だった。

9月16日、天浪砦の鉄塔がクレーンにより倒されて火炎瓶が炎上、その後クレーンアーム上で機動隊と格闘、突き落としたが、やがて小生も転落。

21歳:社青同解放派のテロを恐れて登校不可に。「都市ゲリラ戦の準備のために」という名目で自動車免許取得。

伊豆をドライブ中に崖から落ちそうになる。カーブを曲がり切れずに対向車(大型バス)と衝突しそうになる。

22歳:仕事を終えてトラックを狭い車庫に入れる際、首を出して後ろを見ていたら壁に挟まれそうになった。危機一髪。

23歳:鳶職として鉄骨を組立中に、クレーンが運んできた鉄板に煽られそうになる。皆「墜ちる!」とハラハラしたという。

35歳:酔って丸ノ内線ホームから転落。

50歳:経営不振や疲労蓄積で「もういいや」と首吊り自殺。発見が早かったので生きながらえた。喉から出血、一週間ほど声出せず。

52歳:胃がんが肝臓に転移したようで抗がん剤治療。副作用が激しく、生きているようで死んだような気分。冥界体験。

以来、死ぬ目には遭っていないが、天から生かされたのかなあと思う。なんのために? やはり日本を普通の国にするためだろう、「一兵卒として
戦え」と。

この世をば 普通の国に 戻したく 余生の日々を 英霊と歩む(修一)

もう自死はしないが、特攻、散華したいものだ。ターゲットはX。20歳で逮捕されると友だちが小生の自宅にあるヤバイものをガサ入れに備えて処分してくれたのだが、「爆弾教本・腹腹時計」を失ったのは返す返す残念だ。

ただ理系じゃないから上手くいかないだろう。小生の越境攻撃は妄想に過ぎないが、ノウハウを積んだウイグル人が密かに戻っているようだから、彼らに期待しよう。

井伊しかけ 毛せんなしの 雛まつり 真赤に見へし 桜田の雪
三月は 雛のまつりか 血まつりか あけに染めたる 桜田の雪

ながつきは 習のまつりか 血まつりか あけに染めたる 天安門前(修一)

(2015/8/16)

◆中国・国防動員法の恐怖

河崎 真澄



戦時日本の徴用どころではない …「有事」認定で進出企業のヒト・モノ・カネを根こそぎ 駐在員と家族は人質か?

中国・国防動員法が発動されると、あらゆるヒト、モノ、カネが徴用される恐れがある。

「中国政府がひとたび『有事だ』と判断すれば対中進出している日系企業も含めて、中国のあらゆる組織のヒト・カネ・モノの徴用が合法化され、戦時統制下におかれる懸念があることにもっと関心を払うべきだ」

マレーシアを拠点に日系企業向けコンサルティング業務を手がけるエリス・アジア事務所の立花聡代表は厳しい表情で“警告”を続けた。

■有事になれば一方的に適用

あまり知られていないが、2010年7月1日に中国が「国家の主権、統一と領土の完全性および安全を守るため」として施行した「国防動員法」の規定をさしている。全14章72条からなる同法について、立花氏は「(適用の可能性は低いだろうが法律として存在する以上、(日本にとっても)不確定要素となる」と指摘した。

「有事」の定義はややあいまいながら、仮に東シナ海や南シナ海などで偶発的な衝突が起きた場合、中国が有事と考えれば一方的に適用が可能だ。ど)は兵役機関の予備役要員の召集業務の遂行に協力しなければならない」。

予備役要員は中国国籍の男性18〜60歳、女性18〜55歳が対象。有事の際、戦地に送られるというよりは、兵站などの後方支援や中国の敵国に関する情報収集任務が与えられる可能性がある。

日系企業の中国現地法人が雇用した中国人従業員が同法に基づいて予備役として徴用されて職場を離れた場合も、雇用側は給与支給など待遇を続ける義務が生じる。

同時に、社内情報などがすべて軍当局に伝えられても阻止するすべはない。しかも中国国内だけではなく、日本など海外滞在中でも中国国籍保持者は「国防勤務を担う義務」がある。ヒトが大問題になる。

次に第63条。「金融、交通運輸、郵政、電信、報道出版、ラジオ、映画テレビ、情報ネットワーク、エネルギーや水資源の供給、医薬衛生、食品と食糧の供給、商業貿易などの業種に管制を敷く」とある。

最悪の場合は日系企業の中国の銀行口座凍結や金融資産接収のほか、売掛金放棄も考えられる。ビジネスの基本であるカネが危ない。

■最悪の場合、口座凍結も

そして第54条。「備蓄物資が国防動員の需要を延滞なく満たすことができなくなったときは民生用資源を徴用できる」。民生用資源は、企業など組織や個人が所有、または使用している社会生産、サービス、生活上の物資、施設などを幅広く含むとされる。自動車や電機など、現地工場の生産設備や物流のためのトラックなどのモノが根こそぎ徴用されても“合法”だ。

立花氏は(1)国際電話やインターネットなど海外との通信手段の全面遮断(2)国内線や国際線など航空便の運航停止(3)中国に滞在中の日本人など外国人の預金引き出し禁止-などの措置が法的に可能になるとみて、対中進出する日系企業に厳格なリスク管理を訴えている。

平和ボケ日本では一笑に付される恐れもあるが、「有事の際には日本人駐在員やその家族が“人質”になる危険性も排除できない」(立花氏)ことは確か。少なくとも経営者は最悪のシナリオを想定した事前対策が欠かせない。

ただちに差し迫った危機があるとはとはいえなくとも、立花氏は「16年に有事リスクがある」とみる。16年1月には中国が自国領の一部と主張する台湾で総統選挙がある。対中融和策をとる現在の与党、中国国民党の候補が敗れ、野党の民主進歩党が政権奪回した場合、中台関係の行方が気がかりだ。

■来年1月に有事が…

事実、中国の北京軍区の部隊が7月、内モンゴル自治区の市街戦訓練場で、台北の台湾総統府に酷似した建物を攻撃する軍事演習を行い、台湾側を威嚇した。

攻撃部隊は敵側首脳の排除を意味する「斬首行動」に成功したという。さらに来年11月の米大統領選で対中外交戦略をめぐる議論がどのような方向に向かうか。選挙結果によって緊張が高まる恐れも考えられる。

中国は、集団的自衛権の限定的行使を容認する日本の安全保障関連法案の審議に、これまでも強く反発してきた。安倍晋三首相の「戦後70周年談話」の見極めに加え、習近平指導部は9月3日には抗日戦争勝利70年の軍事パレードなど一連の行事で抗日キャンペーンを強める。

一方で、「国際社会から非難を浴び、経済的にも損失の大きいはずの『国防動員法』を中国がそう簡単に適用するはずがない」との反論も日本国内からはでそうだ。

ただ、安全保障関連法案一つとっても遅々として進まぬ日本に対し、中国はすでにさまざまな法的措置を着々と進め、戦時体制に備えている現実すぐそこに実際に存在していることは認識する必要がある。まずは中国に人員を派遣している日本企業から

「発想の転換」をすべきではないか。(上海支局長)

産経ニュース【けいざい独談】 2015.8.27
                (収録:松本市 久保田 康文

◆赫白村もたまには良いことをいう

div style="text-align:center;">宮崎 正弘 



<平成27年(2015)8月29日(土曜日)通算第4640号>    

 
〜(元台湾首相、軍トップ)もたまには良いことを言う
「北京軍事パレードに参加する老兵よ、行ったら年金を取り上げるぞ」〜


李登輝時代の最大の政敵、台湾軍のトップをつとめ、李登輝政権時代には首相も務めた国民党の重鎮、赫白村(「赫」は「赤」におおざと)が「公開状」を出して、こう言った。

「北京の「戦捷」軍事パレートに参加する老兵たちよ、もし、行ったら年金を取り上げるゾ」と。

蒋介石率いた国民党が、抗日戦争の主体であり、共産党はなんの関係もない。その共産党が「抗日戦争勝利」などと謳って軍事パレードを行うのは笑止千万であり、「歴史を歪曲するものだ」と赫将軍は吠えたのだ。

まさに正論、赫将軍、現在96歳。ちっとも呆けていなかった。

赫白村は李登輝時代に首相を務めながら、李登輝路線に徹底して反対した。96年の総統選挙では国民党守旧派を率いて自らも副総統候補として立候補したが、李登輝に惨敗した経緯もあり、息子の赫龍武は前の台北市長だ。

9月3日の軍事パレードに国民党からは名誉主席の連戦が出席するが、すでに政治的影響力を失った連戦が何をしようと台湾政界に及ぼす影響力は微々たるもので、問題は国民党軍の老兵たちが出席して、北京の政治宣伝に利用されることだ。

これまでにも老兵等(殆どが中国大陸から無理矢理連れてこられた、政治信条のない集団)は台湾で軍人年金がでるため、旅行が解禁になると大陸で「花嫁」を募集し、大陸に住み着いて、年金だけを受け取るという人たちが目立ち、社会問題化していた。

96歳の、こちこちの蒋介石時代の軍人から、たまに正論が飛び出すとは思わなかった。

◆潘基文事務総長の訪中は”暴挙”

前田 正晶



近頃これほど呆れた韓国人はいません。私は怒っております。私はUNというところは建前だけでも中立であって、一国や一派に偏することなき存在かなと疑って?いました。この暴挙に心底からお怒りである国民がおられると信じていますが。

だが、この事務総長なる者は、UNの幹部職である前に韓国人である事を前面に打ち出してきたのですから、私には最早言うべき言葉は残っていません。彼は我が国が共産中国に対する戦に敗れたとでも思っているのでしょうが、今回の訪中ではそれがUNの意向の如くであるとでも言いたいのではないかと疑います。

かかる事態が起きると、29日も女子のゴルフで「イボミ」という韓国人が途中経過で1位になっていましたが、私は今後は韓国人のゴルファーの出入りを禁止せよと入管か協会に要求したくなります。

私の立派な偏見ですが、そんな国のゴルファーにもう今までのようにおめおめと大金を持って行かれたくありません。だが、遺憾ながらこのコインの裏側は「我が国のプロゴルファーの意気地無さ」がありますが。

◆国連本部に翻った日の丸

伊勢 雅臣



〜 重光葵と国連加盟

 重光葵は、日本の国連加盟を実現するために、残り少ない余命を捧げた。


■1.国連総会議場にて

1956(昭和31)年12月18日朝、ニューヨークは晴天で、凍てつく寒 さだった。イーストリバー沿いのガラス張りの39階建ての国連本部ビ ル、その横の薄いベージュ色の平たい箱形の建物が国連総会議場だった。

重光葵(しげみつ・まもる)外相はダブルの背広に蝶ネクタイ、オーバーコートに中折れ帽をかぶって、大きなガラス張りのドアを押し明け、総会場に入った。中は暖房が効いて温かい。随員たちと和服姿の娘、華子が後に続く。

高い天井の下の広大な空間に、びっしりと机が並び、世界各国の代表団が着席していた。重光は議場内の席に案内された。重光が着席するのを待って、51カ国もの共同提案による日本の国連加盟案が提出され、全回一致で承認された。議長が「日本の国際連合への加盟が決定しました」と宣言し、割れるような拍手が湧いた。

スピーチの指名を受けた重光が立ち上がる。右足が義足のため、杖をつき、足を引きずりながら、演壇に近づく。右足を失ったのは、昭和7(1932)年、中華民国への公使時代に、上海での天長節祝賀会で朝鮮人テロリストに爆弾を投げらたからだった。[a,b]

演壇は半円形で、4段の階段がぐるりと取り囲んでいた。その階段を、重光は一段一段、昇っていった。


■2.「君に、国際連合への加盟を実現してもらいたい」

国際連合への加盟は、亡き松岡洋右(ようすけ)が死の直前に、巣鴨刑務所で重光に頼んだことだった。この時、重光も戦犯容疑者として、巣鴨にいた。

一貫して戦争を避けようと努力した重光を戦犯容疑者として逮捕したのは、ソ連の仕業だった。かつて外務事務次官の頃に、一様に共産化を恐れる欧 米列強に対して防共協定を提案したことがあり、それを恨まれていたので ある。

松岡は、特別に重光との面談を依頼し、3分間のみ英語で話すという条件で許された。車椅子の松岡はこう語った。

「君に、国際連合への加盟を実現してもらいたい。僕が席を蹴って立った国際社会に日本を戻してほしいのだ。どうか、君の手で、国際社会復帰を、果たしてくれ。この思いを、君に託さなければ、僕は死んでも死にきれない」。


鋭さを失った松岡の目に涙が光っていた。

「僕が席を蹴って立った国際社会」とは、松岡が1933(昭和8)年2月に、国際連盟総会で満洲国に関するリットン調査団報告書が採択された際に、席を立ったことである。これが契機となって、日本は国際連盟から脱退した。

松岡の国際連盟総会退場は、国民から喝采を浴びたが、実は本意ではなかった。イギリスの代表団は、非公式に松岡に提案してきていた。「満洲での日本の利権を認めるから、いちおうリットンの報告を汲んで、顧問団を受け入れろ。その顧問団は日本人を主体にする」というのだ。

松岡は「この提案を受け入れるしかない」と東京に打電したが、単なる口約束だと一笑に付されてしまった。「このままでは連盟による経済制裁が待っている」と再度、打電したら、その返事は「ならば脱退してしまえ」という指示だった。

松岡は国際連盟脱退を深く悔やんでいて、重光に今生の頼みを託したのである。


■3.「私は、とにかく国交を回復できればいいんです」

東京裁判では禁固7年の刑を受けたが、4年半の拘留の後、昭和25(1950)年11月21日に仮釈放された。64歳になっていた。

この年、日本は国連加盟を申請していたが、ソ連が拒否権を発動した。
常任理事国の1国でも拒否すれば、加盟は認められない。ドイツでも朝鮮半島でも、アメリカとソ連の冷戦が激化しており、日本が国連に加盟すると、アメリカの発言力が増すことをソ連は嫌ったのだ。

昭和29(1954)年、鳩山一郎内閣が誕生すると、重光は9年ぶりに外務 大臣に返り咲いた。まず注目したのは、インドネシアのバンドンで開かれるバンドン会議だった。アジア、アフリカの有色人種の国際サミットで、重光は腹心の加瀬俊一を送って、各国の日本加盟への支持をとりつけた。

次に重光は国連本部に出向いて、総会議場のラウンジで、レセプションを主催した。飲み物を片手に、和やかな雰囲気の中で、重光は国連事務総長や各国代表に、日本の加盟支持を訴えた。

3ヶ月後、国連の理事会で、日本の加盟に関する2度目の審議が行われたが、またもやソ連の反対で否決された。

ソ連はアメリカ主導のサンフランシスコ講和条約を拒否した。日本の国民も、日ソ中立条約を一方的に破って、満洲で日本の居留民を襲い、日本将兵をシベリアに抑留したソ連を嫌っていた。しかしソ連の反対を覆さなければ、国連加盟は望めない。重光はソ連との国交正常化に取り組んだ。

昭和31(1956)年7月29日、重光はモスクワの空港に降り立った。ソ 連の外相やフルシチョフ第一書記とも会談したが、北方領土問題については、取りつく島がなかった。ここはソ連案を呑んで、領土問題を棚上げして国交正常化するしかない、と判断したが、日本政府も譲らない。重光は交渉を決裂させて帰国した。交渉失敗の批判は聞き流した。

その後、駐日ソ連大使と綿密な事前交渉を経て、妥結が可能という手応えを掴んでから、鳩山首相をモスクワに送り出した。ソ連は重光には良い印象を持っていなかったからだ。

鳩山首相は「せっかく、ここまで進めておいて、最後の仕上げをしないと、君が失敗して放り出したような印象を国民に与えるぞ」と言う首相に、重光は笑って「何と思われようと、かまいません。私は、とにかく国交を回復できればいいんです」

10月19日、鳩山はモスクワで日ソ共同宣言に調印し、国交正常化を 成功させた。新聞は、鳩山の成果と書き立てた。


■4.「たった今、可決されました」

昭和31年12月12日の夜、重光は外務省の大臣執務室に泊まり込ん だ。この日、ニューヨークの国連本部で、安全保障理事会が開かれ、日本 加盟に関する採択がなされる予定だった。結果が出次第、ニューヨークの 日本領事館が国際電話を入れることになっていた。

スチーム暖房は夜間は切られてしまい、各人はオーバーコートを着込み、持ち込んだガスストーブで暖をとりながら、寒さしのぎに日本酒をちびちびやって、ひたすら電話を待っていた。

朝5時、現地はもう夕方だ。遅すぎる。何か問題が起きたのではないかと、不安が心をよぎる。しかし、可決するまで、何度でも全力を尽くすしかない。それが自分に与えられた最後の使命だと覚悟した。

その時、机の上の黒電話がなった。雑音とともに、興奮気味の声が聞こえた。「たった今、可決されました。日本の国連加盟が決まりました」

重光が親指と人差し指でOKのサインを出すと、職員たちから大歓声があがった。総会での承認は12月18日となり、その日のうちに重光が国 連総会の日本代表と決まった。


■5.国連本部ビルに翻る日の丸

12」月18日、重光は国連総会議場の演壇に立って、スピーチを始め た。訥々(とつとつ)とした言葉で、まず加盟承認の礼を述べた。そして 冷戦下の国際情勢に言及し、今なお世界各地で紛争が続く中、戦争の苦しみを知る日本は、武力以外の力で世界に貢献していく意思がある、と語り、こう締めくくった。

「今日の日本の政治、経済、文化は、過去一世紀にわたる東洋と西洋、両文明の融合の産物です。そういった意味で、日本は東西の架け橋になり得る。このような立場にある日本は、その大きな責任を、十分に自覚しています」。

席に戻る重光に、あちこちから「加盟、おめでとう」「心からお祝いする」と声がかかった。重光は笑顔で礼を言いながら、席に戻った。

すると机の上には、ほかの79カ国と同様に、黒地に金文字で国名を刻 んだ木製のプレートが置いてあった。「JAPAN」の文字が誇らしげに輝いている。まさに日本が国際社会に復帰した象徴のように見えて、重光は感動した。

総会が終わると、日本代表団は総会議場の前庭に出た。そこには横一列に全加盟国の国旗が掲揚されている。1本のポールの細紐に日の丸が結ばれた。そして日本代表団の目の前で、日の丸はするすると上がっていく。

冬の青空と39階建ての国連本部ビルを背景に、色とりどりの各国国旗 に並んでいる。その中に、白地に赤丸の美しい日本国旗が翻(ひるがえ)っていた。その時の光景を、重光は次のような歌に詠んだ。

 霧は晴れ国連の塔は輝きて高くかかげし日の丸の旗


■6.「あなたはシゲミツさんですね」

そこに浅黒いアジア人が、インドネシアの代表だと言って、握手を求めてきた。「私はディアンスワリと言います。あなたはシゲミツさんですね。私は、あなたのことを知っています」

重光の記憶にはない人物だった。ディアンスワリは破顔して続けた。


「会うのは初めてです。2回目の大東亜会議の時に、私は代表団のひとりとして日本に行ったのです。あなたは、もう東京にはいませんでしが、大東亜会議の発案者がシゲミツといって、脚にハンディキャップを持つ人だと聞いて、私は覚えていました」。[1,p325]

大東亜会議とは、重光が発案して、大東亜戦争中の昭和18(1943)年末 に東京で開かれたアジア初のサミットであった。満洲国、中華民国、タイ、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府が集まり、各国の独立を尊重し、人種差別撤廃に貢献するよう共同宣言を出したのだった。


■7.インドネシアの感謝

2回目の大東亜会議に、インドネシアは独立前だったが、代表団を送ってきた。その時は重光は外相の職を辞して、日光に疎開していた。

「お会いできて光栄です。インドネシアが独立戦争を戦い抜けたのは、大東亜会議のおかげです。あの時、私たちは本当に励まされました。私たちだって頑張れば、フィリピンやビルマのように独立できるのだと。

私たちがインドネシアでバンドン会議を開いたのも、大東亜会議の志を引き継ぎたかったからです。

インドネシアには、今でも日本人に感謝している人が大勢います。日本はオランダからの独立に手を貸してくれたし[d]、インドネシアの子供たちのために学校を作り、若者たちには戦い方を教えてくれました」[e]。

「独立に手を貸した」とは、日本軍の降伏後、再びやって来たオランダ軍に対して独立戦争が始まり、千人とも2千人とも言われる日本軍将兵が現地に残って、インドネシア人とともに戦ったことを指す。[d]

アジアの独立に命をかけて力を貸した日本兵がいたことに、重光は心打たれ、もう一度、日の丸を仰ぎ見た。


■8.国連総会場での黙とう

重光の渡米中に、鳩山内閣は総辞職し、重光も外相の職を失った。鳩山
は重光に「国連の件は、よくやってくれた」と感謝しつつも、この点を詫
びた。だが、重光は笑って、首を横に振った。

「かまいません。私は政界に未練はないんです。私が巣鴨を出所してか
ら、政治の世界に入ったのは、ひとえに日本を国連に加盟させるためでし
た。・・・もう心残りはないのです」。[1,p331]

年が明けた1月26日、重光は湯河原の山荘で、狭心症の発作により 69歳
の生涯を閉じた。

死の2日後、ニューヨークの国連総会場で、総会の冒頭、議長がマイク
を通して伝えた。「先月、ここで日本代表としてスピーチをしたマモル・シゲミツが、日本で亡くなりました。」

加盟演説からわずか39日後の死に、誰もが驚き、どよめきが広がっ た。議長は続けた。「彼は生前、日本の国連加盟に、力を尽くしました。よって、ここに黙とうを捧げたいと思います。」

全員が座席から立ち上がった。議長の「黙とう」の合図で、世界80カ 国の代表たちが、静かな祈りを捧げた。

この黙とうを提案したのは、インドネシア代表団だった。


■リンク■

a. JOG(519) 重光葵(上) 〜 大御心を体した外交官
 昭和天皇の大御心を体して、重光葵は中国・アジア諸国との親善友好と
独立支援の外交を展開した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog519.html

b. JOG(520) 重光葵(下) 〜 大御心を体した外交官
 終戦工作、降伏文書調印、占領軍との交渉、戦犯裁判と、重光の苦闘は続く。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog520.html

c. JOG(338) 338 大東亜会議 〜 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h16/jog338.html

d. JOG(036) インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち
 多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog036.html

e. JOG(193) インドネシアの夜明け
 インドネシア独立を担った人々が語る日本人との心の交流。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog193.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 植松三十里『調印の階段』★★★、PHP文芸文庫、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569764185/japanontheg01-22/

主宰者より:重光外務大臣に政務次官として使えていたのは晩年、自ら外務大臣となる故・薗田直であり、その秘書官が渡部亮次郎でした

2015年08月30日

◆「安倍嫌い」の感情論と焦燥

阿比留 瑠比



もはや健全な批判というより憎悪や悪意に…

郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな安倍晋三首相が悪いのよ〜とばかりに、一部のメディアや学者、文化人、野党議員らの安倍首相たたきが過熱している。もはや健全な批判というより、憎悪や悪意をぶつけているとしか思えないほどである。

この現象について、雑誌『新潮45』9月号の特集「『安倍嫌い』を考える」が興味深い視点を提供していた。例えば、著述家の古谷経衡氏は、5月の憲法記念日のトークイベントで繰り返された「呪詛(じゅそ)の言葉」を紹介する。

「安倍以外なら誰でも良い」「安倍は史上最悪の独裁者である」「安倍のせいで日本は破滅する」…。

◆批判の裏に嫉妬

古谷氏は、「安倍総理をヒトラーになぞらえ、それを支持する人々を右翼、社会を右傾化していると批判的に捉える人々は、『極右内閣にもかかわらず、国民的支持を受けている』という事実に狼狽(ろうばい)」し、嫉妬していると説く。

それは「戦後左派勢力は、もはや自分たちが大衆から離反しているのではないかという事実を薄々(うすうす)感じているから」だという。うなずける指摘だ。

確かに嫉妬という要素はあるのだろう。古谷氏の文脈とは異なるが、第1次安倍政権が倒れた直後、ある省庁幹部はメディアの姿勢についてこう語っていた。

「各社の編集局長らは、自分たちより若い首相の存在が我慢ならなかったのだろうね」

また、この特集でコラムニストの小田嶋隆氏は「安倍さんという政治家は、人を感情的にする」と分析し、こう述べている。

「私に限らず、安倍さんについて何かを言う人たちは、おしなべて、感情的になっている。(中略)安倍さんの政治手法や、安倍さんが掲げている政策ならびに理念には、人を感情的にする何かが含まれている」

確かに今国会の安全保障関連法案の審議を見ても、国際情勢や安全保障環境にかかわる冷静な議論とはほど遠い。むしろ、憲法という「聖典」の解釈をめぐり自らを一方的に「正」「善」と位置づけた野党が、政府・与党に「邪」「悪」とのレッテルを貼って責め立てる場と化している。

特集でも、著述家の神山仁吾氏は安倍首相に対し、感情的に「あの面の皮がいかにも厚そうなブヨブヨの顔にも虫唾(むしず)が走る」と記し、「暗愚総理」と嫌悪感を隠さない。だが、普通は首相の容姿をここまでけなすことはしない。

◆大衆は同調せず

ともあれ、安倍首相ほど好き嫌い、評価するしないがはっきり二分している首相は珍しい。左派勢力は、自分たちが寄りかかってきた戦後の価値観と既得権益が壊されることに焦燥感にかられ、批判のボルテージを上げるが、大衆はなかなかついてこない。そこで、さらに焦りを募らせ、いよいよ感情的になっていく。

戦後70年の安倍首相談話が発表された翌15日の朝日新聞社説は、談話を「極めて不十分な内容」と書き、こう決め付けた。

「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」

逆上したかのような論説だったが、やはり大衆はついてこなかったことが数字に表れている。朝日が22、23両日に実施した世論調査では、安倍談話を「評価する」が40%で「評価しない」の31%を上回り、内閣支持率も1ポイント上がっていた。朝日は、民意にはしごを外されたのである。

(論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2015.8.27

◆スーザン・ライスは何をしに北京へ

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)8月29日(土曜日)弐 通算第4641号 >   

 
〜スーザン・ライスは何をしに、のこのこ北京へ行ったのか
  習訪米前の地ならし? 所詮、「子供の使い」に終わった〜

 
スーザン・ライス女史はオバマ大統領の安全保障担当補佐官、昔で言えばキッシンジャー、スコウクラフト、ブレジンスキーの役目を担うべきポストだが、どうも役不足のようだ。

習近平が9月訪米の前に、緊張関係にある米中関係、その中国側の反応を事前に探ろうとしての訪中だった。

習近平とも会談したが、ついで軍事委員会副主任の氾長龍と会談し、国務委員の楊潔チ前外相とも長時間会談した模様だ。

公式発表によれば、米中関係は緊密であり、今後の協力関係を相互に拡大したいと習近平が述べるにとどめ、ハッカー問題は議題に出なかったという。オバマが習近平訪米を待ち受ける最大の問題は中国のハッカー攻撃であるはずなのに?

次に南シナ海と東シナ海に中国の侵略、現状の秩序破壊に対しての米国のつよい抗議をよそに、「工事は完了する」などと言って時間稼ぎ。この間に珊瑚礁の埋立て面積を1・5倍に増やしていたことも判明したが、ライス補佐官は「率直に立場の相違と、問題解決の困難さを確認した」とさ。

ほかにイランと北朝鮮の核武装の問題が議題としてのぼり、中国は「前向きに協力する」としたくらい。

いったいライスは何をしに北京へ詣でたのか。これでは子供の使い程度と批判されても仕方がないだろう。
    

◆スーザン・ライスは何をしに北京へ

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)8月29日(土曜日)弐 通算第4641号>    

 
〜スーザン・ライスは何をしに、のこのこ北京へ行ったのか
  習訪米前の地ならし? 所詮、「子供の使い」に終わった〜

 
スーザン・ライス女史はオバマ大統領の安全保障担当補佐官、昔で言えばキッシンジャー、スコウクラフト、ブレジンスキーの役目を担うべきポストだが、どうも役不足のようだ。

習近平が9月訪米の前に、緊張関係にある米中関係、その中国側の反応を事前に探ろうとしての訪中だった。

習近平とも会談したが、ついで軍事委員会副主任の氾長龍と会談し、国務委員の楊潔チ前外相とも長時間会談した模様だ。

公式発表によれば、米中関係は緊密であり、今後の協力関係を相互に拡大したいと習近平が述べるにとどめ、ハッカー問題は議題に出なかったという。オバマが習近平訪米を待ち受ける最大の問題は中国のハッカー攻撃であるはずなのに?

次に南シナ海と東シナ海に中国の侵略、現状の秩序破壊に対しての米国のつよい抗議をよそに、「工事は完了する」などと言って時間稼ぎ。この間に珊瑚礁の埋立て面積を1・5倍に増やしていたことも判明したが、ライス補佐官は「率直に立場の相違と、問題解決の困難さを確認した」とさ。

ほかにイランと北朝鮮の核武装の問題が議題としてのぼり、中国は「前向きに協力する」としたくらい。

いったいライスは何をしに北京へ詣でたのか。これでは子供の使い程度と批判されても仕方がないだろう。
    

◆おおむね好意的だった戦後70年談話

櫻井よしこ



安倍晋三首相の戦後70年の談話は関係諸国も含めて、大方の国々に歓迎された。国内では「朝日新聞」社説が批判したが、世論はおおむね好意的だった。

ソ連の対日参戦という、日本が侵略された歴史にほとんど触れなかった点を除けば、談話は極めてバランスが取れており、私は高く評価する。

日本の戦争を日本だけが暴走した結果とみるのではなく、欧米諸国の動きに連動したものとして捉えている。日本が追い詰められた状況にも目配りした歴史観を政府が打ち出したことの意味は限りなく深い。

それだけにいま、日中、日韓の歴史を当時の状況に基づいて思い起こすことには深い意味がある。その点で首都大学東京特任教授の鄭大均(テイ・ダイキン)氏編の『日韓併合期 ベストエッセイ集』(ちくま文庫)が啓発的である。

日朝双方の文人による43篇の作品を収めた同書への思いを、鄭氏は「人間を忘れた形で国を論じることが日韓の流行現象」となったいま、日韓の政治的争点である日韓併合期を、当時を生きた人々の目を通して見、彼らの文学的遺産に息づく自由の精神を味わってほしいと強調している。

明治40(1907)年生まれの任文桓(イム・ムナン)氏は東京帝国大学法学部に進み昭和10(35)年に朝鮮総督府に職を得た。本書には彼の随筆3本が収められているが、それだけを読んでも当時の日朝両民族の姿が、自然な呼吸で吐き出される息のように生き生きと伝わってくるのを感じるだろう。

彼の幼名はバウトク。日本統治下の忠清南道で普通学校に学んだが、「日本人の友人は1人も出来なかった」。

「もし日本が朝鮮統治に失敗したとするならば、その責任は日本に住んだ日本人ではなく、朝鮮に住んだ日本人の負うべきもの」と断じる彼は、16歳で友人と共に山口・下関に渡り、汽車で京都に向かった。

バウトクは「周囲の支配民族(日本人)から『鮮人奴が』と、怒鳴られるに決まっていると信じ」「死ぬ前に、いつかは復讐して見せる」と心に誓っていた少年だった。

だが、民族差別に対してカミソリのような研ぎ澄まされた感覚を持っていた彼は、3等席の日本人の視線のどこにも朝鮮人軽蔑の陰影すら見いだせなかったのだ。「鮮人のくせに、生意気な、という眼光を投げ掛ける人間など1人もいな」かったこの「驚くべき発見」に「幸福感がひしひしと胸に迫った」という。

彼は滞日12年の体験を「驚くべきこの世界は、バウトクのその後においても、ほぼ真実であった」と語った。

金素雲(キム・ソウン)氏は任氏と同年生まれ。13歳で釜山から来日、21歳で北原白秋の門を叩き『朝鮮口伝民謡集』を発表した。鼻柱の強い金氏の日本滞在には波乱が付きまとう。氏の苦境を見かねた芸者の心付けを「そんな職業の女性の同情」は受けられないと拒絶した若き自身への苦い思いもつづられている。

食べる金もないと窮状を訴えた日本の友人は助けるそぶりも見せずに立ち去った。怒り心頭に発して下宿に戻ると、友人から1俵のコメが届いていた。東大入学祝いのロンジンの時計も残されていた。友人は金氏の誇りを傷つけないよう一言も言わずに友情を実践したのだ。彼は「友情の勘どころを教わった」と述懐している。

名もないみすぼらしい詩人だった金氏が北原白秋邸の裏門を叩いた折の物語は、日韓両国民が私たちは実はこのような素晴らしい関係を築いていたという証しとして深く心に刻みたい。

韓国に日本統治時代を必死に前向きに生き抜いた人々がいれば、彼らに相呼応し、日朝融和を実現した日本人もいた。私たちの眼前に広がる荒涼たる日韓の現状とは異質な、十分に評価すべき世界があった。こうした先人たちの物語をひもとけば、おのずと未来への希望が生まれる。一読を勧めしたい。

『週刊ダイヤモンド』 2015年8月29日号  
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1097 
                (採録:松本市 久保田 康文)

◆命賭けの大事で立派な仕事

平井 修一



デスクワークに比べればとても危険な仕事はある。危険だけれども必要な仕事だ。警察官、自衛隊員、消防官・・・小生の息子は消防官だが、「命をかけて人々を守ってくれ」と願っており、万一の時の覚悟は決めている。

国基研理事長・櫻井よしこ氏の論考「子の安全を願う『自衛隊員の父』に答える」8/24から。

<「昨年自衛隊に入った息子の父親」という人物からメールが届いた。趣旨は以下の通りだ。

「中越地震などに際して身を粉にして人々を守り、人命救助に徹する自衛隊員の姿に憧れて息子は入隊した。しかし、今回の安保法制で自衛隊員の活動範囲が広がり、死のリスクが高まるのは明白だ。これ以上息子を自衛隊に置きたくない。毎日心配している」

子息の無事を願う父の心情が窺われる。父親のこの問い掛けは世間の多くの父母が共有するものかもしれないので、答えてみたい。

*戦争を抑止する安保法制

問い掛けを二つに分けて考えることが大事だろう。一つは日本国民と国の安全、もう一つは自衛隊員の安全についてである。

第1点について、今回の平和安全法制の目的は、国民の命と国の安全を守り得る安全保障体制を作ることだ。

現状では、平時と有事の間のグレーゾーンで国民も国も守り切れない防護の穴が多数ある。敵対勢力の侵略に対し、現状では打つ手がない場面で、最小限ながら軍事行動を可能にするのが今回の法制である。

日本を除く全ての国々が行使する集団的自衛権は、友好国が共同で防衛する権利である。尖閣諸島などを窺う中国、核攻撃の構えを見せる北朝鮮などに対し、極く制限的であっても日本が米国などと共に集団的自衛権を行使することは、対日侵略を思いとどまらせる大きな効果を生む。

安保法制はこの意味で戦争抑止法案である。決して戦争法案ではない。

これを戦争法案だと非難する一部(平井:現実はほとんどの)マスコミは、23年前の国連平和維持活動(PKO)法案のときも日本が侵略国になると批判した。

しかし、23年間の自衛隊の実績は、当時のマスコミの批判とは正反対に国際社会で高く評価されている。今回も同様であろう。

*自衛隊への国民の信頼

第2点の自衛隊員のリスクが高まるとの懸念に関しては、安保法制の有無にかかわらず、自衛隊にリスクは付き物であることを指摘したい。今も、日常活動で自衛隊員の尊い犠牲は生じている。たとえば悪天候下、離島の患者の緊急搬送作業で亡くなる隊員もいる。訓練中には事故も発生する。

だが自衛隊員は、国民と国家を守るために究極の場合、命を賭して任務を遂行すると宣誓して職務に就いている。

そのように身を賭して公益の為に働く姿を実感するからこそ、国民の自衛隊への信頼度は92.2%と比類なく高い。圧倒的多数の国民は、自衛隊がいて初めて国民も国も守られると感じ、自ずと尊敬と感謝の念を抱いている。

国民を守り、国を守る責務を自らの使命とする自衛隊こそ、国民と国との一体感の中心軸を成す。その要の位置にある人に近い人ほど、安保法制を正しく理解し、それが決して戦争法案などではないことを学んでほしいと願っている>(以上)

上記の「自衛隊員の父」が実在するのか、架空かは分からないが、小生には理解不能である。戦争、紛争、武力衝突は、起こす人がいる、起こされる人がいる、起こるべくして起こることがある。天災に似ている。

人類の歴史はその繰り返しで、衝突がなくなることはない。衝突の結果が今の世界であり、これからも衝突は続く。

冷静に歴史を振り返れば、そういうことである。衝突が起きないようにするには抑止力を高めなければならない。衝突が起きたら敵を叩き、追いやらなければならない。勝てないまでも敗けないように備える。

大地震は避けようがない。万一にしっかり備えておくしかない。戦争が嫌なら最小限の抑止力、攻撃力を持たなければならない。

日本の治安が世界トップクラスなのは警察官のお陰である。火事や大自然災害でも命懸けで国民を守ろうと努めるのは消防官である。東日本大震災で亡くなった消防職員、消防団員は281人だ。

<公務に起因して死亡した自衛隊員数は、平成27年3月31日現在で、陸上自衛隊員が1025人、海上自衛隊員が416人、航空自衛隊員が409人及び内部部局等(防衛省に属する機関のうち、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を除く。)に所属する自衛隊員が24人である。

また、死亡の原因別でお示しすると、「車両事故」が353人、「航空機事故」が586人、「演習訓練」が394人、「艦船事故」が41人及び「その他」が500である>(平成27年6月5日の政府答弁書)

1954年(昭和29年)7月1日設立以来、殉職した自衛隊員は合わせて1874人にもなる。単純平均すると毎年30人が“戦死”している。

命懸けで国民のために皆が努めている。「死のリスク」にたじろがずに難局に当たっている。「自衛隊員の父」は日本を取り巻く現実の危機をよく見ること、息子の仕事、「命懸けの大事で立派な仕事」に誇りを持つことが必要だ。

もっとも9条教徒や中共大好き人間には何を言っても無駄だろうが。
(2015/8/27)


◆落合みつをの行方

馬場 伯明



2015/8/18(火)18:00から、東京赤坂のBLITZホールで、「OREBAKO SUMMER CARNIVAL2015」があり、その1セッションに「落合みつを」が出演した。私はその演奏を堪能した。

都内でも有名なこのライブハウスは、ヘビメタ仕様の高い天井に座席が604席。演奏者は、Vocal&Guitar:落合みつをのバックに、Drums:松田和人、Bass:仮谷克之、Piano:大工嘉章、Percussion:平野怜。

私と落合みつをとの出合いは2011/8/29だから古くはない。長崎県島原半島出身で関東在住の私たち総勢40人が1週間、東日本大震災の被災者への炊き出し支援に行ったときのことだ。「を:WO」がユニークだった。

落合は、宮城県南三陸町仮設住宅前の広場に、生まれ故郷の新潟から駆けつけ、仮設住宅の多くの被災者たちを明るい歌で元気づけた。島原半島在住の福島真砂(ますな)さんが伴奏を担当した。

ここで、中堅歌手とはいえ「落合みつを」を知っている本誌読者は少ないだろうから、彼のHP等から抜き書きし経歴等を紹介する。

《1973年8月3日生まれ(41歳)、新潟県出身、血液型はA型、趣味は、ギター集め・写真撮影(風景)・映画鑑賞・酒・読書など。影響を受けたアーティストとしては、加川良・もんたよしのり・岡本太郎など》

《新潟県出身のシンガーソングライター。「葛藤や焦燥感」を「切なさと温かさ」へと昇華させ、多様な作品を生み出し続ける。「昭和の匂い」を漂わせた平成のシンガーソングライター。日本語の持つ繊細さと色彩豊かなメロディーが魅力》とある。(「Smile Factory」より)。

かつて、「ダンシングオールナイト」のもんたよしのりや、演歌の北山たけしらととともに、北島三郎の北島音楽事務所(KITAJIMA MUSICOFFICE)に所属していたというユニークな経歴も有する。

赤坂のBLITZの2曲目で、第二のふるさとと言う島原半島への思いと気付きを歌にしたと思われる「島原にて」を熱唱した。

♪夜明けの前に家を出て 白い霧の中をひた歩く亡くしたものを取り戻す そんな気持ちでいたのかもしれない(・・中略)
 
ひたすら前に進むのです。時に引き擦る足を躊躇わずに後悔は振り向き様に 唾と一緒に吐き捨てながら

ただただ前に進むのです。 振り返るのはもう少し先の楽しみに とっておくのさ 今は足を前に出すだけでいい♪

人の「葛藤や焦燥感」を「切なさと温かさ」にして歌う。焦り、悩みながらも、「島原にて!」生きることの意味にあらためて気付いたのだ(と推測する)。

落合みつをは現在(いま)を「半終止の美学」と表現する。「完全じゃなかったり不安定だったり、『半終止』にこそ美しさを感じる」と。

シンガーソングライターとして、数年前からレコーディングしてきた。この10年間の歌をまとめた2枚のCDをリリースした。Half-time(ハーフタイム)」7曲 「Full-throttle(フルスロットル)」9曲。

8/18のBLITZでも歌った「生きる」という歌がいい。彼の現在の到達点だという。「人は一人じゃ生きられない」。シンプルな歌詞のリフレイン(Refrain)が強いメッセージとなって迫ってくる。

♪お前が生きているだけで頑張れる 頑張れる 我(が)も張れる

お前が生きているだけで何度でも立ち上がる力になるのさ(・・中略)

お前の言葉は真っ直ぐ過ぎて上手く誤魔化せないから ここで今いうよ♪

(この次から、最初の「♪お前が生きているだけで 頑張れる・・・」以降のリフレインが11行も続く。彼の強いメッセージなのだ)。

落合はこころがやさしい。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の男にも似ている。人間(じんかん)にあって、人の善意を信じ、愚直にひたすら歌ってきた。彼の歌は(焦り悩む)人々の心にしんしんと沁み入る。

「人生ってほんと半終止だよな、とか呟きながら、ときには、Half-time(ハーフタイム)を挟み、ときには、Full-throttle(フルスロットル)で駆け抜ける・・・」。そんな歌手である落合を、私は幸せ者だと思う。

ところで、話は変わるが、1983年に小椋佳が詞を書き堀内孝雄が作曲し歌った「少年達よ」という歌がある。

♪夢はいつも君の 百歩先を歩く
愛はいつも君の 影にそっとひそむ (・・中略)
私の中の少年達よ 
我物顔でこの風上に立て♪

その20年後の2003年に、小椋佳はさらに「風上に立つ日のために」を作詞作曲した。京都市立・京都御池(おいけ)中学校の校歌である。

♪・・・ここに通い ここに集い
私を見つけ 私を磨き 私を創ろう (・・中略)
いつの日か 時代を染める私たち
いつの日か 風上に立つ日のために♪

落合はBooklet(「みつを本」に書いている、「何かに抗(あらが)うように生を刻むのが生きるってことなんだ。だから今日もこれからも、(自分は)風の吹くほうへ」と。「風の吹くほうへ」とは「風下に立ち、向かい風に立ち向かって・・・生きる」ということなのであろう。

翻って、小椋佳は、1983年に、全国の少年達に、さらに2003年には京都御池中学校の生徒らに、さあ、君たち!「いつの日か、風上に立て!」と彼らを鼓舞した。それから10余年が過ぎた。

私は落合に言いたい。「いつまでも何かに抗うばかりが能じゃない。今や、ひるまず、堂々と、歌と人生の『風上に立つ』ことを目指してほしい」と。

落合まさを、41歳。彼の行方と未来はどうなるのだろうか。さらなる健闘を心から祈る。

2015/8/18の夜は、BLITZホールで彼の5曲を聴き、拍手し、ホールから出てきた彼と握手し、ねぎらい、讃えた。2枚のCDを買い、家路についた。
(ばば・ともあき 2015/8/28 千葉市在住)

◆どんな遺言を作りましょう?

〜法律コラム〜

永木友雪 弁護士


 遺言には、公正証書遺言、自筆証書遺言、秘密証書遺言等があります。
 それぞれ遺言の方式によって、要件が決まっています。

 例えば、自筆証書遺言であれば、日付と氏名を自署し、 押印をしなければならないと定められており、 これを欠くと無効な遺言と扱われてしまいます。

 そのため、ご自身の意思を相続人にきちっと伝え、 相続の争いを防ぎたい方には公正証書遺言の作成をおすすめしています。

 公正証書遺言は、公証役場で作成するので、 要件の誤りで無効になる心配はありませんし、 遺言は公証役場で保存されるので紛失とか書き換え等の心配もないからです。
もっとも、近日、公正証書遺言であっても、 無効であるという裁判例が出されています。

 その多くは、遺言能力の有無が争われた事案です。

 遺言は、15歳になれば、作成することができますが、 15歳以上であっても、意思能力が無い状態で作成すると無効になってしまいます。

 公正証書遺言であっても、意思能力がなければ、無効になる可能性があるのです。 意思能力の有無は、遺言者の病状、遺言の内容、 遺言の作成状況等から総合的に判断されます。

 特に、遺言者の病状(認知症の程度等)は重視されます。 そのため、確実に遺言を残してスムーズに相続させたい方は、 病状が進む前に作成されることをお勧めします。
 遺言を作成されたい方や、 相続の問題でお困りの方はご相談ください。

 9月30日開催の「遺言書作成セミナー」にもぜひご参加くださいね♪

弁護士法人 川原法律事務所
連絡先:電話―06−6965−1065



2015年08月29日

◆私はこう読んだ終戦70年:安倍談話

櫻井よしこ



8月14日に発表された戦後70年談話には、安倍晋三首相の真髄が表わされていた。
 
談話発表まで、日本の多くのメディアが報じたのは「植民地支配」「侵略」「お詫び」「反省」の4語をキーワードとし、これらが談話に盛り込まれるか否かという浅い議論だった。中韓両国も注文をつけ続けた。

静かに歴史を振りかえり、未来に想いを致すことを許さない非建設的な雰囲気の中で安倍首相が語ったのは、大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観だった。
 
最大の特徴は有識者会議「21世紀構想懇談会」が打ち出した「満洲事変以降、日本は侵略を拡大していった」という歴史観を拒絶したことだ。首相は談話でこう語っている。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
 
この件りについて談話発表直後の「言論テレビ」の番組で外交評論家の田久保忠衛氏が喝破した。


「首相は、第1次世界大戦、不戦条約、国連憲章及びわが国の憲法9条の言葉を語っているのです。これら国際間の取り決めに込められた普遍的原理をわが国も守ると一般論として語っただけです。

21世紀懇は日本が侵略したという歴史観を強く打ち出しましたが、歴史には常に因果関係があります。そのヒダを見ることなしに満洲事変以降を切り取って議論するのでは歴史の実相は見えてきません。そのような21世紀懇の歴史観を、首相が採らなかったことを高く評価します」

戦後の日本の思い
 
首相は21世紀懇の意見に耳を傾けたと再三強調したが、同懇談会の主張は日本の近代化の歴史を描いた部分で活用された。100年以上前の世界には、西洋諸国の広大な植民地が広がっていた。植民地支配の波は19世紀、アジアにも押し寄せた。

そうした中で日露戦争となり、同戦争はアジア・アフリカ諸国への勇気づけとなった。だが欧米諸国による経済ブロックの形成で日本の孤立が深まり、やがて日本は世界の大勢を見失った。談話の冒頭に書かれたこの振りかえりは、まさに21世紀懇が示した歴史の枠組みだった。
 
彼らの議論は、日本は歴史の大勢を見誤ったけれども、背景にはそれなりの事情があったという日本の歴史観として、公式の談話に明確に盛り込まれた。
 
首相は一方で日本と戦った国々や戦場で犠牲となった人々に心のこもった言葉を重ね、そうした犠牲を忘れてはならないことを、おざなりではなく、丁寧に伝えた。

首相の真摯な哀悼の表現を、米戦略国際問題研究所(CSIS)の日本部長、マイケル・グリーン氏は「侵略や植民地化への言及や反省に関する表現は多くの人が予想した以上に力強かった」と語り、評価している。
 
日本国民に強いられた無残な犠牲も言及された。「終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々」という件りには、ソ連軍によってシベリアに抑留された60万余の兵たちが含まれているはずだ。ソ連兵に蹂躙された100万余の婦女子の悲劇も心にうかぶ。

広島や長崎での原爆投下、都市への爆撃は、当然、米軍による非人道的な行為を指す。
 
敵側による犠牲だけでなく、南方戦線で、戦闘ではなく、飢えで命を落とした幾万の兵、彼らを死なせた日本軍の拙劣な戦略戦術も含めて、首相は、歴史を取り返しのつかない、苛烈なものと悼んだ。
 
民主党代表の岡田克也氏は、首相談話の先述の4つのキーワードは「いずれも引用の形で述べられている。一般論に終始している」と批判した。
 
だが、国際社会の声から明らかなのは、戦後70年のいまも日本にお詫びを求め続ける中国や韓国はおかしいということだ。アジアの多くの国も、米国も豪州も、大事なことは日本の未来の行動だと考えている。
 
その点を首相は振りかえり、戦後の日本の思いを行動で示すため、「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました」と述べた。
 
日本が21世紀の国際社会、とりわけアジアの人々のためにどのように貢献したいと考えているかが、ここに反映されている。
 
東南アジアの国々に続いて、台湾、韓国、中国、と台湾を筆頭にあげたことに中国は強く反発した。中国共産党機関紙傘下の『環球時報』は「中国が最後に列挙されたこと」「台湾が個別に言及されたこと」に対する不快感を示した。

謝罪に終止符
 
日本の歴代政権は日本と中華人民共和国との国交回復以降、72年の共同声明の精神に基づいて、「ひとつの中国」という考えを「理解し、尊重」するとして、諸国の国名と並列で台湾を明記することはなかった。

並列で明記した談話から読みとれるのは、中国の主張は理解し尊重するが、それは100%の同意ではない、ということではないか。ここには日本が大事にしようとする価値観がにじみ出ている。
 
首相は21世紀の価値観として、女性の人権擁護、自由で公正で開かれた国際経済システムの構築、自由、民主主義、人権の尊重を推進する積極的平和主義の外交などを説いた。
 
会見の質疑応答では、こうも述べた。「残念ながら、現在も紛争は絶えない。ウクライナ、南シナ海、東シナ海での力による現状変更の試みは許されない」。驚く程率直な、中国及びロシアに対する痛烈なメッセージでは
ないか。
 
日本が自らの歩みを振りかえるとき、「大勢を見誤った歴史」がくっきりと見える。中露両国が大勢を見誤っているとの発言は自省すればこそ21世紀の価値観をリードしなければならないという責任感でもあろう。
 
談話で最も重要な点は「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と語り、謝罪に終止符を打ったことだ。謝罪の終わりを宣言したことは、中国、朝鮮半島のためにも評価すべきだ。

東アジアで、日中韓3カ国が協力することこそ、すべての人々の幸せに繋がる。日本が謝罪を続けることは、その照り返しとして中国、朝鮮半島に歴史に対する後ろ向きな価値観を生み出す。

その非生産的な歴史の連鎖を断ち切る道が、日本は過去を受け継ぎながらも、未来へ向かって進むと宣言した首相談話なのである。

『週刊新潮』 2015年8月27日号 日本ルネッサンス 第668回
                (採録:松本市 久保田康文)