上西 俊雄
日本經濟新聞の8月12日夕刊一面で「ものづくりの日本語檢定」といふ見出しの小さな記事が目に止まった。
<海外進出したメーカーの現地スタッフ向けに、ものづくりに特化した日本語檢定が來春にも始まる。海外の日經企業で働く人はアジアを中心に約400萬人に上る。
日本語人材の育成を後押しし、英語や現地語への對應が難しい中小企業の進出を後押しする。
官僚OBや學識者、日本技術者聯盟など日本の産學が連携し月内にも實施主體となる社團法人を設立。「ものづくり日本語檢定」として來年から春と秋の年2囘實施する。
まづタイ、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ミャンマーで數萬人の受驗を目指す。1000點滿點で讀み書きと聞き取りの能力を判定する。>
表記は好みに從った。「まづ」と書いたのは「づ」をつかってはなかった。ただし「ものづくり」は原文のままだ。
これはいはゆる現代假名遣では2語の連合によって生じた「ぢ」「づ」であって、筆者のいふ制限假名字母のうち例外的に使用を認められたものだ。
國會圖書館のJapan/Marc のアクセスポイントのカナ形サブフィールドにおけるカナ表記要領(附録 B-1)には次のやうにある。
<助詞「ハ」「ヘ」「ヲ」は「ワ」「エ」「オ」と表記する。
二語の連合または同音の連呼によって生じた「ヂ」「ヅ」は「ジ」「ズ」と表記する。>
後者の例として、「ちかぢか チカジカ、磯づり イソズリ、かなづかいカナズカイ、ちぢむ チジム、つづり方 ツズリカタ」があげてある。
つまり「ものづくり」といふ表記は所詮「ものずくり」と書くべきものの假のすがたで一過性のものにすぎない。
なほ、現代假名遣では、たとへば「ア列の長音」についてはア列の假名に「あ」を添えると書き、以下同じ形式でイウエオの各列について繰り返してゐるけれど、Japan/Marc のカナ表記要領ではア列の長音はアと表記するとなってゐて同じではない。
現代假名遣では長音は2拍であるとして、その2拍目を「添えて書く」としてゐるのに對し、後者では長音符のことを言ってゐるやうである。
長音なるものはローマ字で書くときにはじめて問題になるものであるが、ローマ字のことについて觸れてないので、結局、何を言ってゐるのかわけのわからないことになってしまった。
ついでながらJAPAN/MARCアクセス・ポイントのローマ字形サブフィールドにおける表記要領(2002年4月〜2011年11月)といふのをみると變更になったものに長音のことがある。
「長音は母音に(^)を附した文字を使用してゐたが、今後使用しない」といふもので、實例をみると學校は gakko^ と書いてゐたのを gakkou と書くことにするといふものだから單に使用しないといふことではない。
また長音記號「ー」は使用しないともあって、スーパーカーは supaka と書くとある。
一字一音を追求してゐたはずが、斯くもいいかげんであるとは驚くほかない。
海音寺潮五郎は國語は管掌してはならないといふ。筆者は差配といってきた。戰後の表記改革は一字一音であるべきだとする表音原理主義者のテロのやうなものであったけれど、これがが猛威をふるってゐることまことにすさまじいものがある。
米軍のヘリコプターが着艦に失敗した事故の報道で負傷者といはず、怪我人といふ。着艦といふときに洋上の艦艇にといふ説明をつける。川内の原子力發電所の場合でも臨界といふ語には必ず説明がつく。
鮫が出沒するといふときにシュモクザメと言ってゐながらhammer-head と英語を用ゐて頭の形について言及する。みなこれ漢語を忌避した結果だと思ふ。
辭書の方であったか言語學の方であったか目的別といふことを聞いたことがある。ものづくりの日本語はまさに目的別のものだ。さういふふうに叩きこまなければならない場合があるかもしれないけれど、さういふ場合であればローマ字の出番ではないのか。
岡崎久彦氏は戰前の駐日大使には日本語日本文化への深い理解を持ってゐる人が少なくなかったといふことを言ってゐたが、戰後の日本語教育は戰前と戰後とを分けてしまったから、日本語を學ぶ魅力は減じただらう。
この問題、1964號(10.6.30)「戰後の表記改革は未完成」、3518號(26.12.16)「テトラグラマトン」、3724號(27.7.27)「愛國百人一首」、3740號(27.8.11)「「侵略」は faux amis」等で論じてきた。御參照いただけるとありがたい。
「愛國百人一首」は擴張ヘボン式で轉寫しただけのもの。これが本紙に掲載になったといふこと自體ひとつの事件だと思ふものだ。歴史的假名遣の合理性を示すものとしてこれほど明解な例はない。
掲載號の身邊雜記に「百人一首の正確なルビがローマ字でしか示せないといふのは文字行政の敗北である。」との主宰者の辯がある。ただし、そのやうな主張をなすひとは少い。
日本語教育にも既得權者が多數あることをあらためて思ふものであるが、斯く橋頭堡を固めなければならないやうなものではないはずだ。國立競技場におとらず議論の必要な問題だと思ふ。
入力ミスがあった。
15番 aratashiki noshino → aratashiki toshino
40番 arameyaha → arameya`a
66番 tsuta`etaru → tsuta`etsuru
なほ、6番 furiokoshi は furi-okoshi とハイフンが欲しいところだ。