2015年08月11日

◆旧ユーゴスラビアから帰国

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)8月10日(月曜日)通算第4620号>  

 ■編集前記  

(編集前記)というわけで、今度は旧ユーゴスラビア7ヶ国のうち、スロベニアを除く6カ国(セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、コソボ)とアルバニアの合計7ヶ国を超特急で回り、9日晩帰国しました。

いずれの独立戦争、内乱、内戦を経て、依然として仲の悪い隣国関係を展開しているとはいえ町の復興はみごとなもので、空爆のあとは殆ど残っていません。近代的なビルが建ち並び、消費も旺盛でした。

小生の関心はいずれ中華帝国が崩壊し、分裂していくと仮定されるプロセスで、たとえば独立志向の強いチベット、ウィグルなどはバルト3国のように直ちに独立するでしょうが、民族が入り乱れるカフカスのような国々の独立はモスクワの顔色を見ていたように、中国東北地方は、そのパターンでしょう。

であるとすれば、あくまで仮定の話ですが、旧ユーロスラビアの七分裂は、中国の場合、どこの地域がどのように当てはめるべきか、比較したいというのが、これらの国々をまわった動機でした。詳しくはいずれ稿を改めます。

◆すべて「反日」の理屈とは

名村 隆寛



戦後70年首相談話に手ぐすね引く韓国メディア 内容どうであれ、すべて「反日」の理屈とは…

韓国が長らく注視してきた「戦後70年の安倍首相談話」が発表されるまで3週間を切った。「談話で朝鮮半島の植民地支配と侵略に対する心からの反省と謝罪をせよ」と、韓国ではメディアを中心に“謝罪要求”にこだわる主張が相変わらず幅をきかせている。

談話が具体的にどのような内容になるのかは不明だが、「謝罪」は盛り込まれない見通しという。ただ、たとえ「謝罪」の意が込められようが、韓国のメディア世論には納得しようとする雰囲気はうかがえない。安倍政権批判は談話後も確実に続きそうだ。(ソウルにて)

■反日ロビー成功で息を吹き返す

4月末の安倍晋三首相による米議会演説の後、激しい日本バッシング、反日報道が一時は影をひそめ、比較的温和しかった韓国メディアが、また日本との“歴史認識問題”で元気を取り戻している。

日韓双方のユネスコ世界遺産登録が今月、韓国側の意向が反映されるかたちで実現したことが、メディアなどの自信の背景にあるようだ。

韓国は、世界遺産への登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」のうち「戦時中に朝鮮半島の人々が強制徴用された施設7カ所が含まれている」と特に5月の時点から反発していた。

尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が日韓国交正常化50年の記念日(6月22日)に合わせて就任後初めて訪日し、岸田文雄外相と会談。日本の世界遺産登録について注文をつけた尹外相は、韓国側の主張に念を押し、双方は韓国の推薦案件(百済の歴史地区)とともに日韓が登録で協力することで“完全に”一致した。

ところが、ドイツで開かれた世界遺産委員会の審議の場では、韓国側の登録に日本が約束通りに賛成を表明する一方で、日本側の登録に関しては韓国の執拗(しつよう)な対日妨害工作が最後まで展開されたという。

結局、韓国側の要求をのむかたちで日本代表団は「意に反して厳しい環境のもとで働かされた(forced to work)」と登録決定後に言わされるはめに。尹外相は「われわれの正当な懸念が忠実に反映されるかたちで決定されたことをうれしく思う」と満足げに韓国の外交的勝利を強調した。

■「してやった」とのお仕着せ論

日本政府は「朝鮮人の徴用は当時、朝鮮半島を(日本として)統治していた日本の徴用令に基づくもので、韓国が主張する強制連行には相当しない」との立場だ。しかし、韓国では尹外相の言葉にみられるように「日本が強制連行による強制労働を認めた」との認識が一般的だ。

むしろ、韓国メディアには「forced to workではなく、forced to labor」の表現であるべきだ-とのより細かい要求が見られた。また、登録決定後に岸田外相が「forced to work」について「強制労働を意味したものではない」と発言したが、これについても韓国メディアでは、予想どおりの反発が出た。

ただ、いずれも韓国の思うままにことが運んだことへの満足感や快感が漂う一種の“難癖”のレベルだ。それよりも、韓国メディアには「われわれが努力して日本に何かをしてやった」式の「してやった論」が目立つ。

日韓外相会談にしても、韓国紙には「韓国が関係改善に向けて手をさしのべた」という主張が多かった。日本の世界遺産登録実現も似たふうに解釈されている。

竹島の領有権を記載した防衛白書に韓国政府は反発し、21日に外務省と国防省はソウルの日本大使館の総括公使と防衛駐在官をそれぞれ呼び、強く抗議した。現に、この日に発表された外務省報道官による声明は「国交正常化50周年に合わせ、韓日両国の新たな未来を開いていこうというわれわれの努力を無実化させる行為」と、日本を批判する一方で「韓国側の努力」を強調している。

■日本の反安倍世論に活路?

一方、韓国メディアは、安保法案を強行採決した安倍政権に対し、日本国内で批判が起きていることに着目。安倍政権批判の炎を燃え立たせている。

中央日報の社説(21日付)は、法案の強行採決後に安倍内閣の支持率が急落しているとし、「支持しない」という回答が51%に増え、「支持する」との回答は35%に過ぎず過去最悪の支持率となったという某日本メディアの世論調査結果を取り上げた。

同社説は「安保法案の採決強行は、戦後の歩みを覆す暴挙という朝日新聞の社説が出てくるのも無理はない」と指摘。「日本の歴代政権は周辺国との友好関係を着実に発展させてきた」「こうした肯定的な流れが変わった決定的な原因が安倍政権の軍事大国化ということには特に異見はなかろう」「『植民地支配と侵略に対する反省と謝罪が談話に盛り込まれなければならない』という世論が50・8%に達するという事実も忘れてはならない」とまで“忠告”している

日本国内の反安倍政権の世論に活路を見いだし、飛びついたかのようだ。同紙は22日付のコラムでも、安倍政権の支持率に再度触れ、「安倍首相は植民地支配の野蛮行為にまともな謝罪をしなかった」とするニューヨーク・タイムズの社説を紹介した。

■米軍捕虜への民間企業の謝罪にも難癖

「韓日関係を担保にする安倍のごり押し外交」と題したこの中央日報コラムは、防衛白書での竹島領有の記載を「ただ苦々しい」とするとともに、世界遺産登録での日本政府の「強制労働」の解釈を批判した。

同コラムはさらに、元徴用工らからの訴訟を抱えている三菱が、戦時中の強制労働について「米軍捕虜にだけ謝罪した」(19日)ことが「強制労働に関するごり押し外交のピーク」だと断定している。同時に、訴訟進行中を理由に韓国人と中国人の徴用者らには言及しなかったことに不満を示した。

三菱マテリアルの元捕虜への謝罪は、他の韓国メディアもそこそこのニュースバリューで報じていた。ただ、「ごり押し」かどうかは知らないが、一民間企業の謝罪と「外交」を勝手に結びつけている。加えて、米国は日本と戦った相手であり、謝罪対象は労働を強いられた元捕虜である。韓国は日本と戦争したわけではない。

先述のように、朝鮮人(韓国人)の徴用は当時、朝鮮半島を日本の一部としていた日本の徴用令に基づいていた。この徴用工の問題は、日韓請求権協定(1965年)によって解決済みのはずだ。

気持ちは分からなくもないが、一事が万事、すべて日本と韓国の歴史認識問題に結びつけようとしたがる。またもや、韓国メディアにありがちな解釈だ。

■それほど重い日本との歴史

4月末の米議会演説以後、韓国メディアの中には「安倍談話に期待はできない」という意見も早くから散見された。前出の中央日報コラムも「談話に『植民地支配の謝罪』は含まれないようだという」と実に残念なようだ。

しかし、韓国での現在の趨勢(すうせい)は「それでも安倍は謝罪しなければならない」だ。譲ることは、まずあり得ないだろう。韓国の経済状況が悪化しようが、内政が混乱し重要法案が国会で通過できなかろうが、中東呼吸器症候群(MERS・マーズ)コロナウイルスの感染が拡大しようが、歴史問題をめぐっては日本に譲歩しない。

これら国内問題を抱えて大変ななか、韓国はこの5カ月間、安倍首相の米議会演説をさせないように奔走し、演説が決まるとその内容に「慰安婦への謝罪を盛り込め!」と言い張り続けた。さらには、世界遺産登録をめぐっては、自らの主張を通そうと執着し、“念願”を成就させた。

特に、朴政権発足後のこの2年半の間、日本は嫌というほど、歴史にこだわる韓国のかたくなさを見せつけられてきた。他にやるべきことがあっても、日本との歴史認識問題がともかく最優先。全てをなげうってでも、問題は「日本」だ。譲歩はできない。それほどまでに、韓国にとって日本は重い存在なのか。

■続く対日要求、変わりゆく反日手法

「反省せよ!」「謝罪せよ!」と日本に言い続ける韓国では、現在、日本の朝鮮半島統治の時代を知る「体験的世代」が高齢となり、「観念的世代」が社会の中心だ。その観念的世代もどんどん新しい世代に変わっており、日本への反発や批判は、現在の価値観に支配されている。

ここ数年言われていることであるが、対日要求をめぐり、いつの間にか韓国側のゴールポスト(要求)が動かされているような状況にある。ゴルフであれば、ピンとカップの位置がグリーンに行ったときには勝手に動いていた、というようなことがザラだ。韓国の“反日手法”は形を変えており、韓国側のその時々の価値観に、日本は振り回されて続けている。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は2013年2月の就任直後に「3・1独立運動」の記念式典で演説した際、「加害者と被害者の歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」と断言した。その千年のうち、朴政権のわずか2年半が過ぎた。

大統領自らが公言し、実際そうなっているのだから、間違いないのであろう。日本が加害者で韓国が被害者であり続ける限り、この2年半に韓国が見せ続けた辟易(へきえき)とするまでの日本への反発、難癖は続く。ただし、時とともに本への主張や要求、その手法は、その時の都合でいつでも変わりうる。

産経ニュース【ソウルから 倭人の眼】2015.8.7
                (採録: 松本市 久保田 康文)

◆「侵略」はfaux amis

上西 俊雄



「略」、『大字典』には「本義は土地を整理し治むる。故に田扁、轉じて界・謀計カナメ等と義として掠に通じて奪ひかすむる義とす」とある。また親字「侵」の項には「侵略」「侵掠」が竝んででてゐて、前者は「他のものをおかしとること」、後者は「攻めて領土やものをかすめとる」とある。

三省堂『新明解國語辭典』の「侵略」の項には「他國に攻め入って、その領土を奪ひ取ること」とあり、「侵掠とも書く」との意の表記上の注記がある。

入院中に友人からもらった大修館書店の『漢語新辭典』の「侵」の項では「侵略・侵掠」とまとめて記述してある。

だから「侵略」と「侵掠」は同じ意味なのであるが、問題は「掠」が表外字であって事實上使用禁止であり、「略」は常用漢字であるけれど、常用漢字としての訓がみとめてないことだ。

だから、いはば「侵略」は事實上代用表記であって意味を精確に考へない語になってしまった。ネットで「侵略は代用表記か」と檢索してみたら「阿蒙のつぶやき」といふブログがでてきた。

<辭書學にfaux amis(僞りの友)といふのがあるさうだ。汽車のつもりが自動車であったり、手紙のつもりがチリ紙だったり、日本語と中國語の意味の違ひでよく例示される。

KMSさんは「侵略」を例に擧げて説明する。本來は「侵掠」。「掠」には「かすめとる」といふ訓があるが「略」にはない。つまり、漢字が違へば本來の意味がずいぶん變ってしまう。>


阿蒙子がKMSとするのは筆者のことで、これは「頂門の一針」1416號(2009.1.5)で書いたことであった。筆者は學者ではない。だから戰前の表記がどうであったかの實際を調べて書いたわけではなかった。

これは訂正が必要だ。「略」について我々は遮眼帶をかけさせらたといふべきであった。とにかく言葉の眞の意味に於ては我國はいづこも侵略したことはないといふべきだ。

漢和辭典や國語辭典をひきさへすれば今でも侵略は invasion と異ることがわかるのであるが、しかし今では辭書を引くひとは少い。おそらく21世紀構想懇談會の諸氏も戰後教育で漢字の意味について遮眼帶をかけた人ばかりなのではないか。

侵略を侵の意味でのみ考へれば、我軍は中國本土に入ったのだから否定のしやうはない。だから侵略したと認めれば、相手は略についても認めたと受取るだらう。

本日(8月10日)の日本經濟新聞の教育の頁に「下村文科相に聞く」といふ記事があって、「國が國立を含め全大學を一齊に動かす權限を持ってゐるわけではない」とあるけれど遮眼帶を強制してゐることは確かだ。

教育を司るところが遮眼帶を強制するのは本末轉倒。教育は專門家にまかせるおけるやうな簡單な問題ではないといふことを思ひ出した。

3026(25.8.3)の「30年前の英國の國語問題」で引いたところを再度引く。

<The abuse of language is the inevitable consequence of
generations of politicised education. It became more important to
guarantee that everyone left school with a certificate--hence the
idea of the `no-fail' examinations. Teachers, substantially the
architects of linguistic destruction, were urged to encourage
children to `express themselves', regardless of grammar,
vocabulary and style. They felt that a child's ramblings indicated
development. Those children, older, are still rambling, their
language a barrier to communication. We let the teachers and
politicians get away with it. We did not go to the barricades over
falling educational standards. We forgot that education is far too
important to be left to educators.>


<國語の誤用は政治化された教育を受けた世代の不可避の結果だ。だれもが學業ををはるにあたって修了證書を手にすることが一層重要とされた。

然り而して落第のない試驗といふ考へが生まれた。實質的に國語破壞の技術者たる教員は兒童に、文法、語彙、文體などはどうでも、とにかく自己を表現することを獎勵した。もごもごした表現を發達を示すものと受取った。

兒童は歳を重ねてももごもごしたものいひだから、國語はコミュニケーションの阻害要因となった。我々は教員や政治家に好きにやらせてきた。教育の水準が落ちることに對して身を挺して鬪ふことをしなかった。

教育が教育專門家にまかしておけるやうなものでなく、はるかに重大なことだといふことを忘れてゐた。>

3737號(8.9)の讀者の聲に於ける前田氏の投稿、それに對する主宰者の漢文教育についての辯も同じことを問題にしてゐるのだと思ふ。

海音寺潮五郎はもと國語教師。古文書は專門ではないから讀むのがむづかしいと書いたところに次のやうにある。

<昔の人の消息文は現代人にはわかりにくいと言っても、人によっては實に明快な文章を書く。學者といはれるほどの人のものは皆わかりやすいが、とりわけ漢學者のが明快だ。

頭もよいのであらうが、漢文といふ文體が簡潔で齒切れがよいので、平生それに浸潤してゐるだけ、日本式消息文を書いても、明快になるのであらう。

日本語は漢文の骨格を借りなければ、散文として成立し得ない宿命があるのかも知れない。

江戸時代の國學者より、儒者である、たとへば新井白石、たとへば室鳩巣などの方が、はるかに見事な和文を書いてゐる事實をもってみても、かういへるかも知れない。

漢文を中學校で教へることをやめたのは、大失敗であったと思ふ。>


またガミガミ説法といふ中にある「朝三暮四の詐術」といふのも面白い。こんなところがある。


<ぼくの見るところでは、政府や役所はしごとをかかへこみすぎてゐる。ひと頃、郵便を民營に移せといふ聲があり、水飢饉の頃には水道を民營に移せといふ聲が上ったが、以上の外にも隨分あるに相違ない。

管掌してならないものもある筈だ。

例へば國語は權力をもっていぢくりまはすべきものではないのに、文部省に國語課などといふ課があるため、國語改革などといふ奇怪千萬なことをはじめて、世を混亂させるのだ。

ともあれ、かうして管掌事項を少なくして行けば、ここでも大はばに人べらしが出來る。>

海音寺潮五郎、郷里の先輩として一度だけ謦咳に接したことがある。

先日のテレビドラマで高橋英樹が部下にむかって「父上」といったのは「御父上」でなければ意味をなさないところであった。

潮五郎先生も斯くまで國語が病んでしまふといふことは念頭になかったはずだ。

海音寺潮五郎未刊作品集といふのがある。その後書に「テキストは掲載誌切り拔き等によったが、發表時期にかかはらず、新假名遣とし、原則として當用漢字は新字體とした」とある。

だから「めぐり逢い」も「いなずま」も發表時の題とは異ることになってしまった。


フランクリン作品集の編集方針のところに次のやうある。(ブラケットに圍んだのは斜體)

<Many of Franklin's writings were published in some form in his
lifetime, often under his own supervision as editor, printer, and
sometimes typesetter. For these writings, the texts printed here
are those of that first publication (newspaper, broadside,
pamphlet, or book). The texts of many of the earlier pieces,
therefore, are those first printed in [The New-England Courant,
The Pennsylvania Gazette.] or one of the other American
periodicals to which Franklin contributed. For Franklin's
published writings while in England, the texts are those of the
original newspapers (except in a few cases where the particular
issue is not known to be extant). The texts of works published
separately, such as [A Dissertation on Liberty and Necessity,
Pleasure and Pain] (London, 1725) and [A Modest Enquiry into the
Nature and Necessity of a Paper-Currency] (Philadelphia, 1729),
are those of the original pamphlet editions.>


最初の發表の形式に拘ることかくの如し。彼我の違ひと一般的に言へることではなく、戰後の我國が變なのだと思ふ。お陰で我々は戰前は「侵略」であったのか「侵掠」であったのかさへ簡單にしらべることができなくなった。

◆我が国のサッカーの危機

前田 正晶

東アジアの4ヶ国中で最下位だったのは危機ではないか:

実は、昨夜中国と引き分けた試合は体調の不備で見ていなかった。そこを乗り越えてまで見る価値がないとま考えさせた我が男子代表の現状は余りにも情けない。この大会には既に再開されている欧州のリーグと時期が重なるようで、国内組だけで出ていったところに先ず問題があると思う。協会の不手際ではないのか。

それは何度か指摘してきたJリーグそのものが決してアジア内でも高水準にはなかったと図らずも立証したことが最大の事件だろうと思う。その背景にあることがあのリーグで優勝することが第一義的な重要度になってしまい、小器用に国内向けにのみ通用する若者が育った事実がある。また、消息通によれば、「マスコミが囃し立てる高校の全国大会は最早Jリーグの下部組織からは誘われない言わば落ちこぼれの集団の大会に過ぎない」のだそうだ。

しかも選手たちに気の毒なことは協会が如何なる根拠と信念を持って外国人監督を招聘するのか知る由もないが、順序不同で言えばドイツのクラマーに始まって、フランス、ブラジル、イタリア、メキシコと主義・主張と技術水準が異なる国から頻繁に呼んできて異なる指導をされ、異なる戦法を教え込まれては代表に選ばれた者たちは混乱させられるだろう。首尾一貫していないと言いたい。

現在のハリルホジッチ監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身だそうだが、フランス語と思われる言葉で話している。私は海外のサッカー事情には暗いが、ハリルホジッチ氏の名前というか盛名を聞いたことすらなかった。即ち、またぞろ宗派が異なる指導者を連れてきて、習い覚えたJリーグ用の技術を改めよと指導されているとしか思えないのだ。選手たちもお気の毒ではないのかな。

今回も最下位となったことで監督非難の声が上がっているが、国内組だけで1年前の指導者とは違うサッカーをやらせて結果を求めるのは一寸酷ではないのかな。監督も就任後の短期間にリーグ戦だけを見て回ってロバの中から駿馬を見出せと望まれても無理がありはしないか。しかも結果的に選んだのがロバばかりにしか見えないのは彼の責任かも知れないが、もう少し長い目で見て上げる必要もあるかも知れない。だが、次回のW杯の予選は待っていてくれはしないのも難問である。

前々任者のザケローニは香川を本田の使いっ走り的に使って伸びかけた才能を無駄にしたし、結果的にはその任にあらざる本田を中心にしたティーム構成にしたためにW杯予選リーグも突破できない結果に終わり、海外で伸びてきた内田、長友、岡崎等を無駄遣いしてしまった。また我が国ならではの技巧の持ち主・遠藤保仁をアギーレ監督が外したためにFKやCKの優れた蹴り手がいないティームを残して去って行った。

これらの不安定な結果を招いた責任は私は協会にあると思う。当時の担当だった原博美(だったか?)は早稲田の大先輩に「サッカーは上手かったけれど」と酷評されたのを直接に聞いた。何度も同じ事を言うが、Jリーグで勝つこと即ち小成に甘んじようとする選手を量産した結果を招いたのは協会ではないかと言いたい。マスコミもそれを煽った。

あの正月の大会でマスコミが褒めあげた者たちの中で何名がJリーグの一流選手になれていたか、何名が代表に選ばれたか、もうソロソロ誰かが真正面から声を上げる時が来たのではないのか。最後にもう一つ偏見?を述べれば、甲子園野球に出てくる者たちの体格がサッカーのものたちよりも優れているとしか思えないのだ。

目下マスコミが大騒ぎする早実の大柄の清宮の父親のラグビーの大監督・清宮克幸氏は「何故ラグビーをやらせなかったか」とのマスコミの問いに「ラグビーは金にならないから」と答えていた。女子代表に入った有吉はサッカーでの収入は皆無だそうだ。その辺りにも野球偏重のマスコミにも問題があると思えてならない。


◆「時代基調史観」のススメ

平井 修一



日本は「無謀な戦争」をしたのか。無謀とは「結果に対する深い考えのないこと。 また、そのさま。無茶。無鉄砲」と辞書にある。反対語は深謀=先々のことを深く考えたはかりごと、遠望=遠い先のことまで考えたはかりごと。

対米戦で昭和天皇はじめ指導者は悩みに悩んだ。行き着いた先が「死中に活を求めるしかない。ここで戦わずして四島に引き篭ったら亡国、永遠に立ち上がれない。戦えばたとえ敗けても日本は必ず再起、三起する。戦うしかない」。

実際は深謀、遠望して開戦という苦渋の決断をしたのではないか。

歴史は現在の価値観で判断してはならない。当時は弱肉強食の準戦乱状態だった。列強が縄張り争いをしていた。強者は武力で恫喝し、弱者は武力で対抗するか、尻尾を巻くしかなかった。支配に屈すれば植民地となり、奴隷のように扱われた。

かつて支那では「罪は九族(九親等)に及ぶ」とされ、日本でもそれは珍しくなかったようだ。源氏の頼朝と義経は平清盛の情で一命を取り留めたが、再起、三起した頼朝と義経は完璧に平氏を抹殺した。

秀吉も謀反のタネを情け容赦なく抹殺した。

<文禄4年(1595年)、秀吉に嫡子秀頼が誕生して、理由は諸説あるものの、秀吉の養嗣子として家督を相続した関白秀次は強制的に出家させられ、高野山青巌寺に蟄居となった後に切腹となった。秀次の首は三条河原で晒し首とされ、その際に眷族も尽く処刑された>(ウィキ)

秀次の子供5人、妻妾など34人が打ち首になった。多くの部下も死罪になった。今の価値観からすると「残酷、非道」だが、九親等を皆殺しにしておかないと報復されかねない時代だったのだ。

当時の時代基調、空気というものをベースにして歴史の事実に迫らないと真実、真相を誤る。

歴史を現在の価値観で判断するのを「後出しじゃんけん史観」とすれば、小生のそれは「時代基調史観」だ。

戦後70年の首相談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書を昨日から読み始めたが、「後出しじゃんけん史観」やら「GHQ東京裁判史観」の臭いがプンプンしてくる。どうやら「無識者」「不識者」が多いのだろう。岩波“文禍”人レベルか。

学者は学会で孤立したくないから深謀、遠望、熟慮して多数派、主流派に組する。研究費をもらうために官僚(容共左派の反日屋が多いだろう)に媚びる。「孤立を恐れず。それでも地球は回っている」なんて公言する勇気を持つ学者は本当に少数派だろう。多くの学者は戦う勇気がない、キンタマがない。学閥の中でぬくぬくしているだけだ。

日米開戦を決意し、武者震いした先人の気持ち、勇猛果敢に戦った父祖の思いは、宦官のようなヘタレ学者では理解不能だろう。ただの売文屋、ギャラで稼ぐコメンテーター。

大学経営上、中国人留学生は大事なお客様で、北京に逆らう言論は今やタブーとなりつつあるとか。だから学者も北京の幇間にならざるを得ない。学問の自由なんて幻、北京のクチパク曲学阿世ばかりではないのか。まことに「教育の普及は浮薄の普及なり」。

「無謀な戦争」というのなら、他の選択肢を示してはどうか、「こうすれば良かった」と、「時代基調史観」で示してくれ。

戦争/紛争は世界各地でこれまでも行われ、これからも行われる。彼にも正義、我にも正義で、ともに自衛戦争だ。外交でラチが開かなければ武力に訴え、やがて勝敗が決まれば講和条約。

勝てば官軍、敗ければ賊軍。敗者は大体、領土を奪われたり、賠償金を払わされたりする。二度と手向かえないように軍事力を奪われたり、勝者に都合の良い価値観を洗脳されたりする。国そのものを奪われたユダヤ民族は2000年も世界を彷徨した。戦争に負けるとろくなことはない。

戦争に勝てばわが世の春だ。「この世をば我が世とぞ思う」、先の大戦で米国は事実上唯一の戦勝国となり、70年間、王者として美味しい思いをしてきた。米国の国益を最大化するためにこれからもイザとなれば世界中で戦うだろう。米国民はイザ!の際には団結する。オバマ以外は愛国者だからだ。

習近平やプーチンのように軍事的冒険の機会を狙っている指導者は少なくない。領土領海を奪えば自衛力は高まるし、周辺国を言いなりにできる。戦勝の成果は実に美味しいから、戦争はなくならない。支持率も急上昇する。

オバマが軍事予算を絞っているから中露はその隙をついてせっせっと核兵器の近代化、充実を図っている。オバマのナルシズム的「核なき世界」が「核多い世界」を創ってしまった。

核戦争の危険は高まっているし、非対称戦争(ゲリラによる対正規軍戦)、プーチン流“ハイブリッド”戦争(義勇軍、民兵を装った武装勢力の活用)は効率が良いから増えるだろう。

戦争にしっかり備えることは国のリーダーの最大の仕事だ。その備えに魂が入っていなければ張子の虎だ。ここは英霊から勇気と支援をもらうしかない。「私的参拝ですか、公的参拝ですか、総理の肩書きでの参拝ですか?」バカな記者に聞かれたらこう答えよ。「日本国民代表として参拝した」と。(2015/8/10)

2015年08月10日

◆日米同盟への米国の不満つのる

平井 修一



高橋洋一・元内閣参事官/嘉悦大教授の論考「きちんとした同盟で戦争リスクは4割減る 防衛費は自前より75%安い」(ZAKZAK8/7)から。

<筆者は、データや事実などをベースに物事を考え、イデオロギーとは無縁にしている。この意味では右でも左でもない。

米プリンストン大留学時には、国際政治・関係論、平和論を勉強したが、イデオロギー的な話は語学の壁もあってできないので、戦争のデータに基づく議論ばかりしていた。

国際政治・関係論、平和論では、どうしたら戦争をしないようにできるかを研究するので、日本の左派勢力のように、「憲法第9条だけ唱えていれば、日本だけは平和になる」という議論は論外だ。

戦争の基礎データは「戦争の相関プロジェクト(COW:the Correlates ofWar Project)」のウェブサイトで公開されている。主要な資料は、1816〜2007年の戦争データである。

ここでは、「1000人以上の戦死者を出した軍事衝突」が戦争と見なされており、この数量的定義が国際政治学では広く使われている。そして戦争は「国内」「国家間」「それ以外」に分けられている。

エール大のブルース・ラセット教授とアラバマ大のジョン・オニール教授は、膨大な戦争データから、「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」ことを実証した。

その集大成が、両氏によって2001年に出版された『TriangulatingPeace』という本だ。筆者はプリンストン大時代に同書に出合うことができて、幸運だった。

同書では、1886年から1992年までの戦争データについて、リアリズムとリベラリズムのすべての要素を取り入れて実証分析がなされている

それによると、戦争のリスクは、

(1)きちんとした同盟関係を結ぶことで40%

(2)相対的な軍事力が一定割合(標準偏差分、以下同じ)増すことで36%

(3)民主主義の程度が一定割合増すことで33%

(4)経済的依存関係が一定割合増加することで43%

(5)国際的組織加入が一定割合増加することで24%、

それぞれ減少するという。

日本の周辺での危険国は中国である。というのは、中国は選挙もない非民主主義国だからだ。(3)の民主主義については、両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味で、古典的な民主的平和論が正しい。

一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まる。

ここで2つの選択肢がある。1つは独立国として、一定の軍事力を確保して、中国以外の国との同盟を強化(1)し、中国との経済的依存関係を強め(4)、中国に国際的組織加入を促す(5)ことだ。

もう1つは、中国の属国化することで一定の軍事力を放棄することだ。ただし、その場合、中国以外の国と平和関係を結ぶことは難しくなる。

日本が独立国として生きる場合、集団的自衛権の行使は、戦争のリスクを最大40%減らし、防衛費は自前での防衛より75%程度安く、望ましいという結論になる。個別的自衛権の行使より抑制的(戦後の西ドイツの例から)とのおまけもある>(以上)

ヒトラー、FDR(ルーズベルト)、プーチン、習近平のように覇権(縄張り)拡大のために「是が非でも開戦したい」という指導者はいるから、上記の1〜5をもってしても戦争抑止にならない歴史はあったし、これからもあるだろう。

ところで西側諸国の防衛費はGDPの2〜3%が普通だ。NATOは加盟国に3%を目指すように指示しているが、みな金欠病だから2%前後にとどまっている。

日本は本来は4%、20兆円が望ましいが、日米同盟により1%、5兆円で済ませている。米国は4%、今のレートなら70兆円だ。米国からすれば「それはないだろう」ということになる。米国で再び“安保タダノリ”非難が高まっているという。

産経特別記者・古森義久氏の論考「一方通行の日米安保に米国で高まる不満 安保法制論議で語られない日本の米軍依存の現実」(JBプレス8/5)から。

<安保法制の審議が参議院でも続く。この論議では、日本の防衛を支える米国の事情が考慮されていないことを、本コラム(「誰も言わない安保法制論議の致命的な欠陥」)で指摘した。

米国は年来、超党派で日本が集団的自衛権の行使禁止を解除することを望んできた。この点の経緯も上記の報告で伝えたとおりである。

ところがその米国側の意向が、実は「希望」や「期待」だけではなく、現状への不満であり、憤慨でもあることを最近改めて実感させられた。

この種の不満や憤慨は、長期的に見ると日米同盟における米国側の日本防衛誓約を浸食する危険性すら感じさせる。ワシントンでのこうした現実は、現地に駐在する記者としてやはり日本に向けて報じる必要があろう。

*下院ベテラン議員の日本非難の中身とは

つい2週間ほど前の7月15日、下院外交委員会の公聴会で、有力議員の次のような発言を聞いた。

「日米同盟はまったくの一方通行です。有事には米国が日本を助ける責務はあっても、日本が米国を助けることはまったくありません。日本に防衛負担をもっと増やしてもらうにはどうすればよいでしょうか」

下院ベテラン議員のブラッド・シャーマン氏(民主党)は声をかなり荒げて、他の議員たちや専門家の証人たちに対して主張と質問をぶつけた。

このような趣旨の意見は、1980年代に米国で聞かれた日本の「安保ただ乗り」非難を思わせた。日本は防衛面の負担を米国に押しつけ、経済面で利得ばかりを得ている、という批判だった。

それが2015年になっても、しかも、安倍晋三首相の4月末の訪米などで日米同盟が強化されたと評価されているにもかかわらず、米国でこのようなとげとげしい日本非難が出てくることは意外だった。しかも、憤慨とさえ呼べるような日本への激しい苦情なのである。

この公聴会は、下院外交委員会のアジア太平洋小委員会が開催した討論会の中で実施された。討論会のテーマは「米国でのアジアの経済、軍事の同盟関係」である。共和、民主の両党議員たちが出席し、米国の日本、韓国、フィリピン、タイとの同盟関係を、専門家4人の証言を基に論じた。

委員長マット・サーモン議員(共和党)は、公聴会を開催した理由について次のように述べていた。

「中国の継続的な拡張に対して、米国はアジアでの同盟関係をどう築いて運営していくべきか。その戦略を考えることがこの公聴会の目的です」

やはり要因は中国なのである。サーモン小委員長は、「中国がアジア太平洋地域の安全保障の現状を変えつつある。それに対して日米同盟などのあり方をどうするべきか」が焦点だと強調した。

*日米安保は「21世紀の米国の同盟とは言えない」

すると、小委員会内で民主党側の筆頭メンバーであるシャーマン議員が前記のような日本への不満を、鋭い語調で述べたのである。シャーマン議員は、オバマ政権を支える側の民主党所属である。同議員は次のように日本批判を続けた。

「9.11同時テロが起きて、米国人が3000人も死んだとき、米国は自国に対する戦争行動に等しいと解釈して、軍事反撃を取る構えを取りました。この対テロ戦争では、北大西洋条約機構(NATO)の同盟国すべてが集団的自衛権を行使して、米国と軍事行動をともにする態度を鮮明にしました。しかし、日本はそうしなかった。同盟国であるにもかかわらず、です」

「一般的に同盟関係は双務的かつ相互的です、しかし日米同盟だけは片務的、一方的なのです」

「日本は石油などを海上輸送路に依存するのにも、その防衛の負担を米国に負わせます。日本の防衛費はいつもGDP(国内総生産)の1%以下です。
米国の4%に比べてあまりに少ないのです」

「日本に防衛努力の拡大を求めると、いつも憲法など法律上の制約を口実にして、それを拒みます。安倍首相は前向きの姿勢を見せてはいるが、そもそもこんな一方的な構造の日米同盟は前世紀の同盟であって、21世紀の米国の同盟とは言えません」

シャーマン議員はカリフォルニア州選出、当選10回のベテランである。連邦議会のそんな有力政治家が日米同盟の現状を不公正、不均等として非難するのだ。そして、その原因は日本側の集団的自衛権の行使禁止にあると主張する。

同議員は、日本での安保関連法案での集団的自衛権の議論を意識して、あえてこんな発言したのかもしれない。だが、その発言は日米同盟の、そもそもの一方的かつ片務的な構造に向けて矢を放っている。安倍首相の訪米や日米防衛の新ガイドラインが同盟を強くしたことを認めながらも、現状は受け入れがたいと強く唱えるのである。

*米国の集団的自衛権行使に依存する日本の防衛

公聴会に証人として登場したランディ・シュライバー元国務次官補代理や、ジム・ショフ元国防長官顧問も、日米同盟が片務的であるというシャーマン議員の不満を認め、そのうえで、日本の安保関連法案の採決が集団的自衛権行使容認につながることへの期待を明らかにした。

しかし、こうした期待が裏切られた場合、日米同盟における米側の誓約は弱くなると見るべきだろう。シャーマン議員の日本非難の発言には、日本が現状のままならば米国が日本防衛への完全な責務を保ち続ける必要はないだろう、という暗示があった。

となると、現在の日本での集団的自衛権の行使容認をめぐる論議は、日米同盟の結束の強さを将来的に左右する議論だと言えよう。

しかし、日本の国会での議論を見ていると、米国側のこうした不満や期待は不思議なほど論題とならない。与党側も、野党の「米国の戦争に巻き込まれる」という非難を意識してか、あるいは日本の防衛が米国に依存している現実を覆い隠したいのか、米国の態度には触れようとしない。あくまで「日本の防衛は個別か、集団か」という二者択一で議論を進めようとする。

だが現実には、日本の防衛には厳密な意味での「個別」とか「単独」はまったく想定されていない。日本領土が直接的な攻撃を受けた場合にだけ自衛権を行使する、という個別自衛権論がいくら語られても、実際の日本防衛はあくまで米国の支援に依存する集団自衛なのである。

日本が攻撃されても米軍がまったく動かず、日本の自衛隊だけが自国防衛にあたるというシナリオが現実となれば、日本の抑止力はほぼ失われてしまうだろう。

日本の防衛が日米同盟による米国の軍事的抑止力に大幅に依存している事実は否定のしようがない。好むと好まざるとにかかわらず、日本の安全保障は米国によって支えられてきた。

日本が攻撃されたときに個別的自衛権を行使することは、米国が日本の防衛のために集団的自衛権を行使することと一体となっているのだ。

残念ながら、その米国の政策や思考を無視した日本の防衛論は成り立たない。日本の与党も野党も、シャーマン議員の言葉が象徴する米国の不満や反発にどう答えるのだろうか>(以上)

「どう答えるか?」、政府・与党は「米国の理解を深めるために引き続き2+2で協議する」とほとんど意味のないことを繰り返し、野党は「そもそも憲法は戦争、戦力保有を禁止している」とほとんど70年前の時代錯誤的・倒錯的・痴呆的・思考停止の妄言を繰り返すだけである。

そもそも野党は中共を危険な国とはまったく思っていないし、ほとんど中共の狗になっている。中共の幇間で、裏で金でも貰っているのじゃないか。

小沢不動産は胡錦涛に「(私は)人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っている」とゴマをすったそうだが、何を何から解放するのか。日本を米帝から解放するのか。相棒の山本太郎は生活の党、社民党の他に極左暴力集団の中核派などからの支援も受けて当選した。

小沢は中共の手先で反米だ。日米同盟なんてどうでもいいというのが本音だろう。

政治家の質が悪いのは国民の質の悪さを反映したものだ。安保法制案をいくら丁寧に説いても聞く耳も能力もないから無駄。ロバは70年たってもロバ。馬にはならない。さっさと採決し、中共迎撃の作戦を練るべし。 (2015/8/8)

◆「抗日戦勝70年」の一環

河崎 真澄



【上海=河崎真澄】戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。

ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする考えだ。

今回の申請作業を進めているのは、戦時中は摩西会堂(ユダヤ教会)と呼ばれ、現在は上海市虹口区当局が管轄している「上海ユダヤ難民記念館」。記念館 が集めた難民の名簿や遺留品、旧日本軍が管理した隔離区(通称・ユダヤ難民ゲッ トー)に関する資料、難民から聞き取った証言などをまとめ、中国政府とともに登録を 働きかけている。

申請作業と並行し、9月3日に北京で大規模な軍事パレードなど一連の抗日戦勝利70周年記念イベントを行うのに合わせ、記念館や「リトルウィーン」と呼ば れたユダヤ難民の住居やダンスホール、カフェなどが立ち並ぶ、当時としては自由を 謳歌(おうか)したエリアの建築物改修を終える予定だ。

戦前の上海では、アヘン戦争(1840〜42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な 書類は必要なかった。

元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け 入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。

42年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。43年に「無国籍難民隔離区」を 置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダ ヤ人の生命を守った歴史がある。

日本がユダヤ難民を保護した理由として、上海社会科学院歴史研究センターの王健副所長は、「旧日本軍がユダヤ難民を当時の満州などに移住させて利用し ようとした『河豚(ふぐ)計画』が背景にある」とみている。

中国は昨年6月、「南京事件」と「慰安婦」を世界記憶遺産に登録申請し、日本政府が反発している。産経ニュース【歴史戦】2015.8.9
                 (採録:松本市 久保田 康文)


◆終戦を支えた皇族たち

伊勢 雅臣


789万人の陸海軍将兵に戈(ほこ)を収めさせるために、昭和天皇の大御心を説くべく、皇族たちは戦地に向かった。


■1.「不退転のご決意を秘められた荘厳なお姿」

昭和20(1945)年8月12日、在京の皇族男子全員12人が宮中の御文庫付属室に呼ばれた。空襲で宮殿も焼け落ち、分厚いコンクリートで覆われた暑く湿度の高い御文庫に、両陛下は住まわれていた。

お出ましになった昭和天皇の憔悴されたお姿を目のあたりにして、竹田宮恒徳(つねよし)王は「天皇陛下は今まで拝したことのない程に緊張された御様子」「しばらくお目にかからない間に、なんと深いご心労を宿されたことか」と思った。

8月9日深夜の御前会議で、昭和天皇の御聖断の下に、最高戦争指導者会議と閣議でポツダム宣言受諾の政府決定がなされた。しかし、このまま戦争を無事に収拾できるのか、降伏後の日本がどうなるのか、については五里霧中の状態だった。[a]

集まった皇族方に、昭和天皇はこう話された。

「私自身はどうなってもよいから、ここで戦争を止めるべきだと思う。そこで自分は明治天皇の三国干渉当時の御心労を偲び、ポツダム宣言を受けて、戦いを止める決心をした。どうか私の心中を了解してくれ、そしてこれからは日本の再建に皆真剣に取り組んでもらいたい」。[1,p170]

そのお姿に触れた時の思いを、竹田宮は後にこう記している。

{ふだんはむしろ女性的にさえ思えるほど、お優しい陛下が、この日本存亡の際にお示しになった、不退転のご決意を秘められた荘厳なお姿を、私は生涯忘れることができない}。

最年長の梨本宮が、皇族全員を代表して「陛下の御英断に謹んでお従い致します。そして今後共国体の護持に全力を尽します」と奉答した。


■2.「自分の心中をよく第一線の将兵に伝えて欲しい」

8月15日正午の玉音放送により、昭和天皇が直接、国民に終戦を告げられた。その翌日、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひと)王、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王、竹田宮恒徳王、開院宮(かんいんのみや)春仁(はるひと)王に、昭和天皇から突然御召があった。

東久邇宮以外の3人が、まず昭和天皇の御前に案内された。昭和天皇は14日と同様の緊張した面持ちで、こう話された。

「終戦をつつがなく行なうために、一番心配なのは現に敵と向かい合っている我が第一線の軍隊が本当にここで戈(ほこ)を収めてくれるという事だ。蓋(けだ)し現に敵と相対している者が武器を捨てて戦いを止めるという事は本当に難かしいことだと思う。しかし、ここで軽挙盲動されたら終戦は水の泡となる。

自分が自ら第一線を廻って自分の気持をよく将兵に伝えたいが、それは不可能だ。ご苦労だが君たちが夫々手分けして第一線に行って自分に代わって自分の心中をよく第一線の将兵に伝え、終戦を徹底させてほしい。急ぐ事だから飛行機の準備は既に命じてある。ご苦労だがあした早朝発ってくれ」。[1,p173]

当時、陸海軍合わせて789万人の将兵がおり、特攻に使える航空機も6千機は残っていた[b]。特に中国大陸では、陸軍が国府軍を圧倒しており、突然、降伏を命ぜらたからと言って素直に従ってくれるかどうかは、まったく不明だった。

もし、前線や日本本土で降伏を潔しとしない陸海軍将兵が戦い続けたら、終戦は有名無実となる。イタリアのように内乱状態になるか、ドイツのように全土占領されるまで戦いが続くことになるか、のどちらかだった。いずれにせよ、民の苦難は続く。

昭和天皇は、これを恐れて、三方の宮を御自身の代理として戦地に派遣して、無事に戈を収めるよう説得しようとされたのだった。朝香宮は支那派遣軍に、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、そして開院宮は南方総軍にそれぞれ天皇の特使として終戦の聖旨を伝達しに行くことになった。


■3.「満洲帝国皇帝の亡命を助けよ」

東久邇宮には、終戦決定の後に総辞職した鈴木貫太郎内閣の後を継いで、組閣の大命降下があった。誰も経験したことのない降伏後の混乱は、これまた昭和天皇の分身としての皇族内閣により乗り切るしかない、という判断だった。

皇族が政府の長となるのは、明治政府が樹立された時に、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王が「総裁」の地位に就いて以来のことであった。

その日の午後、東久邇宮は組閣で忙しい中、竹田宮を呼び出して、東郷外相とともにこう依頼した。

「竹田さんは満州に行くそうだが、もしできたら薄儀(ふぎ)満洲国皇帝に会って、皇帝が希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい。もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理をしてまでとの依頼ではないのだが」。

竹田宮は、つい7月まで関東軍参謀として満洲帝国の首都・新京(長春)に赴任していたから、ソ連軍と中国軍の進駐を目前に控えた現地の混乱ぶりは容易に想像できた。果たして無事に帰れるかも分からないと思って、身辺の整理を始めた所に、さらにこの依頼である。

■4.「皇族の3人や5人は死ね」

明治天皇は「男子皇族は軍人となって政治に関与すべきではない」との思召(おぼしめ)しを示され、竹田宮も軍人として生きてきた。

竹田宮恒徳王は昭和13(1938)年に陸軍大学校を卒業したが、軍の首脳部は宮をあくまで安全な場所に配置しようとした。皇族を戦死させては、という心配が軍の内部にはあったからだ。しかし、竹田宮は、陸軍省の人事局局長と電話で激しく口論した末に、中隊長として中国の前線に赴くことになった。

ただ、戦闘に加わる以上、皇族の身分を隠した方がよいということになって、「竹田宮」をひっくり返し、「竹」を「武」に代えて、「宮田武」とした。以後、「宮田参謀」が皇族であることは、軍の中でもごく一部しか知らなかった。

後に、大本営勤務となった際に、南洋方面の戦略検討のために、参謀次長の軍令部次長がラバウルの前線司令部に出向くことになった時も、竹田宮は随行を願い出た。しかし、杉山参謀総長と東條陸軍大臣は頑として聞き入れない。竹田宮は眼に涙を浮かべながら、上司の辻政信班長に嘆願した。

「班長さん、御願ひです。私を、ラポール(ラバウル)にやるやう、総長、大臣に班長から是非もう一度、申上げて下さい。私が皇族なるがため、当然なすべき仕事をさせて貰へないなら、今すぐ大本営参謀をやめさせていたゞきます。この大戦争に、もし、明治天皇様がお出になりましたなら、きつと、皇族の3人や5人死ね!! と仰言るでせう」。[1,P197]

竹田宮の迫力に押された辻班長は、杉山総長に宮の思いを伝えると、「そうか、それほどの御決心か!」と涙を拭い、万一のことがあったら切腹する覚悟を固めて、自ら東條大臣を説得した。東條大臣も涙ながらに、これを許したという。

竹田宮恒徳王の母親は、明治天皇の皇女・昌子内親王だけに気骨ある母親で、「皇族の3人や5人は死ね」とはその母からの手紙の中の一節であった。


■5.聖旨伝達

竹田宮は8月17日朝、東京・立川から専用機で飛び立った。到着した新京では、関東軍総司令官山田乙三大将以下の幕僚が、司令部2階の広い総司令官室を埋め尽くした。

竹田宮は、昭和天皇が仰せられたお言葉を詳しく語って、御決意を伝えた。「どんな返答が戻ってくるか、この時ほど心配したことはなかった」と宮は後に書き記している。厳粛な空気の中、山田大将は「謹んで聖旨に沿い奉ります」と奉答した。誰もが目頭を熱くしていた。

翌18日朝、竹田宮を乗せた飛行機は奉天(瀋陽)に向かって飛び立ったが、間もなく故障を生じて、新京に引き返した。幸い、故障は1時間ほどで修理できて、再び、奉天に向かった。翌19日にはソ連軍が進駐したので、もし修理が長引いて、新京にもう一泊していたら、ソ連軍の捕虜としてシベリアに連行されていたろう。

奉天に着いた竹田宮は満洲南部で治安維持に当たっていた第3方面軍司令部で同様に大御心を説き、さらにその日のうちに京城(ソウル)に飛んで、朝鮮軍司令部にも同じく聖旨を伝達した。

竹田宮の搭乗した飛行機は、4機の戦闘機「隼(はやぶさ)」に護衛されていた。いずれも若く優秀なパイロットで、竹田宮は京城に着いて、彼らと別れる際に、厚く礼を述べ、固い握手を交わして「今後、いろいろの情勢になろうが、くれぐれも自重して、日本の再興に尽くしてくれ」と言った。

しかし、4機が奉天に戻ると、飛行場にソ連機が並んでいる事を目撃し、既にソ連軍に占拠されていることを知った。4機は垂直に急上昇してから、編隊を組んだまま、真っ逆さまに飛行場中央に突っ込んで、自爆した。


■6.皇帝溥儀の運命

もう一つの任務である満洲国皇帝溥儀の救出に関しては、溥儀は満洲と北朝鮮の国境にある通化(つうか)の山中にいることが判り、17日に幸いにも電話がつながって、翌18日午後に京城で落ち合う約束をした。

しかし、その18日には、溥儀から「小さな飛行機しかないので長白山脈が越えられないから、明日(19日)午後奉天に出る」との電報が来た。

竹田宮は新京に赴任中、皇帝溥儀とは特に親しくしていた。宮が転任で新京を去る時には、溥儀はお忍びで宮の官舎に見送りにきた程だった。

竹田宮は翌日再び、奉天に戻って、溥儀との再会を果たそうとした。しかし、阿部・朝鮮総督と上月・朝鮮軍司令官が口を揃えて、「あなたの主任務・聖旨伝達の結果を一刻も早く帰って陛下に復命し、御安心を頂かれるべきではありませんか」と反対した。この言葉に竹田宮はハッと目を覚まし、直ちに東京に帰ることとした。竹田宮は再び、命拾いをした。

溥儀にとっては、京城に直接飛べなかった事が運命の分かれ道となった。奉天飛行場に出ると、ソ連軍に身柄を拘束され、そのままシベリア送りとなるところだった。


■7.「国内での不穏な動きを抑えよ」

竹田宮は8月20日、無事に帰国し、復命することができた。同様に、サイゴン、シンガポールで南方軍に聖旨伝達した閑院宮、支那派遣軍に伝えた朝香宮も、それぞれ任務を終えて、帰国した。

帰国して2日後の8月22日、昭和天皇から竹田宮に3度目のお召しがあった。昭和天皇は、占領軍の本土進駐に際して、反乱などがあってはならないと心配され、不穏な動きが報告されていた福岡の陸軍航空部隊と、広島県宇品(うじな)の陸軍船舶司令部に行って、自重するよう聖旨の伝達を竹田宮に命ぜられた。竹田宮はすぐに福岡と宇品に行き、それぞれ戈を収めさせた。

8月26日には、連合軍の先遣隊が神奈川の厚木飛行場に降り立つ日だったが、そこを本拠とする相模原航空隊は進駐軍を撃退すべく演習を続けていた。海軍上層部はこれを抑えようとしたが、言うことを聞かない。昭和天皇に差し遣わされた弟宮の高松宮が直接説得することで、ようやく24日の夕方、強行派は厚木飛行場を明け渡した。

翌25日には米軍機が東京上空を盛んに飛んだので、厚木飛行場の武装解除が半日遅れたら、戦闘状態になった可能性もあった。

こうして789万人もの将兵が、君主の号令一下、整然と戈を収めたのは史上でも例のない見事な降伏ぶりであったが、その背景には、各皇族が昭和天皇の分身として、自分の身はどうなっても良いから民を助けたい、という大御心を内外の将兵に伝えたからであろう。


■8.歴代天皇陵への代拝

終戦の混乱も落ち着きかけた11月29日、7人の皇族をお召しになって、123代に及ぶ歴代天皇の御陵に代拝を依頼された。

このような終戦は自分の不徳の致すところで、それを歴代天皇に謝り、日本の今後の復興への御加護をお願いしたい。神武天皇の畝傍陵、明治天皇の桃山陵、大正天皇の多摩陵は御自身で参拝するが、残りは皇族で手分けして代参してくれ、との御聖旨だった。

竹田宮は四国と淡路島を担当した。各皇族は全国に散って、代参をするかたわら、病院や行政機関などを訪問され、多くの要人や民衆と交流した。後に昭和天皇は8年半をかけて、沖縄を除く全都道府県を行幸され、数千万の国民と交流されたが[c]、この皇族方の代参はその原型とも言えるものであった。

昭和22年10月、直宮(昭和天皇の弟宮である秩父宮、高松宮、三笠宮)を除くすべての皇族、11宮家51人が臣籍降下した。皇室の力を弱めようという占領軍司令部の意向であった。

竹田宮恒徳王も竹田恒徳となったが、その後、スポーツを通じて青年のために奉仕できればと、スケート、馬術などのスポーツ連盟の会長となり、東京オリンピックや札幌冬季オリンピックの招致に貢献し、「スポーツの宮様」と呼ばれた。

■リンク■

a. JOG(101) 鈴木貫太郎(下)
 終戦の聖断を引き出した老宰相。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog101.html

b. JOG(049) 終戦後の戦い
 日本はポツダム宣言の諸条件を承認して降伏したのに、いつのまにか、それらは骨抜きにされ、条件があった事すら、検閲により忘れさせられた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog049.html

c. JOG(136) 復興への3万3千キロ
 「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよそに、昭和天皇は民衆の中に入っていかれた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog136.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 竹田恒泰『語られなかった皇族たちの真実』★★★、小学館文庫、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4094085904/japanontheg01-22/


◆我が国のサッカーの問題点を探る

前田 正晶



私は男女のサッカー代表は過渡期にあるとは認めるが、その前に解決すべき問題があると考えている:

女子の東アジアサッカー杯であの顔触れで何とか2点が取れて中国に勝ったのは良かったが、そこ以外にも問題は多い。

結論めいたことから先に言えば「相手の中国が弱かった事に助けられたのでは」なのだった。彼女たちは確かにこの試合の出来如何ではオリンピック代表の選考にも残れないだろうし、佐々木監督に厳しく言われていたようでもあって、何とか形がつくように努力していたのは見ていただけでも十分に読めた。綺麗な流れの中から取った点ではなくともひたむきさは十分に感じさせてくれた、

男子が韓国と引き分けた際にも指摘したことだが、私はサッカー人口が増えて、多くのクラブティームも出来て、サッカー部を作った中・小・高から大学までが増えてきたのはサッカーの普及には歓迎すべきだとは思っている。だが、競技人口の増加が競技そのものの水準の向上には直結しないことは問題を多く残していると思っている。それは散々論じてきた甲子園野球の全国大会に勝つこと「命」のようなその為だけを最高とする点に置く指導法が広まることだ。

それは世界選手権のようなレベルを狙うような力を持たせるような指導法をせずに、全国大会のトーナメント方式での勝ち上がり方を主たる目的にせざるような学校と父兄の願望を満たす為の小さな纏め方に偏してしまうことを指して言っているのだ。それが悪いとは言わない。だが、大学やJリーグやプロ野球が求めている将来性がある素材の育成を敢えて避けているような指導者が持て囃される結果になっているのではないかと、後難を怖れて言っているのだ。

サッカー界を見てると、我々の頃とは基本技の指導に大きな変化に気が付く。個人技が当時とは比較するのも失礼かと思うほど向上し、用具の進歩も手伝ったと噂されるようにキック力とその正確には瞠目する。パスを回す細かい技術は我が国と特にの体格の不利を補って余りあるほど進歩したと認める。

だが、著しく目立った欠陥は「自分で局面を展開してやろう」という考え方が何処かで否認された様子で、兎に角責任逃れと言いたいような「そこでシュートに持って行けたのでは」と昔の蹴球選手を切歯扼腕される慎重さに重点が置かれているやに見える。勝手に「チャンス来る」とばかりに思い切ったシュートをすることは集団の和を乱す悪だと刷り込まれているのかと疑うほど強引に行かないないのが不思議に思える。

またその昔には「相手のゴールの背を向けて縦パスを受け、背後にマークがついていると承知している際には、左右何れかの方向にフェイントをかけてそれを外して前進せよ」何度も練習したものだったが、今の若手は先ずフェイントを使わないで元来た方向に見事な逆縦バックパスで返してしまうのが一般的で、そこからお家芸のバックス陣間での横パス繋ぎが延々と始まる。

その間に相手は前にいるFWまたは所謂トップ下なる連中にピッタリとマークをつける余裕が出来るので、バックからはパスを出す先というか隙が無くまたぞろ縦パスを出してける返されるか下手なトラッピングをして奪われてしまう結果になる。こういう攻め方だから恐らく”time ofpossession”を計れば日本側の保持率は高く出るだろう。そんな攻め方をしてなんになると思うのか。

また、我々が蹴球を習い覚えた頃には「シュートをするときには右から来たセンターリングでも、右サイドを駆け上がっても右足では蹴らずに広く明いている左足にせよ。立ち足を左にすればそれだけ狙える角度が狭まる」が原則で、右サイドの攻撃的MFだった私は苦労したものだった。この原則は「左サイドにいる者は利き足の右で思うように蹴れる有利さがあった」のだった。今の選手たちは球慣れしているのでこの原則を無視して見事なシュートを決めてみせるが、勘違いしてはいけないことはそれは欧州や南米の世界一流の者たちが出来ること。我が国で「それを見て真似するのは百年早い」

それに目立つのが守備の際に人数かけて攻め上がってこない相手にこちらが3〜4人で群がって取りに行くことだ。これは作戦上にはあることだが、一昨夜の韓国戦のように広く散らばって攻め上がってくる相手ではその場面から抜け出されると一気に数名のディフェンス陣が置いて行かれる結果となって危機を招く。また仮に人数をかけて取り返せてもその後でその狭い地域で細かいパス交換を続ける傾向があるの。これでは一向に局面が変わらずに逆襲(カウンターと言うらしいが)に素早く転ずることも出来ない。

私がここに幾つか採り上げた問題点は基礎中の基礎であり、全日本代表に選ばれて上がってきた連中のその悪い癖を取り除くのは寧ろ手遅れで、そんな教え方をした下部組織の指導者が非難されるべき事案ではないか。高額な年俸で契約された外国人の我が国の監督たちの契約条項にはない項目だろう。ではあっても、監督たる者、もうそこに気が付いても良いことでないのかな。

しっかし、事ここに至れば、監督は地方の有力高校やJリーグの下部組織で如何ななる教え方をしているかを見回られる必要があると申し上げたい。俗に「三つ子の魂百まで」と言われているではないか。

また埼玉出身でサッカーに造詣が深いTK博士は「諸悪の根源の一つに部活制度がある」と指摘された。尤もである。「ある部に属して色々な仕来りや慣行の中で育てば(縛られれば?)他の運動競技と交流して良い点を習得して採り入れるべきは採っておけば自分たちの助けにすることは考えないのか」アメリカで三大スポーツを学校で教えている制度と比較すれば、改革してもにしても良くはないか。

私の場合にはグランドを半分使っていた野球部が24年に甲子園で勝ってしまったし、その連中と親しい間柄だったので、幸運にも練習が終わった後などには彼らと一緒に野球をやって原則論を教えて貰う機会があったのだ。彼らの当時の臨時コーチ陣には六大学の慶応大学の別当投手や加藤捕手や矢野外野手が来ておられたの、当時の最新式野球の基礎と技術を学べるのをベンチに後ろで聞いていられたのだった。

男女のサッカーはこれから先に為すべき事は猛練習ではなく、基礎の見直しと再教育から入っていって貰いたい。現状では監督がどうのと論じている場合ではないと言いたいほど基礎となる心構えと基本技の訓練が欠けてていると思ってみているのだが。

            

◆竹島問題、なぜ対処出来なかったのか

下條 正男



今年は、戦後70年、日韓の国交正常化50周年の節目に当たっている。だが日韓の間には未解決の問題が残されている。竹島問題である。

竹島問題の発端は昭和1952年1月18日、韓国政府が「李承晩ライン」を公海上に設定し、その中に竹島を含めたことにある。その竹島は、明治38(1905)年1月28日、閣議決定によって日本領に編入され、終戦までは日本が実効支配をしていた。

その竹島を含め、韓国政府が「李承晩ライン」を宣言したのは、「サンフランシスコ講和条約」が発効し、日本が国際社会に復帰する3カ月ほど前である。

その際、韓国政府の兪鎮午は、日本の朝鮮統治時代から著名な史家であった崔南善の元を訪れ、「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」を尋ねていた。兪鎮午は、その崔南善から独島(日本名、竹島)が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」としている。

だが崔南善が1953年8月から『ソウル新聞』に連載した「欝陵島と独島」を見る限り、竹島を韓国領とする論拠は限定的であった。それは独島を、朝鮮の文献に登場する「三峰島を指すのかもしれない」。「可支島ではないか」とする程度であった。

それが今日では、竹島問題は領土問題ではなく歴史問題とされ、日本を「侵略国家」とする論拠にされている。それも崔南善が必ずしも歴史的根拠としていなかった『三国史記』、『高麗史』、『世宗実録』「地理志」、『新増東国輿地勝覧』等に記された于山島を独島と曲解し、歴史問題にすり替えられてしまったのである。

その傾向が強まったのは1954年9月、竹島を武力占拠した韓国政府に対し、日本政府が国際司法裁判所への付託を提案してからである。この時、韓国政府は声明を通じ、「竹島は日本が韓国侵略をした最初の犠牲の地」とし、日本が竹島の領有を主張することは、「再侵略を意味する」とした歴史認識を示して、国際司法裁判所への提訴を拒否したのである。

それも日韓の国交正常化交渉と並行し、公海上に引いた「李承晩ライン」を根拠に日本人漁船員を拿捕抑留し、それを外交カードとしたのである。

戦後、日本には夥しい数の朝鮮半島からの密航者がいたが、拿捕抑留された日本人漁船員の解放を求める日本政府に対し、韓国政府は不法入国者等にも日本定住の「法的地位」を与えるよう求めたのである。

この日韓関係に変化が現れたのは1994年、国連の海洋法条約が発効し、国際ルールに従って対話をする機会が訪れたからである。そこで韓国政府は、竹島の不法占拠を正当化すべく、竹島に接岸施設の建設をはじめ、日本政府が抗議すると、反日感情を爆発させて牽制したのである。

 だが日本政府は、韓国側の反日感情を考慮してか竹島問題を棚上げし、1998年末、新「日韓漁業協定」を締結したのである。その結果、日本海には排他的経済水域の中間線が引けずに、日韓の共同管理水域が設定され、韓国漁船による不法漁撈問題が発生したのである。

そこで島根県議会は2005年3月16日、「竹島の日」条例を成立させ、竹島の領土権確立を求めたのである。

だが当初、日本政府は「竹島の日」条例には批判的で、竹島問題を歴史問題や漁業問題に局限し、韓国側の動きに同調する動きも強まった。そこで島根県では2014年2月、『竹島問題100問100答』(ワック出版)を刊行し、韓国側には竹島の領有権を主張できる歴史的権原がない事実を明らかにしたのである。これに対して、韓国側では今に至るまで反論ができていない。

ここで問題となるのは、日本の国家主権が侵され続けて半世紀、その間、日本政府は適切な対処をしていたのかということである。外務省のホームページで「竹島は日本固有の領土」とし、「韓国が不法占拠している」とするのは、「竹島の日」条例の成立が確実となってからのことで、『防衛白書』に竹島問題が記述されたのも2005年度版からである。

それに島根県竹島問題研究会が『竹島問題100問100答』の企画を進めていた頃、外務省でも島嶼研究の基本調査と称して8億円の予算を組んでいた。だがこの類似の試みに対し、韓国側が反応したのは、出版費200万円程の『竹島問題100問100答』の方であった。

それも『竹島問題100問100答』を批判した慶尚北道独島史料研究会では、『竹島問題100問100答』を韓国語訳し、その後に批判を加えた『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上に公開したことで、墓穴を掘ってしまったのである。

これまで韓国内では韓国側に不利な竹島関連の情報は制限されていたが、島根県竹島問題研究会の見解と、それを批判する韓国側の見解を比較できる場を作ってしまったからだ。

だが事の重大さに気がついたのか、慶尚北道庁は突如、『「竹島問題100問100答」に対する批判』をネット上から削除したのである。事実上の敗北宣言である。

竹島問題は、領土問題である。それを解決していくには、歴史の事実と若干の戦略が要る。島根県にできることが、日本政府には何故できなかったのか。ここに竹島問題の本質がある。

              ◇

下條正男:拓殖大学国際学部教授。昭和25年(1950年)5月13日、長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程修了。83年韓国に渡り、三星綜合研修院主任講師。98年まで三星電子マーケッティング室諮問委員。85年から韓国・仁川大学校客員教授。

98年末に帰国し、99年、拓殖大学国際開発研究所教授。2000年、同大学国際開発学部アジア太平洋学科教授を経て現職。専攻は日本史。06年より「島根県竹島問題研究会」座長。主な著書に『日韓・歴史克服への道』(展転社)、『「竹島」その歴史と領土問題』(竹島・北方領土返還要求島根県民会議)、『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)など。

共著に『竹島問題100問100答』(ワック出版)、『島国ニッポンの領土問題』(東洋経済新報社)など。

産経ニュース【iRONNA発】
               (採録:松本市 久保田 康文)


2015年08月09日

◆自民党は河野洋平氏の国会招致を

阿比留 瑠比


自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(中曽根弘文委員長)が7月28日、河野洋平元衆院議長が宮沢喜一内閣の官房長官当時に慰安婦問題に関して行った発言を、「重大な問題」だと指摘する提言を安倍晋三首相に提出した。

提言は、河野氏が平成5年8月、軍や官憲による慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」を発表した際の記者会見での次のやりとりを特に問題視している。

記者「強制連行があったという認識なのか」
河野氏「そういう事実があったと。けっこうです」

それまで政府内では「強制連行が行われたことを示す資料はない」との認識が共有されており、河野談話にも強制連行という言葉は出てこない。にもかかわらず、河野氏はその一線をなぜか踏み越え、強制連行を認めてしまったのだ。

提言はこの事実関係を踏まえた上で、河野氏の発言についてこう結論づけた。

「あたかも強制連行があったかのような事実に反する認識を、韓国をはじめ国際社会に広めた大きな原因になったと言わざるを得ず、重大な問題である」

この自民党の指摘は重い意味を持つ。なぜなら、河野談話発表時の河野氏は、官房長官であると同時に現職の自民党総裁でもあったからだ。自民党は、自党の過去のトップによる「大失敗」(政府高官)が現在に至るまで大きな禍根を残していることを、公的に認めて表明したことになる。

そうであるならば、けじめを付けるために、自民党が率先して河野氏を国会に呼んで事実関係を証言させるべきだろう。何かの意図があって強制連行を認めたのか、あるいは単に口がすべったのか−。

安倍首相も提言を受け取り、中曽根氏らにこう述べている。

「提言をしっかり受け止める。誤った点は直さなければならない」

もちろん、参考人招致を受けるかどうかは河野氏の自由だが、まさか逃げることはあるまい。河野氏は7月22、23両日付の朝日新聞朝刊ではロングインタビューに答えて健在ぶりを誇示しており、国会に出てこられない理由はないはずである。

河野氏は、23日付朝日では、現在の自民党における安全保障論議のあり方や、安保関連法案を批判していた。

「私の現役時代、怖い先輩が多くいました。大平正芳、宮沢喜一、伊東正義、後藤田正晴−−。彼らは、戦争でギリギリの場面を見たり体験したりした世代です。彼らには譲れぬ一線がありました。(中略)当時と比べると、現在の議論はいかにも軽く感じます」

現在78歳の河野氏は、終戦時にはまだ8歳だった。そこで、さらに年配のハト派政治家らの名前を持ちだして自己正当化を図ったのかもしれない。

自民党の中堅・若手議員の現実的な安保論議について、「戦争を知る世代として言うが」という反論しにくい一言で封じ込めてきた現在89歳の野中広務元官房長官の手法と、どこか似ている。

そんなことを考えていたらその数日後、安保関連法案に賛成する95歳の女性読者からはがきが届いた。そこにはこうしたためられていた。

「私は戦前、戦中、戦後とずっと身にしみて国家のあり方を経験してまいりました。『国の守り』は必要です。『戦争』と『防備』(の違い)をはっきり認識してほしい。戦争を知らない頭でっかちの偉いさんには困ったものですね。まったく」

必ずしも河野氏らを指して書いたものではないのだろうが、河野氏に読ませたいものだと思った。(論説委員兼政治部編集委員)産経ニュース【阿比留瑠比の視線】15.8.3



◆私の「身辺雑記」(248)

平井 修一



■8月6日(木)、広島原爆大量無差別虐殺70周年。抑止力として報復用の核兵器を持たないとひどい目に遭うということ。非核三原則で国を守れるなんて悪い冗談だ。戦後70年間のお花畑的不思議の国のニッポン。笑うべし、しかし愛すべし、何も知らない幼児なのだから。

70年前と同様に朝は室温31度、快晴、今日も猛暑の予感。駐輪場のオッサンに「雨が全然降らないねー」と挨拶。ハーフ散歩。

夕べは地元の多摩川河川敷で5年振りの花火大会。景気が回復してきたのだろう。正確には対岸の東京都狛江市の市制45周年記念花火大会。狛江は多摩川の土手決壊(1974年)でひどい目に遭ったところで、ドラマ「岸辺のアルバム」で知られる。

対岸のわが街もぞくぞくするほど危険だった。小生は6歳の頃に狩野川台風/1958年の洪水で溺れた稀有の体験をしているからなおさら恐ろしかった。

6人分のオニギリと厚焼き卵を持たせて子・孫・カミサンを送り出した。屋上から花火を眺めたが、12階建てのマンションにさえぎられてよく見えなかった。残念ながら都市化とはこういうことだ。5000発で、皆堪能したようで、9時半ごろに興奮冷めやるぬ様子で帰ってきた。

今朝は牛皿、豚野菜炒め、オムレツ、サラダ、鮭(正確にはカラフトマス。違いは分からん)の甘辛焼きなどを7人で。洗濯は2回まわし、干し終えてキッチンを片づけ終わったのが9時半。結構くたびれるが、脳みそと体にはいい刺激だろう。PC部屋を冷やして犬と引き篭り。いつもの一日が始まった。

ところで治療の順位を決めるトリアージ。優先すべきは子供、子育て世代、職業人、特に優れた技能・知能を持つ人、リタイヤした老人、パラサイト。現実は劣位のものが優遇されている。

亡国社会主義的桃源郷ニッポン。このままでは潰れる。無い袖は振れないとサッチャーは社会福祉を削って“老大国”を再生させた(今でも賛否両論あるけれども)。

1970年頃、大学の英語の先生は英国人だったが、「僕のメガネも国が負担している」と誇らしげだった。身の丈に合った福祉/社会保障にしないと破綻は免れない。打ち出の小槌や地下資源を持たない日本のような国ならなおさらだ。

日本の資源には何があるか。人材は措くとして、やはり「海」か。日本の領土面積は38万平方キロで世界61位だが、EEZと領海を含めると9位だという。笹川陽平氏のブログ8/5に、「海の日」にちなむ安倍氏の講演内容がアップされていた。

「<海の日に想う」その5 安倍総理のメッセージ 2015年7月20日 於:ザ・キャピタルホテル東急

みなさま、おはようございます。本日は「海の日」祝日制定20回目の記念すべき日にお集まりいただき、ありがとうございます。

140年前の今日、明治天皇が東北・北海道を巡る旅から、無事、横浜港にお帰りになられました。これが「海の日」の由来です。

その際、明治天皇が乗船されていた船が当時、最新鋭の巡視船だった明治丸。明治丸は、日本の周囲に広がる海を駆け巡り、1875年、いち早く小笠原に駆け付けました。イギリスに先駆けること、実に2日前の出来事です。たった2日、この差が日本の小笠原領有を決定づけたわけです。

この船がなければ、豊かな海洋資源をたたえる小笠原は、イギリスのものになっていたかもしれません。日本は世界第6位の規模となる広大な排他的経済水域を管轄していますが、その約3割が小笠原を起点とした海域です。

全国津々浦々の漁師が、この海域を利用しています。小笠原は、日本の食卓に豊かな海の恵みをもたらしていると言っても過言ではありません。

海岸線に沿って約15キロごとに漁村が存在する、そんな国は世界中を見回しても、日本くらいなものではないでしょうか。日本の漁村は、衰退の一途をたどっているのではないか、とお思いの方もいらっしゃるしょう。そんなことはありません。

茨城県大洗町では、漁師の奥さんが経営する食堂、「かあちゃんの店」が大盛況です。地元の新鮮な魚を目当てに、長蛇の列ができています。

女性が中心となって六次産業化にも果敢に取り組み、東日本大震災で大きな被害を受けたそうですが、震災後81日で営業を再開し現在の来客数は震災前を上回るそうです。漁村はこれからも生活と仕事の拠点。明るい未来を感じさせます。

水産資源だけではありません。日本の輸出入貨物の99%以上、国内輸送の約4割が海上輸送に依存しています。日本人にとっては、海が無い生活を想像することができないほど、海は身近な存在なのです。

古来より、海洋と貿易の自由は、人類の発展・反映の礎でした。私は、いかなる紛争も力の行使や威嚇ではなく、国際法に基づいて平和的に解決すべきと、国際社会で繰り返し訴えてきました。強いものが弱いものを振り回す、このようなことは自由な海においてはあってはなりません。

国際社会全体の平和と繁栄に不可欠な、法の支配が貫徹する公共財として「海」を保つことにこそ、すべての者に共通する利益があります。

このイギリス生まれの美しい帆船に「明治丸」と名付け、生命の息吹を吹き込んだのが、後の工部卿・伊藤博文です。伊藤博文は、長州ファイブの一人として、他の4人の志ある若者とともに、果敢に海を渡りました。その成果が日本の近代化を力強く牽引する原動力となったのです。

海は無限の可能性に満ち溢れています。若者には、立ちはだかる荒波にも臆することなく、海に飛び込み、未来を切り拓いていただくことを期待しています、云々>(以上)

ヂイヂも東/南シナ海に飛び込むぞ、今度は溺れない、イザ! 安倍氏のスピーチは上等のレベルだ。相当優秀なライターがいるのだろう。

イギリスは自国産の船を日本に引き渡したがゆえに小笠原をGETできかった、ということか。スクリュープロペラ船として建造され、帆装は2本マスト。今でいうところのハイブリッド、最新鋭艦だ。

<明治丸(めいじまる)は日本の船舶。灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注し、天皇の乗る御召し船や練習船としても使用された。国の重要文化財に指定されている。

明治丸は、当時の日本国内における最優秀船であったため、通常の灯台見回り業務の他にも様々な活動を行い、日本の近現代史に業績を残している。

日本に回航された1876年にはイギリスとの間で小笠原諸島の領有問題が生じたため、11月21日、日本政府調査団を乗せて横浜港を出航し、24日に父島に入港した。新鋭船で船足が速く、22日に同じく横浜を出航した英国軍艦「カーリュー」より2日早く着き、調査を進められたため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることができたとされている>(ウィキ)

現在は東京海洋大学越中島キャンパスに展示されており、「老朽化が進んだため、再び平成25年12月より、本学と文化庁により大規模修復工事が行われました。平成27年3月に竣工し、その美しい姿がよみがえりました」とのこと。結構なことである。

明治日本は新興国として最新頭脳と最新技術を金に糸目をつけずに導入した。原資は佐渡銀山か、富岡などの絹か、唐行きさんを含めた出稼ぎか? お雇い外国人の報酬はべらぼうに高かったから、欧米から第一級の脳みそが来た。

明治丸のような最新鋭のハイブリッド船(スクーナー)の所有数も世界有数だった。黒船にびっくりして「これからは最新技術で勝負だ」と、泰平の眠りから醒めて決意したのだろう。

種子島で鉄砲を知ると(1548年)、日本の鍛冶屋(堺中心)はわずかな期間で世界一の鉄砲メーカーになった。伝統的な職人気質、職人技、匠志向があったから明治以降の急速な富国強兵、殖産興業が可能となり、世界最重量級の大清帝国とロシア帝国と戦って、とにもかくにも勝った、敗けなかった。

技術、それに国際世論を味方にする正論と諜報能力とプロパガンダ能力があれば、中共には、少なくとも「負けない」。中共は「勝てない」、結果的に人民は中共離れする。

「赤い花なら曼珠沙華」、日本へは支那から伝わったようだ。支那の原野に似合う花だ。赤い中共は竹のカーテンの中に閉じ込めておくべきだった。ニクソンとキッシンジャーは「紅禍」を世界に拡散してしまった。痛恨のミスではなかったか。

■8月7日(金)、朝は室温31度、快晴、今日も猛暑、ハーフ散歩。湿度が低いからまだいいが、奄美の夏はこんなものではない。頭の上から強烈な日射しが襲ってくるし、とても蒸す。汗ダラダラで、呆然自失。クーラーの部屋でひたすら夕方になるのを待つしかない。

昭和30年代、小学生のころの夏休みは外で遊び回っていたが、子供たちはずいぶん元気だったものである。向ヶ丘遊園地のプールにはよく通ったが、地下水のために恐ろしく冷たかった。セミ、カブトムシ、クワガタ、蝶などの虫採りもしたし、ザリガニ釣りもした。家の中には遊ぶものがなかったので、みな外で遊んだ。

親戚が多摩川河畔で鰻屋を営んでおり、ボートの貸し出しもしていたので、小生は只で何時間でも利用でき、友達を誘って終日、上流目指して漕いだり、砂州に上陸したりした。

わが家は乾物屋だったので、ときどき仕入れに連れて行ってもらった。外食の機会の少なかった時代だから、市場での朝食も楽しかった。

今、子供たちがつるんで外で遊ぶ姿は見かけない。真っ黒に日焼けした子も見ない。クーラーの部屋でゲームやDVDを楽しんでいるのかもしれない。米国のように合宿で過ごすサマースクールに参加する子もいるのだろ
うか。

中学から高校までの夏休みは勉強に追われた。高校はずーっと校舎を開放していたので、みな教室を一人で占拠していた。クーラーがない時代だが、開け放たれた窓から風が入り、とても涼しかったし、学食が使えたのもよかった。そういう生徒は今もいるのだろうか。

総じて子供たちはタフだった。取っ組み合いの喧嘩も多かったが、からっとしていた。親たちは「子どもの喧嘩に親が出るなんてみっともない」と、喧嘩は当たり前という風潮があった。陰湿なイジメはあったかもしれないが、自殺したなんていう話はまったくなかった。

今の子供たちは喧嘩を知らないのかもしれない。喧嘩の中で防衛したり攻撃したり、徒党を組んだりすることを覚える。一種の社会勉強だ。スネオ路線も一つの生き方だ。

そういうリアルな現実を学ぶことが今の子供たちは少ないのではないか。小生の小中学校時代に不登校なんてなかったし、ましてや自殺したり、仲間をリンチで殺すなんて、さらさらなかった。

陳腐な台詞「命の大切さを子供たちに伝えていきたい」。そういう教育が糞の役にも立たないことは、あちこちで「人を殺してみたかった」という殺人鬼が増えていることから明白だ。戦後教育=亡国教育。

正当防衛の仕方、敵からの攻撃を抑止する方法、危険除去の方法、この世は悪意と憎悪に満ちているから気を付けよ、この世は理不尽だ、戸締り用心、火の用心、油断大敵だと、そういうことを時には拳骨をもって教えないと「打たれ弱い子」が増え、不登校になったり、殺されたり、自殺したりとなるのではないか。

■8月8日(土)、朝は室温31度、薄曇り、ハーフ散歩。

昨日の暑さは尋常ではなかった。涼しいところでショッピングを楽しんで帰宅したカミサンは、「アンタ、私の部屋、37度に近かったわよー」とびっくりしていた。

とにかく暑いというか、オーブンの中にいるみたいで、犬とPC部屋に引き篭ったが、夕方になっても風がないのでとても料理どころではない。食堂、キッチンも冷やして、どうにか凌いだ。

今日もそんなことになりそうだと心配していたが、8時過ぎから風が出てきて涼しくなってきた。雨が降れば申し分ないが・・・

先日、ロボット導入についての論考を紹介した。主旨は「テクノロジー失業(以下テクノ失業)が広がっている。コンピューターやインターネットの発達によって人間が仕事を奪われることを意味する。

雇用市場ではすでに何年も前から情報技術の進歩によって事実上の解雇が発生してきた。これまで3人でこなした仕事をIT技術の導入によって、2人でできるようになり、1人が解雇されればテクノ失業になる。この潮流が今後はさらに加速してくる。

特に米国でその流れが顕著だ。8月4日に米国で出版される『Humans AreUnderrated(ロボットに負けた人間)』の著書ジェフリー・コルビン氏は、人間が作り出したコンピューターやロボットによって、今後は加速度的に仕事を奪われていくと予測する」。

「世界の工場」と自他ともに認めていた中共は、もしかしたらロボット化で一番大きな影響を蒙るかもしれない。「ロボットに職を奪われる労働者が激増!中国経済の構造的な限界があらわになりつつある The NewYorkTimesより」(現代ビジネス 8/8)は中共のジレンマを説いていた。

<*中国で急激に進む製造業のロボット化

過去10年、中国は世界の多くの国にとって、低賃金労働者を使いまるで無尽蔵に全業界を食い尽くす「職喰いモンスター」と化していた。

けれども今や中国は、その意識をロボットへとシフトしつつある。この移行は、中国経済だけでなく世界の経済にも大きな影響をもたらすだろう。

中国の工場で使われているロボットの数は、2014年に世界の工業用ロボットのおよそ4分の1を占めた。これは2013年から54%増加している数だ。国際ロボット連盟によれば、2017年までに、中国はどの国よりも多くのロボットを導入するようになるということだ。

重工業が盛んな広東省の大手家電メーカー、Midia(美的)社では、2015年末までに、住宅用エアコン部門の従業員6000人分の仕事を自動化する計画だ。これは全従業員の約5分の1に相当する。

一方で、アップルなど企業向けに家電製品を製造しているフォックスコン社では、3年以内に工場の作業の70%を自動化する計画で、成都の工場では、すでにすべての作業がロボット化されている。

中国の工場で働く従業員の数は、これまでアメリカやその他の先進国よりもさらに速いペースで消えていくものと思われる。それにより、中国の経済上の優先課題のひとつである問題、つまり、国内消費の比重を現在よりもはるかに高めるために、経済バランスを是正する問題に対処することが、これまでよりもさらに難しくなると予想される。

中国の経済成長は、輸出品の製造だけでなく、住宅、工場、インフラなどの固定資本への投資によっても牽引されてきた。実際に近年、投資は国内総生産の約半分を占めている。

一方で、全経済に占める国内消費の割合は、わずか3分の1で、これはアメリカの約半分の水準だ。

これは、明らかに持続不可能な状態だ。これらすべての投資から、最終的にはリターンがなければならない。工場は、販売利益を得られる商品を製造しなければならない。住宅は居住者から家賃収入を得る必要がある。

そのようなリターンを生むために、中国の各世帯が底上げされ、今よりも大きな力をもたなければならないのだ。

つまり、中国の工場で作られた商品だけではなく、サービスについてはもちろんのこと、今よりもはるかに多くが消費されるようになる必要があるのだ。

* 経済成長のバランスを保つには難しい時代

これを実現するのは並大抵のことではない。事実、中国の指導者は何年にもわたってこの問題を論じているが、何の進歩も見られない。最近は賃金が上がっているとは言え、その経済規模に比べて世帯収入があまりに低いことがひとつの要因だ。

もうひとつの要因は、中国国民の貯蓄傾向が非常に強いことにある。平均世帯では、収入の約40%を貯蓄しているという推定も見られる。この傾向は、老後、失業、病気のリスクの備えるための自己保険の強化という面もあるようだ。中国の新しい資本主義が、社会のセーフティネットを大きく破壊してしまったからだ。

経済成長のバランスを再調整する政策は、どのようなものであれ、世帯収入を増やし、貯蓄率を抑えることが基本となる。それを実現することは、どんな状況でも難しい。しかしテクノロジーの推進によって、はるかにそれが難しくなることは間違いない。

先進諸国はこれまで、はじめに所得を上げ、製造業の基盤の上にしっかりと中産階級を築き、その後、サービス経済へと移行するという道筋を辿ってきた。アメリカ、そして日本や韓国は、テクノロジーが今よりはるかに低水準だった時代に、この道筋を辿ることができた。

しかし、中国はロボット時代(平井:失業増、低所得で中産階級を生み出すのが困難な時代)に同様の移行をしなければならないのだ。

仮に中国経済が、教育レベルの高い労働者を対象とした高いスキルを必要とする仕事を多く創出しているのであれば問題ないだろう。なぜなら職を失ったブルーカラー労働者をさらに訓練し、再教育しさえすれば解決できるからだ。

しかし現実には、急増する大卒者に対し、十分なホワイトカラーの職を提供できず悪戦苦闘している。2013年半ばの中国政府の発表によると、現在、大卒で就職できるのはわずか半分ほどで、前年度の大卒者の20%以上が就職できないままでいると言う。

ある分析結果によれば、すでに中国の労働者の43%もの人が、自分の教育現職(今ついている仕事)にとってオーバースペック(余計)だと考えている。今後、中国の経済の中でスキルレベルの向上を目指す労働者を吸収することは、ますます困難になるものと思われる。

中国政府は最終的に、アメリカの勤労所得控除制度のようなプログラムを通した、何らかの直接的所得補充が必要になるだろう。しかしそれでさえ、長期的には効力を保てないはずだ。なぜなら、急速に進歩する技術により、さらに多くの労働者が取り残されることになるからだ。

ロボットの拡大進歩によって、中国は経済的・社会的な混乱をもたらす中心地となる可能性が高い。

どちらかと言えば脆弱なこの国の独裁政治システムは、先進諸国から見ると途方もない経済成長水準の持続に依存していることとも相まって、新しい時代の現実への適応を試す上で信じられないほど大きな困難に直面するかもしれない>(以上)

中共は“中進国の罠”からの脱出がますます難しくなるということだ。脱出するには革新的な技術が必要だが、中共にはないし、発明する頭脳も意欲も根性もない。

一説によると中国における中産階級は年収が6万元(約100万円)から12万元(約200万円)で、人口の約25%を占めるという。3.4億人だ。これが国家の基盤になっている。

この層は先進国では80%ほどだ。高度成長を突っ走っていた2010年に、中共は「中国の中産階級は2020年には7億人、国民の48%にまで上昇する」とはしゃいでいたが、それはかなり困難だろう。

中産階級は大学出の経営者、エリート社員(いずれも持ち家)が多いようだが、彼らを追いかけているのが工場で働くブルーカラー(借家)である。ブルーカラーがどんどん稼いで出世し、年収が増え、マイホームを買うようになれば中産階級が増える。経済もますます活性化する。日本もこのパターンだった。

ところが中共経済は失速し、失業者は増え、さらにロボット化で雇用は減少する。内需は拡大するどころか減少する恐れもある。まさに前途多難だ。(2015/8/8)

◆台湾の選挙いろいろ

Andy Chang



7月19日、国民党の党大会で総統選挙に立候補した立法院副議長・洪秀柱がたったの5秒でシャンシャン拍手で正式に国民党総統候補となった。総統選挙の候補者選びは重大事項なのに全体拍手で通ったとは中共独裁政権の選挙に似ている。国民党にしてみれば他に候
補者が居ないから拍手通したのだが、洪秀柱では勝てないと全員が思っているのに他の候補者がいないとは情けない。

この結果で台湾の次期総統は民進党の蔡英文と國民黨の洪秀柱のどちらが勝っても女性総統が誕生するのは間違いないと各国のメディが報道した。

●台湾の政党の色分け

アメリカでは政党の分別を動物で表し、民主党は驢馬、共和党は象党色で代表される。台湾の二大政党の政争は「藍緑之争」とも呼ぶ。国民党は親中路線で藍または濃紺が代表色で、民進党は独立路線で緑色が代表色である。政党に属していない一般人でも個人の政治観点によって色分けする。

また親中派でも濃紺色の深藍と空色の浅藍、独立派には濃緑(深緑)と新緑色(浅緑)と4種の区別をつけている。

その他の政党にも色分けがあり、親民党は橙色、新党は黄色、台聯党はベージュ色である。台湾は主として国民党と民進党の二大政党だから、小政党の色分けには深浅の区別はない。つまり台湾の政治は統一と独立の選択で、藍緑之争が主題である。

赤色は共産主義の色だから使わない。しかし国民党は台湾で最大政党だから常に紺色を使うが、統一路線を表すため、長年使っている国民党員の紺色のヴェストに赤い襟をつけていた。つまり國民黨は「隠れ共産主義」である。

●空色を使った国民党

今回の国民党大会で特に目立ったのは、国民党が従来の濃紺色を捨てて党員一同が空色のシャツを着ていたことだ。つまり国民党は選挙に際し従来の親中路線を隠して中間路線を表す空色(浅藍)を使うことにしたのである。これは画期的な変化である。

これまで台湾の選挙で国民党は優勢だったから一貫して濃紺色で過ごしてきた。ところが去年11月の市町村選挙で惨敗してから台湾人の独立意識が強くなり、今回の選挙で親中路線の濃紺を使えばまた惨敗すると予想されるから空色を使うのである。

しかも國民黨候補の洪秀柱は強硬な親中派であり、小粒な唐辛子と呼ばれる刺激的発言や失言が多く、最近中華民国を無視した発言もあったので党内の人気もイマイチである。民意調査では蔡英文に20%以上の大差をつけられている。国民党が中間路線の空色を使う
のは無党派の選民の票に期待しているわけだ。濃紺から空色への変化は統一意識を隠すためである。

馬英九が総統になってから強引に中国との統一を推進してきたが、去年のヒマワリ学生運動と市町村選挙に敗北してようやく台湾人の反中国意識が明確になり、中国側も台湾併呑を隠すようになった。

中国の南シナ海や尖閣諸島付近での暴挙が相次いで報道され、台湾人民の独立意識が高まった。だから国民党は今回の選挙に空色を使うことにしたのである。

●青緑色を使った民進党

民進党も中間色と称して青緑色を使ったことがある。2007年に民進黨の総統候補者となった謝長廷は、青緑色のジャケットと三角形の青緑色の旗を使って選挙に乗り出し台湾人の反感を買った。緑の政党を代表する候補者が緑でも藍でもない色を使ったからである。

この時私は「紅組と白組が競争している運動会で、一方の隊長が赤でも白でもないピンクの旗を掲げて出たら、観衆は誰に応援すればよいのか」という記事を書いた。

国民党が濃紺でなく青色を使うのは同色系統だから理解できるが、緑の代表が新緑色ではない青緑色を使うのは外道である。また民進黨の中間路線は台湾人民に不評で民進党に批判的な人が多いのも当然である。

それでも謝長廷は中間路線を捨てず、数年前は相手に招待もされずのこのこと中国を訪問して習近平に逢おうとしたが相手にされなかった。謝長廷は中国に朝貢したに等しい。こんな輩が民進党の幹部に何人も居るから人民は民進党を信用しないのだ。

●独立派と合作を渋る民進党

民進党は正統な緑色政党ではないと言う人がいる。藍緑闘争とは統一を独立の闘争であるが民進黨は独立を言わなくなったから緑色政党と言えない。独立を主張しないでも民進党は人民を代表しているのかと疑問を持つ人は多い。蔡英文は現状維持を主張しているから
独立は主張していない。しかし現状維持はアメリカの主張であり国民党も(別の意味で)現状維持を主張している。独立を主張すればアメリカの支持は得られないから独立派は候補者を出せないのだ。

独立願望の人民にしてみれば民進党が政権を取る方が国民党よりましだと思う。しかし民進党が政権をとっても現状維持でば独立はできないし、民進党がやがて独立を推進するかも疑問である。民進党の内部には謝長廷のような中国の属国になる野心を抱いている人が
いるのだから、安心できない。

今回の選挙で大切なのは誰が総統に当選するかより、民進党派と独立派の連合が立法院(国会)で過半数を取ること、過半数を取れなければ蔡英文が当選してもレイムダックになる。

民進党は過半数を取るだけの候補者が居ないで苦労している。そこで独立派の第三党連合ができて、代表的人物である游錫コン氏が民進党の困難な選挙区に候補者を出そうと提案した。游錫コンは元民

進党の幹部で誠実で知られた人物である。彼の提案は独立派が民進党の候補と争うのでなく、民進党が困難な選挙区を「譲ってくれ」と提案しただけなのに民進党は合作を渋っている。このような民進党の狭量と傲慢が人民の支持を失う結果となっている。

●統一と独立と現状維持

国民党は「92共識」と呼ぶ中国と中華民国の現状を続ける政策を取る。民進党は(アメリカの支持のもとに)台湾当局が中国とは違う政府を維持する政策である。そして台湾人民は選挙で国会を制した政権が独立を推進ることを願っている。

現状維持は暫定的なものでしかない。民進党の中間路線は台湾が現状維持で満足するが、中国は台湾併呑を主張し、台湾独立も中華民国との共存も反対である。統一と独立は共存しない。

現状維持は永続しない。いつかは統一と独立の闘争が起きる。独立はアメリカの援助が必要だが、アメリカは台湾人の独立運動に参与しない。台湾人民の覚醒と努力が最重要である。

25[AC論説] No.551 (2015/07)