2015年08月09日

◆中国にとっては最高の援護に

ケント・ギルバート



日本の多くの憲法学者は「安全保障関連法案は、日本国憲法第9条に違反しており、違憲だ」という。安倍晋三内閣による憲法解釈の変更にも「立憲主義の理念に反する」と主張している。

GHQ(連合国軍総司令部)が科した第9条というペナルティーはやっかいだが、先人たちはどう対応したのだろうか。

1946年、当時の吉田茂首相は国会で「日本は憲法第9条で、自衛の ための軍備と自衛戦争の両方を放棄した」と答弁した。極めて素直な条文 解釈であり、新憲法制定時の第9条は確実にこの趣旨だった。

マスコミが積極的に報じないので意外と知られていないが、日本の憲法学者の多くは、今も自衛隊違憲説である。彼らに安保法案の合憲性を尋ねる意味は最初からない。

ちなみに、この吉田答弁を受け、共産党議員から「自衛戦争は放棄しておらず、侵略戦争だけを放棄したと解釈すべきだ」との正論が出たというのだから、歴史は実に面白い。

50年に朝鮮戦争が勃発すると、吉田首相は「第9条は自衛権を放棄していない」と、当初の憲法解釈を一転させ、のちの自衛隊の整備を始めた。日本は占領下だからGHQの意向でもある。

現在、安保法案反対派の多数意見は「自衛隊は合憲だが、集団的自衛権は違憲」なので、50年の解釈変更は容認していることになる。歴史的大転換の解釈変更は認めるが、今回の解釈変更は認めないとは、見事なダブルスタンダード(二重基準)である。

そもそも、すぐに「違憲だ」と叫ぶ人たちは、立憲主義の意味を理解していない可能性がある。

立憲主義の先駆けである英国には、成文憲法は存在しない。「コモン・ロー」と呼ばれる不文法が英国の憲法である。成文法は必ず時代に取り残されるので、時代に合わせた解釈が必要なのだ。

第9条にとらわれて、国防に必要な法整備ができないリスクを、日本人はもっと憂慮すべきだ。

中華人民共和国(PRC)は南シナ海や、沖縄を含む東シナ海での領土・領海的野心を隠していない。PRCにシーレーン(海上輸送路)を抑えられたら、死活問題に陥るのは日本である。

「米国の戦争に巻き込まれる」との主張があるが、真逆である。日本は米国に依存せず、目の前に迫った危機を自分の力で解決すべきなのだ。

安保法案について「違憲だ」「立憲主義に反する」と叫ぶ日本人は、立憲主義とは対極にあるPRCに最高の援護射撃をしているのだから、最高に皮肉な話である。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。

現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。
夕刊フジ【ニッポンの新常識】2015.08.08

2015年08月08日

◆安保法制論議で甦る「曲学阿世」

屋山 太郎



原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。先日、テレビでコメンテーターが「この語り部たちが戦火を防ぎ、平和を永続させてくれる」というのにはあぜんとした。

私も昭和20年5月25「日、東京で大規模な空襲に遭って、妹の手を引 きながら、猛火の中を逃げ回った。両親とはぐれて一家はちりぢりとなった。明朝、焼け跡に集まれたのは奇跡だったが、父は顔面を焼いて重傷だった。だが私は戦争を語ることのみや、あるいは武装しないことによって平和が保たれるとは思えない。

 ≪「平和と全面講和」の虚構≫

国会で憲法学者が与党推薦も含めて「集団的自衛権の行使は憲法に抵触する」と語ったというので、安倍晋三内閣の支持率が急速に下がった。この様をみながら、私が高校生だったころの吉田茂首相を思い出した。

当時は米軍占領下で、占領が終われば、各国と講和条約を結んで独立することになる。吉田首相は「米国と単独講和条約を結ぶ」と表明してい た。

一方で「社会主義のほうがよい国がつくれる」との考え方も多く、学 者たちは「中ソとの講和」をしたかったのだが、それでは米国を敵視することになる。そこで米中ソなど全員との「全面講和」を主張した。

吉田首相の単独講和論に対して、学者の総代ともいえる南原繁東大総長は「『全面講和』は国民の何人もが欲するところ。これを論ずるは政治学者の責務である」と食らいついた。昭和25年3月の東大卒業式でも「平和と全面講和論」を説いた。

これに怒った吉田首相は「南原総長などが政治家の領域に立ちいって、かれこれいうことは、曲学阿世の徒にほかならない」と批判した。曲学阿世とは史記に出てくる言葉で、時代におもねる学者のことだ。

 ≪訓詁学に陥った一部の憲法学者≫

現在、日本は中国の脅威に直面している。中国は米国に太平洋を半分ずつ管理しようとか、米中だけの「新型大国関係」をつくろうと言っているが、半分ずつに分けられたら日本はどちらの側に入るのか。学者の多くが集団的自衛権行使に反対しているのは、かつての「全面講和」論に通底しているのではないか。

吉田首相は単独講和に踏み切ったが、日本は米国の保護国のような立場だった。これに先立って朝鮮戦争が勃発する。戦力ではないといいながらも警察予備隊を創設せざるを得なかった。岸信介首相は保護国の地位から脱するため、日米安保条約を改定する。

しかし、創設された自衛隊は所詮、警察体系の行動原理しか与えられない。これを安倍首相は第1次内閣で防衛庁から防衛省に昇格させ、防衛に有効な姿にする目的で安保法制を整備しようという。

憲法に書いていなくてもどの国も自衛権を持つ。日本の場合の歯止めは9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」である。殴られなければ殴ってはいけない。殴られたら防衛することはできる。

その防衛のために 集団的自衛権がある。日本では長い間、集団的自衛権について「権利はあ るが、行使はできない」と解釈してきた。権利があって行使ができない “定義”はどこの国の辞書に載っているのか。

国連憲章は集団的自衛権を認めている。新安保法制は敵からの攻撃により、「自国の存立を危うくする」なら、必要最小限の武力の行使を集団的自衛権の下で行ってもよいとする。

 一部の憲法学者たちは「訓詁(くんこ)学」をしているがごとくである。訓詁とは漢字の意味を確かめる学問の遊びに陥って、文章をわきまえないことをいう。

 ≪中国の脅威の現実を語れ≫

憲法学者に問う。現憲法では「国会は国権の最高機関」だと定めている(41条)。その国会が選んだ首班が内閣を組閣し、指揮をとる。内閣法制局などは行政機関の一部であって、ここに憲法解釈の最高権威を持たせることはあり得ない。

武器がなければ、戦争は起こらないという信仰は捨てた方がよい。攻める側に「手痛い反撃を食うかもしれない」と思わせるに勝る抑止力はない。英国のチェンバレン首相は「ヒトラーは戦争をするつもりはない」と相手の意図を見損ない、軍備増強策を怠ったため、ヒトラーの増長を招いた。

日本が米国との戦争に踏み切ったのは、官僚内閣制の大失敗だった。内閣の実権を軍部に取られて戦争回避策がことごとく潰された。現代はその時代とは基本的に異なる。議会で選ばれた首相が自衛隊の最高指揮官だ。軍事についてもっと国民は理解すべきだ。

安保法制を理解させようと安倍首相は家屋の火事のたとえ話をしているが、適切ではない。中国が軍事費を毎年拡大し脅威が増す一方で、米国が軍事費を減らしている現実を語ったほうがよい。
(ややま たろう ・ 評論家)

産経ニュース【正論】戦後70年に思う 2015.8.7

◆世界は強い日本軍に期待

平井 修一


井上和彦氏(ジャーナリスト)へのインタビュー『戦後70年、「日本軍が侵略した」と騙るすべての人へ』(衆知8/4)から。

<2年前、10万部を突破した『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)で話題を集めたジャーナリストの井上和彦氏が、新著『ありがとう日本軍』を上梓した。

「写真集を手にする感覚でご覧いただき、先の大戦を追体験していただきたい」「今こそ、日本人としての誇りを取り戻してほしい」。「そこまで言って委員会NP」をはじめ数多くのテレビ番組のコメンテーター、キャスターも務める井上氏が、戦後70年のタイミングで執筆した本書に込めた想いを伺った。

*現地で一度も耳にしなかった、日本軍への非難

――『日本が戦ってくれて感謝しています』と比べると、カラーを含めた写真が非常に多く掲載されています。

井上 「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、かつての戦場に立てば、わずかでも日本軍将兵の苦労や想いを追体験することができ、そして封印された歴史の真実が見えてきます。私は、そんな大東亜戦争の真実を求めて、今も各地の戦跡を訪ね続けています。

マレーシア、シンガポール、インド、タイ、インドネシア、フィリピン…。そうした東南アジア諸国の他にも、日本人がリゾート地としてよく訪れるグアムやサイパン、テニアン、ペリリュー、そして沖縄で、私がこの足で歩いて出会い、カメラにおさめた「事実」を、皆さんにご覧いただきたかった。

そうすることで、大東亜戦争を追体験して欲しかった。特に写真には、時には文字以上に事実を雄弁に語る力があります。そこから、「あの戦争とはいったい何だったのだろう」と考えるきっかけにしていただきたいと思い、筆をとりました。

――実際に各国を歩いて回り、胸に残ったことは何でしたか?

井上 よく、日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。しかし私は一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした。これは事実です。むしろ、どうすれば「日本軍にこんな酷いことをされた」と語る方に現地で遭えるのか、大げさでなく、教えて欲しいくらいです。

現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。

それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、同じアジアの民族である日本軍だったのです。

*「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した」

――しかし、日本軍がアジアを「侵略」をしたと語られることもあります。

井上 日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、

「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」

と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。

また、「日本軍=侵略者」と騙(かた)る際に、日本人が現地の人々にビンタなどの「暴力」をふるったと指摘されることもあります。しかし、私はテニアンで、日本軍が現地の人々に厳しく接したことへの感謝の言葉に出逢いました。そこで出会った日本人女性が、テニアンの年配者から聞いたというこんな話をしてくれたのです。この女性によれば、

「この島のお年寄りたちは、『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。けれど、気づけばピザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、島民はおかしくなってしまった。ところ日本時代は、確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」

というわけです。働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのです。

まさかテニアンで、こんな話を聞けるとは思っていませんでした。世界中がこうした事実を知っているからこそ、私自身、各地で「日本軍を尊敬している」「日本軍に憧れている」、そして「ありがとう、日本軍」と声をかけられたのです。

――『ありがとう日本軍』に掲載している中で、印象に残っている写真はありますか?

井上 数多くありますが、昭和19年(1944)に撮影されたもので、ビルマ戦線でインド国境を突破し、ともに万歳をする日本軍将兵とインド国民軍
の写真は何度見ても、胸を打たれます。

当時、展開されたインパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとされてきましたが、作戦の本質は日印連合軍による「対英インド独立戦争」でした。事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、独立戦争として捉えています。「日本の侵略戦争」などとは誰も思っていませんし、作戦の『事実』を端的に表わす1枚でしょう。

また、昨年訪れたインドネシアの「独立宣言起草博物館」に展示されていたスカルノ大統領手書きの独立宣言の起草案も掲載していますが、非常に印象的です。インドネシアは日本が敗戦した2日後の昭和20年(1945)8月17日、オランダからの独立を高らかに宣言しましたが、スカルノは日付を「17-8-'05」と記しています。

この「05」とは、果たして何を指すのか。実は、「皇紀2605年」なのです。彼らは独立しても、なお、日本の暦を用いたのです。もしも日本のことを恨んでいたのならば、独立にあたって誰が皇紀を用いるでしょうか。こうした写真を見るだけでも、「日本が侵略をした」という論がいかに事実無根であり、むしろ、アジア諸国の方々に、いかに感謝され、讃えられたかが分かると思います。

さらにいえば、その後のインドネシア独立戦争の中心を担った『郷土防衛義勇軍(PETA)』を戦時中に作ったのも日本軍であり、現在、PETA博物館前に建つ兵士像は日本兵と見分けがつきません。

*戦後70年、今こそ日本軍将兵の「事実」を――折しも、「安倍談話」がまもなく発表される予定です。

井上 今、日本人がどうして卑屈になっているのか。それは、大東亜戦争で実際に日本と戦ったわけでもない中華人民共和国と韓国に難癖をつけられているからです。

中華人民共和国が出来たのは1949年であり、韓国に至っては、共に戦った立場です。実は、中華人民共和国を創設した毛沢東ですら、昭和39年(1964)に訪中した日本社会党の佐々木更三委員長らに「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです」(『毛沢東思想万歳』下)と語っているのです。

そういうことを、残念ながら日本人はあまりにも知らなさすぎますね。だから、外から何か言われたら「我々の先人達が何か悪いことをしたんじゃないか」と思ってしまうのです。そして謝る必要がないことに謝ってしまい、より外交関係が歪(いびつ)になる…。

世紀の大捏造事といえるいわゆる“従軍慰安婦”や、いわゆる“南京大虐殺”にしても、これがフィクションであるから、彼らは証拠を提示することができないし、また執拗に騒ぎ立てるわけです。

安倍首相は今年4月、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で、日本が国際社会に復帰する際にアジア・アフリカの国々が後押ししてくれたことに感謝すると語りました。

これは非常に重要なことで、なぜアジア・アフリカの国々が日本を後押ししたかといえば、大東亜戦争で日本が米英に対して起ち上がったことが、それまでの欧米列強支配の世界に楔をうち、アジアやアフリカの国々が独立のきっかけとなったからです。

安倍首相のスピーチは万雷の拍手を受けましたが、このスピーチこそがまさしく大東亜戦争の精神であり、我々はそろそろ、今まで囚われていた虚構、フィクションから脱出しなければならないでしょう。

――今年は、終戦70年を迎えた特別な年です。

井上 今、多くの戦争を体験した方々が亡くなっていっています。恐らくは、「戦後80年」の時には、戦争体験を証言してくださる方は、残念ながら、いらっしゃらなくなっている可能性が高いでしょう。

その中で、従来のフィクションが生き続けるということは、将来の日本の子供たち、孫たちに負の遺産を遺すことになる。だからこそ、あの3年8カ月の戦いを、正しく、客観的に見直すことは、将来の日本人に対する最大の贈り物だと思います。そしてそれは、今を生きる我々の義務でもあるでしょう。

そうでなければ、将来の日本人は中国と韓国にいわれなき理由で不当に批判され続けることになりますし、また日本のため、アジア解放のために雄々しく戦った日本軍将兵たちは、中国、韓国に永遠に冤罪を着せられたままになってしまいます。そんなことが許されていいはずがありません。

謝るとするならば、あの戦争に負け、日本に期待をしていたアジアの人々をがっかりさせたことでしょう。日本が負けたことで、大東亜戦争中に独立を果たしたベトナムには、フランスやイギリスが戻り、インドシナ戦争が起きました。第1次、第2次インドシナ戦争でベトナム人は、あまりに大きな苦難に見舞われました。

また、インドネシアにもオランダやイギリスが戻り、独立戦争が起きましたが、ここでも多くのインドネシアの人々が殺されています。もし、大東亜戦争で日本が負けていなければ、彼らはあの塗炭の苦しみを味あわずに済んだはずなのです。

そして、もう1つ、忘れてはいけないことがあります。実は日本軍将兵の中には、戦後も現地に残って各地の独立軍戦争を戦った者も多かったのです。ベトナムでは800人、インドネシアでは2000人にのぼりました。

彼らの中には終戦の詔勅に「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず」とあることに胸打たれ、諸盟邦、つまりはアジアの国々に残って独立のために戦うことを決意した人もいたといいます。

まさに彼らは、大東亜戦争の理念の総仕上げを成し遂げようと起ちあがったのです。もちろん、祖国には愛する家族がおり、会いたかったはずです。そんな思いを擲(なげう)って、アジア解放のために戦ったのです。

このような日本軍将兵が行なったのは、「侵略戦争」だったのでしょうか。現地を歩けば、そんな論がいかに馬鹿げた話か分かりますし、今の日本のメディアや政治家は自分の足で情報を得ていないため、真実をまったく知らないと感じずにはいられません。

だからこそ自分の手で大東亜戦争の「事実」を手に入れ、自分の頭で考えることが必要なのではないでしょうか。拙著がその手段のひとつとなれば、それ以上の喜びはありません>(以上)

まさしく大東亜解放戦争だった。英米仏蘭など白人国家にとって、美味しい植民地を奪った日本は永遠の敵であり、二度と立ち上がれないように封じ込めておくべき悪魔だった。

ところが朝鮮戦争で中共が参戦するや、西側陣営は共産主義の脅威を実感、日本の再武装を進めていった。結果的に中共が日本を起こしてしまったのだ。

そして幾星霜、戦後70年で日本は再び国際社会で積極的に安全保障に寄与する覚悟を示し、法整備も進めている。これも東/南シナ海での中共の乱暴狼藉がなければ実現しなかったろう。

しかし、これは「普通の国」への“始めの一歩”に過ぎない。米国は「日本はちゃんと武力行使をしてくれ」と言っているのだ。

産経記者:古森義久氏の論考「米・日本の集団的自衛権行使容認は不十分 2015年日米安全保障セミナーにて」(Japan-indepth 3/30)から。

<ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で「2015年日米安全保障セミナー」という集いが開かれた。同研究所と日本国際問題研究所との共催で、ほぼ毎年、日米両方の官民の安全保障専門家たちが集まり、日米安全保障関係を議論する会合である。

後半の部の討論に登場した前ブッシュ政権の国務副長官だったリチャード・アーミテージ氏は安倍政権の集団的自衛権の行使容認への支持を表明しながらも、なお日本側に注文をつけたのだった。

「安倍政権の憲法解釈の変更による今回の集団的自衛権の行使容認はもちろん日米同盟の抑止力への大きな貢献となります」

「しかし安倍政権の今回の措置はアメリカなど他の諸国のような集団的武力行使までは許容していないため、将来は日本も他国並みのところまで、集団的自衛権の行使をもっと進められるようにしてほしいです」

こうしたアメリカ側の声を聞くと、日本の国内の現時点での多数意見とは大きなギャップがあることがわかる。事実、アメリカの歴代政権は日本が集団的自衛権の行使を可能にすることを切望してきたのだ。

そしてアーミテージ氏の発言のように、安倍政権の現段階での集団的自衛権の行使容認ではなお不十分だとみなす声が民主、共和両党の区別なくアメリカ側には存在することを日本とのギャップとして正確に認識しておくべきだろう>(以上)

日米豪印・アセアン諸国は、日本がちゃんと敵を撃ってくれるのかどうか不安なのだろう。日本の逡巡により自国兵士の犠牲が大きくなったら日本軍の威信は地に堕ちる。皇軍は名誉にかけて中共軍を殲滅すべし。世界は強い日本軍、頼りになる日本軍を待ち望んでいる。(2015/8/7)
 
  

◆一番喜んどるのは誰や

宮嶋 茂樹



普天間や厚木だけが特別にヤバイわけやない 

沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場

帝都下で凄惨(せいさん)な航空機事故が起きた。あのユーミンの歌にも出てきた調布の飛行場を離陸したパイパー機が直後に墜落、地元住民も巻き込まれて犠牲になった。

どこのどいつや、普天間飛行場が世界一危険やとコイとったんは。東京も十分アブないやないか。調布だけやない。成田も羽田も米軍の横田基地もある。大阪(伊丹)もヤバイで。かつての香港・啓徳空港並みに住宅地ギリギリに大型機が降りてくる。別に沖縄だけが特別にヤバイわけやない。

それやのに何でいつも「沖縄だけ」と騒ぐんやろ。安保法案を潰せ、と沖縄からわざわざ内地まで駆けつけよる「プロ市民」や「アカ学生」は働きもせず、ガッコも行かず、人の命よりもジュゴンさんの方が大事というんやろ。第一、那覇空港は今も海岸方向へ大拡張しとるけど、そっちはエエんかい。

前沖縄知事が承認した普天間の辺野古移転を「無効や」と言い出した現知事は、東京や大阪より静かで安全な(?)普天間飛行場を米海兵隊にずっと使ってもろたらエエやん。

まぁそれやったら、前知事時代に安倍晋三首相が約束した年間3千億円(計7年間)の地域振興予算もなかったことでエエというこっちゃな? そりゃあエエ、東京五輪の新国立競技場のために、ワシら都民の血税、使わずに済むわ。東京の行政サービスもこれでちっとはようなるわ。

東京高裁が自衛隊機の深夜・早朝の飛行を差し止める判決を出した神奈川の厚木基地もそうや。小笠原諸島への救急搬送の唯一の手段やっUS−1の運用はエエらしいが、東シナ海での中国艦船監視のための通常哨戒任務や訓練のための夜間フライトもアカンというとんのやろ。こんな判決出て、一番喜んどるのは中国人やで。逆にふつうの日本人はむちゃくちゃ不安が増すやないか。

普天間も厚木の方々も何やったらわが家がある杉並区へ移ってもエエんやで。代わりにワシがそっちへ引っ越すから。けど杉並は家賃高いでぇ…騒音に対する補助金も出んけどな。えっ、それやったらやっぱりイヤやて?
                   
               ◇

【プロフィル】宮嶋茂樹

みやじま・しげき カメラマン。1961年、兵庫県出身。日大芸術学部卒。写真週刊誌を経てフリーに。東京拘置所収監中の麻原彰晃死刑囚や、北朝鮮の金正日総書記をとらえたスクープ写真を連発。写真集に男女の若き海上自衛官を撮った「国防男子」「国防女子」。

産経ニュース【宮嶋茂樹の直球&曲球】2015.8.6

◆三島由紀夫に繋がる人物

天下の無法松



「戦後70年シリーズ」第20弾

今週は三島由紀夫に繋がる人物について述べたいと思います。

その人物とは蓮田善明と保田與重郎です。

三島由紀夫を知る人にとってはこの2人の人物はよく知られていますが、まずは蓮田善明です。

蓮田善明Wikipedia:https://goo.gl/WrRLiM

蓮田善明は明治37年、つまり日露戦争開戦の年に生まれ、大東亜戦争敗戦決定後の昭和20年8月19日に拳銃で自決しております。

三島はこの蓮田善明に最も影響を受けたとされていますが、無法松にとっては蓮田善明を語るにはその力も時間も無く、このWikipediaで蓮田善明の人となりを知って欲しいと思います。

次に、保田與重郎ですが、この人物は生まれが日露戦争後の明治43年で、何と無法松が大学を卒業した頃の昭和56年に亡くなっております。

保田與重郎Wikipedia:https://goo.gl/d2qNEK

このお二人の人物は両者共、文学者ではありますが、その生き方、文学に対する思想にはかなりの違いがあるようで、その違いを一言で言えば、蓮田善明は古典主義者で保田與重郎は浪曼主義者と言うことでしょうか。

勿論、蓮田善明も日本浪曼派の文学者として位置づけられておりますが、大東亜戦争後も長らく生きておられた保田與重郎と蓮田善明との間には大きな開きがあり、三島由紀夫はやはり、前者の蓮田善明の魂に曳かれて行ったと言うのが、あの森田・三島両烈士の自決に繋がる真相なのでしょう。

■無法松の本音

北九州地方もようやく先週になって梅雨が明け、毎日酷暑が続いておりますが、皆様方は如何お過ごしでしょうか。

国会では相変わらず熱くて幼稚な議論が行われている様ですが、丁度、今から70年前の8月6日に広島、9日には長崎と2度も原子力爆弾が米国の軍用機から落されました。

そして、間もなく15日正午に昭和天皇の敗戦の御詔勅がラジオで日本全国に発表され、先週はその昭和天皇の玉音盤の原盤が公開されたとマスゴミが騒いでおりました。

今年もまたこの15日の敗戦記念日がやって参りますが、敗戦を終戦と言い続けて70年にもなります。

なぜ、大東亜戦争後70年間が嘘と偽善に塗り込められた時代になったかと言うと、それはこの「終戦」と言う言葉にその理由が込められていると無法松は考えております。

では、なぜ「敗戦」を「終戦」と言う言葉に置き換えたのかと言うと、既に8月15日を迎える前に我が国の多くの国民は戦う意志を失っていたからではないでしょうか。

と言うと、何も国民全員がそうでは無いと言われる方も多いのではないかと思いますが、それは一部の軍人やほんの一部の国民であり、やはり、昭和20年8月15日を迎える前、と言うよりも原爆が落とされる8月以前に既に日本国民の戦意は喪失していたと思います。

と言うことはそれが米国の原爆投下には正当な理由が全く無いという証拠の一つになりますが、兎も角、戦後の嘘と偽善の時代の萌芽は既に戦前にあったと考えるのが正論ではないかと無法松は考えております。

その戦前の戦意の喪失が戦後の偽善社会を生んだのは紛れもない事実であり、その偽善社会の典型的なテレビ番組の一つに先週からTBSで放送されている「レッドクロス」とか言う、橋本裕志原作の従軍慰安婦を主人公としたとんでもない、出鱈目番組があります。

(大東亜戦争中に日本人の従軍慰安婦と共に日本人の医者を撃ち殺す日本人の軍人などがどこに居たと言うのでしょうか?、全く馬鹿馬鹿しくて、無法松は2度もTBSへ抗議の電話を掛けました。)

未だにこの様な北京政府御用達のプロパガンダテレビ番組を堂々と放送させるTBSは最早、日本の放送局ではありません。

TBSは偽善では無いと言うならば、それこそ堂々とTBSは北京政府の放送局ですと宣言するべきであります。

では今週はこれで終わり、来週はこのことに触れ、戦後70周年の「安倍談話?」について考えたいと思います。

◆急に急ブレーキがかかった

前田 正晶



これは先日京浜東北線の架線が切れて長時間電車が立ち往生した際に、テレビ記者にインタビューされた女性が述べた感想の一部だ。彼女には「急にブレーキがかかること即ち急ブレーキだ」と解っていなかったらしい。

このような熟語乃至は合成語を使って語る際にその一部の漢字を重ねて使う語法は全盛期のころにかの終身名誉監督が得意とするところだった記憶がある。

それ以来の傾向なのかどうかは定かでないが、近頃はテレビの若きアナウンサーや一般の方々にも、この種の言葉の誤用というのか漢字の熟語を知らないというのか、同じ意味の漢字を重ねてしまう例が誠に多いのは嘆かわしいと思っている。

これは国語の教え方が悪いのか、熟語を正しく覚えていないのか、カタカナ語が氾濫する時代にあって漢字文化が色あせてきた為かと憂いている。あるいはこれらの全てが原因かとも考えている。

例を挙げてみよう。「挙式を挙げる」はアナウンサーたちが常習犯だし、「後で後悔」したり、「未だ未だ未熟」などと平気で言う運動選手も役者もいる。予定を訊かれて「未だ未定」と応える者も多い。

「後ろから追突された」等というニュースも多い。「異臭が臭っていた」なんていう現場からの報告もあった。このように言って「あれ、おかしかったかな」と、一瞬でも疑うことも出来ないような教育をしたのは誰の責任かなと思ってしまう。

私の心配はこのようなおかしなと言うか、誤った言葉の使い方をテレビに出る者が犯すと、聞かされている罪なき一部の国民の方々は「それて良いのだ」とばかりに思い込み、真似てしまう危険性が高くなることだ。その前に「追突」の意味も知らに若者を採用するテレビ局の責任者の国語力だって疑ってみるべきではないのかと、私は本気で考えている。

私はこのような言葉の使い方の変化の原因が那辺にあるのかが知りたいのだ。テレビでは「ら抜き言葉」で話された場合には字幕で一々訂正しているご苦労のほどは認めるが、このような漢字と言うべきか言葉の重複が是正されたのを見たことも聞いたこともない。

これについての国語を教えておられる現場の教員の方々のご意見も伺いたいが、その前に家庭での教育がどうなってしまったかに感心(寒心)があるのだ。

2015年08月07日

◆河野談話は「霞が関文學」

阿比留 瑠比



河野洋平元官房長官が先月29日、名古屋市で行った講演の内容が、翌30日付の東京新聞と朝日新聞に掲載されていた。朝日によると、河野氏は自民党が政府に対し、慰安婦問題に関する事実誤認に基づく海外報道などに適切な反論や働きかけを求める提言をまとめたことをこう批判した。

「なぜ『申し訳ありませんでした』とできないのか。そこから新しい日本の行くべき行動をとるのは当たり前ではないのか」

だが、提言は慰安婦問題に関して次のようにきちんと反省を示している。「慰安所が設置され、女性を民間業者が募集し働かせたことは事実であり、根本的に女性の人権と尊厳を著しく傷つけたという点に議論の余地はない」

それでは河野氏はどうして怒っているのか。むしろ、提言が平成5年8月の「河野談話」発表時の河野氏自身の発言を、「重大な問題」と指摘したことが気に入らないのではないか。

河野氏はこのとき、記者の「強制連行があったとの認識か」との質問に、「そういう事実があったと。けっこうです」と答えている。当時の政府の共通認識は「強制連行は確認できない」というもので、河野談話自体にも「強制連行」とは一言も書かれていないにもかかわらずである。

提言は、このやりとりが「強制連行があったかのような事実に反する認識を、韓国をはじめ世界に広める大きな原因になった」との見解を示している。

宮沢内閣の解釈変更

これに対し、30日付東京によると、河野氏は講演でこんな反論を展開した。

「物理的ではなくても、強制的に、断ることができない状況で連れていく。河野談話を発表した当時の記者会見では、そういう広義の強制性を含む意味で強制連行と申し上げた」

ああ、そういうことだったのかと、納得はできないものの河野氏が言いたいことは理解はできた。当時の宮沢喜一内閣は5年3月、「強制連行」の解釈を変更しているからである。

手元の国語辞書によると、「連行」とは「人を引っ張るようにしてつれていくこと」とある。それに「強制」が加われば、本来は物理的な拉致となる。

ところが、宮沢内閣は強制の定義について「物理的に強制を加えるのみならず、脅かして、畏怖させて本人の自由な意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」(3月23日の参院予算委員会での谷野作太郎内閣外政審議室長答弁)へと無理やり広げたのだ。

「書き方一つで自由に解釈できる、いわゆる『霞が関文学』の法律では現場の判断を鈍らせてかえって危険を招くこともあり得る。法解釈が都合良く縮んだり膨らんだりするのは、よくよく注意しなければなりません」

よくも、いけしゃあしゃあといえたものだ。河野氏の辞書には「反省」の文字はないのだろう。

(論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2015.8.6

◆国際協調へ済ませるべき「宿題」

櫻田 淳



≪日本の再起に問われた精神≫

「熟ラ敗戦ノ因ツテ来タル所ヲ観スルニ、軍閥、政治ニ干与シテ専横ヲ極メ、官僚之レニ追随シテ権力ヲ紊リ、財閥之レニ阿附(あふ)シテ私利ヲ貪(むさぼ)リ、政党亦消極無力ニシテ破局ヲ未然ニ防キ得サリシニアルコト、天下ノ定論ナリ。

中世武門ノ専制ニ依リテ歪曲(わいきょく)セ ラレタル一君万民ノ我カ建国精神ハ維新ノ大業ニヨリ復活宣示セラレタル モ、満州事変ヲ契機トシテ再ヒ其ノ実ヲ失ヒ、遂ニ今次ノ悲運ヲ招来スル ニ至レリ」

昭和20年11月、斎藤隆夫らを中心にして結成された日本進歩党の 「立党宣言」には、このような一節がある。戦時中、大政翼賛体制下で窒 息していた日本の政党政治は、この日本進歩党の結成を一つの契機にして 再起へと動いた。

斎藤は、満洲事変以降の日本の錯誤を凝視しつつ、後に「粛軍演説」や「反軍演説」と呼ばれる演説を通じて、その錯誤の流れに抗(あらが)ったけれども、そこには、そうした斎藤の時代認識が反映されていたといえる。

ところで、この「立党宣言」には、対外関係に関して次のように記されている。

「更ニ之ヲ外ニシテハ、排他的優越感ニ基ク国家至上主義思想ヲ払拭シテ、永遠ニ戦争ト武力トニ絶縁シ、国際正義ト相互信頼トニ立ツ道義外交ヲ恢復(かいふく)シ、世界協同組織ノ参加者トシテ、万世ノ為メニ太平ヲ開キ、以テ人類文化ノ進運ニ貢献セサルヘカラス」また、牧野伸顕は、最晩年に至って遺(のこ)した『回顧録』中に次の記述を残している。

「日本の新憲法の基礎観念も、国際聯合の永久平和の精神を応用して法文に作成するにあったと思われるのであり、日本としてはこの意味において、力の及ぶ限りを尽くして誠実に国際聯合の発達を助成し、その成功を念願とすべきである」

戦前期を代表する自由主義者として語られた斎藤や牧野が戦後・日本の再起に際して強調したのは、国際協調の精神の復活であった。

 ≪憲法第9条を盾にした抵抗≫

そして、斎藤を自らの第1次内閣の閣僚として迎え、牧野を岳父として仰いだ吉田茂は、サンフランシスコ講和会議における講和条約受諾演説の中で、「われわれは国際社会における新時代を待望し、国際連合憲章の前文にうたつてあるような平和と協調の時代を待望するものであります。わわれは平和、正義、進歩、自由に挺身(ていしん)する国々の間に伍(ご)して、これらの目的のために全力をささげることを誓うものであります」と表明したのである。

国際連合憲章前文には、「基本的人権と人間の尊厳の擁護」「国際法の擁護」「自由と進歩の擁護」そして「寛容と平和の擁護」といった価値意識が示されているけれども、問われるべきは、独立回復と国連加盟を経た過去六十余年の日本は、そうした価値意識を実の伴ったものにするために、吉田の言葉にある「全力をささげる」姿勢を貫くことができたのであろうかということである。

おそらくは、その問いに自信を以て「イエス」と答えられる人々は、ほとんどいまい。

宮沢喜一内閣期の「国際平和協力法案」審議にせよ現下の安保法案審議にせよ、憲法第9条を盾にした異論や抵抗は、そうした姿勢を貫くのを怠けようという誘惑の強さを示していた。

戦後70年を機に日本が内外に表明すべき「反省」とは、国際協調の機 運の失速によって瓦解(がかい)した帝国・日本の軌跡の意味を正確に理解せずに、戦後においても国際協調の姿勢を貫くことを躊躇(ためら)った「怠惰」にこそある。

 ≪孤立主義に陥ってはならない≫

その意味では、細谷雄一慶応大学教授が新著『歴史認識とは何か』の中で「戦前の日本が、軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか」と書いているのは、誠に示唆的である。

安倍晋三内閣下で展開される「積極的平和主義」の実相は、結局のところは、斎藤や牧野、あるいは吉田が戦後日本の国際社会への復帰に際して考慮した国際協調の精神を、政策上の看板として掛け直そうという趣旨のものである。

おそらくは、その問いに自信を以て「イエス」と答えられる人々は、ほとんどいまい。

宮沢喜一内閣期の「国際平和協力法案」審議にせよ現下の安保法案審議にせよ、憲法第9条を盾にした異論や抵抗は、そうした姿勢を貫くのを怠けようという誘惑の強さを示していた。

戦後70年を機に日本が内外に表明すべき「反省」とは、国際協調の機 運の失速によって瓦解(がかい)した帝国・日本の軌跡の意味を正確に理解せずに、戦後においても国際協調の姿勢を貫くことを躊躇(ためら)った「怠惰」にこそある。

 ≪孤立主義に陥ってはならない≫

その意味では、細谷雄一慶応大学教授が新著『歴史認識とは何か』の中で「戦前の日本が、軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきはないか」と書いているのは、誠に示唆的である。

安倍晋三内閣下で展開される「積極的平和主義」の実相は、結局のところは、斎藤や牧野、あるいは吉田が戦後日本の国際社会への復帰に際して考慮した国際協調の精神を、政策上の看板として掛け直そうという趣旨のものである。

そして、現下の安保法制整備は、過去六十余年の「宿題」を片付ける試みであるといえる。

安倍首相は、祖父・岸信介の衣鉢を継いだ「ナショナリズム」の徒かもしれないけれども、彼の「ナショナリズム」は、少なくとも実際の政策展開の上では、国際協調の実践を通じて日本の威信・声望の向上を図る「開かれたナショナリズム」としての様相を色濃くしている。

筆者は、安倍内閣の執政が、そのような性格のものであり続ける限りは、支持に値するものであると信じている。

           (さくらだ じゅん・東洋学園大学教 授)
                産経ニュース【正論】2015.8.6

◆習近平体制、不安定ゆえの異常弾圧か

櫻井よしこ



7月26日、NHKの番組、「これでわかった!世界のいま」が「中国で人権派弁護士ら多数拘束・なぜいま弾圧を強化?」という内容を報ずるというので、視聴した。
 
人権派の弁護士らを次々に拘束する中国の異常さはすでに新聞が伝えているが、なぜかNHKは日曜日の夕方の、誰も注目しないような、子供向けめいた番組で中国の異常な人権弾圧を伝えた。この種の情報は看板ニュース番組で堂々と取り上げるのが「国民のテレビ」たるNHKの役割だと思う。そうならないのは、偏向報道が少なくないNHKでは、主流のニュース番組であればある程、まともな中国批判はできないということだろうか。
 
とまれ、「世界のいま」は中国の人権弾圧の凄まじさを数字で紹介した。判明しただけで25名が拘束され、内13名が弁護士、尋問に呼び出されたのは230名、内120名が弁護士だと報じた。

大学では英語の本が使用不可となり、インターネットもより厳しく規制され、若者たちが西側の価値観や情報の影響を受けることを中国当局が極度に警戒している。

番組はその理由を中国共産党の「焦燥」だと解説した。経済成長の鈍化で貧困層の不満が募り、それが統合され中国共産党に向けられるのを恐れた結果として弾圧に走っていると、NHKにしてはまっ当な解説だ。
 
だからか、中国で同番組はプツンと切られ、約10分間、テレビの画面が真っ黒になったそうだ。「世界のいま」は中国当局の検閲で番組を切られたことを誇りにしてよいだろう。
 
それにしても中国の現状は異常である。中国に批判的な人々はもとより、親中的な人々さえも認めざるを得ない、度を越したこの異常さの実態を改めて振りかえる。
 
中国では、昨年1年間で1000人に上る人権活動家が拘束された。今年も同じように言論の自由などへの締めつけが続いていたが、7月9日以降、突然「暗黒の週末」と呼ばれる摘発が行われた。狙われたのは北京鋒鋭弁護士事務所だった。中国の国営通信社である新華社報道を、「中国通信」は以下のように日本語で配信した。

「人権擁護仲間」

「北京鋒鋭弁護士事務所を舞台に、2012年7月以降、前後40余回の機微な事件を組織し、画策し、煽り立て、社会の秩序を著しく乱した重大犯罪容疑者集団を粉砕した」「人権擁護、正義、公益の名の下に社会秩序を著しく攪乱し、極秘計画の内幕も暴かれることになった」

「重大犯罪容疑者集団」は「人権擁護仲間」と呼ばれ、以下のように3つに分類されている。

「組織中核層は、北京鋒鋭弁護士事務所主任周世鋒、管理補佐劉四新、弁護士黄力群らである。計画及び実行者として弁護士の王宇、王全璋、運動員の呉淦、翟岩民、包竜軍らが存在する。劉星、李某ら陳情者が追従勢力となっている」
 
ちなみに、事務所主任の周世鋒氏は、7月19日までに、「女性問題も含めて罪を認め、悔いている」と発表された。勿論、私たちにその真実性を確かめる術はない。
 
7月9日に拘束された著名な女性弁護士、王宇氏の夫、包竜軍氏は人権活動家である。2人は弱者支援の活動をしており、これまでも当局に尾行され、盗聴されていた。

『産経新聞』北京特派員の矢板明夫氏によると、今回拘束された弁護士たちの特徴の第1は、いずれも中国共産党一党独裁体制の枠内での改革を目指す人々であり、体制転覆などの主張は全くしていないことだ。第2は、個々の事件で被害者の権利擁護を法律に基いて展開するが、そのときに当局の人権侵害の詳細をインターネット上に開示し、人民を味方につける手法をとっていることだ。
 
体制の枠内での人権活動であっても、人民が反政府感情を抱けばそれはいつの日か暴発して刃が指導者に向かってこないとも限らない。文革の時代を生き抜いた習主席は、人民の怒りの怖さを知っている。だからこそ、人民に働きかける周世鋒氏らの手法が断固許せないのではないか。
 
違法拘束、逮捕、拷問、人身売買などが横行する習近平体制下の中国を、米下院は昨年5月30日、「世界最悪の人権侵害国」と断罪したが、習主席が苛酷な弾圧に走るのは人民を恐れる余りではないのか。
 
だが、中国は米国の批判にも国際社会の非難にも、もはやたじろがない。厳しい批判にも拘らず、南シナ海の侵略を進めたように、人権弾圧も中国人から外国の非政府組織(NGO)へと逆に対象を広げ、強める構えだ。
 
公安相の郭声琨氏が7月25日、全国人民代表大会で審議中の「外国NGO管理法」の制定を表明したが、同法によって、外国NGOの監督機関は民政省(厚生労働省に相当)から犯罪組織の取り締まりを担当する公安省に移される。外国人の影響を、刑事罰の適用によってより厳しく排除していくというのである。米欧諸国や日本の価値観を拒否して、中国独自の社会主義、中国独自の民主主義を謳い上げる習政権の方針を、外国の影響を断固排除する形で推進しようというのだろうか。

全中国公民を動員
 
中国の尋常ならざる独善性は7月1日に発表され即日施行された「国家安全法」からも見てとれる。第1章の総則で、中華人民共和国公民、国家機関、武装勢力、各政党、各人民団体、企業・事業組織、その他の社会組織すべてが国家の安全、主権と統一、領土を守る責任と義務があると定めたのがこの法律である。同法の対象は、香港とマカオの同胞、台湾の同胞を含むすべての中国人民とされ、台湾国民の了承も同意もなく、一方的に彼らに中国の安全を守る責任と義務を課した。

中国の国家の安全維持とは具体的に何か。第2章で説明されている。中国共産党の指導の堅持、中国の特色ある社会主義制度の擁護、社会主義民主政治の発展、社会主義法治の整備、国境・海・空の守りの強化、領土主権と海洋権益の守り、軍事力の革命化・近代化・正規化、積極防御の軍事戦略の実施、侵略への備え、海外勢力による国内宗教への干渉排除、大気圏外宇宙空間・国際海底区域・極地の平和的探索と利用の堅持等、果てしなく書き込まれている。

国家安全法はこうした義務と責任を課し、必要ならば、台湾人を含む中国公民全員が動員されることも明記している。その一方で、「国家の安全に脅威を与える言動を行ってはならない」と定めている。
 
国家の脅威とは何か、曖昧な文言は如何ようにも拡大解釈され、当局は弾圧に活用するだろう。
 
すでに国連人権高等弁務官のゼイド・ラアド・アル・フセイン氏らが厳しく批判しているが、地球の全てを欲し、支配するとでも言うかのような独善性は、習近平体制の陥っている不安定さの裏返しではないだろうか。

『週刊新潮』 2015年8月6日号 日本ルネッサンス 第666回

2015年08月06日

◆私の「身辺雑記」(247)

平井 修一



■8月3日(月)、朝は室温30度、快晴、猛暑の予感。犬はちょっと夏バテ、小生は昨夕、夜中にエアコンを止めて扇風機にしたが、お腹が冷えたためだろう、便意を催したので1/3散歩で切り上げた。

昨日は孫3人は屋上でプールとスイカ割りを楽しんだ。女どもが世話をしてくれるので助かる。女は育児のプロだ。専業主婦を増やさないと子供は増えない。

原英次郎・週刊ダイヤモンド論説委員の取材・構成記事「中国人の私がなぜ日本語通訳を志したのか 中国指導者の通訳が明かす日中国交正常化交渉『秘話』」(ダイヤモンドオンライン7/28)は大変有益だった。

<周斌(しゅう・ひん)氏は1958年に北京大学を卒業後、中国外交部(外務省)に入り、以来長期にわたって、中国の指導者たちの日本語通訳を務めてきた。先ごろ『私は中国の指導者の通訳だった――中国外交最後の証言』を上梓。

出版を記念して行われた日中関係学会での講演は、日中外交史を知るうえで貴重なエピソードに満ちている。講演の要旨を上下2回に分けてお送りする。第1回のテーマは、日中戦争の傷冷めやらぬ時代に、周氏がなぜ日本語通訳になったか>

この中で気になる行があった。

<――周斌氏は1934年生まれ。31年には満州事変が起こり、37年には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まった。周氏の幼少時代は、日本の侵略が引き起こした戦争の時代だった。(平井:証拠を見せろよ)

周氏 実は私は戦争孤児でございます。37年12月に日本軍による南京虐殺事件が起こりました。私の父は南京でトラックの運転手をしていました。母は農民です。母の話ですと爆撃によって南京で死んだと聞かされました。一家にとっては大変な悲しみでした。

それから半年も経たないうちに日本軍が我が故郷、江蘇省南通県川港鎮――南京に近い町ですが――にやってきて占領しまた。さらに半年も経たないうちに、母が戦争の被害者となってこの世を去りました。

まだ4歳にも満たない私と7歳にもならない姉が残されました。祖母と叔父の助けで何とか生き延びたのですが、私の記憶ではお腹いっぱい食べたことも、新しい服を着た覚えもありません。冬は寒さに震え、夏は満身創痍です。衛生状態悪かったから。

ところが幸いなことに、45年、日本軍が負けて無条件降伏した直後に父が戻って来た。昆明(雲南省の省都)まで逃げたそうです。8年ぶりにお父さんと再会することができました。

父は再婚して新しいお母さんができました。幸いそのお母さんは「私を温かく迎え、温かく私を育てくれました。新しい母は紡績工場の労働者の出身。当時の中国で、最も下の層です。父も母も字を読めませんでした。生活は苦しかった>

“南京虐殺事件”で日本軍に殺されたはずの父親は、家族を放りだして出奔しただけだった、母親は「戦争の被害者となってこの世を去」ったが、誰が殺したのか、加害者は誰か、それとも自殺か、病気か。

実に嘘と曖昧の世界。共産主義はそんなものだ。ちなみに上記の著書の版元は岩波、中共の狗だ。

周氏は頭脳明晰で相当なコネもあったのだろう、エリートコースの共青団に入り、中共の奨学金で北京大学入学、日本語を専攻した。専攻は中共の指示だった。

<(大学の中共指導者は)さらに面白いことを言いました。「君は日本の被害者であり、日本語をやるには一番適任者だ。将来、誠心誠意、日本と戦うんだ」と。

さらに当時は党の決定に従わないと、除名されるかもしれません。これは大変なことです。ということで、仕方なく日本語学科に入ったわけです>

嫌々ながらだったが、やがて猛勉強するようになった。

<岡崎謙吉、鈴木重歳、児玉綾子の3人の日本人の先生にも、一生感謝しなければなりません。3人の先生は戦後も日本に帰らずに中国にいて、北京大学で日本語を教えておられました。3人の先生は深い「情」を持って私たちを教え、育ててくれました。

その後、私が日本に対して良い感情を持つようになったのは、その3人の先生のおかげです。こういう人たちが、我々が尊敬すべき日本人だ、昔の兵隊さんの悪事は水に流してしまいましょう、と>

兵隊さんの悪事とは何か。抗日記念館の嘘八百の展示物か。周氏が生で身近に接した日本人の先生は恩人だ。同じ日本人でも兵隊×、先生○か。単純すぎないか。

白か黒か、革命派か走資派か、敵か味方か、毛沢東主義か修正主義か、レッテルを貼って中共中央の指示するように動く・・・除名されるのを恐れて今でも8000万人党員は言いなりなのだ。

まあ、日本でも意見の違う者を「抵抗勢力」と断じて選挙に勝った単“純”脳のポピュリスト宰相もいたから、えばれたものではないけれど、この世には多様な意見があり、気に入らないからと暴力や暴力的なつるし上げ、衆を頼んでの糾弾などで叩くことは、結局は社会の健全な発展を阻害してしまう。

結果的にボスに諫言する者がいなくなり、イエスマンばかりになる。東芝同様、いい数字、いい話しか上がってこなくなり、経営が怪しくなる。政治も同じ。

中共の言う「7%成長」なんて信じているのは世界中で中共中央のチャイナセブンしかいないだろう。李克強は昔からGDPを信じていなかったから6人しかいない。嗤うべし。

中共、親中派は敵である、敵は叩くべし・・・小生もバカの一つ覚えの単細胞だから複雑な連立方程式は解けないけれど、習近平は大学生に「マルクス主義を勉強しろ」と命令している。時代錯誤というか、ほとんどアホである。

痴呆の中共、ヘタレの米国、狂犬ロシア。次席はヨイショの日本。戦後70周年、世界はまったく素敵な役者ばかりだ。

夜から集団的子育て。他人丼(なんでもありの乱交丼だな)、長芋、大根、モズクなどの、これまた乱交サラダを楽しむ。

もうこの際だから反中共の一点で民主国家(まあ西側より)による「反共乱交統一戦線」で習を追い詰めるしかない。宗教の壁、国の壁、人種の壁、全部スルーして、叩く対象を中共一点に絞り込む。

ヨイショの(仮面をつけた臥薪嘗胆70年の)日本が頑張れば、中共は揺らぐ。どういう国を造るのか、それは人民の創意工夫による。西側はいろいろ知恵を授けるといい。日本は支那大陸と朝鮮半島には距離を置くのが一
番いい。

■8月4日(火)、朝は室温31.5度、快晴、猛暑の予感。噛みつきそうな日射しを避けながらハーフ散歩。

Nが「弁当のおかずもよろしく」というので早朝から大車輪。スパゲティ、焼きそば、天丼を作った。

暑いと脳みその働きが落ちる。終日、犬とクーラー部屋で過ごすが、いいアイディアが浮かばない。

夕食は手抜きでコロッケ(冷凍)、カレー(レトルト)、残り物のサラダのリメイク。カレーは辛口で、カミサンの舌には合わなかった。

熱帯地方は甘い料理派と辛い料理派に分かれるかもしれない。カミサンの故郷、奄美には辛い料理はない。醤油も普通のものは甘い(寿司のアナゴに塗るタレ=ニキリ(煮切り)みたい)。生の刺身もそれで食べるので、シマッチュは本土で普通の醤油で食べると、とても辛く(まずく)感じるようだ(すぐに慣れるが)。

南米は辛い料理が多いようだ。タバスコソース、チリソースは有名。亀田製菓は北米で「柿ピー」を発売するに当たりチリソース味を開発したそうだ。米国人はチリソースが好きなようだ。(日本の醤油味はあまり好まれないみたい)

インドはカレー風味など香辛料を使った料理が多いが、タイのトムヤンクンのようにヒーヒー言うほどには辛くないようだ(都内のレストランでの体験しかないが)。

ヒンズー教徒は(地域によっては)酒を飲まない代わりにスイーツを楽しむのだが、この甘さが半端ではなく、頭がカキーンとなるほどで、友人からインド旅行のお土産にもらったスイーツはカミサンも受け付けなかった。

韓国料理には唐辛子のイメージがあるが、激辛というほどのものはないのではないか。甘口と辛口。白菜キムチ以外はあまり印象に残らない味だ。(韓国はこの点、損をしている)

インドネシア(バリ島)の青唐辛子の炒め物は胃袋が壊れそうなほど強烈だった。キャイン!

海外旅行は好奇心(&感動する心)旺盛な若い時にすべきだ。バイトで金を貯め、親のすねをかじってでも1年ほど見て回れば、世界の何たるかはおおよそ分かるのではないか。体感、実感することが大事だ。

1964年に海外旅行が自由化されると多くの若者が雄飛した。24歳の篠山紀信もその一人で、大きなカメラを担いでヨーロッパを撮りまくった。これがデビュー作となった。28歳の横尾忠則、同年齢の和田誠も一緒だった。ヨーロッパ体験が彼らの人生の大きな糧になった。べらぼうな金がかかったが、いい投資だった。

大学の1年間を世界漫遊に充ててはどうか。素晴らしい体験、資産になるはずだ。(紛争地は避けよ、君子危うきに近寄らず。「毛を見てせざるは勇なきなり」と迫る美女の仰向きにも近寄らない方がいい)

■8月5日(水)、朝は室温31度、快晴、猛暑の予感。今日も噛みつきそう
な日射し、雨はまだか。ハーフ散歩。

小1女児を預かる。宿題をやったり、ピアノを練習したりで、あまり手間がかからない。

時事通信8/4「カメラ生産、完全自動化へ=国内工場で18年めど―キヤノン」は衝撃的だった。地方が工場を誘致しても雇用の創出は大してなされない時代になりそうだ。ロボットが人間の仕事を奪うという時代は日本でも急速に進みそうだ。

<キヤノンは4日、国内でのデジタルカメラ生産を完全自動化する方針を発表した。自動化に必要なロボットや機械などの生産技術を開発する総合技術棟を、大分県国東市に2016年末までに建設し、自社製造ラインの開発を加速。18年以降順次、大分、長崎、宮崎の各県にある国内4工場への導入を目指す。

総合技術棟の建設には約133億円を投じ、技術者約500人が開発に当たる。完全自動化は高級モデルのカメラや交換レンズも対象で、これにより生産コストを2割程度削減できると見込む。

自動化後、カメラ部門の国内生産比率を現在の6割から7割に上昇させ、国内生産回帰を進める方針。

組み立てを完全自動化すれば、組み立てラインに従事する従業員は半分以下になる見込みだが、技術者への職種転換や他部門への配置転換により従業員の雇用は維持する。

大分県庁で4日記者会見した大分キヤノンの増子律夫社長は「将来的には部品加工から最終製品まで生産性をアップして原価を低減し、事業拡大を図る」と述べた>(以上)

毎日新聞8/4「<中年フリーター>氷河期の非正社員ら、歯止めかからず273万人に」も空恐ろしい記事だった。

<日本の非正規雇用労働者の数は、1990年代前半のバブル崩壊後に経済が長期停滞した「失われた20年」の間に右肩上がりに増加し、その数は2015年1〜3月期平均で1979万人と、労働者全体の37.7%に達している。

ここ数年は景気が比較的安定し採用環境も改善していることなどから34歳までのいわゆる「若年フリーター」はピークの03年からは減少している。

だが、90年代後半からの「就職氷河期」に直撃された世代を含む35歳以上の「中年フリーター」については増加に歯止めがかかっていない。年金・保険などセーフティーネットの強化や正社員への転換を後押しする制度作りなどに社会全体で取り組む姿勢が求められている。

現在、「中年フリーター」はどのくらい存在するのか。政府の明確なデータが存在しないため、その定義を「35〜54歳の非正規の職員・従業員(女性は既婚者を除く)」とし、雇用問題に詳しい三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部の尾畠未輝研究員に試算してもらった。

それによると、中年フリーターの数は90年代は130万人台で安定していたが、バブル崩壊から約10年が経過した2000年代に入ってから目立って増え始め、15年には273万人に達している。

就職氷河期にフリーターとなった経験を原点に作家活動をしている雨宮処凛さんは、毎日新聞のインタビューに「(非正規雇用労働者の問題に)どこかに決着の地点があると思ったけれど、10年たってもまったくない。10年前は若者の貧困だったけど、今はもう若者じゃない。中年になっていて、それがどんどん初老になり、高齢者になっていく」と強い危機感を語った>(以上)

技術の進歩が人の幸福を奪うのか。厚生労働省は5日、5月に生活保護を受給した世帯が前月より1601増えて、過去最多の162万2525世帯になったと発表した。高齢化もあって貧者は増える一方なのか。小生のオツムではこの連立方程式を解けない。天才学者出でよ!(2015/8/5)

◆朝日の戦争反省「誇りに思う」

阿比留瑠比 他

証言テープ「僕は持っていない」 朝日の戦争反省「誇りに思う」

慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者、植村隆氏のインタビューは次の通り。(阿比留瑠比、原川貴郎)
 

 −−(慰安婦として最初に名乗り出た金学順氏の)証言テープは今どこに

「僕は持っていない。(韓国)挺身(ていしん)隊問題対策協議会のテープですから」

−−聞いたのはその時だけか

「そうですね−−(金学順さんは)だまされたと記事に出てますけど、誰にだまされたと言っていたのか

「それは分からない。誰にだまされたというのはもちろん聞いていません。だまされたというのは、意に反して慰安婦にさせられたということだから。でもさ、産経新聞は日本軍に強制連行されたとはっきり2回も書いているよね」

−−金さんには何回会ったのか
 
「(弁護士の)聞き取り調査同席が1回。(平成3年12月の)提訴のときには東京社会部と一緒に取材した」

 −−当時は強制連行ではなかったという認識か

「僕は吉田清治さんの影響を受けていないから。取材したこともないし、(金さんについては)人狩り的な強制連行みたいなイメージはなかった。だまされて慰安婦にされたという認識だった」

−−朝日新聞の慰安婦報道について思うところは

「朝日新聞は慰安婦問題にきちんと取り組んできた。僕は、19年ごろかな、1年間、朝日新聞の戦争責任を追っかけた。朝日も戦前は戦争や植民地を美化した。非常にショックを受けた。

戦後、植民地支配に対する反省と謝罪、おわび、そういう気持ちが社のジャーナリズムの柱の一つだったと思う。大阪は在日コリアンが多い。そのど真ん中に住んでいて、在日コリアンの人権問題を担当した流れで慰安婦問題を取材した。朝日新聞がやってきた侵略戦争の反省を伝えようという作業は、僕自身、誇りに思う」

−−誰とも分からない証言テープだけで記事にできるのか不思議だ

「信頼できる団体が慰安婦の聞き取りを始めたという一報記事です。団体の尹貞玉代表らに先に解説してもらってテープを聞かせてもらったんだと思う」

−−テープに『挺身隊』という名前は出てくるか

「定かじゃない。当時、韓国では『挺身隊=慰安婦』だったんで」

−−挺身隊と慰安婦の混同が韓国でかなりあったというのは分かる。植村さん自身はどう思っていたか

「当時、『挺身隊=慰安婦』という形で使われておったんですよ。読売とか産経とかいろんなところに出ているんです。私どももそういうのが前提でしたね」

−−ただ、吉田証言などの記事18本を取り消した

「僕は記事を書いてないんで、書いた人に聞いてください。一つだけ言えるのは、朝日であれ産経であれどんな記者も良心に従って取材をしていたと思う」

−−早い段階で(現代史家の)秦郁彦さんから疑問が呈され、訂正するまでに時間がかかったことについて、長らく朝日にいた記者としてはどうみているか

「僕は吉田さんに会ったことがないのでコメントできない。大きな流れの中では人権侵害の問題をやってきたことは、間違ってなかったと思いますよ。吉田さんのことを取り消したという事実はあるが、慰安婦問題のすべてが間違っていたかといえば僕は全然違うと思う。お伺いしたいが、朝日新聞の報道のどこが問題だと」

−−いろんなところに問題がある。慰安婦問題に限らず過去の日本を悪者にしたいとしか思えない。過度にそう取り上げようとしている

「侵略戦争がありアジアに多大な被害を与えたというところは世界の共通認識じゃないですか

−−ただ、吉田証言などの記事18本を取り消した

「僕は記事を書いてないんで、書いた人に聞いてください。一つだけ言えるのは、朝日であれ産経であれどんな記者も良心に従って取材をしていたと思う」

−−早い段階で(現代史家の)秦郁彦さんから疑問が呈され、訂正するまでに時間がかかったことについて、長らく朝日にいた記者としてはどうみているか

「僕は吉田さんに会ったことがないのでコメントできない。大きな流れの中では人権侵害の問題をやってきたことは、間違ってなかったと思いますよ。吉田さんのことを取り消したという事実はあるが、慰安婦問題のすべてが間違っていたかといえば僕は全然違うと思う。お伺いしたいが、朝日新聞の報道のどこが問題だと」

−−いろんなところに問題がある。慰安婦問題に限らず過去の日本を悪者にしたいとしか思えない。過度にそう取り上げようとしている

「侵略戦争がありアジアに多大な被害を与えたというところは世界の共通認識じゃないですか」

−−多大な迷惑、被害を与えたということには何の異論もない

「で、慰安婦がたくさん証言して被害があるということも認める?」 −−というよりも朝日新聞が宮沢訪韓の直前に女子挺身隊の名で強制連行して20万人…

「(慰安婦について『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる』朝日新聞の用語解説)メモでね」

−−ああいうのを長年放置したことを日韓関係も含めてずいぶん悪影響を及ぼしたことは間違いない。

「朝日新聞のおかげで何か日本がおとしめられたという具体的な証拠があったら教えてほしい」

−−武藤正敏前駐韓大使の本を読んでも、報道が出たことで急激に反日感情が高まって、宮沢喜一元首相が8回も謝罪して…

「メモは僕が書いていないことは分かっているよね」

−−分かっている
 
「日韓関係を朝日新聞が悪くしていると思いますか」

−−思います

「僕はそうは思わない。見解の相違と思う」

−−強制的に慰安婦にさせられた人たちが20万人にものぼるという誤解が世界に広がっている。慰安婦問題に取り組まれた方としてはどう思うか

「何人が正しいんですかね」

−−実態は定かではない

「それ、聞きたい」

−−秦さんは2万数千人と見積もっている

「じゃあ2万人だったら問題ないのかということですよね。数の問題は僕が答えるべき話ではない」

−−西岡力・東京基督教大学教授の4年の論文で批判されてから20年以上も反論されなかった

「僕が朝日の外に出たときに激しい攻撃がありましたよね。僕の娘は顔写真までさらされて。『自殺するまで追い込むしかない』ということまで書かれた。すごいショックを受けた」

−−こういうことは絶対に許されない

「娘まで巻き込まないでほしい。息子の(同じ植村姓の)友人まで。こんな事態を食い止めるために、裁判を起こした」

−−3年12月の記事だが裁判を支援する義理のお母さんの関係者としての一記者が、原告に関する記事を載せることについて逡巡(しゅんじゅん)とか、葛藤はなかったのか

「結婚する前から取材してますから。母親と結婚したわけではないわけですし僕は別に家族のために書いたわけじゃないんですよ」

産経ニュース【朝日誤報取り消し1年 植村隆・元記者インタビュー】
2015.8.4

◆戦後終わりはテレビから:意識改革

MoMotarou

「昭和20年以来、宮内省の御用掛として皇太子殿下の漢籍の侍講を命ぜられた。(中略)御進講にあたっては、従来の東宮御進講についての事情も調査したが、『群書治要』と『貞親政要』とが、いつも不可欠のものとなっていた。ーー諸橋轍次 談、(漢学者)

              ★

今年の夏は格別「戦後特集報道」が多いような気がする。MHKを筆頭にマスメディアも"闇の勢力"からの「尻叩き」が強力なのだろう。ご愁傷様であります。

■古典の勉強

昨日は「山田方谷・貞観政要」と続けて来た勉強会が一段落したので読了懇親会を行いました。一人の若き女性会員が今月末より台湾に赴任するにつけての壮行会も兼ねていました。台湾にて約3年間「日本」を講義をするとのこと。頑張ってください。時期が時期だけに面白いでしょう。

同席した仲間の国会議員が、直ちに李登輝さんや政府に連絡し、応援してくれる事になり感激しました。こんな小さな事でも、日本中の至る所で断続的且つ分散的に起これば、日本列島は知らぬ間に動いていく。

■一つの独立した文明:日本

単一言語で3000年以上の文化文明の蓄積があるから、紫式部の本でも中学生が読むことができます。改めて有り難いと感謝します。

米国の歴史は200年ちょっと。英国など最近出来た国の範疇に入るでしょう。随分、日本の悪口を言っている韓国などの朝鮮半島には、人一人住んで無い時代があったそうです。民族が滅んでしまったのでした。中国も然り。シナ大陸の上でいろんな勢力が行ったり来たりの連続。今の中国でも建国して70年位です。唐も清も滅んでしまっている。

因みに「中国」という表記は、中国語では「首都」という意味で「国」を表しません。個人主義の集まりで、時の勢いのある所へ「蟻」の様に集まって行き、風が吹けば「砂」の様に飛散する。それはそれで生きていく道。


■世界の最先端を進んでいた日本女性

ユーラシア大陸の東の端に我が国はあります。ここから先は海。覚悟を決めて、築きあげ練り上げてきました。世界で初めて食物を土器で"温める・煮る"ことをしたのは縄文時代の日本女性。凄い。

■マスメディアを使え!

我が国の歴史は戦後始まったのではなく、ズーーっと続いておるのです。安倍総理が「戦後七十年」と言っている限り「戦後」は終わらないでしょう。「戦後」という表現を使わないようにしていけば、テレビや新聞にも表れなくなる。そし意識から「戦後」は消えて行きます。

■教育が大事:文部行政

1964年東京五輪の映像を見て感動しました。なんと昭和天皇は各国の入場行進の間中、ただお一人「起立」しておられます。軍の閲兵等で慣れておられたということを勘案しても、中々できることではないでしょう。あの御姿に、東郷さんや乃木さん杉浦重剛さんも喜んでおられたに違い有りません。あそこに「日本」があった。

2015年08月05日

◆安保法制国会可決で誰が困るのか

池田 元彦



7月16日衆議院を通過した安保法案を、強行採決だと野党とマスゴミが騒ぎ、前日の委員会には、委員でない議員が雪崩込み、プラカードをもって採決を意図的に邪魔した。

一部議員はTV映りのよい議長席で抗議の哀願 演技をし、たっぷりTV局に協力して貰った。

元々強行採決なる法律用語はない。民主主義は多数決が基本だ。少数意見を傾聴し、その是非を議論し、相互の主張の意図・根拠・相違点を明確にし、双方がそれでも妥協出来ない場合は採決するのが当然だ。今回野党は対案なく反対するのみ、多数決で裁決しただけだ。

民主党は党の意見を提案し、与党案との違いを議論したか。重箱の隅を突き、言葉尻を捕え、戦争法案だ、徴兵制だと、マスコミと衆愚を扇動して騒いだだけではないか。合計116時間以上の質疑に軸がなく採決合意意図もないないなら、時間の無駄だ。採決は正しい。

強行採決の定義次第だが、野党の採決反対・委員長採決は、民主党1200日で9回、安倍政権1300日で精々7回だ。野党時の自民党は、国民を扇動し反対を煽りはしなかった。法案11件だから1件10時間だと屁理屈を言うが、関連法案は既存の部分的修正に過ぎない。

各紙が、安倍内閣・自民党支持率低下を騒ぎ立てる。NHK世論調査では 確かに6月48%が7月に入り41%に低下し、自民党も2月の41%から35%に 低下した。が、民主も3月の11%から7.7%に、公明も5%から4%、その他も軒並み低下だ。民主は3%も低下した。

対日終戦のサンフランシスコ条約第5条(C)には「日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結出来ることを承認する。」と明白に記載している。

日本国憲法を押付けた米国を含む49カ国が、当該条項を承認している。日米安保条約前文は「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有し」ていると明言している。集団的自衛権ありとの解釈は、戦後一貫して内閣法制局・政府の見解・立場だ。

1972年(昭和47年)に政府見解を求められた吉國一郎内閣法制長官は、集団的自衛権はそれまで自明の理に拘らず、突如見解を逆転し「有るが使えない」と回答した。何故そんなことが出来るのか。答えは簡単だ。当時の田中角栄内閣は日中国交正常化交渉の渦中にいた。

8月12日「日中平和友好条約」の締結、9月29日「日中共同声明」で、日中国交正常化が実現した。その間の9月14日に「集団的自衛権を持つが、行使出来ない」と吉國法制局長官が回答した。その日以来、突然反転した見解を当初からの見解のように守ってきた。

日中交渉の微妙な時期に、法制局長官が突如見解逆転等出来る訳がない。野党の質問に答えた逆転回答だが、政府がその場等で訂正させた記録はない。田中角栄首相の指示なのだ。

日中交渉最終段階の田中角栄と毛沢東の随行員排除の秘密会談が、そのカギを握っている。

角栄は、交渉成功の為、質問野党と法制局長官に例により根回し、一芝居うたせたのだ。

1972年に国際法等で承認された集団的自衛権が法制局長官見解のみで「ない」とされたのだ。ならば安倍内閣は、歴史的経緯を公にし、国際環境に基づき、元の見解に戻すだけだ。

憲法違反と騒ぐ連中は、だから反日日本人と中共だけだ。簡潔明瞭な話ではないか。