2015年07月15日

◆大富豪 上海株式暴落で天文学的損失

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)7月15日(水曜日)通算第4602号  <前日発行>> 

〜大富豪たちも顔面蒼白、上海株式暴落で天文学的損失
    アリババ馬雲が1028億円 女実業家トップの周群飛は800億円〜

7月1日と8日の上海株式大暴落は、連鎖で香港、深セン、そしてNY市場に上場しているアリババなどの株価を下落させた。この結果、世界的大富豪に名を連ねる中国人ビリオネアらは顔面蒼白、彼らは幾ら損失を出したか?

通信大手「騰訊」(テンセント)のポニー馬は1500億円弱、香港財界トップの李嘉誠は香港市場で1350「億円余、香港財閥第2位の李兆基(ヘンダーソンランド)が587億円余。

中国財閥トップの万達集団会長=王健林は上海市場で800億円、香港市場に上場の子会社と深センに上場している関連映画会社がそれぞれ19%の暴落となった。

レンズ・テクノロジー社の女傑社長、周群飛は株価が半分となって800億円の損失、NYに上場しているアリババの馬雲は個人資産だけで1028億円が「蒸発」したそうな。

◆新国立競技場建設はリセットすべきだ

池田 元彦



新国立競技場建設計画見直案が、7月7日有識者会議で承認された。建築家ザハ・ハディド原案を縮小し、予算2520億円で19年ラグビーWC迄に完成させる計画が確定した。ザハ原案に賛成の声は一切聞かない。縮小案でも当初予算の2倍コストは反対者が依然多い。

今回の決定はザハ案の規模縮小とコスト削減でしかない。結論を言えば、根は不要だ。屋根の骨格(キールアーチ擬き)断面が約80uで巨大、鉄2万トン以上、コスト950億(=JSC公表)処か1500億必要だとの試算もある。条件から屋根を取消せば済む話だ。

年間50日程しか利用出来ないのにコンサートの為の天蓋は本末転倒だ。屋1千億円なら理解する。京セラドーム700億、ロンドン610億、北京鳥の巣420億と比して妥当だ。

当初予算1300億は安藤忠雄委員長以下全委員が承知している議事録がある。審査員は作曲家都倉俊一、JOC理事河野一郎、JFA名誉会長小倉純二、残る5人は世界一流の建築家だ。建築コストが大枠1300億内外か倍以上かは、建築家5人が専門的判断出来た筈だ。

審査記録や議事録には、コスト観点でのザハ案反対者は1人も居ない。誰も予算大幅超過を懸念して反対等一切していない。建築界では10‐20%のコスト増は誤差の範囲内だが、2倍以上となると、建築家として施主への契約上重大な義務違反、責任放棄ではないか。

議事録では委員長が一任され総意を纏めた書き方だが、安藤委員長がゴリ押しでザハ案支持へ要請したとの指摘や噂は根強い。確かに近未来的衝撃的で魅力あるスケッチだが、神宮外苑の環境、建築技術、コストを考慮しないザハは従来から施主・建設会社泣かせなのだ。

ザハはイラク出身、英国在住、Queen of Unbuiltと揶揄されている。プリツカー賞(=建築家のノーベル賞)等輝かしい受賞歴を誇るが、技術・コストの観点で建築に至らないのだ。即ち建築構造力学を無視し外観スケッチで勝負する。見栄え重視の安藤忠雄と共通する。

安藤忠雄は世界の巨匠、華麗な受賞歴がある。が、根底には実用性軽視思想が伺える。トイレに行く為傘が要る、夏暑く冬寒い、結露・黴テンコ盛り。不便極まりない渋谷新地下街。レースカーの外観デザインは受けるが、乗心地・快適な運転性能・安全性は期待できない。

安藤委員長は、施主のコスト条件を無視した責任者だ。建設会社試算は3千億だ。結果3千億は有り得る。下村文科大臣の要請に応じ、選定理由とコストに関し公に答えるべきだ。

同時に日本スポーツ振興センターの作品応募資格を世界著名賞受賞者に限り、応募猶予期間2か月も非常識だ。若手実力建築家の応募を断念させ、十分な技術アセスの余裕なく応募させた責任がある。巷には総コスト1兆円を超える試算もある。誰が責任を取るのだ。

JSCが天蓋を条件から外し、安藤委員長がコスト観点で応募作品を再採択すべきだ。ローマに5万人収容のコロッセウムがある。巨大投資だが今は観光資源だ。国民負担や8万人規模は反対理由でない。スケッチの良さだけで予算の2倍以上にする案に反対なのだ。

ザハ案の最終承認者は誰か。2012年11月採択公表時は田中真紀子、10月迄は平野博文が文科大臣だった。何れにしろ、民主党政権に決定責任があるのだ。「コンクリートから人へ」と戯言を言う一方で、3千億円と囁かれる無駄な建物建設を決めた真犯人なのだ。

2015年07月14日

◆ロシアは米中戦争で最大の漁夫の利

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)7月14日(火曜日)
   通算第4600号 (前日発行)>
 
〜米中もし戦わば、「そこには11のシナリオがある」(プラウダ)
  ロシアは米中戦争で最大の漁夫の利が得られるだろうと示唆。〜


プラウダ(英語版、6月24日)には米中戦争、11のシナリオが描かれた。行間には米中戦争への「期待」(なぜなら「最大の漁夫の利」を獲得できるのはロシアだから)がにじみ出ている文章となっている。

米中それぞれは大規模な軍事衝突への準備を怠っていない。米中の貿易関係に甚大な悪影響を与えることになるだろうが、それよりも深刻な利害関係の衝突が基底に流れているからだとして、プラウダが掲げたシナリオとは、

第一に中国は「米国が南シナ海における岩礁の埋立に中止を求めることを止めない限り、米中の戦端が開かれることは『不可避的』であると中国共産党系の新聞が幹部の発言として何度も報道している。

第二に米国の見積もりでは、戦時動員の中国人を1400万人としている。オバマ政権はハッカーを含めずに情報、軍事インテリジェンスに従事する中国人を準戦闘員として捉えている。

第三に中国は台湾攻撃を想定した軍事演習を大規模に繰り返している。もし中国が台湾を侵略した場合、台湾関係法に依拠して米国が乗り出してくることは明らかである。

第四に中国の数千隻の『商船』は、戦闘となれば、準軍事目的で転用される。戦争の兵站、後方支援などの目的でこれら中国籍商船は機能的に転用できるようなシステムが構築されている。

第五に中国は米空母攻撃用のミサイルを開発している(ペンタゴンは、この『空母キラー』と呼ばれる新型ミサイルを脅威とみている


▲中国の戦略ミサイルはMIRV化し、米国とのバランスは対等になった

第六に中国は核ミサイルの多弾頭化を進捗させており、ミサイルの弾頭数における米中バランスは対等となる。

第七に中国が保有したMIRV(多弾頭ミサイル)は超音速、そのスピードにおいて米国諸都市に達する時間は想定より早くなったと考えられる。

第八に潜水艦発射型ミサイルを搭載した中国海軍の潜水艦が、スクリュー音を出さない新型を就航させているため発見がしにくくなった。

第九に上記ミサイル搭載の潜水艦の基地は海南島であり、南シナ海への出撃ベースとして構築された。

第十に「ジン級」潜水艦に搭載されているJL型ミサイルは射程7350キロであり、全米50州の軍事目的に向けてほぼ同時に発射されることが可能と米議会報告書は述べている。

第十一に中国の軍事費は毎年2桁成長を続けてきたが、公式にも本年の国防費は1320億ドル(10・2%増)となった。軍事縮小が顕著な米国と対比的である。昨年も中国の軍事費は1140億ドルで前年比10・7%増加した(ちなみに米国の同年度の国防費は6004億ドルだったが)。

米国は多国間と軍事演習を繰り返しているが、これらの基本は中国との軍事衝突を前提としたものであり、2009年に提示された「エア・シー・バトル」に沿った演習となっている。

こう見てくると米中軍事衝突は不可避的であるとするのがロシアである。

◆被害者と加害者 戦争とアメリカ責任

Andy Chang



人は誰でも被害者になることもあるし加害者になることもある。国もそうである。人間関係、国際関係とはそういうものだ。千葉に住むNさんは戦後生まれなので、台湾が嘗て日本の領土であったことは知っていたが、台湾がアメリカの空襲で大きな被害があったこと
は知らなかった。

私とのメールのやり取りでこのことを知って、スミマセンでしたとメールしてきた。戦争があったのはNさんの責任でもないし関係のないことである。Nさんは日本人だから謝ったのだが、謝られた私の方は複雑な気持ちである。

私は昭和一桁生まれだから戦争中は日本人だった。台湾が空襲を受けた当時は日本人意識があった。台湾人意識は戦後になってから覚えたのである。

台湾は日本領だから敵国米軍の空襲に逢ったのは当然と思う。Nさんは戦後生まれだから、台湾は日本と違う国という意識がある。だから台湾が空襲に逢ったのは日本の責任で、日本の国民として謝罪する気持ち、たとえ必要がなくても愛国心があるからスミマセンと
言う。

Nさんにこう言われるといろいろ複雑な思いが起きる。思いつくままに書いてみると:(1)台湾は日本と一緒に戦ったのだから日本が台湾に謝ることはない。加害者はアメリカである。(2)空襲は米軍の責任だから米国が謝るべきである。

(3)戦争は軍の責任で個人の責任ではない。(4)戦争責任はすでに終戦裁判で清算されたからいつまでも追及したり謝ったりする必要はない。(5)加害者の罪悪感、害者の怨恨はいつまで持ち続ける必要があるのか。

ここに挙げた幾つかの思いは個人的なものだから、読者にもいろいろ違う意見があるに違いない。戦前・戦後の生まれ。台湾・日本の生まれ。戦争体験など個人的な立場が違うから思惑も違ってくる。

韓国の朴クネが「正しい歴史を認めろ」と言っても「正解」はない。加害者と被害者は違うから何が正しいのかいくら論争しても解決はない。

●戦争とアメリカの責任

戦争は破壊行為である。戦争に勝ち負けはあっても責任は双方の軍隊にあり民間が被害者である。空襲で都市、飛行場、工場などが爆撃され、民家が焼け人が死んだ。台湾でも日本でも、南方諸島でも被害は大きかった。東京大爆撃では十万人が死んだと言う。

原爆を投下したアメリカは謝罪したことはない。アメリカ政府、歴代の大統領だけでなく、Nさんのようにスミマセンと謝ったとは聞いていない。日本政府がアメリカの謝罪、原爆投下の罪を追及したこともない。

●被害者の恨み

Nさんは台湾各地が空襲に逢ったから台湾人は日本人を恨んていないかと案じる。戦後に日本を訪問する台湾人は日本に対しどんな気持ちを持っているのかと思い、済まないと思う。しかしそれは違う。台湾人は戦争で被害にあったけれど日本人を憎む気持ちはない。

日本は戦争に負けて米軍が日本を占領したが、日本人にはアメリカを恨む気持ちはないし、アメリカに旅行しアメリカに住んでも別に違和感はないはずだ。

私の父は医者で、病院を経営していた。戦争中のある日、憲兵がやって来て父の病院を接収して憲兵隊本部にすると言った。父は入院患者もいるし、来院患者も多いので接収を拒否した。すると憲兵は「臭い飯を食わしてやる」と言って父を警察署の留置場に入れた。

留置場で臭い飯を食わされたお蔭で父はチブスにかかり2か月も重体で寝ていた。1か月ほど後に米軍の大空襲があり、付近の家が焼けだして消防車が来たとき警察が、あの病院はほって置けと命令したので病院は焼けてしまった。

父や家族は日本や日本人を恨んだことはない。悪いのは戦争であり憲兵隊である。戦争が終わり軍隊は解散し、日本は良い国になり父は何度も日本に旅行した。

日本人は原爆を落とされたけれど原爆の被害を覚えている人は少ないし、アメリカを憎むこともない。原爆の被害者でアメリカに住んでいる人も多い。

●中国人への恨みは消えない

ところが台湾人は中国人が台湾で行った228事件虐殺や、38年に及ぶ白色恐怖を忘れない。中国人は酷いことをしたが謝罪したことはない、今でも傲慢である。台湾人は中国人ではないことは中国人の態度でよくわかる。台湾人は中国人の悪逆非道を忘れることはない。
ひとりひとりの中国人に恨みはないが警戒心は絶対忘れない。

戦争が終わって間もなく、国民党の軍隊が大陸から撤退してきて、小学校の教室を占領して駐屯した。数日後、営長(大隊長)の妻が死産で産婆の手に負えなくなり父の病院に入院した。

父のおかげで死んだ赤ん坊を産んだが産婦が退院しても死んだ嬰児を病院に残し、翌日取りに来たとき、手術室の隅に放置された死児にネズミが齧った痕があった。

その夜剣付き鉄砲を持った兵士を2人従えた大隊長が来て、テーブルに座るなり拳銃をテーブルに置いて死んだ嬰児に傷がついたと言って父を脅迫した。

父に命じて金庫を開けさせ現金全部、3千円を強奪した。当時の3千円は現在の数百万円と思われる。私はこの事件を忘れることはない。戦争で病院が焼けても恨みは残らないが、死んだ嬰児の言いがかりをつけて剣付き鉄砲で脅迫し金を強奪した恨みは今でも忘れない。

中国人にも善い人も居るだろうが中国人に心を許すことはない、許してはならない。

●謝罪する日本人と謝罪しない中国人

Nさんは日本人として日本人が戦争を始めて各地に被害があったことで済まないと思っている。これは素晴らしいことだ。日本国民には愛国心があり、自分の責任でなくても日本人として責任感があり、国民全体が道徳心と謙虚な心を持っている。

日本人や台湾人と違って中国人は愛国心がないから国の責任を感じることがない。蒋介石、毛沢東、習近平などみんな個人の責任で、個人が遺憾に思うことはないのである。

しかもそんな中国人や韓国人は挙国一致ですでに清算した日本の戦争責任を譴責し、現在の若い日本人に謝罪を要求し、いくら謝罪しても「謝罪が足りない」という。道徳心の違う国と議論しても無駄である。戦争が終わって70年たつ。慰安婦問題、戦争責任、すべて
過去のことである。道徳心のない中国人と論争しても無駄である。
  

◆call a spade a spade

上西 俊雄



むかし、call a spade a spade といふ英語にぶつかったことがある。18世紀頃の文學者の論爭で、耳の長い生き物といふやうな以って廻った言ひかたをせず、ASS (驢馬、阿呆)と言ひたければ、直接さう呼べばよいではないかといふところにあった。かういふときはスコップならスコップといへといふのが決まり文句であったのだ。

英語 wikipedia でみると

To "call a spade a spade" is a figure of speech which explicitlycalls out something as it is, by its right name. The implicationis not to lie about what something is and instead to speakhonestly and directly about a topic, specifically topics thatothers may avoid speaking about due to their sensitivity or theunpleasant or embarrassing nature of the subject.

ところが、これと逆のことが我國ではおほはやりだ。病院では麻醉藥と言はずウトウトする藥といふし、新幹線の事故の場合も燒身自殺といはず、あぶらのやうなものをまいて火をつけたといひ、天氣豫報でも豪雨といはず、激しい雨としかいはない。

我らの先人が漢學をやってどれほど多くの抽斗を腦中に備へてゐたか、それが西歐文明を理解するのにどれほど役立ってゐたかといふことを今になって思ふのであるが、さらに新たに譯語をつくったことが我國の飛躍する土臺となったことは周知のことだと思ふ。

もし lexicalize(語彙化) といふことで比較すれば戰前の國語は英語にはるかにまさってゐたと思ふ。我國でなら單語ですむところを英語では句でいはねばならない場合は多い。

だから下手に英語をやれば、their sensitivity or the unpleasant orembarrassing nature of the subject といふことの有無にかかはらず、以って廻った言ひかたのままにぞろっぺいな理解にをはりかねない。

世界遺産登録における日韓問題について最初に知ったのは7月7日のMaxVon Schuler-Kobayashi といふ人のFACEBOOK

http://tokyomaxtalks.blogspot.jp/2015/07/world-heritage-sites-historic-blunder.html

You cannot trust a Korean. They always break their word, and makemore demands. Now with this English phrase, in the eyes of theworld, Japan has admitted to criminal behavior.

岸田外務大臣や佐藤地ユネスコ大使は公職追放だとある。

Foreign Minister Kishida Fumio and UNESCO representative Sato Kunishould both take responsibility and resign. They should beforbidden from political activity and public service for life. Thedamage they have caused Japan is very grave.

それで、call a spade a spade といふ英語を思ひだした次第。英語のウィキペディアにもどると

For instance, you may not want to call a spade a spade. You mayprefer to call it a spatulous device for abrading the surface ofthe soil.

とある。スコップといふ語がなければ、もしくはスコップといひたくなければ、ばかばかしく長い表現をしなければならない。

恐らく佐藤大使は英會話に堪能なのだと思ふ。この問題、すでに「頂門の一針」3708號で論じられてゐるけれど、以下にいささか我田引水の論を。

安倍政權が戰後レジームからの脱却をいふなら表記改革をこそ問題にすべきだと思ふ。

當用漢字や常用漢字で間に合はなければ正字に戻すべきことろを、歴史的經緯を知らない人達に迎合してしまふ。姓名の順序の場合(3660號)も、そしておそらく新國立競技場の場合も廣く意見を戰はせるといふことを避ける傾向が文部省には強いのではないかと思ふ。

新國立競技場の維持費のことが話題になるけれど、戰後の表記改革が永遠に未完成のままにかけ續けなければならない維持費のことも考へてみるべきだ。

また明治期における産業革命遺産をいふなら先人の苦心した新造漢語なども重要であるはずだ。日韓外交における敗因の根はふかいと思ふ。

2015年07月13日

◆集団的自衛権は憲法違反の大間違い

櫻井よしこ



国際法は憲法に勝るが世界の常識 

日本大学教授の百地章氏が6月26日の「言論テレビ」の番組で集団的自衛権および平和安全法制について大事なことを指摘した。民主党以下複数の野党が、多くの憲法学者の考え方を根拠として一連の法案を廃案にせよと政府に迫っているが、そもそも、批判論を展開している人々は国際法と憲法の関係を理解していないというのである。
 
百地氏は、この最重要の点をきちんと理解しなければ、安倍政権が行おうとしている集団的自衛権の行使容認が違憲か合憲か、正しく判断することなどできないと指摘する。

「集団的自衛権が国内で問題になることはありません。国際間の権利で、国際法上の権利です。国際社会においては、各国の憲法よりも国際法が優位するというのが法学者の常識であり大前提です。
 
そこで国連憲章51条を見れば、全ての国連加盟国に『固有の権利』として集団的自衛権を認めています。すなわち、国連加盟諸国は全て国際法上、集団的自衛権を有し、行使することができるのです。日本国憲法に、わが国には集団的自衛権があるとか行使できるとか書いていなくても、権利はあり、行使できるのです」
 
百地氏は、テレビ朝日の「報道ステーション」で若手の憲法学者が日本国憲法のどこにも集団的自衛権があるとは書いていない、「ネス湖でネッシーを探すより難しい」との旨を発言したが、国際法と憲法の関係を知らないからこのような主張になるのではないかと語った。

「国際法上の権利であり、認められているが故に、日本国憲法にも書かれいないのです。憲法に書いていないのは日本だけではありません。その他諸国の憲法にも書かれていません。領土主権についても同じです」
 
国家の領土主権は国際法上の権利であり、わざわざ各国が領土主権を憲法に書かなくても、当然認められる権利だというのだ。

「憲法に書かれていなくても領土主権が日本国にあることは当然です。憲法に書いていないから駄目だということはないのです。ですから、集団的自衛権が日本国憲法に書かれていないから、日本は行使してはならないという人たちに尋ねたいですね。領土主権が明記されていないから、日本は領土主権を主張できないのか、と。そんなばかな話はないでしょう」
 
百地氏はさらに続けた。

「ただし、国家は主権を持っていますから、主権を一部制限したり放棄したりすることは、可能です。日本が、国際法上認められている集団的自衛権を放棄するなどと憲法で規定していれば、それも可能です。しかし、日本国憲法にそのような規定は、もちろん、ありません」
 
国際法の基本である国連憲章は集団的自衛権を全加盟国の「固有の権利」と書いているが、これは日本語訳だ。フランス語では固有の権利よりももっと強い意味を持つ「自然権」と書かれている。いかなる国にとっても当然の確固たる権利だということだ。
 
百地氏が語る国際法と憲法の関係についての考え方は、現代の憲法学界で「随一といわれる実力」を持つ京都大学教授の大石眞氏も共有する。大石氏は、法律の専門誌「ジュリスト」に、「憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず、集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない」と記す。

報ステは200人の憲法学者にアンケート調査を行い、回答した150人中146人が違憲だと答えたと胸を張る。だが、憲法81条は憲法解釈について最終的判断を有するのは最高裁判所だと規定しており、最高裁は集団的自衛権を認めている。アンケートで得た憲法学者の判断をもって集団的自衛権は憲法違反だと決め付けること自体が憲法違反なのである

『週刊ダイヤモンド』 2015年7月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1091 

◆習体制揺さぶる中国株暴落

田村 秀男


対立派閥による“権力闘争説”まで…

「共産党のシンボルは赤の生地、ハンマーと鎌。ハンマーが株式市場をぶち壊し、鎌が投資家の肉を削ぎ、その血で国が真っ赤に染まる」

もとより党は反資本主義イデオロギーをとっくの昔にお蔵入りさせている。特に習近平政権は停滞が続く不動産市場に代わる投資先として株式市場を重視し、人民に株式投資を大いに奨励してきた。中国人民銀行に利下げさせ、個人が借金して株式投資しやすくし、国営メディアを動員して株式投資ブームを演出し、株価を釣り上げてきた。

ところが、株価は低迷を続ける景気とのかい離がひどくなった。典型的な株式バブルであり、6月中旬過ぎから崩落し始めた。「株民(個人投資家)」たちは党によって株式におびき寄せられたと気付いたが、売り逃げようとしても、大きく損するので売れない。

グラフは過去1年余の個人による上海、深●(=土へんに川)(しんせん)両証券取引所の株式投資口座新規開設数である。株価がピークに達した6月12日を含む6月ひと月間だけで合計1600万口座に上る。

6月の口座数は2億7300万で、前年同月比で6600万口座も増えた。一人の個人が複数の口座を持つケースもあるから、口座数がそのまま株民の数と決めつけられないが、当局発表の2倍以上になるとみてよい。

上海の知人に聞くと、5月末に保有株をすべて売ったのは大正解だったが、息子がその資金を借りて新しく口座を開設し、投資したところ、大暴落の憂き目に遭ったとぼやいていた。口座開設数は4、5月から急増している。

上海、深●(=土へんに川)合計の株式時価総額(7月6日時点)は株価ピークの6月12日比で日本円換算416兆円減った。中国の国内総生産(GDP、2014年)の3分の1相当が消滅したことになる。
 
習政権はなりふりかまわず、株価てこ入れに躍起となっている。証券業界を総動員して株買いさせ、人民銀行に株買い資金を供給させるなどだ。

億単位の株民が党を信じたのにだまされた、党が無理やりに株価をつり上げたことが暴落の原因だ、と考え始めている。党が株価下落に歯止めをかけられないなら、それこそ政治不信につながりかねないだろう。

ネットでは株価暴落の「真犯人」探しも活発だ。当初は、香港を拠点にする米欧系投資ファンドの投機売り説が流れた。習政権は昨年11月に香港経由に限って外国人投資家による上海株投資を解禁したが、6月上旬に外国人投資が一斉に資金を上海市場から引き揚げたという事実がある。

権力闘争説もある。習近平体制と対立する党長老の江沢民・曽慶紅グループが外資を装って巨額の空売りを仕掛けた、というわけで、政治的背景からすると、なるほどと思わせる。まさに、中国株の世界は魑魅魍魎、何がこれから起きるかわからない。 
(産経新聞特別記者)

産経ニュース【お金は知っている】2015.7.11


◆どんな手を打っても「もう遅い」って

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)7月13日(月曜日)通算第4598号 <前日発行> >

〜いまさらどんな手を打っても「もう遅い」って。
   上海株は大暴落の秒読みに入ったと判断できる。〜

上海株式市場で大暴落が始まった。拙著『中国バブル崩壊が始まった』(海竜社)などで予測してきた通りである。

中国の金融証券当局は利下げ、預金準備率引き下げ、IPO(株式新規公開)の中断、株購入資金借り入れ条件の緩和など一連の手を打ち、それでも効き目がないとみるや、事実上の空売り禁止(「悪意ある空売りは捜査する」といって当局が数社を手入れ)、あまつさえ1400社もの大型株銘柄の取引停止(これは事実上、「市場の死」を意味する)など荒技に出た。

なるほど、実質的な株式売買が市場では行われない中で、意図的に特定の銘柄だけ株価を嵩上げして市場操作をした。このため7月10日の上海株は少し持ち直したが、手口は見え見えである。

ウォールストリートジャーナルは、「中国の株価安定策、失敗した5つの理由」を次のようにあげた(2015年07月10日)。

第一に「インデックス先物対策の失敗」である。

しかしヘッジ・ファンドは先を争って株式を売却した(この場合のヘッジ・ファンドとは欧米勢ではなく、香港を拠点に太子党の子弟達が運営するファンドを意味する。江沢民の孫、李源潮の女婿、温家宝の息子等、米国帰りが欧米の禿鷹ファンドなどと組んでいることもある)。

『紅二代』というより、『官二代』という党高官の子弟が多いのが特徴的で、多くが欧米で経済学、新資本主義を学んで帰国したのである。

 第二に不十分な資金が問題である。

中国証券金融が安定基金として存在してはいるが、その元手はわずか1000億元(約2兆円)で一日の売買高の10分の1でしかない。もっと不退転の決意で市場に介入しないと手遅れになることは火を見るよりも明らかだろう。

当局は証券会社に「売却を急がないよう」と求めたが、自己犠牲をしてまで当局の要求に真面目に応えるファンドマネジャーはいない。

 第三には数々の不適切な対策である。

とくに取引の値幅が比較的安定した大型株を取引停止にしたため、ボラタリティ(乱高下幅)の激しい小型株が売り浴びせられた。投資人口が2億人、80%が個人投資家という中国的特徴を持つ上海市場ならではの現象とも言える。

第四は「売買停止」が市場に「仮死状態」を強いたことである。

第五に金融政策のリーダーの姿が見えず、救済策の策定を証券規制当局に任せていることだ。周小川も金立群もどこへ行ったのだ?

しかしウォールストリートジャーナルの指摘を待つまでもなく、金融当局は共産党トップの顔色を見て政策を決める上、自分たちが責められないために「これはファンドマネジャーが悪い」、そして「海外投機筋の陰謀だ」とするのである。

だが「外国資本による中国株の空売りが市場の急落を招いた」などとする海外陰謀論は成立しない。

なぜなら海外投資家の株式保有総額は全体の2%未満でしかなく、建前上、海外投資家も上海と香港市場の相互取引を通してのみ中国の個別銘柄の「空売り」ができるようになったが、「ネイキッド・ショート・セリング」(取引の裏付けとなる株式を確保せずに行う空売り)は禁止されている。

つまり海外ファンドの空売りは行われていなかったのである。


 ▲残された手だては2つしかない

大暴落は秒読みだが、中国に残された手段はあるだろうか? 可能性は2つあるように見える。

第一は市場の閉鎖である。

1ヶ月ほど思い切って株式市場を閉鎖すれば、この間に様々な処理が出来るだろう。

なにしろ一党独裁の国ならば、この緊急事態を乗り切る強引な手段も、予測可能である。

第二は、通貨の切り下げである。

つまり人民元は完全な変動相場制への移行が難しいうえ、ドルベッグ体制となっているため、対ドル相場を、30%程度切り下げるのである。

「そんな乱暴な」と思われる向きもあるかも知れないが、実際に中国は1993年にいきなり30%、通貨切り下げを行った『実績』がある。

これにより輸出競争力が回復でき、若干の海外企業の直接投資も復活する可能性がある。

デメリットは石油、ガス、鉄鉱石など輸入代金が跳ね上がること、もうひとつは日本に観光旅行にくる中国人の「爆買い」ツアーが激減することだろう。

というより現在の爆買いツアーは、もうおしまいに近く、中国人の発狂的海外ツアーも沙汰止みになるだろう。
 
かくして中国の発狂的投機の時代は終わりを告げる。

◆昭和20年8月15日正午

伊勢 雅臣



〜 長谷川三千子『神やぶれたまはず』から

玉音放送の後の「あのシーンとした国民の心の一瞬」に、人々は何を聴きとっていたのか。

■1.それぞれの負けっぷり

イタリアを旅していた時、4月25日が「解放記念日」という全国的な祝日になっていると聞いて、「やれやれ、イタリアという国は」と思ったことがある。1945年4月25日は、ムッソリーニ首相が共産ゲリラに捕らえられ、銃殺されて、ミラノの広場で逆さ吊りされた日である。

ムッソリーニは1922年以来、約20年にわたり政権を維持し、議会でも第一党を維持してきた。日独と同盟を組んでの第二次大戦参戦は国家としての決定なのに、そこは頬被りして、ようやく独裁者から解放されました、と、その日を祝う。「敗戦」を「解放」と言い換えてしまうイタリア的な軽やかさには敵わない。

こんな所から「次はイタリア抜きでやろう」とドイツ人が日本人に言うジョークが出てくるのも、分からないでもない。しかし、ドイツの敗戦ぶりには、またドイツ人らしい頑迷さが見られる。

ヒトラーは、負けるくらいならドイツが滅んでしまった方が良いと考えて降伏を拒否し、勝ち目のない戦いに国家を 追い込んだ。ヒットラー暗殺計画が2度ほど試みられたが失敗。ドイツ全土が連合軍に蹂躙されると、ヒットラーは自殺し、政府要人はすべて自殺、逃亡、あるいは捕虜となり、政府が瓦解してしまったので、正式な降伏すらできなかった。


■2.「日本の戦略降伏のいちじるしい特徴」

独伊に比べると、日本の降伏は律儀なものだった。昭和20(1945)年8月14日、連合国側のポツダム宣言での降伏条件を閣議決定で受諾し、9月2日に降伏文書に調印している。

形の上だけでなく、内容においても雲泥の違いがある。入江隆則氏の『敗者の戦後』には、次のような一節がある。

<1945年の日本の戦略降伏の著しい特徴は、天皇を護ることを唯一絶対の条件にしたことだった。同時に天皇は国民を救うために『自分はどうなってもいい』という決心をされていて、こんな降伏の仕方をした民族は世界の近代史のなかに存在しないばかりか、古代からの歴史のなかでもきわめて珍しい例ではないかと思う>。[1,Chap10]

日本に降伏条件を示したポツダム宣言を受諾するかどうかで、最高戦争指導者会議(御前会議、天皇の御前にて開催されたが、天皇は通常、発言されない)が最後までまとまらなかったのは、果たしてこれで天皇が護れるかどうか、という点にあった。

第1次大戦で敗れたドイツに対し、皇帝ヴィルヘルム1世を訴追するとベルサイユ条約では定めていた。「戦争責任」を敗戦国指導者に負わせる、という傾向が強まっており、日本が降伏したら、天皇が訴追、処刑される、という恐れを誰もが抱いていた。

しかし、最後に昭和天皇の「私自身はいかになろうとも、私は国民の生命を助けたいと思う」という御発言により、全員の涙のうちに、降伏を決定したのである。[a]

国民は天皇の身を案じ、天皇はただ国民の命を助けようとする。ムッソリーニを逆さづりしたイタリア、ヒトラー暗殺に失敗して政府瓦解したドイツとの違いは著しい。


■3.「天皇の命とひきかへに自分たちが助かるといふ道」

降伏に際して、当時の日本政府、および国民が直面しなければならなかったジレンマを、長谷川三千子・埼玉大学名誉教授は次のように活写している。

{降伏すれば自分たちの命は助かるかもしれないが、それは敵に天皇陛下の首をさし出すことにほかならならない。

王を倒すことが正義であるといふイデオロギイを潜在的にかかへもった「立憲君主制」のもとの国民であれば、ケロリとして平気で国王をさし出すであらう。

しかし、形の上では同じ「立憲君主制」でありながら、「上下心を一に」することを国体の柱としてきた日本国民にとって、天皇の命とひきかへに自分たちが助かるといふ道は、取りえない道であつた。といふことはつまり、降伏は不可能だ、といふことになる。}[2,10章]

親子のように、天皇と国民が心を一つにしてきたのが我が国の「国体」、すなわち国柄であった。親の首を差し出して、自分たち子供だけが助かる、そんな事は子供として決してできないことであった。それをあえてするという事は、先祖代々数千年にわたって続けてきた国柄を破壊することだった。

親を思う子なら、自分を犠牲にしても、親は助けたいと願うだろう。「天皇陛下万歳」と叫びつつ、特攻に赴いた青年たちは、まさにその道を歩んだのである。


■4.「美しくも恐ろしいジレンマ」

 しかし、天皇から見れば「国体」には別の面があった。

{・・・日本の伝統的な「愛民」は、それが天皇ご自身の自己犠牲の決意にささへられてゐる、といふことを特色としている。・・・それがくっきりと際立つのは、元寇の際に亀山院が石清水八幡宮におこもりをされて「わが身をもつて国難に代へむ」と祈願されたといふ故事である。

また、まつたくの私的な日記である『花園院宸記』のうちにも、当時十七歳の少年天皇花園院が、大雨で死者の出た報を聞き、雨が止むようにと「民に代つて我が命を弃(す)つる」の祈願をした記述が見られる。

 国民のために天皇がわが身を捨てるといふ伝統は、単なる建前ではなく、すでに代々の天皇の血肉となつてきたのである。昭和天皇の「自分はどうなってもいい」といふご決心も、まさしくこの血肉となつた伝統のうちからわき出てきたものと拝される。}[1,10章]

天皇から見れば、わが身を犠牲にしても民を護るのが国体であり、国民から見れば、自分たちが犠牲になっても、天皇をお護りすることが国体であった。これを長谷川氏は「美しくも恐ろしいジレンマ」と呼んでいる。


■5.「身はいかならむとも」

「この美しくも恐ろしいジレンマ」を断ち切ったのが、昭和天皇のご決断だった。その御心は次の御製に窺うことができる。

爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも和歌は57577の31音が基本だが、ここでは「爆撃に(5)」「たふれゆく民の(8)」「上をおもひ(6)」「いくさとめけり(7)」「身はいかならむとも(9)」と、4音も多い字余りになっている。

長谷川氏は、小田村寅二郎・亜細亜大学名誉教授の次のような解釈を引用
されている。

{・・・四音も多い和歌というものは、それをこちらが読む時に、つかえ、つかえ、してしまうものですけれども、不思議にこの歌は一気呵成に読み下せる。声を出して読んでも、一気に読めるのです。

一気にということは、作者のつくり方の状況を偲びますと、一気呵成に詠まれた歌だということです。そして、四音も余るということは、定型の三十一音では嵌まり切らない激しい御心中の激動の起伏が、この四音の余りというものを一気呵成に含み込んで、一首の歌として詠み下されたとしか偲びあげることができません。

そのことのなかに深い深いお悲しみと御決意と、それ以後の時世に対する天皇様の御決断が滲み出ているのではないでしょうか。最高戦争指導会議の席で述べられたお気持、その奥にある、御自分の命を捨てるという御決意、そういうものがこの一首の字余りの中に漂い尽しているかの如く感じます。}[2,Chap10]

■6.マッカーサーへの嘆願

終戦の後、この天皇の御覚悟はいつのまにか国民の間に知られていたらしい。占領軍司令部(GHQ)には日本国民から多くの投書がなされたが、圧倒的に多かったのは天皇助命の嘆願だった。たとえば、ある女性は次のような直訴状をマッカーサーに送っている。

「日本の天皇は平和を愛し給ふのが御本質でおいで遊されます。御自身に代えて救いたいと思召された国民が、そのお慈悲に御報ひすることを忘れた、現在の日本国民の一部の姿を世界に対して心から恥じてをります」。

また別の「大阪に住むとしは(年端)もいかない一女性」は、次のような手紙をマッカーサーに送っている。


「或本を読みますと共産主義者は『日本の生成発展を妨げるものは天皇制にあり』といつて居りますが、果たしてそうでせうか。いゝえ違ひます。終戦の時の詔書にも『朕ノ身ハ如何ニナロウトモ』と仰せられいつも国民の上に大御心をそゝがせ給ひます」。

実は、『朕ノ身ハ如何ニナロウトモ』とは終戦時の詔勅には書かれていない。この詔勅は、最高戦争指導者会議での天皇のご発言を下書きにして書かれたものだったが、「わたしはどうなってもかまわない」というお言葉が連合国に伝わったら、「ヒロヒトが自らの有罪を認めた」として、天皇訴追に動き出す恐れがあった。

そのために詔勅の作成者たちは、用心深く、このお言葉だけは詔勅に含めなかったのである。しかし、日本国民は一般の年端もいかぬ女性までもが、天皇が『朕ノ身ハ如何ニナロウトモ』というご覚悟で終戦の御決断を下された、と感じていたのだ。


■7.「あのシーンとした国民の心の一瞬」

終戦の詔勅は、昭和20 (1945)年8月15日正午にラジオを通じた玉音放送として伝えられた。あらかじめ「正午には必ず国民はこれを聴くように」との予告がなされたので、多くの国民は起立して玉音放送を聴いた。

しかし、雑音がひどく、また難解な漢語が多数含まれていたため、内容を聞き取れなかった国民も多かった。それでも、国史上初めて天皇が直接マイクの前に立たれるということで、終戦だと直感した国民も多かったろう。文芸評論家の河上徹太郎は、こう書いている。[2,3章1]

{国民の心を、名も形もなく、たゞ在り場所をはつきり抑へねばならない。幸ひ我々はその瞬間を持つた。それは、八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理窟をいひ出したのは十六日以後である。あの一瞬の静寂に間違はなかつた。

又、あの一瞬の如き瞬間を我々民族が曽て持つたか、否、全人類の歴史であれに類する時が幾度あつたか、私は尋ねたい。御望みなら私はあれを国民の天皇への帰属の例証として挙げようとすら決していはぬ。たゞ国民の心といふものが紛れもなくあの一点に凝集されたといふ厳然たる事実を、私は意味深く思ひ起したいのだ。}[1,3章1]

「あのシーンとした国民の心の一瞬」に国民は何を感じていたのか。前節の「大阪に住むとしは(年端)もいかない一女性」のように、天皇が詔勅では語らなかった『朕ノ身ハ如何ニナロウトモ』という御覚悟を聴いていた国民も多かったのではないか。


■8.『神やぶれたまはず』

翌年2月から始められた昭和天皇の全国御巡幸は、8年半かけて沖縄を除く全都道府県に及び、各地で数万の群衆に歓迎されたが、石一つ投げられたことはなかった。イギリスの新聞は、次のように驚きを伝えている。

<日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている>。[b]

大東亜戦争で軍人・民間人あわせて200万人以上の犠牲者が出て、国土は焼け野原になったのに、なぜ国民は天皇に対し「超人的な存在に対するように敬礼した」のか?

それは国民の多くが、8月15日正午の「あのシーンとした国民の心の一瞬」に、天皇がわが身を省みずに国民を戦火から救おうとしている事を実感していたからだ、と考えれば納得できる。

「超人的な存在」とは、日本語で言えば「神」である。ラフカディオ・ハーンは、高台の自分の田の稲むらに火をつけて、村人を呼び集め、津波から救ったという濱口儀兵衛の義挙を『生神様』と題する物語に発表している[c]。キリスト教のゴッドとは違って、我が国では現世の人でありながら、人々のために妙なる徳を発揮した人を「生神様」と呼んだ。

「生神様」と同じ意味で、我が先人たちは代々の天皇の「国民のために天皇がわが身を捨てる」といふ伝統から、天皇を「現人神」と呼んできた。8月15日正午、国は敗れたが、「あのシーンとした国民の心の一瞬」に国民が聞いたのは、その現人神の声であった。

『神やぶれたまはず』という長谷川氏の著書のタイトルはここから来ている。



■リンク■

a. JOG(101) 鈴木貫太郎(下)
 終戦の聖断を引き出した老宰相。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog101.html

b. JOG(136) 復興への3万3千キロ
 「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよそに、昭和
天皇は民衆の中に入っていかれた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog136.html

c. JOG(050) 稲むらの火
 村民を津波から救った義挙
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog050.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 長谷川三千子『神やぶれたまはず - 昭和二十年八月十五日正午』
★★★、中央公論新社、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/412004517X/japanontheg01-22/

2015年07月12日

◆周辺事態を無視した安保法制反対派

加瀬 英明



5月にアメリカの有力新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙のピーター・フォード北京支局長が、インタビューしたいといって、たずねてきた。

戦後70周年に当たって、7月に日本特集号を発行するための取材ということだった。同紙は東京にあった支局を、しばらく前に閉鎖したので、北京からやってきた。

はじめに、「どうして中国と韓国が過去の歴史について、日本を強く非難し続けているのか」と質問された。私は「中国と韓国は日本と違って明るい未来がないから、過去にしがみつくほかない」と、答えた。

私は中国の現体制は経済と独裁体制が破綻しており、韓国は近代に入るまで、中国の属国だったことから、このところの中国の興隆によって幻惑されて、先祖返りしているが、韓国は中国が崩壊したら、その瞬間から世界の最親日国家となるはずだと、述べた。

習近平国家主席が、3000人を率いて訪中した二階俊博・自民党総務会長を上機嫌で迎えて、「日本が軍国主義を美化したり、アジア諸国を苦しめた歴史を歪曲する、いかなる行為も許されない」と述べた。二階氏は習主席と握手すると、感極まって両手で固く握って、会場へ向けて高くかざした。

二階氏はかつて選挙区の和歌山に、江沢民主席の銅像か、江沢民神社を建立しようとしたことで知られるが、私にはこの光景が、三蔵法師に従う猪八戒ならぬ猪二階を連想させた。中国語で「猪」は「豚」のことで、中華料理では「猪肉」と表示されている。

小沢一郎「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表が、8年前に143人の国会議員を引率して、胡錦濤国家主席と同じ北京の人民大会堂で集団会見をして、中国に諂(へつら)ったことが、二重映しになった。

二階氏は才気と、才能が溢れる政治家であるだけに、小沢氏の轍(てつ)を踏まないことを、強く望みたい。

安倍首相が、4月30日にワシントンの議会両院合同会議で演説して、日米同盟を「希望の同盟(アライアンス・オブ・ホープ)」と呼んで、「希望の同盟。一緒でなら、きっとできます」と結んだ。演説は満場の上下院議員による盛んな拍手(スタンディング・オベーション)によって、14回も中断された。

日本とアメリカが、未来の国であるのに対して、中国と韓国は過去の国である。

また、安倍首相は両院演説のなかで、「日本は米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました」と述べた。見事だった。

この呼び掛けによって、日本が“戦勝国”の一員であることを明らかにした。そうすることによって、70年前の大戦が遠い昔のこととなった。

国会の自衛隊による集団的自衛権の行使をめぐる論議には、暗澹とさせられる。「日本国民のリスク」を論じるべきなのに、民主党の「自衛隊員のリスクが増えないのか」という質問には、耳を疑った。

民主、維新、共産などの野党の諸先生は、国防に無関心で、日本が置かれた国際環境が激変していることに、気づかない。

野党は安保法制に水を掛けることに狂奔しているが、日本が国防力を強化することを阻みたいのは、中国、ロシア、北朝鮮、韓国の4ヶ国だけである。いつ野党は、中国や、韓国の代弁者となったのだろうか。

日本は大和朝廷による建国以来、つねに武を重んじてきた国であった。

日本では、中国が武人を文官の下に置いて、蔑んできたのと違って、武を文よりも、忠を孝よりも、尊いものとしてきた。

ところが、今日の日本では軍にまつわる、一切が疎(うと)まれている。日本の歴史において武が、これほど軽視されたことはない。これでは、小型の中国となってしまう。

小さな中国となってしまったら、巨大な中国によって呑み込まれてしまうだろう。


◆百田氏発言、朝日に批判の資格あるか

櫻井よしこ



健全な民主主義社会であり続けようとするなら、報道及び言論の自由を守るのは当然だ。言論の自由こそ、国家の基本的価値として尊重されなければならないと、私は信じている。
 
そのうえで、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」(文芸懇)に講師として招かれた百田尚樹氏の発言に対する批判と自民党の対応には疑問を抱く。

メディアは百田発言と文芸懇に関して「沖縄・報道の自由、威圧」(朝日新聞、6月27日)などと一斉に批判を浴びせ、自民党は文芸懇代表の木原稔党青年局長を更迭し、1年間の役職停止を決めた。
 
問題となった百田氏の発言は一体、どのようになされたのか。氏によると、若手政治家の勉強会に招かれ、冒頭でのカメラ撮りを除けばそのあとは取材なしのオフレコだと説明されて、約1時間語ったという。

「メディアの人たちは全員外に出たんです。けれど部屋の仕切りの磨りガラスに人の耳の形がくっきり見えていました。ガラスに耳をくっつけているんだ。僕の地声は大きいし、マイクも使っているから丸聞こえやなぁと思ったんですが、取材なしのオフレコやから、また、これを書いたらルール違反ですと木原さんも言ってましたから、気にしないで喋ったんです」
(百田氏)
 
日本では、オフレコで語ったことでもしばしばリークされる。その意味で、日本のジャーナリズムのオフレコルールは必ずしも当てにならない現状がある。そうした中、氏は質疑応答で沖縄のメディアについて、「左翼勢力に乗っとられている。先生ならどんな対策をとりますか」と問われた。質問した長尾敬衆院議員の話だ。

「平和活動の名の下に、反社会的活動が行われている事実が沖縄にはあります。こうしたことをメディアは報道すべきだと、言いました。それはきちんと事実を報じてほしいということであり、何かを報じてはならないという言論弾圧ではありません」

多様性が重要,百田氏が語った。

「質問に対して、僕も沖縄メディアで批判されていると言って、2つの新聞は潰さなあかんけれども……とそこで言葉を濁したんです。落語家が語尾を濁す形を意識して、断定表現を避けたんです。言論を弾圧しようなんて全然、思っていません」
 
新聞社に「圧力をかけたらどうか」との問いもあった。氏が説明した。

「僕はこれは語るべきことではないと思い、それ(圧力をかけること)は難しいと言って、すぐに話題を切り替えました。新聞よりもテレビの方が影響力は大きいですから、テレビ局の体制を批判しました。地上波テレビ局の電波使用権が半世紀以上も、いわば既得権になっているのは問題です。この独占事業分野に自由競争の原理を導入すべきだと、かなり熱を込めて語りました。でも、この件はあまり報道されていません」
 
上智大学教授で、報道・表現の自由に詳しい田島泰彦氏はこう語る。

「メディア批判は自由にやってよいと思います。但し、それをどう表現するかが問われます。右寄りであれ左寄りであれ、新聞を潰すという発想は妥当ではないと思います」
 
百田氏も「本気で潰さなあかん……」と言ったのではないと語る。メディアへの圧力についても氏は「難しい」と語り、話題を変えている。ただ、その言葉だけをとれば、追及される脇の甘さはあった。
 
田島氏は、言論、表現、報道の分野では、もっと幅広く多様性を認めることが大事だと強調する。

「欧米のメディアは政治的スタンスがはっきりしています。スタンスが異なるから、ない方がいいとまでは、彼らは言わない。異なる相手と議論することで初めて、多様で多元的であることを前提にした、より健全な社会が生まれます。

それは日本的な公正中立というものとも異ります。応酬し、批判し合うことが大事です。日本に欠けているのはその点でしょう」
 
大事なことは、多様な物の見方と多角的な情報を提供する場を社会全体で確保することだ。メディアはその最先端で、幅広い視点と全体像を示す多様な情報を報じる責任がある。
 
百田氏らへの批判の先頭に立っている感のある「朝日新聞」は、そのようなメディアとしての機能を果たしているか。沖縄の2紙はどうか。
 
朝日の慰安婦報道における酷い偏りや、福島第一原発所長の吉田昌郎氏の調書についての歪曲報道は、私たちの記憶に新しい。朝日が、慰安婦の強制連行に関する吉田清治氏の嘘を32年間も放置した末に、関連記事を取り消すと発表したとき、私は、朝日が反省し、世界に広まった自らの報道の間違いを正すべきだと批判した。

バランスのとれた判断では朝日は真に反省したか。彼らは第三者委員会に検証を任せ、「報告書」が昨年12月に発表された。委員には慰安婦問題の専門家は誰ひとり選ばれておらず、従って、その内容が的外れなものになったのは当然だった。
 
専門家抜きに如何にして真の検証が可能だと、朝日は考えたのか。その答えは、朝日の去年8月5日付の「慰安婦問題の本質、直視を」と題した杉浦信之氏による1面の主張から見てとれると思う。氏は朝日批判を「いわれなき批判」だと逆に非難した。

十分な反省ができないのである。その結果、朝日は、言論・報道の自由と表裏一体の、多様な物の見方と多角的な情報提供を拒絶し続けていると言われても仕方がない。その朝日から多くの読者が離れている。廃刊などしなくても、信頼に値する報道ができないとき、読者は離れていく。私はそれでよいと思う。
 
沖縄の2紙も同様だ。彼らは、メディアの重要な役割である多角的多層的な情報を報じているか。そうではないだろう。現在審議されている平和安全法制だけでなく、沖縄紙の偏向報道について、私はこれまで幾度か言及してきたが、沖縄メディアの情報の偏りの中で、読者は如何にしてバランスのとれた判断を下せるのか、疑問に思わずにいられない。
 
沖縄には、2紙とは別の新しいメディアが必要だと私は考えている。もっとバランスのとれた情報を提供する必要があるのであり、2大紙の偏向した情報しか読めないとしたら、読者は本当に気の毒だ。
 
さて、自民党は烈しい批判に驚いたのか、党内の勉強会での発言が大問題となり、安保法制を通すために木原氏の処分を急いだ。であれば、先に衆議院の憲法審査会に長谷部恭男早大教授を招いた船田元氏の責任はどうなのか。

船田氏は安保法制の議論を進め、憲法改正を実現すべき役職にありながら、それに逆行する人選を行った。日本に、それがどれ程深刻な負の影響を与えるか。そのことを考えれば、まず、船田氏の処分こそ考えるべきだ。  
『週刊新潮』 2015年7月9日号 日本ルネッサンス 第662回
(採録:松本市 久保田 康文)

◆王岐山、今度は陝西省にふらりと出現

宮崎 正弘 

<平成27年(2015)7月11日(土曜日)通算第4596号 > 

〜王岐山、こんどは陝西省にふらりと出現。その狙いは?
       郭伯雄の軍閥基盤は陝西省をふくむ蘭州軍区だった〜

郭伯雄(前軍事委員会副主任)が拘束されていることは中国ではまだ発表されていない。軍の動揺を抑えるため、発表を控えているのだ。

しかし大方の庶民は口コミで知っている。また香港のメディアが伝えているので、年間5000万人が大陸から香港に出るので、口コミは倍加して広がる。

3月2日に軍幹部14名の取り調べが発表されたとき、そのリストに郭正鋼の名前があった。正綱は郭伯雄の息子であることは誰もが知っており、ということは次の「大虎」は父親に違いあるまいと容易な想像がつく。

したがって郭伯雄が拘束されていることは確実である。

郭伯雄の実弟、郭王政は陝西省民生庁幹部で、彼が絡んだ建設プロジェクトで900万人民元の使途不明金がみつかり、調査されているという報道が続いた。

いよいよ郭伯雄の本格的な取り調べが行われる気配で、そのために王岐山が陝西省入りしたとする観測がある。

軍隊のトップ(大将クラス)となると、軍ポストをめぐる上納システムでは少将の相場が1000万元、中将のそれは1000〜3000万元と噂されている。

腐敗の温床の最たるものが、このポストを買うという上納システムであり、一方で習近平政権発足直後から「いつでも戦争ができる準備をせよ」と発破をかけ、綱紀粛正、贅沢禁止の通達を出してきたため、軍は宴会禁止となって士気は上がるのではなく下がり、軍幹部は更迭、左遷をおそれ戦々恐々。その恨みが噴火しつつあり、不穏な空気が流れている。

軍の一部と上海派の怨嗟の的は第一に王岐山であり、彼を狙った暗殺未遂事件は九件、習近平暗殺未遂も少なくとも2件あった。

そういえば新発売『文藝春秋』8月号に『習近平暗殺計画』がスクープとあるので、読んでみたが新しい情報は無かった。

◆米軍「中国は仮想敵国」

平井 修一



バラク・フセイン・オバマ2世は、米国史上初の「反米」大統領だ。彼の思想形成にあたってジェレマイア・ライト牧師の影響は非常に大きかったろう。

<大統領選挙の盛り上がりとともに、かつて家族とともに20年間に亘って所属したトリニティー・ユナイテッド教会に関して、長き時を私淑したことで多大な影響を受けていると言われている牧師のジェレマイア・ライトについての論争がしばしば活況を呈した。その過程でライトの人種差別的かつ反政府的とされる様々な説教の内容が取り上げられている>(ウィキ)

ライトは激しく米国=白人優位のWASP国家を呪詛していた。オバマも似たり寄ったりだ。

世界日報7/6『再考 オバマの世界観「テロリストへの共感が欠如」』から。

<オバマ米大統領の下で、世界における米国の指導力、影響力が急激に低下している。「世界の警察官」の役割を放棄し、国際問題への関与を減らす内向き姿勢が、中国やロシア、イラン、過激派組織「イスラム国」の増長を許している。国際秩序を不安定化させるオバマ氏の対外政策の背後にある「世界観」を再考する。(ワシントン・早川俊行)

*9.11攻撃受けた米を責める

2001年9月11日に米国を襲った同時テロの8日後、「ハイドパーク・ヘラルド」というシカゴのコミュニティー紙に、当時、イリノイ州上院議員で、全国的にはまだ無名だったオバマ氏の声明が掲載された。オバマ氏はその中で、同時テロを引き起こした要因を次のように分析した。

「この悲劇の本質は、攻撃した者たちに対する共感の根本的な不在、つまり、他者の人間性や苦しみを想像・連結する能力の無さに由来する。多くの場合(テロは)貧困や無知、無力、絶望から生まれる」

全米が同時テロに対する恐怖と怒りに覆われる中、オバマ氏はテロ攻撃を受けた責任の一端は米国自身にあると断じたのである。残虐なテロで約3000人が殺害されたにもかかわらず、テロリストに対する同情の欠如が悲劇をもたらしたと論じたのである。

オバマ氏は貧困と無知がテロリストを凶行に走らせると指摘したが、同時テロの実行犯の大半は、中流階級以上の家庭で育った高学歴者であり、貧しかったわけでも無学だったわけでもない。オバマ氏はさらにこう主張した。

「いかなる米国の軍事行動も海外の罪無き市民の生命に配慮しなければならない。中東出身者に対する偏見や差別に断固反対しなければならない」

テロとの戦いにどう打ち勝つかよりも、米国の過剰反応やイスラム教徒に対する米国民の偏見が、オバマ氏にとってより大きな懸念だったのである。

オバマ氏の世界観を端的に示したといえるこの声明をどう見るべきか。保守派評論家でワシントン・タイムズ紙(平井:世界日報の姉妹紙)エディターのモニカ・クローリー氏は、こう解説する。

「世界の不義や米国に対する憎悪は自分たちの責任だという左翼主義の中心にある典型的な反米主義だ」

同時テロから7年後、オバマ氏は大統領となり、6年以上にわたって世界の舵取りを担ってきた。だが、オバマ氏の世界観は同時テロ当時と基本的に変わっていない。

それを物語るのが今年2月、ワシントン市内で開かれた「全米祈祷朝食」でのスピーチだ。1月にフランスの風刺週刊紙シャルリエブド本社が銃撃される事件が発生し、国際社会が結束してイスラム過激派に立ち向かおうとする機運が高まる中、オバマ氏はこう言い放った。

「十字軍や異端審問(異端な信仰を持つ者を処罰する裁判)で、人々はキリストの名で恐ろしい行為をした。米国でもキリストの名で奴隷制度やジム・クロウ(南部で行われた黒人隔離政策)が正当化された。我々には信仰を悪用・歪曲する罪深い傾向がある」

過去に多くの過ちを犯したキリスト教徒や米国には、イスラム過激派の残虐行為を一方的に非難する資格はないとの認識を示したのである。地方議員時代ならまだしも、自由世界のリーダーたる米国の最高権力者が、わざわざイスラム過激派と戦う道義的立場を貶(おとし)める発言をしたことに、「ばかげている」(元米国防総省高官)と多くの人を唖然とさせた。

フランスの連続テロ事件後、パリで各国首脳40人以上が参加するパレードが行われたが、そこにオバマ氏の姿はなかった。ホワイトハウスは政府要人を派遣すべきだったと後悔したが、オバマ氏と自由を守るために立ち上がった各国首脳との深刻な価値観の相違を浮き彫りにした。

オバマ氏が過去の米大統領とは大きく異なる世界観の持ち主であることは間違いない>(以上)

同紙によるとオバマは米国人には珍しい「自虐史観」で、米国は世界中で悪事を働いてきたから、米国の活動を抑えることが世界に平和をもたらすと本気で信じている。

<「オバマ米大統領の政策は自己封じ込めだ」 ドイツを代表する週刊紙ツァイトの共同発行人ヨーゼフ・ヨッフェ氏は、5月11付の米紙ウォールストリートジャーナルへの寄稿でこう断じた。

米国は第2次世界大戦後、対ソ連封じ込め政策によって「パックス・アメリカーナ」を実現し、米国と世界に大きな利益をもたらしたが、オバマ氏は国際秩序に挑戦する勢力を封じ込めるのではなく、逆に米国自身を封じ込めている、というのだ>

村山富市そっくり。オバマはリベラルというよりも反米左翼に近い。

<オバマ米大統領は1979年、故郷ハワイを離れ、リベラルアーツ・カレッジの名門校であるロサンゼルスのオクシデンタル大学に入学する。当時、オバマ氏がどのような学生だったのか、ほとんど知られていない。

だが、2010年、大学時代のオバマ氏の政治観、世界観について貴重な証言をする人物が現れた。元ウィリアムズ大学助教授のジョン・ドリュー氏だ。オバマ氏に4回会ったことがあるというドリュー氏は、こう断言する。「オバマ氏は熱烈なマルクス・レーニン主義者だった」>

当時、米西海岸は世界の若者の流行をリードしていた。ベトナム戦争による厭戦気分から「平和は大事、戦争はダメ」的な空疎なお花畑ムードがあったが、マルクス主義は米国でもまだ寿命が残っていたのだ。

オバマも一時期は(小生同様に)この「麻疹(はしか)」に夢中になったのかもしれないが、基本的にリベラル≒容共左派だから受け入れる土壌があったのだろう。米中国交回復で中共を魅力的な国と思っていたのかもしれない。

反米左翼でテロリストに寄り添うようなオバマに対して、第一線で世界の安全にあたっている米軍将兵は忸怩たる思いだろう。どうやら米軍は中共を叩く意志を固めたようだ。

国基研研究員兼企画委員・冨山泰氏の論考『中国を仮想敵国と見なした米軍事戦略」7/6から。

<米軍が中国を今や事実上の仮想敵国と見なしていることをこれほどあからさまに表明した公開文書は寡聞にして知らない。米統合参謀本部が7月1日に公表した「国家軍事戦略」は、中国など4カ国を「潜在的な敵性国家」と呼び、米国の「国家安全保障上の利益を脅かす行動をしている」と言い切った。

*「潜在的な敵性国家」

4年ぶりの「国家軍事戦略」には注目すべき点が幾つかあった。

第一に、軍事力を背景にウクライナのクリミアを併合したロシア、核・ミサイル技術の開発を進めるイランと北朝鮮に加え、南シナ海の埋め立てと軍事施設建設を強行した中国を「潜在的な敵性国家」と位置付けたことである。

公表された米政府の公文書が「ならず者国家」の代表格であるイランや北朝鮮、冷戦後の欧州秩序を壊したロシアの3カ国と中国を同列に論じるのは、初めてと見られる。

中国は南シナ海の埋め立てにより、重要なシーレーン(海上交通路)をまたいで軍事力を配置できるようになる、という米軍の懸念が表明されている。

「国家軍事戦略」はこれら4カ国を「リビジョニスト国家」とも呼んだ。国際秩序を覆すこと(リビジョン)を試み、国際規範に挑戦する国家という否定的な意味で使われている。

第二に、「国家軍事戦略」は、米国が国家間の戦争に巻き込まれる蓋然性は「低いが、増している」との判断を示した。米軍は「敵性国家」が米国や同盟国を攻撃するのを抑止し、攻撃された場合は敵に目標を達成させず、敵を徹底的に打ち負かす、と述べている。

これは、現在は北大西洋条約機構(NATO)に加盟する旧ソ連構成国のバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)や旧ソ連圏諸国(ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなど)をロシアが侵略する場合や、米国と二国間同盟関係を結ぶ日本やフィリピンを中国が攻撃する場合には、同盟国と共に戦うという米軍制服組の決意を表明したものと受け取れる。

ちなみに、旧ソ連構成国のウクライナはNATOに未加盟で、米国の同盟国とは言えない。

*日本に届くか米軍の警鐘

「国家軍事戦略」は正規軍と非正規の武装勢力が混然として攻撃に加わる「ハイブリッド(混合)紛争」の可能性にも警告している。

もともとはロシアが非正規勢力を装う武装部隊をウクライナに送った戦法を指して使われるようになった言葉だが、中国が漁民に偽装した人民解放軍兵士を尖閣諸島に上陸させるケースなどもこれに該当するだろう。

中国に対する米軍制服組の危機感を、海外への軍事的関与に消極的なオバマ政権のホワイトハウスがどこまで共有しているのかは、はっきりしない。しかし、「国家軍事戦略」が鳴らした警鐘は、少なくとも政権首脳の耳には達したであろう。

問題は太平洋を隔てた日本まで警鐘が届くかどうかである。国会で審議中の平和安全法制が憲法違反だと騒ぐ大半の野党議員には、米中の軍事的緊張の実態をいくら説明しても、理解の限度を超えているだろうか>(以上)

まあオバマはゴルフとレガシー作りで忙しいから「豚に小判」、そもそも米軍を信用していないからは聞く耳を持たないだろう。日本の野党議員も危機意識ゼロで、安倍政権+日本軍=悪の図式だから、もう小4レベルでお話にならない。議論したところで時間の無駄、さっさと採決すべし。 
                     (2015/7/11)