平井 修一
■7月4日(土)、朝は室温24度、曇り、2/3散歩。
日本の常識、他国の非常識。あるいは他国の常識、日本の非常識か。とにかく日本からすると想像を絶する国はとても多いのだろう。世界日報7/3『問題は「IBM」』から。
<エジプトに赴任して10年を超えるが、何かに出くわすたびに思わされることの中に、この国では、日本での生活に比較し、3−5倍の精力投入が必要だということだ。
先日、車の修理を頼んだら、頼みもしない塗装までやろうとして、折角入手した中古の前面の車体部分にやすりを掛けて塗装を落としていたのだ。
仕事を少しでも増やして現金を得たい気持ちはわかるが、頼みもしないことを勝手にやられてお金を取られることは不快だ。幸い、塗装前に気付いたので、早速、けんか調で交渉、もう二度と依頼しないと捨て台詞を吐き、別の会社に依頼した。
ヤフーの受信がうまくいかず、利用しているインターネット会社にその解決を依頼したときは、「すぐ原因を調べて解決します」と言いながら10日余りも、接続不良の状態が続いた。思い余って会社に出掛け、担当者と会ったが、のらりくらりと責任逃れをするだけだったことから、上司を呼ぶよう依頼、本気で怒って、放置責任を追及したところ、やっと真剣に取り組み始めて2−3日後に解決した。
一事が万事、このような調子で、けんかをしないと解決しない。
エジプト人の友人にぶちまけたところ、彼は、現在のエジプト人の問題は、「IBM」と言われているとして解説してくれた。
「I」はインシャー・アッラー(全ては神さまがなされることだから)、「B」はボクラ(あしたの意、解決をいくらでも先延ばしする)、「M」はマレーシ(ごめんなさいという意味だが、この言葉を吐かれたら、全てのことを許さねばならない、とされている)。
責任を取らない、責任の取り方がわからない、全ての責任を神に委ねてしまう思考方法が、無責任な姿勢を生んでいるのだという>(以上)
読んでいるだけでも疲れてくる。たまらないほどのストレスだ。これが例外ではなく、日常的に当たり前なのだ。駐在員なんて若い時から勤めて、心臓に毛が生えるくらいしぶとくならないと、とてもじゃないが長続きはしないだろう。神様が与えた試練、これが修行だ、と思わないとやり切れなくなる。
以下も圧倒的多数の“普通の”人類に対する神様(悪魔?)が課した試練なのか。同じく世界日報7/2「米同性婚合法化、道徳的価値の相対化を憂慮」から。
<米連邦最高裁判所が同性婚を全米で合法化する判決を下した。欧州や中南米で広がっている同性婚尊重の動き、ならびに賛成57%、反対39%といった同性婚についての世論調査結果に見られる米国民の意識の変化が影響した。だが、こうした変化は果たして健全なものだろうか。
*保守派判事4人は反対
オバマ米大統領は「ゲイやレズビアンのカップルは今や他の人と同じように結婚する権利がある。大きな一歩だ」とツイッターに投稿し、歓迎した。しかし、2016年大統領選挙の共和党候補らは判決に批判的だ。候補の一人は「重大な誤り」と断じ、同性婚禁止を可能とする合衆国憲法の修正を目指すことも辞さないとしている。
同性婚推進の背景にあるのは米欧社会における人間中心主義(ヒューマニズム)思想の広がりである。人間中心主義とは「人間より上位のものからの人間の解放、そして自主性を宣言し、人間を存在するすべての物の中心と見る思想」(ソルジェニーツィン)である。
ヒューマニズム尊重の見地から個人の価値観を絶対視し、個人が望めば相手が同性であろうと婚姻が認められるようになった。
だが注目されるのは、今回の判決が、9人の判事のうちリベラル派5人が賛成、保守派4人が強い反対意見を述べるというギリギリの判断であったことだ。米国では4年前の世論調査では賛成と反対がほぼ同数だったピューリサーチセンターの今年の調査では賛成が反対を上回った。
判決に保守派判事が反対し、さらに共和党大統領候補が批判したのは、ヒューマニズムの過度の尊重に対する危機感の表れだとみてよいだろう。
*憂慮されるのは、人間中心主義が生み出す道徳的価値の相対化である宗教性を失った社会では「自由」は法律に反しない限り何をやってもよい自由となり、何が善か悪かは個人で判断することが「平等」となる。そして万人の価値観を尊重するという「寛容さ」が重視される。
だからこそ同性婚をも容認し、認めないのは許し難い社会的差別だと断じる。米国社会で凶悪犯罪や麻薬絡みの社会的退廃が広がっている背景に、道徳的価値の相対化があることは否定できない。
*国の荒廃は家庭から
ゲイやレズビアンのカップルで果たして健全な家庭が構成できるだろうか。「修身斉家治国平天下」という。その国の荒廃は家庭から始まる。今回の判決が、米国社会をどこへ導くのか注目される>(以上)
祝福されるべき結婚式の招待状をもらった人の半数近くが苦々しく思うのなんて・・・数万年来の秩序の破壊。そのうちペットやロボットと結婚するようになるか。ソドムとゴモラ。天誅は免れないだろう。
夜は長男坊一家を迎えて子・孫揃い踏み、11人の大宴会。手作り餃子、酢豚、鶏ツクネスープ、ポテトサラダなど。昼から仕込みをしたが、結構な運動になった。
■7月5日(日)、朝は室温24度、雨、散歩不可。洗濯機2回まわし。
中共経済は「新常態」どころか「異常事態」ではないか。上海市場の株価は1年前の水準から2.5倍にも急上昇していたが、「GDPの規模からすると妥当だ」という見方もあったが、「企業業績を無視したマネーゲーム、博奕だ」という指摘もあった。今、暴落し始めたが、買い戻しがあるのかどうか。
団藤保晴氏(ネットジャーナリスト、元新聞記者)の論考「中国指導部は株式市場の無政府性を理解せず」7/5から。
<中国株式の暴落が止まらず、6月半ばからの3週間で10兆ドル規模の市場から3割の価値が失われる惨状になりました。更に2割のダウンもあり得ると観測され、成長が鈍化した実体経済に響く可能性が高まっています。
中国政府は市場を制御できると思い込み、暴落局面では報道を控えるようにとメディア規制にまで乗り出しましたが、打ち出す株価維持政策がどれも効きません
政府GDP統計の信頼性は疑われており、実体を映す指標は芳しくありません。最近の国家発展改革委の発表によると、今年1〜5月の中国の鉄道貨物輸送量実績は前年同期比9.8%も減っています。電力消費もマイナスと言われ、安定成長の軌道に入れたのか疑問だらけです。
株のために無理に資金を借りた投資家が暴落で債務不履行になると、連鎖反応が広がる恐れがあります。日本総研の「2015〜16年の中国経済見通し」は《中国でも企業の資産と債務は急速に拡大しており、2014年9月末における企業債務残高の対GDP比は151.6%と1989年末の日本の132.2%を上回っている》と指摘しています。
バブル崩壊前の日本よりも借金漬けなのです。借金を財テクに回している企業も多く、債務不履行の連鎖があれば大きな破綻を呼びます>(以上)
日本のバブル時代(1985〜1990年のたった5年間だから“時代”というより“バブル期”と言ったほうが正確か)には多くの企業が「本業なんてバカらしくてやってられない、これからは財テクだ」「稼ぐ経理部の時代だ」と狂いまくって、買った土地が「塩漬け」になった話なんてゴマンとあった。
「マンション転がし」なんていう言葉も流行ったっけ。懐かしい。
それから25年、今の中共は(供給過多、需要不足の)不況なのに14億マネーゲーム、財テク教/狂なのか。安定した職につけない経済難民が、ヤケノヤンパチで博奕にのめり込んでいる図のようだ。元手は借金(信用取引)。失敗すれば首を吊るしかない。それともギリシャみたいに借金を踏み倒すのだろうか。
軟着陸できなければクラッシュだ。“鉄板利権”の優良国有企業以外はかなり淘汰され、膨大な失業者が生まれると、社会不安、中共への不信は高まるだろう。1900年に起こった清朝末期の動乱「義和団事件/北清事変」は繰り返されるのか。
中共は暴徒を抑え込むのか、暴徒を利用して権力闘争を進めるか、それとも大政奉還するか(地方分権による連邦共和制)。
日経7/5「中国、株安歯止めへ総力 市場への集中投資を指示」から。
<【北京=大越匡洋】大手証券会社が株価の買い支えに動くなど4日決まった中国の株価対策は、週明けの市場で株価の下落に何としても歯止めをかけたい中国政府の意向を強く映している。ここ3週間で上海総合指数は3割下落した。景気が一段と冷え込むだけでなく、社会全体に動揺が広がりかねないとの危機感が、なりふり構わぬ総力戦へと政府の背中を押した。
「週明け6日午前11時までに資金を投入せよ」。中国の証券当局である証券監督管理委員会は4日、大手証券21社に対して、上場投資信託(ETF)への総額1200億元(約2兆4千億円)の投資を週明けすぐに実行に移すよう求めた。
株投資に失敗した投資家が自殺したという情報も飛び交い、社会の動揺は政府や共産党への不満に転じる恐れをはらむ。ネット上には「週明けに株価が上がっても、私の頭髪はすでに真っ白だ」といった個人投資家の恨み節も出ている>(以上)
買い支えても実体経済と乖離しているから、不安定のままだろう。経済が伸びなければ「夢」も終わるしかない。
雨上がりの11時に散歩。老犬の様子を見て2/3でお仕舞。今夜も11人の大宴会。ミックスフライなどを楽しむ。
■7月6日(月)、朝は室温24度、雨、散歩不可。梅雨の風物詩、小生の部屋は洗濯物だらけ。
在香港の弁護士・村尾龍雄氏の論考「愛国主義者の香港富豪との対話−民主主義vs非民主主義」7/3は、中共の“ルサンチマン”がうかがえて興味深かった。
<村尾:南シナ海でアメリカを敵に回してでも強硬路線を継続できる背景には「中国は西洋型民主主義をそのまま採用することはしない」という2008年の改革開放政策30周年記念時に胡錦濤総書記が明確に表明して以来、何度も党及び国家の指導者が繰り返す言葉に集約された民主主義とは異質の国家体制が存在しますよね。
愛国主義者のあなたはこの点をどう評価されているのですか?
富豪:中国は1840年のアヘン戦争以来、日本を含む西洋列強の長い支配を受け、1949年10月1日の建国以降もあなたがよくご存知の国内的混乱要因で、2000年頃まで赤貧洗うが如き生活を中国人民は強いられました。
この160年間継続する悲劇に終止符を打っただけでなく、建国100周年にあたる2049年に「中国の夢」の実現を図るためには、西洋型民主主義をそのまま導入するほうが中国にとって得なのか損なのかを考察する必要があります。
そこで、この問題の本質を理解するために、第二次世界大戦後、奇跡的な復興を遂げた日本を例に考えてみればわかりやすいと思うのです。
村尾:日本ですか?
富豪:そうです。というのも、日本は戦前、特高による言論統制や軍部の圧力に屈し、戦争へ国民を駆り立てたマスコミの存在など、あなたがたがイメージする現在の中国共産党の非民主主義体制と一致するところがあるでしょう?
なので、その後の日本が果たしてハッピーであったのか否かを観察することで、中国で西洋型民主主義をそのまま導入することが中国人民にハッピーをもたらすか否かを知る縁(よすが)とすることができるわけです。
村尾:なるほど。で、あなたの観察結果はどうでしょうか?
富豪:私の観察結果を話す前に、前提となる価値観を話しておくほうが理解の便宜に資するでしょう。
中国は1840年から現在の中国建国日である1949年10月1日まで100年余りの間、日本を含む西洋列強から植民地的支配を受けました。(当時の)世界のGDPの圧倒的No.1の王座から奴隷の如き生活へと急激な凋落を受け、その期間が100年余りに及んだのですから、中国人民の屈辱は日本人であるあなたが幾ら豊かな想像力を働かせようとも、その10分の1も知ることはできないでしょう。
人は自らが経験しない事象を思いやるには能力的限界があるからです。
中国共産党が何かにつけてその正当性を抗日戦争に勝利し、植民地的支配及び奴隷的生活からの解放に貢献したことをもって説明しますが、あれには象徴的意味があり(ます)。
本来的には1840年以来の怨念を向けるべき相手は日本だけでなく、多数の西洋列強に及ぶべきですが、全員を相手にすると却って正当性の説明が脆弱化する懸念があるので、誰にとっても最も理解がし易い直近の大敵日本を打ち負かしたことをもって、正当性の理論的根拠とする政策がとられているわけです。
だから、日本人からすれば、王座からの凋落原因であるアヘン戦争を始めたのはイギリスなのだから、日本だけではなく、イギリスも非難しろよという話になるかもしれません。
(しかし)1921年結党の共産党が(結党以前の1840年のアヘン戦争以来支配した)イギリスを非難しても人民的説得力を欠き、却って正当性の危機を招来する懸念が相対的に高くなりますから、こうしたロジックは決して持ち出さないのが得策だ、という判断になるわけです。
村尾:日本は確かに中国に蛮行を働いたかもしれませんが、カードで言えばジョーカーを最後に引き抜いたようなもので、全ての西洋列強の罪を一身に背負う形になったという訳ですね。
富豪:残念ながら、中国共産党の正当性の理論的説明に何が役に立つロジックであるかを深く考察した結果、そういう構造をとらざるを得なかったのです。
全ての西洋列強の原罪を一身に背負うことを運命付けられた日本との和解がそう簡単につかない構造的理由はここにあるのです。
中国にもあなたと同様、熱心な中日友好論者は今も昔も多数いますが、日本への過度な肩入れは中国共産党の正当性の理論的根拠を脆弱化させる懸念があるという恐怖心が党指導者の中に常にあ(ります)。
このため、保守(左派)勢力による政治的闘争手段としての「過度な中日友好論はアヘン同然だ」との主張は時代如何を問わず常に相当な威力を持つのです。
しかし、日本は第二次世界大戦後、アジアの奇跡と称される経済復興を急速に成し遂げることに成功しました。そこで、わが国の保守勢力も一方で日本には強硬姿勢をとりつつも、他方で常に尊敬の対象でもあったのです。
そこで、日本における戦後の民主主義の意義の研究は、中国的文脈でそれが有効か否かを知る意味において重要性を持つわけです。
村尾:なるほど。で、その研究結果はどうですか?
富豪:答えは聞くまでもないかもしれませんが、西洋型民主主義のそのままの導入は中国にとって百害あって一利なしとの結論になりました、云々>(以上)
結局、「日本は米国に西洋型民主主義を押し付けられ、米国の属国と化した」というのが中共の見立てというわけだ。民主主義プラス占領政策インチキ憲法で、安全保障/軍事、外交、経済を米国に依存しているから「日本は51番目の米国州」とも言える。
まあ、世界最強の国と敵対せずに、その子分のスネオになっていることは、安全保障上、得策ではあるが、見方によっては不甲斐ないし、一流の独立国家とは言えない。
だから中共は日本の轍は踏まない、と。華夷秩序、世界の中心、中華的地動説で行く、と。欧米型天動説なんてとんでもない、と。
中共による、中共のための、人民の統治こそが正義だ、と。多様な価値観なんてとんでもない、欧米に屈しないぞ、160年間の屈辱を建国100周年の2049年までに世界最大の強国になることで晴らすのだ、と。中華民族の偉大なる復興だ、と。
夢を持つのは勝手だが、そもそもそんな実力があるのかどうか。小生は甚だ疑問に思っている。
中共の製造業のうち、武器製造は純国産にこだわっており、独立した技術を持ち、侮りがたいと言われている。しかし、内実は先進国から数歩遅れているようだ。サーチナ6/16『中国の軍用機、世界の武器市場「席巻」は困難!・・・売りたくても「技術以前の問題』から。
<中国メディア「環球網」は16日、「中国の軍用機はいまだ台頭していない。世界の市場を席巻するのは難しい」と題する記事を発表した。中国は国際的武器市場の「マイナーな部分」を狙ったが、それでも売り込みには困難な面があるという
中国軍の武器類の「ルーツ」のほとんどすべては、ソ連・ロシアにあると考えてよい。供与、輸出、ライセンス生産、コピーなどで、中国は武器を得てきた。
第二次世界大戦後、世界の主要な武器供与国は米国とソ連になった。ソ連製武器を採用したのは、社会主義国か、社会主義陣営に接近する外交政策を採用した国だった。ソ連製の武器には、米国製より安価という特徴もあった。
中国が武器輸出で狙ったのは、冷戦期にソ連製の武器を採用した「マイナーな市場」だった。中国が生産する武器は、ソ連・ロシア製のコピーか、その延長線上にあるのだから「技術上の矛盾」は少なかった。
中国の武器製造企業も技術水準を向上させており、中国からの武器輸出に歯止めをかけることはできないという。ただし、中国にとっての市場は、存外に少ない。
まず、中国の政治的動向がある。たとえば南シナ海における傍若無人な動きは、多くの周辺諸国の怒りを呼んだ。その結果、以前からソ連製の武器を輸入していた国も、中国からの武器輸入を躊躇する場合がある。
ロシアも「重要な武器輸出国」を中国に奪われまいとする。そのため、中国にとっての新規顧客は、「FC−1」戦闘機の購入を考慮しているミャンマーと、中国が地盤を確保しようとしているブルガリアぐらいという。
また、戦闘機などに必要な高性能のジェットエンジン(ターボファンエンジン)は、中国は開発に努力しているものの、国際市場に出せるほどの性能は獲得していない状態だ。戦闘機などを国際市場に広く売り込むのは、「まだ先の話」ということになる>(以上)
心臓部のエンジンが思い通りに作れない・・・切磋琢磨で技術を磨く、地道な基礎研究に励む、といった「技術者魂」は、見栄と面子を重んじる拝金主義の支那の民族性とはとうてい合致しない。結局、メイドインチャイナは「ちょっと品質は落ちるけれど安いから」人気があるに過ぎない。
改革開放以来の30年でこの評価は変わらず、人民ですら「本物」を求めて海外で爆買いしている。あと30年たったところで中国産品のオソマツさは変わらないだろう。そんな国が超大国になれるものかどうか。
まあ「夢」「夢想」で終わるしかないだろう。そもそも中共自体が消滅しているのではないか。小生が先か、中共が先か。朝(あした)に瓦解を聴かば夕べに死すとも可なり、だ。
長男一家はしっかり昼食を完食してから帰った。タフだから上手くやっていくだろう。しばらくは静かな日が続きそうだ。いささか疲れた。
(2015/7/6)