2015年07月02日

◆情けなや自民党:味方を守れ

MoMotarou

<自民党は27日、安倍晋三首相に近い議員でつくる勉強会「文化芸術懇話会」で沖縄の地元紙を含む報道機関を威圧する発言などが出た問題に関連し、懇話会代表の木原稔・党青年局長を更迭し、1年の役職停止処分とすることを決めた。安全保障関連法案の審議への影響を最小限にとどめる狙いだが、野党は反発を強めている。>(朝日新聞WEB 2015/06/27)

                  ★

自民党も情けない政党だ。コレぐらいの事で党青年局長を更迭とは。言論の自由もない。結束も出来ないだろう。恐らく安倍首相の一番の「敵」は、自民党の身内だ。隅に追いやられている反安倍勢力が、国益を忘れて安倍失脚を企ているのだ。

■民主党はテレビの無駄

民主党の岡田党首や問題の辻元議員の質問などは、落ち目のテレビ・ワイドショー並みのレベルで、見るにも聞くにも耐えられたものではありません。私は岡田さんが党首だった事も忘れていました。まるでイオンで売っている韓国製の似非ビール・海苔・キムチみたいです。ご本人は売り込みたいが、置き場は常に真ん中から隅へ隅へと移動していきます。

辻元議員は「やはり野に置け蓮華草」ではありませんが、社民党にいた方が輝いておりました。今は質問時間が沢山あるので「底」が見えて来ます。こんな姐ちゃんにも我消費税から政党助成金が払われていると思うと腹がたちます。

■韓国外務大臣はカツラに違いない

沖縄の知事もそうだが来日した韓国外務大臣もそのような気がする。別にどうでも良いようなお話ですが、何か胡散臭いような雰囲気が漂ってしまうのです、最近のテレビは凄いですね。その点舛添東京都知事は正直で宜しいが、もっと「公」の勉強をして欲しいです。「私欲の塊」的照射発言が多い。オリンピックで東京が一番儲かるのです。

■韓国の軟化

近代化遺産の登録に協力してくれるそうだ。その代わり韓国の「百済歴史遺跡地区」の登録に協力せよとの事。百済は「倭国」の歴史にも関連して来るから要注意!

今回の会談は一見遺産登録の件で来日したように見えるが、実は日韓関係の打開に来たものだ。テレビはそんな哀れな姿を繕っているらしい。しかしカツラはカツラだ。安倍外交は成果を上げている。反日サヨクメディアも尻に火がつきかけている。

■チャンネル桜の議事堂前デモ反撃計画

【直言極言】「平和の敵」と全面対決へ!民主、共産、外国勢力が進める間接侵略[桜H27/6/26]  https://www.youtube.com/watch?v=vUhfr7wD6Gg 7月12日 15:00 首相官邸前よりスタート!

内閣府大臣官房広報:「自衛隊防衛問題に関する世論調査」より驚きの調査結果。日教組・男女共同参画の教育介入成果が出てきているのだ。

2015年07月01日

◆日米「希望の同盟」を未来へ

加瀬 英明
 


安倍首相が4月に、ワシントンにおけるアメリカ議会上下両院会議において、奇蹟を行った。

日米同盟関係が、久し振りにきわめて好ましい状態となった。首相の45分に及んだ演説は、満場の議員による14回にわたるスタンディング・オベイション――拍手喝采によって、中断された。

私は日米関係に40年以上携ってきたが、戦後、日本の政治家がアメリカにおいてアメリカ人の心を、これほど強くとらえたことはなかった。

安倍首相の演説は周到に言葉を選び、聴衆を魅了する巧みな演出が、施されてきた。

まず、マンスフィールド上院議員をはじめとして戦後、駐日大使をつとめた議会人を称え、「傍聴席に、私の最愛の妻昭恵が座っています。彼女が日頃、私のことをどう言っているのか、あえて聞かないことにします」というと、いつも議員は政敵や、マスコミから批判にさらされているから、爆笑に包まれた。

安倍首相が就任して以来、日本外交の基調としてきた、世界を「法の支配」のもとに置くべきだという「国際協調主義に基く積極平和主義」の理念を熱っぽく訴えたことは、いうまでもない。

ロシアと中国を名指さなかったものの、アメリカ議会はロシアが無法にウクライナに乱入し、中国が周辺諸国に傍若無人に振る舞うことによって、国際秩序を脅かしているのに対して苛立っていたから、力強い味方をえて歓迎した。

安倍首相は今日、日米両国が強固な友好関係によって結ばれているといって、また演説の途中で傍聴席を指して、「あそこに70年前に、硫黄島で23歳の海兵隊大尉として戦ったスノーデン中将と、その隣席に硫黄島の守備隊司令官として戦死した栗林大将の孫の新藤義孝議員が座っています」と、述べた。2人が立って固い握手を交すと、議員が総立ちとなって、拍手した。

首相は演説が終わりに差し掛かると、「日本は、アメリカ、そして志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦に勝利としました」と、訴えた。見事な発言だった。そういうことによって、日本は勝国のなかの一国となって、70年前の戦争がその前の過去のものとなった。

首相は「私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましよう」と呼びかけることによって、演説を締め括った。

日本ではこの演説に対して、さまざまな論評が加えられてきた。

しかし、西洋では日本とまったく異なって、演説はきわめて重要であって、日本で想像できないほど、高い地位が与えられているという視点が、欠けていた。

シェイクスピア史劇のシーザー暗殺後のアントニオの演説、リンカーンのゲティスバーグの名演説、マッカーサーの「老兵は消えゆくのみ」、ジョン・ケネディの就任演説などをあげるまでもなく、演説は芸術にまで高められている。

西洋におけるオレイション――演説の歴史は古い。日本では福沢諭吉が「スピイチ」にあてて、「演説」という言葉をつくったが、まだ、三田の慶應義塾にある演説館ほどの歴史しかない。当然といっても、歌舞伎にはそのような場面はないものだ。

演説(オレイション)には手振り、表情も含めて、デリバリー――話しかたなどの演技も、重要である。私は安倍演説に、百点満点の満点を贈りたい。

日本へ大陸から7世紀に仏教と儒教とともに論理が渡ってくると、神道と混淆したというより、神道の土台のうえに加えられた。仏教と儒教は人が文字を知ってから生まれたから、論理を用いるが、神道は文字以前の信仰であるために、私たちは今日でも心を尊んで、論争を嫌って、言挙げすることを慎む。

日本人は、寡黙だ。俳句は世界でもっとも短い詩であるが、饒舌を嫌うことから生まれたものだろう。

だが、西洋も中国も、論理によって争う社会である。日本では演説は挨拶に近いもので、壇上に立つ者はその場の空気を壊すことなく、人々のコンセンサスに合わせることが、期待されている。個人が群衆に語りかけること自体が、日本人の精神構造にとって不自然なものなのだろう。

和を重んじて言挙げしないことが、外交の枷(かせ)となっているが、海外に通用しない。

翌月、アメリカの有力新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』のピーター・フォード北京支局長が、インタビューしたいといって、たずねてきた。

戦後70周年に当たって、日本特集を行うための取材ということだった。同紙は東京支局を閉鎖している。

はじめに、「どうして中国と韓国が過去の歴史について、日本を強く非難し続けているのか」と質問された。私は「中国と韓国は日本と違って明るい未来がないから、過去にしがみつくほかない」と、答えた。

私は中国の現体制は経済と独裁体制が破綻しており、韓国は近代に入るまで、中国の属国だったが、このところ中国の興隆によって幻惑されて、先祖返りしていると述べた。

日本は日米の「希望の同盟」を、いま未来へ向けて強化することによって、平和の勝者となろう。

8月に安倍首相が戦後70周年談話を発表することに、注目が集まってきたが、4月の首相のアメリカ議会演説によって、決着がついたと思う。

首相はアメリカ議会演説で先の戦争について、「私は深い悔悟を胸に」していると述べたが、反省は相手があって行う謝罪と違って、個人として内省するものだから、国家として非を認めるようなものではない。

安倍さん、よくやって下さった!

◆民主議員政権担当時にも“報道圧力”

船津 寛



自民党の若手議員が開催した勉強会「文化芸術懇話会」における発言が、「報道機関への圧力」だとして批判されている。新聞各紙は「自民の傲慢は度し難い」(朝日)、「言論統制の危険な風潮」(毎日)などと怒りの拳を振り上げ、本紙も連日、この問題を詳しく報じているが、そのたびに4年半前の悲しい体験を思い出す。

当時、私は政治部の「与党キャップ」という立場で永田町にいた。民主党が政権の座に就き、1年ちょっとたった時期だ。

ある日、民主党の某議員から議員会館の自室に来るよう言われた。こうした場合は大抵、記事への抗議だ。重い足取りで部屋に向かったことを覚えている。

以下、密室での話なのでA議員と記す。案の定、A議員には、その日の政治面の記事が「事実と異なる」と訴えられた。詳しく話を聞くと、確かに取材が甘かったことは否めない。私は素直に謝罪した。「訂正文の掲載かな」と覚悟していたところ、A議員は意外なことを言い出した。

「書いた記者を外せ」

断っておくが、「外してほしい」ではなく「外せ」という命令口調だ。最初は「冗談」だと思った。しかし、A議員の表情が「本気」だったので、すぐさま「それは話の筋が違う」と反論した。すると、A議員は別の記者の名前を挙げて「○○はいまだに××(記者クラブ名)にいるじゃないか。あいつも外せ」と言い放った。

最近もテレビの討論番組でさわやかなお顔をお見かけするが、あのときのA議員とは別人のようで、自分が体験したことが自分でも信じられないときがある。

もちろん、「外せ」と指摘された記者は「外される」ことなく、たくさんの記事を書いた。しかし、民主党はその後も、前原誠司政調会長(当時)のことを「言うだけ番長」と書いたら、記者会見から本紙記者を排除した。別の記者は、菅直人首相(同)の記者会見で挙手しても挙手しても無視され、ついに質問の機会を与えられなかった。

これはわが社だけが標的になったわけではないが、松本龍復興担当相(同)が被災地でテレビカメラが回っているにもかかわらず、「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。書いたらもうその社は終わりだから」と報道陣を恫喝(どうかつ)したこともあった。

新聞社の社員として、広告料収入がなくなるのも厭だが、記者として取材できないことの方が、もっとつらい。ただ、民主党という政党を担当したことで、「圧力に屈しない」という新聞記者に最も大事なことを学ばせてもらったと、今ではむしろ感謝している。

民主党には最近、記事以外の私的な発信についても、記者を「名誉毀損(きそん)だ」と刑事告訴した議員がいる。新聞記者としてだけでなく、一人の人間としても「圧力に屈するな」と鍛えてくれているのだろうか。

岡田克也代表は記者会見で、自民党の若手議員の発言をつかまえて、「おごりでしょうね。自分たちに権力があると、メディアを自由に左右できるという、そういうおごりの結果の発言だと思う」と語った。私は、4年半前の民主党の「おごりっぷり」は、今の政権の比ではなかったと思っているのだが…。(産経新聞政治部次長)


            

◆国立競技場建設問題は不可解だ

前田 正晶

 
It’s all Greek to me.:

これは「チンプンカンプン」という英語の表現である。先程テレ朝で大谷昭宏がギリシャの支払い不能問題を論じてこのGreekを引用していたが、私はこれが国立競技場建設問題にも当てはまると思う。

先ずは何故政治家が多く集まって論じているのかが解らない。彼等は政治のことだってろくに解っていないのに、何で競技場や建設の技術や費用を物知り顔で討論し決定しようとするのか。

しかも、下村文科相はゼネコン2社ほどと建設費用等を話し合っているといったような報道があった。奇怪である。国立である以上国事行為の筈だから、随意契約になりかねないし総額を決めかねない行為が許されるのだろうか。(指名?)競争入札であるべきでは。

建設費、就中材料費と人件費が高騰することは以前に指摘したし、子供でも解っていたこと。今更予算を増額すると言いだしたのも奇怪だし、誰がそれを決定する権限を持っているのかも判然としないのはおかしくはないのか。政治家は幾らかでもこの件に絡んでその設立に功績があった関係者として後世に名を残そうとでも企んでいるのかと問い掛けたくなる。

コンペとやらにして採用された設計も奇怪なのは言うまでもない。ここまで煮詰まれば国費を投ずる以上幾らかでも倹約する方向に持って行くべきではないのか。これまで開催した各国で奇を衒ったかの如き主競技場を造ったからと言って、我が国が「斬新さ競争」に加わるのは愚策だ。極常識的なデザインで良くはないのか。斬新な外観の競技場で桐生君でも走らせば新記録が出るとでも言うのか。

競技場の中味即ち、フィールドとトラックと芝生、観客席を古き国立競技場より幾らかでも良いものにすればそれで十分だ。委員連中はあの競技場でサッカーやフットボールを見た経験があったのか?無しで論じているのだったら漫画だ。観客席の勾配の緩急の件は既に論じた。こういうことを承知しているのか。

森元総理が早稲田でラグビー部に在籍したことがあるようなので、何かといえば19年のラグビーW杯に間に合わせるという話が出てくる。これもおかしい。何で彼の顔を立てる事に気を遣うのか。間に合わねば他に使えそうなサッカー場や陸上競技のトラックを付けてある国体等を開催した競技場が全国各都道府県にあるではないか。国立でないと問題でも生じるのか。何方かの面子の問題か?

冗談半分だが、この際政治家もゼネコンも全て手を引いて、いっそのことJリーグを成功させ、読売ヴェルディー問題でかの渡部恒雄氏を抑えきった、混乱の極みにあったバスケットボール協会を立て直したサッカー界というか協会の大御所、川淵三郎氏に総指揮を委ねたらどうだ。森喜朗氏の大学の先輩でもあるし適任ではないかね。

  

◆暴力を肯定する“平和主義”民主党

酒井 充



衆院厚生労働委員会で労働者派遣法改正案の採決が翌日に行われるとみられていた6月11日。民主党代議士会後に若手議員同士が、こんな会話をしていた。

「あすは強行採決だ!」

「破れやすいスーツを着て来ないないといけないな!」

暴力沙汰を予見して楽しそうに話し合う2人は、国会を「ケンカ祭り」か何かと勘違いしているようだった。そして、予見は当たった。

民主党議員は12日、大挙して厚労委の委員室前に押しかけ、渡辺博道 委員長(自民)の入室を阻止しようとした。もみ合いの末に渡辺氏は入室したが、首などを負傷した。しかも民主党は事前に配置図などを記載した「作戦メモ」作成し、渡辺氏の入室阻止や審議妨害の段取りを確認していた。

渡辺氏は混乱を回避するため、この日の採決を見送ったにもかかわらず、計画的な暴力による審議妨害だけが実行された。気に入らないから暴力で阻止する姿勢は議会人の風上にも置けない。実に恐ろしい発想だ。

厚労委の民主党議員は質疑が始まっても着席せず、壁際に立ってやじを飛ばし続けた。民主党の質問時間になっても質問せず、傍聴席に向かって政府批判の演説をぶつ議員もいた。民主党議員が質問しないので、安倍晋三首相は約1時間、ルールも礼節もない無法地帯で着席したまま無為に時間を過ごした。

民主党は少なくとも暴力行為は謝罪するかと思いきや、反応は全く逆だった。

首相は17日の党首討論で、岡田克也代表に対し、「委員長の入室を暴 力を使って阻止した。議論を抹殺するもので極めて恥ずかしい行為だ」と批判した。すると岡田氏は「強行採決をしないと約束するか。それをせずこちらだけ責められても困る」と開き直った。

強行採決は国会で珍しくなく、民主党政権も積極的に多用した。鳩山由紀夫政権時代の平成22年3〜5月、約3カ月間に10回も行った。「民 主党の強行採決は正しいが、自民党の強行採決は正しくない」という発想は、常識人の理屈とはいえない。見事なブーメランである。

首相に党首討論で計5回、見解をただされても回答を拒んだ岡田氏は 24日のBSフジ番組で、さらに開き直った。首相の指摘に「全くおかしい」と反論し、厚労委の民主党理事が謝罪したと強調。

与党の強権的な国 会運営が問題だとした上で「そういうやり方に反省の弁を述べるかどうか だ」と語り、首相や与党の謝罪が先にあるべきだとの考えを示した。

与党が強権的だとしても、それと暴力行為を同等にみている時点で理解に苦しむが、岡田氏の理屈は不思議な方向へと進んだ。番組の司会者は暴力行為に対する代表としての見解を繰り返し尋ねた。

的を射た質問だった にもかかわらず、岡田氏は「一方だけ取り上げて『代表はどう思うか』と 聞くのはフェアではない」と反発した。安倍政権が「表現の自由」を奪っ ていると盛んに批判している割には、自分の足下は見えていないようだ。

さらに不可解なのは、安全保障関連法案を「戦争に巻き込まれる」などと糾弾するメディアが、民主党の暴力を無視したことだ。朝日新聞と東京新聞は騒動の翌日の13日付朝刊で、渡辺氏の負傷に一切触れなかった。両紙は12日に行われた山崎拓氏ら自民党OBによる安保関連法案反対の記者会見については、1面を含め大々的に報じた。

安保関連法案の賛否以前の問題として、暴力で議論を封殺しようとした民主党の行為は間違いなく民主主義の根底を覆す横暴なのに、ふだん「表現の自由」を声高に叫ぶ「平和を望むメディア」は目をつむった。

先の大戦を振り返り「平和主義者が戦争を起こす」という趣旨の教訓を唱えたのは、ノーベル文学賞受賞者でもあるチャーチル元英首相だった。アイロニーと示唆に富んだこの言葉は、今の民主党や一部メディアには全く響いていない。
産経ニュース【安倍政権考】2015.6.30

◆驚かされた地元「安満遺跡」

渡邉征一郎(評論家)


地元住民として町内に弥生時代の「安満遺跡」があるということは、漠然と承知していました。
                
つまり、承知していた「安満遺跡」とは 大阪府高槻市八丁畷町(旧京大農場跡地)にあり、面積は、22.4ヘクタールだとういう程度のものでした。

一度はこの地元遺跡現場をこの目で見てみたいと思っていたのですが、幸いなことに数日前、「安満遺跡」発掘調査説明会が行われことを知りました。

絶好な機会に巡りあったと思い、近所の知人を誘って、「安満遺跡」発掘調査説明会に出掛けたのです。

現場に行ってみたら、「安満遺跡」は、弥生時代初期(2500年前)から後期(約700年間)の遺跡で、数層に重なっており、また住居跡、水田、畑、墓も整っている遺跡がここだけと知りました。まず驚かされました。

弥生時代の稲作は、推定揚子江流域から北九州(板付遺跡)、山口を経由し高槻まで、ほとんど間を置かずに直接伝わったそうです。説明会で初めて知りました。

やはり遺跡の範囲は、22.4ヘクタール(旧京大農場跡地)と、確かめることが出来、安心しました。

しかしこれには訳があり、昭和2年京大農場の開設時に、「安満遺跡」を発見し、その時「調査範囲が上記遺跡範囲」と限られていたというのです。

ところが、高槻東部を流れる桧尾川の扇状地に沿って、水田が開墾されていることから、八丁畷町にとどまらず、高槻市の多くの場所にも、更なる「遺跡」の広がりがあるということでした。(調査に携わった学芸委員もその可能性は否定できない、と言っていました。)

説明会は、6月27日、6月28日の2日間、行われましたが、延べ3000人以上の人が参加され、府外からの参加者もあり、大盛況でした。

筆者は心が弾んで初日の説明会出向きましたが、遺跡現場をみながら説明を聴くと、弥生時代初期(2500年前)から後期(約700年間)に、数層に重なり、また住居跡、水田、畑、墓も整っている遺跡がここだけと知り得た上に、弥生時代の住民たちの生き様が脳裏を走りだし、胸に「夢」が広がりました。

遺跡の説明会に参加することは、「古代日本」の素晴らしさを感じることであり、皆さんに是非、「遺跡現場訪問」をお勧めします。

ところで、現地は平成31年に完成予定の{(仮称)安満(あま)遺跡公園}として整備され、一般に公開される予定です。どうぞお越し下さい。(終)



2015年06月30日

◆ホームページやブログの永久保存問題

上西 俊雄



[はじめに]

國語問題協議會の理事會で、國語を役所が差配するやうになってから、國語は常に最適化をもとめて進化するのが當然だとする風潮が世を覆ひ、ニンとメイの區別がなくなり、漢語と和語のつかひわけがなくなり、公人をもサンづけにすることが行はれるやうになったことを慨嘆したところ、さう憤ってゐては胃を壞しますよと注意されたのは4月10日であった。


實はその日はもう飮み食ひする力はほとんどなかった。日本言語政策學會のある部會で話をしたのが4月18日。この日は何時嘔吐するかが氣がかりで何も飮み食ひせずに出かけた。小人數だったので小聲で大丈夫だった。


翌19日は日曜日。苦しくて救急病院をさがし電話で相談すると何も飮み食ひせずに月曜日に來るやうにとのこと。


大學病院なので紹介状を書いてもらってでかけたところ、最初から説明しなければならず、苦痛を訴へたけれど、症状は何時からかと細かく訊かれてもはっきり答へることができず、お藥手帳といふのも知らなかったので癡呆老人とうけとられてしまった可能性がある。


再診日が4月27午後、上部内視鏡檢査が5月9日、下部内視鏡檢査が6月11日となった。


4月27日、午後までまてないと大學病院をキャンセル。最寄りの病院にいったところ直ちに入院、それから胃の全摘手術になるまでは、まるですべてが青信號の道を行くが如しであった。

連休明けの5月7日にはセカンドオピニオンのための資料も整ひ、その返事をまって5月19日に手術。結果的には非常に幸運であった。


入院してみて、漢語が忌避されてゐることをあらためて痛感した。麻醉藥といはず、うとうとする藥といふ類である。


何か手續きのことを説明するといふ。丁寧に聽くことにしたところ、聽き取れない語があったので聞き返した。今から考へると御入院といったのではなかったかと思ふのだけれど入院一般の説明であるから御のつくところではない。しかし、すらすらと説明してゐた流れを斷ってしまったので、説明する側としては困ったらしい。


NHKは五代目小さんさんなどといふのだから病院での敬語がめちゃくちゃなのは仕方がないけれど、敬語はつかはないよりつかった方がよいのだとするのを、さうではないと説明するのは難しい。


結局2ヶ月程入院。「頂門の一針」を讀むのが毎日の始まりであった。


體力がないといろいろのことに頭が囘らない。憲法改正や集團自衞權の議論など、膏藥と理屈はつけたいところにつくといふことをまざまざとみせつけらる思ひであった。憲法の解釋を論じるには條文としての憲法を外からみる契機が必要。戰後教育で育った憲法學者などはまづ失格者ではないかと思ふだけであった。


戰後教育ではすべては智識の問題になる。戰前ではまづ言葉遣の問題であった。たとへば、大正天皇實録の報道の場合、皇室敬語の響きをなぜその通りに傳へないのか。敬語をつかふべきところでただしくつかふ。さういふことが日本人を日本人たらしめたと思ふのだ。


胃の全摘を受け退院して1週間。食事の攝り方がまだ安定せず、一度高熱を發し、レントゲン撮影と點滴を受けたりした。


餘命いくばくとの聞いても對して驚かなかったのは、「頂門の一針」で思ひの丈を書いて來たといふことがあったからである。もっとも、「頂門の一針」がいつまでもつのかといふことは氣になってはゐた。主宰者は年長。休刊がつづくのがたまらなかった。


もし主宰者に萬一のことがあればどうなるのか。この問題については2871號(25.2.7)の反響欄で故眞道重明先生の主張をURLで紹介したことがある。眞道先生が鬼籍に入られたのは24年の暮。サイトはまだ生きてはゐるけれど、眞道先生の願ってゐたやうな制度がうまれたのかどうか。


もし制度ができてゐるのなら、「頂門の一針」も保存の對象になってゐるとは思ふ。


國土地理院の方式(平成十六年十一月十一日施行)を定めた菱山論文
http://www.gsi.go.jp/REPORT/JIHO/vol108/8.pdf#search='地名のローマ
字表記 國土地理院'

には參考資料として海津氏のサイト「ローマ字相談室」が擧げてあるので、これも保存の對象になるのではないかと思ふ。


獨逸からローマ字の國際規格を見直すべしといふ提案がでて檢討し直すことが決まって第1囘目の國際會議が流れて2年。もし再開となればTC46委員會の國内委員會で我國の方針を決めなければならないことになるであらうが、その場合は擴張ヘボン式も議論の對象になるかどうかを當局に問合せてみたところ、その可能性はほとんどなく、結局ヘボン式と訓令式とのいづれを選ぶのかの問題といふことになるのではないかとの返事であった。


アーネスト・サトウの先驅例なら日本アジア協會紀要第7卷所載。英國の科學雜誌 Nature 1879年8月21日號の雜報欄には


The new part of the [Transactions] of the Asiatic Society ofJapan, contains much interesting matter; the most important paper,however, is one on the the transliteration of the Japanesesyllabary, by Ernest M. Satow, of H. M.'s Legation at Yedo, whohas industriously applied himself to the study of the language forthe past eighteen years, and is one of the greatest authorities onthe subject.


とあるのだから、俎上に載る資格は十分にあると思ふものだ。


以上、前置きが長くなったけれど、掲題の文章を眞道先生のサイトから入力してみた。假名遣や字體、年號のことは好みに從った。入力ミスと思はれるところを訂正した箇所、助詞を補った箇所各一箇所。


[眞道先生のサイトから]


世界中には膨大な數のホームページやブログgが存在する。それらの開設者の中には何らかの理由で、本人の意に反して、閉鎖せざるを得なくなり、續けられなくなる場合が起こり得る。開設した以上多くの閲覽者に讀んで貰ひたい。どうすれば良いのだらうか? 2010/02/18


ホームページやブログを開設している團體や個人は、その開設の目的の如何を問はず、多くの閲覽者に讀んで貰ひたいと思ってゐる。同時にその内容が「有意義か否か」は別として、取り分け個人の場合はその人の「存在を後世迄殘したい」と云ふ意圖を持ってゐるのが普通であらう。良く當世流行りの自費出版で自叙傳を出版する人が在るが、その意圖の現れである。


他人の家を訪問した際、その家族の分厚い寫眞アルバムを見せられることがあるが、特別な事情がある場合は別として、何の係はりもない人々の寫眞なぞ面白くも何ともない。自費出版の自叙傳(自分史)もこれと同じで、わざわざ寄贈されて來ても、謝辭の手紙は出すが、興味がなければ一瞥したきり直ちに書棚の隅に放り込むなら未だしも、中には屑籠にポイと捨てられる運命にある。


友人の一人はパソコンに書いたものをCDに燒いて「讀んで呉れさうな友人に送る心算だ」と云ってゐたが、實行する前に他界して了った。現在に技術ではCDに燒いたものは十年ぐらいで燒き直さないと消えるそうだ。
ホームページなども編集し直してCDにして呉れる處もあるらしいが、結局は册子の自分史と基本的には同じ運命にあるらしい。

首記の問題に關連のあるサイトの檢索をしてゐたら、私の問題と同じことを取り上げて論じた「夢工房」氏の文章に出會った。内容は次の通りである。


<日本のすべての本は國立國會圖書館に納める事になってゐるらしいのですが、ホームページの扱ひはどうなってゐるのでせう。日々更新してゐるホームページを保管するとなると大變ですが、何とかして永久保存をしてもらへないかなと思ってゐるこの頃です。といふのはもし交通事故かなにかで急死した場合、プロバイダーに入金されなくなってホームページが消されてしまふと、もう私のホームページは誰も見る事が出來なくなってしまふからです。


内容はともかくこの世に生きた證として、ホームページの永久保存をしてくれるところを公共又はボランティアの手で作ってもらへないかしら。メモリアルページとして遺族や友人が見る事ができるし、百年後や二百年後には古文書としての價値が出てくると思ふのです。


各市町村からオンラインで死亡者のリストを入手して、プロバイダーが永久保存用の專用機關にその人のホームページを移すといふサービスはできないでせうか。あと30年もするとさういふ要望がぐっと増える氣がします。今のうちから考へてもいいのではないでせうか。江戸時代の平凡な日記が今では貴重な資料となってゐる事を考へると、平凡なホームページも後々文化財としての價値になりうる思ひます。

ホームページの「永久保存を代行するサービス」を行ってゐる處などもあるやうだが、其處が倒産すれば同じく Web の上から消えるだらう。國家が崩壞しない限り、國立國會圖書館などの組織は先づ存續するだらうからこの目的のためには最も相應しいものと思はれる。>


知人の Wilhelm さんはドイツのボン大學出身で同校で學位を取り來日してゐた。彼の專攻分野は「民族の民俗研究」で、資料收集には各國のホームページやブログの永久保存を主張して居た。數囘個人的面談をしたが、「日本の研究者はデジタル情報管理が遲れてゐる」、「ブログ日誌などで一見何でもない内容、例へば『今朝の朝食は漫畫喫茶でワッフルと珈琲で濟ました』と云った記事は一見餘り價値はないと思はれ勝ちだが、「實は民俗學の研究上では多いに役立つ」と主張してゐた。


情報技術の急速な發展によって、サーバーの容量はメガバイト、ギガバイト、テラバイト、ペタバイト、エクサバイト,更にはエクタバイト、ゼタバイト
(1.,000,000,000,000,000,000,000,000,)と天文學的に巨大化するだらう。近い將來には、素人考へだが、サーバーの容量問題は無くなるのでは無いか?


國立國會圖書館では「近代デジタルライブラリー」と稱して「インターネット上の情報を文化資産として保存することを目的とする WARP (インターネット情報選擇的蓄積事業)など、樣々な電子圖書館コンテンツが既に公開されてゐる)。


一國の情報資源の網羅的收集を役割とする國立圖書館として、國立國會圖書館がインターネット上で流通するネットワーク系電子情報をも網羅的に收集して保存することが檢討されてゐる。國立國會圖書館の納本制度の運用について調査と審議を行う諮問機關である納本制度審議會は、平成16年(2004年)に行ったネットワーク系電子出版物の收集に關する答申において、インターネット情報の收集と保存、提供を制度化するよう勸告がなされてゐる。、


過激なポルノや犯罪に該當する記事の除外、版權の問題など多少は面倒なのかも知れないが、超黨派的にこの問題を前進出來ないものだらうか?

切望している人々は私だけではなく大勢存在すると思ふのだが・・・。

[注記]

手續きの説明を受けてゐる途中で質問したので相手が困ったらしいと書いたのは言語學の比嘉正範先生の話が頭にあったからである。メキシコのことだったのか正確には覺えてゐないけれど、ガイドが立板に水の如く英語でペラペラと説明するのを遮って質問を挟むと、また説明を頭から繰り返したといふ。丸暗記の場合はかうなる。

◆集団的自衛権反対を歓迎する中国国防

野口 裕之



衆議院平和安全法制特別委員会で行われた安全保障関連法案の参考人質疑(22日)で聴取された一部有識者の意見を注意深く聴いたが、日本語で話していた。

「権利はあるが、行使はできない」という安倍晋三政権以前の、難解かつ珍妙な日本語の政府見解を理解できており、日本人なのだろうが、心を傾ける国家が日本とはかぎらぬ。

民主/維新/共産の野党3党が招いた元内閣法制局長官は「集団的自衛権の行使容認は限定的と称するものも含め、従来の政府見解とは相いれない」と主張した。

憲法はじめ安全保障など、戦後続く基本的枠組みを支持するこの立ち位置は期せずして?中国にピッタリと寄り添う形となった。中国は5月に発表した国防白書《中国の軍事戦略》の中で、こう記して安倍政権を非難した。

■戦略的好機が到来

《日本は戦後体制(レジーム)脱却を目指し軍事・安全保障政策の大幅な調整・変更を進め、地域の諸国家に重大な懸念を誘発/中国が主権を有する領土と海洋権益に対し、日本は挑発行動を採り、違法に中国島嶼を占領し、軍事プレゼンスを強化している》

要は、集団的自衛権の限定的行使を可能にする安全保障関連法案の審議を止めさせ、沖縄県石垣市の尖閣諸島を中国領に取り込みたいのだ。《地域の諸国家》などと複数形を装うが《重大な懸念を誘発》されたのは中国と、」稀少な中国のお仲間国家だけ。

世界中のどの国も「権利があり、行使もできる」集団的自衛権を、日本もフツーにできるようにする歩みに過ぎぬのだからむべなるかな。限定的とはいえ、集団的自衛権確立で米国や豪州との同盟が強化され、尖閣諸島占領を含む東シナ海や南シナ海の覇権が達成できなくなる事態を嫌っての、言い掛かりと言い換えてもよい。

《重大な懸念を誘発》されたのは中国とお仲間国家だけとしても、個人のお仲間は日本国内に終戦直後よりいる。前述の元内閣法制局長官や、元長官を推薦した左翼政治家がまさに個人のお仲間に当たる。

「中国に呼応してはいない」などと開き直られそうだが、中国は《軍事戦略》の中でお仲間に感謝した。

《全般的に好ましい外部環境が形成され、中国の発展にとり戦略的好機が到来した。その隙に多くの課題を達成できる》

実のところ文脈から観てこの一節は、バラク・オバマ大統領(53)率いる米国に向けられている。“関与政策”と形容するにしても、あまりに腰の引けた対中安全保障戦略を大歓迎して発せられた、中国の国防白書にしては極めて珍しいホンネ。

ただ中国は、はるか以前より日本国内のお仲間の、有り難い協力にほくそ笑んできており、オバマ大統領に向けた前述の一節は次の如く深読みして差し支えあるまい。

《日本でもこれまで通り、全般的に好ましい環境が形成され、中国の発展にとり戦略的好機は変わらない。隙だらけの日本のお仲間と心を通わせ課題を達成できる》

■米軍介入前に尖閣侵攻

集団的自衛権の限定的行使に反対する日本人は無意識?だとしても、明らかに利敵行為を犯している。《中国の軍事戦略》の発表わずか半月前《米国防総省の年次報告書》が公表されたが、両資料を併読してみるがよい。

《年次報告書》を総合すると、中国は米軍との本格的紛争を望まず、直接的衝突を回避。それ故、作戦地域を限定・特化し、米軍介入以前に勝利する短期戦を追求する-と考えられる。

限定・特化した作戦地域には尖閣諸島が入る。無人の小島群・尖閣諸島は個別的自衛権の対象で、わが国独力で守らねば恥ずかしいが、米国との集団的自衛権が限定的ながら確立されていれば、抑止力強化につながり、中国もやすやすとは侵略できない。

中国が日本に「軍国主義復活」のレッテルを貼り、日本が集団的自衛権を行使できるフツーの国になることを阻止したい理由がここにある。

特別委で意見聴取された憲法学者も、安保関連法案を「戦争法案」と断じたが「軍国主義復活」と同様、表現が粗雑な分、一般庶民には分かりやすく、心に刻まれる。

ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(1889〜1945年)や中国の初代国家主席・毛沢東(1893〜1976年)ら、自由や民主主義とは最も遠い指導者が得意とした手法だ。

だが、独裁者(国家)が強調する言葉に意味などない。《中国の軍事戦略》にも《平和》《和平》という、およそ中国とは似つかわしくない言葉がウンザリするほど登場する。いわく-

《覇権主義と力の政治に反対し、勢力拡大を追い求めない。中国軍は世界平和を維持する信頼される軍であり続ける》

《中国の平和的発展は全世界に好機をもたらせる》

■「日本の夏」に軍事行動

南シナ海で軍事侵攻を含む島嶼占領を繰り返し、人工島さえ造って軍事基地網を拡大。東シナ海では日本領海に度々侵入する蛮行を、中国はいかに説明するのか。《米国防総省の年次報告書》でも《中国のいう平和はウソ》と指摘していたが、日本は近代以降今日に至るまで、国際スケールを描く中国のウソで、度々危機に陥れられた。

しかし、中国が発信する“平和”を国外の危険因子だとするのなら、国内で生産される「平和」もまた、危うさをはらむ。沖縄戦で大日本帝國陸海軍の組織的戦闘が終わった6月23日を起点に、広島・長崎への原爆投下を挟み8月15日の終戦記念日まで、日本はお盆とも重なって「平和への祈り」一色になる。平和は尊い。御国のために散った方々に感謝し、思いもはせなければならぬ。ただ小欄は、中国が対日軍事行動を起こすとすれば、平和を観念的にとらえるだけで思考停止する「日本の夏」か正月だと観測する。

「平和憲法・専守防衛」を叫べば侵略されないと信じる日本人は、“平和”を公言する中国人に似る。心の中が凶暴か否かの違いはあるが、どちらも実体を伴わぬエセ平和なのだ。

ところで、沖縄県の翁長雄志知事(64)は23日、沖縄全戦没者追悼式で「平和宣言」の場を利用して、米軍基地反対の政治演説をぶった。知事は、中国に都合よい人物に授与される中国版ノーベル賞・孔子「平和」賞の有力候補になるかもしれない。

(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS

産経ニュース【野口裕之の軍事情勢】2015.6.
(採録:松本市 久保田 康文)

◆集団的自衛権に学界が反対する理由

櫻井よしこ



6月4日、衆議院憲法審査会で自民党推薦の参考人、長谷部恭男・早稲田大学教授が政府の集団的自衛権の行使や平和安全保障関連法案は憲法違反だと意見陳述した。
 
小野寺五典元防衛大臣は「言論テレビ」の番組で、「与党推薦の参考人が与党案を真っ向から憲法違反だと断罪する前代未聞の事件によって、安保法制の論議は安倍首相が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした1年前の振り出しに戻りました」と嘆いた。
 
日本大学教授の百地章氏は長谷部氏の、「集団的自衛権の行使は憲法違反である。なぜなら、従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないから」という主張は、論理的におかしいと批判した。

「長谷部氏が違憲と断ずるからには集団的自衛権の行使が憲法の枠を超えているということを説明しなければなりません。たとえ従来の政府見解の枠を超えた解釈であっても、憲法の条文の枠内であれば、憲法違反にはならないからです」。
 
そもそも国連は国連憲章第51条によって国連加盟の全ての国に集団的自衛権を認めている。百地氏が語った。

「サンフランシスコ平和条約第5条Cも、無条件でわが国に集団的自衛権を認めています。国際法上、日本国が集団的自衛権を行使できないという解釈が生まれる余地は全くないのです」
 
加えて、日本国憲法第9条の1項にも2項にも集団的自衛権を禁ずる文言はない。国際法も国内法規もわが国に集団的自衛権の行使を禁じる条項はないことを確認した上で、砂川判決を見てみよう。最高裁判所は1959年12月16日、砂川判決によって日本に集団的自衛権を認めた。

「同事件は米駐留軍と旧安保条約の合憲性を問うものでしたが、判決はわが国が主権国として持つ固有の自衛権を何ら否定していないとしています」と、百地氏は指摘する。
 
旧安保条約はその前文で、サンフランシスコ平和条約も国連憲章も日本国および全ての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているとして、「これらの権利の行使として、日本国は暫定措置として米国がその軍隊を維持するこ
とを希望」した旨を明記している。

「つまり、旧安保条約で日本国政府は集団的自衛権の行使を認め、国会もこれを承認した。砂川判決は当然、この認識に立つわけですから、同判決のいう『自 衛権』が個別的そして集団的自衛権を含むのは当然なのです」
 
百地氏の主張は合理的で、筋が通っている。それにしても日本の憲法学者の多くはなぜ右の解釈の対極に立ち、憲法を否定的に解釈するのか。私はそこに戦後 憲法学界に君臨した宮澤俊義氏の影を見る。
 
宮澤氏は26歳で東京帝国大学の助教授に就任した俊英である。59年の定年まで東京大学法学部の憲法講座を担当し、戦後の憲法学界に決定的な影響を与えた。

詳しくは西 修氏の『憲法改正の論点』(文春新書)を参照していただければと思う が、宮澤氏はもともと、「大日本帝国憲法は民主主義を否定してはいない。ポツダム宣 言を受諾しても、基本的に齟齬はない。法令的に改めるだけで十分」だと考えてい た。

連合国軍総司令部(GHQ)の現行憲法に関しては、日本人が「自発的に」作った わけではない、「自己欺瞞にすぎない」とまで批判した。
 
にもかかわらず、その後、GHQ作成の憲法を全面的に受け入れ、護憲論を奉じ、憲法学の権威となった。GHQの圧力の前で、宮澤氏GHQの意向を受け 入れた結果、氏は憲法学の泰斗となり得たのではないだろうか。
 
氏の弟子たちは当然、氏の学説を踏襲しなければポストを得られない。かくして日本の憲法学界は現在に至るまで、日本の自立を望まないGHQの精神を体現 し、集団的自衛権行使は憲法違反だなどと主張するのではないか。

『週刊ダイヤモンド』 2015年6月27日号 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1089
(採録:松本市 久保田 康文)

◆習王は改革せず、消えるのみか

平井 修一



何清漣女史の論考5/18『王岐山−F・フクヤマ会見/「歴史の終焉」は書き直すべきでしょう』から。

<最近、王岐山(習近平の反腐敗・中央規律委の実際の指揮官/経済官僚、元北京市長)が「歴史の終焉」の著者、フランシス・フクヤマと会見しました。何のためにということは様々な意見がでています。じっくり読んでみましたが、ふたつの側面からそこに含まれる意味は注目に価すると思いました。

ひとつは王がはっきりと「中共政府は西側の予想するような民主主義の方向には進まない」と表明したことです。

ふたつ目は、フクヤマはひょっとするとこのプロ同士の対談から、自己の著書「歴史の終焉」にふたたび修正を重ねるかもしれないな、ということです。(平井:冷戦終結で対立の時代は終わったというお花畑論。現実は“文明の衝突”になった)

*王岐山はきっぱり何を伝えたのか?

1;中国的特色の「政治」の理念。王は「政治は中国の解釈では文字通り『大衆を管理すること』であるということを理解すべきだ。

2;一党独裁(専制)は変えることはできない。共産党は法の上にあるというのが大原則。

王は「我々の信念は実践のなかから得られたものでありこれからもそうだ」と答えました。フクヤマの出した中国が法治と司法独立についての問題には、王は「実行できない、不可能だ。司法は必ず党の指導の下でおこなわれねばならず、それが中国的特色である」と断言した。

3;「中国は西側から学ばない」とはっきり言いました。

*中国経済は“鉄の時代”に

1;前途が崩壊でなくても、中共は改革が危機を解消できるとは考えていない。王岐山はかつておおいにトックビルの「旧制度と大革命」を推奨していました。でもやがて判明したのは実は彼の惚れ込んだのは“トックビルの定理”の「悪い政権にとって最も危険なのは最も邪悪なときではなく、それを改革しようとするときだ」というところでした。

中共の現在の危機感だと、おそらく政治体制改革を行うことこそ危険そのものである、と認識しています。

もし改革を行わなくても選択肢はふたつで、ひとつは中共が反抗にであい自ら政権を“大政奉還”する道で、歴史上共産党が自分から政権を差し出したのは二つの状況のもとでだけです。

それはひとつは、東ドイツ、ルーマニア、ソ連のような鎮圧未遂型。二つ目は自らすすんで協力したポーランド、チェコ、ハンガリー型です。

(それ以外には)革命を通じて政権を転覆させることですが、これには反対派が十分な力量を蓄積していなければなりません。

2;たとえ中共統治が継続しようとしまいと、(高度成長)経済がもたらした「良き日々」は終わりました。胡温時代の「黄金の10年」はすでに終わりを告げ数年間もがいた挙句、ついに「鉄の時代」に突入しました。

中共統治が続こうが、将来民主政府ができようが、どのみち経済を盛んにして、何億もの失業人口に仕事を与え、2、3億人もの老齢人口を養い、資源生態環境を改善しなければなりません。

それには莫大な金が必要ですが、中国国内の資産は流出(資本逃避)し、中共政治の時期には儲かれば流入、損とみれば逃避と流入出を繰り返しましたが、中共政権がもし終わりを告げても、中国はさらに政権交代期の不可避的な動揺によってさびれる時期を迎えますから、こうした資本が短期内に流入するようなことはありますまい。

3;中共が1949年に「人民を解放」し、1978年以後「生産力を解放し、先に豊かになった者があとのものを豊かにする」にしても、どちらも食うや食わずの貧困ライン以下の人口が6割以上を占めるという底辺人口の多すぎる膨大な階層構造を変えることはできませんでした。

ですから、毛時代から今も実質的には続いている中国における「人の頭をぶった切る」(敵とみなした人間に容赦ない弾圧を加える)ような強権政治の中で、(政府に救済を求めたが結局は射殺された)徐純合の事件によって引き起こされた運命共同感によってわきあがった世論の力というのはすでになかなか“見もの”でした。

もし幸いにして中国が民主化されるようなことになったならば、この膨大な階層が今度は「頭をぶった切る」のではなく、「頭数」による政治におけるエネルギーの中心をしめるでしょう。

(しかし)中国には一部の人々があこがれる米国型の民主主義はやってこないでしょう。米国型民主主義の粗悪品版であるベネズエラやブラジル型の民主主義が中国の未来の民主の姉妹編となることでしょう。

ですから、みなさん民主主義への期待値を修正したほうが、ひょっとすると比較的現実的かもしれません>(以上)

支那は有史以来、自由民主主義(多数決だが、反対派の意見にも配慮するという仕組み)の経験がゼロだ。

米国の自由民主主義は「血を流さない内乱」で、4年ごとの大統領選挙は「大乱」、2年ごとに議員選挙は「小乱」のようだ。大統領選挙は夏季五輪の年と重なり、次回は2016年秋に決着するが、すでにジャブの応酬が始まっており、延々2年におよぶ長丁場が戦われる。

二大政党と支持者が全力で2年間、意見を戦わせ、集金を競い、集会を開き、敵意と憎悪を丸出しにし、罵倒し、呪い、そして決着に至り、新大統領が決まる。

勝っても敗けても国民は疲れ果てるから、ガス抜きになる。敗けた方は「良き敗者」として勝者に拍手を送り、ノーサイドだ。62万人が戦没死した南北戦争の悲惨さが、この大統領選という(日本人から見れば)ややこしい「血を流さない内乱」を強固なものにしたのだろう。

国民の民度がそれなりに高く、ある程度の経験を積んでいないと自由民主主義は使いこなせない。高2レベル以上向きだ。日本は中2レベルが多いから使いこなせずに投票率は低い。

支那は今は小4レベルだ。先生の言うことをクチパクしているだけ。小4向きの自由民主主義モドキから始めるのが現実的なのだろう。
(2015/6/29)

2015年06月29日

◆「異様な反日」韓国の強迫観念

古森 義久



韓国が日本への軟化をみせ始めた。この動きは明らかに米国の対韓姿勢の変化を大きな要因としている。オバマ政権内外で韓国の反日ぶりをあまりに理不尽とする認識が広がってきたのだ。その有力な例証の一つは韓国官民の反日傾向を病理的な「強迫観念(オブセッション)」とまで分析した米国人学者の最近の論文である。

ワシントンのアジア政策関係者たちがいま注視するこの論文は「なぜ韓国はここまで日本に妄念を抱くのか」とのタイトルで、東アジアの政治や歴史を専門とするロバート・ケリー氏により書かれた。

「ディプロマッ ト」というアジア外交問題雑誌に今月載り、米国側専門家のネット論壇で もすぐに紹介されて、一気に熱い反響を生んだ。

米国オハイオ州立大学で政治学の博士号を得たケリー氏は現在は韓国の釜山国立大学准教授を務める。

ケリー氏は同論文で近年の韓国暮らしの体験からまず「韓国で少しでも生活すれば、韓国全体が日本に対し異様なほど否定的な執着を抱いていることが誰の目にも明白となる」と書き出し、

「異様な反日」の実例として 韓国の子供たちの旧日本兵狙撃遊びから日本軍国主義復活論や米国内での 慰安婦像建設ロビー工作までを指摘する。

そのうえで同氏はこれほどの官民一体の日本たたきは70年前までの歴史だけが原因だとは思えないとして以下の骨子の説明と分析を述べていた。

「韓国の反日は単なる感情や政治を超えて、民族や国家のアイデンティティー(自己認識)の自分中心の探求に近い」

「だが民族の純粋性を強調することでは北朝鮮には劣ってしまい、国家の民主主義を強調するには人的コネや汚職が多すぎる」

「だから日本を悪と位置づけ、たたき続けることが韓国の民族の純粋性のレジティマシー(正当性)誇示の絶好の方法となる」

「韓国の国家や民族の正当性の主張は韓国の存在自体を否定する北朝鮮に向けられるべきなのに、日本たたきを代替の安易な解決法としているのだ」

日本の政治家や学者が同じことを述べたら大変な事態となるだろう。だが米国側でのいまの議論ではこうした分析への賛同が明らかに増えてい る。

ケリー氏自身がこの5月には「日本の『韓国疲れ』がついに米国でも 広まり始めた」という論文を発表したほどなのだ。「韓国疲れ」とは「韓国の文句にはもううんざり」との現象を指す。

事実、オバマ政権のウェンディ・シャーマン国務次官は最近の訪韓で歴史問題について韓国に注文をつけ、韓国側の反発をかった。ブッシュ前政権の国家安全保障会議でアジアや韓国を担当したビクター・チャ氏やマイケル・グリーン氏も最近は韓国の対日姿勢への批判をにじませるようになった。

さらに興味深いのは慰安婦問題で日本を長年、たたいてきたコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授が韓国政府高官に「朴槿恵(パク・クネ)大統領の訪米では日本に触れないことをワシントンも望んでいる」と助言したとの報道だ。

日韓関係の真実がやっと米国側でも知られてきたということだろうか。
(ワシントン駐在客員特派員)
産経ニュース【あめりかノート】2015.6.28

◆米国議会はハッカー攻撃を問題視

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)6月24日(水曜日)弐 通算第4587号 >
 
〜「米中戦略対話」で関係改善に挑んだ中国だが
   米国内は反中論調が盛ん、議会はハッカー攻撃を問題視〜

恒例の「米中戦略対話」は第7回がワシントンで6月23日から開始され、中国は大型訪米団を組織して、9月の習近平訪米の地ならし、冷却化した米中関係の打開の道を探ろうと懸命である。

とくに中国側代表は団長格が劉延東(副首相)、同格で財務担当が王洋(副首相)、そして外交担当として国務委員の楊潔チ(前外相)で、カウンター・パートはバイデン副大統領、ルー財務長官、そしてケリー国務長官である。

ます、この代表団の顔ぶれを見て明らかなことがある。

外相は王毅だが、重要会議にはお呼びではない。財務相は楼継偉だが、この人もお呼びではない。つまり中国に於ける「閣僚」の地位は、政治力に乏しく、重要な国際会議では共産党のランクの高い担任が派遣されるということ。大臣は行政の飾りであるということが逆に証明されたことにもなる。

会議前夜までに中国側の3人の代表はそれぞれが[USAトディ]「フォーリンアフェアーズ」そして、「ウォールストリートジャーナル」に寄稿し、米中戦略対話の重要性、米中関係の発展的展望などを述べた。 米国マスコミを利用して、中国の立場を表明したのだ。

第一に「フォーリンアフェアーズ」(21日発売)に寄稿したのは楊潔チ国務委員で「米中は新しい大国関係の重要性を認め合い、世界の秩序のためにお互いが協力し合うことが極めて重要である」などと述べている。

第二に「ウォールストリートジャーナル」(21日付け)に寄稿したのは王洋である。彼は「過去6年間、中国企業の対米投資は5倍に急進し、6万人の雇用をうんだ。2020年までに中国の対米投資は1000億ドルから2000億ドルとなり、米国人の雇用は20万から40万人になるだろう」とバラ色の夢を提示して、米国の利益を強調し、南シナ海問題から話題を逸らした。
 
第三は「USAトディ」(6月22日付け)に寄稿した劉延東副首相が「いまでには17分に一便の割合で中国と米国の間を飛行機が飛んでいる。中国から米国への観光客は430万人、留学生は49万人。また10万人もの米国人が過去に中国に留学したうえ、240の都市が姉妹関係を結んでいる。これほどの交流を、今後も深化させなければならない」とした。

いずれも軍事的脅威、ハッカー、密貿易と密入国、そのほか、中国が投げかける暗い面を一切ネグレクトした噴飯者の文章である。


 ▲「南シナ海は中国領であり、米国は介入するな」の強硬姿勢を崩さず

だが、米国側は南シナ海における埋め立て工事の中止を迫り、中国は「まもなく完了する」と言って逃げたが、工事中断の気配はない。

中国のハッカー攻撃を厳しく非難したが、中国は「関与しないし、我が国も被害者だ」と空とぼけて、ますます米国の心証を悪くした。

議会人は怒り心頭、強い中国批判の声が広がる。

共和党の有力者マルコ・ルビオ議員(大統領候補に立候補)は、オバマ大統領に書簡をおくり、「中国に対してなんらかの制裁措置」をとるよう要望した。

ニュージャージー州知事のクリス・クリスチーは「中国に米国の怒りをみせるためには軍事行動を取るべきだ」とした。

大統領選挙をひかえて民主、共和それぞれの有力候補であるヒラリー・クリントン(前国務長官)、ジェブ・ブッシュ(元フロリダ州知事)陣営も中国批判色を前面に出しつつあり、米国政治に「チャイナ」問題が重要なイシュウとなったようだ。

(註 王洋の「王」はさんずい)

◆迫った台湾の総統選挙

Andy Chang

来年1月に台湾の総統と立法委員(国会議員)の選挙が行われる。

昨年11月の市町村選挙で国民党が大敗して以来、台湾人の本土意識が高まり、中国と共に台湾統一を推進していた国民党政権はすっかり落ち込んでしまった。

来年の総統選挙に勝ち目はないと言われ、国民党の候補者選びは難航したが、ようやく洪秀柱・立法院副議長に決まるらしい。民意調査では彼女は負けると言う。負けたら国民党は没落するだろう。

戦後70年、台湾の政治は一貫して国民党独裁、外省人の天下だったが来年の選挙で総統と国会が台湾人優勢となり、強力な台湾人政権が誕生するかもしれない。外国関係、米中関係の冷え込みと中国の経済衰退が台湾の選挙に大きく影響する。

●米台関係の変遷

これまでアメリカは一貫して「現状維持」を要求し、国民党を支持してきた。ところが馬英九が政権を取って統一路線を取りはじめ、中国の南シナ海の岩礁埋め立てなどでアメリカはようやく中国に強い警戒心を持ち、台湾の政治に対する態度が変わってきた。

アメリカが本気で警戒心を抱いたのは南シナ海ではなく、中国がアメリカに仕掛けた大規模なサイバー攻撃である。ホワイトハウスや国務省、国防省やほとんどの政府部門が中国のハッカー攻撃にやられた。しかもオバマは防御も反撃もできない。中国は最悪な敵であ
るという認識がオバマにはなかったのだ。

だから今年春の蔡英文の米国訪問は、ホワイトハウスや国務省で歓待を受け、TIMEマガジンが雑誌の表面に出して蔡英文特集を組んで、米国が台湾人政党を支持する気配が出てきた。

米国の国際戦略が大きく修正されたのだ。2012年の台湾総統選挙ではダグラス・パールを派遣して投票2日前に馬英九支持を発表したアメリカは、あの時から4年後に蔡英文を支持する政策に切り替えたのだ。

米国の「現状維持」政策とは動乱が起きない穏やかな変遷を続けることだ。だから間違った政策はなかなか改善されない。戦後からこれまでアメリカは蒋介石の反共を支持してきた。

やがて反共から台湾海峡の平和維持に変わった。台湾は第一列島線の中央に位置し、中国が台湾を併呑すれば米国はアジアの覇権を失い、中国の太平洋進出を防ぐことができなくなる。

このため米国は台湾の国民党政権を支持してきたが、やがて2009年に馬英九が中国接近をはじめた。

オバマは中台関係に姑息な態度を取り、2012年の総統選挙ではダグラス・パールが蔡英文不支持を表明したのだ。

そして去年のヒマワリ運動と11月の市町村選挙で国民党が大敗し、台湾人の反中国、反統一が明確になって、アメリカは国民党を捨てて台湾人政党支持に切り替えた。米国の国際戦略が、反共→中華民国断交→国民党支持→台湾人政党支持と変化しているのがわかる。

●中台関係の変遷

このような国際情勢の変遷で、台湾の中華民国政権も蒋介石の反攻大陸から反共、李登輝の特殊な二国関係、陳水扁の台湾中国一辺一、馬英九の中国接近統一路線に変った。そして米国はこれまでの国民党支持から台湾本土路線に賛同したとみられる。これが本当な
ら台湾人は大歓迎である。

米国は中国の台湾併呑に反対だが中華民国が台湾にある限りは併呑されないと思っていた。だから中華民国を認めていたが情勢がだんだんと変わり、1978年に中華民国と断交した。この時に台湾をどうするかという問題が起き、米国国会は「台湾関係法」を制定した。

台湾関係法の第15条には、米国は中華民国を認めないから、今後の米台関係において、「台湾(TAIWAN)とは台湾統治当局」と定義し、台湾当局が中華民国政権の続行でも、中華民国政権に代わる新政権が出来ても支持すると定義した。

つまり米国の台湾政策は、蒋介石支持から中華民国支持に変わり、中華民国と断交して「台湾当局」と名称を変えた国民党支持となり、国民党政権から台湾人政権になっても一貫して「台湾の存在」を支持するようになっている。

●台湾内部の変遷

終戦から70年たった。台湾は終戦後まもなく蒋介石が大陸から追い出されて台湾で中華民国を維持してきた。アメリカは反共の立場から中華民国を支持したが、中華民国は中国人の外来政権である。中華民国は外省人の貴族階級が台湾人を統治する独裁である。

人種差別とは中華民族の特徴と言える。中国人と台湾人は違う。だから少数の中国人が多数の台湾人に同化することはない。中国人は台湾統一を主張する、だが台湾人は中国に併呑されることを拒否し独立を主張する。中国は台湾併呑で太平洋に進出したい。アメリカ
は中国の野心を知りながら台湾独立を援助せず現状維持である。

台湾独立は台湾人政権を樹立すること、台湾人の夢である。だがその方法論にいろいろな違いがある。大まかに言って二つのグループ、現行の中華民国体制を修正して正名制憲で台湾国を樹立する「体制内派」と、中華民国体制を打倒して台湾政権を樹立する「体制外派」だが、双方の派閥の中にもいろいろ違った方法論があり、相互批判や攻撃でなかなか合作する気配がない。

●台湾人の夢

台湾独立運動はすでに40年以上の歴史があるが、少しも進展していない。理由は簡単、中国も米国も台湾独立を支持しないからだ。陳水扁が総統になった時、アメリカは陳水扁に「四歩一没有(独立せず、国名変更せず、両国論で憲法改正せず、統一、独立を公民投票
にせず、など)」を押し付けて独立意識をシャットアウトした。つまり米国はこれまで台湾独立を拒否してきたのである。

このため独立運動は進展していなかった。体制内派(修正派)も体制外派(革命派)も米国の支持を得られなかったのである。もちろん中国は初めから独立に反対だから、どんな理論、方法論でも中米両国が反対すれば独立出来るはずがない。

米国の国際戦略が変化の兆しを見せたので、来年の選挙で台湾人総統と国会で台湾人多数となれば台湾の政治に大変化が起きる。もちろん数年で台湾独立を実現することはない。米国が反対せず、中国の衰退、米中関係の悪化が独立に有利な展開となる。

一部の体制外派の人たちは選挙に勝っても中華民国体制は変わらないと悲観的な主張をしている。ある人は投票に行くなと言い、あまつさえ蔡英文批判をするが、こんな言論は国民党を援助するだけ、国民党が勝てばもっと悲惨である。

選挙も一法、革命も一法、台湾のためになるなら構わない。米国の国際戦略の変化が台湾独立に有利となるなら選挙で政権を取るのも応援すべきである。