2015年06月08日

◆頼朝が生んだ幕府体制の叡知

伊勢 雅臣



武家が実権を握る新しい時代に、源頼朝は日本の伝統的叡知に根ざした幕府体制を生み出した。


■1.「守護・地頭」って何?

東京書籍版(以下、東書版)では「鎌倉幕府の始まり」と題して、次のように述べている。

<平氏の滅亡後,義経が頼朝と対立すると,頼朝は義経をとらえることを口実に朝廷に強くせまり,国ごとに守護(しゅご)を,荘園や公領ごとに地頭(じとう)を置くことを認めさせ,鎌倉幕府を開いて武家政治を始めました。>[1,p52]

そもそも守護、地頭とはどんな役職なのか説明もない。「義経をとらえることを口実に」と頼朝の腹黒さを強調したいようだが、守護・地頭を置くことと義経をとらえることが、どう繋がっているのかチンプンカンプンなので、その魂胆は不発に終わっている。

守護、地頭とは何なのか、それらを頼朝は何のために置いたのか、そうした疑問を追求してこそ、歴史の面白さが出てくるのだが、これでは「鎌倉幕府、守護、地頭」などと、意味も分からない中学生に機械的に丸暗記させる受験勉強でしかない。

自由社版では、「鎌倉幕府の成立」の項でこう述べている。

<平氏滅亡ののち、源頼朝は朝廷の承認を受け、1185(文治元)年、地方の国ごとに守護を、荘園や公領には地頭を置いた。守護は、軍事や警察の仕事につき、地方の政治に関与した。地頭は、年貢の取り立てや、土地の管理などを行った。

一方、源義経が兄である頼朝と対立し、平泉(岩手県)の奥州藤原氏のもとにのがれると、頼朝はその勢力を攻め滅ぼして、東北地方も支配下に入れた。>[2,p82]


守護が「軍事や警察の仕事につき、地方の政治に関与」、地頭が「年貢の取り立てや、土地の管理」と説明されているので、東書版よりもだいぶましである。地方行政、治安維持、土地所有権管理と税の徴収なら、全国統治の仕組みとして必要なことが分かる。


■2.将軍と守護・地頭の公的な関係

歴史学者・村尾次郎氏は守護・地頭の意義について、こう述べている。

「守護は追捕使(ついぶし)から発展したな治安馨察官であり、同時に、国別に御家人を統率する軍事指揮官でもある。文治元年(1185)に有力な御家人を任命し、頼朝のカはぐっと西国のはてまで延びることができた。これまた地頭とともに官の公認をとって実施したものである。・・・律令制国司の職掌からその最も大きな部分のひとつを奪うことになった。

地頭は、平家旧領の荘園を中心として諸国に配置された。その任務は兵糧米を徴集することであったが、同時に、荘園の下司が行なっていた年貢徴収と荘園領主への納入などをつかさどった。守護のもとに警察官の役をも兼ねるのが特色で、鎌倉御家人に対する頼朝の新恩のおもな手段になった。地頭には権力があるうえに、かなりの収入(得分)がともなったからである」。[3,p169]

この一文からは、次の2点が窺われる。

第1に、守護も地頭も、それ以前の律令国家の仕組みを手直しして、実質的な権限を握ろうとしたことである。しかも「官の公認をとって実施したもの」で、天皇と朝廷の権威のもとに行われた改革であった。武家が政権を握ったと言っても、天皇の権威のもとで、従来、貴族が握っていた権限が武家に移ったということである。

第2に、頼朝が自分の御家人を守護や地頭に配した点。これは自分の部下に対する論功褒賞をしたというだけではない。建久3(1192)年、頼朝は朝廷から、征夷大将軍の称号を与えられた。これにより、頼朝とその家来たちの私的な主従関係は、国家のなかでの将軍と守護・地頭という公的な関係に位置づけされた。

すなわち主君への忠義が、国家への忠義ともなったのである。地方豪族に私的に仕える武士は単なる「家人」だが、朝廷から任ぜられた征夷大将軍に仕える武士は「御家人」なのである。


■3.天皇の権威のもとでの「征夷大将軍」

皇室の権威のもとで実権を握ろうとする頼朝の考えは「征夷大将軍」の称号にも見てとれる。

<桓武天皇が延暦10年に任命された征夷大使は、陸奥国府、鎮守府、按薩使(あぜち)など現地(奥羽地方全部)の全組織を統括したばかりでなく、駿河以東の東海道、信濃以東の東山道諸国(坂東八カ国はすペてふくまれる)に対しても軍需品の調達および兵力の動員について国司に指令できる権限が与えられた。

坂上田村麻呂が後に授げられた征夷大将軍は、この征夷大使の権能をひきついだものであろうから、大将軍の号令は東日本全部に行政・軍事の指揮権をふるうことができるわけで、頼朝の目的と完全に一致するのである。田村麻呂の場合は臨時であったが、頼朝はこれを常置の官号として授けられることを望んだ。>[3,p168]

ここでも頼朝は、歴史的な伝統に則り、あくまでも天皇の権威のもとで実権を握ろうとした。貴族政治から武家政治に代わっても、天皇の権威のもとで統治者としての正統性を得るという構造は同じである。


■4.「朝廷の権威は最高のものとして心の中にいきており」

朝廷の権威を大切にする頼朝の姿勢は、当時の社会が必要としていたものであった。この点を、村尾氏はこう説明する。

{律令制度が崩れていき、朝廷の行政と軍事の力がずたずたにちぎれてくると、中央の拘束力からはなれてゆく地方では、大小さまざまな、しかも、独立性をもった土地支配者の分布する複雑な社会状態を現出し、自衛のための同族軍事組織が生まれてきた・・・。

対立抗争のなかに立ちながら、彼らは自分の資産を「一所懸命」に守るために、時の権威者から出される保証書によって確保する慣習を大切にした。これを「安堵(あんど)」という。

その場合、こんな独立心のさかんな者たちでも、朝廷の権威は最高のものとして心の中にいきており、朝廷の権威から流れ出た筋での権威者が保障してくれることを希望した}。[3,p167]

古代の律令国家の秩序が崩れた後に現出した乱世をまとめるには、中国であればすべての対抗勢力を打倒して、新たな皇帝として権威と権力を打ち立てるしかない。それには長期間の戦乱がつきものである。

我が国では、朝廷の権力は崩れたが、権威は人々の心の中に残っていた。そこで頼朝は律令制の伝統を受け継ぎつつ、朝廷の信任を受けた新しい統治者として登場したのである。

東書版では「頼朝は義経をとらえることを口実に朝廷に強くせまり」とあるが、それは単に朝廷を騙したという事ではない。

朝廷の側でも、たとえば義経が不平を持つ武士や農民を組織して、頼朝に抵抗すれば、全国的に戦乱が続いてしまう[4,p237]。朝廷が国家統合の権威の源泉として、頼朝を統治者として承認し、守護・地頭など統治機構を整備させたのは、国全体の早期安定を図るためにも賢明な施策であった。


■5.「北条政子の訴え」

頼朝の死後、妻・政子の実家、北条氏に実権が移った。頼朝の子・頼家は二代目将軍についてが、粗暴を理由に伊豆の修善寺におしこめられ、ついには殺される。後を継いだ弟の実朝も暗殺され、将軍家は断絶した。

これを機に、将軍職を返上すべきとする後鳥羽上皇と、上皇の皇子を将軍に迎えて幕府を続けようとする北条氏との対立が決定的となった。承久3(1221)年5月、後鳥羽上皇は北条氏追討の軍勢を全国に呼びかけ、鎌倉御家人の中にも朝廷側に走る武士も出た。

東書版は「後鳥羽上皇が幕府に対して兵をあげると、頼朝の妻・政子は、鎌倉の武士たちに、頼朝の御恩を説いて結束をうったえました」との説明書きの下で、「北条政子のうったえ」を次のように伝えている。

{みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵をたおし、幕府を開いてこのかた、官職といい、土地といい、その恩は山より高く、海よりも深いものでした。

みながそれに報いたいという志はきっと浅くないはずです。名誉を大事にする者は、京都に向かって出陣し、逆臣をうち取り、幕府を守りなさい。
(部分要約)(吾妻鏡)}[1,p53]



■6.「その場合はやむをえない、弓矢を捨てて降参せよ」

「部分要約」と断ってあるが、要約されていないところに重大な箇所がある。このあたりを、村尾氏はこう記している。

御家人たちは、かつて前例のない事態に直面して動揺した。頼朝のときには、彼らは常に勅命で動く官軍であった。それが、今度はまっさかさまに朝敵の立場に追い込まれているからである。

東海道大将軍として10万余騎をひきつれた北条泰時(JOG注:政子の父・時政の孫)も、さすがにためらいをおさえることができず、一旦出発をしながら途中でひき返し、父の義時に、もしも後鳥羽上皇おんみずからが出陣めされたときには、いかがいたしましょうかと念をおし、義時はこれに対して、その場合はやむをえない、弓矢を捨てて降参せよと指示している。

まことに、日本ならでは聞くこともできない問答である。[1,p178]

すなわち、御家人たちは今まで、将軍の命令は天皇の命令であり、彼らは常に「官軍」として胸を張って戦うことができた。それが今度ばかりは、もしかしたら後鳥羽上皇御自ら官軍の先頭に立って、自分たちは「賊軍」になってしまうかもしれない、という立場に追い込まれたのである。

 10万余旗を引き連れて出発しながら、途中で引き返したという所に、泰時の動揺ぶりが窺われる。


■7.「朝廷は逆臣のために誤られて道に合わない勅令を発し給うた」

「北条政子のうったえ」は、こういう動揺の中で出されたもので、いかにも「尼将軍」とまで呼ばれた断固たる意思を示している。しかし、その北条政子にしても、「後鳥羽上皇を討て」などとは言っていない。村尾氏は「北条政子のうったえ」をこう要約している。

{いま、朝廷は逆臣のために誤られて道に合わない勅令を発し給うた、われわれは院の近臣どもを退治して、将軍家の伝統を守らなくては恥を知る武士とはいえぬ。すぐに行け、ただし、院の召しに応じようとする者は遠慮はいらないから、勝手にするがよい、と申し渡した。}[3,p179]

 政子が訴えたのは、朝廷を敵とするのではない、朝廷を誤らせている「逆臣」を退治せよ、という事である。この論理によって、朝廷に対する公的な忠義と、幕府・頼朝に対する私的な忠義の相克対立は消え去り、動揺は収まった。

「北条政子のうったえ」は、天皇は国家統治の正統性・権威の源泉であり、実際の政治を行う権力者ではない、という我が国の政治的叡知の伝統に則ったものであった。

 逆に言えば、自ら武士を招集して、幕府討伐に立ち上がった後鳥羽上皇の行為は、この叡知の伝統から踏み外したものであったということができる。

「北条政子のうったえ」を紹介するなら、ここまで説明すべきだろう。東書版の「部分要約」では「山より高く、海よりも深い」頼朝公への私的恩義のみが言及され、当時の武士たちが朝廷の権威をいかに恐れ、政子がその動揺を抑えて、公的な忠義をいかに回復させたか、という我が国歴史の根幹には触れていない。


■8.日本の政治的叡知に根ざした幕府制度

鎌倉からの大軍は朝廷側の軍勢をあっけなく破った。戦後処理として、後鳥羽上皇は隠岐に、その皇子である順徳上皇は佐渡に送られた。同じく皇子にあたる土御門上皇は事変には関わりがなかったが、両上皇の配流を見るに忍びず、進んで土佐に移られた。

北条一門は、三上皇を遠島に配流する名分を「天下万民のため」とした。そして土御門上皇の皇子の仲恭天皇にかわって、後鳥羽院とは別系の後堀河天皇が皇位を継がれた。

他国なら、ここで皇室など廃止して、北条氏自らが新たな皇帝となる所だろう。しかし、我が国においては、天皇の権威のもとで、自らが統治者としての正統性を得て、国家を統治するという頼朝の発案した幕府制度がそのまま継続されたのである。

この幕府政治は、江戸時代末まで800年近く続いた事からも、日本の政治伝統に根ざした叡知であったことが分かる。さらに明治以降の帝国憲法も、現在の日本国憲法にしても、統治者の選び方は変われど、天皇が統治者に正統性を与える、という点では変わらない。

武家が実権を握る新しい時代に、日本の伝統的叡知を幕府政治という形で具現化したのが頼朝であり、それを現実政治の中で確立したのが北条氏であった。


■リンク■

a. JOG(893) 歴史教科書読み比べ(20):源平合戦と「錦の御旗」「錦の御旗」が速やかな国内再統一をもたらした。
http://blog.jog-net.jp/201503/article_9.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

2.藤岡信勝『新しい歴史教科書―市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

3.村尾次郎『民族の生命の流れ』★★★、日本教文社、S48
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B000J9FWMI/japanontheg01-22/

4. 上横手雅敬『日本の歴史文庫06 源平の盛衰』★★、講談社、S50
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B000J9ETFO/japanontheg01-22/


◆私の「身辺雑記」(228)

平井 修一


■6月5日(金)、朝は室温23度、快晴、フル散歩。

朝食後に娘たちは帰った。洗濯は2回まわし。6/1の夕刻からずーっと集団的子育てが続いたのでいささかくたびれた。ストレスのせいか、食欲はあまりないし、お腹の調子も悪い。

神社仏閣に油を引っかけた奴は、小生は反日の中韓だろうと思っていたが、容疑者は元在日の韓国系日本人だった。韓国系キリスト教カルトにかぶれて自らも教団を創ったそうだが、ISに殺されたGもこの手の教団に接触していたという記事を思い出した。

Gは「1997年に日本基督教団田園調布教会で受洗」(ウィキ)。

<日本基督教団は、1941年6月24日に日本国内のプロテスタント33教派が「合同」して成立した合同教会であり、公会主義(平井:右も左も「小異を捨てて大同につこう」という、共産主義の宗教版のようだ)を継承する唯一の団体である。

(戦後は路線対立による)「教団紛争」と称する状況が現在に至る迄継続している。合同教会に対する考え方、その形成に至る神学、方法論、将来の展望に至るまで派閥的対立があったが、新たな執行部による改善が図られつつあるのが現状である。現在、1700余りの教会・伝道所がある。

戦時中における罪責の反省から在日大韓キリスト教総会と協約を結び、その中で在日韓国・朝鮮人問題を受けて取り組み、在日大韓キリスト教会との宣教協力を決意すると述べている。

2011年10月10日、在特会のメンバーに暴行を働いたとして日本基督教団堅田教会の牧師が逮捕される事件が発生、云々>(同)。

容共左派の反日屋みたいだが、牧師が暴力を振るうって・・・異次元の教団だな。

Gが受洗した田園調布教会のサイトには、「日本基督教団に属するプロテスタント(福音主義)の教会」とある。福音主義は「聖書原理主義」のようだ。公会主義と同様、「みんなで渡れば怖くない」か。「みんな」には在日も含まれる、というか、ほとんど日韓の反日教徒が一体化しているようだ。

日本基督教団はこの6月7日には「在日大韓基督教会主催特別集会」を催すとして、曰く――

<韓国だけでなく日本においても正統的なキリスト教会ではない「新天地」などいわゆる似非教会、異端、カルト宗教による被害が続出しています。いま、すべてのクリスチャンが目覚め、緊急な祈りの課題としなければなりません。

主催:在日大韓基督教会 関東地方会伝道部、女性会連合会。協賛:統一協会問題キリスト教連絡会、日本基督教団統一原理問題連絡会>

統一協会(統一教会)とは文鮮明が始めた「世界基督教統一神霊協会」のこと。合同結婚式と反共で有名だ。小生が愛読している「世界日報」も統一教会の反共宣伝媒体だ。

日本基督教団は統一教会を目の仇にしているようだから、目くそ鼻くその類だろう。日本基督教団サイトのニュース欄2/21にはこうあった。

<1月29日、富士見町教会にて、シリアで武装集団に拘束され、安否の詳細が不明となっていた2名の日本人、後藤健二さんと湯川遥菜さんをおぼえて、祈り会が開かれた。

本事件が報道された当初より、後藤健二さんが日本基督教団田園調布教会の信徒であることが知られ、教団の諸教会・伝道所をはじめ他教派の信徒と教職から、田園調布教会と事務局に祈りの声が集まり始めた。この状況に応え、三役の強い願いによって祈り会が開催された>

災いは祈って解決できることはない。人災に対しては反感、憎悪、警戒、攻撃、殲滅が歴史を創ってきた。

第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121−180年)曰く「キリスト教は敗者の論理だ。それまではローマの神々は元気だったが、キリスト教により死んでしまった」(出典を失念)。

一神教は思い込みが激しいから危険だ。薬物依存に近い。狂って他者を殺す。多神教は概ね寛大、受容力がある。日本の八百万の神々は空気だ。人々を守ってくれる。戦う時には勇気をくれる。

■6月6日(土)、朝は室温21度、昨日の雨で蒸すかと思っていたが、高原のように涼しく爽やか、快晴、フル散歩。カミサンは仲良し4人組でスーパー銭湯1泊へ。

中共の旅客船事故、「東方之星」が1日に沈没した。東方之星とは毛沢東=中共のこと。この事故は邪悪な共産主義という一神教信者の習近平の未来を暗示しているかのようだ。

このところ習の虎退治のニュースはない。もともとが政敵を倒して政権の求心力を高める手段として進められたが、江沢民派の頑強な抵抗にあっているのかもしれない。

習が今熱心に進めているのは南シナ海制覇だ。開戦の基準を設定したようである。

<中国政府、対日米軍事行動のボーダーライン制定=香港誌

【大紀元日本6月3日】一昨年は東シナ海で防空識別圏を設定、いまは南シナ海で埋め立て工事を進めるなど、日米を含む周辺諸国との間で度々領有権問題の摩擦を引き起こしている中国政府。

香港メディアによると、最高指導部はこのほど緊急会議を召集し、対米、対日軍事行動に踏み切る「ボーダーライン」を審理、決定した。

香港誌「争鳴」の6月号記事によると、中共中央政治局は5月20日午後9時から6時間近くの緊急会議を開き、最近の南シナ海領有権問題における中米両国間対立の対応策を議論し、以下の軍事行動発動のボーダーラインを制定した。

▽日米軍が国際海域・国際空域で先に中国軍に発砲、殺傷兵器を使用する場合

▽日米軍が中国の領海、領空に侵入する場合、口頭警告・発砲による再警告を行った後、相手が発砲または殺傷性兵器を使用する場合など

翌日午後の中共中央軍事委員会会議で上記決定事項が内部通達された。

領有権問題をめぐっては米中間の対立が深まっている。南シナ海南沙諸島で埋め立て等の工事を進め人工島を造作している中国政府に対し、米政府は最近になって、島周辺で米軍の艦船、偵察機を活動させることを検討し始めるなど対抗姿勢を強めている。

5月20日、アメリカ海軍対潜哨戒機P−8Aポセイドンが、同海域の上空を飛行した際、中国海軍は「中国の軍事警戒区域である」と8回ほど警告を繰り返し、撤退を要求した。

同件について中国外交部の洪磊・報道官は後の定例記者会見で「米国への強い不満」を示し、米国側の行動は「非常に危険である」と非難した>(以上)

「最初の一発を相手に撃たせたら、我が方も自衛のために反撃する」ということだが、どちらが最初に撃ったかなんて証拠があるはずもないから、緊張が高まれば衝突になる。中共は「衝突を辞さない」と宣言したわけだ。

中共は完全に居直っており、人民網6/4はこう伝えた。

<最近いくつかの国は南中国海問題において国際法に言及し続けている。もし彼らが国際法を仔細に研究したことがあるのなら教えてほしいのだが、中国が自国が主権を有する島・礁上で理にかなった建設を行うことを、どの国際法が禁止しているのか? 

他国の島・礁に対して艦艇や航空機で接近偵察を行うことを、どの国際法が認めているのか? 航行の自由を名目に他国の主権と正当で合法的な権益を損害することをどの国際法が認めているのか?>

「南シナ海は2000年前から俺の縄張り、領土だ。そこで俺が何をしようが余計なちょっかいを出すな」ということだ。

日米主導の連合軍はこの海域の航行安全を確保するために、中共の軍事プレゼンスを駆逐する必要がある。岩礁が要塞化される前に叩き潰さなくてはならない。拙速を恐れてはいけない。後手に回るよりはるかにいい。攻撃は最大の防御なり。

■6月7日(日)、朝は室温22.5度、快晴、フル散歩。夕べは雨が降ったようだが爽やか。

「中国に強い姿勢を示すことが抑止力を高める ジェームズ・アワー日米研究協力センター所長」(国家基本問題研究所6/5)から。

<米ヴァンダービルト大名誉教授で、日米研究協力センターのジェームズ・アワー所長は6月5日、国家基本問題研究所で、日、米、中の3か国を中心とする安全保障問題について語り、研究所の企画委員と意見交換した。アワー氏は、国基研の客員研究員でもあり、訪日の機会を利用しては意見交換を行っている。

最近の南シナ海情勢が意見交換の主要テーマで、アワー氏は、人工島を埋めたて、拡大する中国の行動は国際法や基準に照らし合わせ、合法性を失っており、周辺諸国の警戒心を煽っていると指摘、「今や、中国には友人はいない」と語った。

最近日系人として初めて米太平洋軍司令官に就任したハリー・ハリス海軍大将は、人工島の12カイリ(通常なら領海)であっても(合法性がないので)米艦艇を進入させると明言している。また、アシュトン・カーター国防長官も、先日シンガポールで開かれた安全保障国際会議(シャングリラ会議)で中国を名指しで非難、強い態度で臨むと強調した。

実際にホワイトハウスがゴ―発信を出すかどうかは明言できないが、とアワー氏は断りながらも、「戦う姿勢を示すことで戦いの可能性は少なくなる」「何もしないと戦争の可能性が高まる」ときっぱり述べた。

日本の野党や、朝日新聞など左翼、リベラル勢力は安保関連法案との関連で、中国を刺激して「戦争に近づく」と批判するが、むしろ(平井:中国の無法を放置することは)逆に戦争の可能性を高めているのが実情である。

アワー氏はまた、国会審議で、安倍首相が新たな法案が可決しても、米軍など友軍の後方支援を必ず行うわけではなく、バックアップしないこともあると述べたことについて、「当然のことだ。効果があるのは、日本が後方支援してくるかもしれない、との疑いを中国側に抱かせることだ。これが抑止力というものだ」と語った>(以上)

うーん、さすがプロはリアリズムで現状を認識している。南シナ海から中共の軍事力をいかに取り除くのか、悪魔のように細心に戦略戦術を練り、訓練を重ね、天使のように大胆に駆除するべきだ。

地政学者・奥山真司氏のブログ6/4から。

<ルトワック本の紹介ですが、今回は同時に原著が復刊されることになった、彼の博士号論文を元にしたローマ帝国に関する本です。

"The Grand Strategy of the Roman Empire: From the First CenturyA.D. to the Third" by Edward N. Luttwak

原題を直訳しますと、『ローマ帝国の大戦略:一世紀から三世紀まで』というシンプルなもので、内容も題名の通り、1世紀から3世紀までの300年間のローマ帝国の大戦略の違いを分析するというもの。

普通のローマ帝国に関する本を読むと、ローマ軍は戦術的にも好戦的であったというイメージがありますが、ルトワックによればそれは間違いで、たとえばユダヤ戦争におけるマサダ要塞の攻略戦(70-73年)などでは、極めて慎重な攻略法をとっていることを指摘しております。

というのも、ローマは紀元前146年までのカルタゴとの戦いで大規模な軍隊を使う戦争の戦い方における複雑さを学んでおり、それ以降の五賢帝の時代などの拡大期には、むしろローマ軍に好戦的な戦術を使わせるよりも、軍隊の存在による脅しを使う「強制外交」をとっていたと分析します。

つまりローマ人たちというのは、その領土の拡大期には「抑止」的な軍隊の使い方をしており、戦略における物理的な面よりも、むしろ相手の恐怖心にどこまで訴えかけることができるかという、いわゆる心理的な面をよく理解していたというのです。

このようにみると、まさにローマ帝国興亡史という感じですが、とりわけその戦略面・軍事面から見ているという意味では画期的なものかもしれません。地図や図、それに表なども意外に豊富です。

これをざっと読んでみての感想ですが、どうしても現在のアメリカの大戦略との比較をしたくなってしまうほど現代的な示唆に富んでおります。また、戦略における心理的な面や相手の反応の重要性など、後に『戦略論』に集められたアイディアの数々がすでにここに現れていたことを発見したのも興味深いところでした>(以上)

まずは日米豪印+アセアン諸国による連合軍の哨戒活動、示威行動が初めの一歩だ。そのためには秘密の作戦会議を重ねるべきだ。作戦名は「レッドパージ・イン・エイシア」。

マキャベリ曰く――

「優れた指揮官ならば次のことを実行しなければならない。第一は、敵方が想像すらもできないような新手の策を考えだすこと。第二は、敵将が考えるであろう策に対して、それを見破り、それが無駄に終わるよう備えを完了しておくことである」

「敵の計略を見抜くことほど、指揮官にとって重要なことはない。このことほど優れた資質を要求される能力もない。そして、敵の行動を予知するよりも、敵の計略を見抜くことの方が容易である場合が多い。行動の予知は、遠くに離れていては不可能なものだが、計略の予知ならば、離れている方が却って有利なものだ」

北九州市に本拠を置く武闘派ヤクザ「工藤会」。九州最大規模の指定暴力団かつ特定危険指定暴力団(銃撃や火炎瓶を投げ込むなどの危険行為を繰り返す恐れのある組織)に指定されている。北九州市に本部を置き、12年の2月時点で650名超の構成員を擁する。手榴弾を爆発させたこともある極悪のゴロツキだ。

産経5/29「工藤会壊滅に全力を 警察庁長官、捜査員を激励」から。

<警察庁の金高雅仁長官は29日、特定危険指定暴力団工藤会の本拠地がある北九州市を訪れ、工藤会幹部らによる殺人未遂事件の現場を視察した。

視察後、県警小倉北署で工藤会関連の事件を担当している捜査員らを前に、「(捜査で)工藤会に相当の打撃を与えている。壊滅に追い込んでほしい。工藤会壊滅の成否が日本の暴力団対策に大きな影響を与える」と訓示した。

県警は平成26年9月以降、工藤会幹部らによる殺人事件などでトップら最高幹部を相次いで逮捕している>(以上)

世界の特定危険指定暴力団、ゴロツキ中共を包囲し、殲滅する。勇気をもって頑張ればできる。

♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞(はらから) 暁は来ぬ暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆくいざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの

皆で力を合わせれば中共の暴力的台頭を叩き潰せる。まさしく「中共壊滅の成否が世界のならず者国家対策に大きな影響を与える」のだ。いざ闘わん!(2015/6/7)

◆G7は安倍がリードしている

宮崎 正弘 



<平成27年(2015)6月8日(月曜日)通算第4567号 >


〜すでに日本は1100億ドルの「質の高いインフラ投資」を言明している
  某国の「質の低いインフラ投資」の資本金を一ヶ国で超える〜


G7サミットが開始され、メルケル独首相がホスト、主役はオバマ大統領ではなく、安倍首相のようである。

AIIBについて「参加する国」と「参加しない国」があり、「参加している国を批判する積もりはないが」と付帯条件をつけ、緊密に情報を交換しようと提案し、賛同を得た。安倍首相の緒戦リード。

すでに日本はAIIBを念頭に、1100億ドルの「質の高いインフラ投資」を言明している。この額面だけでも「質の低いインフラ投資」のAIIBが予定している資本金を一ヶ国で超えているのである。

ここまでの発言をふりかえっても、日本がAIIBに参加する意思がないことは歴然としている。

安倍首相の重要発言、その2.

「自由、民主主義、法の支配、人権に立脚した国際秩序を支えてきた。しかし、世界には力による現状変更、暴力的な過激主儀、感染症など安全保障上の脅威が存在する。グローバルな視点から国際社会のガバナンスに対応出来るのG7だ」と発言した。 

G7の議論をリードしているのは安倍首相だったのではないか。

そして来年のG7は、伊勢神宮の神々しい雰囲気を世界の指導者が体験しにくるのだ。
    

2015年06月07日

◆怪しい豪邸の持ち主は曽慶紅一族?

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)6月5日(金曜日)弐通算第4566号> 

〜怪しい豪邸の持ち主は曽慶紅一族と豪マスコミが騒ぎだした
      史上3番目の高値、大邸宅のホントの持ち主は誰だ??〜

豪の有力紙『シドニー・モーニング・ヘラルド』が伝えた。

中国の大富豪、許家印の名前で登録され、曽慶紅一族に貸与されているという豪邸を、謎の不動産取引業者で「王麗」を名乗る女性商人が登場し、名義書換を申請した。当該物件は37億円相当という。

豪当局は、これは違法取引の疑惑ありとして調査に乗り出したという。

言うまでもなく曽慶紅は元国家副主席であり、江沢民の右腕で上海派の大番頭である。

当該豪邸はシドニーの風光明媚な別荘地帯ヴィラ・デ・マレ地区にあり、もう一件の豪邸は曽慶紅の息子名義で登記されている。

これらの怪しい関係は許家印が当該豪邸を一時期、新聞王といわれた蒋梅夫妻に貸していた。また仲介として現れた王麗は、李鵬の長女・李少琳との親密な関連を噂される。

つまり太子党同士が互いに不動産をあっちへやったり、こっちへ移したりして利殖に励んでいるフシが濃厚である。

王麗の夫はシドニーで「フルーツ・マスター・インタナショナル」という企業の株主であり、その株主には曽慶紅の息子らも名を連ねている。 既購入の豪邸は2008年から2010年の間に登記された。

他方、習近平のすすめる「反腐敗キャンペーン」は「蠅も虎も退治する」と豪語し、これまでに「中虎」の薄煕来、周永康、徐才厚、郭伯雄ら「4人組」を失脚させ、連座して200名以上の『幹部』を拘束したが、庶民の期待する『大虎』すなわち江沢民、曽慶紅、李鵬らには追求の手は及んでいない。

このあたりで『息切れ』の模様かと王岐山の密かな米国行きが取りやめとなった経過を香港の「サウスチャイナ・モーミング・ポストが6月3日付けで伝えた。

『中国共産党の内部を痛めつけた』と党内でも批判が渦巻き、そのことを習近平、王岐山らはちゃんと認識しており、「反腐敗をこれ以上続けると党の分裂、もしくは強硬派、反対派の巻き返しが起こり、党の士気を削いでしまった。諸刃の剣である」と権力闘争に詳しい香港の観測筋は分析しているという。

「これ以上、反腐敗キャンペーンを続行すると、指導部の安全に問題がでてくるだろう。いまですら執行部の安全は深刻な状況であり、反対派は絶滅されていない。

もし、キャンペーンを続行するとなると党そのものが深刻な危機に瀕することなり、このあたりで手打ちにしないと危ないと判断して王岐山は訪米を中止したのだろう」(サウスチャイナ・モーニイングポスト)。

政治的な「大虎」への追求はこの辺で一休止となり、つぎは国有企業幹部の汚職を追及する方向に切り替わるだろう。

◆ソウルからヨボセヨ 進化する日式

黒田 勝弘


韓国では日本料理は「日式(イルシク)」といわれ昔から楽しまれてきた。マスコミが政治や外交でいくら反日を扇動してもこの好みだけは揺るがない。

外国料理の定着には当然、地元化が伴う。韓国化した「日式」にはキムチや生ニンニクが出るし、突き出しがやたら多いのも皿数の見栄えが大事な韓国料理の影響だ。

ところが近年、こうした「日式」の閉店が目立ち、代わって白木のカウンターで小ぎれいなコース料理といった、より本場風が流行している。

刺し身もタイやヒラメの白身が大皿に山盛りの「日式」風より、マグロなど赤身を加えた盛り合わせになった。そして爆発的流行が日本料理の大衆化、若者化でもある居酒屋。日本語の屋号がもっぱらでソウルの若者街「ホンデ(弘益大)」周辺には居酒屋通りさえできている。

居酒屋メニューも最近は洋式、韓式を加味し、日本留学帰りのシェフたちが腕を競っている。日本の料理学校出身者では東京の「服部」系と大阪の「辻」系が2大山脈でこれに近年、ソウルで料理学校を開いた福岡の「中村」系が加わる。

ただ、店では伝統居酒屋風という意味でソウル・南営(ナムヨン)駅近くの開業15年の「つくし」がいい。建物は築70年以上の日本統治時代の古ぼけた2階建ての日本家屋でこれはもう文化財級だ。(ソウル駐在客員論説委員)産経ニュース【外信コラム】2015.6.6


      

◆平和ボケは危機意識ゼロ

平井 修一



日本戦略研究フォーラム理事/政治評論家・屋山太郎氏の論考「集団的自衛権行使容認の国会審議 時局の危機に対応する法改正は政治家の責任」6/3から。

<日本をめぐる国際情勢の変わりように、早く対応しろと気が急く思いだ。新安保法制の国会審議が4月27日ようやく始まった。衆院の平和安全法制特別委員会で維新の党の松野頼久代表がトップ・バッターで質問に立った。

維新の橋下徹氏(大阪市長)は憲法改正派で安保法制改革者で知られ、松野氏は橋下氏の“親友”のはず。当然、安倍晋三氏の法改正には賛成かと思い込んでいたが、質問の締めくくりは「何か危機が迫っているのか。なぜ急ぐのか」という驚くべきものだった。

松野氏にはここ4、5年の中国の動きを危機とは感じなかったのか。鳩山政権の頃から中国による領海、領空侵犯が増え続け、尖閣諸島を漁船で取り巻いたり、漁船が巡視船に体当たりするなど、日本の出方が探られていた。

(中国は)日本の出方が敏感だと思ったのか、攻める矛先を南シナ海に転じ、ベトナム、フィリピンなどが所属を争うスプラトリー諸島の奪取に向った。中国はすでに人工島を造成しており、その面積は東京ドームの70倍ともいわれる。砲台が二門設置されたともいう。早々に軍事基地化するだろう。

この中国の泥棒のような行為は思い付きで行われたわけではない。10年も前から中国の軍司令官が米国の軍のトップに「太平洋を半分ずつ管理しようじゃないか」と持ちかけていた。もちろん米側が峻拒したので、冗談だったのかと思わせた。ところがオバマ・習首脳会談で習氏は「太平洋は2つの大国を十分、収容できる」と述べた。ごく最近も同様の発言が中国首脳部から出ている。

太平洋半分論からいうと、尖閣やスプラトリーはもちろん、フィリピンも中国の支配範囲に入る。かつてフィリピンは米軍を追い出した直後に環礁を奪取された。フィリピンはその後の中国の動きを見て米軍の駐留を認め、いま日比が防衛装備の移転協定を結ぼうとしている。米軍を追い出したあとフィリピン憲法は外国軍の基地を置かないと書き込んだため、十分な対応ができなくて困っているのだ。

中国は周辺国を経済的な手段で押さえつけている。フィリピンが公然と文句を言うとバナナの輸入を止めるとか、カンボジアなどは中国無しに成り立たない経済構造になっている。

今回の国会は「集団的自衛権を行使する」ことを前提に新日米ガイドラインに息を吹き込むのが目的。自衛権を日米では「集団的」と「個別的」に分け、個別的しか使えない、との解釈だった。

世界中の国の解釈は「集団的自衛権を行使するとは共同防衛もある国が攻撃を支援する場合もある」というものだ。今国会は世界の常識を“学習”する教室だと認識すべきだ。

米国とすでに同盟条約を結んでいる国が第3国から侵略されたことはほとんどない。特殊な例外は南ベトナムぐらいだ。

「なぜ法改正を急ぐのか」には国際情勢に対応するためというほかない。防衛法制が適当でなかったり時局に間に合わなかったら、政治家の責任だ>(以上)

当たり前の話だが、法律をつくったからと言って侵略から国を守れるわけではない。将兵と武器による戦闘で敵を撃退し、継続して守り抜くのだが、その能力はあるのか。

同じく日本戦略研究フォーラム政策提言委員・矢野義昭氏の論考「かつてのソ連とは次元が全く異なる中国の脅威 集団的自衛権の行使ができなければ日本は守れない」6/2から。氏は元第一師団副師団長兼練馬駐屯地司令、陸将補。

<*新ガイドラインで飛躍的に高まった日本の責任と自立防衛の必要性

今回のガイドラインも上(略)に述べたような日米の戦略構想が背景にあって、策定されたものと見るべきであろう。そのことは、「日本に対する武力攻撃が発生した場合」の考え方に表れている。

新ガイドラインの基本的な考え方として、「日本は、日本の国民及び領域の防衛を引き続き主体的に実施し、日本に対する武力攻撃を極力早期に排除するため直ちに行動する」とある。

これに対し、平成9(1997)年に制定されたこれまでのガイドラインでは、最後の、日本は「直ちに行動する」はなく、代わりに「その際、米国は、日本に対して適切に協力する」となっていた。

(つまり)日本は、有事には、米国の協力なしで「独力で」かつ「直ちに」行動しなければならないことになる。

日米共同作戦における米軍の運用構想も大きく変化している。これまでのガイドラインでは、「自衛隊及び米軍が作戦を共同して実施する場合」には、「双方は、各々の陸・海・空部隊の効果的な統合運用を行う」との文言があったが、この統合運用の文言はなくなった。

また、日本有事の「作戦構想」においても、これまで、「航空侵攻対処作戦」「海域防衛と海上交通保護作戦」「対着上陸作戦」に明言されていた、米軍の打撃力行使や地上部隊の「努めて早期の来援」に関する文言はなくなっている。

このことは、米国の日本での反攻作戦実施や地上部隊の来援は望めないことを示唆している。

新ガイドラインでも、「米国は、日本に駐留する兵力を含む前方展開部隊を運用し、所要に応じその他のあらゆる地域からの増援兵力を投入する」と記述されているが、戦闘部隊の「展開」や「増援」を直接保障する文言にはなっていない。「増援部隊」は「投入」されても、自衛隊を「増援」するとは限らない。

米国のASB(エアーシーバトル)構想では、同盟国の防衛は当該国の責任とされ、また米地上軍の本格的な増援は予定されていない。以上の条文は、この構想を反映した内容になっている。

すなわち、自衛隊は米軍の来援が、当面望めない状況の中で、国土と国民を一定期間独力で自立的に守らねばならない。では、どの程度の期間、守られねばならないのであろうか。

米国のシンクタンクなどでも、この問題は研究されているが、その一部の見積もり結果によれば、反攻作戦開始までに1か月以上はかかるとされている。

艦艇や航空機の主力を一度安全な数千キロの遠隔地の基地に退避させ、その後海上優勢を奪還し、部隊を再編して本格的な反攻作戦を開始するには、戦史の事例などから判断しても、1か月以上はかかるとみるのは妥当な見方であろう。

その間、日本は単独で日本の全領域と日本国民を守らねばならない。そのためには、まず当初のミサイル、特殊部隊、サイバー、対衛星攻撃などに対して、必要な防衛インフラを防護し、残存できなければならない。

このことを抗堪性と言うが、そのためには、施設などの堅固化、部隊や装備の分散、燃料、弾薬、装備などの地下化、偽目標(デコイ)の配置などの措置を平時からとっておかねばならない。特に南西諸島はその必要性が大きい。

その後も、1か月以上にわたり戦い続ける能力を維持しなければならない。この点で、自衛隊には予備役制度と予備力の不備という重大な問題がある。

予備自衛官制度はあるが、定数は平成26(2014)年3月末現在で、4万7900人しかない。世界各国では通常、国家として責任を負った予備役制度があり、現役と同等からその2倍程度の予備役を保有し、緊急時には速やかに招集し戦力化できる態勢が整えられている。

特に、スイス、フィンランドなど人口の少ない国では、有事には国民の総力を挙げて国防にあたる体制ができている。

また各国では通常、物資・施設、エネルギー、産業等の動員態勢もとられている。石油などの備蓄基地は分散して地下化されており、航空攻撃等にも耐えられるようになっている。民間力が最大限に活用できるよう、防衛生産のための予備力の確保や徴用も義務づけられている場合が多い。

しかしわが国ではこれらの予備役制度も動員制度もない。武器・弾薬・ミサイルなどの備蓄にも乏しく、緊急時の防衛生産の増大余地もほとんどない。そのため、今ある自衛力を使いきれば、それ以上戦い続ける能力がない。

一部の国民が緊急時に志願したとしても、訓練には最低でも数か月を要し、未熟のまま戦闘に参加すれば、いたずらに犠牲を増やすだけである。このような現況を前提とする限り、米軍の反攻まで国土と国民を守りとおせるだけの戦力を維持できる可能性は、極めて乏しいと評価せざるを得ない。

この点については、新しいガイドラインにも対策は示されていない。もしこのような生き残り、戦い続けるための態勢を急きょ整備するとすれば、現在の防衛大綱に示された予算規模や自衛官と装備数では、不十分なことは明白である。

早急に大綱を見直し、必要な予算や定数の増加措置をとることが不可欠である。しかし、安倍首相は安全保障法制閣議決定後の記者会見でも、防衛費増額について「この法制によって防衛費自体が増えていく、あるいは減っていくということはない」と述べており、必要な防衛予算増額への意向は示していない。

*危険かつ無責任な「歯止め論」

大半の政党とマスコミは、今回の安全保障法制に対し、「歯止めをかける」ことにより平和が守れると主張している。しかし、わが国を取り巻く安全保障環境は、冷戦時代よりもはるかに厳しくなっている。

冷戦時代、自衛隊は長らく、道北、道東の一角を数個師団規模のソ連軍の侵攻に独力で対処することを前提として防衛力を整備し、訓練を重ねてきた。当時、米軍は、有事には数週間以内に20万人に近い地上兵力を日本に増援し、空母の来援を待ち本格的な攻勢作戦を行うことになっていた。

今では、日本有事に本格的な地上兵力を増援するという構想は、米国にはない。中朝の日本を直接攻撃できるミサイル戦力も核戦力も増強されており、米軍は被害を避けるため、日本有事には1カ月以上、空母も含めて後方の安全な地域に退避することになると予想されている。

この「厳しい現実」を直視し、日本国民も各政党も、日本の安全のために必要な措置として、容認できることは容認し、協力すべきことは協力するとの姿勢をとるべきである。

国の安全保障に責任を負わない政党は政党とは言えない。反対のための反対をしている余裕は、いまの日本にはない。

日本を日本人自らの力のみで守らねばならない時代になった。日本独力で1か月以上守るには、奇襲に堪えて残存する能力と、戦い続ける能力の整備が待ったなしで必要となっている。

そのためには、他の国と同様に、自衛隊だけが守るのではなく、国民が総力を挙げて自らのために防衛に任ずる態勢を早急に作り上げねばならない>(以上)

日本は平和ボケで危機意識ゼロの人が多数派だ。国家総動員法もないし、危機に備えた防空壕や地下要塞もない。核による抑止力もない。ミサイルや弾薬の備蓄も限られている。防衛予算は通常の先進国はGDPの4%だが、わが国は1%しかない。将兵の数も少ない。

「9条があれば戦争はない」という、ほとんど天然記念物のような人が多く、戦意は低調だ。将兵以外の国民は命懸けで国を守るどころか逃げることを考えている。

70年間も惰眠をむさぼっていたから尚武の伝統も消えてしまったようだ。それとも有事の際にはDNAが甦るのだろうか。南シナ海での警戒活動、演習は良い訓練になるはずだ。そのうち小競り合いも起きるだろう。その繰り返しが将兵を鍛えることになる。国民の戦意も高揚するだろう。
(2015/6/6)

2015年06月06日

◆比へ進出した日本企業は印度を超えた

宮崎 正弘 

<平成27年(2015)6月5日(金曜日)通算第4565号 >

 〜フィリピンへ進出した日本企業はインドを超えた
       アキノ大統領来日で、さらに両国関係深まる〜
*********************************


クラーク基地が再開されていたことに驚いたことは述べたが、先月、フィリピン各地を歩いて、日本企業の躍進的な増加にも目を見張った。

フィリピンへ進出している日本企業は1200社前後で、インドのそれは1070社(14年末)だから、ブームのインドより、近場のフィリピンへの進出が際立っていることになる。

マニラの豪華ホテルには必ずと言っていいほどに寿司、天ぷら、鉄板焼きのレストランが入居しているではないか。

クラーク基地を米軍が使っていた頃、アンヘイレスの町は基地城下町、風俗から怪しげなナイトクラブが活況を呈していた。

いま、ここはコリアンタウンに変貌している。そしてクラーク基地の一部は民間空港として再開され、仁川への直行便が飛んでいる。
 
さてフィリピンのベニグノ・アキノ大統領が国賓として来日し、国会でも演説、日本企業との歓迎パーティにも出席し、精力的に共同を謳いつつ、中国の侵略的行為を非難して海洋ルールの徹底、公海の安全を訴えた。珍しく日本のメディアが大きく伝えた。

まずアキノ大当郎は6月3日の「アジアの未来特別セッション」で記念講演に立ち、「中国はスプラトリー岩礁の埋立てを再考するべきであり、領土の主張は不法である。

この懸念は日本も欧米も共有している」と名指しで中国を批判し、「米軍の存在は不可欠であり、フィリピンは日本の安保法制を理解し、支持する。公海の航行の自由と法の支配」を強調した。

ひきつづき6月4日、日比首脳会談が迎賓館で開催され、「南シナ海に於ける深刻な懸念」を共有するとして、「物理的変更をともなう一方的行動の自制を(中国に)もとめる」とする共同宣言を発表した。

南シナ海の一方的行動をやめない中国は、国際社会で四面楚歌になりつつ
ある。
   

◆米中の裏の「黒い交際」

平井 修一



日本戦略研究フォーラム政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司の論考「米国は習政権を揺さぶる1枚目の『対中カード』を切ったか?(続) 」から。

<前回の小コラムで、米証券取引委員会(SEC)が賄賂による人事採用の疑いがあるとして、JPモルガン・チェース(以下、JPモルガン)に中国政府関係者35人の召喚リストを送付し、その召喚状のトップに王岐山の名が記載されていると紹介した。

それ故に、王岐山訪米による(米国に逃亡した中国汚職官僚の)「キツネ狩り」が突然キャンセルされたのかもしれない。

これには続報がある。SECはここ数ヶ月、JPモルガンだけでなく、ゴールドマン・サックス、モーガン・スタンレー、UBS、クレディ・スイス銀行、ドイツ銀行、シティ・グループ等にも採用に関して情報提供するよう要求していたのである。

実際、ゴールドマン・サックスは江沢民・元国家主席の孫、江志成を雇用している。JP・モルガンは光大集団理事長・唐双寧(中国銀行業監督管理委員会副主席を務める)の息子、唐暁寧を採用した。同社はかつて鉄道省(2013年に解体)運輸局長だった張曙光の娘、張西西(音訳)も入社させている。

以前JPモルガンは(当時首相だった)温家宝の娘、温如春(仮名:常麗麗Lily Chang)の会社(従業員2人)に毎月7万5000米ドル(約900万円超)を支払っている。年額にすると90万米ドル(約1億8000万円以上)に上る。

また、同社は高虎城・現商務大臣の息子、高〓(王篇に玉)を縁故採用している。採用面接で成績が悪かったにもかかわらず雇用した。

この不適切な人事には、当時の同社幹部、ウィリアム・ディリー(オバマ政権で大統領首席補佐官や商務長官等を歴任)が関与していたという。

つまり、中国共産党の「紅二代」(建国に功績のあった党幹部の二代目)、「官二代」(党・政府等の高級幹部の二代目)らは、一部の米財界と中共をつなぐ“架け橋”の役目を担っていると考えられよう。

これらの事実から推察すれば、ホワイトハウスの一部と中共が癒着している可能性を排除できない。また、米巨大銀行・証券会社は中共最高幹部と浅からぬ関係があると言えよう。前者が後者から、何らかの利益供与を受けていると疑われても仕方ない。

ひょっとすると、米中両エリートは表面的な米中“政治的対立”とは裏腹に、陰ではお互い親密な関係にあるかもしれないと考えられる。

前回の小コラムで、中国海軍が南シナ海で実効支配を固めつつあるとも指摘した。フィリピンなどのASEAN関係諸国ばかりか米国さえもが、中国による同環礁の人口島構築に対して神経を尖らせている。

米政府としても、これ以上中国軍の勝手な行動を許すわけにはいかない。そこでオバマ政権は中共に揺さぶりをかけようとして、SECを通じて1枚目の「対中カード」を切った公算が大きい。もしこれ以上中国が南シナ海で好き勝手をすれば、米政府は次々と「対中カード」を切るというサインである。

ただ問題は、習近平政権がしっかりと人民解放軍を掌握しているか否かだろう。もし習政権が軍を掌握できていれば、米政府のSECを通じての“警告”に耳を傾け、南シナ海の“膨張政策”をある程度抑制するかもしれない。その場合は同海域の「現状維持」が保たれる。

けれども習政権の意図とは関係なく、軍が独自に行動しているとなれば事態は厄介である。中国軍は米国の“警告”を軽視し、今まで通り“膨張政策”を継続するに違いない。

そして、中国軍は(習近平が掲げた「中国の夢」)「偉大なる中華民族の復興」「中国的世界秩序」の復活の実現化を試みようとするのではないか。

果たして「現状維持」勢力である日本・米国・インド・オーストラリア等が連帯し、「現状打破」勢力である中国の“野望”を打ち砕くことができるのだろうか。

南シナ海で米国がその関与を減少させ、我が国が「集団的自衛権」の行使を自粛するなど、日米が一部のASEAN諸国に対し“非協力態度”が明白になるとしよう。その時中国軍は嵩に懸って、同海域で“膨張”するに違いない>(以上)

お代官様=中共、越後屋=米国か。毒饅頭をあげたり、貰ったり。これが中共流ウィンウィンだ。

それにしても支那人は利権や金を餌にして米国エリートをたらしこむのが実にうまい。戦前からそうだ。クリントン夫妻も亭主が大統領になってから(なる前から?)中国系マネーを稼いできた。日経BP2007年9月11日の古森義久氏の論考「疑惑の中国系マネーが民主党に」から。

<ますます熱気を増す米国大統領選挙キャンペーンで不正のにおいの濃い中国系マネーの流れが明るみに出た。同時にその中国系マネーを動かしていた刑事被告人の中国系米人の逃亡や逮捕がミステリーを深めている。

この疑惑の中国系マネーは、ヒラリー・クリントン上院議員をはじめ民主党政治家たちに集中して寄付されており、その巨額の資金の出所が果たしてどこなのか、疑惑の輪は広がり、これからの大統領選挙戦をも揺さぶりそうである。

米国の民主党には巨額な中国系マネーの流入では過去に多数の実例がある。

中国系米人ジョニー・チャン氏は中国人民解放軍の傘下企業幹部から渡された秘密資金のうち10万ドルを民主党全国委員会に寄付し、見返りの形で同幹部をクリントン大統領との会見に招いた>(以上)

この記事から8年後の今はヒラリーが主役だ。堀田佳男氏の論考「史上空前、3000億円の選挙資金を集めるヒラリー」(JBプレス4/16)から。

<今後ヒラリーの選対は有権者の心に響くメッセージと政策を打ち出す必要があるが、選挙で「もっとも重要」と言って差しつかえない集金術はすでに作り上げられている。

端的に述べると、ヒラリー陣営は25億ドル(約3000億円)を集めるつもりなのだ。

これは公式な選対が集金するカネだけでなく、「ヒラリーを大統領に」といった非営利団体、さらに「プライオリティーズ・USA」などのスーパーPAC(特別政治活動委員会)と言われる団体が集めるカネも含まれる。

3000億円という金額は途方もない数字だ。もし集金できたとすると、歴史上、政治家が集める資金としては史上最高額になる。

どうしてヒラリーはそこまでカネにこだわるのか。

第2次世界大戦後の大統領選の歴史を眺めると、より多くの選挙資金を集めた候補が勝ってきている事実がある。例外はない。選挙資金の集まりが悪い候補は大統領選では勝てないのだ。

例えばオバマ大統領の2008年と2012年、いずれも共和党候補(マケイン候補とロムニー候補)よりも多額の選挙資金を集めている。その前のジョージ・ブッシュ前大統領も2000年と2004年の両選挙で、民主党候補(ゴア候補とケリー候補)よりも多くのカネを集めた。

選挙戦で重要な要素として、選対の組織力、政策、候補の知名度、資質、指導力、判断力、将来性など、有権者が考慮すべき項目は数多いが、選挙資金ほど重視しなくてはいけない。

選対スタッフは、来年11月までに3000億円を集める戦略を練り、すでにカネ集めがスタートしている。

まず財政担当の責任者として、クリントン財団からデニス・チェン氏という人物を起用した。チェン氏はクリントン家が力を入れている財団の財政を一任されていた男性だ。

2011年にクリントン財団に入って以来、総額2億4800万ドル(約300億円)もの巨費を集めている>(以上)

凄腕、辣腕だが、Dennis Cheng, who? 国務長官時代のヒラリー子飼いの側近だ。35歳という若さ! 写真を見たら中国系らしい。米国越後屋は支那と親和性があるのだ。「黒い交際」になりやすい。(2015/6/5)


    

◆赤の広場で 届け「お客さまの声」

黒川 信雄



「その話、“お客さまの声”に書いてもらえませんか?」

若い男性客室乗務員は私にそう言った。出張から帰任する際の飛行機の中での出来事だ。

あるロシア系の航空会社を利用したが、乗務員の少なさに驚いた。エコノミークラスでは130人超の乗客に、わずか2人で対応していた。食事の配膳は当然遅く、不満げな客もいたが、20歳前後の若い男性乗務員と、少し年上の女性乗務員は黙々と作業を続けていた。

水をもらいに行った際、つい声を掛けたくなった。「以前から2人での業務ですか?」と聞くと、彼は「しばらく前からです」と答えた。昨年末のルーブル暴落などで海外旅行客が急減して、航空業界は一気に冷え込んでいた。

私が「少ない人数でよく対応されていますよ」と言うと、彼は思い切ったように、乗客の感想として一筆書いてほしいと頼んできたのだ。快諾し、希望に応じて日本語でも書いた。彼は日本語が書かれている様子を初めて見たといい、日本のスポーツカーが大好きだと語ってくれた。

 今のロシアの不況の原因はもっぱら政治にある。若い彼らはその被害者に思えてならなかった。あの“声”が少しでも彼らの社内評価を上げてくれていればと思った。
産経ニュース【外信コラム】2015.6.5

◆緒方竹虎氏の押し付け憲法論

阿比留 瑠比


月刊誌「明日への選択」6月号が、朝日新聞の主筆・副社長から政界に転身して吉田茂内閣で副総理・官房長官を務め、首相の座まであと一歩のところで急逝した緒方竹虎氏の憲法改正論を紹介していた。

緒方氏が昭和30年に、母校の福岡県立修猷館高校の創立70周年に際して行った記念講演を取り上げたものだ。筆者も早速、講演録を読んでみたが、改憲にかける熱情が伝わってくる。

緒方氏は例えば、こう訴えている。

「強制の事実が露骨」

「憲法の改正の理由の一つは、あの憲法が占領軍によって強制されたというその事実があまりに露骨になっている」

「強制された筋道があまりにはっきりしている。これでは私は国民の独立の気迫というものが浮かんでまいらないと思う」

「同じ憲法を起草するに致しましても、これを自主的に検討致し、もう一ぺん憲法を書き直す必要があるというのがわれわれの決意であります」

緒方氏はまた、連合国軍総司令部(GHQ)が昭和21年2月、米国製憲法草案を幣原喜重郎内閣に突きつけた当時、憲法担当相だった松本烝治氏の次の憤りの言葉を引いている。

「自分はそれ以来、日本の憲法は見る気がしない。どういう憲法が結局において起草されたかということについて知らないのだ」

その上で緒方氏は、母校の後輩たちにこう熱く呼びかけている。

「日本の国家興亡の基本をなしておりまするこの憲法が、そういう沿革を経たということが国民の間に浸潤しておりましては、国民の独立の気迫というものは私は湧いてこないと思う」

「どうか修猷館を卒業される皆様こそ、日本独立気迫の中心をもって任じ、将来、日本を立派な国に仕立て上げ、日本の3千年の歴史にこういう時代もあったが、九州の一角における修猷館の人たちによって、日本再建の推進が行われたということを、将来の歴史に残していただきたい」

長々と引用したが、明確なのは、緒方氏が「押し付け憲法論」を自明のこととしてとらえていることだ。

朝日社説より冷静

ところが、その緒方氏が昭和19年7月まで所属していた朝日新聞は現在、このように主張している。

「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は『押し付け』だったのだろう。この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を『輝かしい顔』で歓迎した国民の側に立つか、『仏頂面』で受け入れた旧指導層の側に立つかによって分かれるのではないか」(5月3日付社説)

春秋の筆法によれば、朝日新聞は自社で主筆まで務めた緒方氏は「天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層」であり、国民の側に立っていないと決めつけていることになる。

「この(現行憲法の)成立過程について問題である、あるいは問題ではないという議論は当然あると思うが、この事実については当然認識しておく必要はあるのだろう」

安倍晋三首相は平成25年10月の衆院予算委員会でこのように答弁している。

「押し付け」だったと素直に認めることを感情的に拒否し、異なる意見にレッテルを貼ろうとするかのような朝日新聞の社説より、よほど冷静で理にかなっている。

 泉下の緒方氏が現在の朝日新聞の憲法論を読めば、果たして何と言うだろうか。
(政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2015.6.4

2015年06月05日

◆井尻千男氏、6月3日急逝

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)6月3日(水曜日)通算第4564号> 

井尻千男氏、急逝

評論家で前拓殖大学日本文化研究所所長の井尻千男(いじりかずを)氏が6月3日、急逝された。

氏は評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。また三島由紀夫追悼の「憂国忌」の代表発起人のひとりとして、憂国忌では「武士道の悲しみ」で記念講演のほか、シンポジウムに何回か出席され、烈烈たる憂国の弁を奮われた。

氏は立教大学文学部日本文学科で村松剛の薫陶を得た。

入社した日本経済新聞社ではコラム『とじ糸』『活字のうちそと』を執筆、編集委員を経て1997年に退社した。以後は拓殖大学教授、日本文化研究所長を務め、拓殖大学で一般人を含めての公開講座「新日本学」を主宰
した。

季刊誌『新日本学』には錚々たる保守系文化人が執筆した。また1997年から2002年まで『週刊新潮』にコラム『世間満録』を連載し好評を得た。小堀桂一郎、入江隆則両氏を中軸に4月28日の主権回復記念日を祝日として制定しようと孤軍奮闘、毎年4月28日に「主権回復記念国民集会」を主催された。ことしも病苦を押して、病院から車椅子で会場に駆けつけられ振り絞るような情念で主権の重要性を訴えた。

氏は数寄者としても著名で、宏大な長屋門もある自宅の庭に遠州流の茶室を設計し、毎年春の桃を見る会では友人らを招待して茶を振る舞った。

2014年7月に入院し、8月に一時退院してヨーロッパに旅行。帰国便で病状が悪化し、入退院を繰り返してきた。合掌。
    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 通夜、葬儀のご案内です
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  通夜 6月6日(土曜) 午后6時―7時 
  葬儀 6月7日(日曜) 午后1時
  場所 山梨市下井尻1095 井尻邸
  喪主 井尻佳世子
  葬儀社 042−626−6440
  上記葬儀社では生花の手配をします。
 
 井尻千男氏への追悼 宮崎正弘

初めて井尻さんと会ったのは30年以上前である。村松剛さんを囲んで六本木で飲み会があり、ほかに当時「諸君!」編集長だった白川氏と中川八洋氏。田久保忠衛氏もいたような記憶がある。記憶違いかも知れない。フランスのワインを相当飲んだ。

まだ井尻氏は日本経済新聞の文化部に在籍しておられ、毎週コラム「とじ糸」を書かれていた。その辛辣な、それでいて歯切れの良い文章は行間にも蘊蓄がただよい、ファンが多かった。

そうだ、村松氏は当時、その新聞に「醒めた炎」を連載されていた。

酒席で何を議論したかはさっぱり忘れている。小生は酒席となると論議よ
り酒の方だから。

ほどなく、様々な会合で顔を会わせるようになり、しかも氏は酒が殆ど飲めないが、タバコはショートピースをこよなく愛され、

「それ三島由紀夫が好きだった銘柄です」と言うと、嬉しそうにして、こう言った。

「じつはあの日(昭和45年11月25日)、三島さんに電話して日経の新春特集のインタビューの段取りをすることになっていた」。

三島は井尻さんに「猛烈に忙しいので、11月25日に電話をしてくれ」となにか、悪戯のように言っていたのである。

その日、昼前に神田を歩きながら、井尻さんは、どういう電話にしようかと思案していたら、三島自決のニュースが飛び込んできたと井尻さんはつけ加えるのだった。

爾来、憂国忌の発起人に加わってもらい、何回か講演をして貰った。

また日経を辞めて、拓殖大学教授になり、日本文化研究所設立に尽力され、機関誌(季刊『新日本学』。当初は『日本文化』だった)の編集・発行も精力的に開始された。

毎月どころか、当時は毎週一回という『日本学講座」を開講、小生も必ず講師陣に加えられ、あげくには季刊雑誌にも何本か、書かされた。

この講座には呉善花、黄文雄、藤岡信勝、田中英道、小堀桂一郎、藤井厳喜の各氏らが常連となり、終わると必ず茗荷谷の居酒屋に集まって気勢を挙げる。

殆ど毎回、小生も出席したが、この聴講生のなかから石平ら新人が誕生したのだった。

また同時並行して4月28日に『主権回復国民会議」を九段会館で開催され、小生も過去に2回、講話を求められて出席したが、入江隆則氏、小堀桂一郎氏の3人で立ち上げ、各団体に協力を求めた。

「『春の憂国忌』と名付けましょうか?」と小生が提案したほどに年中行事と化した。

そしてまた春に山梨の井尻邸にあつまって、桜と桃と梅をめでる(三春)会を四月の土曜に主宰され、初回から参加した。この意趣な、数寄屋風の催しには、小田村四郎、竹本忠雄、西尾幹二の各氏がよく参会されて、井尻さんの先祖の話を聞いた。

六角佐々木氏の流れをくむご先祖が、戦国末期に山梨へながれつき、地名の井尻から、井尻性と変えたという謂われを伺うとなるほど宏大な屋敷、長屋門、鯉が数百匹もいるかと思われる池のある日本庭園。そして茶室。豪族の名残をとどめる邸宅の風情は、主張を譲らない生硬な氏の性格を代弁しているのかも知れないと思った。

氏の文章は第一に高潔であり、何を論ずるにせよ、緊張が漲る。底流にあるのは尚武の精神、武士の心構えであり、そして古き良き時代の価値観を喪失した現代日本への哀惜に他ならなかった。

想い出は走馬燈のように駆けめぐる。

一緒に台湾へ行ったときは李登輝さんとも会ったが、拓殖大学の育ての親でもある後藤新平の銅像をみて、「写真を撮ってくれ」と頼まれたり、村松剛さんの10回忌では司会の大役をこなされ、数年前に奥さんを亡くされたおり、あの広い庭園が通夜会場となって、無数の生花がが並んだ。

あるとき、氏の出版記念会をしかけたが、茶立てと和服出席歓迎にこだわった。小生の出版記念会でも祝辞を述べて貰ったが、辛辣な批判はなかった。

昨年の櫻を見る会でも、普段と変わらぬ風情で都市建築設計など持論を展開され、小生は松本へ行く列車の時刻となったので中座したが、ほかの参加者にあとで聞くと上機嫌だったらしい。ことしの櫻を見る会、小生どうしてもベトナムに行っており、珍しく欠席となった。

入退院のことは聞いたいたが、なにか虫の知らせだろうか、五月末に、山梨の病院に見舞うと懐かしそうにしっかと手を握って、一時間近く喋りつづけた。それから10日後に訃報に接した。合掌。

◆誰しもが納得する談話を

加地 伸行 


安倍晋三首相閣下。近く御(ご)発表予定の戦後70年談話案は、目下、鋭意御検討中と存じます。

就きましては、老生、一案を本紙を通じまして献呈申しあげます。民間草莽(そうもう)の身の粗文でありますが、御高覧を切望いたしております。

草案の方針は2点。第一点は国民の誰もが納得すること。

いわゆる右も左も老いも若きも男性も女性も、誰しも(あえて言えば、広く中韓さえも)が納得する文章にすることである。もちろん、村山談話、河野談話を越えてである。これは至難の業(わざ)である。

そこで、老生、熟考の末、結論を得た。すなわち、あえて日本国憲法の前文から文章を採(と)り、それを踏むことにしたのである。

改憲論争はあるが、それは近い将来の別の問題。現下では、日本国憲法という〈国憲を重んじ国法に遵(したが)う〉(教育勅語=ちょくご=のことば)ことに対して、誰しもが同意する。少なくとも単に否定することはできない。とすれば、条文は別として、前文を踏むのは妥当である。ただし、必要なことばを加えた。その箇所は傍線付きで印字してあるので注意されたい。

第二点は東洋的格調が漂うこと。となると、結びは、東北アジア儒教文化圏に共通の古典を引用すべきであろう。

例えば、『論語』八●(はちいつ)篇にある逸話。過ちを犯した弟子に対して、孔子はこう諭(さと)した。

「できたこと(成事=せいじ)はしかたがない。すんだこと(遂事=すいじ)は注意しない(叱らない)。過去(既往=きおう)はとがめない」と。

これは表現を3度変えて温かく諭した、心に響くことばである。中韓の心ある人ならば、必ず受けとめうるであろう。

以下、その草案である。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって 自由のもたらす恵沢を確保し、自衛を除き、政府の行為によって再び戦争が起ること のないようにすることを決意し、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇 高な理想を深く自覚するのあっ
て、平和を愛する近隣諸国民の公正と信義を信頼し て、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

また、われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認し、かつ、いずれの国家も、自国のこと のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的な ものであり、この法則に従うことは、自国の主張を維持し、他国と対等関係に立と うとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成いたしたい。

『論語』に曰(いわ)く、「成事は説(と)かず。遂事は諫(いさ)めず。既往は咎(とが)めず」と。
 
●=にんべんに分の刀を月に

(かぢ のぶゆき 立命館大フェロー)

産経ニュース【古典個展】2015.5.31
              (採録:松本市 久保田 康文さん)

        
          

◆国を破滅へ導く習政権暴走

石 平



先月21日掲載の本欄で「米中冷戦の幕開け」と書いたところ、両国関係は、まさにその通りの展開となった。

まずは5月20日、中国が南シナ海で岩礁埋め立てを進める現場を偵察した米軍機は中国海軍から8回にわたって退去警告を受け、その衝撃的な映像が米CNNテレビによって公開された。

翌日、ラッセル米国務次官補は人工島の周辺への米軍の「警戒・監視活動の継続」を強調し、国防総省のウォーレン報道部長はさらに一歩踏み込んで、中国が主張する人工島の「領海内」への米軍偵察機と艦船の進入を示唆した。

これに対し、中国外務省は同22日、「言葉を慎め」と猛反発したが、同じ日、バイデン米副大統領は中国の動きを強く批判した上で、「航行の自由のため、米国はたじろぐことなく立ち上がる」と高らかに宣した。そして、それを待っていたかのように、中国は26日に国防白書を公表し、「海上軍事闘争への準備」を訴え、米軍との軍事衝突も辞さぬ姿勢をあらわにした。

アメリカの方ももちろんひるまない。翌27日、カーター米国防長官が人工島付近で米軍の艦船や航空機の活動を続ける方針を改めて示したのと同時に、「米国は今後数十年間、アジア太平洋の安全保障の主導者であり続ける」と強調したのである。

この発言と、前述のバイデン副大統領の「立ち上がる発言」とあわせてみると、中国の過度な拡張を封じ込め、アジア太平洋地域における米国伝統のヘゲモニーを守り抜こうとする国家的意思が固まったことは明白である。実際、2020年までに海軍力の6割をアジア地域にもってくるという米軍の既成方針は、まさにそのためにある。

問題は中国がこれからどう対処するかだ。現在のところ、習政権がアメリカに配慮して譲歩する気配はまったくない。5月31日のアジア安全保障会議でも、中国軍の孫建国副総参謀長は「われわれはいかなる強権にも屈しない」と宣言した。このままでは米中冷戦の本格化は避けられない。対立はますます激しくなる可能性もある。

しかし中国にとって、今の時点でアメリカと対決ムードに入ることは果たして「吉」なのか。国力が以前より衰えたとはいえ、今のアメリカには依然、中国を圧倒する経済力と軍事力がある。

今後、アジアで米国勢と全面対決していくためには、習政権はいっそうの軍備拡大を急がなければならない。4月2日掲載の本欄が指摘しているように、ただでさえ中国経済が衰退し国の財政が悪くなっていく中で急速な軍備拡大は当然国の財政を圧迫して経済成長の足を引っ張ることとなろう。

しかも、アメリカとの政治的・軍事的対立が長期化してゆくと、中国の重要な貿易相手国でもある日米両国との経済関係に悪い影響を与えることは必至である。米中抗争の激化によってアジア全体が不安定な地域となれば、中国が次の成長戦略として進めている「AIIB(アジアインフラ投資銀行)経済圏」の構築もうまくいくはずがない。

そうすると、中国経済の行く末は暗澹(あんたん)たるものとなっていくだろう。経済がさらに傾いて国内の社会的不安が高まってくると、独裁政権の常として、国民の視線をそらすためにいっそうの対外強硬路線に走るしかない。それがまた米中関係のさらなる悪化を招き、アジアを不安定な状態に陥れ、中国経済をより沈没させてしまう。

トウ小平氏の老獪(ろうかい)な「韜光養晦(とうこうようかい)戦略(能力を隠して力を蓄える)」から踏み外し、アメリカとの対決を性急に早まった習政権の暴走は結局、中国を破滅の道へと導き始めることとなろう。

あるいはそれこそがアメリカが望むシナリオかもしれない。最後に笑うのはやはり、ワシントンの人々だろうか。

                ◇

【プロフィル】石平

せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

産経ニュース【石平のChina Watch 】2015.6.4
               (採録:松本市 久保田 康文さん)