2017年03月26日

◆李垠、李方子両殿下所縁の地を訪ねて その4

室 佳之



ここまで李垠・方子両殿下の足跡を小生なりに辿ってきた。本来であれば
お2人のご成婚がどのような経緯で進められたか等々も書かねばならない
のだろうが、大方関連書籍に出ており、今更とも思い、そこは触れてこな
かった。

日韓融和の象徴という、もちろんそれも期待されたのだろうが、素人の小
生がその点を何やかんや書いても詮無いことかと思う。しかしながら、李
朝王族方と日本の皇族との関係において、何人か紹介したい方々がおられる。

そもそも李垠殿下は、方子妃殿下が正式な妃となる前の、日本留学前の10
歳の頃より、閔甲完(びん・こうかん、ミン・カブァン)という将来の妃
となる方がおられた。方子妃殿下もこの方のおかれた境遇には、とりわけ
心を痛められていたことを自伝において書かれている。

許嫁となったからには、決して他の男性へ嫁げないという厳しい掟があ
り、生涯独身を貫かれた。

一方、方子妃殿下について云えば、実は、昭和天皇の妃候補の3人のうち
のお一人であった。昭和天皇と同じ年のお生まれで約半年違い。あとのお
二人が、皇后となられた久邇宮良子(くにのみやながこ)女王(香淳皇后
陛下)と一條朝子(ときこ)のちの伏見宮博義王妃殿下である。一説に方
子妃殿下は、どういう根拠だか分からないが不妊症だから昭和天皇の妃候
補から外れたという。

そうだとすれば、李垠殿下とのご成婚は、お家断絶を目論んだのかとも受
け取れる。しかし、実際は男子お二人をご出産されている。

日韓で結ばれたケースが実はもう二組ある。お一人は『その2』で紹介し
た垠殿下の異母妹『徳惠(トッケー)』姫である。垠・方子両殿下ご成婚
の際には、可愛らしく御そばにおられたそうだが、日本留学後に旧対馬藩
主である宗武志(たけゆき)に嫁ぎ、長女正惠(まさえ)をお生みになっ
たものの、今でいう統合失調症が年々悪化し、松沢病院(=古くからある
東京の精神科病院)へ入院されるほどとなった。戦後離婚しており、晩年
は韓国へ帰国され、方子妃殿下とともに過ごされた。

もうひと方は、垠殿下の異母兄(27代純宗王の異母弟でもある)『李堈
(り・こう、イ・ガン)』の長男である『李鍵(り・けん、イ・ゴン)』
公である。垠殿下の甥にあたる。李鍵公は、松平誠子(よしこ、のち佳
子)と結ばれるが、実のところ誠子妃は方子妃殿下の母方(伊都子妃)の
従姉妹という、ここにも不思議な縁がある。

李鍵公は王族身分であったが戦後は臣籍降下となり、日本人として生きる
ことを決意し『桃山虔一』となる。渋谷で屋台のお汁粉屋を営みはじめ、
それを傍からご覧になった李垠・方子両殿下が強く感銘を受けられたよう
だ。しかし、鍵・誠子は行き違いにより戦後離婚される。結果的に、3組
の日韓の家族は、2組が離婚することとなった。

これとは別に、上述の李鍵公の弟である『李鍝(り・ぐう、イ・ウー)』
公は、日本人とは結婚せず、韓国人朴賛珠(ぼく・さんじゅ、パク・チャ
ンス)と結婚された。

方子妃殿下は、自身たちのことと比較して、韓国人同士で結ばれたことを
喜ばれていた。しかし、悲劇が待っていた。陸大54期卒業で、中佐にまで
昇進し、昭和20年7月に方子妃殿下とご対面した李鍝公は、直後の8月6日
に広島で被爆死される。

側近の御付武官吉成弘は責任を取って自決された。思い返せば、昨年オバ
マ米大統領が広島訪問の際のスピーチにおいて、犠牲者にKoreansと加え
たのは、李鍝公が象徴となっていたからではないのだろうか。

以上、見てきた通り、李王族は垠・方子両殿下のみならず、その周りの
方々も大きく近現代史に左右されてきていることが分かる。

戦後、李承晩(り・しょうばん、イ・スンマン)大統領は、垠・方子両殿
下に対し実に冷たかった。李承晩は、垠殿下と同じ全州(チョンジュ)李
氏であるため、王政復古を疑い、韓国への帰国を最後まで許さなかった。

その証拠に、李承晩が来日された際、方子妃殿下がご帰国の希望を直訴さ
れたにもかかわらず、ほとんど取り合わなかった。

方子妃殿下は、ご帰国をとにかく望まれたのだが、その理由は垠殿下の体
調悪化による。脳溢血により徐々に弱っている中、何としても故郷の地へ
帰らせたいという思いがあった。ようやくその思いを汲んだのが、先日弾
劾された朴槿惠大統領の父、朴正煕である。

当時(1961年以降)朴正煕は『(垠殿下が)日本でお亡くなりになったら
民族の恥』と云い、皇室からの援助も乏しくなった両殿下を全面的に支援
する旨を宣言される。

方子妃殿下が御帰国後、韓国での福祉事業に携わる際は、朴正煕夫人の陸
英修(りく・えいしゅう、ユギョンス)女史も、度々妃殿下のことを援助
されたようだ。

余談だが、小生の手元に17年前に購入した陸英修夫人の肉声テープ(月刊
朝鮮発行)があり、テープを聴いているとその明るい話し方が国民を魅了
し、国母であったことがよくよく分かる。その陸夫人は在日朝鮮人の凶弾
に倒れ、さらに朴正煕は側近の凶弾に倒れた。形を変えて今回は、長女の
朴槿惠が弾劾という形で大統領職から引きずり降ろされた。

偶然にも今年は朴正煕生誕100年である。小生は弾劾決定の翌日、朴正煕
のソウル時代の家屋(ソウル市中區新堂洞=シンダンドン)を訪問した。
案内人は、長女槿惠弾劾を口惜しがっていたが、それとともに今年の生誕
100年祭が開かれるのか心配されていた。混乱が混乱を招き、つくづく残
念な結果を招いている韓国社会である。

李垠・方子両殿下が望まれた安寧の社会となる日はまだまだ遠いのだろう
か。ほとんど力となれていないが、両殿下のご遺志を少しでも実現すべく、
微力ながらこの先も韓国との所縁を大事にしたいと心新たにした8年ぶり
の渡韓であった。

尚、今回の拙文は、『その1』が頂門の一針に掲載されなかったので、下
記小生のブログアドレスを載せるので、ご関心あれば訪ねてみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamar5251/13692132.html

2017年03月25日

◆「措置入院」精神病棟の日々(18)

“シーチン”修一 2.0



3/12にほとんど戦死状態になって総合病院に救急搬送されてから食生活を
見直してみた。それまでの体調は「悪い=大雨」が常態化し、ときどき
「良くはない=曇」、たまに「最悪=大雨」で、まず晴れ間がない。北
陸・東北の日本海沿岸のどんよりした冬みたいだ。ブルーである。

(新潟県高田市出身の知人が「太平洋岸に暮らすと高田に戻る気になれな
い」と言っていたし、「頂門」主宰者の渡部氏は「東京に暮らすと故郷秋
田の人々に申し訳ない気持ちがする」としばしば書いていたっけ。越前・
福井県が元気なのは不思議だが、必死で働かないと食えない→毎日頑張る→
元気ということか)

「ブルー」というのは、体がいつも「まるで揺れているよう」に不快で、
これはうつ病のせいだろう、あるいは薬の副作用かと小生も多分医者も
思っていたが、実際に自分の影が揺れているのを見て、「これはどうもメ
ンタルのことではなく、昨秋から続く下痢によるカロリー不足が原因かも
しれない、この際、できる限り乳製品を摂らないようにしよう」と判断した。

で、断酒以来、好物になっていた乳製品のチョコやクッキーを控えた。カ
ミサン曰く「お酒で糖分を摂っていたのが、断酒によって糖分不足なり、
甘いものが好きになるのよ」。なるほど、体が甘味を欲しがるわけだ。血
糖値が下がるとすぐにふらふらする。

乳製品の代わりに和菓子(小生がバカにしていたアンコ、羊羹など!)を
食べるようになり、併せて正露丸も飲むようにした。「昔から下痢には正
露丸よ。子供の頃は皆貧しかったから医者に行く余裕はないし、虫歯でも
正露丸で癒していたわ」

そう言えば小生も正露丸のお世話になっていたっけ。当時は家庭の常備薬
だったろう。

正露丸・・100年以上の歴史があり、旧称は「征露丸」。つまり「ロシア
をやっつけるぞ」という意味だ。日露戦争の戦場となった支那大陸は水は
良くないし(支那人はタフだから日本人が不適と検査した井戸の水でも
OK、台湾出兵では多くの日本兵が下痢を伴う熱帯病で死んでしまったが現
地の土民は平気だったようである)、日本兵にとって「征露丸」は常備薬
ではなかったか。

数十年ぶりに飲むこの正露丸、実によく効いている。飲み始めたら翌日か
ら下痢がほとんどなくなり、やがて立派な健康便が出るようになった。お
腹の調子が良くなると、お腹に力が入り、何となく元気になりつつあるよ
うな感じがする。ラッパのマークの正露丸信仰は当分続きそうだ。

元気になるとそれまで放置していた掃除やら営繕に手を出したくなる。
2017/3/20(月)、この日はジャズブルースのT-Bone Walkerが歌う'Call
it stormy Monday but Tuesday is just as bad'、まさに嵐のような2日
間になってしまった。

月曜日、早朝からシャッター通りの無住の店舗周りを掃除したが、他人の
家の敷地に手を出すことは法的に問題だろうが、もう放っておけないほど
ゴミだらけで、散歩やゴミ出しで毎朝通るところだから目について不愉快
千万、ここは緊急避難的に掃除するしかない、と断行した。

すっかりキレイになり、いい気分で午前11時、洗面化粧台のお湯が出ない
ので(蛇口の機関部のスピンドルの摩耗で水漏れするから、その手前の元
栓を締めていた)、この復旧作業に取り掛かっていたら、配管から元栓部
分が破断して水がすごい勢いで飛び出してきた。築32年で水道管が劣化し
ていたのだ。

「ギャーッ!」と叫んで公休のカミサンに「も、も、元栓を締めてくれ」
と頼み、大小タオルなど10枚ほどでどうにか水を吸い取ったが、とにかく
元栓を開けなければ水道が使えないから、まずは破断個所を塞ぐしかない。

あれこれ考えて金属製の蓋をしたが、「接着剤がある程度は効き始めただ
ろう」と午後4時に元栓を開けたら蓋が吹っ飛んで再び水浸し。元栓を締
めて、今度は金具で蓋を固定したところ、漏れるもののどうにか収まった
が、漏水を孫が風呂場で使うビニールプールに溜め、ある程度の量になっ
たら給水ポンプで風呂桶に送るようにした。

この間、カミサンはバケツやペットボトルに水を溜め、当座の利用に備
え、小生は後片付けをし、「もうパワーがないから明日考えよう」となっ
たのだが、所詮は素人の応急手当でいつ蓋が吹っ飛ぶかもしれないので、
なじみの水道屋に連絡すると「今は手一杯で早くても4月後半になりま
す」とのこと。そう言えば年度末で忙しい時期なのだ。

翌火曜日の朝、1Fのテナントから「水が出ない、床に直径40センチほどの
水溜りができている」と言われたので、1Fの元栓を開き問題解決、やがて
2Fの元栓を開いたらなんと再び蓋が吹っ飛んで大洪水、1Fにもかなりの水
溜りができてしまった。商品の上に落ちなかっただけ幸運だった。

とりあえず元栓を再び締めたが、夕食やトイレ用に水を大量に確保してお
かなくてはならない。幸いにも1Fの屋外共用蛇口から水を得られるので、
小生は両手にバケツを持って「お爺さんは1Fへ水汲みに、お婆さんは職場
へ行ったとさ」。トホホ・・・

娘2人は翌日水曜日の夕方からミスチルのコンサート(渋谷のNHKホール)
へ行くため、わが家は孫3人を預かることになっていたが、水道が使えな
ければ風呂場も使えない。そこでカミサンが長女に「自宅で風呂を済ませ
てから子供を預かる」と電話すると、焦った長女は水道屋の跡継ぎに電話
をし、急遽、水曜日の朝に公休にもかかわらず跡継ぎが来てくれることに
なった。なんと跡継ぎとその妹は長女の友達だったのだ。

水曜日の朝から跡継ぎが修復工事を始め、午後2時には完全に復旧した。
後片付けや孫の世話、夕食作りなど、なんだかんだで小生は疲労困憊した
が、娘はいつもの数万人の屋外コンサートと違って3000人収容の会場、し
かも席とステージはたったの15メートルで、「これまでは豆粒のようだっ
た桜井さんの顔もはっきり見えた、もう大興奮!」と大喜びだった。

カミサンは疲れ果てた小生に「明日もみんな来るけれど、私は明日休みだ
からアンタは休んでていいからね」。夕食を用意し終えた老兵は3Fへベッ
ドに倒れ込んだのである。小生のStormy Monday and Tuesdayはかくして
終わった。

病棟日記<【2016/11/16】明日のカウンセリングに備えて「(男は辛いよ
(1)モンスター化する妻たち」を清書した>

前置きが長くなってしまったので、委細は次号で。(つづく)2017/3/23





2017年03月22日

◆台湾の自衛力

Andy Chang



中国の強い圧力にもめげず韓国はサード(THAAD、終末高高度防衛)ミサ
イルを導入すると決定した。日本の自衛隊は2年前からサードミサイルの
導入を検討していて、稲田防衛相は今月13日にグアムの空軍基地でサード
ミサイルを視察した。

ところが台湾では同じ日に国会で議員から台湾にサードの導入を聞かれた
馮世?国防部長はNoと答えた。しかも馮世?部長は理由を聞かれて、台湾は
米中間の戦争に巻き込まれたくないと答えたのだ。

●サード導入に反対の理由

馮世?部長が導入に反対した理由の第1は、台湾は米中間の戦争に
介入せず中立を守る。台湾は自国の主権を守るために戦うべきで他
国を援助すべきではないと言ったのだ。

これは誰でもおかしいと感じる。アメリカは台湾の安全を守ること
を法律で決めている。つまり台湾の敵か味方かはすでに明らかだ。
アメリカに頼っていながらアメリカの味方にならないで中立を守る
と言う理屈は通らない。

米中戦争に巻き込まれたくないと言っても戦争になれば中国は真っ
先に台湾と沖縄、グアムを攻撃する。馮世?が台湾は中立を守ると
言ったのは中国に忠誠心を示したのであろう。これが台湾の国防部
長なら一旦戦争になれば台湾軍はすぐに降参するか、それとも中国
に寝返るかもしれない。この男は早急に更迭すべきである。

次に馮世?部長は、台湾は中国に近いから高高度ミサイルで台湾を
攻撃する必要がないと言った。だが韓国と北朝鮮はもっと近いけれ
ど韓国はサードの設置に踏み切ったのだ。

中国がサードを怖れる理由はサードのレーダーが広い範囲にわたっ
て敵陣の動きを探知できるからである。サードを台湾に設置すれば
韓国に設置したサードレーダーが探知できない中国の内部や、海南
島や南シナ海まで監視できる。サードを拒否した馮世?は中国の味
方である。

馮世?部長の第三の理由は高価なサードを買う金で他の武器を買う
方が良いと言うのだ。確かにサードは高いだろう。しかしサードは
中国の動きを監視できるから台湾の安全にも寄与するはずだ。

台湾がサードを買わなくてもアメリカにサード基地を貸せば金は要
らない。アメリカの基地があれば中国は台湾を攻撃できなくなる。
台湾を防衛するならこれが最良だ。アメリカと台湾は国交がない。
しかしアメリカは台湾から99年租借で土地を借りて大規模な領事
館を建設した。それならサード基地の租借など簡単である。

台湾の安全はアメリカに頼っているのに台湾の国防部長は中国を怖
れているか、中国に味方しているかのような態度である。台湾はこ
のような軍隊に頼れるだろうか。

●アメリカの軍備提供

アメリカがトランプ政権に変わって台湾に新しい武器を提供すると
言い出した。最近のニュースではアメリカが台湾に高移動性ロケッ
ト砲撃システム(HIMRS)を売ると言ったそうだ。HIMRSミサイルは
射程が200キロもあるので、ミサイル防御の外に中国沿岸のミサイ
ル基地を先制攻撃することもできる。

これについて蔡英文総統は、アメリカが最新武器を提供するなら
F35ステルス戦闘機や潜水艦も売って欲しいと述べた。台湾のニュ
ースによるとアメリカはブッシュ時代に潜水艦を台湾に売ると約束
したが今になってもまだ提供していないと言う。アメリカが最新武
器を提供しないのは台湾の軍部が信用できないからだろう。

三年ほど前にアメリカがアパッチヘリコプターを台湾に売ったとこ
ろ、パイロットの空軍中佐が芸人グループを軍事基地に招待してア
パッチヘリを見せびらかし、コックピットの計器類の写真を撮らせ
た事件があった。しかもこの操縦士は叱責されただけで今でもアパ
ッチのパイロットとして軍務に勤めている。

こんな軍隊にF35ステルス戦闘機を提供したらどうなるか。パイロッ
トが離陸して台湾のレーダーから消えたとたんに中国に飛んでいく
かもしれない。潜水艦も同様だ。馮世?部長の話を聞けば台湾軍の忠
誠心に問題があることは明らかである。

●最新武器よりも忠誠心が先決

問題の核心は台湾に中台統一したい人間がいて、おまけに彼らが政
治や軍事の決断をする上層部に居ることである。台湾にはすでに中
国から来た人が数十万も居る。戦争になったら台湾軍が最新武器を
持っていても上層部が降参するかもしれないし、内通する者が居る
かもしれない。国民の85%が台湾人で独立を望んでいても少数の中
国人が政治や軍事を操っていれば安心できない。

台湾人の蔡英文が総統になったが、彼女にとって大切な仕事は台湾
に忠誠を尽くし、台湾のために戦う軍隊を作ることである。それに
は中国系の将軍たちを引退させ、台湾人を上層部に任命して最新武
器を持つ部隊の忠誠心を厳しく監督しなければならない。

国会議員も国家の安全と将来を真剣に考えるべきである。先日の国
会ではある議員が馮世?部長を召喚し漫才の掛け合いのように人
で軽口をたたいていた。時間の浪費だけでなく政治家失格である。

軍事機密を中国に渡した事件は数え切れないほどある。武器よりも
軍隊の士気と軍人の忠誠心が大切だ。アメリカが最新武器を提供し
ても台湾軍の自衛力は疑問だらけ、台湾人さえ信用しない軍隊をア
メリカが信用するわけがない。外省人の台湾に対する忠誠心が問題
なのだ。蔡英文は現状維持など寝言を言うときではない。台湾軍の
刷新は蔡英文にかかっている。

2017年03月21日

◆李垠、李方子両殿下所縁の地を訪ねて その3

室 佳之



今回は、ゆかりの地を紹介するのではなく、印象に残った逸話を拾い上
げていきたい。

李方子妃殿下の半生を追い始めると、どうしても母である梨本宮伊都子妃
が出てくる。写真を見るとこれほどの美人がいるのかと思うほど透き通っ
た顔である。

伊都子妃の父は旧佐賀鍋島藩主の直大(なおひろ)で、当時日本の10本に
入るほどのお金持ちだったようだ。維新後、直大が駐伊公使となった時に
ローマで生まれたので、伊都子という名前がつけられた。この時点で、小
生とは異次元の世界だ。

その伊都子妃は、信じられないほどの日記魔で、亡くなるまで膨大な量を
書かれた。方子妃殿下出産の慌ただしい時も書いている。

『(午後)11時半ころより少々腰いたみたれば、医者・産婆等迎へたり。
それより2時ころより非常にいたみはげしくなり、、(明34.11.3)、昨
夜よりひきつゞきいたみはげしく、午前7時40分に分娩。女子。非常に安
産なりし(同11.4)。

別にことなく、日々よろし。(中略)けふは全身ふき湯し、ふとんもかへ
たり。本日より一人看護婦増、都合三人。(同11.7)』

女性にとって、出産は人生最大の難関と聞いているが、そんな時でも事細
かい記録だ。シンガポールでドリアンを食した際は、『これを切った時の
其のくさい事くさい事、何ともいひ様がなく、尿のくさった様な香(に
お)ひ故、どこでもきらふので、領事館の屋上にて切ってたべさせてくれ
た。これもはなしのたね。(明42.2.2)』などと何から何まで書いている。

一方、方子妃殿下の父は、梨本宮守正(もりまさ)王で、後に『ヒゲの元
帥』と呼ばれるが、漫画に出てくるような丸顔に細長いヒ
ゲが、鼻下から綺麗に両側へ伸びている。方子妃殿下の妹との親子喧嘩が
前述の日記にある。

『食前、規子(のりこ)、父上様(=守正王)にしかられる。パンをス
トーブで焼てはならぬと申てあるのに、バタのにほひした故、やいたろう
と仰せられ、やかぬといふ。うそを付てはならぬといへば、やかぬ決して
やかぬといふて、なく。それでよし。(大11.3.22)』

そんな守正王は戦後、戦犯として巣鴨に拘留される。70歳の御老体に対し
て、GHQのやることは実に無慈悲である。

さて、『英親王李垠伝』は、多くの関連書籍の中で異彩な気がする。李
垠殿下の同窓生など庶民目線からの言葉が多数収められているからだ。次
は陸軍中央幼年学校本科時代の同窓生の証言である。

『茶目気の多いいたずら者が2、3人して、(中略)皇族舎の裏側に回っ
て、下から『殿下!殿下!』と、お呼びする。途端に2階の窓が開いて、
お菓子やミカンを投げて下さる。

校内では、間食を許されていない食べたい盛りの私たちにご同情下さった
のであろう。(中略)雪が深く積もったある冬の或る日のこと、例によっ
て窓下で殿下をお呼びする。

(中略)殿下は、すぐ出て来られた。3人は早速、板に跨り斜面を滑る。
面白いことこの上なし。(中略)誰かが走ってきた。御付武官金少佐だ。
殿下にお怪我でもあってはと、大目玉をくって中止』なんだか微笑ましい。

また、方子妃殿下の回想では、お2人の仲の良さが現れる。

『戦術の宿題で、敵と退陣して駒を動かしつつ書きつけていかれるのを拝
見するのもたのしくて、心の中で(あの歩兵陣地からだと、右にまわっ
て、あの山へ行くのがよさそうだ。<中略>)などと考えたものです。そ
して宿題の答案が返ってきたとき、私の作戦プランと合っていたりする
と、うれしくなって、鉛筆けずりの手もはずむのでした。「方子は優秀な
参謀長になれるね」』(『流れのままに』啓佑社)

そんなお2人の戦後は苦難に満ちていた。その一つは、なかなか韓国への
帰国が許されなかったことにある。ようやく朴正煕政権となってから事態
は変わった。方子妃殿下が垠殿下帰国準備のため、事前渡 韓された際、
早世した第一子晋殿下の眠る『崇仁園』(『その1』を参 照)へ戦後初め
て訪れた。

墓前で手を合わせていると現地の老婦人から日本語で『よく帰ってきてく
ださいましたね。また早く帰ってきてくださいよ。そしてこんどは、ソウ
ルにいて下さいね』と云われ感激され、『ありがとう、オモニ!(おかあ
さん)』と、韓国語で返されたそうだ。

李垠殿下は、脳溢血のため、晩年の数年間は寝たきりで会話もままならな
かった。方子妃殿下付き添いのもと、数十年ぶりにソウルの地に降り立っ
た。小生がお世話になったソウルのお粥屋のハラボジ(おじいさん)は、
生前その時のことを話して下さったが、『あの時は、沿道が人で溢れか
えったよ』と云っておられた。

そんなことも回想できる韓国人は少なくなった。小生がこの度、金谷(ク
ムゴク)の王陵へ行ったことを親友ギューテに話すと『お
まえは、オレらの知らないところにも行くんだね。やっぱり変わってるなぁ』

と云われた。垠・方子両殿下のことが韓国でも忘れられ始めているのは寂
しいことである。

2017年03月20日

◆南スーダン撤退の裏に高度な情報活動

佐藤 優



南スーダン撤退の裏に高度な情報活動 宗教絡む情勢悪化を分析か

日本政府のインテリジェンス能力が高いことを示す出来事があった。

10日に政府は首相官邸で国家安全保障会議(NSC)を開き、南スーダン
国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊の施設部隊を撤収
させる方針を決めた。実際の撤収は5月末で、その後も南スーダンPKO
本部への自衛隊員の派遣は継続する。

NSC終了後、安倍晋三首相は記者団に撤収方針について説明した中で
「南スーダンの国づくりが新たな段階を迎える中、自衛隊が担当している
ジュバ(首都)の施設整備は一定の区切りをつけることができる」と説明
した。

安倍首相は「南スーダンの国づくりが新たな段階を迎える中」と婉曲(え
んきょく)な表現ではあるが、南スーダンをめぐる情勢の変化が自衛隊施
設部隊を撤収する原因であると認めている。

「産経新聞」の大内清中東支局長は、南スーダンの情勢が今後、一層悪化
するという見方を紹介している。

〈日本政府がPKOからの撤収を決めた南スーダンでは、キール大統領派
とマシャール元第1副大統領派との対立が続き、政治的・軍事的に極めて
流動的な状況にある。今月には、国軍の元幹部がキール氏の退陣を求めて
新たな武装勢力を結成するなど、さらなる不安定化も懸念されている。

ところで、日本ではあまり注目されていないが、南スーダン情勢の悪化に
ともない、カトリック教会の総本山であるローマ教皇庁(法王庁)が人道
的介入の動きを示している。2月26日にフランシスコ教皇が、地元のキ
リスト教会からの要請に応えて南スーダン訪問を検討していると発表し
た。この訪問によって内戦に宗教対立の要素が加わり、泥沼化するリスク
がある。

南スーダンでは、アニミズムの伝統宗教(大地の神クウォス、クモの姿を
したトゥールを信仰する)とキリスト教を信仰するアフリカ在来の諸民族
が多数を占めている。これに対して、スーダン(北スーダン)では、イス
ラム教を信仰するアラブ人が多数だ。

南スーダンには大量の石油が埋蔵されている。2011年に米国が主導して
スーダンから南スーダンを分離、独立させた際には、宗教上の差異が北
スーダンと南スーダンを分断する基準になった。

外交において、純粋な人道支援は存在しない。ローマ教皇庁にもこの不文
律が適用される。ローマ教皇が南スーダンを訪問し、人道支援を強化する
方針を示すと、同国での非キリスト教勢力は、西側が国内のキリスト教勢
力に加勢していると考え、紛争に宗教的要因が加わる。

さらにイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が、南スーダ
ンの混乱につけ込もうとする。北スーダンには、ISや国際テロ組織アル
カーイダに共鳴する過激派がいる。情勢が急速に悪化していることを冷静
に判断し、安倍政権は今回の決断を行ったのだと筆者は見ている。この背
景には日本政府の高度なインテリジェンス活動がある

産経ニュース【佐藤優の世界裏舞台】3.19

2017年03月18日

◆「措置入院」精神病棟の日々(17)

“シーチン”修一 2.0



小生の街は小さいにもかかわらず製造販売の和菓子屋が2店あった。店主
の高齢化で昨年1店(愛想はいいが味は・・・)が創業50年を前に廃業
し、最近、そのライバルでもあったもう1店(味はいいが愛想は・・・)
も店をたたんだようだが、挨拶文が貼ってなかったので、もしかしたら急
遽、入院でもしたのかもしれない。

いずれにせよ、スーパーやコンビニが席巻していくのにしたがって街の商
店街はどんどん消えていった。商店はほとんどが個人経営で、今どき小さ
な店を継ぐ者もなく、かつての賑わいは2度と戻らないだろう。小商人
(こあきんど)の時代は終わったのだ。

世界を見渡すと、時代は確実に変わりつつある。

【2016/11/15】米国大統領選挙で「もしかしたら」が現実となった“大サ
プライズ”。出口調査で白人女性の53%がトランプ支持、非大卒白人女性
に限れば、トランプ支持はヒラリーの2倍だったという。

ところで、トランプへの非難として「4回も破産している」というのがあ
る。米国で破産というのは、会社更生法、通称「チャプターイレブン」を
申請し、適用されることだが、小生の知っているだけで、優良企業とされ
ているデルタ航空は11回も破産し、再生している。

再生に際しては株券はパーになるが、再生計画を作り、資金援助を受け、
基準をクリアすれば再上場も可能だ。失敗しても何度でも再チャレンジで
きるのが米国流で、イノベーションの1発満塁本塁打を目指す小規模ベン
チャー“スタートアップ”も、たとえ失敗しても投資家など出資者が「惜し
かったな」と思うくらいで、起業家が損害を受けるわけではなく、何度で
も再チャレンジが可能だ。

米国の小さなベンチャー企業が大成功した例は実に多いだろう。マイクロ
ソフト、アップル、マック、ケンタ、セブンイレブン、サランラッ
プ・・・米国のチャレンジ精神、スタートアップなどに学ぶべき点は多い
だろう。仕組みを早急に整えるべきではないか。

昼食前の11:00〜11:30に入浴予定だったが、その前の時間帯は誰も予約
が入っていないので、10:50から入浴。のんびり湯船に浸かった。10分の
違いは大きい。

差し入れの目覚まし時計にポリ袋をかぶせて防水にし、風呂場に持ち込ん
だので上手く時間を使えたが、工夫は大事だ。

14:00〜15:00、運動、ゲーム、歌で過ごす。傷害事件を起こした“オ
トーサン”は腰痛が悪化したのか、具合は悪そう。パニック障害の乙女“パ
ニック”は元気そうだった。

15:00、話したこともない向かいのベッドの人が急に「今日退院します、
お世話になりました」と挨拶するから、「お元気で」と見送ったが、彼は
ここ数日、ボソボソ独り言を言っていたので変だなと思っていたが、再び
三度かは知らないが、発狂したようだ。

ナースが彼をどこかへ連れて行ったが、注射でも打たれたのか、2時間ほ
どで戻ってきた。何か不気味である。その後も訳の分からないことをつぶ
やいている。完全に壊れている。

15:30〜15:40、Dr.と面談、数日前にレポートを手渡したが、「また書
面で(思いを)知らせてね」とのこと。

15:50〜16:05、OT(作業療法、Occupational Therapy)について作業療
法士と打ち合わせ、明日から参加することに。

精神病棟は鍵だらけだ。職員しか開閉できないドアが2Fのパブリックス
ペースだけで13もある。キーがなければどこへも行けない、まるで陸の孤
島。実話をもとにした映画「パピヨン」の収容されていた島のよう。

在日の半島人(韓国)、支那人は合わせて112万人もいるから、精神病棟
にも当然おり、最近10代のような韓国青年チョー君と挨拶するようになっ
た。最初はツッパリ風だったが、今はかなり柔和になっている。患者の多
くは大人しくしているが、“オトーサン”や小生のように激高すると狂気を
発する患者もいるし、問題を起こせば地獄の身体拘束に逆戻りするから、
ツッパリも「明るい青年」「朗らかな青年」を演じざるを得ないのだ。

そう言えば少年院(のような所)に収容されていた友人が、「一番辛かっ
たのは、一日でも早く釈放されたいので“明るい青年”を装わざるを得ない
ことだった」と言っていたっけ。良き夫、良き父、良き社員、良き社長、
良き息子を演じ続けてきたが、良き老人という段階で小生はしくじってし
まった。演じ続けることはなかなか難しい。(つづく)2017/3/16


◆李垠、李方子両殿下所縁の地を訪ねて その2

室 佳之



戦後30年も過ぎて生まれた小生には、皇室や李氏朝鮮の続柄関係は複雑
で理解するのに時間がかかる。以下、間違い覚悟で書いていきたい。

戦前の皇室にはいくつもの宮家があるし、李朝は何人もの夫人がいてそこ
からお世継ぎが生まれる。

また、日清戦争後に独立国となったことで、一旦は大韓帝国と称すので王
は皇帝となり、日本の皇室と対等となる。しかし、日韓併合により再度王
族となるので、これまた複雑だ。李垠(り・ぎギン、イ・ウン)殿下は、
当初皇太子だったが、併合後は王世子となる。

その皇太子を初代朝鮮統監伊藤博文公が、強く日本への留学を勧めた。父
親である26代国王であり初代大韓帝国皇帝高宗(こうそう、コジョン)は
もちろん、実母である嚴妃(げんび、オムビ)はとりわけ猛烈に反対した。

しかし、時の情勢に抵抗出来ず、10歳の若さにして垠殿下は日本へ留学さ
れる。

ただ、留学後の逸話として、伊藤公との親密な関係は有名で、海岸沿いを
祖父と孫のように歩く姿が映像として残っているほどである。もう一つ
は、明治天皇皇后の御寵愛ぶりで、当時は皇太子(後の大正天皇)と並ん
で、何度も拝謁してはお土産を頂戴している。

昭和天皇の弟君にあたる秩父宮雍仁(やすひと)親王は、『祖父明治天皇
の肉声をうかがったことがない』と書かれているくらいだそうで、いかに
垠殿下が破格の待遇だったかが分かる。

このため伊藤公が亡くなり、明治天皇皇后も順に崩御されたことで強い孤
独感を覚えられたようだ。

ところで、大正天皇が併合前の皇太子時代に訪韓されたということはあま
り知られていないのではないか。前述の高宗がハーグ密使事件などを起こ
し譲位することとなり、長男の純宗(じゅんそう、スンジョン、垠殿下の
異母兄)が2代目皇帝として即位したのを機にお祝いを兼ね訪韓された。

この時、純宗には世継ぎがおられなかったので、弟の垠殿下が正式に皇太
子となられたのである。ちなみに、純宗は大正天皇即位の大礼に参列出来
なかったため、大正6年になって最初で最後の来日をされている。

加えて病弱であったことや大正天皇崩御と同じ年に薨
去されているというところが互いに共通していて興味深い。純宗の妃であ
る尹妃(いんび、ユンビ)は、方子妃殿下と晩年まで仲睦まじい関係だっ
たそうだ。
ここまで長く関係図を書いたのは、小生がこの度、渡韓して訪れた次な
るところが王陵だったからで、上述の歴代の王族がほぼ一箇所に眠ってお
られるのだ。
ソウル中心から京春(キョンチュン)線に乗り換え、金谷(クムゴク)
駅で降りた。日本でいうところの上野から常磐線に乗り換え
千葉県に入ったくらいの感覚である。ここに『洪陵(ホンヌン)』『裕陵
(ユヌン)』『英園(ヨンウォン)』がある。洪陵は高宗の
、裕陵は純宗の、英園は垠・方子両殿下の墓地なのだが、李垠殿下は
『陵』ではなく『園』である。
小生は最初の渡韓から今年で丁度20年を迎えるが、ソウル郊外にこれほ
ど静かで落ち着いた場所があることを知らなかった。空気が綺麗で、
キツツキがトントントンとつついているところも見られる。

垠・方子両殿 下が眠られるに素晴らしい場所だと感じた。観光ガイドに
載せて欲しいような、でも知らせて賑わって欲しくないような。もし、日
本人であれば是非訪ねて欲しい場所である。入場料1,000ウォン(約100円)。

一点不満だったのは、韓国側が英園のことをあまり知らせようとしてい
ないことである。ここを管轄している文化財庁は、『洪陵裕陵(ハングル
のみ)』というパンフレットを作っているが、英園はパンフ レットを見
開いた全体図の片隅にしか載せていないのだ。

英園は陵の外に 設けられているため、英園だけなら入場料不要とのこと
だった。何か疎外されているようで腑に 落ちなかった。いずれにしても
入口の切符売り場で、英園の場所を確認し て入場するのが良い。


尚、英園の墓地の隣には、もう一つ『懐仁園(フェイヌオン)』があ
る。李垠・方子両殿下の第二子玖(きゅう、クー)殿下のお墓
である。前回『その1』で書いた第一子晋(しん、チン)殿下薨去から9年
後の昭和6年生まれ。

李朝における正式のお世継ぎだが、時代に左右されて欲しくないという父
垠殿下の強い思いから、玖殿下は自 ら切り開いた人生を歩まれる。戦
後、米国留学され、米国人とも結婚された(後に故あって離婚)。平成17
年赤坂プリンスホテ ル旧館の一室の浴槽内で亡くなられていた。これで
李朝はお家断絶となる。

李垠殿下には異母妹もおられ、徳惠(トッケー)翁主と呼ばれるが、こ
の英園に眠っておられる。垠殿下留学の後を追うように日本へ留学、対馬
の宗氏へ嫁ぐが、今でいう重度の統合失調症となり、晩年は 方子妃殿下
とともに昌徳宮の樂善齋で過ごされた。

両殿下の家族関係を説明しようとすると近代日韓史も書かなければ理解
しづらい。結果的に長くなるので、今回はここまでにし、次回はいろんな
逸話を紹介してみたい。(つづく)

2017年03月16日

◆流れが変わる。空気が変わる。日本が変わる

MoMotarou



馬渕睦夫「和の国の明日を造る」第41回
 https://www.youtube.com/watch?v=llR3kDR6HDw&t=659s

         ☆彡

馬淵睦夫元大使と伊藤貫さんの分析は見逃せません。目から鱗ですね。
テレビや新聞は追いつけない。必見!

 *伊藤貫氏(国際政治アナリスト,著述家) 「The World with
President Trump」
 https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4&t=4388s

■反日サヨク・リベラル・パヨクの苛立ち

大阪「森友学園」の小学校新設問題は、菰池理事長が申請を取り下げる
ことで終わりそうだ。この件はおかしな事で始まりました。

国会の委員会で、共産党小池 晃参議院議員が質問。この中で自民党議 員
からのタレコミがあったと。“前代未聞”のスタート。自民党議員とは鴻
池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年 )氏。議員は後に変な記者会見
もした。

■「返り討ち」にあう反日勢力
 
狙いは安倍政権潰しでありましょう。安倍首相は妻が関与していたら
「辞任」するとまで言及し、「秘書がやった」と言わなかった。視点は変
わるが「男」を上げたと思う。夫婦なら惚れ直したことだろう。

一番気の毒なのは土地を持っていた役所で、産廃が出たり飛行機の騒音
がやかましい面倒な物件の処理ができなかった。この報道の“とばっちり”
で朝日新聞を筆頭に、新聞社や朝鮮学園等が格安の価格で国から土地を習
得していたのが発覚。

事態は急速に終結の方向に向かい出した。

■7色の決算書

また申請書金額が相手先によって違っていた。これ等は異常に思える
が、世間ではよくある事です。会社の決算書は、税務署用銀行用などいろ
いろあります。最後の数字だけは同じになっている。これを「帳尻合わ
せ」と云う。英訳不明。

銀行も金融庁用とかマスコミ用というのもあるらしい(笑)。所謂「日
本方式」だ。だから米国は日本に手を焼きグローバルスタンダードが必要
になったのだ。

大きなことを米国は云うが、米国も同じだ。お陰で「リーマンショッ
ク」など大出鱈目の結果が世界を大混乱に陥れた。

■変わりつつある「空気」

森友学園の理事長の勝ち。確かに今後大変で有りましょう。しかし学園
の存在を知らしめたアナウンス効果を考えれば、数億円の宣伝効果があり
ます。今後支援者も出て来るのは間違いない。粘って下さい。

ニュースで見た理事長の“顔つき”が格別であります。根性のあるお顔
だ。インタビューの中で「日本の為に頑張っているのに。。」と一言出ま
した。よく言った。

■マスコミが触れたくない「森友学園」の教育方針

報道陣や野党は、学園の内容に踏み込まず。

自民党の政治家が認可問題で関わっていたのではないかと“色めき”立っ
ていましたが、梯子段がはずれた。

辻元清美議員が可哀そうだ。民進党は辻元議員を早く放り出さないと自
滅するだろう。国会議員は市民運動家ではない!菅直人元首相が日本を破
壊しようとした。彼も市民運動家出身。オバマさんも同じ。

■大日本帝国の遺産

天皇陛下がベトナムを訪問されました。小柄な元日本軍人妻との会見の
様子には感動しました。元日本兵はベトナム独立後日本へ帰還させられま
したが、妻も子供も同行を認められませんでした。悲しい別れでしたが両
陛下の訪問で癒された事でしょう。

随分昔のお話。旧軍関係者が「北ベトナム」の対仏戦やベトナム戦争で
使った「戦術」が、旧日本陸軍そっくりのものがあったと語っていまし
た。そうだったのですね!

結果として日本は、アジアの植民地解放に貢献したという事です。西洋
欧米の衰退を招きました。白人諸国には、表面的には兎も角、深層には
「日本憎し」の気持ちが残っているでしょう。

 日本は辛い!しかし地球は「逆転」しだしたのでした。地球が逆回転し
出した日1853 ー其の7日目。

庶民が頑張る大日本! (笑)!!!

2017年03月14日

◆「措置入院」精神病棟の日々(15)

“シーチン”修一 2.0

66歳になっても人生は毎日が初心者で、心は右往左往、揺れ動くものだ。

老体を 鞭打つ吾は サドマゾか それともただの 軽薄粗忽?

I love you 40年ぶり 言ってみた 妻の心を 溶かす一言

緑寿にて つらつら思う 手弱女(たおやめ)の 心はいつも 齢(よわ
い)十八

♪青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり・・・

老年時代も戸惑うことばかりだ。“孤高のバカ”が勝手に迷走、暴走、破滅
するのは、まあビョーキということで箸にも棒にもかからない些事だが、
特にクネが大統領になってから韓国はひたすら坂道を転がり落ちている気
がする。韓国の迷走は極東地域の地政学に大きな影響を与えることになる
から、些事どころか大事、大大事だ。

2、3年ほど前にカミサンが「アンタ、韓国が潰れると言っていたけど潰れ
ないじゃない、どういうこと?」と責められ、「まあ待て。今か、来年
か、再来年かはともかく、遅かれ早かれ韓国は潰れるよ」と“慰撫”したも
のだが、クネが追放された今は「築城8年、落城3日」の落城の日々をつ
いに迎えたようだ。最終章、エンディングだな。

小生は就寝の際は主にジャズバラードを子守歌のように聞きながら眠りに
入っていくのだが、先日、押入れを掃除していたらCD「冬のソナタ」サウ
ンドトラック盤が出てきた。ジャケットはハングル語のみの表記だから、
多分、韓流ドラマがオバサンたちの注目を集めていた頃にカミサンがソウ
ル土産に買ってきたのかもしれない。訪韓3回目のそのときカミサンは
「韓国はもういいわ」と言っていたが、“冬ソナ”が韓流ブームのピーク
で、後は退潮するばかりだったようだ。

“冬ソナ”の哀切感たっぷりの歌や演奏は“暴れん坊老人”の小生の心を落ち
着かせるから精神衛生上も子守歌にもいいのだが、今から思えば韓流ブー
ムあるいは韓国の勢いは“冬ソナ”が最後の蝋燭の燃え上がりだったのだな
あと思わせる。間もなく左右の激突に至り、軍事クーデターが起きて戒厳
令下、軍事政権が再び三度登場するのだろう。

WIKIによるとクネの親父の朴正煕(パクチョンヒ、ぼくせいき、日本名:
高木正雄)は1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、
1963年から1979年まで大統領を務めた偉人である。

朴正煕が暗殺された後、1979年12月、保安司令官・全斗煥(チョンドゥ
ファン)陸軍少将がクーデターにより軍の実権を掌握し、1980年に大統領
に就任している。

つまり韓国では、対立や混乱を収束できるのは軍しかない、ということ
で、これはタイとそっくりである。国家の独立を守る最終安全装置として
機能している。なぜそうなのかは、別途、考えてみたいが、「自分は正し
い、それに反する者は許せない」という民族性というのが影響しているか
もしれない。(先進国は選挙で決着をつけて、敗者もそれを受け入れ、次
回に復活を期すのがルールなのだが、そのルールを認めない人が多いようだ)

時代の潮流に乗れない人・国(圧倒的に多い)、乗ったものの失速する
人・国(ブラジルやロシア、中共)、一方で潮流の変化を読んで上手く乗
り続ける人・国(G7の先進国)。「乗り続けるためには変化に対応して自
らが変化するしかない」という言葉があるが、小沢一郎もこの言葉を引用
したものの変化できずにこけた。難しいものである。

“毎度おなじみ”病棟日記から。

【2016/11/14】11時から出張床屋(予約制)。カットと髭剃りで2000円。
床屋さんの話では、本館、新館、東館で数十人も理髪するので、9人で来
ているという。「手分けしてやらないと、とてもできません」。

小生を担当したのは、出張専門40年のベテラン。厚木市や相模原市などの
病院、介護施設を巡回しているという。おしゃべりをした。

――そう言えば、昔はカミソリ、ハサミ、バリカンなどの研ぎ屋さんがいま
したよね。今もやってます?

「あー、今はね、カミソリは替え刃式になり、ハサミは電動の小さな研ぎ
機で簡単にできるようになったからね、研ぎ師はいなくなったよ」

――時代だねえ・・・

「ホント、時代だよ」

イノベーションなどの変化により「消える仕事」「生まれる仕事」がある
ということだ。そう言えば目黒で永年写真屋を営んでいた叔母さんが「デ
ジタル化が写真屋の息の根を止めた」と言っていた。その息子は雅叙園と
の縁で結婚式のビデオ撮影も始めたのだが、スマホで動画も気軽に撮れる
から結局廃業に追い込まれ、今はビデオ編集業と不動団管理でどうにか糊
口を凌いでいるそうだ。

潮の流れ、風向きを読む人、読めない人・・・後者が圧倒的に多く、小生
はそこそこ時代をマクロで読めても、世間知らずだから・・・確実なのは
「これまでの人」であることだ。

昼食前の11時半から、医師、看護師など病院職員5人ほどと患者20人ほど
との意見交換会。小生は耳が遠いので、ほとんど聞こえなかったが、これ
だけは言っておいた。

「料理のプロによると、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく飲食しても
らう、これが料理の基本です。病院の厨房では300人分とかを作るから、
熱い料理は望むべくもありませんが、今は“冷めたピザ”状態。せめてヌル
イくらいに工夫してほしい」

完全に無視された。ホールの主のような“ボス”曰く「電子レンジが1台あ
る。並ぶこともあるけれどね」。さっそくランチで使ってみたが結構なこと。

電子オーブンレンジが登場、普及し始めてから40年ほどになるが、35年前
に親戚から新築祝いでいただいたシャープ製のそれは今も元気だ。今、
シャープは台湾企業になり、サンヨーはパナソニックになった。先を読む
のは難しい。(つづく)2017/3/12



2017年03月13日

◆「措置入院」精神病棟の日々(15)

“シーチン”修一 2.0




66歳になっても人生は毎日が初心者で、心は右往左往、揺れ動くものだ。

老体を 鞭打つ吾は サドマゾか それともただの 軽薄粗忽?

I love you 40年ぶり 言ってみた 妻の心を 溶かす一言

緑寿にて つらつら思う 手弱女(たおやめ)の 心はいつも 齢(よわ
い)18


♪青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり・・・

老年時代も戸惑うことばかりだ。“孤高のバカ”が勝手に迷走、暴走、破滅
するのは、まあビョーキということで箸にも棒にもかからない些事だが、
特にクネが大統領になってから韓国はひたすら坂道を転がり落ちている気
がする。韓国の迷走は極東地域の地政学に大きな影響を与えることになる
から、些事どころか大事、大大事だ。

2、3年ほど前にカミサンが「アンタ、韓国が潰れると言っていたけど潰れ
ないじゃない、どういうこと?」と責められ、「まあ待て。今か、来年
か、再来年かはともかく、遅かれ早かれ韓国は潰れるよ」と“慰撫”したも
のだが、クネが追放された今は「築城8年、落城3日」の落城の日々をつい
に迎えたようだ。最終章、エンディングだな。

小生は就寝の際は主にジャズバラードを子守歌のように聞きながら眠りに
入っていくのだが、先日、押入れを掃除していたらCD「冬のソナタ」サウ
ンドトラック盤が出てきた。

ジャケットはハングル語のみの表記だから、多分、韓流ドラマがオバサン
たちの注目を集めていた頃にカミサンがソウル土産に買ってきたのかもし
れない。訪韓3回目のそのときカミサンは「韓国はもういいわ」と言って
いたが、“冬ソナ”が韓流ブームのピークで、後は退潮するばかりだったよ
うだ。

“冬ソナ”の哀切感たっぷりの歌や演奏は“暴れん坊老人”の小生の心を落ち
着かせるから精神衛生上も子守歌にもいいのだが、今から思えば韓流ブー
ムあるいは韓国の勢いは“冬ソナ”が最後の蝋燭の燃え上がりだったのだな
あと思わせる。間もなく左右の激突に至り、軍事クーデターが起きて戒厳
令下、軍事政権が再び三度登場するのだろう。

WIKIによるとクネの親父の朴正煕(パクチョンヒ、ぼくせいき、日本名:
高木正雄)は1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、
1963年から1979年まで大統領を務めた偉人である。

朴正煕が暗殺された後、1979年12月、保安司令官・全斗煥(チョンドゥ
ファン)陸軍少将がクーデターにより軍の実権を掌握し、1980年に大統領
に就任している。

つまり韓国では、対立や混乱を収束できるのは軍しかない、ということ
で、これはタイとそっくりである。国家の独立を守る最終安全装置として
機能している。

なぜそうなのかは、別途、考えてみたいが、「自分は正しい、それに反す
る者は許せない」という民族性というのが影響しているかもしれない。
(先進国は選挙で決着をつけて、敗者もそれを受け入れ、次回に復活を期
すのがルールなのだが、そのルールを認めない人が多いようだ)

時代の潮流に乗れない人・国(圧倒的に多い)、乗ったものの失速する
人・国(ブラジルやロシア、中共)、一方で潮流の変化を読んで上手く乗
り続ける人・国(G7の先進国)。「乗り続けるためには変化に対応して自
らが変化するしかない」という言葉があるが、小沢一郎もこの言葉を引用
したものの変化できずにこけた。難しいものである。

“毎度おなじみ”病棟日記から。

【2016/11/14】11時から出張床屋(予約制)。カットと髭剃りで2000円。
床屋さんの話では、本館、新館、東館で数十人も理髪するので、9人で来
ているという。「手分けしてやらないと、とてもできません」。

小生を担当したのは、出張専門40年のベテラン。厚木市や相模原市などの
病院、介護施設を巡回しているという。おしゃべりをした。

――そう言えば、昔はカミソリ、ハサミ、バリカンなどの研ぎ屋さんがいま
したよね。今もやってます?

「あー、今はね、カミソリは替え刃式になり、ハサミは電動の小さな研ぎ
機で簡単にできるようになったからね、研ぎ師はいなくなったよ」

――時代だねえ・・・

「ホント、時代だよ」

イノベーションなどの変化により「消える仕事」「生まれる仕事」がある
ということだ。そう言えば目黒で永年写真屋を営んでいた叔母さんが「デ
ジタル化が写真屋の息の根を止めた」と言っていた。その息子は雅叙園と
の縁で結婚式のビデオ撮影も始めたのだが、スマホで動画も気軽に撮れる
から結局廃業に追い込まれ、今はビデオ編集業と不動団管理でどうにか糊
口を凌いでいるそうだ。

潮の流れ、風向きを読む人、読めない人・・・後者が圧倒的に多く、小生
はそこそこ時代をマクロで読めても、世間知らずだから・・・確実なのは
「これまでの人」であることだ。

昼食前の11時半から、医師、看護師など病院職員5人ほどと患者20人ほど
との意見交換会。小生は耳が遠いので、ほとんど聞こえなかったが、これ
だけは言っておいた。

「料理のプロによると、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく飲食しても
らう、これが料理の基本です。病院の厨房では300人分とかを作るから、
熱い料理は望むべくもありませんが、今は“冷めたピザ”状態。せめてヌル
イくらいに工夫してほしい」

完全に無視された。ホールの主のような“ボス”曰く「電子レンジが1台あ
る。並ぶこともあるけれどね」。さっそくランチで使ってみたが結構なこと。

電子オーブンレンジが登場、普及し始めてから40年ほどになるが、35年前
に親戚から新築祝いでいただいたシャープ製のそれは今も元気だ。今、
シャープは台湾企業になり、サンヨーはパナソニックになった。先を読む
のは難しい。(つづく)2017/3/12

           

2017年03月12日

◆韓国大統領弾劾決定の日のソウル

室 佳之



韓国において運命的な1日となった3月10日、8年ぶりの渡韓が偶然にもこ
の日にかち合った。

前日、ソウル入りした小生は、安ホテルにて夜は妻とチキンローストを肴
に酒を呑みながら、テレビでWBCの韓国VS台湾戦を観戦していた。序盤、
韓国が優勢に試合を運んでいたにもかかわらず、後半同点にされ追いつか
れた。翌日大統領弾劾の判決が出るやもしれないという時に、2日連続の
悪夢が韓国を襲うのだろうか(今回の韓国は地元開催ですでに2連敗して
おり最終戦を迎えていた)。やや皮肉めいてテレビに視線を注いでいた。
しかし、自力に勝った韓国が延長で突き放し、なんとか一矢を報いた形と
なった。

翌朝のニュースは、数時間後に行われる裁判で、裁判官8人中やれ弾劾賛
成、反対の割合がどうだこうだと評論家らしき人たちが論じていた。

午前中、小生はかねてより楽しみにしていた崔圭夏元大統領の家屋(文
化財指定)を訪れ、案内人の女性から実に詳しく丁寧な説明を受けた。韓
国人は、サービス精神が旺盛で、往々にして案内をされる方は、10のうち
10まで説明しようとする習慣がある。

事前に40分くらいと云われていたので、午後の予定に間に合うだろうと鷹
をくくっていたが、気づけばまさかの1時間10分を要していた。案内の女
性は、やや年配の方だったが、静かな口調ながら淡々と元大統領の功績や
家の造りなどを説明され、いかに元大統領が実直で、ものを大切にし、家
族を大事にされていたかということが分かる訪問だった。ちなみに、小生
も昨年、『孤高の大統領崔圭夏(4217号)』を書いた。
http://melma.com/backnumber_108241_6463544/

ところで、恐らく世間では全く知られていないことを案内人から教えてい
ただいた。元大統領が、日本の東京の師範学校を出て、大邱(テグ)で英
語の教員をしていた昭和10年代のこと。『あの悲しい逸話のことです
か?』と小生が尋ねた。

教員時代、日本の生徒から差別を受けたという逸話があったので、てっき
りそのことだと思った。ところが、全く予想と異なる答えが返ってきた。

大邱で英語を教わっていたという日本人の生徒が、2006年に元大統領が亡
くなった際に、関連する新聞記事をスクラップにして残していたそうで、
近年、この元大統領家屋が公開されていることを知り、スクラップを送ら
れてきたとのこと。

さらには、昨年9月に、是非訪問したいという旨を知人を介して伝え、無
事10月に当家屋を訪問されたそうだ。御歳93歳であられたとのこと(数え
なのか満なのかは不明)。案内人は『本当に感激しました』と話された。
これだけでも元大統領の人柄が分かるのではないか。ちなみに、故金大中
大統領夫人であった故李姫鎬(イ・ヒホ)女史も若き日の崔圭夏の生徒
だったそうだ。

大統領家屋を後にして、すぐに次なる予定へ急ごうとタクシーを拾ったと
ころで、

『こんなところで、日本人が何しに来るの?』と不思議そうに運転手が尋
ねられるので、

『崔圭夏元大統領の家屋を訪ねたんですよ』
と答えると、

『あぁ、そういえば、そこにあったね』
との反応。

次の瞬間、
『大統領、弾劾だよ!』

そうだ!判決は午前11時の予定だ。時計は既に11時半を回っていた。続け
て運転手が

『マンジャンイルチ!(満場一致!)』と少し強めに付け加えた後、ボ
ソッと『まぁ、仕方ないよね』と。

このニュースについて、市民から直接聞いた第一声のやりとりである。
しかし、その後、地下鉄に乗っても、次なる目的地である李方子記念館
(明暉園内)を訪れても、このニュースについては誰も触れない(※李方
子記念館については別途報告したい)。米軍人や外国人街で有名なイーテ
ウォン(梨泰院)で夕方小休止にカフェで過ごしていたが、ニュースで起
きたような重大な空気感はなかった。

夕食は、留学時代からの親友ギューテと約束していた。初の渡韓である家
内がサムゲタン(参鶏湯)を希望していたので、キョンボックン(景福
宮)近くの有名店へ車で送ってもらうこととなったのだが、再会するや車
中で、『ヨシ(小生のこと)も知っているか分からないけど、今日は大き
な事件があってさ』

『もちろん、知ってるよ』

『これから向かうところが、景福宮の近くなんだけど、こんな事態だから
デモやら何やらで渋滞がすごそうなんだよ』

ここに来て、初めて今回のニュースが身近になった感じだ。

ギューテもギューテで、店の立地もあるのだろうが、まさかの景福宮の正
門であるカンファンムン(光化門)沿いの道を進んでいった。そこには日
本では見られない異様な光景があった。

『キョンチャル(警察)』と書かれているバスが、わずか50cmするかしな
いかの間隔で永遠と連なっているのだ。まさにバス車両で作られた壁であ
る。ギューテ曰く、『景福宮の裏がチョンワデ(青瓦台=大統領官邸)だ
から、あそこまで行かせないため』だそうだ。

このバスの壁がT字の横の線とすれば、縦の線がニュースでも出るような
『ろうそくデモ』の祝賀集会が連なっている。両線が交差するところが光
化門である。

そんな緊張めいたすぐ近所で、ひとときサムゲタンで舌鼓を打っていた
のだが、20時過ぎに再び車に乗ると、今度は前述の縦の線沿いにまたまた
ギューテは車を進めた(小生の宿泊する場所のせいもあるのだが)。

およ そ300、400メートルほど祝賀派の集会が続く。この道をそのまま進
むと、 次は有名なシーチョン(市庁)前の広場に出るのだが、今度は朴
槿恵支持 の弾劾反対派の集会場に出る。これを横目に車は走るのだが、
予想外に暗 く静かである。

その理由をギューテは、こう説明した。

『元々、ろうそくデモ派は若年層主体だから、今くらいの時間から活発に
なるんだけど、弾劾反対派はどちらかといえば年配層だろ?だから昼間が
主体で夜は静かになるんだよ』

なんだか説得力ある。恐らく日本のマスメディアじゃ、絶対に報じられな
い分析だろう。ついでに、ギューテが付け加えたのは、

『ろうそくデモは、暴力に訴えず平和的で、デモの後はゴミ拾いなども積
極的にやっているんだよ』

と評価をしていた。そういう一種の誇りをもってやっているという感覚も
日本からは知ることが出来なかった。ただ、どう転んでも韓国政治は、今
後さらなる困難が待ち受けていそうだが、ギューテには云わなかった。

数分後、無事ホテルまで送り届けてくれたギューテにお礼をいって一先ず
今日のところは別れた。

ホテルでSBSにチャンネルを回してみると、永遠と弾劾ニュースを報じ て
いる。出てくる言葉は『初づくし』で、要は初の女性大統領であり、初
の弾劾された大統領ということ。

せっかくなのでと思い、今日一日の韓国の様子を市民の声も拾いつつ早
速報告してみた。



2017年03月10日

◆「措置入院」精神病棟の日々(14)

“シーチン”修一 2.0



3/7は父母の墓参り。供花を買いに行ったカミサンが興奮して言うには、
花屋の奥さんが昨秋10月、小生が大暴れしたころに、かなりの早産ながら
初産で、女児は4か月で5キロにまで無事育ったという。旦那は52歳、奥さ
んは42歳、「もう無理なのかなあ」と小生も思っていたから、カミサンも
大喜びだった。

墓参りは、3/9が父、その次の10日が母の祥月命日だからだ。「お前(お
前様=旦那)百まで、わしゃ(私は)九十九まで」と言うが、母が父の後
を追ったような形だ。命日は1回で済むから、それは父母の恩なのかもし
れない。

帰り際に庫裏へ寄ってご住職にお布施(10万円)を手渡した。

「今日は両親の命日でお参りに来ました。いろいろお世話になっておりま
すので、心ばかりではございますが、どうぞお納めください」「これはこ
れはご奇特なことで、ありがとうございます。おや、修一さん、杖をお使
いか」「はい、退院したばかりですので・・・今度は私がお世話になりま
すのでよろしくお願いいたします」「はははは、ご冗談を」

「あの・・・領収書をいただきたいのですが・・・」「ああ・・・お布施
には領収書は出ないのですよ」「はい、それなら結構です」

なるほど、宗教は所得を捕捉されないビジネスなのだ。なるほど「坊主丸
儲け」とはこのことか・・・だから皆やりたがるわけだな。実際は寺院経
営は難しく、特に過疎地では無住の寺が増えていると聞く。

小生は「心の道標(みちしるべ)」教団の開祖ながら財務に疎いという
か、まったく興味がないから収入ゼロ、さらに愛犬が亡くなってからは信
徒ゼロという状態のままだ。ま、気楽でいいけれど・・・

大体が小生が「霊言」で儲けたところで物欲なし、買い物嫌い、モノが増
えるのを恐れるという性格だから使い道はないし、すでに閻魔様のウェイ
ティングリストに載っているし・・・もちろん地獄行きの片道切符だ。ヘ
ルジャックし、悪党どもの上に君臨しよう。

ご住職は予期せぬお布施に今まで見たこともない笑顔を見せていたが、氏
は先代の長男で、「子供の頃は寺の子、寺の子と呼ばれ、家業が大嫌い
だった」そうだ。永らくビジネスマンをしていたが、結局、家業を継い
だ。サラリーマンよりはマシかと思ったのかもしれない。

ご住職は街の人口増を追い風に墓苑の拡張や庫裏の建て替えもし、なかな
かのやり手のようだ。財務にもかなり通じるようになったろう。お経も随
分上達した。あとは人間を学ぶことだ。さすれば重厚な顔つきになるだろ
う。「私は意志が強いんです、だからタバコはやめません」なんて軽薄な
冗談を言っている場合じゃない。

この世はワルがいっぱいいる。おだてられいい気になっていると「バブル
こけて高転び」になりかねない。「人間を学ぶ」とは人間を知る、己を知
る、社会を知ることだ。小生はようやく己のバカさ加減を知り始めたばか
りだから偉そうなことは言えやしないが・・・

帰路に花屋の旦那に「おめでとう。赤ちゃんが二十歳(はたち)になるま
では頑張らないとね」と声を掛けると、顔を赤らめ、「・・・71歳ま
で・・・うーん、頑張ります!」と凛々しく、かつ、うれしそうにほほ笑
んだ。お祝いに花を贈るわけにもいかないし・・・カミサンが可愛い服を
探してくるに違いない。

さてさて Back to the past 晩秋の病棟日記に戻ろう。

【2016/11/13】人生は概ねサプライズに満ちている。凪のような日々はい
つまでも続きはしないと覚悟しておいた方がいいだろう。小生も65歳で措
置入院だなんてまったく想定外だった。

消防官の息子は秋の異動で現場から事務職に移った。肉体労働から一転
し、建物などの消防設備点検、指導、許認可などの頭脳/事務労働になっ
たが、関連法規なども勉強しなくてはならないし、報告書の書き方も覚え
なくてはならないから、かなり忙しそうで、いささか消耗していた。小さ
い頃から体育会系だから事務は苦手なのだ。

戸建て住宅から高層マンション、高層ビルまで、新築物件は消防署のOKが
出ないと稼働できない。消火器から警報器、スプリンクラー、給湯器、ボ
イラーなども点検するのだろうが、いずこの職場もギリギリの人数でやっ
ているから、新人は1日でも早く戦力になることを期待される。新人に
とって最初の3か月は試練だ。

小生の経験だと、3日、3週間、3か月は一番きつく、6か月でおおよその流
れが分かり、3か月×4の1年でとりあえず仕事はできる。3年で1人前にな
り、6年でベテランだ。大体世間はそんなものだろう。

戦前は12歳で奉公へ出て、手元や下働きを経て18歳で一人前。その後は2
年の兵役、さらに2年のお礼奉公を経、親方の支援を得て一本立ちとな
る。昔から一人前とかベテランになるのは大変なのだ。

外野だからよくは知らないが、東急バスはかつては東急電鉄の社員が配属
されていた。だから給料はいいのだが、バブルが崩壊してから赤字部門を
本体から切り離す「分社化」が進み、東急バスの整備士をしていたYさん
はなんとバス営業所副所長に移された。「給料分の仕事をしろ」というこ
とだろう。

分社化後に新規採用された人の人件費は分社化前のほぼ半分。Yさんによ
ると、以前はバス運転手で年収1000万円超の人はゴロゴロしていたそうだ
が、分社化後はせいぜい500万円。カミサンの知人(35歳ほど)が東急バ
スの運転手になったが、年収は450万円だったという。Yさんは電鉄社員と
して採用された身分だから年収は保証されていたが、新しい仕事は人事管
理、勤務表作成、クレーム処理など。

30年間、整備士だったのだから、まったく青天の霹靂の仕事だ。リストラ
というか「嫌なら辞めたら」という肩叩きみたいなものだろう。

Yさんはどうにかこうにか踏ん張って3年ほどでそつなくこなせるように
なったが、バス会社としては電鉄採用の高給取りを辞めさせたいから、イ
ジメもどきの陰湿な肩叩きが続いていたようで、定年退職の1年前にYさん
は突如、自己都合退職をしてしまった。忍耐の限界を超えたプレッシャー
があったのだろう。

奥さんに何の相談もないし(「お願いだからあと1年我慢して」と迫られ
るだけで、小生だって多分、相談しないだろう)、暫くは出勤を装ってい
たから、奥さんが知った時は後の祭り。定年退職なら退職金や年金、失業
保険も満額だし、子会社への再雇用の機会もあったろうにと、奥さんは定
年後の人生設計が狂って大いに嘆いていたが、最早諦めるしかない。

人生は爆発だ! サプライズだ! 想定外だ!

でも、Yさんが「ならぬ堪忍、するが堪忍」「耐えがたきを耐え、忍び難
きを忍」んでいたら、小生のように自殺や発狂に至ったかもしれない。
「人間万事塞翁が馬」で、Yさん夫婦は今、孫の代わりに柴犬を連れて散
歩し、穏やかに過ごしていると聞く。(つづく)2017/3/8

2017年03月09日

◆国家の崩壊:愛国有罪

MoMotarou



シナの崩壊に繋がっていく。

GHQ焚書図書開封 第130回  「阿片戦争の真相」
 https://www.youtube.com/watch?v=w4J_HoOVpnM&t=38s

           ☆彡

学校法人「森友学園」(大阪市)は集中攻撃を受ける。愛国だからだ。そ
の裏で長年占拠していた土地も手に入れ、楽々と追及も逃れる朝鮮学園。
これはいつものパターンだ。

舛添前東京都知事が都有地を在日韓国人に売り飛ばそうとした土地はどう
なったか。韓国人向け高級老人ホームへ8億円も補助金を出していた東京
の区は全く問題にされない。在日韓国朝鮮人が絡むと事件にもならない。
北朝鮮に拉致されたのに救出もできない。

 (産経WEB 2/28より転載)

<<大阪市東成区の中大阪朝鮮初級学校が“半世紀にわたり無償使用”して
いる市有地をめぐり、市が運営する学校法人「大阪朝鮮学園」に土地の明
け渡しなどを求めた訴訟は28日、学園側が市有地を買い取ることなどで大
阪地裁(絹川泰毅裁判長)で和解が成立した。

市によると、学園側が約5千平方メートルの市有地を3億4200万円で購入
し、平成25年1月から今年3月末までの土地使用料として約2千万円を支
払う内容。裁判所が和解勧告していた。

この土地をめぐっては、市“昭和36年”、“無償で”学園に提供する覚書を交
わし、学園は校舎を建設。平成21年に土地の買い取りなど有償化が協議さ
れたが、合意に至らずに市が提訴していた。>>

ここ日本には、韓国朝鮮在日が絡むと殺人犯さえも捕まらない。「在日問
題」は人権問題でない。法治国家日本国の「国家主権」に対する挑戦だ。

■謀略が野放し

北朝鮮は「陽動作戦」が好きだ。今回も「森友学園」が騒ぎに使われた可
能性もある。以前北朝鮮不審船が派手に動き回った後、高知沖にまた不審
船が現れたとの情報を産経新聞が1面で発表。実際は発見されなかった。
横須賀沖の岩部で不審な男が海から上がって来た目撃情報がマスコミを賑
わした。その後デマだとされた。当時も北朝鮮関連の騒ぎの最中だった。

「ギョーザの王将」社長が至近距離で暗殺された。福岡の元漁業組合長が
殺された。また韓国よりゴムボートで日本を目指した”アメリカ留学中”の
内閣府職員が死体で見つかった。ボートにはハングル語の書類が多数あった。
 
これらの事件の特徴は、犯人が1人も捕まっていないという事。戦後は終
わらない。

■日本の「ドン・キホーテ」を目指せ!

籠池泰典森友学園理事長はこの騒ぎを利用するぐらいの活躍をして欲し
い。要するに、こんな学園も世間にはあるのだという事を知らせる価値は
大きいだろう。

必ず味方も現れる。時代が変わってきているのだ。あの日本第一党桜井誠
氏を見よ。とうとう政党までこしらえ、立党式には大手メディアも取材に
来た。見逃せなくなって来たのだ。

■足許に気をつけよ!

青山繁晴参議院議員は、今回の件には関係者が多すぎると指摘していた。
またある情報サイトには、関西地区の二階と麻生派閥の勢力争いの影響も
書いてあった。

安倍総理は外交に専念されて成果を上げられていますが、度々指摘しまし
たように内政にも注意が必要です。馬淵睦夫元大使が指摘しておられるよ
うに、「日本社会も何か一つ間違えれば変な方向の行くんじゃないか」と
心配です(馬渕睦夫「和の国の明日を造る」第40回)。

 我々日本国民・庶民はマスコミや不逞政治家等の悪質な誘導・謀略に負
けないで頑張りましょう。私たちの踏ん張りに「明日の日本」がかかって
いる。