2015年05月20日

◆身近に感じる江戸時代

加瀬 英明
 


しばらく前に、江戸開府400年が祝われた。日光東照宮が記念事業として、江戸研究学会を立ちあげた。

私が江戸時代の日本は世界の中で庶民がもっとも恵まれていた国だったと書いたりしていたので、会長を引き受けさせられた。

竹内誠館長も理事だったので、江戸東京博物館で講演会を行うなどしたが、江戸研究学会その江戸研究学会がこのところ休眠状態が続いている。

今日の東京には、江戸の遺産が多く残っている。

いまでも、路地に入ると家の前に花や、植木の鉢が置かれている。わが家も御多分に洩れず、植木を並べている。日本の原風景の1つだ。

私は都心の麹町に住んでいるが、銀座まで30分ほどかけて歩くと、途中に屑籠が1つもないので、西洋人を当惑させている。

アメリカや、ヨーロッパの都市なら、屑籠が30メートルおきぐらい に、置かれている。日本では芥(ごみ)を外で捨てずに持ち帰ったし、物を大切に使ったから、芥がほとんどなかった。

幕末に日本を訪れた西洋人は、貧寒な村を通っても、人々が笑みを絶やさず、親切、丁重で純朴なことに、申し合わせたように感嘆している。道も家のなかも清潔で、身なりがこざっぱりしているのに目を見張った。

日本にはヨーロッパや、アメリカだけではなく、世界のどこでも付きものの不潔がみられなかった。

長崎海軍伝習所の教官だった、オランダ士官のカッテンディーケは「支那の不潔さと較べて、日本はどれほど良いか、聖なる国だ」と、書いている。フランス人のボーボワル伯爵も、「不潔、むかつくような悪臭が漂っている、きわまりなく下品な支那を離れて、日本は深い喜びだ」と、述べている。

江戸時代は治安がきわめてよかった。江戸は百万都市だったといわれるが、人口がつねに百万人を超えていた。

江戸は当時の世界で、最大の都市だった。増減があったが、武士とその家族が50万人と、70万人あまりの町人が住んでいた。

テレビ・ドラマや、講談によって知られているように、南北2つの町奉行所が町民を治めていた。南北に奉行所があったから、行政的にいえば、2つの市が存在していた。奉行は、市長に相当した。

通称を南番所、北番所と呼ばれた奉行所には、332人の町方役人とい われた武士が働いていた。この数は江戸時代を通じて、変わらない。2人 の奉行のもとに、管理職に相当する与力が50人いた。その下で、283 人が働いていた。

そのうえ、両奉行所の役人は月番制で、隔月交替して働いた。2つの奉行所には半数の166人しか詰めていなかった。

そこで、江戸の町民人口を75万人として、166人の役人で足りたの だった。この他に、地方から商家に働きにきた人々や、出稼ぎや、訴訟などのために滞留していた者が多くいた。

332人の役人のうち、64人が司法と警察業務を担当していた。この なかで、警察官に当たる奉行所付同心定廻(じょうまわ)りは、江戸時代を 通じて両奉行所を合わせて、12人しかいなかった。

定廻りは町方同心と も、町同心とも呼ばれ、「八丁堀の旦那」として知られた。自分の収入の なかから、それぞれ5人あまりの目明しというと、岡引(おかっぴ)きを抱 えて私的に使用した。

目明(めあか)しは御用聞とも呼ばれたが、同心の手先として、裏世界を内偵した。さらに岡引きが、それぞれ5人あまりの下引(したっぴき)を、自前で雇っていた。

同心も隔月で勤務した。そこで岡引きと下引きを加えても、70人あま りの警官が、70万人以上の治安を維持していたのだった。

これは、町民が高い自治能力をもち、公徳心がきわめて強かったことを、証している。日本人は世界で、もっとも道徳心が高かった。

今日の東京都には都民310人ごとに、警察官が1人いる。江戸では町 民4700人ごとに、1人で足りた。江戸時代の日本人は、道徳性が高 かったのだ。町民が礼節を重んじていたことが、社会に秩序を与えていた。

西洋人は家や部屋に鍵も錠もなく、誰でも侵入できるのに、金銭や物が盗まれることがけつしてない、母国では貧しい者が粗暴で、暗い表情をしているのに対して、日本では誰もが明るく、人々が口汚く罵りあうことがないことに、驚嘆した。

アメリカの初代領事だったハリスに仕えたヒュースケンは、「この国ではどこにも悲惨なものを、見いだすことができない。人々の質実な習俗と、飾りけのなさを賛美したい」と、記している。

日本の人口は江戸中期から幕末まで、ほぼ3千万人だった。鎖国が日本に固有の文化を創りだして円熟したが、食糧をはじめ自給自足することが可能だったために、鎖国を行うことができた。

江戸時代の日本人は上から下まで浪費を嫌い、倹約を旨として生きた。公徳心が高く、内面を律する心の働きによるものだった。

金持が高ぶらず、贅沢をみせびらかすことがなく、誰もが控え目で、貧乏人は卑下しなかった。江戸には貧乏人が存在したが、西洋や、中国、朝鮮にみられた惨めな貧困がなかった。

 江戸時代の日本の水緑土の景観は、すばらしかった。どこへ行っても、神社や小さな祠(ほこら)があった。人々の崇神の心が篤く、自然を汚すようなことがなかった。

仏教と儒教が7世紀に大陸から伝来して、日本の文化に大きな影響を与えた。土着の信仰である神道と混淆したといわれるが、神道の心のうえに積み重ねられたにすぎなかった。

神道は心と身の回りを、清明に保つことを求める。

江戸は当時の世界のどの都市よりも、飲料水に恵まれていた。

家康が江戸を都市として建設するまでは、伝染病をもたらす蚊やボウフラが涌く湿地が、ひろがっていた。

家康は江戸を本拠地として定めると、良質の飲料水を確保するために、小石川上水と神田上水の造営を命じた。

幕府には神田上水奉行や、玉川上水奉行などの水道奉行が置かれていたが、貴重な水質を守るために、水源に番人が詰める水番屋と水衛所が設けられ、高札が建てられて、洗い物や水浴び、放尿や芥(ごみ)の投棄を、御法度として厳しく取り締まった。

江戸期に編纂された『慶長見聞録』に、「是(これ)薬のいづみなれや、五味百味を具足(註・十分に備わる)せる色にそみてよし、身にふれてよし、飯をかしひよし、酒茶によし(中略)濁水をのぞき去て、清水を万人にあたへ給ふ」と、述べられている。

江戸の人口が増すと、今日の東京都羽村市にあった羽村の取水口から新宿御苑にあった四谷大木戸の水番屋まで、多摩川上流から43キロにわたって、石樋、瓦樋、木樋を使って、清水を引き込む地下水路を掘削した。

これは壮大な計画だった。四谷大木戸の水番所から地下水道を通じて、それぞれの町内に設けられた上水井戸まで、届けられた。

日本は物心ともに、ひたすら清明を求める文化だった。今日、東京の水道水が世界一だといわれるのも、日本の精神文化が創りだしたものだ。

明治が終わるころまでは、日本語のなかで「こころ」が、もっとも多く用いられた。

日本語のなかには「心尽くし」「心立て」「心置き」「心配り」「心入る」「心有り」「心砕き」「心利(き)き」「心嬉しい」「心意気」「心合わせ」「心がけ」「心延(ば)え」「心回る」「心馳(ば)せ」「心根」「心残り」「心様(ざま)」をはじめとして、心がつくおびただしい数にのぼる
言葉がある。

『コンサイス英和辞書』で、heartをひくと、「ハートアタック」(心 臓麻痺)、「ハートバーン」(胸焼け)をはじめ、両手で数えられるほどしか、心がつく言葉がない。

およそ今日の日本文化の形は、江戸時代につくられたといってよい。私たちは江戸時代の恩恵を、大いにこうむっている。

平和が幕藩体制のもとで続くなかで、何ごとについても、ことさら精神が重んじられるようになった。

武士道という言葉が、江戸時代に生まれた。戦う武術が武道となって、精神面が強調されるようになった。

人々が正座するようになったのも、江戸時代になってからのことだ。それまでは、茶の湯も胡坐(あぐら)をかいて行われた。

女性の幅広い帯から、落語、俳句、歌舞伎、文楽、花火、寿司、天麩羅まで、江戸時代のものである。落語ははじめは軽口ばなしと呼ばれていたが、中期から落し咄(ばなし)と呼ばれた。

落語は人情噺(にんじょうばな)とも、呼ばれた。江戸期の日本には、人情が微粒子のように、空気のなかに飛んでいた。ちなみに、西洋諸語には人情に当たる言葉がない。

同じころのパリや、ロンドン、ベルリンでは、糞尿は住居に面する路上に投棄されていた。中国や朝鮮も、同じことだった。日本では、糞尿は商品だった。汲取屋が汲取式便所から糞尿を買って農村まで運び、堆肥(たいひ)として売った。このために、街路が清潔に保たれた。

汚穢屋(おわいや)は立派な職業で、同業組合をつくっていた。

日本は庶民も、教育水準が高かった。全国に寺子屋が2万軒あまりあった。庶民の少年男女が読み書き、算盤、行儀、農業、漁労など地元の産業について学んだ。今日、当時の教科書であった往来物が、7千種以上残っている。

寺子屋はすべて、地元の人々の手造りだった。幕府にも藩にも、教育を担当する役人が存在しなかった。私は、今日、文科省を廃止したら、日本の教育の質が向上するものと信じている。

この他に、おびただしい数の私塾が存在した。日本人は身分にかかわらず、向学心が旺盛だった。

幕府は社会秩序を維持するために、士農工商の四身分制をとったが、庶民は武家の株を買って武士になれたし、農工商の区分はなかったといってよい。

私は伊能忠敬の玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬は農民に属していながら、酒をつくって売っていた。

渋沢栄一は明治の“資本主義の父”といわれるが、今日の埼玉県の農家で、染物の藍(あい)を栽培して、藍玉をつくって売っていたから、農工商を兼ねていた。

庶民の教養が、驚くほど高かった。江戸期の傑出した経済学者といえば、石田梅岩(1685〜1744年)と、二宮尊徳(1787 年〜1856年)の2人だが、ともに庶民である。

興味深いのは、同時代のヨーロッパを代表する経済学者で、『国富論』によって知られるアダム・スミス(1723年〜1790年)は、グラス ゴー大学の倫理学の教授だった。石田も、二宮も同じように、倫理を説い ている。東西とも倫理と経済は、1つのものだった。

 日本は身障者に、やさしい社会だった。

勝海舟の曽祖父は農家の子で、全盲の按摩師だったが、金貸しをして小金を貯め、息子に最下級の武士の株を買った。幕府は身障者保護に手厚く、盲人だけに金貸しを営むことを許していた。

私は盲人福祉に40年近く携わってきたが、江戸時代は2人の世界的な 盲人を生んだ。

杉山和一(1610年〜1694年)は、中国の太く長い鍼を、今日の 日本の筒に入った細く短い鍼にかえた、管鍼法をつくった。

和一は今日の和歌山の武家の子だったが、さまざまな苦難を乗り越えて、5代将軍綱吉の侍医となった。綱吉は和一に求められて、1680年 から全国30ヶ所に、盲人に6年以上教える鍼按摩稽古所を開設した。

ヨーロッパで最初の盲人学校が、フランスで1784年に開校した 104年前に当たる。

もう一人の塙保己一(はなわほきいち)(1746年〜1821年)は、 今日の埼玉県の農家に生まれ、幼少の時に失明した。人が音読したものを 暗記して学び、江戸時代を代表する大学者となった。

666冊にのぼる 『群書類従』によって知られるが、保己一が取り組んだ『史料』の編纂 は、いまでも東京大学史科編纂所が引き継いでいる。

ヘレン・ケラーが昭和12年にはじめて来日した時に、東京・渋谷の温 故会館にまっ先に駆けつけた。女史はここに置かれた保己一の机を、しばし感慨深げに撫でた。

女史は幼い時から、母親から東洋の日本に塙保己一という、全盲の大学者がいたことを聞かされて、手本にして努力したのだった。

今年は日清戦争から、120年目に当たる。5千円札を使う時に、樋口 一葉の肖像をよく見てほしい。本名をなつといった。

なつは日本が日清戦争に勝った翌年の明治28(1895)年に、肺病 を患って25歳で、赤貧のなかで死んだ。葬儀には家族と友人が12、3 人集まっただけだった。

なつは明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎 の長屋で生まれた。父は今日の山梨県の甲斐国(かいのくに)の農家の子 だったが、当時は長男しか相続できなかったので、江戸に出た。

なつは11歳で小学高等科を、首席で卒業した。当時の小学校は4年制だった。なつの最終学歴である。幼時から父に古典を教えられて、古典に親しんだ。

父親は教養人だった。いったい、今日の日本で幼い子に古典を教える親が、いるだろうか。

なつが17歳になった時に、役所を辞めていた父が事業に失敗して、多 額の借金を残して病死した。

なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りによって、3人の生活を支えた。そのかたわら、死後、高く評価されるようになった作品を、世に送った。今日の日本で10代の娘が、家族を養うために、身を削って働くものだろうか。あのころは、日本人の覚悟が違った。

開国してから、文明開化と呼ばれた西洋化の高波が、日本を容赦なく洗っていたが、江戸期の生きかたが、まだ人々を律していた。

なつは克明な日記を遺したが、しばしば日本が直面した、内外の情況に触れている。

病没する前年の日記に「安(やす)きになれておごりくる人(ひと)心(ご ころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、 我が国振(くにぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、記した。

日本が明治に入ってから、まだ30年もたっていなかったが、西洋を模 倣することによって、日本人の心がすでに蝕まれるようになっていたのだ
ろう。

なつが憂いてから、123年たった。

今日の日本は物の豊かさが満ちあふれているために、心が貧しくなった。人々が満たされることがない。

そのために、共同体であるべき社会が、急速に壊れつつある。人々が欲望によって駆り立てられて、自分しか顧みないために、苛立ちやすい。

このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなった。スーパーやレストランが立派になるのにつれて、家庭の食卓が貧しくなった。機能的なマンションが建てられて、生活がいっそう快適になってゆくのにつれて、家族の解体が進み、隣人への親しみが失われるようになった。

若者まで心が疲れて若々しさを失って、安易な癒しを求めている。

欲しいものが何でも手に入るようになったというのに、この国から希望だけがなくなってしまった。

人々はついこのあいだまで、人生が苦の連続であると、みなした。そこで、少しでも楽しいことがあれば、喜んだ。ところが、今日では多くの者が、人生が楽の連続でなければならないと思って、つねに不満を唱えて、すぐに挫折してしまう。

人生が楽の連続であるというのは、真実から遠い。だから精神がひ弱くなって、傷つきやすい。

私はインドに通った。デリーに、マハトマ・ガンジーが暗殺されるまで住んだ、簡素な石造りの家がある。

ガンジーは、いつも裸足(はだし)だった。私はガンジー財団に案内されて訪れた時に、裸足になって、靴を手に持って構内を歩いた。ガンジーが歩いた大地に触れたかった。

ガンジーは倫理を重んじて、自ら糸車で糸を紡いで、人々が質実な生活を送るべきことを説いた。

ガンジーは道徳と、節制を説いたアジアの最後の指導者となった。

その後のアジアは、ケ小平や、先ごろ亡くなったシンガポールのリ・クワンユーが代表したように、経済成長を最重要な課題とするようになった。

経済が倫理から切り離されて、欲望の経済となった。邪欲の経済というべきだろうか。

しばらく前に、漢字の会から私がもっとも好む漢字を、揮毫するように頼まれた。私は「貧」と書いた。漢字が生れた時に、貝は貨幣だった。

小 さな貝を分かち合うとは、素敵ではないか。「貪(むさぼる)」という漢字 は、いま、金をみつめるという、高度成長を表わす字だ。

◆核恫喝し始めた“窮鼠”中露

平井 修一

力による現状変更を進めて世界中から非難されている四面楚歌のファシスト、中露。ここへ来て歩調を合わせたように核恫喝をし始めた。

産経5/17「中国軍、多弾頭核ミサイル運用へ」から。

<米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は16日、中国軍が核兵器を搭載する多弾頭型の長距離弾道ミサイルの運用に向けた準備に入っていると報じた。南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島で進める岩礁の埋め立てと併せ、米国が警戒を強めている。

中国が進めているのはそれぞれの弾頭が独自の攻撃目標に向かうMIRVと呼ばれる技術とされる。米国は中国側に多弾頭型ミサイルの配備について公式協議を求めているが、中国は応じていない。(共同)>(以上)

習近平は兄貴分のプーチンを倣ったのだ。アナス・フォー・ラスムセン元NATO(北大西洋条約機構)事務総長/元デンマーク首相の論考「横暴すぎるロシアに欧州はどう対抗すべきか 今度はデンマークを『核の標的に』と"脅迫"」(東洋経済オンライン5/17)から。

<ロシアは、デンマークがNATOのミサイル防衛に参加する場合、デンマークの海軍艦船が核ミサイルの標的になるという脅迫を行った。これは、ロシアを攻撃する意図のない国に対する明らかに常軌を逸した威嚇である。

ロシアにとって、ウクライナの抗議者たちによる脅威は、自国の存在を揺るがしかねないものだった。変革と自由と民主主義を要求したことで、抗議者たちはプーチンに異議を申し立てたのだ。ウクライナ市民が要求を満たした場合、ロシア市民も影響を受けるかもしれない、とロシア政府は危惧したのである。

そのため、ロシアの指導者たちは、ウクライナの指導者たちをロシア嫌悪者やファシストに仕立て上げようと躍起になった。自由民主主義は悪で、プーチンの下での生活こそが善である、とロシアの人々を必死に説得しようとしている。

*ロシアには民主主義で対抗せよ

ロシアのプロパガンダ攻撃に対抗して、欧米諸国はウクライナやバルト3国などのNATO加盟国のために、今後も立ち上がらなければならない。

欧米諸国の最大の強みは民主主義である。これによりわれわれは2世代にわたり平和を守ることができたし、兵器の力にほとんど頼ることなく欧州から共産主義による支配を除外したのだ。自由民主主義は完璧から程遠いながら、過激主義や偏狭さに対する最大の盾であり、人類の前進を促す最も強力な存在である。

近隣国の影響により、ロシアの人々が改革を求めるかもしれないというだけの理由で、ロシアが近隣国を攻撃することを欧米諸国が認めてしまったら、民主主義の価値は守るに値しないというメッセージを発することになるだろう。

ロシアのメディア担当顧問にだまされてはならない。ウクライナの紛争は、民主主義に関する問題なのだ>(以上)

国際社会は結束してゴロツキファシストの中露を包囲しなければならない。ただ、ここで大事なのは窮鼠猫を噛むまでに追い詰めてはいけないということだ。マキャベリ曰く――

「思慮に富む武将は、部下の将兵を、やむを得ず戦わざるを得ない状態に追い込む。同時に敵に対しては、やむを得ず戦わざるを得ない状態に、なるべく追い込まないような策を講じる。敵軍には、彼らが断崖絶壁に立ったと感じないように、閉鎖できる通路でもわざわざ開いたままにしたのである」

プーチンに対する経済制裁は、原油/ガス価格の下落も手伝って相当効いてきた。CNN4/23「欧米の経済制裁でロシアの損失額は約13兆円」から。

<ロシアのメドベージェフ首相は23日までに、ウクライナ危機に伴い欧米諸国などが発動した経済制裁でロシアが被る損失額は推定約1067億米ドル(約12兆8000億円)に相当することを明らかにした。

ロシア当局が発表した最新の貿易統計にはこの苦境が反映されており、外国貿易総額は今年の最初の2カ月間で約30%減少。最大の貿易相手である欧州連合(EU)との総額は3分の1以上縮小した。

同首相は「幻想を抱くべきではない。我々が現在直面しているのは短期的な危機のみではない」との危機感を表明した>(以上)

欧州とアジアでオバマが軍事プレゼンスを後退させたことが中露のグレーゾーン的侵略を招いてしまった。経済制裁強化のみならず、関係国との連携で軍事的な圧力も加えながら、中露が撤収するように仕向ける戦略が必要だが、それは可能なのか。地政学者・奥山真司氏のブログ5/10から。

<私がイギリスで学んでいた時期にはイラク戦争の関係もあって、コースメイトたちに特殊部隊や特殊作戦の戦略効果について研究しているのが何人かおりまして、以下の本(Special Operations and Strategy: >FromWorld War II to the War on Terrorism)はそのうちの一人が出版したものです。

これはまさに「戦略効果」について書かれたものでしたが、どちらかといえば第二次世界大戦の文脈が強調されたものでした(ダムバスターズに関する解説は必見)。

特殊部隊のオペレーションやタクティクスについては今後も公開されることはなさそうですが、その戦略的な意味という点では、日本でも本格的に研究すべき時期に来ているのかなぁと、問題意識として感じている今日このごろです。

たしかにロシアのいわゆる「ハイブリッド戦」のように、軍隊を特殊というか、非正規的な使い方をするやり方は今後もどんどん増えてきそうですし>(以上)

「ダムバスターズ」とはイギリス空軍の特殊部隊の通称。目的はドイツの兵器生産の中心地のルール工業地帯に工業用水や電力を供給するメーネ・ダム、エーデル・ダム、ゾルペ・ダムを破壊することで、この作戦は成功をおさめた。

対日戦への投入も準備され、「九州と本州の連絡を遮断する」任務(関門鉄道トンネル攻撃)につく予定であったが、広島と長崎に「もっと強力な爆弾」が投下され、日本が降伏したために実現しなかったという(ウィキ)。

中露国民の大多数は民主主義を「西側の腐敗した思想で自分の国には合わないし、むしろ害毒だ」と思っている。つまり国内から好戦的な独裁者を駆逐することは無理だ。ならば恫喝には恫喝で、非正規戦には非正規戦で対応するしかないだろう、秘密裏に、時には大胆に。西側が行動しなければファシストは図に乗って悪事を重ねるだけだ。(2015/5/18)


    

◆中国の対米札束攻勢は810億ドル

〜過去10年で〜

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)5月19日(火曜日)通算第4544号 >
 
〜中国の対米札束攻勢は過去十年で810億ドル
   子会社のハイテク部門買収や資源企業を主力に買収〜


なるほど、ケリーの歯切れが悪かった筈である。

ケリー米国務長官は、先日北京を訪問し、習近平と会見したが、中国側から『新しい大国関係』を大声で繰り返された。ケリーは南シナ海問題を一応は話題にしたものの、それ以上のつっこみはなく、9月の米中首脳会談に持ち越された。

過去10年間で中国が米国に投じたカネが810億ドルにのぼったことAEI(アメリカン・エンタプライズ・インスティチュート)の報告で判明した。

このうちの150億ドルが資源エネルギー関係の鉱区買収や企業買収に当てられ、ほかに目立つのはレノボのIBMパソコン部門買収が典型的だ。ともかく軍事ハイテクにつながる先端技術をもつ大企業の子会社や、軍事大手の子会社の部門売却などを中国が買収したことが判明している。

2015年05月19日

◆アメリカは差別社会

Andy Chang



長い旅行から戻ってきて5日目、まだひどい時差ボケが解消していない。一時間の時差を直すには一日かかると言われているが台湾とロスには15時間の時差があるから時差ボケを直すには15日かかるわけだ。

アメリカに戻ってすぐに感じたことはアメリカが差別社会であること、そしていろいろな差別はオバマが政治的に拡大したと思われる。オバマは差別問題を政治と選挙に利用して本来からあったアメリカ社会の二極化を更に大きくしたと思う。

ちょうど「頂門の一針」3660号に加瀬英明氏の「相変わらず米国の人種差別」という記事が載っていたが、米国の差別問題は人種問題だけでない。現在の差別問題は黒人主義者のオバマが大統領になってから差別を政治に利用するからである。

来年の選挙を控えてオバマと民主党は選挙対策として人種だけでなくいろいろな差別を政治的に利用する傾向がある。共和党の大統領候補は差別問題よりも経済、国際問題、テロなどを討論しているが、民主党側の唯一の候補者ヒラリー・クリントンは女性問題や黒人差別、貧富の格差などを挙げている。

●差別問題の重要度

アメリカには差別問題がたくさんあるが、その最たるものが黒人問題である。ある評論家は差別問題について、アメリカの差別問題はその社会における重要性で6つあると言う:(1)黒人問題、(2)同性愛者、(3)ラティノつまり南米系移民と違法移民、(4)女性差別、(5)貧富の格差、(6)最後にユダヤ人とアジア系人だが、これは殆ど問題ではないという。なぜこれらが問題かというと、オバマを始め、民主党がこれらを選挙に利用するからだ。

今のアメリカでは黒人とラティノを合わせた人口が白人人口を上回り、これに同性愛者、女性差別などに迎合する言論を発表すれば選挙に勝つと言う。白人の発言力が低下しているのだ。

アメリカの政治問題は沢山あるが、社会問題はその一部に過ぎない。アメリカの大問題は世界的影響力が低下していることだが、民主党は政権を取ることを優先する、社会問題を先にすれば国民の関心と選票が得られるとみている。

それには差別問題の発言で国民の関心を買うことである。中間選挙で負けた民主党は差別問題を優先して国際問題、経済問題は後回しにしている。これに反して共和党の候補者は国際問題、経済問題などを優先している。

●差別問題の変遷

差別とは社会の違いを作ること、つまり社会を二極化することである。黒人問題はその一つ、差別のない社会なら黒人が大統領になっても問題は起こらない。オバマが当選したのはアメリカでは黒白の差別が少なくなっていたからであった。

だが大統領になったオバマは黒人優先主義者だから問題になのだ。フロリダとミズーリで起きた警察が黒人を射殺した事件では明らかに犯人が悪かった。警察は自己防衛で犯人を射殺したのだった。ところがオバマが黒人の肩を持つ発言をしたため暴動が起きて長引い
たのだ。

大統領の権威は非常に大きい。黒人オバマが大統領になってから黒人が大いに威張りだして白人は抗議さえできなくなった。大統領が後ろ盾になっているから黒人が暴動を起こしても我慢している。

アメリカは越境違法入国を取り締まることさえできず、違法入国した未成年者を送還できず、オバマは違法入国者を特赦して居住権を与えると言いだした。これは明らかに不公平だが、ラティノはオバマの違法入国を優遇する処置を歓迎している。

オバマの人気取りである。国境を守ることが出来なかったら違法入国は増える一方だが、オバマは国境を守れないからテキサス、アリゾナ、ネバダなどの州が悲鳴を上げている。

黒人問題と違法入国に次いで問題なのが同性愛者とマリファナの合法化、その次が女性差別である。民主党は差別問題に迎合する発言が多く、共和党は差別に無関心だと宣伝する。

●オバマとアメリカの衰退

昔から言われているように、共和党と民主党の違いは、共和党は小さな政府と自由競争を目指し、民主党は大きな政府を目指す。大きな政府とはすべてが政府主導で、大きな予算と赤字の増大、社会福祉、増税、金持ちから取って貧乏人に与えるなどである。

黒人には貧困者が多い。社会福祉で金をばら撒けば彼らの支持は集まるが金を与えただけで貧困は解決できない。アメリカ社会は成功する機会が多く、個人の努力次第で成功することが出来る。

アジア系の移民は努力して成功するものが多い。福祉に頼ってばかりでは貧困から抜け出せない。雇用を増やす、教育を普及させるなど基本的政策が大事である。

オバマは民主党員で社会主義者だが、黒人で成功したことで傲慢になり独裁的傾向が強い。大統領の権限を拡大し、憲法無視、国会無視、法制無視、大統領命令を最大限に使うなどと言われている。あまりにも法を無視するので去年の中間選挙で共和党が上院下院で多
数となりオバマはレイムダックとなった。

オバマは一貫して中東問題をブッシュの責任として攻撃してきたが、オバマの中東政策でテロがブッシュ時代よりさらに悪化し、ISIS、タリバン、アルカイーダなどを制御できなくなった。

アジア政策もリップサービスだけで中国の横暴な領土拡張を抑えきれず、アメリカの勢力衰退が明らかである。更にオバマが強引に結んだイランとの非核協定はアメリカだけでなくアラブ諸国も反対している。オバマは先週アラブ諸国の首長をキャンプ・デビッドに招待して会議をしたが、わずか二人の首長が参加しただけで残りは代表を送っただけ、何の結果も得られなかった。

●アメリカは差別の国だが…

確かに加瀬先生の言う通り、アメリカは差別の国であり、人種問題やほかの差別は今でもある。オバマが大統領になって黒人問題が悪化し、白人が沈黙したままだから差別がひどくなったのである。

いまの人種差別は白人優先ではない。黒人が威張って白人は小さくなっているのだ。黒人が悪くても暴動が起きれば白人は沈黙している。オバマが大統領になったお蔭で黒人たちは大統領がかばってくれると威張りだした。

中東外交が失敗してアラブテロの復讐が始まり、アメリカの国威が衰頽し諸国はアメリカを軽視、ISISがアメリカに復讐を公言するようになった。

過去30年のアメリカの政治を見れば、カーター、クリントン、オバマの民主党政権の「大きな政府」は失敗だらけで、アメリカが国際的にバカにされる時代であった。特にひどい最近の衰退はオバマの責任であり、国内でいろいろな差別問題が政治的に利用され、オバ
マは史上最低の大統領と言われるようになった。これが現代アメリカの実像である。



     

◆安易に売るな、潜水艦「先端技術」

平井 修一



北村淳氏の論考「安易に売るべきではない日本の潜水艦『先端技術』」(JBプレス5/14)から。

<(遠洋に阻止線を置くという)オーストラリア(以下、豪)の潜水艦運用構想に適しているのは攻撃原子力潜水艦であるが、同盟国アメリカといえども国家最高機密の1つである原潜のオーストラリアへの輸出は不可能に近い。

一方、原潜に代わる大型の高性能通常動力潜水艦ならば、輸入あるいは共同開発を見込める。そこで、そのような潜水艦建造能力を持つ友好国であるドイツ、フランス、そして日本に声をかけたのである。

*先端潜水艦技術は国家最高機密の1つ

豪海軍の欲している通常動力潜水艦に最も適合しているのは、海上自衛隊が運用中の「そうりゅう」型攻撃潜水艦であることは異論を待たない。ただし、国際海軍常識にしたがうと、日本が現行の主力潜水艦技術を、いくら友好国に対してとはいえ、そうたやすく提供するとは考えにくい。

もっとも、オーストラリアが次期潜水艦選定を模索し始めた数年前には、日本は武器輸出三原則が存在していたため、「そうりゅう」型潜水艦の輸入あるいはその技術移転は望むべくもなかった。

豪海軍にとっては、幸運にも安倍政権が武器輸出禁止三原則を転換し、兵器や軍事関連技術の輸出解禁政策に踏み切ったため、日本の潜水艦あるいは潜水艦技術を入手できる可能性が生じたのである。

しかし、上記のように、国家最高機密の1つである最先端潜水艦技術を積極的に外国に(この場合、当然のことながら同盟国や友好国に限られる)提供しようという国家が存在することは想定しにくい。おそらく豪にしても、すんなり日本政府が「そうりゅう」型潜水艦の先端技術を提供するとは考えてはいなかったと思われる。

しかし、日本政府は安倍政権が打ち出した「防衛装備移転三原則」の実施を急ぐためなのか、最先端潜水艦技術の提供という国際的には稀有な方針を積極的に推進しようとしている。

豪海軍はともかく、アメリカ海軍関係者には、このような日本政府の「潜水艦先端技術売り込み」方針に驚きを隠せないものが少なくない。「神以外はすべてを疑え」をモットーにする米海軍情報部の関係者などは次のように指摘している。

「いくら豪が友好国であるといっても、つい最近には親中派が政権を担ったこともある豪に最先端潜水艦技術を提供することの危険性を、日本は考えるべきではなかろうか?」

「アメリカにとって日本は重要な同盟国ではあるものの、原子力潜水艦を日本に提供することは極めて困難だ。海自のAIP潜水艦(「そうりゅう」型潜水艦)技術は、日本にとってはアメリカの原潜技術に匹敵する。日本政府は最先端潜水艦技術の重大性を正しく認識しているのだろうか?」

*東南アジア諸国に輸出するほうが日本の国益にかなう

米海軍関係者が指摘するまでもなく、日本の潜水艦技術陣が培ってきた、「日本国防技術の宝」とも言える最先端潜水艦技術を“気前よく”豪に提供するのは、海千山千の国際軍事社会においてはあまりにも“お人好し”に過ぎる、特異な風景と言わざるを得ない。

その最先端潜水艦技術は、一歩間違えば海上自衛隊の主力潜水艦を危殆に瀕せしめかねない。そんな技術を他国に提供するくらいならば、同じ潜水艦分野でも一世代前の潜水艦や技術を輸出したほうが国防上安全であることは言うまでもない>(以上)

まったく然り。「情けは人のためならず。巡り巡って自分のためでもある」などと警戒心を解いて“お人好し”をやるととんでもないことになる。寝首をかくのが世界のならいだ。

ソ連の不可侵条約破り、支那の通州大虐殺、朝鮮の終戦直後の乱暴狼藉、こんな事件もあった。

<2003年1月、神奈川県横須賀市鷹取町、無職丸山剛さん=当時(79)=方に3人組の男が押し入り、丸山さん夫妻を死傷させた事件で、県警捜査1課と田浦署は4月11日、ともに中国籍の元建設作業員陳厚忠(53)=入管難民法違反罪で起訴=、陳財福(40)=同法違反容疑で逮捕=の両容疑者を強盗致死傷の疑いで再逮捕した。残る中国人の男1人も同容疑で行方を追っている。

調べによると、3人は1月5日午後11時ごろ、丸山さん方に侵入。妻隅子さん(73)の顔を殴るなどの暴行を加えて10日間のけがを負わせ、現金や貴金属など計約140万円相当を奪った。さらに、慢性肺気腫などの病気で自宅療養中だった丸山さんの頭を殴るなどした上、装着されていた酸素吸入器を外して死亡させた疑い。

陳厚忠容疑者は昨年12月、丸山さん方裏にある傾斜地で土木工事をした際、夫婦にお茶やミカンを差し出されるなど親切にされた。夫婦が2人暮らしと知り、ほかの2人に犯行を持ち掛けたという>

恩を仇で返す人々、突如牙をむく人々は珍しくない。外交でも「大きな親切、大きな危険」と心得るべきだ。(2015/5/16)

2015年05月18日

◆誤解・思い込み…特異な韓国

黒田 勝弘



先にインドネシアで「バンドン会議60周年記念」の国際会議が開かれ安倍晋三首相が演説した。バンドン会議は第2次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国が反植民地主義や民族自決、世界平和などを掲げ 1955年に開催した。

インドネシアのスカルノ大統領、インドのネール 首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となり後の非同 盟運動のきっかけになった。

日本は60年前の会議にも招かれた縁があり今回、安倍首相が出席したが、韓国人にはこれが理解できなかったらしい。「日本は侵略国で韓国を支配した植民地主義の国だったはずなのに」というわけだ。

知り合いの韓国マスコミのOBも首をかしげていたので「いや、東南アジアや中東、アフリカ諸国には、日本はアジアが欧州の植民地支配から解放されるきっかけを作ったと評価する声があるからだ」と説明したところ驚いた表情で「そんなはずはないだろう」という。

「日本はアジアを侵略、占領した」というので「いや日本による占領は数年間で、アジア諸国にとっては欧州諸国による長期の植民地支配から解放されたことの方がはるかに重要だったからだ」と重ねて説明したが最後まで認めようとしなかった。

知識人に属する韓国人でもこの程度なので、多くの韓国人は「日本は今もアジアの国から恨まれている」と誤解し思い込んでいる。韓国が「アジア」というときは、イコール韓国と中国ということでほかの国は視野に入っていないのだ。

いつもジコチュウで視野が狭いため、バンドン会議60周年会議で安倍 首相の演説に過去の歴史に対し反省だけがあって謝罪が入っていないと批判したのは、参加もしていない韓国だけだった。

先に日本の外務省が戦後日本の対外協力の実績を紹介した映像の広報資料を発表したときも、韓国だけがデタラメだといって非難している。

とく に韓国のことを取り上げたわけでもないのに映像の一部に韓国の製鉄所や 地下鉄、ダムなどの写真が入っているのを見て韓国だけが反発した。

さすがに政府は何も言わなかったが、マスコミは準国営のKBSテレビや最大手の朝鮮日報が先頭に立って「韓国の経済発展は日本のおかげとはとんでもない!」「妄言だ!」と意地になって日本を非難した。

アジアの他の国は何も言っていない。しかも実際は韓国が経済・技術援助をはじめ最も日本の影響を受けて発展したことは国際的には常識なのだ。

韓国政府が日本との国交正常化(1965年)の際に、過去の支配に対 する補償として受け取った対日請求権資金5億ドルだって、韓国の経済発展の基礎になったことは韓国政府発行の『請求権資金白書』(76年刊) に詳述されている。

国交正常化50周年の今年、記念事業としてこの白書 を日韓双方で復刻出版してはどうか。

ことほど左様に韓国はアジアできわめて特異な国なのだ。18日にはイ ンドのモディ首相が韓国を訪問するが、朴槿恵(パク・クネ)大統領はモディ首相と歴史談議をしてみてはどうだろう。インドは100年近く英国 に植民地支配されたが「おたくの謝罪・反省・補償要求はどうなってますか?」と聞いてみればいい。

産経ニュース【緯度経度】2015.5.17


◆祖国復帰を果たした沖縄県民の思い

伊勢 雅臣



沖縄が「グアム」化や「香港」化の道を避け、日本復帰を果たしたのは県民の祖国愛の賜だった。

■1.「グアム」化も「香港」化も避けた沖縄

沖縄は昭和47(1972)年5月15日に返還された。戦争で失った領土 が平和的な話し合いで短期間のうちに祖国に復帰したのは世界史上でもあ まり例がない。

一度失った領土を外交交渉で取り戻す事がいかに難しいかは、北方領土や竹島の現状を思い浮かべれば、容易に理解できる。香港はアヘン戦争の結果、1898年にイギリスとの間で99年間の租借条約が結ばれ、中国に返還されたのは1997年であった。

まして米軍は沖縄戦で7万5千人もの死傷者を出した。アメリカ軍の中には、「沖縄は我々の青年の血で贖(あがな)った戦利品である」と発言する者もいた。

昭和22(1947)年6月、マッカーサーは「沖縄人は日本人ではない」と 発言した。この時点で、アメリカは、本土と沖縄を切り離して永久支配することを考えていた。いわば、今日のグアムのような形態である。

朝鮮半島、中国大陸、東南アジアを睨む沖縄の地政学的な重要性を考えれば、ここをアメリカの直轄地として、自由に使えるようにしておきたい、と考えるのは当然であった。

しかし、沖縄は「香港」にも「グアム」にもならず、平和裏に祖国に復帰できた。この世界史上での奇跡がどう実現したのか見てみよう。


■2.祖国防衛に尽くした沖縄

沖縄が祖国防衛のために果たした役割は計り知れない。

昭和20 (1945)年2月のヤルタ会談で、ルーズベルト大統領は、日本を 壊滅させ、無条件降伏させる方針を確認した。4月中に沖縄を占領した後、南九州上陸を狙うオリンピック作戦、続いて関東平野に侵攻するコロネット作戦が計画されていた。スターリンのソ連は北海道、東北地方に侵出することが決定されていた。[1,p19]

このシナリオ通りに展開したら、本土決戦でさらに数百万人規模の日本人が犠牲となっていたろう。さらにドイツと同様、無政府状態となったまま、米ソに分割占領されていたはずだ。

その悲劇を阻止したのが沖縄戦であった。日本軍の洞窟陣地を利用したゲリラ戦術により、米軍は太平洋戦争で最大の損害を受けた。日本軍守備隊の戦死者約6万5千人に対して、米軍は地上戦闘での死傷、神風特攻による艦船の沈没・損害、激烈な戦闘による神経症での戦線離脱などで合計7万5千人もの死傷者を出している。[a]

日本軍の5倍の兵力を投入しながら、1ヶ月の作戦が3ヶ月もかかった。米軍は実質的には沖縄戦は敗北だったとの認識をしていた。[1,p17]

その被害の大きさに、このまま本土侵攻に進んだら、米軍も 100万人規模の犠牲を出すであろうと予想された。ここから、米政府は 無条件降伏の方針を撤回し、有条件降伏を勧めるポツダム宣言を出した。

戦場となった沖縄で、日本軍は島民の3分の1、20万人を本土や安全な島北部に疎開させた[b,c]。それでも軍属として戦った青壮年、従軍看護婦らも含めて、10万人規模の住民犠牲者が出ている。

沖縄戦での軍民の尊い犠牲により、本土決戦を避け得て、その何倍もの国民が救われ、国家と皇室の護持ができたのである。


■3.沖縄の「グアム」化を避けた昭和天皇のご提案

この事情を踏まえてであろう、昭和天皇は沖縄県民に対して格別のお気持ちを抱かれていた。それは昭和(1987)年に病に倒れられた際に、「(沖縄訪問は)もうだめか」と言われ、次の痛恨の御製を詠われた事から窺える。

思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを

昭和22 (1947)年、占領下ながら、昭和天皇はアメリカに対して沖縄に 関する重要な提案をされた。ひとつは、アメリカが沖縄を永久支配しようとしているのに対して、沖縄の潜在的主権は日本が持ち、施政権のみをアメリカが預かる形にして欲しいということ。

もう一つは、共産主義勢力から沖縄を守るために、アメリカの軍事力を展開して欲しい、ということだった。この慧眼は、現代においても、沖縄の米軍基地が中国の覇権拡大を食い止め、東アジアの平和維持に必要不可欠の存在になっている事実からも窺える。

昭和27 (1952)年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復するが、その際にアメリカは昭和天皇のご提案を受け入れ、潜在的主権は日本が持ったまま、施政権はアメリカが預かる形とした。これにより「グアム」化への道は避けることができた。

次の問題はアメリカが沖縄の施政権をいつまで持つのか、という点となった。イギリスが香港を99年間租借したように、アメリカも沖縄を長期間支配すべしというのが、当時のアメリカ国民の意見だった。このままでは沖縄は「香港」化する恐れもあったのだが、それを食い止めたのが沖縄の祖国復帰運動だった。


■4.「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」

後に沖縄の祖国復帰運動の中心となった小学校教諭・仲村俊子さんは復帰前の沖縄県民の祖国への思いを次のように回想している。


<復帰前の沖縄には、アメリカ施政下の琉球政府がありましたが、県民感情としては祖国日本が懐かしいのです。米軍統治下で物質的には恵まれていましたが、私たちの代で復帰を果たさないと、子供たちは自分の祖国がどこなのかさえわからなくなってしまうと危惧されていました。>[1,p34]

祖国復帰運動に立ち上がったのは、沖縄教職員会だった。これは日教組とは違い、純粋な教育団体だった。その初代会長・屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏は、復帰後に初代の沖縄県知事となった人物である。この屋良会長の時に、学校教育を通じて日の丸掲揚を広げる運動が始まった。

昭和27 (1952)年に屋良会長名で次のような通知が出された。「各家に 国旗を掲げるように奨励いたしましょう。国旗の注文はいつでも学校ごとにまとめて地区委員会を通じて申し込んでください」。毎年1万本の申し込みがあったという。本土側でもこれを支援して、大量の国旗を沖縄に送った。

「当時、私は平敷屋中学校に勤務していましたが、初めて日の丸が学校で届いたときには、胸に響くものがあり、涙が出ました」。[1,p35]

昭和30年代から40年代には、教職員が復帰運動の中核となった。 「沖縄を返せ」と歌いながら、デモ行進を行った。沖縄全県で日の丸が掲 揚された。

こういう県民の想いに応え、佐藤栄作首相は昭和40(1965)年8月、戦 後の首相としての初めての沖縄入りを果たし、那覇空港での第一声で「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」と語った。この声明は祖国を願う県民を大いに勇気づけた。佐藤政権も政治生命をかけて沖縄復帰に取り組んだ。


■5.ニクソン政権の沖縄返還決断

沖縄での祖国復帰運動の盛り上がりを背景にした日本政府の返還要求は、ニクソン政権を揺るがした。キッシンジャー大統領補佐官はニクソン大統領にこう提案をした。

<日本の返還要求の圧力はもはや押し戻すことのできないところまでに来ている。この交渉を拒否すれば一切の基地を失ってしまうことになってしまう。>[1,p23]

時あたかもベトナム戦争の最中であり、日本国内でも「ベトナム戦争反対」や「日米安保反対」と学生運動の嵐が吹き荒れていた。日本を自由主義陣営に留め、沖縄の基地を維持するためには、沖縄を返還せざるを得ないと考えたのであろう。昭和44(1969)年11月の日米首脳会談で「核抜き、本土並み、3年後返還」が合意された。

しかし沖縄が日本に復帰して一体化・安定化し、米軍基地がそのまま残ったのでは、中国やソ連など共産陣営にとっては極めて都合の悪い。分断されたまま、住民が反米感情を抱いていた方が米軍の動きを制約できるし、いざとなれば沖縄だけ独立させて共産陣営に取り込む道も残る。


■6.「沖縄を日本革命の基地にしよう」

そんな意向を受けたのであろう、左翼陣営から祖国復帰反対運動が起こされた。昭和43(1968)年、屋良会長が琉球政府の行政主席に当選し、事務局長だった喜屋武(きやむ)氏が会長に就任した頃から沖縄教職員会が変わり始めた。

「学校に「日の丸に賛成か、反対か」と言うアンケートが配られ、驚いて思わず「本当に喜屋武先生の名前できているのか」と聞いたほどです。私の勤務していた那覇市の城岳小学校はしっかりした人が多く、「賛成」が多数でした。

すると「やり直し」と言われてアンケートが返ってきたのです。指導を受けて「反対」を多くすると、ようやく通りました。この一件でおかしいと感じ始めました。

名護で開催された教職員婦人部の会では「今の日本に復帰するのではないから、復帰は言わずに安保反対だけを言え」という主張がなされていました。・・・

学校には「70年安保に向けて」というパンフレットが回ってくるようになり、街には「沖縄を日本革命の基地にしよう」という教職員会のポスターが貼られるようになりました」。[1,p36]



■7.「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」

学校でも闘争資金集めがあり、「この組織には絶対についていけない」と感じた仲村さんは、昭和44(1969)年11月に仲間5人と教職員会を脱 会した。

脱会声明を「沖縄タイムズ」と「琉球新報」に載せ、連絡先として中村さん宅の電話番号を記した。新聞社は「相当の圧力が来るかと思うが大丈夫か」と心配してくれたが、翌朝、立て続けにかかって来たのは抗議ではなく、「よく頑張った」という激励だった。

昭和46(1971)年6月に「沖縄返還協定」が調印され、11月に批准、 翌年5月に返還という運びとなっていたが、そこに東京から「復帰が危ない」という連絡があった。前年に参議院議員に当選していた喜屋武会長が、与野党に「批准に反対してくれ」と説いて回っている、との由。

また沖縄でも安保反対のデモがあり、東京からは県民の大多数が復帰そのものに反対しているように見えたので、「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」という話が国会でも出ているとのことだった。

仲村さんは居ても立ってもいられなくなり、組合を一緒に脱退した仲間たちと10月31日に「沖縄返還協定批准貫徹県民集会」を開いた。千人 以上の県民、市町村の首長や議員も集まってくれた。仲村さんもクビを覚悟で、登壇して意見発表をした。


■8.「祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えること」

11月3日、仲村さんら8人の陳情団が上京した。沖縄出身の議員を始め、関係する政治家を回って、早期批准の陳情を行った。竹下登・官房長官などは祖国返還を願う仲村さんたちの訴えを涙ながらに聞いてくれた。

さらに6〜13日は都心部やターミナルなどでビラまきをし、沖縄返還 協定批准を願って「祈・批准」と書いたタスキを掛けて、整然としたデモ行進を行った。

一方、返還反対運動は過激化して、沖縄ではゼネスト、渋谷では暴動事件が起こり、両方で火焔瓶が投げられて、警察官が死亡するという事件まで起きた。

しかし、県民集会や陳情が奏功して、「沖縄返還協定」は11月24日に衆議院で自民党による単独採決で批准された。

沖縄に戻った時は、年休の2週間を超えていた。学校で60人あまりに 吊し上げられ、組合の分会長からは「お前たちが陳情に行ったから、沖縄返還が強行採決されたんだぞ」と、ノートでテーブルを叩きながら、怒鳴り散らされた。

しかし、仲村さんは「私のクビ一つだけで沖縄が復帰できれば安いものだ」と吹っ切れた気分で出勤していた。何日か経って、校長とともに那覇市の教育委員会に呼ばれたが、理解ある教育長で、クビにはならずに済んだ。

仲村さんと一緒に上京して活動した富川春子さんは、沖縄戦で現地召集兵の父親と幼い弟を亡くしている。富川さんは上京時の思いを目を真っ赤にしてこう語っている。

「祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えることなのです。
 

上京時の私たちはわずか7名でしたが、背後には十数万柱の英霊がついていて下さると思うと、不思議と怖くありませんでした。

沖縄戦で亡くなられた英霊を思えば、赤化していく沖縄の状況を到底座視することはできませんでした」。[2]

今また、沖縄は中国とその手先となっている左翼勢力により祖国から奪われる危機に瀕している。


■リンク■

a. JOG(196) 沖縄戦〜和平への死闘
 勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米国の無条件降伏要求を撤回させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog196.html

b. JOG(651) 沖縄県民20万人を救った二人の島守(しまもり)(上) 戦火の近づく沖縄から県民を疎開させようと、警察部長・荒井退造(たいぞう)は奮闘した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h22/jog651.html

c. JOG(652) 沖縄県民20万人を救った2人の島守(しまもり)(下) 米軍侵攻を目前にして島民の北部疎開と食糧確保に二人の島守は全力をあげた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h22/jog652.html

d. JOG(643) 「沖縄県民斯ク戦へり」(上) 〜 仁愛の将・大田實海軍中将 玉砕寸前の海軍司令部から「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と電文が発せられた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h22/jog643.html

e. JOG(644) 「沖縄県民斯ク戦へり」(下) 〜「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ」との祈り 大田實中将の電文に感銘した多くの人々が、沖縄の為に尽くした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog644.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 樺島有三、仲村俊子『祖国復帰は沖縄の誇り』★★★、明成社、H24http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905410053/japanontheg01-22/

2.坂本匡史「祖国復帰40周年で変わる沖縄」、『祖国と青年』H24.4
http://www.seikyou.org/sokokutoseinen.html


<主宰者より:主宰者はその昔NHK政治部記者時代、沖縄特派員として派遣され、アメリカCIAに常時尾行・盗聴されながら屋良朝苗知事初当選の選挙を取材した、なんと昨夜相手してくれたホステスがアメリカのスパイ
だったりした。>

◆戦に備えて軍事演習花盛り

平井 修一



「戦略論」にてマキャベリ曰く――

「新しいことに直面すると、将兵たちは度を失う。それ故、将兵たちに新戦略を飲み込ませるには、小競り合いのような機会を与えてやり、慣れさせるとよい」

「予測しなかった事故は、立ち直るのに非常な困難を伴う。だが、あらかじめ考えに入れておけば、たとえ不意を襲われたとしても、容易に立ち直れるものである」

たとえ平時でも備えあれば憂いなし、軍事演習でフォーメーションプレーを身に付けるのだ。プーチンお抱えスプートニクニュース5/15「軍人はスポーツ選手のように訓練すればいい」から。

<最近のニュースは、アジア太平洋地域の国々を含む様々な国の軍事演習についての知らせで溢れている。

韓国は、日本と領有権を争う日本海に位置する竹島(韓国名:独島)の防衛訓練を行った。伝えたところによると、14、15の両日、海軍と沿岸警備隊が、仮想敵の船舶や航空機による領海侵犯や領空侵犯を防止するための共同行動に関する訓練を実施した。

北朝鮮は今週、韓国との海上の境界線に近い黄海で射撃演習を実施する方針。

南シナ海では12日、日本とフィリピンが初の合同訓練を実施した。訓練には日本の駆逐艦2隻とフィリピン海軍の艦船1隻が参加し、敵の艦船との予期せぬ衝突に関する訓練が行われた。

日本とフィリピンの協力は、共同訓練の枠内にとどまらない。フィリピンは今年末までに日本製の巡視船10隻を受け取る予定だ。

現在、ロシア太平洋艦隊の海軍航空隊は、日本海とオホーツク海で対潜演習を実施している。訓練飛行の過程で、太平洋艦隊の艦船だけでなく、東部軍管区の航空隊や部隊、極東の治安機関との共同作戦も訓練している。

地中海では5月17−21日まで、ロシアと中国の合同演習の活発な段階である「海上協力―2015」が行われる。さらに8月には日本海で露中軍事演習が実施される。

ロシアと中国は合同演習について、他国を対象としたものではなく、いかなる地域の政治情勢にも関連していないとの声明を繰り返し表しているが、外国の専門家たちは、予定されている演習について、西側に向けられたものであるとの確信を示している。

ロシアはこのような形で米国に、米国の「努力」にもかかわらず、ロシアが国際的に孤立していないことを示し、中国はこのような形で、米国と日本の軍事協力の強化に反応している。

スポーツマンにトレーニングが必要なように、軍人にも訓練が必要だ。しかし、世界では軍事演習が増えているような印象を受ける。これは何と関連しているのだろうか?

ラジオ「スプートニク」からのこの問いに、軍事専門家で、ロシア科学アカデミー極東研究所の研究員でもあるアナトーリー・クリメンコ氏は、次のように答えている。

「これは予め定められた計画によって行われるルーティーンで、通常の軍事訓練だ。しかしこれを計画する人々は、複数の目的を追求している。

一つは、部隊、海軍の隊員、航空機の乗組員などが戦闘に近い状態で行動する訓練を行うことや、演習時に様々な国の兵士や将校たちに共同行動を教えること。

二つ目の目的は、必要な場合にこの共同行動をデモンストレーションすること、可能性を示すこと、そして訓練の質だ。これらの目的が混ざり合ったものが、様々な国と部隊によるこのような種類の合同演習の基盤となっている。

演習の頻度だが、これは世界の軍事・政治的状況が今、非常に多様であることで説明がつく。これは特に中東での出来事、米国と中国の競争、ウクライナに関する米国とロシアの対立などだ。

日本と中国の関係や、フィリピンと中国の関係には、領有権争いの要素も含まれている。この場合、日本とフィリピンはこれらの訓練で、中国に共同行動の用意があることを示しているが、これはまず政治の場においてのことだ。

ご存知のように、十分な軍事力に支えられている時、あらゆる政治行動が効果的となる。このように、これら全ての要素は、自国の国益を守るために、各国に軍事演習に大きな注意を払うことを余儀なくさせている」

19世紀のドイツの哲学者で軍事学者のクラウゼヴィッツは、「戦争とは他の手段を以ってする政治の延長である」と述べた。これは今も軍事作家や歴史学者たちによって頻繁に引用されている。

しかし、それに続く「政治的に強い相手は、戦争を必要としない。彼は、自分の目的を達成するための別の手段を知っている。軍事的優位性のゲームで勝負の決着をつけることは、政治的弱さの証拠である」という言葉を忘れている人が大勢いる。

軍人は訓練をしてもかまわない。ただ、それは、体型維持のために行えばいい>(以上)

「軍事的優位性のゲームで勝負の決着をつけることは、政治的弱さの証拠」って・・・まさにこれは東西で中露ファシストがやっていることだ。習とプーチンは総スカンを食らって四面楚歌。習・プーチンVS国際社会の構図だ。対外政治力を弱めさせており、経済も具合が悪くなってきた。弱り目に祟り目。

演習は肥満防止の体型維持や筋トレのためではない。

(米英独露中韓では軍人の肥満が大問題になっているが、ロシア軍でも将校の3分の1が肥満、4分の1が体力テストで不合格だそうだ)

抑止力、攻撃力を高め、敵が戦争を仕掛ければかなりの出血を強いられることを理解させることにある。中露のファシストとイスラム原理主義者が国際秩序をサラミ戦術で脅かしているから、各国が警戒し、戦闘能力を高めている。

パワーバランスが崩れると強い国は「自衛のために」攻撃を仕掛ける。プーチンの戦争も「ロシア語の人々を救うため」の自衛戦争だ。南シナ海で暴れる習近平も「自国領土を守るため」の自衛戦争だ。つまりは自衛かどうかということはまったく意味がない。ひたすら国益のために戦争は起きるのだ。

それにしっかり備えるために演習する。

マキャベリ曰く「優れた指揮官ならば、次のことを実行しなければならない。第一は、敵方が想像すらもできないような新手の策を考え出すこと。第二は、敵将が考えるであろう策に対して、それを見破り、それが無駄に終わるよう備えを完了しておくこと、である」。

世界は戦争前夜。まことに笹川良一氏の教える「戸締り用心 火の用心」が大切なのだ。(2015/5/16)

           

◆看過できぬ中国の経済覇権

長谷川 秀行



日本の経済外交で、安全保障を含む総合的な戦略性が今ほど求められる局面はないのではないか。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)をめぐる一連の動きをみて、そう実感する。

中国は、欧州やアジアの途上国などをAIIBに引き込むことに成功した。ただ、AIIBが中国の国家銀行のような色彩を帯びる懸念は払拭されておらず、日米両国は、組織運営が不透明などとして参加を見合わせたままだ。

中国の経済的な外交攻勢と連動するように、日米政権の中枢は最近、中国抜きの環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の戦略的意義を再三強調すようになった。

安倍晋三首相は米議会で「単なる経済的利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義がある」と演説した。オバマ大統領は「世界経済のルールを作るのは中国のような国ではない」と語り、米国防長官まで「空母1隻と同じくらい重要だ」と言うほどだ。

TPPに絡み、日米でこれほど露骨な表現が相次いだことはなかった。

日本の経済外交は、過去にも米国との貿易摩擦などで真価が問われる局面があった。だが、それは西側の一員という基盤の上での話である。国家資本主義である中国とどう向き合うかは、これとは質的に異なる面があろう。

中国の経済外交は覇権主義的な国家戦略と不可分である。AIIBは中国が「一帯一路」と呼ぶ新シルクロード構想を具体化するものだ。中国を起点に欧州に向けて陸路や海路でインフラ整備を進めて巨大経済圏を築く。それは単純な経済戦略というより、米国に対抗できる勢力圏づくりである。極めて政治色が強い戦略だ。

AIIBの融資が、軍事転用や環境破壊につながりかねないと懸念されようとも、インフラ資金を渇望する途上国にとって、その存在は魅力的である。中国は、そんなニーズをうまく取り込んだ。AIIBに出資する各国の資金を活用して影響力を拡大できれば、これほどうまみのある話はない。

習近平国家主席は各国首脳と活発な経済外交を展開している。だが、ここでいくら融和的な姿勢をみせても、一方では国際ルールを無視した南シナ海の岩礁埋め立てなどをやめない。本質的な覇権主義体質が変わらぬ中、日本がAIIBに入れば改革を促せると考えるのは、あまりに楽観的だ。

日中には政治的緊張とは裏腹に経済関係が深まる「政冷経熱」と呼ばれる時期もあったが、AIIBに加わっても日本企業の受注増大は望み薄だ。中国の経済力ばかりに目を奪われて新たな関係構築を焦る必要はまったくない。

日本が進むべき方向ははっきりしている。途上国の間に、日本主導のアジア開発銀行(ADB)などの融資審査が遅くて厳しい、との不満があるなら、使い勝手のいい組織へと改革を急げばいい。

TPPの早期妥結と同様、年内合意を目指す欧州連合(EU)との経済連携協定交渉も重要だ。欧州のAIIB参加をとらえて先進7カ国(G7)の「分断」と過剰反応する必要はない。日米欧の3極が新たな貿易・投資ルール作りで歩調を合わせる。それこそが日本の国家戦略だ。

(産経新聞論説委員)産経ニュース【一筆多論】2015.5.16

                 (採録:久松本市・久保田 康文)


     

2015年05月17日

◆学帽も書生もいなくなった

湯浅 博


ゆえあって連休の一日、文京区の本郷界隈(かいわい)を歩いていた。本郷には坂が多く、習いたての小唄を口ずさんで歩くと息が切れる。真砂坂に菊坂、炭団坂、胸突坂、無縁坂と数え上げるときりがない。本郷3丁目から東京大学の赤門前にかけての本郷通りを「見返り坂」といい、ここで江戸に別れを告げた往事の名残らしい。

3丁目の角には江戸のランドマーク、小間物屋「かねやす」ががんばっている。例の江戸川柳「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と詠まれたのは、ここが江戸の内と外の境だったからである。

見返り坂の1本裏手の道に、以前は老舗料理屋の「百万石」があった。創業明治32年の風格ある構えで、庶民にはやや入りにくかったようだ。戦前の自由主義者、河合栄治郎を調べているうちに、この百万石が河合ら自由主義者と大内兵衛らマルクス主義者の確執の舞台であることを知った。

河合は昭和初期に、「左の全体主義」マルキシズムと闘い、やがて戦時下で「右の全体主義」軍国主義をも批判した唯一の知識人だった。著作物の『ファシズム批判』『時局と自由主義』など4冊が発禁処分になり、病を押しながら法廷で壮絶な言論戦に挑んだ。独立不羈(ふき)の闘いの中で、河合は自らの思想に殉じていった。

関西大学名誉教授の竹内洋さんは著書『大学という病』に、東京帝大経済学部の派閥争いが激化し、昭和10年に河合ゼミの一員となった後の京大教授、猪木正道の興味深い証言を紹介している。

当時、大学3年の猪木は、助手の木村健康とこの百万石で鍋物をつついていた。この頃の百万石は、教授や帝大生の夜のたまり場である。そこへ、大内兵衛を真ん中に、舞出長五郎、矢内原忠雄、上野道輔ら左派の教授がやってきた。

この鉢合わせに、猪木や木村はバツの悪い思いで軽く会釈した。すると大内は2人をじろりと見て、「なんだか空気が悪いね」といって、くるりと背を向けたという。他の教授たちも大内にならい、2人を呆然(ぼうぜん)とさせた。

竹内さんは、猪木から「教授たちにこんないやみな行動をとらせることになってしまうのかと、せっかくの酒を沈んだ気持ちで飲んだ」と聞いた。
両派の争いは、雑誌の論戦をも引き起こし、河合はマルクス主義者たちがなぜ軍部を批判せずに、自由主義者を攻撃するのかと嘆いている。そんなドロドロした闘いの舞台だった百万石はいま、20階近い高層ビルに様変わりして、1階で再開したものの、現在は高級焼き肉店に替わっていた。

胸突坂を下る途中に、明治の薫り高い旅館「鳳明館」があり、ここで、「百万石」の今を聞いてみた。帳場の小池邦夫さん(52)は、「本郷にはいま頃、近代化がやってきた。おそらく世代交代で土地を売却してしまうのでしょう」と語る。

それは百万石だけでなく、教授らの住まいが多かった西片町あたりでも、代替わりで移転すると中層住宅ができる。

諸行無常は世の習いである。河合が通った官営第一高等学校も、明治の中頃はいまの東大農学部あたりにあったはずである。一高は昭和10年に、本郷からいまの東大教養学部のある駒場に移っている。卒業生は早死にさえしなければ、おおむね著名人になった。

大正7年に出た『東都新繁昌記』は、東京15区の特徴として赤坂の「華族」に対して、麻布はまだ「虫声」とみていた。本郷の「学帽」に対しては、神田の「書生」として違いを描く。

産経ニュース【東京特派員】2015.5.12

◆BRICS銀行の行く手にも暗雲

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)5月14日(木曜日)弐 通算第4540号 > 

 
〜BRICS銀行の行く手にも暗雲
  ブラジル不況、ロシア不景気につぎ南アの暴動収拾できず〜


BRICSの「s」は南アである。

人口5千万、アフリカ55ヶ国のなかでは最大のGDPを誇り、(白人政権の頃は、全アフリカの3分の1が南アだった)、雇用、ビジネス・チャンスを求めて周辺国から移民が集中していた。

嘗ての南アは戦略物資、レアメタル、とりわけ金鉱は世界一。プラチナ、マンガン、ダイアモンドでも輝ける生産国として、経済成長が続いた。

このため、隣国のジンバブエ、ボツワナばかりか、遠くマラウィ、ブルンジ、ソマリア、ナイジェリアなどからも一攫千金を狙う投資家や、雇用のありつこうとする労働者が南アに流入し、小工場や商店を経営してきた。

しかし白人が去り、経済政策が頓挫し始めると好景気に沸いた南アも不況入りし、失業率が25%以上となった。

当然、失業した人々は外国人移民を恨むようになる。外国人排斥運動がおこる。

3月以来、こうした移民の商店を襲撃、放火、略奪事件が頻発し、4月には大規模な暴動がケープタウンからヨハネスブルグまで飛び火、死者6人をだすにおよび、外国人8000人余が、南アから緊急に脱出した。

その後も治安が悪く、外国資本の工場を閉鎖して外国企業の撤退が開始された。

嘗て南アに進出していたのは台湾系華僑や印度系が多かったが、この20年で様変わり、台湾系は減少し、替わりに夥しく入り込んだのは中国大陸からの移民だった。

いまでは3万人以上の華僑、華人が南アでビジネスを展開している。このため都市部では中国人襲撃事件が頻発、これまでにも数名が殺害されている。

さて外国資本の逃避がつづく南アは中国が主導するBRICS銀行のメンバーである。二日前にインド人の総裁が決まり、習近平はモスクワ訪問の際に最初のプロジェクトにも署名したが、まだBRICS銀行は資本金の払い込みも終わっていない。

ロシア、ブラジルそして南アの不況入りで、AIIB同様に、BRICS銀行も行く手には、暗雲、というより黒い雲の嵐の前兆が広がっている。
   
    

◆真意を巧妙に隠す中国のしたたかさ

櫻井よしこ



硬軟織り交ぜた戦略を繰り出す裏で真意を巧妙に隠す中国のしたたかさ 

4月末、米国を訪れた安倍晋三首相は日本の国際社会の立ち位置を新たな次元に引き上げた。祖父、岸信介元首相は約60年前、「日米新時代」という言葉で日本が米国と対等の立場に立つ気概を示した。

安倍首相はガイドラインの見直しを通じて、事実上、日米安全保障条約の改定を行った。これまで国家の危機に直面してもなすすべもなく傍観していなければならなかった安全保障の空白を、かなりの部分、埋めることができるようになり、日本の独立性をさらに高めたことは大いなる前進である。
 
それでもまだ完璧には遠いが、日本国が自力で国を守る意思を示し、日本国だけで不足の部分は米国と協働して守り通す決意を示したこと、米国もまた明白に日本と共に自由世界のルールを守り通す決意をオバマ大統領の言葉で示したことの、中国に対する牽制の意味は大きい。
 
安倍外交に対して韓国外務省は、「(歴史に対して)心からのおわびもなく、非常に遺憾」と論難し、中国も植民地支配や慰安婦問題への謝罪を表現しなかった安倍首相を批判した。中国はその後も、王毅外相らが中国を訪れた高村正彦自民党副総裁らに70年談話に関して歴史圧力をかけ続けている。
 
原則については決して譲らない安倍路線に対して、中国はいま、2つの路線を同時に進行中だ。南シナ海の埋め立てに見られる強硬路線と、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に見られる柔軟路線である。

日本に対してもにわかに人的交流が増え、中国が柔軟路線に切り替えたことが見て取れる。中国の真意を、静岡大学教授の大野旭氏が喝破した。大野氏は南モンゴル出身で、現在は日本国籍を取得している。

「中国の膨張戦略の基本は毛沢東が語った掺沙子政策です。発音はツァンシャーツ、砂を混ぜる、です。侵出したい所にまず中国人をどんどん送り込む。そのとき彼らはこびるような笑顔でやって来ます。

現地の人たちは大概、人が良いですから、歓迎したり、同情したりで受け入れます。すると中国人は1人が10人というふうにどんどん増える。人口が逆転し、中国が優勢になると、中国人の笑顔が消えます。彼らは権力を奪い支配者になり、その過程で虐殺が起きます」
 
だが、中国のAIIBに見られる金融力を活用しての影響力の拡大路線は必然的に柔軟路線と一体となる。それは最終的に中国国内の民主化につながるとの希望が生まれている。この点についても大野氏は語る。

「私はモンゴル人として中国政府の弾圧を受けて育ちました。モンゴル人の受けている圧政について、いまも書き続けています。その結果言えるのは、中国が民主化することはまずあり得ないということです。民族学者として何十年も中華民族の特徴を研究してきました。彼らの民族性には民主化という要素がないのです」
 
なぜこのように断定するのか。

「中国は歴史が始まって以来今日までずっと独裁政治の下にあります。専制政治がずっと続いてきたのが中国です。中国の民主化に期待するのは無邪気な国の、平和と友情を信ずる天真らんまんな発想にすぎないと思います」
 
中国の真意は言葉や笑顔には決して表れない。その行動の中にこそ、真実を読み取るべきなのだ。その意味で興味深い記事が連休中の「産経新聞」(5月6日)に報じられていた。
 
中国海軍の呉勝利司令官が4月29日、米国海軍制服組トップのグリナート作戦部長に、南シナ海の埋め立てでできた土地を米国も利用しないかと持ち掛けたというのだ。米国議会をはじめ、中国の埋め立てに厳しい反応が出ていることに対して、このようなしらじらしい提案を「こびるような笑顔」でするのが中国である。中国の歴史に学び、中国の真意を見通すことが大事である。

『週刊ダイヤモンド』 2015年5月16日号 
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1083


◆中国製造業がダメなわけ

平井 修一


「中共オソマツ人口だけ大国」に未来はない。「中国ブランド車は『乗れば乗るほどトラブル』発生!?」(サーチナ5/10)から。

<中国メディアの捜狐は3日、中国の自主ブランド車の評価が合弁メーカーの評価を下回っている現状について、中国の消費者の多くが「使用時が長くなるにつれてトラブル発生数が増える」と考えていると伝え、中国自主ブランド車のトラブル数が多い理由について論じた。

記事は、中国自主ブランド車と合弁メーカーの自動車の「差」は一体何なのだろうかと指摘したうえで、ドイツの研究機関の報告を引用し、その差は複数の理由に大別できると主張した。

1つ目の理由として、中国の自動車メーカーには「基幹技術がなく、製造業としての能力が低いこと」を挙げ、今なお海外メーカーからの技術援助に依存していると指摘。

さらに2つ目の理由として、「中国自動車メーカーは他社の自動車の“リバースエンジニアリング”(製品を分解するなどして製造方法を調査・分析すること)ばかり行っており、新しい技術の開発に取り組んでいないこと」を挙げた。

また、中国自動車メーカーは「自動車を1つの製品として、部品やデザイン、システムなどを統合する能力が劣っている」とし、さらに失望させられる点として「走行テストや検証などが欠けている点」を挙げた。

さらに記事は、中国自動車メーカーには総じて「ドイツのような伝統的な生産工程もなければ、日本のような徹底された管理能力もなく、人材を育成するためのシステムもない」と指摘し、米国の自動車メーカーに勤務していた人材を引き抜くことばかりしているとし、こうした複数の要因のも、中国自主ブランド車と合弁メーカーの自動車には大きな「差」が生まれていると批判した>(以上)

さらに追撃の記事。「中国製造業の衰退『重大な危機に直面』」(同5/10)から。

<中国メディアのBWCHINESEは5日、中国政府がこのほど「製造業の高度化」を目的とした「中国製造2025」計画を打ち出したことを紹介し、その理由として「中国の製造業が2012年以降、かつてないほどの困難に直面しているため」と論じた。

記事は、「中国の製造業が直面している困難」についての証拠として、企業数が減少していることを紹介し、特に工業製品のメーカーのうち民間企業数が2010年から13年にかけて26%も減少していることを挙げ、淘汰が進んでいることを示唆した。

さらに、中国国家統計局のデータを引用し、中国国内で製造業に従事している労働者の数も12年以降、前月比ベースで減少することが「常態化」していると伝えたほか、税収の伸びも同時期から鈍化していることを指摘し、「中国の製造業が重大な危機に直面していることを懸念せざるを得ない」と論じた。

また、鉄道貨物輸送量も鈍化していると指摘し、「12年から前年比でマイナス成長になっている」と伝え、12年は前年比0.9%減、13年も同0.9%減、14年は同7%減だったと指摘、「これだけの指標が中国の製造業にとっての“曲がり角”が2012年だったことを示している」と伝えた。

さらに記事は、中国の製造業が衰退している原因は「コストの上昇」にあると伝え、米国のコンサルティングファームであるボストン・コンサルティング・グループの分析を引用し、人件費や労働生産性、エネルギーコスト、為替水準などをもとに総合的に評価した場合、「中国の製造業におけるコスト水準は米国や台湾、韓国と同程度にある」と紹介。

中国経済の発展状況は「米国や台湾、韓国にははるかに及ばない」にもかかわらず、製造業のコスト水準は米韓と同程度にまで上昇してしまったことこそ、「中国製造業が衰退した本当の理由」であり、中国政府が製造業の高度化や高付加価値化を目指す理由だと論じた>(以上)

もうどうしようもない。“安さバクハツ、百均の支那製〜!”。30年間これでやってきた。10年ほど前に百均/ダイソーで支那製ゴマ擦り機を買ったら、ゴマの出口が上に固定されていないのだ。

その技術もないし、ユーザーの利便性を考える発想もない。しかも1か月で擦れなくなった。300円ほどで日本製を買ったら今でも使える。支那の製造業はこんなレベル。

支那製造業の「高度化や高付加価値化」なんて100年たってもあり得ない。衰退するしかない。

こんな体たらくでは、ほとんど軍事オタク、偏執狂みたいな米軍に勝てるわけもない。「動く標的を自動追尾、「かわせない銃弾」の実験に成功 米軍」から。

<(CNN4/30) 米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)は、自動追尾機能を搭載した50口径の銃弾を、動く標的に連続して命中させる実験に成功したと発表した。

この自動追尾弾はDARPAが開発を進めているもので、50口径の銃弾に組み込んだ光センサーによって標的を追いかける仕組み。標準的なライフル銃を使用した2月の実射実験では、動いたり身をかわしたりする標的に対し、極めて高い精度で連続して銃弾を命中させることに成功したという。

DARPAが公開した映像からは、銃弾が標的を追って空中で大きく方向転換する様子が確認できる。

DARPAは声明を発表し、自動追尾弾を使えばたとえ初心者でも動く標的を狙撃できると述べた。つまりこれからは、射撃の腕前に関係なく銃弾を命中させることが可能になるわけだ。

DARPAのプロジェクト責任者は「かつて不可能と思われていたことを実証した。これを突破口に、将来はあらゆる口径の自動追尾弾を実用化できるだろう」との見解を示した>(以上)

年間60兆円使ってこんな狂気じみたことを研究し、しかもたっぷり実戦経験を積んだ米国に逆らってアジア覇権なんて・・・

習近平よ、オイチャンは悪いことは言わない、誰も汚染された支那大陸を侵略しようとは思わない(日本の技術援助があっても土壌と地下水の除染・再生には100年かかると何清漣女史は言っている)。まともな戦闘機用エンジンも造れないのだから、軍拡なんぞ止めて13.7億人の民生向上に努めたらどうか。

それなら名君として歴史に名を刻まれるだろう。暴君として自動追尾弾で殺されるよりは遥かにいい。よく考えることだな。(2015/5/13)