2015年05月16日

◆民主党の憲法回避は見透かされている

阿比留 瑠比



まともに議論したら党は分裂してしまう…

2月12日付当欄で筆者は、民主党が憲法審査会での議論に消極的な理由について、同党が左派系から保守系まで幅広い「寄り合い所帯」であることを指摘した上でこう書いた。

「実のところは、憲法論議が本格化すると、党が収拾がつかない分裂状態になると恐れて論議自体から逃げているのではないか」

すると、今月8日付の産経新聞のインタビューで、民主党の江田五月憲法調査会長がそうした見解に次のように反論していた。

「『党内がバラバラで、憲法の見方をまとめることができないから審査会の議論に及び腰だ』との型にはまった誤解がある」

とはいえ、江田氏の主張はいかにも説得力がない。くしくも同じ8日付の日経新聞と読売新聞の憲法関連記事が、それぞれ筆者と同様の指摘をしていた。

「民主党が改憲の内容ではなく、議論の『入り口』から自民党を問いただす背景には、党内に改憲派と護憲派が混在している事情もある」(日経)

「民主党が議論入りに慎重なのは、『具体的な中身の議論になれば、党内対立が表面化しかねない』(民主党中堅)という事情があるとみられる」(読売)

つまり、江田氏がいくら言い繕おうと、民主党のお家事情はみんなに見透かされているのである。国民をごまかそうとする態度は反感を買うだけだろう。

■明白な遅延戦術

民主党はまた、安倍晋三首相が現行憲法について「連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」と述べたことを「押し付け憲法論」だとしてことさら問題視する。枝野幸男幹事長に至っては安倍首相の発言を「ガキの議論」だとすら決め付けたほどだ。

そして、議論の前にまずこの点を明確にすべきだとの姿勢をとるが、これも遅延戦術なのは見え見えだ。実際、憲法記念日の3日の各紙社説はこの点に関し次のように書いていた。

「憲法がGHQ主導で作成されたのは事実だ。この発言を根拠に憲法論議さえ拒むのは野党第1党としての責任の放棄ではないか」(読売)

「現行憲法の原型をGHQが作成したのは多くの証言や記録から疑う余地はない。敗戦国にそれをはねのける力があったはずはなく、押し付けとの見方は誤りではない」(日経)

「GHQのやり方は時に強引だったし、首相のいうような場面もあったろう。ただ、それは新憲法制定をめぐる様々な事実のひとつの側面でしかない」(朝日)

護憲派の朝日は素直に「押し付け」だとは言いたくないようだが、事実関係はある程度認めている。何より、民主党の松原仁元国家公安委員長も今月1日、新しい憲法を制定する推進大会でこう訴えていたではないか。

「米国によって短期間につくられた憲法にはドラマがない」

ちなみに朝日社説は国民が憲法を「輝かしい顔」で歓迎したとも説くが、本当だろうか。憲法施行10年の昭和32年に政府が2万人を対象に実施した世論調査では、憲法条文について「全く読んだことも見たこともない」が35%、「読んだことはないが、内容について見たり聞いたりしたことがある」が33%で、「条文を読んだことがある」(32%)を上回った。

数字をみる限り、「歓迎」よりも「無関心」という言葉が似合わしく思えるが。(産経新聞政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】 2015.5.14
                      (採録:久保田 康文)




◆欺瞞に満ちた「原発再稼働」差し止め

櫻井よしこ



4月24日、インターネット配信の「言論テレビ」で、原子力が専門の北海道大学教授・奈良林直氏と法律が専門の名古屋大学名誉教授・森嶌昭夫氏をゲストに、福井地方裁判所の「決定」(判決)の疑問点を検証した。
 
福井地裁の樋口英明裁判長は、4月14日、関西電力の高浜原発3号機及び4号機(福井県)について「運転してはならない」とする仮処分を言い渡し、原子力規制委員会が原発の安全を担保すべく定めた新規制基準を「緩やかにすぎ、これに適合しても原発の安全性は確保されていない」「合理性を欠く」と非難した。

裁判官が自分の専門分野ではない科学の領域に踏み入って、原発の安全性について独自の判断を下したわけだ。そのうえで、原発再稼働を許せば人格権が侵害されると断じた。

非常にわかりにくく、納得もし難い判決だが、奈良林氏が技術論の立場から指摘した。

「樋口裁判長は、基準地震動が700ガル未満であっても、外部電源が断たれ、主給水ポンプが破損し、炉心が損傷される危険があると断じています。
 
主給水ポンプというのは、高浜原発のタイプの加圧水型原子炉に使われている発電用のポンプです。タービンを回して発電しますから、大量の水を送り込みます。他方、事故が起きたときは、原子炉を冷やすために別の給水ポンプで水を注入します。
 
我々はこれを補助給水ポンプと呼んでいますが、事故発生時は主給水ポンプではなく、補助給水ポンプの方が主になります。樋口氏は恐らく、それを知らないのではないでしょうか。原子炉の仕組みを殆ど理解していないと思います」
 
樋口判決はまた、「免震重要棟の設置が必要」だとして、「免震重要棟の猶予期間を設けている点では合理性を欠く」と指摘している。人格権の定義がない
 
判決文のこの部分を読めば、一般の人々はそのとおりだと思いかねない。なぜなら、東京電力福島第一原発では、故・吉田昌郎所長が免震重要棟で頑張り抜いたことを私たちは知っており、事故に際して、免震重要棟が如何に死活的に重要な役割を果たすかについても実感できるからだ。

もし高浜原発に免震重要棟が設置されていないのであれば、再稼働して大丈夫かと誰しも疑問に思うだろう。だが、奈良林氏は、樋口氏はここでも間違っていると指摘する。

「高浜原発にはすでに緊急時対策所が設置されています。ここで緊急対応は出来るのです。また免震重要棟については猶予期間などは設けられていません。

猶予期間が設けられているのはテロ対策についてだけです。樋口さんはテロ対策と免震重要棟をとり違えています」
 
次の間違いは、全電源を喪失した場合、たった5時間で炉心の損傷が起き始めるとの指摘だ。これも全く事実と異なる、と奈良林氏。高浜原発では、純水6000トンを有する2次系タンクに加えて、淡水6000トンのタンク4基を緊急時用に備えている。

これだけで、外部からの支援なしに18日〜19日間は給水を続け、炉心を冷却することが可能だという。
 
樋口判決のもうひとつの重大な事実誤認は、使用済み燃料プールの給水設備を最高の耐震強度をもつSクラスにすべきであるとして、高浜原発はその基準に達していないと断じたことだ。だが、右の施設はすでにSクラスの強度で作られていると、奈良林氏は指摘する。
 
なぜこのような間違いだらけの判決文を樋口氏は書いたのか。氏は福井地裁から名古屋家庭裁判所への異動が決まっていた。異動前に審理を打ち切り、自身が判決を書くことに執念を燃やしたのではないか。

そのために、関西電力が申請した専門家の意見も聞かずに審理を切り上げて言い渡したのが今回の仮処分なのではないか。事実誤認はこの独善的姿勢から生まれたと言って間違いないだろう。樋口判決には法律上も非常におかしな面がある。森嶌氏が指摘した。

「仮処分命令は、本来の請求(本案)について審議をしている間に、『著しい損害』または『急迫の危険』が生じて人格権の侵害が起きるのを避けるためのものです。
 
しかし、樋口氏は高浜原発再稼働による重大事故の発生が『急迫の危険』かどうかについて何も述べていません。仮処分命令を出す条件として『急迫の危険』、『急迫の事情があるときに限る』とした民事保全法23条2項及び15条を無視しています」
 
樋口氏は「具体的危険がある」と書いているが、その内容が何であるかは述べておらず、説得力はない。

中国には一言も…
 
氏はまた「人格権の侵害」を再稼働阻止の理由としてあげているのだが、人格権の定義がないために、この言葉も非常にわかりにくい。森嶌氏の解説である。

「昨年5月、樋口氏は大飯原発の運転差し止めの決定を出していますが、その際にも人格権を用いたのです。氏は、わが国の憲法でも法律上でも人格権が最高の価値とされ、これを超える価値は見出せていないとする立場です。

従って、最高の価値である人格権が侵害される恐れがあるときは、差し止めによって大きな不利益が生じようとも、差し止めをすることができると言うわけです」
 
人格権には、名誉、プライバシー、生きる権利などあらゆるものが含まれている。その中のどれが、高浜原発再稼働によって侵害されるのかを明らかにすることもなく、人格権侵害を理由として再稼働差し止めの仮処分を出したのだ。
 
ここで樋口氏が要求しているのは、ゼロリスク、絶対安全である。だが、そんなものはあり得ない。科学も技術も安全性を高めはするが、絶対安全は担保し得ない。森嶌氏が語った。

「人格権の侵害、つまり少しでも危険が生じる可能性があるとき、絶対安全を求めて原発の稼働を許さないのであれば、墜落する可能性のある飛行機は飛んではならず、事故を起こす可能性のある自動車は運転してはならないことになります。

司法に期待されるのは極論に傾くことではなく、最高水準の安全を求めながらも、どこに合理的な着地点を見つけるかということです。我々はそれを『許されたる危険』と呼んでいます。許されたる危険のラインを総合的に判断するのが司法の役割です」
 
奈良林氏も語った。

「人格権と言えば、原発が全て止まって一番困っているのは中小零細企業です。原発が稼働していないために夜間の値引き幅も圧縮され、企業の電気料金負担は3・11以前と較べて3割増では済みません。彼らの人格権こそ侵害されています」
 
不思議なのは、日本の反原発勢力は、やがて3桁の数の原発を造ろうとしている中国には一言も言わないことだ。これこそおかしいと私は思う。

『週刊新潮』 2015年5月7・14日合併号
日本ルネッサンス 第654号
                      (採録:久保田 康文)


◆令計画の失脚後の共産党中枢部

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)5月15日(金曜日)弐 通算第4542号> 
 
〜令計画の失脚後、共産党中枢部はどうなったか?
  誰が中央権力の中枢部を掌握しているのか、栗戦書か? 孫春蘭か?〜


胡錦涛政権の中枢を担ったのは団派の令計画だった。息子のフェラーリ事故のもみ消しを、こともあろうに胡錦涛の政敵、周永康(当時、政治局常務委員)に依頼し、旗色が悪くなるや習近平に胡麻をすったが、失脚は避けられなかった。

実弟の令完成が機密文書を持ち出した郭文貴と同時に米国へ逃亡し、慌てた王岐山が密かに渡米したとか、しないとか。中南海の権力中枢で起きているのは内ゲバの後遺症である(その機密文書には北京市長時代の王岐山自身の汚職が書かれているということは先述した)。

令計画は2012年9月に中央弁公室主任の座を突如引きづり降ろされ、統一戦線部長となった。事実上の降格である。

この統戦部長は、本来なら出世コースだが、令計画はすぐに外され、14年12月に失脚した。

 後継リリーフは女傑、孫春蘭(前天津市書記、政治局員)である。 そして2015年四月、ふたりの新人副部長が任命された。政商副主席の王正偉と甘粛省の統戦部長だった苒萬祥である。

もう一つ、令計画がつとめた中央弁公室主任は栗戦書になった。栗戦書は団派だが、下放されて下積みの時代に、習近平と肝胆相い照らず仲となった。

12年9月に就任し、翌年4月、2人の令計画の秘書役だった張建平と趙勝軒(ともに弁公室副主任)が取り調べを受けていることが判明した。

14年12月に中弁室秘書局長だった?克、室局長だった陳瑞坪(女)が取り調べを受けていたことがわかり、?は失脚した。

2015年になって2月に王仲田(副主任)が取り調べをうけ、翌月に丁考文(調査研究局長)が中弁室の部長代理に、そして曹清(前警備局長)は習近平に引き抜かれ北京軍区司令員に二段跳び出世と相成った。

相関図を総覧すると、現在の習政権の制度上、中枢を司る中央弁公室は栗戦書が中心となって回り出したようである。栗戦書の次期政治局常任委員会入りは間違いないと言われる。

 
 ▼江沢民派は断崖絶壁? 四分五裂の乱調が明らかに

版腐敗キャンペ−ンの究極の目標、つまり「大虎」は江沢民だが、もし習・王コンビの「版腐敗」が江沢民まで狙うとなると、かりにも国家主席、総書記、軍主任の三権を掌握した国家元首のスキャンダルを内外に露呈することになり、これは国家としての中国の恥辱、歴史上の汚点になる。

習近平がそこまで考えているとは思われず、もうひとりの大虎、曽慶紅の拘束・逮捕・起訴も考えにくい。

しかし、これだけ追求の手がのびて上海閥の評判が悪いとなると、くるりと親分の批判をはじめる元高官もいれば、自己批判をする高官もでてくる。醜い人間模様である。

呉邦邦(元常務委員)は、江西省視察に現れて各地で「反腐敗による党の綱紀粛正を評価し、特権にアグラをかいた政治は改めるべきだ」などときれい事をならべながら嘗ての同僚を猛烈に批判したという。呉は江沢民の番犬として特段の出世をとげた、いってみれば江沢民の忠臣ではなかったのか。

他方、「自首」が伝えられるのは戴相龍である。

金融界の大物、戴相龍は元中央銀行総裁、天津市長、かれは長らく金融界に君臨し、全国社会保障基金理事長と栄達をきわめた人物である。その戴相龍が、当局に「腐敗バンカー」リストと罪状を告白し懺悔したなどと、まことしやかな噂が飛び交っている。

戴相龍リストには、中国の銀行頭取、副頭取、理事長、副理事長クラスおよそ50人が列挙されており、具体的に香港での資金洗浄からタックスヘブンへの不正送金補助、高官の海外への財産隠しを手伝った具体例を列挙しているそうな。

切っ掛けは戴相龍の女婿、車峰が米国に逃亡した郭文貴の豪邸購入に連座しており、この郭文書の発覚によって元国家公安部長の馬建が失脚し、周永康の逮捕、拘束へと繋がったからで、戴相龍は連座で拘束されるおそれがあり、その前に自首したと『争鳴』5月号が報じた。
 
中南海の深い闇の一端が暴露された。

◆日米、南シナ海の哨戒活動へ

平井 修一



中共の乱暴狼藉が海自を南シナ海へ招きこんだ。習近平はまたまた失敗した。

「日本、南シナ海でフィリピン、ベトナムと相次いで共同訓練、海上での軍事連携を強化―中国メディア」(Record China 5/14)から。

<2015年5月13日、中国・環球時報は、日本が南シナ海でフィリピン、ベトナムと相次いで共同訓練を行い、海上での軍事連携を強化する方針だと伝えた。

日本は、今月末に開催する欧州連合(EU)との定期首脳会議で、中国の海洋進出を念頭に入れた共同声明を発表し、中国を非難するとみられる。

12日付のロイター通信によると、日本の海上自衛隊とフィリピン海軍は南シナ海で初の共同訓練を実施した。

フィリピン当局によると、今回の訓練は、他国の艦船との予期しない衝突を防ぐためのもので、日本の護衛艦2隻、フィリピンのフリゲート艦1隻が参加。日本の海上保安庁とフィリピンの沿岸警備隊は先週、フィリピンの海岸で、海賊退治などのための初の共同訓練も行っている。

日本の海上保安庁によると、日本は今週、ベトナムに海上保安庁の巡視船を派遣し、捜索・救助に関する訓練を行う。

ロイター通信は、「日本の軍艦が南シナ海に出現することは、南シナ海での利益に対する日本の関心が日々高まっていることを示すものだ」と指摘した>(以上)

南シナ海における日米軍のプレゼンスは高まっていくだろう。4月末にはこんな報道もあった。「南シナ海の哨戒活動を防衛省検討、米軍と協力」。

<[東京/ワシントン4/29ロイター] 米軍が自衛隊に期待を寄せる南シナ海の哨戒活動について、防衛省内で検討が始まっていることが分かった。米軍と自衛隊が協力し、同海域での存在感を示すことで、自国の領海として囲い込もうとする中国をけん制するのが狙い。

しかし、装備のやりくりや、新たな安全保障法制の整備が終わっていない点など課題も多い。

複数の日米関係筋が明らかにした。議論は初期段階だが、日本側の関係者によると、自衛隊と米軍の哨戒機が南シナ海を共同でパトロールしたり、交代で見回ることなどが想定されるという。南シナ海の東半分だけなど、哨戒範囲を限る可能性もある。

日本からの飛行距離を伸ばしたり、故障や事故が起きた場合に備え、フィリピンなど周辺国の基地使用についても検討事項になるかもしれないと、日米の関係者は指摘する。

中国は南シナ海のほとんどを自国の領海と主張し、南沙諸島の浅瀬を埋め立てて、人工島を造ろうとしている。日米関係者の間では、いずれレーダー網が構築され、中国の艦船や軍用機が駐留し、実効力を伴なった防空識別圏(ADIZ)が設定されるとの懸念が広がっている。

自衛隊が南シナ海に哨戒範囲を広げれば、中国を刺激する可能性もある。しかし、日米が協力して警戒監視に当たる姿勢を見せることで「自分の海ではないということを(中国に)示す必要がある」と、日本側の関係者は話す。

沖縄県の嘉手納基地に最新のP8哨戒機6機を配備する米軍は、自衛隊の哨戒活動拡大にかねてから期待を示している。ロバート・トーマス第7艦隊司令官は今年1月、ロイターとのインタビューで「将来的に自衛隊が南シナ海で活動することは理にかなっている」と発言した。

自衛隊はP3C哨戒機を70機保有、さらに航続距離が2倍の次期哨戒機P1を2018年度までに23機購入し、海の警戒・監視能力を高めようとしている。自衛隊の元海将によると、航空機による監視任務は低空、低速で行うために燃費効率が悪くなるが、P3Cでも南シナ海の哨戒は可能だという。

27日に合意した新たな防衛協力の指針(ガイドライン)で、日米両政府は、警戒監視や情報収集で自衛隊と米軍が協力することを明記した。「日本の平和及び安全に影響を与えうる状況の推移を常続的に監視することを確保するため、相互に支援する形で共同のISR(情報収集・警戒監視・偵察)活動を行う」などとしている。

日本は南シナ海で領有権を争う当事国ではないが、同海域は年間5兆ドル規模の貨物が行き交う貿易ルート上の要衝で、その多くが日本に出入りしている。

28日にワシントンでカーター国防長官と会談した中谷元防衛相は、南シナ海は「地域の平和と安定に直結をするし、日米及び地域共通の関心の問題だ」と語った>(以上)

防衛省のサイトにはこうあった。

<平成27年5月12日(火)マニラ西方海域において日比共同訓練が実施されました。日本側からは護衛艦「はるさめ」「あまぎり」、フィリピン海軍からはフリゲート「Ramon Alcaraz(ラモンアルカラス)」が参加し、通信訓練及び戦術運動等を実施しました>

素人だからよく知らないが、軍隊は伝統の蓄積と装備、技術などが大事なのだが、戦術運動、つまり実戦でどう戦うかという能力において「伝統」は非常に重要だと思う。

ウィキによると日本の近代海軍は幕末に始まった。1853年、ペリーが`来航し開国を求めると、江戸幕府は海防の強化に乗り出した。その一環として、オランダに蒸気軍艦を発注すると共に、1855年には長崎海軍伝習所を設立し、海軍士官養成を開始した。

海軍伝習所は幕府伝習生以外に諸藩の伝習生の受け入れも行ったため、幕府海軍だけでなく有力諸藩も海軍を整備した。幕府は64隻、諸藩合計で127隻の洋式艦船を取得していたとの最近の研究がある。

幕府が設立した長崎製鉄所は三菱重工業長崎造船所へ、横須賀造船所は横須賀海軍工廠へと発展し、その後の海軍の発展に大きく寄与していく、云々。160年の伝統が日本軍の心技体を練磨するのだ。

元々がランドパワーの中共では、海軍は沿岸警備用だった。1982年、トウ小平が中国軍近代化戦略を打ち出してから中国海軍の近代化が始まり、2000年代から遠洋海軍になっていった。つまりせいぜい15年の伝統しかない。生まれたて、よちよち歩きのようだ。

複数の艦との連携など運用面で日米など歴史的な海洋国家との能力の差は非常に大きいのではないか。

1894年9月17日、日清戦争で黄海海戦が勃発したが、日本はその際には40年の伝統、中国の北洋艦隊は1888年に編成されたからわずか6年しかない。6年では伝統とはとても言えない。心技体のすべてで日本に劣っていた。

<帝国連合艦隊は単縦陣をとっていた。12時50分、横陣をとる清の北洋艦隊の旗艦「定遠」の30.5センチ砲が火を噴き、戦端が開かれた(距離6000m)。

海戦の結果、無装甲艦の多い連合艦隊は、全艦が被弾したものの、旗艦「松島」など4隻の大・中破にとどまった。装甲艦を主力とする北洋艦隊は、連合艦隊の6倍以上被弾したと見られ、「超勇」「致遠」「経遠」など5隻が沈没し、6隻が大・中破、「揚威」「広甲」が擱座した>(ウィキ)

「定遠」などは最新鋭の巨艦で、日本に寄港した際に日本人は恐れをなしたものだが、帝国海軍のトップは大砲に洗濯物が干されているのを見て軍規の緩みを喝破したという。昨年のリムパック合同演習には中共海軍も招待されたが、船酔いに苦しんでいる水兵がいたと聞く。伝統がないとこういうことになる。

中共海軍は海賊退治などの国際活動でノウハウを積んでいるが、日米軍に追い付くまでにはまだ時間がかかるだろう。平和的台頭、韜光養晦(目立たずに力を蓄える)でパンダのふりをしていれば良かったものを、暴れまくって今や四面楚歌。戦略の大チョンボだ。

中露合同軍事演習が5月11日に開幕した。軍事専門家の尹卓氏は中国中央テレビ(CCTV)のインタビューにこう述べた。「人々は今後、中国軍艦艇が常態的に遠洋に出現することに慣れるべきだ」。出る習は打つ。日米豪印アセアンは油断することなくファシスト中共に備えるべし。
                         (2015/5/14)

2015年05月15日

◆相変わらず米国の人種差別

加瀬 英明



戦後70年の節目に、日米戦争の原因について考えたい。その1つが、人種差別にあった。

昭和天皇が敗戦の翌年に、対米戦争の原因について、つぎのように述べられている。

「この原因を尋ねれば、遠く(大正8年のパリ講和会議に)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処(ところ)とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは、日本国民を憤慨させるに充分なものであった。

かゝる国民的憤慨を背景として、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業(もの)ではない。(『昭和天皇独白録』)

平成12(2000)年に、拓殖大学が創立100周年を祝った。

今上天皇が記念式典に臨席された時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志とともに、『人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし』と、うたわれています。当時、多くの学生が、この思いを胸に未知の世界へと、大学を後にしたことと、思われます」と、述べられた。

父・天皇の想いを、語られたにちがいない。

太平洋戦線で、アメリカのほとんどの部隊が日本人を蔑視して、投降する兵や、負傷兵を見境なく虐殺した。

そう聞かれると、驚く読者もおられようが、チャールズ・リンドバーグの『第二次大戦参戦記』(学研文庫)、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジョン・ダワー教授の『容赦なき戦争(ウォア・ウィズアウト・マーシー)』(平凡社)をはじめとする、多くの著作に克明に描かれている。

アメリカ兵が沖縄戦で住民を虐殺したことが、イギリスの歴史作家M・ヘイスティグスの『日本との戦い1944―5年』(ハーパース、未訳)に、取りあげられている。

ノース・カロライナ大学のG・ホーン教授の新著『人種戦争(レイス・ウオア)』(6月に祥伝社から刊行)によれば、トルーマン大統領がホワイトハウスで「神は白人を土から創り、黒人(ニガー)を屑から創った。

その残りが、シナ人(チャイナマン)だ。神はシナ人(チャイナマン)とジャップが大嫌いだ。私もだ。人種差別だが、私は黒人(ニガー)はアフリカへ、黄色(イエローメン)のはアジアにいるべきだと強く主張する」と語った。

アメリカは日本について、まったく無知だった。そのよい例が、戦争中にアメリカ政府の委託によって、人類文化学者のルース・ベネディクトが、日本の国民性について研究した『菊と刀』である。

ベネディクトは日本語もできず、日本を訪れたこともないが、日系アメリカ人を拘禁した収容所をまわって調査し、西洋が内面の「罪の文化」であるのに対して、日本は外面だけを飾る「恥の文化」だと、結論づけた。

私の母方の祖母は、会津若松の武家の血を享けていたが、少年時代に祖母から「心に心を恥じる」とか、「自分の心を証人として生きなさい」と、教えられた。

日本でベネディクトの『菊と刀』を崇める向きが少なくない。自国について蒙昧なのだ。

アメリカの日本知らずは、今日も変わらない。

ベネディクトが似非(えせ)学者なら、日本にもその男版がいた。

私は有斐閣の昭和47年初版の『六法全書』を、所蔵している。我妻栄東京大学教授が編集代表として編纂したものだ。日本が独立を回復して20年後に刊行されたというのに、憲法篇の扉にアメリカ独立宣言文が、全文、英語と日本語で載っている。

「われわれは、次の真理を自明なものと考える。すなわち、すべての人間は、平等に造られている。彼らは、その造物主によって一定のゆずり渡すことのできない権利を与えられている‥‥」から、始まる。

アメリカ独立宣言は、アメリカ3代大統領となったトマス・ジェファーソンが起草したが、南部の荘園主で、奴隷主だった。「すべての人間」というのは、白人だけのことだ。

アメリカ独立宣言文は、鞭打たれる黒人たちの悲鳴を聞きながら、書かれたものだった。

◆私の「身辺雑記」(220)

平井 修一



■5月12日(火)、朝は室温22度、薄曇、フル散歩。風があるので半袖、半ズボンではちと寒かった。通勤の群を観察したが、半袖は一人だけだった。

昨日から駅前通りの街灯改修工事が始まった。商店会の案内によると白熱灯からLEDに代えるのだとある。革新的技術が発明されると新しい市場が生まれ、拡大するのだ。

工事を受注したサンコーライテックのサイトから。

<LEDとは、Light Emitting Diode(発光ダイオード)の略語であり、電気エネルギーを発光エネルギーに変換することで固体発光させる半導体です。

かつては表示用やディスプレイ用としての活用が主でしたが、赤色・緑色のLEDに続いて1996年に青色のLEDが開発され、その後白色LEDが実用化されたことから、照明灯としての利用が可能になりました。

これまで照明灯の主流だった白熱電球や蛍光灯に比べて優れた特徴を数多く持っているLED照明は、次世代の照明として期待されています。

1907年にイギリスのH.J.Roundが「個体に電気を流すと発光する」という現象を発見してから100年あまり。その後、さまざまな研究成果によってLED照明は実用化に至り、いままさに市場が活性化しつつあります。

多彩な長所を持つLED照明の普及を加速させ、そのメリットを社会全体に浸透させるために。サンコーライテックは、より優れたLED照明の開発や、より効率的な導入サポートを実践しています>

「ノーベル物理学賞に赤崎・天野・中村氏 青色LED発明」日経2014/10/7から。

<【パリ=竹内康雄】スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を赤崎勇・名城大学教授(85)、天野浩・名古屋大学教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大学教授(60)に授与すると発表した。

少ない電力で明るく青色に光る発光ダイオード(LED)の発明と実用化に貢献した業績が認められた。照明やディスプレーなどに広く使われている。世界の人々の生活を変え、新しい産業創出につながったことが高く評価された。

授賞理由は「明るくエネルギー消費の少ない白色光源を可能にした高効率な青色LEDの発明」で、「20世紀は白熱灯が照らし、21世紀はLEDが照らす」と説明した。

LEDは1960年代に赤色が開発された。緑色も実現したが、青色は開発が遅れた。あらゆる色の光を作り出せる「光の3原色」がそろわず、「20世紀中の実現は不可能」とまでいわれていた。

その壁を破ったのが赤崎氏と天野氏だ。品質のよい青色LEDの材料を作るのが難しく、国内外の企業が取り組んでもうまくいかなかった。両氏は「窒化ガリウム」という材料を使い、明るい青色を放つのに成功した。

中村氏はこれらの成果を発展させ、安定して長期間光を出す青色LEDの材料開発に乗り出し、素子を作製した。量産化に道を開き、当時在籍していた日亜化学工業(徳島県阿南市)が93年に青色LEDを製品化した>

中村氏の銭ゲバ的イチビリ振りは物議をかもしたっけ。「中村氏は青色LEDの後に青色レーザーの基盤技術を開発した。ブルーレイ・ディスクのデータの書き込みに青色レーザーが使われているように、大容量の光ディスク実現につながった」(日経)

スゴイ人。ま、去年はSTAP細胞で大騒動があったが、LEDで面目躍如。今年はどんな革新があるのだろう。

■5月13日(水)、朝は室温23度、昨夜は7時ころから大風、大雨、今朝は台風一過の快晴で、緑が生き生きとしている。フル散歩。

ご新規の3人から挨拶される。こちらが穏和になると周囲も穏和になるということか。突っ張って生きてきたが、そろそろ転換すべき頃合いになったようだ。

中共もそうした方がいいが、「敵をつくらないと人民を結束できない、中共の支配が揺らぐ」と思っているのだろう。柯隆氏の論考「永久に終わらない腐敗撲滅キャンペーン 貧困は毛沢東の遺産、腐敗はトウ小平の遺産」(JBプレス5/12)に示唆的な記述があった。

<毛時代の中国では、最低2000万人、一説によれば4000万人以上の人が迫害や飢えで犠牲になったと言われている。

その犠牲者の数から、毛沢東は、ヒトラー、スターリンと並んで20世紀の3大暴君の1人と言えるだろう。そのうえ文化大革命において、中学生以上の学生は農村に「下放」された。このような暴挙によって、中国社会は知識をないがしろにする「無知の社会」になっていった。

共産党幹部が腐敗する根本的な原因は、一人ひとりの腐敗幹部のモラルの低さによるものではない。国民の監督監視を許さない現行の政治制度にある。

トウ小平は経済改革を推し進めたが、政治改革を最後まで認めなかった。政治改革を進めると共産党統治の根幹を揺るがしかねないと心配していたのである。しかし、監督監視されない権力は自ずと腐敗する。要するに、今日の政治の腐敗は、まさにトウ小平が残した負の遺産なのである。

北京大学の張維迎教授(経済学)は、中国社会の悲劇のほとんどは「大多数の民が無知であることと、少数の者が無恥であること」によって生じていると指摘している。「少数の者」とは、共産党幹部とそれに迎合する一部の知識人である。

習近平政権は腐敗撲滅に取り組んでいるが、いちばん重要な国民の監督と監視は認めない。習近平政権の改革は前途多難と言わざるを得ない>(以上)

少数の支配層は「無恥」、圧倒的多数の被支配層は「無知」・・・しかし無知の大衆は今や「中共を信じるとひどい目に遭う、デモ、暴動で政策をつぶす」という方向へ着実に動いている。中共はゴミ焼却場も作れなくなった。人民は「国民の監督と監視」をデモ、暴動という手段で手にし始めたのだ。

中共は高度経済成長でとにもかくにも「飢餓」を追放した。4億の貧困層は「貧しいけれど飢えてはいない」というレベルなのだが、これは中共独裁の正当性をそこそこ人民に認めさせる快挙と言っていい。数千万人が餓死した時代と比べれば遥かに「善政」だ。

腹が満ちれば人民の関心は周囲に向く。するとどうだろう、想像を絶する格差社会に驚き、嫉妬し、憎悪する。本来なら「先富」者に大衆も多少なりとも近づけるようにするのが筋なのだが、これは経済成長を続けないとできない。ところが中共は行き詰まった。

「4月の輸出入、共に減少―中国」(FOCUS-ASIA.COM 5/12)から。

<税関総署の統計によると、4月の中国の輸出入総額は前年同期比10.9%減の1兆9600億元だった。輸出は同6.2%減の1兆800億元、輸入は同16.1%減の8739億元で、貿易黒字は85.2%拡大し2102億1000万元だった。

輸出入が共に減少したことについて、商務部の孫継文報道官は「貿易の下押し圧力は増しているが、今年後半は好転すると見ている」と述べた。5月11日、経済参考報が伝えた。

1〜4月の輸出入総額は同7.3%減の7兆5000億元。そのうち輸出は同1.8%増の4兆2300億元、輸入は同17%減の3兆2700億元。貿易黒字は3.4倍拡大し9653億7000万元だった。

業界内では外需の低迷と人民元高が輸出減少の主要因との見方が広がっている。また、原油を中心とする輸入商品価格の下落が輸入額の大幅減につながっている。

交通銀行金融研究中心シニア研究員の劉学智氏は「4月の数値は3月から若干改善したが、相変わらず厳しい。主要貿易相手国の経済が弱く、輸出に影響を及ぼしている。ただ、国際市場の環境が回復しても、元高の状況が続けば輸出は思うように伸びないだろう」と述べた>(以上)

内需(輸入)が極端に減っているための異常なデフレ型貿易黒字。完全にマイナス成長だ。人民は「去年よりも生活はよくなった」から中共独裁をまあ受け入れてきた。これが「去年より暮らしがきつくなった」とか「今年も苦しいままだ」となり、おそらく0%前後の経済成長がだらだらと続くのではないか。

李克強が重視している経済指標の「発電量」は2月が前年比−4.7%、3月が−0.4%、「鉄道貨物輸送量」は1〜2月が前年比で−9.1%だった。実体は7%成長どころかマイナス成長、デフレ不況が始まっているとしか思えない。

中共はこれを突破できない。人民の不満は募るばかりだ。習近平はネズミしかいない荒野にハイウェイなどインフラを造って景気浮揚を狙っているが、所詮は無駄、悪あがき。そうなると戦争でガス抜きするしかない。

戦争して勝てるのかどうか。ベトナムに勝った国はない。フィリピンだってホセ・リサールの国だぜ、命懸けで突っ込むだろう。日本は「靖国で会おう」、特攻隊、異次元の尚武の国だ。「三十六計逃げるに如かず」、謀略智謀の孫子の末裔、一人っ子の小皇帝が華々しく戦闘で勝てるとは・・・ちょっとあり得ない。

中共は深謀遠慮でゲリラ、暗殺、弱い者いじめ、だまし討ち、第五列を操って自滅を誘うなどが得意な国柄だから、それなら大いに力を発揮するだろうが、各国観戦武官や報道機関を招いての会戦で華々しく勝利するというのは中共軍、国民党軍、清の時代に遡ってもない。敗けるか逃げる戦史しかもっていない。

つまりは戦争でのガス抜きもできず、せいぜいプーチンを主賓とした軍事パレードと抗日博物館での嘘八百でごまかすしかない。これでは人民は騙されやしない。中共から離反し、やがて窮鼠猫を噛む、反旗を翻すだろう。

■5月14日(木)、朝は室温23度、快晴、フル散歩。紫陽花の蕾が目立ってきた。歓迎と困惑が輻輳する。ご新規4人と挨拶を交わす。これも悩ましい。

穏やかに 挨拶交わす 散歩道 わが突っ張り道の 落日を見る(修一)

ま、こんなことか。慎太郎じゃないが、憎まれて死ぬより愛されて死にたいわな。ところで――

人民網が奇妙な記事を流している。

<歴史の秘密を暴く映画『旋風九日』が昨日(5/12)北京で封切られた。(5月)15日から中国全土で上映される。トウ小平氏が訪米時に遭遇した暗殺の危険を再現した映画だ。さらに映画としては初めて国家指導者をアニメで表現している。

1979年1月28日から2月5日にかけて、トウ氏はカーター米大統領の招待で米国を9日間公式訪問した。トウ小平夫妻はワシントン、アトランタ、ヒューストン、シアトルを訪問した。

傅紅星監督によると、映画の全てのエピソードの出典、資料、対話は真実で、多くの資料が米国が機密解除した国務省の外交書類に基づいている>
(以上)

暗殺の1回目は「米国務省の発行した合法的な記者証を持つ記者2人が暗殺を試み、警備員に連行された」。胡錦涛の訪米時の演説の際に Pleasestop him kill people と叫んだ女性記者がいたが、記者は元首に近寄れるからテロの機会に恵まれている。(女性記者はお咎めなし。胡錦涛は腹を立てたが、米国は「民主主義とはこういうものだ」と突っぱねた)

2回目は「招待を受けて夕食とカウボーイショーのためにエレベーターを降りてホテルのロビーにはいると、突然男が飛びだしてポケットの中の物をトウ氏に投げつけた。警備陣がトウ氏を外へ護衛し、米側警備要員が襲撃者を制圧した。

ロビーへ出ると、別の中年の男がコートのポケットに右手を入れて勢いよく歩いてきた。米側SPが拳銃の所持を疑い男を押し倒し、他の要員がトウ氏を護衛した」。

2回目の2人の襲撃者は白人至上主義団体クークラックスクラン(KKK)メンバーだったという。

国家元首が短期の訪米中に計4人の刺客に暗殺されそうになったことをなぜ今報道するのか。

習近平に「いい加減にしないと殺すぞ」と警告しているのか、それとも習が「殺されることも厭わずとの覚悟で虎退治を進めるぞ」と政敵に挑んでいるのか。

習近平は毛沢東しか評価していないから、「テロにも冷静だった」トウ小平を持ち上げるはずはない。つまりは江沢民派から習への「殺すぞ」という脅迫だろう。

習は先日の“中露ファシスト祭り”参加の前後にプーチンの縄張りであるカザフスタンとベラルーシを訪問して「協力・ウィンウィンの新型国際関係の共同構築」をアピールしたそうだが、外交についてトウ小平はこう語っている。

「国と国との関係を処理するには、平和共存五原則が最良の方式である」「中国の対外政策は一貫しており、三点に集約できる。第一に覇権主義への反対、第二に世界平和の維持、第三に第三世界との団結と協力の強化である」

「平和共存五原則」とは(1)主権と領土保全の相互尊重(2)相互不可侵(3)相互内政不干渉(4)平等互恵(5)平和共存だ。1954年、周恩来とネルーの間で合意された。

昨年6月28日の「平和共存五原則60周年記念大会」で習はこう演説した。

「中国は平和共存五原則の積極的な提唱者であり着実な実践者だ。平和共存五原則は中国の外交政策の礎だ。中国は現在の国際システムに参加する者であり、建設する者であり、貢献する者だ。

中国はぶれることなく平和発展の道を歩み、ぶれることなく平和五原則を土台として世界各国との友好協力を発展させ、ぶれることなく相互利益の開放戦略を履行する。

現在、中国国民は中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現に向けて奮闘している。中国国民は各国の国民とそれぞれの夢を実現する過程で互いに支援し合い、互いに助け合いたいと考えており、各国と、特に周辺の隣国とともに発展し、ともに繁栄したいと考えている」

一方でトウはこうも言っている。「主権問題に関しては、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」。習が南シナ海で実際にやっていることは武力による領土拡張、覇権主義で、平和共存とまったく反対だ。

<バンドン会議はその後も定期的に開催の予定だったが、62年に中国人民解放軍がヒマラヤ山脈を越えてインドに侵攻したことで、早くも「諸国の結束」は水泡に帰してしまった。

そもそも周の「平和共存5原則」にしても、当時は弱小な国家だった中国が米ソ2大国の間で存続し続けるための策略にすぎなかった。弱い中国が同じく貧窮のインドに攻め込んだことで、バンドン会議に参加した各国の首脳陣は冷や水を浴びせられた。

皮肉なことに、今や北京当局こそが、「バンドン10原則」に反する覇権主義を世界で繰り広げている。習は周以来の「平和共存」の仮面を破り捨てて、南シナ海の岩礁に軍事施設を建造してフィリピンを威嚇。日本の尖閣諸島を中国領と主張して軍拡路線を突き進んでいる>(ニューズウィーク5/12)

中共は昔から平気で嘘をつく。ロシアも同じだ。

「宮家邦彦の外交・安保カレンダー(2015年5月11-17日)」(Japan In-depth5/12)から。

<今週はモスクワで第二次大戦戦勝記念式典があった。10年前は欧米主要国を含め50カ国が参加したそうだが、今回はかなり見劣りする。そりゃそうだろう。参加はわずか20カ国、しかも主客は中国の習国家主席だ。ロシアも落ちぶれたものである。

日本のメディアは中露蜜月を盛んに報じていたが、中露の連携は結局のところ「弱者同盟」に過ぎない。要は両国が失敗を続けているからこそ成り立つ関係であって、逆にどちらか一方が成功すれば、早晩弱体化していく運命にあると思う。

そもそも、ロシアには軍事力と資源以外に誇るものがない。他方、中国の軍事力には限界があり、以前の高度成長はもう望めない。両国とも一定の国力はあるから当面独裁政治は続くだろうが、この脆弱な両帝国の連携にwin-winは見込めない>(以上)

まことに然り。lose-lose、共倒れになるだろう。世界はそれを待っている。習よ、プーチンよ、韓国と北も道連れに消えてくれ。(2015/5/14)

◆姓名の順序の問題

上西 俊雄



ローマ字で名前を書くとき、姓名の順序をどうするか。このことで記憶にあるのは三省堂の英語教科書の編者故若林俊輔教授の主張。英語教科書では日本人の姓名は逆にすることが行はれてゐたらしい。英語教科書にゐた友人に尋ねたところ昭和62年の中學英語教科書 New Crown で

My name is Sato Goro. Sato is my family name.

と、姓名の順序をそのままにしたのがはじめてだといふ。嬉しくなって、自分も昔からさうしてゐると教授に言ったことがあるけれど、教授はちっとも嬉しさうではなかった。

さて、Sato は佐藤だらう。Goro は吾郎とでも書くのかもしれない。國語の音韻を寫したものとしては正しくないし、小學校の國語で教へる方式とも異なる。中學生はこれでは變だと思はないのだらうか。もし變ではないかと質問したら、どう答へるのだらう。

文部省がこの教科書を認可してゐたとなると、文部省は國語と英語で異なった方式を教へてよいとしてゐたわけだ。生徒の頭はさういふ風に器用に分けられるものではない。方式のことはしばらく擱く(前號「テトラグラマトン」參照)。

國語審議會が平成12年12月8日最後の答申をして解散した。その答申にローマ字表記の場合の姓名の順序の問題がある。

「おのおのの人名固有の形式が生きる形が望ましい」として、現在TaroYamadaなど名─姓の順で書くことの多い表記をYamada Taroと姓─名の順とすること、これまでの慣用に基づく誤解を防ぐため、YAMADA Taroと姓だけをすべて大文字にするか、Yamada, Taroと姓と名の間にコンマを打つことを提案したと報道された。

いくつかの問題がある。まづ、「これまでの慣用」と一口にいっていいものかどうか。もし慣用が確立してゐるなら、それを一片の答申などで變へようとするのは無茶であるし、またよほどの理由がなければなるまい。

慣用は人によっても違ふし、ときと場合によっても異なる。英語の中で英米人と自分のことしかでてこない場合、英米人に合せて順序を變へる人が多いのは事實かもしれない。しかし、松尾芭蕉や夏目漱石を論じる場合はどうか。

インターネットのために時間と空間を廣げて考へる必要が生じた。時間と空間を廣げて考へるととても慣用が確立してゐるとはいへない。つまり慣用の變更ではなく、慣用を確立することが必要になったのある。

これまで國外向けの場合に限って姓名の順序を變へることは難しくなかった。しかし、インターネットには國内國外といふ垣根がない。内外で同じ名前の書き方ができないのは不便だ。但しコンマを用ゐるといふのはいただけない。

姓名にコンマを用ゐれば前後を入替へたといふ意味である。姓で竝べる場合、英米人であれば轉倒した表記になるから當然コンマを入れる。だから、その眞似をするといふのなら、これまでの慣用以上の英米追從であらう。折角の提言が新たな誤解のための慣用を生むことを恐れる。

以上はかつて教育新聞に書いたところであるが、平成12年12月8日の答申の報道に接してがっかりしたのは、その2ヶ月前の10月1日、日本言語政策研究發表會で水谷修教授の講演を聽き、休憩時間にとなりあって用を足す須臾の間にコンマのことは間違ひだと一方的にであるが述べたことがあったからだ。

最近、文化廳のサイトで平成12年11月9日の議事要旨といふの見つけた。もともとの表記と順序を逆轉してゐることを示すためにコンマを打つのだから、姓名順の日本名表記にコンマを挟むのは變だといふ考へ方もあるといふ發言もある。名前はないが水谷主査の發言に違ひない。

意見は屆いてゐたのだ。殘念ながら「なるほど」と受け取る人がなかった。水谷教授、舊臘鬼籍に入られた。御冥福を祈りつつ遲まきながら補足を試みる次第。

歐米の辭書では語(word)と名(name)を分かつことが國語辭典より嚴しいかもしれない。人名辭典は biographical dictionary と一應dictionary であるが、地名辭典は gazetteer と呼び dictionary でさへない。

地名辭典では山や湖は Mt. とか Lake とかを外して竝べる。人名辭典では Saint や St. は外して竝べるし、姓で竝べるのが原則だ。さうすると一族を大きな項目にまとめて記述することも可能になる。

その外した部分、人名であれば姓に先立つ部分は後ろに廻す。そのときにコンマを用ゐるのである。だから、そもそも名簿であるとか文獻目録であるとか檢索が目的でなければコンマがでてくるはずがない。

謝辭などで名前を併記する場合、コンマはそれぞれの名前の區切りでしかあり得ない。

實例をあげた方が早い。Michael Carr といふ人の場合(1995)。

Thanks go to Jim Brennan, ..., Matthew Hanley, Kaminishi Toshio,Pei Zheng, Shimomura Isao, and Graham Townzend for contributing toearlier versions of this paper.

ベルリン工科大學の Ch.-J Bailey 博士の場合は姓名が逆にしてあった。
(1983)

I am grateful to Sydney Greenbaum, Dwight Bolinger, Ian Trotter,and Toshio Kaminishi for comments on various parts of this volume ...

ここにコンマを入れることがどんなに馬鹿げてゐるか一目瞭然ではないか。しかるに議員會館の部屋の入口のローマ字書きの議員名にはコンマがある。英語圏の人からはコンマの意味も知らぬのかと侮りを受けるだらう。

姓のことを若林教授は family name と書いた。清水次郎長の場合、親分どうしが呼ぶときは「清水の」であらう。「次郎長」と呼ぶのは喧嘩のときだ。

姓は形容詞のやうなもので、それだけ婉曲になる。狹義の personal nameすなはち given name は諱。諱を直接呼ぶのは身内。英語では形容詞を後置する。WORLD WAR II と第二次大戰といふ呼び方にその違ひがある。

姓名の順序だけではない。住所をいふときにも我々なら都道府縣名から始めるが、英米流ではこれが最後だ。それぞれに首尾一貫してゐるので葉書を90度囘轉してみればピタリと重なる。

姓名のことを second name と first name といふのは隨分亂暴なはなしであって、我々であれば first name は family name だ。

英國エクセターのハルトマン博士家のパーティーで「姓名の順序を逆にい
ふ、いや我々の方が逆だから、正しい順序でいふ人」と紹介されたことを覺えてゐる。

身内でもないのに姓で呼ばず諱で呼ぶことは歐米でも今ほど行はれなかった。親疎によってつかひわけがあるのは文化的裝置。その裝置が壞されていくのがたまらない。

なほ姓を大文字で區別するのは姓の位置が文化によって異りうることが前提なので順序を變へるのは變だ。

水谷先生にかう説明してゐれば答申案は違ってゐたと思ふ。

議事要旨をみると、みな意見の紹介者。一人として理由を述べて相手を説得する姿勢がなく、そもそも議論を盡くすといふのでない。「全體として贊成意見が多いのだから、基本的な方針を動かす必要はないであらう」といふ意見がよくその空氣をあらはしてゐるけれど、かういふことが多數決できまるといふことが信じられない。

姓名の順序を英米流にする人はまだ多い。「史實を世界に發信する會」がJapanese names are rendered surname first in accordance withJapanese custom と注記するのは見識だと思ふ。

(呉竹會機關紙『青年運動』第977號(平成27年5月15日)掲載。轉載については呉竹會の了解を得た。執筆者の肩書は呉竹會會員。なほ俊雄は今はtoshiwo と綴る)

2015年05月14日

◆中国海軍、ロシア共同軍事演習

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)5月13日(水曜日)通算第4538号 > 

 
〜中国海軍、ロシアと地中海、黒海で共同軍事演習
  NATOの目の前で、中ロは不気味な軍事力の誇示を狙う〜


ソマリア沖の海賊退治に「国際貢献」として、中国海軍の艦船が多数派遣され、それなりの活躍を示した。

そのソマリア派遣の艦船のなかから「臨折」「?坊」「微山湖」が地中海へ回航され、ロシア海軍とまちあって共同の軍事演習を展開する。5月17日からを予定している。

5月9日のモスクワ「軍事パレード」に、西側の首脳は誰ひとり参加しなかったが、恩をうるかのように習近平がはせ参じ、プーチン大統領と閲兵式に並んだ。となりはカザフスタンのナゼルバエフ大統領だった。

中露の密月は政治演出であり、孤立する両大国が、友誼を演出し、西側に見せびらかす政治ショーでもある。ロシアの目的は中東への発言力強化である。

しかし中国の狙いはもっと違うところにある。

プーチンはウクライナ問題で西側の制裁をうけても強気の姿勢を崩さなかったが、原油価格下落によって経済が直撃され、中国に擦り寄らざるを得なかった。

長期契約によるガス輸出はようやくにして「政治価格」で折 り合いが付き、替わりにロシアは虎の子S400ミサイルの中国供与に踏 み切った。

また現代級駆逐艦、キロ級潜水艦、スホイ27,同30ジェット戦闘 機、S防空ミサイルなどを供与し、中国の南シナ海の於ける軍事力 増強に貢献した。

中国はソ連時代に空母を要求したが、こればかりはソ連が拒否していた。ソ連崩壊のどさくさに紛れて中国はウクライナに係留され、艤装工事を中断していた空母ヴァリヤーグを鉄のかたまりのまま買い取り、三年かけて大連に回航し、それから十年かけて中国海軍発の空母「遼寧」とした。

中国がロシアを怒らせたのはスホイの「ブラックボックス」をこじ開けて、模倣の戦闘機を製造し、輸出を始めたからだった。このためロシアは部品供給をやめた。その結果、しばらくの間、中国空軍はジェット戦闘機を飛ばすことも出来ず、たまに訓練飛行をすると故障で墜落事故が続いた。

それがロシアの孤立による北京への再接近となり、ロシアが中国へにじり寄る。これが2014年5月のプーチン訪中であり、これを契機にロシ アはS400という先端の防空ミサイルを売却する。S400は、防空飛翔体、つまり攻撃ミサイルを保有しない日本が対象 はなく、S400ミサイルの配備は北朝鮮の暴発に備えるためと推定できる。

また「中ロ両国はスホイ35の共同開発に合意したほか、米軍26型垂 直離着陸機を真似た垂直離陸戦闘機を共同開発することになった」(多維 新聞網、5月11日)
 
欺瞞と思惑が交錯する両国の結びつき、どこまで突き進むだろうか?

◆「NHKは民間の有料放送に」

平井 修一


元NHKの経済学者、池田信夫氏の論考「NHKとの受信契約がなければ受信料を払う義務はない 受信料制度は廃止してNHKは民間の有料放送にすべきだ」(JBプレス5/5)には大いに共感した。

<NHKは、いじめやすい企業である。品行方正な公共放送ということになっているので、職員が痴漢で逮捕されただけでニュースになる。最近、問題になっている「クローズアップ現代」の「やらせ」も、ワイドショーによくある「再現ドラマ」のやり過ぎで、民放なら話題にもならないだろう。

しかし4月15日に松戸簡易裁判所の出した判決は、NHKの経営を揺るがす可能性がある。それはNHK側が受信料の支払いを求めた被告(千葉県の男性)の「受信契約をしていないので受信料を払う義務はない」という主張を認めたからだ。

*受信料制度は「契約自由の原則」に違反する

事件そのものは単純だ。被告が2003年にNHKと受信契約をしたので、未払いの受信料約18万円を払えとNHKが請求したのに対し、被告は「受信契約書はNHKの担当者が勝手につくったもので、受信契約は無効だ」と主張した。裁判所は被告の主張を認め、NHKの請求を棄却したのだ。

判決では、契約書の署名は男性やその妻の筆跡と異なると指摘し、NHKは集金担当者が書いたことを認めた。この判決は単なる契約書の偽造事件ではなく、視聴者の同意しない受信契約は無効だと裁判所が認めた点が重要だ。

これは「契約自由の原則」という近代社会の根本原則で、双方が合意しないと契約は成立しないという当たり前の話だ。

ところが放送法では「協会[NHK]の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と定め、NHKを見ていない人にも受信契約を義務づけている。しかし受信料支払いの義務はなく、罰則もない。

この奇妙な制度が、契約自由の原則に反するという批判は強い。今までNHKは「テレビを買った時点で自動的に契約に同意したとみなす」と主張してきたが、今度の判決は契約書がないと受信契約が成立しないと判断したので、これからは集金人に「受信契約書を見せてください」といえばいい。契約書がなければ、受信料を払う義務はない。

*有料放送にして民営化すれば経営的にはプラス

こういう奇妙な制度ができたのは、最初は技術的な理由だった。テレビ放送が始まった1950年代には、特定の人に電波を止めることができなかったため、テレビを買った人はすべて(NHKを見ても見なくても)受信料を払う制度にせざるをえなかったのだ。

しかし今はB-CASというシステムを使えば、受信料を払っていない人には見えなくすることができる。現にBS受信料を払っていないと、画面の左下に「NHKではBS設置のご連絡をお願いしています」というメッセージが出る。これはBS受信料を払うと消える。

同じことは地上波でもできるので、料金を払わない人にはスクランブルをかけて見えなくすればいいのだ。CAS(アクセス制御システム)というのはそのためのもので、B-CASもBSを有料放送にするためにつくられたものだ。

しかしNHKは、地上波にはB-CASを採用しなかった。その理由として「商業的になって公共性がなくなる」などというが、これは電気代を払わなかったら電気が止められ、電話代を払わなかったら電話が止められるのと同じだ。これによって電力会社やNTTの公共性が失われただろうか。

むしろ今は、受信料制度というアキレス腱があるため、予算を国会で審議することになっており、毎年2月の予算審議の時期には政治家にいじめられるため、NHKは政治家に弱い。受信料制度は、NHKの政治的中立を脅かして公共性を弱めているのだ。

有料放送にしない本当の理由は、見た人からだけ視聴料を取る仕組みにすると、NHKを見ていない人から料金を取れなくなるからだ。テレビをもっている人のうち受信料を払っている人の徴収率は、NHKの公式発表では2013年で73.4%だが、有料放送にすると民放しか見ていない人から視聴料は取れないので、徴収率は下がるだろう。

しかしNHKを見ている人からは確実に料金が取れるので、集金人はいらなくなる。今は企業や学校ではひとまとめにして受信料を取っているが、これも1台ずつ取れば収入は上がるだろう。NHKを1カ月に1度も見ない人がそうたくさんいるとは思えないので、有料放送にして完全民営化すれば、経営的にはプラスになるだろう。

*報道だけでなく教育テレビも成長産業になる

問題は有料放送にすると、番組ごとに視聴者の数が分かり、業績評価がはっきりすることだ。たとえば報道局の職員は全体の5%ぐらいだが、番組の35%以上は報道局がつくっているので、CNNのような24時間ニュースにすると、「株式会社NHKニュース」は超優良企業になるだろう。

逆に困るのは、教育テレビやラジオ第2放送などの地味な番組だ。実はNHKの内部でも、報道局は有料放送に賛成なのだが、こういう「弱者」の反対で改革に踏み切れない。また民放連もNHKが民営化されると脅威なので、改革に反対してきた。

しかしインターネットでメディアが多様化した時代に、NHKだけが7波(テレビ4波・ラジオ3波)も保有して、芸能番組から教育番組までつくる必要があるだろうか。むしろ今の電波にこだわらないで、スマートフォンなどの新しい市場を狙えば、教育番組の市場は広がる。

NHKの中では教育テレビは傍流だが、出版業界ではNHKテキストはガリバー的存在だ。英語テキストだけで毎月100万部も売れており、教育テキストを合計すると、年間3000万部を超える。ブランド価値も高いので、教育テレビを民営化してネットを活用すれば、教育業界に大きなインパクトを与えるだろう。

今まで教育は、子供を集めて訓練する「学校」という制度にしばられ、コストが高く教育効果の疑わしい方式を続けてきたが、これからはIT(情報技術)を活用すれば、もっと効率的でクリエイティブな教育ができる。これから社会が高齢化する中で、老人の学習意欲は高い。

総務省は、やっとNHKの放送のインターネット同時配信を認可する方針を発表したが、これはBBC(英国放送協会)より10年遅い。これも試験的な無料サービスで、有料化の計画ははっきりしない。NHKの籾井勝人会長は「ネット視聴者からも受信料を徴収したい」と表明したが、これでは受信料は税金のようなものになり、NHKは国営放送に近づく。

逆に時代遅れの受信料制度を廃止して電波を整理し、BBCのようにインフラを売却して、NHKを民間の有料放送にすれば、世界の最先端のメディアになることができるのだ>(以上)

日本語だから「世界の最先端のメディアになる」かどうかは分からない。
せいぜい英語版は可能かもしれないが。画質は向上しても内容はどうせ中2レベルの左巻だから向上するはずもない。

まあ、政府が岩盤規制を突き崩してNHK民営化、有料放送にすれば、NHKにとってもビジネスチャンスになる可能性はある。いつまでも国民のおんぶと抱っこがあるとは思うなよ。

ところで集金人って、まだいるのか。デジタル時代のアナログのようで、ずいぶん遅れた手法のように思うが。(2015/5/12)

◆〜ピケティーの格差論と

日本国連結貸借対照表〜

大江 洋三


仏の経済学者・ピケティーによる「21世紀の資本」騒動はやっと静まったようである。反アベノミクス連中が格差問題で話題にしたのだろうが、驚いたことに7千円もする本が12万部も売れたという。700Pに及ぶというから、冗長な本であることに間違いない。

やむなく複数の解説書を購入し、おかげで教えられたことも多い。

ピケティーの核心は、以下の通りで資本主義のエンジンみたいなものだ。資本収益率(r)>国民所得成長率(g)。この場合の資本と資産は殆ど同じもので、資本収益率は資産利回りと同じ意味になるから、悪口風にすると不労所得から成る。一方、右辺の主体は国民所得(労働所得)から成る。

だからだろうが、左翼筋は資本主義そのものが「格差を内包」することが証明されたと喜んでいた。お陰で、国会でも野党がピケティー頼りによくアベノミク批判をやっていた。

もちろん、厳密には資本と資産は異なるが、永い時系列でみると同じ物に見えたのだろう。ピケティーが、長期にわたり民間資本(資産)の蓄積と国民所得成長率を眺めたことは称賛に値する。

お月様を、飽きもせず200年も観測するがごとしである。

だからだろうが、ピケティーは上記不等式を学説ではなく「歴史的事実」と明言している。

●マックスウエバーが明らかにしたごとく、資本主義と「資本の蓄積」は同じもので、倹約による資本蓄積が次の蓄積や投資を招く。二宮尊徳の説そのままである。

従って、資本・資産はどこに蓄積されたかは重要である。

この3月末に財務省より「国の連結貸借対照表」が公表された(H26年3月末現在)。

大枠的に表わすと下記の通りである。

資産863兆円、負債1314兆円、資産・負債差額△451兆円。

連結対象は日本政府が影響力を行使できる分野で、一般会計、各省庁の特別会計、独立行政法人等会計(郵便貯金を含む)から成り立ち、日本銀行は含まれない。

各会計の貸し借りは相殺されているので、日本国政府の素(もと)を成す資産・負債の一覧表みたいなものだ。

左方に有形固定資産が266兆円もある。実際、国有地は国土の約2割を占める。JR路線や国道の土地は公共用財産に分類されて191兆円に上る。

土地などの公共用財は主として取得原価方式だから、含み益や含み損を抱えるはずで、認会計士が査定すると額はさらに大きくなる可能性がある。

因みに、日本国政府負債の大口は、公債661兆円、財務省短期証券(為替介入残高)99兆円、郵便貯金175兆円、責任準備金(震災等への備え)105兆円、公的年金預り金116兆円となる。

●△資産・負債差額の巨大さに目が万マルになる人も多いだろうが、公会計には資本金の概念がない。あえていえば「国家・国民」が資本金である。文化力、教育力、通貨力や軍事力などの総合力が資本金になる。この中に日銀が入る。

同じく財務省発によれば、対外純資産は307兆円と世界ダントツの1位である。この事実も、国の資本金概念に入ってくる。因みに2位は中共の207兆円。

ときおり△資産・負債差額を債務超過と喚く人が出るが、明らかに間違いである。敢えて債務を使いたければ純債務が正しい

確かに粗債務のGDP比は240%弱で大火事のようだが、純債務で測ると80%に激減する。OECD統計は固定資産を除外して純債務比率を割り出すから、マスコミが得意の悲観論垂れ流すことになる。

ロイター通信によると、サブ・プライローンにトリプルAの格付けしたアホな米国の格付け会社が、日本公債を一ランク下げたそうだ。

日本国債の信用度が、中・韓よりランクが下とは誰も考えないから、連中の格付け基準は格付依頼者の料金次第で間違いなさそうだ。

ところで、超格差社会の米国政府の連結貸借対照表(H22年.9月現在、1ドル=100円換算)は、東北福祉大・宮本教授によると、資288兆円、負債総額1635兆円、資産・負債差額△1343兆円に上る。

米国政府の資本金は、誰がみても軍事力と通貨ドル力である。加えて英語
力もある。圧倒的な資本力だから△は更に膨らむ余地がある。

純債務に限ると、日本も米国も対・GDP比で特別の差はない。

●ピケティーに言われるまでもなく、国の財政にも適度なインフレ(名目経済成長)が必要である。何故なら、負債や借金の目減り効果と対GDP比が和らぐからである。要するに観た目がよくなる。

もう一つの理由は資産の運用利回りが増すからだ。つまり政府の不労所得が大きくなる。

実際、政府保有の有価証券は前年より37兆円も増加している。もっとも急激な円安で外貨証券が膨らんだ理由が大きく実質は兆円増になる。内、あまり外債に頼らない年金運用資産は単年度で8,7兆円も増えた。

そのおかげだろうが、27年度一般会計予算では公債の発行を前年より4兆円強も減らしている。また年金破綻の声をあまり聞かなくなった。

結局、インフ基調は国会で難しい議論をしなくてもバランスシートの改善を促すことになる。従って、単年度主義の一般会計に一喜一憂のし過ぎは如何なものかと思う。政治闘争にはいい材料なのだろうが。

●話をピケティー関連に戻すと、新たな問題定義は、相続資産格差問題である。

従って、相続資産課税を強化して、資産の新陳代謝を促す考えに行着く。理由は、米・英・豪のアングロサクソン国においては相続税が安いだけでなく、意外に富の新陳代謝が少ないからだ。

日本の相続資産最高課税率は55%で、先進国では最も高い。

しかし、資産課税を強化し再分配するなどと回りクドイことをしないで、日本のように初めから国が資産を大量に蓄積したらどうなるかという問題もある。実際、国土の2割は国有地である。

格差論を論じるにあたり、米国連邦政府の超過少資産との対比も有益ではないかと考える。

●詳しいデータはないが、米国の社会福祉政策は主として教会の慈善事業が担っているのではなかろうか。その元は教会寄付である。すると寄付は一種の納税・貯蓄に相当する。

つまり、教会資産は米国連邦政府のバランスシートにおける、事実上の連結対象ではなかろうか。

米国の失業率は改善されたと言っても、5,5%。それでも目だった暴動が起きないのは教会福祉のお陰であろう。

底辺が支えられていれば、上位1%が総国民所得の20%近くを保有しても、せいぜい「我々は上位1%ではなく99%だ」とウオール街をデモ行進して済むのは、そのためだろう。

そうすると、底辺の底上げの方が上位1%云々んより大事になる。財源は勿論、経済成長である。伸びないパイでは分けようがないからだ。

●一橋大の森口教授が面白いことを述べている。

日本で格差が話題になるのは、景気がよくなり不動産や株で儲ける人が出現するときだそうである。つまり嫉妬心から成る。そうすると目下の日本経済はインフレマインドが広がったことになる。後もう少しだ。


    

2015年05月13日

◆「上海城」本丸に火の手

平井 修一


江沢民一派の牙城、上海に対人ミサイルが撃ち込まれた。「上海市新規定、江派上海閥大打撃か」から。

<【大紀元日本5月8日】反腐敗運動を進めている中国で、上海市政府は1日、市級高官の配偶者・家族の企業経営を禁止、制限する新規定(試行案)を公表した。

中国問題専門家から、習近平政権の反腐敗運動に抵抗する上海市政府が一転して協力姿勢を表明したという見解が上がり、「同市政治・経済業界で強い権力を握る江沢民一族が大打撃を受ける」という見方も多い。

同規定は、上海市級高官の配偶者について「無条件に企業経営を禁止」、子女とその配偶者について「上海市で企業を経営してはならない」と定めている。

香港科技大学社会学部の丁学良教授はBBCの取材で次のように分析した。

「上海市は元最高指導者江沢民氏と元国家副主席・曽慶紅氏の本拠地であることは周知されている(中略)。腐敗が根深い同市がこの規定を打ち出したのは、重要な姿勢表明になる。すなわち、習政権の反腐敗政策に従うと示した」

江沢民氏の長男江綿恒氏(63)は上海で政治・経済利益の巨大ネットワークをもっている。今年1月、国の最高研究機関「中国科学院」上海分院の副院長を年齢の理由で退任、いまは上海市政府傘下の上海科技大学の学長である江綿恒氏。新規定により、その息子の江志成氏(29)は上海で事業展開できない可能性が高い。

江志成氏は2010年に香港で投資会社・博裕資本有限公司(Boyu Capital)を設立、わすが1年半の間で、電子商取引会社アリババなど中国大手2社の新規株式公開(IPO)に関わり莫大な利益を上げたことで有名で、当初から「祖父(江沢民氏)の政治権力のおかげ」と言われている。

北京在住の中国問題専門家・華頗氏は大紀元本部の電話取材で「この規定は江派上海閥の利益を根底から揺るがした」と指摘した。メディアの江派一族への逆風も強まっている。

新規定は、今年2月下旬、習近平氏が中央会議で提案したもので、「上海で着実に実施し、今後は他の地区にも広める」と指示したと伝えられた>
(以上)

江沢民は反撃できるのか。できなければ習近平が軍と警察を完全に掌握したことになる。つまり江沢民派は没落。天下分け目の関ヶ原。江沢民を嫌う胡錦涛は洞が峠をきめこむか。江沢民亡き後は「習VS胡」戦争になるのか。

三国志、水滸伝の世界。見ものだな。政敵を倒したところで高級幹部の支持を維持するために利権構造はそのままだろうから経済が上向くはずもなく、いずれにせよ中共は没落の道を歩むばかりだ。(2015/5/11)


        

◆特に感慨はありません

尾崎 良樹



日韓両政府が2月16日、金融危機の際に外貨を融通し合う通貨交換(スワップ)協定の終了を急遽(きゅうきょ)発表した。23日の期限満了を待たず、打ち 切りを決めた両国は表向き「経済・金融的観点」から延長が不要だったと強調する。

だが、これを額面通り受け取る向きは皆無に等しい。13年半に及んだ協定が失効する に至った背景を探ると、韓国の傍若無人な対日姿勢への日本政府の怒りが浮かびあがる。

■対日姿勢を変えない韓国

「向こうにも複雑な国内事情があるのだろうが、一体どういうつもりなんだろうね…」。13日、外務省幹部の一人はテレビの前であきれ果てた。視線の先に あったのは、訪韓した自民党の二階俊博総務会長が、朴槿恵大統領と会談した際の ニュース映像。

悪化している日韓関係の改善に向け安倍晋三首相の意向を二階氏が伝えたものの、朴氏は慰安婦問題に言及。「残された関係者が生きている間にこの問 題を解決したい」と表明したとの報道には、財務省幹部も怒り心頭だった。

当初、財務省は協定延長の有無に関する有力国会議員への「ご説明」を週明けの16日に予定していた。だが、この二階氏率いる訪韓団に対する「関係改善の 道を閉ざす言動」(財務省幹部)を目の当たりにし、急遽予定を変更。13日中に「ご 説明」をほぼ終えることにした。

日本側の怒りが13日に頂点に達したのには、もう1つ理由がある。朴大 統領への名誉(めいよ)毀損で在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長 が、自らへの出国禁止延長措置の執行停止を求めて申し立てた仮処分の審尋で、ソウル 行政裁判所裁判長がこの日に棄却する決定を下したのだ。(その後、出国禁止措置は 解除され、加藤前支局長は帰国)

二階氏は朴大統領との会談で、安倍首相の「日本国民は皆心配している。自由に日本に渡航し家族と会えるようになることを望む」との意向を伝えたが、朴 氏は「司法の判断に委ねるしかない」と答え、安倍氏からの親書を渡されても従来の 対日姿勢を変えることはなかった。この模様を報じるニュースを見た財務省幹部はこ う吐き捨てた。

「慰安婦問題、二階氏の訪韓団への対応、それに産経新聞前ソウル支局長の問題。これでスリーアウト、チェンジだ」

そもそも日韓間の通貨スワップ協定は、世界最大の対外純資産国である日本の「韓国への信用補強」という側面が強い。韓国は平成9年のアジア通貨危機で 外貨準備が不足して対外債務の支払いができなくなり、国際通貨基金(IMF)の融資 を受ける事態に陥った。

この教訓を踏まえ、日本政府は韓国を支援して東アジアの金 融市場を安定させるため、13年に協定を結んだのが発端だ。

22年の欧州金融危機の深刻化を受けて、韓国が限度枠の拡大を日本側に要請。一時は700億ドルまで規模を拡大する配慮を見せたのだが、韓国側の傍若無人 ぶりに日本側が手を焼いてきた経緯がある。

■大統領の竹島上陸で融通枠縮小

24年に李明博韓国大統領(当時)が島根県・竹島に強行上陸し、両国関係は気に悪化した。この際は、さすがに日本政府が融通枠を130億ドルにまで縮小。 さらに30億ドル分の打ち切りも決めたのだ。

「韓国政府から、どうしてもとお願いされない限りは、日本政府から延長するということはない」。外務省幹部の一人は、残る100億ドル分についての日本 側の姿勢が一貫していたことを打ち明ける。

昨年秋、麻生太郎財務相は韓国側の要請がない場合には協定を打ち切る考えを示唆し、韓国側にボールを投げた。年が明けて、外務省が3月下旬に開催予定 の日中韓外相会談に向けた調整に動く中、朴政権の姿勢の変化を静かに見守ってきた が、ついに返球がくることはなかった。

「麻生内閣の時は(限度枠が)700億ドルまであった。金融も落ち着 き、韓国経済もそれなりの形になって(協定の延長は)必要はないとなった」

麻生氏は17日の記者会見で、韓国側からの延長要請がないため、予定通りに協定が失効することに至った理由を淡々と説明した。同時に、韓国との財政当局 間で定期的に開いていた「財務対話」を約2年半ぶりに再開するとも発表し、対話を 継続する姿勢を強調してみせたが、最後にぶぜんとした表情でこう付け加えることも 忘れなかった。

産経ニュース【メガプレミアム】 2015.5.11(2月24日掲載、一部修正)

            ◇

産経ニュースが日々お届けするウェブ独自コンテンツの「プレミアム」。今年前半で特に人気のあった記事をセレクトし、【メガプレミアム】として再掲し ます。改めてお読み頂ければ幸いです。なお人物の年齢や肩書き、呼称などは原則と して掲載時のままとなっております。

                      (採録:久保田 康文)

◆小唄・浪花節・藤本二三吉

前田 正晶



3654号の主宰者ご自身の「ラヂオ歌謡の頃」で、

「投稿して下さる常連の前田正晶さんは大変なジャズファンでもあり、クラシカル音楽ファンでもあるが、日本の演歌だけは願い下げだと言う。ところが私はジャズだけは願い下げ。クラシカルと演歌の大ファンである。そのきっかけが少年の頃、毎日聴いたNHKの「ラヂオ歌謡」だった。」

と言っておられた。別段これに対する異論もないが、私は良いと思うと言うか、好みの音楽は何でも聴いてやろうという姿勢なので、意外な裏の顔とでも言いたい好みがあるので、敢えてご披露する次第。

その第一に挙げたいのが小唄かも知れない。決してお座敷で遊んだからこれが好きになったという訳ではない。何を隠そう、大学1年の頃(1951年=昭和26年)に偶然の切っ掛けから藤沢に当時は一軒しかなかった河豚割烹料理屋さんの中学1年生の男の子の英語だけの家庭教師をお引き受けしたのだった。

そこは子供には解らない粋な世界で、蓼派の垢抜けしたお師匠さんが来られて旦那と女将さんの他に何人かのお客様に小唄を教えていたのだった。かなり広い料亭だったが、その歌声が私にも聞こえてくるので何時の間にか「何とも格好良いものだな」と、その良さが解らないままに聞き惚れるようになっていったのだった。既にアメリカかぶれし始めていた私にも「矢張り日本のものは良いな」と思わせてくれたとでも言えるのだろう。

浪花節だが、2〜3週間前だったか、日曜の早朝の桂文珍の番組に国本武春が出て、往年の広沢虎造だの玉川勝太郎の「天保水滸伝」などを回顧しているのを聞いて、自分が往年は彼等の浪花節が好みで矢張り「俺は日本人だったから「堪えられない」と感激しながら聞いていたのを思い出せてくれた。

余談だが、早稲田大学の応援団長をしていた広沢虎造の息子さんが当方と同学年だと知って、何となく親近感さえ覚えていたものだった。あの「江戸っ子だってね、寿司食いねー」や「利根の川風袂に入れて」などの名調子は忘れがたいものだし、もう一度聞いてみたい気がする。少なくともあの良さは数十年間に流行った魂が抜けたようなフォークソングやサザンオールスターズ等が遠く及ぶところではないと思う。

さて三番目の二三吉である。大学生の頃には彼女が歌う「木遣り崩し」に惚れ込んで、まさかレコードを買いはしなかったが、二三吉が出るラヂオ番組は「木遣り崩し」を歌ってくれると期待して聞き逃さなかった。実際に、自分でも人のいないところでは小声で歌ってみたものだったし、社内の旅行の宴会で歌うことを強制された時に、ジャズではなくこれを歌って満場をアッと言わせて悦に入っていたのだった。

クラシカルは1945年(昭和20年)4月13日に小石川にあった家を空襲で焼かれて大方の、母か父の何れが蒐集したかもかも知る由もない大量のレコードを焼かれて音源を消失したので聞けなくなったが、小学校に入るまではジャズの「ジャ」の字も聞いたことはなかった。ジャズに走ったのは戦後のことで、それも当時住んでいた鵠沼で流行っていたハワイアンから入っていったものだった。

その私がラシカルを再び聴くようになったのは、2006年1月に第1回目の心筋梗塞で入院した際に、長年お世話になっていた紙業タイムス社の編集長が見舞いにと差し入れて下さった、あのAVEXが出したモーツアルトの10枚組のCDを毎日聴いて大病と闘う心の支えとしていたことにあった。本当に心が落ち着いて、何の迷いもなく19日間の厳しい病院生活を過ごせたのだった。

そして、退院後はジャズよりもクラシカルのCDを買うことも聴くことも増えたし、1999年にイタリアに行った時にはルチアーノ・パバロッティのカンツオーネを移動中のバスの中で聴いて、帰国後直ちにそのCDを探しにHMVに行ったほど感動していた。

以上、「良いものと好きな音楽を聴いていれば良い」と言えば格好がつくかも知れないが、少し節奏がないのかなと多少反省している「何でも聴く音楽好きの弁」である。