2015年05月01日

◆日中首脳会談は中国が呼びかけ

宮崎 正弘 



<平成27年(2015)4月27日(月曜日)通算第4527号 <前日発行> > 
 
〜ジャカルタの日中首脳会談は中国が呼びかけ、中国が席も用意した
   それなのに中国マスコミには「日本の要求に応じた」と報道させた〜


ジャカルタで開催されたバンドン会議60周年を記念する「アジアアフリカ首脳会議」で、習近平の呼びかけに応じる形で安倍首相が、中国の用意した会見場へ足を運び、日中首脳会談は5ヶ月ぶりに開催された。中国が折れたのである。

ところが中国のメディアは共産党の命令に従って「日本からの会見要求に応じてやった」ことにして報道した。

逆さまはかのくにの得意芸だから、あまり気にしなくても良いが、日本側は度重なる中国側の事前の打診に回答していなかったことも分かった。

すっかり慌てたのが韓国で、突然韓国のマスコミの論調が「変調」している。

安倍首相訪米と上下両院合同の連邦議会演説は、吉田、岸がどちらかで演説したことがあって3回目だが、合同議会での日本の首相の演説は初めて。

米国がそこまで日本を突如重視したのはAIIBがらみで、日本に気を使い始めている証拠である。

またこれで一気にTPP年内妥結への流れを作りだそうとワシントンは試みているのも明瞭である。
 
これほど日本が有利な状況下にあり、安倍首相は正々堂々と過去の反省も謝罪も触れず、日本の国益をのべよ。

◆これでよいのか、原子力規制委の暴走

櫻井よしこ


福田康夫元首相が6日、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関して「先進国として拒否する理由はない。(拒否すれば)途上国いじめになるかもしれない」と述べ、日本の参加を促した。

途上国いじめとはどういう意味か。日本は長年、ODAで発展途上国を支えてきた。日本のODAの特色は、相手国の意思を基に資金と技術を提供する中で、技術移転を進めてきた点にある。現地で人材を育ててきたからこそ、日本の援助に対する評価は世界各地で驚くほど高い。

対照的に中国の援助は、大概、自ら企画し、資金、技術、労働者も中国自身が出すため、受け入れ先の国や現地の人々には、建物や橋、道路は残っても技術は残らない。加えて、労働者はその大部分が現地に居残り中国人社会を作るため、現地国の不興を買ってきた。

中国の援助は自国の国益のためだとの批判がついて回る所以である。途上国いじめは日本ではなくむしろ中国であろう。

この状況がAIIBによって変わるのか。その点がはっきり見えてこないいま、日本の不参加が途上国いじめになると批判するなど、中国の主張の代弁ではないか。AIIBに出資する余裕があれば、日本はわが国主導のアジア開発銀行(ADB)の機能を高めるべきだ。ADBとAIIBと、複数の金融機関が特徴を活かしつつ競合することは、借り手側も大いに歓迎するだろう。

むしろいま気にかかるのは、日本経済の行方である。中国の外貨準備高は4兆ドル(480兆円)規模で、この巨額のお金が強力な磁石となってイギリスをはじめ諸国を引き寄せた。対して日本の外貨準備高は1.2兆ドル(144兆円)。貿易は、原発停止以降ずっと赤字だ。昨年はこれまでで最大規模の約12兆8000億円の赤字だった。

貿易赤字の原因

貿易立国の日本が赤字を続けるのでは、ADBの強化もAIIBへの参加も儘ならない。日本経済を強くしなければ、国際金融も外交も国防も覚束なくなる。貿易赤字の一つの大きな原因は原子力発電を全て止めて、化石燃料の輸入を増やし続けているからだ。であれば、安全を確認したうえで原発再稼働を急ぐのがよい。

それにしても再稼働が進まないのはなぜか。最大の要因は、まるで全原発廃炉を目指しているような原子力規制委員会の非科学的な姿勢にあるといってよい。同委員会は3月25日、日本原子力発電の敦賀原発(福井県)2号機の敷地内にある断層を、将来活動する可能性のある活断層だと判断した専門家調査団の評価書を受理した。

このままいけば最悪の場合、敦賀原発2号機は廃炉になる。ちなみに日本原電は経済効率の面から、同原発1号機の廃炉を3月に決定している。

一方、規制委員会は、東北電力東通原発(青森県)についても「活断層がある」と指摘した評価書を受理した。

しかし、専門家調査団の調査の手法と彼らが下した評価については、別の専門家が「科学的見地から問題がある」と指摘したように、多くの疑問と批判が寄せられている。たとえば、活断層か否かを判断する会合で、日本原電側が活断層ではないとして提出した資料は拒否され続け、まともに取り上げられたことはない。

日本原電側には主張する機会は殆ど与えられ ず、仮に与えられたとしても途中で打ち切られた。専門家調査団の評価書 には少なくとも63点の誤りがあるとして日本原電が提出した質問状に、規 制委側は全く答えていない。その上で独断で結論を出した。

聞く耳を持たないまま、規制委員会は、活断層ではないものまで活断層であるかのように扱い、原発を廃炉に追い込みつつある。なぜ、彼らは科学的知見を退けるのか。安倍政権はなぜ規制委員会の暴走をとめないのか。

北海道大学教授の奈良林直氏が、余程注意しなければ通常は気づかない興味深い事実を指摘した。活断層だといえば原発は即、廃炉になるというような無茶な議論が広まっている中で、規制委員会は、およそ害のない断層と活断層を一緒にして全体の議論を間違った方向に誘導するルール変更を行っていたというのだ。

「2013年7月8日に施行された規制委の新しい規則がそれです。第3条3項には『耐震重要施設は、変位が生ずるおそれがない地盤に設けなければならない』として、別記の3項で、『「変位」とは、将来活動する可能性のある断層等が活動することにより、地盤に与えるずれをいう』となっています。活断層の『活』が消えているのです。

耐震重要施設は『将来活動する可能性のある断層等の露頭が無いことを確認した地盤に設置』せよとも書いています。これで、本当の活断層だけでなくさまざまな断層を危険だと見做して、原発を廃炉に追い込むことが容易になったと思います」

菅元首相の負の遺産

活断層とは震源断層から発していて、少なくとも地中3キロ〜5キロの深さから地表までしっかりつながっている断層であるとして、奈良林氏が説明した。

「活断層が動くことでさまざまな地滑りや地割れが生じ、副断層や破砕帯が生まれます。この種のヒビ割れまで含めて、規制委員会は断層はすべて危ないという非科学的な見方を社会一般に醸成したといえます。

原発の安全性を担保するのに本当に大事なことは、活断層が動いたときに敷地内に副断層や破砕帯があったと仮定して、それが原子力発電所にどのような影響を与えるかを工学的に評価し、十分な対策を講じることなのです。本当の活断層と他の断層を区別せずに論じても、安全性を高めることには全くなりません」

「活」の一文字をいつの間にか削りとるという狡猾なルール変更は、なぜなされたのか。奈良林氏は、菅直人元首相の負の遺産ゆえではないかと推測する。

菅氏は13年4月30日付の「北海道新聞」紙上で、「10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した」、その象徴が原子力規制委員会の設置だと述べている。また、「日本原電敦賀原発(福井県)をはじめ活断層の存在を指摘している」とも語っている。

いま起きていることは、まさに菅氏の予言どおりのことだ。規制委員会の運営は、どう見ても公正だとも科学的だともいえない。反原発への偏り、活断層の恣意的な判断だけを見ても、彼らは菅氏の反原発の怨念を引き継いでいるのではないかと感じる。

規制委員会は独立性の高い3条委員会ではある。政治の介入は難しいが、それでも日本国の最高責任者として、安倍首相はその健全化を働きかけるべきだ。

『週刊新潮』 2015年4月16日号 日本ルネッサンス 第651号

◆透けて見える「大漢帝国」の「復興」

石  平



中国では最近、18歳になった若い男女のために「成人の礼」を毎年4月に行うことがはやり始めている。話題となっているのは「漢服」を着用しての「古式成人の礼」だ。

たとえば今月14日、南京市内の大学で、成人となった男子大学生たちが「漢服」を身につけて昔ながらの「成人戴冠(たいかん)式」を粛々と執り行った。15日には、江蘇省の中等専門学校が在校生の新成人のために「漢服」着用の成人の礼を催した。

同18日、今度は内陸部の古都・西安市内の博物館で、朱色の「漢服」に身を包んだ新成人女子30人が古式にのっとった「成人の礼」を盛大に執り行ったことが地元の新聞に大きく報じられている。

それらの「古式成人の礼」では「漢服」の着用が共通点となっている。それは中国前漢時代の正服をアレンジしてデザインされたもので、前漢王朝の人々がこのような服を着用していたらしい、と今の人々は思っている。

成人の礼だけでなく、漢服の着用はさまざまな場面で一種のブームとなっている。たとえば4月10日、南京の大学付属中学校の女子生徒たちがいっせいに「漢服」を着て集団登校したことが話題となっているし、同14日、河南省の公園で大学生たちが「漢服」を身につけて桜の木を植える儀式を行ったことも報じられている。

福建省の女子大生、朱頴さんに至っては、1人で10着以上の漢服を持ち、毎日それを着て授業に出ているという。

今や漢服だけでなく、「漢文化」、すなわち漢王朝時代の文化に対する関心が全国で高まってきている。洛陽で開かれている「漢服文化節(文化祭)」は今年で2回目を迎えたし、天津外大が設立した「漢文化伝播学院」は現在、31人の教員を擁する大所帯となっている。

広西省では、展覧スペースが約2万平方メートルに上る「漢文化陳列展示館」が建設中である。

もともと漢民族が中心の中国人だが、ここにきて突如、自分たちのルーツに関心の目を向け、「漢文化ブーム」を巻き起こしているのは、やはり、2年前に発足した習近平政権が「民族の偉大なる復興」の政策理念を高らかに掲げていることと大いに関係があろう。

西洋の「文芸復興(ルネサンス)」が古代ギリシャやローマ帝国時代を模範にした「復興」であるなら、中国の「民族の偉大なる復興」は漢王朝の時代を念頭においたものである。

この時代は漢字などによって代表される中国文明が成熟した時代であるだけではない。前漢時代の中華帝国は、現在のベトナムや朝鮮半島の大半を併合して中国史上最大の版図を作り上げたことがある。アジアを制覇したこの大帝国こそ、今の習近平政権が目指す「民族の復興」の手本なのであろう。

だからこそ、習政権の政策ブレーンで「中国きっての外交戦略者」と称される人民大学の時殷弘教授は習政権になってからの著書や発言において、周辺諸国を武力で征服して最大の版図を作り上げた前漢王朝の武帝を絶賛し、「武帝という“戦争の覇王”の出現は中華民族にとって幸いだ」と評している。

要するに、この「戦争の覇王」のまねをして中華帝国の再建を図り、民族にとっての「幸福の時代」を再現させること。それこそが習政権の掲げる「民族の偉大なる復興」の真意なのだ。

この数年ではやり始めた漢服や漢文化ブームの背後にあるのは、結局政権側のこのような大いなる野望である。

だが、われわれにとって、中国がやろうとしていることが単なる漢服や漢文化への郷愁ならともかく、アジアにおける「大漢帝国」の「復興」であるとすれば、まっぴら御免である。

                ◇                
   
【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

産経ニュース【石平のChina Watch】4・30

◆木津川だより「相楽神社」@

〜郷土の式内社〜

白井 繁夫


古代畿内(大和.山代、河内等の国)の地名には、現在も読み継がれている地名が多々あります。私の現住所は「相楽」(京都府木津川市:旧相楽郡木津町相楽)で、「さがなか」と呼びます。

ところがこの「相楽」を、皆さんは「さがなか」とお読みになれるでしょうか。正しく呼称される人に出会う機会が、実は殆んどないのです。

今回の地名を冠した神社も、正しく読んでもらえないでしょう。実は千余年も前から、静かに佇む「重文の式内社」なのです。

木津川(きづがわ)の河畔<下記*>に在り、藤原、奈良、平安時代から現在に至るまで歴史の表舞台で大した話題にもならず、また戦火の被害も受けずに、地元の人々により、法灯が守られてきた式内社です。

そこでこの式内社と、郷土の八幡宮に纏わる事柄を取り上げて見ようと思います。


「木津川流域」は、昔から絶えず洪水の被害を受け、多くの歴史的文物も消滅しました。「相楽(さがなか)神社」も、いつ創建されたかは不明です。伝承では、木津川が氾濫して押し寄せた土砂が堆積して出来た台地の森を、神域とした神社「相楽神社」と呼んだ、と云われています。

神社は藤原京より北へ大和を縦断する西の幹線「下ツ道」を経て、山代国に通じる歌姫街道に接していました。そして、街道の終点にある港:吐師浜と古山陰道や大坂と結ぶ古道(現R163号線)の接点になる交通の要衝「現木津川市相楽清水」の地です。

この地へ九州の宇佐神宮から八幡祭神(三座)武勇の神を請来し、旧相楽村(曽根山、大里、北の庄区)の産土神としてお祀りした八幡宮です。また旅人や水上交通の安全も兼ねた神社だと社伝に記されています。

<*(「木津川」は、三重県の伊賀上野から西へ流れて来て木津の相楽でほぼ直角に大きく流れを変えて北の京都へ向かい、近江(琵琶湖)から流れ来た宇治川などと、八幡市で三川が合流し淀川となって大阪湾に注ぎ込みます。>

この「木津川」が大きく湾曲する左岸に展開した東西2.6kmに亘る大河川港「泉津」が、大和の北の玄関港です。この港の西「吐師浜」の近隣に重文の相楽神社が佇んでいます。

相楽神社の地元の古老は、今でも八幡さんと親しく呼び、拝殿などに「八幡宮の額」が現在も掲げられています。しかし、明治10年、平安時代の法典とも云われる「延喜式神明帳:927年」に記載された名称に基づき、「相楽神社」に比定(定める)されました。

嘗て、相楽神社の本殿を修理した折に、基礎部分の改修で地中より、藤原時代から鎌倉時代に至る瓦片、陶器片や祭祀に使用する祭祀器片などが出土しました。

当神社は相楽遺跡の一角にあり、遺跡からも藤原時代の陶器片などが出土しました。だから、当神社の創建は千数百年前に遡る藤原時代か、もっと前の時代から在ったのか、と色々思いをめぐらせます。

明治時代に入るまでの相楽神社の境内は、現在よりもっと神域面積が広く「泉津」に繋がる歌姫街道に接しており、国内の主要街道や海外にも通じる重要な拠点に鎮座していました。

大和朝廷確立までの戦乱(武埴安彦の反乱、忍熊王の反乱、壬申の乱など)を経て藤原
京、平城京の建設により大いに発展する様子を見つめて来たのが「相楽神社」なのです。

神社の前置きが長くなったので、相楽神社については次回につづりますが、その前に
相楽(さがなか)の地名にもいろいろの説があり、下記に列挙します。

★神武天皇東征の折り、家来として福岡県相良(さがら)の武士が天皇と畿内に入り、定住場所を求めて平群(現生駒市)から南山城一帯を捜しましたが、木津川右岸の現山城町、井手町は地形的に川の氾濫を受けやすいと思い、現木津川市相楽を定住地に選び、「相良村」と名付けた、と云われ、相楽には昔歌があります。

「サガラサムライ ホンザムライ ユウベカワッタキンリンサン」。

要約すると、『サガラサムライ(相良侍) ホンザムライ(本侍:天皇直参の侍)ユウベカワッタ キンリンサン:
侍を捨て、ここの土地を荘園としている禁裏(京の公家)さんに下った。』と云う歌です。 

★『記紀:古事記、日本書紀』垂仁天皇の(後)皇后日葉酢媛命(丹波道主王の女)に纏わる:『古事記』丹波の四女王:丹波の四王女:「四柱を喚(め)し上げき。然(しか)れども、比婆須比売命.弟比売命の二柱を留めて、(その妹王の二人は容貌がとても醜いということで親元へ送り帰された。円野比売はこれを恥じて)山代国の相楽(さがらか)に到りし時に、樹の枝に取り懸(さが)りて死なむと欲(おも)ひき。故(かれ)、其地を号(なづ)けて懸木(さがりき)と謂(い)ひき。今、相楽(さがらか)と云ふ。」

★その他渡来人にかかわる話題

「木津川流域」には渡来人が多く住みつきいろんな技術.文化や出身地を表す地名もあります。

例えば高句麗(高麗)からは越前海岸→近江→山代、新羅からは九州筑前→瀬戸内→難波
地名:上狛.下狛、高麗(こま)寺跡、吐師(はぜ)等々、技術文化の例:(銭司遺跡)奈良時代鋳銭司(造幣局)がおかれ、わが国最古の貨幣「和同開珎」などを鋳造しました。
 
◆古代の朝鮮語:幸処在処(さがあらか)、しあわせなところ、幸福への入口と云う説
◆『日本書紀』欽明天皇三十一年(570)四月条:高麗(高句麗)の使者を迎へる為
  「相楽館:さがらのむろつみ」を建てる。 
◆『続日本紀』大宝元年(701)正月条:「山代国相楽郡令 追広肆掃守宿禰阿賀流
   (ついこうし かにもりすくねあかる)を小位となす。」
 
掃守氏は一地方の郡司ですが、交通の要衝にある相楽神社と関係あり、しかも 外交.貿易にも通じる豪族です。だから、遣唐使の一員に加わったと云う説があります。

★京都府相楽郡(ソウラクグン)と読み、木津川市相楽(サガナカ)と二通りの読み方を現在しています。

@織田信長軍がこの地を通過して、大和へ向う時、信長の地名の問いに対し、家来が「ソウラク」と回答した。
A明治初期に京都府の書記官が地名にフリガナを付けた時、「ソウラクグン」と記載したことから公式になった。とも云われています。
                               (つづく)


2015年04月30日

◆私の「身辺雑記」(215)

平井 修一



■4月27日(月)、朝は室温21度、快晴、6時過ぎにピンポーン。警察だった。1階店舗の警報機が鳴ったそうで、警備会社の車とパトカー2台、バイク4台で駆け付けたのだ。すごい態勢。

フル散歩。選挙報道で産経は20ページしかなかった。

夕べのミックスフライは残りを娘たちのお土産にしたので、小生の夕食は汁と納豆だった。まあ粗食で、それはそれで64歳のヂイヂには悪いことではないと思うが、ひとつくらいは食いたかったなあ。

カミサンに「みんなオミヤ(お土産)にして持たせたらいい」と言ったら、本当に全部タッパーに入れた。小龍包も浅漬けも・・・ちょこっと小生の分も残しておいてくれれば、と思うが、今さらそんな未練なことは言えやしない。

母子家庭の次女と、旦那がワーカホリックで事実上の母子家庭の長女の支援になるのだから大いに結構なのだが・・・せめてチキンカツの1枚は食いたかったなあ。まったく男は未練たらたら。情けない。

父は大正9年生まれだが、暑いとかキツイとか疲れたとか腹が減ったとか、そういうことをほとんど口にしなかった。ガンで片肺を取った時も「痛い、苦しい」なんて一言も言わなかったが、遺品の小さな手帳には「鉄の塊がガーン、ガーンと襲ってくるような痛さだった」と書かれていた。

小生の前で父が弱音を漏らしたのは2回だけだった。近衛歩兵第2連隊の兵営は市ヶ谷あたりだが、千葉県(多分、習志野)での演習は片道30キロほどを歩く。それから演習で、野営して、翌日も演習。その後に30キロを歩いて東京に戻る。多くの兵は足の豆が潰れていたろうから相当辛かったのだろう、「まったくきつい行軍だった」と言っていた。

また、厳寒の北海道での冬季演習(?、もしかしたら戦後に仕事で行ったのかもしれない)もきつかった。「北海道は人の住むところじゃない」とぽつりと言った。

父の両親は明治生まれで、当然ながら江戸時代からのモラルを引き継いでいる。我慢、忍耐、刻苦奮励努力は武士のみならず多くの人々が共有していたろう。12歳で丁稚奉公が当たり前だから、皆辛い思いをし、それを口にもしないで耐え忍び、乗り越えてきたのだ。

庶民は一億総“オシン”の時代だった。それはそのまま日本国の歩みだった。

小生は「大日本帝国憲法」の勉強を昨年から始めたが、先人が大変な努力と歳月をかけて創りだしたのだなあと感動する。これをGHQは「ド素人が8日間で作った代物」(安倍氏)「あっちこっちの憲法からコピペした」(産経紙)、すなわち今の憲法に強制的にとって代えさせられた。戦勝国、占領軍による国際法上の犯罪だ。

主権がない占領下で、勝者が敗者に「勝者のための憲法」を押しつける。どう見ても違法である。それなら閣議決定で、

「現憲法はわが国が主権のない占領下において、ハーグ条約など国際法上違法な手段で占領国により強要されたものであり、ここに現憲法の廃止を宣言し、大日本帝国憲法に戻すこととする。ただし、戦後のわが国が現憲法のルールで歩んできたことは事実であり、大日本帝国憲法に戻すことは現実的ではない。そのために3年間、ここに暫定憲法を試行する。恒久憲法はその間に議論し、総選挙をもって国民の判断を仰ぐ」

ということにしたらいい。そうでもしないとまともな憲法は持てない。

日本人が誇りを持てるような正しい憲法を、大日本帝国憲法の延長という形で創るべきである。今のインチキ憲法に則っていたら何も変えられない。弊履は修繕するのではなく捨てるべきである。まずは暫定憲法を国民に示すべきだ。できる限りシンプルにしたほうがいい。凛とした感じ、世界に誇れるようなものがいい。

大日本帝国憲法について記事を書きたいのだが、小生のオツムではどう整理していいのか、今はうまい方法が見つかっていない。大学院以上のオツムが必要なのだ。読者が「へ―そうなのか、目からうろこだな」と思ってくれるような記事にしたいなあと思うが、そういう論考はすでにいくつもあるのかもしれない。いろいろ調べてみよう。

課題は山積、ミックスフライどころではないが、それでも食いたかったなあ、と未練タラタラ。中共は抗日と言いながらほとんど勝ったことがない(そもそも戦っていない)から、「勝ちたかったなあ」と未練タラタラ、せめて博物館で自分に都合よくストーリーを捏造し、鬱憤を晴らしたいのだろう。

真実の 熱き血潮に触れもせで 哀しからずや ラブドールで慰める君ミックスフライがいつの間にか中共叩きになった。小生も反中嫌韓の病膏肓か。

■4月28日(火)、朝は室温21度、快晴、フル散歩。梅の実とサクランボがそこそこ大きくなってきた。主権回復記念日で国旗掲揚。春風に日の丸が舞う。実にいい気分だ。

今朝の産経1面トップは「対露『欧州の保塁』急ピッチ」とロシアの侵攻に備える周辺国の不安、警戒を伝えている。左柱は「日米ガイドライン再改定合意へ」と中共の侵攻に備える日米の決意を伝えている。4/28を意識した紙面構成だ。

(産経は「正論」路線だが、サンスポの“性・抱く”併せ飲む「性論」路線は最近お仕舞にした。ちょっと可笑しかった。誰も書かないから書いておく)

米国は日本を「100年間戦争できない国」にしたが、今は対中抑止で日本を「普通に戦争できる国」にしたいのだ。周辺国も皆、日米(豪印)同盟の強化に期待している。中露の脅威が世界を変えつつあり、時代は大きく変わったのだ。

ファシストが 反ファシストを叫ぶ 滑稽さ(修一、秀逸?)

ジョージ・オーウェルはファシストを「意味のない単なる罵倒の言葉だ」と言っていた。「クソッたれめ」あたりか。

産経はファシストを「全体主義」と書いていたが、戦時にあっては国家=全体優先だから「全体主義」ではしっくりしない。「個人独裁軍事優先拡張主義」が実態に近いのではないか。

今の世界でそれに該当するのは中共、ロシア、北朝鮮で、「ファシスト御三傑」だろう。ロシアは皇帝時代もそうだったから、1613年のロマノフ朝成立以来とすればファシスト歴400年ということになる。中北はたったの60年ほど。格が違う。

400年も続けば骨の髄までファシストで、力への信仰が強く、すなわち好戦的だ。多かれ少なかれ、大なり小なり、ロシア人はプーチン金太郎飴だろう。国営メディア、スプートニクニュース4/28から。

<米国が自国の力を投影している主要なツールの一つは、巨大空母艦隊だ。米国には現在、70機以上を搭載できる空母が11隻ある。空母は第二次世界大戦からほぼ全ての米国の軍事紛争に参加してきた。

冷戦時代、ソ連には自国の空母艦隊があったが、現在ロシアの艦隊にはたった1隻の空母「アドミラル・クズネツォフ」しかない。

軍の近代化に関するロシアの新計画が実現されたことを考えた場合、その枠内では新たな原子力潜水艦、航空機、装甲車が開発されており、ロシアが独自のスーパー空母の建造を望んでいても驚く人は誰もいないはずだ。

スーパー空母の建造にかかる直接の費用は天文学的数字になるだろう。Newsweekは、ロシアの外交政策は地域問題の解決に焦点を当てており、そのために空母は必要ではないと、スーパー空母を建造する価値を疑問視している。

米国のジャーナリストは状況について、こう指摘している。

「ロシアはその地域で支配的な地位を占め、隣国に大きな影響力を与えている強い大国だ。その力は中国の影響力としか比較できない。しかしロシアは自国の外交政策の焦点を、より大規模な世界的プレゼンスにより自国の安全を保障するという形に変えることができる。ロシアは新たな空母を建造して、米国がトップに立つ世界秩序への挑戦を試みるだろう」>

つまりスーパー空母を中心とした空母打撃群を世界の海に遊弋させたい、世界に君臨したいというのがプーチンとその国民の夢というわけだ。「世界制覇」!

複数の空母建造に意欲的な習近平の夢は「アジア・西太平洋制覇」!

中露いずれも軍事力で周辺国を威嚇し、縄張り=安全圏を拡大するというのが戦略だ。

危険な妄想(被害妄想、自己肥大)に酔い、周辺国を挑発し、戦端を開き、世界秩序を己にとって有利なものに変える・・・クソッたれのファシスト中露を封じ込める新冷戦=第2次冷戦の遂行が必要だ。

■4月29日(水)、朝は室温22.5度、今季最高、快晴、フル散歩。昭和帝生誕日で国旗掲揚、皇居、靖国遥拝。実に気分がいい。

クネは難問山積で病欠、北は侵攻のチャンスか。しかし金北豚も足や手首を痛めているようだからヤル気はないだろう。二人とも南北赤十字病院で療養したらいい。神輿は軽くてパーがいい、「ホスピスもあるでよ、ずーっといたら」と南北とも側近や後継を狙う輩は思っているのではないか。

ソ連は1917年の革命から73年で崩壊した。1949年建国の中共は2022年に73年目を迎える。あと7年だ。上手くいけば中共崩壊を見物できる。

韓国は建国記念日がない。臨時政府(実体なし)ができた1919年4月13日なのか、1945年8月15日以降の米軍占領期が建国にあたるのか、それとも半島南部のみを実効支配したまま大韓民国が建国された1948年8月15日にするのか。

1948年9月9日には北朝鮮が建国され、そのまま朝鮮戦争になり、今もって休戦状態であり、半島が統一されていないから、南朝は建国がいつなのかを決められないでいる。産経の連載を読むと、北朝の方が「正史」としては正当性というか一貫性はありそうだ。

(北朝は事実上はロシアが作った。北には建国神話の捏造という面はあるが、南と違って北は日本にコンプレックスを持っていない。一応、日本と戦った(ちょっぴりゲリラ戦)→終戦→建国という流れがあるからだろう。

一方で韓国=南朝は日本とラブラブだったから抗日の実績のかけらもない。テロリストを持ち上げて「抗日した」ということにしているが、かなり無理っぽい。慰安婦云々は建国ネタにはならない)

不都合なことには思考停止だから、南の人は建国記念日なんてもう考えないのだろうが、南北ともに1948年建国とすれば2021年が73年目になる。あと6年。

支那と朝鮮が国家崩壊すると皆、憧れの日本を目指す。これを阻止しないと大変なことになる。北清事変でロシアは領内の不法移民の支那人を平然と殺しまくった(アムール川に掃討した)が、日本人はそれをできない。DNAがない。

混乱の支那・朝鮮を抑えられるのは「力」である。プーチン・ロシアの活用方法を含めて日米豪印は「支那・朝鮮崩壊」対策を練っておくべきだ。

支那は22省を10か国ほどに、あるいは七大軍区に従って7か国に独立させ、緩やかな中華連邦にする。核兵器は廃棄させる。北朝鮮は吉林の自治区に編入する。韓国は米国準州とする。内モンゴルはモンゴルと合併させ、ウイグル(東トルキスタン)、チベットは完全に独立させる。チベットはしばらくは国連の信託統治にしてもいい。

この際に台湾は「台湾国」として独立し、国連に加盟する。

こういう受け皿をつくれば14億が世界に散らばることはないだろう。ロシア経由で欧州に向かわないようにプーチンは北の守りを「容赦なく」固める。日本、台湾、フィリピンなどASEANはボートピープルを警戒する。繁殖力が強い漢族をできる限り大陸に封じ込めることが肝心だ。

海南島および中共が南シナ海に不法に作った軍事拠点は日米豪印でしばらく管理し、関係国の取り決めで領土問題を解決する。

中共独裁国家を解体すれば南シナ海、東シナ海、西太平洋に平和が戻る。中共殲滅、支那解放は世界の悲願だ。イザ!(2015/4/29)

◆散る桜に静謐を感じる春のひととき

櫻井よしこ


その光景にしばし私は見とれてしまった。不思議な光景だった。庭の桜の木から、ハラハラ、ハラハラと花びらが舞い落ちてくる。風もない凪の中で、ただ花びらだけが散り続ける。四方に広がる枝々から、静かに散り続ける。まるで優しい雨のように、舞い落ち続ける。
 
その様子はあたかも桜の木に意思があって、今がその時と、時刻を決めて、一斉に花びらを散らし始めたかのようだった。
 
私は秘書たちと打ち合わせをしていたのだが、桜の様子に気付いて、皆一斉に桜の静かな舞いに、しばし息をのんだ。全ての世の中の喧騒を消し去るかのような、静謐で不思議で美しい風景だった。
 
自分の能力を超える仕事を抱え、幾つものことを同時進行で考え、何とかこなしていこうとしている忙しさの中で、音もなく、ただ散り続ける桜の花の姿は、私の心を深い芯のところで落ち着かせてくれた。
 
ハラハラと舞い落ちる桜の姿はしっかりと生き、生き続けることによって存在の意味を生み出す営みなのだと、私は思い知らされた。そんな私の思いを知ってか知らずか、1本の桜の木にこれほどの花びらがあったのかと思うほど、桜は長い時間、花びらを散らし続けた。
 
私の脳裏にもう1つの場面が浮かんでくる。椎の大木の落ち葉である。近所の神社さまの境内には何本もの椎の大木があり、広く枝を張っている。常緑樹の椎の木は、夏には涼しい日陰をつくり、境内の気温を街中のそれより2〜3度は下げてくれている。秋にはたくさんの実を付けて、その実が熟れるころ、地面いっぱいに落ちてくる。
 
私は椎の実を両掌いっぱいに拾ってきては、旧式の金網で作ったいり器でいって、おやつにする。そんなとき、子供のころに歌った懐かしい歌、「ぼくらは椎の実、まぁるい椎の実、お池に落ちて泳ごうよ、お手てに落ちて逃げようよ……」などという歌を自然に歌っている自分に気が付く。
 
初夏のころだっただろうか、その椎の木が突然、ハラハラ、ハラハラと葉を落とし始めたのだ。桜の花びらと比べれば、椎の葉はよほど重くて堅い。従って、椎の葉は散るとき、カサカサ、パラパラというかすかな音を立てる。
 
最初に私の注意を引いたのは、このかすかな音だった。つられて周囲を眺めてみたら、あちらの枝からもこちらの枝からも、葉が一斉に散り続けていたのだ。
 
私はなぜか感動した。常緑樹が常緑であり続けるために、古い葉を落とし新しい若緑の葉と交代しようとしているのだ。去年の葉は、1年間、太陽の光を吸収し、養分を木に与え、実を実らせ、今その役割を終えて次の世代の葉に居場所を譲ろうとしている。1つの役割が果たされたことを葉も幹も知っていて、一斉に、葉は枝から離れ、枝は葉を散らしているのだ。自然の営みの賢さが、カサカサ、パラパラという素朴な音楽となって伝わってきた瞬間だった。
 
東京の真ん中に住んでいても、このかいわいにはたくさんの自然が残っている。先日のことだった。わが家の庭に白い大きな鳥が舞い降りた。机に向かっていた私は白い影を視覚の隅に捉えて庭に目を転じた。するとそこには長い首を真っすぐ天に向けて立つ白い鳥がいたのだ。くちばしまで背丈は1メートルもあるだろうか。真っすぐ天に向けたくちばしの色は黄色く、先端がしゃもじのように幅広になっていた。
 
鳥類図鑑で調べると、ヘラサギの特徴とピッタリ合う。だが、ヘラサギはかつて、冬の間、日本に飛来したが、近年はまれだと解説されている。あの鳥がヘラサギだと仮定して、珍しい来訪者は私がとっさに、池で泳ぎ始めたメダカのことを心配したのを察知したのか、すぐに飛んでいってしまった。

『週刊ダイヤモンド』 2015年4月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1079

◆自衛隊の平和ボケ?!

平井 修一



国基研企画委員/福井県立大学教授・島田洋一氏の論考「自衛隊は歴史情報戦を戦えるのか」(4/24)を読んで唖然とした。自衛隊も社会の縮図だから玉石混交だとは理解できるが、想像を絶する反日屋が紛れ込んでいるとは!

<自衛隊の支援団体が出す機関紙「隊友」最新号(4月15日付、第732号)に載った記事を読んで、唖然とした。北大西洋条約機構(NATO)事務総長特別代表(女性、平和、安全保障担当)補佐官の肩書を持つ栗田千寿(ちず)2等陸佐の連載コラムである。

NATO本部(ブリュッセル)のオフィスに来訪したスリランカ人の法律家ラディカ・クマラスワミ氏との面談の模様を記しているのだが、そこには当然あるべき問題意識が微塵も感じられない。

*歪曲報告筆者との「光栄な」昼食

栗田2等陸佐は次のように書いている。「彼女は、1996年に女性に対する暴力とその原因及び結果に関する国連の報告書(『クマラスワミ報告』)を担任したことで有名です。……私は、光栄なことにNATO特別代表とともにクマラスワミ氏と昼食に同席する機会を頂きました」。

クマラスワミ報告といえば、吉田清治証言はじめ虚偽ないし歪曲誇張された伝聞資料に基づいて、慰安婦を日本軍に強制連行された「性奴隷」と決めつけた悪名高い文書である。今に至るも、各国の議会決議に引用されるなどその悪影響は拡大し続けている。

日本政府は、昨年8月の朝日新聞による吉田証言に関する記事の撤回などを受け、昨年10月14日、外務省の佐藤地(くに)・女性人権人道担当大使をニューヨークに派遣し、クマラスワミ氏に面会させ、報告書中、吉田証言が引用された箇所などの削除、修正を申し入れている(それしか要求していないのは問題だが、それでも同氏は修正を拒否した)。

*反日勢力が狙う精神的な武装解除

栗田2等陸佐がクマラスワミ報告に何の疑問も持っていない、あるいは(まさかとは思うが)中身に感銘を受けているとすれば、防衛省が国際情報戦の最前線に送り込むにふさわしい人材とは到底言えないだろう。

加えて問題なのは、元統合幕僚会議議長が会長を務める自衛隊の準公的団体の機関紙が、こうした文章を何のチェックもせずに載せている事実である。編集部の意識も鋭く問われねばならない。

内外の反日勢力は、日本の物理的な防衛力の向上阻止だけでなく、精神的な武装解除も常に狙っている。不当に日本軍を貶めた文書の責任者との面談をただ「光栄」と感じているような文章を自衛隊員やその家族に読ませることが、精神面でプラス効果を持つとは思えない。

栗田2等陸佐は在ベルギー日本大使館ホームページに寄せた文章でも同面談に触れ、「とても穏やかで徳が感じられる方でした」と書いている。スターリンや毛沢東と会った人も、しばしば同じ感想を書き記している。

相手の行動を冷徹に見る目が、特に国防の第一線にいる者には求められるのではないか>(以上)

レベルが低すぎる、粗雑すぎる、脳内お花畑、完全に洗脳されている。正しい歴史認識、世界情勢分析の教育を受けていないのだ。栗田千寿とは何者か。内閣府のサイトにはこうあった。

http://www.pko.go.jp/pko_j/jyosei/jyosei05.html

読売2014/12/5から。

<NATOに派遣される陸上自衛隊2佐 栗田千寿さん(39)

米国や英国など28か国が加盟する「北大西洋条約機構(NATO)」(本部・ブリュッセル)に、12月から2年間、自衛隊員として初めて派遣される。

紛争下での性的暴力から女性を保護する取り組みなどを担当する。「安倍内閣が掲げる女性活躍推進の一環ですが、本当に光栄」と語る>

この関係からクマラスワミとの接触があったのだろうが、クマラスワミ報告を読んだり、それをめぐる論争などを知っていれば「光栄な昼食」なんていうことにはならなかったろうに。

家庭内野党に加えて“隊内野党”。緊張感ゼロの完璧平和ボケ。これでは情報戦争で勝てるわけがない。チヤホヤするのではなく、せめて誰が敵なのか、今どういう攻撃にさらされているのかくらいは教育しないとだめだ。隊内規律が緩んでいるのではないか。

「日本はよい国だ」と言って航空幕僚長が首になるなんていう軍隊が勝てるわけがない。繰り返すがきちんと隊員を教育せよ。学ばざれば昏し、今のままでは国防どころか「国亡」だ。こんな体たらくでは愛国老人は死んでも死にきれやしない。(2015/4/28)
   

◆アジアを裏切らなかった日本

MoMotarou


バンドン会議。アジア・アフリカの29カ国が参加。日本は招待されたが韓国は招待されず。

                ★

見っともないので中南米辺を朴槿恵は漂流中。第一回は1955年に開催。この際も韓国は招待されず、日本には招待状がきた。遠慮気味に出席すると、参加国より「植民地終焉」大貢献をしたと絶賛された。またアセアンでは、オブザーバ出席の韓国が無許可の発言で日本を非難しだすと、参加国が「何をトボけた事を言っているのだ」と大激怒。

考えてみれば韓国は自分で独立したわけではなく、白人社会の米国の傀儡として「分離」されただけ。その経緯を知っている国々は呆れたわけだ。因みにシナ中国は何時の世でも「お金」で転ぶ。蒋介石も毛沢東も白人西洋社会に転び、アジア「日本」を裏切った。

■第一回バンドン会議参加の様子(WIKIPEDIAより)

<日本は高碕達之助経済審議庁長官を代表として十数人が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。

加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を

「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と疑っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。

日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。

『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」と語っている。>

■2005年バンドン会議50周年

小泉首相が参加。この時「村山談話」を継承し「反省」を表明しました。私は違和感を覚えたのを記憶しております。参加国にしてみれば「何を言っているのだ」という雰囲気でしょう。

■安倍首相は立派だ。

此の一言に尽きますね。ドローンを官邸に飛ばしたのは人物に限らず、日本共産党の洗脳を受けたと断定する。あの伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根と同じパターンだ。日本共産党も大韓民国も中国も米国も「日本」が嫌いなのである。否、羨ましいのだ。我が国民だけは、どんな事があっても、最後まで「日本」を好きであって欲しい。

●「月世界へ:日本」WING1月7日号

http://melma.com/backnumber_256_6147319/

米国がミサイルでソ連に遅れをとった時ケネディ大統領は「月世界探査」をぶちあげました。日本も元気を取り戻す為に「希望」を掲げましょう。我が「初夢」に刺激されたわけではないでしょうが、日本が月に人工衛星を飛ばすことを発表しました。夢がある!

JAXA「有人月探査計画の検討」
http://www.jspec.jaxa.jp/activity/humanlunar.html

2015年04月29日

◆戦後70年談話、日本らしい貢献説け

櫻井よしこ


安倍晋三首相の訪米と米議会上下両院合同会議での演説の日が近づくいま、吉田茂、鳩山一郎、岸信介ら先人たちの考え方や日米関係が思われる。

先人たちは、戦後、共産主義勢力と反共勢力の熾烈な闘いが日本を舞台にして展開される中で、必死に日本の国益を探った。GHQの日本占領は、マッカーサーの下、保守反共で知られる参謀第2部(G2)部長のウィロビー将軍と、有能な弁護士で配下に多くの共産主義者を抱えたリベラル色の強い民政局(GS)局長のホイットニー将軍の2つの勢力が競い合う形で進められた。

ホイットニーを頂点とするGSの勢力は旧ソ連や中国に強く共鳴した人々で、日本を二度と立ち上がれない弱い国に据え置こうとした。他方ウィロビーのG2は、日本は尊敬すべき国であり、敗れはしたがまともな独立国に戻るべきで、それがアメリカの国益だと考えた。前者は弱い日本派、後者は強い日本派と呼ばれる。

日本の不幸は、占領初期の2〜3年の間、GSの力がG2の力を上回り、日本国憲法に典型的に見られるように、国家の基本部分に非常にリベラル色の強い左翼的枠組みが作られてしまったことだ。日本を弱い国のままにして、アメリカの庇護の下に置き続ける土台が作られたのだ。

アメリカは日本に武力保持を禁ずる憲法を作ったが、しかし、冷戦の萌芽の前で方針転換に踏み切った。日本がいつまでもアメリカのお荷物であり続けることはアメリカの国益にも適わない。日本は再軍備すべきだと、彼らは考え始めた。

日本は独立・国際法上も、また国の実態においても・を回復する機会に恵まれたわけだ。しかし、そうしたアメリカの働きかけは必ずしも歓迎されなかった。敗戦で国土を焼かれ家族を失った国民には、再軍備は戦争のイメージに結びついたかもしれない。

軍事費を使わずに経済にだけ力を注いできた財界や政治家も、軍事的にアメリカに頼りきりの方が楽だと考えたかもしれない。歴代の首相は、安保改定や憲法改正は余りにも膨大なエネルギーを消耗する課題ゆえに、つい回避したかもしれない。およそ皆がアメリカによる再軍備と軍事力増強の働きかけを拒否しようとした中で、岸信介だけは例外だった。

「イージー・ウェー」

1950年3月、日本がGHQの占領下にあったとき、後の国務長官ジョン・フォスター・ダレスが来日した。ダレスは翌年の講和条約の内容を示し、日本に再軍備を求めた。

時の首相、吉田は再軍備については「全く頑固で1インチたりとも譲り」はしなかったと、吉田内閣の外相、岡崎勝男は語っている(『ダレスと吉田茂』村川一郎編著、国書刊行会)。

当の吉田も「(ダレスは)かなり失望したな。再軍備の件だけではなく、不快感をもった様子だった」と語っている(同)。

すでに東西の冷戦が始まっていたこの時期に、頑として再軍備を拒絶した吉田を、ダレスは世界情勢の読めない男だと思ったのではないか。

その後、日本はサンフランシスコ講和条約に署名し、日米安保条約を結んだ。日本は一応独立を回復し、アメリカに基地を提供したが、アメリカは日本防衛の義務を負うわけでもないのに、日本国内で発生した紛争には米軍の出動が許されていた。まるで植民地のような取り決めで、安保条約改定は焦眉の急だった。

吉田内閣の後に誕生した鳩山一郎内閣は、55年8月、外相、重光葵を訪米させた。重光がダレスに改定問題を持ち出すと、ダレスは「かんで吐き出すような口調で」「日本にそんな力があるかね」と「一議にも及ばず拒否した」(『岸信介回顧録』廣済堂)という。

鳩山内閣は2年で退陣し、岸信介が首相となる。岸の訪米は57年6月、アイゼンハワー大統領と初めて顔を合わせた。このときアイクは、大使館に戻る岸を自分の車で送るという破格のもてなしをした。

翌日の正式な首脳会談で岸が安保改定を申し入れると、ダレスは2年前とは打って変わって承諾、日米安保委員会の設置を提案した。8月初旬に委員会は発足し、約3年後、日米安保改定が実現した。

なぜ岸の申し入れは受け入れられたのか。岸が自主独立の気概と行動を示したからであろう。岸には2つの考えがあった。条約を根本的に改定する方法と、条約には手をつけず、交換文書で事実上の改定を相互に了承する方法である。

前者は両国の国会、議会の承認が必要だが、後者ならその必要はない。いわば「イージー・ウェー」だ。

原理原則は国益

岸は、たとえ困難でも日米両国民は安保条約の意義を充分に考えた上で改定する必要があり、日本は独立国として日本民族自らが日本を守るという本当の自衛精神を確立すべきだと考えたと語っている。

岸がアメリカに提唱した「日米新時代」は日米の対等を前提にしており、岸は日本が国力に相応しい自衛力を整える国防計画も定めていた。

こう考え行動した岸を、アイゼンハワーもダレスも信頼した。岸の描く日本国の形はアメリカの国益に合致すると彼らは判断したはずだ。

国家の行動の原理原則は国益である。岸の目指したのはまず日本の国益だったが、それは価値観を共有するアメリカの国益にもかなう。だからこそ受け入れられた。自主独立を目指し、より困難な道を選んだ岸に、アメリカ側は敬意を表するのを惜しまなかった。

いま日本が目指すべきは、岸のように、勇気をもって日米両国の国益に資する政策、戦略を実現することである。一言でいえば、全ての面における日米関係の強化である。

経済では環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の合意が最優先だ。アシュトン・カーター国防長官は「TPP合意はアメリカの輸出を1250億ドル(15兆円)分押し上げる」「米国がアジア太平洋地域への関与を続けていくことを強調し、米国の国益や価値を反映した国際秩序の推進に役立つ」として、TPPの合意は「空母1隻と同じ位重要だ」と語っている。

TPPは経済を超えて加盟国の価値観にまで影響を及ぼす。入りたくても入れず、アジアインフラ投資銀行の創設で世界を中国式金融で席巻しようと試みる中国の前で、日米が協力して世界モデルとしてのTPPを実現すべきだと、安倍首相はアメリカを叱咤激励するのがよい。

もうひとつは軍事である。アメリカが内向きになって生じた空白を日本が埋めていく前向きの気持と、憲法改正の困難な課題に取り組む心意気を伝えることだ。

歴史の反省は、戦後70年の日本の平和の歩みに反映されている。その上に立って日本の新たな平和への貢献を約束し、歴史を乗り越えるのがよい。

『週刊新潮』 2015年4月23日号 日本ルネッサンス 第652号

◆長沙に世界一の高層ビルは夢幻に

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)4月28日(火曜日)通算第4529号 > 

 〜長沙に世界一の高層ビル(838m)は夢幻に終わった
  とうとう「予定通り」遠大集団は宣伝効果あったと建築を中止〜

長沙の手前まで日本軍が進撃したとき蒋介石は長砂を焦土と化し、これを「日本軍がやったこと」と宣伝しながら重慶へ逃げた。長砂は焼け野原となった。

嘘はすぐにばれた。その前にも花園堤防を切って「日本の空爆による」と逆宣伝したが、大洪水の救援をしたのが日本軍だったことはすぐに知られるところとなった。堤防の決壊による洪水で、下流域の農民など80万人から100万人が死んだ。

蒋介石の逃避行は上海から南京、武漢、長沙、そして重慶。もっとも毛沢東はもっと遠くに「遠征」し、早々と陝西省の延安までにげて三年間、洞窟に隠れ住んだ。

その共産党が、「抗日戦争勝利70年」とかの軍事パレートを行うというのは噴飯ものであり、おこがましいのである。図々しいにも程がある。

長砂は湖南省の省都。この地域からは毛沢東、劉少奇、秋勤、そして朱容基ら、暴れん坊で性格や大胆、野卑な人間を産む土地である。

さて、この長沙に世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリファ」(ドバイに聳え、828メートル)を10メートル越える838メートルの「天空城」を造ろうと宣言したのは、遠大集団。CEOは張跳。総工費90億元(邦貨換算1800億円)。

複合ビルとし、中学、高校、託児所、老人ホームも入れて、四千世帯、三万人が暮らす空中都市とする。なかには有機栽培の農園もつくると言った。

「中国の夢」を語ったのだ。

しかも3年か、4年かかる工事を7ヶ月でやってのけると豪語した。

壮大な都市計画はマグニチュード9の地震にも耐えられ、風力も問題はなく、急速エレベータを工事する。安全に問題はない、と遠大集団は主張していたが、中国の建築専門家、天気予報士、地質学者らから疑問の声が渦巻いていた。


▼当局は、予想されたように計画に許可を与えなかった

「長沙当局は結局、安全性が保証されないとして建築許可を発行しないことを正式に決めた」(サウスチャイナ・モーニングポスト、4月27日)。

張跳はしょげもせず、替わりに遠大集団は「19日間に57階建ての小天城」を建築した。これはあらかじめ鉄筋を組み立てて、移動据え付け工法によるもので、ともかく最速記録を打ち立てた。

ボーアオ会議に張跳・社長が出席し、「まだあきらめたわけではない」と強気の姿勢を見せた。

しかし、この社長、中国で初めて自家用飛行機を所有したことでも知られる売名家で、もともとこの838メートルの高層ビルはアナウンス効果の売名を狙ってのではないかという観測もしきりである。
  

◆韓国の不都合な真実 

平井 修一


中央日報日本語版4/26「ベトナムから韓国に来た2人」はずいぶん生々しい記者の実体験が書かれている。

<長い時間が過ぎても忘れられないことがある。何十年が流れてもきのうのことのようで、消したくても消せない傷のようなものだ。ベトナム戦争も筆者にはそうした記憶のひとつだ。

1992年12月22日、韓国とベトナムが修交した。当時の李相玉外務部長官はハノイで修交声明に署名した。筆者は李長官に同行していた。

最大の関心は過去史だった。出入り記者は多くの討論をした。韓国としては初めて海外に軍隊を送って戦った国だ。修交する前にどうにか過去史を整理しなければなければならないと考えた。

しかし李相玉長官の発言は意外に簡単だった。「一時的に不幸だった時期があったことを遺憾に考え、未来指向的へと発展させる必要があります」

その前の88年ソウル五輪の時だ。ベトナム戦争後に政府要人が初めて選手団長として訪韓した。レ・ブ団長は韓国軍と戦った経験もあると話した。彼は記者会見で「そうした過去史を持つ韓国を訪問した気持ちはどうか」と尋ねられると、「昔の話は伏せておきましょう」と話した。

私たちはだれが間違っていたのかもわからない表現で「遺憾」を示し、ベトナムは「伏せておこう」としてやり過ごしたのだ。

このように「昔の話」に関心を持ったのは大学生時代のある記憶のためだ。維新末期の学生たちは軍事訓練を受けた。大学1年生の時には訓練所に入り1週間集中訓練を受けた。

筆者が訓練を受けたある日、文武台野外訓練場に大佐、中佐らが数人訪ねてきた。大学生に精神教育をするということだ。私たちの小隊前に立ったある大佐は自身のベトナム参戦経験を聞かせた。内容はこうだ。

ベトナムにいた彼の部隊が作戦に投入された。移動に先立ち偵察兵を送った。ところがベトコンの襲撃を受け全員死んだ。山のふもとの村に隠れているベトコンの仕業だと確信した。

村を訪ね村長にベトコンを出せと要求した。知らないと言った。きょう中に差し出さなければ全員殺してしまうと脅迫した。それでも言うことを聞かなかった。砲兵部隊に支援を要請した。村の座標を知らせた。敵軍が防御線を張っており前進できないので砲射撃で支援してほしいと言った。村は火の海になった。ひとりも生き残ることができなかった。

大学1年生としては耐えがたかった。40年近く過去の彼の声はまだ生々しい。彼の推測通りその村にベトコンがいたかもしれない。だが、高齢者と婦女子に子どもたちもいたのではないのか。偵察兵が襲われた報復を関係ない民間人にしたわけだ。

最も驚いたのはそれを武勇談でも話すように若い大学生に話したという事実だ。誇らしい大韓民国陸軍の大佐の階級章を付けて。若い大学生が「勇敢な国軍」と尊敬することを期待したのだろうか。軍人は恐いのでふざけるなと脅しをかけたのか。その将校の精神は完全だったのかいまでも疑わしい。

その前にもベトナムの残忍な戦争話を聞いたことはある。しかし「ベトナム帰りの勇敢なキム兵長」のほら話程度として聞いた。エリート将校が大学生に自慢するとは本当に想像もできなかった。その衝撃はいまだに岩のように胸を押さえ付ける。

その後韓国軍のベトナム民間人虐殺に関する報道がたくさん出てきた。個人的な証言や本も出された。しかし政府レベルの公式な調査や発表はない。米国と違いまだけりがついていないのだ。

98年に当時の金大中大統領がベトナムを訪問し、韓国の大統領としては初めて過去史に言及した。しかし表現は不明瞭だった。

「冷戦という世界史の流れの中で両国が不幸を体験した時期があったことを遺憾に思う」

だれがなにを誤ったという話なのかあいまいだ。これに対しベトナムのチャン・ドク・ルオン主席は「過去は後回しにしよう」と述べた。理解したりなかったことにしようとは話さなかった。謝罪は真心と誠意を込めてこそ意味がある。日本を相手にする私たちが最もよく知らないのか。

今月初めにベトナム戦韓国軍の民間人虐殺現場で生き残ったベトナム人2人が訪韓した。彼らは「民間人虐殺の過ちを認め、多くの人たちに真実を知らせる努力をしてほしい」と求めた。しかし一部参戦軍人は名誉を傷つけると憤慨した。

派兵された多くの軍人はこうした戦争犯罪と関係がないと信じる。一部の逸脱だとして隠し埋没させておくべきか。軍での暴力事件や防衛産業不正のようにむしろ明らかにして正していくことが軍の名誉を守る道だ。過去に対して正直でなくてはベトナムの人たちとも心から友人になることはできない>(以上)

韓国人はこの記事をどう読むのだろう。不都合な真実だから無視するのだろうか。本当のところはどうだったのだろうと調べないのだろうか。都合の良いように、こうあってほしいと思うように捏造するのだろうか・・・

狂気的なほど異常に歪んだ心を正さないと、韓国は永遠に国際社会で敬意を表されることはないだろう。自業自得だが、まったく気の毒な民族である。(2015/4/27)

         

◆古稀からどう生きるのか

馬場 伯明



2014年末に古稀(70歳)になった。杜甫の「曲江」には「人生七十古来稀」とあるが、現代の古稀は人生の単なる通過点である。でも、法的には前期高齢者に仕訳けされてしまった。では、今後どう生きるのか。

2014年の秋は古稀記念の会のラッシュだった。9/19〜20は長崎県雲仙市南串中学校古稀記念同級生会に帰省した。雲仙国立公園・諏訪の池「休暇村『雲仙』」に55人が集合した。50年ぶりに会った友もいた。

10/23〜24は大学の教養部のクラスの会が京都の亀岡市で開催された。保津川下りの船で紅葉を愛でたらしい。「・・・らしい」と言うのは、私は親戚に不幸があり長崎へ帰省しドタキャンしたからだ。

11/19〜20は長崎県立口加高校の3年のクラス会だった。大所帯の3年のクラス56人も男女各6人が死に44人になってしまった。死者が少し多過ぎる。11/19全国から29人が島原半島の雲仙市小浜町の伊勢屋旅館に宿泊し積もる話に花が咲いた。私たちの絆は固い。

前回、冒頭の会長挨拶で私が「今日は病気自慢と子供(孫)自慢はやめよう」と言ったら「それじゃ、話すことがない」とブーイング。病気自慢(体験談)や健康食品・サプリメントに詳しい「素人博士」が続々と・・・。今回は「もう、何でも自慢してくれ!」と話した。

前日11/18私を含む男女有志11人は長崎市内で前夜祭をした。観光・飲食・2次会(銅座のスナック)。本番翌日の11/20にも三々五々で行動した。私は世界文化遺産候補の原城・日野江城跡を数人で巡った。

11/30には前の勤務先関連の有志が都内で一杯やった。各種の古稀記念の儀式がすべて終了し、これで本物の「爺(じ)さま」になってしまった。そう思ったとたんに、何かふっと気が抜けた。それでも、自分はまだ元気(なつもり)だから戸惑いと違和感がある。

ボケずに長生きした父(94歳)と母(93歳)から強い身体を受け継ぎ、物心がついて以来入院したことはない。薬は今も何も飲んでおらず、サプリメントや「健康」食品等も摂取していない。177cm、80kgで少し太めのBMI=25.5。それ以外は健康診断の数値はオールA。胃・腸・肺などの画像検診結果も正常である。飲酒は年365日やっている。

今後どう生きるのか。古稀の今、人生の重大な目標も切迫した課題もとくにはない。ただ、この機会に先輩や友人に、知恵や経験に基づく生き方について学ぶのも悪くない。当面取り組みたいことを記述する。

(1)まず、本誌主宰者。79歳にしてなお健筆を奮い、本誌編集の日々である。私は本を読み文章を書くのは好きな方ではある。まあ、書くと言っても適当な駄文に過ぎないが、こつこつと師の影を追いたい。

(2)ここで公言するのは恥ずかしいが、伴侶に感謝し、大切にしたい。「偕老同穴」という古い言葉を反芻している。また、長崎市在住の姉妹弟らと手を携え長崎の実家を守り一族の繁栄を期そう。

(3)友とは長く親しくありたい。2015/2高校のクラス仲間5人で埼玉県の長瀞渓谷に遊んだ。船の発着場の岸辺から四十数mの対岸の岩壁へ、子供の昔に返り石投げ競争をした。結果、何と4人が届いたのだ。(未達成のS君は再挑戦へ現在練習中)。

夜は創業100年の長生館で牡丹鍋・ヤマメなどの旨い懐石料理をいただき、ビール、吟醸酒、ワイン、焼酎などを大いに飲み、深夜まで語り合った。友は宝である。
  
(4)生まれ育った長崎県・島原半島・南串山町を大事にする。金澤秀三郎雲仙市長から「ふるさと大使」を委嘱されている。関東地方での長崎県関連の組織の活動にも引き続き積極的に参加し奉仕していきたい。

(5)ゴルフは続けたい。こだわるのはスコアではなくドライバーの飛距離である。高校の2年後輩の福田健蔵君は、163cm・58kgと大柄ではないが64歳のとき全国ドラコンシニア公式大会で314ヤード(!)を記録した。今70歳時点での驚愕の350ヤードをめざし鍛練中である。

福田君のDrを2本借りている。ロフト角7.5〜9度、シャフトは長さ48インチ・硬度XX(ダブルX)の化け物クラブだ。ラウンドで使い飛距離を伸ばした。2015/3/29長崎県の愛野CCでのコンペの14番H(553yパー5)。打ち下ろしで順風ながら290ヤードでドラコン賞を得た。

(6)来月から水泳教室だ。浮く技術は故郷の海で覚えた。今後は美しいフォームで泳ぎたい。水泳は柔軟な筋肉と適正なBMIの維持にもなる。

(7)できれば仕事は続けたい。幸い毎日東京で働いている。今の勤務先には心から感謝している。いい成果を上げなければならない。

(8)自分の終末期の始末については6年前に「リビングウイル」を書いた(2009/1/26・1429号)。その要点は、私が72時間を経てもなお朦朧状態であり自発的な呼吸と意識の回復がないときは、人工呼吸器を外し点滴や栄養補給も止めてくださいという意思(宣言)の伝達(お願い)である。不要な延命治療に未練はない。

高齢化により医療費が増加している。だから、平均寿命と健康寿命の差を縮める施策と努力が必要である。しかし、不必要と思われる胃婁(いろう)の造設や延命治療もある。石飛幸三医師による「平穏死」という贈る言葉は人間の尊厳と人間の一分を私たちに静かに教えてくれる。
     
(9)高齢化よりも少子化の方が重要である。同級生のK君には4人の子供と9人の孫がいる。K君の家族は少子化対策を自然体で実行した。夫婦2人の加入ですぐ試合ができる(笑)。一方、私の既婚の一人娘の子供(私の初孫)は成り行き任せ、どうなるのか・・・。

(10)最後に大きなテーマがある。(老年の)性(SEX)だ。ある友人は「無関心・枯れた」と言うが内心は「まだまだ」のようだ。バイちゃん(ED治療薬:Viagra)を懐に常携しているらしい。

作家の渡辺淳一(2014年80歳で逝去)は「愛ふたたび(2013)」で高齢者世代の恋愛観と人生観が滲み出た情況を丁寧に描いた。そして、自らの性と生命を悠然と全うした(と私は推測したい)。

大学の後輩R君(63歳)は昨年初、末期癌で余命数か月と宣告されたがまだ生きている。先月冷静沈着な長い電話を受けた。「可能な治療はする」と決めすでに1000万円を消費したという。自由診療の免疫療法、ビタミンC点滴、それに温泉療法などだ。遺言も書いたという。

R君の次の決断と実行には驚いた。「じつは今ソープに通っている」。ソープとは石鹸(soap)の泡を塗るのではなく買春(売春)のこと。「触法の判定は死後にどうぞ(笑)」「生きる気力が湧き病気が回復している(気がする)」と明るい。この達観と卓見!参考にしたい。
《R君の項は事実だが個人の特定を避けるために表現を工夫した》。

さて「古稀からどう生きるのか」と自問しても何の回答も得られない。

ペルシャの数学者・天文学者・詩人のウマル・ハイヤーム(1048〜1131)の四行詩「ルバーイヤート」には深い無常観が流れている。一部を引用する(「一日一言」桑原武夫編・岩波新書より)
  
若い時には わしもまじめに 
博士や聖者の所に よくいったものさ
あれやこれやの大げさな議論
だが、いつでも 入ったと同じ戸口から出てきた

かれらとともに、わしも知恵の種をまいた
自分の手を使って育てようともした
収穫といえば たったこれだけ
「わしは、水のように流れてきた。風のように吹きすぎて行く」

だれのどんな人生にも「明日は明日の風が吹く」ことがある。私たちは今日が辛くても、明日を信じ、今日をぽつぽつ生き抜いて・・・、流れ流れて消えて行く。

では、古稀を通過したその果ての・・私の臨終はどうなるのであろう。

ドイツの文豪ゲーテ(Goethe)は「もっと光を!」と言ったらしい。おそらく、私は、苦し紛れに「ううっ!・・もっと飛距離を!」と呻(うめ)くだろう(笑)
(2015/4/28 千葉市在住)

2015年04月28日

◆中国の蛮行、後手に回り続ける米国

櫻井よしこ


アメリカのシンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)のホームページに掲載されている何十枚もの航空写真ほど、中国の本音が透けて見えるものはない。

南シナ海で猛烈な埋め立て工事を進めている中国の蛮行振りは、言葉では中々伝わりづらい。しかし、鮮やかな一群の写真を通して東南アジア諸国だけでなく、日本もインドもオーストラリアも、さらにはアメリカも深い痛手を負うことになりかねない危機的な状況が、実感として伝わってくる。
 
ひと月ほど前の3月19日、ジョン・マケイン上院軍事委員長、ボブ・コーカー上院外交委員長などアメリカの有力上院議員4氏が連名で国務、国防両長官宛に出した書簡には切迫感が溢れていた。

南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島で、中国が「侵略的(aggressive)行動を続けており、アメリカと同盟国は「深刻な危機に直面している」という内容である。
 
南シナ海で、中国は周辺諸国の抗議を無視して島々の埋め立てペースを加速中だ。過去1年間で、ガベン礁に11万4000平方・の新たな土地を創り、満潮時には水没していたジョンソン南礁を10万平方・の広い島にした。ファイアリー・クロス礁を昨年8月の11倍の広さに拡大した。
 
これら全て、2002年にアメリカと東南アジア諸国連合(ASEAN)が中国と交わした南シナ海の「関係諸国行動宣言」に違反する。南シナ海の現状維持と一方的侵略行為を慎むとの合意にも拘らず、中国は現状を一方的に変え、南シナ海に「質的転換」を生じさせている、というのがマケイン氏らの主張である。
 
このペースで行けば、同海域は中国漁船、中国海警局の公船、人民解放軍(PLA)海軍の軍艦などが常駐し、空軍戦闘機が飛び、それによPLA全体の兵站能力も向上する。力をつけた中国が南シナ海全体に防空識別圏を設定する可能性が高まるとしている。

米行政府の機能停止
 
これまでは開かれた海として、沿岸諸国も、日米をはじめとする如何なる国も、南シナ海を自由に航行していたのが、中国の領有権が島々における軍事基地建設などの形で具現化されれば、南シナ海は閉ざされた海になり、脅威の温床となる。

アメリカは中国の脅迫(coercion) に明確に対処する戦略を国策として打ち出さなければならないと、4人の上院議員らは主張したのだ。
 
アメリカ議会の危機感は強く、すでに昨年11月20日には、とどまるところを知らない中国の軍事力増強に関して民主、共和両党で構成する「米中経済安保調査委員会」が中国軍の増強で、「米国の対中抑止力、とりわけ日本に関する抑止力が低下しつつある」と警告済みだ。

米国がもはや日本を護りきれない可能性を、米議会が超党派で発信したことの意味は深刻だ。
 
危機感は米軍も強く共有するところだ。3月31日、米太平洋艦隊司令官、ハリー・ハリス氏がオーストラリアのキャンベラでこう述べた。

「中国は浚渫船とブルドーザーでこの数か月間に(南シナ海で)万里の長城を砂で築いた」
 
中国はかつて、異民族の侵入を防ぐために万里の長城を築いたが、21世紀のいま、最大のライバルと見做すアメリカが南シナ海、さらにその先の西太平洋にアクセス出来ないように、砂の万里の長城を築いたというのである。
 
現場を知る軍の責任者としての率直な感想は核心を突いており、「砂の万里の長城」発言は世界を駆け巡った。CSISがホームページ上に掲載した一群の写真と共に、中国が「サンゴ礁に土砂を入れコンクリートで固め、すでに4平方キロメートル以上の土地を創り出した」実態は広く世界で共有された。
 
ハリス司令官はこうも語っている。20世紀は陸の世紀だったが、21世紀は海洋の世紀である。海洋の世紀において最も重要なのがアジア太平洋であり、アメリカは太平洋国家として存在し続ける。

オバマ政権の「アジアピボット」(アジアに軸足を置く政策)はまさにその精神を表しているのであり、アメリカ海軍力の6割を2020年までにアジア太平洋海域に配備する計画が、アメリカのコミットメントを示すものだ、と。
 
しかし、いま、アメリカではオバマ大統領とホワイトハウス、つまり行政府が、事実上、機能停止に陥っていると言ってよい。国防総省や太平洋艦隊司令官がどのような危機的情報を大統領に報告しようが、立法府の有力議員らが警告を発しようが、ホワイトハウスが思い切った対中新戦略を打ち出すことはないのではないか。
 
それでも日本の側から見れば、中国の脅威をアメリカがこれまでになく明確に認識し始めたことを実感できる。にも拘らず、オバマ政権は中国に対して軍事的対抗策を打ち出し得ないのと同じく、経済金融面でも後手の対策に終始している。

AIIBを疑うのは当然
 
アジアインフラ投資銀行(AIIB)で、アメリカは「特別な関係」にあった米英の盟友関係に中国が楔を打ち込むことを回避できなかった。14年秋に、日米欧はG7議長国のドイツのショイブレ財務相を中心AIIB加盟を見送る方針で一致していたと見られるが、中国の逆転を許してしまった。
 
イギリスが加盟を表明した3月12日、米財務長官ルー氏はイギリスのオズボーン財務相に電話をかけ、30分にわたって「まくしたてた」そうだが、無論、イギリスの決定は覆らず他の欧州諸国も加盟した。つまり国際金融の分野でも、「質的変化」が起きてしまったのだ。
 
金融における質的変化が具体的にどんな結果を生むのかは予断を許さない。中国はいま、AIIBを世界に通用する金融機関として立ち上げるべく、外部から専門家を招いているが、その成果もこれから判断すべきである。
 
中国共産党一党支配政治の下で、国際社会を納得させられる公正かつ透明な融資や資金運用が可能になるのかと疑うのは当然だ。習近平主席が手掛ける目下、最大の仕事のひとつが腐敗撲滅である。自国のお金の管理ができない党もしくは国が、他国政府から出資金を預かって、公正な運用ができるのだろうか。
 
中国は、現在も続けている力任せの領土領海への「侵略」と異民族への弾圧、自由の規制を、AIIBの盟主としてどう説明できるのか。自由を阻害し、国際法を守らない国が、金融では公正に振る舞うと言うのだろうか。

中国がそうした疑問に答えないいま、日米両国がAIIBに入らなかったのは、正解であろう。日米両国の選択をこれからも正解たらしめるためにも、アジア開発銀行(ADB)や世界銀行の改善が急がれる。

『週刊新潮』 2015年4月30日号日本ルネッサンス 第653号
                      (採録:久保田 康文)