平井 修一
■4月18日(土)。朝は室温19度、快晴、フル散歩。
昨日の午後には25度にもなって、暑いくらいだった。毎日のシャワーが必要になってきた。春子はミニスカでチャラチャラ踊っているが、夏子が出番をうかがっている。その前に洗濯ヂイヂに試練をもたらす梅雨子が舞台を1か月も占領するが・・・
7年間もオキュパイド・ジャパン・・・日米戦争で米国はホロコースト、ジェノサイドで完璧な無差別大量殺人をした。いろいろ是非論はあるが、まあ自国の行為を「そうせざるを得なかった」と肯定するのが健康な国民だから、それはそれでいい。すべての戦争は自衛のため。ま、そういうことだ。プーチンもそう思っている。習近平も同じだ。
戦前、軍部は暴走したのか。居留民保護の緊急性があったから、条約に基づいて駐留していた満洲の関東軍は決起した。中華民国にはまったく治安能力がなかった。決起しなければ張学良軍閥に日本人は殺されていたろう。1日決起が遅れたらそうなったにちがいない。本国の了解を取り付ける時間はない。現場の判断で自衛のために決起した。
あっという間に張学良軍閥を駆逐したから満洲の人々は大喜び。何よりも皆が望んでいるのは「治安」だ。今の中近東と同じ。関東軍はそれをもたらした。張学良軍閥と違って関東軍はミカジメ料をとらない、乱暴しない。大歓迎だ。どこが侵略なのか、暴走、独走なのか。自衛戦争だ。
2発の原爆、激しい空襲による無差別大量殺人。ひどいことをされたのに日本人は米国を憎まない。不思議なほど憎まない。それどころか結構好きだ。なぜだろう。
ゲップが出るほど戦ったから日本は敵国からも敬意を表された。ハル・ノートに従って尻尾を巻いていたら、今の日本はない。誰も日本を尊敬しない。戦いを恐れた臆病な奴ら、とバカにされただろう。
しかし日本人は疲労困憊。もうとにかく終戦でいい。占領されても負けたのだからしょうがない。「勝ち負けは兵家の常」。恨んだり嘆いたところで死者が甦るわけではない。過去を振り返るよりまずは復興、未来を開こう。
まあ、こんな気分だったろう。小生もパクられた時には疲労困憊しており、「ああ、これでマインカンプは終わった」とほっとしたものだ。「お前らのために3人も殺されたのだぞ、この野郎」と護送車の中で警棒で頭を叩かれたが、まあ機動隊はさほど乱暴はしない。米軍も組織的な乱暴狼藉はなかった。
母を看取ってから半年くらいは母がちらついてブルーだった。思い出したくないのだ、あの介護戦争の日々を。辛く、苦しい日々を忘れたい、と。過去を振り返るより、前を向こう、「戦時にあっては敵、平時にあっては友」という思いが終戦後の日本人にはあったろう。
終戦の詔勅から。
<朕は時運のおもむく所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かむと欲す。
信義を世界に失うが如きは、朕もっとも之を戒しむ。
宜しく挙国一家子孫あい伝え、かたく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義をあつくし、志操をかたくし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし>
昭和21/1946年元旦の詔書から。
<朕ハココニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。
スベカラク此ノ御趣旨(五箇条の御誓文)ニノットリ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲチョウタツシ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相ヨリ相タスケ、寛容相許スノ気風ヲ作興(盛んにする)スルニ於テハ、ヨク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。
カクノ如キハ、実ニ我国民ガ、人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲナス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、モッテ此ノ大業ヲ成就センコトヲコイネガフ>
明治帝が断髪されると国民はそれにならった。明治帝が牛肉を召しあがると牛鍋屋があちこちにできた。昭和帝が「総力を将来の建設に傾け」「新日本ヲ建設スベシ」と号令を発されると、一億火の玉となって復興、発展に邁進していった。
一君万民、日本人は天皇の赤子、親の言うことに素直に従う。実に行儀がよい。
米国に対しては複雑な思いを持ちつつも「ゲームオーバー、これからはノーサイド」という空気もあったろう。7年間の言論統制、洗脳も大きく影響したが・・・未だに除染されていないのは残念だがの。
「リンゴの唄」サトウハチロー作詞・万城目正作曲
♪赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空リンゴはなんにも いわないけれど リンゴの気持は よくわかるリンゴ可愛いや可愛いやリンゴ・・・
日本人は心の中では皆泣いていたのだ。やがて――
「青い山脈 」西條八十作詞・服部良一作曲
♪古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く・・・
過去は過去、もういいや、バラ色の未来を目指そう、となった。
近衛兵の父は米軍座間キャンプで職を得た。最初はPX(酒保)でキッチン、後に警備に抜擢され、MP(憲兵)のヘルメットをかぶって酔っぱらって暴れるGI(米兵)を捕縛していた。この際だからと殴っていたのではないか。
自宅とキャンプ座間のフェンスまでは200メートル。蛇の道は蛇、父はGIと結託してフェンス越しにタバコを受け取り密売した。全国でこれは流行した。
ワルはGIに分け前を渡さなかった。したたかというか、恥知らずはいるものである。
父は自宅をガサ入れされたが、運よくばれなかった。皆生きるために必死だった。
2、3歳の小生はGIのジープに向かって「ギブミーチョコレート!」と大声を上げた。「アンタはおねだり上手だったわ、可愛かったし」と中姉が言っていたものだ。チョコとキャンディーとガムで小生は落ちた。
父は米国を嫌っていたが「米国の食糧援助には感謝している」と言っていた。父は米兵の食べ残したものを持ち帰ってきた。小生が結婚したころ父は「お前は米兵の残飯で育った」と言っていた。出自の秘密は「米軍のお菓子プラス残飯」・・・日本人は食い物で手なずけられた面もある。
こんな具合だから60年安保騒動の一瞬は反米が見られたが、大方の日本人は反米になりようがない。日本人のほとんどが親米。反米なんて沖縄にちょろっといるくらいではないか。まったく理想的な占領政策だ。「悪魔的」なほど。
かくしてジャップは鬼畜米英と仲良くなった。ジャップは愛妾、鬼畜は番犬のようでもあるが、まあ持ちつ持たれつ。中共という共通の敵が日米、日豪の結束を促している面もある。まことに「昨日の敵は今日の友」だ。習さま、もっと暴れて! オバマさま、「核ある日本」にしてたもれ。
Mr. President! We are citizens of state of Japan, 51st state ofUS. Please give us nuclear weapons!
■4月19日(日)。朝は室温18.5度、薄曇り、フル散歩。
畑の絹サヤは白い花のと紫のがあり、ともに美しい。来週あたりから収穫できそうだ。薄桃色のシャクヤク、「花の宰相」とか、風格ありていとをかし。原産は支那(宋)のようで、なにやら楊貴妃を思わせる。
今日も集団的子育て。怪獣ギャースカの騒音攻勢に耳栓で耐えるのみ。リベラルというアカの嘘八百に惑わされることなく、子供の躾をきちんとしてほしいものだ。
長女「今日はパパとお風呂に入ってくれる?」
3歳児「いやー、ママがいい」
長女「パパは忙しいから一緒にお風呂に入る機会はないのよ。パパと入って」
3歳児「いやー、ママがいい」
バカな・・・「今日はパパとお風呂に入りなさい」の指導で済むものを、3歳児の許可を親が求めているという、ほとんど暗愚の世界。アカ
(デューイ)の教育を受け、さらに自治労に洗脳されるとこんな風になる。エホバの証人発行「目ざめよ!」4月号から。
<間違ったことを教えている?
以下の場面を想像してみてください。
*あなたは“サッカーママ”です。放課後や週末は,息子や娘を車で送迎し,スケートのレッスン,ピアノのレッスン,サッカーの練習などに連れて回ります。そのようにして,子どもたちをいろいろな活動に目一杯参加させるのです。こう自分に言い聞かせます。
「もうへとへとだわ。でもあの子たちは,わたしが子どもを生きがいと感じていて,子どものためならどんなことでもする,と思ってるし。良い母親であるには必要なことよね」。
考えてみてください】子どもたちは,自分たちに何かをさせるために母親がへとへとになっているのを見て,実際には何を学んでいるのでしょうか。やがて,大人というものは,特に親は,子どもの必要を満たすために存在するのだ,と思うようになるかもしれません。
もっと良い方法】親は親で必要なことがある,ということを子どもたちに学ばせましょう。そうすれば,親や他の人に対する思いやりを持つよう教えることができます。
*あなたは厳しくて批判的な父親に育てられたので,自分はそういう親になるまい,と心に決めています。それで,事あるごとに,2人の息子を褒めます。褒めるに値するようなことは何もしていない時も褒めるのです。
「大切なのは,あの子たちが自分に満足できるようにしてあげることだ。自分は特別な存在だ,と思えるなら,人生で成功するのに必要な自信を持てる」と,あなたはつぶやきます。
考えてみてください】子どもたちは,自分たちを喜ばせるために“意味のない褒め言葉”をかけられることから,実際には何を学んでいるのでしょうか。子どもたちの自尊心ばかり重視するなら,子どもの現在と後の人生にどのような害が及ぶ可能性がありますか。
もっと良い方法】バランスを保ちましょう。子どもに対して批判的になり過ぎてはいけませんが,褒める時は子どもの払った努力を褒めるようにしましょう。
*あなたは,5歳と6歳の娘を持つ母親です。上の子はすぐにかっとなる傾向があります。昨日も,急に怒り出し,妹の腕を殴りました。あなたはその時の自分の対応を思い返します。
「叱らずに言って聞かせることにしたんだけど。でもともかく,『あなたが悪い』なんて言ったら,あの子を傷つけたでしょうから」
考えてみてください】6歳の子には言って聞かせるだけで十分でしょうか。妹をたたくという行為を「悪い」と言うのは,本当に有害なことなのでしょうか。
もっと良い方法】良くないことをしたなら,それに見合った結果を経験させましょう。愛情を込めて与えられる懲らしめは,行動を正すようお子さんを助けるものとなります>(以上)
「愛情を込めて与えられる懲らしめ」が子供を導くのだ。
昔の親は涙を流しながら子を叩いたのである。チヤホヤしたり、我がままやルール違反を見逃していると「人を殺してみたかった」というトンデモ不良少年になる。
アカ仕込みの歪んだチヤホヤ育児が殺人鬼や社会不適合者を産む。長じて彼らは「上からの指示により下は全力で実行する」というルールで動いている社会から当然のことながら排除され、やがては犯罪者や寄生虫に転落する。
エホバの証人はいいことを言うが、人を信じやすい、警戒心が少ないのが難点だ。勧誘に熱心な信者の老婆は「人を殺してみたかった」という少女に殺された。殺して「充実感があった」と少女はうそぶいているとか。性悪説に立って警戒を怠らないことだ。
今朝の産経に門田隆将氏がこう書いている。
<1989年のベルリンの壁崩壊以降、左右の対立は、世界史的にも、また日本でも、とっくに決着がついている。自民党と社会党との左右の対立で始まった「55年体制」の思考からいまだに抜け出すことができないメディアのありさまは“マスコミ55年症候群”とでも呼ぶべきものだろう。だがそんな旧態依然の論調とは無関係に世の中はとっくに違う段階に移っている。
それは、「左右」の対立ではなく、「空想と現実」との対立である。冷戦下、米国の軍事力の傘の下、空想的平和主義を謳歌してきた日本が、中国の膨張主義と軍事的脅威にいや応なく向き合わざるを得ない時代を迎えている。
その現実を前に、「相手に手を出させない」ため、つまり、「平和を守る」ために、さまざまな手を打たなければならなくなった。しかし、左右の対立という単一の視点しか持ちえない朝日は、「日本の右傾化が問題」という論調を今も続けている。
実際には、どうだろうか。左右の対立などではなく、すでに「空想家、夢想家(dreamer)」と、現実を見据えようとする「現実主義者(rearist)」との対立、つまり“DR戦争”とも言うべき時代が来たのではないだろうか。
はからずも、この朝日の「右傾化」の記事の中で、国際政治学者の三浦瑠麗(るり)さんがこう語っている。
「これは中国の軍事的脅威の増大と米国の力の低下という実情にリアルに対応するものと見るべきで、右傾化とまでは言い難いと私は考えます」
それは、簡潔にして実に明快な見解であり、同時に朝日に対する痛烈な皮肉でもある。日本の新聞は、いつまで時代の変化に取り残された“ドリーマー”であり続けるのだろうか>(以上)
エホバの証人もrearistになり、リアリズムで思考、行動しないとこれからも殺されるだろう。「目ざめよ!」「赤ずきんちゃん、気を付けて!」。
山本夏彦翁曰く「人は他者はよく見えるが、自分のことは見えない」。それなら言っても無駄か。洗脳されているからどうしようもないのか。
夕食は8人で手作り春巻と冷凍餃子、サラダなど。春巻は大好評。お土産に持たせた。旨い餌と怖い顔・・・アメとムチ。子育てには必要だ。
■4月20日(月)。朝は室温19.5度、薄曇り、フル散歩。
薄紫の藤の花、清々しくいとをかし。コデマリは賑やかに黄色い花を咲かせている。白、赤、ピンクのツツジも咲き始めた。タンポポは一斉に白い種(綿毛)に変化し始めた。風景は日々変化する。
歴史は多面体のようで、いろいろな角度から観察しないと分からないことが多い。木(ミクロ)を見て、森(マクロ)も見る。そして全体的に「この件はこうだったんだなあ」と一応判断するのだが、新たな史実が発見されたりすると、また見直されたりする。神ならぬ人間がやるのだからなかなか難しいことだ。
今朝の産経「取り戻すべき『歴史認識』の本質」埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏の論考は刺激的だった。
<本来の歴史認識とは、いったいどのようなものなのでしょうか? まず第一に必要とされるのは、歴史を正しく知るのがいかに難しいことであるかを肝に銘ずる、という知的謙虚の姿勢です。
古代ギリシャの歴史家ツキディデスは、紀元前5世紀のペロポネソス戦争を開戦当初から取材調査して『戦史』と題する大部の著作を残し、実証的歴史学の先駆者ともいわれている人ですが、彼がまず第一に強調するのは歴史(ことに戦争の歴史)を調査することの難しさです。彼はその難しさをこんな言い方で語っています。
「個々の事件にさいしてその場にいあわせた者たちは、一つの事件についても、敵味方の感情に支配され、ことの半面しか記憶にとどめないことが多く、そのためにかれらの供述はつねに食いちがいを生じた…」
≪真実究明をいとうなかれ≫
直近の出来事についてすら、正確な検証はかくも難しい。まして過去の出来事の聞き伝えとなると、人々の史実についての無知はさらにひどくなる、と彼は言います。
「大多数の人間は真実を究明するための労をいとい、ありきたりの情報にやすやすと耳をかたむける」
この言葉は、つねに「もっとも明白な事実のみを手掛かりとして」歴史の真実を探求してきた人間だからこそ語りうる切実な警告だといえるでしょう。
本当に「歴史を直視」するには、歴史についての知的謙虚が不可欠です。わが国が率先して本来の正しい歴史認識を取り戻さなければなりません>(以上)
ツキディデスはどんな人なのか。ウィキにはこうある。
<紀元前460年頃 - 紀元前395年。古代アテナイの歴史家。代表作はペロポネソス戦争を実証的な立場から著した『戦史(ペロポネソス戦争の歴史)』である。
トゥキディデスはこの戦争に将軍として一時参加したが、紀元前422年のトラキア・アンフィポリス近郊での失敗により失脚、20年の追放刑に処された。このためスパルタの支配地にも逗留したことがあり、この経験によって双方を客観的に観察することができたとも言える。
なお今もって理由は不明だが、トゥキュディデス『戦史』の記述は紀元前411年の記述で止まった(それ以降も彼は生き続けたので、少なくとも中断は死によるものではない)。
後に哲人ソクラテスの弟子クセノポンが、中断部分から筆を起こし紀元前362年までを記録した『ギリシア史(ヘレニカ)』を著し、ペロポネソス戦争の記録を完成させた。
トゥキディデスは特定の国家を贔屓(ひいき)せず中立的な視点から著述していること、政治家・軍人の演説を随所に挿入し歴史上の人物に直接語らせるという手法を取っており、なかには裏付けがあるとは思えない演説や対話も入っていることが挙げられる>
2500年前から歴史は悩ましいテーマだ。タイムスリップできるわけではないし、支那のように歴史を都合よく改竄することもある。中共は「近現代史の解釈権は中共のみにある」というから、「歴史の真実」から程遠い。
<「正史」とは、東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂された王朝の歴史書のことである。中国の「二十四史」が代表的なものとしてあげられる。
正史は、その名から「正しい歴史」の略と考えられることがあるが、実際には事実と異なることも記載されている。理由は、正史とは一つの王朝が滅びた後、次代の王朝に仕える人々が著すためである。
現在進行形の王朝は自らに都合のいい事を書くから信用できない、という考え方からこのような方法が取られたわけだが、このせいで最後の君主が実際以上に悪く書かれる傾向にある、といった弊害もある。
また正史をまとめるに当たり、前王朝の史官が残した記録も参考にするので、その時点で既に前王朝にとって都合の悪い所が消されていたり、粉飾されていたりする場合もあり得る。
以上のことから正史とはあくまで「王朝が正当と認めた歴史書」という程の意味であり、信頼性の高い史料であるとは言えるが、歴史事実を引き出すには歴史学の手法にのっとり厳密な史料批判を経て行う必要があることに変わりはない>(ウィキ)
プロパガンダ戦においては「論より証拠」ではなくて「証拠より論」、大声で論ずる方が勝つ。「歴史の真実」なんてどうでもいいのだ。「馬を川辺に連れて行くことはできるが、水を飲むかどうかは馬次第」。「歴史の真実」を受け付けない国々、人々は多いのだ。
特に独裁国家は正当性を主張するために平気で歴史を捏造する。中韓北には格別の注意が必要だ。(2015/4/20)