2017年03月08日

◆「措置入院」精神病棟の日々(13)

“シーチン”修一 2.0



「腰」。肉月に要、体でとても大事なところという意味だろうが、ここ数
日、腰痛で立っていても座っていても不快で、キーボードを打つのもシン
ドイ。すぐに疲れる。Mr.お達者クラブのような元気な老人もいて、「あ
あ、老化はなんと個体差が大きいのだろう、70過ぎで山で遭難する人もい
る、子供をなす上原謙みたいな人もいる、すごいなあ」と感動したり呆然
としたりする。

晩秋の病棟日記から。

【2016/11/12】入院以来、下痢が続いて困惑していたが、原因は牛乳だっ
た。病棟ではしょっちゅう牛乳が出る。小生は2003年に胃を切り取ってか
ら牛乳を飲むと下痢をしたので、家ではほとんど飲まなかったし、乳製品
はまずダメ。それが常態化していたのですっかり忘れてしまい、病棟では
飲食していたからひどい目に遭ったわけだ。

ナースにその旨を伝えて乳製品に代わるものを用意してもらうことになっ
た。メデタシメデタシ。

暇つぶしでベランダで柔軟体操をしながら庭の喫煙所を観察すると、2F病
棟の40人(男10人、女30人)中、喫煙率は男30%、女17%。ところがJTや
厚生労働省の調査では、男30.1%、女7.9%で、業界人は「女の喫煙率は
体感や実態よりもずいぶん低いのではないか、信用できない」と以前から
疑問視していた。なぜそうなるのか・・・

アンケートで「吸うか吸わないか」の設問に、女は「1日にピアニシモ3本
だし、そのうち禁煙するから“吸わない”にしておこう」となるのではない
か。女は「失礼ね、私はウンチなんかしたことありません」と言いそうで
ある。(そう言えば入院中の“士族のお嬢様”を誇りにしていた母は排便は
1か月に一度ほどだそうで、病院中の話題になっていたっけ)

精神病患者の中には「私は病気ではない」と服薬しない(で捨てる)人が
珍しくないため、服薬は毎回、ナースステーションでしっかり監視されな
がらする。カウンター前に行列し、自分の番が来ると「修一です、飲みま
す!」と宣言し、ナースが薬をチェックして「はい、どうぞ」と許可を得
てから飲まないと叱られる。

カウンターは3人が同時に使え、左端から飲み終えると去るから、2人は左
に寄り次の人のスペースを作る。そうしないと40人が飲み終えるまでに時
間がかかり過ぎてしまうからだ。一種の“トヨタ流カイゼン”で、これをス
ムースにできないと「こいつ、新人か?」「ビョーキじゃないの」などと
病人から白い目で見られるのだ。

行列を乱して割り込む患者もたまにいるが、ナースから厳しく叱られる。
支那系かもしれない。

飲み終えたら「お世話様です」とか「ありがとうございました」と礼をす
る。ナースは「ご苦労様」と患者をねぎらう。日本人は規則や様式美が大
好きだ。茶道ならぬ薬道。社会生活に慣れるという意味もあるかもしれない。

その服薬の際に女の2/3は自己申告で液状便秘薬を各自のコップに別途も
らっている。若い女の子が堂々と「4日間出ていませんから20滴お願いし
ます」などと目の前で言うのを見ると、小生はちょっとたじろぐ。娑婆で
はない光景だ。

女は本音と建前の乖離が結構大きいのではないか。世論調査などでは自動
電話によるRDD調査が増えているが、多分、暇を持て余した老女しか回答
しないだろうし、精度を上げるために一戸一戸、戸別訪問面接しても、昼
間に家にいるのは老女を筆頭に女が多く、男の標本数はどうしても少なく
なってしまう。そのために日本では昔は調査員が数合わせのために標本を
でっちあげることがあったとか。

今は「1標本で○○円の報酬」というのが普通のようで、このために調査員
が本当に面接したかどうかを管理者が電話で確認するそうだ、「アンケー
トにご協力いただき、ありがとうございました」と。「はいはい」なら
OK、「え、なんのこと?」ならアウト。不正が発覚すると、調査員のその
日のギャラはすべてパーになるという。

小生は学生の頃、交通量調査をしたことがあるが、1時間当たり15分調べ
て4倍にして報告するのが先輩から教えられた“伝統的手法”だった。

というわけで戸別面接の調査員は男の標本集めに四苦八苦しているが、こ
れは米国でも同様だろう。政治に絶望していたり、失業して酒やクスリに
逃避している人も少なくないだろうが、多くのプアホワイトは食うために
昼間は留守がちだから、世論調査の網にかからずサイレントマジョリティ
化する。

リベラルの連中はメインストリームしか見ない。ビバリーヒルズの一本裏
道歩けば、そこはゴミだらけ、舗装はボロボロ・・・現実、リアルを見な
い、見えない、見たくないリベラルは大敗北するしかない。

15時に“マスオさん”こと長男来。カミサンが来秋65歳で退職し、多くの時
間を家で過ごすことになるので、次の「退職後のお勧めメニュー」を提案
することになった。

・犬を飼う(保健所からもらう)
・奄美に帰省する(1〜2か月)
・油絵(サークルに入る)
・美術館巡り
・旅行(仲良し4人組で)

彼女の性格は絶対変わらないから小生が耐えるしかない。思っただけで憂
鬱になる。カミサンにオモチャを与えないと、小生がオモチャにされてし
まう。

カミサンは小生の措置入院受け入れを勤め先の病院にも相談したため多く
の職員に事件が知れ渡り、「もう勤めに出たくない」と言っているとか。
辞めるかもしれない。

家を継ぐ意思のない長男は「N(次女、長男にとっては姉)を家に入れれ
ば(カミサンの話し相手になるから)いいんじゃないか」と言うから、
「それは皆で決めてくれ」と言っておいた。

16時、Dr.と面談。先週カミサンはDr.と面談したが、カミサンは自分の言
い分、自分の解釈、つまり「私は正しい、修一が間違っている」と言い
募っていたようだ。

Dr.は多くの医師同様、健康長寿の信奉者である。小生は「生きることは
手段であり、目的ではないよね、長生きして何をしたいの?」という“長
生き懐疑派”である。両者は永遠に分かり合えない。

午後8時になると各自の部屋に戻り、9時には消灯だ(30Wほどの電球が2つ
点いているからちょっと薄暗い程度)。患者の誰一人として仕事と言える
ようなことは何もしていない。ひたすら一日一日を過ごすだけ。

「療養」と言えばもっともらしいが、無為徒食の日々のようである。仕事
がないと人は堕落する、呆ける、粗大ゴミ化する。本人にも周囲にもいい
わけない。(つづく)2017/3/7

2017年03月07日

◆「措置入院」精神病棟の日々(12)

“シーチン”修一 2.0



3/5(日)は子・孫と生田緑地に遊んだ。入院中に一番行きたかったとこ
ろで、2、3年ぶりだった。腰の痛んだ身には坂の上り下りがきつく、体力
の衰えを実感する。岩をも砕くほど元気だったのに今は♪杖を頼り
に・・・、まったく老化は厄介だ。

紅白の梅の下で弁当を楽しみ、亀が2匹、日向ぼっこをしている池のあた
りにはカワセミもいた。その先の芝生の広場には若い人たちが子連れで遊
んでおり、皆、ニコニコし、子供はキャーキャー叫びながら走りまくって
いる。ほとんど天国、桃源郷のようだ。

それを心置きなく楽しめるまで、退院から1か月を要した。

精神病が厄介なのは「完治しないこと」、そして「家族も病むこと」だろ
う。独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターは“アル中界”では有名
だ。サイトから。

<昭和38年に日本で初めてアルコール依存症専門病棟を設立し、現在では
4ヶ病棟でアルコール依存症の治療を行っています。患者様の自主性を尊
重した治療は、“久里浜方式”として全国各地に広がっています。

平成元年にはWHO(世界保健機関)から日本で唯一のアルコール関連問題
の施設として指定されました。

アルコール依存症の他に、うつ病や統合失調症などの精神疾患を対象とし
た入院設備もあり、物忘れ外来などの神経内科や消化器内科にも力を入れ
ています>

小生は1970年代にここの医師であった斎藤学氏の著作「アルコール依存
症」を読んで大いに啓発されたが、「一度アル中、一生アル中」という言
葉はこの本から学んだ。また、どこかの本で「アル中は慢性的な自殺」で
あることも学んだが、斎藤氏によると「アル中患者は家族も病んでいる」
ことが多いようだ。

これはアル中に限らず精神疾患は家族を巻き込みやすいということだろ
う。旦那が普通の病気(がんや心臓病など)の場合、周囲の人は治療は医
者に任せ、心配したり、同情したり、慰めたり、あれこれ世話をするもの
の、基本的に旦那の病気が移ることはないし、病気と闘う主役は旦那本人
である。

ところがアル中など精神病の場合、病気は緩やかに進み、明らかな症状が
見られるまで、つまり発症、発狂するまで、奥さんなど家族は旦那を「お
酒を飲み過ぎよ、せめて夕方からにしたら」とか、「肝臓にはウコンやオ
ルニチンが効くそうだから、このサプリをちゃんと飲むのよ」とか、心配
してあれこれケアする。

旦那も奥さんも病気だという認識が薄く、医者にかかるまでもないだろう
と旦那は思い付きのように節酒を試みたり、奥さんはそれを支えたりする
が、結局は小生のように酒乱となって発狂する、あるいは肝臓を壊す。

そして奥さんは自責の念にかられて精神を病んでいたり、病むケースが多
いと斎藤氏は指摘している。

小生のカミサンの場合、急性期精神病棟の看護師長ということもあって、
「自分はプロなのになぜ修一の病気を見落としてしまったのか、もっと早
くに気づいて、引っ張ってでも病院へ連れていくべきだった、なぜそうし
なかったのか」と自分を責めるのである。

さらに小生が警察に保護され、土曜の夕刻だったこともあって措置入院の
受け入れ先を探すためにあちこちの病院に電話をかけまくり、勤務先の病
院にも電話したため、小生が発狂したことは職場でも皆が知るところとな
り、「私のプライドもずたずたになった」と言っていた。

小生が入院中も退院後もカミサンの様子はおかしかった。心身ともに疲れ
果てている感じで、退院後には小生への対応が晴れたり曇ったりどしゃ降
りだったりと動揺しているようだった。会話が成り立たず、「なにを言っ
ているのか、ボクになにをして欲しいのか、まったく分からない、もう話
しかけないでくれ!」と声を荒げたこともあった。

それから数日してカミサンが書面でこう伝えてきた。

<退院1か月になりました。あなたが台所、リビングで1日を過ごすことを
「(心身が)休めていないのではないか、動き過ぎではないか」と、今ま
での経過もあり思ってしまい、先生(小生の主治医)に言ったところ、先
生から「それは奥さんの不安だ、本人が(休めていないと)そう感じたら
休むはずであり、私があまりいろいろ考えて修一にプレッシャーをかけ、
不満がたまることが怒りになる」と指摘され、確かにそうだなと思いました。

そして、あなたが共用部分にずっといることが、私にとっても気が休まら
ないことであり、目につくあなたに余計なことを言う可能性もあると思
う。それを避けるためにも、退院したら棲み分け用と決めたよね、だから
台所にいる時間を決めてほしい。

私の希望は、午前、午後は時間を決め、夜は9時には自室へ行くようにし
てほしい。できたら煙草も自室で吸ってほしい。

今後、私がリタイアして家にいることが多くなることを思えば、今から実
践していくことはお互いのためだと思う。協力し合っていきましょう。

これは私の希望で、あなたも何かあったら言ってください>

簡単に言えば、家庭内別居するというから退院を了解したのに2階にうろ
うろするな、いらいらする、顔も見たくない、2階に来るな、3階の隔離部
屋にいろ、ということだろう。翌日、小生はこう回答した。

<修一に対する「受容・好感」と「拒否・嫌悪」の気持ちが入れ替わり立
ち替わり起きている感じがする。とても振幅が大きく、「心が揺れ動いて
いる」「不安定」という印象だ。

○○心療内科でカウンセリングを受けてはどうか。もとより原因は修一にあ
り、済まないと思うが、治療を受けてはどうだろう。必要ならボクも同行
するが・・・

どうしても嫌なら、修一は別居してもいいかなとも思う。月水金は自宅、
火木土日は別宅で暮らすとか・・・

子供たちを同行して(小生の病院の)担当医とカウンセラーに相談しては
どうか。ボクは君を愛している>

翌日、仕事から帰ってきたカミサンはなんとなく迷っている感じがした
が、その次の日から小生がびっくりするほど快晴、ご機嫌になった。どう
にか夫婦の危機をイエローカード段階で乗り越えつつあるようだ。最後の
一言が効いたかもしれないが、この機会をしくじればレッドカードにな
る。男は辛いよ、ハラハラドキドキの日々だ。(つづく)2017/3/6

2017年03月04日

◆「措置入院」精神病棟の日々(11)

 
“シーチン”修一 2.0



3/1は、12人きょうだいだった父の一番下の妹、小生の叔母さんを訪ね
た。2月上旬に連れ合いが84歳で亡くなったが、小生は退院直後で調子が
悪いし、カミサンはインフルエンザで4日間寝込むという状態だったので
葬儀に参列できず(次女が代行)、2日、花束を持って線香をあげてきた
のだ。

小生が小さいころ、母が入院中に当時独身だった叔母さんはわが家の家事
をこなしてくれ、その上に小生も体調を崩して入院したから、叔母さんに
はずいぶん世話になったので、せめて仏壇に手を合わせたいと思い続けて
いた。「やるべきことはやらないと」という
焦燥感が募っていた。

大物政治家が以前「長生きしたければ義理を欠け」と言ったそうだが、葬
儀出席は一仕事だ。特に告別式は「お骨上げ」「初7日」まで参加すると
往復を含めてほぼ一日かかってしまうので、真面目に義理を果たしていた
ら命を擦り減らすことは間違いない。

小生は体力が落ちているから、姉3人の葬儀には立ち会えそうもなく、義
理を果たすどころか、多分、小生の方が早く逝きそうで、姉3人を煩わせ
ることになるかもしれない。病棟日記から。

【2016/11/12】外出許可のある人はドアの開閉時間に合わせて1日に10
回、外出できる。1回の時間は15分、30分、40分、70分、90分、180分だ。
病院から徒歩7分でセブンイレブン、30分でクリエイト(ドラッグなど)
があり、多くの患者はそこで買い物をする。女はタバコ、菓子、ティー
バッグ、フリカケなど、男はタバコ、清涼飲料などが多いようである。

外出許可のある人は朝食と昼食の後、庭の喫煙所で「紫煙をくゆらす」
(死語だな)。タバコなしでは生きていけない人々だ。甘味についても、
欲しい気持ちは分かるが、健康管理上どうなのかという感じはする。

「外出先で酒を飲む人もいるんじゃない? 発覚したら追放するの?」と
ナースに聞いたら、「追放はしないけれど外出許可は取り消しになるわね」。

患者のほとんどは職員に対して驚くほど素直である。ギャーギャーやろう
ものなら3Fの拘束地獄行きだからだろう。外出先からレジ袋を持って帰っ
た患者はナースステーションでチェックされる、「危険物はない?」と。

危険物には爪切りや先が丸くなっている小さな鼻毛鋏、ベルト、靴ひもも
含まれるし、治療上の障害となる携帯電話、DVDプレーヤー、ゲーム機、
パソコン、カメラも持ち込み禁止。携帯ラヂオはOKだ。

患者はいろいろで、人間関係が上手く結べない人、子供のような人、知的
障害がある人、パニック症、統合失調症・・・中には「この人、病気な
の?」という患者もいるが、小生のように「人生はバクハツだーっ!」と
いつ発狂するか分からない人もいる。

日本陸軍の基礎を築いたとされるものの人気がなかった山縣有朋(国葬で
も寂しいほどだったという)は一時期「狂介」と名乗っていたが、「狂」
には「理想が高く、どんどん進む」という意味もある(論語「狂者進取」)。

松陰先生は「二十一回猛子」を唱え、「我が名は寅、寅は虎に属す。虎の
特は猛なり」と書いているが、憂国の士として21回命懸けで猛々しく発奮
する、という意味だろう。小生の場合は酒乱で大暴れで、同じような
「狂」ではあるが、月とスッポン、似て非なる狂である。

「狂者進取」の松陰先生、「大虎発狂」の小生・・・どこでボタンを掛け
違えたのか。

母はよく「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成け
り」(上杉鷹山・出羽国米沢藩第9代藩主)と言っていたもので、努力す
れば実るということだろう。宗教家も多分似たようなことを言うようだ
が、国文学者で作家の物集高量(もずめ たかかず)が百歳の頃、小生の
女友達は時々、物集を見舞ったが、「とても意気軒昂、でもおしっこ臭
かった」と言っていた。

この百歳翁・物集とキリスト教神父との対談は面白かった。物集はこう言
うのだ。

「人の運命は運が9割、努力が1割。あんたが砂漠のど真ん中で生まれた
ら、どう努力しても食うだけで精いっぱいだ」

神も仏もありゃあしない、信仰で救われるなんぞ戯言だというわけだ。

一生を牧童で終わる・・・それが幸福か不幸かは本人が判断することだ
が、快適とは程遠い「厳しい暮らし」ではないか。安全、安心、教育、医
療、年金、生活保護・・・すべてない。近代や中世以前の古代の世界だ。

先進国やG20の国々の人々は「贅沢は望まないけれど、そこそこ快適な暮
らし」でないと生きていけない。先人が営々と基盤を造ってきてくれたお
かげである。そういう国で生まれた我々は運が良かったのだ。

ないないづくしの砂漠で生まれた人々が、もし「快適な暮らし」を求める
のであれば「快適な地」へ移住するしかない。中東やアフリカの民にとっ
て、それはEUなのだろう。

「大虎発狂」というボタンの掛け違いは些事だが、天から見離されたよう
なところが生誕地というのは絶望的な不運だろう。「EUへ行って生活保護
をもらおう!」、これからも命懸けの大事、民族大移動が進むのだろう。
そもそもEU自体がボタンの掛け違いのような気がする。(つづく)2017/3/2

2017年03月03日

◆「措置入院」精神病棟の日々(10)

 
“シーチン”修一 2.0



2/28は4週に1回の通院日、カミサンの運転で“古巣”へ連れて行ってもらっ
た。心理面接はいつものカウンセラー、通称“ピーコック”、銀ラメ入りの
派手な青いアイシャドーをしている30代後半の女性だ。

カウンセラーの仕事は患者に話させることで、聞き上手、話させ上手であ
り、「そうよねえ」とか時々合いの手を入れたり、「でもそれは奥様に
とっては疑問かもしれないわね、どう折り合いをつけるか、修一さんはど
うしたらいいと思うの?」とか。

小生から話を引き出し、鏡のように小生を映し出し(精神科医の「きたや
まおさむ」はこれを「リフレクション」=反射、反映と呼んでいた)、小
生に課題を知らしめ、いい方向へと導くのだ。

入院中の心理面接では、患者VS医療者という上下関係があり、話下手の小
生はとても緊張し、「自分は奇人変人ではない、まともな人です」とツジ
ツマを合わせるためオツムをフル回転させていたから、30分の面接の後は
ぐったりしたものだが、今日は初めてのびのびと心境を語れた感じがする。

通称“イチロー”の担当医には、薬と症状について報告し、希望通りにして
もらった。カミサンのアドバイスも受け、特に眠剤は2種類から1種類に
し、抗うつ剤は服薬時間を変えることになり、体のふらつきはかなり落ち
着くに違いない。

先日紹介した電気ショック療法と同様に、薬との相性はあるし、服薬の量
や時間も大きく影響するのだろう。

午後1時に帰宅した際、カーナビが「間もなく目的地周辺です、音声案内
を終わります」と言っていたが、老人になれば「間もなくあの世周辺で
す、音声案内を終わります」ということかと笑ってしまった。静かにあの
世に逝くのはまったく難しい。闘病日記から。

【続2016/11/11】ホールの4人掛けテーブルは男用は3台で、日当たりが一
番いい席は“牢名主”のような風情の通称“ボス”がホール全体とナースス
テーションをウォッチしていた。体重80キロはありそうな偉丈夫で、彼1
人がテーブルを占拠していたのだが、知らぬが仏の小生は畏れ多くも彼の
斜め向かいを自席とした。

“ボス”は40前後だろうが、あちこちの精神病院を渡り歩いてきたような
“風格”があり、またこの世界に通じていたので、子分どもがよく集まって
いた。

(追記:昨日、外来で4週ぶりに“ボス”に出会ったが、あの席は代々引き
継がれているようだ。彼は退院後でも家族と折り合いが悪く、「自室に引
きこもっているから太ってしまった」と言う。ホールのボスも娑婆ではた
だのデブのヒッキー・・・社会復帰は容易ではないだろう)

小生は2F病棟の往復150メートルの廊下を1日8往復しながらストレッチを
したり、相撲の四股踏み、摺り足などをし、一方でホールでは熱心に日記
を書いたり産経をチェックしたり読書をしたりし、ほとんど会話をしない
から「変な人」と見られていたかもしれない。

4人部屋ながら壁とカーテンに包まれた小生の“個室”は6畳間ほどで結構
ゆったりしているのは、多分、患者をリラックスさせるためかも知れな
い。ここでの生活をいかに快適にするか、快適に過ごすか。創意工夫が大
事になる。

ソ連強制収容所での日常を描いた「イワン・デニーソヴィチの一日」の主
人公、通称シューホフは、戸外作業中に拾ったノコギリの破片をこっそり
持ち帰り、切れ味の良いナイフを創った。看守にバレれば重営倉10日間は
確実で、収容所の仲間内でこのナイフは隠語「重営倉10日間」と呼ばれて
いた。

ソ連は独裁国家だから、共産党に敵対する者はおろか沈黙する者まで、つ
まり熱烈に支持する者以外は収容所に送り込んだ。囚人の家族は食品など
の差し入れは許されていたのだが、届くのは家族が送った量の1/4だった
ろう。3/4は収容所の幹部や看守などがピンハネしていたはずだ。

(これを汚職と見るか、役得と見るか。政治体制がどう変わろうが民族性
は不変で、ロシア人だろうが支那人だろうがピンハネやリベートは今でも
役得なのだろう。ロシアは今なおGDPの1/4に当たる規模の地下経済が存在
すると言われている。それがあるからロシア人は生活できるのだそうだ)

さて、実家が裕福な囚人が太いハムを1本受け取る(実家が4本送ったうち
囚人に届くのは1本。これは実家も囚人も承知の上だ。仕送りOKは、囚人
のためではなく支配する側のためなのだ)。

太いハムを受け取るような囚人は元貴族や金持であり、インテリでマナー
も良いからかじったりしない。で、シューホフに「デニーソヴィチ、すま
ないが“重営倉10日間”を貸してください」と借りるのだ。お礼は直径10セ
ンチ、厚さ2センチのハムだったろう。

シューホフはその半分を班長(牢名主)に上納し、班長は他の班員に分け
ただろう。シューホフは、自分だけいい思いをすれば密告でナイフがばれ
てしまうこともあるだろうし、班長を立てることが自分と班を守ることに
もなると承知していたのである。互助会というか支那でいう「幣」だ。

シューホフは知恵を働かせ、リスクをとりながら過酷なサバイバルの10年
を乗り切った。一方、わが同胞は大丈夫なのか。

現在治療を受けている我が国の精神病患者は300万人。別に、治療を終え
たのに引き取り手のない人が30万人おり、病院に滞留、流連している。
300万人中50万人は精神障害者手帳(=生活保護受給特権)を持っている。

作業療法では各種病棟から患者が集まるのだが、「完全に壊れちゃって、
どうにも社会で使えない人」は結構いる。彼らは生活保護(我々の税金)
で守るしかないのだが、病院にとっては「ベッドが空かないから早く引き
取ってくれないかな、でも取りっぱぐれはないし経営上は歓迎だけれ
ど・・・」と、何とも言えない思いをしているそうだ。。(つづく)2017/3/1

◆120年前の悲運の朝鮮人 遺体斬刑

野口 裕之



北朝鮮の金正日総書記(1941〜2011年)の長男・金正男氏がマレーシアの
クアラルンプール国際空港で暗殺されたテロは、120年の時をさかのぼ
り、とある悲運の朝鮮人を現代に蘇らせた。

 ■金玉均(1851〜94年)

異国の地で、回転式拳銃で暗殺された後、胴体を川に棄てられ、首/片
手・片足/残りの手足を、それぞれ自国の別々の地でさらされた。遺体を
斬刑に処すのは朝鮮の伝統だ。

李氏朝鮮(1392〜1910年)末期、王朝内の守旧派にとって、清国からの完
全独立や、大日本帝國が成し遂げた明治維新を範とし朝鮮近代化を目指す
金玉均は、目障りこの上ない存在であった。金玉均は日本の立憲君主制を
お手本としたが、北朝鮮の「世襲制度」を批判した金正男氏と重なる部分
を認める。

金正男氏暗殺以降、安全保障・公安関係者と接触すると、金玉均の話が結
構持ち上がる。古今の朝鮮が墨守する恐怖政治の「国柄」にもがき、祖国
の守旧派ににらまれた末の悲劇…など、「二人の金」の運命を見つめ直す
と、情勢分析の一助になるためだ。

「ひょっとしたら、金正男氏の遺体が北朝鮮に引き取られていたら斬刑に
処され、さらされたのでは」と観測する関係者もいた。しかし、最も注目
すべきは、金玉均暗殺が《明治27,8年戦役=日清戦争/1894〜95年》の導火
線の一つとなった史実。

折しも、韓国は朴槿恵大統領のスキャンダルで、乏しい統治機能が一層低
下している。韓国の政治不安と金正男氏暗殺に、北朝鮮の兄弟国・中国が
どう出るのかも、透明だ。

何より、北朝鮮の核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成を待たず「攻
勢」に移る-そんな観測も出始めた米トランプ政権と、体制引き締めに向
け戦争を辞さない構えをチラつかせ、揚げ句、間合いを間違え戦争に突入
する懸念が排除できない朝鮮労働党の金正恩委員長率いる北朝鮮指導部と
のせめぎ合いの結末が気になる。

本年は、朝鮮戦争(1950年〜)が休戦中に過ぎぬ現実を、近年なかったほ
ど自覚する年になるに違いない。

 ■哀れな「事大主義」外交

金玉均の暗殺は明治27(1894)年3月。日本に亡命中の金玉均は上海にお
びき寄せられ、暗殺された。清国と朝鮮の共同謀略に遭難したのだった。
李氏朝鮮の第26代王・高宗(1852〜1919年)の妃・閔妃(1851〜95年)ら
を“主役”とする、暗殺前後の経緯はこうだ。

【第1幕】閔妃は義父・興宣大院君(1820〜98年)の有した実権を奪う
や、大院君の攘夷政策を一転、開国路線に舵を切り、欧露に先駆けて真っ
先に日本と外交条約を締結。日本は朝鮮を、清国の冊封より独立した、国
家主権を持つ独立国である旨を明記し、軍の近代化に協力した。

【第2幕】結果、新旧2種の軍が並列。そこに旧式軍隊への待遇・給与未
払い問題が絡み、《大院君派》が旧式軍隊を利用、呼応して1882年、大規模
な反乱《壬午事変》を起こす。《閔派》に加え、近代化を果たした日本に学
び、朝鮮を清国より完全独立させ、立憲君主国を目指す《開化派》、さらに
日本人の軍事顧問や外交官らを殺害・駆逐。大院君は復権する。

【第3幕】王宮を脱出した閔妃は、朝鮮駐屯の清国軍を頼る。清国は反乱
鎮圧などを口実に漢城(ソウル)に軍を増派し、反乱を指揮したとして大
院君を清国に幽閉する。閔妃は、清国への依存を深めていく。

日本も日本公使館警備に向け条約を結び、朝鮮に派兵し、日清戦争の火ダ
ネの一つとなる。

【第4幕】開化派は閔妃の清国服属に反発し1884年、クーデター《甲申政
変》を決行する。清国や妻=閔一族に実権を握られていた王・高宗もクーデ
ターを快諾した。

が、閔派の通報を受けた清国が1500名を派兵。高宗の求めで、王宮警護に
就いていた日本公使館警備部隊150名との間で戦闘となる。結局、3日で制
圧される。

【第5幕】甲申政変の失敗で、開化派の指導者・金玉均は、過去の日本滞
在で培った人脈を頼りに、日本に亡命する。慶應義塾の福澤諭吉
(1835〜1901年)や、政治結社・玄洋社の総帥・頭山満(1855〜1945
年)、後の首相・犬養毅(1855〜1932年)ら欧米列強のアジア侵出を憂う
アジア主義者の庇護を受け、再起を期していた。

だが、体制固めを強行する閔派にとっては危険分子で、日本に再三、引渡
しを要求した。

日本政府は日朝間に犯罪人引渡し条約が締結されていない上、政治犯だと
みなして、要求を拒絶した。

【第6幕】朝鮮側は、今も「国技」として伝承される拉致目的で諜者を日
本に潜入させるも失敗。いよいよ、暗殺に舵を切るものの、これもまた失
敗に終わる。

日清間で1885年、日清双方の朝鮮半島撤兵と、やむを得ず再出兵するに当
たっての事前通告義務をうたった《天津条約》を締結する。条約により日本
は、朝鮮の独立を担保しようと考えたのだ。

【第7幕】朝鮮が送り込んだ刺客と、朝鮮と謀議した在日清国公使館の諜
者は、日本国内でジワジワと金玉均に接近。最後は「朝鮮政府の要職に就
かせ、必ずや内政改革を担わせる」と、ニセ条件をぶらさげ、金玉均を清
国上海におびき出した。

日本国内の支援者も罠とみて反対し、金玉均自身も疑ってはいたが「虎穴
に入らずんば虎子を得ず」の意志で上海に赴き、非業の死を遂げた。

【第8幕】暗殺成功に大喜びした清国は、逮捕した朝鮮人刺客と金玉均の
遺体を清国海軍の軍艦で朝鮮に送り届けてしまう。

【第9幕】日本人は金玉均に深く同情した。反面、清国・朝鮮の残虐非道
の手口や公正を欠く処置を大いに非難した。同時に、日本政府の弱腰姿勢
もやり玉に挙げられ、金玉均の遺体引取り運動が起こった。

この時点で既に「屍への惨刑」が予想されていた証左。実際、日本政府も
「屍への惨刑が朝鮮古来の習慣であろうと、国際の信用を著しく損なう」
と申し入れた。ところが、朝鮮側は「古来の刑律」をタテに拒絶する。

【第10幕】日本の申し入れにもかかわらず、金玉均の遺体はバラバラに寸
断された。首と四肢は獄門台にさらされ、胴体は漢江に棄てられた。その
後、冒頭述べた通り、首/片手・片足/残りの手足を、それぞれ別の地域に
送り、さらした。

本人だけでなく、家族・親族・友人まで罰せられた。

【終幕】金玉均の遺髪や衣服の一部は密かに日本に持ち込まれ、東京・浅
草の寺で営まれた葬儀では、多くの政治家や一般国民が手を合わせた。か
くして、日本国内では《清朝同罪論》が熱を帯び、「清国と朝鮮を討伐せ
よ」といった世論が盛り上がった。

ただし、金玉均の暗殺→遺体への斬刑だけで、激高するほど日本国民は
「朝鮮的」ではない。《長崎事件》など、清国とその子分・朝鮮の相次ぐ傲
岸無礼に対し、堪忍袋の緒が切れたのだった。長崎事件は、清国なる大国
の正体をよく表している。

明治19(1886)年、清国海軍北洋艦隊の定遠など4隻が修理のため長崎港
に入港した。勝手に上陸した延べ800名の水兵が2日間にわたり、泥酔し、
商店に押し入り金品強奪したり、交番前で放尿したり、婦女子を追いかけ
回す乱暴狼藉の限りを尽くす。鎮圧の官憲と斬り合いになり、清国海軍水
兵の他、日本の官憲や一般市民を含む大勢の死傷者を出した。けれども、
軍事力で圧倒する清国は謝罪をせず、居丈高な態度を改めなかった。

無論のこと、長崎事件に対する世論の怒りだけでも日清戦争には至らない。

そもそも日清戦争前夜、清国から日本列島南部に、匕首を突き付けるよう
に伸びる朝鮮半島は、わが国の生命線であった。日本の安全と朝鮮半島の
安定は同義といってよい。

清国はロシアがアジア進出を狙うシベリア鉄道建設に脅え、朝鮮へのさら
なる影響力を確保せんと考えた。日本も同じく、ロシアが朝鮮→日本と侵
出してくる事態を国家存亡の危機と認識していた。最悪の場合、清国と戦
端を開いても、朝鮮半島の安定=緩衝帯を構築する覚悟が国家戦略となっ
たのである。

かくなる緊張下、役人の汚職や増税に怒る農民が新宗教と結び付いて1894
年《甲午農民戦争》を起こす(大院君の陰謀説アリ)。一揆は朝鮮軍を撃破
し続け、閔派はまたも清国に援兵を求める。当然、天津条約(既述)上の
権利で、日本も出兵を決断。

クーデターで閔派を追放した大院君派は、日本に清国軍掃討を要請し、日
清戦争に突入する。 

振り返れば、わが国は朝鮮を近代化し、清国との主従関係を断ち切らせる
他、国家の存続を図れなかったが、肝腎の朝鮮の腰はまったく定まらな
かった。李氏朝鮮は末期、清国→日本→清国→日本→ロシア→日本→ロシア…
と、内外情勢変化の度に、すがる先をコロコロと変えていった。

《小》が《大》に《事(つか)える》ので《事大主義》と呼ぶ。強国に弱国が服従
する哀れな外交形態だ。

朴槿恵大統領の父、朴正煕元大統領(1917〜79年)は暗殺される前「民族
の悪い遺産」の筆頭に事大主義を挙げ、改革を模索した。皮肉にも、北朝
鮮は「悪い遺産」を嫌悪し自主・自立を意味する《主体思想》を看板に、米
国と対立するのみならず、中国にも反発し始めた。

 ■「2人の金」の相違点と類似点

つまり、金玉均は《事大主義》の、金正男氏は《主体思想》の、正反対の主
義・思想に押し潰された犠牲者といえるだろう。 

他にも相違点はあるが少ない。金玉均が祖国に対するクーデター《甲申政
変》を起こした後、金正男の方は金正恩委員長に反旗を翻すことなく、暗
殺された点ぐらい。むしろ、共通点が多い。

 (1)金玉均の遺体は切断されて、さらされた。一方、金正男氏も闇か
ら闇ではなく、ビデオカメラだらけの国際空港という、メディア映像が世
界中に拡散しやすい“舞台”が選ばれた。共に国内外の反体制派・不穏分
子・亡命者ばかりか、軍人・官僚・外交官への「見せしめ」目的を強く感
じる。

駐マレーシアの北朝鮮大使は「遺体の返還」を連呼したが、安全保障・公
安関係者の間で、「金正男氏の遺体の斬刑」可能性が流れるのには、理由
がある。

北朝鮮の初代最高指導者・金日成(1912〜94年)の娘=金正日の妹を妻と
し、甥・金正恩委員長の後見人的存在で実質的ナンバー2だった張成沢
(1946〜2013年)の最期。張は、やはり甥の金正男氏をわが子のように溺
愛し、2012年、中国の胡錦濤国家主席(当時)に面会した際、金正恩委員
長を排して金正男氏を北朝鮮の最高指導者にすえる提案をした、ともされる。

《金正恩委員長の逆鱗に触れた張は、自分の部下が処刑される残虐シーン
に立ち会わされ、自身は数百発の機銃掃射でハチの巣に。遺体は金正恩委
員長の「地球上から痕跡をなくせ」という命令で火炎放射器で焼かれた…》

張への惨刑は産経新聞の《秘録金正日》で、龍谷大学の李相哲教授が明らか
にするなど、複数のメディアが報じた。「屍への惨刑」は北朝鮮で、今も
続いているのだ。

(2)金玉均の遺体斬刑は「国際の信用を著しく損なう」と、日本は朝鮮
に忠告したが、朝鮮側は聞き入れなかった。現代のまともな国において
は、毒殺すら有り得ない。しかも、兄殺しとあっては、国際的イメージを
極度に低下させる。国際的イメージに関して、朝鮮も金正恩指導部も理解
不能なほど鈍感ではあるが、孤立を自覚できぬあたりもソックリ。死守す
べき対象の前にあっては、死に物狂いになる。

(3)金玉均は日本による、金正男氏も中国による身辺警備や庇護を受け
ていた。日本国内での金玉均暗殺は失敗ばかり。拉致・暗殺には場所的制
約が伴う。本妻の居る北京や愛人を囲うマカオなどは、金正男氏の生活・
ビジネス拠点だった。だが、「兄弟国」たる中国の主権の及ぶ場所では、
さすがに金正恩指導部も金男氏暗殺を躊躇した。

他方、中国が北朝鮮と水面下で何らかの取引をし、見返りに身辺警護をは
ずして金正男氏を北に売った、とする見方がある。暗殺が「中朝合作」と
すれば、朝鮮が清国
と共謀して金玉均を消し去った後、日本で沸き起こった「清朝同罪論」が
頭をかすめ
る。 

 (4)金日成直系の金正男氏。子息の金ハンソル氏も北朝鮮の“統治継承
権”を有
する。従って、金ハンソル氏を筆頭標的に、金正恩委員長が「正男氏の
血」を根絶す
る恐れは否定できない。金玉均の時代は既述した通り、家族・親族・友人
まで刑に処
された。北朝鮮でも同種の「連座制」が適用されている。      

      ◇       

 朝鮮半島に在った最後の統一国家・李氏朝鮮は腐敗と恐怖政治と事大主
義で滅ん
だ。北朝鮮は恐怖政治と主体思想で自滅するのだろうか。そして、韓国も
腐敗と事大
主義で。…


産経ニュース【野口裕之の軍事情勢】金正男氏の暗殺で蘇るが日清戦争の
導火線となった歴史は繰り返すのか 2017.2.27

野口裕之の軍事情勢

(提供:松本市 久保田 康文)


2017年03月02日

◆CNNと朝日新聞

大江 洋三



合衆国新大統領が、当選直後に公開で「嘘つきCNN」と罵ったのが印象
的であった。

あの時は、朝日新聞を思い出していた。

朝日新聞・第三者検証委員会に拠ると、朝日大阪本社は、韓国の挺身隊問
題対策協議会、韓国系キリスト教団体とズブズブの関係であった。先陣を
切った記者はいずれも韓国留学組である。

検証委員の岡本行夫氏曰く「権力の監視は結構だが、やり過ぎると国益を
損なう」

全国ネットのCNNが朝日と同じ事をやらかした可能性は大いにある。な
ぜなら、全国という不特定多数を視聴者にする場合、視聴者稼ぎで底辺ま
で拡大しようとして陥る罠である。

加瀬英明氏曰く「朝日はポルノ」

CNNは、視聴者稼ぎで新興移民社会とズブズブの関係にある可能性は高い。

CNNをはじめ、ニューヨークタイムズなどリベラルは保守・共和党批判
で飯を食べているというから、日本の保守・自民党と朝日新聞の関係によ
く似ている。

取材経費の問題から、日本のメディアの米国情報はCNN日報頼りになっ
ているという。どうりで各局とも似たようなトランプ批判をするはずだ。
読売新聞が伝えるロス・タイムス発では、不法移民は1100万人にのぼる。
日本の人口比に直すと約350万人、国土の大きだで割り引いても12〜14万人。

法務省によると、わが国の不法残留者は約6万3千人。実質、日本の倍に
相当するのがアメリカの不法移民者数。

普通のアメリカ人なら、何とかしたいと望むであろう。

入国制限を特定7ケ国に絞ったのは問題だと思われるが、いずれも政情不
安定7ケ国である。イランは、核開発を廻って長年揉めているから加えた
と思われる。

しかし、不安定国から怪しいのが多数紛れ込むと考えるのは当然ではなか
ろうか。CIAもFBIも協力しているはずである。

カタコト英語しか話せない無職が職を求めて、多数来たら困るのはEUを
みても明らかで、治安が悪化するだけ。我が国の刑法犯罪者の殆どが無職
である。

多少のトラブルは続くだろうが、まともなアメリカ人なら不法移民を許容
するはずがないから、トランプ大統領は、それなりの成果を収めると思う。


2017年03月01日

◆2・28事件70周年

Andy Chang



又も2月28日がめぐってきた。今年は228事件の70周年に当たる。
台湾人にとって228事件は忘れてはならない心の傷である。なぜか
と言うと70年経っても解明できない事が多いからである。

真相調査は過去に何度も行われたが、今になっても事件の死者は2
万人から5万人と言われ、さらに12万人と言う調査もある。死者の
数や最高責任者が蒋介石であると言う報告に異議を唱える者も居る。
真相がわからないから台湾人の心の傷は消えない。

70周年を迎えて真相調査の要求が高まり、中華民国国家発展委員会
(國發会)は137万ページの228事件資料を公開すると発表した。
全部の資料をデジタル化し、索引や分析データなども加えて調査の
容易、簡素化を図ると言う。なにしろ厖大な数なので、実際にデジ
タル化した資料を公開するまでに3年かかると言う人も居る。

●調査結果をどうするのか

228事件は中国人による台湾人、特に台湾の指導者層、エリートの
消滅だった。台湾社会はエリートの虐殺で大打撃を蒙った。その上
に蒋介石は事件のあと38年の長きにわたる戒厳令を敷いて台湾人
民を抑圧し続けた。

だからこの事件は民族的浄化(Ethnic cleansing)
とである。それゆえ事件の真相解明のあと、今後の台湾民族の取る
べき道を明らかにしなければならないのである。

事件の責任者が蒋介石であることは明らかなのに、台湾人が政権を
取った今でも在台中国人(外省人)と国民党の妨害で蔡英文政権は
強い態度を取れない。真相解明したあと政府はどう結末をつけるの
か、このような事件が再び起きないようにするにはどうすべきかな
どを政府が示さなければ人民は納得しない。

蔡英文総統は真相の解明のあと「寛容と和解」を示唆したがこれで
は人民が満足しない。民衆は真相解明報告の発表の外、蒋介石の責
任、國民黨の関与と処罰、被害者家族に対する謝罪と補償などの外
に、全台湾に数多くある蒋介石の銅像を撤去し、中正記念館の廃止、
蒋介石と蒋経国の遺骸を保留している慈湖公園の撤去を求めている。

慈湖公園は国有地であり今でも中華民国軍の衛兵が保護している。
蒋介石が台湾人の加害者なら今すぐ撤去すべきである。

●国民党の反対と妨害

事件が起きたとき蒋介石は2個師団の軍隊を派遣して無差別殺戮や
逮捕を行った。その後も中華民国政府は蒋介石を偉大なる指導者と
して各地に蒋介石の銅像を設置し、中正記念公園を作った。

蒋介石は台湾人を虐殺した最高責任者である。それがわかれば蒋介
石を記念する銅像や記念館などは取り除くべきである。

外省人、国民党は蒋介石の責任を認めない。国民党は蒋介石の罪業
が判明すれば国民党が存在できなくなることを怖れている。外省人
は真相解明のあと国外追放されることを怖れている。それだから国
民党が政権を握っていた時代は228事件の資料を国家機密として公
開しなかったのだ。

●事件の真相は異民族の侵略だ

2228事件が起きた直接の原因は警察がタバコ売りの女性を殴打し、
これに抗議した民衆に警察が発砲して人が死んだからである。しか
し本当の原因は台湾人を奴隷視していた中国人に台湾人が抱いてい
た反感である。

中国人にとって台湾とは占領地である。日本がアメリカと戦って負
けたあと、蒋介石がマッカーサー命令で台湾における日本軍の降伏
を受理し、勝手に台湾統治を始めた。中国人は台湾を戦争の結果の
占領地として略奪したので人民の不満と反抗が起きた。228事件と
は侵略と略奪に反対した台湾人を虐殺した事件であった。

つまり2・28事件とは異民族の侵略と略奪に反抗した台湾人の革命で
あった。国民党が事件の真相を隠し、蒋介石を偉大な中華民族の星
と祀り上げる理由は、228事件の真相がわかれば中国人は台湾に居
所を失い、国民党は存在しなくなることを怖れるからである。



        

2017年02月27日

◆古代穀物 ディンケルス/スペルト小麦

永冶ベックマン啓子

南ドイツの現在観光ルートとなるロマンチック街道は、2000年以上の昔
ローマ人がアルプスを越えて北上する以前に中部イタリアに住んでいたエ
トルリア人が,北海の琥珀を求めて旅をしていた南北の通商街道の歴史が
あります。 

もう1つの東西(プラハーパリ)を結ぶニーベルンゲン街道とロマンチッ
ク街道が交わる街がディンケルスビュールという城砦の街、戦争の破壊を
一度も受けて居ない中世の生きた街がなだらかな穀倉丘陵地帯にあり現在
も文化保護財の街として残ります。

17世紀30年宗教戦争の折に子供達が町を守ったという歴史祭が有名です
が、その街は麦の穂3本が街の紋章に使われています。

ドイツ語で、ディンケルスは麦、ビュールは岡、と言う意味があり、昔よ
りディンケルス麦が栽培されていてその収穫地だったわけですが、1万前
からにヨーロッパで栽培されていた事が証明されています。

小麦は中世イタリアなど暖かいところで収穫されていたのが、ベネチア貿
易でドイツにも知られましたが、ディンケルスは天候が寒くて良くないド
イツでも強健な植物でよく育ちます。

ディンケルスは人工的な品種改良がされていなく普通小麦の原種に当たる
古代穀物ですが、現在も昔のまま遺伝子組み換えなし、農薬、化学肥料な
しで栽培されて、英語ではSpelt / スペルト、イタリアではファッロ、
スイスではスペルツと呼ばれてこのパンは大変人気があります。

私がまだ学生の頃、ミュンヘン郊外の町でドイツのパン屋さんの3代目の
後継者で、パンのマイスター学校で勉強をしている人に会いました。

日本人の知人が彼と同じお菓子のマイスター学校で学んでいたかのです
が、そのドイツ人学生は小麦アレルギーが酷く、セリアック病と診断され
職業病だと言いながらとても悩み、腸管の調子が悪いと痩せて不健康な肌
で疲労した青い顔をしていました。

家業のパン作りを真剣に考えたああげく、アレルギーを殆ど出さないディ
ンケルス全穀粒パンやジャガイモパンを考案して焼き、これが今ミュンヘ
ンでも大成功大人気の風味豊かな美味しく健康なブランドパンになってい
ます。

日本のあるパンメーカーの社長さんが、自社でもドイツパンを焼きたいと
のご要望があり彼を紹介しました。日本で1週間社内講習会を開いて指導
してきました。そのパンを私も日本で食べてみましたが、ドイツ人が褒め
る程確かに美味しいドイツパンが日本で焼かれています。

小麦アレルギーの原因は2種類の蛋白質ですが、グルテンとグリアジンで
す。食べ物にトロミを付け、粘着性があり、小麦粉とイーストと混ぜ合わ
すとフワフワに軟らかく膨らみます。 

ディンケルスはグルテンフリーではありませんが少ない為、長年の研究で
は小麦アレルギーの人が食べても85〜90%は発症していません。敏感な方
は、完全にグルテンフリー の製品を選択する事が大切になります。
グルテンとは、ラテン語で“膠”(にかわ)の事で、酵素が十分働かなく消
化器官にダメージを与えてしまいます。

先天性、遺伝性、食事、添加物など原因は複雑ですが、日本ではフワリと
した砂糖入りの菓子パン屋さんが到る所で目に入り、パスタのお店、ピッ
ツアなど、日本人の食生活が随分と変化し、小麦を原料とした食品のお店
が最近あまりにも多のにも驚きます。

本人があまり気がつかないで食べて、原因不明の症状に悩まされ、診断名
もつけられていない人が案外多いのではないかと思えます。

グルテンアレルギーの症状は;慢性の便秘や下痢、脂肪便、腹痛、過敏性
腸症候群、消化管の痛みや不快感、腹部の膨満感、リーキガット症候群、
糖尿病、心臓疾患,発疹、疲労、倦怠感、体重減少、体重増加、子供の成
長障害、子供の肥満、骨そしょう症、貧血、不妊、流産、頭痛、乳糖不耐
症,関節炎、等々です。

そしてブレインフォッグ(思考に霧がかかる)おかしな認知症的な神経症
状(脳の炎症)、さらにグルテンは軟骨を糖化させ、悪いホルモンのレプチ
ンが軟骨を攻撃して関節炎が起きたりします。

蛋白質を遺伝子組み換え(農薬、化学肥料、防腐剤を使用)した小麦がい
かに問題を持つか驚くばかりですが、反対にグルテンフリーの玄米、お米
がいかに素晴らしい食品であるかが見えてきます。
 
日本には問題の小麦粉食品が溢れて消費量が増え、お米の消費量が減少し
ているという事は嘆かわしいことですが、自分や家族を守る賢い食品の真
剣な選択が求められている時代ではないでしょうか?         
                    2,2017  


2017年02月24日

◆「措置入院」精神病棟の日々(8

“シーチン”修一 2.0



3か月の治療を受けて退院するとそこは家事の山だった。退院前のカミサ
ンとの約束は、小生は主が洗濯、従が掃除(整理整頓)、カミサンは主が
料理、従が掃除(掃除機、モップ拭き)だったが、カミサンは小生の入院
中に心身ともに疲れ果てたのだろう、体調を崩して仕事終えて料理をする
どころではなくなったし、風邪と胃痛で4日間も寝込んでしまった。

退院後、小生は“島流し”で3Fの13畳間(元子供部屋)に“矯正隔離”された
のだが、この“座敷牢”の片づけ、掃除、模様替え、2階のWIFIから電波が
届かなかったのでLANケーブルの設置、その他2つの6畳間(小生が永らく
PCで遊んでいた部屋とカミサンの化粧部屋)、8畳間(孫のおもちゃ部
屋)など掃除、キッチン(鍋4つの修理)と雨樋の営繕などなど、解決す
べき家事は大盛コンコンチキ。

さらに小生の誕生祝で8人が集まったので天ぷらを揚げたり、よせばいい
のに毎日散歩までしたから疲労困憊。腰がフラフラだ。

入院前はそれなりに心技体が揃っていて、「シコシコ、シコシコ」「タン
タン、タンタン」とリズム感があったのだが、退院後は心技体がすべて不
調の上に、テンデバラバラという感じである。

オマケに昨年、WIN10にしたことと今回のLANの新設のせいか、PCも風邪を
引いたようでキレがかなり悪くなった。一言で言えば自分もカミサンもPC
も「不安定」で、元の正常(世間的基準で言えば異常か?)には戻ってい
ない。

春一番でガレージ屋根のアクリル板がバタバタいっていたので、まだまだ
やることは多いし、今夜はまた7人の宴会で夕べから準備を始めたが、と
りあえず今朝からPCに向かえるようになった。家事地獄の最悪期は越え
た。講和し、主権回復、「もはや退院後ではない」、まずはめでたし。

「臭くて汚らしい北京に別れを告げて訪れた日本は評判通りに素晴らし
かった」

これ、今の訪日外国人が言っているのではなく、幕末の1856年に日本に
やってきたシュリーマン(藍玉ビジネスで財を成し、トロイア遺跡の発掘
で有名)が160年以上も前に書いていることだ。

今の時期を初春と言うのだろうが、用水路沿いの桜並木を散歩していたら
「トントントン、トントントン」という音がする。どう考えてもキツツキ
だろうが、60年以上この町に住みながらキツツキの出す音なんぞ聞いたこ
とがない。

どういうわけか、なぜだろう、音はすれども姿は見えず・・・周辺を観察
したら前日に桜の幹に巻いていた除虫用の菰(こも)を取り外してゴミ集
積場に積んであった。つまり菰の下で冬をやり過ごした虫などが右往左往
して樹皮のシワの谷間に隠れたばかりで、「頭隠して尻隠さず」状態、だ
から多摩丘陵からキツツキがわが街に出張してきたのだろう。

ふーん、なるほどね、「ワトソン君、どうかね、この推理は」とホームズ
なら聞いたはずだ。そのまま散歩していたらキツツキがツガイで枝にい
た。嘴が黄色いのでキツツキ科のコゲラらしい。

緑化センターではXマスローズと盆栽の展示会をしていたが、散歩をして
いると「わが街は桃源郷のよう、まさに理想郷、この世の天国、極楽浄土
よりもいいのではないか」とシュリーマンのように感動する。

一つの枝にも白梅と紅梅が咲く木があった。解説には「野梅系の園芸種
『思いの儘』」とある。「のうめ系」ね・・・と読んだが、振り仮名を見
て驚いた、「やばい系」」だと。

「ヤバイ系って・・・もろ俺のことか、紅く咲いて今は白い花をつけてい
る・・・ヤバイ系・・・何をしでかすか分かったものじゃない・・・手製
の杖に鉄筋を仕込もうと思っていたが、過剰防衛になりそうなので止めた
方がいいかもしれない」

措置入院は1回、3か月で十分だ。バカでもそれくらいは分かっている。そ
れにしても小生が再び3度逮捕されると、「容疑者はうつ病での入院・通
院歴がある」と書かれるのだろう。医療刑務所に行かないように自重しな
いといけない。

昨日の産経記事の影響なのだろう、今朝方、革マル派を迎撃した夢を見
た。脅迫電話を受け、襲撃されそうになった経験のある小生にとって、こ
れは一種のトラウマだろう。“隠れ教祖”佐藤優に鉄槌を、と永らく願って
いるのは、やはりビョーキか病気だろう。

自分で自分を「思いの儘にやりかねない奴」と警戒する・・・こういう老
人はまずいないだろうから、やはり相当エキセントリックである。体は
「ヘロヘロ、ヘトヘト」なのに心は翔ぶがごとし。注意1秒、ケガ一生。
気を付けよう。(つづく)2017/2/22


2017年02月23日

◆「措置入院」精神病棟の日々(7)

“シーチン”修一 2.0



2月17日は春一番が吹いて、生暖かった。散歩へ出かけたら砂が目に入っ
て涙が出たが、大姉と久し振りに会った。大姉の連れ合い、つまり小生の
義兄が亡くなってちょうど1年だと言う。

大姉「元気だったの?」

小生「・・・3か月入院していて・・・去年の葬儀の時は元気だったけど」

大姉「そう、とても元気だったわ。杖を引いているから具合が悪いのかな
と思ったけれど・・・大事になさいよ、お互いに元気で長生きしましょうね」

大姉は趣味のカラオケを今も続けているという。「子供たちが“運動にも
なるから”って勧めてくれるしね」、今年で77歳、喜寿になるが、66歳の
小生より頭も体も元気そうで何よりだ。大姉は歌が上手く、「まるでプロ
のよう」と小姉が誉めていた。書道も達人だし、神奈川中央交通のOLをし
ていた時は「入社式」とか「第○○期株主総会」なんて墨痕淋漓と書いてい
たとか。

母は書道の先生をやっていたから、その血を濃厚に受け継いでいるのだろ
う。4人きょうだいの中で大姉が一番優秀だった。

久し振りに大姉に出会えたのも天国の義兄の導きかもしれない、と散歩か
ら帰宅すると仏壇の両親に手を合わせて報告した。義兄は享年77だった
が、いささか早すぎる晩年は入退院を繰り返していた。すい臓がんではい
かんともしがたい。元気で長生き・・・難しいものである。

徳冨蘆花の「不如帰」で、新婚ほやほやの浪子は結核を患い、夫が日清戦
争で戦地へ赴任している間に義母から追い出され、やがては亡くなってし
まうが、当時の結核は不治の病だった。老人なら諦めもつくが、若い人の
病気は本当に気の毒である。

さて、小生の収容された3F急性期(閉鎖)精神病棟のホールには小さな本
棚があるが、患者15人中、小説や随筆など活字を読むのは小生と38歳のパ
ニック障害の娘さん、通称“パニック”だけであった。

彼女とは読書を通じて話すようになったのだが、変面の“マスクマン”と正
反対に顔つきがまったく変わらなかった。「顔面が凍り付いたよう」で、
いつも「電気ショック療法は厭だ、とても体調が悪くなる」と言っていた。

WIKIには「電気ショック療法は、頭部に通電することで人為的にけいれん
発作を誘発する治療法。日本国内では、うつ病、躁うつ病、統合失調症な
どの精神疾患の治療に用いられている」とあるが、この治療を定期的に受
けているすべての患者が車椅子で病棟へ帰ってきたし、2人は救急車で搬
送されていった。心身への負担が相当大きいのだろう。薬で症状が改善し
ない場合に採用される療法のようだが、何だか空恐ろしい。

新聞を熱心に読むのは小生だけで(もっともスポーツ、芸術、エンタメは
まったく興味がないが)、他の患者にはスポーツ面、TV面、社会面、チラ
シなどが読まれていた。

この新聞、有り難いことに産経だった。「読売もとって欲しい」という患
者の声もあったが、病院では完全に無視され、「ご自分でおとりくださ
い」。病院経営者が産経を好きなのかどうかは分からないが、一番安い全
国紙だからではないか。

東京(中日)新聞も安いが、熱狂的な左巻の上に熱狂的なドラゴンズ支持
だから精神病棟には不向きだし、読売の論調はまあまともだが、これまた
熱狂的なジャイアンツ支持だから、プロ野球報道はめちゃくちゃで、読む
に堪えない。

ベンツに乗っている病院の理事長は別のチームを応援しているのかもしれ
ない。それならまともな全国紙は産経しかない、と判断したのか。その可
能性は高い。

3Fの24床はすべて個室だが、うち身体拘束を伴う隔離室は8床、集中治療
室は7床、症状が改善してきた患者向けの個室9床にはTVもあるが、単純計
算でTV視聴率は60%ほどしかない。

小生は徐々に病状が改善し、入院から10日間ほどで拘束・拘禁の厳しい3F
病棟から、社会復帰を目指す2F病棟へ移された。そこは驚くほどの解放区
だった。(つづく)2017/2/21

2017年02月19日

◆「措置入院」精神病棟の日々(6)

“シーチン”修一 2.0



今冬は天気が良過ぎて冬物衣料の売れ行きが悪いらしい。わが家ではオデ
ンとか鍋物を食べる気分にはならないから、紀文は「いい気分」ではない
だろう。暖か過ぎるのだ。バカ過ぎる小生には頭を冷やす氷雨が似合うに
違いない。

この「過ぎる」というのはあまり良くない。美人過ぎる、頭が良過ぎる
(ともに嫉妬されたり嫌われたりする)、人が良過ぎる(騙されたり裏切
られたりする)、金持過ぎる(人間不信になったり子育てを間う)・・・

波乱万丈、I'm Banjo Haran, nice to meet you! 何か人名みたいだが、
エキセントリックな小生が収容された3F急性期(閉鎖)病棟の患者は15
人。老人は6人(うち女1人)、あとの9人(男4人、女5人)は20〜30代。
ヂヂババが多数派で「50歳は若い」とされる普通の病院とはずいぶん違
う。若いのに精神病・・・気の毒という他ない。

何しろ「精神病は基本的に完治しない」のだ。市の精神保健福祉センター
職員にそう言うと最初はびっくりし、そして苦笑いしていた。措置入院さ
せたばかりの患者からそんなことを言われたのは初めてだろう。これが残
念ながら真実で、入院患者の半分以上、多分3分の2は「常連さん」だ。伊
豆半島天城の山に囲まれた「浄蓮の滝」は結構だが、「常連の患者」はい
ただけない。

ナースは「常連さん、いらっしゃい」とも「毎度おおきに」とも言わな
い。なんと言うか。「なんでこんなになるまで放っておいたのよ、早く治
療を受けていればこれほど悪くはならなかったのに!まったくもーっ」。

そうなじられている男は32、3歳あたりか。普通なら最前線でバンバン仕
事をし、寝る間を惜しんで遊んでいるだろうに、彼は背を丸め、足もヨボ
ヨボしている。風呂を利用してはいるが、上手く洗えないのだろう、非常
に汗臭い。手が震えて薬も上手く飲めずにこぼしたり・・・家族からも見
離されているのだろう、面会者はいなかった。そういう患者は少なくない。

若いのに人生 The End、まったく残酷過ぎる。

見るからに統合失調症(統失、精神分裂病)の2人はともに男。1人は数秒
ごとに顔の表情が怒、痛、喜に変わり、まるで仮面(マスク)を瞬時に取
り替えて百面相を客に披露する中国の大道芸「変面」みたいだった。通称
“マスクマン”。

彼は30代後半。周囲を注意して見るという能力も衰えているようで、椅子
の足にしょっちゅう引っ掛かり転んでいた。お盆を持ったまま転んだとき
は皆びっくりしていたが、すぐに静かになった。他者を心配する余裕なん
て皆ないのだ、自分のことで頭がいっぱいなのである。

もう1人の統失は30歳前後で、ときどき凄まじい憎悪の表情をし、何だか
恐ろしいから誰も近寄らない。通称“ゾーオ”。ほぼ壊れている“ゾーオ”や
“マスクマン”が接客業に就いたらまず間違いなく客足が減るだろう。

通称“オトーサン”は78歳ほどか。いかにも「職人してました」という渋い
顔つきをしており、ホールで同じテーブルに着いていたので「もしかした
ら職人さん?」と話掛けるといろいろ語ってくれた。

――ご出身は?

熊本出身で地元の高校を出てJTの工場に勤めていたんだけれどね、仕事は
機械の保守点検。その後大阪の工場に移って、定年退職したんだけれど、
横浜の娘から「一緒に暮らそう」と言われて同居した。でもね、娘の連れ
合い、つまり婿さんと折り合いが悪くてね、結局はこうなっちゃって・・・

――婿さんと喧嘩?

うん・・・誰にも言わないで欲しいんだけれど口論して・・・

――売り言葉に買い言葉?

そうそう、それ・・・で、俺が短刀をかざすと婿が言うんだ、「刺せるの
かよ、やれるもんならやってみろ」って・・・でブスリとやっちゃった。
措置入院でアチコチの病院を渡り歩いて、着いたところがここよ・・・

――僕は酒でしくじったのだけれど、刺したときは酔っていたの?

いや、もともと酒はやらないから・・・まったくバカなことをやってし
まった・・・

“オトーサン”は大いに反省するのだが、娘さんたちは“オトーサン”につく
づくウンザリさせられたのだろう、一度も見舞いに来なかったし、病院側
も小生のような犯罪未遂者と実際に傷害事件&殺人未遂の犯罪者とは明確
な線引きをし、外面は好々爺然としていても閉鎖病棟から出さなかった。

“オトーサン”はやり過ぎたのだ。なかなか難しいが、エキセントリックも
ほどほどにしないと「波乱万丈過ぎ」で無惨な晩年になってしまう。小生
は入院中に「これからは“借りてきた猫”でいくしかないなあ」と思い続け
ていたが、いつしか自分の意思と異なる場面になると「ニャー」とつぶや
くようになって自分でもハッとする。鳴き&泣き入りの晩年・・・困った
ニャー。(つづく)2017/2/17


2017年02月18日

◆情けない話 

大江 洋三



我々は、新しい米国政権が誕生する毎に、沖縄県尖閣の米国・防衛義務を
確認せねばならない。

米国政府の見解は一貫している。オバマ曰く「領土の帰属問題は難しい。
しかし尖閣は日本政府の施政権下にある。よって、日米安保に基づき米国
は防衛する」

基本的スタンスはトランプ政権下でも変わっていない。つまり、日本政府
が実効支配しているかどうかが問われている。

そういう目線で眺めると、北方4島と竹島は米国の防衛範囲ではない。
施政権を行使、つまり実効支配しているのはロシアや韓国だから、米国政
府が尖閣防衛理由を明らかにする毎に、ロシアと韓国は喜んでいるだろう。

我々は、ひたすら「固有の領土」と言い募るしか手が無く、公教育でもそ
のように教えている。

それよりも「盗まれた」と教える方が、国際社会においては直裁である
し、子供達も分かり易い。

北方4島は、日ソ中立条約違反したソ連に、終戦後に武力により強奪され
たのであり、竹島は、李承晩により白昼に目の前で盗まれたようなものだ。

後者の方が性質(タチ)が悪いと思う。北方4島の場合は、終戦にも拘わ
らず曲りなりにも戦っているが、竹島は現行憲法が施行され日本の手足が
出ないと事を知った上で、李承晩が盗んだからだ。
いわゆるコソドロである。

日本政府は、早くから抗議しているが憲法の制約上、抗議するだけで実効
性が伴わず今日に至っている。

教訓とすれば、尖閣の場合も、政府が常日頃から「自ら戦う」意思を示し
ておく事が必要である。

一昨年9月「平和安全保障整備法案」施行されたが、これも日本の周辺事
態を守る米軍支援が主な目的で、自らの先頭で戦う意思は少ない。阿部内
閣がいう通り「現行憲法下では最大限」の防衛手段である。

俗に集団的自衛権の行使という。そんな訳で、いつも米国政府の意思を確
認せねばならない。情けない話しである。

集団的自衛権行使に猛反対したメディアが、トランプやマティスが尖閣防
衛意思を表明すると安心していたから、奇妙な話しである。

平和裏に最も効果的に、政府の領土防衛意思を発信する手段は、憲法9条
改正しかない。

一方で南シナ海では、着々と中共の人工島に拠る実効支配が拡大してい
る。米国の航行の自由作戦など中共は痛くも痒くもないだろう。

さりとて、中共が起こす遠くの事情に米国が単体で事を構えるのは難しい
から、憲法改正した日本の存在が東アジアの安定に寄与する事になる。
体制の異なる中共を除けば、日本は世界第2位の経済大国で、それぐらい
の自覚は必用である。

それが日米安全保障条約の本来の目的でもある。「両国が極東における国
際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及
び安全保障条約を締結することを決意し、 よつて、次のとおり協定る」

         

2017年02月17日

◆「措置入院」精神病棟の日々(5)

 “シーチン”修一 2.0



高校同期会の案内が届いたが、「生き永らえば恥多し」を地で行っている
小生には会わせる顔もない。

六ぞろ目 病とともに 生きており 目出度くもあり 目出度くもなし

66歳、当たり前ながら小生にとっては“前人未到”の領域であり、ひたすら
当惑している。なにしろ老化の進み具合が、それこそ日進月歩で、先日か
ら杖を引いて散歩している。若い頃からの無理、無茶、無謀が祟っている
のだろう。

今さら悔やんでも遅いが、とにかく“飲み過ぎ”た。ビールに始まり日本
酒、焼酎、そしてウイスキー・・・一升瓶換算で6000本、1.8リットル
×6000=108トンを飲みまくった。容量20トンの大型タンクローリー5台分
を出獄した20歳から45年間で飲んだのだから、精神病院へ送られた際は医
者が血液検査の数値を見てびっくりしていた、「急性肝炎一歩手前です
よ」と。

小生の顧客の一人は急性肝炎が劇症化したのだろう、具合が悪くなってか
らたったの1週間で急逝した。“これから本番”という45歳だったが、娘2人
はまだ高校生で、奥さんも泣きっぱなし。あんな悲惨な葬儀は初めてだった。

さて、小生が収容された急性期病棟は3Fと2Fに分かれている。老人とは言
え小生のような“活きのいい”危ない患者はまずは3Fで処置される。病院の
案内から。

<3Fは24床です。激しい精神症状のために不安や混乱が著しい患者様に安
心して休んでいただくための隔離室が8床・・・2Fは36床です。生活リズ
ムを整えながら社会復帰の準備を行う病棟です>

「患者様」というのは何かいやらしい表現だが、「激しい精神症状のため
に不安や混乱が著しい」というのはその通りで、小生も入院当初は「俺は
大したことをしたわけじゃない、なぜ俺が警察送りになったのか、病院へ
転送されて身体拘束されるのか、とんでもないことだ、くそっ!」と思っ
たりした。

入院初期の精神病患者の多くはいわゆる「他罰的」で、「自分は悪くない
のに周りから無理やり入院させられた」と思うのだ。

その一方で、小生は「俺の頭はどうなっちゃったのだろう、やっぱり発狂
しているみたいだ、脳みそが正常と異常の間を揺れ動いている」とものす
ごく不安になったりした。

措置入院患者の多くはそんな感じではないか。痛みや体調不良といった症
状なら「もしかしたら病気かもしれない」という自覚が生まれ、医者に行
くだろうが、精神病には自覚症状がないようである。もっとも自覚症状が
あれば精神病にはならないだろうが。

自分が気付かないうちに少しずつ少しずつ、毎日ポタリポタリと田んぼや
池に水が溜まり、ある瞬間に限界に達して外に溢れ出す。漏水はやがて畦
や土手という防護壁、理性を侵食してどっと決壊する。氾濫、発狂だ。積
もり積もって大洪水や大雪崩、警察沙汰になったりする。

身体拘束中は実に奇妙な夢を見続けた。身体拘束、拘禁への拒絶反応かも
しれない。

「自分はマンションの1室に閉じ込められている、ところが隣にカミサン
が引っ越してきた、それなのに鉄格子が邪魔で会いに行けない。どうしよ
う・・・そうだ! 体と魂を分離しよう、魂だけなら会いに行ける、でも
俺が隣の部屋にいることをどうやって知らせることができるのだろ
う・・・見えない、書けない、話せない・・・ああ、もどかしい、どうし
ようもない・・・」

という夢で、最後は幽体離脱した我が身を斜め上から見ているというもの
だった。

まるでカフカの「城」の世界で、ひどく消耗するのだが、この夢が5日間
ほど続いたときは「やっぱり俺は発狂したんだ」と思わざるを得なかっ
た。WIKIにはこうあった。

<幽体離脱は、科学や心理学の分野では、主に白昼夢等に類似した現象で
「脳の誤作動による」ものと考えられている>

脳の誤作動・・・もともとイカレポンチで、中学か高校で「エキセント
リック/eccentric」という語を覚えた際は、「性格などが風変わり、奇矯
なさま、か。ふーん、要は奇妙奇天烈、奇人変人の類ね。穏やかな人生か
or 波乱万丈の人生か・・・ハラハラドキドキ、人のやらないことをした
方が面白そうだな」と思ったものである。

出版社に就職したら上司、後の仲人がすごかった。家が貧しく早稲田を中
退、銀座だか赤坂の“東洋一”のキャバレーでボーイから出世してマネ
ジャーを勤め(酒乱の宮澤喜一なども常連だったとか)、その後にエール
フランス(通称エアフラ)に採用されたのだが、「日本ではキャバレーは
堅気の仕事じゃない、卑賎な仕事、と見れらているが、フランスではミ
シュランガイドに象徴されるように飲食業は高く評価される。エアフラは
僕のその経歴を評価したわけだが、フランス人上司にホモが多いのには
参った」と言っていたものである。

その上司が小生に酒と女を教えてくれたのだが、「修一クン、昔から大酒
飲みは家一軒分を飲んじゃうと言う。出世するには必死で仕事をしなけ
りゃならないが、“飲まなきゃ心がやられちゃう、飲めば体がやられちゃ
う”んだ。心が壊れたら仕事はできない、だから体を犠牲にしても飲むわ
けよ、飲ん兵衛は」とよく言っていたものだ。

小生の場合は高齢者になって心身ともに“波乱万丈”のツケが回ってきたわ
けだ。終わり良ければ総て良しというが、小生は終わりにも波乱がありそ
うで、静かに「舞台下手へ去る」というふうにはなりそうもない。太宰曰
く「嫌な予感はよく当たる」、家族に見離されて孤独死なんてありそうで
怖い。(つづく)2017/2/16