2015年04月15日

◆私の「身辺雑記」(210)

平井 修一


■4月12日(日)。朝は室温16度、快晴、フル散歩。久し振りにいい陽気。桜はハゲチャビン。

散歩コース沿いの畑では界隈の特産品「ノラボウナ」の収穫が始まっている。菜の花の一種だ。上の方を摘んでお浸しや野菜炒め、汁の具などで食べる。小生は食べたことがない。全国区ではないから流通に乗らない。畑などのそばにある無人販売店などごく一部でしか入手できない。

地産地消ではダメだ。地産全国消、地産世界消がいい。

散歩道には誰もいないから「ちょっと貰おうか」という誘惑に駆られるが、悪さをすると不思議なことに誰かが見ているのだ。「天知る、地知る、我知る、汝知る、隠し事はできない」と古人は言ったが、まことに然りだ。

カミサンの運転で投票所を経由して「生田緑地」へ。久し振りにオニギリと犬のオヤツを持ってハイキング。森は新緑が美しく、白、薄緑、緑、薄桃、赤、紫、濃緑、茶、黒などに彩られている。

枝垂桜は満開、山桜の花も残っているし、ツツジは咲き誇っている。タンポポの黄色い花も一斉に開花し、踏まないように慎重に歩く。老犬も楽しそうだ。

山道をたどるとあちこちで鶯が鳴いていた。広場に出ると数十本のメタセコイアは茶色いままだが、近づいてよく見ると小さな芽をつけていた。池の面には新緑や花が映り、まるでモネの絵のよう。フランスか京都に行った気分だ。

広場には小さな子供を連れた人々がぞくぞくとやってくる。天気が良すぎる、投票より行楽、だ。シャボン玉が風に流れていく。子供の歓声。周囲は新緑と花々に包まれている・・・「この世こそ天国だなあ」という思いがする。

見つけたゴミはたった一個。なんというモラルの高さだろう。国際基準でいえば「非常識的なほど高すぎるモラル」となるだろう。ボランティアが早朝に掃除しているのかもしれないが、ディズニーランドの人が言っていた「人は汚い所にゴミを捨てるが、きれいな所には捨てない」という言葉を思い出した。

■4月13日(月)。朝は室温17度、曇、フル散歩、途中から小雨。葉桜が美しく、八重桜は6分咲き。行く花、来る花。

今朝の“極右扇動紙”産経には啓発される論考が多かった。「産経抄」は未成年者の喫煙と飲酒を禁止した法律の制定(大正11/1922年)に奔走した政治家、根本正を紹介。

国際面ではクネ出席の国際会議で高さ3メートルの模型が倒壊し「人災の国=韓国」を世界に改めて印象付けたであろう記事。韓国のマスコミは“国辱”ものだからどこも報道していなかったようだ。隠蔽体質。

キューバが民主化するのは難しそうなことも興味深かった。利権が絡むから独裁を手放したくないのだ。「人民のために」革命で潰されたバティスタ政権、「自己保身と利権のために」民主化を拒むカストロ独裁。バティスタ政権の方がマシだったと思う。バティスタは逮捕したカストロを殺さなかった。

オピニオン面の「夫婦別姓の誤り」は目から鱗だった。「姓名」というのは法律にはなく、正しくは「氏名」であり、「姓」は源、平といった大血族集団で、細かな家族的集団の呼称が「氏」なのだという。

徳川慶喜は宮中では「源慶喜」、幕府では「徳川慶喜」と名乗った。「夫婦別姓」ではなく「夫婦別氏」が日本語としては(主張はともかくも)正しいようだ。

「正論」では和田秀樹教授が大学生の質がさらに下がりそうだと警鐘を鳴らしている。この問題は小生もネタを集めており、そのうち公表したい。

若者の多くは大学へ行ってもろくに勉強しないし、卒業したところでそれにふさわしい仕事につける人は半分とか1/3以下ではないか。それなら中高卒後は金のかからない職業訓練学校に通いながら産経を読んで社会勉強した方がいい。頭が鍛えられる。

とっくの昔から大卒という学歴で食える時代ではない。いい加減にこの幻想から解放された方がいい。欧米もそうだが、奨学金や教育ローンなど借金を背負って「大卒」になっても採算は取れるのか。男は「稼いでナンボ」、必死で腕を磨き、いい仕事をすれば金も女もついてくる。仕事が仕事を呼ぶ。

「セラピードッグ」のいい話も新鮮だった。老犬と老生はお互いがセラピーだ。癒し癒され。ラブラブ。

LGBT(性的少数派)の就職問題にも触発された。小生は「日陰者は日陰者同士でひっそりと暮らせばいいじゃないか。昔からそうやってきたのだから」と、幼い頃のわが街の“シスターボーイ事件”(そのうち紹介する)から単純に考えていたが、社会生活上いろいろ深刻な障碍があるようだ。難しい問題だ。昭恵夫人は熱心のようだが、小生はヘジテイトしちゃうなあ。

文化欄も刺激的だ。小生と同学年かも知れない作家・小池真理子は美人過ぎる。司馬遼太郎曰く「美人はとかく人騒がせだ」。然り。才色兼備は罪深い。アンチエージングに女性は夢中になっているが、いいのかどうか・・・旦那はマカで頑張るのか。若いツバメが跋扈しそう。

大和ハウスが歴史についてのフォーラムを開くそうだが、パネリストの一人が岸恵子だというのには驚いた。岸や小百合はオーエ真理教の臭いがする。赤旗2004/1/12「全国に『派兵反対の音』吉永小百合さん、岸恵子さんらメッセージ」にはこうあった。

「俳優の吉永小百合さん、岸恵子さん、米倉斉加年さんらの反戦メッセージが紹介され、云々」

日共の御用役者。1970年頃に米倉は中核派の集会によく顔を出していたっけ。売れない頃だったから暇だったのだろう。人気商売は政治に首を突っ込まないほうがいいと思うがの・・・

産経の購読料は1か月3000円。1日100円。知的刺激と「寝た子を起こす」性感帯刺激まで。日本の言論界の岩盤を突き崩す異次元的先端ドリル「蒼井そら」だな。中南海は青い空を飛ぶ正論爆弾と性蜜妄動ミサイルに耐えうるか。

■4月14日(火)。朝は室温14.5度、曇、フル散歩。

一昨日4/12の夕方、NHKラヂオが大英博物館/BBCの共同歴史研究番組を紹介していたが、世界で最初に煮炊きに使われたのは1万4000年前の縄文土器で、人類はこれで煮炊きができるようになったのだという。土器はハイテク、最先端技術だった。正確にはこうだ。

<北海道の大正遺跡群の(日欧チームによる)調査によって、土器が最初に料理に使われたのは1万4000年前であるとされている>(時事通信2013/4/11)

人間にとって一番大事なのは自分と家族の命だ。安全保障。命を守るために武器と技を練磨し徒党を組む。集団的自衛権。

次に大事なのは食だ。食糧安保。土器以前は調理はせいぜい焼くか燻製/干物、地面に穴を掘って蒸す“ルアウ”くらいだったろう。耐熱土器を発明して煮炊き、アク抜きができるというのは一種の食糧革命だった。

日本が農耕を始めたのが遅かったのは「魚介類を含めて食糧が豊富だったので、農耕に頼らなくても良かったからだ」とも報じていた。

世界のスープやシチューなどの鍋料理の元をたどれば縄文土器に至ることになる。実際にこの発明が日本から世界へ伝播したかどうかは分からないが、発明は日本だ。反日NHKが「日本人として誇りに思う」と言っていた(アングロサクソンの言うことには逆らわないのか。NHKにはBBC崇拝がある)。

日本人のDNAには創意工夫があるのだろう。では漢族のDNAは何か。

小生は文系だから理系の分野はド素人なのだが、製造業は分野ごと(ITとか機械、製鉄、資源とか)で世界のトップクラスでないと生き残れない時代になっているのだと思う。

トップ10のメジャー、せめてトップ20以内でないと勝ち組になれない。グローバル化がそれを加速しているに違いない。

ものすごい競争の中で、トップ企業は何を考えているのか。後進は何を学ぶべきか。

「企業事例から学ぶ技術優位の競争戦略 安川電機が産業用ロボットで世界一になれた理由」(WISDOM編集部 3/20)は示唆に富んでいた。

<今やモノづくりの分野だけでなく、介護の現場など、幅広く使われるようになったロボットですが、今からおよそ40年近く前の1977年、国内で初めて全電気式産業用ロボット「モートマン」を世に送り出したのが、今回ご紹介する安川電機です。

同社は1960年代に今や世界共通語となった「メカトロニクス」を世界で初めて提唱したことでも知られていますが、こうした世界をリードするコンセプトや技術はどうやって生まれてくるのでしょうか。同社代表取締役専務執行役員/技術開発本部長の小笠原浩氏にお話をお聞きしました。

*プロダクトアウトだからこそできた

――御社には産業用ロボットやサーボモータ、インバーターなど世界シェアトップの事業がたくさんありますが、はじめに、こうした事業がどういう経緯で立ち上がってきたのかという歴史的な背景を教えていただけますか。

元々は福岡の筑豊などで炭鉱事業を行っていた明治鉱業を興した安川敬一郎から、「何か事業をやれ」と言われた息子の第五郎が、炭鉱用の電気用品の開発・製造を行うことを目的に設立した会社です。

炭鉱用のモータをずっとつくってきて、もう少し小さいモータというか、特徴のあるモータをつくろうということで生まれたのがミナーシャモータ(DCサーボモータ)です。

この発明によって得た技術が、やがて超高速・超精密なモーション制御の世界を切り開くことになりました。

――従来のものに比べて100倍の能力を持つとは大変な発明ですね。

今でもそうですが、当時から結構自由な発想ができる会社だったからこそだと思います。パーマネント磁石を使って、イナーシャ(慣性)の小さいモータをつくろうとしたわけです。

マーケットイン(市場や購買者という買い手の立場に立って、買い手が必要とするものを提供していこうとすること)の発想であれば決してつくろうとはしなかったはずで、

プロダクトアウト(技術や製造設備といった提供側からの発想で商品開発・生産・販売といった活動を行うこと)だからこそミナーシャモータはできたと思います。

難しいけれどもやってみたらできたということで、できた以上は何かに使わなければとなり、それならば一緒に機械を取り込もう、というのがスタートです。

その際、機械が「メカ」で、電気が「エレクトロニクス」ですから、一緒にしたら「メカトロニクス」だね、ということで商標登録をしました。同じようにモータと人を一緒にしたら「モートマン」だね、ということで、こちらも商標登録し、1977年につくり上げた産業用ロボットの名前になっています。

*世界一になれない製品をつくる意味はない

――そうやって立ち上げたものが今や世界トップにまで伸びているわけですが、その原動力は何だったのでしょうか。

会社が九州にあるため、九州から東京に出て行ってもハンデがあるということで、早くから市場として海外を意識したことと、世界一を意識したことでしょうか。

――世界一ですか?

自由な発想が許された会社ですが、基本的には世界一になる可能性のない製品はやらない、という前提がうちの会社にはあります。会社全体が「BtoB」(企業間取引)なんですが、たとえば機械メーカーが相手であれば、勝ち組のお客さまに売るとか、お客さまに勝ってもらう、世界一になってもらうということを一番大切にしています。

――とはいえ世界一になるのは簡単ではないと思います。

世界一になると言うと、みなさんものすごいことを想像すると思いますが、世界一といってもセグメントをものすごく小さくすれば、どこかにはあるものです。

インテルやIBMの世界における世界一ではなく、たとえば半導体に穴を開けるというビジネスがあれば、その世界で世界一を実現することもできます。

サーボモータでも停止精度で世界一とか、サイズで世界一というように定義していけば世界一があるわけです。私たちの会社では、開発者はどんなものを出してもいいけれども「世界一でないとダメ」という発想が根底にあるのです。

――先ほどミナーシャモータはプロダクトアウトだからできたとおっしゃっていましたが、世界一を目指すうえでマーケットを定められています。これはまさにマーケティングの発想のように思われます。

マーケティングというと、たとえばサーボモータを使う会社が日本に3000社あるとして、その中の300社にヒアリングして、300社が満足するスペックをつくって、それを売るという流れになりますが、それをやると失敗します。

当社の場合、業界のトップ、あるいはトップになる可能性のある会社に聞いて、2社が「いります」と言えば、それだけで「つくれ」となります。

では、残りの会社にとってそれは必要なものなのかどうかということですが、「いります」という会社がトップであれば、それがマーケットだというのが当社の考え方です。

そして結果的にその会社が世界一になって、そこに当社のサーボモータが入っていれば、「世界一になった」といえます。そして業界下位の会社は、上位の勝っている会社のものと同じものを使いたがりますから、勝っているところに当社の製品が入っていることが大切なのです。

とはいえ、もちろんそれで成功したケースだけではなく、失敗したケースも、それこそ数え切れないくらいあります。

*技術のコモディティ化は絶対にない

――世界には巨大な欧米企業がいて、中国や韓国を始めとする新興国からの追い上げもあって、技術がコモディティ化(競合する商品同士の差別化特性=機能、品質、ブランド力などが失われ、価格や買いやすさだけを理由に選択が行われること)しています。

その中で、競争力を維持し続けるのは大変なことだと思いますが、どうやってこれまで競争力を維持してこられたのでしょうか。

技術のコモディティ化は絶対にありません。技術は必ず進化しますから、追いつかれたら、それはやめなければならないということです。当社は中国のコンペティター(競争相手)に製品をコピーされることを承知で供給してきました。

コピーができて、コピーされるということは、そこで技術の進化が止まるということで、それよりも上にいかないともうやめなければならない、ということを意味します。

――コピーされてお客さまを奪われたことで終わるなら、それはやめなければならない事由だということですか。

中国のローカルメーカーと安川電機製を比べた時、中国のローカルメーカーの方が安くて、性能や機能がほぼ一緒だとしたら、それはもう撤退しないとダメでしょう。

当社の工場も中国にあるのでそこでつくります。中国のローカルメーカーも一生懸命つくります。つくる製品が確実に同じ性能だとすれば、当社がつくる製品が中国のローカルメーカーがつくるものよりも安くつくれない限りは撤退です。

――なかには性能は多少悪くても価格が安い方を選ぶというお客さまもいると思うのですが、その辺はいかがですか。

多少あるかもしれませんが、今の状況は一旦そういうメーカーの製品を選んだとしても戻ってくるケースが多いですね。

――それはなぜですか。

当社はBtoBでビジネスをしますが、その先もB、つまりBtoBtoBなのです。仮に3つ目のB、セットメーカーのお客さまがぼろの部品を使って最後のコンシューマー系のところに納品すると、値段はともかく性能ではじき出されます。すると、当社への受注はないけれども、3番目のBは潰れてしまいます。

モノづくりの世界でどうやったら勝てるかというと、ぼろの部品で勝てるほどやわな世界ではありませんし、「安かろう悪かろう」では製造業は成立しません。

――BtoBtoBの世界ならではということなのですね。

だからこそ技術は進化し続けることが重要で、仮にコストの安さで勝負するコンペティターに技術面で追いつかれた時はおしまいです。同じ性能・同じ機能で彼らの方が安くつくれるとなれば、撤退するのみです。

そうならないためにも数年先を考えたビジネスを考えていかなければならないと思っています>(以上)

「安かろう悪かろうでは製造業は成立しません」・・・中国製品の「安かろう悪かろう」は全世界の共通認識になっている。中国の13.7億の人民でさえ「もう二度と騙されない」と国産品を敬遠するようになった。信用ゼロだ。食品加工産業の惨状には唖然とさせられる。

【産経1/12】病死豚を売りさばき、110人を拘束 合格証まで偽造中国公安省は12日までに、病死した豚を加工して売りさばいていた11のグループを摘発し、容疑者約110人を拘束、問題の豚肉など約1000トンを押収した。

【産経4/9】病死した豚の肉2000トン流通「ひき肉」「ハム」に…過去にはネズミの肉を「羊肉」に偽装も

中国福建省の高級法院(高裁)は、2つのグループが病死した豚2000トンあまりを加工して売りさばいていたと公表した。これらの肉はひき肉やハムとして市場に流通したという。地元裁判所はグループの12人に懲役16年〜2年6月の判決を言い渡した。

【Record China 4/10】2015年4月9日、米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカは、中国人民銀行の戴相龍元総裁が金銭がらみの問題で調査を受けたと報じた。中央規律検査委員会は家族への利益供与のために戴元総裁が職権や内部情報を利用したかどうかについて調査を進めているもようだ・・・

いやはや食品加工から中央銀行元総裁までモラルの「モ」の字もない。どうしようもないモラルハザード。絶望的中国倫理崩壊! こんな記事もあった。

【サーチナ4/9】中国では地域路線用で座席数が最大で100席程度のジェット旅客機「ARJ21」の開発が進められている。ARJ21は当初は2005年だった初飛行の予定が08年になり、その後も試験中に目標負荷に達する前に主翼が破損するなどのトラブルが発生。

2014年12月30日に中国当局の型式証明は取得したが、欧州航空安全機関(EASA)及び米連邦航空局(FAA)の型式証明は取得していない・・・

モラルゼロ、信用ゼロ、技術ゼロ――「オールフリー」。あるのは見栄と面子と我欲と嘘と恫喝だけ。これが漢族のDNAだ。

<【北京時事4/11】新華社電によると、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立準備事務局長を務める金立群・元中国財政次官は11日、「コスト効率を高めるとともに、汚職を許さない機関にする」と述べた>

「汚職とともに4000年」。汚職フリーなんてできるわけがない。中共は凋落するしかないが、望むらくは騒音フリーで「静かに消えてくれ」。(2015/4/14)

      

◆中国、台湾のAIIB加盟を拒否

宮崎 正弘
 

<<平成27年(2015)4月14日(火曜日)通算第4514号  <特大号>>  

〜中国、台湾のAIIB加盟を拒否
       台湾では「瀕死の病人にカネを運ぶ馬鹿」と馬英九を批判〜


中国は12日、台湾が申請したAIIB(アジアインフラ投資銀行)への加盟を拒否すると発表した。

馬英九政権の最後の賭けとみられたAIIB参加も、国名「中華民国」を最初から捨てて、チャイニーズタイペイなどと五輪方式で可能としてきただけに、国民党政権は当惑。しかし在野にあっては反対論が根強く、学生等が「死にたいにある回復見込みのない病人にカネを運ぶ馬鹿」と猛烈に反対運動が展開されてきた。

カネをむしり取られるだけとAIIB加盟には不満が強かっただけに、むしろ中国の決定に安堵した形となった。

次期国民党の総統候補は朱文倫(新北市市長。国民党主席)の独走態勢にあるが、その朱は近く、北京を訪問することが決まっている。

その矢先の北京の決定は台湾国民党にとって強烈なブローとなったのではないか?
  

◆GHQが怖れた海音寺潮五郎の庭訓

上西 俊雄


表記改革は印刷の簡便化を目指すものなので文字の種類を減らさんとする。たとへば、italic のかはりに spaced letters を用ゐるのもその例だ。spaced letters とは letter ごとに空白を挿入する方法で獨逸語でみることがある。

いはゆる現代假名遣を主張する立場であれば音が基本のはず。音のないやうな記號はまして避けるのではないかと思ふと必ずしもさうでない。傍線や括弧類や感嘆符や疑問符など、戰前の場合より賑やかになった。

埼玉のなにがし高校のサッカー部員の集團萬引は罠にかけられたのだといふ人もあるけれど、言ひわけのできることではなく平井氏の言はれる通り躾の問題だ(身邊雜記209)。氏は夏彦翁が「この世で3分で説明できないものはない」と言はれたと言ふ。

先日、歴史的假名遣を一頁で説明できるかといふことを問題にしたひとがあった。彼女は擴張ヘボン式の説明をうけつけない。だから默ってゐたけれど、「テトラグラマトン」(3518號參照)の最後の擴張ヘボン式の説明でワ行とハ行の假名のことを離合の徴表と書いた。

これがもっとも短い説明ではないかと思ふ。かう理解してからワ行とハ行のつかひわけは大體はずれることがなくなった。

假名遣に氣をつけると語の意味を考へざるを得ない。中學校時代に someは肯定文で用ゐ、any は否定文で用ゐると教はったときに假の説明だといふ氣がした。本當は意味が違ふはずで、その結果、some と any の出現する割合が肯定文と否定文と異るのではないかと思ったわけだ。

「惡貨は良貨を驅逐する」(3604號)で誤用といはれるものに迎合しても事態は變はらないといふ例に「全然」といふ語のことを擧げたのであるが、これは any に似てゐる。

「まるで」とか「すっかり」といふ意味であれば肯定文であっても違和感はない。

「惡貨は良貨を驅逐する」で問題にしたのは獨擅場。民間の規制は文部省以上だといひたかったけれど、うまい表現が見つからなかった。

海音寺潮五郎がGHQの檢閲にひっかかったことがある。

<第二集に入りまして、末から二番目に出てゐる「つばくろ日記」、これが占領軍の檢閲に引っかかって發行出米なかった、二つの作品の一つです、わたしに、占領のつづく間はものを書くまいと思はせ、生活上やむなく書きはじめてからも、武家もの書いて再びこの不愉快を經驗したくないとて、王朝ものや中國ものばかりを書かせるやうにした機縁をつくった作品です.

お讀みになればおわかりになるはずですが、こんな作品でも、占領中は發表出來なかったのです。米軍の檢閲がよくないといふより、檢閲制度そのものがいけないのです。

檢閲制度があれば、ワクは自然に擴大されて、かういふ極端なことになります。それは必然です。わたしが今日盛行してゐるエロ小説を最もきらひ、最も憂慮しながらも、檢閲制度の復活を肯定する氣になれないのは、それを考へるからです。

これはサンフフランシスコ條約によって日本が獨立を囘復してから、ある雜誌に發表したのですが、不覺にも誌名を忘れてしまひました。別段に世評にもなんにも上りはしませんでした。>

これは全集第十五卷のあとがきにある。表記の規制も、ワクが自然に擴大されて、かういふ極端なことになったのが獨擅場の問題だ。

現代假名遣といふものが嚴しくなって、潮五郎の全集もその例外ではない。

歌物語といふ趣向の一つ『梅花の契』よりあげれば

「葉がくれに音をのみ鳴きしうぐひすの下枝(しづえ)けぢかく馴るる朝ぞ」が「葉がくれに音をのみ鳴きしうぐいすの下枝(しずえ)けじかく馴るる朝ぞ」となってゐた。

意味からすれば下枝はシズエでなくシヅエだらう。ケジカシといふ語は手許の國語辭典にない。『大辭林』も『新潮國語辭典』もケヂカシ(氣近し)での立項だ。


さういへば、稻妻をイナヅマでなくイナズマと書くべしとしたのも文部省であったし、最近では世界中をセカイヂュウでなくセカイジュウと書くべしと常用漢字音訓表を修正したのであった。潮五郎がかかる表記をしたはずがない。

「つばくろ日記」は庭訓(テイキン)を描いたもの。GHQがこの作品を怖れたのはいはれなきことではないと思ふ。潮五郎の表記を推定によって復元して、最後のところを紹介する。

「聞」は「聽」と「聞」に書き分けた。また感嘆符の使用もあったが編集者の加筆とみて外した。

登場人物は義鄰、藤平、九十郎、鳩巣。ときは元祿十六年。

加賀前田藩の勤番侍杉本義鄰(よしちか)とその老僕藤平、九十郎は義鄰の息、鳩巣は儒學者室鳩巣。

鳩巣は赤穗事件について『義人録』と題する著述を後に發表。義鄰は鳩巣のために聞き書き「赤穗鐘秀録」を書いてゐる。

九十郎は藤平が育てた、可愛くてしかたがない。いつも故郷金澤にゐる九十郎のことを思ってゐる。

九十郎の幼いころ、仲間と燕の巣から卵をとったことがある。

藤平が

「そんなむごいことをするものではありませぬ。坊っちゃまが巣をこはしなされた時、親鳥がそのまはりを悲しげに啼きながら飛びめぐってゐたはずだ、どんなに親鳥が悲しんだことか、可哀さうとは思ひませなんだか」と、嚴しくたしなめると、子供らは、一人去り、二人去り、そして一ぺんにわっとさけんで逃げて行った。

九十郎はその卵を鶏にだかしてかへすのだといふ。燕の卵は大きさが違ふので鶏にだかすには工夫が必要。藤平と二人で工夫してだかし、やがてかへった燕の雛を育てたのも思ひ出だ。以上「つばくろ日記」といふ題の由來。

その九十郎が事件を起した。子供同士の他愛のないことが原因の喧嘩で拔きあって雙方ともに傷を負ったが相手は腹部をかなり深く刺されてゐた。

いろいろと吟味があった末、變事のあった家にお預けになってゐる九十郎にたいしては、もし療治の結果、相手の生命に別状がなかったなら構ひとし、傷がもとで死んだら切腹といふ申渡しがあった。

この知らせがきても義鄰はいつもの通りの生活を續ける。それが藤平には納得できない。相手の傷が治れば濟むのだからと毎夜水垢離をとって相手の平癒を祈願すると義鄰の知るところとなる。

<「それほどまでに倅のことを思うてくれるそなたの心根をありがたいと思はぬではない。あつく禮を言ふ。しかしながら、わしはかねてから加持ぢゃの祈祷ぢゃのに類することは正しい信仰ではないと考へて、いつもそのことを人にも申してゐる。

そのわしが、今この時になって、たとへ家來のそなたのすることであっても、默って見てゐることは出來ぬ、人はわしがやらせてゐると思ふことは必定だ。變に際して平常心を失ふのは、士として恥づべきことだ。わしの恥となることゆゑ、やめてもらひたいと思ふのだ」

やさしくしみじみとした調子のことばだった。藤平は荒荒しくはねかへした。「いやでございます。九十郎樣は藤平がお育て申た方でございます。勿體ないことながら、藤平はかはゆくてならぬのでございます。

それゆゑ、どうしてもおいのちをお助けせねばなりませぬ、

旦那樣は親御であってもおかはゆくはないのでございませう。義人とか申す浪人共の方が大事なのでございませう。

藤平も旦那樣があの浪人どものことを大事がりなさるのを不服には思ひませぬ故、且那樣も藤平が坊っちゃまのことに氣をもむのを構うて下さいますな。

坊っちゃまは藤平がお育て申した方でございます。その坊っちゃまが生死の境にゐなさるといふのに……」

しどろもどろではあったが、かねての不服とかねての怒りが後から後からと出て來て、自分でもとめやうがなかった。>

そこへ室鳩巣から

「…一方また相手方の豫後は一頃重態を傳へられ、老生等も心痛まかりあり候ひしも、その後大いに持ち直して、今朝ほど元伯老に伺ひ候處にては、唯今の所にては大てい大丈夫ならんとのことなれば、まづは祝着、大いに眉を披き申し候次第に候へば、貴臺にてもまづまづ御心安かるべく候。

尚、急變あらば、その節御急報申上ぐべく候事云々」

との便りが屆き日常が戻る。それから十二日あと。

<めづらしく爽涼な風があって、なんとなく秋めいた日の晝過ぎだった。

薪小舍のわきの青桐の下にござをしいて、さらさらと鳴る葉の音を聞きながら藤平は草鞋をつくってゐたが、ふと木戸を入って來る人の足音を聽いたやうに思って、及び腰に身をのぱしてのぞいて見た。

すると、痩せてせいの高い旅姿の武士が片手に笠をかざして日ざしをさけながら入って來る姿が目に入った。どなた樣であらうと思ひながら藁屑をはらひおとして出て行ったが、近づいて、相手の笠のうちをのぞくと、思ひもかけない人の顏をそこに見た。鳩巣は青白いやせた顏をかすかにほころぱしたが、すぐひきしめた。

「御在宅か」

「へい、をりますでございます。先生樣にはお國許から……」

「うむ、いそいでとりついでくれ」

鳩巣のことぱはせっかちで、そっけなくさへある。藤平の知ってゐるかぎり、この先生はいつもおだやかな人柄で、下々の者にたいしていたはりのことばを忘れなさったことがない。

こんなにぶっきらぼうで、こんなにせはしなく口を利くお人ではない。九十郎樣に變事があったに相違ないと、すぐ考へた。

「すぐ申し上げます」

燕返しに身をかへして奧庭に走りこんで義鄰につげた。義鄰は机から顏を上げた。ほんのしばらく、じっと藤平の顏を見た。

その瞬間、藤平は義鄰の顏が假面を見るやうに凍りついたかと思った。が、すぐ、いつもの顏にかへって、すすぎの用意をするやうに言って、ゆっくりと迎へに立上った。

すすぎをすまして鳩巣は上に上った。主客の間にはおだやかな聲で時候のあいさつ、國許の話、江戸の話、著述の話、いろいろとかはされて一向それらしい話の出る模樣はなかったが、藤平はおちついてをられなかった。

出なければならない話が出ないところが怪しいと思ふのだ。なんとかして側によって聽きたいと思って、茶の用意をして出て行って暫くぐずぐずしてそこにゐてみたが、長くは居づらかった。

いろいろと考へた末、庭に山て草をひくやうな風をしながらぬすみ聽くことにした。目立たないやうに、なるべく物陰にそって庭に入ったが、義鄰はこれを見つけて、ややしばらく視線をむけたまま動かさなかった。

刃物のさきのように鋭くとがった眼だったので、藤平はすっかり度を失って、刺しとめられたやうに立ちすくんでおどおどしてゐると、その目は急にゆるんで、そこにゐて聽いてゐてよいといふやうに、かすかにうなづいた。

藤平はべったりと居坐って、はあはあ息を切らしながら、無我夢中で草を引きはじめた。八ッ下りの日がくっきりと黒い陰をおとしてゐる軒下だった。

著述の話がまたしばらくつづいた。鳩巣は順調に進行中の自分の著述のことを語り、義鄰はまた鐘秀録の草稿を見せたりして、當の話はなかなか出
さうでなかった。
じりじりして、さけび出したいやうな氣持になった時、不意に二人はだまりこんだ。はっとした。耳の中にかすかな蝉の聲のやうなものがじ─んと鳴ってゐる氣持だった。その耳に、あらたまった調子になった鳩巣の聲があさましいまでにはっきりと入ってくる。

「書面で申し上げたいと一旦は存じたが、直接にお會ひして申し上げた方がよいと存じて、こちらにまゐらねばならぬ用事も出來てゐましたので、かたがた少し日取りをくり上げてかうしてまゐりました。と申すのは、れいのこと。申しやうもなきことに相成りました」

「さやうであらうと存じてゐました」

「八日ほど前のことになりますが、一旦は好轉してをりました佐々木の子息の容體が急に惡化しまして、一夜苦しみに苦しんだ末、翌朝ついにはかなくなりました。そこで、かねての裁き、致しかたなく、九十郎殿切腹と定まり、その翌日、お預け先において、お目附檢視の上で、見事なる御最期でございました」

義鄰はひくい聲で禮をのぺた。なんといったか、藤平には聽えなかった。鳩巣はさらに九十郎の最期の樣を物語った。

「御切腹前夜のことでござった。九十郎殿の友だちや御一族の方々が集られて、名殘りの酒宴を催されましたので、拙者もまゐりました。

九十郎殿の樣子はいささかも平日に異ならず、よきほどに酒をのみ、よきほどにものを食ひ、よきほどにものを言ひ、謠曲なども一つ二つうたはれましたが、やがて、皆樣へ名殘りはつきませねば、夜の明くるまで、かうしてゐたくはございますが、明日その場に臨んで睡たくなってはなりませぬ故、わたくしはこれにて失禮して寢まする。皆樣はなほ十分に召上り、興をつくしてお歸り下さいませと挨拶されて、別間にさがって床につかれましたが、すぐすやすやと寢息して寢入りなされました。

これは拙者まさしくこの目にて見、この耳にて聽きましたこと。

次は翌日その場に立會はれた方々からお聞きしたことでござるが、いよいよその座に直られるや、檢視の役人に向って、わたくし年少とは申しながら一旦の怒りのために無調法をいたし、御厚恩に報ひ奉る折もなく、かくの如くなりますのみならず、尊き人命を奪って御大切なる御家人の一人を失ひ奉りましたこと、申譯次第もござりませぬと從容たるご挨拶の後、見事なる死をとげられました由、

前夜のことと申し、この時のことと申し、目前に見たる者も、傳へ聞いたる者もあはれこの少年無事に生ひ立ちたらんにはいかばかりよき者となったらうにと、をしまぬ者はござりませなんだ」

藤平はもうたまらなかった。せきあげてくる聲ををさへようとしたが、問に合はなかった。

いきなり、わっと泣き出してゐた。義鄰は尾籠なすがたを見せるな、あちらへ行けとたしなめたが、藤平は腹立たしげに。「泣かずにをられませぬ。泣かずにをられませぬ。これが泣かずにをれますことか」

とどなった。動かなかった。

動くものかと思った。いくらでも大きな聲で泣いてやると思った。が、もう泣けなかった。

ただ、やけくそな氣持が、ふてぶてしくそこに坐らせてゐた。義鄰は重ねて行けとは言はないで、鳩巣に、下賤の者とて見苦しき樣子をお見せして恥かしく存じますが、これは九十郎を育てた者でござりますれば、笑ってお見過ごし下されと挨拶して、さらにつづけた。

「伜最後の模樣、御芳情にてくはしくうけたまはり、お禮の申しやうもござりませぬ。

幸いにして見苦しき樣も見せませなんだ由、親として安心この上もござりませぬ。

いつぞやのお手紙にて、忰が尋常なる樣子にてあるとお知らせを給はりましたものの、實のところは案ぜずにはをられなかったのでござりまする。

なにを申すも年若の者、あるいは人にすかされ、あるいは身の恥を思うて、一時は心を猛く持っても、いつまでその心を持ち續けてゐることが出來ますやら。

子供に灸治などします時、はじめは人にすかされて思ひのほかにおとなしく見えまするが、いざその時になって火をとって向へば、にはかに泣き出したり騷ぎ山したりするのはよく見ることでございます。

伜もまた幼氣の失せぬ十五といふ年、さやうなことがなければよいがと、今日までの拙者の心勞、ひとへにここにのみござって、夜の目も結びかねるほどでござりました。

が、見事にふるまうて死んでくれましたとか、見事にふるまうて……」

義鄰の聲はにはかにふるへを帶びてきた。そして、それをおさへようとするやうにとぎらして、じっと庭を見てゐたが、いきなり、

「お笑いくだされ」

とさけんだかと思ふと、懷紙をとって顏におしあてた。

旦那が泣いてゐる、と思った時、藤平ははじかれたやうに庭をとび出して、薪小屋のそばまで來て、そこに立ちどまった。

屋根の上につばめが二羽、翼をのばしたり、肩をすくめたりしてくちばしでお化粧をしながら、にぎやかなおしゃべりをしてゐる。

藤平はそれをはっきりと見ながらも、それが燕であると氣もつかず、啼いてゐる聲も聽へず、聲を立てずにほろほろと涙を流しつづけた。

秋のやうに爽涼な風がわたって、白い雲が二きれ三きれ空にただよってゐる日であった。>

◆朝日慰安婦報道に史上最大の集団訴訟

加瀬 英明



私は2月に東京・有楽町にある外国記者クラブ(外国特派員協会)に招かれて、水島総チャンネル桜会長と2人で記者会見を行った。

1月に水島氏が中心となって、『朝日新聞社を糺す国民会議』が、慰安婦問題について捏造報道を行ったことによって、日本の国際的評価を大きく傷つけたことに対して、損害賠償と謝罪広告を求める集団訴訟を起した。

私は多くの原告の1人に過ぎないが、水島氏に誘われて記者会見に臨 んだ。

記者会見の時点で、朝日新聞に対する訴訟に原告として、全国から2万3千人以上が加わっていた。

まず、私から発言することになった。

「今日の記者会見で会員に送られた案内に、不満がある」と前置きして、「『主流の歴史学者(メイン・ストリーム・ヒストリアンズ)が、日本軍が1930年代から40年代にかけて、女性たちを慰安婦として売春施設に働くのを強制したことを、歴史的事実としているが‥‥』と、書かれています。

私はアメリカのニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナルなどに寄稿もしていますが、歴史学者(ヒストリアン)として紹介されています。私は自分を主流だと思っているから、大きな間違いです」と言って、こう加えた。

「また、私を『修正主義史観(リビジョニスト・ビュー)の代弁者』だといって紹介していますが、日本がアメリカによって占領されて、『修正主義史観』を強要され、今日に至っています。私は自分が修正主義者だと、思っていません」

「正しい歴史を歪めたのは、アメリカではなかったか」


質疑応答に入ってから、アメリカの記者が立って、「慰安婦が性奴隷(セックス・スレイブ)だったと、国際社会が認めているではないか」と、質問した。

私は腹が立ったので、「日本には長い歴史を通じて、奴隷制度が一度もなかった。19世紀後半まで奴隷制度があったアメリカ人から、そのような質問を受けたくない」と、言い返した。

そして、「日本には、都市(まち)ぐるみ虐殺する大虐殺も、カトリックとプロテスタントに分かれて、際限なく殺し合った宗教戦争も、なかった。もっと、日本について、勉強しなさい」と、叱った。

私は50年にわたって、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを、攻撃してきた。

今から40年前になる昭和50年に、月刊『文芸春秋』に、朝日新聞について27ページにわたる長文の批判を寄稿した。

「最近朝日新聞紙学」という洒落(しゃれ)た題名をつけたが、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えると言ってきた。裁判は望むところだった。

福田恆存氏をはじめとする知識人が、私の応援団をつくってくれることになった。ところが、ある財界人が間に入って、文芸春秋社に圧力をかけたために、裁判は実現しなかった。

日本の新聞は民主社会のなかで、遅れた面をつくってきた。

欧米の新聞が、民衆の中から生れてきたのに対して、日本の新聞は明治に入って、藩閥政府に不満を持つ元武士がつくった。これらの元武士はエリート意識が強く、蒙昧な民衆を導くという、使命感に駆られた。

いまでも、日本の新聞は誰に頼まれたわけでもないのに、「社会の木鐸」であることを自負している。欧米では新聞が読者と対等な関係を結んでいるが、日本では読者を上からみる目線で、見降ろしてきた。

そのなかでも、朝日新聞は「これを読め」という態度で、読者に接してきた。朝日新聞は32年間にわたって、慰安婦について虚偽の報道を撤回しなかったが、読者を大切にしていないからだ。

社会を教え導く木鐸を気取るのを、やめてほしい。

2015年04月14日

◆北京がベトナム総書記を異例の大歓待

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)4月13日(月曜日)通算第4513号>  


 〜オバマ、カストロ会談の陰に隠れたが
  ベトナム総書記、北京を訪問し異例の大歓待を受けていた。〜


12日の中国紙は一斉にベトナム総書記の訪中を「歴史的な成果」があったと報じだした。

2014年5月の「反中暴動」から1年も経ずして、両国は本当に仲直りしたのか、どうかは大いに疑問とするところだが、これを中国は「アジア周辺外交の勝利」を位置づけた。

ついでに中国メディアは言った「南シナ海をめぐる米国の対中批判はあたらない」と。

ベトナムの外交は「バランス」重視である。ロシア、中国、そして米国。付随的に日本、インド、韓国を重視している。

対ベトナム援助は日本が最大、企業進出では韓国、中国、日本の順である。

そして8000人の中国人が暴動以後、中国から去ったが、しずかに復帰していた。中国各地の観光資源には韓国、中国の順番となった。

総書記訪中の直前にベトナムはメドベージェフ(ロシア首相)をハノイに迎えた(4月6日)。グエン・タン・ズン首相はロシアが最大の武器輸出国であり、またロシア主導の「ユーラシア経済連合」との自由貿易協定を近く締結することで合意した。

ベトナム沖合の海底油田の油井リグは、ベトナムがロシア、インドなどとの合弁で進めているサイトが多くあり、他方でベトナムは米軍との共同軍事訓練を実施している。国交回復20周年として、ダナンには米海軍の駆逐艦などがはいった。

そのうえでグエン・フー・チョン共産党書記は北京を訪問したのだ。

4月7日から10日の4日間にわたるベトナム最高指導者の訪中を、中国は21発の礼砲で迎え、習近平総書記ほか、政治局員のじつに3分の1が会見するほどの熱の入れようを見せ、「社会主義政権同士の友誼とこんごの社会主義の発展はホーチミン、毛沢東以来の両国の伝統である」と声明する。

ベトナムも中国もしたたかである。    
   

◆「成年後見制度」で安心生活を

永木 友雪(弁護士)



私たちは、部屋を借りたり、物を買ったり、買い物をしたり、いろいろな契約を結んで、生活をしています。

契約を結ぶ際、私たちは、契約の内容を理解して、どのような利益や負担が生じるのか判断して意思決定します。

しかし、認知症の方や知的障害のある方等のように、適切に意思決定をすることが困難な場合があります。

このような場合、ご本人や、その親族等からの申し立てにより、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあると裁判所が判断すれば、後見が開始され、成年後見人が選任されます。

成年被後見人の法律行為は、取り消すことができますので、成年被後見人が、例えば、ひとりで訪問販売の勧誘を受け、高額な契約をしてしまったとしても、後から、本人や後見人が取り消すことが出来ます。

但し、日用品の購入その他日生活に関する行為は取り消すことは出来ません。

その他、例えば、施設に入る必要がある、介護サービスを受けたい等、必要な契約があれば、後見人が被後見人の意思を尊重して、本人の代わりに契約を締結することができます。

このようにして、被後見人の意思を尊重しながら、安心して社会生活を営むことができるようにするのが成年後見制度です。

ご家族の中で、意思決定をひとりでさせることにご不安がある等のお悩みがあれば、ご相談ください。






2015年04月13日

◆クネ韓国号は沈没寸前

平井 修一



クネ政権が大スキャンダルでいよいよ末期症状になってきた。朝鮮日報4/11「成完鍾リスト、朴大統領は全力で疑惑を解明せよ」から。

<李明博政権で行われていた海外資源開発と関連し、横領などの疑いで検察から事情聴取を受けていた建設・開発会社「京南企業」の前会長・成完鍾氏が、自殺直前に自ら録音したとされる内容が10日に公開された。

(いつ誰に秘密資金を提供したかという録音の他に)成完鍾氏が自殺した際に着用していたズボンのポケットから発見されたメモで名指しされた人物は、ほとんどが朴槿恵大統領の側近とされる人物ばかりで、いずれもセヌリ党、政府、大統領府などの要職経験者だ。

そのため、もしリストの内容が事実であれば、朴槿恵政権を揺るがす問題であることから、このニュースに韓国の国民は誰もが衝撃を受けているはずだ。

朴大統領も今こそ必要であれば誰であっても切り捨てる悲壮な覚悟を持って、側近の汚職疑惑を解明しなければならない。

側近たちが違法に現金を手にしたことが事実と確認された場合、政権運営にはもちろんマイナスに作用するだろうが、それをかばうような印象を国民に持たせてしまうと、朴大統領自らもさらに困難な窮地に追い込まれてしまうだろう。

そうなれば四大改革などといった政権運営推進のエネルギー自体が失われるのは間違いなく、残り3年の任期も傷ついた状態で無駄に過ごさねばならなくなるはずだ。朴槿恵政権は、現在間違いなく発足後最大の危機を迎えている>(以上)

反日音頭を踊っているうちにクネの足元に火がついたわけだ。朝鮮日報もかなりの危機感をもってオタオタしているように見えるが、不通のクネは何もできないだろう。青瓦台に引き篭るだけだ。政治はボロボロ、経済、社会もボロボロ。出口なし。

経済評論家・三橋貴明氏の論考「自殺率はOECD諸国で10年連続1位 韓国貧困高齢者の悲惨な現実」(夕刊フジ2/28)から。

<今回の連載第2回で、過去1年間に「貧困のため、食料を買えなかった経験」を持つ人の割合は、日本が2%(2013年、以下同)、中国が8%であるのに対し、韓国は何と26%であると書いたが、衝撃を受けた読者が多かったのではないだろうか。

さらに指摘すべき点は、韓国は「貧困のため、食料を買えなかった」人の割合が、過去のデータと比較して「増えている」という点だ。中国は下落傾向、日本は横ばい(日本の数値は世界最低であり、さすがにこれ以上は下がらないだろう)である。

日中両国とは異なり、韓国では「現在進行形」で貧困問題が拡大していっていることが分かる。特に悲惨なのは「高齢者」の貧困化だ。

韓国保健社会研究所の報告書「最近の貧困および不平等推移とその示唆点(15年1月21日公開)」によると、韓国の高齢者の貧困率は48%に達した。信じがたい話だが、高齢者の貧困層が半分に迫っている。全体平均(13.7%)と比較すると、実に3.5倍だ。

《ハンギョレ新聞(15年1月14日)によると、OECD(経済協力開発機構)諸国(34カ国)で、高齢者貧困率の平均は11%前後だが、韓国は48.1%と1位。『高齢者の雇用不足が最大の原因』という。次に高齢者が貧しい国はオーストラリアで30.2%。福祉制度が行き届いているオランダとルクセンブルクは、それぞれ1.5%、2.8%》

韓国の自殺率が、OECD諸国の中で1位である事実は、最近、ようやく日本国民にも知られてきた(何と10年連続で1位である)。実は、韓国の自殺率を引き上げている最大の要因は「高齢者貧困層の自殺」なのだ。

韓国で11年、65歳以上高齢者の自殺率は、10万人当たり81.9人(以下同)だった。日本が17.9人、米国が14.5人に過ぎないため、韓国で高齢者として生活することが、いかに悲惨であるかが分かるだろう。

高齢者が貧困生活を送り、現役世代の賃金が名目でも実質でも下がり続ける反対側で、財閥オーナーと家族たちが「貴族」として栄華を誇っている。

大韓航空前副社長の趙顕娥被告が、機内でのナッツの出し方に激高し、離陸を遅らせた「ナッツ姫」事件。さらには、LG電子の趙成珍社長が、ドイツの家電見本市でサムスン電子の洗濯機を壊したとして在宅起訴された事件などを見れば、「貴族」たちが韓国国内でどれほど横暴に振る舞っているかうかがい知ることができる。彼らは、李氏朝鮮時代の両班(ヤンバン=貴族階級)の再来なのだ。

韓国は一応、民主主義国家である。大統領選挙のたびに、候補者たちは財閥問題を解決するための「経済民主化」を訴える。もちろん、朴槿恵大統領とて例外ではなかった。とはいえ、現実に政権の座につけば、財閥の専横を抑えることはできない。財閥の政治力が大きすぎ、誰も太刀打ちできないのだ。

韓国において、真の意味で財閥問題を解決したいならば、それこそ「革命」でもやる以外に、方法がないのではないだろうか>(以上)

天誅・・・日本は絶対に韓国に手を差し伸べてはいけない。放置しておけばいい。「放韓」、これに尽きる。むしろ難民が日本へ入国しないようにビザ規制を厳重にすべきだ。在韓邦人を人質にして身代金を取るだろうから、邦人には早目の帰国を促しておいた方がいい。拉致、テロは半島人の得意技だから警戒が必要だ。

韓国号が間もなく傾く。クネ船長は真っ先に逃げるのか。親父が作って娘が潰す。朴が先かルペンが先か、それとも大塚か。「朴に1000点」。ホワイトナイトはIMFか、それとも習近平か。ワクワクドキドキ、春の宵は韓流歴史ドラマを楽しむべし。(2015/4/11)

      

◆誇張・歪曲・扇動する韓国メディア 

黒田 勝弘



日本大使が90度に腰曲げ…?

中学教科書検定や「外交青書」で、竹島(島根県隠岐の島町)が日本のものと記述されているとまた韓国が大騒ぎしていた。毎度のことながらうんざりだ。

領土問題で自国の公式的立場を教科書や政府文書に記述するのは国際的に当たり前の ことである。日本からは「お宅もそうじゃないの」いや「お宅はもっとやっている ではないか」で済む話だ。

それを韓国マスコミは「日本また挑発」「安倍政府が独島(竹島の韓国名)総攻勢」「安倍の右傾化爆走」…などとスポーツ紙並みのノリで日本非難の大 報道を展開している。

とくに日本が竹島について何か言ったりすると必ず「挑発」という決まり文句が出るのも不思議である。自分たちは武装警備隊を宿舎付きで常駐させ、ヘリ ポートやレーダー、砲台…を設置し、埠頭(ふとう)まで建設して年間20万人以上 の観光客を上陸させ「独島万歳!」を叫ばせている。しかも大統領までヘリで上陸し ている。国際的にはこういうのを挑発という。

自分はやりたい放題の挑発を続けていながら、相手のささいなことには大げさに言いつのる。

今回の“独島騒ぎ”ではひどいエピソードがあった。駐韓日本大使が韓国外務省に呼び出され抗議されるという恒例のシーンで、韓国の新聞は別所浩郎大使 が韓国外務次官の前で腰を90度近く折って深々と頭を下げている写真を1面トップに 掲載したのだ(7日付、東亜日報)。

一瞬、「まさか?」と思ったが、写真説明にはわざわざ「別所大使は腰 を傾けたが申し訳ないという意味ではなかったといわれる。別所大使は次官とあいさつを交わすとき、腰を傾けそのまま椅子に座った」と書かれていた。

何のことはない。椅子に腰掛ける際に腰を折った瞬間をとらえた写真だった。それを頭を下げて謝っている風景として読者(国民)に印象付けようとしたの だ。日本相手となると誇張、歪曲(わいきょく)、扇動があふれる韓国マスコミの体 質を象徴するような症例である。

こうした悪意への防止策として日本大使館では大使以下に「表情管理」が求められてきたが、今後は「姿勢管理」も必要となったようだ。

ところで日本では昔、北朝鮮情報専門のメディアで長年、北朝鮮の放送を傍受しその翻訳をやってきた担当者が最後は心を病んで退職したという実話があ る。あの激烈な宣伝、扇動放送に長年付き合ってきたため病気になってしまったのだ。

韓国メディアが量産する“安倍たたき”をはじめとする激しい反日情報、反日報道は今、ネットを中心に日本社会に即時、大量流入している。

韓国滞在が長 い筆者など“反日免疫”ができているが、そうでない普通の日本人は「韓国は毎日、日 本の悪口ばかり言っている」と驚き、怒るに違いない。

その怒りが高じたのが嫌韓感情で、日本では今や街の声に「国交断絶」という極論まで聞かれる。ところが日本人がなぜ韓国に怒り、ある種の“韓国離れ”の 現象が起きているのか韓国社会にはほとんど伝えられていない。反日に自制のない 韓国マスコミの罪は大きい。
(ソウル駐在客員論説委員)

産経ニュース【から(韓)くに便り】2015.4.12
                     (収録:久保田 康文)


◆日米で経営がどう違うか

前田 正晶


畏友・尾形美明氏と以下のようにこの件で興味深い意見交換をしました。

尾形氏の意見:

GEが大胆な変身を実行しています。14年には営業利益の40%強を占めていた金融事業を16年までに25%まで引下げる方針でしたが、、10日には、更に18年までに10%以下に縮小する目標を発表しました。脱金融を進める一方で、産業分野では「選択と集中」を進め、経営資源を製造分野に集中投資する姿勢を鮮明にしている。

この辺の大胆な方針転換が米国企業の底力だと思います。よく「米国はモノづくりを忘れて、金融業に走っている」などと言いますが、単純には割り切れないところがアメリカです。

米国政府の政策や外交にも見られることですが、時にはおかしいと思われることもありますが、間違っていると気付いたら、大胆に修正するのもアメリカです。結局、世界最高レベルの頭脳が参集し、過去のしがらみに拘ることなく、問題点を分析し、対策を建てるからでしょう。

この点は、辞任を表明したJA全中の万歳章会長には申し分けありませんが、日本では困難なことです。政治と結び、圧力団体と化し、どうしようも無くなるまで改革を拒み続けます。

前田の反応:

上記を読み終わって考えたのですが、在職中に私が唱えていた「アメリカの経営者の判断は我が国から見れば『誠に厳しく、時には冷徹を極め、あるいは果断であり、意表をつくものがある』と見えるが、それは彼等の思考体系が二進法であり二者択一であるに過ぎないのを、我が国の妥協点や落としどころを探り、時には衝突を回避する決断と比較するからである」を思い出しました。彼等は「決めたことを守っているに過ぎないのだ」という意味でもあります。

それは「新工場を作ってRONA(総投下資本利益率)が5年後に15%に達していなければ閉鎖か売却」を条件にして操業開始したとしましょう。それが5年経って14.9%に終われば「残念でした」とあっさり撤退とするのです。これを我が国の視点で見れば「冷酷無残、厳しい、果断、迅速な決断」等に見えるが、彼等はただ単に「決めたことに従っただけ」と言います。

これを得意の「文化の違い」と割り切れば簡単ですが、内側にいて彼等の瞬時に下す勇気あるというか「良くそこまでの思い切りが出来たな」と感心させられた判断の背景には、多くの選択肢からの煮詰めて残ったものを「やるか、やらないか」を決めるだけのように捉えて見ていました。私の経験では副社長兼事業本部長は「これ」と思う案件を持ち出して会議を招集して周囲にいる者の意見を聞くのですが、決意が変わったことはありませんでした。

それでは独断専行ではないかとも思われるでしょうが、それが事業部の最高責任者が持つ(与えられた?)権限であって、それを実行して誤りだったと判明すれば辞めるだけだったでしょう。幸運にも我が上司の決断は全て成功し、我が国での市場占有率第1位の座を占めるに至り、彼の93年の突然の辞任後22年を経た今でも第1位を維持し、小さな規模になってしまったW社全体の中でも利益がが上がる事業となっています。

私は彼等の権限を持った者(VP兼GM)やCEOが決断していく経営方式と、我が国式の衆議一決式の何れが良いかという議論は避けますが、GEの場合と言い我が上司と言い、少数の優秀な者が牽引していくアメリカ式には「板子一枚下は地獄」的な長所と欠点がある気がします。長所は勿論「結論を出すのが素早いこと」ですが・・・・。それに「余程優秀な人材を集めておかないと」が絶対条件。その優秀さの度合いも近頃流行りの芸人風に言えば「半端ない」優秀さです。

尾形氏からの反響:

鋭いご指摘ですね。

 ・彼らの思考体系は二者択一であり、我が国の妥協や落としどころを探る、或いは、衝突を回避する判断とは異なる

 ・独断専行的な感じもあるが、それが与えられた権限であり、責任である。それを実行して目標が達せられなかったなら、辞めるだけだ。

 ・アメリカ方式には、「板子一枚下には地獄」的な長所と欠点があるように思う。

このような思考は、日本では戦国時代の武将しか通用しない思考ですね。信長は、多分、誰にも相談しなかったでしょう。武田信玄や毛利元就なども殆ど同じだったと思います。忍びを使い、情報を集めて、手段を選ばず、敵対する陣営を切り崩し、最後は弱った相手に武力で止めを刺します。

秀吉や家康の時代になると、少し様子が変わって、余り露骨な事は出来なくなったので、周りの意見も聞いたでしょう。天下を治めるには人望や大義名分が必要になったからです。それに、圧倒的な武力や財力が誰の目にも明らかになっていれば、無理をする必要はありません。

話が逸れました。要するに、徳川300年の太平の世を過ごすうちに、日本人の思考は「和」を重んじると言いますか、「白か黒か」をはっきりせずに、何となく合意・納得する方向で、妥協や落としどころを見つけるようになったのだと思います。何しろ、一生、町内から出ないで暮らす人も結構いたのですから。

でも、これからはあらゆるビジネスがグローバル化していますので、そうした日本人の思考も変わらざるを得ないでしょうね。『チャイナハラスメント』(松原邦久、新潮新書)を読んでいますが、中国でのビジネスなども、徹底した「性悪説」で遣らないとカモにされるだけです。中国人を「同じ人間」「分かってくれす筈だ」と思ったら、大間違いです。

前田からの意見:

何となく尾形さんに触発されてしまいました。この件を続けます。

アメリカの経営では「新卒から教育されて一定の年功を重ねて昇進」という形がなく、ある日突然思いがけなく上司が替わります。しかもその上司(マネージャーよりも上のジェネラル・マネジャー=GM)は事業部内で最高の年俸を取っていますから、それに見合うだけ責任も権限も大きくなっています。

嘗て最初に転身したM社の日本代表者は「総支配人」という名刺の肩書きでしたが、英語は"General manager"で、その意味は「ジェネラルにマネージすることで、即全責任を負っていると考えろ」と教えられました。

アメリカの組織に入ってみればGMの権限がどれほど大きく強大かが解ります。私の上司は「命令したことを直ちに実行に移すことを求める」型で、忠実に守らなかった管理部門担当だったマネージャーを2度目には問答無用で解雇しました。

彼は地方の工場のローカル採用の経理係でしたが、余りの才能に惚れ込んだ多くの事業部から勧誘されて本社勤務に上がってきた珍しい例でした。即ち、所謂「ノン・キャリ」でした。それが本社機構の中でトントン拍子で昇進して39歳で本部長になり、42歳でVPになってしまいました。

彼は事業部の大改革を企図し工場の抄紙機の大改造を計画したのですが、理工系ではない彼の改造論には工場も本社の専門の技術者も、誰一人反論出来ず、それに従って実施されました。

その理論は皆が「あれほど多忙な彼は何時何処であれだけ勉強したのだろうか」と驚き且つ呆れたほど幅広く深いものでした。改造が終わって出来たマシンは業界の何処にもない最先端を行くもので、今でもそのマシンで造る紙の品質は一流なのです。

彼を礼賛しているのではなく、年功序列のシステムがなく、積み上げた経験が余り物を言わないアメリカの会社組織の長所を申し上げていたのです。だが、彼のような才能の持ち主は彼よりも上位にいた者に疎まれて、50歳になった年に実質的にいびり出されて依願退職となりました。このような能力と個性に満ちあふれた者は短期間に昇進します。

一方では「俺は身の丈相応に仕事をさせて貰ってそれなりの給与が貰えれば結構。沢山取って朝は早から出勤し毎日8〜9時まで残って仕事をし、土・日を犠牲にするような地位は要らない」という出世を放棄する者もいます。

彼は州立の四大しか出ていないMBAではないという例外的な副社長でしたが、上を狙う者は皆有名私立大学→2〜4年の社会人経験→有名ビジネススクールのMBAというコースを経て「キャリヤー組」として中途入社してきます。

ひねった言い方をすれば「経験がないから、怖いものがないのか、怖い物見たさでか、思い切った経営方針が打ち出せるのではないか」と感じるほど彼等は大胆です。その大胆さを実行に移せる機会は有名私大のビジネススクールのMBAを取っておかないと巡ってこないとも言えるのでは。

私はこういうアメリカ式と我が国の会社との文化の違いを論じているだけで、何れが優れているかは論じません。


尾形氏からの反響:

この辺の日米企業文化の違いは、外国企業勤務の経験のない日本人には、先ず、理解不能ですね。驚くのは、転勤でもそうです。日本の企業であれば、人事部が一切面倒を見ます。ところが、外人行員の場合、本店に帰るには部門のボスが、「俺のところに来い」、ということが必要なのです。

彼らが、力のあるボスに忠実なのはよく分かります。逆に言えば、ボスがこけると、そのグループがお払い箱、ということになります。でも、企業・銀行としては、新しいボスの下でそのグループが結果を出してくれれば、それでいいのです。

もっと、分かり易い事例では、軍の幹部や司令官の人事です。日本の場合は士官学校や兵学校の卒業年次や成績が考慮されましたが、アメリカの場合は、作戦に失敗すると、罷免されます。また、職業軍人でなくとも、民間出身の専門家は最初から重用されます。こうした点は、アメリカの強さでしょうね。

前田からの反応:

私がW社に転身する切っ掛けを作った日本人代表で東京の副社長だったやり手の元商社マンが言いました。「彼等は"result-oriented"で飽くまでも結果を求めてくる。日本は"process-oriented"で、仮に結果が出なくとも「途中まで良くやっていたじゃないか」と評価する優しさがある」と。

言い得て妙ではありませんか。確かに、彼等はごく普通に"Where is yourresult?"と言います。

尾形氏の纏め:

仰せの通りです。「Where is your result?」ですか、確かに彼らの世界を見事に表わす言葉ですね。だって、ボス自身がresultsを問われているのですから。日本のように「彼は頑張ったが、残念ながら結果が出なかった」などというわけにはゆきません。

世界中からの文化も考え方も違う人々が住むアメリカです。能力第一であり、結果が全てということは仕方がないですね。日本のように、後何十年も同じで会社や地域社会で暮らして行かざるを得ない世界とは違います。

◆赤ヘルが鍵握ってる酒の味

馬場 伯明



友人のK君からのメールに讀賣新聞の川柳の転載があった。広島の人の作らしい。この人は正真正銘のカープファンだ!(讀賣新聞2015/4/8「熟年川柳」)
  
赤ヘルが鍵握ってる酒の味  

そ、そう、そうなのだ。この人はファンの気持ちをピタッと表現してくれた。ありがとう。1年365日酒を飲んでいる私である。プロ野球のシーズン中の酒の味は確かにカープの勝敗に連動している。

私はTVの前で、まだ見ぬ広島の人とタッグを組んだつもりで一喜一憂し、共感・共飲する。

半世紀以上の古参のカープファンを自認している。昨年末ヤンキースの黒田博樹投手(40歳)が年俸20億円を振り切り、古巣のカープへ凱旋帰国した。日本中がこぞって黒田を「男の中の男!」と称えた。

3/29、黒田はマツダスタジアムでの第3戦(ヤクルト戦)に登板し7回0点に抑え1勝。4/4中日戦では打線の援護がなく敗戦。1勝1敗、防御率1.93で前評判どおりの投球である。

だが、カープはスタートダッシュに失敗した。黒田投手の加入で一気に走るつもりだったが、打線の予想外の不振で4/10現在4勝8敗の最下位だ。しかし、私たちカープファンはめげてはいない。シーズンは始まったばかりである。

朗報!直近の4/8には野村投手の粘投により巨人に勝利3:2。いいぞ。とにかく先の川柳のとおりである。翌日の前祝にまたビールを飲んだ。

赤ヘルの連勝次第酒の味
マエケンに連勝託す前祝い

翌4/9の巨人戦、マエケン(前田健太)が快投、7回0点、1:0で巨人戦に連勝。「どんどんよくなる法華の太鼓!」の酒の味である。

4/10の深夜、K君からメール。ある飲み屋の再現シーン。《 古めかしい小さな赤ちょうちん飲み屋。離れ離れの席の2人の客は、知らぬ同士のカープファンらしい。店の隅っこの三角棚の古いTV(カープ戦)を見上げている》。次はK君の作。

赤ちょうちん目(まなこ)うつろに客ふたり赤ヘルはまだまだちびりちびり酒
行け行けと跳ねる赤ヘル(おやじ)もう一杯赤ヘルの棚に黒田*の銘酒見え  (* 紅乙女酒造「黒田八虎」)

「俺は決してカープファンじゃないんだけど、ただ、影響されやすい人間なもんで・・・」という謙虚なコメントがあった。私たちカープファンへの臨時の応援者であり善意の同情者なのだ。ありがとう。

カープファンにとっては、酒は旨いも苦いもカープ(赤ヘル)の勝敗次第である。たとえ、広島の銘酒「誠鏡の『幻(赤)』」であっても、負けてしまえば苦い酒になってしまう。

ところで4/10夜、カープは三連勝を狙えたが甲子園には雨が降り試合は中止となった。しかし「強がりはよせ!」とK君の裏声が聞こえる。開幕以来、試合は緊張の連続だった。本当はカープの選手とファンにとっては恵みの雨だったのである。

「選手にしてみれば万々歳だろう。6連戦の間に休めるんだから。タフな試合が続いてきたからね。気持ちも張って、体も目いっぱいだっただろう。いい休養になるだろうね」と緒方監督(4/11デイリースポーツ)。

その慈雨を踏まえての愚作。

赤ヘルに干天の慈雨甲子園
負けがない雨雨降れ降れもっと降れ
雨降りて心置きなく独り酒

雨降りて肩を寄せ合う二人酒
五月来い雨が止んだらエルドレッド
一休み三連勝で二休み

胃が軋むカープの選手とファンへのプレゼンとの雨。♪私のいい人休ませて!黒田は40歳。PC勝敗チェック不要。ファンのK女さんと二人酒をしたいな。主砲エルドレッド、早く来い。雨・三連勝・雨・三連勝・雨でも、いいな。

「影響されやすい」と言ったK君の応援と同情に心から感謝する。さあ、4/11今日から連勝街道を一直線に驀進だ。甲子園は晴れ、黒田、頼むぞ。では、14:00からの阪神戦へ向けての一つ。  

では今日は軽く蹴飛ばし虎退治

そして、・・・2015/4/11(土)14:00からの甲子園で阪神に7:2で快勝。黒田投手の伝家の宝刀のツーシームが冴えた。6回18人のアウトのうち外野フライは1個だけ、内野ゴロの山を築いた。4回には渾身の投球で152kmを出した。

阪神から戻った新井貴博(38歳)がタイムリー2塁打でヒーローインタビューのお立ち台に立った。3連勝。4・5・6と連勝を伸ばせ。

(ずるい後講釈ではあるが)4/11今日の阪神戦は(わかっていたような)カープの必然的勝利であった。黒田が一味違う「貫禄」を見せつけた。黒田が偉かったのだ。黒田博樹よ、ありがとう。

Carp Fan黒田黒田でアル中不安(Fuan)

飲み過ぎるのはよくないけれども、折しも、紅乙女酒造(福岡県久留米市)から黒田官兵衛所縁の麦焼酎「黒田八虎」のカープ限定版が売り出されている。それにしても、紅乙女酒造ってカープ女子の専属のような酒屋だなあ(笑)。

世知辛く不透明な世の中である。そこへ颯爽と登場した男の中の男!黒田博樹なのだ。私も「黒田八虎」で乾杯だ!カープのさらなる連勝を祈る。栄冠をつかめ!
(2015/4/11千葉市在住)


◆アバダンの日章旗(下)

伊勢 雅臣


〜 出光「日章丸」の帰還

イギリスの圧力をものともせずにイラン石油を持ち帰った出光は、日本国民を奮い立たせた。

■1.「紀伊国屋文左衛門と言われたが、とんでもないことです」

昭和28(1953)年4月、アバダンに日本船らしきタンカーが入港したと いう報道が次々となされ、やがて出光興産の「日章丸」と断定された。佐三はもう隠す必要はないと、記者会見に臨んだ。

「日章丸はアバダンに安着いたしました。イランの国有石油会社から石油を買い付けて、目下積荷中です」と佐三が語ると、記者団はどっと沸き、 質問が相次いだ。英国に拿捕される心配はないのか、トラブルは生じない のか。佐三は一つひとつ丁寧に答えていく。

最後に記者の一人が質問した。「現代の紀伊国屋文左衛門のご感想を聞きたい」 元禄時代、嵐で江戸への航路が閉ざされてミカンの値段が暴騰していた時に、紀伊国屋文左衛門は嵐をものともせず江戸にミカンを運んで巨利を得た。その故事になぞらえた質問だった。佐三はきっとなって答えた。

「紀伊国屋文左衛門と言われたが、とんでもないことです。思い違いも甚だしいと言うべきでしょう。諸君は私が一出光のために、これを決行したと考えておられるのでしょうか」。

会見場がしーんとなった。


■2.「広い大道」を行くような「ごく自然な歩み」

佐三は続けた。

「断じて違います。私はそんなちっぽけな目的のために、日章丸と50余名の乗組員の貴重な生命を危険にさらすようなことはしません。・・・

諸君はイラン石油の輸入を、突飛な離れ業のように思っておられるらしいが、そうではない。広い大道をゆっくりと歩いているような、ごく自然な歩みなのです。それは私が常日頃主張する人間尊重主義のドラマの一幕に過ぎません」。[1,p218]

石油しか資源のないイランでは、AI社に石油を独占されて、80%も の国民が栄養失調になるほど苦しんでいる。かたや日本では経済発展しようにも、国際石油資本から高い石油を買わざるを得ない。

イランから直接石油を買い付けて日本に運ぶことは、真に両国民の幸福を考えたら、「広い大道」を行くような「ごく自然な歩み」である。それが佐三の言う人間尊重主義であった。

それをあたかも「突飛な離れ業」のように見なすのは、欧米石油資本の独占を当たり前のように考えているからだろう。イランの国民から石油を買い叩き、日本には高い値段で売る。それは利益尊重主義であって、人間尊重主義ではない。

しかし、英政府は「AI社の利益保護のため、あらゆる手段を取る用意がある」と関係各方面に伝えた。日章丸は果たして、イランの石油を日本にまで運ぶことができるのか。世界が固唾を呑んで成り行きを見つめていた。


■3.英霊の御加護か

日章丸は2昼夜と5時間かけて、ガソリンを一杯に積み込んだ。ガソリンの重さで、船底と河底は1mもない状態になった。ここで座礁しては世界の物笑いになりかねない。福田二等機関士は、こう証言している。

「間もなくズシンという音がして(JOG注:浅瀬に乗り上げ)、一瞬船体がぐらついた。やっと浅瀬を乗り切ると、ディーゼルエンジンを冷却している船底弁に土砂がつまり、シリンダーの温度が上がった。そのため一時停止して、掃除し、次の瀬を乗り切った。炎暑の機関室で死闘が繰り広げられた」。[1,p222]

ペルシャ湾に出ると、英国艦隊のアンテナにかからぬように、一切の交信を断って、全速力で航行した。インド洋を横切ると、往路で使ったマラッカ海峡では拿捕される可能性が高いので、スマトラとジャワの間のスンダ海峡を通った。

ところが、ここには浅い海底に、戦時中に撃沈された日本の輸送船の残骸がたくさん横たわっている。それらに触れたら座礁である。目の良い乗組員を選んで夜通し見張りをさせた。

朝起きてみると、後方に沈没した日本船のマストが2本突き出ていた。日章丸はその真ん中を通ってきたのである。皆ぎょっとした。出光を応援する英霊の御加護か。


■4.全面対決の始まり

日章丸が東シナ海を航海している頃、英国のロバーツ駐日公使が外務省を訪れ、厳重な抗議をした。「出光興産の行動はイラン石油に関する英国の法的措置を破るものであり、黙視できない」 いよいよ外交問題となってきた。

佐三はAI社が東京地裁に日章丸に積んできた石油製品の差し押さえを請求してくるだろうと読んだ。石油製品を船に積んだ状態で差し押さえられたら、日章丸は身動きできなくなる。裁判の前に積み荷の陸揚げを完了しなければならない。

佐三は考えた。裁判所は日曜日は休みである。土曜日に港について、日曜日にかけて陸揚げしてしまえばよい。日章丸に「5月9日(土曜日)正午、川崎港に帰着せよ。午後より陸揚げの予定」と暗号電報を打った。

さらに東京と横浜の地裁には上申書を提出して、「AI社が提訴してきても、同社の言い分を聞いて差し押さえの裁定を出さないようにしてほしい。こちらの言い分も聞いて欲しい」と訴えた。これでAI社が差し押さえの請求をしても、両社の口頭弁論によって、土曜日中には結論を出せず、日曜日の休廷に持ち込める。

呉に駐屯している英国の残留軍が飛行機を飛ばし、土佐沖を航行している日章丸を確認した。AI社はこの情報をもとに、5月6日、東京地裁に対して積み荷の「処分禁止の仮処分の申請」を出した。

7日、出光は記者会見を開き、「イラン石油の買い入れは国際的にも国内的にも公正な取引であり、英国政府の関与すべき筋合いではない」と発表した。国内の自動車業界6団体は「イラン石油輸入を積極的に支持する」と宣言した。

東京地裁は日章丸の仮処分をどうすべきかの公判を9日に開くと決定した。出光の読み通りである。対決が始まった。


■5.「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない行為を以って」

9日(土)正午、日章丸は川崎港に入ってきた。「日章丸、バンザイ」の声が港に満ちた。新聞記者たちが小舟で押し寄せてくる。新田船長はインタビューもそこそこに、陸揚げ作業を始めた。

裁判は同日、昼過ぎから東京地裁で開かれた。AI側弁護士は、イランの石油国有化が無効であることから説き始め、したがって日章丸の積載する石油製品はAI社の所有であり、それを確定する本訴の前に出光が石油を処分しないよう、譲渡その他一切の処分行為を禁止する仮処分命令を出されたい、と主張した。

AI社側のデベッカー弁護士は、こう要請した。「日章丸はいま川崎に着き、積み荷の本件石油を陸揚げしつつある。出光はこの石油をどこまで移動させるのか分からないので、そのまま船を刺し押さえて欲しい」

出光側の弁護士は「出光興産は石油を移動させることはしない。陸上のタンクに揚げたら、そのままにしておく」と断言した。しかし、デベッカーは「出光社長は何をするか信じられない」と追求した。

来村裁判長は傍聴席に視線を移した。「それではいま、出光社長が法廷に来ておられますので、ご当人から証言をとったら良いと思います。出光社長、どうぞ」

静まり返った法廷の中で、佐三は立ち上がり、証言席に立った。面を上げ、きっぱりとした口調で語った。

「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として、俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない行為を以って終始することを、裁判長にお誓いいたします」。[1.p229]

廷内に感嘆の声が漏れた。「結構です」と裁判長は結んだ。敗戦国の卑屈さなど微塵も感じさせない堂々としたやりとりだった。


■6.「私は出光興産ガンバレと叫ばずにはおられない」

出光のとった行動は、当時の日本国民を奮い立たせた。ある主婦は次のような手紙を出光に送った。

{私は今度貴社のイラン石油買い付けの記事を拝見して、誠に一日本人として感激してしまいました。敗戦以来、男も女もただ卑屈としか思われぬほど、・・・余りにも情けない現状に悲憤を感じていました矢先に、日本にも男らしい社長さんがおられたということは一大発見で、この方の元に働く方々の幸福がうらやまれます。

英国の訴えなど物の数ではないような強い信念と、国民をして安い石油で国のために増産させてくださろうという愛情こそ、こんどの壮挙となったのであります。只々ありがとう存じます。国民みな貴社の勝利を祈っております。}[1,p231]

毎日新聞には、次のような高校生からの投書が掲載された。

{イラン国民の大部分が惨めな生活をしているのは、同国から出た石油をアングロ・イラニアン会社が占有していたからではないか。大体、この占有ということが不自然なのだ。

こんど出光興産の日彰丸が積み込んできたイラン石油の事をいかに考えているのだろうか。ただ自分の国が栄えさえすれば、他民族のことなどは、どうなってもかまわないいと考えているのだろうか。私は出光興産ガンバレと叫ばずにはおられない。}[1,p231]

出光の行動は、敗戦に萎縮していた日本国民に「大国民の態度」と、「堂々と再建設に進まなければならぬ」大道を思い出させたのであった。


■7.裁判官と外務省の矜持

裁判はわずか3週間で決着した。北村裁判長は主文を読み上げた。「本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする」

廷内にどよめきが起き、拍手が沸き起こった。AI社側は控訴するなど粘ったが、最終的には訴えを取り下げた。後で分かったことだが、イギリスは敗戦国日本を属国のように思っていたので、裁判には勝たないまでも負けることはないだろうと思っていたそうだが、北村裁判官はそういう事を許す人物ではなかった。

外務省は英国のロバーツ公使を招いて次のような正式回答を渡した。イランからの石油を買い付けた日章丸に対して、また今後の石油買い取りに対して、政府はいかなる措置を取る権限も持っていない、と。

これではゼロ回答なので、「政府は日英の友好関係を害しないように、今後外貨予算等の運用面で考慮したい」という条項もつけていたが、これはお愛想だろう。実際に、この後も出光はイラン石油の輸入を続け、それをもとに石油業界でのシェアを上げていくので、実質的な運用面での「考慮」などしなかったのではないか。

裁判官も外務省も、「大国民」としての矜持を以て英国に対し、出光の行動を側面から支援したのである。


■8.「日本はイランの救世主であると思っている」

日章丸が2度目の石油買い付けのために、再度、アバダン港に赴くと、イラン岸から少年が丸木舟に乗って近づいてきた。巨大タンカーのうねりでひっくり返りそうになりながら、口笛を吹いては大声で何か叫んでいる。同じような丸木舟があちこちから現れ、みな口笛を吹き、叫んでいる。

桟橋は黒山の人だかりだ。白いシーツのようなものを振っている人もいる。「ジャポン、ジャポン」と叫んでいる。飛行機が青空から黄色や赤の花を蒔いた。上陸すると乗組員たちはもみくちゃにされた。

モサデク首相は出光の初代イラン駐在所長となった佐藤又男を招き、こう言って握手を求めた。

「日本人の偉大さはつねにイラン人の敬服の的であり、その勇猛果敢な精神に感嘆している。不幸にして今次の大戦には敗れたけれども、いつの日か再び立ち上がる日のあることを確信している。

お互いに東洋人として手を取り合っていきたい。日本がイランの石油を買う決心をされたことは感謝に堪えない。日本はイランの救世主であると思っている。ぜひこのことを日本に伝えて、われわれイラン国民の真意を汲んでほしい」。[1,p234]

イランは謝意を表して、最初の買い付け分の代金を無償とし、その後、半年間の代金は半額とした。

イランは自国の石油資源を国有化こそしたものの、輸出できずに座して死を待つ状況だった。日本の出光が初めて石油を買い付けに来てくれたのは、まさにイランにとって「救世主」だった。日本国内においてもイランから輸入された石油により、石油製品価格は急速に値下がりして、その後の高度成長を支えた。

これこそが佐三の言った「広い大道をゆっくりと歩いているような、ごく自然な歩み」であった。


■リンク■

a. JOG(894) アバダンの日章旗(上) 〜 出光「日章丸」、イランへ
 欧米石油資本の包囲を脱すべく、出光佐三は世界最大級のタンカー「日
章丸」をイランに向かわせた。
http://blog.jog-net.jp/201504/article_1.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 水木楊『出光佐三 反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生
涯』★★★、PHPビジネス新書、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569809855/japanontheg01-22/

2.北尾吉孝、『出光佐三の日本人にかえれ』★★★、あさ出版、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4860635000/japanontheg01-22/

2015年04月12日

◆教科書は日教組の機関紙ではない

阿比留 瑠比



朝日新聞の7日付社説「教科書はだれのものか」を一読、「よく言うよ」とあきれた。社説の書き出しはこうである。

「教科書は、国の広報誌であってはならない」

朝日は、来春から使用される中学校教科書の新検定基準で、近現代史に関して通説的見解がない事項の記述にはその旨を明記することや、政府見解を尊重する記述が求められるようになったことがお気に召さないらしい。

これまで教科書は、現場の教員が主に務める「調査員」が実質的に採択の方向性を決めてきた。そのため、教科書記述は声の大きな日教組教員らが好む左がかった内容となりがちだった。

だが、朝日はそうした教科書採択の実態、問題点には目をつむり、決して「教科書は、日教組の機関紙であってはならない」とは書かなかったではないか。

また、朝日は竹島(島根県隠岐の島町)や尖閣諸島(沖縄県石垣市)などの記述で、政府見解が反映されたのも納得できなかったようだ。社説では、「相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない」「これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない」などと批判している。

とはいえ、相手国の主張を取り入れるとはどういうことか。広島県教組と韓国の全国教職員労組大邱支部が共同執筆した日韓共通歴史教材(平成25年3月刊行)は、例えば慰安婦問題についてこう書いている。

「日本軍は朝鮮の女性たちを日本軍『慰安婦』として戦場に連れていき、性奴隷としての生活を強要しました」「その対象となったのはほとんどが十代の若い女性たちで、中には11歳の少女もいました」

朝日は、こんな事実無根の話でも、相手国の主張ならば教科書に載せるべきだというのだろうか。教科書は日本の将来を担う子供たちのものであり、日教組や韓国のものではない。

朝日は相変わらずだなと思っていたら、同日の民主党の細野豪志政調会長の記者会見にさらにあきれ返った。細野氏は自ら今回の教科書検定について切り出し、こう述べたのだ。

「教科書が政府広報のようになるのであれば、非常に大きな違和感を覚える」

どこかの新聞の社説で読んだようなセリフである。細野氏は「教科書記述の内容がかなり狭まったという印象を受ける」とも指摘したが、記者側からの「具体的にどの部分か」という当たり前の質問には答えられず、こう繰り返した。

「報道などを通じて接している情報に限定されるので、個別のことについて申し上げる状況ではない」

「それは教科書をしっかり全部読んだ上で言うべき話だろうから、報道で私が把握している情報の中で申し上げることじゃない」

だとすると細野氏は、一体何を根拠に「政府広報」だの「記述の内容が狭まった」というのだろう。細野氏はその一方で、教科書に領土に関する記述が増えた点については、次のように逆に評価してみせた。

「日本がしっかり正当性を主張することは非常に重要だ。国民的な理解は必須だ。これまでの教育で、きちんと教えてこなかったことは問題だと思っている」

それならば、新検定基準を何のためにことさら批判したのか。まさか当日朝に読んだ新聞の論調に引きずられ、安倍政権批判の材料になると安易に飛びついたなどということはないだろうが。
(政治部編集委員)
          産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2015.4.9



◆桜に静謐を感じる春のひととき

櫻井よしこ


その光景にしばし私は見とれてしまった。不思議な光景だった。庭の桜の木から、ハラハラ、ハラハラと花びらが舞い落ちてくる。風もない凪の中で、ただ花びらだけが散り続ける。四方に広がる枝々から、静かに散り続ける。まるで優しい雨のように、舞い落ち続ける。
 
その様子はあたかも桜の木に意思があって、今がその時と、時刻を決めて、一斉に花びらを散らし始めたかのようだった。
 
私は秘書たちと打ち合わせをしていたのだが、桜の様子に気付いて、皆一斉に桜の静かな舞いに、しばし息をのんだ。全ての世の中の喧騒を消し去るかのような、静謐で不思議で美しい風景だった。
 
自分の能力を超える仕事を抱え、幾つものことを同時進行で考え、何とかこなしていこうとしている忙しさの中で、音もなく、ただ散り続ける桜の花の姿は、私の心を深い芯のところで落ち着かせてくれた。
 
ハラハラと舞い落ちる桜の姿はしっかりと生き、生き続けることによって存在の意味を生み出す営みなのだと、私は思い知らされた。そんな私の思いを知ってか知らずか、1本の桜の木にこれほどの花びらがあったのかと思うほど、桜は長い時間、花びらを散らし続けた。
 
私の脳裏にもう1つの場面が浮かんでくる。椎の大木の落ち葉である。近所の神社さまの境内には何本もの椎の大木があり、広く枝を張っている。常緑樹の椎の木は、夏には涼しい日陰をつくり、境内の気温を街中のそれより2〜3度は下げてくれている。秋にはたくさんの実を付けて、その実が熟れるころ、地面いっぱいに落ちてくる。
 
私は椎の実を両掌いっぱいに拾ってきては、旧式の金網で作ったいり器でいって、おやつにする。そんなとき、子供のころに歌った懐かしい歌、「ぼくらは椎の実、まぁるい椎の実、お池に落ちて泳ごうよ、お手てに落ちて逃げようよ……」などという歌を自然に歌っている自分に気が付く。
 
初夏のころだっただろうか、その椎の木が突然、ハラハラ、ハラハラと葉を落とし始めたのだ。桜の花びらと比べれば、椎の葉はよほど重くて堅い。従って、椎の葉は散るとき、カサカサ、パラパラというかすかな音を立てる。
 
最初に私の注意を引いたのは、このかすかな音だった。つられて周囲を眺めてみたら、あちらの枝からもこちらの枝からも、葉が一斉に散り続けていたのだ。
 
私はなぜか感動した。常緑樹が常緑であり続けるために、古い葉を落とし新しい若緑の葉と交代しようとしているのだ。去年の葉は、1年間、太陽の光を吸収し、養分を木に与え、実を実らせ、今その役割を終えて次の世代の葉に居場所を譲ろうとしている。1つの役割が果たされたことを葉も幹も知っていて、一斉に、葉は枝から離れ、枝は葉を散らしているのだ。自然の営みの賢さが、カサカサ、パラパラという素朴な音楽となって伝わってきた瞬間だった。
 
東京の真ん中に住んでいても、このかいわいにはたくさんの自然が残っている。先日のことだった。わが家の庭に白い大きな鳥が舞い降りた。机に向かっていた私は白い影を視覚の隅に捉えて庭に目を転じた。するとそこには長い首を真っすぐ天に向けて立つ白い鳥がいたのだ。くちばしまで背丈は1メートルもあるだろうか。真っすぐ天に向けたくちばしの色は黄色く、先端がしゃもじのように幅広になっていた。
 
鳥類図鑑で調べると、ヘラサギの特徴とピッタリ合う。だが、ヘラサギはかつて、冬の間、日本に飛来したが、近年はまれだと解説されている。あの鳥がヘラサギだと仮定して、珍しい来訪者は私がとっさに、池で泳ぎ始めたメダカのことを心配したのを察知したのか、すぐに飛んでいってしまった。

『週刊ダイヤモンド』 2015年4月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1079