2015年04月09日

◆私の「身辺雑記」(208)

平井 修一


■4月6日(月)。朝は室温17度、快晴、フル散歩。カミサンは6歳女児の入学式へ。快晴でよかった。

膨大な洗濯物を干してから排水パイプの掃除。いろいろトラブルがあったりして、体力の衰えた小生はヘロヘロになったが、何とか12時前に無事に詰まり=オイルボールを除去できた。

面倒だからと点検・掃除を先送りすると、大変なことになる。分かっちゃいるけど、ぐずぐずして、結局は後手後手になって大変な事態になる。

困難な分野ほど改革を先送りし続けた中共は、山積した難問を解決できるのか、岩盤のようなオイルボールを除去できるのか。利権を取り上げる、つまり悪性腫瘍を切除する、これは大量出血するが、オールチャイナで取り組まないととてもできないだろう。ドンパチのない「ゴルビー・李登輝流無血革命」だ。

それは自由、民主、人権、法治につながりかねない。中共と対極にある価値観だ。習近平は権力闘争の手段として反汚職、改革推進をしているだけで、中共絶対・個人独裁を強化することでタガを強めたいと思っている。これでは近代化=欧米流自由民主主義国家はできやしない。

軍のクーデターか義和団的な内乱でしか中共は改革前進できないだろう。軍や国民にその気概があるのかどうか・・・

まあ小生は偉そうなことは言えない、ヘロヘロになって昼食を作る気力も体力もなくなって、トーストでごまかした。軟弱。

夕方、早めのシャワーとガソリン補給で元気が多少戻ると、「掃除で疲れたと中共叩きをやめていいのか、おまえの志はそんなに軽いのか。皇軍兵士は具合が悪くて戦友が休養を勧めても、敵が跳梁跋扈する前線に向かった。おまえの唱える中共殲滅、支那解放は口先だけか」と天の声が聞こえてきた。

うーん、確かにそうだ。自分の体調で中共叩きを「お休み」にしたら軽佻浮薄、口先男、口舌の徒と指弾されるだろう。で、踏ん張って、屋山太郎・日本戦略研究フォーラム理事/政治評論家の論考「習近平主席の『アジアは運命共同体』発言――社会構造と価値観が違えば“仲良し”にはなれない」(4/2)を読んだ。

<中国海南島で行われた国際会議で習近平主席は「アジアは運命共同体だ」と呼びかけて、域内の連携の強化を説いた。この席で二階俊博総務会長は習主席と会談し、二階氏が5月に観光業界関係者ら3000人を伴って訪中する意向を伝えた。習主席は「民間交流が大切だ」との考えを示したという。

国同士で学生やビジネスマンの交流が深まると両国間が親密になることは確かだ。

アメリカの日本占領政策が実にうまくいったのは戦後すぐにアメリカが行ったフルブライト教育交流計画をスタートさせたことだろう。フルブライト氏は上院議員として日本慰撫の最高の知恵を出した人物ではないか。

私の3年先輩でフルブライト留学生でアメリカに招かれた友人がいた。行く時は「どこかで、どでかい仕返しをしてやろう」などと言っていた男がガラリと人が変って帰ってきた。「当分、アメリカの真似をしろ。知的レベルや交友関係に尊敬できる人物を選ぶことだな」と言う。民主主義社会に最高の価値を置き、そこに至るには言論の自由が不可欠なのだと言う。

当時アメリカは日本の国立大学のトップレベルばかりを選んで毎年、何十人も継続して母国の大学に迎えた。何十人の中には何人かが反米になって帰って来ただろうが、親米派を創り出す歩どまりは恐ろしく高かった。

帰国した彼らはほとんどが社会のエリートで、日本を親米色に染め上げた。その精神構造を単純というのは易しいが、“異文化”を吸収した時の満足感というのは人生を変えるほど大きい。

私の初任地はローマだった。恐ろしいほど泥棒の多いところだが、それを抜きにして考えると、人間性の基本のところでは全く変わらない。ファッションのセンスなどは抜群だ。

中曽根康弘氏は首相のころ、中国人留学生10万人計画をぶち上げた。頭の片隅にフルブライト式交換留学生方式でも思い浮かんだのだろう。しかし日本に留学した人物が親日派になったとしても、国に帰って日本を礼讃するわけにはいくまい。

70年代の日中国交回復時は、政治家同士の“仲良し”が何組も出たが、その仲良しは一代限りのものだ。

上海で日本の商社の支店長が退職後、それまで家族同然に付き合っていた人を訪ねたところ「玄関にも入れてくれなかった」と言う。「彼にとって貴重だったのは支店長という私の肩書だった」とガックリと肩を落とした。社会構造が違う。価値観も違うという人物とは互いに“仲良し”になれない。

7世紀の初めから、日本が中国と付き合わなかったのは、価値観が違うゆえだった。足利幕府の時代に“貿易”があったのは、今の中国人の“爆買い”のようなもの。金品の流通が止まったら、あとに人情は残らないのが日中関係なのだ。

習氏が「アジアは運命共同体」という意味は、中国が中心で、他の国はオレに従えということに他ならない。元寇の時、壱岐、対馬の住民の殺戮に加担したことについて、中国は謝ったことがあるか>(以上)

そう言えば支那人は80年代のついこの間まで「古い友人」という人脈、文脈をとても大切にしていた。「井戸を掘った人を忘れない」とか。中共は法治ではなく人治の国、コネ社会だった。

結局は、贈収賄は当たり前、「古い友人」同士が便宜を図ったり図られたり。今もそうなのか。そうだろうなあ。本質は変わりようがない。

小生の師匠の一人(旅行会社や投資顧問会社の創業者)は中共幹部の留学生を自宅に受け入れていた。書生。堅い絆をつくるためだ。

こういう持ちつ持たれつ、あげたり貰ったりが支那人のDNAならば、虎退治は所詮はただの権力闘争で、長続きはしないだろう。

習近平(シー・チンピン)、江沢民(チアン・ツーミン)、胡錦濤(フー・チンタオ)の「チン VS ツー・チン」戦争はどうなるのか。最高幹部のチャイナセブンのうち習の同志(というか師匠)は王岐山・党中央紀律検査委員会のトップ(虎退治の尖兵)だけだそうで、権力闘争の行方は分からない。ただ、中共幹部のほとんどが思っているのはこういうこと
であることは確かだ。

「チンピンの清きに魚も住みかねて もとの濁りのツー・チン恋ひしき」

■4月7日(火)。朝は室温19度、微雨、フル散歩。

桜は「七分落ち」。散歩コースは雪道のよう。花見は最終章へ。

昨日は頑張り過ぎて右手首が痛くなってきたので、消炎鎮痛ローションを塗って寝たが、まあまあ痛みは緩んだ。腰の不快感は手製の「平井式腰ベルト」でほぼ解消された。

加齢とともに体力は衰えていくのだなあと実感せざるを得ない。1年ぶりに体重を量ったら47.3キロ、2キロもやせた。食も細くなるのだ。

同い年なのにえらく元気な人がいる。

わが街の学習塾「百武塾」は評判がよく、小生の長女も中学生の頃に通っていた。おかげで保育士/公務員になれた。

塾長の百武先生は1951年生まれ、小生と同じだが、学年は早生まれの小生が一個上のようだ。

百武先生は心技体を常に強化している。以下は産経に入っていたチラシから。

<27歳:一級建築士取得。アルバイトで始めた学習塾の講師に熱中し、はまりこむ。百武塾開設。

28歳:都立大学数学科に入学、数学を本格的に学習する。

33歳:英語学習のため外国語学校に入学、3年間英語を学習する。この頃から塾の講師という仕事が自分の天職であると信じられるようになる。

35歳:健康管理のため水泳を始める。

38歳:稲田中学(小生の母校)学区で中学生の塾生数で一位になる。

40歳:水泳のマスターズ大会に出場し始める。

44歳:この時期からトライアスロン大会にも数回出場。川崎市のマスターズ大会で25メートル自由形で大会新記録。

50歳:50人の中学3年生中、30人が数学で「5」をとる。

57歳:50メートルと100メートル自由形で自己ベストを更新、全国ランキング12位に。

60歳:川崎市民マスターズで100メートル個人メドレーと100メートルバタフライで大会新記録。

63歳:理科も教えるようになる。

モットー:人間力を鍛える。

目指すこと:感動してもらえる授業。「自分って天才なんだー」とか「数学って美しいんだー」とか「俺ってなかなかやるじゃん!」という感動>(以上)

脳みそを鍛え、体も鍛えている。文武両道、現役バリバリ。常にチャレンジしている。理想系。人はこうありたいものだ。ヘタレの小生も倣うべきだが、心臓まひで逝きそうだ。できる範囲でやってみよう。

百武塾で長女を教えていた講師は麻生哲朗氏で、氏は後に電通の名物クリエイターになった。すごい人のもとには逸材が集まるのだ。

独裁者・習近平のもとに諸葛孔明はいるのか。虎退治の尖兵、王岐山・党中央紀律検査委員会書記がそうなのか。AIIBインフラ銀行も王の入知恵のようだ。

<1995年8月、王は中国で初めての国際的な投資銀行である中国国際金融有限公司(中金公司)の設立を主導した。これは中国で初めての国際的な投資銀行であった。中金公司の会長を兼任した王は、彼が主導した多くの投資プロジェクトにより国際金融市場の注目を受けた>(ウィキ)

その拡大版がAIIBのようだ。壮大な詐欺には壮大な仕掛けが要る。誰が笑い、誰が泣くのか。面白いドラマが始まりそうだ。

■4月8日(水)。朝は室温15度、雨、散歩不可。寒いので暖房をつけたが雪が降りそうなほど冷え込んだ。

内外の地を取材で訪れると、トイレ(時間があれば博物館も)をチェックすることにしていた。民度が分かるからだ。

支那の公衆トイレ(というか糞尿場)は大昔からすさまじく汚いようだ。明治後に訪中した日本人は、そのあまりにもの汚さに皆辟易している。

小生が1984年に訪中した際の上海の虹橋公園のトイレは、きれいとか汚い以前に、プライバシーがないという点でショックだった。

夕刊フジ4/7「さらばニーハオトイレ? 中国の国家観光局が掲げる“トイレ革命”」から。

<*中国人はトイレ掃除したことがなかった!?

トイレ革命は管理面でも中国人の意識改革が必須だ。上海市内で日本料理店を営む津森隆さん(仮名・46歳)は話す。

「中国には『ウンコより汚い』トイレがいくつもあります(笑)。中国人はとにかくトイレの掃除を嫌がることが理由なんですね。トイレ掃除は気持ち悪いだけでなく、プライドが傷つくんだそうです。

ウチの店にも、トイレ掃除を命じたところ『そんなことしたら親が泣く』と拒絶した若い従業員もいました。飲食店では、トイレ清掃専門スタッフを雇っているところもありますが、誰もが嫌がる仕事だけあって時給は高め。

週に1回しか掃除しないところも多い。だから、トイレが汚れることを避けるため『ウンコ禁止』のトイレにしている飲食店も存在するほど。便器に金網をかけ、ウンコを流せないようにしてある……」

このように、多数の反革命分子がのさばるなか、トラブル孫悟空でお馴染み、ジャーナリストの周来友氏はこんな提案をする。

「日本の小中学校では、トイレも含め生徒が掃除しますが、中国の学校では掃除の時間自体がないんです。だから中国人は大人になってもトイレ掃除ができないし、使う時もキレイに使おうという気が起こらない。トイレ革命のためにはまず、小中学校でトイレ掃除をさせるよう強制させて、日本の学校を見習うべきです!」

中国トイレ文明の夜明けは、まだまだ先になりそうだ>

トイレも清潔に保てない中共がインフラ銀行って・・・糞壺に金を落とす
ようなものだな。

実際に中国の海外投資はほとんどが失敗している。何清漣氏の論考「中国の当初の思惑から遠ざかるアジアインフラ投資銀行」から。

<2014年中国経済貿易促進会の王文利会長が対外に公開したことですが、2万以上の企業の海外投資で「9割以上が損している」。「中国の世界投資追跡」データバンクによると、あとで監督機関にダメをだされたプロジェクトは2005年から2012年の合計で88、総額は1988.1億米ドル(約24兆円)になります>

デタラメの国に付き合う必要はない。(2015/4/8)


2015年04月08日

◆ペリリュー英霊が問う戦後精神

新保 祐司



8日から天皇、皇后両陛下がパラオ共和国を訪問され、大東亜戦争の激戦地ペリリュー島で戦没者を慰霊される。これは、戦後70年の今年における最深の行事といえるであろう。最深というのは、忙しさの中に埋没している日常的な時間を切り裂いて、歴史の魂に思いを致らし、日本人の精神を粛然たらしめるものだからである。

 《「海ゆかば」を知らない日本人》

戦後60年の年には、サイパン島に慰霊の訪問をされた。そのときも、先の戦争を深く回想する契機を与えられたが、サイパン島は、バンザイクリフなどによって玉砕の島として日本人に知られているであろう。戦争の記録映像などでも、よく出て来るからである。

しかし、そのサイパン島や硫黄島などに比べてペリリュー島の方は、慚愧(ざんき)の至りであるが、戦後生まれの私も、この島の名前を知ったのは、そんなに古いことではない。日本人の多くが、知らなかったのではないか。

そのような島に天皇、皇后両陛下が訪問され、戦没者を慰霊されるということは、戦後70年間、大東亜戦争を深く記憶することを怠りがちであった日本人の精神の姿勢を厳しく問うものである。戦後の日本人が、いかに民族の悲劇を忘れて生きてきたかを叱責されるようにさえ感じる。

今年1月3日付本紙の「天皇の島から」の連載で、ハッとさせられる話が載っていた。パラオ共和国の94歳になる老女が取り上げられていたが、明快な日本語で「君が代」を歌い上げ、続けて「海ゆかば」を口ずさみ始めたという。歌詞の内容も理解していた。

この記事を目にしたとき、戦後60年の年に両陛下がサイパン島を訪問されたときのエピソードを思い出した。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという話である。

玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心からおのずから「海ゆかば」が湧き出てきたのであろう。それに対して、日本人の方が「海ゆかば」を知らないのである。

《日本が失ったものの大きさ》

このように「海ゆかば」を通して先の戦争を記憶しているサイパン島の島民やパラオ共和国の老女に比べて、日本列島の島民はどうであるか。私もそうであったが、ペリリュー島を忘れていたではないか。

サイパンやパラオの島民はずいぶん貧しいかもしれない。しかし、歴史の悲劇と戦没者を忘れないという精神においてどちらが品格が上であろうか。それを思うと、戦後70年間、日本が経済的発展の代償として失ったものの大きさに改めて気づかされる。

ペリリュー島については、40年ほども前に産経新聞社の前社長の住田良能氏が、支局時代にとりあげていたことを最近知って感銘を受けた。

1978年、本紙の茨城県版に掲載された「ペリリュー島’78」には、「犠牲の大きい戦いであっただけに、米軍にとって、勝利はひときわ印象深かった。

戦後、太平洋方面最高司令官だったニミッツ提督は『制空、制海権を手中にしていた米軍が、一万余の死傷者を出してペリリューを占領したことは、いまもって大きなナゾである』と述べ、また米軍公刊戦史は『旅人よ、日本の国を過ぐることあれば伝えよかし、ペリリュー島日本守備隊は、祖国のために全員忠実に戦死せりと』と讃(たた)えた」と書かれていた。

この「旅人よ、日本の国を」は名訳といっていいが、この文章の原型は、紀元前480年のギリシャでのテルモピレーの戦いを讃えた碑文につながっている。テルモピレーの戦いといえば、吉田満の『戦艦大和ノ最期』初版の跋文(ばつぶん)に、三島由紀夫が「感動した。日本人のテルモピレーの戦を目のあたりに見るやうである」と絶賛したことを思い出す。

戦艦大和の激闘が、テルモピレーの戦いの如くであったように、ペリリュー島の激戦も、テルモピレーの戦いであったのである。

 《両陛下の慰霊に合わせ黙祷を》

この玉砕を悲惨な戦争とか戦没者を戦争の犠牲者とか決して言ってはならない。テルモピレーの戦いのように「祖国」のために戦った勇者に他ならないからである。

天皇、皇后両陛下が慰霊される時刻には、終戦記念日の正午に国民が黙祷(もくとう)をささげるように、ペリリュー島の戦没者に国民が黙祷するようにしてはどうであろうか。これまでほとんど忘れていたことに対するおわびも兼ねてである。

そして、今年の8月15日の全国戦没者追悼式には、「海ゆかば」を流してはどうか。明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺(のこ)したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯(はて)に仆(たお)れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉(しゅうえん)を遙(はる)かに地平線の彼方(かなた)から眺めているかに思われた」と書いた。

追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。そして、われわれはその視線に戦後の精神の在り方を厳しく問われることになるのではないか。
(しんぽ ゆうじ・文芸批評家、都留文科大学教授)
                 産経ニュース【正論】2015.4.7

◆投資銀で仕掛ける米欧関係の引き裂き

櫻井よしこ


中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が戦後体制を支えてきた米欧関係を引き裂き始めた。3月12日、英国がAIIBへの加盟を表明し、ドイツ、イタリア、フランスなどがここぞとばかりに追随し、水面下で不参加を呼び掛けたオバマ政権は、外交的大失敗だと批判されている。

中国はいかにしてAIIB参加へと欧州諸国を誘ったか。武力行使においても金融力行使においても、中国は決定的な対決に至る一歩手前で踏みとどまり、いったんはその場を収める。

だがそこにとどまり続けるわけではなく、そこを新たな出発点として、摩擦が少し収まった段階で、またもや歩を進め、再び相手国の堪忍袋の緒が切れる一歩手前で踏みとどまるのだ。

これを繰り返すことで、じわじわと中国の主張は実現されていく。相手国が諦めたり、圧倒されたりすれば、中国はもはや遠慮しない。一気に最終目的達成の行動に出る。

南シナ海の実情がその好例である。中国は、南シナ海沿岸の6カ国(ベトナム、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、フィリピン)との話し合いを続けながら、その一方で島々への物理的支配を強めてきた。

6カ国側が中国の侵略を防ぐために法的拘束力を持つ行動規範の策定を要求すると、個々の国との2国間交渉で援助やインフラ設備の建設など、アメを与え、不満を抑え込んだ。

結果、南シナ海の西沙諸島は完全に中国海軍の巨大基地となり果て、中沙および南沙諸島中、少なくともいま、新たに七島で軍事施設の建設が進行中だ。それ以前にミスチーフ島やジョンソン南礁など複数の島々に軍事施設や滑走路が建設済みだ。

米国の上院軍事委員長、ジョン・マケイン氏ら有力上院議員4人が3月19日、中国は南沙諸島埋め立ての目的を1年以内に達成する見込みだと警告し、米国はその阻止に向けて包括的戦略を策定すべきだと国務省と国防総省に要請した。

だが、あと1年で中国の南シナ海支配をいかにして阻止できるのか。米国の形勢はいかにも悪い。

決定的対立を避けつつ少しずつ目標に近づき、欲するものを手にするという手法はサラミ・スライシングと呼ばれている。少しずつサラミを切り取るように奪い続ける手法が国際金融に使われたのがAIIBではないか。

当初、AIIBに参加を表明したのは、東南アジアとアフリカ諸国だけだった。それがなぜ、米国と「特別な関係」にある英国をはじめG7の主要メンバー国まで加盟したのか。中国が巧みに、G7諸国の不安を取り除く柔軟性を示し、一歩引く姿勢を打ち出したからだ。

G7諸国には、中国がAIIBを恣意的に利用して中国の国益追求に走り、世界の金融制度に混乱や損失をもたらすとの懸念があった。疑念や懸念を緩和するために、中国はAIIBの独裁的運用はしない、拒否権も行使しないと、欧州諸国に確約した。結果、欧州諸国の一斉参加となった。

しかし、中国の「確約」が一体どれほどの意味を持つだろうか。最終的には出資金1000億ドル(12兆円)の半分近くを担う最大出資国、中国の発言権が圧倒的に強くなるのは目に見えている。

だが、欧州諸国は中国に極めて融和的だ。価値観の異なる中国主導の体制に組み込まれることや、戦後の自由経済体制に突き付けられるであろう挑戦や世界秩序の大変革への疑問が欧州には欠落しているのか。欧州諸国はオバマ政権の無策を責めるより、眼前で始まった世界秩序の変革とその脅威にこそ、心を砕かなければならない。

南シナ海がいつの間にか中国に奪われていたというような事態と同質の変化が、国際金融で起きることを、少なくとも日本は阻止すべきであろう。

『週刊ダイヤモンド』2015年4月4日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1078
                    (採録:久保田 康文)


◆金立群がAIIB初代総裁に浮上

宮崎 正弘
 

<平成27年(2015)4月7日(火曜日)弐 通算第4510号> 

 
〜「金立群」って誰? 早くもAIIB初代総裁に浮上
  米国ボストン大学留学、ADB(アジア開発銀行)副総裁を歴任〜


早くから金立群の名前は挙がっていた。

というより他に中国の国際金融界には人材がいないのかもしれない。

中国主導の「アジアインフラ投資銀行」に参加表明した国と地域は52ヶ国となったが、まだ細目の定款、規約なども決まらないうちに「初代総代」だけは決まったようだ。

中国の前財務次官、元アジア開発銀行副総裁、前中国国富ファンド理事長。66歳。米ボストン大学留学後、国際畑で「中国の顔」として活躍してきた。

カンボジアが融資を焦げつかせたときも、すぐにプノンペンに飛んでフンセン首相と交渉した。

北京筋は「アジアインフラ投資銀行の目的は日本主導の『アジア開発銀行』を牽制し、米国主導の『世界銀行』と均衡をとろうという大目的があり、この大役にもっともふさわしい人物は金立群である」という。

AIIBの構想段階から米国に顔の利く金立群はアメリカの要人と次々と面会して、この銀行への参加を口説いて歩いた。ウォール街にも友人知己が多く、国際的なオルグでも能弁、能吏と高く評価された。
 
金は浙江省寧波出身で10年間地方に下放された辛い経験があり、その後、北京の外国語大学に入学、1987年からボストン大学に派遣された。

その後、中国が鳴り物入りで設立した国富ファンド(現在の資産は6530億ドル)では理事長を務めて財テクを拡大した。

しかし融資交渉に優れていても、大胆な投資行為での成功経験が希薄だとも言われている。

何はともあれ、金立群という国際的評価の高い人物が表に出てきた。要注意。
   

◆中国夢は「夢のまた夢」

平井 修一



香港在の弁護士/税理士・村尾龍雄氏の論考「中国の空母は本当はもっとあったはず!?」(3/31)は、中国の愛国者の“腐敗”への怒りと嘆きを伝えていてとても興味深かった。以下転載する(一部カット)。

<愛国主義者の香港富豪と先週面談した際に、中国の空母数が不合理に少ないと怒っていたので、その会話を紹介します。

富豪:この前、中国に行ったら、軍事関係の番組で日本のヘリコプター搭載型の準空母のニュースを大きく取り上げて分析していたんですよ。

村尾:ああ、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」のことですね?確かに3月27日に横浜に就役したというニュースが流れていましたね。でも、「いずも」のことだったら、2014年8月6日の原爆記念日に進水式をした際にも、中国では日本以上にニュースとして取り上げられていたんじゃなかったでしたっけ?

富豪:私はそのときは余り注意していなかったのですが、今回のニュース
は注視していて、それでずっと怒っているんです。

村尾:日本が「いずも」を就役させて、軍国化の道を再び歩み始めるのではないか、との懸念を抱いたのですか?

富豪:いや、全然違います。中国にまともな空母がないことに激怒しているのです。

村尾:いや、中国には例の「遼寧」があるじゃないですか?

富豪:あれ、1隻だけで足りますか? そもそも「遼寧」は1988年に進水式を行った旧・ソビエト連邦が製造した未完成空母「ヴァリャーグ」を引き取って完成させたものですよ。

あんな大昔に製造され、国家が1991年12月に崩壊したからという理由で未完成のままで放置されていたものを、進水式から24年も経過した2012年に完成させたものが、まともに動きますか!? 中国海軍はアンティーク収集家かっ!と怒っているわけです。

村尾:まあ、でも世界で空母を持っている国はほとんどないのですから、1隻だけでもあるだけいいじゃないですか?

富豪:いやいや、私は中国は本当はもっとたくさん空母を建造できるはずだったのに、人民解放軍が建造資金を皆で食べちゃったんじゃないか、と強く疑っているわけです。

村尾:それがなかったら、本当は既に何隻かの空母があったんじゃないか、と?

富豪:そうですよ! そもそも空母が1隻しかないから、結局11隻も保有するアメリカになめられ続けるわけで、海洋支配を言うのだったら、本当に海洋支配できるように空母くらい何隻か作れよ!と怒っているわけです。それを食べちゃうとは・・・(涙)

村尾:まあ、グリム童話のお菓子の家を食べるお話は夢がありますが、空母の建造資金を食べるというのは、それが本当だとすれば夢がないですね・・・。

富豪:でしょ!?

村尾:まあ、人民解放軍は元々共産党の軍で、国家から予算も貰えず、毛沢東主席からは「全部自分で商売をして食い扶持を探してこい!」と長らくやられてきたのが、確か1990年ころに商売の制限が開始され、1998年に朱鎔基政権が成立したときに全面禁止になった代わりに、国家予算で全部賄う方式に切り替わったんでしたっけ?

余りに長く自分で商売する癖がついちゃったから、国家予算だけに依存することになった2000年以降の新時代でも、もらった国家予算を分け分けする癖が抜けなかったんですかね?

富豪:私も裏舞台がどうかまでは知らないけれど、うまくやっていれば空母の何隻かは建造済みだったのではなかったか、と愛国主義的立場から憤慨しているのです。中古船の「遼寧」だけで、どうやってアメリカに対抗するのか、話にもなりません。

村尾:でも、最近は習近平さんが反腐敗政策を人民解放軍に対しても徹底していますから、今後は空母建設資金を人民解放軍のヘンゼルとグレーテルが食べてしまう物語はなくなるのではないでしょうか?

富豪:確かに軍事資金の横領という「魔女」がグレーテル(習近平?)・ラリアットでかまどの火に放り込まれ、「魔女」の持つ金銀財宝(横領された軍事資金)が、お父さん(海軍)にもたらされるというハッピーエンドになればいいのですが・・・。それにしても、空母11隻は遠い目標です。

村尾:でもあなたが言う人民解放軍版「お菓子の空母」が本当だったならば、日本を含む周辺諸国からすると、ヘンデルとグレーテル(以下ヘングレ)の食欲により軍事的均衡が辛うじて保たれていたことになり(ますよね)。

反腐敗政策が貫徹されると、中国軍の増強振り、そして時を重ねるごとに形成される軍事的不均衡は誰の目にも顕著になっていきますね。

富豪:愛国主義的立場からすると、アジア内部での軍事的不均衡の拡大は仕方がないともいえます。それは米軍を追いかける道中の一里塚にすぎません。

人民解放軍が米軍に少しでも追い付こうとすれば、国家予算の相当部分がヘングレのお腹に収まる弊害を克服する必要があると常々思っていましたが、習近平さんはどうやらそれは実行してくれそうですから、習近平政権下での残る8年での軍の一層の近代化実現が重要です。

でも、8年でどこまで近代化ができるか・・・。アメリカに対する発言力をどこまで高めることができるかはこの1点にかかっていると私は注目しているのです>(以上)

支那人は本気で「米国に追い付け追い越せ、目指せ世界一!」と考えているようだ。世界一とは軍事、経済、文化の面で圧倒的なパワーを持つということだが、ちょっとそれは「見果てぬ中国夢」というか、いささか誇大妄想ではないのか。以下、その理由をあげる。

 ・軍事:中共は核戦争に備え莫大な金と歳月をかけて地下要塞網を整備したという。イランの核開発計画は当面ストップしたようだが、この背景には以下の事情があるはずだ。スプートニクニュース(旧「ロシアの声」)4/5から。

<米メディア:米国は超大型の空爆実験をした米国防総省は米国が保有する中で最も大型の対壕爆弾を完成させ、実験を行った。イラン国内の最大級に補強された(地下)核施設さえ壊滅させられるもの。

オバマ政権が核開発問題についてイランと外交ルートで交渉している間、国防総省は保有する中で最も破壊力の大きい(通常)兵器を完成させていた。ウォールストリートジャーナルが独自につかんだ情報として伝えた。

同紙が高官発言として伝えたところによれば、「国防総省は、必要があれば軍事介入する、という可能性に焦点を当て続けている。我々は状況をコントロールすることを止めてはいない」。

高官によれば、対壕爆弾の開発はイランとの交渉の今回のラウンドが始まる前から着手されていた。それが今年の1月半ばに実験された。既に完成を見た爆弾が、爆撃機B-2によって米国国内の実験場に投下された>

精密誘導の大型地中貫通爆弾「バンカーバスター」の改良型だろう。地中奥深くまで貫通して大爆発を起こす。イランの地下核施設を一瞬で破壊するだろう。中共の地下要塞も同じく破壊されるに違いない。

イランへのキツーイ一発になった。中共がこの米軍を追い越せるのか・・・モノづくりの能力からみても絶望的だ。

 ・経済:支那人は鷹揚(おうよう)というか大雑把で、どうもハイテク製造業に向かないのではないか。「中国人のモノづくり『真剣』に取り組めない事情」(サーチナ 3/30)から。

<中国メディアの搜狐焦点家居網は27日、日本を訪れた中国観光客が買い求めた洗浄便座の一部が、実は中国の杭州市で生産されたものであったことは、一部の消費者の「海外崇拝」がもたらした事象であり、家具メーカー、依諾維紳総裁の楊建偉氏の発言として「中国人消費者が中国製をまったく信用していないため」起きた事象と論じた。

記事は、家具メーカー・合生雅居の王天兵氏が「われわれは日本の洗浄便座と同じものを生産できないわけではなく、心をこめて真剣に生産しようとしていないのだ」と述べたことを紹介。

その理由として、中国では知的財産権が十分に保護されているとは言い難いとし、「真剣に製品を作っても、2カ月もしないうちに模倣されてしまう中国では、モノづくりに真剣に取り組もうという気が失せてしまう」と論じた>

数年かけた技術もすぐにパクられ、機能はともかくも安価なソックリさんが出回り、ホンモノが駆逐される。創業者利益とか開発者利益がまったく期待できない。

これでは誰も真剣にモノづくりに励まない。一流にはとてもなれない。

 ・文化:是非はともかくも American way of life は戦後世界に大きな影響を与えた。小学生の小生は初めてプレスリーを聴いてショックを受けた。老大国の英国もビートルズやミニスカートで世界を変えた。

中共は建国66年で「紅衛兵帽子」と「毛語録」、パンダを世界に普及したが、パンダ以外はすべてあっという間に消えた。中華料理は伝統料理で中共の生んだものではない。中共は文化不毛地帯だ。中共のマナー違反は世界の反面教師となっている。つまり顰蹙を買っている。

以上のことを考えても、中共が世界をなびかせるような「世界一」には絶対になれない。もっとも人権弾圧、環境汚染、所得格差では今でも世界一だが。中国夢は「夢のまた夢」だ。(2015/4/7)

2015年04月07日

◆気概が米国の心をつかむ

櫻井よしこ


安倍晋三首相の訪米に関連して、『岸信介回顧録』(廣済堂)の一場面を思い出す。

昭和32年6月、首相となった岸が訪米し、ホワイトハウスを表敬訪問した際、アイゼンハワーにゴルフに誘われ、プレーのあと2人は裸でロッカールームからシャワー室に向かったというのだ。

アイクに誘われるまま、まさに裸のつき合いをした岸が夕刻大使館に戻るのを、アイクは自分の車で送ったという。岸はアメリカ大統領の心をつかんだのである。

翌日の本会談で岸が安保改定を申し入れると、国務長官のダレスは即、対応し、日米安保委員会の設置を提案した。アメリカ側から駐日米国大使、太平洋およびハワイの軍司令官、日本側から外務大臣、防衛庁長官を委員として、委員会は早くも8月初旬に発足し、約3年後、日米安保改定が実現した。

アメリカ政府のこの対応は、その2年前の8月に鳩山一郎内閣の外相、重光葵が訪米したときとは様変わりだった。当時、幹事長として重光に同行した岸は、重光が遠慮がちに日米安保条約改定を持ち出したとき、ダレスが「かんで吐き出すような口調で」「日本にそんな力があるかね」と「一議にも及ばず拒否した」と回顧している。

重光と岸、あるいは鳩山と岸。アメリカの対応はなぜこれほど違ったのか。たとえ限界があったにしても、自国の独立を目指し、国際情勢を地政学的にとらえ、同盟国として助け合う気概を、岸の中に、アイクもダレスも見てとったからであろう。

敗戦で萎縮した日本ではあるが、独立の気概と誇りを持ち、アメリカとともに対等に歩もうと挑戦する日本人にアメリカの国益を見てとってもいただろう。

重光が外相として仕えた鳩山首相は初閣議後の記者会見で日ソ交渉の重要性を強調した。対して、岸は日米新時代との表現で日米の恒久的友好と協力がアジアおよび世界の平和につながる、だからこそ占領時代の残滓である日本の劣等感とアメリカの優越感の双方を払拭して、真に平等を日米は築くべきだと説いた。

安保改定と日本国憲法の改正を合わせて日本の自立を高めること、日本の力を戦争で傷つけたアジア諸国の復興に役立てること、具体例として、岸は後のアジア開発銀行創設につながる東南アジア開発基金設立を提唱した。

岸は日米関係だけでなく、国際情勢の全体像を俯瞰した。西側陣営と対立を深める共産主義陣営の脅威の前で日本が果たすべき役割も認識していた。日本の国益を実現しながらアメリカの国益にも貢献する戦略を示し得た。

その岸の豪放磊落な声が聞こえてくるような気がする。世界情勢が大変革を遂げるいまこそ、日本の大きな好機なのだと。

中国問題はアメリカ問題と合わせ鏡である。軍拡と同時進行でアジアインフラ投資銀行(AIIB)などを創設し、資金力で一挙に影響力の拡大を図りつつある中国が、アメリカの不決断を際立たせる。

AIIBには、運営の透明性や公正さについて疑問がつきまとう。本来こうした問題をアメリカとともに検証してきたはずのイギリスなど欧州諸国が、AIIBに加盟して内部から透明性を確保すると、今回はいう。

しかし一党独裁で言論の自由を許さない情報統制の国の金融の傘に入ることがいかにして透明性と公正さの担保につながるのかは、説明できていない。説明できないことは容易に信じてはならないのである。この場面でわが国こそ、浮足立つことなく、そうした問いを発信すべきであろう。

だが中国は、約100年間、多くの戦争を共に戦い、「特別の関係」にあった米英間に楔を打ち込むことに成功した。アメリカの受けた傷は深く、コラムニストのウィリアム・パフ氏はそれを「欧州のアメリカからの独立」と指摘した。

中東でもオバマ米大統領の失敗が目立つ。イランの核問題への対処が中東の危機を予測不可能な次元に追いやりつつある。アメリカ主導の合意案ではイランの核保有は阻止できないとみられている。イランが核を保有すれば、サウジをはじめとするアラブ諸国も核を入手し、一挙に核の拡散という恐るべき事態が起きかねない。

サウジを筆頭にアラブ諸国は、アメリカ頼みの安全保障の脆弱さを懸念してアラブ合同軍を結成し、イスラム教のスンニ派とシーア派の宗教戦争を予感させる。

イランの核に強い脅威を感じているイスラエルのネタニヤフ首相は3月3日、米議会上下両院合同会議で、アメリカ主導の対イラン合意案を「非常に悪い取引」だと批判した。

アメリカ外交を批判しながらも、「イスラ エルが一人で立ち上がらなければならないとき、イスラエルは立ち上が る」と断言したネタニヤフ首相に米国議会は強い支持を表明した。実は、 いま日本を含め、どの国にも必要なのがこの自ら立つ、自らを信じるとい う気概ではないか。

世界第一の大国と第三の大国が価値観を軸に協力体制を整えれば、国際社会はどれほど安定するか。安倍晋三首相がアメリカに語りかけるべきはそういう前向きの戦略である。

戦後70年、侵略か、ファシズムかなどの問題よりも、未来志向であり たい。首相が語る未来の日本の姿は、民主主義、人権、自由、法の順守などを徹底してきた戦後70年の積み重ねが静かに証明してくれるはずだ。

      産経ニュース【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】2015.4.6

◆日中交流、歴史は繰り返す?

平井 修一



わが家は真言宗豊山派だが、真言宗系の組織に「密門会」というのがある。同会サイトによれば――

<お釈迦様によってインドに開かれた仏教は、原始仏教から出家中心の小乗仏教を経て、多くの大衆を救う大乗仏教に発展し、最終的に密教に至って完成されました。この最後の信仰運動である密教は、インド、西域、中国を経て、弘法大師空海によって日本にもたらされ、集大成され、正純密教真言宗として結実しました。

密門会は、在家の立場で正しい仏教を学び、正純密教を実践していく会です。基本的には、仏法僧に帰依し、懺悔滅罪の心を忘れず、十善戒を守り、本尊大日如来の慈悲(加持の力)を信じ真言を念誦することによって、出家在家共に平等に救われていく教えです>

そのサイトに織田隆深氏の論考「『遣日使』と空海の青年期」(平成17年10月)があった。一部を転載する。

<一昨年は、空海弘法大師が入唐して1200年の節目の年だった。無名の空海が、歴史に登場したのは、遣唐船に乗るため得度受戒したときである。

今回、この時代の国際背景を知る上で大変貴重な論文に出会ったので紹介すると共に、空海の入唐に先立って、唐や新羅(朝鮮)、渤海(満洲あたり)と日本との間に予想以上に頻繁な交流があった事実をお知らせしたい。

出家した二十歳から遣唐船に乗るまでの10年間が、空海の歴史を知る上で、空白の時期である。その間、修行はなされたが、入唐してすぐさま漢語を話され、現地人に引けを取ることなく、世界のあらゆる文化、宗教、学問、民族が行き交う都にて、精力的にさまざまな知識を吸収出来たのは、この空白の10年間に密教の基礎や漢語を学んだからである。

青年空海は、多くの文化人らと対等に交際し、詩を贈ったり、書を交換したりしている。その文章力は 漂着した赤岸鎮で地方長官を驚かせたほどだった。

(師の)恵果阿闍梨が遷化された時、東方の島国から来たこの無名の青年僧が、遺弟代表で追悼文を撰して霊前で読んだ。このことに誰も異議を唱えるものはいなかったという。空海であれば当然のことと周囲のものたちが納得したからであろう。これらは、文章は勿論のこと会話も自由に出来なければ不可能な事である。

では一体空海は、どこで漢語を学んだのか(平井:小生も不思議に思っていた)。古来、空海伝をみると漢語を学んだと言う明確な記録はない。渡来人から学んだとか、空海は若い時すでに唐に渡り、現地で学んできたとか種々の説があるが、みな憶測でしかなかった。

しかし、最近このことを裏付ける研究論文が発表された。

田中英道(東北大学教授)著「遣日使の方が多かった9〜17世紀の日本と東アジア」(季刊「日本文化」平成17年夏号・拓殖大学日本文化研究所・発売元展転社)

この論文を読んで、教えられることが多かった。われわれが教科書で教わったのは、飛鳥時代から平安時代にかけて遣隋使、遣唐使が送られたが、その目的は日本が隋や唐から先進文化を取り入れるためであり、607年の遣隋使から894年の最後の遣唐使まで13回 (17回の内4回失敗)にかけて、命がけで唐に渡ったのは、ひとえに日本が進んだ中国の文化、文物を学び先進国に追いつこうという理由からであると。

これに対し田中氏は、

「これは日本の歴史において、常に外国から学び、模倣することから日本文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたのである。遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証拠である」

と述べ、 日本側の史書を見るだけでも遣唐使の何倍もの遣日使が来ている事実を見逃してきたと指摘された。

最初の遣隋使を派遣するに当たり、聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」と書かれた国書を小野妹子に持たせたのは有名な話である。

煬帝は、太子の書を見て不快に思い、この遣隋使への返礼として大使裴世高を小野妹子に同行させ、隋の冊封体制に入れと宣撫するためによこしたが、日本はそれに入ろうとせず、かれらの官職・爵号を受けなかった(平井:まるでAIIBインフラ銀行のよう)。

以後、日本は中国と対等の立場で交流した。唐の使節が来日した有様を、田中氏は『日本書紀』を引用して次のように述べている。

「舒明天皇の2年(603年)8月、 犬上君三田耜が第1回遣唐使として入唐すると、同4年(632年?)秋8月、唐は高表仁を遣日使として送ってきた。 学問僧(3人)を伴っており、新羅の遣使らも従っていた。彼らは唐からの国家として使節団であったのだ。

こうした唐からの遣唐使の来日は頻繁に行なわれ、とくに天智天皇の治世には、毎年のようにやって来た。その規模も大きくなり、8年(669年)には2000余人、10年(671年)には2000人と沢山の船と唐人が来朝していることが記録されている」(平井:まるで二階の3000人訪中団だ)

あまり多くの唐人と船が来たので防人達は侵略軍かと驚いて弓を射たと『日本書紀』に記録されている(平井:まるで海上民兵)。

当時のわが国の総人口は1000万人もいないから、人口比でいえば、当時の2000人は今の2万人以上に当たる。2万人の中国人が一気に上陸したようなものである(平井:爆買そっくり)。

当然通訳がいたと思うし、以前から日本にきてそのまま滞在していた漢人が通訳を買って出たのかもしれない。漢語を話す人間がいなければ交流も不可能だからである。

唐人にとっては遣唐使よりも、遣日使のほうが重要であった。それに伴う通商の利益の方が大きく、回数の少ない遣唐使がもたらすものよりはるかに多かった。正倉院に献納された唐物の多くは遣唐使がもたらしたものではなく、このような唐人によると推測されると専門家も見ている。とにかく日本には来るだけの魅力があったからである。

ところで唐からきた人々は、対等であるにもかかわらず、文明の高い国からきたと思わせるせいか、遣日使とは呼ばない。唐からの使節の他、渤海や新羅からもたくさんの使節が来日している。

渤海は720年から922年まで、約200年の間に33回、遣日使を送ってきた。日本からの遣渤海使は13回であった。最初6年おきの交流を日本側が提案したが、後には毎年のように遣日使がやってきた。彼らも唐と同じように貿易を行っており、毛皮類や人参、蜜とともに唐から渤海への回賜品が日本にもたらされ、日本からは絹、綿、糸など繊維加工品が贈られた。

それらの品がまた唐に渡った。日本を中継にして唐と渤海と交易がなされたのである。空海も「渤海国の王孝廉宛」に手紙を書いているくらいだから、かなり交流が頻繁だったと思われる。

またそれにも増して新羅からの使節も多かった。日本は唐に対しては対等の関係にあったが、新羅に対しては、むしろ宗主国の関係にあった。

日本にやって来た唐の人物で、最も有名なのは鑑真和上だが、5度も渡航に失敗 しながら日本に来た情熱は(なにゆえだろう)。昔、慧思禅師(天台宗宗祖南岳大師)が遷化され、聖徳太子に托生し、仏法を興隆し衆生を済度した仏縁の深い国であるから、「ぜひとも招きに応じて行く」という強い意志を示しておられる。

そこには日本を敬愛する謙虚さ、真摯さが感じられる。遅れた国に正式な戒を授けるという見下した態度は露ほどもない。

日本人で唐に渡り高官になり日本に帰国できなかった阿倍仲麻呂は有名だが、 逆に遣日使で来た唐僧でそのまま日本に居着いた例も数多い。史書に残っているだけでも道明、道栄、道セン、 鑑真和上の弟子14名、 他にペルシャ、中央アジア、ベトナムからの僧もいた。また、文化人の中で役人になったものも20名近くいる。

彼らは仏教は勿論のこと、その他たくさんの文物、技術、書物、知識(医学、 薬、土木、鉱山、食料など)、音楽、絵画、彫刻そして唐語をもたらしたのである。

これらから見ると、正史に記載されているだけでも遣唐使の何倍もの遣日使が来ているのだから、その他に唐や朝鮮半島、渤海から日本へやって来たたくさんの商人、僧侶、文化人、技術集団がいたことが容易に推測できる。

仏法を求めて唐に渡ろうとした空海に熱心に言葉を教えた渡来人がいてもおかしくない。若き空海が、これらの人々と深く交流し、唐の情報や仏教情報を取得し、また日常会話を学ぶことができる環境にあったことは安易に想像できる。恐らく空海は入唐以前に、漢語は自由に使えたと思う。

田中英道先生の論文を読んで飛鳥、平安時代の対中国、朝鮮半島、渤海国との関係をより大局的に見る事ができ、日本は文化的に中国に遅れていたので先進文化を学ぶために遣唐使を送ったのだという、今までの先入観が一掃された。

遣日使の存在が明らかにされ、想像以上に唐や新羅、渤海との交流があり、人的にも物質的にも緊密な関係にあったということ、しかも、これらの事実は、日本の歴史書にとっくの昔に記されており、公文書をよく読めばわかることを見逃していたのである。当時の国際交流を知ることにより、空海の空白の10年間の疑問の一つが解消された>(以上)

経済力をつけた中共は上から目線で皇帝のように偉そうにしているが、これは遣唐使時代からそうだったようだ。

<(やがて874年頃から騒乱で)唐は弱体化して首都・長安周辺のみを治める地方政権へと凋落した。このため遣唐使は、寛平6年(894年)の派遣が菅原道真による以下の建議により停止された。

1.中国では内乱が続いており、唐と日本が親しく交流できるかどうか疑問。

2.遣唐使の多くは遭難するなどしており、国家有為の人材を失う可能性が高すぎる。

3.遣唐使は唐の優れた技術や文物を吸収することが目的であったが、日本と唐の文化は同等であり、もはや学ぶべきものはない。

4.遣唐使とはもともと日中交流のために開始したのに、いつの間にか朝貢使のように扱われており、国辱である。

延喜7年(907年)には唐が滅亡したことによって、遣唐使は再開されないままその歴史に幕を下ろした>(ウィキ)

内乱から33年で唐は亡びた。歴史は繰り返すというが、それなら中共も唐に倣って滅亡するしかない。結構なことである。(2015/4/4)

          

◆英文パンフレット第3弾が完成

宮崎 正弘 



<平成27年(2015)4月6日(月曜日)通算第4508号 >

〜英文パンフレット第2弾が完成、世界へ発信
   「慰安婦」問題――さらに問題の核心に迫る西岡力氏の論文英訳〜
http://www.seisaku-center.net/

日本政策センターは「慰安婦」問題の真実を世界に発信するため、このたび第2弾を発行した。

この全文は上記サイトからダウンロードができる。

すでに外交問題化している「従軍慰安婦」に関して、そうした実態がなかったことを中心に英訳したパンフで、これから欧米ばかりか世界各国の指導者、議会関係者、大学図書館などに寄贈する国民運動の情宣材料ともなります。
   

◆Tweet 韓国(10) 日韓外交戦

伊勢 雅臣


■竹島・対馬侵略

安倍首相、竹島問題で単独提訴を準備 代表質問で:http://s.nikkei.com/1nnvkEE > 諸外国には、単独提訴は日本の自信を示し、かつ平和的に話し合いで解決しようとする姿勢をアピールする。韓国がこれを批判すれば、自らの主張に自信がない事を示す。
2014年02月03日(月)

韓国が竹島で駆逐艦や戦闘機など投入し上陸訓練 日本の動画に対抗、実施を公開 http://on-msn.com/16zhG6C 竹島占領を言論では正当化できずに武力誇示、では世界各国からますます疑われるだけ。日本側の動画広報の効果大。とことん国際的な言論戦を進めるべし。2013年10月25日(金)

外務省公開の竹島映像に韓国抗議 「国際公報に乗り出した、容認できない」 http://on-msn.com/HjTnTB >うしろめたいから、冷静に反論もできず、逆ギレするのでしょう。2013年10月25日(金)

防衛相「監視は必要だ」 韓国企業購入の対馬の土地視察 - MSN産経ニュース http://on-msn.com/1eaBId7 >「日本列島は日本人だけのものではない」が現実になる日。http://bit.ly/11WYOPi2013年11月17日(日)

対馬に韓国人観光客が沢山来るかわかりました。釜山から対馬までフェリー代、往復約千円。韓国政府が助成金を出し、韓国人を対馬に送り込んでるのです。大阪?対馬、飛行機、フェリー乗り継ぎで往復約三万です。韓国は対馬を狙ってます。 https://pic.twitter.com/tHu9rFZc8d2014年05月18日(日) 政治団体『愛国 矜持会 』『中監会 』@sinwtjk

韓国で消息を絶った内閣府の職員が変死をした状態でゴムボートに乗せられ漂流…近年、尖閣諸島担当の内閣府職員も部屋で謎の変死をし、離島担当の防衛省中枢の幹部は夜中の参議院議員会館周辺でバイクに跳ねられ職員だけが死亡した。不自然な二つの事案は自殺と事故で片付けられたが、続き過ぎている。2014年02月03日(月) 小野寺まさる@onoderamasaru


■筋違いな靖国参拝批判

外務省幹部「ハイレベルで靖国参拝に批判の声を上げだしたころ、韓国政府当局者に『直接関係ないだろう。なぜなんだ』と理由を聞くと『中国が反発しているのでわが国も何か言わなきゃ…』」 http://on-msn.com/19niEWV >そこで倍返ししないから韓国の便乗が続く2013年10月21日(月)

「中国が反発、わが国も…」韓国 -日本政府高官「そもそも日本は韓国と戦争をしていない。戦没者をまつる靖国への参拝に関し彼らに文句を言われる筋合いはない」米政府高官「初めて聞いた。そうだったのか…」http://on-msn.com/19niEWV >外務省の説明不足2013年10月21日(月)

韓国与党、新藤総務相らの靖国参拝に「侵略戦争美化」「無責任」「右傾化懸念」と批判 - MSN産経ニュース http://on-msn.com/16f14X4 >新藤義孝総務相は硫黄島守備隊司令官栗林忠道中将の孫。靖国参拝は当然。2013年10月19日(土)

「靖国神社に関して誤解が多いので、説明したい。明治維新そして第一世界大戦、更には世界中の戦争で亡くなられた人々も祀られている。国家のために命を捧げた方に祈りを捧げるのは当然の事だと思う。そこで、不戦の誓いをしてきた。中国と韓国との関係を良くしたい」(安倍総理@ダボス会議)。2014年01月23日(木) 堀義人/Yoshito Hori@YoshitoHori

「失望」していない共和党 - 米国上院共和党の若手リーダー、マルコ・ルビオ議員、靖国参拝など歴史問題で日本の態度を変えさせる必要があるかという韓国記者からの問いに「米国政府が日本側にどうすべきかを告げることは生産的ではない」http://on-msn.com/1eDjeiD 2014年02月16日(日)


■朴大統領、女の一念

韓国 朴槿恵大統領当選から1年 歴史に固執「反日」続く -朴氏に反日姿勢を改める具体的な動きはない。国内で「独裁的」との批判が出ている朴氏に「にらまれることを恐れる閣僚ら意見具申もしにくい」http://on-msn.com/18SU0vi >反日で人気を落とす最初の大統領か2013年12月19日(木)

朴大統領の態度は不遜。国際会議で安倍首相から声をかけても、ほとんど応じず、せっかくの接触の機会を自ら封じた。関係改善をしようなどという真摯な態度もない。http://on-msn.com/Hf5yS4 女の一念で外交をやられる怖さに韓国マスコミも気付きだした?posted at 13:19:04 2013年10月25日(金)

朴大統領は訪米や訪中でも繰り返し日本批判。問題を当事者で解決しようとせず、周りに訴え、周りを引き込み、周りの圧力で問題を有利にもっていこうというのは、韓国社会では夫婦ゲンカをはじめよく見られる。http://on-msn.com/GSk2ao >外交素人の韓流夫婦喧嘩2013年10月13日(日)

朴氏の対日姿勢 理解できない執拗な非難 -オバマ米大統領、米議会、ヘーゲル米国防長官に日本批判。日本に言いたいことがあるなら直接言うのが筋だろう。http://on-msn.com/18LBJlo >国内の人気取りのために隣国を叩く卑劣、強きに陰口する卑屈。2013年10月08日(火)

朴氏父娘はよく似ている。朴正煕氏は国外では親日だったが、国内では反日だった。日本の援助がほしかったので使い分けていた。娘の朴槿恵女史は、中国が助けてくれると思い込んでいるので、日本にまったく気を使わない、そのまま国内の反日が外にも反日として出てくる。正論26.4古田博2014年03月25日(火)

案の定、韓国は予定されていた夕食会を取り止める無礼を働き、斎木外務次官は昨日の内に帰国した。中国と誼を通じ、上位に立つと考える朴政権のやりそうな事。米が何と言って来ようと、安倍内閣が歴史認識を変えてまで首脳会談をする筈がないのに。下手に出るとつけあがる国民性は知られているのです。
2014年03月15日(土) 中山なりあき@nakayamanariaki

宮嶋茂樹:安倍首相は2度にわたって「どうか高校生らを助けるために日本の艦艇を役に立ててほしい」と朴大統領に呼び掛けたのである。それなのに、日本からの救援申し込みがあったことすら国民に隠し、事故直後の72時間に何しとったんや。http://on-msn.com/1rIsZDm2014年05月01日(木)


■「大統領、その辺にしておいたほうが…」

「大統領、その辺にしておいたほうが…」朴槿恵「日本無視」に韓国メディアからも懸念 :韓国最大紙の朝鮮日報「今はっきりしていることは、韓日関係があまりにも異常な状況にあることと、この状況は最終的に双方にとって良くない結果をもたらす」http://bit.ly/19IAqR6 2013年10月14日(月)

韓国で朴大統領批判が急拡大 朝鮮日報、東亜日報に続き中央日報まで…-「会うこともしないというのはあまりにも消極的な態度」「冷静に政治・経済・安保上の利益を考えてみれば、日本と対話し、協力しなければならない」http://bit.ly/1b2roz8>理性的な主張が通じる国か?2013年11月27日(水)

韓国、いつまで反日続けるの -朴氏の支持率も低下傾向。10月最終週の支持率は53%で、9月第2週の67%からは14ポイントも下がった。http://on-msn.com/HPpJpB>反日だけでは未来がない、という教訓を韓国の政治家も国民も学んで欲しいが、、、
2013年11月10日(日)


■言論戦・世論戦

日韓政府、全面的な言論戦に突入へ 常軌を逸した反日に対抗措置 -日本外務省は「最近の韓国による情報発信」と題し、韓国政府の間違いを指摘・批判する文書をまとめたのだ。http://bit.ly/17F0vH2 >文書まとめだけでは。本腰を入れた国際広報活動を。
2013年11月07日(木)

領土発信、「広報」から「世論戦」に 自民提言案 -相手国の違法性や国際社会の共感を得やすい論点を強調する戦略的な発信を。中国と韓国に対抗し、領土関係の文献の外国語訳や民間の発信も重視、海外のシンクタンクとの連携も。http://on-msn.com/1iZ1BzH>ようやく!2013年11月29日(金)

日韓 国際貢献は日本が上で韓国の「日本は誠意ない」に異議 日本のODA(政府開発援助)は年間1兆4806億円韓国1660億円。国連分担金も日本306億円韓国55億円。 IMF(国際通貨基金)拠出額も日本約5兆円韓国約1兆2500億円。
2014年01月25日(土) tkd631103@tkd631103

安倍総理が、朴大統領のセッションに座って聞いたことが、とても良い印象を与えている。「日本は、関係改善に熱心だ」、と言うメッセージを発しているからだ。残念ながら朴大統領とは握手はできなかったそうだが、外務大臣や大統領の側近と握手できたから、関係改善は期待できそうだ。2014年01月23日(木) 堀義人/Yoshito Hori@YoshitoHori

日本に完敗した韓国外交 会議の冒頭安倍首相は韓国語で挨拶し、日韓関係改善を希望する姿勢を世界にアピールした。これに対し朴大統領は顔を強張らせ飽く迄頑なな印象を世界に与えてしまい、心ならずも安倍首相の引き立て役になってしまった。http://huff.to/1g6hOy1 2014年03月29日(土)

韓国では誰もが歴史問題を議論したがった。いろいろ反論して「もっと勉強したら」とたしなめると、結構、おとなしく引き下がる。また「韓国は 局、中国につくの、日米につくの」と聞くと、バツの悪そうな笑顔で「やっぱり、日米だろうね」。やっぱり、甘えなんだろうな。正論H26.2大野敏明
2014年02月18日(火)


■制裁と報復

中国や韓国に対する反論や抗議は大切ですが、それだけでは中韓は痛くも痒くもありません。彼らが痛みを感ずるのは報復です。日本も中韓の痛いところを攻めなければだめです。反論や抗議はどれほど強く行っても、中韓はそれを受け入れてくれるような国でないことは歴史に照らしてみれば分かります。
2014年10月09日(木) 田母神俊雄@toshio_tamogami

北朝鮮の制裁がよく話題になりますが、韓国や中国に対しても制裁を考えないとやられ放題です。経済的立場は中韓に対しても日本が圧倒的に強いのだから、外交交渉で力を行使する意思をちらつかせることです。国を挙げて中韓の狼藉を止める方策を講じないと日本が犯罪国家にされてしまいます。
2014年07月06日(日) 田母神俊雄@toshio_tamogami

日中関係改善の空気も、首脳会談は不透明 -韓国側は最近、原発事故を理由にした日本産農産品の輸入規制の是非について検討に入るなど軟化姿勢を見せ始めた。「韓国は日中関係の進展に神経質になっている」http://on-msn.com/1nidu9i >二股外交、ご苦労様です
2014年09月27日(土)

もし締結済みの日韓請求権協定を蒸し返して向こうにするとしたら、日本は韓国に「わかった。その代わり、朝鮮半島に残した資産17兆円を返して貰う」という話になる。Voice26.2三橋貴明 >筋を通した日韓交渉http://bit.ly/1fkHbPj
2014年01月31日(金)

朴政権が「河野談話検証」を強く牽制した背景には、談話見直しで“韓国が怒れば、日本が折れる”という従来の日韓関係の常識が変わり、両国関係が未知の領域に踏み出す契機となるのを恐れている http://on-msn.com/1kmfR88 >「未知の領域」ではなく普通の国の外交
2014年03月02日(日)

2015年04月06日

◆さまざまな桜を思い出す

鹿間 孝一
 

漂泊の俳人、種田山頭火に次の句がある。

 「さくら咲いて、なるほど日本の春で」

旅の日記にこう記している。

「日本の春だ、日本人の歓喜だ。過去をして過去を葬らしめよ、昨日は昨日、明日は明日、今日は今日の生命を呼吸せよ。小鳥のやうに、あゝ小鳥のやうにうたへ、そしてをどれ」

妻子を捨て、出家して放浪する孤独な旅人が春を待ちわびるのはわかるが、このはしゃぎぶりは尋常ではない。満開の桜に高揚したのだろうか。

 ◆門出の季節に

今年の桜前線は例年になく急ぎ足である。大阪では開花したと思ったらすぐに満開になった。「春に三日の晴れなし」というが、雨続きで、早くお花見をしないと散ってしまうのでは、と気忙(きぜわ)しい。

 「学校も 役場も お寺も さいたさいた」

これも山頭火の句。

小学校の校門の脇には、申し合わせたように桜の木がある。演出家で作家の久世光彦さんは「私は、あれがないと入学式が絵にならないからだと思っている」と言った。

「新しいランドセルを背負った子たちが、母親に手を引かれて校門を入っていく姿の上には、かならずと言っていいくらい、桜の花びらが降りかかっている」(山本夏彦さんとの共著「昭和恋々」から)

久世さんは昭和17年の国民学校の入学式の記憶をたどるが、なるほどわが家の記念写真も息子が桜の下でかしこまってポーズを取っている。

新1年生の門出にはやはり桜のトンネルをくぐらせてあげたい。あと少し、散るのは待ってほしいと願う。

 ◆戦争と震災と

 「さまざまのこと思ひ出す桜かな」

は松尾芭蕉作である。

誰にでも作れそうな平凡な句に思えるが、読む者によって浮かぶ情景が異なる。まさに「さまざまのこと」が。芭蕉の非凡を感じる。

作家の池波正太郎さんにとって、それは戦争末期の横浜海軍航空隊の桜だった。

日本の敗戦はもはや必至とみられた。用があって士官室へ行き、大尉が戻るのを待っていると、開け放った窓から桜の花びらが舞い込んできた。

「それを見ているうちに、胸が熱くなり、おもわず眼がうるみかかるのを、どうしようもなかった。悲しいというのではない。ただ、自分は来年の春に、ふたたび桜花を見ることはできまいというおもいが、胸にこみあげてきたのである」(「桜花と私」から)

池波さんは生き残った。その後、何度も春が巡ってきたが、あの時の桜を見た目や心は取り戻せなかったという。

今年は戦後70年である。池波さんも前述の久世さんもすでに鬼籍に入った。

戦争体験はないが、20年前の阪神大震災を思い出す。

自宅近くの公園のグラウンドに仮設住宅が建てられた。そこはグラウンドを囲むように桜の木があり、いつも家族で花見をする場所だった。

その年も桜は咲いた。住み慣れた家を失い、あるいは離れた人たちは、花見をする余裕などなかったろうが、避難生活の慰めになったはずだ。

仮設住宅は3年ほどで撤去された。対して、東日本大震災の被災地では、4年が過ぎてなお20万人以上が避難を余儀なくされている。

 ◆人生を重ねて

日本人はどうしてこんなに桜が好きなのか。美しさもさることながら、パッと咲いて散る潔(いさぎよ)さ。満開の豪奢(ごうしゃ)と、散り際のはかなさ。そのコントラストに、人生を重ねるのだろう。

私事で恐縮だが、阪神大震災の前年、北海道から大阪に遊びに来ていた父の具合が悪くなり、急いで帰らなければならなくなった。数年前に癌(がん)の手術をして回復したと思っていたのだが、転移していたらしい。

介助が必要で、老いた母と2人で飛行機に乗せるのは心配だったので、休みを取って同行することにした。ちょうど桜が満開だった。

伊丹空港までタクシーで行ったが、運転手さんにお願いして、遠回りだが桜並木のある道をゆっくり走ってもらった。父は無言で桜を眺めていた。 北海道に到着すると雪が舞っていた。その桜を見納めに、まもなく父は亡くなった。

 「花咲いて思ひ出す人皆遠し」(正岡子規)

(しかま こういち)
産経ニュース【日曜に書く】2015.4.5

◆日中交流、歴史は繰り返す?

平井 修一



わが家は真言宗豊山派だが、真言宗系の組織に「密門会」というのがある。同会サイトによれば――

<お釈迦様によってインドに開かれた仏教は、原始仏教から出家中心の小乗仏教を経て、多くの大衆を救う大乗仏教に発展し、最終的に密教に至って完成されました。この最後の信仰運動である密教は、インド、西域、中国を経て、弘法大師空海によって日本にもたらされ、集大成され、正純密教真言宗として結実しました。

密門会は、在家の立場で正しい仏教を学び、正純密教を実践していく会です。基本的には、仏法僧に帰依し、懺悔滅罪の心を忘れず、十善戒を守り、本尊大日如来の慈悲(加持の力)を信じ真言を念誦することによって、出家在家共に平等に救われていく教えです>

そのサイトに織田隆深氏の論考「『遣日使』と空海の青年期」(平成17年10月)があった。一部を転載する。

<一昨年は、空海弘法大師が入唐して1200年の節目の年だった。無名の空海が、歴史に登場したのは、遣唐船に乗るため得度受戒したときである。

今回、この時代の国際背景を知る上で大変貴重な論文に出会ったので紹介すると共に、空海の入唐に先立って、唐や新羅(朝鮮)、渤海(満洲あたり)と日本との間に予想以上に頻繁な交流があった事実をお知らせしたい。

出家した20歳から遣唐船に乗るまでの10年間が、空海の歴史を知る上で、空白の時期である。その間、修行はなされたが、入唐してすぐさま漢語を話され、現地人に引けを取ることなく、世界のあらゆる文化、宗教、学問、民族が行き交う都にて、精力的にさまざまな知識を吸収出来たのは、この空白の10年間に密教の基礎や漢語を学んだからである。

青年空海は、多くの文化人らと対等に交際し、詩を贈ったり、書を交換したりしている。その文章力は 漂着した赤岸鎮で地方長官を驚かせたほどだった。

(師の)恵果阿闍梨が遷化された時、東方の島国から来たこの無名の青年僧が、遺弟代表で追悼文を撰して霊前で読んだ。このことに誰も異議を唱えるものはいなかったという。空海であれば当然のことと周囲のものたちが納得したからであろう。これらは、文章は勿論のこと会話も自由に出来なければ不可能な事である。

では一体空海は、どこで漢語を学んだのか(平井:小生も不思議に思っていた)。古来、空海伝をみると漢語を学んだと言う明確な記録はない。渡来人から学んだとか、空海は若い時すでに唐に渡り、現地で学んできたとか種々の説があるが、みな憶測でしかなかった。

しかし、最近このことを裏付ける研究論文が発表された。

田中英道(東北大学教授)著「遣日使の方が多かった9〜17世紀の日本と東アジア」(季刊「日本文化」平成17年夏号・拓殖大学日本文化研究所・発売元展転社)

この論文を読んで、教えられることが多かった。われわれが教科書で教わったのは、飛鳥時代から平安時代にかけて遣隋使、遣唐使が送られたが、その目的は日本が隋や唐から先進文化を取り入れるためであり、607年の遣隋使から894年の最後の遣唐使まで13回 (17回の内4回失敗)にかけて、命がけで唐に渡ったのは、ひとえに日本が進んだ中国の文化、文物を学び先進国に追いつこうという理由からであると。

これに対し田中氏は、

「これは日本の歴史において、常に外国から学び、模倣することから日本文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたのである。遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証拠である」

と述べ、 日本側の史書を見るだけでも遣唐使の何倍もの遣日使が来ている事実を見逃してきたと指摘された。

最初の遣隋使を派遣するに当たり、聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」と書かれた国書を小野妹子に持たせたのは有名な話である。

煬帝は、太子の書を見て不快に思い、この遣隋使への返礼として大使裴世高を小野妹子に同行させ、隋の冊封体制に入れと宣撫するためによこしたが、日本はそれに入ろうとせず、かれらの官職・爵号を受けなかった(平井:まるでAIIBインフラ銀行のよう)。

以後、日本は中国と対等の立場で交流した。唐の使節が来日した有様を、田中氏は『日本書紀』を引用して次のように述べている。

「舒明天皇の2年(603年)8月、 犬上君三田耜が第1回遣唐使として入唐すると、同4年(632年?)秋8月、唐は高表仁を遣日使として送ってきた。 学問僧(3人)を伴っており、新羅の遣使らも従っていた。彼らは唐からの国家として使節団であったのだ。

こうした唐からの遣唐使の来日は頻繁に行なわれ、とくに天智天皇の治世には、毎年のようにやって来た。その規模も大きくなり、8年(669年)には2000余人、10年(671年)には2000人と沢山の船と唐人が来朝していることが記録されている」(平井:まるで二階の3000人訪中団だ)

あまり多くの唐人と船が来たので防人達は侵略軍かと驚いて弓を射たと『日本書紀』に記録されている(平井:まるで海上民兵)。

当時のわが国の総人口は1000万人もいないから、人口比でいえば、当時の2000人は今の2万人以上に当たる。2万人の中国人が一気に上陸したようなものである(平井:爆買そっくり)。

当然通訳がいたと思うし、以前から日本にきてそのまま滞在していた漢人が通訳を買って出たのかもしれない。漢語を話す人間がいなければ交流も不可能だからである。

唐人にとっては遣唐使よりも、遣日使のほうが重要であった。それに伴う通商の利益の方が大きく、回数の少ない遣唐使がもたらすものよりはるかに多かった。正倉院に献納された唐物の多くは遣唐使がもたらしたものではなく、このような唐人によると推測されると専門家も見ている。とにかく日本には来るだけの魅力があったからである。

ところで唐からきた人々は、対等であるにもかかわらず、文明の高い国からきたと思わせるせいか、遣日使とは呼ばない。唐からの使節の他、渤海や新羅からもたくさんの使節が来日している。

渤海は720年から922年まで、約200年の間に33回、遣日使を送ってきた。日本からの遣渤海使は13回であった。最初6年おきの交流を日本側が提案したが、後には毎年のように遣日使がやってきた。彼らも唐と同じように貿易を行っており、毛皮類や人参、蜜とともに唐から渤海への回賜品が日本にもたらされ、日本からは絹、綿、糸など繊維加工品が贈られた。

それらの品がまた唐に渡った。日本を中継にして唐と渤海と交易がなされたのである。空海も「渤海国の王孝廉宛」に手紙を書いているくらいだから、かなり交流が頻繁だったと思われる。

またそれにも増して新羅からの使節も多かった。日本は唐に対しては対等の関係にあったが、新羅に対しては、むしろ宗主国の関係にあった。

日本にやって来た唐の人物で、最も有名なのは鑑真和上だが、5度も渡航に失敗 しながら日本に来た情熱は(なにゆえだろう)。昔、慧思禅師(天台宗宗祖南岳大師)が遷化され、聖徳太子に托生し、仏法を興隆し衆生を済度した仏縁の深い国であるから、「ぜひとも招きに応じて行く」という強い意志を示しておられる。

そこには日本を敬愛する謙虚さ、真摯さが感じられる。遅れた国に正式な戒を授けるという見下した態度は露ほどもない。

日本人で唐に渡り高官になり日本に帰国できなかった阿倍仲麻呂は有名だが、 逆に遣日使で来た唐僧でそのまま日本に居着いた例も数多い。史書に残っているだけでも道明、道栄、道セン、 鑑真和上の弟子14名、 他にペルシャ、中央アジア、ベトナムからの僧もいた。また、文化人の中で役人になったものも20名近くいる。

彼らは仏教は勿論のこと、その他たくさんの文物、技術、書物、知識(医学、 薬、土木、鉱山、食料など)、音楽、絵画、彫刻そして唐語をもたらしたのである。

これらから見ると、正史に記載されているだけでも遣唐使の何倍もの遣日使が来ているのだから、その他に唐や朝鮮半島、渤海から日本へやって来たたくさんの商人、僧侶、文化人、技術集団がいたことが容易に推測できる。

仏法を求めて唐に渡ろうとした空海に熱心に言葉を教えた渡来人がいてもおかしくない。若き空海が、これらの人々と深く交流し、唐の情報や仏教情報を取得し、また日常会話を学ぶことができる環境にあったことは安易に想像できる。恐らく空海は入唐以前に、漢語は自由に使えたと思う。

田中英道先生の論文を読んで飛鳥、平安時代の対中国、朝鮮半島、渤海国との関係をより大局的に見る事ができ、日本は文化的に中国に遅れていたので先進文化を学ぶために遣唐使を送ったのだという、今までの先入観が一掃された。

遣日使の存在が明らかにされ、想像以上に唐や新羅、渤海との交流があり、人的にも物質的にも緊密な関係にあったということ、しかも、これらの事実は、日本の歴史書にとっくの昔に記されており、公文書をよく読めばわかることを見逃していたのである。当時の国際交流を知ることにより、空海の空白の10年間の疑問の一つが解消された>(以上)

経済力をつけた中共は上から目線で皇帝のように偉そうにしているが、これは遣唐使時代からそうだったようだ。

<(やがて874年頃から騒乱で)唐は弱体化して首都・長安周辺のみを治める地方政権へと凋落した。このため遣唐使は、寛平6年(894年)の派遣が菅原道真による以下の建議により停止された。

 1.中国では内乱が続いており、唐と日本が親しく交流できるかどうか疑問。

 2.遣唐使の多くは遭難するなどしており、国家有為の人材を失う可能性が高すぎる。

 3.遣唐使は唐の優れた技術や文物を吸収することが目的であったが、日本と唐の文化は同等であり、もはや学ぶべきものはない。

 4.遣唐使とはもともと日中交流のために開始したのに、いつの間にか朝貢使のように扱われており、国辱である。

延喜7年(907年)には唐が滅亡したことによって、遣唐使は再開されないままその歴史に幕を下ろした>(ウィキ)

内乱から33年で唐は亡びた。歴史は繰り返すというが、それなら中共も唐に倣って滅亡するしかない。結構なことである。(2015/4/)

◆ソウルからヨボセヨ 韓国、豹変す

黒田 勝弘


“韓中蜜月”もここまできたか…

1970年代に韓国語の勉強で韓国に留学したとき、バスに乗っていて 通り過ぎる街の看板のハングルをいかに速く正確に読み取るか努力した。 その時すぐ覚えたのが薬局の看板だ。ハングルで大きく一文字「ヤク」と書かれていたからだ。

昔は医療体制が不十分だったから街に薬局が多かった。店の看板はハングル中心だが、ごくたまに「薬」という漢字も書かれていた。ところが最近、薬局の看板に大きく「●」の字が出ているのを見て驚いた。現代中国で「薬」の簡略体として使っている漢字である。韓国の中国ブーム(?)もここまできたか…。

韓国好きの日本人観光リピーター(女性)が嘆いていたが、ソウルの観光スポットの明洞(ミョンドン)などでは、昔は店などの入り口の表示は漢字で「歓迎」だったのに、今や中国人対応で「光臨」ばかり。「一時は日本人大歓迎だったのに、あの豹変(ひょうへん)ぶりにはビックリですよねえ」と苦笑していた。

ところで、中国人観光客への調査によると、韓国旅行での最大の不満は食事だという。韓国料理はエキゾチックではないし、韓国の中華料理はまずいからとか。韓国では近年、西洋料理は格段にうまくなったのに中華料理だけは相変わらずイマイチなのだ。“韓中蜜月”なら、これ何とかしてよ。●=葯の中国簡略体
産経ニュース【外信コラム】2015.4.4


◆ニカラグア運河は2019年でも未完

宮崎 正弘 


<平成27年(2015)4月4日(土曜日)通巻第4506号>

 〜中国主導の「ニカラグア運河」は2019年に完成する筈がない
  中南米に今後10年間で2500億ドルを投資するという大風呂敷に似て〜

 中国の「無謀」というより「発狂的な」海外投資の典型は対ベネズエラに行われた。

反米政治家だったチャベス大統領の中国べた褒め路線にのっかって、中国は450億ドルをベネズエラ一国だけに投資した。

担保はベネズエラが生産する石油であり、昨今は一日60万バーレルを輸入する。基本的ルールとは、幕末維新の日本が英米独露から押しつけられた不平等条約の中味を思い出すと良い。つまりカネを貸す見返りが関税だったように中国は猛烈に石油を確保して、その前払いを利息先取りを含めて行っているのである。

将来のディスカウントを貸し付け利息に算定して計算しているわけだから、原油代金はおもいのほか安くなっている筈である。

パナマ運河をこえて、ベネズエラ石油は中国へ運ばれる。後述するようにニカラグア運河とパナマ運河拡張プロジェクトは、このベネズエラへののめり込み路線と直結するのである。

ともかくベネズエラは歳入の過半が石油輸出(輸出の96%)によるものである。ベネズエラ原油価格は1バーレル99ドル(13年)から、2015年4月現在、なんと1バーレル=38ドルに墜落したため、2015年は2013年の3分の1の歳入に落ち込むことは必定である。

ベネズエラはOPEC(石油輸出国機構)のメンバーでもあり、勝手な行動も許されずチャベルを引き継いだニコラス・マドゥロ大統領は悲鳴を上げて中国に助けを求める。

しかし中国はベネズエラ鉱区を買収し、投資しているが、石油市場の悪化により、これ以上の投資が出来ない。

2015年1月に急遽、訪中したマドゥス大統領は「中国開発銀行を通じて、200億ドルの融資に合意した」と北京で発表したが、実際に実行に移されたか、どうかは不明である。

「結果を見極めなければ判定ができない」というのは『井戸の中の竜』(DRAGONIN THE ROOM)を書いたボストン大学のケビン・ギャラガー教授である。

ベネズエラのみならず、中国は中南米全体で1000億ドルもの投資をしており、2位はエクアドル、3位がアルゼンチンと、いずれも社会主義路線をすすめる準独裁国家。チャーチルがいみじくも言ったように、「社会主義なんて、他人の懐がつきればおしまい」ということである。

エクアドルでは銅山開発を中国企業が行っている。環境汚染、農地取り上げに反対する先住民族が中国企業に抗議にでむいたところ、死体で発見される事件がおこり、鉱区では住民の反対運動が盛んである。

メキシコでも中国が売り込んだメキシコシティ → ケレタロ間210キロの新幹線プロジェクトが白紙に戻った。11月APECで北京に出発するときにメキシコ大統領が発表したのだ。
 
ブラジルへは主に鉄鉱石鉱区への投資だが、香港企業をふくめての直接投資は2005年から2011年までに170億ドル。またブラジルへは武漢製鉄、レノボ、グリーディ、華為技術、中興通訊(ZTE)信など錚々たる中国企業が軒を競うかのように進出している。

アルゼンチンへの中国投資は鉱山開発に加えて鉄道事業に集中しており、キルチネス大統領が訪中のおりには鉄道インフラ整備への投資の他、人口150万人のコルドバ市の地下鉄4本の実現に向けて投資協力などが謳われた。


 ▼こうみてくると、ニカラグア運河は本気かどうか怪しくなる

ここへ出てきたのがニカラグア運河建設という大プロジェクトである。パナマ運河の三倍強の長距離を東西に運河で結ぶ工事で、実際に2014年に着工された。

香港に設立された「香港ニカラグラ運河開発投資」(HKND)という会社が推進主体で工事に500億ドル、付帯して倉庫、工業団地など合計1000億ドルを投資して2019年開業を謳っている。

ところが、このニカラグラ運河も暗雲がただよい始めた。

ニカラグラ南部ノバス県では農地没収を懼れる住民らが立ち上げり「環境破壊反対」のデモを行った。

プラカードには「中国は出て行け」と大書されていた。

ニカラグアは人口600万人しかいないため、この運河プロジェクトで雇用が20万人も生まれると聞けば、政府は前向きになるだろう。

ところが、専門家の多くが「実現不可能」とみている。

いや中国自身、半信半疑なのかもしれない。それゆえに工事主体は中国政府ではなく、「香港ニカラグラ運河開発投資」というダミー会社(なぜかこの会社、香港という地名の冠を使いながら本社登記は北京である)

中国はニカラグラ運河開発とは別にパナマ運河の拡張工事に乗り出しており、53億ドルを投じて、現在の2倍の規模に運河を拡大するとして、「いざニカラグア運河で失敗しても次の伏線を引いている」のである。

現在最大のコンテナ輸送でも5000コンテナ積載が上限、これを13,000コンテナを積載できる「新パナマックス」を就航させるという。

そうなると、いまの輸送力3倍増を図ろうとしている。

2015年1月9日に北京で開催された「ラテンアメリカ、カリブ海共同体」(33ヶ国。CELACという)総会の席上、習近平は憮然として表情で、「中国は今後10年間に2500億ドルをラテンアメリカとカリブ海諸国に投資する」とぶち挙げた。

その天文学多岐な金額は眉唾で、いかにも大風呂敷が好きな中国の打ち上げ花火に終わるのであろう。